#5041 社会科の勉強が苦手な生徒へ:好奇心が強ければダイジョブ! Aug. 23, 2023 [55. さまざまな視点から教育を考える]
<最終更新情報>8/24午前9時35分「余談-1」追記
8/25午前中「余談-2」追記
「盲蛇におじず」と言いますが、子供のうちは無鉄砲でいいのです。
本好きの近所の小学生が、本棚からハラリ著『サピエンス全史(下)』を取り出してきて読み始めたので、周辺知識がないと理解できないと思うよと伝えたら、2頁読んで少し間を置いてから、「サマルカンドって何?」とさっそく「質問その1」が飛んできました。(笑)
「シルクロード沿いの都市の名前ですよ、地名、たとえば札幌市というのと一緒です。外国の都市の名前ということ。”サマルカンド”、音の響きがいいですね。」
本棚の上に鎮座している地球儀で場所を探すというので、取ってあげた。書いてあるかな、地球儀のどこを見たらいいのかわからずウロウロ...
「探すのたいへんですね、そういう時はまずインターネットを使ってみます」
そういいながら、画面を開いて「サマルカンド」と入れてエンターキーを叩いてみせると、解説記事がいくつか並んで表示されました。ウズベキスタンの都市ですね。
(ウズベキスタンは綿花栽培の強制労働と児童労働という人権問題のある国です。国連から改善要求がウズベキスタン政府にだされています。)
今度はグーグルアースを開いて、「サマルカンド」と入れると、地図上に「サマルカンド」が表示され、イスラム寺院の写真が左側に並んだので、
「イスラム教の国だね、こんな寺院テレビで見たことあるでしょ。神道は神社、仏教はお寺、キリスト教は教会、イスラム教ではモスク、ユダヤ教ではシナゴーグというんです。」
位置を確かめてから、地球儀で探し始めた。30秒ほどで、
「あった!」
サマルカンドと表示があった。子どもは見つけるのが速い。
その近く、東側の方に”モンゴル”という国があるね。その国は昔、世界最大の帝国だったことがあるんだ。
(地球儀で指さしながら)ユーラシア大陸の東の端からヨーロッパの一部までモンゴル帝国の領土だったことがある。ウクライナは昔キエフ公国と言ったんだが、そのキエフ公国もモンゴルの領土となったことがあります。
モンゴル帝国は、それぞれの地域の宗教はそのまま認めたんだ、その点がユニーク。だから世界最大になったとも言えそうですよ。
東の端っこまで征服して、次はどこだと思う。
「日本がある!」
そうなんだ、朝鮮半島には高麗という国があって、モンゴルの支配地域なので、船をつくれと命令されて、たくさんの船を作ったんだ。その船に高麗の兵士とモンゴルの騎馬兵を載せて、九州へ攻めてきた。2回もだよ。いまから800年も前のことだ。夏に来たので浜は暑いし、やぶ蚊が多いので、騎馬兵は夜になると船に乗って沖合で休憩していた。そこへ暴風雨や台風が来て、ほとんどの船が沈んで、モンゴルは日本をあきらめた。15万人もの兵士が来たんだ。世界史上最大の動員数だった。
モンゴル帝国とたたかって勝った国は珍しいんだ。日本の数十倍もあるような巨大な帝国だったからね。中学2年生になったら、社会科の科目で勉強することになるよ。1274年の文永の役と1281年の弘安の役というんだ。両方合わせて「元寇」。
「ウズベキスタンの近くに、カスピ海という表示があると思うんだが...<カスピ海ヨーグルト>って聞いたことある?」
「あ~る。あ、あったよ!」
「日本と比べて見な、大きいだろう?その湖は水位が上がったり下がったりして大きくなったり小さくなったりしている。130もの河川が流入しているが、出ていく川はないんだ。現在の水位は海抜-29mだから、海よりも30mほど下になる。カスピ海はキャビアの産地だよ、チョウザメが獲れるんだ。イクラの醤油漬けは好きだったね、キャビアは食べたことないだろうけど、やはり魚の卵だ。」
「食べてみたい!」
「イクラの醤油漬けの方が美味しいよ、そのうちキャビアも食べてみるか。」
「もっと左側(西)の方へいくと、イスラエルという国に「死海」というのがある。湖なんだが、海抜-900mというとっても低いところにあるんだ。水分が蒸発して塩分濃度が濃いので楽ちんに浮かぶんだ。この湖はどんどん小さくなっているよ。」
「どうして?」
「この川に流れ込むのは国際河川で、途中の数か国が農業や工業や都市の水道のために取水するから、死海へ着く前にほとんど水がなくなってしまうんだ。それで水位が下がり、湖面が小さくなっていっている。いずれなくなると思うよ。グーグルアースで調べたら、何という川がどの国を流れてくるのかわかるよ。」
「見てみる」
地理と歴史と政治経済は一つなんだ。歴史的背景をもたぬ地名や場所はないし、いろんな出来事が起きていまがあります。だから地理と歴史と政治経済は一つなんです。
社会科が苦手だという子どもに理由を聞いてみると、「社会科は勉強の仕方がわからない」というケースが案外多いのです。英語の単語のように地名を暗記するとか、歴史上の出来事を年代と人物と出来事の3点セットで暗記するというような勉強の仕方をしていることが多いようですね。
これだけではつまらないから、成績もなかなか上がらない。楽しくないことは長続きしません。
それとはちがって、好奇心から自分でどんどん調べるという勉強スタイルがあります。パソコンやスマホそしてインターネットがあれば、図書館一つ分くらいの情報が引き出せるから、やってみたらいい。「サマルカンド」というキーワードたった一つですらいろんなことがわかります。地理上の位置、シルクロードとの関係、宗教や風俗、教育、文化、日本とのかかわりはどんなことがあるのか、いま現在どうなっているのか、隣の国はどうなっているのか、大きな川は何があるのか、どこの海に接しているのか、...なんてね。
好奇心に任せて自分で調べているうちにいろんなことのつながりが見えてくる、それは愉しい遊びだ。たのしい遊びと勉強の間には遮(さえぎ)るものなんてなんにもない、遊びと勉強は本来一緒のものだからね。
わたしは小4の時から北海道新聞のコラム「卓上四季」と「社説」欄を辞書を引きながら読み始めて、3か月もしたら政治経済欄も読みふけっていた。当時の新聞には「ルビ」が振ってあったので、出てくる漢字は小学生でも読めたんだ。だから、中学生になってからは社会科が面白くてしようがなかった。柏原栄先生の歴史の授業はとっても愉しかった。高校生になってから始めた公認会計士2次試験科目の「経済学」の勉強も愉しかった。アホですから、面白いだけで、高校生の時にケインズとマルクス『資本論』の勉強してました。
学校で配布しているパソコンには出てくる漢字にルビを振ってくれる機能が右上のところにあります。それを利用して、ニュースを見たらいい。わからない言葉はすぐに検索したらいい。いい時代になったね。
社会科が大好きという子供が何人か増えたらうれしい。
<余談-1:異分野コミュニケーション>
民間企業が必要としている人材像について、異分野の4人が対話しています。とっても面白いので興味があったらお読みください。
*「#4021 異分野四人の対話」
<余談-2:読書速度>8/25朝追記
ご近所の本好きの小学生の読書速度を計測してみました。読んでいたのは探偵ものでルビが振られた本ですから、「児童書」の分類です。空白部分が多い。50秒/2ページでしたから、200ページの本なら約83分で一冊読み終わります。夢中で読んでいるので、読んでいるときに話しかけても返事がありません、聞こえていないのです。先読み技術が身に着いたら、もっと速くなります。
新書版の本をこれくらいの速度で読めたら、大学生でもトップレベルの学力層の読書速度です。読み方、視点、相対化の仕方を大人が指導してあげられたら、読解力も飛躍的に伸びるでしょう。学力にとって重要なのは「読み・書き・ソロバン(計算)」の三技能です。優先順位の大きい順に並んでいます。慣れてくれば、頭の中で暗算しながら以前のデータと比較して読めるようになります。「読み」には「ソロバン(計算)」力も必要なのです。
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8/25午前中「余談-2」追記
「盲蛇におじず」と言いますが、子供のうちは無鉄砲でいいのです。
本好きの近所の小学生が、本棚からハラリ著『サピエンス全史(下)』を取り出してきて読み始めたので、周辺知識がないと理解できないと思うよと伝えたら、2頁読んで少し間を置いてから、「サマルカンドって何?」とさっそく「質問その1」が飛んできました。(笑)
「シルクロード沿いの都市の名前ですよ、地名、たとえば札幌市というのと一緒です。外国の都市の名前ということ。”サマルカンド”、音の響きがいいですね。」
本棚の上に鎮座している地球儀で場所を探すというので、取ってあげた。書いてあるかな、地球儀のどこを見たらいいのかわからずウロウロ...
「探すのたいへんですね、そういう時はまずインターネットを使ってみます」
そういいながら、画面を開いて「サマルカンド」と入れてエンターキーを叩いてみせると、解説記事がいくつか並んで表示されました。ウズベキスタンの都市ですね。
(ウズベキスタンは綿花栽培の強制労働と児童労働という人権問題のある国です。国連から改善要求がウズベキスタン政府にだされています。)
今度はグーグルアースを開いて、「サマルカンド」と入れると、地図上に「サマルカンド」が表示され、イスラム寺院の写真が左側に並んだので、
「イスラム教の国だね、こんな寺院テレビで見たことあるでしょ。神道は神社、仏教はお寺、キリスト教は教会、イスラム教ではモスク、ユダヤ教ではシナゴーグというんです。」
位置を確かめてから、地球儀で探し始めた。30秒ほどで、
「あった!」
サマルカンドと表示があった。子どもは見つけるのが速い。
その近く、東側の方に”モンゴル”という国があるね。その国は昔、世界最大の帝国だったことがあるんだ。
(地球儀で指さしながら)ユーラシア大陸の東の端からヨーロッパの一部までモンゴル帝国の領土だったことがある。ウクライナは昔キエフ公国と言ったんだが、そのキエフ公国もモンゴルの領土となったことがあります。
モンゴル帝国は、それぞれの地域の宗教はそのまま認めたんだ、その点がユニーク。だから世界最大になったとも言えそうですよ。
東の端っこまで征服して、次はどこだと思う。
「日本がある!」
そうなんだ、朝鮮半島には高麗という国があって、モンゴルの支配地域なので、船をつくれと命令されて、たくさんの船を作ったんだ。その船に高麗の兵士とモンゴルの騎馬兵を載せて、九州へ攻めてきた。2回もだよ。いまから800年も前のことだ。夏に来たので浜は暑いし、やぶ蚊が多いので、騎馬兵は夜になると船に乗って沖合で休憩していた。そこへ暴風雨や台風が来て、ほとんどの船が沈んで、モンゴルは日本をあきらめた。15万人もの兵士が来たんだ。世界史上最大の動員数だった。
モンゴル帝国とたたかって勝った国は珍しいんだ。日本の数十倍もあるような巨大な帝国だったからね。中学2年生になったら、社会科の科目で勉強することになるよ。1274年の文永の役と1281年の弘安の役というんだ。両方合わせて「元寇」。
「ウズベキスタンの近くに、カスピ海という表示があると思うんだが...<カスピ海ヨーグルト>って聞いたことある?」
「あ~る。あ、あったよ!」
「日本と比べて見な、大きいだろう?その湖は水位が上がったり下がったりして大きくなったり小さくなったりしている。130もの河川が流入しているが、出ていく川はないんだ。現在の水位は海抜-29mだから、海よりも30mほど下になる。カスピ海はキャビアの産地だよ、チョウザメが獲れるんだ。イクラの醤油漬けは好きだったね、キャビアは食べたことないだろうけど、やはり魚の卵だ。」
「食べてみたい!」
「イクラの醤油漬けの方が美味しいよ、そのうちキャビアも食べてみるか。」
「もっと左側(西)の方へいくと、イスラエルという国に「死海」というのがある。湖なんだが、海抜-900mというとっても低いところにあるんだ。水分が蒸発して塩分濃度が濃いので楽ちんに浮かぶんだ。この湖はどんどん小さくなっているよ。」
「どうして?」
「この川に流れ込むのは国際河川で、途中の数か国が農業や工業や都市の水道のために取水するから、死海へ着く前にほとんど水がなくなってしまうんだ。それで水位が下がり、湖面が小さくなっていっている。いずれなくなると思うよ。グーグルアースで調べたら、何という川がどの国を流れてくるのかわかるよ。」
「見てみる」
地理と歴史と政治経済は一つなんだ。歴史的背景をもたぬ地名や場所はないし、いろんな出来事が起きていまがあります。だから地理と歴史と政治経済は一つなんです。
社会科が苦手だという子どもに理由を聞いてみると、「社会科は勉強の仕方がわからない」というケースが案外多いのです。英語の単語のように地名を暗記するとか、歴史上の出来事を年代と人物と出来事の3点セットで暗記するというような勉強の仕方をしていることが多いようですね。
これだけではつまらないから、成績もなかなか上がらない。楽しくないことは長続きしません。
それとはちがって、好奇心から自分でどんどん調べるという勉強スタイルがあります。パソコンやスマホそしてインターネットがあれば、図書館一つ分くらいの情報が引き出せるから、やってみたらいい。「サマルカンド」というキーワードたった一つですらいろんなことがわかります。地理上の位置、シルクロードとの関係、宗教や風俗、教育、文化、日本とのかかわりはどんなことがあるのか、いま現在どうなっているのか、隣の国はどうなっているのか、大きな川は何があるのか、どこの海に接しているのか、...なんてね。
好奇心に任せて自分で調べているうちにいろんなことのつながりが見えてくる、それは愉しい遊びだ。たのしい遊びと勉強の間には遮(さえぎ)るものなんてなんにもない、遊びと勉強は本来一緒のものだからね。
わたしは小4の時から北海道新聞のコラム「卓上四季」と「社説」欄を辞書を引きながら読み始めて、3か月もしたら政治経済欄も読みふけっていた。当時の新聞には「ルビ」が振ってあったので、出てくる漢字は小学生でも読めたんだ。だから、中学生になってからは社会科が面白くてしようがなかった。柏原栄先生の歴史の授業はとっても愉しかった。高校生になってから始めた公認会計士2次試験科目の「経済学」の勉強も愉しかった。アホですから、面白いだけで、高校生の時にケインズとマルクス『資本論』の勉強してました。
