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#4775 経理担当者が採用できない!:地元企業の悩み June 30, 2022 [89.根室の過去・現在・未来]

 根室の地元企業は高齢化が進み、世代交代しつつあるが、経理担当者が補充できなくて困っている企業が増えているそうだ。
 団塊世代のわたしは73歳だが、地元造り酒屋の「北の勝」碓氷商店で長年仕事していたYさん(根室高校同級生)が3月末で退職した。商店主である碓氷美奈子さんの下でマネジメントしていた。そういう呼称はないが「北の勝」の番頭さんと言っていいだろう。実直で辛口、「店主ならこう考える」とその経営哲学をしっかりつけ継いで仕事していた。そのうちに仕事で遭遇したさまざまなことをブログでアップするかもしれない。Yは関係者が存命で差支えがあることはなかなか書けないなとつぶやいていた。いくつか聞いたが、どの話も35年間根室を留守にしていたわたしには驚き桃の木山椒の木だった。
 その碓氷商店は十年ほど前に経理担当者が世代交代している、2007年に入社したK君はあれから15年もたったので30代半ばだ。前任者のSさんが病気で入院し、退院した後、毎日数時間仕事に来ていたが、しばらくして亡くなった。そのSさんは中学時代の親友の一人「ヨシアキ」のお兄さん。碓氷商店当主の美奈子さんは人を大事にする。Sさんが治療を終えて退院した(2007年頃のこと)後、「自分の身体の様子に合わせて数時間でいいから仕事したら?時間と来る曜日は任せるから、その方が健康の維持によいでしょ」と言ったそうだ。同期のYが2012年頃メラノーマを発症し、浮かぬ声で「トシと(癌)仲間になっちゃった」と電話してきたときにはメラノーマは悪性の進行性癌のこと多いので、急逝することを心配した。彼は盗難の嫁さんが看護師さんで、患部を見て悪いものかもしれないからと釧路の病院を勧めてくれたという。北大の医者が来ていて、すぐに札幌北大病院での再診察が決まり、手術の後インターフェロン治療が始まった。退院後に3か月に一度札幌の北大病院まで入院治療に行っていたが、リンパ節を経由して肺に転移した。ついていることにオプジーボの保険収載が決まり、その治療を受けられることになり、肺癌もかろうじて制圧できた。碓氷商店当主は彼にも、「仕事できる間は数時間でいいから仕事したら?」と言ったそうだ。術後十年くらい毎日数時間仕事していた。その間に次の世代のK君に、店主の仕事に対する考え方や自分の経験を伝えたようだ。引継ぎとしては十分な期間だった。こうしてバトンを次の世代に渡す役割をわたしたちの世代は次々に現役を終えていく。
 根室で73歳まで雇用を保障してくれる企業は、オーナーと血縁関係がない限りほとんどないだろう。「北の勝」碓氷勝三郎商店は創業150年くらいになるかもしれない、根室の老舗で優良企業の筆頭と言ってよい。戦時中まで国後島に蟹罐詰製造のレンガ造りの立派な工場をもっていた。いまもロシアがその工場を使っているそうだ。戦後も昭和30年代の終わりまでは根室は蟹罐詰の全盛期で景気がよかった。40年代は蟹の資源が枯渇し、罐詰は徐々につくれなくなっていった。ロシア領での密猟の蟹が100億円前後で回っていただろう。それが根室の景気を支えていた。関節一本の長さが30㎝もあるような大きいタラバガニがたくさん獲れた。船外機を3機もつけた「特攻船」でロシア海域で漁していた。虚飾が混ざっているのだろうが当時は「一網3000万円」なんて噂もあったようだ。蟹の密漁は海に落ちている宝を拾い集めてくるようなものだった。そんな根室には長期的な視野で何かを成し遂げるという発想が生まれにくかった。水産資源が豊富だったので、目先の利益に追われるのが習慣となり、根室の経済の性格を形作ってしまった。それが今になって大きな瑕(きず)になっている。根室市政は藤原市長が145億円まで予算規模を小さくしたのに、ふるさと納税制度の後押しを受けて、放漫財政になっている。いまでは200億円を超える予算を組むのがあたりまえ。藤原市長のときには人口は33000人、いまは石垣市長だた人口は25000人を切った。人口が5万人に近い時にできた市庁舎の建て替えが始まったが、建坪は1.5倍。耐用年数が半分の25年を経過するころには人口は1.5万人を割る。以下にバカげた建て替えで、智慧がないか数字を並べてみただけでわかろうというもの。根室市政は市長が交替しても、合理的な思考をすることがなくなった。幹部職員も問題があるのだろう。大きな視野や長期的なスパンで物事を考えられる人材が稀だということ。若い人たちが頑張ってもらいたい。明日は君らが根室を担うのだから、先輩諸氏の悪いところは引き継がないでもらいたい。

 根室の地元企業が首都圏の優良会社と肩を並べるのはそんなに難しいことではない。当たり前のことを当たり前にやるだけでいい。株式の上場審査はそうした普通のことをちゃんとやれる体制になっているかどうかを審査するだけのこと。特別なものは何もいらない、企業として筆四最低限のことばかりが上場準備リストに並んでいる。
 退職金規程をつくり、社員に退職金がいくらになるのか通知している会社も根室にはないだろう。わたしが16年間勤務した臨床検査会社SRLは毎年4月になると退職金の額がいくらになるのか文書で通知していた。転職の際にももちろん同じ金額が支払われる。こういうことが安心につながり、優秀な社員の定着率も上げる。処遇が悪ければ、優秀な社員から転職していく。(東京証券取引所Ⅰ部上場してからは20人の募集に1万人を超える応募があったことがあった。)
 友人のYは高校を卒業してすぐに勤めた会社を3年間で見切りをつけて転職した。ボーナスをためて半年間失業しても大丈夫なように準備してから辞職している。たまたま、同じクラスのS田が「碓氷さんで人募集している」と緑町の商店街を散歩していた時に教えてくれた。それで飛び込んだ。絶妙のタイミングだった。前の会社をあの時に辞めなかったら、碓氷さんへの就職はなかったと語った。ピンポイントでゲットした、転職にはそういうケースがままある。

 予算制度があり、売上が予算額を超えた場合にはボーナスも予算よりも増額される。そういう仕組みがあり、予算と決算が社員に公表されていれば、オープンで透明性の高い経営となり、若い人たちが集まる。
 根室の企業はそういう制度改革を怠ってきたから、人材確保に困るのは当然だろう。いまからでも制度改革と経営改革をして、若い人たちが東京や札幌並みの給料や退職金が保障され、安心して働ける会社にしたらいい。

