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#152 成長 2,008年3月30日 [57. 塾長の教育論]

  2,008年3月30日   ebisu-blog#152 
  総閲覧数: 8857/124 days (3月30日8時12分) 

 年度末である。明後日から4月だ。卒業の月が終わり入学の月に変わる。
 塾生OBが一人、1年半ぶりくらいに来た。ある専門学校にAO入試で合格し、奨学金もゲットして来週根室を発つという。
 中2の12月頃に来た生徒だが、もう高校を卒業した。5年ほど前に塾を開設したが、最初の生徒が連れてきた3人の内の一人だ。学校を休むことが多く成績はむちゃくちゃだったが、数学の点数がすぐに70点ほど上がり、次第にしっかり勉強するようになった。数学の先生が急な変化に驚いて「どうして」と問い、「塾に行っているよ」と答えたと笑っていた。「不規則動詞60」の暗記も速かった。
  「動物のお医者さん」に憧れて、2年半くらいニムオロ塾で勉強した。しばらく見なかったので進学をあきらめたのかとも思っていたら、進学をする同級生数人とグループを作って勉強会を開き、教えあい、励ましあって勉強していたという。学校推薦をもらうために一時期は一日5時間以上勉強して成績をさらに上げた。
 わたしも仕事上いくつかのプログラミング言語の経験があるが、プログラマーに英語と数学は必須アイテムである。結局自分の得意科目を活かすことになった。ウェブ・プログラマーになりたいと夢を語り、「ありがとうございました」ときちんと挨拶をして帰っていった。地に足の着いた一人前の大人である。

 若者の成長速度は大きい。正直言って驚いた。得意科目を活かして食べる道を見つけようと自分の力で歩みだした。
 塾に来ないと点数を上げられないような生徒を作るために始めた塾ではない。もっと遠くを見つめて故郷根室に戻って開いた塾だ。塾をやめた後に、生徒が独力で進むべき道を歩めるように、基本的な学習習慣と学力そして気力を培う場がニムオロ塾だ。塾長の役割は小さなきっかけをいくつか創ること。
 生徒の成長に驚き、喜びながら、先生も頑張れと背中を押された気がした。
 
 4ヶ月150本ほどブログを書き綴ってきた。イニシャルで授業風景を紹介したりもした。同じクラスの生徒には個人が特定できるところまで書き込んでいたから、ところどころネチケット(ネット・マナー=エチケット)にも違反するところがあったのかもしれない。また、地域医療問題では根室の町の将来を憂えたとしても、高いところから書きすぎた嫌いがある。
 ブログが何物かが知りたくて、トライアルのつもりではじめてみた。ヒット数の多いブログも検索してみた。ずいぶん手間と暇をかけ、しっかりしたものがある。そこまで時間を投入するつもりはいまはない。この辺りで今後どうするかをじっくり考えてみたいと思い、更新の頻度を落としたい。ウェブからフェードアウトはあるかもしれないし、単に頻度を落とすだけかもしれない。心は揺れている。
 このところ読者が増えた。写真が一枚もないブログは珍しい。退屈で冗長な文章を忍耐強く読んでくれた読者に感謝申し上げたい。
 ありがとう m(_ _)m

産婦人科医 来月の派遣中止 [26. 地域医療・経済・財政]

  2,008年3月28日   ebisu-blog#151 
  総閲覧数: 8722/122 days (3月28日10時00分) 

 残念なニュースが流れた。3月27日、北海道新聞朝刊・根室地域版より転載

 産婦人科医 来月の派遣中止
  非常勤医の診療を継続
 【根室市は26日、国の「緊急臨時的医師派遣システム」で、4月から市立根室病院に赴任する予定だった産婦人科医の派遣が中止になったと発表した。診療の応援体制などで意思との条件が折り合わなかったという。4月からの常勤医数も新年度予算で想定した15人に届かず、現行と同じ11人でスタートを切ることが固まった。(仁科裕章)

 同病院への産婦人科医派遣は昨年10月、厚生労働省の「地域医療支援中央会議」で決定。同会議が設置した「ドクタープール」から、神奈川県の医師を半年間派遣する予定だった。だが、この医師が現在、道外の離島の病院で月に1週間実施している診察応援の継続などを条件提示したため、調整が難航。国、同と支援体制を協議したが、条件に応じることができず、断念したという。
 4月以降の産婦人科の診療体制は、釧路赤十字病院の非常勤医による週2回の診察を継続。2006年9月から休止している入院・分娩は再開できない。島谷満病院事務長は「残念だが常勤医が1週間不在になる体制はリスクが大きい。引き続き、産婦人科医の招聘活動に取り組む」と話す。
 また、、26日発表の市人事では、常勤医を内科6人、外科2人、小児科1人、泌尿器科1人、眼科1人の11人体制で発令。石垣雅敏副市長は「現在も調整中だが、4月1日での増員は難しい」という。
 病院事務局には経営推進課を新設し経営改革を進めるが、産婦人科に加え、整形外科なども常勤医不在の状態が続けば、赤字解消を掲げた新年度予算が今対から崩れる恐れがある。

《コメント》
 コメントすべきことは三つ。①判断の誤り、②新年度予算との関係、③経営推進課の役割である。
 根室は医者から見るとまぎれもない僻地である。こちらの希望条件どおりの医師が来てくれれば良いが、なかなかそうはいかない。報酬で報いたり、どこかで報いるところがないと医師確保は難しい。この医師の場合は離島での1週間の診察継続であったわけだ。
 たしかに入院患者を抱えたら、1週間の医師不在は大きなリスクとなるが、産婦人科学会は常勤医2名での診療を求めている。だから、とりあえず、この医師を確保して、それから産婦人科学会指針通り、もう1名の医師を確保しないと、正常な体制での入院患者の受け入れができない。2段階で医師確保を考えないと、分娩の受け入れはできないと考えるのが普通の感覚である。
 島谷事務長と石垣副市長は何か勘違いしているのではないだろうか。医師一人に入院患者を任せるつもりなのだろうか。それはリスクが大きすぎて無理だろう。
 
 二つ目は、新年度予算である。11人体制が続く場合には病院事業会計の赤字が膨らむ。3月16日付のブログ『医師11人体制なら4億円の(追加)赤字』にも書いた。4億円は市側の計算だが、予算で6.1億円の繰入を見ているから合計10.1億円となる。この金額自体、他の同規模の自治体と比較しても異常に大きい。
 元々、常勤医15名体制を予算前提としたこと自体がおかしい。市長は市議会で「調整中」だから内容は話せないと答弁したが、産婦人科医の件以外何も出てこない。その場しのぎの言い逃れ答弁であったようだ。助役時代の病院移転場所(ニホロ)選定過程に関する説明会での答弁を思い出してしまう。他でどうであるかは知らないが、病院に関してはその場しのぎの無責任な答弁が多い。本当は、お人柄は誠実だが、立場上仕方なく言い逃れの答弁に終始しているのかもしれない。
 平成19年度の着地見込を元に11人体制で計算してみると、売上高21.5億円、営業費用32.5億円、営業外費用0.8億円で、経常損失は11.8億円である。予算外の赤字が5.7億円でることになる。それは赤字特例債の発行条件に抵触する。
 10億円以上の赤字が3年続いているのに、6.1億円しか一般会計からの繰入予算を組まないことがおかしい。当初から非現実的な予算案であるのに、市議会は予算案を可決してしまった。そして危惧したとおりの状況になっている。