学校で配布しているパソコンには出てくる漢字にルビを振ってくれる機能が右上のところにあります。それを利用して、ニュースを見たらいい。わからない言葉はすぐに検索したらいい。いい時代になったね。
社会科が大好きという子供が何人か増えたらうれしい。
<余談-1:異分野コミュニケーション>
民間企業が必要としている人材像について、異分野の4人が対話しています。とっても面白いので興味があったらお読みください。
*「#4021 異分野四人の対話」
<余談-2:読書速度>8/25朝追記
ご近所の本好きの小学生の読書速度を計測してみました。読んでいたのは探偵ものでルビが振られた本ですから、「児童書」の分類です。空白部分が多い。50秒/2ページでしたから、200ページの本なら約83分で一冊読み終わります。夢中で読んでいるので、読んでいるときに話しかけても返事がありません、聞こえていないのです。先読み技術が身に着いたら、もっと速くなります。
新書版の本をこれくらいの速度で読めたら、大学生でもトップレベルの学力層の読書速度です。読み方、視点、相対化の仕方を大人が指導してあげられたら、読解力も飛躍的に伸びるでしょう。学力にとって重要なのは「読み・書き・ソロバン(計算)」の三技能です。優先順位の大きい順に並んでいます。慣れてくれば、頭の中で暗算しながら以前のデータと比較して読めるようになります。「読み」には「ソロバン(計算)」力も必要なのです。
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#4671 生命の起源:地学・生物学・物理学・生命科学に境界はない Dec. 14, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
生命の起源についてオパーリンの学説から現在の学説まで、コンパクトにまとめた動画を千葉大学名誉教授の夏目雄平先生がユーチューブにアップしてくれました。ニムオロ塾生で地学や生物学や物理学そして化学に興味のある中高生たちのために、一般公開していただけないかリクエストしてみたところ、快く引き受けていただき、FB上で1時間ほどの解説を18分48秒にコンパクトにまとめてユーチューブにアップしてくださいました。
生命の起源について興味ある中学生、高校生、学生、社会人のみなさん、現在の科学がどこまで生命の起源に迫っているか、どうぞ夏目先生の講義をご覧になってください。
青字をクリックすると動画へジャンプします。
生命の起源 化学進化から人口細胞へ
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岩波新書のこの本を読んだのは、遠い昔1970年頃、学生時代でした。このころは1984年から臨床検査最大手のSRLに16年間も勤務するとは夢にも思っていませんでした。好奇心がSRLへと導いてくれたのでしょう。
生命の起源について興味ある中学生、高校生、学生、社会人のみなさん、現在の科学がどこまで生命の起源に迫っているか、どうぞ夏目先生の講義をご覧になってください。
青字をクリックすると動画へジャンプします。
生命の起源 化学進化から人口細胞へ
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岩波新書のこの本を読んだのは、遠い昔1970年頃、学生時代でした。このころは1984年から臨床検査最大手のSRLに16年間も勤務するとは夢にも思っていませんでした。好奇心がSRLへと導いてくれたのでしょう。
#4652 釧路の教育政策の紹介:釧路教育長岡部義孝氏 Nov. 14, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
釧路には岡部さんという面白いことを大胆にやっている教育長がいる。2期目で4年教育長の職にある。人づてに聞いた話を書いて、その教育政策を具体的に紹介してみたい。
もう議論している段階ではなく、なすべきことを決めてやるべきステージに来ていると岡部教育長は認識しているようです。
秋田県大館市を参考にしたその教育政策は大きく分けて三つ。
1.授業マイスター制度の導入
2. 学力向上推進委員会
3. 授業スタンダード
授業マイスターを認定して、それをお手本に授業をしてもらう。教える先生によって生徒の学力に大きな差がつかぬようにとの配慮か。すべての先生が「授業マイスター」になることが理想。すでに秋田県大館市で実施済みの制度である。人事面でのインセンティブも考えておられるようだ。
(マイスター制度は中世ドイツでつくられた制度です。)
教育行政の方も教育支援課と学校教育課を統合して授業改善に特化する組織に一本化したという。
大館市では、授業の様子を校長がオンラインで随時モニタリングできるようになっているそうです。わたしには驚きですが、そうしたオープンなやり方があたりまえになっています。授業技量の低い教員の指導がしやすくなっているので、教員の授業力のレベルは高くなります。教える先生の授業力がアップするので生徒の学力も上がります。両者は相互に関係しています。
それも全国学力調査でナンバーワンという結果を出し続けている原動力の一つに違いない。制度が定着するには数年かかるかもしれない、それくらいの大仕事です。岡部さん本気のようです。
学力向上推進委員会はPDCAを回します。英語についてはテコ入れの必要を感じているので、学力向上のためにのアドバイザリーボードとしてすでにお一人招聘しているという。市内全校39校を順次回って、授業改善を行っているようです。生徒を教えていて気がつくことは9割の生徒が教科書をスラスラ読めません。すらすら音読できずに英語力の改善は不可能と思っています。学校での音読トレーニング量が決定的に不足しています。これは根室高校の英語授業も同じです。なぜそんなことになっているのかわかりません。授業の組み立てに中高で同じ問題が潜んでいるように感じます。岡部さん、アドバイザリーボードがどこまで効果があるのか、これは結果で勝負だろうね。ダメなら、方向転換してもらいたい。中学校の英語の教科書は各ページにQRコードがついており、それを読み込むとそのページの文章の音声が流れてきます。スマホで音読トレーニングできます。高校英語教科書にはQRコードがありません。文科省さん、来年の高校教科書はQRコードを検定の条件にしてくれませんか?
授業スタンダードは
①A4判裏表にびっしり書かれた「授業スタンダードチェックリスト」に自己採点をしてもらい、自分でスタンダードに近づけてもらう。PTAの授業参観の際にこのチェックリストで評価してもらうことも考えているようですが、自己評価と他人の評価のズレを認識するのに役に立つのでしょう。
②放課後学習や長期休暇時の学習による学校間学力格差の縮小。これは普通のことです。
③Giga School構想(文科省)によって配布されたタブレット端末を利用した授業スキルを全員の先生に養ってもらう。タブレット導入は活版印刷術が発明されてその技術が教育を大きく推し進めたことに比肩しうるような影響があるとの認識。たとえば、生徒が問題演習したノートをタブレット端末で撮影して、先生に送信すると、先生の方では「理解できた、グレーゾーン、理解できない」に3分類して管理、個別に指導します。「ICTの文具化」が狙いです。
こんなにきめの細かい対応がタブレット端末経由でできたらすごいですね。タブレットは使いませんが25人のクラスで個別指導はわたしでもやったことがありません。わたしの技量では「理解できない」生徒が4人いたら10人が限度です。下位40%が「理解できない」になるであろう根室の市街化地域の中学校では実務上無理がありそうです。釧路は根室よりもふだんの数学の学力テストの平均点が2-3割ぐらい高いので、あるいは可能かもしれませんね。
低学力層の多い学校は数学のできる生徒たちを利用して教えさせたらなんとかなりそうです。やってみたら無理がわかり、その無理を解消する工夫がでてくるでしょう。岡部さんは市役所職員でした。総務部長⇒生涯学習部長から教育長ですから、学校の先生をしていた経験があるわけではありませんが、学校内の「ムラ」の常識にとらわれない臨機応変な工夫をしそうな感じがします。
生徒たちの学力向上のために、先生たちは絶えず「授業内容ややり方の」改善に自ら努力すべしということでしょう。教育長に細かいところまで指示されずとも、工夫しろということ。これは、わたしも授業でよく使う手です。生徒の学力の状態を見極めて、説明する程度を加減しています。生徒の側に工夫の余地を残すのが「教育的配慮」になっています。民間会社の管理職も日常、そういう指導を部下にしています。
秋田県大館市があたりまえにやっていること、たとえば、校長や教頭による授業のオンラインでのモニタリング、これをあたりまえのこととして定着させるの一つだけだって大仕事だと思います。釧路も根室も、先生たちの授業内容に学校管理職はアンタッチャブルがほとんどでしょう。「授業スタンダードチェックリスト」の導入もなかなかしんどい作業になることが予想されます。大館市は長い年月をかけてここまで来たのだと思うからです。それにしても釧路教育長の岡部さんは大胆な人ですね。学校の先生を教育長にした場合には、こういう発想は出てきそうもなさそうに見えます。
子どもたちへの基礎学力保障は、子供たちの将来の選択肢を狭くしないために必要なこと。だから、どの学校でどの先生に受け持ってもらっても、一定の水準の授業を受けられるようにしたいというのが、釧路教育長である岡部さんの願い。
<根室の教育行政の現状>
ところで、道立教育研究所から波岸克康氏が11月から根室教育長として赴任しています。なにをどのように進めるのか、具体的な教育政策がそのうちに公表されるでしょう。岡部さんは釧路市内の小中学校39校を全部訪れています。根室は小学校8校、中学校7校の合計15校だけですから、簡単に訪問できるでしょう。授業参観して校長と面談して、課題を感じ取るのは釧路に比べたら4割ほどですから、それほど大きな作業ではありません。
釧路根室管内の市街化地域の17校では根室の市街化地域の中学校が最低レベルです。ふだんの学力テストの平均点は釧路の中学校よりもずっと低いのです。ふだんの学力テストのデータをモニタリングすることも、データに基づいた教育政策を立案し、チェックするために大切なことです。
市議会文教厚生常任委員会も教育政策についてしっかり議論することでその職責を果たしてもらいたい。
根室に生まれ、根室の学校で教育を受けることで、大きな地域学力格差を背負いこませるようなことがあってはならない。生徒の未来の選択肢が狭くなります。この地域に住む大人の責任でこのような状態はなんとしても解消すべきでしょう。
<余談:根室の新教育長と釧路の教育を考える会・会長の角田さん>
飲み会での話です。
新しい教育長が来ただろうと「釧路の教育を考える会」会長の角田さん。「ええ来ましたよ、波岸さんという人が」と答えたら、「で、どうだ」と角田さん。11月に来たばかりですが、相変わらず道庁の教育局関係の人材ですから、前任者同様に思い入れも何にもないでしょうと返事したら、釧路教育長の時代にお父さんの方とは知り合いだという。「旭川の自宅に訪問したこともある、そのときに小学生(根室市の教育長)だった」と角田さん。じゃあ、これまでとは別の目で見てみようかということになった次第。(笑)
今まで何人もの道庁教育局関係者が根室の教育長で赴任してきたが、効果のある教育政策を立案し実施できた人は一人もいない。波岸さん、あなたには人事権もある、思う存分やってもらいたい。
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もう議論している段階ではなく、なすべきことを決めてやるべきステージに来ていると岡部教育長は認識しているようです。
秋田県大館市を参考にしたその教育政策は大きく分けて三つ。
1.授業マイスター制度の導入
2. 学力向上推進委員会
3. 授業スタンダード
授業マイスターを認定して、それをお手本に授業をしてもらう。教える先生によって生徒の学力に大きな差がつかぬようにとの配慮か。すべての先生が「授業マイスター」になることが理想。すでに秋田県大館市で実施済みの制度である。人事面でのインセンティブも考えておられるようだ。
(マイスター制度は中世ドイツでつくられた制度です。)
教育行政の方も教育支援課と学校教育課を統合して授業改善に特化する組織に一本化したという。
大館市では、授業の様子を校長がオンラインで随時モニタリングできるようになっているそうです。わたしには驚きですが、そうしたオープンなやり方があたりまえになっています。授業技量の低い教員の指導がしやすくなっているので、教員の授業力のレベルは高くなります。教える先生の授業力がアップするので生徒の学力も上がります。両者は相互に関係しています。
それも全国学力調査でナンバーワンという結果を出し続けている原動力の一つに違いない。制度が定着するには数年かかるかもしれない、それくらいの大仕事です。岡部さん本気のようです。
学力向上推進委員会はPDCAを回します。英語についてはテコ入れの必要を感じているので、学力向上のためにのアドバイザリーボードとしてすでにお一人招聘しているという。市内全校39校を順次回って、授業改善を行っているようです。生徒を教えていて気がつくことは9割の生徒が教科書をスラスラ読めません。すらすら音読できずに英語力の改善は不可能と思っています。学校での音読トレーニング量が決定的に不足しています。これは根室高校の英語授業も同じです。なぜそんなことになっているのかわかりません。授業の組み立てに中高で同じ問題が潜んでいるように感じます。岡部さん、アドバイザリーボードがどこまで効果があるのか、これは結果で勝負だろうね。ダメなら、方向転換してもらいたい。中学校の英語の教科書は各ページにQRコードがついており、それを読み込むとそのページの文章の音声が流れてきます。スマホで音読トレーニングできます。高校英語教科書にはQRコードがありません。文科省さん、来年の高校教科書はQRコードを検定の条件にしてくれませんか?
