#2671 英文和訳問題(2)解説 Gone with the Wind より May 9, 2014 [81.Gone with the Wind]
#2670の問題文を再掲する。アンダーライン部分を普通の日本語にできただろうか?
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Her new green flowered-muslin dress spread it twelve yards of billowing material over her hoops and exactly matched the flat-heeled green morocco slippersher father bought her from Atranta. The dress set off to perfection the seventeen-inch waist, the smallest in three counties, and the tightly fitting basque showed breasts well matured for her sixteen years. But for all modesty of her spreading skirts, the dematureness of hair netted smoothly into chignon and the quiteness of small white hands folded in her lap, her true self was poorly concealed. The green eyes in the carefully sweet face were turbulent, willful, lusty with life, distinctly at variance with her decorous demeanor. Her manners had been imposed upon her by her mother's gentle adminitions and the sterner discipline of her mammy; her eyes were her own.
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傍線部は前後関係がなくても和訳ができるのだが、前後の文があった方が楽しいだろうからいっしょに載せてみた。読解トレーニングと考えて高校生は辞書を引きながら前後も読んでもらいたい。
件の女生徒はselfを電子辞書で引いて「性格」と書き込んでいた。それをみて、そんな意味が先頭の方に載っているのか、まあそれでもいいかと思った。ふつうは「自己」だろう。G-4(ジーニアス4版)には「①自己、自分自身、②私利、私欲」と載っている。
少し脱線したい。
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self: PERSONALITY 1 the set of someone's characteristics, such as personarity and ability, which are not physical and make that person different from other people: The hero of the film finally finds his true self.
CALDより引用
(個性・性格 1 人の性格のひとかたまり、性格とは個性や能力のようなようなもので肉体的なものではなく、その人を他の人からはっきり分けるもの:その映画のヒーローは最後に虚飾をかなぐり捨て自分が何者であるかを理解する。)
類義語としてpersonalityがでている。setという単語からわたしが連想するものは数学の集合の図である。集合A、あるいは命題Pがイメージとして図になって現れる。「自己」を命題Pとすれば、その円の外側は「非自己」である。ひとはさまざまな性格の集合体だから、それらを総体的に称して「お人柄」という語彙が思い浮かんだ高校生はなかなかのもの。
辞書の説明文を読むと日本語がかかれていないから、「人柄」という語彙が連想しやすいのではないか、どういう日本語がふさわしいのか説明を読みながら考えなければならないというところが英英辞典のメリット。
英和辞典は訳語の日本語の印象が強すぎて、自分のもっている日本語語彙が出てきにくくなるようだ。日本語になりにくいところにかぎって英英辞典を引いてみるというのも楽しいだろう。あなたがある程度の本を読みこなしていればそのシーンにふさわしい日本語語彙がなにかわかるだろう。
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問題だったのはpoorlyである。これを「まずしく、みすぼらしく、惨めに」のような日本語を充てて「彼女の真実の性格は貧しく隠されていた???」「~みすぼらしく隠されていた」「~惨めに隠されていた」という訳を考えて、「なにいってんのか意味わかんない?」と考えあぐねてしまったようだ。G-4だと②の意味に「まずく、下手に、不完全に」とある。おそらく電子辞書をスクロールしなかったのだろう。最初の訳語だけで考えてしまったから暗礁に乗り上げた。
E:「poorの意味は「まずしい」だろう?-lyがついて副詞になっているから動詞のconcealedを修飾している。隠し方がまずしいって普通の日本語ではどういうこと?」
S:「え、下手糞っていうこと?」
E:「そうだよ、そこにある英和辞典を引いてpoorlyの項を全部読んでみな、たぶん似たような日本語訳がきっとあるよ」
S:「あった!」
S:「スカーレットは自分のほんとうの性格を上手に隠せなかったんだ、なーんだそういうことだったのか」
T:「次の文を読んでみたら、なぜそうなのかが具体的に書いてある、わからないときは次の文を読んでみるとわかることがある。英語の文は基本的に次の文は前の文の具体的な説明であることが多いことは知っておいた方がいい。」
論より証拠、次に続く文を見てみよう。
The green eyes in the carefully sweet face were turbulent, willful, lusty with life, distinctly at variance with her decorous demeanor.
(注意深く可愛いらしい表情をつくってはいるが、その緑色の目は野生的な荒々しさや意志の強さそして情熱的な輝きを帯びていて、その上品な物腰とは似つかわしくなかった。)
lustyには「頑健な、元気溢れる、」という意味のほかに「好色な」という性的な意味がある。lusty with life「生命力に溢れて好色」という風にも読める。命のエネルギーが強いというのはとは性的エネルギーが強いということと等価だろう、制御しがたい本源的なパワーである。それは上品さとは正反対のものなのだが、スカーレットはそういう矛盾したものを自分の中にもっていた。
フランス貴族の末裔である上品な母親の血とアイルランド出身の移民である悍馬(カンバ=暴れ馬)のごとき気性の父親、その両方の血を受け継いでいる。そうした二つの血の織りなす綾がこの物語のテーマであると言い換えてもよさそうである。わたしたちは矛盾するものを一つの人格の中に何とかまとめ上げているのだが、スカーレットのそれは二つの異なるパワーが常人よりもはるかに大きい。いたるところで問題を起こし、彼女に波乱万丈の人生を歩ませることになる。
参考のために邦訳書から該当部分を引用する。
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彼女のほんとうの人柄を隠しきれるものではなかった。
『風とともに去りぬ』 大久保康雄・竹内道之助訳
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さすがプロ、日本語語彙の選択がいい、きれいな訳だね。
selfに「人柄」の訳語が載っている英和辞典はおそらくないだろうね。和訳は辞書に載っている訳語をそのまま貼り付ける作業ではないのだ。文脈から判断して適切と思われる語彙を自分の薬籠中から引っ張り出すんだ。自分の引き出しの中に少ししか日本語語彙がなければアウトだ。だから、日本文学の良質のテクストを中高生や大学生の時期にある程度は読んでおくべきで、日本人で日本語のできない者は英語の能力も著しい制限を受けることになる。生徒たちを見ていると、高校生になってから大きく学力が伸びる者は国語の能力が高い場合が多い。
「読み・書き・そろばん(計算)」、これが大事だということだろう。大事な順番に並んでいるよ。小学生は英語をやる暇があったら日本語の良質のテクストをたくさん読んだ方が、中高生になってから学力が伸びる。日本語能力があらゆる教科の基礎をなしているからだ。速く精確に教科書を読むことができたら、勉強ができるのは当たり前だ。標準的な速度の2倍で精確に読めたら、基礎学力は相当高い。逆に半分だったら、とても平均的な学力には及ばないだろう。読書速度と計算速度の大きいことは学力全体に影響している。計算速度は1クラスに生徒が30人いたら、最速と鈍足層では30対1の開きがある。生徒たちを十数年間観測した事実から言えることは、学力の差の大半は「読み・書き・そろばん(計算)」、これら三つの基礎技術の速度の差によるところが大きい。
#2649 問題消化速度1対35の衝撃(2):学習量=速度×集中力強度×時間 Apr.18, 2014 |
この本を読んでいる女生徒のSは、小説をたくさん読んでいて、言葉のセンスがいいから、「隠し方が貧しいって、普通の日本語ではどういうこと?」と質問を投げるだけで気がついた。読書速度の大きい子だ。だからもっともっと成績が伸びていいはず、期待してるよ。
電子辞書の欠点もそれとなく説明したつもりだが、それでもリュックサックに厚い英和辞典は入れられないから、これからも電子辞書なのだろう。
せめて家で勉強するときだけは英和辞典を引いてほしい、学習効果がまるで違ってくる。便利なものはその裏側に大きなリスクがあることを知っておこう。
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― 余談(1):辞書選び ―
Hirosukeさんが辞書選びについて、情報と彼の意見をブログで公開してくれている。わたしが使っているうちの一つG-4についても理由を挙げてはっきりモノをいっている。面白いから読んでみたらいい。
「今年もズバリ言うわよ!!」「日本の英語教育界のお粗末さが、白日の下に露呈した!!」
http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2006-09-10
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― 余談(2) ―
平井呈一の見事な技を味わってもらいたい。日本人の口から出たらこういう日本語になるだろうという翻訳である。
後志のおじさんが、#2664の投稿欄で翻訳にタイプが二つあることを教えてくれた。意味的等価と形式的等価である。平井の訳は「意味的等価」、『風とともに去りぬ』の訳者である大久保康雄と竹内道之助は「形式的等価」を選択した。
<俗歌>
真の闇夜と恋路の闇は 踏んで迷わぬ人はない(大意)
Will it be night forever? --- I lose my way in this darkness:
Who goes by the path of Love must always go astray.