 生産年齢人口がどれくらい急激に減少しつつあるのか#4156で言及したので、その一部を貼り付けておく。
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<生産年齢人口縮小>
  生産年齢人口が毎年1.358%減少しているので、人手不足の時代が来てしまっている、全国平均値で見ても2040年には2015年をベースにすると29%(8174万人-5807万人=2367万人)も生産年齢人口が減少する。根室は人口減少の度合いが全国平均よりも大きいから、もっときつい状況になる。経営改革をしない地元企業は優秀な地元人材を雇えなくて、次々に消滅していくだろう

 データは次のサイトから拾って計算した。毎年の人口減少率は1-(2015/8174)^(1/45)=1.358%
*https://www.mlit.go.jp/common/001123470.pdf

 全国平均値ではなくて、根室の推計値をみたいでしょう。
 社会保障・人口問題研究所の地域別推計値を使うと、2015年度の根室市の生産年齢人口は15573人、わずか25年後2040年のそれは7447です。地元の会社の半数が生き残れるでしょうか?

 根室市は全国平均値のおよそ2倍の速度で生産年齢人口が減少し、2040年の生産年齢人口(15-64歳)は半分以下になります。人口減少を前提に根室市のあらゆる計画を見直すべきです
*http://www.ipss.go.jp/pp-shicyoson/j/shicyoson18/3kekka/suikei_kekka.xls
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<余談:団塊世代の根室高校入試>
 1964年(昭和39年)の根室高校入試は普通科が4クラス定員200人、商業科が3クラス定員150人だった。普通科は1.0倍、商業科は2倍を超えていた。だから、地元に残った同級生には優秀な者が多い。いま、根室高校商業科と事務情報科は毎年のように定員割れをしている。特に事務情報科の定員割れがひどいから、その学力レベルは55年の歳月を経て大幅に低下してしまっている。あの当時の根室高校生の大学進学率は15%以下だっただろう。根室から東京の大学へ進学させるには経済的にとても大変だった。
 同じクラス(3G)から、大手都市銀行(富士銀行)にA部さん、北海道銀行にM保さん、拓銀にK賀谷。Y崎は地元の大手の水産会社の経理担当役員をしばらくやっていたが、数年前に退職している。50人のクラスで成績上位10%は地元企業には就職しなかった。金融機関が最上位の就職先だった。根室信金へ就職した者はわたしのクラスにはいなかった。給料がはっきり違った。30代半ばにはその差は2:3くらいに拡大した。
 同級生ではないが同期のN本は地元信金の専務理事になって退職している。退職後、根室市の監査役を委嘱され、はっきりモノを言う報告書を書いている。なかなかしっかりしたやつだ。地元企業に勤務しながらちゃんと研鑽を積んだのだろう。こういう奴も同期にいる。
 クラスの他のメンバーは東京低温にH木さん、根室漁業協同組合はE藤や歯舞漁業協同組合はN山など成績が上の方の同級生が数名就職していた。歯舞漁協を断られて、散布漁協へ就職したN田は専務理事になって、職員のリストラをした、辛かっただろう。地元へ戻って羅臼漁業協同組合に就職したのはDだ。その後広尾漁協へ移って総務部長をやり、サケマス人工孵化場関係の企業へ転出してトップで定年退職。羅臼へ戻ってアルバイトしていた。ああ、道東塩業の社長をしていたHもいた。あいつは新入社員の頃、NTT前の公衆電話で会社のお金50万円を置き忘れるという大チョンボ。それが勉強になったのかな?入社当時の給料(昭和42年)は2万円なかったはず。(笑) いま札幌で入院治療中のKは水産会社の取締役だ。根室高校最後の総番長で人気の高かった奴だ、早く元気になってほしい。退院したら酒を飲む約束をしているが、体調がなかなか戻らないだろうから無理はさせられない。電話の声は55年前と一緒だ。東京へはあいつに誘われて一緒に行った。3月下旬になって「俺東京へ行く、ebisu一緒にいくべ」、あの一言で東京へ行く決心がついた、吹っ切れた、懐かしい声が耳に残っている。ヒロシとだけしかできない昔話がある。ヒロシの朋友のT木は高校1年の時に根室高校を退学したが、その後20歳代で銀座にお店を二つもった。高級店の方はサラリーマンが行けるプライスのお店ではなかったので行ったことがなかった。SRLの社長になったら使えただろう。そういうクラスのお店だった。度胸のいい奴だから銀座で早く芽を出した。
 美術部長だったカツエはアングラ劇団に関係して「イレブンPM」へ何度か出演している。アングラ関係で有名な誰かと結婚し、渋谷駅近くにビルを所有している。高校時代から一風変わったツワモノだった。
 ああ、大事な奴を忘れるところだった。劇画家の神田猛は高3の夏休みにアルバイトして旅費をため、9月にサイトウタカオのところへ弟子入りしたくて、高校を中退して飛び込んだ。サイトウタカオは高校中退して飛び込んできた猛が可愛かっただろう。人生をかけての弟子入り志願だった。一昨年、五十周年の個展を根室市文化会館で開催している。3Gクラスは、ユニークな奴が多かった。そういう奴、学校側は規格外の問題児を3Gに集めたのである。根室商業以来続いていた「総番制度廃止」や「丸刈り坊主頭の校則改正」はこのクラスの発案とマネジメントでなされている。根室高校の「近代化」を担ったと言えよう。時代がたまたまそうだったこともある。(笑)

 一回りほど年上の元釧路教育長のK田さんが「(わたしが江南高校生だったころ)根室商業は釧路湖陵(元釧路旧制中学)の上だった」と教えてくれたことがあった。そんな時代があったなんて、知っている根室人はもうみんな鬼籍に入っている。わたしが知っているのは、歯科医で短歌集を残した田塚源太郎先生(ビルヤード店の常連客で、二女が小中高と同級生)、その根室商業同期で考古学者で根室印刷創業者の北構保男先生、だいぶ後輩になるが歯科医の福井先生は根室新聞に時代小説と現代小説を十数年にわたって連載していた。1960年頃に根室新聞からその功績に「自家用車」がプレゼントされている。当時は家一軒がたつほど高かった。

