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#5197 おはぎの日 Mar. 23, 2024 [A8. つれづれなるままに…]

 昨日、女房殿が餡子(あんこ)をつくっていました。小豆はいつも北海道産のものを使っています。今朝もち米が炊けたら、半殺しにしますが、それだけがわたしの役割です。後は女房殿がやってくれます。ご飯と餡子を秤で測って並べると、次々にお米を餡子でくるんでいくから、大きさは同じになります。几帳面な性格がよく出ています。ご飯は4合炊いて、これはおすそ分け用、自宅分はそのあと3時間くらいしてから2合炊きました。
 お米と餡子の割合は2:3で、餡子の方が多い。

 ずらーッとおはぎが並んだので、ひとつお皿に載せていただきま~す。
 百回噛みしめながらいただきました。二十数個つくって、18個はおすそ分け。後の方の2合は12個できます。おはぎ大好きだけど、胃のないわたしはそんなに必要ありません。1日たって冷蔵庫の中で少し硬くなっても、電子レンジで温めたら元通りやわらかくなります。

DSCN7565s.jpg
 去年は4回、いや5回作ってくれた。今年は2度目。

<余談:英作文作成>
 いつも通りにNHKラジオ英会話四月号を組み替え編集して英作文問題を作成。18日から始めて6日間で制作完了。A4判で1924ページ。#1624回。

<余談-2:鉄砲汁>
 生活クラブでとってあった花咲ガニの鉄砲汁を食べた。蟹の出汁がよく出ていておいしい。古里の味だ。


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#5185 写真屋さんへ:免許証返納の準備 Mar. 11, 2024 [A8. つれづれなるままに…]

 運転免許証を返納するつもりで、1年4か月間車なしで生活してみました。不便はありますが歩くことが増えて、健康には良さそうですので、今日写真屋さんへ行って、運転免許証用の写真を撮ってもらいました。1100円でした。

 来週、警察署に行って、運転免許証を返納し、身分証明証を発行してもらうつもりです。
 
 車があった方が生活には便利で好いのはもちろんです。しかし、反応速度が若いときと違って一瞬遅れることがありますし、運転中の視野の広さも違います。

 それにしても、高齢者が車を手放すと生活に大きな差しさわりがあるケースが多いと思います。どちらかが病気になったときに、車を運転して通院できたらずっと楽です。タクシーも減っていますし、車を手放すことをためらう高齢者も多いはずです。不便なことは事実ですから。

 幸いまだ自転車に乗れるので、近場の移動、買い物にはバスかマウンテンバイクです。下り坂でも時速35㎞まで、ヘルメット着用で安全に走っています。速度が20㎞以上の時のブレーキングはお尻をサドルから外して後方へ、重心を後ろへ移さないと、フルブレーキの時は後輪が持ち上がり一回転してしまいますから。20年ほど前に、T字路を左から右折してきた車に進路をふさがれ、一回転して受け身はとりましたが縁石に大腿部をしたたかに打ちました。左大腿部が見る間に腫れてきて、骨折したかと思いました。3日間ほど痛かった。数か月間だけでしたが極東の町の高校柔道部で受け身の稽古をしていてよかった。とっさに受け身をしていたんです。身体が覚えていました。
 日曜日はふだん車の運転をしない年寄りが運転し、斜め横断で右折してきて進路をふさぐなんてことが起きます。想定外の運転にも、ご用心。今度あんなことが起きたら、大腿骨折は確実です。1か月入院したら、筋肉がごそっと落ちます。骨折すると寝たきりになる老人が多い。
 さて、上り坂がきつくなったら、電動アシスト車に変えます。何年後になるかな?


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#5156「大雪」の翌朝:雪かき Feb. 6, 2024 [A8. つれづれなるままに…]

  昨日の午後から首都圏一帯に降り始めた雪は5㎝ほど積もった。ときどき雷鳴がとどろいていたので、梅雨明けの雨と雪が同時に来た感じだ。なんとも妙な気象だった。
 気象庁発表のの24時間降水量データを見ると33mmとなっていた。
 今朝の最低気温は0.8度だから、凍結はしていない。
 せっかくだから、2年ぶりで雪かきしてみた。プラスチックのスコップに10cm雪を載せただけでずっしろと重さが腕と腰に伝わってくる。極東の町の雪とは違うな(笑)
 ああ、わが古里の町に降る雪も、4月や、たまに5月の連休に降るとこんな感じでずっしり重い。スコップに載っているのは半分は水だ。そんなときは太陽の熱が溶かしてくれるのを待つのがいいにきまっているが、せっかちな年寄りはせっせと除雪作業に励む。雪解けを待っている間に寿命が尽きるかもしれないとでもいうように。

