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#4896 『過剰富裕化と過剰労働時間』を読む① Dec. 22, 2022 [A4. 経済学ノート]

 戸塚茂雄氏が新しい本を出しました。amazonのkindle版ですから、電子書籍です。

 初めてkindle版の本を読んでいます。4色で色分けして文にハイライトできます。そしてコメントが追加できます。kindle版の電子書籍はよくできています。ベースはスマホで読みやすいようなフォーマットになっていますが、1行へ表示できる文字数は指定できます。

 馬場宏二先生の過剰富裕化論をさまざまな学者が取り上げていますが、それらを概観できるようにまとめて紹介してくれています。馬場広二先生が過剰富裕化論を発表した当初はほとんどの経済学者が無視していたことを思えば、隔世の感があります。
 戸塚さんはこの本で労働時間に関する統計データから、過剰富裕化の背後には過剰労働時間があることを裏付けています。
 統計データの読み方に関しては、少し議論したいところがあります。規模と業種が異なる5つの企業で仕事をしたので、実際のケースを見聞きしており、データの読み方については生産的な対話ができるかもしれません。ある部分に関しては混乱を引き起こす可能性がありそうです。

 過剰富裕化論は人口増大や経済成長、技術革新で、地球の生態系が壊れ、廃棄物が溢れ、資源が枯渇することで、人類の未来が危うくなるというものです。弊ブログ記事#2964で採りあげていますので、そちらをご覧いただけたらありがたい。
 過剰富裕化は資本主義経済社会に限りません、中国のような共産主義の国も同じ道を歩んでいます。インドもそう遠くない未来に、過剰富裕化に突入するのでしょう。地球がパンクしそうです。

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  過剰 富裕 の 意味 について 「過剰 富裕 は、 個人 レヴェル と 地球 レヴェル との 2 側面 から 挙証 し 得る。 個人 レヴェル の 問題 は 個人的 に 処理 出来る が、 地球 規模 の 問題 は、 これ まで 人類 が 自覚 せ ず に 済ん で い た、 自滅 の 危機 という 解決 困難 な 課題 を 突きつけ て いる。 それ は 近代 社会体制 や 近代 思想 に対して も 本格的 な 自己批判 を 迫る もの で ある」( 馬場 宏 二『 新 資本主義 論— 視角 転換 の 経済学—』 名古屋大学出版会、 1997 年、 331〜 2 ページ) と 人類 の 自滅 を 主張 し て いる。 「過剰 富裕 化 社会 は い つ この世 に 出現 し た のか。 著者 が 偶然 発見 し た、 一人 当たり の GDP が、 1982 年 の ドル に し て 5000 ドル と 言う 水準 が 目安 に なる。 この 線 に 到達 し た のは、 アメリカ が 1920 年代 末、 イギリス、 フランス、 ドイツ が ほぼ 同時で 1960 年代 央 ば、 日本 と イタリア が 1970 年代 で ある。…… 一人 当たり の GDP が 5000 ドル( 1982 年)、 国民所得 なら 4000 ドル ほどに 達し た 時点 で、 自動車 の 過半数 世帯 への 普及 と カロリー 摂取 増 の 鈍化 と エン ゲル 係数 30% が、 いずれ の 国 でも 殆ど 同時に 起こっ た こと に なる。…… 産業 の リファイン 化 の 結果、 諸事 万端 肉体労働 の 必要 は 減り、 栄養 供給 は、 多少 有害 な もの を 交え ながら 全体 として 増え 続ける。 その 裏面 が ダイエット と ジョギング だっ た」( 馬場 宏 二『 新 資本主義 論— 視角 転換 の 経済学—』 335〜 6 ページ) と 過剰 富裕 化 社会 の 出現 時 と その メルクマール を 明らか に し て いる。

戸塚 茂雄. 過剰富裕化と過剰労働時間【電子書籍版】(22世紀アート) (pp.17-18). 22nd CENTURY ART. Kindle 版.
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 過剰富裕化は先進国が到達しているだけですが、それが全世界に波及したとしたらどうなるかという假定の下に馬場宏二氏は議論を進めています。
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 過剰 富裕 化 論 の 帰結 は 人類 滅亡 論 で ある。「 Ⅱ 過剰 富裕 化 論」 で 見 た よう に、 馬場 氏 の 人類 滅亡 論 は、「 人類 自滅 への 暴走」 で ある。 この 点 について 氏 は 多く の ところ で 議論 を 展開 し て いる。「 仮に 先進国 の 消費 水準 が 一瞬 に し て 全世界 に 均霑(きんてん) し たら 何 が 起こる か。 世界 経済 の 規模 は 現在 の 5 倍 ほどに なる。 他 の 条件 に し て 等しけれ ば、 石油 その他 の 鉱物 資源 の 消費、 水 の 使用、 森林 伐採 等 は 現在 の 5 倍 に なる。 穀物 の 食用 消費 は そう 増え ない が、 肉食 増 により 飼料 用 消費 が 増える から、 現在 の 2 倍 では 足り ない。 魚類 も 乱獲 さ れる。 同時に、 産業 大災害 の 発生、 各種 産廃 物 が 5 倍 になり、 有害 物質 による 汚染 は それ 以上 に 増える。 大気汚染 や 温暖化 による、 洪水・水没・砂漠化 等 の 二次 災害 が 生じ、 農地 と 居住地 を 削る。 ところで、 この 状態 は、 全世界 の 経済的 平等 が 実現 する より はるか に 早く、 世界 GDP が 現在 の 5 倍 に なれ ば、 起こる。 それ は 世界 経済 の 成長 率 が 3 パーセント なら、 21 世紀 半ば には 到来 するこの 事態 の もと で、 人類 は 後 何年 生き られる か」( 前掲 馬場『 マルクス 経済学 の 活き 方』 398 − 9 ページ) という 議論 が 氏 の 核心 で ある。 現在 の 先進国 の 過剰 富裕 化 水準 に 世界 全体 が 達し た なら ば、 地球 は 人類 を 扶養 でき なく なる という 主張 で ある。
戸塚 茂雄. 過剰富裕化と過剰労働時間【電子書籍版】(22世紀アート) (pp.26-27). 22nd CENTURY ART. Kindle 版.
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 これから1年間ほどかけてライフワークに取り掛かるつもりですが、現在の経済社会の分析や体系化と新たな経済社会を創ることはまったく別の仕事であることを明らかにするつもりです。
 経済成長速度を落とし、貿易を必要最小限にし、グローバリズムを終焉させるにはどのような方法があるのかを具体的に探ることにもなるでしょう。過剰富裕化論とどのような接点が出てくるのか楽しみです。

 まだ読み始めたばかりですが、戸塚さんの本を紹介しながら、面白そうな論点をいくつか取り上げてみたいと思います。

 馬場宏二先生の過剰富裕化論はマルクス経済学の枠組みを飛び越えてしまっているようにわたしには見えます。だから、同じ宇野学派から、発表当時無視され続けたのは無理のないことだったでしょう。マルクスに恐慌論はあっても過剰富裕化なんて論点はありません。『資本論』は資本家的生産様式と商品経済の分析であって、新たな経済社会の原理を明らかにするものではありませんでした。生産手段を共有化しても、不効率な生産方式が蔓延しただけでした。
 まったく別の原理での経済社会モデルを創る必要がありましたが、誰もそれに成功していません。どうすればそれが見えてくるのかというのが、わたしのライフワークです。

*『過剰富裕化と過剰労働時間』

**#2964 過剰富裕化論


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#4533 川崎重工製PCR自動検査機:生産性向上と日本経済の30年間を顧みる May 1, 2021 [A4. 経済学ノート]

 川崎重工がアーム型ロボット数台を組み合わせて、移動式PCR全自動検査機を開発し、検査を受託し始めたというニュースを見た。1台当たり、2500検体/日処理できるという。このアームロボットシステムが100台あれば、250,000検体/日処理できる。株式会社メディカロイドおよびシスメックス株式会社と川崎重工の3社の共同開発製品です。Sysmexは血球計算機でお世話になったメーカです。メディカロイドというのは川崎重工とSysmexの合弁企業で2013年に設立されています、ユニークな企業が出現しました。

 厚生労働省のホームページにある4月下旬のPCR検査数は次のようになっている。
2021/4/21 96428
2021/4/22 94257
2021/4/23 91286
2021/4/24 58221
2021/4/25 35886
2021/4/26 83925
2021/4/27 81048
2021/4/28 68106
2021/4/29 91921
2021/4/30 64494


 まだ10万テスト数を超えた日はない。いまSARS-CoV-2PCR検査は保険点数が1350点で、13500円である。このアームロボットを利用すればコストは2000円程度に下がるだろう。仮に2000円とすると1/6に価格ダウンが起きる。日本人は超過利潤は浮利と考えるのが一般的である。「浮利を追ってはいけない」のである。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」というビジネス倫理にしたがえば、生産性をアップすることで実現したコストダウンは超過利潤を手にすることではなく、安く売ることで社会に還元する=「買い手よし&世間よし」なのだ。

 産業用エレクトロニクスの輸入商社にいて欧米50社の最先端の製品のコストと価格政策を6年間(1978-83)にわたってみてきたが、性能の高い製品はコストに関わらず高いプライスをつけるのが当然というのが欧米企業の基本姿勢である。つまり、浮利を追うのだ。儲けられるときにできるだけ儲けるのが向こうの企業。
 それは最大手の臨床検査センターSRLで予算編成と管理を任され、入社2年目に検査試薬のコストダウンを提案したときにも同じだった。言い出しっぺのお前がやれと副社長の指示があり、プロジェクトを作って任せてくれた。入社2年目で平社員、交渉相手は営業部長と取締役である。マルチアレルゲンなどの最先端の検査試薬をもつヨーロッパの大手製薬メーカーF社が頑強に値引きを拒否したが、値段を下げることで市場を寡占でき、売上が倍になるから、やってみろ、言う通りにならないなら来年の価格交渉で価格は元に戻してやると言って、3割仕入値段を下げさせた。こちらが言った以上に効果があって、日本法人の社長さん、昇格しました。

(この会社とは関係がよくなったので、検査機器を開発している別事業部の検査機器開発情報をタイムリーにいただけました。紙フィルター式の液体シンチレーションカウンターは世界初導入。ガラスの壜を使った液体シンチレーションカウンターに比べて20倍くらいも生産性が高かった。ガラスのバイヤルを天井近くまで積んでいたので、担当者は地震があったら怖いと言ってましたが、この紙フィルター方式の液体シンチレーションカウンターを入れたら、ガラスのバイアルがなくなったので、検査室が妙に広くなった気がしました。γカウンターもデザインがとってもよかった。SRL仕様で100本ラックが使えるものを作ってもらいました。数年してラボに行ったら、全部そのメーカーに変わっていました。現場で実際に使う人にとっては毎日目にするのでデザインも大事なんです。)

 性能が良い商品の値段はコストは関係なし、競争相手がいないのだから、できるだけ高い価格をつけるというのが、欧米企業の価格戦略、それが基本的なスタンスだった。だから、他社に比べてはるかに性能の良い製品が出たら、コストに関わりなく値段は高いし、生産性がアップしても競合品が出てこない間は、価格は高いまま維持する。
 そういうことが30年間も続いていたら、日本と欧米の間ではモノの価格が違ってくるのはモノの道理だ。
 欧米の企業は給料をアップして生産性向上に報い、物価を押し上げたのに対し、日本企業は生産性アップがあっても従業員の給与はあげずに、値段を下げた。これは商道徳の違いの影響が大きい。テレビを見ているとヨーロッパで外食するとびっくりするほど価格が高くなった。逆に、ヨーロッパの人々が日本へ来ると、外食のコストが安くて驚いている。30年間で大きな差がうまれた。

 1986年ころ、セイコーの腕時計組み立て工場でアームロボットによる自動組み立てラインを見学した。結石の前処理をするのに向いたロボットを探していたからだ。十数台で1ラインができており、たとえば、製品Aを100個組み立てたら、すぐに製品Bを50個組み立てるという風に、パーツフィードシステムがうまく組み合わされていた。細かい作業に向いたアームロボットだった。
 それを使ってSRL八王子ラボで下請けメーカさんと結石の前処理作業用のシステムを開発した。あれから30年以上たっているから、川崎重工のようなアームロボットメーカーがPCR検査分野に進出してくるのは当然である。臨床検査大手の3社は震撼しているだろう。
 だが、ラボの自動化はそんなに甘いものではない。20年後でも、特定分野の300項目くらいが対象となるだけだろう。その分野の検査コストが劇的に下がり、保険点数も劇的に下がる。だが他の分野はそうはいかぬ、SRL1社だけで、3000項目以上の検査受託をしているのだから。

 1991年ころSRLの子会社の千葉ラボへ新システム(基幹業務システムとラボシステム)を導入したことがある。親会社の関係会社管理部でこのプロジェクトを担当した。当初目標通りに全体で生産性が3倍になった。赤字の子会社が簡単に高収益会社に化けた。社員の給料はボーナスが増えたから2-3割くらいアップしただろう。だが、生産性は3倍である。だから、多くは内部留保に回ることになった。生産性がアップに比べたら授業員の人件費のアップはわずかなものだった。子会社を経営して、親会社よりも高い売上高経常利益率を実現し、親会社よりも高い給料を支払ってやりたかったが、関係会社管理部にはそういう権限がなかった。千葉ラボは練馬にある子会社ラボと統合したが、3年後くらいにその会社へ出向して、大型自動化ラボを作り、親会社以上の売上高経常利益率を実現し、そのうえで親会社より高い給料を支払ってやろうと、計画を進めていたが、案がほぼ出来上がりつつあるときに、本社に呼び戻されて、近藤社長から帝人との治験合弁会社の経営担当を命じられた。プロジェクトが暗礁に乗り上げたのでそれを何とかしろということとあと3つ具体的な指示があった。3年で黒字化と合弁解消そして帝人の臨床検査子会社買収の3つだった。経営に関しては判断を任せてもらうことで引き受けた。「わかった、やり方は任せる」と言ってくれた。赤字部門の合弁会社だったので、難易度がそこそこ高くそちらの仕事も面白そうだったのだ。期限以内に四つの課題すべてクリアした。

 SRLから業界の大手3社に目を転ずれば、どの会社も日々自動化、システム化に取り組んでいるから、30年前に比べたら、数倍に生産性がアップしているだろう。しかし、それぞれの会社の社員の年収は何倍にもなったりしない。競争で価格が下がると同時に、配当や内部留保に回されるからだ。検査の定価である保険点数は2年ごとに下方改訂されている。生産性アップは価格低下として利用者に還元されているのである。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」でいいのである。

 こうして、いろんな産業で生産性がアップし、内部留保が増え、その一部だけが社員や非正規雇用の従業員に回る。日本の大企業経営者たちは社員数を減らし非正規雇用を増やして利益を追求するようなイージーな経営に走ったから、労働分配率は下がった。その一方で自分たちの報酬は3倍程度に引き上げた。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という伝統的な経営倫理を忘れて、自分さえよければいいという、欧米型の価値観に大きく傾いたのが、この30年間だろう
 労働分配率を下げるというイージーな経営をほとんど全産業にわたって30年以上も続けてきたのは、経営能力の貧弱な経営者の大企業が多かったからだ。難関大学を卒業して大企業へ採用され、他大学出身者よりも早く部長職や取締役になる。ところが、仕事はできない者が多い。受験勉強をよくやった者ほど、仕事のマネジメントがわからない。それは仕事やマネジメントには受験問題のように正解がないからだ。センスや嗅覚がよくなければできない分野である。新規事業分野に踏み出せば、そのほとんどが失敗、中には大きな損失を出して、子会社の清算をしなければいけないようなはめになる。

