#5279 台風10号水害と自動車メーカーの役割 Aug. 30, 2024 [A2. マルクスと数学]
8台風日前に発生した台風10号は、昨日九州に上陸し、時速10㎞ほどでゆっくりと四国を縦断中です。各地で水害が発生し、車が水没しています。アンダー低い土地につくられた駐車場やアンダーパスで水没する車が多いようですね。
台風は時計の反対周りに大きく回転しています。10号が九州に上陸する前から、1500㎞も離れた東海や関東地方にも水温の高くなった海から水蒸気を吸い上げて、南の海域から次々と雲を発生させ大雨を降らせ続けています。
そういうわけで、台風はすでに中心がバラバラになって明後日には熱帯低気圧に変わりますが、それでも東海・関東に大雨が降り続き、土砂災害と洪水が各地で発生しそうです。
九州付近に台風の中心がありながら、神奈川県の平塚市や二宮町で、大雨によって車が水没しているのがテレビで報道されていました。影響範囲の大きい台風です。
ところで、日本企業の伝統的なビジネス倫理は、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」です。「信用を大事にする」ことや、「浮利を追わぬ」ということも日本人が大切にしてきた商道徳です。
「浮利を追わぬ」というのは災害が起きたときに、人の不幸に乗じて利益を増やすようなことはしないということです。大事な倫理観です。
日本の自動車メーカーにできることがあります。水没した自動車のユーザーが新車を購入するときに、廃車にする水没車を新車の定価の3割で引き取ってあげたら、被害に遭った人たちにはとってもありがたいと思います。
廃車の処分コストがかかるので、実質4割引きくらいになるでしょう。利益は出ないでしょうが、コストの大半はカバーできるでしょう、やってあげたらどうですか?企業の社会的貢献というのはこういうところにもあるのです。
内部留保のごく一部を使って、5割引きでもやれそうですね。内部留保を自社株購入・消却に使い、株価を吊り上げる経営者が多いのですが、内部留保は株主だけのものでしょうか?お客様のものでもありますし、そこで働いて内部留保を日々積み上げてくれている社員や・非正規雇用の人たちのものでもあります。トヨタを例に挙げれば3万社ある取引先の下請け企業のものでもあります。だから、長年自社の車をお使いいただいているユーザーや自然災害に遭った下請け企業に、災害を契機に還元してもいいのです。「困ったときはお互い様」というありがたい言葉が日本にはあります。
自動車メーカーはグローバル企業ですから、日本でこのような災害救済策を採用したら、同じような災害に遭った世界各地のユーザーにも同じことをしてあげたらいい。
台風10号被害をきっかけに、さわやかな経営スタイルを採用する自動車メーカーが日本から出現することを願っています。
弱肉強食の欧米型の資本主義から、しっかりしたビジネス倫理と惻隠の情を備えた経営をする企業が陸続と出現するような資本主義経済社会へ移行しましょう。できますよ。日本ができる世界への貢献です。
*#3533 自然数の定義を巡って:言語・公理・推論規則 Apr. 26, 2017 [53. 数学四方山話]
**#3538 ∀n [ n≧3⇒∀x∀y∀z ¬(x^n+y^n+z^n] May 7, 2017 [53. 数学四方山話]
***#5207 歴史的順序と論理的順序:『資本論』の論理的破綻と新しい経済モデルについて Apr. 8, 2024
*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び Oct. 13, 2016
#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016
#3439 フェルマーの最終定理と経済学(3):整理作業-1 Oct. 19, 2016
#5098 職人の仕事「千年の和釘に挑む」:NHKBS番組 Nov. 1, 2023
#5117 公理を変えて資本論を演繹体系として書き直す① Nov. 18, 2023
#5120 公理を変えて資本論を書き直す② Nov. 28, 2023
#5124 資本論の論理構造とヘーゲル弁証法 Dec. 5, 2023
#5125 公理を変えて資本論を書き直す③ Dec. 8, 2023
#5127 公理を変えて資本論を書き直す④:生産性とマネジメント視点の重要性
#5128 公理を変えて資本論を書き直す⑤:生産性シミュレーション Dec. 11, 2023
#5132 公理を変えて資本論を書き直す⑥:生産性アップと労働価値説 Dec. 20, 2023
#5138 集中力と「仕事(=遊び)⇔労働」概念:NHK地上波「スタニスラフ・ブーニン」を見て Jan. 1, 20
#5207 歴史的順序と論理的順序:『資本論』の論理的破綻と新しい経済モデルについて Apr. 8, 2024 #5232 中国の過剰生産問題とグローバリズムの終焉 May 13, 2024
#4244 ビリヤードのタップの調整の技と世界最高のチョーク、そして勉強法 May 8, 2020
#3126 問題解決型授業をめぐる議論(2):火花 Sep. 5, 2015
#5275 玉川徹さん、対話するときに「論点ずらし」はご法度ですよ Aug. 22, 2024
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#5270 中国経済はなぜ混迷を深めるのか?Aug. 8, 2024 [A2. マルクスと数学]
「習近平が」ついに全面降伏か?」という記事をネットで拾いました。藤和彦さんという人の書いたものです。
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習氏は7月26日に開かれた座談会に出席し、こう語ったという。
「中国経済がいくつもの困難と問題に直面している」
「ただ、努力すれば完全に克服できる。発展に対する信頼を確実にし、戦略的集中を維持しながら実質的な高品質発展が効果的という中国経済光明論を唱えるべき」
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大卒が毎年1200万人いて、今年4月の内定率は45%、6月に卒業ですから、新規大卒者の半数近くが職に就けないようです。たいへんなことですね。
景気をけん引してきた不動産投資はとっくにバブルがはじけており、不動産企業や金融業や地方政府が抱えている不良債権の処理もされていません。
習近平氏は品質の高い商品を生産すれば経済がよくなると思っているようです。
マルクスもそう考えていました。労働価値説というのはあらゆる労働生産物は価値があるという前提で組み立てられています。だから、ちゃんと生産すれば経済は自然に回るものだと考えています。頭の中はお花畑なのです。裸の王様に誰も「王様は裸だ!」と言わないのです。
マルクスだけではありません。彼は先行者であるアダム・スミスやリカードの労働価値説を継承し、当時流行りのヘーゲル弁証法で経済学の体系化ができると考えました。そしてやってみたのです。資本論第一巻初版がその成果でした。第1巻は資本の生産過程論ですが、第2巻では市場関係を扱うつもりでした。そして草稿を書き溜めているうちに労働価値説の致命的な欠陥に気が付いてしまったのだろうと思います。『資本論』は間違いでした、生産手段の国有化では新しい経済社会のモデルを作ることは不可能ですなんて、今更言えるわけがありません。だから、その後、死ぬまで沈黙せざるを得ませんでした、とても気の毒な晩年です。
生産性アップによる商品生産力の増大は、労働価値説に依拠すると、「労働強化」でしか説明ができません。これは明らかな矛盾です。いわば背理法による労働価値説破綻の証明です。生産性を2倍にして、それまでよりも労働を軽減するというようなことが現実の経営では普通に行われています。市場論へ来て、市場価値を分析して労働価値説の破綻に気がついたのです。そもそも方法論で当時流行のヘーゲル弁証法に依拠したことが間違いでした。体系構成の科学的方法論としてはユークリッド『原論』しかなかったのですから。マルクスは数学が苦手でした。彼の数学学習ノートである『数学手稿』を読めば、微分の概念をつかみ損ねたことがわかります。だから効用(使用価値)が低減していくことすら理解できませんでした。
マルクスの学位論文はギリシアの自然哲学に関するものでしたが、数学が苦手たっだのでユークリッド『原論』には興味がわかなかったのでしょう。読んですらいないと思います。マルクスは躓くべくして躓いたのです。
マルクスは働いた経験がないし、企業経営の経験もありません。マネジメントについての本は当時はありませんでしたから、マルクスは知りようがありませんでした。だから、理想とする経済モデルを記述できなかったのです。マルクス研究者で、この事実に言及して『資本論』の公理の破綻に言及した人は、残念ながら私以外にはいません。だからまったくの異端の論ですが、ずっと先になるかもしれませんが、いずれ経済学者たちはわたしの主張の妥当性に気が付きます。
マルクスの神格化はもうやめにしませんか?
マルクスはまぎれもなくチャレンジャーでした。経済学を演繹体系として記述しようとした最初の経済学者であったことは特筆すべきことです。失敗はしましたが、マルクス以後、そういう仕事をした経済学者はいないのですから。
中国ではEV車は生産過剰です。過剰の部分はニーズがないので労働が投下されていても商品価値はゼロです。習近平氏は過剰生産によって、局面を打開しようとしていますが、それが無理なことは明らかです。過剰生産品には「労働価値」があっても、商品価値(=市場価値)がありません。当たり前でしょ。
したがって、新たな経済モデルを作らないといけないのですが、マスクスは新たな経済モデルを資本論の中では議論していません。生産手段を労働者が手にすれば問題が解決すると考えていましたが、それは間違いでした。その後のソ連や中国経済を見れば明らかです。
一般に、(数学的)モデルは公理系という假定条件で演繹体系として成り立っていますが、中国共産党の存命が中国経済モデルの最優先の前提条件になっているように見えます。これでは「人民」にとって、善なる経済モデルが築けるはずもありません。共産党やその支配下にある軍の幹部とその一族だけが特権をもち、好い思いをする人民監視社会ができあがりました。人類史上初めて誕生した異様な経済社会です。ロシアも共産党とその支配下の軍の存命という同じ公理で経済モデルが成り立っています。
公理的な体系として、世界で初めて記述された学問は数学でした。ユークリッド『原論』です。いくつかの公理・公準で成り立っています。これは平面幾何学の公理でして、球面幾何学では平行線公準は成り立ちません。赤道に垂直に伸びるに直線は北極と南極で交わります。ヒルベルトの『幾何学基礎論』も公理的演繹体系です。演繹体系では公理が問題となります。
たとえば、命題P:「x^2=-3」となるxを考えるときに、この命題Pは実数の世界では正しくありませんが、複素数の世界では正しいのです。だから、論理的な判断はその前提としている世界が何であるかによって、正しかったり正しくないことが起きます。詳しくは小島寛之著『証明と論理に強くなる』(技術評論社刊、2017年)をお読みください。
新たな経済社会のモデルは、公理系の選択次第でいかようにも記述できます。その公理系に従って経済モデルが成り立つからです。数学なら平面幾何学と球面幾何学という風に。わたしにはまったく専門外ですが、トポロジーでも別の公理系が成り立っていそうです。カオス(秩序のない混沌)かコスモス(秩序のある宇宙)か、これらが相互浸透したカオスモスなんてことが、数学の世界では議論されているようです。為替相場や株式相場が連想として浮かびます。
公理系は、企業のマネジメントやビジネス倫理に関わります。
日本人が400年間大切にしてきた、「売り手よし、買い手よし、世間よし三方よし」というビジネス倫理は、実務のテストを経て、一部の老舗企業に脈々と受け継がれてきました。日本には創業200年を超える企業が圧倒的に多いのです。一番古いのは西暦578年創業の金剛組でして、1446年の歴史をもっています。この企業は世界最古です。これはカオスの世界にコスモスが浸透した現象に見えます。弱肉強食のジャングルの掟に、人間の平等性智や無差別智が浸透しています。
住友家の家訓に「浮利を追ってはいけない」「信用が第一」という条がありますが、これは日本の商家に普遍的な家訓です。
こういうビジネス倫理で商売を200年以上続けてきた企業が日本には数千社あります。中国にはあるでしょうか?ロシアは?米国は建国250年の国ですからいくつもないでしょう。
マルクスがお手本とすべき経済モデルは、日本の老舗企業でした。彼はマネジメントに関心がありませんでした。だから、経済モデルがつくれませんでした。資本論第1巻を公刊して、自分の資本主義分析の根本的な過ちに気が付き、そのご16年間本を出版していません。膨大な遺稿が残されました。自分の間違いに気が付いたので、資本論の続巻が出せなくなったのです。
①「売り手よし、買い手よし、仕事をする者よし、世間よしの四方よし」
②浮利を追わない
③信用を第一とする
新しい経済モデルは、この三つの柱で創造可能です。経済モデルを創るということは、元々カオスである資本主義経済に、コスモス(秩序)を浸透させることなのかもしれませんね。
*#3533 自然数の定義を巡って:言語・公理・推論規則 Apr. 26, 2017 [53. 数学四方山話]
**#3538 ∀n [ n≧3⇒∀x∀y∀z ¬(x^n+y^n+z^n] May 7, 2017 [53. 数学四方山話]
***#5207 歴史的順序と論理的順序:『資本論』の論理的破綻と新しい経済モデルについて Apr. 8, 2024
#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016
#3439 フェルマーの最終定理と経済学(3):整理作業-1 Oct. 19, 2016
#4660 数学と経済学の体系構成の方法 Nov. 27, 2021
#5098 職人の仕事「千年の和釘に挑む」:NHKBS番組 Nov. 1, 2023
#5120 公理を変えて資本論を書き直す② Nov. 28, 2023
#5124 資本論の論理構造とヘーゲル弁証法 Dec. 5, 2023
#5125 公理を変えて資本論を書き直す③ Dec. 8, 2023
#5127 公理を変えて資本論を書き直す④:生産性とマネジメント視点の重要性
#5128 公理を変えて資本論を書き直す⑤:生産性シミュレーション Dec. 11, 2023
#5132 公理を変えて資本論を書き直す⑥:生産性アップと労働価値説 Dec. 20, 2023
#5138 集中力と「仕事(=遊び)⇔労働」概念:NHK地上波「スタニスラフ・ブーニン」を見て Jan. 1, 20
#5207 歴史的順序と論理的順序:『資本論』の論理的破綻と新しい経済モデルについて Apr. 8, 2024
証明と論理に強くなる ~論理式の読み方から、ゲーデルの門前まで~ (知の扉)
- 作者: 小島 寛之
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2017/01/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
#5247 日本企業はどこから来て、どこへ向かおうとしているのか?①内部留保 June 9,2024 [A2. マルクスと数学]
なぜ日本企業は内部留保を厚くするのか、その理由の一つは日本列島は自然災害が多いということにあると思われます。
大きな自然災害に見舞われたら、1年間売上がゼロになるとか、店舗や工場が被害を受けて、事業再開に多額の資金を要するなんてことが起きます。
今年正月元旦14時17分に起きた能登半島沖地震では、工場や店舗に在庫としておかれていた輪島塗の漆器も瓦礫の下に埋もれました。幸い一部は傷がつかずに売り物になったようです。輪島塗の漆器は種類の異なるさまざまな職人に分業化されて製造されているので、工場の再建だけでなく、職人をそのまま抱えることができなければ高品質の製品が製造できません。1年間ほどは仕事がなくても職人に給与を払って生計を立てることを可能にしなければなりません。
これらの資金は企業の内部留保や職人の貯蓄から出されます。だから内部留保や貯蓄が薄ければ、大きな自然災害があると、ほとんどの企業がつぶれ、職人が離散してしまいます。
たとえば、輪島塗の製造工場(こうば)がつぶれたら、そこで働いていた職人さんばかりでなく、前工程を受け持っていた工場も潰れます。木地職人や漆の採取を生業としている人など、輪島塗には124工程もあり、さまざまな職種の職人さんが製造にかかわっています。
これらの工程のいずれかで、職人がいなくなれば、もう高品質の輪島塗はつくり得ません。だから、自然災害があっても内部留保で、食いつなぎ、工場を再建し、販売店を再建しなければならないのです。全工程に関わる職人さんたちや企業は運命共同体のようなものです。零細企業も中小企業も大企業も、内部留保を厚くする理由がお分かりいただけるでしょう。
全部の工程に係る人たちが、ちゃんと生計が立てられるような、「仕入・製造・販売」のシステムがなければ、数百年にわたって、輪島塗のような伝統工芸品を作り続けることができません。そこから生まれてくるビジネス倫理が、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」ということなのです。
どこか、一か所だけが大きな利益を上げて、他が生活苦にあえぐなんてことがあってはいけないのです。日本の商道徳からはあってはならぬことです。
そうして考えると、トヨタが5兆円もの利益を上げて、下請け40,000社の合計利益がその10分の1にも満たない3000億円だなんていう状況は、日本の伝統的なビジネス倫理から見ると、実に強欲で手前勝手であることがわかります。
同じ自動車産業で業界2位の日産の元社長のカルロス・ゴーン氏は我欲の人でしたね。自分さえよけりゃOKでした。日産の含み資産である村山工場跡地を売却処分し、20,000人の社員のリストラをしました。要するに先人が積み上げた内部留保の大半を使い果たし、人員整理をして経営再建を測りました。会社のお金を私的に流用もしていました。日本的な商道徳とは真逆の経営だったのです。最近起きている日産の下請け苛めの話は#5243で書きました。カルロス・ゴーン氏だけの問題でもなさそうです、どうやら根が深い。
自動車産業は市場がグローバルですから、その経営もグローバリズムに染まりやすいのでしょう。だからこそ、自動車産業は注意しなければいけないのです。日本企業がどこから来て、どこへ向かいつつあるのかを自覚しないといけません。「過去最高の利益」におぼれていてはいけません。その経営の陰の部分で何を引き起こしているのかについても、自覚しないといけないのです。
6/11追記
*トヨタの不正行為6事例、「国連基準」も満たさず…国交省「欧州でも不正と判断される可能性高い」
話を災害に戻します。日本列島は台風の通り道です。
そしてユーラシアプレート、フィリピン海プレート、北米プレート、太平洋プレートの4つのプレートがせめぎ合っているところに日本列島がありますから、地震と火山噴火が世界一多い国ということになります。四方を海に囲まれ、四季があり、豊かな自然に恵まれていると同時に自然災害の大国でもあるのです。当然そこには、そうした自然環境にフィットした経営や商道徳が根付きました。
日本企業の内部留保が厚いのは、日本列島に住み続けてきた私たちの先祖の生活の知恵のひとつでした。企業が内部留保を厚くするように、わたしたち庶民もまた貯金を殖やして、自然災害に備えるのがあたりまえになっています。貯金を投資や金儲けのための投機に使わないのは、自然災害への備えだからです。
お金で貯めるようになったのはおそらく平安時代からでしょう。奥州藤原氏の領地から金が京都に大量に運ばれ、貨幣経済が浸透していきました。秀吉のときから幕府が発行する小判が通貨として大きな地位を獲得しています。江戸や大阪に店舗を持つ豪商や地方の豪農は金を蓄えます。江戸時代から見ても400年も日本人は災害の備えて内部留保を厚くし、貯金を殖やしてきました。これは必要なことであり好いことでした。
今上場企業は内部留保を削って自社株購入を行い、株価をアップするのに一生懸命です。経営者の報酬も30年前に比べると巨額になりました。2億円以上の報酬を受け取っている取締役の数は250人を超えています。30年前にはゼロに近かったはず。その一方で、非正規雇用を増やして人件費を削っています。社員の給与を見てもこの30年間ほとんど上がっていません。
わたしは、「売り手よし、買い手よし、仕事する人よし、世間よしの四方よし」を唱えたい。取締役の報酬だけが3倍にもなって、社員の給料が横ばいというのは日本の伝統的な商道徳からみると、おかしいことなのです。マスメデアも経済学者もこうした視点をもっていません。
商道徳のベースには、卑怯なことをしてはいけない、ズルイことをしてはいけない、弱い者いじめをしてはいけない、人をだましてはいけない、火事場泥棒をしてはいけないなど、人として守るべき普遍的な道徳があります。被害に遭われた方々への惻隠の情も日本人の美質でした。
薩摩藩の郷中や会津藩の什は若者の自治組織でした。そこで若者の人としての在り方の教育がなされています。江戸時代に30,000あった寺子屋でもそうした人としての教育がなされていました。学校教育はこのような人としての在り方の面で十分な教育がなされていますでしょうか?