 財務課の事情はこうだろう。一般会計が5億円の赤字予算となるから11億円の繰入予算が組めない、そこで赤字の幅が6億円になるように15人体制を逆算して予算案を作った。つまり数字の辻褄合わせに終始した。その一方で平成20年度も根本的な対策が等閑視されてしまった。そこが一番困る。病気なのに治療せずにほうっておくようなものだ。病気は次第に重くなっている。
  さて、もうすぐ4月である。市長の言っていた常勤医師15名体制は「調整中だから言えない」という市議会での答弁がその場しのぎの発言であったかどうかが判明する。

 三つ目の論点は経営推進課である。病院内に経営推進課を新設するとあるが、何をやるのだろう。医師とコメディカル・スタッフと事務職員とを同じ目標に向かって協調させなければ経営改革はできない。経営スキルと医療に関わる良質の知識と経験をもちあわせなければできっこない仕事である。いままで病院業務や経営にまったく関与したことのない市役所職員を異動させていったいこの重要な業務が担えるのだろうかという疑問がわく。長い時間をかけて、いくつか病院内の仕事を担当させて意識的に育てなければ、人材はえられない。いままでそういうことをサボってきたから、付けが回っている。今後の課題としておこう。
 組織を増やすと経費が増え、赤字が膨らむ。具体的な効果が出せなければ新組織の存在意義はない。長谷川市長の市議会での答弁によると、対策は「医師の招聘活動」に尽きている。他には何も提案がない。経営改革には戦略目標が必要だが、その提示すらない。経営推進課はいったいどこへ向かって走るのだろうか?市長は具体的な目標を指示すべきだ。
 10年後26000人の人口を想定して、今後病院事業がどうあるべきかをしっかり見定めて、赤字を市民一人当たり1万円程度に縮小する具体策を策定・実施してもらいたい。この辺りの情報は公開して欲しい。病院がどのように変わるかは市民にとって重大問題である。目標策定と具体策立案・実施に期限を設け走って欲しい。


#150 ゲーム脳化症候群 2,008年3月28日 [57. 塾長の教育論]

  2,008年3月28日   ebisu-blog#150 
  総閲覧数: 8683/122 days (3月28日0時00分) 

 今冬は雪が少ないと書いたばかりなのに、夕方から大粒の雪が風のない空から落ちて積もっている。8センチばかり積もった。さっと玄関前の雪をかいだ。気温は-0.7度、比較的暖かい夜である。

 気になっていることがある。授業中に私語が多い生徒が数人いる。何度注意しても2分とたたないうちにまたぞろ私語を始めてしまう。私語が飛び交ううちは集中力がなくなり、実際には授業を聞いていないから成績は下がってしまう。授業中の私語は、説明をきちんと聴いている他の生徒には迷惑である。私語が耳に入ると集中力が途切れてしまう。私語の多い生徒は、回りへの配慮ができなくなるのも共通した「症状」であるゲームやインターネット、携帯メールに嵌っている生徒にそうした傾向が強い。

 数年前に携帯メールを一日百通以上打っている生徒がいた。メールを打つのは実に速い、器用なものである。1年間その生徒は私が黒板に解説を書くまで周りとお喋りするか、「待機」していた。ただ黒板を写して帰るだけで、成績はまったく上がらなかった。性格はおおらかでのんびりしており、いつもニコニコしている。問題だけでも3回は読むように言っても、ニコニコ笑顔ですぐまたおしゃべりを始める。めんこい生徒ではあった、だから余計に何とかしてあげたくなる。ついにだめだった。こういうときは集団授業の無力を感じる。1対1で補習授業するしか打つ手がない。これはメールに嵌った極端な例である。小さな私塾でもこういう生徒に出遭うということは、学校ではこうした生徒が少なくないのかもしれない(生徒に聞いたら、わたしは200と言う生徒がいた)。勉強する時間もなくなるわけだ。生活習慣に問題が生じていると見てよいだろう。

 ゲームに嵌っていない生徒の中にも集中力が保てない生徒も小数だがいる。だから全部がゲームのせいとは言えないが、大半の場合にゲームが関係していることは事実である。
 子供は脳が柔らかいことから、ゲームに嵌ると将来を左右しかねない問題を孕んでいる。

 森昭雄氏がゲーム脳という言葉を始めたつかったようだ。脳波のパターンに違いがでるということらしいが、わたしの言うゲーム脳化は少し違う。塾で生徒を観察する限り、自分ではコントロールできないほどの強い習慣性こそがゲーム脳化の本質であると感じている。そして脳は毎日長時間繰り返されるパターンに慣らされてしまう。毎日何時間も前頭前野が停止した状態を繰り返すことが、成長期の子供の脳活動に影響がないわけがないだろう。子供の前頭前野が未発達のままに大人になってしまったら、思考力が弱くセルフコントロールの利かない、切れやすく、コミュニケーションが苦手の人間が出来上がるのは当たり前である。

 程度の差はあるが、ゲーム脳化が進んでいる生徒は、セルフコントロールが弱くなる。つらいことや嫌なこと(たとえば嫌いな科目の勉強)を我慢できない傾向がある。成長期の子供が毎日何時間もゲームにふけっていたら、勉強する時間はなくなる。生活習慣の崩れが学力に影響が大きいのかもしれない。本を読む時間も少なくなる。語彙を豊かにすべき時期にゲームにはまり込んでしまうことで、語彙の脳への入力量が相対的に少なくなってしまうことも問題だ。ゲーム機と向き合う時間が多くなうrことで、人とのコミュニケーションの時間も確実に減る。コミュニケーションによって語彙が広がったり、語彙の使い方をおぼえたり、自分の意思を伝えたりという能力が未発達のままで大人になってしまう。社会人になったときにコミュニケーション障害など、副作用が出て当然である。

 生徒を観察しているとあるときを境に反応が鈍くなることに気づくことがある。こちらから問いかけても返事をしなくなる。コミュニケーションに障害が出ているのだが、本人は気づいていない。問いかけられたことを無視しているのではなくて、自分が問いかけられていることに気づかない。何かに集中していて気がつかないならいいが、よく観察してみると、ボーっとしていながら気がついていないのである。つまり、脳の活動が著しくおちている状態、たとえて言うと「上の空」状態である。