 20分間ほど除雪したら、草臥(くたび)れて戻った。
 さて、何を飲もうかな。
 黒ビール350mLが一つだけあった。
 3パックに小分けされた生ハムが冷蔵庫にあったはずだ。
 ビールはこういう時に飲むのが美味(うま)い。



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#5145 草彅剛の飄々とした演技に心惹かれた Jan. 13, 2024 [A8. つれづれなるままに…]

今朝(1/13)の拾い物
 NHK朝ドラ『ブギウギ』を5回くらい見たが、そのときに草彅剛の飄々とした演技に心を惹かれた。つかこうへいの影響が強いようだ、なるほどと思った。
人生の中で、だれもが異色の人材と出遭うことがあるが、そういうときにどれだけ触発され、自身の中にその人の才能の一部を写し取り、育むことができるか、それはその人間自身の能力にかかわる問題なのだろう。
 朝ドラでは志村けんが演じた作曲家小山田耕三の演技も凄みがあって目を惹いた。お笑い出身の人はシリアスな役を演じさせたら、凄みがでます。まったく別人に豹変します、凄い演技力です。登場してすぐに新型コロナで逝ってしまったが、あの演技の続きが見たかった。
 ときどきすごい演技を見せる人が現れる、いや、わたしが知らなかっただけだ。

<余談-1:脳の使い方からの印象>
 草彅剛の演技は力んでいないところに特徴があるように感じる。分散モードでその場の空気を吸収すると同時に創造しながら飄々と演技している。彼が現れることでそのシーンの空気感が変わるのを感じている視聴者は多いのではないだろうか?天性のものに何か触発があって磨きがかけられたとしか言いようがない。つかこうへいの影響があったと記事で読んで、納得がいったのはそういうことだ。異色の人材の出遭いは、必然なのか?
 こういう俳優は集中モードに切り替えたときに迫力のある演技ができる。
 同じジャニーズ出身でも、東山紀之とは対照的な演技をする俳優である。ジャニーズ出身者の木村某の演技は大根にしか見えぬ。


*文春オンラインより
世間では「棒演技」と見る声もあるが…朝ドラ『ブギウギ』草彅剛の「羽鳥善一」が主人公に見えてしまうワケ
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師匠・つかこうへいが草彅剛に与えた影響

 草彅剛の近年の当たり役となった映画『ミッドナイトスワン』のとき、彼は撮影前、主人公の部屋のセットにひとり佇んでいたらしい。理屈で、この人物はこうだああだと考えるのではなく、ただその場で耳をすます、感じる、そこに漂うものを身体に染み込ませる。こういうやり方を彼はどうして身につけたのだろうか、その発露を考えると、劇作家・つかこうへいの口立てにたどり着く。
 草彅の演劇の師匠であるつかこうへいは稽古場でセリフを作り、俳優に語りかけ、その通りに俳優は覚えて演じるという独特のやり方を行っていた。筆者は、その稽古場を見たことがあって、一度だけ、至近距離で草彅剛がつかの言葉で変容していくのも見た。
 当時は、つかが草彅のなかにある激しいものを引き出しているのだと思っていたのだが、そういうところもある一方で、いまでは草彅が自分の中に、つかこうへいを取り込んでそれを体現していたようにも思うのだ。
 ダンスの振りをまず覚え、そこに多少アレンジを加えるように、まず正確に作家の口調をなぞり、自分の肉体を通して表現してきたことが、その後の草彅の芝居に生かされているのではないだろうか。
 だからこそ、羽鳥善一を通して、音楽家・服部良一が主人公として、鮮やかに立ち上がり、ほかの登場人物を凌駕しそうになるのだろう。でも、決して出過ぎない。ある一線から出過ぎることを抑制して、本当のヒロインを前に立たせている。優しさというのか上品さというのか、この物語の主人公は誰なのか、わきまえる、そこが草彅剛である。
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#5143 黒澤明監督「生きる」 Jan. 8, 2024 [A8. つれづれなるままに…]

 NHKBS放送で標記の映画を見た。「生きる」は1952年に公開されたモノクロ映画である。
 主演は市民課長渡辺勘治役で志村喬、彼はこの映画の2年後に「七人の侍」でも島田勘兵衛役で主演している。