 設備投資や研究投資に回せるだけの種を見つけらるほどの経営のセンスがないから、膨大にたまったお金をつかって、海外の企業を買収するケースが増えた。買収しても経営能力が貧弱だから、巨額損失を出して処分する。郵便事業でも最近そういうことがあった。

 おさらいすると、過去30-40年間日本企業は生産性アップに努力してきた。それは主として現場の工夫によるものだった。生産性のアップは従業員の年収アップにはつながらず、非正規雇用を増やし、労働分配率が下がり続けた。その反面、配当が増え、内部留保が3倍ほどにもなった。なぜそうなったのかは、経営哲学の違いによるところが大きい。日本企業は浮利を追わない、生産性アップは製品の価格低下によって取引先や消費者に還元されている。だから物価が上がらない。金融政策で何とかなるようなものではないのである

 内部留保が厚いから、COVID-19で打撃を受けても、ほとんどの大手企業は3年間ぐらいはなんとかなる。その間に研究開発投資を増やして、新たな事業や製品開発の種を増やしたらいい。あいにくと、そういうことができる経営者は大会社になるほどいないのである。中小企業からいい芽が出てくるのだろう。大企業の中で経営能力の劣るところがつぶれ、中小企業の中から経営能力に秀でた企業が大企業にのし上がっていく、新陳代謝があるのは健全な証拠だろう。

<余談-1:社員の年収アップ>
 1978-84年1月末まで勤務した、産業用エレクトロニクスの輸入商社では、実務デザインとシステム化によって経営改革を推し進めた。経営改革を目的とする6つのプロジェクトの内5つを中途入社2週間後に任された。役員と部長職ばかりのプロジェクトで、課長職は3名だけ、実務は平社員のわたしが全部やることになった。なんてことはない、プロジェクトメンバーは、毎月わたしの提案と仕事の進捗状況を確認するだけだった。成果が出たところで、オーナ社長の関周さんへ相談して、利益の三分割を会社の経営方針としてもらった。あっさりOK出してくれた。うれしかった。
 予算でボーナスも決めておき、それを上回れば、利益の三分の一は社員還元を「公約」したのである。仕事のやり方を変えて生産性が倍くらいにアップしたから、業績は飛躍的に良くなった。利益の1/3は内部留保へ回した。経営に何かあっても3年間は耐えられる財務構造にしたかったからだ。残り1/3は配当に回した。
 輸入商社だったから円相場の変動に業績が左右されていた。円安に振れると赤字になるから、ボーナスが雀の涙になるので、社員は住宅ローンが組めないという経営状態だった。為替変動から業績を切り離す方法を見つけたので、ボーナスを安定して、それも円高のときと同じくらい高額の賞与が出せるようになり、社員のみなさん喜んでいましたね。
 三菱電機のオフィスコンピュータと日本電気の汎用小型コンピュータのプログラミングを覚えた。仕事の半分くらいがシステム開発だったので、システム開発スキルもこの会社にいたときに50冊ほど専門書を読んでスキルを磨いた。オービックのS澤さんという優秀なSEと仕事したので、彼のスキルをコピーできました。NEC情報サービスには汎用小型機を入れる代わりに、ナンバーワンのSEを派遣してもらうように関社長が交渉してくれた。T島さんというSEがきて、その人と半年ぐらい一緒に仕事して、彼のスキルもコピーさせてもらった。システム開発に関する専門書は、翻訳の出ていない分野もあったので、原書も何冊か読んでいる。本で学んだスキルは仕事ですぐ使ったので、磨くことができました。スキルアップは国内でその分野ではトップレベルの優秀な人と仕事して、そのスキルをコピーするのがいい。
 35歳でSRLに転職したときには、経営情報系システム開発に関するスキルは国内ではトップレベルでしたよ。ありがたいことに、SRLに転職して1か月後に大きなシステム開発を任されました。当時国内で最大規模の富士通製汎用大型コンピュータを使うことになっていたので、うれしかった。
 システム開発部がDECのミニコンを使ってラボシステムをつくろうとして失敗して、2台使っていないのがあったので、経営分析に自分でプログラミングできる統計計算用のコンピュータが欲しかったので、経理担当取締役に交渉したが、都市銀行からの出向役員だったので、システム部長との交渉は無理でした。3000万円もするミニコンを使わないまま放置。統合経営システム開発と予算編成や予算管理のほかに固定資産管理も担当していたので、仕方ないので年度の終わりに除却しました。入社半年ぐらいのことです。もったいない。

<余談-2:物流コストが勝負>
 川崎重工が開発したアームロボット式PCR全自動検査機は動画を見ただけで、大手検査センターの技術者はコピーできます。より高性能なアームロボットPCR自動検査機の開発ができます。開発に要する期間は急げば半年くらいでできるでしょうね。必要な文中システムや前処理の自動化にアームロボット技術の利用はもう30年以上も前からやっているので、成熟した技術の応用で済んじゃいます。性能が同じでは愉しくないから、1.5倍くらいのものをつくればいい。
 川崎重工は半年リードできるだけかもしれませんね。国際空港への設置も移動式アームロボットPCR自動検査機はとっても役に立ちます。現場で検査可能ですから。
 川崎重工の弱点は検体搬送網をもっていないことです。ですから、国際空港などへの設置に限定使用されるだけになるかもしれません。
 大手検査センターは温度管理がしっかりされた、検体搬送ネットワークをもっています。全国の病院を網羅しているので、そこに載せるだけでいいから、新たな物流コストがかかりません。生産性の同等の機器なら、後は物流コストがモノを言います。大手検査センター3社がどういう対応を見せるか楽しみです。
 PCR検査の棲み分けがつくことになるのでしょう。異業種からのこういう新規参入があるというのはいいことです。コストが下がります。結果として安くて高品質な検査を国民が利用できるようになる。「生産性向上によるコスト低減=販売価格の低下」、デフレ万歳ですよ。

<余談:1990年当時のSRL臨床検査ラボの生産性と技術水準>
 スミスクラインビーチャムという大手製薬メーカーが米国にあり、傘下に米国最大の臨床検査会社をもっていた。海外製薬メーカーのラボ見学対応は当時学術開発本部スタッフだったわたしの担当だった。2時間ほどのツアーをして見せた説明してあげた。その後、ラボの自動化設備を売ってほしいと要望が出された。当時のSRL八王子ラボの自動化技術は世界一だった。もちろん生産性の高さも世界一である。
 ラボの自動化は、労働集約性の強い仕事からなされた。例えば、RI部門の検体分注である。一日中分注のみをしている社員が数十名いた。毎日、毎日分注だけ。こんな作業は非人間的でつらいだけだから、そこから機械化が始まっている。わたしが入社する前からだから、1980頃からのことだろう。染色体画像解析装置の開発も、顕微鏡で染色体の写真を撮った後、数十人の社員が写真から染色体を切り取って、大きい順に並べて台紙に貼り付けていた。これもつまらない単純作業である。貼り付けた染色体写真は数年すればその一部がはがれるなんてことも起きるから、検査報告書の品質も、品質管理上大きな問題だった。だからニコンの子会社と共同開発を2年間やっていた。目標値である6検体/1時間をクリアできないので、わたしが入社2年目固定資産担当になったときに共同開発をご破算にした。その直後に英国メーカーのIRSが5検体/20分の高性能の染色体画像解析装置を開発したことを知り、ラボ管理部の機器担当O君と染色体課のI原課長とY山係長、4人でサンプルを持参して性能確認に行った。すぐに3台導入している。結石の前処理作業用アームロボットの開発もそのころ(1987年)だった。結石サンプルを砕いて、五円玉のような金属に粉末状にした結石を固める、それを赤外分光光度計にセットするのである。じつに単調な仕事で、そんなことを毎日毎日繰り返すのはつらい、非人間的な労働で、単純作業だから機械化すべき仕事だ。こういう切実な現場のニーズに基づいて、現場の人間がみずから自動化に参加するのがSRLのやりかただった。そういう仕事から、小さなメーカーがいくつか技術力を蓄えて大きくなった。PCR自動検査機をフランスで売り込んだPSSさんはそういう会社の一つである。
 ラボの自動化は1990年代になると、検査機器と基幹業務システムへのネットワークへ移っていった。1984年にSRLへ上場準備要員として転職して、経営統合システムや予算編成・管理を同時に担当し、固定資産も減価償却費が予算と実績が1億円以上乖離しているので、何とかしないと上場審査でクレームとなと経理担当役員から相談されて、ニーズを満たす固定資産・投資管理システムを開発し、固定資産実施棚卸もマニュアルや管理ラベル、固定資産分類コードの作成など一連の仕事をしたので、ラボの固定資産を全部チェックさせたもらった。臨床検査機器は機器に双方向のインターフェイス機能がないことに驚いた。その当時はマイクロ波計測器などの理化学機器は双方向のインターフェイスバスのGPIBが標準機能として付属していたからだ。メーカーがやらないので、1990年ころからSRL側でDECのミニコンを使ってやり始めたのである。細胞性免疫部の白血球の表面マーカーの検査への導入が最初だった。この時に私は学術開発本部に異動しており、機器の管理やメーカーとの共同開発業務から離れていたので、制御用コンピュータの選定に関与していない。関与していたらDECのミニコンは却下、HP社製を使うように再検討を要求しただろう。HP社のマイクロ波計測器制御用のコンピュータは1980年ころから双方向バスを標準装備しており、そのバスが世界標準規格となっていたから、HP社の機器制御用パソコンを使うべきだった。SRLのシステム部にはそういう知識のある管理職がいなかった。
 マイクロ波計測器分野に比べてインターフェイスバスは15年以上遅れた。検査機器のメーカー側に双方向のインターフェイスバスが不可欠だという認識がなかった。そういうユーザがなかったからだろう。ユーザーのシビアなニーズがメーカーを育てるのである。
 栄研化学とはラテックス凝集反応を利用した大型検査機器の開発最終段階のインスタレーションテストを半年やって、問題点を洗い出してクリアし、市場へだした。あのテストをやらなかったら、高感度のラテックス凝集反応を利用した検査機器はトラブルで消えていたかもしれない。ある件で、栄研化学に協力してあげたら、その返礼として、開発中の検査機器の情報を教えてくれた。それで臨床検査部でのテストを提案して受け入れてもらった。半年か1年間、検査センターではSRL先行・独占という条件を付けた。こういう仕事が平社員でもできる不思議な会社であった。当時の臨床科学部の部長は女性で、K尻さん。臨床検査コードの標準化でも協力してもらった。自治医大の櫻林助教授(1986年当時)が臨床検査4課の顧問だったからだ。臨床病理学会項目コード検討委員会と大手六社が数年にわたって検討作業を続けて、検査項目コードは日本標準ができた。いま全国の病院やクリニックのパッケージシステムはこのコードで動いている。
 コードの標準化はラボの自動化や病院の検査システムにも、社会保険の請求システムにも大きな影響を与える。そういう環境のある国はいまだに日本しかない。標準化作業が終わり、SRL学術情報部にコード管理事務局が置かれたのは1993年ころだろうか。

 SRLは八王子ラボの自動化をラボ内の検体搬送システムを含めて大手メーカーとやろうとしたが、システム要件書や仕様書すらかけない技術レベルだった。八王子ラボでの検体搬送システムは当時の技術では垂直移動があるので、リスクが大きすぎた。ジャムってひっくり返ったら検体がダメになる。臨床検査センターとしては絶対に起こしてはいけない事故である。だから、わたしは1980年代の終わりころに八王子ラボの移転を構想していた。本社の経営管理課長と社長室と購買部兼務を数か月で蹴っ飛ばして、子会社への出向を希望したら、たまたま一番近いSRL東京ラボへ話が決まった。ここでやれる仕事は何かと考え、やろうとしたのは、子会社のラボ移転を口実にグループ全体のセントラルラボを建設して、八王子ラボの移転をすることだった。150mの平面ラインで自動化ラボの構想をまとめて、それから親会社の近藤さんの了解をもらうつもりだった。1995年ころのことだ。具体案が子会社のM社長との間で合意ができつつあったときに、帝人との合弁会社立ち上げでプロジェクトに問題が発生し呼び戻されてしまった。あと半年もしたら物件を見つけて本社の近藤社長とラボ移転について話し合えるとワクワクしていた。その近藤社長から子会社社長のMさんに出向解除と帝人との合弁会社担当の指示。ああ、それも運命かと気持ちを切り替えた。
 SRLシステム部には検査機器とのインターフェイスに専門知識のある社員も管理職もいなかった。近藤社長の発案で自動化をやり始めたが50億円費やしてできなかった。近藤さんは任せる人を間違えた。わたしを帝人との合弁会社に投入してしまった。他に人材が居なかったからしようがなかった。
 ラボの自動化プロジェクトをマネジメントできる人間は他にはいなかった。近藤さんが創業社長の藤田さんの要請で厚生省の医系技官からSRLに転職してきたときには、経営統合システム開発はとっくに終わっていたし、学術開発本部へ異動していたからラボの検査機器共同開発もわたしの仕事とシステム開発で持ち合わせているスキルを知らない。
 SRLは2018年にあきる野市へ新ラボを作った。20年以上遅れたということ。人財が育っていればいいが、そうでなければ、1年間以上すったもんだしただろう。誰がやっても大仕事だ。

 ところで、雑誌「東洋経済」に載ったディビッド・アトキンソンの日本衰亡論に言及したブログがあるので、アトキンソンの説と比較したら面白い。経済は理屈があってそれに合わせて現象を観るというアプローチと現象を見てそこから理論を組み立てるというアプローチがある。アトキンソンのやっているのは前者の方法だ。マルクス経済学者たちが唯物史観に合わせて歴史を見るのと方法論としては同じ。大学院でたった3人で、西洋経済史の大家である増田四郎先生の謦咳に接したお陰で、そういう歴史の見方を払拭できた。
 著名な経済学者の一人にアンソニー・アトキンソンがいるが、『21世紀の資本論』の著者ピケティに影響を与えたその人とは別人です。元々は金融アナリストで、経済学の専門家ではありません。竹中平蔵氏とともに菅首相の政策ブレーンの一人。
*アトキンソン氏の日本衰亡論。 (okita2212.blogspot.com)


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#4431 経済学研究と思想傾向の変遷 Dec. 14, 2020 [A4. 経済学ノート]