授業スタンダードは
①A4判裏表にびっしり書かれた「授業スタンダードチェックリスト」に自己採点をしてもらい、自分でスタンダードに近づけてもらう。PTAの授業参観の際にこのチェックリストで評価してもらうことも考えているようですが、自己評価と他人の評価のズレを認識するのに役に立つのでしょう。
②放課後学習や長期休暇時の学習による学校間学力格差の縮小。これは普通のことです。
③Giga School構想(文科省)によって配布されたタブレット端末を利用した授業スキルを全員の先生に養ってもらう。タブレット導入は活版印刷術が発明されてその技術が教育を大きく推し進めたことに比肩しうるような影響があるとの認識。たとえば、生徒が問題演習したノートをタブレット端末で撮影して、先生に送信すると、先生の方では「理解できた、グレーゾーン、理解できない」に3分類して管理、個別に指導します。「ICTの文具化」が狙いです。
こんなにきめの細かい対応がタブレット端末経由でできたらすごいですね。タブレットは使いませんが25人のクラスで個別指導はわたしでもやったことがありません。わたしの技量では「理解できない」生徒が4人いたら10人が限度です。下位40%が「理解できない」になるであろう根室の市街化地域の中学校では実務上無理がありそうです。釧路は根室よりもふだんの数学の学力テストの平均点が2-3割ぐらい高いので、あるいは可能かもしれませんね。
低学力層の多い学校は数学のできる生徒たちを利用して教えさせたらなんとかなりそうです。やってみたら無理がわかり、その無理を解消する工夫がでてくるでしょう。岡部さんは市役所職員でした。総務部長⇒生涯学習部長から教育長ですから、学校の先生をしていた経験があるわけではありませんが、学校内の「ムラ」の常識にとらわれない臨機応変な工夫をしそうな感じがします。
生徒たちの学力向上のために、先生たちは絶えず「授業内容ややり方の」改善に自ら努力すべしということでしょう。教育長に細かいところまで指示されずとも、工夫しろということ。これは、わたしも授業でよく使う手です。生徒の学力の状態を見極めて、説明する程度を加減しています。生徒の側に工夫の余地を残すのが「教育的配慮」になっています。民間会社の管理職も日常、そういう指導を部下にしています。
秋田県大館市があたりまえにやっていること、たとえば、校長や教頭による授業のオンラインでのモニタリング、これをあたりまえのこととして定着させるの一つだけだって大仕事だと思います。釧路も根室も、先生たちの授業内容に学校管理職はアンタッチャブルがほとんどでしょう。「授業スタンダードチェックリスト」の導入もなかなかしんどい作業になることが予想されます。大館市は長い年月をかけてここまで来たのだと思うからです。それにしても釧路教育長の岡部さんは大胆な人ですね。学校の先生を教育長にした場合には、こういう発想は出てきそうもなさそうに見えます。
子どもたちへの基礎学力保障は、子供たちの将来の選択肢を狭くしないために必要なこと。だから、どの学校でどの先生に受け持ってもらっても、一定の水準の授業を受けられるようにしたいというのが、釧路教育長である岡部さんの願い。
<根室の教育行政の現状>
ところで、道立教育研究所から波岸克康氏が11月から根室教育長として赴任しています。なにをどのように進めるのか、具体的な教育政策がそのうちに公表されるでしょう。岡部さんは釧路市内の小中学校39校を全部訪れています。根室は小学校8校、中学校7校の合計15校だけですから、簡単に訪問できるでしょう。授業参観して校長と面談して、課題を感じ取るのは釧路に比べたら4割ほどですから、それほど大きな作業ではありません。
釧路根室管内の市街化地域の17校では根室の市街化地域の中学校が最低レベルです。ふだんの学力テストの平均点は釧路の中学校よりもずっと低いのです。ふだんの学力テストのデータをモニタリングすることも、データに基づいた教育政策を立案し、チェックするために大切なことです。
市議会文教厚生常任委員会も教育政策についてしっかり議論することでその職責を果たしてもらいたい。
根室に生まれ、根室の学校で教育を受けることで、大きな地域学力格差を背負いこませるようなことがあってはならない。生徒の未来の選択肢が狭くなります。この地域に住む大人の責任でこのような状態はなんとしても解消すべきでしょう。
<余談:根室の新教育長と釧路の教育を考える会・会長の角田さん>
飲み会での話です。
新しい教育長が来ただろうと「釧路の教育を考える会」会長の角田さん。「ええ来ましたよ、波岸さんという人が」と答えたら、「で、どうだ」と角田さん。11月に来たばかりですが、相変わらず道庁の教育局関係の人材ですから、前任者同様に思い入れも何にもないでしょうと返事したら、釧路教育長の時代にお父さんの方とは知り合いだという。「旭川の自宅に訪問したこともある、そのときに小学生(根室市の教育長)だった」と角田さん。じゃあ、これまでとは別の目で見てみようかということになった次第。(笑)
今まで何人もの道庁教育局関係者が根室の教育長で赴任してきたが、効果のある教育政策を立案し実施できた人は一人もいない。波岸さん、あなたには人事権もある、思う存分やってもらいたい。
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#4640 根室市役所職員には教育長の職を担える人材はいないのか?Oct. 28, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
根室の教育長は道庁から人材をもらっている。寺脇教育長が去り、また今度も道庁の関係者である道立教育研究所長の波岸克康氏が赴任してくるという。北海道教育大旭川分校出身で、教員経験あり、教育行政畑のみを歩いてきた人のようだ。
根室市役所には60歳前後で、教育長の職を担える人材はいないのだろうか?いないからこういうことになっている?
校長職経験者の中には小中学校の児童・生徒の学力向上に功のあった人がいらっしゃる。たとえば、別海中央中学校元校長の青坂さんだ。厚床でも校長をしていたことがあり、ホームページがすばらしかったので知っている。彼は千葉大の教育学部出身者だ。北大教育学部よりも偏差値が高いのでは?
他にも、根室市内で荒れた啓雲中学校を正常に戻し、学力向上に成果を上げた佐藤よしあき元校長がいらっしゃる。二人三脚で大石先生が支えていた。好いコンビだった。
2年先輩の剣道部の吉岡さんが柏陵中と光洋中の校長職だったが、彼をどうして教育長にしなかったのだろう?1年先輩の道教育局の鈴木さんが教育長として赴任してきたが、あの人事には驚いた。高校時代の彼らを知っているわたしから見たら、ありえない人事。
根室高校には現在の生徒玄関口の近くに柔剣道場があり、そこでわたしが受け身の稽古をしている横で、吉岡先輩が竹刀を振っていた。彼は光洋中学校ができたときに3年生、同じ学年生徒500人中、学力テストで10位だったと聞いたことがある。10番以内の成績で大卒で根室に残ったのはあの学年では吉岡さんだけかもしれない。文武両道の人。根室の大学進学率は10%以下でした、経済的な事情で大学進学できないのが普通の時代だった。みんな貧乏していたのです。もちろん私も大学進学など高校3年の秋まで考えたこともありませんでした。
元校長職ならいま教育長を担える人がわたしの知っている範囲で2人います。もちろん、知らないほうが多いのだから、もっとたくさんいるでしょう。
別海で子どもたちの学力向上に力のあった教育長の一人が真籠さんです。彼は別海町役場の元職員。教育長を退いた後も、小学生の女子バレー選手育成に関わっています。毎日朝早く畑を耕し、地産地消の運動にも加わっていらっしゃる。
釧路の教育を考える会の会長の角田さんは元釧路教育長ですよ。いまでも釧路の子どもたちの学力に危機感を感じて活動されていらっしゃる。わたしよりも一回りくらい上だったから80代半ばか。釧路江南高校から北大へ進学、釧路市役所へ勤務、経済部長の後に教育長に就任したと聞いています。当時の部下の一人がいま釧路教育長の岡部氏です。3年前まで学校教育部長をしていた高木さんは、思うところあっていま釧路高専の3年生です。C言語のプログラミングを学んでいます、小樽商科大学出身者。釧路市役所職員には教育長という職を担える人材が多いようですが。なぜでしょう?
さて、根室市役所にはなぜ60歳前後で教育長を担える人材が現れないのか不思議ですね?そういうレベルの人材がいないからだと思います。釧路市役所の教育長の経歴を見ると大卒で教育に対して確かな見識のある人たちが就任している。もちろん、前職で成果を上げた人が選ばれています。経済部長職だった角田さんのように。
根室市役所には教育長を担える大卒がいないのはなぜでしょう。なぜそんな状態が何十年も続いているのでしょう。
コネ採用がダメージを大きくしているのではないかと推測しています。わたしが2002年秋に古里根室に戻ってきてからすら、いくつかコネ採用の話を耳にしています。
ずいぶん前に、釧路市役所だってあるでしょう?と訊いてみたことがあります。とっくにそんなものはなくなっていると角田さん。
別海町・中標津町・標津町・羅臼町は合同で職員採用をしているので、インチキはできないとのこと。いつからそうなったのか知らないが、いい人材を選考すればいいだけ、情実ナシ。そういうことが町や市の行政の足腰を強くしたのではないでしょうか。
根室市役所は高卒が多いので、大卒の新卒を使うのを嫌がっていたのではないか、そんな気がします。釧路市役所に比べると大卒比率がかなり低いのではないだろうか。
根室管内1市四町で根室市の行政の足腰が弱くなり、その結果として教育行政も弱体化し、小中学生の学力が、釧路根室管内最低という状況を招いたのではないか、わたしの仮説です。
昨日アップした「#4639根室教育長退任の弁を聞く」を合わせてお読みいただけたら幸いです。
思うところあり、故郷に戻って19年間、小さな塾を続けてきました。国立旭川医科大学へ現役合格者をようやく出せました。本人の資質が高かったのはもちろんですが、小4から勉強をスタートすれば、生徒数の5%の10人ほどは北大以上の難関大学を受験でき、その半数の5人は現役合格できるポテンシャルをもっています。根室の教育システムがそれを阻んできただけなのです。
自分の仕事としてやれる範囲の仕事をし、ブログニムオロ塾で言うべきことを言い続けてきました。まだしばらく言い続けます。(笑)
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根室市役所には60歳前後で、教育長の職を担える人材はいないのだろうか?いないからこういうことになっている?
校長職経験者の中には小中学校の児童・生徒の学力向上に功のあった人がいらっしゃる。たとえば、別海中央中学校元校長の青坂さんだ。厚床でも校長をしていたことがあり、ホームページがすばらしかったので知っている。彼は千葉大の教育学部出身者だ。北大教育学部よりも偏差値が高いのでは?
他にも、根室市内で荒れた啓雲中学校を正常に戻し、学力向上に成果を上げた佐藤よしあき元校長がいらっしゃる。二人三脚で大石先生が支えていた。好いコンビだった。
2年先輩の剣道部の吉岡さんが柏陵中と光洋中の校長職だったが、彼をどうして教育長にしなかったのだろう?1年先輩の道教育局の鈴木さんが教育長として赴任してきたが、あの人事には驚いた。高校時代の彼らを知っているわたしから見たら、ありえない人事。
根室高校には現在の生徒玄関口の近くに柔剣道場があり、そこでわたしが受け身の稽古をしている横で、吉岡先輩が竹刀を振っていた。彼は光洋中学校ができたときに3年生、同じ学年生徒500人中、学力テストで10位だったと聞いたことがある。10番以内の成績で大卒で根室に残ったのはあの学年では吉岡さんだけかもしれない。文武両道の人。根室の大学進学率は10%以下でした、経済的な事情で大学進学できないのが普通の時代だった。みんな貧乏していたのです。もちろん私も大学進学など高校3年の秋まで考えたこともありませんでした。
元校長職ならいま教育長を担える人がわたしの知っている範囲で2人います。もちろん、知らないほうが多いのだから、もっとたくさんいるでしょう。
別海で子どもたちの学力向上に力のあった教育長の一人が真籠さんです。彼は別海町役場の元職員。教育長を退いた後も、小学生の女子バレー選手育成に関わっています。毎日朝早く畑を耕し、地産地消の運動にも加わっていらっしゃる。
釧路の教育を考える会の会長の角田さんは元釧路教育長ですよ。いまでも釧路の子どもたちの学力に危機感を感じて活動されていらっしゃる。わたしよりも一回りくらい上だったから80代半ばか。釧路江南高校から北大へ進学、釧路市役所へ勤務、経済部長の後に教育長に就任したと聞いています。当時の部下の一人がいま釧路教育長の岡部氏です。3年前まで学校教育部長をしていた高木さんは、思うところあっていま釧路高専の3年生です。C言語のプログラミングを学んでいます、小樽商科大学出身者。釧路市役所職員には教育長という職を担える人材が多いようですが。なぜでしょう?