 体調が悪く病院で診察を受けると、胃潰瘍と主治医はいうが、じつは胃癌に罹っている。本人は診察前に隣に座って順番を待っていた別の患者から、胃癌の症状を具体的に一つ一つ聞かされ、自分が胃癌であることを知ることになる。主治医は胃潰瘍だからといって好きなものを食べたらいいという。患者が帰った後で、診察室では主治医が別の医師と看護師へ、余命半年が自分だったらどうするかと問う。
 癌は治療の方法がなかったので、告知しない時代の話である。告知するようになったのは2000年代に入ってからだろう。平成2年に義父が大腸癌に罹り3か月で亡くなった。そして翌年3月にオヤジが大腸癌を手術、2年後に外科医の予告通りに全身転移で亡くなったが、どちらのケースも癌は告知していない。でも、本人は知っていた。転移して肝臓が板のように固くなってしまっていたから隠しようがない。

 地方公務員の渡辺は、30年間市役所勤務をしてきたが、何をしたのか覚えていない。覚えていないほど、どうでもいい仕事を毎日毎日やってきた。市民課が新設され、そこへ雨が降ると水が溜まってしまう土地を公園にしてもらいたいと、その周辺のカミさんたち10人ほどが押し掛けるが、公園課、上下水道課などさまざまな部署をたらいまわしにされて、一向に埒が明かない。
 渡辺勘治は、「生きる」意味を探し始める。たらいまわしになっていた公園建設を生きている間に何とかしようと、そこに生きがいを見つけた。関係各課に何度も何度も頭を下げて通い続けて、縦割りの役所仕事の調整役を果たしていく。
 いきなり場面が変わり、渡辺勘治の葬式の場面に変わる。そこからが面白い。
 志村喬が映画の中で最後に歌う「ゴンドラの歌」はしみじみとした響きをもっていた。命の灯が消えていく感じが伝わってきた。歌は心情や情緒を伝えるもの。
 「いのちみじいかし 恋せよ乙女 紅き唇褪せぬ間に 熱き血潮の消えぬ間に 明日の月日はないものを♪...」

 印象的だったのは市役所の若い女事務員役の小田切みきの演技だ。左卜全も人情味あふれる役柄で市民課の一職員として出ていた。それぞれの役の俳優の演技は、役柄の生きざまがにじみ出ているようで個性的だった。

 わたしも2007年にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で、ほぼ命はないものと覚悟を決めて入院したので、身につまされるところがあった。
 「先生、お腹におできができたので、手術のために1か月入院します。恥ずかしいのでくれぐれも噂を広めないようにお願いします」
 そう言ったら、中学生の女子が数人笑って応じてくれた。
 「先生、内緒にしとくから」
 明るい笑い声に救われた思いがしました、思い残すことないなって。
 あれは6月、中間テストの数日前のことでした。

 機会があったらたくさんの人に見てほしい映画です。

<余談-1:志村喬の演技と藤田光一郎さん>
 この映画での志村喬の演技は、モノを言わないところ、「間の圧力」の凄みが画面に滲み出てしまうところにその特徴がある。他の人にはまねのできない演技だ、だからそこに惚れて黒澤明監督は「七人の侍」でも志村喬を主役に抜擢している。
 1日たって思い出したのがSRL創業社長の藤田光一郎さんの交渉術だ。記憶にある限りで2度重要な社外交渉の場にお供した。野村証券の子会社であるJAFCOと東北の会社の件で交渉事が持ち上がり、浜松町の東芝ビルにあるJAFCO本社を訪問した折のことを思い出した。藤田さんは言葉が少ない。ボツっと言って間があく。その間に空気がグーンと張りつめていくのが隣に座っているわたしに伝わってきた。そしてまたボツっと話して間があくのだ。JAFCOの役員焦っていました。志村喬の演技にそっくりでしたね。東証1部に現役社長で2社(製薬会社富士レビオと臨床検査会社SRL)上場した日本では初めての人というのが、JAFCOの評価でした。

