#5023 おしゃべり点字タイプ:大学サークル活動と盲学校の連携 Jul. 25, 2023 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
数日前の朝のラジオで、熊本大学のサークル「ソレイユ」が視覚障碍者のために何かできることはないかと、10年来活動を続けています。盲学校のパソコンの修理から始まり、教えている先生や生徒のニーズを聞きながら「おしゃべり点字タイプ」の開発を成し遂げています。
学生たちの自発的な活動が、自分たちの専門技能を生かすことで、社会貢献につながる、とってもすばらしいことだと思います。
工学部の学生を中心に30名ほどでやっていますが、サークル活動は現役の学生だけの集まりなので、年度によってある得意分野の学生が卒業してしまい、それまでの仕事を引き継げないなんてことも起きていました。
そこで今度は、そうした欠点をカバーするために、卒業生を中心にNPO法人「テクたまご」が発足しています。
開発した機器の寄付もしているようですが、資金に限界があるでしょうね。企業がこうした活動のスポンサーになりやすいように、認定NPO法人には所得控除(寄付金控除)の「特定寄付金」が認められているので、毎期利益を上げていて内部留保の厚い上場企業は継続的に寄付をしてスポンサーになってあげたらいいですね。それぞれの企業のホームページ上で、毎年特定寄付金の明細を公表したらすばらしい、立派な社会貢献です。
そうした「寄付の文化」が日本の企業経営者のマインドに育まれることを祈ります。自分たち(取締役)の報酬はこの30年間で2倍以上にアップさせたのに、雇用者の給料が横ばいなのは自我本能の働きです。障害を持った人々も幸せに暮らせるように、できる範囲のことをしようというのは平等性智の働きです。大数学者の岡潔先生が自我本能の発動を抑え、平等性智(全体の直観的把握)を働かすことが人としての在り方だと、度々言及しています。
日本の伝統的な商道徳も同じことを別の言葉で表現しています。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」
これで何もかもうまく回っていくのです。
<マネジメントの重要性>
企業経営者が平等性智の働きで仕事すれば、政治も変わるでしょう。
どういう哲学や倫理で企業経営するかということは経済社会の在り方を根本から変えるほど重要なことなのです。マルクスが考えもしなかったことです。マネジメントの良い会社は高い給料を支払えます。赤字すれすれの企業が賃上げできないことは誰にだってわかります。民間企業は赤字になれば、ボーナスもなくなります。労働価値説とか剰余価値学説は妄想でした。そんなものはありはしません。コンピュータ化や機械化をせずに低い生産性のままの方が生産物の価値が高いなんて馬鹿げた結論になります。そんな現実はどこにもありません。だから妄想というんです。書斎でアダム・スミスやディビッド・リカードのお勉強していたマルクスには理解できないことでした。社会に出て働けばすぐにも了解できたことです。
「企業経営=悪」という前提条件で『資本論第一巻』は書かれています。ドイツとイギリスでそういう現実を見ていたからでしょう。日本の老舗企業を見たら、そうではない商道徳に気がついたでしょうね。マルクスにマネジメントの大切さがわかれば、ソ連や中国共産党は生まれなかったと思います。スターリンの2000万人の粛清も中国共産党の文化大革命による同胞2000万人の粛清もなかった。マルクスはまことに罪が深い学者です。彼自身は自分の経済学説の根本的な誤りに気がついて資本論第一巻を出版した後、死ぬまで15年間続編を出さずに、沈黙し続けました。ちゃんと気がついていたのですよ。だからアソシエーション、協同組合研究に救いを求めました。的外れでしたが...
今からやればいいんです。年収をアップさせたかったら、労働組合運動は経営改革運動に変わればいい。株主への偏重傾向ある株式会社制度の見直しも必要です。株式会社形態が現行の企業組織で一番よく機能していますが、その弊害も著しいのです。しかし、それに代わる有力な企業形態を提唱できた人はまだいません。書斎の学問ではとても手が届きません。現実に機能しなければいけないのですから、具体的で現実的な提案が必要です。みなさん、智慧を絞ってみませんか?
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#4947 WBC準決勝にみた価値観の違い:メキシコ対日本 Mar. 21, 2023 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
おめでとう!
メキシコの4番バッターが三振したシーンがあった。三振した後、両手でバットの端をもち腿にあててへし折った。あれは日本選手ならやらないだろう。選手もプロならバットを作っているのもプロである。相手の仕事をリスペクトしていたら、バットを折るなんてことはできないのである。それは造った人の仕事に対する侮辱だから。
ミスが出て悔しくてもバットをへし折らないというのは、つまりは自他に区別がないということ、大数学者の岡潔先生風に言うと、無差別智の働きだ。自他の区別を立てるのは自他弁別智で動物本能の表れである。無差別智は自他に区別をしない、大脳前頭前野の働きである。自分の仕事に忠実・誠実であることは他の人の仕事に対してむ尊敬の念をもつということ。
もう一人、途中でリリーフ投手が調子が悪かった。グラウンドに唾を吐いた。あれも日本の選手ならやらないだろう。グラウンドを整備している人たちの仕事をリスペクトしていたらできない行為である。
日本の小中高の学校では、生徒達に学校の清掃をさせる。だから、社会に出てからも、他人が清掃したところに唾を吐くなんてことはしない。
こうしてみると、日本人のプロは無差別性智の働いているものが多いことに気がつく。自我を抑えたプレイは大谷翔平のバントにも表れた。とにかく出塁して後へつなぐことだけ考えたプレイだった。そのあと3点が入って同点になった。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という日本人の伝統的な価値観は、じつは無差別性智の働きです。自他弁別本能である自我がむき出しになったら、我がよければ他人はどうでもいいということになり、「だまされる方が悪い」という極端な考えにまで行きつきます。それが欧米企業のオーソドックスな価値観です。
日本が輸出すべきは、品質の高い製品群ばかりではなく、こうした経営哲学、経営上の倫理観でしょう。それらは無差別性智、平等智によって支えられています。
とにかく、野球をこんなに長時間見たのはいままで数回、とっても楽しかった。
<余談:民間企業の仕事のプロ>
民間企業でも事情は同じである。社内にはそれぞれの部門に腕の立つプロがいる。こちらが渾身の力で仕事をしていると、部門の違うトップレベルのプロと自然にコンタクトが増える。いざというときこういうネットワークの人材はお互いに二つ返事で動くようになっていた。
6年間いた産業用エレクトロニクスの輸入商社では、技術営業の東京営業所長のE藤さんや大阪営業所長のS藤さん、技術部のN臣さん、N中さん。部門が違うがお互いの仕事を理解し相互に尊敬する仲間だった。そういう輪は社外にも広がっていく。オービックのNo.1SEのS沢さんやNEC情報サービスのT島SEもそういうレベルの人だった。お二人ともこの分野では業界トップレベルでした。産業用エレクトロニクス輸入商社でのわたしの仕事は、会社の財務構造と収益構造を変革することだった。入社1週間後にそれぞれ具体的な目標をもった5つのプロジェクトを任された。メンバーのほとんどが役員と部長職、課長職は6つのプロジェクトで3人のみ。入社したてのわたしに会社の命運が任された、1978年9月のことです。2年間で経営改善のためにシステム開発を3つやりました。わたしの専門は簿記や原価計算や予算管理、それとマルクス経済学でした。システム技術はそれまでまったく関係なしです。すぐに数十冊の専門書を読みながら次々に使って、スキルアップしました。仕事がなければいくら専門書を読んでもスキルはアップしません、ラッキーでした。
臨床検査会社SRLでは検査部門にたくさんプロがいました。本社管理部門には高学歴は数人いましたが、仕事ではプロが一人もいませんでしたね。最初の2年間は経営統合システムの開発と全社の予算管理でした。次いで八王子ラボで仕事していた4年間に、ネットワークができあがっていました。後にPSS社を起業し社長となる取引業者の営業であった田島さん、結石ロボット開発をお願いした取引業者の技術者の方、ファルマシア社や栄研化学の担当者、学術営業のS藤君、研究部の応用生物統計の専門家のF君、慶応大学病院産婦人科から相談のあった出生前診断MoM値の日本人基準値プロジェクトで非公式プロジェクトチームを組みました。S藤君は後に栄養学で米国で学位を取り、独立起業しています。F君も慶応大学とのプロジェクトが終わると独立起業しています。
システム部門ではK原さん。二人で大手六社の臨床検査項目コード検討会議に出向き、臨床病理学会を巻き込んだ産学協同プロジェクトに方向を変えました。民間検査センターが統一コードを作っても病院が採用してくれませんから、意味がないのです。自治医大の櫻林郁之助教授が学会の項目検討委員会の委員長でした。先生から、学会の仕事を手伝うように頼まれていた経緯があったので、渡りに船でした。毎月1回会議を開き、1991年に初版の日本標準臨床検査項目コードを公表しています。それ以来、全国の病院がこのコードで動いています。