 子供の頭は短期間でゲーム脳に変わってしまうようだ。本人に自覚はまったくないのが特徴である。コミュニケーション障害がでるので、質問をするような形式の授業をしていれば教師の方にはその変化がわかる。もちろん本人にはその旨警告するが、煙草やお酒のような「生活習慣病」と同じだから、なかなか治すことができない。専門医ではないから本人の自覚を促すことぐらいしかできないのが実情である。
 脳内麻薬物質のドーパミンが分泌され、一種の反応回路が形成されてしまうから、パチンコや覚醒剤と同じで習慣性が強く、なかなか抜けられないらしい。アルコール中毒の専門病院が千葉の久里浜にあるが、ゲーム脳についてもそうした専門の病院があってもよい。 覚醒剤でもそうだが、脳科学者に言わせると覚醒剤で脳内に形成された反応回路を消すことは不可能で、回路を消去する治療法も技術も存在しないという。脳へのゲームの影響は覚醒剤と変わらない。しかし個人差が大きく、分からないことも多い。環境汚染物質のように作用機序が解明されてからでは手遅れということもある。
 覚醒剤やアルコール中毒は何かのきっかけで「再発」することが知られている。一時やめられても、大人になってからぶり返す危険性がゲーム中毒にもある。社会人になってから、何かのきっかけでまたゲームに嵌って引きこもりになり、仕事へ行けなくなる。
 仕事は必ずコミュニケーションを伴う。それがうまくいかなくなることも「きっかけ」のひとつかもしれない。人に聞かれて返事をしていないことに本人は気づかない。そういうところがこの「病気」の「静かな症状」である。
 煙草やアルコールが子供の発育に悪影響があるので禁止されているが、それ以上の習慣性があり脳へ永久的な回路を刻んでしまうゲームの使用については野放しである。親が守るしかない。


 最近わけのわからない殺人事件が相次いでいるが、その背後にゲームによる引きこもり、コミュニケーション障害のあるケースが見受けられる。ゲームの過度な利用で自己抑制機能の一部が破壊されるようだが、そうした人間が社会に増えていけば、犯罪パターンも変わって当然である。(土浦駅前で起きた殺人事件の犯人は、典型的なゲーマーで大きな大会でも準優勝の経験があると報道されていた。切れやすい性格で、猫や犬を蹴飛ばしたり、エアーガンで狙い撃ちしたりしていたと、テレビで友人が語っていた)

 ゲームの影響は個人差が大きいことも事実である。だから、しばらく嵌っていても自力で抜け出せる子供もいる。飽きてしまうのが一番よい。「飽きる」というのは自己防衛のための健全な「免疫反応」かもしれない。ある高校生は中学校時代ゲームに嵌った典型的な生徒であった。親子で嵌っていたから習慣を変えることはいっそう困難と見ていた。ところが、いまはほとんどゲームをしない。強い意志で自分をコントロールできるようになった、この1~2年で成長したのだろう。


 中学生のときに私語が多くても、高校生になれば授業中に私語をするものは一人もいなくなる。高校生の授業で私語をする者は一人もいない。ゲームにはまって、ゲーム脳となった生徒は塾には来ないのかもしれない。
 学ぶボリュームが圧倒的に増えるから、学習意欲の有無ではっきり差がついてしまうのが高校生だろう。
 高校で勉強するボリュームは中学校に比べると英語も数学も時間数が格段に多くなるので、同じ1週間でも進み方が速い。ゲームは生活習慣の一部になってほとんど変えることができないから、予習・復習をきちんとしない生徒は授業についていけなくなって、脱落してしまう。当然授業や学科内容に興味を失い勉強から遠ざかる。
  就職する場合でも、高校時代に学問を深めておくことは大切で、社会人になったときに必ず役に立つ。仕事で必要な知識や智慧の領域は無限に広がっている。

 さて、対策である。極めて簡単な対処法をお勧めしたい。ゲーム脳の傾向が出ていたら、ゲームを買い与えるのをやめる。もっているハードとソフトは棄てる。子供の側からは強い反発がでるが、妥協してはいけない。子供が可愛いなら断固ゲームとさよならさせるべきだ。持っているゲーム機を壊して棄てるくらいの強い決意がないと、やめさせることは難しい。もったいないと思ってはいけない。数千円のソフトや数万円のゲーム機よりは、子供の将来の方が比較にならないほどの大きな価値がある

 フリータと正規社員では新卒でも年収が100万円も違ってしまうのが現実である。年齢を重ねるほど差は広がる。正社員や正職員の職は数が少なく競争が激しい。特別なコネがある場合を除き、成績上位で性格のよいものから順に採用される。辛いことや嫌なことでも辛抱してやりぬける習慣を中・高生のうちに培っておこう
 子供の生活を見ていれば、ゲーム脳になっているかどうかはわかるはずである。毎日数時間ゲームをやっていたら、これはもう立派な生活習慣病と判断してよいだろう。
 
 他人のことをあげつらうのは易い。こうして毎日ブログを書いている私も似たようなものだろう。私は大人だから、仕事に影響するようなバランスを崩した生活習慣はある程度コントロールできる。ブログは習慣性がたしかにある。気がつくと、夜中の2時頃まで書いていることがある。だから最近1時には書くのをやめて寝ることにした。
 それから生徒をイニシャルで書くことはやめにする。今後は出て来る順にA,B,C,D,E・・・と記す。


入学前、日商簿記3級受験特訓 [62. 授業風景]

  2,008年3月26日   ebisu-blog#149 
  総閲覧数: 8574/121 days (3月26日23時00分) 

 昨日は朝から夜まで濃霧が立ち込めていた。なにしろ警察の坂の下の信号から合同庁舎前の信号が見えない。300メートルあるだろうか。夜の気温はほぼ零度だった。この霧はまるで8月のようだ。この時期にこんな濃霧は記憶がない。一方、今冬の降雪量は例年の36%しかなかったと新聞が報じている。気温は例年よりも低かった。寒さは厳しかったが、雪が少ない冬だった。北海道でも釧路と根室がとくに少なかったようだ。最近のニュースでは根室の商業地の地価が前年比9%下がったという。商業地域というと今でも緑町ということになっている。時々散歩しているが歩いている人はほとんど見かけない。しかし、お盆とお祭りのときだけは別だ。こんなにいたのかと思うほどの人で通りが埋まる。