 根室高校の学力レベルが低下してしまったことも、地元企業が優秀な人材を確保できない理由の一つだ。
 それでも、首都圏や札幌圏の優良企業と同じような経営システムで給与と安心が保障されるなら、根室以外の地域から優秀な人材を集められる。それには経営改革が必要だ。東京や札幌の優良企業がどのような制度をもっているのか、そしてどのような運用をしているのか、地元企業で知っている人が何人いるだろう。地元企業のほとんどが「日本の経営のスタンダード」を知らないだけだ。
 産業用エレクトロニクス輸入専門商社の経営改革と株式公開準備、SRLの東証2部上場準備作業、ある外食産業の上場準備作業に携わってことがあるから、教えてあげられる。証券会社に頼んだら数千万かかるが、わたしに聞くならタダ。何度も弊ブログで書いたが、聞きに訪れた地元企業は一つもない。上場なんて、当たり前のことをやるだけ。予算制度の整備、決算の公表、経理規程や人事諸制度(業務規程や退職金制度を含む)の整備、品質管理制度の導入など当たり前のことだらけだ。要するにオープンな経営をすること。その企業がいくら利益をあげたか、それだけでなく社長の報酬すら社員にはわからない企業がほとんどだろう。閉鎖的な企業は長期的に人材難に見舞われ、人材の劣化が進んでしだいに衰退していく。
 そのような閉鎖的な経営が人材確保で行き詰まるのはあたりまえ。十年くらいかけて徐々に経営改革すればいいだけ。やらない企業の大半は20年後には人材難から消滅しているでしょう。2040年には生産年齢人口は2015年の半分になる、そこへ向かって7年が過ぎたから、いまそういう瀬戸際の企業が増えています。

<余談-2:掛かりつけ医の大切さ>
 Yさんは3か月に一度北大病院で検査と治療をしていたが、生活習慣病もあるので根室の主治医は岡田医院の優二先生だった。消化器内科医だが、自分の専門外だと病院の紹介状をすぐに書いてくれる。掛かりつけ医がいるのは病気を抱えている人にとっては大きな安心だ。

<余談-3:中高の大切な友人:H勝治>
 高2の時から会っていない。2年生になっるときにクラス替えがあって、わたしはFからGへ、気がついたら学校を去って数か月たっていた。どうしているかな、中学時代の親友の一人である。腹の座った度胸の好い奴だった。高校入試の発表はあいつと一緒に見に行った。友人たちの誰もあいつの消息を知らない。 


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#4717 根室高校生は幼児化しているのか? Feb. 18, 2022 [89.根室の過去・現在・未来]

<最終更新情報>2/21朝8時40分 太字の一段落を二つ追記 
 2/23夜7時<余談-2追記>  2/24朝8時半<余談-3>「赤字企業の立て直し」を追記。

 北海道新聞の今日(2/18)の記事に、釧根地区の全市町村で転出超過が起きたと報じている。その原因は高校や大学を卒業しても働くところがないからだ(青のラインの部分)と、当たり前の分析。
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 釧路市の1月末の人口は162091人、根室市は23835人ですから、根室の人口は釧路市の1/7です。社会減の5年間の累計は釧路市が4413人、根室市が1952人ですから、釧路を基準とすると根室は44.2%です。人口比でみると根室市は釧路市の3倍の速度で転出超過が起き続けています
 その理由ははっきりしています。
「釧路市都市経営課は「短大や大学卒業後の就職を機に市外へ転出するケースが多い。特に若年層の雇用の場の確保という課題が続いている」と分析する。」

 根室は水産加工場に雇用の場はあっても根室高校卒業生は行きたがらない。だから、ベトナム人の技能実習生が増えることになっています。これは根室の水産加工業が60年来引きずっている根深い問題です。ようするに同族経営で処遇が悪いということ。根室っ子は進学のために根室の外へ出て、処遇の良い勤め口がないから根室には戻って来ません。誰もが承知の事実です。

 もう一つ、昨日の記事を紹介します。根室高校生がまちづくりの提言をまとめて市長ら幹部にオンラインで発表しています。
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 「3年生117人が「根室を発展させるには」をテーマに議論を重ねてきた」結果を取材しています。提案の内容も載っています。
観光客向けに根室の海産物を使った料理教室を開く
金刀比羅神社例大祭で花火を打ち上げる
 その効果についても謳っています。
市外から多くの人が来れば「北方領土問題に気づいてもらうきっかけになる」

 石垣市長は「根室を盛り上げる素敵な提案だった」と感想を述べています。
 どこが素敵なのだろう?わたしにはさっぱりわかりません。
  わたしが根室市長なら、もっと自分たちで考えてから提案してくださいと言いますよ。これでは何を勉強してきたのか心配になります。先ほどの北海道新聞の記事には釧路市都市経営課の分析が載っていました。「就職先がない」ことが人口の社会減少を招いていると。根室は3倍の規模でそれが起きています。そのことにすら、根室高校3年生117名の一人も気がついていなかったのでしょうか?そんなはずはないでしょう。まちづくりに際してデータの分析すらしないで提案を作成したとしたら、それは子どものお遊戯です。

 わたしの言いたいことは、人が褒(ほ)めようが貶(けな)そうが、自分を客観的に考察する視点をもてということ。自分たちの作り上げた提案が、どの程度なものかは客観的に評価できなくては大人とは言えぬということ。18歳を過ぎた君たちが自動的に大人であるわけではない。精神的に見て大人になるとはどういうことか、そういうことも今回の未熟な提案を機に一人一人がじっくり考えてもらいたい
 
 勉強もあまり熱が入らず、わずかでしかない根室の優良な就職先には他の生徒が決まり、やむなく専門学校へ進学する生徒のほうが多いのですから、「優良な就職口」が少ないという事実を知らない生徒はほとんどいないと言った方がいいのでしょう。根室の主力産業である水産業界がこの60年間経営改善が進まないことに問題があります。ではなぜ、こういう提案しか出てこないのでしょう?

 北海道新聞の販売部数は6000部程度だから、世帯数の半数ほどが定期購読しています。全国紙はあわせても道新の1割ほどしかないようです。
 どうやら、根室高校生のほとんどが新聞すら読んでいない、そしてデータに基づかぬ思い付きで意見を述べていたとしか考えられません。スマホ世代だからしかたがないのでしょうか。20年後は根室を支える主力となります。これから頑張って研鑽を積んでもらいたい。