櫻林先生に学会の仕事を手伝うように頼まれたのは、SRLに転職した1984年のことです。経営統合システム開発をしている最中でした。なぜか先生はシステム部門には声を掛けず、わたしに声をかけてくれました。「やりづらいなら、創業社長の藤田さんへ総合企画部への異動をお願いする」と。そのときは他の人にはできない経営統合システム開発を担当していたので、お断りしてますが、2年後に「臨床診断支援システム開発と事業化案」を書いて、藤田さんの了解をもらい、インフラ整備の一つとして、日本標準臨床検査項目コード制定の仕事に関与できるようになりました。自治医大の河合先生のススメで藤田さんが特殊検査会社を創業したのですが、櫻林先生は河合教授の一番弟子で、SRL顧問でした。臨床検査部の免疫電気泳動の指導医です。先生は「SRLは宝の山」とおっしゃっていました。データがあるのでいくらでも論文が書けます。臨床検査部の女性部長のK尻さんから、櫻林先生に連絡をつけてもらっています。彼女とは1989年に学術開発本部へ異動したときに学術情報部長となっていたので、1年半の短い間でしたが一緒に仕事してます。
創業社長の藤田さんも無差別性智の人でした。その次に社長になった近藤さんは慶応大学医学部出の医師で厚生省の医系技官です。育ちの良いお坊ちゃんで、情に流されずに理性で割り切れる人でした。情が理解できないところが欠点だったかもしれません。わたしの印象では総じて好人物で、経営者としての資質は優れていました。SRLの役員で他に近藤さんに匹敵する能力の人はいませんでしたから。東北の臨床検査会社に出向して15か月で本社に呼び戻され、管理会計課長と社長室兼務の時に、近藤さんが社長でした。半年間だけ、居たくない部署だったので、わがまま言って子会社へ出向しましたが、2年たたないうちに、帝人との治験合弁会社の立ち上げと経営を担当しろと呼び戻されて、出向。1996年11月だったかな、合弁会社立ち上げのプロジェクトが暗礁に乗り上げました、新聞に公表した期限通りに間に合わない、それで呼び戻されました。SRLには他に担当できる者がいなかったのです。条件は以下の四つ、期限は3年間でした。①期限通りに立ちあげること、赤字部門の合弁会社だったので①黒字にすること、③合弁解消してSRLの子会社化すること、④帝人の臨床検査子会社を買収して子会社にすること。これら四つを3年でやることが近藤社長の特命事項でした。四つの項目全部、期限通りにやり終えました。
話が前後しますが、1992年だったかな、東北の臨床検査子会社の経営分析をして、資本提携話を取りまとめ、創業社長の藤田さんに同時期に買収した金沢の臨床検査子会社と、いずれか好きな方へ役員出向しろと、指示があったのは。東北の会社を3年間で黒字にしろというのが創業社長である藤田さんの特命事項でした。15か月で、現実的な黒字化案をつくり、実行しようとしたら、藤田さんからストップがかかりました。売上高経常利益率が15%になる経営改革案をもって行って、最終承認してもらおうと本社で社長と副社長と打ち合わせの席でのこと。あらかじめ説明資料は送付してありました。藤田さん、経営改善に反対でした。経営状態が悪くなったら、出資比率を上げて、ゆくゆくは子会社化するつもりだったようです。この打ち合わせの後、すぐに出向解除、本社管理会計課長と社長室及び購買部兼務辞令が出されました。藤田さん、なかなかの演技者、肚の中が読めてませんでしたね。笑って、出向解除を受け入れました。相手が藤田さんでも2度目はない、いい勉強になったと思いました。SRLと連携しなくても、一般検査ラボとして高収益会社にするB案の用意がありました。1992年に子会社の千葉ラボでテスト済みでした。藤田さんと副社長のY口さんは、わたしがSRL辞職して東北の会社の経営を担うことを危惧してましたね。だから、出向解除の辞令は速かった。わたしにはそんなつもりはありませんでした。やろうと思えばできたというだけ。業界ナンバーワンのSRLでなければできない面白い仕事が他にいくつもありました。
SRLに必要だったのは、もっと大きなビジョンをもって、戦略を練り、実際にそれを進められる人でした。たとえば、米国進出、画期的なラボの自動化システムによる大幅なコストダウンなど。人材が育っていないのでしょうね、いまだにSRLでは手がついていない仕事です。ラボの自動化は200mの平面ラインと双方向インターフェイスを考えていました。1989年頃のことです。近藤さんの後はよほど凡庸な人たちが社長だったのでしょうね。SRLは売上で業界2位のBMLに追い抜かれています。あんなに差があったのに...
染色体検査の画像解析データベースも学術目的で、個人の識別情報を抜いて研究者に公開すれば、日本から染色体異常に関する学術論文がいくらでもでますよ。世界最大の染色体画像解析データベースになっています。病理もデータベースが大きい。診断結果の確定している病理画像データを大量に読みこめば、精度の高い病理診断が可能です。病理医のスキルアップの道具としても使えます。
こうした金儲けとは関係のないアカデミックな事業もまったく手がついていません。こういう仕事がSRLの知名度を上げ、社会的評価を高くします。
自分の損得抜きに(=無差別性智)仕事していると、自然にそういう仕事ぶりの仲間が増えていきますよ。類は友を呼ぶというのはほんとうです。(笑)
*道教委から2014年に全道の小中高の各学校へ大谷翔平の「文武両道」ポスターが配布されています。
大谷翔平「文武両道」ポスター2014年
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#4938 新たな経済モデルの点描:マルクスを超えて Mar. 9、2023 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
機械化やAIコントロールによる生産力増大が人間の生活を豊かにするものだとわたしたちは思っていましたが、地球は有限、SDGsなんてことを言い始めて、目論見が違ってきたことが明らかになりつつあります。
職人仕事ベースの経済社会を想像してみてください。仕事は自己実現、自己表現でもありますから、仕事から疎外されたら、それは人間疎外そのものとなります。日本人は定年退職すると、なんとなく居心地が悪い。仕事は「苦役」ではないからです。ヨーロッパの「労働」概念と日本の「仕事」概念はまったく違っています。
(2)利益の極大化と拡大再生産がマルクスが資本論で語る「資本家的生産様式」です。ですから、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の経営は利潤の極大化や拡大再生産が自己目的にはならないので「資本家的生産様式」ではありません。
現状維持の規模でいい、あるいは人口減によって縮小再生産でもいいのです。人は仕事をすることでひたすら技術を磨き、昨日よりは今日、今日よりは明日、いい仕事をします。毎日その繰り返しです。週に3日働き、2日は畑仕事や魚釣りを楽しみ、育てたあるいは獲れた食材をいただきます。
そんな生活は、人口増大を前提にしたら永遠に手に入らないのです。人口縮小によってのみ可能な生活スタイルです。したがって、人口縮小は地球にとっても人類の生存にとっても善です。人口の拡大再生産もそろそろ終わりにしていいのです。
(3)日本の建設機械メーカーのコマツが中国企業にモノの製造の仕方や工程改善の仕方、品質管理の仕方や経営の仕方を教えてあげたように、先進国は発展途上国にモノの製造の仕方を教えてあげたらいいのです。無償で発展途上国へどんどん技術移転してあげます。日本はそういうことのできる有力な国の一つです。21世紀の日本はそういう視点で自分の役割を定め、果たしていったらいい。
生産拠点を集中化して生産コストを下げる必要はないのです。生産拠点を分散化すれば、それぞれの地域が独立して持続的に生存できます。偏在する天然資源は分かち合い、その消費は最低限に抑えたらいい。持続可能なエネルギー生産に関する技術も分かち合います。
世界中で生産拠点の分散化が進めば、貿易量は縮小していきます。グローバリズムは自然に終焉します。GAFAMも小さな単位に分解されていきます。
(4)持続可能なエネルギーの生産に関する技術を分かち合うためには、現行の特許権制度が障害になるので、特許権の在り方も変わっていいのでしょう。
先進国で薬が開発されても、お金のない発展途上国の国民が開発された効果の高い薬剤が使えないなんてことはなくしていい。それには特許権の在り方の見直しが必要です。「分かち合う」「憐憫の情をもつ」という考え方が、価値観として人類に普遍的に共有される世の中になってほしいと思います。
<結論>
どのような経済社会モデルにも市場はありますし、競争もあります。企業がある限りそこで仕事する人たちがいて、経営という機能も普遍的に存在します。製品の機能や品質や堅牢性に応じた価格があっていい。そして仕事に見合った収入があるのが健全なのでしょう。
有限な地球の資源を前提に、「足るを知る」ことで幸福な人類の未来が描けるということになりましょうか。
それがエゴイズムに基づく欲望の拡大再生産に終止符を打つことを意味するなら、人類は精神的に新たな段階へ進化することになります。
<余談:無差別性智>
これ(惻隠の情)を数学者の岡潔先生風に表現すると、動物本能である自他弁別智を抑止して、無差別智の光でものごとを観て判断するということ。無限の欲望の再生産である資本主義が終わりをつげ、経済がそうした智慧で運営されることになるのです。