 A君は高校入試(3月5日)の夜から日商簿記3級の受験特訓を開始している。ちょうど3週間たった。今日は精算表の問題をやった。なかなかスピーディに数字をあわせている。彼はセンスがよいのかもしれない。決算処理の費用と収益の見越し繰り延べがスムーズにやれている。残るは伝票会計だけである。問題集も118ページまで消化したので、あと25ページほどで終わる。4月8日の(事務情報科)入学までに問題集は全部完了できるだろう。
 このペースだと5月連休中に過去問題12回分を終了できるので、90点台での合格が期待できる。過去問題が終わったら、仕訳問題のトレーニングはレベルを上げて2級の問題集でやろう。他にも3人くらいKi君と同じレベルの生徒がいるだろうな。優秀な生徒が春休みに簿記の特訓をしないで過ごすのはもったいないな。日商簿記1級合格可能性がなくなってしまう
 6月の日商簿記3級に合格できなければ、スケジュールからみて日商簿記1級の在学中合格は無理がある。卒業後税理士になるくらいのトップクラスの生徒でも、受験3回目で合格できるのがやっとだろう。高校入学試験日から勉強を始め、6月に3級合格、2月に日商簿記2級に合格できれば、1年間を1級の受験勉強に費やし、2年生の2月、3年生の6月、11月と3回受験のチャンスがある。三年次の2月は大学受験生は簿記検定試験の受験は見送らざるをえないだろう。
 だから、1年生の6月に日商簿記3級に合格すれば、在学中に日商1級合格の確率が格段に高くなる。事務情報科や商業科へ進学するもので在学中に日商簿記1級合格を目指す者がいたら、3月初旬からニムオロ塾に来ればいい。
 探していた日商1級受験用のテキストは実物を確認してようやく決めた。週1時間の授業で使える教材が見つかった。

 高校生のBさん、今日は3時間びっしり勉強して春休みの数学の宿題をやっていた。9時2分前に最後の問題が終わると、「疲れた~」と一言、ぐっすり眠れるだろう。
 数学は嫌いな科目だ、しかももっとも苦手な数Aの論理と集合のところだ。好い集中力だった。全部解いて帰った。こんなに集中して数学の勉強しているのを見るのは初めてだ。嫌いな分野の一角を崩すことができたのなら私も嬉しい。半年後には、英語とともに数学が得意科目になっていることを期待したい。

 今度中3になるCさんは、一次関数がしっかり理解できたかな。新中3は彼女だけ成績が下がったので、×ゲームではないけれど個別補習を義務付けた。春休みの内にしっかり基礎を固めてしまおう。この3ヶ月ほど授業中のおしゃべりが多すぎた。何度注意してもだめだったから、点数が下がっても当然の結果だ。
 今日のように集中して説明を聴ければ、90点取れるようになる。信じて努力してごらん。一度90点取ったら、80点以下はほとんど取らなくなる。明日は英語の復習をしよう。下がったときは飛躍するチャンスだ。苦い味をしっかりかみ締めて・・・負けるな!


同期のTさんとばったり出会った [A8. つれづれなるままに…]

  2,008年3月25日   ebisu-blog#148 
  総閲覧数: 8350/119 days (3月25日0時20分) 

 冬も終わりのようである。小雨が降っていた。仕事が終わって外へでたら、同期のTさんにばったり会った。根室へ戻ってから2度目だ。彼は根室で中学校の英語の先生をやっていたが、この3月で1年を残して退職したという。病気をしたというが、元気そうだった。無理をしないで暮らしてもらいたい。一度病気をすると体力は無理が利かなくなる。根室に戻ってきた当初は、彼に励まされた。感謝している。
 教えた生徒はやはり可愛いという。教師をやると生徒がめんこくなるものだ。それでもいつかは教師生活をやめることになる。授業をしながら生徒たちから元気をもらって何年か行けるところまで行こうと思う。
 私の高校の担任も病気で2度も手術をしたが、東京で同期会があれば必ず出席してくれる。東京にお住まいの先生は一人だけだから、教えなかった生徒からも慕われている。好々爺然とした人柄がとってもいい。数年前、登別温泉で同期会をやったときも、東京から駆けつけてきた。いつまでも元気で顔を出してもらいたい。
 同期会の会場となった登別温泉の老舗旅館の女将も同期だ。昨日のテレビの30分番組で彼女が特集されていた。滝乃屋という旅館である。毎朝ロビーで餅つきをしている。宿泊客が楽しそうに餅をつく姿が映っていた。最近立派な新館ができたようだ。
 「女将の会」とかいうものを創って、この業界では有名人であるらしい。テレビの紹介では、30歳を過ぎてから嫁ぎ先の旅館業を手伝うようになり、仲居をして、その後売店を任されてから才覚を現し出したとあった。接客業がはじめから好きだったわけではないだろう。一生懸命やるうちに好きになったし、スキルも磨かれたのだろうと思う。仕事は一心不乱に打ち込んでこそ、楽しくなるものだ。半端にやっている人ほど不満や愚痴が多くなる傾向がある。向かなかったらやめるもよし。いやいややる仕事はみったくない。いつかはやっている仕事を天職と考えてひたすら打ち込むときがくる。気がついたときにはじめればいい。勉強も同じことだろう。同期にはいろいろな人がいる。

#147 2018年の根室の人口 Mar. 23, 2008 [26. 地域医療・経済・財政]

 10年後、2018年の根室の人口はどれくらいだろうか?

 昨年末の人口は・・・ 30,881人
  10年前の1998年は34,534人
 20年前の1988年は39,010人
 30年前の1978年は44,073人
 40年前の1968年は49,892人

 40年間の人口データを一覧してみるとみごとにその傾向が浮かび上がる。10年ごとに約5000人減少している。最初が5,819人、次の10年が5,063人、その次が4,476人である。総人口数に対する減少人口数の割合はほぼ一定である。10年単位で並べてみる。
      11.7%⇒11.5%⇒11.5%
 このデータを使って平成20年度末の人口を計算すると30,562人となる。実際にはこれよりも150人くらい小さい数字になるだろう。H19年度の減少幅が例年よりも大きかったためだ。これが一時的なものなのか、そうでないのかは判断がつかない。北海道新聞根室支局の記者は1月24日の記事で、昨年の減少に「人口流出が加速化」という見出しをつけてデータを紹介した。10年単位で見ても、このままでは減少率は11.9%に上がりそうだ。毎年500人規模で流出(転入-転出)が続くようなら減少率は50%アップして、年率1.66%である。今年度も500人なら傾向が変わったと判断してよいだろう。根室の将来にとっては由々しき問題である。

 平成元年は38,335人だった。年平均減少率は1.12%(以下“r1”と記す)であるが、1月24日のブログ『人口流出が加速化』に書いたように減少率が拡大している。假りに1.5倍になっているとすれば、減少率は1.68%(以下“r2”と記す)となる。
 r1を使って推計すると2018年の人口は27,385人(3,496人の減少)であり、r2を使うと25,751人(5,129人の減少)となる。10年後根室市の人口は概ね26,000~27,000人である