<最新更新情報>12/17日朝9:20

 ビリヤード店を手伝いながら、小4のときから北海道新聞の「卓上四季」や社説を読み始め、1年後の5年生のときには政治経済欄に読みふけるようになったわたしは、当時の社会党の思想に次第に染まっていった。
 高校生になって特殊数学の分野である簿記に夢中になり、中央経済社から出版され始めた公認会計士二次試験参考書を読み始めた。あの当時は7科目で経済学があった。もちろん近代経済学である。会計学説でも東大の黒沢清先生の本と一橋大学の沼田嘉穂先生の対立する理論を読み比べていたから、自然にマルクス『資本論』にも興味がわいた。根室高校図書館に『資本論』があったので、読んでみたが、100頁ほど読んでみて、大きな森の中に迷い込んだような感覚があり、話の大きな筋道が見つからないもどかしさを感じた。ヘーゲルの著作も1冊図書室にあるものを読んだ。ニーチェにも興味がわいて、これは自分で本を買って読んだ。中央公論の世界の大思想全集の一冊だった。
 歯が立たなかった『資本論』へはその論理がつかみたくて興味が持続した。原価計算論の小沢ゼミに入るつもりでいたが事情があって募集のときに東京にいなかった。戻ってきたらもう募集が閉め切られていた。がっくり来ていたところへ、市倉先生の一般教養ゼミの張り紙を掲示板で見つけたのである。使っているテクストは『資本論第3巻』となっていた。それで2年次から哲学の教授の市倉宏祐ゼミに入れてもらった。ゼミに入るには小論文の提出が課されていた。既存の経済学者の説に違和感が消えないので、経済学者ではないほうがいいとは漠然と考えていたら、市倉先生の一般教養ゼミは渡りに船だった。哲学の教授は資本論をどのように読むのか興味がわいていたからだ。学部を超えた「一般教養ゼミ」という位置づけだったが、とんでもない、経済学部のゼミよりもずっと専門的だった。集まった学生は商学部の学生が多かった、経済学部の学生には経済学者のゼミがあるから、一般教養ゼミをとるのは意味がない。意味はあるけど、哲学者の読みに興味がある学生が経済学部には一人もいなかったということだろう。
 資本論を読み終わると、市倉先生は『経済学批判要綱』をとりあげた。チョイスは先生だったか、大学院経済学研究科へ進学した先輩だったのか記憶にない。この本は資本論を書く準備のために経済学の基礎概念相互の関係や論理の展開方法を模索したものだった。全部で6冊あるから、その分量は資本論に匹敵する。この本を読まずして資本論のロジックが理解できるはずもない。世の中には『経済学批判』を読んだだけで分かったつもりのマルクス経済学者が当時は多かった。『経済学批判要綱』研究は当時は広松渉の論文ぐらいなものだった。マルクス経済学者でも通読した人がほとんどいなかっただろう。市倉ゼミはいつの間にか経済学部のゼミを凌いでいた。商学部の1年先輩が経済学研究科と哲学研究科へそれぞれ進学したが、ありがたいことに学部のゼミに継続して参加してくれた。議論のレベルが上がって、3年生が議論にほとんど参加できないような状況が現出した。そのころようやく資本論体系構造が見えだしてきた。はっきり見えたのは大学院へ進学してから、渋谷の進学塾で数学を教え始めて、ユークリッド『原論』に目を通した時である。『原論』と『資本論』に共通の演繹的体系構造が見えた。そういう目で見ると『資本論』は第一巻で方法的な破綻にたどり着いたこともわかった。その理由が何であるかは『数学手稿』を読んで明白になった。無限小が理解できなかった。微分概念が理解できなかったのだ。
(数学に優れた能力を発揮できる学者には別の経済学が見えてしまう。サミュエルソン『経済学』のように数学を駆使した経済理論が出てくることは必然だった。)
 マルクスは数学では劣等生だった。それで資本論第3巻を読んで四則演算しか出てこないことに違和感のあったのが氷解した。高校生の時の問題意識でマルクス研究にのめり込んだが、行きついたところは、マルクスの方法論の否定だった。数学が苦手だったのでヘーゲル弁証法などという、当時流行のまがい物にもたれたことが破綻の理由だった。デカルト『方法序説』の科学の方法「四つの規則」でも読めばよかった。デカルトは分かっていた、数学にその方法が示されていると。
 その後が問題だった。マルクスを超えるにはどうすればいいかの手掛かりがつかめなかった。日本資本主義は欧米のそれとはかなり様相を異にしている。職人仕事がベースでマルクスの経済理論の根底を支えている工場労働概念が日本の現実とはまるで合わないことにうすうす気づいていた。
 日本企業で働く中で欧米の工場労働概念と日本の職人仕事概念を比較研究し、新たな経済学体系が生み出せるかどうかがライフ・テーマになった。業種を変えて転職して、日本企業や日本人がしている仕事のスタイルに共通なものはないかを探った。

 本筋からそれるので、ここからは読み飛ばして結構です。
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 業種は変えたが、どの企業でも経営管理部門とシステム開発がメインの仕事だった。1978年9月に中途入社した産業用エレクトロニクスの輸入商社では、欧米50社の世界最先端の産業用エレクトロニクスは軍事用エレクトロニクス製品の勉強を6年間やった。毎月のように新製品の説明に各メーカーからエンジニアが本社に来て説明会が開催されたので、そのすべてに出席して傾聴した。製品知識がなければ経営管理はできない。入社早々5つのプロジェクトを任された。長期計画委員会、収益見通し分析委員会、為替対策委員会、電算化推進委員会、資金投資委員会の5つ、あとで利益重点営業委員会の方の仕事も電算化案件だったので、加藤常務と担当課長の遠藤さんの依頼で一緒にやった。プロジェクトはそれぞれ具体的な課題が設定されていたが、3年間で全部クリアした。システム開発や管理会計は米国の尖端の専門書で学習した。よく仕事したなと思う。そのあとは個別に開発した3システムの統合システム開発を任された。6年間仕事して、統合システム開発でオーナー社長と意見が衝突し辞職。引継ぎに2か月かけるように頼まれた。その期間にリクルート社の斡旋で転職先を見つけた。資本規模も従業員数もはるかに大きい会社への転職だった。6年間で培ったスキルがモノを言った。退職した翌日(1984年2月1日)から、SRL本社で仕事していた。好い時代だったし、運がよかった。
 国内最大手の臨床検査会社(当時の本社は西新宿のNSビル22階(後に都庁が移転してきた))でも商品知識は経営管理や経営改善には不可欠、同じことだった。会社の取扱商品や生産方法について知らなければ経営管理なんぞは出来はしない。上場準備で入社した年に、テーマごとに大学病院の先生を講師に招いて社内講習会が1年間にわたって開催された。そこで、臨床病理学会項目コード委員会の櫻林郁之助・助教授(当時)と知り合い、学会の仕事への協力を依頼された。
(86年に「臨床診断システム開発と事業化構想案」を書き、藤田社長の承認をもらいフィジビリティスタディをやった。予算は200億円。そのプロジェクトの一つに臨床検査コードの標準化=日本標準制定があった。大手6社を巻き込んで5年ほどかけて、臨床病理学会から公表、日本標準となる。いま全国の病院システムがその臨床検査項目動いている。構想全体はとん挫している。NTTデータ通信事業本部と数回打ち合わせたが、コンピュータの性能と通信速度が30年後でないと要求仕様を満たさないという結論になったからだ。しかし、10年でコンピュータの性能も通信速度も要求仕様を満たした。世界中でこの手のシステムが開発され出しているが、肝心のインフラが整備されていない。それは検査項目コードの世界標準制定や電子カルテのフォーマットの標準化である。クラウド上で可能だがセキュリティが大問題になるだろう。世界中の個々人の病歴データが巨大なファイルとなって存在することになるからだ。)
 経営統合システム開発を8か月で終え、予算編成や管理をしていたが、2年目には検査試薬の16億円のコストカットを提案し、実行部隊に加わるように指示され、購買課へ応援部隊として参加したら、交渉が目標通りに終わると、2か月後には異動事例が出た。
 入社3年目に監査役と会社の送迎バスで出遭った。「いまどこにいるの?」「購買です」「そうか、購買部長か」「いえ、平です」そう言ったら外口監査役絶句した。監査役は親会社の富士レビオが上場したときの経理部長だから、会社上場で上場要件を満たす経営統合システムを作ることがどれほど大変な仕事か体験してご存じ。それを8か月でやり、画期的な「投資・固定資産管理システム」も作った。減価償却費の予算差異が1億円以上でて、上場要件に引っかかっていたので、システムを作り誤差を1/10にした。固定資産棚卸がいい加減だったので、これも貼り付けるラベルと棚卸の実務設計をして、上場要件に適合するように変えた。検査試薬のコストカットも自分で提案して、プロジェクトを作ってもらい、交渉にも参加して、予定通り16億円の成果を上げたから、わたしの手腕を正当に評価できる唯一の人だっただろう。「入社して翌年では課長昇進が早すぎる」と人事部の反対で昇格がぽしゃったと後で聞いた。購買課へ異動事例が出てしまったので、そこで2年半機器の購入担当とシステムメンテナンスをした。この異動は結果としてはわたしにとっても役に立った。仕事上、世界最先端の水準にある八王子ラボの全セクションへ立ち入る権利を得たのである。だから、打ち合わせは頻繁に検査現場でやるようにした。担当者と話せばその人の担当分野の専門知識がコピーできる。漫画のスライムのようなものだ。そしてその検査に関する文献が機器メーカーの営業から手に入るものは片っ端からお願いして持ってきてもらった。購買担当だから機器メーカーの営業員に否やはない。
 購買在庫管理システムは担当者2人がド素人だったので、帳票類の半分はわたしが設計して仕様書を書いてあげたもの。しかし他の部分であちこちに不具合があり、半年ぐらい調整作業の追われた。危険物の管理も種類ごとにシステムの中に組み込む必要が出てきて、危険物分野ごとに分類してマスターファイルを作り、システムを作り替えるニーズがあった。機器を担当したお陰で検査知識と検査機器に関する知識が身についた。マイクロ波計測器に比べたら、インターフェイスが遅れていた。GPIB(双方向インターフェイス)が産業用エレクトロニクスでは標準だったが、検査機器にGPIBバスが標準装備されることはなかった。とっても不便で、SRLでは92年ころDECの64ビットマシンのミニコンを使って検査機器とインターフェイスを実現した。当時のパソコンでは機器の制御は出来なかった。検査機器の理解には、産業用エレクトロニクス輸入商社で育んだ世界最先端の計測器や質量分析器、時間周波数標準機、制御・データ処理用のコンピュータに関する技術がそのまま生きたのである。4年間購買で勉強させてもらった。そのご学術開発本部担当取締役のIさんから異動の打診があり、1989年12月に学術開発本部スタッフとなり開発部の仕事や学術情報部の仕事を兼務した。この時に上司のI取締役がすぐに課長にしてくれた。開発部は検査試薬の共同開発をやっていたので、製薬メーカー2社と検査試薬の共同開発、そし担当者バラバラにやっていた開発業務のPERT法を使った標準化、慶応大学病院産婦人科のドクターとの出生前診断の日本人基準値づくりのプロジェクト・マネージャをやっている。本部内には開発部、学術情報部、精度管理部の3つの部があったが、本部スタッフとして全部の部の仕事をテーマごとにもたされた。学術情報部のほうは「ラボ見学案内」を担当した。担当者が3人いたが、三人ともやれるわけがないとI取締役に言ったようだ。一度ラボ見学にお客さんを案内するときにわたしを同行して見学させるように言った。その後すぐにわたしがお客様を案内して、三人が観察するように指示した。それで問題解決。何年もその仕事をやっている彼らよりもわたしの方がずっと上手だったから、もう文句は言わない。仕事の分担が明瞭になされた。学術情報部長のK尻さんはわたしのことをよく知っていたから黙ってみていた。彼女を臨床病理学会項目コード委員会と業界6社の産学共同プロジェクトへ引っ張り出したのはわたしだった。大手6社で始まったプロジェクトを2回目に参加して産学共同プロジェクトへ変えたのもわたしの仕事。5年ほどかけて日本標準検査項目コードになった。制定後は検査項目コード管理事務局がSRL学術情報部の担当になった。日本全国の病院のシステムはこのコードで動いている。検査機器の共同開発を製造メーカー数社とやっていたから、その機械が設置してある検査部門での説明は三人に渡されたマニュアルを無視してやった。RI部の精度管理用のサブシステムも一度見ただけで統計的な管理もシステムもわたしの専門領域だから10分で理解出来た。国内の病院からのお客様は、手が足りないときに応援、海外製薬メーカーからの見学希望者への対応がわたしの仕事になった。「本部内の業務の3割カットプロジェクトも担当した。一緒に組んで仕事して、「何年か後に、おまえに使われているかもしれないな」なんてことをつぶやいた。1年5か月で新しくできた関係会社管理部へ異動(1991年4月)し、子会社千葉ラボの赤字脱出プロジェクトを親会社側で担当。新システム導入で、生産性が3倍になり、簡単に黒字になった。25本のゲージのレーダチャートと偏差値評価をベースにした関係会社業績評価システムをつくり、経営分析レポートを作成。これは輸入商社にいたときに、HP97で開発したシステムをEXCELに乗せ換えただけだったので、簡単だった。総合偏差値で業績評価のできる優れものだった。予算で目標偏差値の設定もできた。そのあと、1993年2月から北陸と東北の臨床検査会社2社の買収と資本提携交渉を同時に担当し、6月1日から3年の約束で東北の会社へ役員出向。黒字化案をつくり創業社長の藤田さんに最終承認をもらいにSRL本社へ行くと、藤田社長と谷口副社長からストップを命じられ、1994年10月1日付で出向解除、SRL本社へ戻る。損益シミュレーションの結果は売上高経常利益率が15-20%でありSRLグループナンバーワンになるので、ストップがかかった。子会社SMS(千葉ラボ)の新システム導入による損益シミュレーションは予測値を実績値が越えたので、改善改革案実施後の損益シミュレーションについては社内で信頼度が高かった。
 悪いと思ったのか、社長室、経営管理課長、購買担当課長の3業務兼務辞令が出ていた。ところが意にそわないことが起きて、本社業務の続行を拒否し、子会社への異動を希望、1994年1月3日付で一番古い子会社であるSRL東京ラボへ出向。その会社のラボ移転を口実にグループ全体のラボ再編計画を進めていた。八王子ラボは手狭で4か所に分散していたので、150mの平面ラインでの自動化ラボ構築を考えていた。圧倒的に世界一の生産性と品質管理を誇るラボを作るつもりだった。子会社社長の箕輪さんを説得してラボ移転の合意をとり、土地を不動産屋を使って物色しようとしていたときに、SRL近藤社長に呼び戻され、1996年11月から帝人との合弁会社プロジェクトと新会社の経営を命じられた。経営の全権と仕事の進め方はわたしの流儀でやることを認めてもらって、引き受けた。
 合弁会社のプロジェクトは暗礁に乗り上げていた。新聞に公表した1月の開業に間に合わないので慌てていた。お手上げだったのだ。任務は3つだった。①期限通りに合弁会社をスタートさせること、②臨床治験検査とデータ管理の合弁会社で両社の赤字部門だから3年間で黒字にすること、③帝人出資分を引き取り合弁解消をすること、ああもう一つあった、④羽村にある帝人の臨床検査子会社を買収することだった。
 ④は簡単だと思った。1988年に購買課で機器担当をしていたときに染色体画像解析装置を3台、英国エジンバラの会社IRSから買ったが、そのあとで帝人と東北の臨床検査会社がそれぞれ1台ずつ購入したという情報を輸入元の日本電子輸入販売の担当者から得ていた。この分野の外注検査はSRLが8割を占めていたので、採算に乗るだけの検体を集められるわけがない、そんなこともわからないで処理能力の高さに目をつけて買うようでは、おそらく会社は赤字で、新規分野の拡張による採算改善を狙ったものだと判断していた。2社ともさらに採算を悪化させると予測していた。いずれ、買収してみたい、1988年にそう考えていた。帝人は大会社だから、30年経営しても採算を合わせられない事業だから、社員の引き取り保証などを条件に上手に持ち掛けたら買収できると考えていた。帝人本社側は臨床検査事業を持て余していた。東北の会社には1992年資本提携交渉をして1億円の出資をして役員出向、染色体検査の拡大で黒字にできるめどが立ったが、SRL藤田社長の反対で、実施を見送り、藤田さんに本社へ戻された。ラボのシステムを入れ替えれば生産性は3倍にできたが、千葉ラボで実験済みだったのでつまらないのでやらなかった。
 帝人との合弁会社は①~④を2年半で終了し、仕事が終わったので、老人医療をやりたくて300ベッド弱の特例許可老人病院常務理事として1999年10月に転職した。経営手腕を見ていた帝人の石川専務からはebisuさんが社長をやったらいいとは言われた。SRL社内はなかなかそうはいかない。学術開発本部長のI取締役を社長に迎えるつもりで、SRL社長の承諾を取り付けたが、Iさん辞めてしまった。あとで担当していた案件で失敗がありお辞めになったという噂を聞いた。
 かねてからお誘いいただいていた特例許可老人病院へ転職した。療養型病院へ転換するために病棟建て替えが必要だった。県庁の医事課長や横浜市の医療担当者2名と半年ほど建築仕様を確認して、新日鉄のゼネコン部隊へ発注、坪単価65万円(で20万円/㎡)で竣工。そのあと、2001年5月に外食産業上場の仕事で転職、本社事務所は銀座である。四丁目交差点から徒歩1分。オーナー所有のパチンコ事業も見せてもらった。首都圏で20店舗1000億円の売上の企業である。2年後に古里へ戻った。会社上場には四度、3社経験している。