若衆宿や娘宿など全国の村落にあった若者の自治組織は明治政府の文教政策で壊滅しています。それらに変わる教育機関がいまだにありません。企業経営者の倫理観が欠如しているように見えるのは、そういうことと関係がありそうです。
企業で仕事をし、内側から観察すると商道徳がどうなっているかがよくわかります。よく観察し、現在の状況を把握すると同時に、そのよって来る淵源に遡り、そしてさらに考える、わたしたちはどこからきてどこへ向かおうとしているのか、そういう地道な作業が必要です。
<会津の什の掟>
同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。
毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
株式市場が発達して、東京証券取引所を通じて株式会社のグローバル化がどんどん進行しています。いまや上場企業の株式の4割近くを外国の投資機関が保有しています。日本の株式会社の取締役の報酬も、米国基準へと変わりつつあります。日本の大企業のほとんどがGreed Capitalism(強欲資本主義)に呑み込まれつつあります。
その一方で、日本には創業200年を超える老舗企業が数千社あり、取引先の信用を維持を第一にし、内部留保を厚くし、「浮利」を追わない経営をしています。グローバリズムとまったく異なる経営をしています。
欧米の企業をprofit driven(利益駆動)モデルとすると、日本の老舗企業は trust driven(信用駆動)モデルです。
さて、わたしたち日本人と日本企業はどこから来て、どこへ行こうとしているのか、今一度立ち止まって考えてみませんか?
<首都直下型地震が起きたら>
自然災害でその被害の最大のものは、人口が密集している首都圏直下型の地震です。次の首都圏直下型地震の被害額は1000兆円と言われていますから、上場企業の内部留保の合計額550兆円では賄いきれません。
民間は内部留保があるからまだましですが、政府は内部留保どころが、その借金(国債と借入金と政府短期証券)が1297兆円あります。本来なら、災害対策準備金が500兆円ほど欲しいところですね。何やっているのでしょう?
例えば明日、首都圏直下型地震が襲ったら、復興資金手当てのために現在の金利1%で500兆円の国債の新規発行が可能でしょうか?長期金利は10%ほどにも上昇し、発行済国債価格は大幅に下落しそうです。円は国際投機筋から投げ売りされます。円安が進行して物価が大幅に上昇するでしょう。
想定したくない事態ですが、政府に備えはできていません。アリとキリギリスの寓話のキリギリスのような財政運営を30年間も続けています。民間企業の大半は内部留保を食いつぶしながら生き延びるでしょう。
首都直下型地震が起きたときには、上場企業がどのように内部留保を取り崩して対処したかを、ぜひ記録に残してもらいたい。百年後に起きる次の首都直下型地震への備えをどうすればよいのか、貴重な資料になります。
<余談:株式評価に関する会計基準変更の影響>
外国人投資家比率の急激な上昇は、株式に関する評価基準が変更(2001年9月)になったことが引き金になっています。それまで取得原価主義でしたが、時価評価へ会計基準が変更になり、株式保有は企業の業績にとってリスク資産となってしまいました。それで、株式の持ち合い解消へと流れが起きて、持ち合い株が市場へ売りに出されました。それまでは外国人投資家が日本企業の株式を買いたくても、売り物が少ないので買えなかったのです。
経済学者でこの会計基準変更がもたらす影響を予測できた人はいなかった。銀行の持ち合い株が市場へ売りに出されました。経済学者には会計学や簿記の専門知識も必要なのです。経済現象に大きな変化を起こす重要なファクターでもあるのですから。複式簿記で動いていない株式会社はありません。数値記録の最重要なものは、複式簿記で記録されています。ミクロの企業経営の巨大な集合としてマクロ経済があります。
(マルクスに数学の体系構成や複式簿記に関する専門知識があったら、『資本論』は書けませんでした。労働価値説が成り立たぬことは、損益シミュレーションで簡単に理解できますから。論証した弊ブログ記事を三つ紹介します。もちろんマルクス経済学者でマルクスの論理の破綻に言及した人はいません。複式簿記の理論を知らないからでしょう。学際的な問題ではなくて、複式簿記は経済学の重要部分を占めています。企業運営がそこから生み出される数値情報で判断され運営されているのが現実ですから。
マルクスは1867年8月に『資本論第一巻初版』を出版して、1883年3月14日に亡くなるまで16年間、ついに資本論第2巻を出すことなく亡くなっています。書き溜めた遺稿が膨大に残されたのみ関わらず、なぜマルクスが第2巻の出版をしなかったのかについて、考えたマルクス経済学者はいません。そこにこそ、マルクス経済学の重大な秘密があるのです。市場関係論の原稿を書き進めるうちに、労働価値説とヘーゲル弁証法の致命的な欠陥に気がついたのです。労働価値説に立つと、生産性上昇を労働強化で説明するしかありませんでした。それは事実と背反していますから、かれは背理法で労働価値説の破綻を証明してしまったのです。『資本論第一巻』を出した時には知らなかった、しかし『資本論第二巻』の草稿を書いているうちに論理的な破綻に気がついてしまったとしたら、『資本論第二巻』を出版できるはずがないのです。事実マルクスはその通りにしました。
独立行政法人経済産業研究所 藤原美喜子客員研究員 2003年4月22日の『エコノミスト』への掲載記事を紹介します。
*「読み誤った時価会計導入時期」
#5127 公理を変えて資本論を書き直す④:生産性とマネジメント視点の重要性
#5128 公理を変えて資本論を書き直す⑤:生産性シミュレーション Dec. 11, 2023
#5132 公理を変えて資本論を書き直す⑥:生産性アップと労働価値説 Dec. 20, 2023
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#5238 新しい経済理論と経済社会のデザイン May 24, 2024 [A2. マルクスと数学]
たとえば「売り手よし、買い手よし、仕事する者よし、世間よしの四方よし」、昔からある「三方よし」に言わずもがなの「仕事する者よし」を付け加えてみました。
日本やドイツには職人が多い国ですが、職人は仕事の手を抜きません、ただただ好い仕事をするために存在しています。
経済学を根本から考えなおし、新しい経済社会のデザインをすることが私のライフワークでした。書き溜めたものをピックアップして、書いた順番に並べるたで、興味のあるかたはお読みください。全体像が見えてきます。
とくにマルクス経済学者のみなさんに読んでもらいたい。異論や意見が頂けたらありがたいと思います。
*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び Oct. 13, 2016
#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016
#3439 フェルマーの最終定理と経済学(3):整理作業-1 Oct. 19, 2016
#4660 数学と経済学の体系構成の方法 Nov. 27, 2021
#5098 職人の仕事「千年の和釘に挑む」:NHKBS番組 Nov. 1, 2023
#5120 公理を変えて資本論を書き直す② Nov. 28, 2023
#5124 資本論の論理構造とヘーゲル弁証法 Dec. 5, 2023
#5125 公理を変えて資本論を書き直す③ Dec. 8, 2023
#5127 公理を変えて資本論を書き直す④:生産性とマネジメント視点の重要性
#5128 公理を変えて資本論を書き直す⑤:生産性シミュレーション Dec. 11, 2023
#5132 公理を変えて資本論を書き直す⑥:生産性アップと労働価値説 Dec. 20, 2023
#5138 集中力と「仕事(=遊び)⇔労働」概念:NHK地上波「スタニスラフ・ブーニン」を見て Jan. 1, 20
#5207 歴史的順序と論理的順序:『資本論』の論理的破綻と新しい経済モデルについて Apr. 8, 2024
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#5232 中国の過剰生産問題とグローバリズムの終焉 May 13, 2024 [A2. マルクスと数学]
これらの先端産業分野は欧米が危機感を持っているから、槍玉に挙げられているのでしょう。
実は住宅建設も過剰生産ですが、これは直接欧米経済への影響はありませんから他人事です。しかし、巨額不良債権処理を決定したら、金融面で影響は避けられないのでしょうね。
習近平政権は中国に過剰生産問題はないと火消しに躍起になっていますが、無理もないところがあります。理由は、共産主義の国には過剰生産問題は理屈の上ではあり得ないからです。
商品の価値はそこに投下された労働量で決まるので、いくら生産してもかまわないのです。ところが、生産性が上がり、生産能力がアップすれば、実際に商品の過剰は生じます。
建設途中で放棄された高層住宅群は労働価値説から考えると、それは労働が投下された商品生産です。ところが買い手はローンを組んでお金を先払い、建物は未完成のまま放置ということが起きています。そんな未完成の建物は市場では買い手がつかない。つまり商品としての価値がありません。こんな卑近な例からも、投下労働価値説は間違いだということがわかります。労働価値説が誤謬だということは、その前提の上に展開されている「資本家による労働者の搾取」という論も破綻するということです。マルクスの経済理論は市場を前提にすると現実には成り立たない妄想の産物だということです。彼は生涯にわたって、労働とかマネジメントをしたことがありません。頭の中で妄想していただけでした。でも『資本論第一巻初版』を出版した後、第二巻の草稿を書き進めて気がついたのだろうと思います。だから16年間沈黙を守って、『資本論第2巻』を出さずに亡くなっています。バカなエンゲルスが遺稿を編集して『資本論第2巻』と『資本論第3巻』をマルクスの死後に出版しました。
マルクス『資本論』は経済理論としては矛盾、その結果論理的に破綻してます。経済的理論の基盤のない共産主義社会は経済社会としてはありえない幻想ということになります。
こうした政治体制と経済構造の捻じれは、中国では共産党が経済的に人民を搾取し、弾圧するという歪みとなって表れています。たとえば、地方から上海や北京に出てきた労働者たちは、「農村戸籍」で差別されています。都会で都会戸籍の人と同等の社会保障すら受けられません。大学進学でも農村戸籍の者たちは差別されています。
何という皮肉でしょう、労働者は行政機構にも企業経営者にも文句すら言えません。言ったら警察が介入して逮捕されます。どういうわけか労働組合運動は共産主義の国では不可能です。
企業経営で成功した者たちと、政治セクターに強いコネのある者たちが経済的な勝利者となり、そうではない者たちは貧困のどん底にあえいでいます。労働者のための国家であったはずが、生活改善を訴える労働者にや若者たちに警察や軍隊が牙をむく国家となっています。それが共産主義中国の政治体制と経済の捻じれの現実です。
中国でも企業経営者はニーズのない商品が価値をもたないことは容易に理解できますが、政治セクターでは理解不能なのではないかと思います。それはマルクス『資本論』が投下労働価値説をとっているからです。政治セクターはマルクスの理論を否定すると自らの存在理由を失うので、否定できないのです。労働が投下されてつくられた商品は価値を持つというのが、政治セクターで仕事している人々の理解でしょう。マルクスの経済学説を否定することは中国共産党の自己否定につながりますから。共産党政権の経済理論上の正統性がなくなります。
ところが、市場のニーズを超えて生産された商品は無価値です。経済人には容易に理解できても、政治セクターの人々には無理です。そこで捻じれが起きています。捻じれとは何か、その一つが過剰生産にまつわる問題です。
国内で起きている高層住宅開発の大失敗、過剰供給問題は、その開発に地方の政治セクターが絡んで融資を行って開発を促進したことに起因します。経済の問題に政治セクターが絡むことでこのような問題が起きています。
日本でも類似の問題はありますね。東京オリンピックや大阪万博にまつわる建造物の大幅予算超過。市町村の第三セクターの赤字問題、政府関連外郭団体予算にまつわる問題など。半導体事業会社への兆円単位の補助金もそういう類のひとつでしょう。
中国の生産能力はこの30年間ほどで飛躍的に増大しました。生産性が飛躍的に上がったことによって、新産業分野で過剰生産問題が起きています。国内市場だけではパイが小さすぎるのです。製造業の分野によっては世界市場の半分くらいを満たしうる生産能力をすでに手にしています。
たとえば、太陽光発電パネルの生産能力はダントツに世界一で、すでに世界市場を席巻しています。電気自動車もそうなるでしょう。製造技術や生産性はすでに中国が欧米を上回ったいそうです。中国は国内の生産過剰から海外市場への販路を拓かないと経済発展が望めない、そういう曲がり角に来ています。
欧米は経済覇権が中国へ遷ることを看過できません。
グローバリズムは中国にとって最も有利な市場経済の在り方です。米国から、経済的覇権が中国へ遷る時代にわたしたちは生きています。中国の覇権を阻止するためにはグローバリズムをとめるということが選択肢に一つになっています。それは同時に米国が覇権を失うことでもあります。
時代の要請から、わたしたちはグローバリズムの終焉を模索する必要があります。
日本の職人仕事と文化、さまざまな製造業のシステムとビジネス倫理を開発途上国に「輸出」したらいいのです。貿易は自国で清算できないものに限定します。欲望を抑え、つつましい生活をすれば、SDGsは可能です。
四百年前から商道徳が根付いた日本にしかできないことだと思います。日本人は欧米や中国を向こうに回して、開発途上国と連帯し、グローバリズムと戦う肚(はら)を固めるべきではないでしょうか?