 交渉に行く2時間前に、東北の資本提携企業へ出向していたわたしが、立川本社ビルで藤田さんとミーティングをしたのが、浜松町へ出かける2時間前でした。その2週間ほど前に黒字化案を説明に藤田さんと副社長の谷口さんに作成してあった資料を携えて説明に行きました。資本提携をやめ、子会社化することで染色体分野の検査を分担することで売上高経常利益率が15~20%になる経営改革案でしたので、SRLの子会社ではナンバーワンの業績になる予定でした。それに対する藤田さんの返事はノーでした。電話での報告、文書でも毎月報告書を送っていましたが、「聞いていない」と副社長を口裏を合わせていました。東北の会社の資本関係を調べて大株主一人一人の背景も伝えてありました。子会社化(社長持ち株の譲渡)と社長交代も東北の会社の社長Tさんの了解をもらっていました。そこはそのまま実行されています。
 藤田さんは大株主数名が気に入らなかったのだと思います、引きずりたくなかった。それで、ノーという結論に至ったのでしょう。
 本社社長室ではなくて、オープンスペースのイスが四つのテーブルで話そうというので、そこで藤田さんと1時間話していました。本社社員全員から丸見えでした。なんてことはない話でしたね。喧嘩腰で交渉すると言って聞きません。ジャフコのバックには東邦銀行がいて、そこの役員とつながっており、情報は筒抜けになるので、穏やかに相手の言い分を聞き、あとは藤田さんの思う通りにやってくださいとお願いしたのですが、聞けないというのです。そんな話は5分間だけ、後はJAFCOへ出かけるのに電車に乗る時間まで暇つぶしの雑談でした。あとで、「何話していたんだ?」と元上司から聞かれました。「大事な話は5分だけ、後は雑談です」と告げると首をかしげてました。藤田さんが社員とオープンスペースで1時間も話すことなんて一度もなかったからです。
 新宿から山手線で、浜松町駅で降り、長い通路を歩いている途中で、「ebisuさんの言う通りにやりますか?」と突然の提案、「そうしてください」と返事しました。それで始まった交渉でした。交渉の「間の取り方」を教えたかったのでしょうね。見事な演技でした。役者の道に入っても、藤田さんはただものではないと思いましたね。
 交渉が終わって、JAFCOの部長さんが「お車はどちらへ?正面玄関に回すように手配しますので」そう言われて、「電車できました」、「え、SRLさんセキュリティはどうなっているのです?東証1部へ2社上場した社長ですよ」と驚いていました。藤田さん、社長専用車をもたない人でした。ある時、A専務(後に参議院議員)が羽田に藤田さんをハイヤーで出迎えに行きました。何か緊急の要件があったのでしょう。藤田さん「社員が社用車を運転して検体を集めているのに、わたしはハイヤーには乗りません」と怒って電車で新宿(当時)NSビルの本社へ戻ったことがありました。そういう人なのです。
 それから数年後、野村証券の役員をしていた中学・高校同期の伊藤がJAFCOの社長に就任していました。同窓会名簿には住所欄が空欄になっていました。セキュリティ上明らかにできないと同期の誰かが言ってましたね。
 野村証券は不祥事で3度役員が総入れ替えになったので、団塊世代は得しましたね。課長クラスが役員に何人もなれました。野村証券の先輩たちはお気の毒様、役員になった途端に不祥事で全員総とっかえでしたから、運も大事です。(笑)



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#5117 公理を変えて資本論を演繹体系として書き直す① Nov. 18, 2023 


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#5135 ブログ発信開始からこれまでの経緯:データ Dec. 28, 2023 [A8. つれづれなるままに…]

 ブログを書き始めたのは2007年11月下旬でした。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で2006年7月20日に手術をして、1年たって体力は回復せず、体重も手術前に比べて12㎏ほど減少して、集中力の著しい衰えを感じていました。ライフワークだったマルクス資本論の論理構造を明らかにするというテーマについて書けないのではないかと不安が萌し、文章が書けるかどうかを試すために、ブログで地域の学力問題や医療問題を採り上げました。
 書き始めのころは、アップした記事を読み直すと、漢字変換ミスや文章になっていないところがたくさんあって、ひどかった。直しきれずにミスが残っていれば、ありがたいことに読者の誰かが指摘してくれます。そうして、時々読者のみなさんと対話しながら、先月下旬で16年間が過ぎました。
 アップした記事は5134本ですから、

 5134÷(16年+1か月)=319(本/年)

 年間319本もアップしていたのですね。これでは多すぎます。(笑)
 平均して4000字だとすると、岩波文庫版は17行×43字=731/ページですから、400ページの本を70冊ほど書いたことになります。テーマが異なっても内容が重複していることが多々ありますから、ご覧の通り、中身はそれほど濃くありません。

 ついでですから、1日当たりのPV(Page Viewer)数も計算してみます。昨日までのPV数は7525530ですから、
  7,525,530 PV÷(16年×365+30days)=1282 (PV/day)
 
  記事ひとつ当たり、PV数がどれくらいなのかも計算してみます。
 7,525,530 PV÷5134タイトル=1465(PV/タイトル)