 ついでに10年後の老人人口も推計してみたいので、しばし、退屈な話にお付き合いいただきたい。
 平成17年度の国勢調査データから2018年に65歳以上となる人数を計算してみた。単純に55歳以上の人数と50~54歳の人数の半分を老人人口として加算すると13,200人である。死亡による減少を2,500人考えても、人口が26,000人に減少すれば市民の5人に2人は老人である。現在の7,000人強の1.5倍程度に増える。老健施設は2倍でも足りないだろう。療養型病床群の病院・病棟はひとつもないが、慢性期の病人は市立病院には長期入院できない。入院管理料が下がり、売上が減るからだ。20年後には特別養護老人ホームも数百人規模で必要になるだろう。これからこういう施設の整備や運営に巨額のお金がかかる。30~40年もすれば老人はほとんどが死んで、施設はがらがらになる。そのときの解体費用まで積み立てておかねばならない。建物の解体作業は材料別に細かく分別しなければならないので、費用がばかにならない。老人が住んでいた住宅もそのままに放置されるものが増えるだろう。数百あるいは千を越える、持ち主が死に絶え、老朽化した建物群は安全上の理由で市の負担で処分せざるをえなくなる。

 積立金を取り崩すのではなく、今後10年間くらいは毎年5億円規模で積み立てなければ間に合わないのではないだろうか。積立金を取り崩して赤字の穴埋めに使ったり、年10~12億円の病院会計の赤字を一般会計からの繰入で穴埋めしている余裕はとっくにないのだろうと思う。このまま推移すれば、10年後、20年後に、医療にかかれず、孤独死していく老人の屍の山を築くことになる。その原因はここ数年の市政にあることになるのかもしれない。偉そうなことを言いたくはないが、先を見て仕事をするということはかくも厳しい現実と対峙することである。
 
 はてさて、人口減少が加速化したのはなぜだろう?転入と転出の差が近年500人ほどに拡大している。平成18年度、転入者数が1,000人を切った。転出は1400人台である。
 町の中を歩いてもその理由の一端が見てとれる。ポスフール裏手の通り沿いはお店が並んでいるが、空き店舗が増えている。アクアラングを売っていた店は花咲港へ引っ越し、空いたままである。海鮮パスタの美味しいフランス料理店も昨年店を閉めて、空き店舗になっている。お蕎麦屋さん東雲はひとつ向こうの通りは移転した。やはりその後が空いたままである。花咲ロード沿いにあった日本蕎麦店「季心庵」のご主人は一生懸命に本物の手打ち蕎麦を作っていたが、残念ながら1昨年店を閉めた。緑町は時計の鈴木の旧店舗を市が借りて「街中サロン」として利用しているが、空き店舗である。伊沢書店も古い方の店舗を閉めた。本町・梅ヶ枝町・緑町界隈のスナックは店を閉めたあと買い手がなかなかつかない状態だ。この数年でずいぶん軒数が減った。同級生のO君も店を閉めたうちの一人である。

 小売業は大型店が繁盛している。ポスフール、札幌コープ、マルシェの3店だ。セブンイレブンが5店舗開店するという噂が飛んでいる。2箇所は確実のようだ。
 地元仕入では大型店に対抗できなくなっている。マルシェはJRの傘下に入って息を吹き返し、シーサイドは結局、店をたたんで札幌コープへ身売りした。セブンイレブンも全国チェーンで品揃えが違う。もう地元資本で独立に仕入先を開拓して経営するのが無理なようだ。だとすると中標津の東武(サウスヒルズ)は良くやっている。
 大型店が熾烈な競争を繰り広げる一方で、中小小売店が今後も経営が厳しくなり廃業が出るスナックをはじめレストラン等サービス業も数が減っている
 こうしてみると個人営業の店が成り立たなくなっていることが人口減少の一因であるようだ。蟹の業者は小さいところがたくさんあったが、量が減ったのと、大手の1船買いで小さい業者の生きる余地がなくなった。個人経営が立ち行かなくなって起きた事件がこの数年でいくつかあった。
 個人経営のお店が急速に衰退してしまえば、根室全体では働く場所が少なくなり、人口が減る。
 これは行政によってどうにかなる問題ではない
根室の民間の活力が失われているのだから、町の縮小は避けられない

 出生数の減少は人口減少のおおよそ2~3倍の速度で進んでいる。婚姻数が4年間で30%弱減少していることを考えれば、出生数はもっと加速的に減る可能性が大きい。婚姻数と出生数には論理的にも相関関係がある。データを見ると、おおよそ婚姻数の1.5倍が出生数となっている。(離婚数が平成18年度婚姻数の半分を超えた
 平成7年の出生数351人を基点にして平成18年252人への変化率を計算すると、年平均減少率は3.45%(r3)となる。婚姻数は平成14年203組から平成18年147組へと減少した。年平均減少率は7.75%である。出生数の2倍の減少率である。このままの率で婚姻数が減少すると、10年後の婚姻数は66組となる。これでは出生数は100人前後となりかねない。ちなみにr3で推計すると、10年後の出生数は96人となる。婚姻数から見た出生数推計データと出生数の年平均減少率から計算した出生数データが一致している。
 産科学会は常勤医師2名体制を提唱しているが、出生数が150人程度(6年後)に減れば、市立病院の産科も医師が一人で間に合うようになる。幼稚園はひとつになるかもしれない。保育所もひとつあるいは二つあれば充分だろう。

 若者の職場のないことが、根室の人口減少の主要な要因であることは論をまたない。根室支庁が統廃合されて振興局になるようだが、反対論の根拠として人口減少が加速化することを挙げる人がいるようだ。それは間違いだろう。すでに根室の人口減少は加速化しているのだから。
 人口減少の原因は町の外にあるのではない。大型店に押されて個人商店経営が成り立たなくなったことや、カニの仲買業者のような小さな業者が食べていけなくなったことが人口減少を加速化している。高卒者が地元で正規職員として就職できないだけではない、親の仕事を継げなくなってきているのだ。
 親も先に見切りをつけて、息子に商売を継がせようとしないケースが増えている。勉強の動機付けを探るためだったり、なりたいものにどうやったらなれるのかを一緒に考えるために、私は生徒に将来何になりたいのか聞くが、継ぐべき家業の将来に希望のもてるケースは少ない。
 