日本語は平井呈一、英文はラフカディオ・ハーン 『仏の畑の落穂他』 恒文社 1991年第二版
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*#2670 英文和訳問題(2) Gone with the Wind より May 7, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-07
#2670 英文和訳問題(2) Gone with the Wind より May 7, 2014 [81.Gone with the Wind]
1ページ目の文でもう一箇所引っ掛かった。段落ごとにノートに英文を転記し、わからない単語の意味を辞書で引き、単語の上に小さな字で意味を書き込んでは文意をつかんでいるようす。意味がわからないと手が止まり、考えに詰まると「お絵描き」がはじまることもある。意識を問題から話す作業なのだろう。同じ視点から見たのでは暗礁に乗り上げたままになるから、いま焦点を当てている箇所からピントを外さないといけない。そんなことを10分ほどやっていた。おもむろに「ぜんぜん意味がわからない、先生教えて!」とギブアップ宣言。
「どの文だ?」
「ここ、この箇所、こう訳したんだけど、意味ヘンだし」
なるほど高校生や大学生が和訳するときにこの手のことでよく引っ掛かる。この生徒、問題箇所を見つけるのがほんとうに上手だ。
文脈の参考に前後の文を示しておく。質問の箇所はアンダーライン部分である。
辞書を引いた結果、「日本語にならない」「意味がさっぱりわからない」というのである。できたら何に問題があるのかまで考えてほしい。
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Her new green flowered-muslin dress spread it twelve yards of billowing material over her hoops and exactly matched the flat-heeled green morocco slippersher father bought her from Atranta. The dress set off to perfection the seventeen-inch waist, the smallest in three counties, and the tightly fitting basque showed breasts well matured for her sixteen years. But for all modesty of her spreading skirts, the dematureness of hair netted smoothly into chignon and the quiteness of small white hands folded in her lap, her true self was poorly concealed. The green eyes in the carefully sweet face were turbulent, willful, lusty with life, distinctly at variance with her decorous demeanor. Her manners had been imposed upon her by her mother's gentle adminitions and the sterner discipline of her mammy; her eyes were her own.
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文の前半は前回場面の説明をしたので、再掲しておこう。
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背が高いからいくらウェストが細くても60cmくらいありそうなのに、さらに締めあげて17インチ(43センチ)に絞っている。腕力のある奴隷の召使女がスカーレットのウェストを締めるシーンが他のところで出てくるが、どんなに苦しいだろう、これだけでもずいぶんな努力と忍耐を要する。12ヤード(11m)もの薄手の花柄のある緑色の絹の生地を波打つように使ったドレスとそれに色を合わせたモロッコ風のぺったんこな上履き、どちらも父親がアトランタから買い求めてきたものだ。三郡でナンバーワンのくびれたウエストのスカーレット。オッパイはしっかり大きくなって成熟した女の魅力を振りまいている。
タールトン家の双子の息子の背丈は6フィート2インチ(6*30.38+(30.48/12)*2=187.96cm)、乗馬とダンスが得意な精悍なタイプの青年。本はほとんど読まない。
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前置きはこれぐらいにしますので、チャレンジしてください。
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― 余談 ―
平井呈一の訳を味わってもらいたい。日本人の口から出たらこういう日本語になるだろうという翻訳である。後志のおじさんが、#2664の投稿欄で翻訳にタイプが二つあることを教えてくれた。
意味的等価と形式的等価である。平井の訳は「意味的等価」、『風とともに去りぬ』の訳者である大久保康雄と竹内道之助は「形式的等価」を選択した。
いまにして思うと、わたしが外国文学の翻訳物から遠ざかったのは、「形式的等価」タイプの日本語が美しくなかったからだろう。表現に深みがなく不自然に感じられた。日本文学の良質の日本語テクストに比べると、表現の巧みさや深みに大きな差を感じたのだろう。後志のおじさんの投稿で、ようやくそのことに気がついたしだい。ありがたい。
<俗歌>・・・変わらぬ真理
人に言われぬこの身の苦労 だれがしたやら罪な人
This pain which I cannot speak of to anyone in the world:
Tell me who has made it,----whose do you think the falt:
日本語は平井呈一、英文はラフカディオ・ハーン 『仏の畑の落穂他』 恒文社 1991年第二版
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#2664 英文和訳問題(1)解説 Gone with the Wind より Apr. 30, 2014 [81.Gone with the Wind]
わたしは英語の本は学問や仕事に関係する専門書(経済学・管理会計学・経営学・システム開発・構造言語学・Natur, Science, Oncogeneなどの10種類ほどの医学関係雑誌)を読んできたので、ゆっくり文学作品を読んだことがなかった。還暦を過ぎたのだから、時事英語の授業も「遊び」があっていい。本は好きだが、文学については専門的な学習のバックグラウンドがないことを告白しておく。でも、高校生対象に"Gone with the Wind"の解説ぐらいはできるだろう。
さて、問題にとりあげた文を再掲する。英語が嫌いでも言葉や文章にセンスのよい生徒がいるのはありがたい。
「なるほど、こういうところがわからないのか、よし、解説しよう」
こんな調子で『風とともに去りぬ』をテクストに個別指導授業が進む。たった一人の生徒のための贅沢なレッスン、応える先生もとっても楽しい、超たのしい。(笑)
Seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara, her father's plantation, that bright April afternoon of 1861, she made a pretty picture.
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語順の問題から言うと、基本に忠実に並んでいる。必要なだけの小部分に分割すると次のようになる。
(1) (She was) seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara that bright April afternoon of 1861.
(2) Tara is her father's plantation.
(3) she made a pretty picture.
(1)は分詞構文を主語を補い単純な文に置き換えた。前置詞句のあとに場所を表す句と時間を表す句が続いている。このように分割・復元すると英語の語順の基本どおりだから、意味がわかりやすい。生成変形英文法のテクニックだ。ほんとうはもっと細かくて、記号の使い方も違うのだが、実用上はこれで充分だ。ツールは自分が使い勝手がいいと感じる範囲内で使えばいい。
基本語順:S+V+(Ф、C、O、O+O、O+C)+Place+Time
この文の場合は S+V+PP+Place+Time となっている。PPはPrepositional Phrase(前置詞句)のことで、機能としてはadverbials(副詞相当語句)だ。前置詞句などの副詞相等句が三つもついている第Ⅰ文型です。SとVだけでは文章の意味はわからない、それ以外の要素の情報価値が大きいことがよくわかるでしょう。文型論ですべてを説明することはこういう点で無理がある。だからほどほどにね。
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すこしだけ脱線させてください。動詞型を25に分けて書いた人がいる。
①『英語の型と正用法』ホンビー、岩崎民平訳 研究社 1962年刊
②『英語の型と語法 第2版』ホンビー、伊藤健三訳注 オックスフォード大学出版1977年刊
①は374ページの本ですが、その昔必要があり10日間くらいで急いで読み切ったので、たくさん線を引いて鉛筆で書き込んであります。②はいささか嫌気が差して途中でやめました、こんなに分類を細かくしてどうするのとバカバカしくなったのです。わたしたちは五文型で充分、あとは文法学者にまかせましょう。数学もそういうタイプの参考書があります、高校数学の受験問題を500を超えるパターンに細分して解説しています。佐藤恒雄さんという大学の数学の先生ですが、「日本一わかりやすい」教科書と分野別参考書で11冊わたしはもっていますが、高校生がこんな本で勉強していたら、効率が悪くて三年間数学しか勉強できないでしょうね。500を超えるパターンに分けてどうするの、実用にならぬ、そう思います。わからないところだけ、辞書を引く感じで使うべきなのでしょう。そうした使い方なら便利のよい参考書です。「日本一わかりやすい」というのはパターンを500以上に分割したからでしょうが、その反面「日本一学習効率の悪い」教科書・参考書になっているとはebisuの毒のある批評です。
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気になったのは一箇所、seatedである。たまたま朝、ベッドのそばにおいてあるMacmillan English Dictionaryを引いたら載っていた。こういうときは米国の辞書がいいようだ。G4にもE-Gateにも載っていなかった。
(「be動詞+過去分詞」で受動態ではなくて、過去分詞の方は「坐っている」という状態を表す形容詞と解釈した方がよさそうだ。こんなことは英文法学者に任せておけばいいことで高校生が気にするひつようはない。)