<余談-1:五反運動>
習近平氏の最側近である陳一新氏が中国共産党の幹部育成学校機関誌に「五反運動」を呼びかける記事を寄せています。毛沢東が1950年代初頭に行った「三反運動」や「五反運動」への回帰を促すものです。
●『反転覆』(政権を転覆させない)
●『反覇権』(覇権国家に対抗していく)
●『反分裂』(中国を分裂させない)
●『反恐怖』(テロを取り締まる)
●『反間牒』(スパイを取り締まる)
この運動指示も共産主義という政治体制と実際の経済(資本主義)の捻じれを表す現象です。経済理論としては成立しえない共産主義経済社会を幻想のまま維持するには、労働者(人民)の弾圧しか手段がないのです、何という皮肉でしょう。共産党の正当性に異論を唱える者の自由を奪い、収容所送りにして強制労働させて「矯正」するしか手段がないのです。共産党が生き残るためなら何でもありです。
*#5207 歴史的順序と論理的順序:『資本論』の論理的破綻と新しい経済モデルについて Apr. 8, 2024
#5132 公理を変えて資本論を書き直す⑥:生産性アップと労働価値説 Dec. 20, 2023
#5128 公理を変えて資本論を書き直す⑤:生産性シミュレーション Dec. 11, 2023
#5127 公理を変えて資本論を書き直す④:生産性とマネジメント視点の重要性
#5125 公理を変えて資本論を書き直す③ Dec. 8, 2023
#5124 資本論の論理構造とヘーゲル弁証法 Dec. 5, 2023
#5120 公理を変えて資本論を書き直す② Nov. 28, 2023
#5117 公理を変えて資本論を演繹体系として書き直す① Nov. 18, 2023#5138 集中力と「仕事(=遊び)⇔労働」概念:NHK地上波「スタニスラフ・ブーニン」を見て Jan. 1, 20
*#5098 職人の仕事「千年の和釘に挑む」:NHKBS番組 Nov. 1, 2023
*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び Oct. 13, 2016
#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016
#3439 フェルマーの最終定理と経済学(3):整理作業-1 Oct. 19, 2016
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#5207 歴史的順序と論理的順序:『資本論』の論理的破綻と新しい経済モデルについて Apr. 8, 2024 [A2. マルクスと数学]
4/11午前中に一部追記
数学を歴史的序列に従って記述しようとしたら、歴史的な順序が自明な分野はそれで可能だが、歴史的順序が決められない分野があり、数学の一部しか記述できないことに気がつくだろう。
たとえば、数なら歴史的順序は自然数からだろう。負の数や分数はそのあとになる。無理数はもっと後で、複素数が一番最後になる。ところが、平面図形ではどのような図形が歴史的に一番最初に描かれたのかについては誰も知らない。そのようなことを気にする人もいないように思う。だから、単純なものから複雑なものへと論理的順序に従って叙述するしかない。
(じつは、自然数を公理論的な手続きに従って論理式で定義するのは簡単ではない。自然数を論証するには、前もって論理式が定義されていなければならない。小島寛之著『論理式の読み方からゲーデルまで 証明と論理に強くなる』技術評論社2017年「第3部 自然数を舞台に公理系を学ぶ」を参照)
現代数学は1930年代から、ブルバキ(フランスの数学者を中心とする集団)が集合論で各分野を統一的にとらえようとしているが、数学の分野の拡散速度の方が大きくて、首尾よくいっているとはいいがたいが、さりとて、それ以外の方法というのは提示されたことがない。演繹体系として論理的順序に従って記述するということだけが確かなことのように思える。論理展開は論証でもあるので、数学的な論証は論理が厳密に組み立てられるので、その体系の記述あるいは順序は歴史的なそれとは関係がない。
演繹的な体系として一番古いものは、ユークリッド『原論』である。経済学者にこの分野に馴染みのある人はほとんどいないから、その公理論的演繹体系構成がどのようなものであるのか紹介したい。
『原論には』平面図形と数論が含まれており、その第一巻は23個の定義から始められている。
点・線・線の端・直線・面・面の端・平面・平面角・直線角・垂線・鈍角・鋭角・境界・図形・円・円の直径・半円・直線図形・等辺三角形/二等辺三角形/不等辺三角形・直角三角形/鈍角三角形/鋭角三角形・正方形/短形/菱形/長斜方形/これら以外の四辺形・平行線
実際には次のように記述されている。
「1. 点とは部分をもたないものである。」
「2.線とは幅のない長さである。」
「3.線の端は点である。」
「4.直線とはその上にある点について一様に横たわる線である。」
「5. 面とは長さと幅の実をもつものである。」
「6. 面の端は線である。」
「7. 平面とはその上にある直線について一様に横たわる面である。」
...
「定義」の次には「5個の公準(要請)」が並ぶ。
「1. 任意の点から任意の点へ線を引くこと。」
「2. および有限直線を連続して一直線に延長すること」
「3. および任意の点と距離(半径)をもって円を描くこと。」
「4. およびすべての直覚は等しいこと。」
「5. および1直線が2直線に交わり同じ側の内角の和を2直角より小さくするならば、この2直線は限りなく延長されると2直角より小さい角のある側において交わること。」
5番目のものは平行線公準と言われている。これを公準から外し、平行線は一点で交わるとすると、球面幾何学という数学モデルが誕生する。別の公準系である。
公準の次には「9個の公理(共通概念)」が続いている。
「1. 同じものに等しいものはまた互いに等しい。」
「2. また等しいものに等しいものが加えられれば、全体は等しい。」
「3. また等しいものから等しいものがひかれれば、残りは等しい。」
「4. また不等なものに等しいものが加えられれば全体は不等である。」
「5. また同じものの2倍は互いに等しい。」
「6. また同じものの半分は互いに等しい。」
「7. また互いに重なり合うものは互いに等しい。」
「8. また全体は部分より大きい。」
「9. また2線分は面積をかこまない。」
平面図形で一番単純なのは三角形である。『原論』は半径の等しい円をそれぞれが互いの中心を通るように描いて、交わった三点を結んで正三角形を作図して見せる。それ以降平面図形はどんどん複雑なものになる。演繹体系の展開順序は「単純なものから複雑なものへ」である。『資本論第一巻』もそのような構成になっている。
ユークリッド原論は「定義・公準・公理」を措定した後、それらを用いて作図によって複雑な図形を演繹的に展開していく。これが、学の最初の体系である。
マルクスは『資本論第一巻初版』でも『経済学批判要綱』でもユークリッド原論やデカルト『方法序説』「科学の方法 四つの規則」に言及することがない。
マルクスはユークリッドやデカルトを読まなかったようだ。その理由は『数学手稿』をみれば明らかだ。微分の概念を理解できなかったことが読み取れる。無限小が理解できなかったので、微分の意味がわからなかった。数学原論で無限を扱うのは、集合論の無限集合のところである。マルクスは古典数学の微分積分で躓いたということがわかる。そのため、『資本論』には四則演算のみで微分積分計算は出てこない。たとえば、消費者の満足度の変化と消費者が商品に抱く使用価値の変化が理解できなくなる。
2次関数や3次関数的に変化する経済現象が扱えないだけでなく、指数関数や対数関数、そして三角関数のように周期的に変化するものを扱えないということ。
たとえば、ここにお金持ちのお洒落なご婦人がいたとして、ダイヤモンドの指輪を初めて買うのと、100個も持っていて101個目を買うのとでは、ダイヤモンドの使用価値は異なる。そんなにたくさんいらないのだ。食品ならもっとはっきりする。A6の牛肉ですき焼きをしようと思う。1kg20000円買えば十分だ。10㎏買っても食べきれないで冷凍庫に保管し味が落ちる。だから、買う量を増やすにしたがって、その価値は低減していく。1㎏から100g増えるごとに価値は半分になるとすると、100g増やした時には1000円、その次の100gの増分には500円しか支払いたくない。食べきれずに捨てるか冷凍保存するしかないからだ。こういう変化が労働価値説や四則演算ではとらえきれない。『資本論』の議論から外さざるを得ないのである。そしてそうなっている。
どうやらマルクスは数学は不得手だったようで、そちらの方面の本をほとんど読んでいないように見える。微分のような数学的な操作の意味が理解できなかっただけでなく、演繹的な体系構成についても、へーゲル弁証法を利用するしか選択肢がなかった。体系構成に関する数学の成果(公理的演繹体系法)を取り入れることができなかったことは後ほど述べる。
数学嫌いの典型的な文系学生だったのではないだろうか。それが仇になってしまったと言っては言い過ぎだろうか?
もうひとつ数学嫌いの「証拠」、いや「傍証」をだそう。
簿記は19世紀は数学の応用分野の扱いを受けていた。株式会社は株主に決算報告をしないといけないから、複式簿記は企業行動を理解するための不可欠の学問分野である。生産性が向上が生産コストや利益にどのような影響があるのかは、損益計算書でシミュレーションすれば誰にでも理解できる。『資本論第一巻』と『経済学批判要綱』のどこを探しても、複式簿記や複式簿記に基づく損益計算書に言及した箇所はない。マルクスは苦手な分野を避ける傾向のあった人のように見える。そのことは彼の経済学へのアプローチに著しい限界を与えることになった。
彼が用いたのは極めて限定された学説と方法論であった。スミス『諸国民の富』やリカード『経済学及び課税の原理』の労働価値説と体系構成の方法として当時流行りのヘーゲル弁証法である。そういうわけだから、視野がとても狭いということは言えそうである。ヘーゲルの『歴史哲学』は歴史的順序と論理的順序はイコールだという立場である。マルクスは忠実に継承していおり、「唯物史観」となったが、歴史的事実とまったく合致しない。
遠い昔、50年ほど前になるが、西洋経済史の泰斗、増田四郎先生と3人の院生だけで1年間リスト『経済学の国民的体系』を読み、その学風にふれた。そのお陰で、唯物史観を払拭できた。授業が終わった後、国分寺駅前ビルの最上階の喫茶店で、月に一度ビールをご馳走になりながら雑談、とっても愉しかったちょうどイタリアから戻ってきた一番弟子の阿部謹也さんとその著作『中世の窓から』が何度か俎板に載った。増田先生は実証研究の人だった。人柄も学風もすばらしかった、その影響を幾分か享受することで、その後のわたしの研究方向が決まったような気がする。業種を変えて転職し、マネジメントや経営統合システム開発などの仕事を通じて企業を内側から観察することで、マルクス『資本論』の批判的検討と、新しい経済モデルの探索の旅をすることになった。資本主義を支える企業という現場に身を置いて実証研究をした。書斎の人であった、マルクスの轍は踏んでは、マルクスは越えられないのはモノの道理。
リストの『経済学の国民的体系』には先に産業革命を成し遂げた英国資本主義の影響を受けて、ドイツの経済発展は英国とは別の独自の過程をたどることになることが描かれている。そのことを見ても、単線的な唯物史観の破綻は明らかだ。
3人の院生が、増田先生に特別講義をお願いしたときに、増田先生が選んだテクストがリスト『経済学の国民的体系』だった。このセレクトは意味深である。3人の内、一人は社会思想史を研究していた鈴木さん、もう一人は大倉財閥の研究を手伝っていた須田さん、そしてマルクス経済学の体系構成に関する研究をしていたわたしの三人。単線史観の唯物史観が支配的だったから、その蒙を拓こうと考えたチョイスと思った。毎回坦々と、テクストを先生と三人の院生が読み、それぞれの意見を述べるだけ。もちろん先生も毎回自分の解釈を述べる、好い先生に出遭った。
学の方法は2つあるのに、ヘーゲル弁証法しか見ていない。そして現実の観察を怠ったために、労働価値説の破綻に気がつくのが遅れてしまった。『資本論第一巻』を出版して、第二巻の草稿を書き溜めているうちに気がついたのだろうと思う。市場論で市場価格概念が出てくると労働価値説が破綻してしまうのだ。この点は生産性の問題として別稿で論じた。『資本論第一巻』を出版した後、死ぬまでの16年間資本論の続巻を出せなかったのは、方法的破綻に気がついたからだろう。エンゲルスとの共著『共産党宣言』で世界の労働運動を煽ったのだから、いまさら間違っていましたとは言えない、黙るしかなかった。マルクスの心情を思うと、気の毒。でも、正直に言うべきだった、それが学者としての矜持というもの。
マルクスと同時代のプルードンは「系列の弁証法」ということを言っているが、論理的順序で経済学体系を記述すべきだという主張である。デカルトの『方法序説』にある「科学の方法 四つの規則」に酷似している。「四つの規則」は後に展開される公理的方法論であると言って差し支えないだろう。この議論は普遍数学の分野に属する。
「《数学的真理》というものは、もっぱら、公理としての任意に立てられたれた前提から出発するところの論理的演繹の中にある」(村田全・清水達夫共訳『ブルバキ数学史』1970年 東京図書p.25)。
1840年代から「公理的方法の拡大は一個の既成事実となる」(同書p.30)のである。資本論第一巻初版の出版年は1867年だから、だいたい20年後ということになる。その結果、ユークリッド幾何学の再吟味が数学者たちによってなされた。
「(ユークリッド)幾何学が実際上のそれらの対象の意味内容から独立であり、純粋にそれらの対象の関係の研究なのだ」(同書p.31)
数学と経済学の演繹モデルには同型性がある。公理的演繹体系としては同型なのである。(同書p.32「B)モデルと同型性」参照)
「とにかく、あらゆる構造はその中に同型性の概念を伴なっており、構造の種類ごとに同型性について特定の定義を与える必要はないのだ、ということが最終的に理解されたのは、ようやく構造について現代的な概念が生まれてからのことなのである」(同書p.34)
資本論が演繹的体系だと假定したら、資本家的生産様式の支配する社会の富の要素形態としての商品から貨幣へ、そして資本家的生産関係という場の中で、貨幣の資本への転化を論じていることは自明だろう。交換関係という場で貨幣が規定されるが、これは歴史的な順序に従っているのではないということになる。商品の交換関係という場が前提にされたから、商品と商品の交換を媒介するものとして貨幣が定義されたということだ。
生産関係という場では資本の運動形態が記述されている。第二巻で想定したのは市場関係という場である。そこにおいては市場価格が演繹的に定義される。労働生産物であっても、市場のニーズのないものは商品にはなりえないので、ここで労働価値説が破綻する。生産性が高ければ少ない労働で同じ商品を生産できるが、その場合には労働強度が大きくなったので、投下された労働量は同じという説明をするしかない。機械化やシステム化あるいは生産現場の工夫の積み重ねで生産性が上がれば、ひとつの商品に投下される労働量は劇的に減少してしまう。労働価値説は観測される事実と異なるのである。