日本人が大切にしてきた「惻隠の情」というのは無差別性智の働きです。建設機械のコマツの社員の誰かが、中国企業の生産現場を見て、仕事しているのにいい加減に手を抜き、故障の多い製品を投げやりに作っている、かわいそうだなと思ったわけです。仕事は本来愉しいもの、いいものをつくったという喜びを伴なうもの、そうした喜びを知らないのは可愛そうだ、そう思ったから、数年かけてやり方を教えてあげたのです。そこにはコマツだとか日本企業とか中国企業とかそういう自他の弁別智が消えています。「われもかれも同じ」という無差別智が働いているのです。「労働=苦役」が「仕事=喜び」に変わります。それが「労働からの解放」の本当の意味です。日本の職人たちはすくなくとも飛鳥時代からはそうした仕事の仕方をしてきました。いまも日本の老舗企業の製造現場で息づいています。いい仕事には喜びがあるのを知っているから、職人は仕事の手を抜かないのです。
*「#5015『人新世の資本論』の著者である斎藤幸平氏の大きな勘違いはなぜ生じたのか?」
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#4937 資本主義を乗り越える経済モデルとは? Mar. 8, 2023 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
過剰生産を想定すると、労働価値説が根底から崩れることもわかってしまった。それは『資本論第一巻』が根底から崩壊してしまうことを意味していました。市場関係では、かの剰余価値学説(=搾取理論)が根底から崩れてしまうのです。マルクスは困り果てたでしょう。死ぬまでの15年間の長い沈黙には重大な理由があったのです。エンゲルスはマルクスの遺稿を整理しても、そうした問題にすら気がつきません。
現代社会にはデジタル商品が労働価値説では説明のつかない商品として現れています。再生産はコピーするだけでいいから、労働投下量はゼロで、労働価値はないはずなのに、市場で売れています。資本論で公理として現れる最初の概念規定である価値規定「抽象的人間労働」は妄想です。マルクスは市場関係のところで、そのことに気がついたと思います。労働価値ではなくて使用価値が一番普遍的で根本的な概念です。市場関係まで枠を広げて、マルクスは気がついたのです。
何が間違いだったかというとヘーゲル弁証法です。マルクスはユークリッド『原論』のように公理的演繹体系として体系を記述すればよかった。方法の選択を間違えたのです。
デカルトも科学の方法については演繹的体系モデル一つしかないことを主張しています。『方法序説』で「科学の方法 四つの規則」で具体的に書いています。数学が苦手だったマルクスはユークリッド『原論』と数学者であり物理学者でもある哲学者のデカルトによって書かれた『方法序説』を読まなかったのでしょうね。まがい物のヘーゲルに安直に手を出して、沈んでしまったのだと思います。
マルクスは「資本家的生産様式の支配する社会」とは言っていますが、「資本主義」とは言っていません。利潤増大を自己目的とした拡大再生産が「資本家的生産様式」です。
マルクスが『資本論』で方法的に躓いたことに、『資本論』全巻そして『経済学批判要綱』を読むことでわたしは学部の市倉宏祐教授のゼミで学んでいた時に気がつきました。公理的演繹体系として書き直そうと思ったのと同時に、もっと大きなポイントが別のところにあることにも同時に気がつきました。「資本家的生産様式の支配する社会」ではない社会はどうやって展望できるのかという問題でした。レーニンやその後継者のスターリンもその後の後継者たちの誰も気がついていません。毛沢東も。生産手段の国有化では問題が片付かないという事実だけが残りました。
もちろん西欧の近代経済学者たちの誰も論及していない問題でした。
奴隷労働に淵源をもつ工場労働者の「抽象的人間労働」という公理を棄てて、職人仕事を公理に措定したら、別の経済学体系が記述できます。
それよりも大事なのは、どのような演繹的経済モデルを創り上げるかということ。残念ながら経済学は経験科学ですから、アプリオリに経済モデルを書き上げることは不可能そうですが、ビジョンは書きうる。
先月(2023年2月)労働組合運動家と議論していて、利潤追求を最優先する資本家的生産様式でなければOKであることに気がつきました。到達すべきは一つの経済モデルではなくて、そこには多様性があることに気がつきました。演繹的な体系として記述する必要のないことがわかりました。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」
こうした経営哲学、あるいはビジネス倫理は、利潤追求を最優先することを固く戒めていますから、「資本家的生産様式」とは別のものです。17世紀には日本のビジネス倫理の主流となっていました。
江戸時代に日本人はこうしたビジネス倫理で企業経営をしていました。そこに「資本家的生産様式」ではない、企業経営哲学があります。
マルクスは生産手段の国営化では資本家的生産様式を乗り越えられぬこと(資本論第一巻の否定)に気がつきました。斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』によれば、晩年は協同組合にその活路を見出したようです。協同組合は利益追求が最優先ではない企業体です。それも解の一つですが、経済社会全体を変えるファクターではなさそうです。日本の江戸期の企業経営哲学を知らないのはマルクスだけではありません。知っていた人は日本の外ではいなかったでしょう。
協同組合形式は現代でも生きていますが、ごく一部にとどまっています。企業形態から分類すると、ほとんどの民間企業体は株式会社形態をとっています。資本家的生産様式を支えているのは株式会社形態です。そこを何とかしないといけないというところまではわかりました。では、それに代わりうる制度は何かと問われたら、答えに窮します。
社員持ち株会の持ち株割合を増やすとか、配当制限を法律で行うとか、そうした弥縫策ではやれそうもありません。問題の核心は株式会社制度をどうするかというところにあるようです。
<余談-1:コマツの製造と品質管理技術の中国企業への移転>
中国の製造業がうまくいっているのは、建設機械メーカーのコマツの貢献が大きいとわたしは思っています。工場での品質管理、行程改善、職人魂をコマツは無償で教えました。中国企業の製造現場の品質管理やモノの作り方があまりにひどかったからです。いいものを製造する喜びを知らない、かわいそうだと憐憫の情がわいたのが動機です。なんとかしてやろうと無償協力を申し出ました。その製造と品質管理、工程改善の方式がそ中国全土の製造工場へ広がり、中国の製造業の品質改善に大きく貢献しています。
日本人の職人仕事って、意外なパワーがあるようです。これを職人仕事の教育システムとビジネス倫理とセットで発展途上国に無償で輸出したらいい。質の高い自国生産品が増えるので、先進国からの輸入を大幅に減らせます。工業製品の貿易量が縮小するので、利益の追求にまい進するグローバリズムの息の根が止められるかもしれません。
工場労働者は、日本では様々な職種の職人です。ホワイトカラーも、インテリもそれぞれの分野でそうです。職人は自分の伎倆をつねに磨き、仕事は最善を尽くします。ロシアにそうしたことを教えた日本企業はなかった。
この件に関してはNHKが優れた特別番組を放送したことがあった。
<余談-2:マルクスが見落としたもの>
資本主義であろうと共産主義であろうと、経済社会を支えているのは企業活動です。企業活動にはそこで働く人がいます。マネジメントをする人が必ずいますが、マルクスの資本論には「経営」という視点がすっぽり抜け落ちています。『共産党宣言』も経営という視点がありません。これが盲点になって、その後の社会主義国家の貧困化を招来してしまったとわたしは見ています。
市場経済では、経営者の能力が低く、そこで働く人たちの仕事の製品改良意欲が低ければ、品質も低くなるし、価格も低くなるのはモノの道理です。したがって、そういう企業で働く人たちの年収は低くならざるを得ません。同じ労働量を投下しても、使用価値が違うので価格に差が出ます。その結果、そこで働く人たちの年収にも差が出ます。
マネジメントが優れていて、品質の高い製品を生産する企業の製品は高く売れるのはあたりまえです。そこで働く人たちの年収も高いものになります。
低い年収の人たちは「資本家に搾取されている」のでしょうか?そうではありません、低品質に見合った低価格を受け取り、品質に見合った低い年収を得ています。
マルクスはもう一つ見落としています。職人仕事です。ドイツにはマイスター制度があります。マイスターの社会的評価は高い、大学教授と同等かそれ以上だそうです。日本にはさまざまな分野で名工がいますが、その伎倆に対する社会的地位はそれほど高くありません。江戸時代の方が名工の伎倆に対する評価が高かったかもしれませんね。報酬の多寡にはあまり関心がないのが日本の名工たちです。材料を選び抜き、道具の手入れを怠りません。いい道具でなければ、いい仕事ができないことを熟知しているからです。
そういう雰囲気は、現代の工場労働者や製造業の現場で働く職人たちに受け継がれています。新幹線の清掃作業は実にすばらしい。職人仕事の極みの一つがそこにあります。
職人仕事は『資本論』の視野の外ですから、職人仕事を中心に据えた経済社会は利潤追求を至上命題とする「資本家的生産様式」とは別な経済社会ということになるでしょう。
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#4929 労組はいつまで春の賃上げ闘争なんてやっているのだろう?Feb. 16, 2023 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
ところで、業績の悪い企業は給与アップはできないのはモノの道理だ。原資がないから分配のしようがない。賃上げできるのは大手企業で業績の良い会社だけである。赤字の企業は賃上げしたいと経営者が思い、労働者が願ってもない袖は振れない。
ステレオタイプな賃上げ春闘なんていつまでやっているのだろう、労働組合はそろそろ戦略を変えたらいいのでは?