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phrases: be seated 1 to be sitting down: When she entered the room, they were already seated. 「彼女が部屋に入ってきたときには、ほかのものたちはとっくに坐っていた」
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なんてことはない、「坐っている」という状態をいっているだけのこと。
三人が坐っているイメージが浮かんだら、writerの発信した情報が読み手に伝わったということ。あとは日本語表現のセンスの問題となる。肝心なのは日本語のセンスをふだんから磨いておくことで、語彙の豊富な文学作品をとりあえず50冊ほど読んでおくことだ。小学生時代に少年少女世界文学全集50冊(昔はそういうものがあった)のようなものを読破し、繰り返し読んだこどもは大人になったら上手な文章が書けるようになっているものだ。ロシア語通訳で物書きだった米原真理(故人)、数学者の藤原正彦の二人はむさぼるように全集を繰り返し読んだ小学生時代の自らの経験を著書の中で語っている。
高校生のためにthatの解説もしていた方がいいだろう。that節とか関係代名詞とか勘違いを起こした人がいるかもしれない。時間を表す副詞句である'that bright April afternoon of 1861'を単純化すると、
⇒that afternoon(あの午後) : 名詞句=限定詞+名詞
this afternoon((今日)の午後)と比べたらよくわかる。thatはただの指示代名詞だ。機能上は副詞句であっても前置詞が必要ないことは要点の一つだから注意しておこう。「今日の午後」ではなくて、「1861年のあの輝いていた四月の午後」であり、それはもう二度とないから追憶として甦るthat(あの)がつけられている。南北戦争前夜集ったみんなが幸せだった、二度と帰らぬあの輝いていた四月の午後のことを語っているのである。主人公のスカーレットの運命がどうなるかを暗示しているthat。作者はここで読み手にthis afternoonを対照的に想起させることでそのありさまがまるでことなるものに変わってしまうことを暗示したのだろう。
Tara, her father's plantation, このようにカンマで挟まれた部分は直前の名詞Taraの説明。タラはスカーレットの父が所有するプランテーション=大農場(広大な綿花畑)である。
porchは玄関前の屋根のついた部分だが、大農場だから玄関の広い階段に続いてベランダがあり、そこにベンチが置かれているのを想像したらいい。玄関の階段に坐るのはタールトンの双子の兄弟にはできるが、この文の後に続くスカーレットの服装から判断して、スカーレットが階段に坐るのは無理だ。三人がいっしょに坐っていたとあるから、ポーチに置いてあるベンチだろう。玄関の上り階段にベンチが置けるわけはないから、玄関の階段に続く屋根のついたベランダがあるということだ。ずいぶんと豪壮な家が想像できる。
文学作品を読むということは、選び抜かれちりばめられた言葉を手がかりに自分の頭の中に一つの明確なイメージをつくりあげる作業なのである。
(3)のmadeが問題だ。makeは人間が手で何かを作ることというのが原義だが、何らかの人的な営為があることを示唆している。
『英語基本動詞辞典』には388語の動詞が載っている。makeの3dを引用する。
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S make C : S<物>がC<物>になる。
Wood makes a good fire. WBD2 木はよいたきものになる / This makes pleasant reading. COD6 これは面白い読み物だ
NB11 一般に次のように<人>を主語にして構文5bに書き換えることができる : The pelt of such an animal makes a good fur piece only if it is taken during the resting period. → One can make a good fur piece of such an animal only if ... ―Huddleeston このような動物の生皮は冬眠期にとったものだけがよい毛皮(製品)になる。
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'Wood makes a good fire'は人間の営為を想定していないね、参考例としては不適切だったかな。文学作品だからこの当たりも面白いところで、議論があっていい。<人>がmakeで<物>になる面白い用例だと考えたらいい。そう考えると、マーガレット・ミッチェルはなかなかお洒落な表現を試みている。
「16歳のスカーレットが初々しい可愛さと気品を兼ね備え、精一杯着飾って若い男二人にちやほやされまるで絵の中の人物のようになった」ということ。彼女の努力があってのことだということは続く文が解説してくれている。
Her new green flowered-muslin dress spread it twelve yards of billowing material over her hoops and exactly matched the flat-heeled green morocco slippersher father bought her from Atranta. The dress set off to perfection the seventeen-inch waist, the smallest in three counties, and the tightly fitting basque showed breasts well matured for her sixteen years.
背が高いからいくらウェストが細くても60cmくらいありそうなのに、さらに締めあげて17インチ(43センチ)に絞っている。腕力のある奴隷の召使女がスカーレットのウェストを締めるシーンが他のところで出てくるが、どんなに苦しいだろう、これだけでもずいぶんな努力と忍耐を要する。12ヤード(11m)もの薄手の花柄のある緑色の絹の生地を波打つように使ったドレスとそれに色を合わせたモロッコ風のぺったんこな上履き、どちらも父親がアトランタから買い求めてきたものだ。三郡でナンバーワンのくびれたウエストのスカーレット。オッパイはしっかり大きくなって成熟した女の魅力を振りまいている。
大農場の大きな家の玄関前のベランダにスカーレットにホの字の青年が二人、成熟した胸のふくらみを強調したグリーンのすてきなドレスを身にまとい(新潮文庫『風とともに去りぬ 一』の表紙の絵はこの花柄の緑色のドレスをイメージして描いたもの、えらが張って顎の先がとがっている顔の特徴もよく描けている)、色を合わせた上履きを履いた気位の高そうな青い目をしたスカーレット、三人がベンチに腰掛けて談笑している。その背後にはジョージアの赤い土の綿花畑が何マイルも続いており、遠くに山並みが見える。まるで一服の絵のような情景である。こうした情景があなたの頭に浮かべば、それで充分。あとは日本語語彙がどれだけ豊であるかの勝負だ。
タールトン家の双子の兄弟の身長は6フィート2インチだから、188cm、背の高いがっしりした体躯の19歳の青年である。そこに緑色の絹をふんだんに使ったドレスで着飾った16歳の気品のある娘が並んでベンチに腰掛け、談笑している。背景には広大な綿花畑の畝が何マイルも地平線に飲み込まれるかのごとく続いている。
翻訳は次のようになっている。
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1861年四月の、あるかがやかしい午後、父の大農園タラのポーチの涼しい日かげに、タールトン家の双子兄弟スチュアートとブレントとともに腰をおろしている彼女の姿は、一幅の絵のように美しかった。
『風とともに去りぬ 一』大久保康雄・竹内道之助訳 新潮文庫
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簡便な訳である、わたしは物足りなさを感じてしまったがみなさんはどうだろう。これで原文のもつ味わいの半分も伝わるだろうかと心配になる。英語が好きな生徒諸君は原文にも眼を通してもらいたい。文学的な素養が欠片(かけら)も感じられない翻訳である。文学作品は翻訳の字数制限を意識しすぎると味気ないものに豹変してしまう。
ラフカディオハーンの訳が多い翻訳の名人である平井呈一が訳したらどのような日本語になっていただろうと思うと惜しい。日本語語彙が豊かな日本文学の専門家が訳すと翻訳とは思えないような自然な日本語になる。まるでそれは最初から日本語で書かれたと錯覚するほどに見えてしまう。
平井呈一は永井荷風の異能の弟子であり、師匠に破門もされている。日本橋浜町で育ち浜町小学校に通ったとある。わたしは1979年から5年間日本橋小網町に本社のあった産業用エレクトロニクスの輸入商社に5年ほど勤務していたことがある。仕事をしている場所から100m以内に時代を隔てて平井が住んでいたのではないか、平井は1902年生まれ、わたしは1949年生まれである。
人形町界隈はお昼に小路を散歩すると三味線の音が聞こえてくるような粋なところである。人形町交差点のトンカツ・牛カツの名店「キラク」、元祖親子丼の玉秀、同年代のご主人がやっていた天麩羅屋さんはもうないのだろうな。同じ小路に芳梅という離れ座敷のある料理屋さんがあり、二日酔いの日はお昼のおかゆ定食が美味しかった。昼休みには先輩社員にせがまれてキャッチボールをして遊んだ。高校時代に野球部だったその人の投げる球は速くてときどき手加減なしで投げるが、コントロールが定まらないので後逸することがよくあった。思いっきり投げたくなるといっていた。「ごめんごめん」、そういいながらグローブの端で受けないと手が痛かった。小学生の平井は時代が違うからキャッチボールなどして遊ばなかっただろう。大雪の日には雪合戦くらいはしたかもしれない。
平井は訳者としては超一流。昨夜は『仏の畑の落穂他』小泉八雲著 平井呈一訳 恒文社の中の短編「生神」を読んだ。前ふりに1896年六月17日に起こった津波のことが書かれている。115年後の2011年に再び東北はツナミに襲われた。
「このときは、全長二百マイルにおよぶ高潮が、東北地方の宮城・岩手・青森の諸県を襲って、数百の町村を破壊し、所によっては一村全滅したところもあり、約三万人の人命を失った。これから語る浜口五兵衛の話は明治を去ることほど遠い昔に、日本の国の別の海岸地方に、やはりツナミの災害がおこったときの話である」
刈り入れたばかりの稲穂に火をつけて村人を津波から救った浜口五兵衛の話である。全財産をすべて灰にした後、五兵衛は貧乏をしたが貧乏を苦にしなかった。助けられた村人はかれを生神として祀った。1854年の安政の大地震のときの話である。日本にはときおり浜口五兵衛のような無私の人が現れる、すごいことだ。
*稲むらの火(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%AE%E7%81%AB
『風とともに去りぬ』の冒頭シーンはツナミを起こした安政の大地震の7年後、1861年四月である。この年の三月4日に奴隷解放を主張するリンカーンが大統領に就任し、不安に駆り立てられた南部側が四月12日に戦端を開らく。そう、その四月まさしく南北戦争の瞬間の四月のタラ、大農園の最後の平穏で美しい情景が高らかに謳われているのである。短い文ではあるが、南部上流社会崩壊の序曲が聞きとれないだろうか?