 高校生の幼児化で思い当たることがあるので、2つだけ書こうと思います。
 数年前に、宿題について高学力の生徒から担任の先生を通じて申し入れがなされました。現役合格目指して自分でスケジュール管理しながら勉強しているので、学習の妨げになるので、低レベルの一律の宿題は勘弁してほしいというものでした。その結果、担任の一存では決められないということで、1年生の担任5名と学年主任の6人と申し入れをした生徒が話し合うことになりました。生徒と1対6の団体交渉はそもそもがパワハラです、そこで威嚇的な発言など教育者としてはあってはならぬことでした。団体交渉とは生徒が10人に先生が一人の場合ですよ、逆をやったのだから、あからさまなパワハラと言えます。嘆かわしいのは当事者の先生たちが誰一人としてパワハラと思っていなかったこと。生徒の方は終始、大人に対する丁寧な言葉遣いで応じています。ふだんから友達と話すときと大人と話すときを区別して言葉の使い分けられる生徒でした。言うことを聞かぬ生徒に威嚇的に対応する先生はよくあるパターンですが、そんな脅しがきかないほどしっかした大人になってしまう肚の座った高校生もいますよ。教育者としては喜ぶべきことです。生徒は次のようなことを言いました。
先生たちはいつも自主的・自律的に勉強しろとおっしゃいますが、わたしはその通りにしています、なのにどうしてこんなに低レベルな宿題をやれと、まるで小学生に対するようなことを要求するのですか?言うこととやっていることが矛盾していませんか?
 ギャフンである。その後この生徒は宿題をしないで通しています。そして現役で旭川医大(偏差値65、北大医学部や京大理系と同じ偏差値である)へ合格しています。
 道東・道北推薦26名の応募の内、10名の合格者中、現役生では最高得点、トップ合格でした。もちろん一般入試でも楽々と合格している得点でした。
 いまの三年生は小学生のごとく宿題をこなすだけで、自主的・自律的な勉強をしてこなかったとすれば、今年の大学合格実績は偏差値60以上の大学はゼロとなるかもしれません。宿題を坦々とこなすような勉強スタイルで、難関大学に合格できるほど世の中は甘くありません。宿題に縛り付けられないと勉強できないのは幼児化そのものです、それは自主的・自律的な学習スタイルとはまるで逆なのです。学校統合後、生徒の学力低下に業を煮やして高校の先生たちが宿題の義務付けを強化してしまいました。宿題をださないと勉強しない高校生が急に増えてしまったからです。標準的な高校普通科の授業に2/3の生徒がついていけません。だから、数Ⅱですら選択科目になっています。過去の根室高校でそうしたことが起きたことはありませんでした。2/3の生徒の学力が西高化してしまったのです。根室高校の先生たち困っているでしょうね。

 もうひとつ具体例を挙げます。根室高校には北方領土研究会というのがあります。市の予算で毎年本州のどこかの県へ行って演説をしてきます。原稿は生徒が作ったものではなく市側で用意したものを読み上げるだけのようです。最初に聞いたときはビックリ仰天でした。
 生徒が原稿を書けないわけはない。レベルはそろわなくても自分で書き上げたものを読むのと、市役所が用意したものを読むのでは、聴衆への訴求力がまるで違いますよ。ここでも、考える機会を奪っています。幼児化の促進をしているのは、一律の宿題を課してノートを提出させてチェックする根室高校の先生たちだけではありません。市長や市役所も北方領土返還運動で根室高校生が考え、作文し、それを訴える機会を奪って、高校生の幼児化促進に一枚かんでいるのです。こんなことはやめるべきです。資料提供して、生徒に書かせて添削してあげたらいいだけではありませんか?高校は中等教育機関ですが根室では最高学府ですから、重要性が大きい。地域の教育水準は根室高校の授業内容や根室高校生の提案や行動に現れていると言っていいのでしょう。いくらでも改善できそうです。
 大事なことは、人の書いたものを無批判に棒読みしてはいけないということ。聴いている人たちは発表している高校生が書いたものだと誤解してしまう。自分の書いたものではないなら、正直に聴衆にそう告げるべきだ。もっと大事なことは、こんなおかしなことを大人に言われたときに、唯々諾々としたがってはいけないということ。自分の意見をもち、ダメなことはダメと言える、精神的に自立した大人となれ。そういう大人になってもらいたい。いいきっかけが与えられたということだ

 根室の市街化地域の2つの中学校は、釧路根室管内の17校の中学校中、学力テストの平均点が最下位です。根室市教委は普段の学力テストデータすらモニターしていませんから、釧路根室管内の市街化地域の中学校で根室の2校が最下位だなんて事実を知りません。事実も知らずに有効な教育政策が立案できるはずもありません。現に、根室の子どもたちの学力テストの平均点は釧路と根室管内の市街化地域の中学校では最下位を低迷し続けています。
 根室高校で起きていることは中学生の低学力化が進んだ結果です、普通科全員がまちづくりについて議論をして、イベントしか考えつかぬほど、高校生が幼児化してしまいました。わたしは、小さな私塾で根室っ子を教えていて、強い危機感を抱いています。そして日々坦々と生徒と向き合っています。この現状を何とかしたい。それがこのブログを書いている、書き続けている理由の一つでもあるのです。

 根室市教育長、そして教育行政、市議のみなさんたち、教育や学力への危機感はありますか?
 根室高校生の学力や考える力や自主性の劣化は、根室の町の未来にとって少なからぬ影響があります。地元企業はそこから次の世代を担う人材を補うしかありません。市役所も主力は地元採用。大地みらい信金はすでにそうではなくなってきています。根室からはめったに採用できなくなってきているのではないかと思います。危機はすでに始まって、現実になりつつあるのです。

<余談-1:教育のビジョンづくりを市民自由参加でやろう>
 根室高校生の幼児化は高校だけの問題ではありません。中学生の学力が釧路根室管内で最低レベルです。それはおそらく小学校の教育のありかたにも問題があり、家庭教育にも問題があることを示唆しています。
 根室の子どもたちにどのような学力をつけることを目標にするのか、目標設定をすべきなのでしょう。それは子供たちの成長段階に分けて、学力別に3分類くらいして目標を設定し、それを実現する戦略を立案し、実行してその結果を測定して、また計画にフィードバックする必要があります。例えば、ふだんの学力テストの五科目平均点数を225点ラインまでアップすることを目標にしたらいかがでしょう?
 光洋中学校3年生の4回の学力テストの五科目平均点は、180.7~206.4点で平均196.7点です。高校1年生なら、ベネッセの7月模試で平均点を全国平均値までアップする、全国偏差値70超の生徒を3人創ることを目標にするというように。
 根室は家庭学習の躾に失敗している保護者が多いようです。小学校1年生のときに、保護者に家庭学習のしつけ方を教えたらいいのです。講習会を開けばいい。小学校低学年で家庭学習習慣を躾けられたら、それだけでも学力は大幅にアップできます。塾なんか来なくても予習の習慣がついただけで、現状では上位1割の成績にランクインできます。
 オープンな市民参加で、毎月第1と第3日曜日に総合文化会館の一室で、根室の子どもたちの学力に関するビジョンをつくる。そこから始めていいじゃありませんか。何もしなければ現状は変えられません。
 自分たちの町の子どもの教育は、自分たちがビジョンづくりに参加して決める、他人任せにはしない
 保護者と学校と教育行政と市民が協力し合えば、釧路根室管内最低レベルの学力の現状は変えられます。あなたはそうは思いませんか?