 できない仕事はなかったと言っていい。黒字にできなかった赤字会社もない。経営には「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」を貫いた。だから、赤字の会社も黒字にできたし、ボーナスが増えて社員が喜んで働いてくれたから、黒字はますます膨らんだともいえる。
 マネジメントには商品とそれを支えるさまざまな仕事に対する知識が必要だった。生産性を上げたり、新規事業分野を切り拓く仕事にはシステム開発が必要だった。
 マネジメントは人である。自分だけが得をしようなんてちっぽけなことをちらっとでも考えたら、それは伝わってしまう。無心で、そして最善を尽くして仕事すること、結果としてそれが心地もよければ結果もよくなるものだと悟った。そういう心の在り方が日本人の仕事観で、奴隷労働に淵源をもつマルクスの工場労働=苦役とは対極にある価値観である。刀鍛冶が神にささげるために禊をして新年初めに刀を打つ、あの姿が日本人の仕事をよく表していると思う。経済学の公理に日本人の仕事観を置けば、まったく別の経済学と経済社会が立ち上がる。新しい経済社会を創造するには、実務デザイン能力と長期戦略が不可欠である。担うに足る能力をもった若者が、いずれ何人も出現するだろう。
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 50歳くらいになってだいたいまとまった。スキルス胃癌を患ったあと書き残しておく必要を感じて、このブログに掲載している。
 マルクス研究者ではあってもマルクス教の信者ではない。わたしが展開したのはマルクス批判である。いまは健全な保守主義者を自称している。16歳のときに目覚め、55年の長い旅路ではあったが、健全な保守主義に辿り着いた。



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#4072 人口もGDPも縮小でいい Aug. 28, 2019 [A4. 経済学ノート]

 拡大再生産が善とされているが、ほんとうにそうなのだろうか?
 政府は経済統計の基準を変えて如何にも増えたように見せているが、旧基準で作り直せば、GDPはすでに飽和限界を迎え、下り坂に差し掛かっているように見えないか?

 学術論文なら、ここでさまざまなデータを引用するところだが、煩わしいのでそういう手続きは一切省く。

 原子力発電所は、1950年代の経済高度成長期に、増大する電力事情に対応するために考えられた手段の一つだった。経済成長が続けば、電力需要も増大するから、電力供給もそれに対応する必要があった。
 原発稼働に伴って排出される使用済み核燃料は十万年以上も保管しなければならないが、東京電力や私の住む地域にある北海道電力が会社として10万年後にあると思う人は一人もいないだろう。日本政府だって明治から数えてもわずか150年にすぎぬ。原子力発電所から出る使用済み核燃料の処分と保管に、実際にはだれも責任がもてないのである。
 深い地下に埋設しても、どうやってもいずれ、環境中に流出してしまう。日本列島は環太平洋火山帯の一環をなしており、10万年後に日本列島が現在の形をとどめているとは思えない。地下埋設の適地はない。
 『Sapiens』の著者ハラリによれば、ホモサピエンスが文化を形成し始めたのがわずか7万年前のことだ。こんな短期間で、原子力発電所をもっている。これからさき何を産み出すのだろう?
「10万年前の地球には、少なくとも六つの異なるヒトの種が暮らしていた。『サピエンス全史(上)』20頁
 10万年後に地球上で現在の人類が暮らしているのかどうかわかる人はいない。
*弊ブログ’Sapiens’
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306194255-1


 経済成長がなければ、原子力発電は必要がなくなる。経済成長がとまることは人類の生存にとっては歓迎すべきことなのだ。

 秋刀魚の水揚げ量が減っている。小型船、中型船では水揚げがほとんどゼロに近かった。先週から大型船が解禁になり、一昨日ようやく40隻が戻ってきて道東の各漁港へ水揚げされたのは500t、ようやく昨年の8割に戻し始めた。
 漁具や装置が性能を上げている。衛星で海水面の温度変化を時々刻々計測し、魚種ごとに集まっている海面を予測できるような時代である。データから確率の高そうな場所を選んで、その位置情報入力して船を走らせ、高性能の魚群探知機で群れを見つける。ずいぶん便利になった。秋刀魚を食べなかった中国人や東南アジアの国々の人たちが秋刀魚を食べはじめて、獲れば獲るだけ右から左に売れていく。巨大な中国船や台湾船が北方公海上に出んと居座り、網を入れて秋刀魚をとり続ける。輸送船が母船に来て冷凍した秋刀魚を次々に台湾や中国へ運んでいく。
 公海上での秋刀魚の乱獲の影響はすさまじい。秋刀魚この5年くらいで見る間に小型化してしまった。5年前は180gが主力だったのに、昨年から120gの脂ののっていない小さな秋刀魚ばかりだ。13億人の中国人が日本人と同じくらい秋刀魚を食べるようになったら、北太平洋上から秋刀魚は姿を消すだろう。
 船が大型化し、GPSや魚群探知機や衛星からの情報、そしてそれらを分析するソフトウエアは毎年性能を上げ、秋刀魚の漁獲高は急激に増え続けている。秋刀魚漁の拡大再生産と拡大消費である。各国のGDPが上がり、資源量は枯渇に向かって驀進している。便利になりすぎた。
 鮭鱒流し網漁は、資源の枯渇化を防ぐためにすでに禁止だ。味が蛋白で、身が大きいタラバガニは昭和の乱獲で、とっくに沿岸資源が激減してしまった。無軌道な拡大再生産の果てにまっていたのは、漁業資源の枯渇だった。

 60年前にはなかったペットボトル飲料がコンビニにもスーパーにもずらりと並んでいる。分別収集しても、一部は川へ流れ、海へ出てしまう。レジ袋もそうだ。たしかに、ペットボトルもレジ袋も食品トレーも便利この上ない。棄てられたプラスチックは紫外線に弱いから海を漂いながら、劣化し波の力で分解されて小さくなっていく。それがプランクトンや小魚へ、食物連鎖であらゆる海の生物がマイクロ・プラスチックで汚染されていく。人間が出したゴミは、結局のところ人間の身体へ戻ってくる。
 流通ルートの検査では検知できないほど微小なマイクロ・プラスチックや、プラスチック製造に使われた添加物(化学薬品)が人間の体内の蓄積し始めている。いまや、水道の水にも含まれてしまっており、除去できない。遺伝毒性があるのかないのかもまったく不明だ。マイクロ・プラスチックを体に取り込んだら何が起きるのかという壮大な実験を、人類はいましている。結果が出たときには、たぶん取り返しがつかない。
 レジ袋も、ペットボトルも、生鮮食品を載せる白いトレーも、人類の生存を考慮すると使用をやめなければならない。
 
 人口縮小すればペットボトルの消費量もレジ袋の消費量も減少する。GDPが減れば、あらゆる生産物の絶対数が小さくて済む。

 拡大再生産の行きつく果ては人類滅亡である。人類が生き延びるためには、過剰な便利さを棄て、人口もGDPも縮小すべきだ。そして、生態系の中で、安定的に人類が暮らせるのはどれくらいの数なのか、調査・研究したらいい。
 日本では人口3000万人の江戸時代が参考になるだろう。人類史上まれにみる高度な循環経済型都市だった。現在の技術ではどういう循環型経済社会が築けるのだろう。
 人類の叡智がためされている。



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#969 日本人の矜持(2):経済学への示唆  Mar.23, 2010 [A4. 経済学ノート]

(『国家の品格』の次に中1の音読テクストに何を取り上げようかと思って、藤原正彦著『日本人の矜持』を再読してみたら、藤原正彦がアダム・スミスの経済学の前提条件=経済学の前提条件に関する根本的な疑問を述べた箇所にぶつかった。
 最近読まれている弊ブログ記事をチェックしたら6年前の2010年3月23日に該当箇所を引用しコメントしてあったことに気がついた。それで、再アップをしようと思った。
 行き詰まりを迎えている経済学への数学者からのたいへん鋭い疑問である。わたしは昨年1月に「資本論と21世紀の経済学」で、藤原氏の疑問に応えたことになる。藤原氏の疑問に真摯に応えることのできる経済学者が日本にいれば議論ができて楽しいだろう。
 なにはともあれ、経済学の前提=経済学の公理公準を日本的職人仕事に置いて、四百字詰め原稿用紙換算600枚ほどを書き連ねた。日本発の新しい経済学の誕生である。興味のある人のために、「資本論と21世紀の経済学」のURLを貼り付けておく。・・・2016年2月24日記す)
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  数学者とはすごいものだ。慧眼の数学者は岡潔だけではなかった。一つの学問分野を深く掘り抜けば、他の分野へも通底するものがある。
 藤原正彦はA.スミスの経済学へ次のような根本的な疑問を投げかけている。わたしは経済学にこのような根本的な疑問を投げかけた経済学者を寡聞にして知らない。

 (アダム・スミスの)予定調和でこの社会が巧く回っていく、と。しかし、そこにあるのは結局は経済の論理だけなんです。人間の幸福ということはどこにもない。市場経済もまったく同じです。いま、何をするにも「消費者のため」と言いますよね。消費者がよいものを安く買えることがもっとも大切だ。たとえばお米を安くするためには自由貿易を推進してお米をどんどん輸入するのがよい。そうすると日本から百姓はいなくなって、美しい田園が全部なくなってしまいますが、そうなっても仕方がない。消費者が半分の値段でお米を買えればいいじゃないかと、そういう論理です。
 はっきり言ってしまうと、経済学の前提自体が根本的に間違っている。人間の幸福ということは全く考慮にない。人間の金銭欲のみに注目し、個人や国家の富をいかにして最大にするしか考えていない。ものすごい天才が出てきて、経済学を根本的に書きかえてもらわないと、地球はもたないと思います。
 産業革命以来、西欧は論理、合理を追求しすぎて、「人間の幸福」ということを全部忘れてしまった。(106ページ)

 
 この箇所を読んだとき、日本の経済学者は誰一人このことに気づいていないのに、なぜ数学者である藤原正彦氏が気づいたのか、その目の確かさに驚いた。
 ユークリッド原論は数学者の常識に属するから、経済学の出発点の誤りが体系全体へ及んでいるというのは学問体系の相似性から言いうることで、むしろ当たり前のことだったが、経済に関心をもつすぐれた数学者がいなかった。
 その一方で次のような疑問がわく。経済学者、とりわけ日本の経済学者たちはなぜこのことに気づかなかったのだろう?
 簡単に言えば自分の頭で考えていないからだろう。ある種の能力がないとも言い切ってよいかもしれない。スミスやリカードやマルクスやケインズの目でしか経済現象を見ていない、誰一人自分の目で見ていないのである。どこか学問をやる根本的な視点がずれている。経済学に限らずそういう「学者」が多いのは事実だろう。話はそれるが林望『知性の磨き方』(PHP新書)を読んだときにも、学問への姿勢に違和感を感じた。

 わたしがこのことに気づいたのは学部の3年生のときである。会計学科にいながら哲学の教授のゼミでマルクスの『資本論』や『経済学批判要綱』を読み、その労働観に違和感を感じていたが、その淵源については考えが及ばなかった。
 もともとは高校2年のときに『資本論』を読んだことがきっかけだ。100ページほど読み進んだが仕組みがわからなかった。早熟な高校生だった。ちょうど出版され始めた中央経済社の『公認会計士2次試験講座』をとって公認会計士の勉強を始めた頃のことだが、簿記論と会計学と原価計算論はもう二次試験レベルの参考書が十分理解できるだけの専門知識があった。監査論はつまらなかったが、たぶん会計学の力が弱かったせいだろう。やり始めた経済学は近代経済学だったが、興味が広がり『資本論第1巻第1分冊』を読んでみたが、さっぱり理解できない、体系がまるで見えてこなかったのである。大きな森に迷い込んだような感覚があった。公認会計士二次試験講座の近代経済学はテクニカルな解説書だから、簿記論や原価計算論に近いものがあったので読んでわからないということはなかった。その延長線上で『資本論』も何とかなると思って読み始めたが、山の高さを感じただけで登る力はないことが次第にわかった。いつの日かリベンジして丸ごと理解してやると心に決めた。学の体系へ興味はそのときに芽生えた問題意識が本である。
 それ以来ヘーゲルの著作を読んだり、体系構成の方法に興味が向かい、高校生としてはかなり背伸びした読書をした。大学(会計学科)へ入学してから興味の向くまま方向転換、哲学の教授のゼミで勉強し、次第に問題が鮮明になった。必要なときには必要な先生とめぐり合うようにできているものだ。人生とは不思議だ、師との出会いは偶然のようでもあり、必然のようでもある。
 大学院でようやく研究に目処がついたが、これ以上『資本論』の体系構成について明らかにしても、学問的な意味が大きいとは思えなかった。どの学者とも、どの学説ともまったく異なる理解をしていたので、どのように説明したらいいのか行き詰まりを感じていたことも事実だ。
 わかったことは『資本論』は『ユークリッド原論』と同じ公理的構成になっているということである。根本概念は「抽象的人間労働」である。そこからさまざまなフィールド(場)が導入され順次諸概念が展開され具体性をまし、概念が現実性へ近づいていく。プルードンの「系列の弁証法」からもマルクスは方法をいただいていたし、デカルトの「科学の方法の4つの規則」も参考にしただろう。しかしそれだけのことだ。問題意識を抱えたまま、民間企業へ就職した。もともと企業経営に興味が強かったからだ。のめりこむように仕事した、あっというまの25年だった。

 当時はマルクスの「抽象的人間労働」に根本的な瑕があることを見抜けなかった。西欧の学問にのめりこみすぎていて客観視できなかったのだろう、いまになってわかる。30代になり自分の内部では東洋回帰が始まった。西欧経済学への行き詰まり感がそうさせたのかもしれない。原始仏教経典『阿含経』『スッタニパータ』などを読み始めたのがきっかけだった。日本古代史にも関心が向かった。運よく『ほつまのつたえ』原典が出版され、購入できた。話しがそれるので東洋回帰はまた別の機会に書こう。