崩壊する瞬間の大農園の美しさをたった三行の文で描き切ったマーガレット・ミッチェル、そしてこの英文に焦点を当てて質問をした女性徒Sのセンスに脱帽、ワガママなところがあるが本を読むときのこの勘のよさはすばらしい。小学生あるいは中学生のうちに日本語の本を濫読しなければこういうセンスを磨くことはなかなかできない。そういう時期を経過した生徒は英文の読みも鋭い。
解説したイメージを頭の中に浮かべながら原文を何度も口ずさんでほしい。『風とともに去りぬ』の壮大な序曲と主題がありありと浮かんでくる。
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Seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara, her father's plantation, that bright April afternoon of 1861, she made a pretty picture.
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#2662 英文和訳問題(1) Gone with the Wind より Apr. 28, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-28
#2662 英文和訳問題(1) Gone with the Wind より Apr. 28, 2014 [81.Gone with the Wind]
英語大きらいだけど文学や小説好きな生徒がシドニーシェルダンの"If tomorrow comes"を数ページ読んで、次いで弊ブログ#2659「 < Kids wasting too much time online >」で生まれてはじめて英字新聞記事にトライ、そして時事英語の授業にも関わらず文学作品の'Gone with the Wind'を今日から読み始めた。
少しワガママ、そして英語嫌いおまけにスマホ依存症気味のところがあるので、食いつく材料選びに苦労している。だが日本語の本を読む速度は抜群に速いし、可能性の片鱗がときどき見えるのでなんとかしたい。まあ、性格は直らないだろうが、英語は大丈夫だ。(笑)
いくつか質問があったが、その中から一つ選んで解説しようと思う。この生徒、どうやら質問のツボが勘でわかっている様子、やはりいいセンスしている。
英文を読んでもイメージがさっぱり湧かなかったのだろう、ばっさりと質問を投げたのは次の文である。
Seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara, her father's plantation, that bright April afternoon of 1861, she made a pretty picture.
高校生のみなさんは和訳してみたらいい。訳例と解説はこちら↓
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#2664 英文和訳問題(1)解説 Gone with the Wind より Apr. 30, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-29-1
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少しだけ背景を解説しておく。引用した文は冒頭14行目である。主人公であるスカーレットの容貌についての説明がなされた文に続いている。
StuartとBrentはタールトン家の双子の赤毛の青年で、主人公であるスカーレットに二人とも気がある。
スカーレットは母親がフランス貴族の末裔ですらりと背が高い。スカーレットはそうした貴族の血を半分受け継いでいるので品がよい。父親はアイルランド人で短躯で威勢のよい男で、ワケアリでアイルランドを抜け出し米国に渡って事業に成功して大きなプランテーションを所有している。顔立ちと気性が父親に似たところがあり、スカーレットはえらが張って顎の先がとがっているので美人ではない、しかし華やかで品がよく男たちにもてる。大プランテーションの農家という恵まれた家庭に生まれ育ち、1861年、スカーレットは16歳で南部上流階級の社交界にデビューしようとしている。
ヒント:①語順の問題としてみてもいい質問である
②必要なだけの小部分に分解してみる
いくつかの単純な文に分解してみたら意味がわかる。
冒頭の分詞構文は高校生には無理かな?
高校生がもっている辞書に載っているかな?
G-4にもE-Gateにも載っていなかった。
③基本動詞のmadeをどう処理するかよく考えよう
*語順についてはHirosukeさんのこのブログをクリックしてみたらいい。中学校も高校も授業では語順をとりあげないようだが、文を理解したり書いたりする重要なポイントの一つだ。わたしは文法用語を使って説明しているが、文法用語を使わなければHirosukeさんと同じになる。
これなら文法用語抜きで意味が伝わるね、大胆な単純化だ。格好をつけるのを捨てた潔さが伝わってくる。これ一本で通すなんて真似はできないね。Hirosukeさんの高度な技が前提条件にある。文法用語を使ったほうが格好よくみえるし説明が楽だから、なかなか教師は文法用語を手放せない。ははは、わたしもその一人だ。英語がきらいな生徒にはHirosuke亜流の説明を試みたい。教えている限りは、つねに人に学び、引き出しを増やしておくのは必要だから。
ビリヤードスリークッション世界チャンピオンの小林先生にある質問をしたときに、「本には書けないよ、(微妙なところがあるから)誤解される」、セミプロ・レベルの技の伝授は本では無理、面授しか方法がないというようなことを仰っていた。お弟子さんになるのがいい。
2006-07-09http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2006-07-09#more
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「は、する、を、どこ、いつ、その他」
のカタチを基本として問題を解いていました。
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同じことを文法用語を使って書いてみます。
S+V+Ф +Place+Time
C
O
O+O
O+C
ちなみに、生成変形英文法ではこれとはまた違う記号ですべての文を処理します。記号化がもっともっと徹底して、抽象的なものになります。英文を理解するには便利なものですが、やりすぎると手段が目的になっちゃいます。
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*後志のおじさんもユニークな解説をしてくれましたね。カテゴリー「英語談義」の中にあったはず。ありました。
#2496 ①英文の基本構造論-1 :Adv+名詞+動詞(+名詞)+Adv Oct. 31, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-16-1
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**#2655 語彙力が学力を決める:Hirosukeさんの論を紹介 Apr. 22, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-22-2
#2552 文脈把握問題(3):『風とともに去りぬ 三』 Jan. 2, 2014 [81.Gone with the Wind]
【解説編】
予定より少し早いですが、解説します。
さまざまな解釈がありうるので、異論や反論はどうぞ投稿欄へお書き込みください。
前後関係から文意がつかめなかった箇所を太字で示します。
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この郡から出た兵隊たちのなかで、まっさきに復員したのは、フォンティン家のむすこたちであり、降伏の知らせを伝えたのも彼らだった。まだ、靴のあるアレックスは歩いてきたし、靴のないトニーは裸の騾馬に乗ってきた。トニーは例によって家じゅうでいちばん甘い汁を吸っていたようだ。四年間、太陽と風雨にさらされたので、ふたりとも、すっかり色が黒くなり、以前にくらべると、やせて針金のようになり、前線みやげの黒いひげを、もじゃもじゃはやしているので、まるで別人のように見えた。
『風とともに去りぬ 三』新潮文庫(大久保保康 竹内道之助訳 144㌻)
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この箇所は原文では次のように書かれています。
「 Tony always managed to get the best of things in that family. 」
原文とくらべるとかなり意訳されていますね。
文を細切れにしてみるとこうなります。
「トニーはいっつも(抜け目なく)うまくやっていた/ 一番いいもの、一番楽ちんなものやことを手に入れるために/ フォンティン家のなかで」
ようするに、
「あいつはむかしっから、兄弟姉妹のなかで一番要領のいい子だった」
といいたいわけです。だから、兄を歩かせ自分はちゃっかりと騾馬に乗って復員してきた。過去形で書いていますが、現在と状況が異なるのではなくて、ちゃっかりしている性格はいまもそうだというわけです。
入れ替えてみますから、読んでみてください。