さて、根室市役所にはなぜ60歳前後で教育長を担える人材が現れないのか不思議ですね?そういうレベルの人材がいないからだと思います。釧路市役所の教育長の経歴を見ると大卒で教育に対して確かな見識のある人たちが就任している。もちろん、前職で成果を上げた人が選ばれています。経済部長職だった角田さんのように。
根室市役所には教育長を担える大卒がいないのはなぜでしょう。なぜそんな状態が何十年も続いているのでしょう。
コネ採用がダメージを大きくしているのではないかと推測しています。わたしが2002年秋に古里根室に戻ってきてからすら、いくつかコネ採用の話を耳にしています。
ずいぶん前に、釧路市役所だってあるでしょう?と訊いてみたことがあります。とっくにそんなものはなくなっていると角田さん。
別海町・中標津町・標津町・羅臼町は合同で職員採用をしているので、インチキはできないとのこと。いつからそうなったのか知らないが、いい人材を選考すればいいだけ、情実ナシ。そういうことが町や市の行政の足腰を強くしたのではないでしょうか。
根室市役所は高卒が多いので、大卒の新卒を使うのを嫌がっていたのではないか、そんな気がします。釧路市役所に比べると大卒比率がかなり低いのではないだろうか。
根室管内1市四町で根室市の行政の足腰が弱くなり、その結果として教育行政も弱体化し、小中学生の学力が、釧路根室管内最低という状況を招いたのではないか、わたしの仮説です。
昨日アップした「#4639根室教育長退任の弁を聞く」を合わせてお読みいただけたら幸いです。
思うところあり、故郷に戻って19年間、小さな塾を続けてきました。国立旭川医科大学へ現役合格者をようやく出せました。本人の資質が高かったのはもちろんですが、小4から勉強をスタートすれば、生徒数の5%の10人ほどは北大以上の難関大学を受験でき、その半数の5人は現役合格できるポテンシャルをもっています。根室の教育システムがそれを阻んできただけなのです。
自分の仕事としてやれる範囲の仕事をし、ブログニムオロ塾で言うべきことを言い続けてきました。まだしばらく言い続けます。(笑)
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#4530 NHKラジオ英語講座と文科省の英語教育政策大転換について April 26, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
#4529で「中学英語教科書の内容が増えた:英語教育政策の転換」と題する記事を書いた。今回はその続編である。
<NHKと文科省の連携>
文科省が英語教育政策の大転換に舵を切った。それと歩調を合わせるようにNHKがラジオ英会話の番組を一新している。基礎英語が1,2,3とあったが、3がなくなり、オールイングリッシュの会話形式の番組に変わった。
番組名称は次のようになっている。
①中学の基礎英語レベル1
②中学の基礎英語レベル2
③中高生の基礎英語 in English
③は英検2級2次試験のスピーキングテスト対策用には十分な内容だ。これで、都会と田舎の生徒のスピーキング格差を解消できる。
グローバリズムを推し進めるような英語教育政策の大転換は日本の国力を弱めることになるので反対だが、目指しているものを実現するために、用意周到に準備したのは仕事としては実に手際がいい。
2年以上前から、番組内容について打ち合わせをしていなければ、このタイミングで歩調を合わせて、文科省の英語教育政策に対応して番組内容の変更ができるわけがない。
こういう実務が他の省庁ではぐちゃぐちゃになっているのが実情である。新型コロナを見ても日本医師会と歩調を合わせた議論なんてなされてもいないし、担当部署や大臣も田村厚生労働大臣、西村コロナ担当大臣、河野ワクチン担当大臣とてんでんバラバラ。仕事は暗礁に乗り上げている。厚生労働省に全体を仕切り実務を調整できる有能な官僚が不在だからだろう。1980年代後半のエイズの感染拡大のときから問題は露呈していた。大手検査センターに問い合わせもせず、エイズサーベイランス委員会はHIV陽性者数を公表していた。SRL1社だけで公表数の10倍以上のHIV陽性検体が出ていた。スクリーニング検査で陽性になった検査は全部ウィスタンブロット法で確認検査していたのでHIV陽性数は確実である。日本のHIV政策はその検査陽性データすら適正に収集できなかったために、対策が著しく遅れて、感染拡大を招いた。COVID-19でまた似たようなことを繰り返しているのではないか。
日本の教育が目指すべきは経済格差を拡大するグローバリズムを支える人材を輩出することではない。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」に代表されるビジネス倫理とモノの生産方式を丸ごと低開発国へ広めることだ。そういう日本からの援助があれば、低開発国は自国で消費するものの大半を自国で生産できるようになる。グローバルな視点での地産地消である。自立型経済圏の拡大であるから、それはグローバリズムの利害と真っ向から対立することになる。
ほとんどの産業の尖端レベルの生産技術を有している国として日本はユニークな立場にある。それを意識すべきだ。やるべきことがある。
教育問題は教育分野の人間とだけ議論していたら大きな方向を間違えることがある。広く異分野の人間と議論すべきだ。
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<NHKと文科省の連携>
文科省が英語教育政策の大転換に舵を切った。それと歩調を合わせるようにNHKがラジオ英会話の番組を一新している。基礎英語が1,2,3とあったが、3がなくなり、オールイングリッシュの会話形式の番組に変わった。
番組名称は次のようになっている。
①中学の基礎英語レベル1
②中学の基礎英語レベル2
③中高生の基礎英語 in English
③は英検2級2次試験のスピーキングテスト対策用には十分な内容だ。これで、都会と田舎の生徒のスピーキング格差を解消できる。
グローバリズムを推し進めるような英語教育政策の大転換は日本の国力を弱めることになるので反対だが、目指しているものを実現するために、用意周到に準備したのは仕事としては実に手際がいい。
2年以上前から、番組内容について打ち合わせをしていなければ、このタイミングで歩調を合わせて、文科省の英語教育政策に対応して番組内容の変更ができるわけがない。
こういう実務が他の省庁ではぐちゃぐちゃになっているのが実情である。新型コロナを見ても日本医師会と歩調を合わせた議論なんてなされてもいないし、担当部署や大臣も田村厚生労働大臣、西村コロナ担当大臣、河野ワクチン担当大臣とてんでんバラバラ。仕事は暗礁に乗り上げている。厚生労働省に全体を仕切り実務を調整できる有能な官僚が不在だからだろう。1980年代後半のエイズの感染拡大のときから問題は露呈していた。大手検査センターに問い合わせもせず、エイズサーベイランス委員会はHIV陽性者数を公表していた。SRL1社だけで公表数の10倍以上のHIV陽性検体が出ていた。スクリーニング検査で陽性になった検査は全部ウィスタンブロット法で確認検査していたのでHIV陽性数は確実である。日本のHIV政策はその検査陽性データすら適正に収集できなかったために、対策が著しく遅れて、感染拡大を招いた。COVID-19でまた似たようなことを繰り返しているのではないか。
日本の教育が目指すべきは経済格差を拡大するグローバリズムを支える人材を輩出することではない。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」に代表されるビジネス倫理とモノの生産方式を丸ごと低開発国へ広めることだ。そういう日本からの援助があれば、低開発国は自国で消費するものの大半を自国で生産できるようになる。グローバルな視点での地産地消である。自立型経済圏の拡大であるから、それはグローバリズムの利害と真っ向から対立することになる。
ほとんどの産業の尖端レベルの生産技術を有している国として日本はユニークな立場にある。それを意識すべきだ。やるべきことがある。
教育問題は教育分野の人間とだけ議論していたら大きな方向を間違えることがある。広く異分野の人間と議論すべきだ。
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#4529 中学英語教科書の内容が増えた:英語教育政策の転換 April 25, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
どの学年も4-6コマ漫画会話のシーンが多数採録されている。これは以前の教科書にはなかった趣向だ。場面設定は英作文に重要だから、わかりやすくなったと言えるだろう。収録されている英文は1年生だと3割は増えたのではないだろうか。
気がついた範囲で内容を見ると、2年生で現在完了形と受動態が導入された。昨年までは3年生の範囲である。現在完了進行形も2年生の教科書に載っている。継続用法では現在完了進行形の方が自然だから、これは改善点と言っていい。3年生の教科書ではで仮定法過去が説明されている。いままでは高校2年生の教科書で扱ってきた項目である。過去完了形は中学の教科書には今まで通り収録されていないから、当然、仮定法過去完了も中学校の教科書では扱っていない。
英文の分量が増えたのも大歓迎です、収録された英文は20%くらい増えているのではないだろうか?
では、根室の中学校の英語教育がどうなっているのか、学力テストの平均点数から判断してみたい。
根室の市街化地域の中学生3年生の英語学力テストの平均点は20点前後(60点満点)であるから、半数の生徒が百点満点換算で33点以下である。2/3の生徒は英語が苦手と判断していい。英語教科書の内容が充実すればするほど、理解できないことを原因とした英語嫌いが増えるだろう。根室の市街化地域の中学校は四月から2校に統合されたが、難易度が下がらなければ、教える内容が増えるから学力テストの平均点はさらに下がる。現在すでに釧路根室管内で最低レベルなのだ。2019年の学力テスト総合Aのデータでは、釧路根室管内18校の内、英語の平均点が20点以下なのは四校のみ。中標津中と標津中と根室の市街化地域の中学校だけ。
*
それでも、音読トレーニングに毎日時間を15分費やせば、だれでも英語はできるようになる。しかし、そういう努力のできる人間は10%がせいぜいだ。とくに男子生徒にはそういう坦々とした努力が苦手な者が多い。男の脳は女よりも容積が多く、重さも大きいいが、単調な作業を繰り返すことには向いていないようにできている。そういう風に進化してきたのだから受け入れるしかない。
英語と日本語は語順が違うから、大量に音読しないと英語の語順に意識が切り替わらない。そして、日本国内では日本語で日常生活もできるし、優良企業へも就職できる。英語が堪能なら海外支店を数か所回って出世コースなんてことは40年も前に消滅している。本社エリートは出世コースを外れるので海外勤務を嫌がる時代だ。
文科省は英語力のアップに教育政策の舵を切ったようだが、何を目的としているのか明確にする必要がある。外交交渉できるだけの英語力の人材を例えば毎年1000人欲しいとか、国際企業で英語を使って働ける人材を毎年10万人輩出したいとか、そういう具体的な目標があってそれを実現するために長期の戦略策定があり、それに基づいて国の教育政策が決められるのが当然だろう。
こんな小手先のことでそういう人材が多数輩出できるとは思わない、おそらく段階的にレベルを上げていくつもりなのだろう。読む量が少なすぎるから、次の段階では現在の教科書の3倍は欲しい。
英語が成績をアップするのに時間のかかる科目であることはコンセンサスがあると思う。音読トレーニングに毎日時間を費やさないとものにはならない。英会話のトレーニングはお稽古事の一つだろう。
スマホで時間をとられているだけでも子どもたちの読書時間や読書時間が奪われており、そういう中で英語の勉強にさらに費やす時間を増やさないといけないとしたら、他の科目が疎かになるのはモノの道理だ。
半数の中高生が英会話ができるようになったときには、国語や算数や数学は一体どうなっているのだろう。英語が喋れるが、日本語や数学や理系の科目ができない、そういう人間が大量生産されることになる。
英語が喋れたら日本人は国際的な舞台で他国の人間と張り合ってやっていけるのか?「英語が喋れます」で採用してくれるグローバル企業はない。専門分野で何ができるかが採用のポイントである。
文科省の英語教育政策の方針転換は長期的に見ると、日本経済を根底からダメにするような気がしてならない。
毎年10万人、英語が堪能な生徒・大学生を創りたいなら、まったく別の戦略があるだろう。でも、それは他のものを犠牲にして成り立つ。よくよくバランスを考えるべきだ。
<余談1:仕事と英会話能力>
産業用・軍事用エレクトロニクス専門輸入商社や臨床検査最大手のSRLで働いたが、英語のできる人間は専門能力に秀でた者がすくない。英語の勉強に時間を奪われ、専門分野の勉強が疎かになったのではないかと思う。社内でも「英語ができます」では通用しない、それが民間企業の現実です。
英語が不要と言っているのではありませんよ。専門能力に秀でたうえで英語の能力もしっかし育むべきだと言ってます。そんな人材は5%もいれば十分です。3割の人間にそう言うことを要求してもムリな話です。
だいたい、専門能力に秀でた人材は1%もいないでしょ。1000人に一人ぐらいなものです。
気がついた範囲で内容を見ると、2年生で現在完了形と受動態が導入された。昨年までは3年生の範囲である。現在完了進行形も2年生の教科書に載っている。継続用法では現在完了進行形の方が自然だから、これは改善点と言っていい。3年生の教科書ではで仮定法過去が説明されている。いままでは高校2年生の教科書で扱ってきた項目である。過去完了形は中学の教科書には今まで通り収録されていないから、当然、仮定法過去完了も中学校の教科書では扱っていない。
英文の分量が増えたのも大歓迎です、収録された英文は20%くらい増えているのではないだろうか?