 気がつくと、マルクスの『資本論』や『経済学批判要綱』は理解する対象から、乗り越えるべき対象へと変わっていた。とにかく私は全く別の経済学を創りたかった。学の出発点を変えることで別の体系ができることは承知していたが、対置すべき根本概念が見つからなかった。何を学の出発点に措定すべきかが見えてこなかった。まだ、時期が早い、漠然とそう感じていた。当時は明らかに力不足で自分の手に余るテーマだった。
 ようやくこの数年、日本人の労働観がヨーロッパのそれとは違うことに気づいた。25年民間企業で働き、自らの体験を通して、現実の労働に「労働疎外」という感覚のまったくなかったことを理解した。気がつくのが遅すぎるが、それだけA.スミスやリカードの影響が強かったのだろう。そういう古典派の学説を頭の中から払拭し、自分の目で経済現象を眺めるためには20年という「発酵」(冷却?)期間が必要だった。
 もちろんマルクスは日本人の労働観を知らない。彼と私では労働に対する概念がまるで違っている。根室で生まれ育った私がイメ-ジする「森林」はミズナラや白樺や松を想像するのに東京人がイメージする「森林」は杉をイメージするぐらい、同じ「労働」という概念について、マルクスと私では違っている。
 複数の業種での仕事を通じて、自己実現、雑念や私欲を削ることがいい仕事につながることがわかった。人間疎外とは正反対の自己実現の労働の世界が、そして私的利益の拡大を至上命題とする経済活動とは異なる価値観が日本にはある。
 近江商人の商道徳、「売り手よし、買い手よし、世間よし」や住友家の「浮利を追わず」などにみられる西欧との商道徳の違いが経済学体系に及ぼす重要性がわかり始めてきた。江戸期の米相場で生まれた先物取引に関する考えも、200年以上遅れてできた欧米の先物取引市場とは正反対である。米相場における先物市場は儲けの手段ではなく、リスク回避の手段だったし、江戸期はそのように運用されていた。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の世界である。売り手がよければ他は全滅してもかまわないというヘッジファンドとの違いが際立つ。

 日本から異質な労働観に基づく経済学が始まる、そのことはたしかなことに思える。


*#967『日本人の矜持(1):和算 江戸期の数学 関孝和と行列式 経済学』
 
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#2784 百年後のコンピュータの性能と人類への脅威 Aug. 22, 2014 ">


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  #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015

 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015  

  #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015  

  #3162 絵空事の介護離職ゼロ:健全な保守主義はどこへ? Oct, 24, 2015    

  #3213 グローバリズムを生物多様性の世界からながめる(Aさんの問い) Dec.28, 2015 

  #3216 諸悪莫作(しょあくまくさ)  Jan. 3, 2016

 #3217 日本の商道徳と原始仏教経典 

 #3236 株価暴落で日銀総裁と安倍総理が会談 Feb. 12, 2016
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(2010-03-23 11:12:02)

日本人の矜持―九人との対話 (新潮文庫)

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#3175 市民社会派の諸説 Nov.13, 2015 [A4. 経済学ノート]

 マルクス経済学では市民社会派と呼ばれる一群の経済学者がいる。内田義彦先生や望月清司氏、平田清明氏、哲学畑からは廣松渉氏をあげれば十分だろう。
 彼らは、『経哲草稿』『ドイツ・イデオロギー』『経済学批判』『経済学批判要綱』を取り上げ、マルクスの歴史認識を俎上に載せる。
 当然、ヘーゲル『歴史哲学』との関連も問題にせざるをえない。

 こういう方向でのマルクス研究が経済学としてどういう意味をもつのか、あるいは意味をもたないのかはっきりさせておきたい。「資本論と21世紀の経済学」の立場からの市民社会派の諸論批判ということになる。
 マルクスは『資本論第1巻』を書き進むうちに、経済学諸概念の体系化にヘーゲル弁証法が暗礁に乗り上げたことに気づき、資本の生産過程以降を書けなくなる。それがどういう問題を孕んでいたのかについて、宇野派も市民社会派も気づくことがなかった。

 市民社会派は『資本論』の体系構成法(廣松渉氏は「体系構制法」と書いている)については、スルーしてしまう。望月氏は『資本論』には自分の力が及ばないことを『マルクスの歴史認識』で正直に吐露している。
 『資本論』の体系構成法が明らかになると、市民社会派の論は成り立つのだろうか。一度整理する必要がある。

 内田義彦先生の諸著作と廣松渉氏、平田清明氏、望月清司氏の本をいま一度読み直さなければならない、手間がかかるが面白いことになりそう。

 いま手をつけている「認知症と介護」に関する仕事が終わってからやってみたい。


 #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
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 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
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 #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015 
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 #3162 絵空事の介護離職ゼロ:健全な保守主義はどこへ? Oct, 24, 2015 
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 #3170 地に落ちた日本の伝統的商道徳:三井不動産と旭化成建材 Nov. 4. 2015
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 #2501 フクシマ原発周辺住民Mikoさんのビデオ証言 Nov. 17, 2013
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#2918 見えてきた対立軸 経済アナリスト森永卓郎氏の意見 Dec. 23, 2014 [A4. 経済学ノート]

 経済アナリストがどういうバックグラウンドをもっているのかよく知らないのだが、経済アナリストを自称する森永卓郎氏はタレントでもあるが、東大経済学部卒の獨協大学経済学部教授だ。ニコニコしながら時々いい加減なことも言うが憎めないキャラである。
 12月20日のNHKラジオ番組「ビジネス展望」での彼の意見を紹介する。

 今回の選挙は自民党は3議席減らして291議席である。今回の選挙結果を通して国民の大きなニーズが見えてくる。
 維新の会は当初惨敗と言われていたが比例区で盛り返したのは「身を切る改革」、「行政改革」を選挙戦に入ってから言い出したからだ。
 次のように数字を挙げてその必要を裏付けてみせる。
 ①今年度の歳出アップは2.2兆円、過去10年の平均値は4000億円
 ②今年度は7-9月期の落ち込みが予想以上だったので経済対策としてさらに3.5兆円の追加補正予算が組まれる
 ③合計5.7兆円の歳出アップとなる
 ④4月の消費税増税で増収は4.5兆円
 ⑤差し引き1.2兆円(4.5-5.7兆円)の財政悪化

 結論から言うと、政府は消費税を3%増税して、「大盤振る舞い」をして財政をさらに悪化させたことになる。もちろん法律上は消費税アップ分は社会保障費に使うことになっているのだが、使ったのは2000億円のみ。借金返しの財源でもあったはずだが、借金はさらに増え続けている。
 森永氏は歳出増大「大盤振る舞い」の事例を二つだけ挙げた。
 (1)前年比21%アップ:国家公務員の冬のボーナス
 (2)前年比25%アップ:国会議員
 これでいいのだろうかと森永氏は問う。公務員給与やボーナスは50人以上の事業所を対象として調査した給与に基礎を置いて計算している。事業所規模で50人というのは会社当たりではない。大企業の支店や営業所を含んでいる。こうし規模の事業所はいわば「勝ち組」である。勝ち組に処遇を合わせること自体がおかしいと森永氏は言う。そして「すべての企業平均値」を処遇の基礎にすべきだと言うのである。それだけで国家公務員給与は2割削減でき、歳出削減によっておおよそ1兆円の財源が捻出できる。退職金や年金も「すべての企業平均」を基礎にすると3割ほどもカットできると言う。
 社会保障費が年々増えていくから増税は仕方ないにしても、大盤振る舞いをしていたらいつまでたっても財政再建ができない。歳出削減による「身を切る改革」「行政・財政改革」を断行すべきだ。

 もうひとつの論点はタカ派の次世代の党が消滅に向かい、平和主義を唱える公明党と日本共産党が議席を伸ばしたこと。国民が平和主義を支持したというのである。
 さらに自民党の政策へ沖縄全島が反旗を翻したということを挙げている。小選挙区では自民党が全滅、沖縄県民は自民党の政策を支持していない。これは普天間飛行場の移設問題で政党を乗り越えて政策調整が成功したからだ。

 これらの点を踏まえて、次の2016年参議院選挙が正念場となると森永氏。それまで野党間での政策調整ができるかどうかが決め手になるのだそうだ。

<ここからebisuコメント>
 国債発行残高は1000兆円を超えた。貿易収支は赤字を続けている。経常収支も来年度には赤字になりそうである。ロシアがルーブル安対策で金利を16%に上げたがルーブル安がとまらない。米国も金利上昇へと舵を切る。日本で長期金利が上がれば政府財政は破綻する。

 夕張市が25年計画で累積赤字の解消をしつつあるが、それは市職員のリストラ、市立病院閉鎖、残った職員給与3割削減、人口の大量流出、地元信金の消滅など痛みを伴う改革の実施によって支えられている。
 痛みを伴う改革、身を切る改革を実行しても、夕張市のようにいずれそうなることは避けようもないだろうから、国家公務員や地方公務員のみなさんがこぞって身を切る痛みのある改革を受け入れるとは思えない。破綻は来るべくして来るのである。
 さてアベノミクスのツケは国家公務員にだけ回るのではない、地方交付税交付金も半分以下に減額せざるをえなくなるから地方公務員も同じことだし、国債を大量に保有している保険会社や信託銀行、大手も中小の銀行も大きな痛手を受け、最終的には国民にツケが回ってくる。国債の暴落と大幅な円安による物価高騰。いや、円安による物価高騰はもうはじまっている。

 アベノミクス、このままでいいのだろうか?
-----------------------------------
<円安の影響:1ドル120円>
 外国為替が今週120円/$を超えた。第二次安部政権の誕生は2012年12月26日のことである。その直前2012年11月は80円/$だったが、2年と1ヶ月前に比べて50%の円安である。
 ガソリン価格は当時ハイオクで158円/㍑していた、レギュラーだと148円くらいだっただろう。先月11月にガソリンを入れたときにレギュラーで153円/㍑だった。
 原油価格(ブレント)は2012年11月は108$/バーレルだった、2014年11月は78$である。今月に入って60$台を動いている。
 仮に為替が80円だったとしたらガソリン価格がどれくらい値下がりしたか計算してみよう。

  158円/㍑*78$/108$=114円/㍑
*原油価格の推移 http://ecodb.net/pcp/imf_group_oil.html

 28%の値下がりである。ハイオクで114円、レギュラーだと104円付近の価格ということになる。灯油も同じ28%値下がりしただろう。専門家の予測によると、中国やインドそして欧州の景気が悪いので需給が緩み来年度は60$台を推移するようだ。
 円安というのは日本の国力の低下、円高は日本の国力の上昇と考えたらいいのである。だから一国の総理大臣の地位にある者が円安(国力低下)誘導を叫ぶなどというのは狂気の沙汰に感じてしまう。
 円安が国民生活にとっていいわけがない、輸入品の価格は安倍政権前に比べて円価換算ですでに1.5倍に上昇している。輸入産業は青息吐息だろう、中小企業はコストアップ分を製品価格に転嫁できずにあえいでおり、とても賃上げどころではない。景気が好いのは全産業の14%を占める輸出産業の一部である。いったいどこがいいのだろう?
---------------------------------------

 森永卓郎氏の面白いところは、以前はかれは景気回復のためにもっと大型予算を組むべきだと声高に主張し成長路線に大賛成、アベノミクス礼賛派だったのだが、以前の主張などどこ吹く風でころころ意見を変えて恥じないところが、融通無碍でかわいいのだと思う。
 ご用心、半年後にはまったく別の意見を述べているかもしれない。経済学をきちんと勉強していたら、これほど節操のないことは言えない、そこが森永氏の強みである。

 経験科学であるところが経済学の限界、未来がどうなるかは神のみぞ知る、経済学者の知るところではない。
 日本では浮利を追ってはいけないという商道徳が普遍的なものとして受け継がれてきた。ところが異次元の金融緩和と大量の国債増発をがんがん実行するアベノミクスは浮利を追う行為そのもの、日本人が何百年も戒めてきたことなのである。理由は簡単だ、浮利を追ったら必ず破綻するからだ。もっと地道なことに精を出すべきだった。

<職人仕事に基礎をおいた経済社会という現実的な選択肢>
 マルクスの労働概念は「苦役」、日本人の仕事観は「歓び」、働くとは「傍(はた)を楽にすること」。人類は経済的欲望を抑えなければならない。お金中心の経済社会を卒業して、職人仕事中心の経済社会(職人仕事経済社会)の扉を開ける時期が来ている。
 いったんクラッシュした後に、どういう経済社会へと向かうのか、そこが正念場である。そのために職人仕事中心の経済学を書き残しておきたい。マルクスの『資本論』が想定する工場労働とは対極にある職人仕事を中心とした経済社会のビジョンを明らかにしておきたい。
 少子高齢化と人口減少が加速的に進行する日本、あらゆる産業技術が揃っている日本、高度な産業社会を維持しながら自給自足が可能な日本、考えようによっては日本は新しい経済社会へ向けて先頭を走っている。

■ 小欲知足
■ 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」に「従業員よし、取引先よし」を加えて「五方よし」


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政党別議席推移データ
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5235.html

衆議院総選挙政党別獲得議席の推移
 2003年2005年2009年2012年2014年
小泉政権郵政選挙民主へ
政権交代
自民が
政権回復
アベノミ
クス解散
議席数計政党計480480480480475
自民党237296119294291
民主党1771133085773
その他667153129111
小選挙区自民党16821964237223
民主党105522212738
その他2729153634
比例代表自民党6977555768
民主党7261873035
その他3942389377
(注)2014年の小選挙区自民党には選挙後の追加公認1名を含む
(資料)総務省自治行政局「衆議院議員総選挙結果調」など


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*#2910 自民圧勝の後に来る経済・財政の重大な危機 : 日本文明の再生 Dec. 15, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-12-15

 #2906 民主主義の危機:衆院選投票率は最低を記録か? Dec. 13, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-12-13-1

 #2892 スタグフレーション突入とアベノミクス Dec. 1, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-11-30-1

*#2879 アベノミクスはバンザイノミクス: ゴールドマンサックスの見解  Nov. 23, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-11-23-2

 #2878 選択肢のない北海道7区:衆議院議員解散総選挙 Nov. 23, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-11-23-1

 #2850 'Promoting women at work'1-2 :女性大臣二人辞任 Oct. 22, 2014     
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-22

 #2849 'Promoting women at work' :2女性大臣辞任 Oct. 22, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-21


 #2838 円安評価をめぐる経済界と日銀のズレ:山口義行教授 Oct. 14, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-13-1

 #2775 内閣府「国民経済計算4-6月期」データ解説 Aug. 13, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-13

 #2774 'Bad inflation' shadows Japan (悪性インフレの陰りあり) Aug. 13, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-12

 #2770 「経済成長の天井」:日本総研山田久調査部長の論  Aug. 11, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-11

 #2766 疑問符がついた景気回復の先行き Aug. 9, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-09

 #2759 有効求人倍率1.1倍、19ヶ月連続上昇 Aug. 5, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-05

 #2753 上海福喜食品対米国産牛肉:どっちもどっち? july 30, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-30

 #2742 藤原直哉(前編):物価と景気動向⇒二番底が来る July 21, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-20-1

 #2731 10年間で33%農業人口が減少している日本の農業 July 11, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-11

 #2729 年金基金の運用資産が130兆円から210兆円に増える:危うい株式投資 July 9, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-08

 *#2719 'Bad inflation' shadows Japan (悪性インフレの暗い影が日本を覆う)  June 28, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-28-2

*#2715 GPIFの株購入と銀行保有リスク資産に関わるBIS規制変更 June 25, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-25

 #2702 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"③:公務員は別扱い June 10, 2014   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-10

 #2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

 #2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-06

*#2693 鎖国をして国内雇用を確保しよう May 31, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-31

 #2669  成長戦略:規制緩和を考える May 7, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-05

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  #2245  円安はそんなにいいことか? Mar. 17, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17

  #2185 各論(3):'Abenomics' Jan. 24, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-24

 #2170 各論(2):貿易収支赤字転落⇒? Jan. 3, 2013 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-04

  #2169 各論(1):国債暴落の可能性とその影響 Jan.2, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-02

 2168 歴史認識を欠いた安倍新政権の歴史的役割(2):蔵相高橋是清暗殺 Dec. 31, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-31-1

 #2164 歴史認識を欠いた安倍新政権の歴史的役割は何? 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-28

 #2158 自民党圧勝294されど第2の危機民主党惨敗  Dec.17, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-18

 #2144 成長路線と金融緩和の罠 : 衆院選挙でナイトメアがはじまる 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-11-30

 #1828 ゼロ金利の罠: Fed targets and transparency Feb. 3, 2012
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-03

 #829 国家財政破綻の瀬戸際  Dec.12, 2009
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-12-12

 #346 これから10年間の日本経済のシナリオ
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10 





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#2910 自民圧勝の後に来る経済・財政の重大な危機 : 日本文明の再生 Dec. 15, 2014 [A4. 経済学ノート]

 安倍総理の選挙戦略はなかなかすばらしいものだった。経済悪化が誰の目にもハッキリする前に勝負に出た。この勝負は安倍総理の勝ちだ。ずるく立ち動いたって勝てばいい、そういう意味では党利党略を最優先した実に見事なタイミングの解散総選挙だった。

 しかし、そのずるさがあたりすぎて投票率は最低の52.66%、戦後最低だった前回よりも6.66ポイントのマイナスとなった。たまたま6が3つ並んでいるが昔のホラー映画(オーメン)でそういうのがあった。
 ニュースでは自民党の得票率がまだ出ていないが、前回の24%からさらに下がって22%台が予想される。国民の4人に1人以下の支持しかないのに小選挙区と比例区合わせて61.3%、291議席を獲得した。こうして現行の選挙制度が民意を反映しないものであることが二回の衆院総選挙ではっきりした。
(小選挙区の自民党の絶対得票率は24.5%、議席数は75%だった―16日追記)
 日本列島に私たちの祖先が住みついてから営々と文化を受け継いで、縄文時代以来1.2万年の歴史があるが、はじめて人口減少時代を迎えている。だからかつてのような経済成長はありえないのである。日本列島の文明が初めて経験する人口減少時代という大転換に突入しているという大きな歴史認識が必要なのだろう。
 生産年齢人口もすでにピークを超えて200万人以上減少しているし、高齢化と少子化が同時進行中である。そして非正規雇用割合が40%を超えて、若年労働者の貧困化が進んでいる。財政は赤字の度合いをますます大きくし、国債残高はついに1000兆円を超えた。
 日銀が本日公表した大企業の景況感は悪化に転じた。

 自民圧勝だが、問題はこの後だ。これからアベノミクスの瓦解がはっきりし、安倍総理の苦悩が始まる。体調を崩して以前のような突然の辞任というような事態が起きないだろうか?

