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#4966 脳内エコチェンバー化現象とは? May 7, 2023 [44-1. 言葉の拾い物]

 5/6の朝日新聞30面に「脳内エコチェンバー化現象」という語彙が載っていました。初耳だったのでネットで検索。
 エコチェンバーとは「反響室」ということ。音が部屋の中でこだましていつまでもなり続けることをいう用語で、元は物理学の語彙らしい。
 SNSで意見を同じくする者たちが自然に集って、類似の意見ばかりが投稿され、異論が出てこなくなることを「エコチェンバー化」あるいは「エコチェンバー現象」といいます。SNSがそれぞれ意見を同じくする者たちの閉鎖空間=「村」になるということでしょう。FBではそういうグループが多いですね。
 「脳内エコチェンバー化現象」とは、奇異な考えに取りつかれて、それを自分の脳内で繰り返すだけで、思索の深化がない状態をいいます。他人の視点、あるいは異なる視点を導入して現実を眺めることができません。脳が金縛りにあったいる状態というとわかりやすいでしょう。狭い思考の範囲内で堂々巡りをしています。クォンタムリープは生じません。
 マルクスもヘーゲル弁証法に囚われて、経済学が見えなくなっていました。学の方法論としてはユークリッド『原論』やデカルト『方法序説』の「科学の方法 四つの規則」があったのに、数学嫌いからそっちの方面のサーチができませんでした。レーニンもスターリンもゴルバチョフもプーチンも毛沢東も習近平もみなさん見事にマルクスに騙されました。マルクス自身は方法論の誤りと労働価値説が間違いであることに市場論でようやく気がついて、晩年の10年間は資本論第2巻を出すことなく黙りこくっています。こういうところはとってもズルイのです。気がついたのですが、打開の方法が見つかりませんでした。数学が嫌いだったからです。学の方法論として確立されてものは数学しかなかった。
 ご用心、どんな人でも「脳内エコチェンバー化現象」は起きうるのです。

 ところで、「脳内エコチェンバー化現象」の例として、2020年からパンデミックを起こしたCOVID-19に話題を転じてみましょう。
 SARS-CoV-2 mRNAワクチンに酸化グラフェンが混入されているということを主張する人たちがいます。最近の論拠はファイザー社がFDAへ提出した資料を根拠としていますが、その英文資料を読むと、ワクチンではなくて、測定のための低温電子顕微鏡に使われているグリッドに酸化グラフェンがコーティングされているということでした。そのような文章を先入見があると誤読してしまうのです。ワクチンには酸化グラフェンが含まれており、それが微細な血管内壁を切り刻んでいると思い込んでいる人たちには、「酸化グラフェンがワクチンに含まれているという資料をファイザー社が公表した」という論拠に化けてしまうのです。1次資料にある文章を貼り付けていますが、中身を読んでいません。だから誤解と偏見に基づいて、その英文資料にワクチンに酸化グラフェンが含まれていると書いてあると、ブログやSNSで発信している人たちが雨後のタケノコのように出てきます。自分で発信しなくても自分と意見を同じくする主張には「いいね!」が押したくなります。「閉鎖的な村社会」は危険ですね、事実とはまったく違うことがどんどん拡散していきます。

 その一方で、mRNAワクチンは日本での臨床試験をしていないのに、安全だと言い切る医療関係者がいます。死亡者が1900人も出ているのに、ワクチンの副作用として処理されたのは数件のみ。おかしな話ですが、それをもとにして、副作用で死んだ人はいないと主張します。ワクチン接種後の死亡にたいして客観的で医学的な調査が満足になされてません。それでもワクチンは安全だと医療の専門家たちには言い切る人たちが多い。
 ワクチンの効果についても、接種した人としなかった人でどちらが感染率が高いのかについては、対立する真逆の研究結果があるようです。

 インターネットとSNSの時代に入り、情報の洪水の中で否応なしに生き抜かなければなりませんが、何が客観的な事実なのかを確認するのはなかなかむずかしい。1次資料に自分で当たり、考え、判断しなければ判明しないケースが多いからです。そのためには、高校卒業程度の数学や英語の学力が必要になります。それもかなりできの良い高校生の学力が必要です。数学も英語も物理も化学も生物も...。いろんな分野の専門書を読み理解するために必要な基礎的な学力は、「できの良い高校生」の学力です。国語力が一番大切ですよ。哲学や論理学もすこしは知っておいた方がいい。