では、根室の中学校の英語教育がどうなっているのか、学力テストの平均点数から判断してみたい。
根室の市街化地域の中学生3年生の英語学力テストの平均点は20点前後(60点満点)であるから、半数の生徒が百点満点換算で33点以下である。2/3の生徒は英語が苦手と判断していい。英語教科書の内容が充実すればするほど、理解できないことを原因とした英語嫌いが増えるだろう。根室の市街化地域の中学校は四月から2校に統合されたが、難易度が下がらなければ、教える内容が増えるから学力テストの平均点はさらに下がる。現在すでに釧路根室管内で最低レベルなのだ。2019年の学力テスト総合Aのデータでは、釧路根室管内18校の内、英語の平均点が20点以下なのは四校のみ。中標津中と標津中と根室の市街化地域の中学校だけ。
*
#4099 学力テスト総合A18校科目別データ Oct. 11, 2019
#4516 学力テストの五科目合計平均値167.4点/500点満点 Mar. 25, 202
残念なことだが、小学生の時に英語の塾へ通ったか否かということは、中学生や高校生いなってから、英語の得手不得手に関係がない。上位10%くらいの生徒は英語塾に行こうが行くまいが、英語の成績がいいし、中位くらいの生徒は、早期に英語教育をしてもアレルギーを起こすだけのケースが多い。それでも、音読トレーニングに毎日時間を15分費やせば、だれでも英語はできるようになる。しかし、そういう努力のできる人間は10%がせいぜいだ。とくに男子生徒にはそういう坦々とした努力が苦手な者が多い。男の脳は女よりも容積が多く、重さも大きいいが、単調な作業を繰り返すことには向いていないようにできている。そういう風に進化してきたのだから受け入れるしかない。
英語と日本語は語順が違うから、大量に音読しないと英語の語順に意識が切り替わらない。そして、日本国内では日本語で日常生活もできるし、優良企業へも就職できる。英語が堪能なら海外支店を数か所回って出世コースなんてことは40年も前に消滅している。本社エリートは出世コースを外れるので海外勤務を嫌がる時代だ。
文科省は英語力のアップに教育政策の舵を切ったようだが、何を目的としているのか明確にする必要がある。外交交渉できるだけの英語力の人材を例えば毎年1000人欲しいとか、国際企業で英語を使って働ける人材を毎年10万人輩出したいとか、そういう具体的な目標があってそれを実現するために長期の戦略策定があり、それに基づいて国の教育政策が決められるのが当然だろう。
こんな小手先のことでそういう人材が多数輩出できるとは思わない、おそらく段階的にレベルを上げていくつもりなのだろう。読む量が少なすぎるから、次の段階では現在の教科書の3倍は欲しい。
英語が成績をアップするのに時間のかかる科目であることはコンセンサスがあると思う。音読トレーニングに毎日時間を費やさないとものにはならない。英会話のトレーニングはお稽古事の一つだろう。
スマホで時間をとられているだけでも子どもたちの読書時間や読書時間が奪われており、そういう中で英語の勉強にさらに費やす時間を増やさないといけないとしたら、他の科目が疎かになるのはモノの道理だ。
半数の中高生が英会話ができるようになったときには、国語や算数や数学は一体どうなっているのだろう。英語が喋れるが、日本語や数学や理系の科目ができない、そういう人間が大量生産されることになる。
英語が喋れたら日本人は国際的な舞台で他国の人間と張り合ってやっていけるのか?「英語が喋れます」で採用してくれるグローバル企業はない。専門分野で何ができるかが採用のポイントである。
文科省の英語教育政策の方針転換は長期的に見ると、日本経済を根底からダメにするような気がしてならない。
毎年10万人、英語が堪能な生徒・大学生を創りたいなら、まったく別の戦略があるだろう。でも、それは他のものを犠牲にして成り立つ。よくよくバランスを考えるべきだ。
<余談1:仕事と英会話能力>
産業用・軍事用エレクトロニクス専門輸入商社や臨床検査最大手のSRLで働いたが、英語のできる人間は専門能力に秀でた者がすくない。英語の勉強に時間を奪われ、専門分野の勉強が疎かになったのではないかと思う。社内でも「英語ができます」では通用しない、それが民間企業の現実です。
英語が不要と言っているのではありませんよ。専門能力に秀でたうえで英語の能力もしっかし育むべきだと言ってます。そんな人材は5%もいれば十分です。3割の人間にそう言うことを要求してもムリな話です。
だいたい、専門能力に秀でた人材は1%もいないでしょ。1000人に一人ぐらいなものです。
<余談2:海外見学のお客様対応他>
購買課からSRL学術開発本部へ異動したときに、製薬会社との検査試薬の共同開発の仕事(開発部マター)とSRL八王子ラボ見学対応の仕事を直属の上司の担当取締役が振ってきた。ラボ顕対応は学術情報部の仕事で、ほとんどが国内の大学病院からの見学者だったが、海外の製薬メーカーからも見学要望があるので、そちらをわたしの仕事にしたかったようだ。ラボ見学対応は3名のベテラン社員、八王子ラボで3000項目の検査をしていたから、各検査部、検査課を回って説明するのは検査やシステムや統計学などの幅の広い専門知識が必要な仕事だった。
海外からの見学には同行者に通訳がいることが条件だったが、日本語で通訳に説明しても検査の知識の専門知識のないケースが往々にしてある。そういう時は通訳に変わってわたしが英語で説明していた。すると、同行している通訳に「ebisuさん人が悪いな」なんて言われる。通訳につまるところはだいたい決まっているから、英作文して覚えているのでできるだけ、英会話のトレーニングはしていないので日常会話はできませんと答えていた。民間企業では仕事で日常英会話スキルなんて必要ないのですよ。そんなレベルでは通用しません。専門能力が先なのです、そのうえで、英語で説明できたら十分です。
システム開発関係の専門書は1/4くらいは原書で読みました。時代の最先端でシステム開発の仕事をしていると、翻訳書がないのです。出版されたばかりの原書を読んですぐに使うしかないのです。検査試薬の共同開発の仕事は最新の専門雑誌を読まないといけません。20種類くらい定期購読してました。図書室担当の女性社員の面倒をお前が見ろと取締役に言われていたので、わたしの管轄下ですから、仕事に暇ができると入り浸って読んでました。購買課勤務のときからそうしてましたね。
国際金融機関のベルトハイムシュローダーが米国の出生前診断の検査会社の案件をもってきたときには私が対応しました。話を聞いて理解できる社員はSRLでは私だけでしたから。だれもそっちの方面の専門能力がありません。輸入商社の時代に原書で管理会や会計情報システムの最先端の本を読んでいたので、手の内が全部見えました。10年前に管理会計や経営分析の最先端の専門書を原書で読んで、実際の経営改善に利用していましたが、そのままでした。100頁以上ある資料を見ながら、気になる点を質問してメモし、3日間で稟議書を作成しました。1億ドルの案件でしたね。仕事ですから、「専門能力+英語の能力」で初めて有効な武器となります。英語だけできますでは仕事にならないのです。
民間会社では、英語ができますでは、使い物にならない。それは40年前も現在も一緒でしょう。米国だって同じです。英語が喋れますで、年収の高い仕事がありますか?
仕事で通用するような英語力なんて1000人に一人いたら十分ですよ。余裕を見てその10倍裾野が必要なら、100人に一人、1%で十分でしょ。いませんよ、そんな能力のもち主は100人に一人なんて現れっこありません。だから、文科省の英語教育政策の変更は絵に描いた餅、足元を見ていない幻想です。
やらなきゃわからないというなら、もっと徹底して10年間、英語の教科書を3倍くらいの分量にして様子をみたらいい。日本経済の未来に暗雲が広がります。まあ、10年間のロスぐらいで済むならしかたない。反省踏まえて、しっかりした教育政策を立案すればいい。
<余談3:植民地や韓国との違い>
米国の植民地だったフィリピンは英語ができないといい仕事に就けません。だから、いい仕事に就きたければ英語で仕事できなきゃいけません。日本にはそんな事情はないのです。
韓国は日本の植民地にはなりましたが、欧米の植民地ではないので事情が異なります。韓国でいい就職先は、財閥系の巨大企業と記入帰還ぐらいなものです。金融機関はとっくに外資に乗っ取られてますから、英語が操れないと出世コースに乗れません、必死ですね。ところでサムスン電子の外資比率知ってますか?49%ですよ。韓国最大の銀行である国民銀行は85%です。だから、すでに韓国の企業ではないのです。出世したければ英語は必須のアイテムです。
日本もいまのままでは早晩、韓国の後を追うことになるでしょう。株式の時価評価基準への変更が引き金を引きました。一部上場企業の外資比率は平均ですでに2割くらいあるのかな。2016年の統計によれば35社が外資比率50%超の会社になっています。ソニーや三井不動産はもう日本の会社ではありません。日本航空も2013年に50%を超えているようです。
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購買課からSRL学術開発本部へ異動したときに、製薬会社との検査試薬の共同開発の仕事(開発部マター)とSRL八王子ラボ見学対応の仕事を直属の上司の担当取締役が振ってきた。ラボ顕対応は学術情報部の仕事で、ほとんどが国内の大学病院からの見学者だったが、海外の製薬メーカーからも見学要望があるので、そちらをわたしの仕事にしたかったようだ。ラボ見学対応は3名のベテラン社員、八王子ラボで3000項目の検査をしていたから、各検査部、検査課を回って説明するのは検査やシステムや統計学などの幅の広い専門知識が必要な仕事だった。
海外からの見学には同行者に通訳がいることが条件だったが、日本語で通訳に説明しても検査の知識の専門知識のないケースが往々にしてある。そういう時は通訳に変わってわたしが英語で説明していた。すると、同行している通訳に「ebisuさん人が悪いな」なんて言われる。通訳につまるところはだいたい決まっているから、英作文して覚えているのでできるだけ、英会話のトレーニングはしていないので日常会話はできませんと答えていた。民間企業では仕事で日常英会話スキルなんて必要ないのですよ。そんなレベルでは通用しません。専門能力が先なのです、そのうえで、英語で説明できたら十分です。
システム開発関係の専門書は1/4くらいは原書で読みました。時代の最先端でシステム開発の仕事をしていると、翻訳書がないのです。出版されたばかりの原書を読んですぐに使うしかないのです。検査試薬の共同開発の仕事は最新の専門雑誌を読まないといけません。20種類くらい定期購読してました。図書室担当の女性社員の面倒をお前が見ろと取締役に言われていたので、わたしの管轄下ですから、仕事に暇ができると入り浸って読んでました。購買課勤務のときからそうしてましたね。
国際金融機関のベルトハイムシュローダーが米国の出生前診断の検査会社の案件をもってきたときには私が対応しました。話を聞いて理解できる社員はSRLでは私だけでしたから。だれもそっちの方面の専門能力がありません。輸入商社の時代に原書で管理会や会計情報システムの最先端の本を読んでいたので、手の内が全部見えました。10年前に管理会計や経営分析の最先端の専門書を原書で読んで、実際の経営改善に利用していましたが、そのままでした。100頁以上ある資料を見ながら、気になる点を質問してメモし、3日間で稟議書を作成しました。1億ドルの案件でしたね。仕事ですから、「専門能力+英語の能力」で初めて有効な武器となります。英語だけできますでは仕事にならないのです。
民間会社では、英語ができますでは、使い物にならない。それは40年前も現在も一緒でしょう。米国だって同じです。英語が喋れますで、年収の高い仕事がありますか?
仕事で通用するような英語力なんて1000人に一人いたら十分ですよ。余裕を見てその10倍裾野が必要なら、100人に一人、1%で十分でしょ。いませんよ、そんな能力のもち主は100人に一人なんて現れっこありません。だから、文科省の英語教育政策の変更は絵に描いた餅、足元を見ていない幻想です。
やらなきゃわからないというなら、もっと徹底して10年間、英語の教科書を3倍くらいの分量にして様子をみたらいい。日本経済の未来に暗雲が広がります。まあ、10年間のロスぐらいで済むならしかたない。反省踏まえて、しっかりした教育政策を立案すればいい。
<余談3:植民地や韓国との違い>
米国の植民地だったフィリピンは英語ができないといい仕事に就けません。だから、いい仕事に就きたければ英語で仕事できなきゃいけません。日本にはそんな事情はないのです。
韓国は日本の植民地にはなりましたが、欧米の植民地ではないので事情が異なります。韓国でいい就職先は、財閥系の巨大企業と記入帰還ぐらいなものです。金融機関はとっくに外資に乗っ取られてますから、英語が操れないと出世コースに乗れません、必死ですね。ところでサムスン電子の外資比率知ってますか?49%ですよ。韓国最大の銀行である国民銀行は85%です。だから、すでに韓国の企業ではないのです。出世したければ英語は必須のアイテムです。
日本もいまのままでは早晩、韓国の後を追うことになるでしょう。株式の時価評価基準への変更が引き金を引きました。一部上場企業の外資比率は平均ですでに2割くらいあるのかな。2016年の統計によれば35社が外資比率50%超の会社になっています。ソニーや三井不動産はもう日本の会社ではありません。日本航空も2013年に50%を超えているようです。
#4530 NHKラジオ英語講座と文科省の英語教育政策大転換について April 26, 2021
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#4517 教育政策におけるグローバリズムとリージョナリズム考 Mar. 26, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
<更新年月日>3/27午前10:21 大きな問題は目指すべき国家観や目指すべき具体的な経済社会のビジョンがないこと&「糸の切れた凧」について
地域主義(regionalism)という考えが世に現れたのは1970年代である。グローバリズムや中央集権に対立する概念として提示された。
玉野井芳郎『地域主義』学陽書房(1978年刊)の第一章に増田四郎先生(西洋経済史・元一橋大学学長)の「1.地域主義の展開」p.21-39が載っている。この前年に院生3人で相談して大学院の特別講義を増田先生にお願いしたが、その時に先生が選んだテクストがリスト『経済学の国民的体系』だった。ドイツがどのように国民国家を形成したのか、その国民国家成立過程を分析した書である。増田先生はこの本をリージョナリズムという文脈で読んでいたのだと思う。雑談のときにリージョナリズムがなんどか話題に出てはいた。増田さんから本の出ることは聞いていた、だから、玉野井さんが編集したこの本が出たときにすぐに買ったのだ。
地域主義(regionalism)という考えが世に現れたのは1970年代である。グローバリズムや中央集権に対立する概念として提示された。
玉野井芳郎『地域主義』学陽書房(1978年刊)の第一章に増田四郎先生(西洋経済史・元一橋大学学長)の「1.地域主義の展開」p.21-39が載っている。この前年に院生3人で相談して大学院の特別講義を増田先生にお願いしたが、その時に先生が選んだテクストがリスト『経済学の国民的体系』だった。ドイツがどのように国民国家を形成したのか、その国民国家成立過程を分析した書である。増田先生はこの本をリージョナリズムという文脈で読んでいたのだと思う。雑談のときにリージョナリズムがなんどか話題に出てはいた。増田さんから本の出ることは聞いていた、だから、玉野井さんが編集したこの本が出たときにすぐに買ったのだ。
面白いと思ったのは、アーサー・ケストラーの『ホロン革命』である。ホロン(全体子)という概念の提示である。人体にたとえると「人体という全体を構成する要素(部分)である細胞も、各々全体としての構造、機能をもっており、ホロンであると言える」ということ。部分も全体の構造をもつのだ。これを視覚的に表現したのがマンデルブロ集合(Mandelbrot set)である。