 どうすればいいのだろうか?個人商店経営の復活はほとんど希望がもてない。打つ手が狭い。地の利を生かしたブランド化のヒントになりそうなことはあるが、育てるのに時間がかかる。ブログで少しずつ検討してみよう。
 店頭公開企業をいくつか出せれば、市税収入は大幅に増える。しかし、地元金融機関にそうしたノウハウがない。まず、どこかがやって見せることだ。店頭公開支援を生業とする業界最大手のジャフコ(日本合同ファイナンス)社長は根室出身の伊藤君だ。彼のオヤジさんは大地みらい信金の元理事長(?)だったと記憶する。大地みらいは店頭公開支援のノウハウをジャフコから仕事を通じて教わるといい。やればやれる。
 もうひとつは、25,000人規模の町を想定して、行政組織や機能、病院、学校などを縮小することだ。先手必勝である。手を打つのが遅れれば、夕張市の例に見るようにツケは膨らむ。
 大きなツケを小さくなる町に残さない、次の世代にツケ回しをしない、それがわたしたち大人の義務だ。
 万が一ツケを回すようなことになったら、責任のある大人たちも責任のない大人たちも老人となったときに、特別養護老人ホームは数百人も順番待ちになり、病気になっても入院する医療施設(慢性期の患者をケアする療養型病床群の病院あるいは病棟)すらなく、無策のツケをあまねく支払うことになる。


*#2173 市立根室病院の小児科はどうなる? Jan. 12, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-12

   
  総閲覧数: 8186/117 days (3月23日17時20分) 


根室管内の小学校卒業生は835人 [26. 地域医療・経済・財政]

  2,008年3月22日   ebisu-blog#146 
  総閲覧数: 8041/116 days (3月22日1時00分) 

 3月20日道新根室地域版より抜粋
  根室管内43小学校の内27校で19日卒業式が行われ、児童の多くは真新しい中学校の制服に身を包み、卒業証書を受けた。管内の卒業生は昨年より79人少ない835人。人口増加が続く中標津町でも同27人減の249人となり、少子化の進行をうかがわせた。
 8人が卒業した根室市華岬(かこう)小では、高橋和雄校長が一人一人に卒業証書を手渡した後、・・・

【コメント】
 小学校卒業生が根室管内で前年と比べて79人(8.6%)減少している。1校平均19人の卒業生である。低学年ほど少なくなるから、1校平均在校生は100人程度だろう。華岬小学校のように50人足らずの小規模校が多いということだ。生徒13人の中学校に職員13名という例が厚岸にあったが、そのような学校は極めて稀だろう。
 假りに50人の生徒の学校で、職員8人、その他経費も含めて8千万円円かかるとすると、生徒一人当たり教育費は年間160万円だ。6年間で生徒一人に960万円も教育費を出し続けること自体が無理だろう。国からの補助金が半分あったにしても各自治体の財政には重圧であるに違いない。小規模校は学力の点でも問題が多いようだが、財政上の理由からも整理統合を急ぐ必要がある。
 最近の報道では、平成12年に小学校の整理統合に結論を出してあったのに、一向に進展させず、サボタージュしたのは教育委員会であると、ある市議が市側の説明にクレームを申し立て、議会で証言している。

 人口増加が続いている中標津でさえ27人の減少である。根室管内全域が長期的に衰退していく兆候のひとつと見ることができる。若い人が減少し続ければ、長期的にはいろんなものが維持できなくなる。学校、部活、お祭り、病院、プール、図書館、バス路線、諸々の公共施設などである。お寺も檀家が少なくなれば維持が難しくなるものに挙げられるだろう。神社もだ。保育所も幼稚園も、数え忘れているものは他にもあるだろう。

 ありえない想定と思いたいが、年率8.6%で小学校卒業生が減り続けたとしたら、10年間で40.6%、338人まで減少してしまう。減少率を少し小さめにみても10年先が15年先あるいは20年先に延びるだけである。今年度の減少率が特異なものである可能性もある。それでも長期的にはいろいろな機能縮小を管内全体で考えざるを得ないだろう。
 いつになるかわからないが、中学校卒業生が338人になったら、根室管内にある高校8校は要らない。根室と中標津にそれぞれ1校体制になるだろう。

 根室管内全域の経済衰退がとまっていないから若年人口の減少が加速している。若者が結婚して家族を食べさせていくことのできる民間企業や個人経営の農業・漁業が急速に減少しているようだ。根室市だけかと思ったら、根室管内全域の現象である。

 管内全域の人口減少をシミュレーションして、根室・中標津・別海・標津・羅臼の1市4町で10年後、20年後の根室管内のあり方を検討すべきときに来ているのではないだろうか?都市機能、病院機能、学校配置、札幌や東京と差を埋めるための子供たちの教育体制や環境整備を話し合うべきときにきているのではないだろうか。
 わたしはこの新聞の数字を見て驚いている。根室だけではなかった。管内全域、同じ問題を抱えていた。どうやら1市4町は運命共同体であるようだ。大合併したらどうか? 管内全域でいろいろな施設の適正配置を考えやすくなる。


11年度に10億円財源不足(北海道新聞) [26. 地域医療・経済・財政]

  2,008年3月21日   ebisu-blog#145 
  総閲覧数: 7930/114 days (3月21日1時50分) 
 
 11年度に10億円財源不足
 「基金取り崩し対応」
 市議会委で市側が答弁

 【根室】定例市議会は19日、予算審議特別委員会を続行し、新年度の一般会計の予算案12件を原案通り可決した。審議では2011年度に見込まれる約10億円の財源不足対策について、市は自治体の貯金にあたる各種基金の取り崩しで対応する考えを示した。
 高本みさ子氏(共産党)の質問に、堀合康文財政課長が答えた。
 11年度には、歳出を抑制するため05年度に実施した公的資金の借り換えによる元金償還が始まる。財源不足は11年度10億2200万円、12年度に8億2600万円を見込んでいる。
 市財政課によると、財政調整基金、減債基金、備考資金の残高は本年度末で計11億3000万円の見込み。新年度は減債基金に1億円を積み立てる予定で、12億3000万円になる。堀合課長は「09,10年度も計画的に積み立てれば15億円になり、11,12年度に効果的に配分することで乗り切っていける」と答弁した。(仁科裕章)

《コメント》
 虎の子の積立金を使い切って乗り越えようというわけだ。赤字特例債の返済も7年後の15年に廻ってくるのではないだろうか?そのときには積立金がゼロの状態が予想される。
 どうして病院事業の赤字幅を縮小しようとしないのだろう。年間11億円でる病院事業会計赤字の削減について、市長からも財政課長からも何も言及がない。積立金がゼロになっても赤字の削減をしないようだが、どうしてだろう。不思議でならない。市長や財政課長は赤字削減は必要がないと思っているのかもしれない。
 15年には市長はとっくに任期切れでいないし、財務課長もどこかへ異動になっているだろう。まさか後は野となれ山となれなどと思っているわけではあるまい。後任にツケを回さない真摯な仕事をしてもらいたい。ツケ回しの結果、積立金も払底し、積み重なった借金の山に、にっちもさっちもいかなくなって倒産した夕張市の例がある。
 市議会でも赤字削減策については新聞報道を見る限り、質問がなかったようだ。市議すらも触れたくない問題なのだろうか?そんなふうには見えないが・・・
 具体的な問題を論じて欲しい。たとえば、人口の減った根室市に199ベッドの病院が本当に必要だろうか?
 隣保院が閉院して以来、療養型病床群のベッドが市内にひとつもなくなっている。老人になって医療が必要でも入る病院がないのが現状である。介護保険料は支払っても、療養型病床がなければ給付が受けられない。著しく不平等である。空いているベッドの転換の検討すらできないのだろうか?療養型病棟を設置して売上が増えれば赤字は減る。ヘルパーが必要になるから、雇用拡大にも寄与する。具体的に論ずべきことはいくらでもある。
 赤字を三分の一にできれば、毎年7億円も積み立てが可能だ。積立金を減らすのではなくて増やすこともできる。不可解である。なぜ具体策を検討しないのかわたしにはさっぱりわからない。