 警鐘を鳴らすだけではいけませんね、脳内エコチェンバー化現象をふせぐ方法がありますので、書いておきます。
 数学の問題にたとえてみたらよくわかりそうです。数学の問題を解くときに、意識の分散化というスキルを磨くことで脳内エコチェンバー化現象を防ぐことができます。受験問題は必ず正解と正解手順がありますから、問題が解けないときは、問題文の条件を読み落としたのではないかと考えて、虚心に読み直してみます。思い込みを排除するために意識の集中を外して、意識の分散化をします。意識は集中するよりも分散化する方がずっとむずかしい、やってみたらわかります。どこにも執着せずに(どこにも意識を固定せずに)呼吸をゆっくり数回します。それから読み直し。たいてい見つかります。それでもダメなときは、受験問題なら、正解への戦略選定が間違っていますから、意識の分散化をして無意識の中で解法をサーチします。正解手順を思い込みで外してしまっていることがあるんです。ある手順に執着してそれが見えなくなっています。メタ認知で、自分の意識にそういうことが起きていると自覚すればいいだけ。こういう脳の使い方に慣れると、受験勉強なら偏差値70を楽に超えるでしょうね。
 社会人なってからは、だれもが正解手順のない問題に取り組むことになります。赤字の会社の経営改善を任されたら、正解手順はありません。状況次第で正解手順は千差万別、正解は複数、いや無限にあるのでしょう。その中から一つ見つけたらいいだけです。でもそんなことができるのは千人に一人いればいい方です。個人の能力では無理なら、集団でやる方法があります。KJ法BS(ブレインストーミング)法がいいですね。固定観念を外していろんな見方や意見をだしあってみる。問題を多角的な視点から眺めることが可能になります。問題発見や問題の攻略手順を見つけるために「集団智」を利用します。慣れてきたら「一人KJ法」や「一人BS法」がやれるようになります。テーブル上でやるよりも180cm×90cmのホワイトボード上でやるのがいいですね。
 実際に使って、業種の異なる企業の経営改革を5~7社ほどやった経験智に基づいて書いてます。学校では教えてくれません。教えられないと言った方がいいでしょう。複数分野の専門知識とPERTチャート法などの具体的なマネジメント・スキルのクロスオーバーした領域ですから。

 わたしは、ブログを」約5000アップしているのでヘビーユーザー、FBは普通のユーザー、そしてLINEでは数人とつながっているだけですが、COVID-19やワクチン接種に関するSNS内部での意見交換を観ていると、分断が進んでいるように感じます。エコチェンバー現象にしょっちゅう遭遇しています。異見を投稿していたずらしたくなります。(笑)
 反応が迷惑そうなら忖度します。自分と異なる意見の相手とは対話の苦手な人の方が圧倒的に多いのです。自我本能が強いほどその傾向が大きいと感じています。自我なんてそんな固定したものはないのですが、自我本能を外して事態を眺めるのはとってもむずかしいことなのです。あると思ってそれに執着すると現実化します。そして自他の弁別本能が発動するともういけません。大数学者の岡先生がそういう用語で語っていました。表現が上手です。数冊でいいから、岡潔先生の本を読んでみたらいい。言っていることがわからなくていいのです、思索の深さに触れるだけでいい。思索の浅い著者の本はつまらなくなります。

 mRNAワクチンと酸化グラフェンの問題は、こちらの記事をご覧ください。
#4960酸化グラフェンがSARS-CoV-2 mRNAワクチンに入っているのか?


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#4455 髪がアメル??? Jan. 15, 2021 [44-1. 言葉の拾い物]

 いよいよ明日と明後日、大学入学共通テストです。根室高校生は今日の昼過ぎから試験会場の釧路へ向かいます。数日間緊張してなかなか寝つけない生徒もいたようです。一生に一度のことですから無理ありませんね。
 以前はセンター試験と言ってましたが、共通テストに代わったんですね。「試験」が「テスト」になってます。ことばは間断なく変化していきます。

 都知事の小池さんはやたらカタカナ語を連発していますし、口の回らない菅総理も先日の記者会見ではやはりカタカナ語を何度か言ったようですが、わたしには聞き取れませんでした。日本語で丁寧にお願いしたい。早口でカタカナ語を連発されると、何か不都合があってごまかしているように聞こえることがあります。


 昨日、高校3年生が「髪がアメル」って発言したので、どういうことか訊いてみました。アメルは日本語の方言です。「あめる」と平仮名で書いた方がいいのでしょうね。1週間も髪を洗わないと髪がべたべたするので、そういう状態を「髪がアメル」っていうのだそうです。
 団塊世代の爺のわたしは「ご飯がアメル」というのはふつうに使っていたので理解できますが、「髪がアメル」というのは聞いたことがありませんでした。35年間根室にいなかったので、その間に起きた変化でしょうかね。
 団塊世代の共通の理解は「アメル」というのは食べ物にしか使いません。鍔のついたお鍋でご飯を炊いて、蒸らした後にしゃもじで掬って御櫃(おひつ)に移します。蒸気を飛ばすとご飯が美味しくなります。夏場だとご飯がアメて臭いがつくことがあります。鼻で嗅いで感じるのではなく、口の中で感じる臭いなのです。だから食べ物にしか「アメル」を使いません。ひょっとして今の子どもたちは口の中で感じる臭いと鼻で感じる臭いの区別がつかないのかもしれませんね。アメタご飯は口の中に入れたときにいやな臭いを感じて「ゲッ」となるのです。

 東北の一部で「髪がアメル」という地方があるようです。
 匂いは鼻で感じるものと、口中で味と一緒に感じるものの2種類あります。アメタご飯を食べたらわかりますが、電子ジャーではご飯はアメないから、ご飯がアメルという事実がなくなったので、それを表す語彙も本来の用法からずれてしまったとはわたしの意見です。
 ああ、東京では使いません。
 道内のほかの地域ではどうか、世代別ではどのあたりから用法が違ってきているのか、意見がございましたら、投稿欄へどうぞ。



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