論理展開は導入された関係概念の場でなされる。関係概念の場は「単純なものからより複雑なものへ」の順で展開される。商品の交換関係で貨幣が、資本の生産過程で貨幣が資本へ転化し、資本の運動過程が展開される。そこまでが資本論第一巻である。次に展開されるべき市場価格という概念は「単純な市場関係という場」でなされるのだが、マルクスはここで躓いたことに気がつく。労働価値説が成り立たないのである。たいへんなショックだっただろう。それで、それ以降亡くなるまでの16年間の沈黙が続き、ついに資本論第2巻を出版することがなかった。この16年間の沈黙の意味に言及したマルクス研究者は他にはいない。
そういうわけで、膨大に残されたマルクスの遺稿研究は、方法的に破綻しているので経済学的には意味がない。資本論の体系構成法への破綻を自覚したから、生産手段の共有化で共産主義社会が自動的にできあがるという幻想はなくなっている。労働価値説に基づく資本論を放棄して、別の経済モデル構築を考えざるを得なくなるのである。マルクスが残した膨大な遺稿(新MEGA版)の研究はそうしたことを確認できるだけだ。
マルクスには体系構成に関する不可欠な数学の知識がなかったし、複式簿記やマネジメントの経験もなかったから、手も足も出ない状態に陥ってしまったと思う。それが晩年の真の姿である。
マルクスは工場労働者として働いたこともなければ、経営者として生産性を上げる努力をしたこともないので、生産現場の観測的な事実を知らない。既存の学説を一生懸命に勉強しただけと言わざるを得ない。
労働したことやマネジメントしたことがなくても、少し考えたらわかりそうなものだが、さすがに資本論第一巻を出版した後に、第二巻の原稿を書き溜めるうちに気がついたのだろう。
現代でも名工は各分野にいるし、工場で働いている名工や、スカイツリー建設に携わったトビ職のような超一流の職人なしには、企業活動すら考えられない。ドイツにはマイスター制度があるが、マルクスは資本論から、マイスターを除外している。理由は簡単、労働価値説ではマイスターの仕事は説明できないからだ。そもそも、マイスターの仕事を「労働」とは言えない。日本なら、法隆寺宮大工棟梁だった西岡常一やその弟子である小川三夫の仕事をあげれば十分だろう。棟梁は寺社建築や修繕全体をマネジメントするだけでなく自身も超一流の名工である。自分がその時に持っているスキル全部で渾身の仕事を成し遂げる。主人に言われてやらされる「労働」ではなく、神聖な仕事である。職人仕事に関わる職場には神棚を祭る習慣が受け継がれている。日本ではあらゆる仕事が職人仕事になる。工場で働く人たちですら、意識は職人である。わたしも、かつては経理や経営統合システム開発やマネジメントの職人であった。
学について体系を記述するときに、参考になるものはユークリッド『原論』の演繹的体系とブルバキの数学原論、デカルトの『方法序説』、ヒルベルトの『幾何学基礎論』である。
労働価値説を棄てて、別の公理公準で経済学モデルを創り上げる必要がある。
西欧の労働という概念の淵源は奴隷労働にあるから、労働からの開放が究極の目的になる。AIと機械による生産の完全支配が、西欧発の経済学の究極の目的になるのはモノの道理だ。
それが何をもたらしたか、生産力の過剰な増大と深刻な環境破壊、そしてグローバリズムである。人間の欲望の暴走と言い換えてもよい。
環境との調和を基本にして日本列島で暮らしてきた日本人が育ててきたものは「労働」ではなくて「仕事」である。それは職人仕事をベースにしている。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という商道徳が数百年にわたって培われて。「浮利を追わぬ」「信用が第一」ということもビジネス倫理として尊ばれてきた。
西欧とは別の経済モデルが日本にはある。
<補遺:デカルト『方法序説』>
デカルトは科学者であると同時にデカルト座標で夙(つと)に有名な数学者であり、「われ思うゆえにわれあり」で高校生にも知られている哲学者でもある。こういう多分野にわたって学問研究をする学者がなかなか現れないから、視野狭窄のまま、解決の糸口が見いだせないのである。
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<デカルト 科学の四つの規則>
まだ若かった頃(ラ・フェーレシュ学院時代)、哲学の諸部門のうちでは論理学を、数学のうちでは幾何学者の解析と代数を、少し熱心に学んだ。この三つの技術ないし学問は、わたしの計画にきっと何か力を与えてくれると思われたのだ。しかし、それらを検討して次のことに気がついた。ます論理学は、その三段論法も他の大部分の教則も、道のことを学ぶのに役立つのではなく、むしろ、既知のことを他人に説明したり、そればかりか、ルルスの術のように、知らないことを何の判断も加えず語るのに役立つだけだ。実際、論理学は、いかにも真実で有益なたくさんの規則を含んではいるが、なかには有害だったり、余計だったりするものが多くまじっていて、それらを選り分けるのは、まだ、下削りもしていない大理石の塊からダイアナやミネルヴァの像を彫り出すのと同じくらい難しい。次に古代人の解析と現代人の代数は、両者とも、ひどく抽象的で何の役にも立たないことだけに用いられている。そのうえ解析はつねに図形の考に縛りつけられているので、知性を働かせると、想像力をひどく疲れさせてしまう。そして代数では、ある種の規則とある種の記号にやたらとらわれてきたので、精神を培う学問どころか、かえって、精神を混乱に陥れる、錯雑で不明瞭な術になってしまった。以上の理由でわたしは、この三つの学問(代数学・幾何学・論理学)の長所を含みながら、その欠点を免れている何か他の方法を探究しなければと考えた。法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実を与えるので、国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがずっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという、堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた。 第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、なにもわたしの判断の中に含めないこと。 第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。 第三に、わたしの思考を順序に従って導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。
そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。
きわめて単純で容易な、推論の長い連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなに難しい証明も完成する。それはわたしたちに次のことを思い描く機会をあたえてくれた。人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなにはなれたものでも発見できる、と。それに、どれから始めるべきかを探すのに、わたしはたいして苦労しなかった。もっとも単純で、もっとも認識しやすいものから始めるべきだとすでに知っていたからだ。そしてそれまで学問で真理を探究してきたすべての人々のうちで、何らかの証明(つまり、いくつかの確実で明証的な論拠)を見出したのは数学者だけであったことを考えて、わたしはこれらの数学者が検討したのと同じ問題から始めるべきだと少しも疑わなかった。
デカルト『方法序説』 p.27(ワイド版岩波文庫180) *重要な語と文章は、要点を見やすくするため四角い枠で囲むかアンダーラインを引いた。
<余談-1:高校での文系・理系のコース分けの弊害>
マルクスの学位論文はギリシア自然哲学に関するものだったが、その近傍にあるユークリッド『原論』を読んだ形跡は『資本論』にも『数学手稿』にもない。典型的な文系学生だったので、専門外あるいは自分の研究には関係がないと判断したのだろう。大学での職をあきらめて共産主義運動と経済学研究にのめり込むが、典型的な文系学生の弱点が出てしまった。肝心かなめな、学の体系構成法に関する古典的書物や、数学者・物理学者・哲学者であるデカルトの著作すら読まなかった様子が、彼の残した著作から読み取れる。彼が資本論第一巻初版を世に問う20年も前に、数学界では演繹的な体系構成がほとんど通説にまでなっていたのに、モニターしていない。
翻って、日本の教育を見ると、高校で文系・理系のコース分けがなされて、両方の分野を歩き回ることのできる大学生がほとんどいないという状況が、百年以上も続いている。
民間企業では、コンピュータの導入で、もう40年以上も前から文系・理系の区別などない領域の仕事が増えている。複数の専門知識がなければチャレンジできない分野の仕事が増えている。
日本にはマルクス経済学者が多いが、これまでマルクス『資本論』の体系構成を、数学のそれから研究した論文が皆無なのは、おそらく高校での文系・理系のコース分けが少なからず影響しているだろう。
マルクス研究は文系学部の出身者が遺稿を読み漁ることでは深みに達しない。マルク氏自身が『資本論第一巻』のあとで第二巻を書こうとして方法的な破綻に気がついたのだから、破綻の理由を書き残さずに研究方向を変えてしまっている。新しい経済モデルの模索に走ったが、マネジメントの経験のない彼には無理な課題だった。
<余談-2:ヘーゲル研究者である市倉宏祐先生との出遭い>
学部のゼミの指導教授は哲学者の市倉宏祐教授だった。オヤジと同じ年対象10年生まれ、ゼロ戦のパイロットで予科練の生徒たちの操縦指導教官でもあった。オヤジは秘密部隊の落下傘部隊員、同じ空の兵隊であった。中学校と高校で社会科の教師をして授業を受け持ってもらったことのある柏原栄先生は、北方領土(水晶島)出身者で予科練に合格して、土浦配属が決まったときに戦争が終わった。戦争が半年長引き土浦へ配属になっていたら、市倉先生が操縦の指導教官になっていた可能性が高い。「予科練の少年兵は優秀な者が多かった」とは市倉先生の弁である。航空機の操縦訓練をするのだから、優秀な者を選抜するのは昔も今も変わらない。
市倉先生は和辻哲郎の弟子でもある。戦後、東大の席(職)が空いていないので、数年専修大学へ行ってくれと言われて、来たと仰っていた。何かの手違いで、東大へ戻れなくなった。40歳までは食えなかったと学者の貧乏生活を吐露することがあった。学者になるつもりなら覚悟して置けということだったかもしれぬ。武蔵大学の哲学の講師を掛け持ちでやっていた時には、そちらの方が常勤の専修大学よりも高かったと、仰った。哲学科の本ゼミではサルトル『弁証法的理性批判』をテクストにしていた。本ゼミの方と交流をしたことがあった。お互いに希望者のゼミ参加を許可した。そのときに伊吹克己が一般教養ゼミに2度ほど参加した。彼は専修大学哲学科の教授になった。一般教養ゼミの先輩2名が大学院へ進学した。塚田さんは私学振興財団へ就職し融資部長、戸塚茂雄さんは後に青森大学の経営学部長になっている。どちらも商学部出身者である。
市倉先生はヘーゲル研究者としてもトップレベルの学者、同時にサルトル研究者でもあった。晩年はパスカルの数学研究をしておられた。イポリット『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』の翻訳者でもある。あるとき午後一のゼミで、眠たげなお顔をしておられたので訊いてみたら、「イポリットの翻訳をしていて、気がついたら明るくなっていた。寝ていない。」と微笑みながらおっしゃった。夢中になって仕事していると、空が明けてきて朝になったことに気がつく。そんな経験は仕事に没頭したことのある人には覚えがあるだろう。市倉先生はわたしたちが卒業して数年後に、マンホールに落ちて骨折して入院したことがあった。生田のお住まいに先輩の戸塚さんと訪ねたときに、「考え事をしていて、マンホールのふたが開いているのに気がつかなかった、何が起きたのかわからなかった」、そう笑いながらおっしゃった。哲学者は思索に耽ると、周りが見えなくなるものらしい。わたしはどんなに忙しくても、どれほど没頭していてもマンホールに落ちた経験はない。(笑) もっとも、マンホールの蓋を開けたら、周りに防護柵を設置しないなんてことは滅多にあることではない。空から落下したのではなく、地上でマンホールに落ちてけがをした特攻兵は市倉先生お一人だろう。
わたしは商学部会計学科の学生だったので、小沢先生の原価計算ゼミを選択するつもりでいたが、大事な用件があって11月に1週間極東の町へ帰省した間に、応募の締め切りが過ぎてしまい原価計算ゼミを断念。そのおりに大学の掲示板を見ると、一般教養ゼミの募集広告が載っていた。一般教養ゼミは学部を超えたゼミで、指導教授は市倉先生、読んでいるテクストは『資本論』全巻であった。1年生の時の12月から参加させてもらったので、第2巻の途中から読み始めた。第一巻は高校生の時に読んでいた。公認会計士第二次試験の受験勉強を高校2年生の時から始めていた。当時の公認会計士二次試験の科目は七科目(簿記・会計学・原価計算・商法・監査論・経済学・経営学)である。経済学は近代経済学であったが、マルクス経済学に興味があったので、『資本論』にチャレンジした。100頁ほど読んだが、大きな森の中に迷い込んだ感じがした。わけがわからないというのが高校生の時の率直な感想だった。そのうちに丸ごと理解してやるという気構えがこのときに芽生えた。
そんなわたしには一般教養ゼミ募集は「猫に活節」のようなもので、すぐに飛びついた。申し込みには小論文を書いて提出が義務付けられていた。
11月のあのときに古里に用事が発生しなかったら、小沢ゼミで勉強して、公認会計士試験を受験していただろう。小沢先生とは数度駅前の喫茶店で小沢ゼミ希望の数人の友人と一緒に話をしていた。高校時代から原価計算論には興味が強くて、数冊専門書を読んでいた。原価計算の分野で学者になるのもありかなと考えていた。
だから、突然の方向転換は、天の導きがあったとしか思えない。
*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び Oct. 13, 2016
#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016
#3439 フェルマーの最終定理と経済学(3):整理作業-1 Oct. 19, 2016
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証明と論理に強くなる ~論理式の読み方から,ゲーデルの門前まで~
- 作者: 小島 寛之
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2017/02/15
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#5132 公理を変えて資本論を書き直す⑥:生産性アップと労働価値説 Dec. 20, 2023 [A2. マルクスと数学]
産業用・軍事用エレクトロニクス輸入専門商社の生産性を1.5倍にアップしたポイントは
●為替変動に応じて3か月に一度更新される円定価制度・システム導入
●受注残・納期管理システム開発・導入
●売上の平均化による月変動幅の縮小のもたらした効果
●人:東京営業所長遠藤課長の重要な役割
●利益重点営業委員会と電算化推進委員会、そして収益見通し分析委員会、為替対策委員会、長期経営計画委員会、資金投資委員会の連携
遠藤さんの自分の配下の営業マンの仕事観察:
営業マンは時間の半分以上を見積書作成や納期問い合わせの英文レター作成に使っています。そこで、
目標:事務作業時間を10%に短縮
そのためには何が必要か?