<ボランティア活動:意欲があり学力の高い生徒を育てる>
 小樽商科大学はベネッセ偏差値では58、「みんなの大学情報」偏差値では50の大学ですが、昨年度は根室高校からの進学者はゼロでした。根室高校から小樽商大への進学は学校推薦が多いのですが、センター試験で1科目が80%を超えるという条件付です。それの条件が共通テストでも残っているなら、英検2級で8割ラインは越えられるので、英検2級合格者がいて、小樽商大を受験するなら毎年数人は合格者は出せます。ごく普通の難易度の学校ですからね。英検2級合格者の目標値を毎年10人にされてらいかがですか?そのために何をすればいいかは簡単です。音読指導から始めたらいい。半年間で高校3年分の教科書全部を音読と語順通りの読解トレーニングをやればいいだけです。そこまでやれば、後は英検2級の問題集は自分でやれますから、放っておいても結果は出ます。

 1月から中3生に高校の教科書を使用して土曜日音読特訓授業を始めていますが、先週から3人に増えました。2人はすでに英検準2級取得者です。一人は札幌光星ステラコースへ進学する生徒ですが、もう一人は根室高校へ進学します。この生徒の本命は北大です。苦手の数学が克服できるかどうかが、分岐点になるのでしょう。彼女が受験するときにはわたしは古里の根室にはいませんが、現役合格してほしいと思っています。
 8月末までに高校の教科書3年分を消化しますので、英検を受けたことのない生徒も卒業するころには8割を越えられます。
 準2級保持者は先週から特訓に参加ですが、どうやらもう根室高校3年生が使っている長文問題集Cutting Edgeにチャレンジできそうな感じがしています。4月から長文問題集をレギュラーの時間帯でやらせてみようかと思います。18題全部終わるころには、英検2級を高得点でクリアできます。この生徒は高校生のうちに準1級へチャレンジ可能ですが、語彙拡張のために多読して数学の勉強時間を削ることになるので、北大に合格するにはそちらの選択肢は棄てることになるのでしょう。大学へ合格してからやればいいのです。
 土曜日の英語特訓授業はボランティアでやっているものですから、授業料はかかりませんし、他塾の生徒も受け入れます。あと2~3名だけ。学力テストで英語が75点以上が一度でもあればOKです(光洋中学校3年生は約100人ですが11月実施の学力テストで該当者は5名くらいいそうです。81点以上は3名のみ。そのうち2人は英検準2級の生徒です)。それくらいでないとハイペースの音読授業について来れません。授業のペースを落としたくないので制限をつけます。受講希望する生徒はどうぞ来てください。ボランティア活動ですから、ニムオロ塾とは切り離しています。入塾を勧誘するようなことはありません。8月末で高校3年分の教科書を終了しますので、終了したら土曜日特訓授業はなくなります。わたしにもまだやれることがすこしはあります。やりきってしまいたい
 誰にでも一心にやるべきことが一つぐらいはあるのでしょう。

<余談-2:>2/23午後7時追記
 受験真っ盛りの時期に根室高校3年生はこんなこと議論していたんだ。これでは大学受験を無視した運営をしている高校だと誤解されそうです。まずいよね、こんなシビアな時期に高校内部で生徒たちからも先生たちからも、教頭や校長からも、どこからも異論が出ないことがおかしい、今年の進学実績が心配になります。
 教育に熱心な保護者も新聞見ただろうから大学進学を考えている高学力の生徒から見放されますよ。わが母校の根室高校、しっかりしてほしいな。マネジメントの欠如です。小さくない失点が2年続いています。
 北海道教育局もあきれているかもしれません。

<余談-3:赤字企業の立て直し>
  根室西高校との統合後の根室高校は、企業でいうと赤字に陥ったようなもの。それ以前の根室高校普通科の学力のある生徒は120人の内30人しかいない。業績(生徒の学力)は著しく低下し、数Ⅱですら選択制にしなければならぬほど酷いもの。生徒の半数近くが数Ⅱを履修できないような学力になっている。
 赤字企業の立て直しは凡庸な経営者(学校管理職)にはとてもできない。具体的で有効な経営政策が必要だからだ。マネジメントに優れた人材が必要だということは、誰が考えてもわかる理屈である。そういう状況の根室高校で、マネジメントの不得意な人たちが運営したら一体どうなってしまうのか?赤字はさらにひどくなるということは誰が考えても明らかだろう。生徒の学力低下がさらに進み、進学実績が悪化する。進学先を見たらその悪化はとっくに現れているのだが…。


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#4564 二つの門柱:花咲小学校 June 10, 2021 [89.根室の過去・現在・未来]

 花咲小学校は創立144年目を迎えた。正門にある門柱があるが、校舎東側にも門柱がある。天気が好いので、MTBで学校まで行ってきた。
 11時の気温14.5度、南東の風3.8m/s、湿度80%

①正門前の門柱
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②門柱の題字がいいのでズームアップ!
 来年旧啓雲中学校へ移転しますが、題字の運命はいかに?
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6/11追記:この記事はFBの「根室人」グループへもポスティングしてますが、ある方から、山本栄進校長の揮毫ではないかと投稿をいただきました。全校朝礼のときにはイソップ童話をよく引用されたとそのお人柄について紹介がありました。その奥さんが中学生の時に3年間担任だった山本幸子先生です。家と学校にお袋が二人いるようなものでした。独学で勉強して公認会計士になると強く心に決めていたので、根室商業の伝統のある商業科を選択しましたが、山本幸子先生には最後まで反対されました。「この子は大学へ進学する子だから」とお袋へも強く普通科進学を薦めました。「おっしゃることはわかりますが、息子が決めたことですから、わたしにはなんともできません」とお袋。わたしは自分で決めたら人の言うこと利かない頑固者でした。(笑)その代わり、高校2年生のときから中央経済社から出版された「公認会計士2次試験講座」を購入して、受験勉強を始めています。当時は経済学も試験科目にありましたから、近代経済学の本ととマルクス『資本論』を比較しながら読んでみました。『資本論』は100頁ほど読んで当時の私の学力では無理だと、中断しました。大きな森の中で迷った感覚が残りました。それが、公認会計士受験を棄てて、経済学へのめり込む動機になったのです。社会人となってから転職を繰り返す動機にもなったのです。さまざまな業種の企業を体験することで、現実の経済を知ろうと思ったのです。マルクスを超え新しい経済学を想像するためには、必要不可欠な経験でした。大学の先生になっていたら、到達できなかったでしょう。お陰でとっくにマルクスは超えられました。こんなことが言いきれる、マルクス経済学者はいないでしょうね。
 居酒屋「酒悦」もビリヤード店も繁盛したお店でしたが、オヤジもお袋も一人息子のわたしに店を継いでほしいとは思っていませんでしたね。1代かぎりと決めてました。オヤジが70歳になる少し前に店は閉めました。オヤジは大腸癌手術の後、体力の衰えを感じたからでしょう。お袋は昔から歳をとったら、郊外に家を建て庭いじりをして暮らしたいと言ってましたが、20数年間その通りの生活を送って亡くなりました。
 ビリヤード店を小学生のときから手伝っていたので、わたしは大学進学なんて考えたこともありませんでした。そんな経済的な余裕ができる時代がすぐ目の前に来ていることもわからなかったのです。「高度経済成長」をわたしなりにこの極東の町で実感していました。ビリヤード店にはさまざまな職業の大人が遊びに来ます。人間観察のいい機会を与えられていたのです。その経験が社会人になってから、どれほど役に立ったか知れません。