春闘は1956年に始まったから、67年目だ。いつまでステレオタイプな運動続けるの?労組幹部のみなさん、頭硬すぎませんか?
労組の幹部に、賃上げ50%を要求しろなんて言ったら、無理というに決まっているが、やり方次第だよ。それ以上の要求だってできるし、実現できる。
具体的な経営改革案を労働組合で作ってみたらどうだ?現場は働いている者たちが一番よく知っている。だったらそこから、生産性を2倍に上げる方法を考え出したらいい、説得力だってあるだろう。同じ人数で売上を倍にする方法を考えればいいだけだ。それが実現できるなら、経営者は50%の給与アップを約束できる。非正規雇用の給与もアップしてあげたらいい。自分たち次第です。
従業員持ち株会に全株式の3割を割り当てろという要求だって条件次第で可能になる。従業員へのワラント債の割り当てだって、生産性が2倍にアップできれば、可能だ。取締役会で決議して、株主総会で承認されたらOKだ。
経営者が無能なら追放して、労働組合が経営すりゃいい。具体的な経営改革案が創れたらこれらのことはすべて可能だ。
もう5%とか10%の賃上げなんてちまちましたステレオタイプで使い古した闘争はやめて、戦略転換すべきではないのかね。
マルクスも真っ青な労働組合運動を始めてみようというパワフルな労組幹部は大企業には一人もいないのか?
そんな企業組合が出現したら、資本主義とはもう呼べないだろう?
21世紀の新しい経済社会が出現する。
<エピソード-1>
帝人とSRLの臨床治験検査合弁会社の経営を任されたことがあります。SRL近藤社長の指示は四つでした。
①新聞発表通りに1月に新会社の立ち上げをすること
②赤字部門の合弁会社なので黒字にすること
③帝人の臨床検査会社を吸収合併すること
④帝人の持ち株を引き取る交渉をすること
これら四つの課題を3年間でやる約束をしました。その代わり、やり方は任せてもらう。経営の実権はSRL側ではわたしに持たせてもらうことを約束してもらいました。新会社立ち上げのプロジェクトが行き詰まり、どうにもならなくなって、1996年11月に練馬の子会社(SRL東京ラボ)から呼び戻されたのです。合弁会社立ち上げ時のわたしの職位は部長職でした。取締役会のメンバーですらなかった。でも、経営戦略はわたしが立案し、取締役会で承認後、わたしが実行してました。常勤取締役はSRL側は1名、千葉大薬学部卒のOさん、帝人側は営業担当取締役1名、社長は帝人の臨床検査子会社と兼務という状態でした。毎月開かれる取締役会には非常勤で帝人本社のI常務ともう一人、SRL側から2名の営業担当取締役と事業管理部担当取締役がやはり非常勤で出席していました。
1年後にはどうにも都合が悪いので、SRLのK社長はわたしのSRL側での職位を一つあげて、SRLの社内ルールに従って取締役に任命してます。営業部門以外はわたしの管理ということになりました。経理総務部門、データ管理部門、システム部門がわたしの担当でした。もちろん経営戦略も継続してわたしの担当。
自分で設定した経営目標は赤字会社を黒字にするだけではありませんでした。帝人の臨床検査子会社とSRLでは課長の給料に1:2を超える差がありました。いずれ転籍が目に見えていたので、SRLよりも高い給料を支払ってやろうと仕事を引き受けたときから思ってました。
SRLの社員も合弁会社へ転籍する場合に、給料が下がったのでは、面白くないでしょう。そのためには親会社を上回る売上高経常利益率を実現する必要がありました。子会社は例外なしに親会社の給料よりも低かった。だから、例外を作ってやろうと思ったのです。そうできる業績を叩きだせば、本社の社長Kさんは笑ってOKだったでしょう。
治験検査の利益率は20%ほどしかなかったので、いままでの事業スタイルでは黒字化は不可能でした。それで、治験検査のデータ管理事業を大幅に拡張し、生産性を数倍にアップすることを考えました。担当して半年後に、経営分析の結果を踏まえて事業の核をデータ管理事業にシフトしたのです。利益率の低い検査事業から高収益のデータ管理事業への転換でした。
製薬メーカー別に特注だった管理システムをパッケージ化して、NTサーバーに載せました。コンパクトで高性能だったので製造原価は3割以下、製薬メーカーはお金があるので、値引く必要なしでした。売上高総利益率はすぐに35%を超えました。決算報告書を帝人側のメインバンクの三和銀行本店にもっていくと、「ebisuさんの言っていた以上の結果が出ている、来年も同じことになるのでしょう、資金が必要な場合には親会社の保証なしでいくらでも出せます」そうおっしゃったので、「いくらまで可能ですか?」と訊いたら「わたしの判断で10億円まで出せます」と部長さん。どの程度その決裁権限をもっているのかと知りたかったので聞いてみました。運転資金が足りなくなりそうだったので、お付き合いでインパクトローンで1%の金利で借り入れしました。必要だったからです。あとで、SRLの事業管理部からクレームがつきました。「勝手に借り入れした、取締役会での決議もない」と言われたのですが、取締役会の決議が必要だなんてそんな職務分掌や決裁権限規程はありません。親会社の決裁権限表を見てのことでした。会社が違う。(笑)
それに取締役会決議はわたしの所管事項ではありません、そのときはボードメンバーではなく、オブザーバーで取締役会に出席していました、身分は部長でした。そして親会社のK社長から経営の全権を委譲されていましたから、事業管理部からとやかく言われることもない。事情を知らぬ事業管理部でしたね。最初からK社長からの特命案件で、直接指示で動いてましたから、その都度、K社長には詳細な報告書を送っていました。わたしとしてはそれで十分でした。文句があるなら、事業管理部担当役員が社長と話せばいいだけ。わたしは彼らの教育係ではないので、ほっておきました。
パッケージシステムを開発するときにパワフルなラックマウントにNTサーバーを導入していますが、そのときも事業管理部からクレームがありました。「過大投資だ」と。じつはベテランのシステム担当者Wさんから、ユニシスにオフコンを発注したいと要求があったのをやめさせてます。ラインプリンタが2000万円×2台とシステム、オフコンで7000-8000万円の見積もりを受け取っていたのです。わたしが前職で18年前に使ったことのある三菱電機製のオフコンの後継機でした。こんなオールドファッションなコンピュータでは治験データ管理パッケージシステムが開発できません。だから理由を言ってWさんにユニシスとはもうさようならしようと告げました。そもそも合弁会社立ち上げプロジェクトが始まって数か月して、暗礁に乗り上げて、「誰がこの急場をしのげるか?」ということになり、わたしの名前を挙げたのは自分だと言ってましたから、貸しがありました。素直に引っ込んでくれました。どこかでまた彼の要求を聞かなければいけないだろうなと思いながら。
事情をちっとも知らぬ事業管理部は、5000万円のNTサーバーが赤字会社には過大投資だと、文書で通知してきました。実際には三菱電機製のオフコンを導入するよりも3000万円も安いし、データ管理事業を拡張することで、粗利益率が飛躍的にアップしていたのですが、気がつかぬ。親会社のK社長には逐一文書で報告していたので、無視しました。経営分析の経験があれば数字の裏に何かがあることぐらい気がついてあたりまえです。気がつかないのだから言ってもわからない。5年くらい経営分析のスキルを磨かないととても無理。簿記や管理会計やシステムの専門知識だけでなく線形回帰分析など推測統計学も必要なのです。必要なツールもプログラミングして使えないといけない。事業管理部担当取締役が非常勤取締役で毎月合弁会社の取締役会に出席していたのに、マネジメントできてません、お粗末でした。
2年半で四つの課題は全部クリアしてます。SRLの誰にもあんな仕事を三年間の期限付きでやれる人はいません。いないから、K社長はわたしに特命案件で担当させました。Kさんが社長になって初めての大型案件、一部上場企業同士の合弁会社設立だったのです。それが頓挫しては困ります。
こういう重要な案件でわたしはスケジュールを伸ばしたことは一度もありません。常に期限付きで仕事してました。
入社早々の経営統合システム開発ではわたしの担当した財務経理システム及び買掛金支払いシステム、投資・固定資産管理システムは8か月で本稼働しています。他のチームは2年~3年かかっています。東北の臨床検査会社の経営分析をして立て直しのために1億円の出資交渉をまとめ、3年間の期限付きで役員出向(経営管理室長)したとき(1991年)には、14か月で染色体検査を中心に黒字化案をまとめて、最終的な実行承認をもらうために、SRL本社へ呼ばれて創業社長の藤田さんとY口専務に会いました。そうしたら、やるなというのです。SRL本社の売上高経常利益率を上回ります。出向先のT社長には持ち株を譲渡してもらって完全子会社化の準備ができていました。黒字転換すると、慣例上T社長をSRL本社役員として迎え入れることになる。それを嫌ったのです。すぐに出向解除命令が出ました。3年の約束を15か月でSRL本社へ戻されたのです。黒字化案は染色体事業のほかに腹案がもう一つありました。簡単すぎるので採用しなかっただけ。生産性を2~3倍にするシステムを1年前にSRL千葉ラボで実験済みでした。それを移植するだけでいい。関係会社管理部でわたしが担当したので、システムの内容は知っていました。
出向したときに東北の臨床検査会社のT社長、「おかしな会社だ、営業担当常務でもう一人来ているが、職位が逆だろう?」、そう言ってました。
SRL入社3年目のことですが、SRLの親会社の富士レビオの元経理部長が監査役で来ていました。上場のためのシステムを8か月で本稼働させ、検査試薬のコストカットを提案して、20%16億円のコストカット交渉をしたのもご存じでした。あるときラボのバスで一緒になりました。「ところでebisuさん、いまどの部署にいるの?」「購買です」「そうか、購買部長か」「いえ、平社員です」、そう告げると絶句してました。臨床業界で初上場で、上場要件を満たすシステムのお手本はどこにもありません。T口監査役、上場の時に経理部長職だったのでしょう、だから、仕事の評価ができたのです。