 四月の統一地方選挙までに、さまざまな経済統計指標の悪化がアナウンスされるだろう。「道半ばだからアベノミクスの成果はこれから」という言い訳がもうじきできなくなる。
 わずか22%の得票率しかないのに60%を超える議席を獲得した政権が民意の支持のないのは明らかで、それを無視して独走すれば、経済指標の悪化の度合いに応じて内閣支持率が急激に下がっていく。

 TPPは最悪の選択だ。歴史の大転換期にふさわしい処方箋ははっきりしている。国内に生産拠点を取り戻し、若い人たちに正規雇用を確保するために強い管理貿易(鎖国)政策の導入に踏み切ればいい。粛々と経済縮小を受け入れ、国内生産・国内消費の自給自足型経済システムを創りあげることができるのは世界中で日本だけだろう。日本には世界の先端を行くほとんどの産業技術が揃っているからだ。
 伊勢神宮では式年遷宮(20年ごと)で内宮と外宮の正殿を建て替える。正殿と14の別宮社殿を立て替えることで1300年間建築技術を伝承しているのである。建て替えという仕事をつくることで技術の伝承を確実なものにする、その結果1300年間神社建物をつくる技術が連綿と受け継がれてきた。
 いまなら団塊世代が継承し貯えてきた技術を若い人たちに伝承できる、そのためには国内に生産拠点がどうしても必要だ。

 安倍内閣は支持率が下がり、総理は立ち往生することになるが、それでいい。そのあとに経済社会の大転換を図れば、ぎりぎりで間に合うことになる。

 圧勝の後にピンチあり、そしてピンチの後にほんとうのチャンスが訪れる。


-----------------------------------------------
<弊ブログ#2669「成長戦略:規制緩和を考える」>抜粋引用
 わたしは縄文時代からカウントして1.2万年の日本列島の歴史で、はじめて迎える人口減少時代に、成長戦略なんてナンセンスだと考えている。思いっきり単純化してみたら誰にでもわかる。

     一人当たり国民所得×生産年齢人口=国民所得

 老人の年金収入もあるじゃないかなんてことは無視、大雑把な話の方がよくわかるから細かいことは言いっこなし。稼ぎ手が減れば基本的に国民所得は減ると考えよう。
 非正規雇用が増えれば一人当たり国民所得は減少するし、生産年齢人口(15~64歳)は激減し始めているピークには8700万人いたが2040年には6000万人を割るのである。一人当たり国民所得が横ばいでも国民所得の合計は3割も減少する。消費が26年間で3割以上減少するということだ。所得だけではない、電気もガスもガソリンも燃料用灯油も食料品も消費量が3割減る。人口縮小時代には原子力発電なんて無用の長物と化す。原発維持がしたくて成長路線を声高に言っているのではないのか。
 そういう人口減少時代にGDPをいまの規模で維持できるわけがない。だから成長戦略は幻である。成長ではなく減速戦略あるいは縮小戦略に切り換えるべきだ。そういう観点から日本経済を見直してみた方がいい。
・・・・・
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*#2906 民主主義の危機:衆院選投票率は最低を記録か? Dec. 13, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-12-13-1

 #2909 衆議院議員選挙投票所の様子  Dec.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-12-14-1

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#2865 マルクスの労働観と日本人の仕事観:学校の先生必読 Nov. 13, 2014 [A4. 経済学ノート]

  ブログ「情熱空間」に「面従腹背にして実体化阻止という文化」なる論説がアップされていたので、面白いテーマだからコメント欄に書きこんだ。
 転載してご覧いただいてから、すこしばかり長い捕捉解説をするつもりである。
 
(ブログ「情熱空間」に書き込んだコメントにすこし加筆しました)

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7631522.html
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2014年11月10日

面従腹背にして実体化阻止という文化

実体化阻止。

北教組の常套句らしいですね、それ。文科省や道教委の職務命令にことごとく従わないわけですから、別の言い方をするとこうなります。職務専念義務違反。いや、職務命令違反そのもの。

言いたいこと。かれこれ10年来、我が釧路の子ども達の学力問題を追い続けてきましたが、どうやら教育行政のど真ん中にも、この実体化阻止の文化がすっかり根付いてしまっていて、それがために一向に物事が進展しないと、そうした構図が浮かび上がってきます。またまた別の言い方をすると、こうなるでしょうか。

面従腹背。

面従腹背にして、実体化阻止の文化。そして、その文化は継承され続けてきた。時間切れ終了を待ち、責任を負うことなく、下野して終了。それなのに、ちゃっかりと名声だけは持って帰る。「計画を立て、検証を行います」としながら、まともな計画が立てられないばかりか、検証などやったこともなし。ならば答えは簡単ですね。そこ、ぶち壊してしまえばいい。

《追記》
ebisuさんからいただいたコメント。おお!何と鋭く「本質」を射抜いてらっしゃることか…。私なら、こうはいきません!なぜ、北教組はその存在自体が社会悪なのか。なぜ、その北教組から一刻も早く抜けるべきなのか、その理由がここにあります…。

はは、「実体化阻止」いいネーミング、いい作戦ですね。 
マルクスに限らず労働価値説の真骨頂がここに見えています。サボタージュすればするほど労働者が得をするという考え方は労働価値説そのものにあります。 
面従腹背で業務命令も無視、上司の言うことには「はい、わかりました」とにこにこ顔でやり過ごす。
ソ連の労働者も中国の労働者も大方がそういう働き方をしてきました。 
経済の仕組みが資本主義に変わってしまいましたから、ロシアの労働者も中国の労働者も競って精を出さないとクビです。 

日本の「教育労働者」を自称する人々は、まるで共産主義の国の住人のような意識のままのようですね。 

反社会的な行為です。子どもたちの教育に携わりながら手を抜く、結果がどういうことになるのかよく考えてほしいものです。 

そんなことをしていたら、子ども達も保護者も敵に回すことになる。


《追記2》
そもそも、「信じているはず」のマルクスの理論をちゃんと勉強し、論理武装をした上で主張を展開しているのでしょうか、あの方々は。そこが最大の疑問ですね。そうしたことを何も知らず、クミアイが主張することをただトレースするということは、それを鸚鵡返しと言うのでしょう。以下を論破できる共産党員・社民党員・民主党員(旧社会党系)はいるのでしょうか?ebisuさん、すごいです!

マルクスの労働価値説では、労働は質が同じものと想定されています。それをマルクスは抽象的人間労働とネーミングしているのです。

名人の仕事と半端職人の仕事が同じであるはずがありませんが、マルクスは労働は質的に同じだと経済学体系の端緒(公理公準)で規定します。

労働の量は時間と労働強度の積で計算されるので、「労働者」という立場で考えると労働時間は短ければ短いほどいいし、労働強度は小さければ小さいほどいいということになります。労働は苦役であるという考え方が根底にあるので、苦役は小さいほどよいという結論が導き出されます日本においてはという限定がつきますが、実はこれこそがひどい考え違いなのです

毎日の労働時間を8時間として週5日働き、40万円の給料だとしましょう。
労働時間を勝手に短くすることはできませんから、労働強度を下げれば下げるほど、「労働者」が得をすることになります。労働量を減らして同じ対価を受け取ることができます。
サボればサボるほど得した気分になるから始末に終えません。
放課後補習も労働強度を大きくすることになるし、家へ帰ってから教えている教科に関連して専門書を読み漁ることも、時間当たりの賃金を相対的に下げてしまうことになるので、損だと感じてしまうのです。なにしろマルクスが労働量をそのように説明しているし「労働は苦役である」と説明していますから、そう思うのも無理ありません。
一心不乱に仕事した方が楽しいのに、得をすると勘違いして手を抜くことばかり考えるようになるのです。
マルクスの労働価値説(抽象的人間労働)と労働観はそういう欠陥をもっています。

日本人の仕事観はまったく違います。正月に刀鍛冶が禊をしてから仕事をします。できた生産物は一番よいものが神への捧げものになります。仕事は歓びです。だから、一流の職人が手を抜くことはありません。仕事を手抜きしたら楽しくないし、神様がいつでもどこでもご覧になっているからです。
ひたすら正直で誠実がいいということになります。
日本人の仕事とはそういうものです。たぶん縄文時代から続いている仕事観だと思います。
欧米の労働観はどこかで奴隷労働がその根源にある、だから、労働からの解放がテーマになる。日本人から仕事を取り上げたら、それは「解放」ではなくて、疎外です。仕事をしていた方が楽しい。

《引用終了》
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<教徒は信仰する宗教やイデオロギーの聖典群を自ら読むべき>
 北教組や日教組に入っている先生たちはマルクス『資本論』を読んだことがあるのだろうか?共産主義や社会主義を信奉する者たちにとって、マルクス『資本論』は聖典群の中心にある。

  ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は共に同じ神である造物主(ヤハウェ、造物主、アッラーと名前は異なるが同じ天地創造神)を崇めている。神が同じなら経典群もほとんど共通している。聖書と呼ばれるものを含むこれらの経典群を読まない教徒はいないだろう。
 ところが、仏教徒はお経を読まない人が多いのではないだろうか。僧侶はお経を読むが一般の人は、特定のお寺の檀家の一人ではあっても日常経典を読むことはほとんどないだろうし、あっても難しすぎるからお経の意味を理解して読む人はさらに少ない。特定の宗派に属する熱心な信者は別である。でも、だれもがたくさんの仏教説話を見聞きして知っている。僧侶でお経を読まぬ人はいない。
 神社へ行ったことがあっても、『ほつまつたゑ』や『古事記』や『日本書紀』を読み通した人はほとんどいないだろう。しかし、八百万の神々が棲む国でありたくさんの神々がいることはなんとなく知っているし、生きとし生けるものが共に生きるということを身体に染みとおるように暮らし、正月には神社に参拝して日常の生活の中で伝統的な思想を受け継いできた。実に自然な形で、それは特定の形すらないほどに自然に受け継がれてきた。だが、神社の神職で国の成り立ちを記した『古事記』を読まぬ者などいないだろう。

 さて、日教組や北教組の組合員の皆さんはマルクス教の教徒のはずだが、聖書である『資本論』を読んでいるだろうか?
 いまでは共産党の幹部ですら『資本論』を読んでいるものが少ないと囁かれるほど不勉強のようだ
。三巻五分冊の専門書を読みこなすのは楽しいはずだが、苦しいと感じる者もいる。だから誰かの解釈や言説を鵜呑みにしたくなるのも無理はない。共産党本部の書庫にはドイツ語版の資本論があるようだが、それを借り出して読んだ者はこの数十年ほとんどいないのではないか。肝心要の『資本論』になにが書かれているのかすら知らずに盲目的に信仰するのは「科学的社会主義」の立場から遠く隔たっており、カルトとなんら変るところがない。
 どんな宗教の教徒も、どんなイデオロギーの支持者も、教祖の説いた教えや聖典群は読まないよりは読んだ方がいい。経典群を解説している者たちの解釈がまちがっていることがあるからだ。経典群を読みリーダたちの解釈が正しいか否か一度自分の頭でじっくり考えてみるべきだ

 北教組の先生たち、ebisuと『資本論』勉強会しませんか?
 北海道でマルクス経済学を学びたい若き学徒はどうぞ根室に半年間移住してください。

<異論のある方はコメント欄へ書きこまれよ>
 日教組と北教組の組合員の皆さんは、ここに引用した私の言説に異論があればぜひ自分の意見を弊ブログコメント欄に書かれよ。書いていただいたコメントを粗略に扱うような失礼なことはしない、コミュニケーションが必要と感じるからだ。

<マルクスの労働観と日本人の「仕事観」の相違>
 労働価値説は工場労働者や奴隷労働をその淵源にもつ概念で、労働は本来楽しくないものというのが西欧の経済学の共通了解事項となっている。マルクスは「労働は苦役である」という。北教組の皆さんが基本的に仕事が楽しくない、仕事がきつくなることを嫌がるのはこういう西欧流の労働観にこころが汚染されているからで、少人数学級や労働強度の緩和を声高に主張をすることにも本源的な理由がちゃんとある、しかし、ご本人たちは自覚していない。

 日本人には日本人の伝統的な考え方に基く経済学がありうる。目の前の現実を見れば日本人ならだれにでもわかることが学者にはさっぱりわからない。日本人にとって仕事は誇りであり楽しいものであり、人生の不可欠な重要部分をなしている。
 かように欧米の「労働観」と日本人の「仕事観」はまったく異なっている、異なっているどころか対極にあるというのがebisuの経済学の基本的なスタンス。

<仕事がキツイ!:心の問題はないか?>
 日教組や北教組の主張にあるでしょう、曰く「30人学級がいい!」、「仕事量が多すぎる!」。ほんとうに仕事量が多いのでしょうか?学校はブラック企業ですか?団塊世代のebisuが通った小学校は1クラス60人で1学年6クラスありました。中学校は1クラス55人で1学年10クラス、高校は1クラス50人で1学年7クラスでした。いまでは高校は50年前に比べて1クラス8割の規模ですが、小学校は半分以下の規模になっています。花咲小学校の今年の入学児童数は39人で2クラスですから、1クラス当たりの人数は58年前に比べて三分の一です。北海道の他の地域も似たり寄ったりでしょう。こんなに1クラス当たりの児童数・生徒数が減少したのに、北海道の小学校の偏差値は37しかありません。北教組の皆さん、仕事の何がきついのかデータをあげて具体的に説明してみませんか。まだ1クラス当たりの人数が多すぎると北教組の皆さんは主張しています。
 心身症の先生たちが増えているという話も聞きます、データをあげてどこに問題があるのか分析して見る必要があるでしょう。