③後者南側にある旧門柱
 校舎建て替えのときに移設したのではないか、団塊世代のわたしはこの門柱の間を通って毎日通学していた。土曜日は4時間授業だった。一部が剥離しているから、修復したいね。卒業生から寄付を集められないものかな。もちろんわたしも出します。
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 楷書で実に端正な字です。書き手の性格を表しているのでしょう。

④校舎裏側からグラウンド方向(東)を撮影
緑色で囲んだ辺りは家がなくて、グラウンドから降りて裏山でスキーやソリ滑りをした。左側から右側に向かって比較的な長いスロープがあってたくさんの子どもたちが遊んだ。結構ごった返してました。
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⑤底なし沼はブラジルまで通じている!
青丸で囲んだ辺りに沼がありました。カラス貝がたくさんあったし、トンギョやゲンゴロウがいました。採って遊びました。生徒たちは「そこなしぬま」と呼んでいました。地球の中心を通ってブラジルの底なし沼につながっているなんて話が信じられる素直な子どもが多かったのかな。ほんとかなと思いながら、半信半疑で議論してましたね。実際にはブラジル沖の海の中が真裏側なんです。(笑)
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⑥校舎南側
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⑦創立144周年目!
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 これでおしまいです。m(_ _)m



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#4348 秋サンマ、わずか600kg:対策は人材育成=教育問題に行きつく Aug. 24, 2020 [89.根室の過去・現在・未来]

 標題は8/24北海道新聞朝刊1面の記事の見出しである。
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秋サンマ、わずか600キロ 
    棒受け網漁 厚岸で初水揚げ

 【厚岸、根室】道東沖サンマ漁の主力となる棒受け網漁の中型船(20トン以上100トン未満)1隻が23日、釧路管内厚岸町の厚岸漁港で初水揚げした。別の中型船3隻も24日朝までに同港に水揚げ予定だが、4隻合わせても量はわずかに600キロ余りの見通しだ。過去最低の漁獲量だった昨年でも初水揚げは同港などで計約40トンあり、極めて厳しい幕開けとなった。  厚岸漁港にはこの日午後1時半ごろ、第21福長丸(49トン)が戻り、サンマの入った発泡スチロール製の魚箱100ケースを水揚げした。通常は魚槽のサンマをたも網ですくい、岸壁に移すが、量が少ないため、魚箱に入れて水揚げした。
 川崎元太郎漁労長(39)は「初水揚げなのにわずかな量で残念だ。今後頑張りたい」と話した。各船は主漁場のロシア200カイリ水域で魚群が見当たらず、同港から約1500キロ離れた公海で操業したという。  厚岸市場によると1匹110~120グラムが中心で「例年より細い」という。初競りは24日朝に行われる。  棒受け網漁は10日の小型船を皮切りに、15日に中型船、20日に大型船の出漁が順次解禁された。小型船は水揚げゼロで、大型船はまだ帰港していない。サンマ水揚げ量日本一の根室市・花咲港では中型船も23日までに水揚げがない。(武藤里美、山村晋)

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 NHKお昼のニュースでは、浜値の最高値は11,000円/㎏である、一尾120gとすると1400円昨年の5倍の高値、今日だけは高級魚の仲間入りだ。

 花咲港への大型船の水揚げはこれからだが、日本一のサンマ水揚げを誇る花咲港も似たようなことになるのだろう。昨年に続いて原料が高いだけでなくて少ないのでは、見切りをつけて廃業する水産加工業者がでそうだ。根室の水産業にとっては、新型コロナ騒ぎどころではない。鮭鱒流し網漁が禁漁となり、秋刀魚が不漁では、大量に獲れてお金になる魚種がついになくなりそうだ。根室の水産業界は根本から変わらざるを得ないところへ追い詰められている。

 EEZ(200海里以内:排他的経済水域)では魚影が見つからない、1500kmも離れた漁場へ行ってもたったこれだけでは燃料のA重油代にもならない、赤字操業である。かつては日本領土だったアッツ島(占守島)は根室から1500km東にあり、いまは米国領だ。その付近までいっているということ。米国のEEZのすぐそばまで行って漁をしているようだ。

 サンマ資源回復のために、そのうちに秋刀魚の全面休漁の国際協定を結ばざるを得ないところまで追い込まれるだろう。こういうことを先読みして、働きかける水産関係者が育っていない。漁業組合は数多あるが、スケールの大きい仕事を担える人が育っていないことを自覚すべきなのだろう。

 このように、資源の未来を予測し、どうしたいか、どうすべきか、必要な人材についても育成の具体的な方途を考える時が来ている。

 脂の乗った180g/尾のサンマはいまでは夢幻(ゆめ・まぼろし)となった。わずか10年前にはそうしたサンマがふんだんに獲れて、根室市民の食卓に載せられていた。だから、「サンマは好きでない」という子どもたちが多い。旬の時期になると、脂の乗ったサンマを毎日毎日飽きるほど食べさせられていたからだ。脂の乗った新鮮な焼きサンマが夕餉にでると、「今日もサンマか」、何と幸せなボヤキであったことか。