仮説・検証作業と戦略思考が重要なのです。
仮に営業マンが社員150人中100人とすると、50%を事務作業に使っていれば、50人分です。それを90%営業活動につぎ込めたら、「100人×90%=90人」となるので、「90人/50人=1.8倍、一人当たりの売上高が変わらないとしたら、売上高はいままでの1.8倍ですから、実質的に営業マンを1.8倍に増やしたのと同じ効果が出せます。もちろん、スループット(処理量)が増えれば、それを処理するバックヤードの人員を増やさなくてはならないので、そちらの生産性もシステム化で向上させます。
案外単純なことなのです。問題はこの目標を達成する戦略です。
3か月ごとに定価表をコンピュータでプリントアウトすれば、見積書は営業事務の女性社員が独力で作成できます。
問題は決算月の処理でした。通常の2倍を処理しなければならないので、決算月に受注済みの製品が入荷できるかどうかの確認に追われて、営業マンは営業活動ができなくなります。受注が決算月の前月から激減します。決算月の翌月は気が抜けたようになっているので、そこも受注が通常月に比べて60%くらいしかありません。そうすると受注が減少して売上がいつもの月より増えるので、受注残が激減します。受注残がどうなっているかを把握するのに、また営業マンに負荷がかかります。データをもっているのは業務課員と営業マンです。両方から情報が出てくると整理に時間がかかるだけでなく、精度に影響します。これが難題でした。
それで、受注実績を管理するためにシステム開発をします。
受注⇒納品⇒仕入⇒売上⇒仕入のドル決済
納品と仕入は同時ですがモノの処理(納品・検収作業)と会計処理(仕入)は別です。
仕事を課題別に整理すると、
受注管理⇒収益見通し分析委員会&利益重点営業委員会
納品⇒納期確認は業務課の仕事:電算化推進委員会
仕入⇒仕入処理の電算化:電算化推進委員会
売上⇒電算化推進委員会
外貨決済⇒為替対策委員会
これら処理のすべてを、「受注残管理・仕入処理・外貨決済」システムを開発して解決することになりました。利益重点営業委員会以外は、実務担当は私一人ですから、実務を調査しそれぞれの分野の専門書を2冊以上ずつ読み込んで、新しい実務設計をしながら外部設計書を作成していきました。
外貨決済は平均納期で6か月、受注生産の納期の長いものは12か月を超します。だから、100%正確にその時の情報を入力しても、実際の納期とずいぶん離れますので、別途計算して、経理課長に為替予約をしてもらって、為替相場の変動の影響を消していました。外貨決済の90%前後が為替予約できるようになり、経理課長のNさんは喜んでいました。運転資金が売上の1か月を切っており、外貨決済の資金繰りたいへんでしたので。
このシステムが三菱電機製の2台目のオフコンで円定価表システムと同時に動き出し、受注残レポートが毎月プリントアウトされるようになると、受注残からこれまでよりも精度の高い売上推計もコンピュータ処理されて出力できるようになりました。それで、10月に通常月の2倍の処理量をこなす必要がなくなりました。決算月も通常通りの営業活動ができるようになりました。
英文レターは営業マンと業務課員から、「何が言いたいのかよくわからない」と海外メーカーからクレームがよくあったので、LAに別会社を作って、そこを経由してやり取りするようにしました。これは社長の関周さんのアイデアです。ハーバードビジネススクール出の女性が社長に就任していました。仕事のできる人で、とってもわかりやすい英文で、速いものでは返事が翌日には届くようになっていました。1978~1983年ですから、当時はインターネットは使えず、テレックスでした。
この会社の生産性は50%アップしました。長期計画委員会で、予算オーバーの成果がでたら、1/3は社員のボーナスへ配分する案をオーナー社長に飲んでもらっていましたので、ボーナスが増えただけでなく、円安の時でも安定して出せるようになったので、「家のローンが組める」と喜ぶ社員がいました。
高収益企業となって、内部留保がどんどん厚くなり、自己資本比率が急激に上がったので、資金繰りはとっても楽になり、あの当時10億円の外装がレンガ様の立派なビルが売りに出て、買おうかと社内で協議したくらい財務安定性もしっかりしてました。
この間の変化を経済学的に眺めると、生産性を1.5倍に、ボーナスは年間100~200万円ほど増やしています。労働強度は大きくなるどころか、軽減されています。
受注残の確認は、ふだんシステムに入力されたデータを納入確認月ごとにプログラムで整理した出力するだけですから、営業と業務課でやっていた集計作業がなくなりました。ゼロになったのです。ゼロになったら、マルクスが生産性向上について主張しているように、労働強度が大きくなったかというと逆です。作業はゼロになったものが多いのですからね。
仕入処理も電算化しましたから、その部分(検収・仕入処理作業)は業務課員の仕事は入力だけの単純作業になりました。ここでもコンピュータシステムを開発することで仕事が軽減できたということ。外貨決済予定も確定した値が月別に出力されていました。納期が到来していないものも月別に納入予定が出力できるので、受注残から外貨決済額全体は計算できるので、それをベースに季節変動を入れて外貨決済予約をしてました。
生産性の向上は労働強度の強化によってなされるというのがマルクスのように労働価値説の立場ですが、実際に1.5倍の生産性アップはさまざまな労働をゼロにし、いままできつかった仕事を平準化したり単純化することで精度を向上させつつ、軽減することが多いことがわかります。生産性向上をよく観察すれば誰にでも労働価値説が破綻していることが理解できます。生産性向上は労働強化を伴なわないのです、逆です、軽減もしくはゼロにします。
労働価値説の立場に立てば、生産性向上は労働強度の拡大ということになるので、ソ連や中国(20年前まで)は経済成長(=生産性向上)が遅れました。マルクス資本論は虚構の労働価値説に基づき、『資本論第一巻』で理論的に破綻した経済理論でした。
「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」の新しい経済社会をデザインするためには、労働価値説に基づかない経済理論が必要なのです。
結果として眺めると、遠藤さんという優れた営業マン、東京営業所長の存在が大きかった。TDKで50億円もの設備投資の受注をしたことのある伝説の営業マンでした。10年間毎年5億円ずつ。小さい受注を嫌がらずに、コツコツこなして、大きいプロジェクトの匂いを嗅ぎつける。京セラの黎明期に創業である稲森和夫の薫陶を直接受けた人でした。遠藤さんを見て、京セラの稲森和夫、ただものではないと思いましたね。彼と初めて話をしたのは1978年のことです。為替業務では業務課長のY田さんという女性が協力してくれました。
毎月開催される海外メーカー50社の新製品説明会にはもれなく出席してましたので、すぐに技術営業と技術部に友人がたくさんできました。それぞれ遠藤課長と技術部中臣課長が引き回してくれたからです。
世界最先端のマイクロ波計測器や時間周波数標準機、質量分析器、液体シンチレーションカウンター、電子線シミュレータなど、男の子にとっては興味津々の数々ですが、それを開発に携わったエンジニアから直接説明が利けるのですから、これを逃してはならない、そう思いました。6年間最低毎月1回は開催されていました。他に東北大の助教授が勉強会の講師としてきていました。技術営業の連中と一緒に毎月マイクロ波計測器の測定原理を教えてもらい、講習会の後は一緒に飲み会へ流れるということになってましたね。マイクロ波計測器はディテクターと制御用とデータ処理コンピュータとインターフェイスから構成されています。案外単純なのです。コンピュータ部分の処理は聞いていてよくわかりました。大学卒業してから、理系分野でこんなに勉強の機会に恵まれるなんて、なんて幸せなのでしょう。知らぬ間に門前の小僧は勉強になりました。刺激的で楽しかった。
#5117 公理を変えて資本論を演繹体系として書き直す① Nov. 18, 2023
#5128 公理を変えて資本論を書き直す⑤:生産性シミュレーション Dec. 11, 2023 [A2. マルクスと数学]
企業経営に及ぼす生産性の影響を数字で確認するのが今回の目的です。投下労働量が同じでも生産性が1.5倍になれば、商品の価値(=売上)も1.5倍になります。つまり生産性というファクターを導入したら、労働価値説は成り立たないということ。こんな当たり前のことが『資本論第1巻』(1867年)以後、議論されたことがありません。マルクス自身は生産性向上を労働強度の強化で説明しますが、それは現実とは矛盾します。生産性向上は労働の軽減や短縮、作業の単純化を伴なうケースが多いのです。SRLでは最初の大きな生産性アップはRI部の分注作業の自動化(1983~87年)でした。小さなメーカーと共同で自動分注機を開発し、手作業での分注作業はゼロになりました。そのメーカーは大きく育って今ではPSS社という名前で上場している企業です。フランスが新型コロナ検査用にその会社の自動PCR検査機器を大量に購入して新聞をにぎわしました。生産性向上の裏には現場の工夫がそれぞれにあります。そうしたことを念頭に置きながら、シミュレーションデータを眺めてください。
以下は産業用エレクトロニクスの輸入商社の経営改革実例がデータの背後にあります。
輸入商社 | |
<ケース1> | 金額単位:百万円 |
社員数(人) | 150 |
売上 | 4,000 |
1人当たり売上 | 26.7 |
売上総利益率 | 30% |
売上総利益率 | 1200 |
物件費 | 450 |
1人当たり人件費 | 5 |
総人件費 | 750 |
売上原価 | 1200 |
利益 | 0 |
10年後自己資本額 | 10 |
20年後自己資本 | 10 |
業種は輸入商社、資本金は1億円、売上規模は40億円、社員数は150名の中小企業を想定したシミュレーションです。
社員の平均年収は500万円とします。粗利は30%ですから、売上総利益は年間12億円です。ここからすべての人件費と物件費を支払うものとします。
●人件費総額 500万円×150人=7.5億円…労働分配率は62.5%
●物件費 4.5億円
増資しないと、運転資金が回らないでしょう。こんな企業で増資に応じる株主は考えにくいのです。数年で経営破綻します。
<ケース2>では、社員数はそのままで売上が1.5倍になりました。生産性が1.5倍になったということです。
<ケース2> | 金額単位:百万円 |
社員数(人) | 150 |
売上 | 6,000 |
1人当たり売上 | 40 |
売上総利益率 | 30% |
売上総利益 | 1800 |
物件費 | 450 |
1人当たり人件費 | 8 |
総人件費 | 1200 |
売上原価 | 1650 |
経常利益 | 150 |
売上高経常利益率 | 2.5% |
売上高税引後利益 | 90 |
10年後自己資本額 | 900 |
20年後自己資本 | 1600 |
売上総利益が12億円から18億円に増えていますから、社員の平均年収を500万円から800万円に増やせます。経常利益が1.5億円になるので、40%が法人税と法人住民税とすると、税引き後利益は9000万円になります。配当を資本金の10%支払うとすると、内部留保は8000万円です。10年後には自己資本額は9億円になります。
10年後には自己資本が充実して、財務安定性がしっかりしてきました。
<ケース3>では、生産性が1.5倍、売上高総利益率が30%から40%へアップしています。物件費も10%強アップ、オフィスを新しいビルに移しました。社員の平均年収は1000万円です。
<ケース3> | 金額単位:百万円 |
社員数(人) | 150 |
売上 | 6,000 |
1人当たり売上 | 40 |
売上総利益率 | 40% |
売上総利益 | 2400 |
物件費 | 500 |
1人当たり人件費 | 10 |
総人件費 | 1500 |
売上原価 | 2000 |
経常利益 | 500 |
売上高経常利益率 | 8.3% |
税引後利益 | 300 |
10年後自己資本額 | 3000 |
20年後自己資本 | 5800 |
自然災害などで、売上が50%ダウンしても3年は持ちこたえられます。
生産性を50%アップして、売上高総利益率を30%から40%へアップすることができたら、社員の年収は2倍、3年間売上が半減してもそれまで通りに給料を支払い続けて持ちこたえられる企業になるということです。財務安定性の盤石な企業となります。
<ケース4>は売上高総利益率が30%から25%へダウンしたときのシミュレーションです。産業用エレクトロニクスの専門輸入商社では、急激に円安が進むとこういう事態に見舞われていました。為替変動に対する対策がなかったからです。
<ケース4> | |
社員数(人) | 150 |
売上 | 4,000 |
1人当たり売上 | 26.7 |
売上総利益率 | 25% |
売上総利益 | 1000 |
物件費 | 400 |
1人当たり人件費 | 4 |
総人件費 | 600 |
売上原価 | 1000 |
経常利益 | 0 |
売上高経常利益率 | 0.0% |
税引後利益 | 0 |
10年後自己資本額 | 10 |
20年後自己資本 | 10 |
社員の平均年収が5百万円から4百万円に下がっています。下げざるを得ません。赤字の会社に賞与を支給するために融資してくれる銀行はありません。社長が自宅を担保に借入しない限り、融資はないのです。だから、社員の給与を下げざるをえません。
<ケース1>に比べて生産性は下がっていませんが、売上総利益率が下がるとこういうことが起きます。生産性が下がっても同様に社員の年収を削らざるを得ないのです。
<ケース4>のような企業は賃上げ闘争をしたって無駄です。経営者に経営能力がないのですから、さっさと見限って他に企業へ転職したほうがいいのです。
予算管理がなされ、決算情報が社員へ公開されている<ケース2>や<ケース3>のような企業では、経営者と賃上げの交渉のテーブルにつくべきです。そして経営分析をして、どれくらい賃上げの余地があるのか、そしてどれだけ賃上げするのか、しっかり話し合いましょう。
シミュレーションに使ったデータはおおむね1978~1983年まで勤務していた産業用エレクトロニクスの輸入商社をベースにしています。当時の貨幣価値に換算する場合は0.6~0.7掛けで考えてもらえば、現実に近い数字になります。
為替変動対策がなかったので、わたしが入社する1978年以前の円安時にはボーナス支給が1か月なんてことがあったようです。円安になると会社は赤字です。できるだけ赤字を小さくするために決算月の10月末に、集中的に受注管理をして、受注した製品をその月に納品できるように無理な努力をしていました。その結果、普段の月の2か月分の売上が立ちます。翌月は通常月の半分しか売上が立ちません。みんな決算月に振り回されるのです。こういう円安の非常時には、社長が銀行借り入れに担保を差し出していたでしょう。
定価表がなく、営業マンがそれぞれ自分の受注ごとに見積書を作成発行していました。使用する為替レートは営業マンごとにバラバラでした。日本電気府中工場と横浜工場では担当営業所が違うために、同じ製品なのに見積金額が異なるなんて不都合が起きてクレームになっていました。東京営業所長のEさんが京セラの黎明期に稲森和夫の薫陶を受けた優秀な人で、セールスで抜群の成績を上げるだけでなく、営業事務の合理化に鋭い意見をもっていました。円定価表を作成して全営業所へ配布して営業活動しようということになりました。利益重点営業委員会というのがあって、彼がそのメンバーで、唯一の実務担当でもあったのです。Eさんは「営業マンが外へ出ないで、時間の半分は事務所で見積書を作成したり、納期の督促の英文レターを書いている。円定価表をつくって女子社員が見積書を作成できるようになれば、売上は1.5倍にできる。円定価システムをつくりたいので協力してくれ」そう申し入れてきました。よく二人で酒を飲みました。
わたしは入社して1週間後に経営改革のための5つのプロジェクト(長期経営計画委員会・収益見通し分析委員会・為替対策委員会・電算化推進委員会・資金投資計画委員会)を任されていましたから、為替対策もわたしの仕事でした。それで為替対策と円定価表をセットで問題を解決する方法を考えました。
受注時の「円定価レート」と仕入時の「仕入レート」と「決済レート」を連動しそれらと為替予約を組み合わせることで、為替リスクをゼロにしました。金利裁定取引で先物は常に円高で為替差益が数千万円恒常的に発生するようになりました。注文する取引先も為替変動の影響受けず、契約時の円定価で購入できるので、為替変動を心配しなくてよくなったのです。円定価表は3か月に一度、為替相場をいくつかの移動平均値で観察して、30日移動平均値で傾向をみて、連動させることにしました。自動的に計算できるような仕組みを入れました。こういうことは人に依存してはいけません。
定価表を3か月に一度オフコンでプリント、更新することで、製品分野別に売上総利益率のコントロールができるようになりました。それで売上高総利益率を30%から40%へアップしたのです。欧米50社から世界最先端の産業用エレクトロニクス製品や軍事用エレクトロニクス製品ですから、競合品が少ないのです。すぐに効果が出ました。40%へもっていくのに、2年ほどかかっています。受注管理や納期管理システムの開発も必要でした。
高収益企業となり、内部留保が溜まって財務安定性が強化され、10年後くらいにで株式上場していますが。東大出の3代目に変わって業績不振で上場廃止、2010年頃に他社へ吸収合併されています。あのころ20代だった社員は定年前に会社が経営破綻して、たいへんな苦労をしたと思います。
労働価値説が真なら、長時間労働すれば商品の価値がアップしますが、そんなことはありません。生産性を2倍にあげたら、商品生産量は2倍となり、売上(=商品の価値)も2倍になります。1.5倍にし、売上総利益率を30%から40%へアップできたら<ケース3>にあるように給料は2倍にできるのです。品質を維持あるいは品質を向上させて生産性を上げれば大幅な賃上げが可能になることがお分かりいただけたと思います。
商品の価値を決めている因子はたくさんあります。生産性、品質、耐用年数、故障率、使いやすさ、デザインの良さ、使う材料の良さ、仕事をしている人たちのスキルの高さ・仕事の精度、ダイヤモンドのように希少性も商品の価値を高める大きな要因です、水だって飲み水が全地球規模で不足すればその商品価値は膨れ上がります。要するに商品の価値を決めている要因は無数にあるということ。
そんな当たり前のことが、労働価値説に立ってしまうと、マルクスがそうであったように一切見えなくなります。マルクスが『資本論』を1867年に出版してから156年が過ぎましたが、マルクス経済学者で生産性と商品の価値の問題を取り上げた人はほとんど聞いたことがありません。
マネジメントが下手な経営者は、生産性を上げても社員の給料を上げません。価格を下げて競争力を確保しようとするからです。
30年前に比べて、上場企業の取締役の報酬は2~3倍になっていますが、従業員(社員と非正規雇用者)の平均給与はアップしていません。どういう神経しているのでしょうね。
「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」
こうしたビジネス倫理に照らせば、愚の骨頂の経営です。日産のカルロス・ゴーンのような下劣な経営者は一人だけでたくさんです。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」は江戸時代から日本企業が受け継いできたビジネス倫理です。多くの上場企業の経営者が日本の伝統的なビジネス倫理を忘れています。