 民間企業では仕事の要領の悪い者ほど「忙しい」とぼやきます
 ほんとうに仕事がそんなにきついのでしょうか?小学校の担任はしょっちゅう放課後補修してくれました、「わからないもののこれ!」ってね。いまは小学校の先生たちはそういうことをしないようです。
 1クラスの小学生の学力は58年前の半分以下になりましたが、学力テストの成績は全国最低レベル、都道府県データを基にした偏差値で37(全国の小学校が百校あると假定すると北海道は90番目ということ、五段階相対評価だと1と2の間に位置する)です。47都道府県で競争したらほとんどゲレッパ(ビリ)だということです。仕事の成果がまるで出ていないのに、仕事がきついと感じている、これはもう病気です。
 仕事のやり方や指導の仕方に問題があるとは考えない。何かよくないことがあればそれは自分ではなく、自分の外側に原因ありと考える。これでは自己改革のチャンスを失います。生徒のいない夏休みや冬休みに登校して判だけ押して帰ってくるなんてことは民間企業の「労働者」にはありえません。それでも仕事がきついと感じるのは、マルクスの労働観でこころが汚れてしまって、本来歓びであるはずのものが苦役に変わってしまっていることに気がついていないからで、よく観察したら原因の大半は自分のこころにあります

<労働者ではなく「教育の職人」としての誇りをもとう>
 根室の中学校の先生たちはこういう呪縛から自らを解き放ち始めています。生徒の学力を上げようと、底辺の学力の生徒たちに放課後補習をするようになってきました。市街化地域の3中学校では8年前にも数人いましたよ、しかし数人だったし、学校として校長先生がバックアップしたものでもなかった。それがいまでは集団の動きになっています、学校としての取組に変りつつあります。一部では小中学校の先生たちの定期的なミーティングも始まっています。中学校の先生の立場から、小学校の授業に注文をつけると、中学生の学力を上げるのに有効であることに気がつき始めたからです。
 学校の先生は「教育労働者」ではありません、プロの仕事人です、そうですね「教育の職人」「授業の職人」とでもネーミングしましょうか。
 ぜひプロの技を磨いて、真摯に仕事をして成果をあげてください。

<経済学に関するebisuのバックグラウンド>
 精神的な面で早熟だったebisuは高校2年生のときに根室高校図書室にあった『資本論』を百ページばかり読んだけどさっぱりわからず、深い森に迷い込んだ気がした。読んだ部分の地図が描けなかった。
 あのころは公認会計士二次試験科目(簿記論・会計学・原価計算論・監査論・経営学・経済学・商法の7科目)の勉強を始めていたので、マルクスよりも近代経済学の専門書を先に読んでいた。といっても高校時代は中央経済社から出始めた公認会計士二次試験講座シリーズの『経済学』を読んだだけ。ケインズ派の乗数理論は数学好きな生徒には理解のしやすいものだったから近代経済学の方は高校生でもよくわかったが、マルクス『資本論』には歯が立たなかった。
 公認会計士になるつもりで商学部会計学科に進学したのだが、経済学が気になっていたから哲学やマルクスの著作を読むうちに、2年生の時には公認会計士受験とはおさらばして経済学にのめりこんでいた。哲学者の市倉宏祐教授のゼミでマルクスの著作(資本論全巻と『経済学批判要綱』(以下グルントリッセと略称))を読み、大学院でも3年間研究した。A.スミスの労働価値説やディビッド・リカードの労働価値説および比較生産費説による国際市場論も関連があるので原書もチェックしながら読んだしペーパーも書いた。
 だから、思いつきで書いているわけではない、しっかりしたバックグラウンドがあってのことだから、安心して読んでもらいたい。
 
 ところで、マルクス『資本論』を超える経済学を創ろうと思って、弊ブログ・カテゴリー「経済学ノート」に書き溜めてあるので、興味のある人はそちらも読み漁ってもらいたい。こんなものでいいのかどうかわからないが、とりあえず職人主義経済学と命名している。名前がないと説明しにくい、でもこの命名にしっくりしていないことも事実。ネーミングにアイデアがいただけたらありがたい。

 労働価値説は工場労働者や奴隷労働をその淵源にもつ概念で、労働(=苦役)は本来楽しくないものというのが西欧経済学の共通了解事項となっている。
 日本人には日本人の伝統的な考え方に基く経済学がありうる。目の前の現実を見れば日本人ならだれにでもわかること。日本人にとって仕事は誇りであり楽しいものであり、人生の不可欠な重要部分をなしている。かように欧米の「労働観」と日本人の「仕事観」はまったく異なっている、異なっているどころか対極にあるというのがebisuの基本的な考え

 経済学の根本概念である労働観が違えば、その経済学体系も違って当然なことは誰にでもわかることで、だからebisuは仕事が楽しいものだという日本の伝統的な価値観に基く経済学を十数年前から創りつつある

 西洋経済学の労働概念にに変わるものを見つけるためにアカデミズムの世界を出て、実社会で仕事に打ち込んで20年ほどかかってebisuはようやく見つけたのですから、浅学菲才どころかただの愚(グ)です。しかし、愚直を続けついに十数年前に見つけました、新しい経済学の生誕です。経済学史の大家・内田義彦先生の著作に『経済学の生誕』という本があります。4年生の9月に大学院学内入試があり、口頭試問のときに内田先生は大学院の院長で正面中央に坐っていました。ebisuは30人ほど教授がUの字型のテーブルについて聴いているなかで、答案の内容で採点を担当したNo.2のH先生とやむなく論争にいたりました。マルクスの貨幣論について論述せよというような出題だった。口頭試問の冒頭から「君は経済学を知らんね」と仰ったので、カチンと来てスィッチが入ってしまいました。ゆっくり言いました、「答案を見て仰っているのでしょうから、どこでしょう?指摘してください」。答案を見ながら「貨幣の第三規定で貨幣としての貨幣とはなんだね?」、商学部会計学科の学生は貨幣の規定も知らんのかという態度がありありでした。な~んだ、そういうことか、息をゆっくりと吐いてから、マルクス・グルントリッセを引用してマルクスの貨幣論を説明し採点ミスをその場で指摘しました。「グルントリッセの貨幣論には貨幣の第三規定として「貨幣としての貨幣」という規定があります」そう伝えると、Uの字型のテーブルにずらりと席についていた30人ほどいた教授陣はシーンとなりました。経済学研究科には商学関係の教授もいました。当時は商学研究科が独立していなかったのです。H教授の顔がみるみる真っ赤になったのを覚えています。当時研究が盛んになっていたグルントリッセ(経済学批判要綱)をお読みになっていなかった様子。第1分冊から第5分冊まで価値論から貨幣論そして資本と剰余価値、さらに世界貨幣を論じた最重要文献でした。真っ赤になって押し黙って言葉が出ません。それで口頭試問は終わりました。
 学内試験では成績がトップでしたが、指導教授になる人の顔を潰したのですから、不合格でした。その年度は3月の大学院入試でも合格者無しでした。秋の学内試験に続いて2度目の合格者無しという異例の年になりました。
 H教授にとってもわたしにとっても不運な事故だったと思います。H教授はグルントリッセの目次すら読んでいなかったのでしょう。第2分冊目には世界貨幣が載っています。他の分冊でも、貨幣が資本へ転嫁するところで、貨幣の第三規定がとりあげられています。
 H教授は自分のゼミの学生も受験していたから哲学の教授が指導した商学部会計学科の生徒は経済学部のゼミで学んだ自分のゼミ生よりも経済学についての知識が劣っていると言いたかったのでしょう。所属が商学部会計学科というだけでなく、指導教授が哲学の市倉宏祐先生でした。
 目の前にいる商学部会計学科の学生がそれまでの価値形態論や価値論を根底からひっくり返して思考しているとは想定外だったでしょう。中野正の『価値形態論』や宇野弘蔵の『価値論』が前駆的研究としてありましたが、どちらも見当違いの方向へ関心の焦点がずれていました。宇野先生は頭のよい方のようですから、あるいはグルントリッセを読まれていたら気がついたのかもしれません。戦後まもなくの当時はグルントリッセは出版されていませんでした。宇野先生は『資本論』冒頭の商品が資本主義的生産関係を捨象したものであることにには気がついていました。しかしなぜそういうことが経済学体系構成上捨象されなければならなかったのかについては理解できずに脇道にそれてしまいます。グルントリッセの流通過程分析を読むことができたら、違う主張をしたかもしれませんが当時はグルントリッセのドイツ語版すらありません。宇野先生は自分の考えが先に立ってしまってマルクスの経済学の深淵ついに届くことがありませんでした。
 抽象的人間労働と具体的有用労働で商品の端緒規定をした後で、マルクスはそれを単純な流通関係に措定して分析しています、交換関係ではありません。単純な流通関係は価値表現の関係でもあります。マルクスのシェーマは次のようなものでした。

 単純な流通関係⇒より複雑な商品流通関係(交換関係)⇒資本主義的生産関係⇒単純な市場関係⇒より複雑な市場関係⇒単純な国際市場関係⇒世界市場関係

 商品規定は世界市場関係で完全なものになる予定でした。こういう概念的関係の拡張と構造はそれまでのマルクス研究者が誰一人として気がつかなかったものです。その演繹的体系構成は驚くほどユークリッドの『原論』に似た公理的な演繹的体系構成を有していたのです。学部の学生でしたが、わたしはこうした『資本論』の体系構成に3年生のときに気がついていました。それで半年間ほどたいへん悩みました。それまでの経済学者とはまるで違う世界に踏み込んでしまっていました。共産党も宇野学派も日本中のマルクス経済学者をまとめて敵に回すしかないところに立って途方にくれていました。あの当時はわたしは自分の考えを他の経済学研究者に理解できるようなわかりやすい解説ができなかった、あまりに違いすぎていました。
 けれども、そうした学の体系理解から従来の論争や解釈を点検すると、宇野氏の『価値論』と経済学原理論が何を見落としたのかがよく見えました。宇野先生は『資本論』の冒頭の数十ページを読み違えています。その結果、マルクスの経済学の全貌を把握することができなかった。マルクスは世界市場関係まで叙述するつもりだったのです。そこは不十分のままでした。リカードの比較生産費説を援用していますが、そこから先をどう書き進めたらいいのかわからなかったのでしょう。その辺りが経験科学の限界だったかもしれません。マルクスの生きていた時代の資本主義は現在と比べるとまるで違っています。グローバリズムこそが世界市場関係を具現したものです、帝国主義があり、国民国家と国民経済はあったが、それを超えたグローバリスムはいまだ出現していませんでした。現実にないことを経験科学は叙述する術をもちません。理論はつねに固有の限界をもち、それを超えたところまで延長すると破綻が生じます。ニュートン力学と相対性理論を比較するとその限界がよく理解できるのではないでしょうか。
 使用価値規定の所でも気がつくべきでした。マルクスは抽象的人間労働に具体的有用労働を対置して使用価値を規定していましたが、なぜか宇野氏はそこを見過ごしたようなのです。価値も使用価値もそれぞれ抽象的人間労働と具体的有用労働の具現化なのです。それが単純流通では買い手にとっての使用価値として現れ、物々交換として記述されます。交換関係では商品所有者が現れ、商品の交換は貨幣に媒介され、商品売買となります。
 くどいでしょうがわたしは『資本論』ドイツ語版や資本論初版、フランス語版資本論をトレースして読んで気がついていましたから、それをグルントリッセで確認しただけなのです。グルントリッセを読む前にマルクスのやった体系構成が見えていましたが、宇野先生には見えなかった。
 宇野先生は資本主義的生産関係が捨象され、単純な流通関係で抽象的人間労働と具体的有用労働が再規定される意味も見逃しています。すぐ近くまで行っていたのですが、自分の考えが邪魔して、ご自分の理論に都合のいいように理解してしまったのです。
 抽象的人間労働は単純な流通関係で価値という現象形態をとります。それがより複雑な流通関係で交換価値すなわち貨幣に結晶していくのです。資本主義的生産関係では商品の価値や価格に、そして労働力商品の価値や価格に、単純な市場関係では市場価値に、国際市場関係では国際市場価値へと抽象的人間労働は重層的な鎧を帯びていき、現実性を獲得していきます。最終的に世界市場で世界は弊となります。演繹的な概念構成であると同時に、『資本論』はさまざまな関係概念による基本概念の拡張という重層的構造を有しています。このような資本論解釈をしているのは世界中でebisu一人だけです。でも当たり前のことですから、いつの日か定説になっているでしょう。そして新しい経済学が理解され広がることを期待しています。
 宇野学派はマルクス経済学で最大のシューレ(学派 die Schule)をなしていますが、宇野経済学原理論というメガネを通して『資本論』を読んでしまうと宇野原理論が見えるだけでマルクスのやったことが見えなくなります。宇野三段階論はそれ自体はなかなか美しい姿をしていますから、宇野派のどなたも資本論の体系構成が何であったのかいまだに気がついていません。気がつかないままにあのシューレは歴史的使命を終えて消えていきます。すでにエネルギーを感じません。
 大学院の学内試験の口頭試問でH教授は目の前にいる商学部会計学科の学生がそれまでの『資本論』解釈を根こそぎひっくり返してしまっているとは思いもよらなかった、商学部会計学科の学生が何を生意気に経済学研究科のしかも本丸の理論経済学なのだという気持ちが少しはあったのではないでしょうか。ところが当時の研究水準(そしていまでも)ではebisuは日本の価値論研究と『資本論』体系の研究では最先端を歩いていました。あの場でどなたが論争相手でも結果は同じだったでしょう。
 第一分冊と最終分冊の第五分冊初版の出版年を挙げておきます。

 マルクス『経済学批判要綱第一分冊』高木幸二郎監訳 1959年刊
 マルクス『経済学批判要綱第五分冊』高木幸二郎監訳 1965年刊

 グルントリッセはマルクス全集(新メガ版)が出版され始めてから翻訳された最重要文献でしたが、(学内の大学院入試のあった1971年の時点では)まだ数年しかたっていなかった。定年間近のその教授は不勉強を自ら暴露するような恥ずかしいことになってしまいました。商学部会計学科の学生に理論経済学の核心的な部分である貨幣論で経済学研究科所属の教授が居並ぶ中で間違いを指摘され反論できないのですから、他の教授だちも呆然として声がなく、座がシーンとなりH教授の顔が見る見るうちにまっかっかになっていきました。じつにお気の毒でした。その日の夜に大学院長であった内田義彦先生がゼミの指導教授市倉先生(哲学)を通して助言をくださいました。市倉先生は異例のことだったと驚くと同時に喜んでくれました。内田先生は何か新しい研究のエネルギーをお感じになられたのかもしれません。いまは懐かしい思い出です。
 1971年10月ころにあった学内試験でそういう経緯があって母校の大学院への進路が断たれ、2月の試験でもその年は合格者ゼロ。H教授はなんとしてもわたしをとるつもりがなかったようです。秋に結婚を控えていたので4月になってから新聞の募集欄を見てすぐに就職しました。学内試験ではトップだったのでとうぜん合格すると思って他大学の大学院を受験していませんでした。
 学内試験を入れてその年の2月と3年後、あわせて3回母校の大学院を受験しましたが、そのすべてが合格者ナシ。その教授はよほど私をとりたくなかったのでしょう、気が小さな人はいるものです。成績が一番の学生を席次No.2の教授がリジェクトしたらそれより成績の悪い学生をとるわけには行かなかったのかもしれません。わたしとにいざこざは他の人には関係にないこと、とってあげたらよかったのにと思います。「Hさん、君の後輩は苦手だよ」と言っていたと笑ってました。
 三年間働いても学に対する思いはやみがたく、遣り残していることをやるために大学へ戻る決意をしました。12月はじめに辞職を申し出て引継ぎのため、1月末で仕事をやめて2月に母校と他の学校2校を同時に受験しました。結果は母校はまた異例の合格者なし、他2校はトップ合格でした。辞退したほうの学校は面接のときに部屋の前に置かれた椅子に坐って待つように言われて、名前や点数など話しがまる聞こえでした。そして合格発表が先のほうを選びました。
 棄てる神あれば拾う神あり、ありがたいことです。その学校には宇野派の春田教授がいて指導教授になってもらいたかったのですが、残念ながら新任のF先生が指導教授でした。私は春田教授を通して宇野派と全面対峙したかったのです。四国の国立大学から転任されてにわかに指導教授になられたF先生は60頁ほどの恐慌論に関する論文を書いておられたのですが、ebisuは『資本論』の体系構成が研究テーマでしたから一読はしましたが興味は湧きませんでした。他にアルチュセールの若手の研究者が一人いらっしゃいました、今村仁司さんです。この先生に講義をお願いすればよかったのですが、同期は一人だけ、一年上の先輩たちには同じ分野の院生がいなかったので一人でお願いするのもずうずうしいような気がしてチャンスがなかった。一ツ橋大学学長だった経済史の増田四郎先生がいたので、院生三人で特別講義をお願いしたらリスト著小林昇訳『経済学の国民的体系』をとりあげてくれました。三人の内の一人は数年前にある大学の経済学部長をしていました。いまも同じ大学に居るはずです。増田先生の特別講義は冷や汗と至福のときが交互に訪れた穏やかな授業でした。増田先生の学風に触れる機会を一年間もてたことで私の中に実証研究という別のアプローチの芽が育ったように思います。経済学と国民国家の成り立ちをリストの著作を通して眺められたのはありがたいことでした。