他にもいくつか載っているのでご覧いただきたい。これは複素数列の漸化式で表せる。
--------------------------------------
--------------------------------------
次の漸化式
で定義される複素数列 {zn}n∈N∪{0} が n → ∞ の極限で無限大に発散しないという条件を満たす複素数 c 全体が作る集合がマンデルブロ集合である[1]。
-------------------------------------- わたしがこの図に興味をもったのはJames Gleick"CHAOS" (1987年) p.114-115を手にしたときである。じつにわかりやすい図だなと感じた。譬喩にも利用できる。
私の提唱する「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」&「職人を中心とした経済社会」の視覚化イメージとして使いたい。言葉だけで説明するのは経済学者に対してすらとってもむずかしい。(笑)
しかし、この集合はだれにでも理解できる。 この図のどこを拡大しても次々に無限に同じパターンの図が現れる。微小な中に元の全体が無限に繰り返されているから漸化式で表せるのである。
日本が目指すべきは、世界規模での中央集権=グローバリズムではなく、地域分権を可能ならしめる地域主義である。それは、工場労働=苦役という公理に基づく演繹体系であるマルクス『資本論』へのアンチテーゼでもある。職人仕事を体系の公理に据えると、まったく別の経済学と経済社会が展望できる。
(経済学体系の演繹的構造に関する分析はとっくに済ませてあるから、公理の変更によって新しい経済学を建設可能なことが証明されている。経済学体系の演繹的構造について論究した経済学者は世界中を見渡しても他にはいない。自然数の演繹モデルなんて言ってもなんのことかちんぷんかんぷんの経済学者ばかりだ。30年後を考えても無理だろうね、経済学者に数理論理学の素養をもった人材やユークリッド『原論』の研究者がいないからだ。微分積分や線形代数しかやっていないようでは理論経済学の土俵には上がれない。)
グローバリズムはGAFAのような超巨大企業があらゆる産業をその支配下に置き、経済格差を拡大していく。
グローバリズムのアンチテーゼは、分権主義、地域主義である。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」と職人仕事を中心に据えた経済社会を創り上げることで、グローバリズムは阻止できる。日本は21世紀を経済社会の転換点ととらえるときに、大きな役割が果たせる位置にいる。数百年間「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という倫理でビジネスをやってきた企業がたくさんある。創業200年を超える会社の65%が日本に集中している。1340社あるが、浮利を追わず信用を第一に商売をしてきたからだ。寺社建設の企業である株式会社金剛組が世界最古の企業である。創業578年だから今年1443周年を迎える。
何が問題かというと、どのような経済社会を目指すのかというビジョンがないことだ。教育政策はそうしたビジョンを実現するための長期的戦略に基づいて立案されるべきものだからである。めざす経済社会という具体的なビジョンを欠いて教育政策を立案すれば、結果はどこへ飛んでいくのかわからぬということになる。これは文科省というよりも政治の責任だろう。国会でどのような経済社会を目指すのか、議論すべきなのだが、そうした議論がまったくない。ここまで書くと、日銀のゼロ金利政策を勧めた浜田宏一内閣参与や私的利益のために経済政策を利用した竹中平蔵なんて経済学者がいかにダメか、ダメな理由がわかるだろう。竹中平蔵と菅義偉総理は同じ穴の狢といえよう。両方ともに国家観がなく、私的利益しか眼中にない点で共通している。優秀な文部官僚にはお気の毒だが、国家観や目標とすべき経済社会のビジョンを欠いた教育政策は糸の切れた凧のようなもの。
そのビジョンを欠いた教育政策の飛んでいく先について思うところを書いておく。
いま、日本の文教行政はグローバリズムに舵を切りつつある。小学校では英語が正規の科目となるし、中学校の英語は小学校の英語教育の変更を受けてレベルがアップするようだ。韓国に比べてTOEICなどのスコアが低いので、追いつき追い越せということなのだろう。滑稽だ。GAFAのような巨大企業へ就職することが理想となる。それはGAFAを人材面で強化することになりかねない。
現実を見ると、国語の能力が著しく落ちた。スマホの普及で子どもたちの読書習慣は絶滅の危機にある。語彙能力が落ちれば、細かいニュアンスが日本語で伝えられなくなる。小学校で英語が教科として組み入れられる。国語能力はますます落ちていくだろう、それは国力衰退の素だ。
国際的なビジネスの場で通用する英語能力は英検なら1級、TOEICなら900点超である。それですら5年以上もトレーニングを積まないと、日本語で表現するようなニュアンスのコミュニケーションはできない。そして英語だけの単機能人間の活躍する場はとっても小さい。
そんなことが(マルチ能力=専門能力+語学力)可能になる人材はどれほどいるのか?必要なのは人口の1%未満である。いまそのような人材は人口の0.1%もいないだろう。
私の提唱する「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」&「職人を中心とした経済社会」の視覚化イメージとして使いたい。言葉だけで説明するのは経済学者に対してすらとってもむずかしい。(笑)
しかし、この集合はだれにでも理解できる。 この図のどこを拡大しても次々に無限に同じパターンの図が現れる。微小な中に元の全体が無限に繰り返されているから漸化式で表せるのである。
日本が目指すべきは、世界規模での中央集権=グローバリズムではなく、地域分権を可能ならしめる地域主義である。それは、工場労働=苦役という公理に基づく演繹体系であるマルクス『資本論』へのアンチテーゼでもある。職人仕事を体系の公理に据えると、まったく別の経済学と経済社会が展望できる。
(経済学体系の演繹的構造に関する分析はとっくに済ませてあるから、公理の変更によって新しい経済学を建設可能なことが証明されている。経済学体系の演繹的構造について論究した経済学者は世界中を見渡しても他にはいない。自然数の演繹モデルなんて言ってもなんのことかちんぷんかんぷんの経済学者ばかりだ。30年後を考えても無理だろうね、経済学者に数理論理学の素養をもった人材やユークリッド『原論』の研究者がいないからだ。微分積分や線形代数しかやっていないようでは理論経済学の土俵には上がれない。)
グローバリズムはGAFAのような超巨大企業があらゆる産業をその支配下に置き、経済格差を拡大していく。
グローバリズムのアンチテーゼは、分権主義、地域主義である。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」と職人仕事を中心に据えた経済社会を創り上げることで、グローバリズムは阻止できる。日本は21世紀を経済社会の転換点ととらえるときに、大きな役割が果たせる位置にいる。数百年間「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という倫理でビジネスをやってきた企業がたくさんある。創業200年を超える会社の65%が日本に集中している。1340社あるが、浮利を追わず信用を第一に商売をしてきたからだ。寺社建設の企業である株式会社金剛組が世界最古の企業である。創業578年だから今年1443周年を迎える。
何が問題かというと、どのような経済社会を目指すのかというビジョンがないことだ。教育政策はそうしたビジョンを実現するための長期的戦略に基づいて立案されるべきものだからである。めざす経済社会という具体的なビジョンを欠いて教育政策を立案すれば、結果はどこへ飛んでいくのかわからぬということになる。これは文科省というよりも政治の責任だろう。国会でどのような経済社会を目指すのか、議論すべきなのだが、そうした議論がまったくない。ここまで書くと、日銀のゼロ金利政策を勧めた浜田宏一内閣参与や私的利益のために経済政策を利用した竹中平蔵なんて経済学者がいかにダメか、ダメな理由がわかるだろう。竹中平蔵と菅義偉総理は同じ穴の狢といえよう。両方ともに国家観がなく、私的利益しか眼中にない点で共通している。優秀な文部官僚にはお気の毒だが、国家観や目標とすべき経済社会のビジョンを欠いた教育政策は糸の切れた凧のようなもの。
そのビジョンを欠いた教育政策の飛んでいく先について思うところを書いておく。
いま、日本の文教行政はグローバリズムに舵を切りつつある。小学校では英語が正規の科目となるし、中学校の英語は小学校の英語教育の変更を受けてレベルがアップするようだ。韓国に比べてTOEICなどのスコアが低いので、追いつき追い越せということなのだろう。滑稽だ。GAFAのような巨大企業へ就職することが理想となる。それはGAFAを人材面で強化することになりかねない。
現実を見ると、国語の能力が著しく落ちた。スマホの普及で子どもたちの読書習慣は絶滅の危機にある。語彙能力が落ちれば、細かいニュアンスが日本語で伝えられなくなる。小学校で英語が教科として組み入れられる。国語能力はますます落ちていくだろう、それは国力衰退の素だ。
国際的なビジネスの場で通用する英語能力は英検なら1級、TOEICなら900点超である。それですら5年以上もトレーニングを積まないと、日本語で表現するようなニュアンスのコミュニケーションはできない。そして英語だけの単機能人間の活躍する場はとっても小さい。
そんなことが(マルチ能力=専門能力+語学力)可能になる人材はどれほどいるのか?必要なのは人口の1%未満である。いまそのような人材は人口の0.1%もいないだろう。
仮に国際的な場でビジネスをしたり外交交渉のできる人間が人口の1%必要だとしよう。1億2300万人の1%は1230万人、根室市なら250人も英検1級以上の人材が居ることになる。生徒数10000人の大学なら100人そういうレベルの生徒が学んでいることになる。偏差値60の大学に限ってもそんな要件を満たせる大学がいまいくつあります?偏差値50以下の大学ではゼロでしょう。
そのような人材を育成するのに、小学校で教科に英語の導入が本当に必要だろうか?中学1年生から基本動詞の過去分詞形の学習が必要だろうか?
全員が高度な英語運用能力を身につける必要もないし、人間の能力という点からみても幻想です、肝心の足元が見えてない議論です。みんなが英語が得意になるわけがない、ハードルを上げてしまうのでこの制度変更で英語が嫌いになる生徒が確実に増えます。必要なのは1%以下ですから、一部の生徒だけでいいのです。だから、義務教育でこんなに英語に力を入れる必要はありません。大学入試で選抜するためなら、英検2級で十分でしょ。英語で自在にコミュニケーションできる人材を育てたいなら、英検準1級取得を課したコースを国公立大につくったらよろしい。そういう生徒には授業はオールイングリッシュとすればいい。旧帝大と偏差値の高い私大へそういう選択コースを設けるだけで十分目的が果たせます。採算が合うなら(つまり集団授業ができるほど生徒が集められるなら)私大でもそういうコースを設置する大学が続々と出てきます。ほとんどの学生は英語はほどほど、専門分野の知識をしっかり培ったらいい。国力の礎はそちらの方です。
実は大きな問題がもう一つあります。国際的なビジネスの場で必要なのは英語でのコミュニケーションよりもビジネスの能力そのものです。つまり、その人の持つ専門能力が問われます。「英検1級合格してます英語が喋れます」でGAFAは雇いませんよ。笑われますよ。文科省は大きな勘違いをしていませんか?インド工科大学へGAFAの求人が殺到しています、それは厳しい競争を勝ち抜いて、大学でさらに専門分野を極めた学生が多いから、つまり専門能力に秀でている学生が世界一多いからです。外交の場なら、英語でのコミュニケーションよりは外交問題の分析能力と対応策の立案能力、そしてそれを実現する胆力と論理的な反駁能力が重視されるでしょう。わたしは産業エレクトロニクス専門輸入商社や業界ナンバーワンの臨床検査会社に勤務してきましたが、英語ができるだけの人はいいように使われるだけ、出世コースには乗れませんし仕事の専門能力やマネジメント能力の面で弱点を抱えている人が多かった。民間企業ではマルチ能力の人材がもう40年も前から求められています。3~5分野を自在に歩けるような仕事人は希少人材です。絶対的に不足しているのはそういう人材です。現行の教育制度がそういう人材を育てるのに適していないからですよ。理系だ文系だなんて区分はビジネスの尖端分野ではとっくに垣根が消滅しています。「教育村」の中だけで議論していると、こういう社会のニーズ変化に気がつかないことはありませんか?
根室の市街化地域の中学校で考えると半数は英語で落ちこぼれています。「落ちこぼれ」をどう定義するかにもよりますが、実際には6-9割の生徒が落ちこぼれています。市街化地域にある根室市立啓雲中学校の2月3日の学力テストで、1年生の英語のテストを「得点通知票」で見ると、英語が81点以上は27人中3人だけです。簡単な問題のテストですから60点以下の18人(66.6%)はすでに落ちこぼれていると判断していいでしょう。
それよりもっと大きな問題は国語の平均点が41.0点であること。半数の生徒が知的な大人と会話が成り立たない、あるいは先生が授業で使う語彙を頭の中で適切な漢字に変換できない、つまり授業が理解できない語彙力レベルです。国語はすべての科目の土台をなしています。今どの科目に深刻な問題が生じているかはこの学力テストデータだけでもわかるし、国立情報学研究所の新井紀子氏の研究でも同じ問題が指摘されています。
大半の生徒が小学校で英語アレルギーとなり中高で苦労することになります。小学校時代に英語の塾へ通った者生徒たちの中で、モノにできたのは1-2割くらいなもの。すっかりアレルギーになった子どもたちのなんと多いことだろう。それを元に戻すにはたいへんな努力がいるのが現実。
ニムオロ塾で今春卒業した高3の生徒8人の内、英語が得意だった生徒は国立旭川医大に現役合格した1人のみ。男子4人と女子一人はすっかりアレルギー症状を起こしてました。残りの女子3名にも英語が得意な生徒はいませんでした。小学校時代に英語塾へ通ったことのあるのは5名いました。アレルギーの生徒たち5名には2年生のときと3年生の秋に、2時間合計16回ほど長文読解トレーニングをしてようやく受験に間に合わせています。12月になって「先生、簡単な長文ならだいぶ解るようになりました」と過去問解いている生徒から反応があってほっとしました。
今般の小中学校のカリキュラム変更と大学入試制度変更(6教科30科目からプログラミングを加えて7教科21科目へ)後は、もっと厳しい現実が待っています。
地方の低学力層は切り捨てになるでしょう。
学力格差が広がり、低学力層が肥大化します。その低学力層を受け入れる企業はあまり国内に残っていません。工場の多くはもう40年以上も前から海外移転してます。低学力層が増えるのに、それを受け入れる企業が国内にはほとんどありません。社会不安を助長します。健全な経済社会や安定した社会に寄与するのは教育政策の重要な目標の一つです。
日本の教育政策が目標とすべきは、グローバリズムを後押しすることではなく、分権と地域主義と「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の両立が可能な経済社会の建設のために必要な人材を創り出すことにあります。あらゆる産業が揃っている日本しか、そういうことがやれる国はなさそうに見えます。
日本は新しいタイプの経済社会の見本を創って見せることで、21世紀の人類に大きな貢献ができます。少し遠くまで見つめて考えませんか?