予算や決算データを公開して、データに基づいて社員と話し合う企業が増えてほしいと思っています。
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<余談-1:関周さん>
このシミュレーションは産業用エレクトロニクス輸入商社のデータがベースになっています。創業者はスタンフォード大を卒業し、三井合同で人事関係の仕事をしていたお父さんです、関周さんは2代目。お父さんは戦後の財閥解体で、社員の首切りをしなければなりませんでした。その解雇処理という仕事をした後に三井合同を離職しています。「人の首を切って自分が会社に居残るのは嫌だった」と創業社長が言っていたそうです。わたしの入社時の上司だった総務経理担当取締役の中村さんから聞いた話です。中村さんも創業社長の情緒や潔さを受け継いだ人でした
スタンフォードでHP社の創業者になるヒューレッドとパッカードの2名と友人だった縁で、HP社の日本総代理店をやらないかと話があり、HP社日本総代理店としてスタートした企業でした。後に、HP社は横河電機とと合弁でYHP社を立ち上げます。それで、従業員の半数以上を新会社へ引き取ってもらい、他の欧米のメーカーと総代理店契約を締結して、再スタートしています。2代目の関周さんは慶応大学大学院経済学専攻科で学んだ人でした。大学へ残る道はあったでしょうが、二代目ですから、会社を継がなければならなかったのだろうと思います。少し気の毒な気がします。
1978年9月の新聞募集広告での中途入社でしたが、1週間後には社運を賭ける6つのプロジェクトを公表し、5つをわたしに任せました。残り1つは利益重点委員会でしたから、ナンバーワン営業の東京営業所長の遠藤さんに任せたのです。プロジェクトメンバーは取締役と部長職1人、課長職が全部で3名でした。実務は5つのプロジェクトはわたしが、利益重点営業委員会は遠藤さんが担当でした。他のメンバーは提案とその進捗の報告を聞くだけでしたね。
入社したばかりのわたしに社運を賭けた5つのプロジェクトを任せるというのは、関周さん、ずいぶん大胆不敵な人でした。森英恵の会社の方を先に受けて社長面接で採用が決まったので、履歴書を送ってあった関商事の方へ断りの電話を入れたら、経理総務担当取締役の中村さんが、断りでもいいから電話じゃなくて社長に会って直接話をしてみろと言われて、青山の森英恵の本社ビルを出て、関商事のある日本橋人形町へ向かいました。技術部の前を通ったら、さまざまな電子機器が乱雑に置かれてました。マイクロ波計測器用の制御用高性能パソコンや4色プロッターも転がっていました。少年の心を少し残していたわたしの目には魅力的に映りました。「いじってみたい!」(笑) 社長室に通され、関さんと話したら、慶応大学大学院で経済学を学んだことのある人で、同じ経済学の専門家でした。わたし学んだ東京経済大学大学院は開設して10年間合格者なし、文部省からクレームがあり、合格者を出さないなら設置許可を取り消すと言われて、わたしは2期生、2人の合格者の一人でした。そのころの大学院の入試難易度は慶応大学大学院と一緒です。専門がマルクス経済学で『資本論』体系構成に関する研究をしたことを告げました。簿記と珠算が1級(どちらも日商)だったのでそこが異色だったかもしれません。関さんはそのころ40代半ばで会社経営に行き詰まっていました。固定相場制から変動相場制になって今までのやり方が通用しなくなっていたのです。
いい社長に恵まれました。いい仕事がなければスキルは磨きようがありませんので。その関周さんと経営統合システム開発を巡って、意見が対立し辞職することになるのですから、運命はわからぬものです。辞職を申し出たのが11月下旬でした。引継ぎを1月末までやってほしいと頼まれ、その通りにしました。
年が明けて、1月に新聞を見て職を探し、リクルート社が斡旋をしていたので、経歴書を持参して試験を受けました。7段階で最高ランクだったので、いい就職先のファイルがオープンになりました。面接を担当してくれた人から、「面白そうだから転職しなくても5年後にもう一度リクルート社へ来てテストと面接を受けてほしい」といわれました。そのときの偏差値は72でしたが、「5年後にはあなたはもっとアップしている」と告げられました。年齢が高くなれば普通は偏差値が下がるんだそうです。面接官の興味を惹いたようでした。
SRLとプレジデント社とフェアチャイルドジャパン社の3社を選んで2社会社訪問し、成長企業であったSRLを選びました。たしかSRLが一番給料が安かった。500万円くらいの提示でした。フェアチャイルド社は経理課長職で850万円でした。外資はあのころから年収が高かったのです。1984年1月のことです。
2/1からSRLで仕事しました。2月になってから日商岩井から転職してきた総務部長から電話があり、日商岩井のシステム子会社に課長職で推薦できるので行かないかとお誘いを受けました。SRLで働いていたのでありがたいけど断りました。営業部長の関さん(社長とは親戚ではない)からも電話をもらい、同期が帝人エレクトロニクスにいるので、課長職で転職しないかとオファーを受けました。6年間一緒にシステム開発していたオービックの芹沢SEからも、取引先に輸入商社が20社ほどあるので、輸入商社向けのパッケージソフト開発をしたいので来ないかとお誘いを受けました。彼はそのご開発担当役員になっています。優しくて人情味のある人たちと仕事していたことに会社を辞めて気づかされました。
すぐに就職が決められる、いい時代でした。SRLでも予算編成と管理の仕事がわたしに回ってきました。入社1か月後には経営統合システム開発の仕事もわたしの担当になりました。産業用エレクトロニクスの輸入商社の10倍以上の規模の開発でした。ラッキーでした。エレクトロニクス輸入商社でも経営統合システム開発をしていたので、何だか続きをしているようでしたね。わたしに任されたのは、会計システムと、買掛金支払いシステムそして投資・固定資産管理システム、各サブシステム(購買在庫管理システム・販売会計システム、原価計算システム)とのインターフェイスでした。8か月で本稼働させています。パッケージソフトの開発のような仕事でした。ここでもスキルがかなり上がりました。米国で出版された会計情報システムに関する専門書がずいぶん役に立ちました。当時はこういう本の翻訳なんかでないのです。システム開発の専門知識と管理会計学の専門知識の両方を兼ね備えた学者がいませんでした。管理会計学の分野でも最先端にいましたから、仕事に夢中でした。
<余談-2:辞職の決意>
なぜ関商事を辞職したのか今まで書いたことがないので、書いておきます。
入社して2年目だったかな、受注・受注残・納期管理システムを開発しました。関商事へ入社するまでコンピュータなんて触ったこともありません。だから在職中の6年間でシステム開発関係の専門書を50冊以上読んでいます。10冊ぐらいは英語で書かれた専門書でした。社会人となったら数学も英語も必要になります。それができないならできないなりの仕事しか回ってこないでしょう。社運を賭けるようなプロジェクトを半端な能力の人間に任せたら、会社がつぶれかねませんから。
入社1か月目に関さんが米国出張して帰ってくると、朝わたしの机の上にHP67がありました。社長秘書に聞くと、「社長がebisuさんにって置いていきました」。うれしかった。プログラマブル関数計算機で、マイクロ波計測器の制御ができるインターフェイスをもった小型コンピュータでした。当時11万円ですから、大卒初任給とほぼ一緒でした。1週間でで400頁の英文マニュアル2冊を読んで数値計算プログラミングをマスターしました。逆ポーランド記法、RPNというとっても扱いやすい数値プログラミング言語でした。経営分析モデルを創るために毎日電卓で膨大な計算をしていました。それを見ていて、いけないなと思ったのでしょう、強力な武器を与えてくれました。線形回帰分析がこの小型コンピュータでやると、電卓で1日かかるような計算が30分で済みます。25ゲージ5ディメンションのレーダチャートと総合偏差値評価モデルをこの時につくりました。13年後にSRLでEXCELに乗せ換えて、子会社関係会社の業績評価システムとして使いました。1992年でも、最先端の業績評価モデルでした。会社の買収の際の買収価格算定にも利用しています。
関商事へ入社2か月目にはHP96が朝、机の上に載っていました。こちらなプリンター付きで、キーが大きくて扱いやすい、22万円の上位機種でした。HP67は社内ではナンバーワン営業の東京営業所長だけ、入社早々のわたしには、倍の値段の上位機種まで社長がプレゼントしてくれました。まったくの特別待遇でした。社長にしてみたら、5つの経営改革プロジェクトを一人で担わせているのですから、経営分析モデル作成や、経営改善のための経営分析だけに時間を使ってほしくないわけです。社長の目論見通りでしたね。3か月後には三菱電機製のオフコンの3日間のプログラム講習会へ行かせてもらって、COOLという12ケタのダイレクトアドレッシングの言語をマスターしました。3ケタのオペコードに3ケタのオペランドが3個で構成された言語でした。ハードディスクの使用エリアはプログラマー側で指定します。さっそくプログラミングして営業部別・営業所別の売上総利益表を出力してみました。それまで、営業部別・営業所別の売上総利益データがなくて、管理できていませんでした。これがあるお陰で、後から円定価表システムをつくり粗利益をコントロールするようになると、実績結果の対比ができるようになったのです。2代目のオフコンはコンパイラー言語で走るマシンでした。これも3日間の講習に行かせてもらいマスターしました。3言語目でした。PTOGRESSⅡという言語でした。
納期管理システムで仕入処理を電算化しました。それまで業務課員が手計算していた輸入処理業務はコンピュータ入力すればいいだけで、単純作業になりました。ここでも生産性がアップしていました。もちろん業務の精度は格段に高くなっています。受注データに製品の納期を更新することで、売上推計が可能になりました。為替対策も受注レートと仕入レートと決済レートを連動させることで、高い確率でか為替予約でリスクのカバーができるようになったのです。経理課長のNさん喜んでいました。
もう為替変動を心配する必要もないし、決算月に売上を2倍計上する必要もない、毎月すれすれの資金繰りで銀行と交渉する必要もなくなったのです。
会計システムを含めてこれらのシステムを1台の汎用コンピュータで統合システムとして運用しようということになり、NEC製の汎用小型コンピュータ導入が決まりました。社長はコンピュータを三菱から大口取引先であるNECへ変更するのに、ナンバーワンSEの派遣を条件に出しました。難易度の高い仕事ですから当然です。高島さんというSEが担当することになりました。それまで担当してくれていたオービックのSE芹沢さんも凄腕の人でした。外部設計と実務設計はわたしの仕事で、高島さんは内部設計という役割分担でスタート。システム開発で一番難易度の高いのは実務設計です。ここがしっかりしていて、プログラミング仕様レベルで詳細な外部設計がなされていたら、内部設計は試行錯誤がなくなります。プログラミングの工数を半分程度に抑えられます。
この仕事が進みだした時に、関社長は大学同期の友人でSEだというMさんをシステム開発の助言をしてもらうために1か月間社内でヒアリング調査をさせたのです。外資で撤退したコンピュータメーカにいた方ということしかわかりませんでした。1か月たって調査報告書が出てきて、電算化推進委員会のメンバー全員で読みました。読んでSEではないことが内容から知れました。POSの営業担当だったのです。デパートなんかのレジシステムです。社内の各課の課長をそれぞれ呼んでヒアリングを1か月もしたので、「ebisuさん担当外れたの?」と言われて、やりにくかったのです。委員会のメンバー全員で報告書を読み、業務内容が理解できていないことを確認して、経営統合システム開発にはかかわらないでほしいと申し入れをしました。委員長は営業担当常務のKさんでした。利益重点営業委員会の委員長も兼務でした。
電算化推進委員会の総意ですから、社長の関さん、了解してくれました。本音はわたしの上司にしたかったのだろうと思います。わたしにとってはタダの足手まといです。若い人ならともかく、50歳前後の人で、これから勉強するのは無理でした。コンピュータのことだけでなく輸入業務や外国為替業務、管理会計業務に精通していなければお手伝いにはならないのです。こちらが教えなければいけません。だから、ノーでした。
わたしは、社長室のあるビルから歩いて2分の所にあるビルで仕事していました。管理部の平社員でしたが、電算室が新設になり係長職で異動になりシステム開発専任となっていました。上司は第2営業部長でしたが、システム開発の専門知識がありませんから、電算室へ来たこともほとんどありませんでした。コンピュータを設置してある部屋で一人で仕事してました。経理課や管理部の女子社員が伝票入力に毎日来てました。
数か月後に仲良しの業務課長から、Mさん昨日また来てましたよと電話で連絡くれました。輸入商社向けの日本では最先端の経営統合システム開発をしていて、仕事をディスターブされたくありませんでした。友人関係と仕事の区別がつかない社長に愛想が尽きて、すぐに社内電話をしたのです。
「大学同期のご友人が大切なことは理解しているつもりです、しかし仕事は別ですよ、Mさんが関わるならこの仕事はできません、どうしますか?」
電話の向こうで言葉に詰まってました。無言が十秒間ほど続いたような気がしました。「ご返事がないようですね、お心はわかりました。残念です。辞表を上司に出しおきます」、そう告げて電話を切りました。11月下旬でした。数か月は無職かなと覚悟が決りました。
プレゼントされていたHP67とHP97は秘書を通じてお返ししました。
実はこの間にもう一つトラブルがありました。わたしより1年後に採用された総務課長のTさんがなにかと為替対策の仕組みを聞くので答えてあげてました。何だかヘンだなという感じはありました。そうしたら別の案を社長に提案していました。杜撰な案でしたね。取締役会にかけたのでその提案書がわたしの目に入ることになりました。別の案があるならそう言えばいいのに、内緒にして別の案を社長に進言。カチンときたので、理由を示して使い物にならぬ提案であることを明らかにしました。当然没になりました。卑怯なことを承知で、それでも点数上げたかったのです。中途採用の哀しさがありました。アイデアルという傘のメーカーがありましたが、そこが倒産して転職してきた人でした。原価計算制度の運用ミスが祟ったというのがわたしの感想です。製品別原価を計算して採算の合わないものから切り捨てていった。本社費の負担が重くなり、儲かる製品がなくなります。
送別会は水戸営業所の女性社員が同時期に辞めるので、一緒になりました。送別会に出席しなかったのは社長の関さんと総務課長のTさんぐらいでしたね。
常務の加藤さんはポルトガルの国際会議で脳出血を起こして倒れ、リハビリを終えて、ようやく通勤可能な状態へ回復しつつありました。加藤さん、「わたしがこんなことになっていなければ、社長に言うのだが...すまない」、そうおっしゃいました。身体が弱っている加藤さんにこんなに心配かけたんだと、身が細る思いをしました。申し訳なかった。
採用の時に関係した中村取締役はそのご社長とそりが合わずに、数年後に退社しています。いろいろ原因があったのでしょうが、その中のひとつはわたしが関係していたと思います。ギクシャクしていたのをそばにいて感じてました、情の人でしたから。
あのときあのタイミングでやめたから、SRLへの転職、そして経営統合システム開発の仕事が可能でした。ピンポイントのタイミングだったのです。転職先を探してから辞表出すなんてことをしていたら、別の企業で仕事していたでしょう。大きな経営統合システムを担当するチャンスはなかったでしょう。
システム化の推進で経営改革を続けた結果、6年間で財務安定性が盤石になり、人形町界隈で10億円の自社ビル購入が可能になっていました。みんなと一緒に株式上場祝いたかった。
1978年から使い続けて45年、5台目です。RPN方式の操作がすっかり体の一部になってしまっています。他のメーカーのものは使えません。スタックがxyztと四段あるので、頭の中にもスタックが四段あって、表示されていないのにスタックの中が「いつでも見えています」。(笑)
#5127 公理を変えて資本論を書き直す④:生産性とマネジメント視点の重要性 Dec. 10, 2023 [A2. マルクスと数学]
今回は、労働価値説と生産性の関係を紐解きます。話の要点は労働価値説と生産性の話は両立しないということ。生産性の向上は労働価値説と矛盾することを明らかにします。そこだけ理解してもらえば十分です。マルクス経済学者でそんなことを言った人はいません。もちろん、マルクス経済学者で生産性の問題を取り上げた人もいないでしょう。論理的に矛盾しますから。商品価値の総額が増えるのは、労働の強度を大きくしたと説明するしかありません。マルクスはそうしています。
さて、本論です。
労働価値説を式で表すと(x軸は投下労働時間、y軸は商品の価値とする)、ax+by=0で表すことができます。
定義域:{x| 0≦x}& {b/a| b/a<0}
投下労働量が増えれば増えるほど商品の価値は増大し、それが減少すればするほど商品の価値が減少することになりますが、ほんとうでしょうか?具体的に考えてみたらわかります。
一番大きい問題は、投下労働価値説に立つと、生産性とかマネジメントとか品質向上という視点が失われてしまうことかもしれません。それが現実にどのような災厄をもたらすかは、次回述べる四つのシミュレーションで明らかにします。ソ連がロシアになっても経済停滞から抜け出せない理由や、中国が20年前まで経済停滞していた理由、北朝鮮が経済停滞している理由も明らかになります。
労働価値説に基づいてそれを数式で表すと…
生産された商品の価値=k×商品の生産量(個数)×1個当たりの投下労働時間…(1)
商品の生産量をxとし、商品1個当たりの投下労働時間をyとすると、次の式が成り立ちます。kは金額換算のための調整定数とします。
z=kxy …(2)
生産性が2倍になれば、商品1単位当たりの投下労働時間yは1/2となり、同じ労働時間内に生産できる商品の数xは2倍になりますから、この関係は反比例です。
生産性という観点を導入して、商品の生産個数xと商品の1単位当たりの投下労働量yを関数で表すと、次の式が成り立ちます。
y=1/x…(3)
定義域:{x| 0<x}
x軸は商品の数量、y軸は商品1単位当たりの投下労働量を表します。
この関数では生産される商品の量xが2倍になれば、商品1単位へ投下される労働時間が1/2になります。
この式をxで微分すると、
dy/dx=-x^2…(4)
基準座標を(1,1)にとれば、生産性を2倍にしたときには商品1単位あたりに必要とされる投下労働量は半分となり、座標は(2,1/2)に決まります。x=1における微分係数は-1で、x=2におけるそれは-1/4です。生産性が2倍、3倍となると、微分係数は-1/4倍、-1/9倍となります。さて、これにはどのような意味があるのでしょう。わたしにはこの式の意味するところがよくわからないのです。わかりやすい説明を考え付いた人は投稿欄で教えてください。
千葉大学の夏目雄平先生が大学での初等物理の授業の準備を昨年FB上でFB友限定公開で何度もやって見せてくれましたが、式を展開するごとにそれぞれの式に物理的な意味が与えられていましたから、この微分係数の変化にも経済学上の意味があるのでしょう。わからないところはそのままにしておいて、話を進めます。どこかでその意味が判明するかもしれません。
さて、生産される商品の量が半分なら、座標は(1/2,2)となり、商品1単位を生産するのに要する労働量は2倍となります。
x=1の点での微分係数は1、x=1/2の点での微分係数は-4です、この数字は何を意味するのでしょう?