  夕張市は第3セクターでどんどん膨らんでいく赤字を、市長をはじめ財務課長や第3セクター責任者がなんらの具体策を策定・実施せず、膨らむままに放置して、借金による予算措置に奔走した挙句に財政破綻を引き起こした。大手銀行すら借金増大に手を貸した。市議会は赤字の拡大の抑止弁とはならなかった。夕張の場合は市議は財政破綻の共犯者である。
 別の市の出来事と思えるだろうか?第3セクターという言葉を病院事業会計に入れ替えただけで、根室の現状そのものに私には見える。
 私は清廉潔白でもないしそれほど品格のある人間とも言えないが、だからこそふるさと根室の行政に望みたい。次の世代に残すツケはできるだけ小さくというのが、当たり前の行政の在り様、品性というものだろう。品格ある市行政を望む。


日商簿記1級の教材選定 [57. 塾長の教育論]

  2,008年3月19日   ebisu-blog#144 
  総閲覧数: 7820/113 days (3月19日23時50分) 
 
 テキストや問題集選びは受験のために大事なポイントである。ネットで検索してみたが、日商簿記1級のテキストと問題集が適当なものが見つからない。簿記学校としては老舗である大原簿記学校のものがよさそうなのだが、商業簿記と会計でテキストと問題集あわせて6冊になる。工業簿記と原価計算も同じだろう。これぐらいやらないと合格者が出ないからだろうが、合計12冊では大部すぎる。週1時間を前提にすると使いにくい問題集だ。週3時間授業できるなら、この問題集を使うだろう。普通のレベルならこれくらいの分量をやる必要があるだろう。
 癖がありそうだが、中央経済社の新検定簿記講義とワークブックを4科目(商業簿記・会計学・工業簿記・原価計算)を取り寄せてみることにした。テキストと問題集で合計8冊である。薄いから説明をかなり突っ込んでする必要がある教材だろう。N君用には使える可能性がある。とりあえず使ってみよう。このテキストの欠点や利点が具体的に見えてくるだろう。

 私が高校生のときにも適当な問題集がなかった。たまたま町の本屋にあった日商簿記1級用の問題集を買って勉強した。選択の余地などなかった。折りよく中央経済社から出版され始めた「公認会計士2次試験講座」を予約購読して併用した。この教材を使うことで経済学や経営学に目が移ってしまった。大学1年のときに受験勉強がバカバカしくなり、経済学をやるようになった原因のひとつがこの講座で勉強したことにあることは確かだろう。もうひとつは『資本論』(当時は高校図書室に置いてあった)を100ページばかり読んで、内容がつかめた気がしなかったことが経済学へ向かった動機である。時間がかかったがヘーゲルの著作は少しはわかったつもりになれたのに、マルクス『資本論』はさっぱりわからなかった。経済学は「2次試験講座」でも勉強していたのに、まるで歯が立たなかった。高校生当時の学力では理解できなかった。
 
 日商簿記1級受験者のための授業は予習主体の演習形式で行う。講義形式で週1回の頻度で4科目やったら、3年たっても試験範囲が終わらないだろう。1~2年間で合格レベルに到達するには、予習主体の演習形式をとるしかない。問題を予習してきて分からないところを質問してもらう。答案を見て、理解の仕方が違っているようなら、軌道修正をさせるのも教える側の仕事である。
 事務情報科に合格したKi君は入試のあった3月5日の夜から、日商簿記3級の受験勉強を始めた。200ページほどのテキストと問題集だが、テキストは昨日(19日)170ページまで消化した。問題集は半分くらいだろう。今月中にテキストは完了する予定だ。問題集は4月半ばまでに終わればよい。そのあとは過去問に取り組むことになる。6月の検定試験合格が目標だ。昨年4月から勉強を開始したN君が不合格になった試験だ。2ヶ月では無理だったから、今年は一月早くスタートした。結果がどうなるか楽しみだ。
 彼には各章ごとに板書して内容の説明をしてから問題に取り組ませている。呑み込みのよい生徒なので、要点しか説明していない。問題を解いているのをときどき観察すれば理解が充分かどうかは判断できるので、ほとんど演習形式の授業となっている。授業頻度は隔日である。
 1級受験者は日商簿記2級合格が前提だから、基礎がしっかりできているので、演習授業に耐えられるだろう。会社法の改正や経済のグローバル化のあおりを受けて、1級の範囲が20年前に比べるとずいぶんと広がったから、会社法や証券取引法、法人税法の理解や、経済についても貿易や金融関係を中心に会計取引に関わってくるので基本的な仕組みの理解が必要である。こうした点が2級とはまるで違っている。単なる簿記技術の習得だけではマスターできない領域が日商簿記1級である。

 高校生対象の英文法と数学の授業はほぼ演習方式である。中学生では速度の大きい生徒にしか予習・演習中心の授業はしない。高速授業で成績に問題の出る生徒がいる。解答を参照して、自己流で解き方を覚えるような勉強になると危ない。基本のところがわかっていないことがある。半年ほど見ていればわかるので、そうした傾向が現れてきた場合にはブレーキをかける。
 現象面を追いかけて、物事の根っこのところ(本質)を理解しない学習は危うい。我流に凝り固まっていると判断したら、高速授業はストップし、速度を落として、ゆっくり「本質」に触れるように指導を切り替える。この手の生徒は事前にある兆候が現れる。質問がほとんど出ないまま、問題集が消化されていく傾向がある。好奇心が小さいのかもしれない。あるいは物事を関連付けて考えることに慣れていないのかもしれない。こうした学習習慣の在り様は小学校以来6年以上かけてついてしまった「癖」だから、落とすのは簡単ではない。しばらくの間は目が離ぜない。よく観察すると、ミスが頻発して当然なやりかたが習慣になっている。それを矯正するために、問題を解くときのノートの書き方までこと細かく指導する必要がある。きちんとした「型」が身につくまでトレーニングを繰り返さなければならない。
 何年教えてもこれで良いというわけにはいかない。一人ひとり学習の仕方や癖が違うので、問題が生じるたびに生徒に教えられる。それでも対応し切れない生徒が年に数名いる。あと12日で4月である。生徒の成長に比べれば、ロートルである教える側の成長は限りなく小さい。しかしだ、今年こそは・・・
  小さな努力を積み重ねるしかないではないか。