*4516 学力テストの五科目合計平均点167.4点/500点満点
*#2386『学力危機 教育で地域を守れ北海道』:本の紹介 Aug.29, 2013
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政治経済学の国民的体系―国際貿易・貿易政策およびドイツ関税同盟 (1965年)
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- 発売日: 2021/03/26
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3/28朝のNHKラジを番組を聴いていたら、中村敦彦『日本が壊れる前に』を材料に著者本人へインタビューをしていた。
いまや普通の主婦や女子大生が風俗で働いているという。そしてコロナ禍でその1/3が仕事がないそうだ。なぜ、女子大生が昼は学校へ行き、夜は風俗で仕事しているのか、お金がないからだ。
非正規雇用で平均賃金をもらっている人ですら、風俗やらないと食べていけない状況だと著者の中村氏は述べていた。こんな経済社会でいいはずがない。「コロナ禍で貧困が可視化」したという。
貸付金方式の奨学金や大学の乱立、そして進学率のアップも関係があるだろう。機会があったら、この本を採り上げてみたい。
いまや普通の主婦や女子大生が風俗で働いているという。そしてコロナ禍でその1/3が仕事がないそうだ。なぜ、女子大生が昼は学校へ行き、夜は風俗で仕事しているのか、お金がないからだ。
非正規雇用で平均賃金をもらっている人ですら、風俗やらないと食べていけない状況だと著者の中村氏は述べていた。こんな経済社会でいいはずがない。「コロナ禍で貧困が可視化」したという。
貸付金方式の奨学金や大学の乱立、そして進学率のアップも関係があるだろう。機会があったら、この本を採り上げてみたい。
#4491 勉強しろとなぜ親は言うのか Feb. 25, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
<更新情報>2/26朝9時、余談追記
親が子どもに勉強しろと小言をいうのは、大人になり、子どもを持つ頃になって、勉強しなかったことを悔いているからだと喝破したのは、かのビリギャル小林さやかさん32歳である。なかなかユニークで鋭い感覚のもち主のようである。
23日の朝、7時半ころからのNHKラジオ番組で、教育学者の岩井先生と元ビリギャルとアナウンサーが「勉強」や「学び」について対話していた。
そもそも勉強とは何のためにやるのかということがメインテーマであった。岩井さんが、電気自動車にたとえてうまいことを宣(のたま)う。知識とはバッテリーである、バッテリーがないと車は走れない。燃料が切れると充電しなけらばならないが、それは知識を入力するということ。そしてまた走る。車を走らせ続けるには「感動的な体験が必要」だという。もっともな話である。新しい知識や思考様式に出遭うのは愉しい、ドキドキワクワクするから恋愛のようなものだ。(笑)
勉強は受験勉強に見られるように一定の思考の型を身につけるものだ。ピアジェはそれをスキーマと言ったとは元ビリギャルさん。わたしはピアジェは読んだことがないし、本棚にもピアジェの本は一つもない。雑誌現代思想には載っていたかもしれない。ネットで検索すればおおよそのことはわかる。観察的経験からはなるほどとうなずける。
考えずに解法を覚えるだけの受験勉強は何年間も続けたらそうした学習スタイルが身についてしまうようで、難関大学卒に多く見られるタイプである。原理までさかのぼって考えて問題演習をしていたら、非効率で受験に間に合わぬ場合が多いからだろう。だが、それでも本を読み、自力で原理までさかのぼって思考するのは大切なことなのである。そういう思考のスキーマが高校卒業までにしっかり身についていれば、大学生となってからもそういうスキーマで学ぶし、社会人となってもそのスキーマは変わらない。だから仕事で大きな成果が出せる。仕事に正解はないのだから、解法を記憶するような学び方が身についてしまったら、大きなマイナスとなるのだ。
(ピアジェの言うスキーマは、新しい知識を入力するたびに脳にため込まれた知識体系が変容するものであるようだ。わたしが言いたいのは知識体系ではなくて、思考の鋳型で、思春期が終わるともうそれはほどんど変わらないというのが観察による事実である。もちろん知識と思考の間には関連がある。)
思考のベースに知識があると仮定したら、知識のないのは大問題で、たとえばマルクス『資本論』の体系構成に関する方法を研究するのに、ユークリッド『原論』や数学史や数理論理学を学ばなければ、理解はまったく及ばない。そういう知識を欠いた過去の価値論論争は見るべき価値がない。資本論の骨格は演繹的体系である。自然数の公理的なモデルを想起してもらえばいい。
『資本論』には四則演算しか出てこない、+-×÷だけの世界だ。微分積分は出てこない。大学生のときに資本論を全巻通して読み微分積分が出てこないことに違和感が残った。『経済学批判要綱』(全6冊)にも微分積分は出てこない。
ライプニッツやニュートン(1624年生まれ)はマルクス(1818年生まれ)よりも200年も前の人である。マルクス『数学手稿』を読んで長年の疑問が氷解した。マルクスの数学学習ノートであるこの本には微分が出てくる。マルクスは微分の意味が理解できなかった、数学音痴の人であったことが明白。だから、ユークリッド『原論』も数学史も勉強していない。数学アレルギーの人。微分積分の向こう側へ踏み入らなければならなかったのに、入り口にも立たぬうちに理解力不足であきらめた。だから、デカルト『方法序説』も視野の外にある。どちらも演繹的体系構成、演繹モデル構築を扱っているのに、この分野では三流人のヘーゲル弁証法にしがみついてしまった。
学問の体系構成で一番古いものはユークリッド『原論』である。そこを見過ごし、当時流行のヘーゲル弁証法を使った。まともな体系が叙述できるわけがなく、『資本論第一巻』を書き上げてヘーゲル弁証法適用の破綻に気がつき、それ以降沈黙を守った。世界中に共産主義運動をあおった当のご本人が、いまさら方法論を誤ったとは言えなかったのだろう。気の毒な晩年である。
このように、適切な知識がないとやれない仕事がある。好奇心に任せてひろく漁って身につけた知識を教養というのだろう。
ところで、ビリギャルとそれを本にして商売の道具にした塾の先生がいる。120万部も売れたのだから数億円の儲けが出ただろう。
ところが、偏差値30から慶応大へ合格したというキャッチコピーを、予備校講師の林修先生がばっさり切り捨てている。
*林修氏「『ビリギャル』なんてまったく感動しない」発言! 暴露されている「ビリギャルの真相」と「ガタガタ内情」に嫌悪感? - GJ (biz-journal.jp)
親が子どもに勉強しろと小言をいうのは、大人になり、子どもを持つ頃になって、勉強しなかったことを悔いているからだと喝破したのは、かのビリギャル小林さやかさん32歳である。なかなかユニークで鋭い感覚のもち主のようである。
23日の朝、7時半ころからのNHKラジオ番組で、教育学者の岩井先生と元ビリギャルとアナウンサーが「勉強」や「学び」について対話していた。
そもそも勉強とは何のためにやるのかということがメインテーマであった。岩井さんが、電気自動車にたとえてうまいことを宣(のたま)う。知識とはバッテリーである、バッテリーがないと車は走れない。燃料が切れると充電しなけらばならないが、それは知識を入力するということ。そしてまた走る。車を走らせ続けるには「感動的な体験が必要」だという。もっともな話である。新しい知識や思考様式に出遭うのは愉しい、ドキドキワクワクするから恋愛のようなものだ。(笑)
勉強は受験勉強に見られるように一定の思考の型を身につけるものだ。ピアジェはそれをスキーマと言ったとは元ビリギャルさん。わたしはピアジェは読んだことがないし、本棚にもピアジェの本は一つもない。雑誌現代思想には載っていたかもしれない。ネットで検索すればおおよそのことはわかる。観察的経験からはなるほどとうなずける。
考えずに解法を覚えるだけの受験勉強は何年間も続けたらそうした学習スタイルが身についてしまうようで、難関大学卒に多く見られるタイプである。原理までさかのぼって考えて問題演習をしていたら、非効率で受験に間に合わぬ場合が多いからだろう。だが、それでも本を読み、自力で原理までさかのぼって思考するのは大切なことなのである。そういう思考のスキーマが高校卒業までにしっかり身についていれば、大学生となってからもそういうスキーマで学ぶし、社会人となってもそのスキーマは変わらない。だから仕事で大きな成果が出せる。仕事に正解はないのだから、解法を記憶するような学び方が身についてしまったら、大きなマイナスとなるのだ。
(ピアジェの言うスキーマは、新しい知識を入力するたびに脳にため込まれた知識体系が変容するものであるようだ。わたしが言いたいのは知識体系ではなくて、思考の鋳型で、思春期が終わるともうそれはほどんど変わらないというのが観察による事実である。もちろん知識と思考の間には関連がある。)
思考のベースに知識があると仮定したら、知識のないのは大問題で、たとえばマルクス『資本論』の体系構成に関する方法を研究するのに、ユークリッド『原論』や数学史や数理論理学を学ばなければ、理解はまったく及ばない。そういう知識を欠いた過去の価値論論争は見るべき価値がない。資本論の骨格は演繹的体系である。自然数の公理的なモデルを想起してもらえばいい。
『資本論』には四則演算しか出てこない、+-×÷だけの世界だ。微分積分は出てこない。大学生のときに資本論を全巻通して読み微分積分が出てこないことに違和感が残った。『経済学批判要綱』(全6冊)にも微分積分は出てこない。
ライプニッツやニュートン(1624年生まれ)はマルクス(1818年生まれ)よりも200年も前の人である。マルクス『数学手稿』を読んで長年の疑問が氷解した。マルクスの数学学習ノートであるこの本には微分が出てくる。マルクスは微分の意味が理解できなかった、数学音痴の人であったことが明白。だから、ユークリッド『原論』も数学史も勉強していない。数学アレルギーの人。微分積分の向こう側へ踏み入らなければならなかったのに、入り口にも立たぬうちに理解力不足であきらめた。だから、デカルト『方法序説』も視野の外にある。どちらも演繹的体系構成、演繹モデル構築を扱っているのに、この分野では三流人のヘーゲル弁証法にしがみついてしまった。
学問の体系構成で一番古いものはユークリッド『原論』である。そこを見過ごし、当時流行のヘーゲル弁証法を使った。まともな体系が叙述できるわけがなく、『資本論第一巻』を書き上げてヘーゲル弁証法適用の破綻に気がつき、それ以降沈黙を守った。世界中に共産主義運動をあおった当のご本人が、いまさら方法論を誤ったとは言えなかったのだろう。気の毒な晩年である。
このように、適切な知識がないとやれない仕事がある。好奇心に任せてひろく漁って身につけた知識を教養というのだろう。
ところで、ビリギャルとそれを本にして商売の道具にした塾の先生がいる。120万部も売れたのだから数億円の儲けが出ただろう。
ところが、偏差値30から慶応大へ合格したというキャッチコピーを、予備校講師の林修先生がばっさり切り捨てている。
*林修氏「『ビリギャル』なんてまったく感動しない」発言! 暴露されている「ビリギャルの真相」と「ガタガタ内情」に嫌悪感? - GJ (biz-journal.jp)
理由の第一番目は慶応大SFCは英語と小論文のみの受験だからみっちり教えたら数人に一人は合格できること。二つ目は偏差値30から70へ+40アップという点にある。彼女は出身高校を明らかにしていないが、どうやら中高一貫校の名門進学校出身の生徒のようだ。名門の進学校ならその学校への入学時点の偏差値65は必要だ。どうやら偏差値30というのは校内偏差値のことで全国偏差値ではなさそうだ。なるほど林先生が「コメントするのも嫌」というわけだ。やってよいことと悪いことがある。
渋沢栄一は『論語と算盤』で「志」と「そろばん勘定」は二つが揃わないとビジネスとしてはダメだと言っている。目先の利益をむさぼることや、インチキを抑えるのは『論語』の素養、「人の道」と「モノの道理」である
林修氏は五教科7科目の東大へ合格なら宣伝文句通りで評価できると言っている。英語と小論文だけ、おまけに進学校の生徒なら何も特別な話ではない、仕掛けが透けて見える林先生には羊頭狗肉に感じたのだろう。
ビジネスで最も大事なことは嘘をつかぬことである。
道内企業で大きく発展している企業にツルハドラッグがある。鶴羽樹氏は次のように語っている。
「母であるヒサ子副社長(当時)から、「小売業は店あってこその小売業であり、そして店に置く商品がなくてはならない。だから店はいつもきれいにし、問屋さんを大切にし、同時に嘘(うそ)をつかない、約束を守ることが大切だ」と重ねて教えられたという。」
渋沢栄一は『論語と算盤』で「志」と「そろばん勘定」は二つが揃わないとビジネスとしてはダメだと言っている。目先の利益をむさぼることや、インチキを抑えるのは『論語』の素養、「人の道」と「モノの道理」である
林修氏は五教科7科目の東大へ合格なら宣伝文句通りで評価できると言っている。英語と小論文だけ、おまけに進学校の生徒なら何も特別な話ではない、仕掛けが透けて見える林先生には羊頭狗肉に感じたのだろう。
ビジネスで最も大事なことは嘘をつかぬことである。
道内企業で大きく発展している企業にツルハドラッグがある。鶴羽樹氏は次のように語っている。
「母であるヒサ子副社長(当時)から、「小売業は店あってこその小売業であり、そして店に置く商品がなくてはならない。だから店はいつもきれいにし、問屋さんを大切にし、同時に嘘(うそ)をつかない、約束を守ることが大切だ」と重ねて教えられたという。」