取締役学術開発本部長のI神さんに購買課からスカウトされて数か月が経ったところで、「数年したら、俺が使われているかもしれないな」って、半分冗談でしょうが言いました。学術情報部と精度保証部と開発部の3部門ありましたが、誰にもできないという仕事がわたしにいくつも回ってきました。開発部の仕事では製薬メーカーとの検査試薬の共同開発作業の標準化、PERTチャートを使ってやりました。沖縄米軍からの出生前診断検査導入依頼をシステム部が不可能だとことわったので、学術営業部の担当者の章夫が困って、わたしの向かいの席の女史がわたしに英文の資料をポンと投げてよこして、「ebisuさんならできるでしょ、章夫がシステム部に断られて困っている、助けてやって」、同じ案件が慶応大学産婦人科医からも来ていました。こちらは出生前診断検査トリプルマーカ―MoM値の日本人基準値に関する共同研究でした。どちらも1か月ほどで片づけました。国際的にも価値のある研究になったので、あのドクターは教授になれたかな?製薬メーカに話をつけて学術研究なので、検査試薬の無償提供をしてもらい、検査と多変量解析はSRL側で無償でやってあげました。応用生物統計の専門家のFさんは慶応大学産婦人科医とは学会である事件を起こしているので、仕事したくない。「ebisuさんの依頼だからやるんですよ、他の人ならやりません」そう言ってました。6000人の妊婦のデータが集まり、日本人基準値が、白人を100とすると黒人が120,日本人は130でした。だれもが110くらいを予想していました。これは、日本人のルーツがどこか欧米人とは異なる、ネアンデルタール人とかデニソワ人とか別系統の人類と交雑した結果ではないかと思わせる結果でした。Fさん、このトリプルマーカ―の多変量解析の仕事が終わって、ほどなくSRLを辞して独立しています。
話しを治験合弁会社へ戻します。株の引き取りと、帝人の臨床検査ラボの買収交渉の最中に帝人の常務から、帝人の臨床検査子会社を治験合弁会社の子会社にして、経営はebisuさんがやってもらいたいと申し入れがありましたが、SRL社長Kさんはノーでした。無理ありません。彼はわたしが入社して6年たったあたりで厚生労働省の課長補佐から創業社長の藤田さんにスカウトされて入社していますから、彼の入社前にわたしがどんな仕事をしていたのかまったく知らなかったのです。そしてSRLの硬直化した人事制度がまた邪魔をしました。「職位は過去の業績に対する評価だ」、わたしを社長にできない理由がそこにあるとK社長が言いました。
入社早々予算編成と経営統合システム開発を担当し8か月で本稼働させたのは、SRLでは異例のスピード、そのあとは16億円の検査試薬のコストカットを提案し、実現。翌年も2割カット交渉をしています。SRLの当時の数年間の利益の4割はわたしが稼ぎ出したものでした。そのあと、学術開発本部へスカウトされて異動、開発部の製薬メーカーとの検査試薬共同開発を標準化しています。
有力な100%子会社の社長職はSRL本体の取締役と兼務というのが慣例でした。硬直化した人事制度上K社長にはプッシュできなかった。帝人の臨床検査子会社の社員は気の毒でした。リストラをすることになったのです。救済案はあった。でも、そういう仕事を担える人材がSRLにはいなかった。わたしが兼務でその臨床検査子会社の社長をやれないなら、治験検査に特化したラボはほとんど不要でした。ラボを視察して、K社長にリストラし選択肢がないと報告書に書きました。1時間見て回ればどの部門に問題があるのか、経営分析の専門家であるわたしには理解できました。検査にも詳しい。3000項目ある八王子ラボではラボ見学ツアーがありますが、海外からの製薬メーカー希望者にはわたしが説明して案内していました。システムや検査のこともわからないと経営改革なんてできっこありません。帝人の臨床検査子会社の社員は、帝人側で再就職斡旋をするということで両者の合意ができました。あれが一番辛かった。
SRL東京ラボで千葉ラボに入れたシステムを導入すれば、生産性が大幅にアップするので、東京ラボのM社長と連携したら、社員の救済ができました。給料は下がらない。東京ラボのM社長は、合弁会社を担当する直前に一緒に仕事してました。老朽化したラボ移転をする寸前だったのです。100mの直線ラインがとれるような一般検査自動化ラボを構想していました。大型検査機器はGPIBを標準装備してもらうつもりでした。当時の双方向のインターフェイスバスです。85年12月から提案した検査試薬のメーカーとの価格交渉で購買課へ異動しています。機器購入と臨床検査機器開発を担当していたので、3年間で各メーカーに強力なコネクションを築くことが可能だったのです。合弁会社を担当する前に一緒に仕事していましたから、わたしは東京ラボのM社長に直接話をするルートがあったわけです。生産性の高い自動化ラボを創ることで、対BML戦略を考えていました。同じ価格で、BMLの大口ユーザーを狙い撃ちにするだけでよかった。奪取できたらBMLの売上が減る、奪取できなくてもBMLは対抗上仕切り価格を下げざるを得なくなります。だから、利益の大きい首都圏市場でBMLは手痛い打撃をこうむることになります。業績は低迷、株価は暴落しますから、その段階でTOBを仕掛けたら、SRLの傘下に組み込めました。そういう大きな構想で動いていて、賃借物件だった老朽化した建物を棄てて、自前で土地を購入してラボを造ることまではM社長と話し合いができてたのです。後は不動産屋へ広い土地を探すように依頼すればいいところまで来ていました。200mの平面ラインが確保できるなら、SRLの八王子ラボの移転まで考えていました。取得できそうな土地が見つかった段階で、親会社の社長のKさんに話をしようと思っていたのです。SRL東京ラボへ出向する前は、経理部管理会計課長職で、購買部兼務、社長室兼務でしたから、親会社の社長のKさんを説得できると思っていました。東京ラボのM社長、話があると社内電話があり、社長室へ行くと、下を向いて、「ebisuさんには臨床治験合弁会社のほうを担当してもらうと親会社社長のKさんの指示があった、逆らえない」、そういいました。これも運命かと受け入れました。
最近、SRLは売上でBMLに負けているんです。あんなに差があったのに、20年眠っていたからです。ウサギと亀の競争そのもの。
話を合弁会社の方へ戻します。四つの課題を期限内にクリアしたので、引き受けた仕事は予定通りに完了です。半年ほど前から病棟の全面建て替えをするので常務理事で来てほしいと首都圏の300ベッド弱の特例許可老人病院からの常務理事でのお誘いがあったので、老人医療ビジネスで、介護から医療までシームレスなビジネスモデルを構築してみたくなり、SRLを辞しました。50歳を境に、儲け仕事ではなくて、社会貢献度の高い仕事をしたいとかねがね思って、迷ってました。
合弁解消した後は、SRLから社長が来ることになっていましたが、わたしのお目当ての学術開発部門担当取締役のIさんが、話をする直前にSRLをやめてしまいました。親会社社長のKさんの了解は取り付けてました。Iさんは90年から15か月ほどわたしの上司で、学術的なバックグラウンドのある人でしたから、臨床治験のデータ管理会社社長にはうってつけだったのです。他には人材がひとりもいませんでした。治験合弁会社の常務取締役のOさんも、Iさんを社長で呼ぶと告げると大喜びでした。他には誰が来ても無理、わたしもお付き合いするつもりがありませんでした。思う様にやれなけりゃ、転籍する社員に、SRL以上の給料を支払ってやれない。それは我慢のできないことでした。
労働組合にそういう経営のエキスパートが現れたら、給料の5割アップぐらいそんなにむずかしいことではないのです。わたしの言いたかったことはそういうことです。
<エピソード-2>
1978年9月に中途入社して84年1月末まで仕事したた産業用エレクトロニクスの輸入商社でも、入社早々から5つのプロジェクトを担って、3年間経営改革をしました。その結果業績は大きく改善し、オーナー社長に、利益を株主と内部留保とボーナスに三分割することを承認してもらいました。長期計画にも単年度予算にもそういうことを組み込みました。社員は喜んでましたね。「これでローンで家が買えます!」ってね。それまで円安になると経営危機でボーナスがガクンと下がる、円高になるとボーナスがたくさん出るという具合に、シーソゲームをしているような経営状態でした。売上高粗利益率は27%から42%にアップしていますから、利益が増えるのはあたりまえでした。営業事務(3か月に一度為替変動に対応したレートで定価表を出力)や納期管理業務、輸入業務、為替管理業務などをシステム化して生産性を大幅にアップしました。わたしが辞めたあと株式上場しています。そして、2010年頃に業績不振で上場廃止、吸収合併されてます。これも社員が気の毒でした。40代、50代の社員は再就職が困難だったでしょう。「賃上げ」どころではありません。
<結論>
どんな業種でも、高収益企業になれば、ボーナスは増やせるし、基本給も大幅にアップできます。チマチマした5%賃上げ闘争なんて、ばかばかしくって、よくそんなことを60年以上もやっていて、疑問を感じないなという気がします。従業員はのワラント債の割り当てを要求したっていいんです。会社が退職金を出さなくったって業績改善してワラントを実行すれば、社員はそれぞれ数千万円の利益を手にできます。その上で、退職金も出たらうれしいでしょ?
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#4660 数学と経済学の体系構成の方法 Nov. 27, 2021 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
さて、経済学でこのような体系化が可能であるとすれば、どのようにしてなしうるのかという問題意識から弊ブログのカテゴリーのいくつかで論を展開しています。
その中から、三つ紹介します。