生産性が2倍になると商品1単位当たりの投下労働量減少の傾きが-1/4になるということ。生産性が3倍になれば投下労働量の減少の傾きは-1/9になるということ。減少の傾きは加速的に0へ近づくことがわかります。
生産性が半分になる(1/2、2)と接線の傾きは-4となり、変化の割合が加速的に増大します。
定義域は、x={x| 0<x}ですから、
lim (n→0)1/x=∞...(5)
lim (n→∞) 1/x=0...(6)
となります。
この数式は面白い問題を提起してくれています。投下労働量が極限値でゼロになる点を具体的に検討すると、モノや情報の生産に人間の労働が不要になった世界を叙述しています。臨床検査センターで自動分注機を開発導入したら、分注工程で仕事したいた人がゼロ人、つまり完全自動化になればこういう事態が起きます。固定資産台帳が500頁ほどもありバイト3人2か月かけて所定の申告書用紙へ転記して提出していたのを、プログラムを一本作っただけで、プリントアウトをそのまま提出できるように変更しました。これもその工程は労働量ゼロになってしまった例です。染色体検査で染色体の顕微鏡写真を撮った後に、写真を鋏で切って、染色体の大きい順に並べながら糊で貼り付けます。1987年に染色体画像解析装置を3台導入した後は、そういう作業がゼロになりました。CCDカメラで画像を取り込んだ後に、プログラムが自動的に大きい順に並べてくれます。それを高品質のレーザプリンタでプリントします。切り貼り作業はこうしてなくなりました。結石の前処理ロボット開発も似たような効果がありました。結石を粉砕して、腕時計組み立て用のアームロボットで五円玉のような穴の開いた金属の穴の部分に詰めて固めます。それを赤外分光光度計で測定します。前処理工程がアームロボット処理に変わりました。
部分ではなくて、全体もそうなる可能性がります。「(工場生産)労働」からの人間の究極的な解放が可能だということをこの数式が示しています。同時に、このことはビジネス倫理や人間のあくなき欲望を抑止しないと、過剰富裕化によって、有限な資源を食い尽くして人類が滅ぶ危険も警告しています。
「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」
そして、経営者や株主は強欲をむさぼらぬことが要求されます。それをそれぞれの立場の人々が倫理で律するか、それとも法律や制度で縛るかを具体的に検討する必要があるということです。日産のカルロス・ゴーンのような強欲な経営者がこれからもいくらでも出て来るでしょうから。
ものはついでだから、逆関数を考えてみましょう。y=1/xはy=xに対して線対称ですから、xとyを入れ替えても同じことになります。
x=1/y…(7)
この関数の表す意味はy=1/xとは異なります。今度は、商品一単位の投下労働量を2倍にすれば、生産性が1/2となり、接線の傾きは、-1/4です。微分係数は同じなのです。投下労働量を増やしていくと接線の傾きは加速的に0に近づきます。投下労働量が基準点(1,1)から2倍になれば、生産性は1/2に、そして接線の傾きは-1から-1/4となります。投下労働量が1/2になれば、そのとき(x=1/2)接線の傾きは-4となります。
さて、(3)の式の両辺にxを掛けると、
xy=1…(8)
これを(1)式に代入すると、商品価値は増えないことになります。
z=kxy=k…(9)
ところが、市場へ2倍の商品が出荷できれば、それが過剰生産でない限り、売上は2倍となりますから、商品価値が生産性によって変わらないという仮定が事実と矛盾していることになります。生産性が2倍に上がれば、投下労働量が同じでも売上は2倍になります。(6)の式は現実にはあり得ませんから、妄想の類です。でも、労働価値説に立つとこういう結論になります。労働価値説で生産性向上を説明しようとしたら、労働強度を大きくしたとしか言いようがないのです。しかし、生産性向上は労働軽減になる事例が多いのですから、矛盾しています。こうして労働価値説は破綻するのです。
普通の成績の中高生でも理解できる仕組みですが、投下労働価値説にこだわれば、そんな当たり前のことが学者ですら理解できなくなります。
生産性が上がれば上がるほど同じ人員数で商品の生産量は増え、商品1単位当たりの投下労働時間は減少するのはあたりまえの事実です。マルクスのように大英図書館で一心不乱に書物を読んで勉強しなくてもわかることです。働いても、企業経営してみてもわかることですよ。こんな当たり前のことを理解するのに特別な頭脳は必要ありません、普通でいいのです。マルクス『資本論』の「資本の生産過程」編には生産性の問題が抜け落ちています。
実際の数字を使って確かめてみましょう。
商品を一つ生産するのより具体的に8時間の労働時間を必要とするとします。その商品の市場価格が16.7万円とし、生産に投入される人員が15名、労働時間1時間あたりに産出される価値をk円とすると、次の式が成り立ちます。
z=k×(8時間×15人)×10個=167万円…(11)
z=120k=167万円
k=13920円…(12)
生産性が1.5倍になったと仮定すると、
z=13920円×(8時間×15人)×15個=251万円…(13)
投下労働量が同じなら生産性が1.5倍になれば、売上も1.5倍になることは自明です。
そういうわけで、この企業の売上は以前の167万円/日から251万円/日へと増大します。1か月20稼働日換算だと、年額で240倍ですから、167万円⇒4億円、251万円⇒6億円です。一人当たり人件費は500万円⇒800万円でシミュレーションしています。当初1000万円の資本金で出発したとして、10年後には1.3億円の自己資本額になります。
労働価値説が真であれば生産性が1.5倍になっても、グリーンの総労働時間には変化がないのですから、商品価値(売上)は不変のはずですが、それは事実と矛盾していますから、背理法で労働価値説は偽であるという結論が導き出されます。過剰生産にならない限り、売上は2倍になります。売上=商品価値ですから。
次回、シミュレーションをお目にかけますが、生産性を1.5倍にできたら、給料は1.5倍以上にできます。
逆に生産性が1/2の企業は従業員へ半分の給料しか支払えません。ブラック企業ですね。
品質を維持しながら生産性を上げることができれば、その企業の従業員の給料は社会的平均値よりもはるかに高くなります。品質をアップしながら生産性を上げられたら、商品価値=売上はより増大するでしょう。
耐久消費財を考えてみます。3年で半数が故障し5年でダメになる価格50万円の工業用ミシンがあるとします。故障が少なく耐用年数が3倍ある高品質のミシンなら、100万円で買っても採算が合うでしょう。30年ほど前に聞いた、中国製のミシンと日本製のミシンがそうでした。
商品の価値は品質によっても評価が違います。それは仕事をしている人のスキルや工夫や心構え、生産システム、そしてマネジメントの巧拙に依存しています。
商品の価値を決定する要因は、生産性だけでなく、品質(故障率や耐用年数に関わります)、仕事をしている人のスキル、生産システム、マネジメントの巧拙などさまざまな要因が関係しています。複雑系なのです。
投下労働量で商品の価値が決まるなんて言うのはフィールド観察をしたことのない一握りの学者の妄想です。マルクスもそういう中の一人でしたから、抽象論ではなくて現実的で具体的な視点で見直してみる必要があります。
生産性を変えた損益シミュレーションの準備ができましたので、次回は、商業において、生産性が1.5倍になったときに、赤字すれすれの企業の社員の給料がどうなるのか、企業がどのように変わりうるのかがはっきりわかります。
次回はもっと具体的な「損益シミュレーション」を紹介します。経営のシミュレーション見たら、起業したくなる若者が増えるかもしれません。期待しています。
マルクスが『資本論』でなぜ論理的に破綻したのかを扱ってきましたが、それを乗り越えるにはどのようにしたらいいのかも俎上に載せます。マルクスが夢想しただけで終わった新しい経済社会のデザインもしてみたいのです。
<余談-1:労働組合運動改革>
マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』は1848年でした。そして『資本論第一巻』が1861年ですから、175年もたっているというのに、労働組合運動はスマートじゃありませんね。ブラック企業で賃上げ闘争したって無理です、無い袖は振れませんから。その一方で優良企業は20~50%の賃上げのできる余地のあるところがあります。しっかり企業の経営分析して、たとえば生産性を20%アップする計画を立てて、30%の賃上げの交渉テーブルについたらいいんです。
そういう企業がプライム市場で20社も出てくれば、あるいはスタートアップ企業で生産性を50%アップして60%の賃上げを公表する企業が陸続と出てくれば世の中変えられます。そういう企業に人材が集まってきます。ブラック企業は誰も振り向かなくなり、自滅していきます。強欲な経営者は有能な社員から見放されます。
既存の分野での生産性アップでもいいし、新しい事業分野を切り拓いて高収益企業を目指して社員の平均給与を1500万円にしたっていいのです。すでにそうした企業は出現しています。やりかたを真似たらいい。
こんなことは民間企業でないとできません。
<余談-2:二重の破綻>
#5125 公理を変えて資本論を書き直す③ Dec. 8, 2023
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夏目雄平先生の著作を紹介します。
世界が驚く日本のすごい科学と技術: 日本人なら知っておきたい
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#5125 公理を変えて資本論を書き直す③ Dec. 8, 2023 [A2. マルクスと数学]
マルクスは1867年に『資本論第一巻』を公刊してから、第2巻を出すためにたくさんの原稿を書き貯めましたが、死ぬまで続巻を出版しませんでした。重大な理由があるはずですが、そこを問題にしたマルクス経済学者はいません。
死ぬまで書き溜めた原稿は斉藤幸平氏の著書に明らかです。晩年は新しい経済社会のデザインを夢見ていたようです。
死ぬまでの16年間沈黙を守り続けたのは、第2巻の市場論でマルクスは労働価値説が破綻することに気がついたからというのがわたしの説です。ヘーゲル弁証法では第2巻が展開できないことはすでに#5124で具体的に述べましたから、ヘーゲル弁証法で市場論を展開することは不可能です。一つ手前の生産過程でもジンテーゼに該当する概念がありませんから、ヘーゲル弁証法では展開できないことはお分かりいただけたのではないでしょうか。
ところで、労働価値説が破綻している事例をすでに3つ挙げていますが、今回はさらに2つ付け加えます。事例はこれで終わりです。そのあとは「労働価値説と生産性」の問題に焦点を当てます。これもマルクス経済学者は今まで誰一人採りあげたことがありません。取り上げられない理由があるからですが、それも明らかにします。四つのシミュレーションで明確に解説するつもりです。
<事例-4:東北の臨床検査会社CC社との資本提携>
副題:実現できなかった黒字化案
経営分析をして、資本提携交渉をまとめて、先方の要請で経営企画担当取締役として出向したのは1993年でした。3年の約束で、黒字転換と子会社化するという指示を創業社長の藤田さんから直接受けていました。このとき北陸の臨床検査会社の買収と東北のCC社の資本提携の両方を藤田さんの特命案件で担当していました、それでどちらも首尾よく言ったので、好きな方を選んでいいよと言われ、金沢の臨床検査会社の子会社化は大きな問題が一つありましたが、首尾よく交渉し終えており、子会社化以後は生産性向上のためにシステム開発案件だけで大きな問題がないのでCC社を選びました。
資本提携交渉をしたときにCC社のT社長は社内を見せてくれました。システム部門でパソコン十数台をつないだマルチコントローラを開発していました。許可をいただいてから、ボードをひっくり返して配線を確認したらマッピングではなくてプリント基板でしたので、「社長、これ売るつもりですね、プリント基板で配線しているということはもうプロトタイプの段階ではないのですね」と告げるとギョッとした顔をしていました。「中止したほうがいいと思いますよ、アッセンブラでの開発の時代ではないのです、メンテができないので売ればトラブルになります、使用しているパソコンも沖電気製で計算が引けない代物です」社長室に戻って、率直に意見を述べました。
前年に千葉ラボではAS400とプログラミングできなくてもSQL文を書くだけでデータを扱えるRDBマシンで生産性を2倍にしたシステムが稼働していたので、マルチコントローラでパソコン十数台を運用するような時代ではなかったのです。おまけに、あいかわらずアッセンブリー言語でした。これでは開発担当者だってメンテはたいへんです。とっくにC++の時代でした。千葉ラボの旧システムはCC社が開発したものでした。アッセンブリー言語で開発した、メンテナンスが著しく困難なシステムでした。
このときに、5年間の財務資料と人員データで経営分析した資料と当期の損益シミュレーションデータを見ながら、売上推計値を説明しましたが、それはCC社のT社長と一緒でした。自分のノートパソコンを見せてくれましたが、EXCELの表計算を利用した営業所別の売上高の線形回帰分析データが並んでいました。
「最小二乗法で計算している...」とCC社の社長の説明が始まりました。
「ああ、営業所別に線形回帰をしたのですね、わたしの方は別の方法でやってます。もっと簡便な方法ですがデータの精度は一緒です」
統計に知識のある人同士の話ならは「最小二乗法…」という説明はしません。線形回帰分析という専門用語があるので、ひと言で済みます。
この時もギョッとしていました。ただの財務屋だと思っていたのですから、統計の専門知識がないと思っての解説でした。15年前の輸入商社勤務時代に(1978年)に、プログラムのできる科学技術用の卓上関数計算機HP97とHP67を使って、自社の経営改革のための経営分析で線形回帰分析を頻繁に繰り返していました。性能が低くてまだ国内のパソコンが仕事ではつかえなかった時代です。オモチャでした。
決算資料を見たときに、検査試薬費の比率が11%くらいだったかな、あまり低いので、質問をさせてもらいました。
「社長、これ試薬の購入費が他のラボに比べて低いのですが、何か特別な事情がありそうですね、この価格では通常は仕入れられません。教えていただけますか?」
1978年に開発した25ゲージ5ディメンションの経営分析モデルを使って、一般検査子会社の財務資料の分析をしていたので、材料費比率がどれくらいか知っていました。これもドンピシャでした。CC社会長の息子が薬剤師で大手試薬の卸問屋の勤務なので特別価格で仕入れているとのこと。よくこんな価格で仕入れができるとからくりがわかってこちらがびっくりでした。データに粉飾があるとあとで困ったことになるので、5年分の財務データを経営分析モデルへ入力して、異常なデータがあれば、理由を確かめるようにしていました。そういうことが習慣になっていました。輸入商社にいた1978-83年まで6年間、経営改善を目的としたシステム開発をしながら、経営分析をしていました。四半期ごとに役員全員へ解説してましたから、数字を見ただけで、異常なものには勘が働きます。知らない間にセンスを磨かせてもらっていたのです。それがCC社との資本提携交渉に役に立ちました。