東京渋谷駅前の個人指導進学塾で院生のときに専任講師をしていたことがある。青山学院中等部と立教女学院へ合格した生徒がいた。彼女たちが中高一貫校へ進学してから不勉強で校内偏差値が30でも、最後の1年あれば慶応SFCへは合格できるだろう。そういう地頭のよい高学力の生徒が集まっているのが有名私立の進学校である。
<余談:慶応大学SFCは面白い>
総合政策と環境情報学部のふたつあり、授業は学部を超えて自由に履修できる。これは時代にマッチしたありかただ。企業で困難な問題は複数の専門分野が交差したところで発生しているから、複数の分野を知っていなければそういう仕事をこなせない。
欲を言えば、さらに押し進めて、理系学部と文系学部の垣根を取っ払って両方の単位を自由に履修できる形態が望ましい。
わたしは産業用エレクトロニクス輸入専門商社で経理専門知識を武器に予算編成と管理を担当しながら5つの社運をかけたプロジェクトを入社早々からになった。必要なのでプログラミングとシステム開発スキルを磨いた。世界最先端の産業用エレクトロニクス製品を欧米50社のエンジニアが毎月のように来日して開く新製品セミナーすべての出席して6年間にわたって取扱商品の知識を獲得した。臨床検査会社では予算編成を統括し、同時に経営統合システム開発に携わり、検査機器の開発や製薬メーカと検査試薬の開発もやった。臨床検査会社の買収と資本提携を合わせて2つ担当し、片方の会社の経営再建を担当した。その後、いくつか担当してから、帝人との治験合弁会社の立ち上げと経営を任された。赤字部門だったから黒字化と株の引き取りによる合弁解消、帝人の臨床検査子会社買収の3つを3年でやれとSRLのK社長の特命だった。3年に4か月残して全部やり終えた。
臨床病理学会と大手6社の産学共同プロジェクトのプロジェクトマネージャーをやったのは1987年だった。5年ほどの作業期間を経て、1990年代半ばに事実上の日本標準臨床検査項目コードとして全国の病院やクリニックで使われている。
1990年ころに慶応大学産婦人科のドクターと出生前診断MoMに関する日本人の基準値検討プロジェクトをSRL八王子ラボ・学術開発本部スタッフのときにマネジメントした。検査部門と研究部の統計解析担当、製薬メーカー2社の協力が必要だった。これも数年かかって日本人の基準値が決まった。白人よりも3割高く、黒人より1割たかかった。検査3項目の多変量解析で決められた基準値は数年前まで使われたいた。数年前により精度の高い新しい方法に変わった。
このように、現実の仕事は理系も文系も関係がない、両方の分野の専門知識と実務経験なくして、両方の分野の専門家がメンバーであるプロジェクトをマネジメントできるはずがない。
そういう意味では私のやってきた仕事は時代の30-40年先を歩いてきたと言える。理系や文型分野の垣根を取り払った大学が出現してほしい。これは時代の要請である。米国では文系学部に在籍していれば、理系学部の科目をいくらでも履修できる。学部を超えて科目を履修するかしないかは学生自身の判断。2倍の科目を履修しても学費が同じ大学があるそうだ。要は学生の能力次第。
経済学部の学生が哲学のゼミと数学のゼミを履修できたら、そこからノーベル経済学賞受賞者が何人も出るかもしれぬ。
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#4464 根室高校の過去7年間センター試験のトップの得点 Jan. 22, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
2016年から2021年までのセンター試験と共通テストの学内トップがどれくらいの得点なのか、根室高校の進路指導室が昨日発信した『進路だより』に掲載されているので紹介する。
根室西高校が廃校になり、根室高校1校体制になってから入学してきた生徒たちが初めて大学受験をしたのが、2020年、最後のセンター試験受験組です。
文系と理系に分かれているがトップは常に理系の方である。2015年から今年までのデータを並べると次のようになっている。
778⇒788⇒631⇒704⇒688⇒718⇒694
データを大きい順に並べると、
788⇒778⇒718⇒704⇒694⇒688⇒631
同じデータの年度表示では、
2016⇒2015⇒2020⇒2018⇒2021⇒2019⇒2017
2016年の788点はもう少し頑張れば東大へ現役合格できそうな得点です。
学年トップの得点が低減傾向にあることは否めません。学年トップの得点は結構高いのに、北大以上の難易度の大学への現役合格者はめったに出ません。進路実績に昨年一人乗っていますが浪人生です。
北大理系総合が720点であることを考えると、毎年そのクラスの難易度あるいはそれ以上の大学への現役合格者が出ていいはずですが、根室高校の進路実績を見ると実際にはそうなっていません。
難易度の低いセンター試験対策に時間を費やし、難易度の高い問題が出題される2次試験に弱い勉強の仕方をしているのかもしれませんね。
この得点は、生徒の自己採点結果を集計したものですから、実際の得点とは多少のずれがあることは当然です。
学年トップの得点を見る限りでは、毎年1-3人は医学部や北大へ進学できる能力の生徒たちがいます。データが示しているのは都会との教育環境の差で、届かない生徒が多いということ、じつにもったいない。
根室高校の高学力の生徒が国公立難関大学受験にさいして、高いハードルとなるのは選択科目の3科目です。都会の進学校と変わらぬ教育環境を大人が用意してやらないと、根室からの進学をあきらめて、優秀な中学生が都会の進学校へ流出してしまっています。場合によっては母親が一緒についていってしまうから、数字は小さいですが人口流出の加速にもなりかねません。教育環境の悪さを知って、家族連れで根室への赴任を嫌がるケースは少なくないでしょう。
根室高校と私塾が手を結ぶだけでも、難関大学進学に有効な教育環境はある程度は提供できます。昨年がその実験の舞台でもありました。物理と化学の先生が生徒二人の要望に協力してくれてます。
根室市教委や根室教育長、そして根室市長や根室市議会文教厚生常任委員会のメンバーにもできることはないのだろうか?
教育は、まちづくりの礎です。学生が敷かれて2年目に、根室には花咲小学校が設立されています。道内3番目の歴史の学校と聞いています。明治の根室人の教育熱は高かった。根室商業時代は釧路湖陵よりも輝いていた。その伝統に今一度思いをはせて、教育関係者一人一人が何ができるのかを自分に問い直してもらいたい。
「進路だより」に載っていたデータをもう一つ張り付けておくのでご覧ください。根室高校のホームページへ飛んで全部ご覧いただいた方がいい。(まだ掲示されていませんが、近々アップされるでしょう)
このデータからは驚くべき変化が見てとれます。昨年度のセンター試験の受験者数は国語と英語の受験者数からわかります、昨年は41名、今年は16名に減少しています。昨年度の39%しか大学入学共通テストを受験していないません。普通科3年生の生徒数115名中、16名だから、13.9%しか大学入学共通テストを受けていません。成績上位35%の平均点と14%の平均点では後者の方がずっと高くて当然なはずですが、少しいいだけ。
普通科の共通テスト受験者の割合は全国平均の1/3以下です。来年、再来年の共通テスト受験者数とその平均点の行方がどうなるか気になります。来年度の共通テストのトップは600点前後、最低を記録すると予告しておきます。
成績上位層の枯渇化現象がついに根室高校に及んだと読むべきなのでしょう。
劇的な変化です。これは小学校と中学校の教育環境に問題があることを示しています。根室市教委や根室教育長、そして根室市議会文教厚生常任委員会メンバーにそういう自覚があるだろうか?こういう重要な公表デーは常にモニターしてもらいたい。教育行政に携わる者たちの仕事の基本だと思う。
根室西高校が廃校になり、根室高校1校体制になってから入学してきた生徒たちが初めて大学受験をしたのが、2020年、最後のセンター試験受験組です。
文系と理系に分かれているがトップは常に理系の方である。2015年から今年までのデータを並べると次のようになっている。
778⇒788⇒631⇒704⇒688⇒718⇒694
データを大きい順に並べると、
788⇒778⇒718⇒704⇒694⇒688⇒631
同じデータの年度表示では、
2016⇒2015⇒2020⇒2018⇒2021⇒2019⇒2017
2016年の788点はもう少し頑張れば東大へ現役合格できそうな得点です。
学年トップの得点が低減傾向にあることは否めません。学年トップの得点は結構高いのに、北大以上の難易度の大学への現役合格者はめったに出ません。進路実績に昨年一人乗っていますが浪人生です。
北大理系総合が720点であることを考えると、毎年そのクラスの難易度あるいはそれ以上の大学への現役合格者が出ていいはずですが、根室高校の進路実績を見ると実際にはそうなっていません。
難易度の低いセンター試験対策に時間を費やし、難易度の高い問題が出題される2次試験に弱い勉強の仕方をしているのかもしれませんね。
この得点は、生徒の自己採点結果を集計したものですから、実際の得点とは多少のずれがあることは当然です。
学年トップの得点を見る限りでは、毎年1-3人は医学部や北大へ進学できる能力の生徒たちがいます。データが示しているのは都会との教育環境の差で、届かない生徒が多いということ、じつにもったいない。
根室高校の高学力の生徒が国公立難関大学受験にさいして、高いハードルとなるのは選択科目の3科目です。都会の進学校と変わらぬ教育環境を大人が用意してやらないと、根室からの進学をあきらめて、優秀な中学生が都会の進学校へ流出してしまっています。場合によっては母親が一緒についていってしまうから、数字は小さいですが人口流出の加速にもなりかねません。教育環境の悪さを知って、家族連れで根室への赴任を嫌がるケースは少なくないでしょう。
根室高校と私塾が手を結ぶだけでも、難関大学進学に有効な教育環境はある程度は提供できます。昨年がその実験の舞台でもありました。物理と化学の先生が生徒二人の要望に協力してくれてます。
根室市教委や根室教育長、そして根室市長や根室市議会文教厚生常任委員会のメンバーにもできることはないのだろうか?
教育は、まちづくりの礎です。学生が敷かれて2年目に、根室には花咲小学校が設立されています。道内3番目の歴史の学校と聞いています。明治の根室人の教育熱は高かった。根室商業時代は釧路湖陵よりも輝いていた。その伝統に今一度思いをはせて、教育関係者一人一人が何ができるのかを自分に問い直してもらいたい。
「進路だより」に載っていたデータをもう一つ張り付けておくのでご覧ください。根室高校のホームページへ飛んで全部ご覧いただいた方がいい。(まだ掲示されていませんが、近々アップされるでしょう)
このデータからは驚くべき変化が見てとれます。昨年度のセンター試験の受験者数は国語と英語の受験者数からわかります、昨年は41名、今年は16名に減少しています。昨年度の39%しか大学入学共通テストを受験していないません。普通科3年生の生徒数115名中、16名だから、13.9%しか大学入学共通テストを受けていません。成績上位35%の平均点と14%の平均点では後者の方がずっと高くて当然なはずですが、少しいいだけ。
普通科の共通テスト受験者の割合は全国平均の1/3以下です。来年、再来年の共通テスト受験者数とその平均点の行方がどうなるか気になります。来年度の共通テストのトップは600点前後、最低を記録すると予告しておきます。
成績上位層の枯渇化現象がついに根室高校に及んだと読むべきなのでしょう。
劇的な変化です。これは小学校と中学校の教育環境に問題があることを示しています。根室市教委や根室教育長、そして根室市議会文教厚生常任委員会メンバーにそういう自覚があるだろうか?こういう重要な公表デーは常にモニターしてもらいたい。教育行政に携わる者たちの仕事の基本だと思う。
#4463 大学入学共通テスト(2): 平均点と標準偏差データ Jan. 21, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]
23.5万人分の中間集計によるデータが公表されているので、科目別の平均点と標準偏差データを貼り付ける。
*(本試験)平均点等一覧|大学入試センター (dnc.ac.jp)
「倫理・政治経済」は平均点と標準偏差がまだ公表されていない。
合計点でおおむね20点ほど今年度の方が平均点が高い。なかでも数ⅡBが13.8点も高い。数ⅡBは満点をとっても偏差値は65.4である。各科目満点を獲ったとして偏差値は、国語85.0、数1A69.9、英語68.7、物理72.2、化学72.5である。
数ⅠAが前年度よりも7点、数ⅡBが13点高くなっている。
*
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平均点 | 標準偏差 | 2020年 | |
国語 | 116.05 | 33.10 | 119.32 |
数ⅠA | 59.20 | 20.52 | 51.88 |
数ⅡB | 62.85 | 24.08 | 49.03 |
英語 | 122.78 | 41.24 | 115.71 |
物理 | 58.89 | 18.59 | 60.68 |
化学 | 52.80 | 20.96 | 54.79 |
倫理・政経 | 66.51 |
「倫理・政治経済」は平均点と標準偏差がまだ公表されていない。
合計点でおおむね20点ほど今年度の方が平均点が高い。なかでも数ⅡBが13.8点も高い。数ⅡBは満点をとっても偏差値は65.4である。各科目満点を獲ったとして偏差値は、国語85.0、数1A69.9、英語68.7、物理72.2、化学72.5である。
数ⅠAが前年度よりも7点、数ⅡBが13点高くなっている。
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#4462 大学入学共通テスト Jan. 20, 2021
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