 いまこうして新しい経済学の芽を育てることができているのですから大学院学内入試の「あれ」は必要な「事故」でした、H教授に感謝しています、まっすぐに母校の大学院へ進学していたらおそらく新しい経済学を叙述することはかなわなかったはずで、せいぜいそれまでの『資本論』解釈を全部ひっくり返すくらいの研究しかできなかった。
 スキルス胃癌と巨大胃癌の併発もわたしの命を奪うことはなかった。地元の消化器内科医のO先生と若き優秀な外科G先生(音更町・木根東クリニック)のお陰です。きっと天は私に大きなチャンスをくれたのででしょう、人生はうまくできているものです。(笑)
 

*木根東クリニック
http://www.kinohigashi-clinic.com/guide/


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経済学の国民的体系 (1970年)

経済学の国民的体系 (1970年)

  • 作者: フリードリッヒ・リスト
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1970
  • メディア: -

マルクス経済学原理論の研究 (1959年)

マルクス経済学原理論の研究 (1959年)

  • 作者: 宇野 弘蔵
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1959/06/25
  • メディア: 単行本

宇野弘蔵著作集〈第9巻〉経済学方法論 (1974年)

宇野弘蔵著作集〈第9巻〉経済学方法論 (1974年)

  • 作者: 宇野 弘蔵
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1974
  • メディア: -

宇野弘蔵著作集〈第3巻〉価値論 (1973年)

宇野弘蔵著作集〈第3巻〉価値論 (1973年)

  • 作者: 宇野 弘蔵
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1973
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第1分冊〉 (1958年)

経済学批判要綱(草案)〈第1分冊〉 (1958年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1958/10/30
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第2分冊〉 (1959年)

経済学批判要綱(草案)〈第2分冊〉 (1959年)

  • 作者: Karl Heinrich Marx
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1959
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第3分冊〉 (1961年)

経済学批判要綱(草案)〈第3分冊〉 (1961年)

  • 作者: Karl Heinrich Marx
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1961
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第4分冊〉 (1962年)

経済学批判要綱(草案)〈第4分冊〉 (1962年)

  • 作者: カール・マルクス
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1962
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第5分冊〉 (1965年)

経済学批判要綱(草案)〈第5分冊〉 (1965年)

  • 作者: カール・マルクス
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1965
  • メディア: -


     哲学者は認識論的アプローチで資本論を読む、これはこれで一つの読み方。文庫本でも出版されています。
 
資本論を読む

資本論を読む

  • 作者: ルイ・アルチュセール
  • 出版社/メーカー: 合同出版
  • 発売日: 1982/06
  • メディア: 単行本

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 ネットで検索して今村先生の著作を見つけましたが、ebisuは読んでいません。修士論文を書く少し前にお話しする機会が一度だけあったように記憶しています。修論の審査員三人の一人だったかもしれません。そろそろ暇を見つけて読みたいと思います。


近代の労働観 (岩波新書)

近代の労働観 (岩波新書)

  • 作者: 今村 仁司
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1998/10/20
  • メディア: 新書
貨幣とは何だろうか (ちくま新書)

貨幣とは何だろうか (ちくま新書)

  • 作者: 今村 仁司
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1994/09
  • メディア: 新書
マルクス入門 (ちくま新書)

マルクス入門 (ちくま新書)

  • 作者: 今村 仁司
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 新書
アルチュセール全哲学 (講談社学術文庫)

アルチュセール全哲学 (講談社学術文庫)

  • 作者: 今村 仁司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/10/11
  • メディア: 文庫

#2748 女性登用と日本の文化  July 26, 2014 [A4. 経済学ノート]

 生産年齢(15~64歳)人口が急減しだした。労働力が足りないので、労働市場への供給を増やすために、女性の進出促進をするのだと安倍総理はのたまっている。

#2645より引用
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 総務省が4月15日に発表した平成25年10月1日時点の人口推計によると、外国人を含む総人口は前年に比べ21万7千人減の1億2729万8千人で、減少幅は3年連続で20万人を超えた。このうち15~64歳の生産年齢人口は、116万5千人減の7901万人で、32年ぶりに8千万人を下回った。・・・

 生産年齢人口データを並べてみよう。
 2010年 8174万人
 2012年 8018万人
  2013年 7901万人
 2040年 5787万人
 30年間で2387万人(29.2%)の減少

 総人口の減少は2078万人だから、総人口減少率(16.3%)よりも生産年齢人口の減少率(29.2%)のほうが大きいことがわかる。省エネ技術が進むだろうから電力需要も30%程度は減少するだろう。
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 26年後の2040年までに約3割生産年齢人口が減少する。企業の数や規模を同じだけ維持しようとすると、たいへんな労働力不足が生じるように見えてしまうが、経済規模全体が縮小するのだから問題はアンバランスな経済縮小、つまり少子高齢化と地域格差の拡大だろう。言い換えると、総人口の減少率よりも生産年齢人口減少率が大きいので、労働力が長期的に不足するという問題が起きつつあるということと、地域が有能な人材を首都圏に送り出す力が急速に失われることによる地方と首都圏の同時衰退。
 さらに別の言い方をすると、人を使い捨てにしてきたブラック企業が人材を確保できなくなって経営破綻するということでもある。それは淘汰というもので因果応報、自然な流れだろう。ブラック企業が人材を確保できずに次々に経営破綻していけば、求人も減少する。経済全体が縮小均衡するということだ。成長路線なんてありもしない幻想を追わずに、縮小均衡と地域格差是正を前提にさまざまな政策を考えればいい。

 安倍総理は自らの幻想の成長路線の看板を掲げ続けるためと財界からの要望に応えたくて、女性を働き続けさせたい、あるいは家庭から出て労働市場へ投入して労働市場の供給量を増大させたいということなのだろうが、米国のように女性が男たちと同じ土俵で勝負するような社会がいいのだろうか?グローバリズムの名の下に、欧米の男女同権=性差無しの経済が望ましいのだろうか?性差があるのにまるでそれがないかのようなルールで働く欧米型の労働市場や家庭のあり方がいいとは思えぬ。

 「むかしむかしおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。・・・」と、こういう物語を聞いてわたしたちは育った。
 性差による男女の役割分担は自然なものと理解しそうした情緒の中で暮らしてきた。そのどこが悪いのだろう?

 男が外で仕事して、女が家庭を守り子育てをする。子育てにおいても男の役割と女の役割は異なる。そうした自然な分担が日本の家庭のあり方だった。美しい日本とはそういう家庭を基本単位としてできていたのではなかったか。全部がそうしろとは言わぬが、基本はそれでいい。その基本からのバリエーションはいろいろあっていいが、男女同権、女も男と仕事で競えというのは女に対して過酷な要求に聞こえる。

 昔話をしたい。正社員が1000人を超える会社で、女の部長が3人いた。二人は言葉づかいがあまり女性らしくはなかった、そしてかたくなだった。課長職としては有能だったが部長職にしたのは失敗のようにわたしの目には見えていた。女性らしい言葉づかいと物腰の持主はお一人のみだった。結局男勝りの二人は淘汰された。ラボは圧倒的に女性が多い職場だが、それでもこうした現実がある。無理に女性の管理職を3割にアップしたらどういうことが起きるだろう?組織機能がガタガタになりかねない。民間企業で働いた経験のない世襲議員である安倍総理はそうした機微が理解できないのではないだろうか?

 女性を管理職に登用して男並みに働かせたら、管理職予備軍の女性たちは子供を産もうと思うだろうか?少子化がさらに進むのではないか?
 少子化は核家族化が進んだことも原因の一つと考えていいのではないのか。いまある働き方が子育てにとってたいへんにまずいからではないのか?
 たとえば、根室から出て東京で結婚して子どもを産み育てるのはたいへんである。子どもが生まれても親の子育て応援は期待できない。地元に居れば、仕事をしていても親に預けることができる。子どもが病気をしても近所にいる親に見てもらえる。東京ではそういうことができないのである。団塊世代はそれでも自分達で何とかできた世代だ。なぜそのようにできたかというと、小学校の時代は日本全体が高度成長期直前でそれほど豊ではなかったから辛抱する力、それがバイタリティの源になっていたからではないのか。物質的に豊ではない時代を経ていない若い人たちにはバイタリティも辛抱力もなくなっている。

 東京の若い人の大半が進学で田舎から集まった者たちである。非正規雇用が全体で40%にも増えており、経済的にも子育てに実に困難な状況下で暮らしている。少子化になるのは当然だろう。

 年代別の働き方や家族のあり方から考えないと生産年齢人口の縮小問題は乗り越えられない。根室を考えると高校を卒業して地元根室の残るのは毎年40人くらいなものだ。おおよそ三分の一である。だから30年もすれば現在1学年250人いるが70人くらいに減少するだろう。老人人口比率は50%近くになり、町は急速に縮小する。

 ありえない成長路線ではなく格差縮小へと舵を切らないといけないのではないか?正規雇用で生まれ育ったふるさとに職があれば出生率は上がる。そういう社会をつくろう。
 当面足りない労働力は60歳を過ぎた元気な「老人」を使えばいい。週に3日働いて、5万円でいいではないか。三人で若い人一人分くらいの仕事は充分やれるだろう。小欲知足、老後を質素に暮らし、次の世代へ蓄えを残して死んでいこう。

 男は外で仕事をし、女は子育てをして家庭を守る、そういう何百年も受け継いできたやりかたのメリットをもう一度見直すべきではないのか?そしてそういう家族のあり方を保障できるような経済の仕組みや産業のあり方を、そして働き方を考えるべきときに来たのではないだろうか。
 日本列島は縄文時代から1.2万年の歴史をもっている。そのとてつもなく長い歴史の中で、長期的な人口縮小と少子高齢化は初めての経験である。いま立ち止まって、これからどのような仕組みの経済社会と家族制度をつくり上げて行くのか考えるべきときなのではないか。

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<余談>
 以下は7月20日ジャパンタイムズ日曜版の社説である。家族、とくに男女の役割分担はに性差を基本にするというのが伝統的な日本人の家族観であって、欧米の男女平等という特殊なスタンダードとは異なるものであることが最近の民間調査データを挙げて述べられている。英文は平明なので高校生や大学生はぜひ読んでもらいたい。もちろんこういう問題に関心のある大人もどうぞ英文読解力のブラッシュアップを楽しんでください。

「明治安田生命福祉研究所が20~40代を対象とした調査で、「夫が働き、妻は専業主婦」との考え方を支持する男女が4割、「子どもが小さいうちは妻は育児に専念」を支持する男性は64%、女性は71%に上った。・・・」
 こうした伝統的な性差に基く役割分担に関する若い人たちの意識は、女性の労働条件が子育てしやすいように変化していけば近い将来変わりうることも指摘されている。
 それを伝統的な家族観の破壊と受けとるか、改良と受けとるかはあなたの考え方次第である。わたしは、日本人は伝統的な価値観を大切にして、欧米とは異なる価値観で経済社会を営むのがよいと思っている。文化や伝統がなくなり、どこにいっても同じではつまらぬ。すくなくとも日本の伝統文化や価値観は人類に残しておくべき価値があるものだと考えている、百花繚乱、豊かな多様性があるほうがいい。


*http://www.japantimes.co.jp/opinion/2014/07/19/editorials/ingrained-ideas-gender-roles/

Ingrained ideas on gender roles
(男女の役割分担に関する伝統的な考え方)

A recent poll has found that 40 percent of both men and women in their 20s to 40s believe husbands should work full time while their wives stay at home. The poll, taken by Meiji Yasuda Institute of Life and Wellness, is a startling challenge to the push by Prime Minister Shinzo Abe to increase the number of women in the Japanese workplace.

What’s more, 65 percent of male and 71 percent of female respondents said women should concentrate on parenting while their children are very young.

This traditional view of gender roles is becoming increasingly outdated despite its persistence. The poll did not make clear whether the respondents were thinking of the current situation, where parents have trouble finding affordable and convenient child care, or whether they were thinking of some improved situation in the ideal future.

The polls clearly reveal how ingrained concepts of male and female roles are in Japan. However, the poll also reveals the degree to which economic and social conditions lock traditional ideas in place. When there is no possibility of change, old ideas persist.

Actual conditions often have to change first before social attitudes and opinions can open toward new realities. In Japan, it seems, those conditions are beginning to change, slowly but steadily.

A recent report from the Japan Business Federation (Keidanren) reported that 60 percent of leading companies have set targets for promoting female workers to management, as an important part of achieving sustainable growth. Business leaders seem to realize the importance of women working, even if a large percentage of average workers do not.

The central government ministries, too, have worked toward hiring a larger percentage of women to revitalize the economy and the bureaucracy. The hiring has not yet reached parity, but has been improving year on year.

The current Abe administration is also considering a bill to promote women to senior positions in the public and private sector.

After these changes are given time to take hold in the daily experience of workers, it is likely that ideas of what is best for men and women will also change.

The Japanese mindset in difficult times tends toward making personal attitudes fit given social conditions. With the tough economic situation for many people, the traditional attitude toward men’s and women’s roles must seem safe and comforting, and so continues.

But as conditions change — when women have access to child care so they can keep working, when more women are in senior positions in business and government, and when working conditions become flexible and supportive enough for both parents to help raise children and stay working — the Meiji Yasuda poll, in some future year, will find very different results.
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*#2645 生産年齢人口の長期的な減少は何をもたらすか Apr. 16, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-16

 #2565 人口減少社会を問ふ(2) Jan. 17, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-17

 #2564 人口減少社会を問ふ(1) Jan. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-16





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 山本周五郎は江戸情緒を描く名人である。江戸時代の武家の嫁の生き方にもっと謙虚に学ぶべきではないのか。己に厳しく、崇高で美しい女の生き方が見事に描かれている。何度も読み返したい本だ。

小説日本婦道記 (新潮文庫)

小説日本婦道記 (新潮文庫)

  • 作者: 山本 周五郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1958/10/28
  • メディア: 文庫



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