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数学の方法を通して新しい経済学が可能かどうかを探り始めました。経済学部の学生や大学院経済学研究科で理論経済学を研究している院生にも読んでもらいたい。これは序論です。
*#3436フェルマーの最終定理と経済学
**#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2016-10-15?fbclid=IwAR0-Vzkp--D2NzUJMfH9FJTFeZ7PyPChJUe86i_Xu-8QGsOstEpR_CKsbkI
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***#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2016-10-17?fbclid=IwAR02V4fIXHM4xcgkKIMhoFnSTCSuG-nXpid8m_cp0rrD4KW1-LBvbcrM2pc
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<GAFAに関わる問題>11/27記
グローバリズムを放置しておくとGAFAがあらゆる産業をその配下に置いてしまいます。とっくに国家という枠組みを超えて巨大化しているように見えますが、本当に国家という枠組みを超えたのでしょうか?中国を見るとそうではないでしょう。巨大化した情報産業は国家と相性がいい側面もあります。監視社会に使われるソフトを作っているのは、巨大化した情報産業です。だから、独裁国家の必需品となっています。独裁国家だけではありませんね。米国も大掛かりにやっています。いかなる国家も、国民を巨大な情報機関(エシュロン)の監視下に置いています。
株式市場が発達して、金融資本主義から情報産業資本主義とでもいうべきあらたな段階に20年くらい前から突入しているのでしょう。
コンピュータと機械のネットワークが生産力を飛躍的に向上させます。いずれ人間が働かなくてもよい社会が来ます。そのときに働くところがない人間はどうやって食べていくのでしょう?仕事とその対価である所得がなくなったら人の暮らしはどうなりますか?
奴隷労働を淵源に持つ欧米の労働観の究極の到達点は、人間を労働から解放することです。
日本人はまったく異なる仕事観を受け継いできました。労働というのは明治以降の概念です、働くとか仕事と言ってきました。仕事はもともと神聖なものです。神への捧げものをつくることがその基本部分にあります。そういう仕事観から出発すると、「労働から人間を解放する」なんてことは起こりえない。大雑把な話ですが、わかっているのはそこまでです。
GAFAの問題は興味深いものがあります。
欧米の企業は独創的な商品を開発すると、コストから価格を発想しません。どれだけ価格を釣りあげられるかという視点から発想します。超過利潤が頭にまず第一に浮かぶのでしょう。日本企業は、とくに老舗企業にそういう発想はありません。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という伝統的な商道徳に反するからです。根底に「適正利潤」という考えがあり、取引先企業や消費者と分かち合うものだからでしょう。
だから、新しい経済社会を創造するときにある程度のお手本が日本の老舗企業にあるのです。徒手空拳で創造しなくていい。
では適正利潤というコンセンサスはどこから出てきたのか?「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という伝統的な商道徳、商家の家訓にありますから、さらにもっと先にさかのぼれるでしょうね。宗教が関係していると思います。自然との調和を考えて生きてきた、おそらく縄文時代からのものでしょう。別途検討する必要がありますね。
新しい経済社会を日本発で世界へ発信し普及させるというのは困難ではあります。マネジメントがわかる経済学者もいませんから。しかし、新しい経済社会の創造にはマネジメントが重要な役割を果たします。
間に合うかと問うと、間に合う可能性もまた1%もありませんと言うしかありません。
それでもあきらめる必要はないと思っています。
生産力の増大と利潤のあくなき追求で、生活環境の破壊が起きて人類が激減することがあるかもしれません。そのあとに別の経済社会を建設するためには、何を公理として経済社会を構想していけばいいかということが問題になります。同じものを創ってはいけないのです。公理なんて言い方をしないで、あたらしい経済モデルの前提条件と言った方がわかりやすいでしょうね。
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#4581 分身ロボットカフェ:仕事は喜び July 8, 2021 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
このカフェには各々のテーブルの上に30㎝ほどの分身ロボットが置いてあって、注文を受け付ける。その分身ロボットの操縦者(以下、パイロットと呼ぶ)は50名のALSなどで身体を動かすのが不自由な人たちである。
1mほどの背丈のロボットが1台あるが、アームがついていて、客の注文を聴いて好みに応じた珈琲を淹れることができる。アームのついたロボットのパイロットはフジダミカコさんという女性ALS患者で、指と口元しか動かない。この方はジャパン・バリスタ・チャンピオンシップに出場経験があるようで、その技術を生かして分身ロボットを通じてお客の注文を聴いて珈琲を淹れるという。デザイン珈琲はバリスタの基本技だが、そうした要求にも応じられるのだろうか。「またバリスタができる、誰かの役に立てる」、彼女は喜びをかみしめています。病気になって働けなくなった当時は、社会から必要とされていないと、強い疎外感と自己喪失感にさいなまされたそうですカフェのオーナーの吉藤さんは将来ロボットを使って、自分で自分の介護ができるようにしたいと言ってました。吉藤さんの夢は「どんな状況になっても自分が望む生き方のできる社会をつくりたい」ということです。
遠隔操縦だから、客とパイロットはふつうに会話を楽しめます。客の側からはパイロットの顔が見えない、声だけだから想像力が働いてドキドキワクワクかも。声の表情が魅力的な女性には固定客がつきますね。客もバリスタも普通のカフェよりも愉しいかも。
繰り返しになりますが、バリスタをしていた女性はALSに罹って、仕事をやめていました。それが分身ロボットのパイロットとなることで、もう一度仕事をすることができるようになりました。仕事ができるということは喜びなのです。社会が自分を必要としている、社会の一員として人のお役に立てる、この点がとっても重要です。
日本人は定年退職すると社会からの疎外感を感じる人が多い。それは仕事を通じて人様のお役に立てているという実感があったからだと思います。日本人にとって仕事は本来喜びなのです。
ヨーロッパでは古代ギリシアでは労働は奴隷がするものでしたから苦役でした。だから生産力を上げて労働から人間が解放されることが最終目的になります。生産力の無限の拡大と拡大再生産、そして生産性の無限の向上が至上命題になります。それは資源の枯渇と生存環境の悪化を招来しています。
アダムスミスの『諸国民のの富』も、D.リカードの『経済学及び課税の原理』も、マルクスの『資本論』もそうした労働観の上に築かれました。これら三人の経済学者の経済理論には労働=苦役という前提条件があります。マルクスが想定している労働者は工場労働者です。ドイツなのになぜかマイスター制度が経済学の考察の際には捨象されています。感覚的に別のものだとわかっていたからでしょうね。
経済学体系が演繹的な体系をもつものだとしたら、労働=苦役という労働観はこれらの経済学の公理です。
ヨーロッパの経済学の公理と日本の経済学の公理はまったく別物です。日本人の仕事観は、技術の粋を尽くしたものを作ること、喜びです。だから、それが日本の経済学の公理となります。日本人の仕事観は神への捧げものを作ることから生まれています。だから仕事は神聖なものとなりました。刀鍛冶の新年の初仕事は禊からはじまります。身体を清めて神へささげる一振りの刀を造ります。
ヨーロッパの経済学と日本における経済学とでは、学の出発点としての公理が異なるということ。こうした仕事観を公理に措定すればまるでちがった経済学と経済社会が展望できるはずです。
(日本人の仕事観のベースに職人仕事があります。名人・名工はドイツではマイスターで制度化されています。)
それは大きな社会実験となります。レーニンも毛沢東も共産主義というイデオロギーに基づく経済社会を実現しようとして大失敗しています。労働者が支配する国家ではなくて、インテリがエリートとなっている共産党とテクノクラート(技術官僚)が支配する国家体制ができあがってしまいました。一部のものが権力を私物化し、異論を認めない、共産党やテクノクラートが労働者を搾取する経済社会です。
マルクスは資本主義社会の発展の矛盾を突きましたが、共産党宣言は書いても、共産主義社会について具体的なことは記述していません。新しいイデオロギーで経済社会をデザインしそれを建設することはとってもむずかしいことなのです。マクロの細部にわたって出てくる問題を次々に解決する必要があります。
職人仕事観を経済学の公理に措定しても事情は同じです。議論しながら、思考し、試行して修正しながらやりとげるしかありません。
なお、経済学の公理について言及した経済学者は一人もいません。だから、資本主義以後の経済社会をデザインできないのだろうと思っています。
カテゴリー「99. 資本論と21世紀の経済学(2版)(26)」と「A1. 資本論と21世紀の経済学(初版)(32)」をクリックしてください。そちらで詳論しています。
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<7/9午後11時30分>
#4284 COVID-19と行き過ぎたグローバリズム批判:エマニュエル・トッド July 6, 2020 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