同じフロアの営業所に行くと、コールター(海外メーカーで性能はいい)の血球計算機が置いてありました。普通はシスメックス(国内メーカー)のものを使います。メンテナンスがいいからです。わたしは機器購入担当をしていた時に、ばらばらにいろんな会社の血球計算機を入れられては、人の異動の時に困るので、ブランチラボの血球計算機はシスメックスの製品に統一していました。もちろん、全国どこでも緊急メンテナンス対応するという条件でです。それで
「コールターの性能がいいのは知っていますが、メンテに問題があるはずです、これは社長のチョイスですか?」
故障で2日間も検査できなかったら会社の信用にかかわるので、メンテナンスのよしあしはとっても大事なのです。臨床検査技師のT社長が性能重視で選んだものでした。なるほど、そういう技術的な的な視点を優先して経営しているのかと合点がいきました。
後でお酒を飲んだ席で、「わけがわからない、経営分析を頼んだのだから財務屋さんだと思っていた」、そう言ってました。財務屋で、SEでもあります。日本最大の臨床検査ラボの機器については社内でもっとも詳しい社員の一人です。産業用エレクトロニクスの輸入商社で6年間マイクロ波計測器や時間周波数標準機、質量分析器、液体シンチレーションカウンター、スパイが使うレシーバや航空機搭載の機器等の軍需機器、毎月欧米50社の新製品の技術説明会に出席して、世界最先端の理化学機器について6年間専門知識を蓄えてきましたから、臨床検査機器の理解は簡単なのです。ディテクター部があり、データ処理や制御部のコンピュータ部があり、そして出力部(GPIBインターフェイス)で構成されている点では同じですから。ディテクトする周波数や前処理がいろいろだというだけのことでした。経験と学習はどこで役に立つのかわからぬものです。役に立たぬ経験も学習もありえないというのがわたしの経験です。
提携交渉でそういう経緯があり、資本提携はわたしが取締役で出向するという条件が付与されました。T社長は赤字が続いているCC社の経営改善を期待していました。 15か月間という短期間ではありましたが、腹を割って話ができるパートナーでした。
出向して3か月目くらいの時に2箇所あるラボのうち栃木県にある細菌検査ラボを見せてもらいました。細菌検査システムが導入されたばかりでしたが稼働していません。細菌検査担当者に理由を訊いたら「使い物にならないし開発した担当者が来ない」というのです。CC社の本社へ戻って直接本人へ確認すると、「文句を言われるので行かない」そう言ってました。これでは商品としてラボシステムを販売できるわけがありません。千葉ラボの旧システムがどういう状態だったのか、これでよくわかりました。
生産性とメンテナンスのしにくいシステムでは製造コストも販売した後のコストも高くついてしまいます。その一方で品質が劣るのですから、市場では低販売価格で勝負するしかありませんから、利益が出ません。システム技術が高いと自負していたT社長はそのシステム技術にこだわって経営を悪化させていました。世の中の動きよりだいぶ遅れていましたが、周りに助言してくれるスキルの高い専門家がいませんでした。社長業とは孤独なものです。後ろを見たって相談する相手はいません、それでも決断はしなけりゃいけません。
生産性は商品価値と密接に関係しています。品質と商品の価値は密接な関係があります。
染色体検査事業をSRLと連携することで、SRL側は受注抑制を解除できますし、CC社は染色体事業の売上規模を拡大して売上高経常利益率を15~20%へ持っていけます、win-winの黒字戦略案を15か月で作成して文書でSRL創業社長の藤田さんへ文書で報告し、最終確認のためにSRL本社へ呼ばれました。その席で藤田さんと副社長のY口さんからストップがかかってしまいました。陸士と海士を両方合格したY口さんは、戦後東大に入り直して富士銀行へ就職、そこからSRLは役員出向・転籍、このころは専務から副社長へ昇格していました。
経営改善案では、SRLよりも売上高経常利益率が高くなるし、SRLの子会社の中ではダントツにナンバーワンの高収益企業となる予定でした。私の作成した損益シミュレーションは具体的な戦略の裏付けがあるので外れません、年間16~20億円の検査試薬のコストカットを提案し、3年間実際の交渉をやって見せてます。千葉ラボの生産性2倍アップの新システム導入でも損益シミュレーションで黒字化の実績がありました、だからストップでした。こういう子会社が出現することが藤田さんいやだったのです。その時まで藤田さんの真意が読めていませんでしたね。難易度の高い仕事だったので、夢中で仕事してました、間抜けでした。(笑)
実質的な幕引き交渉は藤田さんと二人で、浜松町の東芝ビルに入っていたJAFCOとやりました。
子会社社長は親会社の取締役兼務が慣例になっていましたから、社長もSRLの営業担当常務に交代する交渉までしてありました。T社長の持ち株の譲渡まで、条件を飲んでもらっていました。
交代で3人出向しましたが、染色体事業分野の拡大という選択肢がとれなくなって、赤字は拡大、1年後に持ち株を他社に譲渡して資本提携を解消しました。交代で出向した方たちは気の毒でした。
染色体画像検査分野は生産能力があるのに、営業が弱くて検査をもってこれません。だから、この部門をSRLの下請化して、東北市場で受注した分をCC社仙台ラボへ流すつもりでした。SRLの方は3台IRS社の染色体画像解析装置を使って処理していましたが、処理能力が受注に追いつかないので受注抑制していました。だから、この事業分野の提携は「win、win」の関係だったのです。提携することで、CC社側では生産できる商品の価値(売上)が3~4億円ほど増える予定でした。もちろん、検査方法や精度管理基準を合わせないといけませんので、そういう調整仕事に入る寸前で、ストップとなりました。ある点でやり方に重大な違いがあり、どちらの方法が優れているのか、データをとって確かめないといけない状況でした。
話の要点を絞ります。同じ人数で売上が3~4億円増えるということは、生産される商品の価値が3~4億円増大するということです。開店休業状態の部門がフル稼働になるだけですから、投下労働量にはほとんど影響ありません。英国IRS社の染色体画像解析装置は生産性が高いのです。それまでは写真にとって23対46本個の染色体を大きい順に鋏で切りぬきと糊で検査報告書に切り貼りしていました。それが大きい順にDisplay上で自動的に並べられて、写真と同等の品質のプリンターで出力されるのです。切り貼りの要員がゼロになります。切り貼りのやり方に比べたら、3倍以上の生産性があります。コストは下がるし、検査報告書の品質も格段にアップしました。切り貼りしていませんから、経年変化で脱落しないのです。
染色体画像解析分野での提携とは別の選択肢が一つだけありました。業務提携の必要のない案(SRLに依存しない案)で、千葉ラボのラボシステムを委嘱するだけで黒字転換が可能でした。稟議書原案は黒字化損益シミュレーションを添付してわたしが書いたものでしたので、資料をもっていました。交代で行った3人のうち一人はあの時の損益シミュレーション付きの稟議書を見ていましたが、システム開発・スキルがなければできない仕事でした。創業社長の藤田さん、1年もしないうちに見切りました。わたしに本社への異動辞令を出した時点で腹は固まっていたのです。持ち株を他の検査センターへ売却処分してます。
黒字化は二つの方法がありました。染色体分野で、SRLと方法を統一して売上拡大をする方法と、千葉ラボのラボシステムと業務システムを移植する方法です。要はシステム開発や臨床検査機器に関する専門知識とスキルの有無、そしてマネジメントの巧拙。赤字会社はそう苦労しないで黒字の高収益会社に化けます。真っ正直に仕事したらいいだけです。「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」でいいのですよ、余計なことは考えない。黒字にして仕事を楽しくし、そして給料アップがついてくれば、人は張り切って仕事するものです。自分たちで会社を浴したという自信が湧いてきます。関係者みんなの幸せを願って仕事したら、自ずと道は拓けます。そういうものです。
藤田さんとY口さん、わたしが会社を辞めてCC社へ移籍する可能性を考えていたかもしれません。一部のうわさが飛んでいました、わたしには出まだやりたい仕事があったので、そんなことは考えたこともありませんでした。
立川本社に呼ばれて、藤田さんとY口さんと話して、数日後に出向解除辞令が出ました。同時に出されたのは「本社経理部管理会計課長・社長室・購買部兼務」、異例の1部署と2部署兼務でした。こうして3年間の出向のお約束が15か月で終わりました。古巣に戻った感じでした。
朝6時にCC社の隣の温泉で朝湯に入って、食事して、8時半ころ出勤してました。東北、とってもよかった。CC社の社員のみなさんにはたいへん申し訳ないことになりました。黒字化して、みんなの年収を200万円アップしたかった。
<事例-5:帝人との治験合弁会社>
SRL社長の近藤さんの案件でした。合弁事業を立ち上げるために子会社の東京ラボから呼び戻されました。合弁会社立ち上げプロジェクトが暗礁に乗り上げたからです。経営の全権委任を条件に四つの課題を引き受けました。
治験検査受託から事業の柱を、治験検査データ管理へシフトして、3年目に黒字化しています。これもマネジメントです。転籍する両方の社員へ親会社を超える給与を保障したくて仕事してました。マネジメント次第で社員の処遇は激変します。
机とイスとパソコンとサーバーはSRL本社よりもいいものを揃えてあげました。処遇の異なる2社の出向者が机を並べて仕事します。親会社以上の処遇をめざしているということを形で示してやらないと納得しないでしょう。課長職で1:2の年収格差がありました。
課題は4つ。①期限通りに合弁会社を立ち上げること、②3年間で黒字化すること、③合弁を解消してSRLで帝人の持ち株を引き取ること、④帝人の臨床検査子会社を買収してSRLの子会社とすること。①の課題は2か月後に期限が迫っていました。合弁会社の本社を置く場所も決まっていませんでした。もっていく保管資料の量も、販売会計システムも「これから」でした。期限通りに会社はスタート、残りは3課題は3年の期限で全部クリアしました。マネジメント次第なのです。交渉では帝人本社の石川常務にお世話になりました。合弁会社の資本提携解消と帝人持ち分の買取りを申し入れたら、帝人の臨床検査子会社を合弁解消後の新会社の子会社にするので、そちらも兼務で社長をやってほしいという申し入れを受けましたが、 近藤さんの当初構想通りに帝人臨床検査子会社も買収したいと提案して、快く受け入れていただきました。帝人にはその案を受け入れる帝人社内事情がありました。帝人が染色体画像解析装置を購入した1989年から、こういう買収のチャンスが巡ってくることは予測してはいましたが、まさか自分の手でやることになるとは思いませんでしたね。
ところで、治験検査ではSRLは検査料金を支払わなければなりませんので粗利益率が20~25%くらいでしたから、永久に利益が出ません。事業の柱がもう一本必要でした。製薬メーカーからに依頼で、いくつか治験データ管理システムを開発してありましたので、NTサーバーを使って汎用パッケージを開発し、カスタマイズをして、販売することに決めました。メーカーごとに特注に応じるのに比べると、生産性は10倍ほどにもアップしました。したがって利益率が抜群に高いので、この分野の売上を伸ばすことで黒字転換する計画を立てました。いいデータ管理システムをもっていたら、治験検査の売上も一緒に増えます。相乗効果がありました。新しい治験基準が1年後に公表されて、それが厳格過ぎて製薬メーカーの治験が一時ストップしましたが、1年以上もとまることは考えられなかったので、深刻には受け止めませんでした。ケセラセラでした。経営に責任を持つものが額にしわ寄せて深刻な表情してたら、社員が心配します。
首都圏の国立大学病院から開発中の治験データ管理システムが暗礁に乗り上げたので、相談に乗ってほしいと応援要請があり、担当者をシステムとデータ管理業務の担当者を4人ほどつれて行き、ドクターから話を聞きました。製薬メーカーの次は病院向けの治験データ管理システムを考えていたので、渡りに舟でした。無償で支援することに決めました。大学病院側のニーズを知っておく必要があったからです。この大学病院の治験データ管理システムはその後半年ぐらいかけて本稼働しています。担当のドクターは大喜びでした。製薬メーカー向けよりは病院向けの方の需要が大きいので、貴重な経験を積ませてもらいました。
「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」で仕事すれば、智慧も沸くし、給料も増やせるので、社員の士気が違いますから、赤字会社も黒字になります。
黒字化するとその企業がつくる商品の価値も大幅にアップします。商品の価値をアップするのに必要なのは、マネジメントと品質向上や高収益の事業分野の開発です。
<<品質と市場価格>>
マネジメントの巧拙で生産性は大きく違ってきます。工程改善や単純作業の機械化、システム化で商品の品質改善にもお金がかけられます。品質が向上すれば市場価格が違ってきます。1980年代半ばの頃のことですが、臨床検査は保険点数で単価が決まっています。SRLは保険点数の70%ほどで受注していました。業界2位のBMLは50%前後でした。同じ検査でなぜそんなに差が出るのかというと、商品ラインの幅の広さと品質に大きな差がありました。検査項目別原価計算資料によれば、3000項目の内、採算のとれているのは200項目ぐらいでした。それでも200項目は量が多いので他の少量の2800項目の赤字がカバーできてました。ラボで働いているのは臨床検査技師や薬学部出身者の社員がほとんどで占められていることが品質の高い理由でした。ルーチン検査部門でも申請すれば新規開発に必要な機器や試薬が買ってもらえました。研究部や特殊検査部以外のルーチン検査を担当している人たちが、多数新規開発してました。あるとき、臨床化学部の社員と話をしていたら、2000万円の2次元電気泳動の機械の申請をして、検査管理部にはねられたというので、根回ししておくから、「わたしがもう一度購入協議書を出すように言っていると上司に話して、手続してください」と伝えて、希望をかなえてあげました。10億円くらいは、ルーチン検査部門で熱心な社員にほしいものを買い与えていいんです。この仕事をしていた間に、検査試薬のコストカットで3年間で50億円利益を増やす貢献をしているので、数億円の案件なら、わたしがOKすれば経理担当役員も副社長もだまって稟議書や購入協議書に承認印を押してくれます。
本社にいると、そういう情報が全く入って来ません。入ってきても何が有望かどうか判断つきません。
新規開発は10個に一つ成功すればいいのです。失敗していい、それで社員が成長して、めげずに次の新規項目開発にチャレンジしてくれたらそれでいいのです。そのために高収益である必要があるのです。元気な会社はそうやって創ればいい。
「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」
このビジネス倫理が実現できている企業の商品価値は群を抜いて高いものになるでしょう。
それにはそれぞれの専門分野のスキルをもった職人がいること、そして質の高いマネジメントがなされていることが不可欠な条件です。
次回は、労働価値説と生産性の問題を扱います。1867年の『資本論第一巻』以後、マルクス経済学者やレーニンや毛沢東などの後継者たちが見落としてきた重要なポイントを俎上に載せます。