 団塊世代のわたしは、小学生のころ大きなタラバガニをたらふく食べたから、お店で売っているタラバガニを見ても食べたいとは思わない。小学生のころ秋になるとふんだんに食べたタラバガニをいま小売店で買ったら、5万円以上する。贅沢三昧をしていたということ。当時はあたりまえと思っていた。時期になると獲れすぎて、罐詰に処理しきれず捨てていた。昭和30年代は冷凍設備が貧弱だったからだ。日本合同罐詰の4工場では処理しきれないタラバガニを大きいのを選んで、工場で働いている人たちに家へ持って帰って食べることを認めていた。工場の現場長は貴重な原料を捨てるに任せるのは忍びなかった。処理しきれなくても獲ってきたのである。
 そして大きなタラバガニはもう30年以上前にほとんどが姿を消してしまった。いま、サンマがタラバガニの後を追っている。根室の水産業界関係者はこの60年間で何を学んだのだろう?
 課題を担えそうな人材群は高校を卒業すると根室を出て行ってほとんど戻ってこない。少数でいいから、こうした長期的な戦略を立てて解決しなければならぬ課題を担える人材が戻って来てほしい。根室の地元財界人はまことに人材の層が薄っぺらだ。村社会をつくって閉鎖的なコミュニケーションに終始しているからだろう。視野の狭い小物が何人集まろうと現実の力にはなり得ぬ、じり貧に追い込まれるだけ。
 地元経済界と市政が、そろいもそろって60年間にわたって、教育や学力をそして経営改革を軽視してきた結果だと思うよ。そろそろ方針を変えて、しっかりした町を創ろう。
 市議会文教厚生常任委員会のみなさんは何か提案がないのかね?もちろん、市教委や教育長も考えなければいけない重要なことだと思うが…

*

#4014 教育と地元企業の経営改善こそが町の未来の決め手 Jun. 9, 2019

#2606 根室の中学校の過去6年間の学力低下を検証する  Feb. 28, 2014

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8/26 根室花咲港に大型漁船(100t超)が2席戻ってきた。水揚げ量は6t、昨年の1%だというから、1/100である。
浜値は6900円/kg、昨年の6倍の価格。…NHK正午のニュースより。

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#4321 郷土の考古学者:北構保男展 Aug. 12, 2020 [89.根室の過去・現在・未来]

 根室市総合文化会館で「北構保男展」が開かれている。明日までなので、小学生や中学生そして高校生も展示物をよく見てもらいたい。
 たくさん展示されているので、学校で生徒を連れて行ってもいいくらいだ。

 最近、アイヌは先住民ではないという説をユーチューブで耳にした。竹田恒泰氏が解説していた。

日本列島の原住民は縄文文化に連なる人々であるが、北海道東部にはオホーツク文化というのがあり、その淵源はサハリン南部周辺部であるようだ。それが道東のオホーツク沿岸に広がったのでオホーツク文化と称する。その一方で、東北には擦文土器の文化が成立していたが、10世紀になるとオホーツク文化と融合してトビニタイ文化が生まれる。12世紀になり擦文文化はアイヌ文化へと伝わっていく。北構先生の関心は6-9世紀のオホーツク文化にあったらしい。オホーツク文化は13世紀には消滅している。アイヌ文化がその勢力を広げたと考えるべきなのだろう。北海道にはオホーツク文化とアイヌ文化が併存していた時代がある。
 蝦夷で思い出されるのは「蘇我蝦夷」である。蘇我家は古代蝦夷とどこかで関係があるのだろうか?そもそも、古代蝦夷と東北文化圏のアイヌとどういう関係にあるのか、三内丸山遺跡に足跡を残した東北の縄文人はいつごろアイヌにとってかわったのか?北海道はアイヌ文化以前には縄文人が住んでいたと推定されるが、縄文人はいつ頃消えたのか?擦文土器を受け入れた使っていたオホーツク人は縄文人の末裔なのか?アイヌは縄文人の末裔の一つなのか?
*#853 日本語のルーツは韓の国、百済にあり?

 疑問は尽きぬが、わたしにはさっぱりわからない。北構先生の『古代蝦夷の研究』は学術研究書だが、示唆があるだろうか。生前に御聞きしておけばよかった。先生の著書を読むしかなさそうだ。
*

北方領土とオホーツク人:地元考古学者(文学博士)の研究 


 北構先生(1918-2020)は根室印刷の創業者でもあるし、長く町議会議員や市議会議員をされていた。昭和48年(1973年)まで根室市議であった。二足の草鞋どころか三足の草鞋を履いていたことになる。

 根室商業を卒業してから国学院大学へ進学している。同期で東京へ進学したのは他にお二人。歯科医の田塚源太郎先生と高坂さんだ。渋谷の東横デパート屋上で撮った写真が展示されていた。

 トーサンポロのチャシ遺跡が北構先生が発見・発掘したものというのはこの展示をみて初めて知った。


<写真>
①左から、高坂氏、田塚源太郎先生、北構保男先生
 渋谷の東横デパート屋上での撮影です。真ん中の田塚先生だけダンディな服装、北構先生と高坂さんは根室商業の制服と帽子。三人で進学のため上京したときに撮った写真でしょう。仲が良かった。三人とも根室商業の同期。ebisuと同期ではありませんよ、わたしは彼ら三人の31年後輩です。
 北構先生から聞いた話では、田塚先生は国後島の大漁師の息子。ebisuは小学1年生のころ、田塚先生にときどきビリヤードの相手をしてもらった。背が届かないので、「ちょっと失礼します」といってビリヤード台のに上がって撞いていた。大人たちが可愛がってくれました。ホントは片足が床についていないとルール違反なのだが、まだ小さかったのでこのルールはebisuだけ適用除外。(笑)
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②骨でつくられた「針入れ」
 文様が彫ってある。北構え先生が中学生(13歳)の時に弁天島の発掘を手伝ったときに発見したもの。捕鯨の様子が彫られている。千年前から捕鯨をやっていたことがわかる。
 北構少年、よほどうれしかったのだろう、発掘の虜になった。学問との出遭いはある日突然訪れる。
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③上の方に擦文の文様が見える
 写真でははっきりしない、若い人たちに実物をぜひ見てもらいたい
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④土器のかけらだが、文様がはっきり見える
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⑤『千島シベリア探検史』
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⑥『アイヌ史断想』『諏訪大明神画詞の食人記録とエミシ・エゾ・アイヌ人』
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⑦『アイヌ人とその文化』(翻訳)、『古代蝦夷の研究』
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 リンクが張ってあるので、クリックすると当該ページに飛んでいきます。


#4295 北構保男翁命五十日祭:「お別れ会」 July 24, 2020





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古代蝦夷の研究

古代蝦夷の研究

  • 作者: 北構 保男
  • 出版社/メーカー: 雄山閣出版
  • 発売日: 2020/08/12
  • メディア: 単行本
1991年刊、643頁の大著です。



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#4295 北構保男翁命五十日祭:「お別れ会」 July 24, 2020 [89.根室の過去・現在・未来]