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この郡から出た兵隊たちのなかで、まっさきに復員したのは、フォンティン家のむすこたちであり、降伏の知らせを伝えたのも彼らだった。まだ、靴のあるアレックスは歩いてきたし、靴のないトニーは裸の騾馬に乗ってきた。トニーはむかしっからフォンティン家の兄弟姉妹のなかで一番要領のいい子だったから、兄のアレックスに轡をとらせて騾馬の背に乗ってもどってきた。そういう性格的なことはちっとも変っていないのだが、四年間、太陽と風雨にさらされたので、ふたりとも、すっかり色が黒くなり、以前にくらべると、やせて針金のようになり、前線みやげの黒いひげを、もじゃもじゃはやしているので、まるで別人のように見えた。
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訳者のふたりはコンパクトに訳していますね。わたしが『風とともに去りぬ』を翻訳したら、こんな調子ですから2倍の10冊本になるかもしれません。2倍書いて2割りカットしたら読めるものになるかもしれません。コストがかかるので出版社は嫌がるでしょうね。おそらく、ページ数についてはおおよその目安が出版社側から提示され、その範囲内での翻訳となるのでしょう、プロの技ですね。
兄ちゃんのアレックスはサイズのあわない靴を履いて、たぶん騾馬の轡(くつわ)をもって数百キロを歩きとおしたのでしょう。弟君のトニーは馬よりは小さい騾馬の背中にまたがって、太陽に照らされときに居眠りし、股が痛くなったら時々歩いて復員してきたのだろうと想像します。
「riding on the bareback of a mule」と書いてあるので、騾馬は荷物専用ですから、左右に分けて荷物を載せるか、荷馬車を引くもので、人を乗せる動物ではありませんから、そもそも騾馬用の鞍なんてないのでしょう。「騾馬の背中に何にもおかずに乗っている」わけですから、トニーは尿管を圧迫されて痛くてしょうがない。だから、ときどき騾馬から降りて裸足で歩かざるをえなかったのでしょう。でも、ずっと歩きとおしたアレックスよりはラクチンだったのです。
高校生のために少し脱線させてください。「ユメタン」での単語の暗記は「目安」にすぎないのです。それ以上のものではありません。たとえば、'manage to'は「首尾よく~する」と出ているのではないですか?実際の英文を日本語にするときは、そうした最大公約数的な訳語をイメージしながら、自分の語彙から適切な日本語を選ぶようにしたいものです。文中の単語のひとつひとつに「ユメタン」の訳を当てはめていったら、日本語にはなりません。だから、ふだんから別な語彙で言い換えるトレーニングが必要なのです。いいまわしも英語と日本語ではずいぶん違います。もちろん、日本語の語彙を増やしておく必要もあるわけです。毎日毎日、国語辞書や漢和辞典を引く。本を読んでいなければ新しい語彙にはぶつかりませんね。レベルの低い本ばかり読んでいても新しい日本語語彙はでてきません。少しずつレベルの高い本へとシフトして、毎日辞書を引いてください。英語も同じです。日本語も英語も勉強の仕方はほとんどいっしょです。
< 南北戦争と大東亜戦争 :
経済的な利害の衝突が戦争の背景にある >
先の大戦に負けて日本へ引き上げてきた人々も靴ははいていたでしょうが、何もかもなくして焼け野原となった日本へ、そして故郷へもどってきました。
南北戦争と大東亜(太平洋)戦争の間には84年の年月の隔たりがありますが、奴隷制度は別にして、その後の復興の困難さは似たようなものがあったのでしょう。
若い男達がもどってこなかったので、若い女達が結婚相手を見つけるのに苦労します。スカーレットも2倍以上も歳の離れたフランク・ケネディを許婚だった妹のスエレンから奪ってお金のために結婚するのです。南北戦争では南北両軍合わせて戦死者62万人です。負傷したものは数倍でしょう、その中には腕をなくしたり足をなくしたり片目になった人たちがたくさんいます。こういう人たちのありさまもミッチェルは丹念に描いています。戦争の悲惨さを坦々と書き綴るのです。南部のプランティーション所有者達は奴隷制度のうえに自分達の優雅な生活を築いていましたから、奴隷制度廃止は、自分達の生活を根こそぎにするものだったので、戦わざるをえなかったのです。北部の工業地帯は工業が発展して労働者が不足していましたから、奴隷を自由労働者に変える必要があったのです。内戦は不可避でした。どんなに結果が悲惨なことになろうとも、戦わずに敗北することなどできなかったのです。
この当時の軍隊適齢期の男子の人口は北部400万人、南部100万人。
大東亜戦争時の日本も戦わざるをえなかった。戦争は経済的な利害が対立し、戦う理由があって起きるのです。日本がもう一度過去と同じ経済封鎖にあっても戦わずにすむようにするには、海外に過度に依存しないことです。鎖国時代の300年間は海外との大きな戦争をしていません。ほかのアジア諸国はスペイン、ポルトガル、オランダ、英国などの植民地にされてしまいました。鎖国は経済に起因する戦争や植民地化を回避する有効な手段でした。
わたしは日本はグローバリズムにのせられてはいけないと思っています。グローバリズムの果てには経済戦争と国土の荒廃が待っています。人口減少時代を迎えて、日本は世界に先駆けて強い管理貿易(鎖国)を再検討すべき時代にはいったと考えます。
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*#2551 文脈把握問題(2):『風とともに去りぬ 三』 Jan. 1, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-01-1
#2550 文脈把握問題(1):『風とともに去りぬ 三』Jan. 1, 2014
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*#2548 『風とともに去りぬ ニ』 Dec. 30, 2013
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#2471 Gone With the Wind (風とともに去りぬ)をテクストに知的遊びのはじまり Oct. 31, 2013
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#2551 文脈把握問題(2):『風とともに去りぬ 三』 Jan. 1, 2014 [81.Gone with the Wind]
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この郡から出た兵隊たちのなかで、まっさきに復員したのは、フォンティン家のむすこたちであり、降伏の知らせを伝えたのも彼らだった。まだ、靴のあるアレックスは歩いてきたし、靴のないトニーは裸の騾馬に乗ってきた。トニーは例によって家じゅうでいちばん甘い汁を吸っていたようだ。四年間、太陽と風雨にさらされたので、ふたりとも、すっかり色が黒くなり、以前にくらべると、やせて針金のようになり、前線みやげの黒いひげを、もじゃもじゃはやしているので、まるで別人のように見えた。
『風とともに去りぬ 三』新潮文庫(大久保保康 竹内道之助訳 144㌻)
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誤訳ではないだろうが、鈍いわたしは翻訳文を読んで「なにがいいたのだろう?」と思って、原文を確かめてしまった。文脈からいうと、日本語の選び方が適切とはいいがたい、もっと適切な日本語語彙がある。
意味がピンとこないところを原文とくらべてほしい。ああ、そういうことがいいたかったのかと、合点がいくはずだ。
"the County men home from the war"、訳者はこの句に「復員した」という訳語を選んだが、高校生は復員という日本語を見たり聞いたりしたことがないかもしれない。戦争からもどってくる兵隊のことを復員兵というから適切な訳だ。自力で訳した人は動詞のhomeに「復員する」という訳語を考えついただろうか?
平凡な単語ほど、前後関係から適切な日本語語彙を選ばなければ文章が情緒のないものになってしまう。「ユメタン」で暗記した訳語はたんなる目安だ。その都度「自家薬籠中」の語彙から適切なものを引っ張り出すトレーニングをしておこう。そして、語彙をを増やすトレーニングもしておこう。
たとえば、一日に一つは大判の国語辞書あるいは漢和辞典を引いて意味を確かめよう。
(釧路の教育を考える会には昨年1年間に百冊も本を読んだ先生がいる。筆ペンで毎日漢字の書き取り練習をして、1年間で10冊もノートを使ったそうだ。これくらいやれば、辞書を引く機会が増えるし、使える日本語語彙も増えていく)
二日後くらいに、「投稿欄」へ解説を書き込みますが、どうぞお先に書き込んでいただいたけっこうです。いろんな日本語が考えられます。よかったらいっしょに遊んでください。
便利のために原文を再掲します。
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It was the Fontaine boys, the first of the County men home from the war, who brought the news of the surrender. Alex, who still had boots, was walking and Tony, barefooted, was riding on the bareback of a mule. Tony always managed to get the best of things in that family. They were swarthier than ever from four years' exposure to sun and storm, thinner, more wiry, and the wild black beards they brought back fromthe war made them seem like strangers.