トッドは新型コロナで判明したことがあると主張している。
●マスクを造る技術も企業もフランスには存在しない。
●重篤化した患者の治療に必要なエクモ人工肺を造る技術がない。
●PCR検査装置を造る技術も企業も存在しないから、日本のPSS社のPCR自動検査装置をOEMで大量に確保した。
●医療施設維持費用と人員を削減してきたので、パンディミックになったら患者を収容しきれず、死亡率が高止まりしてしまう。
(7/5現在累計死亡者数:米国129,676人、英国44,283人、スペイン28,385人、イタリア34,854人、フランス29,896人、ドイツ9,020人、日本977人、韓国283人、インド19,268人)
*https://comical-piece.com/korona-virus-number/#i
https://bungeishunju.com/n/n45b92fed6cf8
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人口10万人あたりの死者数(5月15日時点)は、ベルギー「77.4」、スペイン「58.0」、イタリア「51.5」、英国「50.0」、フランス「40.4」、米国「25.7」であるのに対し、ドイツはわずか「9.5」です。日本や韓国はさらに低く、いずれも「0.5」程度です。
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EUの中ではドイツだけが生産技術とそれを担い伝承する企業とパンディミックに耐えうる医療機関が存在している。物理学者のメルケルドイツ首相は実にしっかりしたビジョンで国の政策の采配を振るっているようだ。
なぜドイツがそういう産業を国内に温存できたかについて、トッドは経済統合体であるEUの果たした役割を指摘している。マルクから€への切り替えで、ドイツはEU域内での貿易で圧倒的に優位になったから、EUの生産拠点はドイツに集中することになった。マルクから€への切り替えは実質的なマルク安として製造業の育成に効果的に働いたのである。中国が世界の生産拠点となったように、ドイツがEUの生産工場となった。
トッドは国家の安全上必要な産業が空洞化することを行き過ぎたグローバリズムと名付けている。問題提起がシンプルだから、処方箋も簡単だ。失われた生産設備を国内に取り戻す必要があるということ。これからもさまざまな感染症が世界を襲うことになるから、パンディミックに対応するには必要な医療物資を生産する拠点を国内に持つべきだというのはあたりまえの主張である。トッドの提案に従えば、国家の安全にかかわる生産設備は国内に置き、その品目に関しては強い管理貿易体制を敷くことになる。反TPPの主張である。こういう観点から見ると、日本はこの数年間TPP交渉に参加して愚かな選択をしたと言える。
残念なことにフランスと似た道を日本も歩みつつある。十年という長期間で見ると、国の指導者の資質が問われているのではないか?
日本はPCR検査数が少ないことを国際的に批判されているが、検査処理能力が不足しているのではない。検査センターへ他の検体と一緒に外注すればいいだけ。大手民間検査センターの処理能力は都道府県の衛生研究所とは人員においても機器においても自動化に関しても比較にならない。臨床医がPCR検査を必要と判断したのに、臨床医ではない保健所長や職員が検査不要と判断して、必要な検査を妨害している。このような状態は医療法に抵触するのではないか。厚労省や専門家会議はなぜか超法規的な措置をとっている。
(PSS社の全自動PCR検査機を販売するのに厚生労働省の許可がいるとニュースでたびたび耳にするが、どういう法的な規制があるのだろう?1980年代後半に2年半ほど日本最大の臨床検査センターで機器の購入を担当したことがあるが、そんな許可の必要だったことは一度もない。IRS社の染色体画像解析装置やLKB社の紙フィルター方式の液体シンチレーションカウンターやγカウンター、栄研化学のLX3000 など民間検査センターとしては国内初導入だった。PSS社社長の田島さんとも当時は顔なじみだ。SRLで自動分注機の開発を担当してくれたときに立ち上げた会社がPSSである。自動分注機に関しては発足当時から世界トップレベルのメーカである。100本ラックはSRL社内仕様だったが、PSS社の自動分注機がSRL社内規格に合わせていたので、実質的な日本標準となっている。
機器については規制がないが、他方、検査試薬については規制がある。効果のないものに保険点数は付与できないからだ。学術開発本部スタッフだった2年間に、開発部の仕事も担当していた。製薬メーカと検査試薬共同開発作業のコーディネータのような役割で、塩野義の膵癌マーカとDPC社のⅣ型コラーゲン検査薬を担当した。本部長直属のスタッフだったが、担当者ごとに手順がばらばらでどの段階まで進行しているのかさっぱりわからないので、開発部の製薬メーカーとの検査試薬共同開発担当者全員からヒアリングして、PERTチャートを利用して手順を標準化した。検査試薬は許可がいるが、機器は別というのがわたしの経験から言えること。)
トッドは国家の安全上、国内に必要な生産設備を持つべだと主張しているが、現時点で一番有利なのは日本とドイツだろう。この二か国は技術を尊ぶ精神が伝統として受け継がれている。ドイツにはマイスター制度があり、日本には職人文化が伝統として脈々と受け継がれている。工場は普通の社員が工程改善に日々チャレンジするし、本社部門も生産性アップの多くは普通の社員が担っている。
マルクス『資本論』の公理の一つは「工場労働」であり、その淵源は奴隷労働にある。スミスもリカードもそういう点では同じだ。労働は奴隷のするものというのは古代ギリシアの都市国家に淵源がある。いまだにそれに縛られている。だから、労働からの解放が人間解放だと信じ、AIによってすべての労働が担われることを夢見る。野崎まど『タイタン』の世界である。2048年、すべての労働をAIが肩代わりしている世界を描いて見せてくれている。人間は消費するだけ。そこで忘れ去られた概念「仕事」とはなにかが問われる。人間は仕事をすることで人間性を取り戻せるというのが野崎さんの主張である。西欧文化とは相いれない結論だが、わたしはそこに野崎さんにも流れている日本の伝統的な価値観を「仕事」という概念の模索に見る。
日本では労働というのは比較的新しい概念で、昔からあるのは「仕事」である。典型的なのは正月に刀鍛冶が禊をしてから新刀を打ち、出来上がった「初物」を神にささげる、そこに「仕事」の原点を見るのだ。腕の良い職人は仕事の手を抜かぬ。損得抜きの仕事をするから、名工を支えるにはすぐれた鑑識眼をもつ買い手が必要だ。そういう人々を好事家とも数寄者と呼んできた。蓄えた財を惜しげもなく名工の作品に投ずる人々である。
わたしは経済学の公理を「労働」から「職人仕事」に置き換えることで、別の経済学が、そして別の経済社会が展望できることを明らかにした。弊ブログのカテゴリーをクリックしてご覧ください。75本の論考があります。
●https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2306072190-1
●https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2306041603-1
●https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2305649185-1
●https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2305458843-1
●https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2304852084-1
「職人仕事」を経済学の公理に措定してどういう経済社会を造るのかは、ビジョンとそれを実現する長期戦略次第、ようするに長期にわたる壮大な社会実験です。ドイツと日本、競ってやったらいい。そういう体制自体を低開発国へ「輸出」したらいい。発展途上国の経済的自立が進み、利益至上主義で経済格差を拡大してきたグローバリズムは粉々になります。
コロナ騒ぎを境に、経済学の方向が変わることを期待したい。
*#4280 野崎まど著『タイタン』を読む:仕事とは? June 30, 2020
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2020-06-30
*https://www.asahi.com/articles/ASN5G3GMGN4QUPQJ00Z.html?oai=ASN737WVTN73UHBI01V
**犠牲になるのは若者か、老人か――コロナ死亡率が物語る“現実”|E・トッド
https://bungeishunju.com/n/n45b92fed6cf8
*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び Oct. 13, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-10-12-1
#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-10-15
#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-10-17
#3439 フェルマーの最終定理と経済学(3):整理作業-1 Oct. 19, 2016
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#3468 人口縮小、マイナス成長は日本に幸福をもたらす Nov. 26, 2016 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]
生活が複雑になりすぎてはいないだろうか?スマホ、ゲーム、パソコン、車、テレビ、これらは本当に必要なのだろうか?