 タイトルひとつ当たり1465回読まれていますね。どうもありがとうございます。

 2002年の11月から昨年(2022年)9月まで古里で学習塾をしていましたが、「塾の先生一日中ブログ書いている」なんて噂もありました。ほぼ毎日アップしてましたし、長い記事もあるのでそういう誤解が生じる余地がありましたね。
 四百字詰め原稿用紙10枚分くらいなら、内容にもよりますが、おおむね30~90分でアップしています。見直しやデータの追加をするために翌日以降に修正・編集・追記を随時しています。そちらの方に同じくらいの時間がかかっています。長いものだと四百字詰め原稿用紙で40枚程度のものもあります。
 発信している記事が多くても、それほど時間を費やしていないのは、タイピング速度が大きいことと、文書作成ソフトWORDの編集機能が強力だからです。思いつくまま”バチバチバチ”とタイピングしてからチェックを兼ねて後編集して体裁を整えたらいいだけです。

 冬は雪が降ると4~5時間も家の前の雪かきをよくしていました。バス停があるのできれいにしておきたいからです。きれいにするとブルドーザーが回ってきて、雪を置いていく、それでまたその雪を道路の向こう側の空地へ運ぶという風に。全身汗びっしょり、ついには、水分補給が追い付かなくて、尿管結石で苦しい思いを5日間ほどしましたね。(笑) 冬はブログをタイピングする時間が少なくなっていました。
 胃と胆嚢の全摘、胃の周辺のリンパ節切除、癌が浸潤していた横行結腸の一部切除をしているので、コップ一杯の水でも30分はかけないと下痢してしまいます。だから、東京へ引っ越しましたが、命懸けでした。夏場の水分補給が追い付かない可能性が7割くらいありました。過酷な環境の中で、身体の方が驚いて、水分吸収がよくなりましたよ。そして3月に古いエアコン2台を取り換えたので、例年になく暑い夏でしたがなんとかなりました。

 修士論文を書くときにドイツ語文献の引用があるので、20代(1970年代)の時にOLYMPIA製(スイスメーカー)の欧文タイプライターを買って、タイピング教本でタッチタイピングの練習をしたので、それ以来ブラインドタッチで入力できます。機械式のタイプライターよりも、パソコンはキータッチが格段に楽です。
 1990年頃、ワープロを仕事で使い始めたときに、「ebisuさんと同じ年代の人は人差し指でタイピングしてます。10本全部使う人は見たことがありません」と褒めてくれた新入女子社員がいたことがありました。いまじゃ当たり前ですが、当時はタッチタイピングは「特殊技能」でしたね。
 ワードの編集機能の良さとタイピング速度の大きさの両方の相乗効果で、手書きしていた時の3~5倍の文書処理ができます。ワープロやパソコンのお陰で、こなせる仕事量が飛躍的に伸びました。重要な仕事は提案書の作成や協議書や稟議書などの社内文書作成を含みます。文書による定期的な報告も必要です。2年ほどOASISという富士通製のワープロを使った後で、社内にパソコンが導入され、文書作成にはワードを使うようになりました。
 臨床検査センターのSRLには1984年2月から1999年の9月末まで勤務しましたが、その間に発信した文書は8㎝のファイルで8冊ありました。その後3年間で3冊増えています。発信文書に連番を振る習慣は、1978年に産業用エレクトロニクス輸入商社に勤務してからのものです。文書管理の基本は大事です。
 要するに長い時間をかけて文書作成になれちゃったというわけです。

 ブログを始めた一番の動機はライフワークをやれる文書作成能力と体力や集中力があるのかを試すためでした。

 ライフワークは「マルクスと数学」というカテゴリーにまとめてあるのでそちらをご覧ください。『資本論』の構造が明らかになっています。ヘーゲルとの関係も。マルクスが『資本論第一巻』でその方法的な破綻に気がついてしまいました。
 これはまったくの新説です。マルクス資本論の論理構造全体を俯瞰できた学者はいません。同時に、マルクス批判でもあります。マルクス自身が『資本論第一巻』を世に出した後、体系構成の方法にヘーゲル弁証法を利用したことの誤謬に気がついたというのがわたしの推測です。だから死ぬまでの16年間、続巻を出さなかったのです。出せなかったといった方が精確ですね。16年間の空白の期間の意味を考えたマルクス学者がいなかったというのはとっても不思議です。
 ところで、資本主義経済の分析と新しい経済社会のデザインはまったく異なる分野の仕事です。方法的に破綻したマルクスは晩年の研究テーマをそこに移しています。
 新しい経済社会の建設は企業のマネジメントが鍵です。わたしはそこへの言及も始めています。
 新しい経済理論が書けたら、ライフワークを超えることになるでしょう。