'Gone with the Wind' p.677
『風とともに去りぬ 三』p.144
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surrender /s ə rˈen.də r / /səˈren.dɚ/ verb ACCEPT DEFEAT
1. [ I ] to stop fighting and admit defeat
mule /mjuːl/ noun [ C ] ANIMAL
1. an animal whose mother is a horse and whose father is a donkey , which is used especially for transporting goods
swarthy /ˈswɔː.ði/ /ˈswɔːr-/ adjective
(of a person or their skin) dark
a swarthy face/complexion
a swarthy fisherman
wiry /ˈwaɪə.ri/ /ˈwaɪr.i/ adjective
1. (of people and animals) thin but strong, and often able to bend easily
He has a runner's wiry frame. (長距離走者のような細くてしなやかな体格をしている)
CALDより引用
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*#2550 文脈把握問題(1):『風とともに去りぬ 三』から Jan. 1, 2013
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*#2548 『風とともに去りぬ ニ』 Dec. 30, 2013
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#2471 Gone With the Wind (風とともに去りぬ)をテクストに知的遊びのはじまり Oct. 31, 2013
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#2550 文脈把握問題(1):『風とともに去りぬ 三』から Jan. 1, 2014 [81.Gone with the Wind]
『風とともに去りぬ』を原文と対照しながら読もうと思ったが、筋立てや風景描写や心理描写の表現の巧みさに惹かれてほとんど翻訳のみを読んでいる。それでも意味不明なところにぶつかると、原文の読み違えが見つかる。経済学でもよくあることなのだが、概念や概念相互の関係や体系構成からいってこんなはずはないと思って原文をあたると、訳者の思い込みからおかしな解釈(=翻訳)をしているところが見つかることはある。一定の見解をもってしまうとか、特定の学派に属してしまうと目が見えなくなることは誰にでもあることなのである。人間は智慧がつくとソレが邪魔をして虚心に物自体を見ることができなくなるものだ。もちろん、わたしも免れることができないから、日々注意はしている。
さてゴタクはこれくらいにして、まず原文を読んでもらいたい。単語がわからなければ辞書を引いて一向に構わないが、まず辞書を引かずに大要を把握してみたほうが勉強になる。それから、日本語訳を読んで、文脈上おかしいと思うところにアンダーラインをしてみよう。
自分の語彙の中からわかりやすい日本語を選び訳してみたらいい。
それでは、問題の箇所を 'Gone with the Wind'から 引用しよう。
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It was the Fontaine boys, the first of the County men home from the war, who brought the news of the surrender. Alex, who still had boots, was walking and Tony, barefooted, was riding on the bareback of a mule. Tony always managed to get the best of things in that family. They were swarthier than ever from four years' exposure to sun and storm, thinner, more wiry, and the wild black beards they brought back fromthe war made them seem like strangers.
'Gone with the Wind' p.677
『風とともに去りぬ 三』p.144
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surrender /s ə rˈen.də r / /səˈren.dɚ/ verb ACCEPT DEFEAT
1. [ I ] to stop fighting and admit defeat
mule /mjuːl/ noun [ C ] ANIMAL
1. an animal whose mother is a horse and whose father is a donkey , which is used especially for transporting goods
swarthy /ˈswɔː.ði/ /ˈswɔːr-/ adjective
(of a person or their skin) dark
a swarthy face/complexion
a swarthy fisherman
wiry /ˈwaɪə.ri/ /ˈwaɪr.i/ adjective
1. (of people and animals) thin but strong, and often able to bend easily
He has a runner's wiry frame.
CALDより引用
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背景に言及しておく。問題の箇所は第29章にあり、この章は1965年4月に南北戦争が終わったところから書かれている。ウィキペディアの「南北戦争」の項には次のように載っている。
「お互いにあらゆる国力を投入したことから、南北戦争は世界で最初の総力戦のひとつだった。最終的な動員兵力は北軍が156万人、南軍が90万人[7]に達した。両軍合わせて62万人もの死者を出し、これはアメリカがこれ以降、今日まで体験している戦役史上、最悪の死者数である。」
*http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%88%A6%E4%BA%89
戦争が終わり、敗残兵となった男たちが戦線から戻ってくる。近隣の者たちは帰路の途中にあるスカーレットの農園タラに寄って挨拶をしてから自分たちの家へ向かう。旧知の二人の兄弟がぼろぼろになって訪れる場面である。
問題の箇所を取り出したからといって、わたしはこの翻訳が全体としてまずいと言っているのではないし、誤訳ともいいがたい。たまたま翻訳文の日本語を読んで、この箇所の脈絡が読めていないのではと疑問に思っただけである。次回に翻訳文を載せるから、それを読んでもらえば10人の内7人は「あれ!」と思う箇所があることに気がつくのだろう。訳者はうっかり見落としたのだ。
訳者は二人いて、鉈を振るった強引な箇所もあるが、それは腕のよさである場合が多いから全体としてはよくできているのだろう。翻訳者二人の日本語語彙はわたしよりもずっと豊かなようだし、訳文もコンパクトでいい。しかし、コンパクトすぎるということはあるかもしれない。コンパクトな訳文が原文の味を失わせているところがあるので気になっていることは白状しておこう。なんとなく情緒に欠ける日本語に感じてしまう。
では、どういう翻訳がいいのかということになるが、具体例を一つ挙げておきたい。
たとえば、ラフカディオ・ハーンの著作の翻訳者である平井呈一の翻訳物に比べたら、日本語の使い方の巧みさは到底かなうものではない。それは日本文学に対する造詣の深さの差と作文修行の差だろう。平井は荷風の直弟子である。あることで荷風の逆鱗に触れ、破門になり、郷里へ戻って翻訳を始めた。
平井の訳は登場人物の息遣いがはっきりわかる緊張感のあるものになっている。遠藤利國著『明治廿五年九月のほととぎす』のラフカディオ・ハーンの章に転載された『日本雑記』の平井の訳(131~135㌻)を読めばその腕のすごさと日本語のセンスのよさがわかる。こういう名訳が絶版になり消えていくのはもったいない。翻訳のお手本として残したいものだ。
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ハーンは明治二十七年に熊本を去り、二十九年四月には漱石が松山中学から五高に転任するが、この頃の熊本には十五年ほど前の西南戦争の記憶がまだ生々しく残っていたらしい。ハーンは1901(明治三十四)年に Japanese Miscellany (邦題『日本雑記』あるいは『日本雑録』を出版したが、そのなかに「橋の上」という題で、炎暑の厳しい夏のある日、熊本市内を流れる白川にかかる古い橋の上で平七老人という出入りの俥屋から聞いたという、次のような話しを記している。
「二十二年前」と平七が額を拭きながらいった。「いえ、二十三年前に―わしはここに立って、町の焼けるのを見とりました」
「夜かね?」とわたくしは尋ねた。
「いえ」と老人はいった。「昼過ぎでござんした。―雨のしょぼしょぼ降る日で。・・・・戦の最中で、町はカジで焼けとってね」
「だれがいくさをしていましてか?」
「お城の兵隊が薩摩の衆といくさをしとりました。わしらはみな弾丸(たま)よけに地べたに穴を掘って、その中に坐っとりました。薩摩の衆が山の上に大筒を据えたのを、お城の兵隊がそいつを目がけて、わしらの頭越しにドカン、ドカン打ちましてな。町じゅうが焼けました」