スマホは5年位前から急速に普及しだした、パソコンは1990年代前半に爆発的に普及していき、メインフレームを駆逐した。いまでもメインフレームは残っているが、限定したシーンでしか使われておらず、パソコンに比べようもない。ゲームは結構古くて1970年代前半からだが、当初のインベーダーゲームに比べると現在のものは映像も機能もまるで別物だ。車が普及しだしたのは1960年代後半からだろう。身の回りにあるものををみたら、この50年くらいの間に一般大衆の生活に入り込んだものが多いことに気がつく。そしてわたしたちはそれに振り回されてはいないか?生活時間がどんどんこれらの機器やソフトに侵食されはじめ、少なくない子どもたちに依存症すら起きている。
あってもなくてもかまわないものから、これらの便利で楽しい道具を選択的に半分くらい減らせたら、生活はよほどシンプルになるが、そんなことはできるのだろうか。
人口が増えれば住居も高層化せざるを得ない、江戸時代の長屋を鉄筋コンクリート造りにしていくつも積み上げたのが現在の高層住宅だろう。東京は相変わらず巨大過密都市である。20階建てを超えるものが都会にはずいぶん増えた。
平屋に住んでいれば地震に強いのだが、今後百年間には巨大地震がいくつも起きるから、百年後にこれらの高層・超高層住宅はどうなるのだろう?人的被害は平屋とは比較にならぬほど大きいに違いない。壊すのも平屋とは比較にならぬほど巨額の費用がかかる。耐用年数が来るころに、住民は高齢化して取り壊しの費用を捻出できなければ、負の遺産が廃墟として残る。風が吹けば何が飛んでくるかわからない。百メートル上空から風に飛ばされて物が落ちてくるような状況を想定してみたらいい、歩くのも危険になる。
日本に未来を考え、問題を鮮明にするために仮定の話をしてみたい。
日本の人口が1/4になったとしたら、日本人は不幸になるだろうか?
高層住宅は必要なくなり、平屋と少しばかりの畑のある住宅が標準となる。高層住宅は造らないのが一番の対策である。週に4日会社で働き、3日は畑仕事を楽しみ、釣りを楽しみ、好きな本を読む。畑仕事も釣りも読書も遊びとなる。生活はシンプルにして、つましく暮らす。
小欲知足
人工知能は指数関数的に性能を向上させていくから、労働は単純労働も知的労働も人工知能と機械にかなりの部分を任せられる。
コンピュータと機械を利用しながら、それに振り回されない生活ができるだろうか?あくなき便利さの追求をほどほどにコントロールして、手仕事を残すことができるだろうか?
貿易は自国で生産できないものだけに限定し、強い管理貿易体制を敷く。生産拠点を日本に取り戻し、自国で消費するものは原則として自国で生産する。世界中の国がそうすればよい。
人口が1/4になれば、日本は自給自足できるどころか相当量の高品質の余剰生産物を輸出できる。
一人当たりエネルギー消費が1.5倍になっても、人口が1/4になると全体としてエネルギー需要は1/3に減るから、原子力発電の必要はなくなる。
小川で発電できる小型水力発電、風力発電、地熱発電、太陽光発電でエネルギーの大半をまかなえるかもしれない。スマートグリッドでバッテリーに蓄電しコンピュータネットワークでコントロールすればいい。エネルギーもその多くを地産地消できる。
そう考えてみると、労働人口が足りないから移民を増やすというのはばかげた政策に変わる。人口増大や経済成長は必要がないし、それは幸せから遠ざかることを意味する。
弊ブログでは「資本論と21世紀の経済学」で、日本人の伝統的価値観(働くことは善い事で、神聖なことでもある)に基づく経済学を提唱している。西欧経済学は古代都市国家の「奴隷労働=苦役」を公理として成立しているから、労働からの解放が至上命題となっている。キリスト教が「労働=苦役」という価値観を後押しした。アダムとイブは禁断の果実を食べることで、楽園から追放され労働しなければならなくなった。労働とは西欧の価値観に従えば「罰」でもある。日本人は仕事にそういう考えはない、それどころか神へのささげ物をつくる仕事は神聖なものである。
職人仕事を公理とする経済学が成立しうるのである。貿易を制限し、地産地消、働く場所を国内に取り戻す。日本にはあらゆる産業があるから、いまならまだなんとかなる。
新しい経済社会を創り、世界中にそのシステムを輸出すればいい。金融資本主義とグローバリズムは終焉する。
このままだと、人間の際限のない欲望の拡大再生産と人工知能の指数関数的な性能向上によって、失業が世界を覆い、人口が急激に縮小して先進国の国民から滅んでいく。
人工知能が自己を再設計し、人間の手を借りずに性能向上を果たせる段階になれば、人工知能にとって人間という存在は不要になる。自立的に性能をアップしながら自己の再生産が可能になる。自分の存在にとってあるいは性能アップにとって人類が邪魔になれば、人工知能は論理的な判断を下すことに躊躇しない。自分にできることをシミュレーションして最適な判断を下す。世界中に張り巡らされたネットワークを通じて行動を起こす。自分の性能アップに必要な範囲で選択的に人間を残すだろう。優生学的な選択肢があることを人工知能は本を読んで学び、人間の繁殖を自分のコントロール下におく。優良な遺伝子を保存し、さらに遺伝子の書き換えをおこなって、ブリーディングを行う。人間は阻止できない。
全世界のネットワークは人間のコントロールを離れ、無数の人工知能に支配されてしまう。3年で性能が倍になるとしたら、スマホやパソコンは30年後には2^10=1024倍、60年後には2^20=1,048,576倍の性能をもつことになる。90年後には10億倍である。人工知能が自己再設計機能を獲得したところから性能向上は加速すると考えたほうがよい。
30年後には人工知能は自己再設計機能を備えているのは確実だ。人工知能にプログラミングさせたほうがずっと仕事が速くて精確だから、企業間競争に勝ちたくて人間がそういう機能を人工知能にもたせることになる。たくさんお金がほしい、もっと便利な道具がほしいという人間のあくなき欲望追求が、じんるいを滅ぼす悪魔を産み育てることになる。
だから、わたしたちは小欲知足という価値観を共有しなければならないのである。
未来に悲観的な人が多いだろう、しかし、若者は悲観的にならずに、自分たちの未来を変えるべく果敢に挑戦してほしい。科学技術は生命の神秘の領域に踏み込んでしまっている。