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林望著『知性の磨き方』を読んで [57. 塾長の教育論]

  2,008年3月18日   ebisu-blog#143 
  総閲覧数: 7744/112 days (3月18日23時50分) 
 
 高校入試は終わったが気持ちを切り替えるのに少し時間が必要だ。疲れがたまっていたようで、しばしペースダウン。春国岱で大鷲とにらめっこするのもいいかもしれない。どっちが観察しているのやら、されているのやら・・・そんなさだかではないところがいい。どちらになるかはそのときの大鷲と私の気分次第である。
 ブログを書いては見たが、とくになにも語るべきことが見つからない。こんな日もあるのだな。

 書きたいことがないわけではない。林望さんの本『知性の磨き方』を読んでいる。PHP新書で12年前に出版された本だ。この本を読んでやはり勉強が足りなかったなと思う。うっすらと思い続けてきたことが確信に変わった。学問とは何か、大学とは何か、大学院とは何かについて、具体例を引いて語る。
 林さんの大学教育論や大学院教育論はユニークである。優れた研究者がそのままで優れた教育者であるというのだ。そのことを具体例を引いて、つまりは林さんの個人的な体験をもとに論証している。
 学者は小数のエリートであり、不能率な仕組みの中でしか育てられない。日本的徒弟制度を例に引いて、学者を育てるのは、職人が腕を磨いてマエストロになるのとかわらない。それゆえ、教えてはだめである。徹底して教えない。師の仕事を盗んでおぼえるからこそ、師を乗り越えた技倆に達することができる。そういう気力と根気のあるものだけが残る。
 中等教育の辺りから、教育は教えてはならない。わかりやすく教えてしまっては、学問にはならない。単なるカルチャーセンターにしかならないと。小数の者しか学者になることはできない。だから、大学時代は遊ぶもよし、学ぶもよし、本人次第と言う。4年間はモラトリアムの時間で、どのように使おうが本人の自由である。ただし、学問はこの時代にしか見につかない。身についた学問は分野を替えても通用する。それは普遍的な方法なのだと。この点だけは私の経験に照らしても同じ結論である。専攻した理論経済学を学習した方法論がコンピュータサイエンスにも、他のエレクトロニクス分野(マイクロ波計測器や医療機器)や医学や言語学にも通用した。デカルトの方法はシステム開発にも数学の複合問題の解き方にも通底する。
 そして今気がつくことは、大学時代の恩師の影響である。哲学と倫理学を専門とされた市倉宏祐先生から受け継いだものが多い。私は不肖の弟子だが、一年先輩と同期からそれぞれ大学に残るものが出た。

 たった2年間だったが、学部横断的な「一般教養ゼミ」というものが存在した時期がある。その時期のある日の昼下がりである。マルクス『経済学批判要綱』を読んでいた。先生が眠そうなお顔をしていらっしゃるので、「眠そうですね」そういうと、イポリットの『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』を朝の5時まで翻訳していたという。面白くてとまらなかったのだろう、午後一番の授業が眠いわけである。
 特定の問題意識をもって方法論を眺めたときに、ドイツ語原典からの訳が必ずしも適切とは言いがたい場合があり、フランス語版『資本論』や『資本論初版』、第3版などを比較対照して読んでおかねばならないことがある。シビアな議論をしている(と学生の私たちは思っている)ときに、翻訳作業を思い出したのか、「英語で言うとifにあたるのだが、”もし~ならば”と訳すよりも”~の場合”と訳した方が好いことが多いんだ」、何気なく言った一言がしっかり脳裏に焼きついてしまう。
 単語を置き換える作業ではなく、自分が普段使う自然な文章に置き換えることが翻訳なのだ、そう気づかされる。後は先生の訳した本を読んで学ぶしかない。具体的な質問がわいたらぶつけてみればいい。
 あるとき先生の生田のご自宅に先輩と伺ったときに、やっている仕事の統合システムの話をしたら、PROLOG(フランスで開発されたプログラミング言語)を使っているという話しが口をついてでた。機能的にユニークな言語である。私も当時、仕事でプログラミング言語を3つ使っていた。振り返ると、ずいぶん早くからパソコンも使っておられた。80年代初めのことであり、先生は60歳前後である。哲学や倫理学を専門とする学者が、60歳近くなってプログラミングを自分でやってみるという、その好奇心の強さと頭脳の柔軟さに驚いた。1972年にフランスで開発された言語だったから、フランス語で書かれた解説書でマスターしたのだろうと思う。このときに、あと30年たっても、わたしは新しいことが始められる、先生がそれを教えてくれている、そう感じた。
 そうかと思うと数学者でもあったパスカルについての研究論文を何本か書かれた。他方、分厚い『アンチオイディプス』は哲学と経済学のハイブリッドである。両方の素養がなければ翻訳できない。この翻訳で先生は毎日出版文化賞を受賞された。
 先生は学際的な分野を自在にこなせる稀有な人である。アマゾンで検索したら、春秋社から『和辻哲郎の視圏―古寺巡礼・倫理学・桂離宮』という本を一昨年に出版されている。体調が思わしくなく、病床に伏されていたはずだ。やはり出発点の和辻哲郎に戻ってきたかと思う。そのあたりの消息はここでは書かない。だいぶん、脱線したので話を戻そう。市倉先生については別に何度も書く機会があるだろう。

 これから大学に進学しようとしている高校生には是非読んで欲しい本である。もちろん中学生にも。読書論として読んでも、斉藤孝の『読書力』とはまた意見が違っておもしろい。『読書力』を中1の音読トレーニング用のテキストとして取り上げているので、中3用のテキストとして『知性の磨き方』を使ってみようと思う。世の中を引っ張るのは小数のエリートであり、彼らをどのように育成するかに国家や国力の将来がかかっていると藤原正彦は『国家の品格』で述べている。この本は中2用のテキストとして使っている。
 4月からの音読及び三色ボールペンで線を引くトレーニングのテキストとして林望著『日本語の磨き方』を使うつもりだったが、変更しよう。『知性の磨き方』を使うことにする。
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