 予習・演習方式で1年間やり抜けば、後は自分でやれるようになる。税理士や公認会計士試験受験勉強は、1日8時間以上の集中的な勉強を1年間独力でやり抜くしかない。そのために、日商簿記1級受験勉強でしっかりした土台を作っておくことが大事だ。
 私塾の役割のひとつは、生徒が塾から巣立っていったときに、独力で自分がやりたい分野の学習ができるような健全な学習習慣を育てることにあるだろう。


林望著『知性の磨き方』を読んで [57. 塾長の教育論]

  2,008年3月18日   ebisu-blog#143 
  総閲覧数: 7744/112 days (3月18日23時50分) 
 
 高校入試は終わったが気持ちを切り替えるのに少し時間が必要だ。疲れがたまっていたようで、しばしペースダウン。春国岱で大鷲とにらめっこするのもいいかもしれない。どっちが観察しているのやら、されているのやら・・・そんなさだかではないところがいい。どちらになるかはそのときの大鷲と私の気分次第である。
 ブログを書いては見たが、とくになにも語るべきことが見つからない。こんな日もあるのだな。

 書きたいことがないわけではない。林望さんの本『知性の磨き方』を読んでいる。PHP新書で12年前に出版された本だ。この本を読んでやはり勉強が足りなかったなと思う。うっすらと思い続けてきたことが確信に変わった。学問とは何か、大学とは何か、大学院とは何かについて、具体例を引いて語る。
 林さんの大学教育論や大学院教育論はユニークである。優れた研究者がそのままで優れた教育者であるというのだ。そのことを具体例を引いて、つまりは林さんの個人的な体験をもとに論証している。
 学者は小数のエリートであり、不能率な仕組みの中でしか育てられない。日本的徒弟制度を例に引いて、学者を育てるのは、職人が腕を磨いてマエストロになるのとかわらない。それゆえ、教えてはだめである。徹底して教えない。師の仕事を盗んでおぼえるからこそ、師を乗り越えた技倆に達することができる。そういう気力と根気のあるものだけが残る。
 中等教育の辺りから、教育は教えてはならない。わかりやすく教えてしまっては、学問にはならない。単なるカルチャーセンターにしかならないと。小数の者しか学者になることはできない。だから、大学時代は遊ぶもよし、学ぶもよし、本人次第と言う。4年間はモラトリアムの時間で、どのように使おうが本人の自由である。ただし、学問はこの時代にしか見につかない。身についた学問は分野を替えても通用する。それは普遍的な方法なのだと。この点だけは私の経験に照らしても同じ結論である。専攻した理論経済学を学習した方法論がコンピュータサイエンスにも、他のエレクトロニクス分野(マイクロ波計測器や医療機器)や医学や言語学にも通用した。デカルトの方法はシステム開発にも数学の複合問題の解き方にも通底する。
 そして今気がつくことは、大学時代の恩師の影響である。哲学と倫理学を専門とされた市倉宏祐先生から受け継いだものが多い。私は不肖の弟子だが、一年先輩と同期からそれぞれ大学に残るものが出た。

 たった2年間だったが、学部横断的な「一般教養ゼミ」というものが存在した時期がある。その時期のある日の昼下がりである。マルクス『経済学批判要綱』を読んでいた。先生が眠そうなお顔をしていらっしゃるので、「眠そうですね」そういうと、イポリットの『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』を朝の5時まで翻訳していたという。面白くてとまらなかったのだろう、午後一番の授業が眠いわけである。
 特定の問題意識をもって方法論を眺めたときに、ドイツ語原典からの訳が必ずしも適切とは言いがたい場合があり、フランス語版『資本論』や『資本論初版』、第3版などを比較対照して読んでおかねばならないことがある。シビアな議論をしている(と学生の私たちは思っている)ときに、翻訳作業を思い出したのか、「英語で言うとifにあたるのだが、”もし~ならば”と訳すよりも”~の場合”と訳した方が好いことが多いんだ」、何気なく言った一言がしっかり脳裏に焼きついてしまう。
 単語を置き換える作業ではなく、自分が普段使う自然な文章に置き換えることが翻訳なのだ、そう気づかされる。後は先生の訳した本を読んで学ぶしかない。具体的な質問がわいたらぶつけてみればいい。
 あるとき先生の生田のご自宅に先輩と伺ったときに、やっている仕事の統合システムの話をしたら、PROLOG(フランスで開発されたプログラミング言語)を使っているという話しが口をついてでた。機能的にユニークな言語である。私も当時、仕事でプログラミング言語を3つ使っていた。振り返ると、ずいぶん早くからパソコンも使っておられた。80年代初めのことであり、先生は60歳前後である。哲学や倫理学を専門とする学者が、60歳近くなってプログラミングを自分でやってみるという、その好奇心の強さと頭脳の柔軟さに驚いた。1972年にフランスで開発された言語だったから、フランス語で書かれた解説書でマスターしたのだろうと思う。このときに、あと30年たっても、わたしは新しいことが始められる、先生がそれを教えてくれている、そう感じた。
 そうかと思うと数学者でもあったパスカルについての研究論文を何本か書かれた。他方、分厚い『アンチオイディプス』は哲学と経済学のハイブリッドである。両方の素養がなければ翻訳できない。この翻訳で先生は毎日出版文化賞を受賞された。
 先生は学際的な分野を自在にこなせる稀有な人である。アマゾンで検索したら、春秋社から『和辻哲郎の視圏―古寺巡礼・倫理学・桂離宮』という本を一昨年に出版されている。体調が思わしくなく、病床に伏されていたはずだ。やはり出発点の和辻哲郎に戻ってきたかと思う。そのあたりの消息はここでは書かない。だいぶん、脱線したので話を戻そう。市倉先生については別に何度も書く機会があるだろう。

 これから大学に進学しようとしている高校生には是非読んで欲しい本である。もちろん中学生にも。読書論として読んでも、斉藤孝の『読書力』とはまた意見が違っておもしろい。『読書力』を中1の音読トレーニング用のテキストとして取り上げているので、中3用のテキストとして『知性の磨き方』を使ってみようと思う。世の中を引っ張るのは小数のエリートであり、彼らをどのように育成するかに国家や国力の将来がかかっていると藤原正彦は『国家の品格』で述べている。この本は中2用のテキストとして使っている。
 4月からの音読及び三色ボールペンで線を引くトレーニングのテキストとして林望著『日本語の磨き方』を使うつもりだったが、変更しよう。『知性の磨き方』を使うことにする。