 ブログを書き始めてから、1年後くらいに体力的にきつくて、ブログをやめようかと悩みました。そのときに、SRL社長だった近藤さんから「続けたら...」というメールをもらって、何とかつなげることができました。近藤さんにあらためて、「ありがとうございます」です。
 近藤さんは2009年10月31日に根室まで来てくれました。養老牛温泉へ泊って、地域医療問題と都会との学力格差の問題を語り明かしました。カテゴリ―「養老牛温泉夜話」にまとめてあります。
 SRLは創業社長の藤田光一郎さんが小児科医、近藤さんも医師免許持っている元厚生省の技官です。2人とも異色でしたが、お二人の色は違っています。幸いなことに、両方の社長の特命係として仕事したことがありました。厄介ごとが持ち上がるとお呼びがかかるのです。厄介ごとは扱いにくい人間でなければ適切に処理できません。(笑)
 厄介な仕事を請け負うたびに、必要な人材が周りにそろっているのです。戦略は自分で考えます、しかし実際の仕事はチームでやるので、それぞれの分野でトップレベルの人材がそろわないと不可能なのです。それがちゃんとそろってしまう、つまりふだんから異分野のトップレベルの人材とのネットワークが自然発生的にできあがっているということ。社の内外を問いません。やって楽しい仕事は社内の人間だけで間に合うようなものばかりではありませんから。何か仕事をするたびにネットワークが広がり、パイプが太くなります。

 塵も積もれば山となるの譬え通り、16年間で5100タイトル、750万アクセスを越えました。
 お読みになってくださっている読者の皆様に心より感謝申し上げます。


養老牛温泉夜話(1) #780 Nov.1, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]


*この記事は文字数は3096字です。最初にアップしてから1日で、編集と追記で300文字ほど増えています。


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#5119 昨年の今日引っ越しの荷物を解いてました Nov. 26, 2023 [A8. つれづれなるままに…]

 古里の極東の町へ戻って20年間、空き家にしていた東京の家へ戻ってきました。古里へUターンして、また東京へ戻ってきたので、(Uターン)^2かな?
 家財道具の半分ほどは処分して引っ越してきましたが、段ボール箱が一杯、寝るところだけは場所を確保してありました。段ボール箱を全部開けて整理するのに3日間くらいかかったのかな。車がないので、数か月間は買い物に不便を感じましたね。バスのシルバーパスの購入手続きをすぐにして、だんだん慣れちゃいました。
 1か月前から、事前準備作業でへとへとになりながら、よく身体が持ったと思います。もうあんな引っ越しはとてもできません。市のごみ処理場に何度も車で運びました。値打ちのあるものはブログやFBで写真をアップして引き取り手を探して処分しました。トチノキの厚さ8㎝、長さ1.5m、幅1mの座卓の引き取り手が現れて、ほっとしました。あれは棄てたくなかった。新宿伊勢丹で購入したもので、もうこのサイズが売りに出ることはほとんどないでしょうと言われました。原木がないのだそうです。長方形の上も下も長さがほぼ一緒でした。大木でないと木の上の方が小さくなり、台形になってしまいます。

 スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で、2006年に胃と胆嚢の全摘手術、浸潤していた横行結腸の一部切除をしているので、夏場の水の摂取が追い付くかどうか心配でしたが、暑い東京では水の吸収能が上がりました。胃がないので、コップにいっぱいの水を数分で飲むと下痢して痩せて体力が奪われます。30分から1時間かけてコップ1杯の水を飲むようにしていました。半分くらいなら一気飲みしても体調のいい時は大丈夫になりました。
 水分が足りなくなると危ないので、朝起きたときと寝るときに体重測定して、EXCELに記録してあります。7日間移動平均値を自動計算してあるので、体重の推移がよくわかります。寝る前の体重と朝起きたときの体重は、少ない時で200g、多い時は600g程さがあります。
 東京へ戻ってきてから1.5㎏ほど体重が減りましたが、下げ止まっているのでいいのでしょうね。