「でも、あなたどうしてここへ来ましたか?」
「逃げてまいりました。この橋のとこまで駆けてまいったのです。―ひとりでな。ここから三里ばかり離れたところに、兄貴の農家があったんで、こっちはそこへ行こうと思って。ところが、ここで止められましてな」
「だれが止めましたか?」
「薩摩の衆です。―なんという人だったか分かりません。橋までくると、百姓が三人いましてな。―こっちは百姓だと思いました。―それが欄干によりかかって、大きな笠をかぶって、蓑を着て、わらじをはいとりますから、わしは丁寧に声をかけると、なかのひとりがふりかえって、『ここに止まってろ!』といって、あとは何もいいません。あとの二人もなにもいいません。それで、こりゃあ百姓じゃないとわかったんで、わしは恐くなりましてな」
「どうして百姓じゃないことが分かったのですか?」
「三人とも、蓑の下に長い刀(やつ)を―えらく長い刀をかくしとりますんで。ずいぶんと上背のある男たちで、橋の欄干によりかかって、じっと川を見おろしとりました。わしはそのそばに立って、―ちょうどそこの、左へ三本目の柱のところへ立って、同じようにわしも川を眺めておりました。動けばバッサリ殺(や)られることは知れとります。だれもものをいいません。だいぶ長いことそうやってらんかんによりかかっとりました」
「どのくらい?」
「さあ、しかとは分かりませんが、―だいぶ長かったに違いござんせん。町がどんどん燃えとるのを、わしは見とりました。そうしとる間、三人ともわしにものも言わんし、こっちを見もせんし、ただじっと水を眺めとる。すると馬の音が聞こえてきました。見ると、騎兵の将校がひとり、あたりに目をくばりながら、早足でこっちへやってきました。・・・・」
「町から?」
「さいで。―あのそれ、うしろの裏道を通りましてな。・・・・三人の男は大きな編笠の下から、騎兵のくるのをじっとうかがっとりましたが、首は動かさずに、川を眺めているふりをしとる。ところが、馬が橋へかかったとたんに、三人はいきなりふり向いて、躍りかかりました。ひとりが轡(くつわ)をつかむ、ひとりは将校の腕をにぎる、三人目が首をバッサリ。―いやもう、目にもとまらぬうちに。・・・・」
「将校の首をかね?」
「はい。キャアともスウともいわんうちに、はやバッサリで。・・・・あんな早業は見たことござんせん。三人ともひとことも申しません」
「それから?」
「それから三人して死骸を橋の上の欄干から川へ投げ込みました。そして、ひとりが馬をいやというほど殴りますと、馬はつっ走りました。・・・・」
「町の方へ戻ったのか?」
「いいえ、馬のやつは向こうの在の方へ追いやられましたんで。・・・・切った首は川へ捨てずに、その薩摩の衆のひとりが蓑の下に持っとりましたよ。・・・・それからまた三人して、先ほどと同じように欄干へもたれて、川を見ております。わしはもう膝がガクガク震えて。顔を見るのも恐くて、―わしは川をのぞいとった。・・・・しばらくするとまた馬の音が聞こえました。わしはもう、胸がドキドキして、心持が悪うなってきて。―ひょいと顔をあげてみると、またひとり騎馬兵が道をパカパカ駆けてきよった。橋にかかるまで、三人とも身じろぎもしない。と、かかったとたんに、首はバッサリ。そしてさっきと同じように、死骸を川へ投げ込んで、馬を追っぱらう。そんなふうにして三人斬ったね。やがてサムライは橋を立ち去っていきよった。」
「あなたもいっしょに行きましたか?」
「いえ。―やつら、三人目を斬るとすぐ出かけたですよ。―首を三つさげて。わしのことなんか目もくれなかったね。わしは、その衆がずっと遠くへ行っちまうまで、動くのが恐くて、橋の上にすくんでおりました。それから燃える町の方へ駆けもどったが、いや駆けた、駆けた!町へはいったら、薩摩勢は退却中だという話しを聞きました。それからまもなく、東京から軍隊がやってきよって、それでわしらも仕事にありついて、兵隊にわらじを運んだね」
「橋の上で殺されるのをあなたが見た人たちは、何という人?」
「わからないね」
「たずねてみようともしなかったの?」
「へえ」 平七はまた額をふきながら、「いくさがすんでよっぽどたつまで、わしはそのことはぷつりともいわなかったからね」
「どうしてね?」
平七は、ちょっと意外だという顔をして、気の毒だといわんばかりににっこり笑いながら答えた。―
「そんなことを言っちゃ悪いものね。―恩知らずになりますもの」
わたくしは、真っ向から一本やられたような気がした。
われわれはふたたび行をつづけた。
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やはり、文学作品は日本文学を志し、ある程度の修業を積んだ者がやるに限る。平井は永井荷風の直弟子で、師匠から破門された異端児である。ご覧お通り、腕は確かだ。
日本語訳は次回紹介する。
*#2548 『風とともに去りぬ ニ』 Dec. 30, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-12-30-2
訳文がコンパクトすぎるというのは#2471の投稿欄で、「後志のおじさん」が抜き出した部分を翻訳してみたことに拠っています。拙訳は投稿欄にあります。そのあとで翻訳書の該当箇所を参照したら、情緒に欠ける訳文になっていたので、原文が読めたら読むべきだと思った次第です。でも、翻訳は便利。
#2471 Gone With the Wind (風とともに去りぬ)をテクストに知的遊びのはじまり Oct. 31, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-31
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- 作者: マーガレット・ミッチェル
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1977/07/04
- メディア: 文庫
*#1025 『明治廿 五年九月の ほととぎす 子規見参』 遠藤利國著 May 10, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-10
#1030 『nationalism とpatriotism』 May 17, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-17
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#2548 『風とともに去りぬ ニ』 Dec. 30, 2013 [81.Gone with the Wind]
1864年9月南北戦争のさなかアトランタを抜け出してスカーレットはぼろぼろの馬車に息子とメラニーとその赤ん坊、そして黒人奴隷のプリシーを乗せてタラの家に向かう。九月の南部は暑い。
母が腸チフスでなくなり、北軍が通り過ぎたあとの我が家にようやくの思い出たどり着くと、妹二人も腸チフスからようやく快復しつつあった。百人いた奴隷は三人に減り、父は妻の死に急に老け込み腑抜けのようになっていた。
自分がこのタラの農園を妹達を父を、そしてアシュレーから頼まれたメラニーとその赤ん坊を守らなければならない、スカーレットは自分の少女時代が終わったことを悟る。このときスカーレットは19歳の寡婦。
レット・バトラーは生還するのか?北軍の捕虜となったアシュレー・ウィルクスは生死がわからない、捕虜収容所では次々に病に倒れて捕虜が死んでいっているという噂が伝わってくる。
激情的で気の強いスカーレットは当時の南部の常識にはとらわれない女だ。頼る者がいなくなったいま、自立する女へとスカーレットがどういう変貌を遂げ、どのような恋をするのか、三冊目が楽しみだ。
1864年というと明治元年が1868年10月23日だから、幕末のことで、日本では「四国艦隊下関砲撃事件」が起きて、物情騒然としていた。米国もまた南北戦争で大揺れに揺れていたのである。
北部は工業地帯を擁し、銃も大砲も潤沢に生産できる。南部は綿花栽培が主力産業だから、武器の製造工場が小規模で数も少ない。港湾を封鎖されて物資が入らなくなると、南部は激しいインフレを起こす。英国へ綿花を販売できないので、次第に経済的に追い詰められていく。英国でも原料が入ってこないので綿織物産業は大打撃を受ける。綿花の相場が高騰するのである。高騰するだけならいいが、数が入ってこないから、工場労働者は失業する。そうした経済的背景も細かく書き込まれている。
1冊目はところどころ原文を読みながらだったが、2冊目は翻訳のみで通した。
翻訳は簡潔でなかなかよい。わたしがやると1.5~2倍くらいの分量になってしまう。原文の味わいはまた別だ。景色の描写や心理描写でよさそうなあたりは原文で読んだらいい。翻訳とは違うイメージがわくかもしれない。
#2495 (1) 'Gone with the Wind' : アマゾンから取り寄せ Nov. 15, 2013 [81.Gone with the Wind]
amazonに注文してあった 'Gone with the Wind' が届いた、1448頁・6cmの厚い本だ。
< しばらく小説は読まない決心 >
大学1年の5月連休に司馬遼太郎の『竜馬が行く』全冊を読んで連休をつぶしたことがあるが、その折に、大学生の間は小説を読むことをやめようと決め、その通りにした。小説は面白いが、日本の漫画はレベルが高いので漫画の本とそうたいして変らぬ。しかし、映像が与えられていないところが違うので自分の想像力を駆使できるところがじつに快適、『鉄腕アトム』『不死鳥』『ブラックジャック』『ゴルゴ13』『銀河鉄道999』『タッチ』『テラフォーマ』よりも面白すぎるのである。
のめり込みやすい性質なのでシリーズ全部を読み終わらないと気がすまなかった、どうにもとめられない。朝方まで読み続けてしまうから生活リズムもぐちゃぐちゃになる。このジャンルに深入りすると学生生活の大半を娯楽小説や文学作品を読むことに費やしてしまいそうで、危ない気がした。
このころは高校時代の延長で公認会計士二次試験を受験するつもりで、そちらの勉強もしていたから時間が足りるわけがない。そして『エコノミスト』『週刊朝日』『思想』『現代思想』『情況』などの週刊誌や月刊誌を購読していた。岩波書店から『哲学』講座や『日本歴史』講座が出版された始めたのもこの前後だ。