 車を処分したので、今日も歩いて女房殿の買い物にお付き合いしました。散歩にちょうどいい塩梅(あんばい)の距離です。
 ここ1か月ほど、外に出ないときは家の中で足踏みしています。膝を心臓の近くまで上げて足踏みしていたら、脚がよく上がるので歩くのが楽になりました。脚を80cmほど開いてこれをゆっくりやると、左右それぞれ交互に一本足立ちになってバランスがよくなり、歩いているときも体が左右にぶれなくなりました。思いがけない効果です。1分間計測してみました。ゆっくりめで42回でした。交互に片足立ちになります。分速30回だと、強度がグンと増し、有酸素運動並みの負荷になります。
 少し大股で歩く癖があるので歩幅は90~91㎝です。
 極東の町にいたときに比べたら、ずっと歩いていますね。その代わり自転車はほとんど乗らなくなりました。一番乗った年は1700㎞もサイクリングしていました。いつまでもそんな無茶ができるわけもありません、何事もほどほどでいいのでしょうね。35年大事に手入れして使用していたミヤタ製のカーボンファイバーフレームのロードバイクは棄ててきたので、ブリジストン製のマウンテンバイクだけです。この1年間で300㎞くらいしか乗っていませんね。ほとんど買い物用です。坂道だから負荷は大きい、だから登りはのろのろやっています。横を女子高校生が電動自転車で鼻歌唄いながら追い抜いていくことがあります。すいすい、あの速度にはかなわん、わたしアンダンテ(笑)

 今日は英作文の問題造りしていました。第1414回、A4判で1650ページです。いつのまにか15000題を越えて来週中に16000題に達しそうです。塵も積もれば山となるの格言通り。
 昨日も、英作文問題と解説のメール配信しました、週2回です。来年いっぱいは希望の元塾生たちへ配信するつもりです。一人で無理せずやれるボランティア活動。勉強してくれる生徒達に感謝!


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#5110 PV数が20倍以上に!:カウンターの数字は本当か? Nov. 11, 2023 [A8. つれづれなるままに…]


 今日(11/11)、ソネットブログのPV(Page Viewer)数カウンタが、なんだか尋常ではない数値を表示しています。
 この数字は本当でしょうか?カウンターが空回りしているかのようです。午前3時の訪問者2名で記事閲覧数1780なんて、読めっこありません。わたしのブログは長いものが多いので、無理ですね。コピーするにも記事は5つずつしか表示されないので、無理です。保存して置こうと、記事とコメント欄のバックアップを試したことがありますが、すぐに諦めました。


 仮に500記事閲覧するには、100回表示を切り替える必要がありますから、ちょっと無理そうです。
 11/7から、PV数が激増してました。
11/7⇒15550
11/8⇒409
11/9⇒6372
11/10⇒12183

 ページカウンターは1000で振り切れてしまうようで、今朝も8時前の時点で1000を表示していました。

 11/6に弊ブログの記事の検索システムについての解説記事をアップしたので、その影響かもしれませんが、時間ごとの訪問者数と記事の閲覧数を見ると合点がいきません、何だかヘンです。
 23時25分に更新された時間別PV数は31,232です。

時間 比率 訪問者 ページ
ビュー
合計 148 31,232
00時  5.4% 10 1,683
01時  5.8% 8 1,809
02時  6.0% 3 1,874
03時  5.7% 2 1,780
04時  5.1% 4 1,589
05時  2.9% 4 892
06時  2.4% 21 748
07時  2.1% 6 670
08時  1.9% 10 597
09時  1.9% 15 601
10時  1.8% 9 572
11時  1.9% 15 580
12時  1.2% 20 368
13時  0.0% 5 5
14時  4.8% 6 1,486
15時  5.8% 17 1,823
16時  5.8% 12 1,803
17時  8.7% 11 2,715
18時  10.0% 13 3,125
19時  9.1% 10 2,837
20時  6.6% 11 2,055
21時  2.8% 14 878
22時  2.4% 18 742
23時  0.0% 0 0
合計 148 31,232




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ブログテーマ:blog( 23位 / 19575ブログ中 )

  やはりおかしい。記事タイトル別の表を見ると、訪問者1人でPV数が4とか5のものがたくさんあります。同じ人が同じ記事を同じ日に4回とか5回も読むわけはありません。ソネットのPV数カウンターが壊れているのでしょう。

  訪問者数の順位が19575ブログ中23位ですから、偏差値換算だと80ですね。問題が生じているのはPV数だけのようですから、訪問者数をベースにした順位は確かでしょう。