二十歳前後の男には読むべき本がたくさんあったのである。学生運動が盛んになっていた時期でもあり、読むべき週刊誌や月刊専門誌、そして哲学、経済学、会計学、原価計算、経営学の専門書群、知的興味が急激に拡大した時期だから、1日24時間しかない時間を管理せざるをえなかった。どれかを選択的にカットせざるをえなかったのである。
< 濫読時代を振り返って >
30歳を過ぎた頃から、ルーチンワークの他にプロジェクトを複数抱え、半分くらいは終電で帰宅するような状態でも休みの土日はコンピュータ・システム開発の専門書を読む隙間に、ヨーガ関係の本や原始仏教経典群や神道関係の東洋思想書や時代小説を読むようになった。
ヨーガも呼吸の技法を伴うし、お釈迦様も意識して「呼吸」のコントロールをしている、日本の武道も呼吸法が極意に関係している、「呼吸」とは何かという共通テーマもあった。呼吸の仕方は心の状態のコントロールばかりでなく、Hに深い関係があると書いたら興味のわいた人がたくさんいるだろう。心身両方のコントロールがかなり自在になる、ほんとうの話だよ、何が可能になるのか想像してみたらいい、知っていると知らないでは大きな違いだ。心身両面の健康にも深く関わっている。歩きながらでも、座禅してでも、いつでも呼吸を意識するだけでトレーニングできるから、やってみたらいい。ゆっくり、なが~く、そして次第にふか~く♪
話しを元に戻そう、外国文学は小学校や高校のときに少し、予備校時代に二十数冊読んだが、小説や日本文学に比べて、翻訳の日本語の拙劣さが妙に気になり、いつしか読まなくなっていた。理由は簡単、外国文学の翻訳者の言語に対するセンスの悪さに辟易し、心が受け付けなっていた。
大衆小説のジャンルであるシドニーシェルダンの小説はわかりやすくて1冊読んだことがあるが、それに比べてアガサの作品は読みにくかった印象がある。
< 『風とともに去りぬ』との出会い >
ハンドルネーム「後志のおじさん」が標記の本の原文をコメント欄で紹介してくれたので、読んでみたくなった。ショージアの夕焼けの色彩とそこを通り抜けていく風、アメリカ南部の綿花畑の情景描写がいい。夕日が傾きかけた時刻に、耕されたばかりの畝から風にのって土の匂いが漂ってきそうだ。暇に飽かせて読もうと思う。
河出書房版の『風とともに去りぬ』をもっていたような気がするので書棚をみたがない。東京の家にあるのかもしれない。がっちりした外函に入っていた。記憶違いでなければ女の人が大地に立っている小さな絵が外函か帯に描いてあった、色はスカイブルー。ひょっとしたら、本を買っては読み、読んではまとめて段ボール箱につめて売ってしまう癖のある者が家族にいたので、もうないのかもしれない。わたしの書棚の本がなぜか一人で歩いて彼女の書棚に鎮座していることがよくあった。
< Eさんお薦めの本 >
じつはもうひとつ、Eさんのお薦めのアガサの 'And then there were None' も取り寄せた。コメント欄で4人で議論した subjunctive の用例がたくさん出てきて面白いという。ついでに朗読CDも聴いてみることにした。5枚入っているが、値段は安い。
あ、思い出した、Eさんがなにかソフトを使って自分の書棚の一部を公開している。メールで知らせてくれていた。一風変った大学の先生がどういうジャンルの本を読み、どのような本を推奨しているのか高校生や大学生は知る機会がほとんどないだろう。意外な本があるから、そのうちに紹介する。あいつの大学院の専攻は哲学だ。
< 新しい経済社会到来の予感 >
デジタル情報はいくら売っても元の情報は減らないから、値段をいくらでも下げることが可能である、CDにせずにネットでデジタル情報を売るなら、10年後には100円でも採算がとれるのではないだろうか、商売の仕方次第だ。こういう売っても売っても減らない商品はかつてなかった。わたしたちは(20世紀)以前とはまったく異なる新しい経済社会で暮らしている。売っても減らない商品は増え続けており、この傾向は止まらないからどこかで閾値を超えることになるのだろう。そこで何が起きるのか?そうした予測をしている経済学者は一人もいないようだ。もちろんわたしにも展望がない、事実としてそうした商品が「増殖し続けている」ことにようやく気がついただけ。
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#2487 一服の清涼剤 Nov. 10, 2013 [81.Gone with the Wind]
ハンドルネーム「後志のおじさん」がマーガレット・ミッチェルの『風とともに去りぬ』から一節を抜き出してコメント欄へ投稿してくれた。雪が降る直前の収穫作業を終えて読む'Gone with the Wind'の味わいは格別だろう。
(南部訛については別途まとめて本欄へ掲載します)
#2471コメント欄より
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おかげさまで、雪がつく前に営業用の畑仕事完了できました。(いくらの値がつくやら。今年は相場がいいらしいから少し期待。)菜園には自家用の白菜や大根など、まだありますが、30センチ積もるまで放っておいて大丈夫。(それ以上でも平気ですが、収穫が面倒になる。)冬も野菜を買うことはありません。(もやしは除く。)
9ページ下から4行めからのどうっていうことのない文ですが、描いている風景がいいです。
Now that the sun was setting in a welter of crimson behind the hills across the Flint River, the warmth of the April day was ebbing into a faint but balmy chill.
北海道の6月を思わせます。どうっていうことのない文ですが、「訳」を作るのは難しい(直訳では何を言っているのか分かりにくい)文に思います。次の段落も'imaginative'(←高校生の方重要単語です。imaginable,imaginaryと混同しないように)で楽しいですが、それはまた後にします。
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a welter of crimsonって?
訳語が辞書にでていない、いい例です。愛用のprogressive(どうみてもWebsterの訳辞書ですけど)では、
welter→混乱、ごった返し、ごたまぜ、うねり、逆巻き、
crimson→深紅色(顔料、染料)
welterofcrimsonって、「深紅色のごった返し」………?となりますね。
日が沈んでいく空です。イメージを働かせると、「夕焼け空」とか、そこから、夕焼け空の赤の色あいが少しずつ違っている様子とかがイメージできるのでは?
やうやうしろくなりゆくやまきはすこしあかりて紫たちたる雲のほそくたなひきたる。の夕方バージョンにも読めます。
a faint but balmy chillこれ、6月の後志の夕方7時頃です。faint(ちょっと)でもbalmy(穏やかで心地好い)chill(ピリッとくる感じ)。andではなくbutであるところがいいです。
日中、暑かったのが日差しが斜めになると、ほっとするような涼しさが訪れる感じが読み取れます。
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Now that the sun was setting in a welter of crimson behind the hills across the Flint River,
the warmth of the April day was ebbing into a faint but balmy chill.
was ***ing in
was ***ing into
リズムがいいですね。
「川の向こうの山陰に、空を茜色に染めあげながら沈む太陽。春が来て暖かくなり始めた午後の空気の温かみが名残を惜しむかのように頬を撫でる。陽が落ちると同時にそうした日中の空気の温かみも次第に薄れていく。」
(いい情景ですね、同じような夕方が後志にも根室にもある。根室では5月、6月の夕暮れには太陽は真っ赤に空を染め上げ海に溶けながら沈んでいきます。海に沈む1分間ほど前ににじみながら下部がゆらゆら海へと伸びます。まるで大きな円い太陽が溶けながら液状になって海に呑み込まれるように見えるのです。)
こういう表現の巧みさを感じさせるところが文学作品の味わいかな、英字新聞記事にはないですね。読み手は作者が描ききってみせたイメージの世界に遊ぶことができます。文学作品には固有の効用があることが鮮明に理解できる文章です。
頭の中にまだ肌寒い春の夕焼けの情景が浮かべばそれで充分でしょう。
それにしても、雪が降る直前に仕事が終わる、いいタイミングでしたね。今夜はビールでも飲みながらまた、『風とともに去りぬ』を読んでいるのでしょうか?
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今日の根室は雨と強風が吹き荒れていたが2時頃にはもう雨が上がっていた。
はるか西の空は蒼く輝き、手前には真っ白い雲が斑に茜色に染め上げられている。茜色と暗く灰色になった陰の部分、これが' a welter of crimson' か。
秋風は珍しく暖かい。
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全道で強風が吹き荒れた一日だった。旭川は横殴りの雪、釧路は強風で屋根のトタンが100軒ほどはがれという。根室も強風と雨が吹き荒れたが、気温は15度まであがり、暖かい。
強風のためにサイクリングに出かけられなかったのが残念。
(後志のおじさんのコメントは、見やすくするためにebisuが改行を挿入しています。それからebisuの文に一部手を入れてあります。)
*#2471 Gone With the Wind (風とともに去りぬ)をテクストに知的遊びのはじまり Oct. 31, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-31
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