 土曜日の読者のモード(最頻値)は18時の3125PVです。読者の約30%が真夜中から明け方です。午後3時から8時までの6時間に読者の46%が集中していますから、晩御飯の支度をしなくていい人が多いということのようです。データの数は23個ですから、中央値は1589です。
 あと、平均値や標準偏差値を出せば基本統計量が揃いますが、23時間データなのでやめておきます。

 ついでですから、24時間データを貼り付けておきます。
時間 比率 訪問者 ページ
ビュー
合計 157 31,935
00時  5.3% 10 1,683
01時  5.7% 8 1,809
02時  5.9% 3 1,874
03時  5.6% 2 1,780
04時  5.0% 4 1,589
05時  2.8% 4 892
06時  2.3% 21 748
07時  2.1% 6 670
08時  1.9% 10 597
09時  1.9% 15 601
10時  1.8% 9 572
11時  1.8% 15 580
12時  1.2% 20 368
13時  0.0% 5 5
14時  4.7% 6 1,486
15時  5.7% 17 1,823
16時  5.6% 12 1,803
17時  8.5% 11 2,715
18時  9.8% 13 3,125
19時  8.9% 10 2,837
20時  6.4% 11 2,055
21時  2.7% 14 878
22時  2.3% 18 744
23時  2.2% 20 701
合計 157 31,935
 昨日弊ブログを訪問してくれた読者は157人でした。これはとくに多い数字ではありません。PV数だけが跳ね上がっています。そのPV数の24時間平均値は1331です。標準偏差は計算していませんが、13時の5というデータが極端に小さいので、大きいでしょうね。意味がないので計算しません。
 約50%の読者が午後2時から9時までに訪問していただいています。午前0時から6時までの訪問者の相対度数は30.3%です。土曜日は夜明かし型の読者も多いようです。だんだん寒くなっていますので、お体にお気をつけてください。


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#5079 amazonで本を注文:トラブル処理 Oct. 7, 2023  [A8. つれづれなるままに…]

 昨年11月に古里を引き払って、東京へ引っ越すときに本を2000冊ほど処分したが、処分してはいけない本が混ざっていたのに気がついて、すぐに使うので数冊だけ買い直すことにしました。

 注文手続きが終わって、支払い手続き用のメールが来ましたが、コンビニ決済で、セブンイレブンを選択してクリックしても、飛んでいきません。
 「ウェブページで開く」という箇所をクリックすると、なるほどwebページに飛びましたが、表示はHTML言語です。「セブンイレブン」という文字の手前にあるURLが標的のアドレスだろうと、それをコピーして貼り付けて検索したら、OKでした。支払い画面がでました。

 久しぶりでamazonを使ったので、古いパスワードを入れてしまったらエラーで、すぐにアクセスしたかどうかの確認メールが来ました。セキュリティが以前より厳重になっているようです。ネット詐欺が増えているからでしょう。
 ネットでは定期払いのものしかクレジットカードを使わぬようにしています。杜撰なセキュリティシステムが多いからです。


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#5016 極東の町の夏は超涼しい!:夜は13~18度に下がる Jul. 16, 2023 [A8. つれづれなるままに…]

 東京の今日(7/16)の最高気温は38度である。数日前には八王子が39.1度、練馬が38度だった。今年は暑い!
 人口2.3万人の極東の町が30度を超えるのは、年に数回しかない。一度も真夏日(最高気温が30度超えの日)がない年もある。そして、最低気温は高い時でも18度だから、半袖では寒い。13~15度の時が多いから、夏でもストーブをつけることがよくある。
 ちなみに、今日の午後2時の気温は17.6度、最低気温は14.8度でした。昨日の最高気温は17.4度。

 根室市では市営住宅を改装して短期間貸し付ける制度があるが、多摩市の御夫婦で夏に1か月間避暑に来る方がいた。「今年もやってきました!」とにこやかに挨拶、毎日散歩されていた。家の前で何度か話をしたことがあって、旦那さんの方が根室に住んでいたことがあると言っていた。戦後の食糧難の時代に、根室中学校では戦後野菜をつくって生徒に持ち帰らせていたことがある。共同便所から糞便を桶にくみ取り、肥料にした。戦後の5~6年間そういう困難な時代があったらしい。
 根室でも最近はエアコンを設置する家がポチポチ増え始めた。根室っ子は25度でも「暑い、暑い!」と大騒ぎだ。終戦直後の食糧難の時代なんて、知っている人たちがこの世からどんどんおさらばしていっている。

 寒い故郷を思い出しながら、エアコンの利いた部屋でブログの原稿を叩きだしている。エアコンの温度設定は28.5度、天国だ(笑)


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