 去る6月5日享年103歳でお亡くなりになった北構保男先生の「50日祭」と「お別れ会」が午前10時半から市民斎場で開かれた。
 考古学でオホーツク文化史に大きな貢献があったことや、戦後まもなく根室町議・市議を何期かやられたこと、根室印刷を創業・経営されるなど、学術と実業の多方面での活躍があったので、会場はびっしり、皆さんマスクを着けておられた。

 札幌の介護施設に移られてからほぼ3年間、元気に過ごしていた様子が長男の太郎さんが喪主挨拶の中で述べられた。食べられなくなって、三日後に逝かれたという。それまでは元気で、気になる古書文献取り寄せなど、息子さんへ頼みごとが多かったご様子。息子さんの専門は法学、分野が違うのでたいへんだっただろう。古書の取り寄せや出元の調査などそれまでやったことはなかっただろう。それでもかまわず、大きな声で頼んで、息子さんがあたふたする姿が脳裏に浮かんだ。如何にも北構先生親子らしいやり取り。息子さんは高校では根室にいなかったから、中学校から東京だったのかも。早稲田大学大学院法学研究科修士、札幌大学教授、ebisuよりいくつか年下である。

 自宅兼店舗(北球ビリヤードと根室初の居酒屋「酒悦」(後に焼き肉店))の家が梅ヶ枝町3丁目にあったので、花咲街道沿いに根室印刷と家一軒と「広小路」を隔てたただけのご近所さんであった。そういう縁もあって、北構先生にお仲人をお願いして、大学を卒業した年に根室で結婚式を挙げた。2002年の11月にふるさとへ戻って来てからまたお付き合いが始まった。本来はオヤジと北構先生との近所付き合いで、わたしはフロクである。
 戻って来てから、何度か話しているが、根室商業同期の歯科医の田塚源太郎先生や高坂さんのことが(わたしのほうから)話に出たときに、「同期はみんな先に逝ってしまった、昔話ができるのはもう君くらいなものだ、ときどき自宅に話に来てくれ」なんてことをおっしゃる。用事があって印刷会社の方に伺うと、ご自分の席から応接セットに移動されて大きな声でしばし昔話をしてくれた。愉しげに話されるので、どこで話しを切っていいのかわからないこともあった。国学院へ通っていた時は井之頭沿線、杉並区にお住まいだったという。古書店やアテネフランセのある神田界隈の話も、戦時中に文部省の依頼でベトナムの王族に日本語を教えていた話のついでにお聞きした。神田界隈は大学の神田校舎があったり、古書店街だったので、よく歩き回って本を買いあさった。話がどこに飛んでもどの通りかわかるので適度に相槌がいれられる。古い東京の話と古里の古い話が交互に出るから、なるほど、これはわたしでないと話し相手にならぬと感じた。

 人柄にも触れておきたい。豪放磊落、はっきりものという人だった。元落下傘部隊員だったオヤジは、そういう北構さんのファンだった。人柄に惚れていたのだろう。オヤジは昭和30年代に5年間ほど日本合同罐詰の四工場の一つ、三国工場の現場長をしていたことがあった。四工場を一箇所にして」、土間に2段ベッドだった女工さんの宿舎を畳みの部屋に改築すべきというのがオヤジの持論だった。工場長や現場監督はそれぞれ一人でよくなるし、機械工など集約したほうが機械の改良もメンテナンスもよくなる。なんどか本社に言ったようだが、聞き入れられず、業を煮やしたオヤジは退職した。そのあと機械工など主要な男工さんが次々と辞めていった、それぞれオヤジに挨拶に来ていたので覚えている。処遇の改善が進まなかったので女工さんも集まらなくなった。根室最大の企業である日本合同罐詰はほどなく経営破綻(昭和52年ころ)した。頑迷固陋、無能な本社幹部たちが寄ってたかって潰したようなもの。こうして根室最大の企業は根室人が潰してしまった。カニ罐詰では世界最高水準の加工技術を誇った会社だった。原料の買い付けのときは朝の4時ころ家を出て仕事していた。夕方残業が1時間くらいで上がるとき、工場から作業着姿で帰ってくる、北構さんが印刷会社の前にいるとこちら側へ歩いてきて道路角の所でに立って二人でしばし世間話をしていた。仕事で魚の匂いがついていてもまったく意に介さず、よく20分ほど外で大きな声で話をしていた。二人とも声が大きい。夕方声が聞こえてくるから、また話してると思った。地元で北構さんは大卒のエリート、根室は漁師町、あの年代の大卒はとても少ない、でもまったく気取らず、分け隔てのない人柄に惚れていた。北構先生はあの性格だから、オヤジに投票を頼んだことは一度もなかっただろう、頼まれもしないのに、選挙のたびに、オヤジは北構さんに投票していた。(笑)
 1964年は東京オリンピックの年だった。初の衛星放送でケネディの暗殺事件が報じられた年でもあった。根室で市長選挙があった。北構さんは市長選挙に立候補したが落選。誰にでも思ったことをはっきりとモノ言う性格、大卒のインテリ、そういうところが町の有力者たち、とくに水産関係から嫌われたと噂された。あのとき、根室の有力者たちが根室の未来の芽を潰したのだ。北構先生が市長になっていたら、根室の悪弊を一度は断つことができただろう。根室市が変わるチャンスだった。しかしだ、これも根室という町の運命だったのかもしれぬ。
 その後も市議をされたようだが、50歳前に根室の政治からは手を引かれた。「根室は変わらんよ、どうやってもかわらん、だからあるとき根室の政治から手を引くことに決め、考古学と会社経営に専念することにした」、そうおっしゃった。わたしはしばしば根室の旧弊・悪弊をとりあげることがある。北構先生が50歳前にあきらめたことを、ブログだけで少しはやってみようかと57歳から書き始めた。もちろん、スキルス胃癌で衰えた体力と脳力のリハビリもあった。いろいろな立場で協力してくれる人がいて、現実はわずかずつではあっても動いている。市立病院建て替え問題と17億円の年間赤字の問題については前院長のA先生が協力してくれた。経営状態を心配する院内のドクターも数名協力してくれる人が現れた。首都圏で病院建て替えや病院経営の経験はあったが、300ベッド弱の特例許可老人病院だった。総合病院経営の経験はなかったから、地域医療問題をブログで採り上げるのに、前院長A先生の協力は不可欠だった、感謝している。赤字額は年間10億円に減らせるよ。やり方に気が付かないのが不思議だ、ちゃんと赤字の原因の分析ができたら、おのずから年間赤字額を半分にする方法も分かろうというモノ。わたしはやれないことは言わぬ主義だ。
 町の未来には教育が一番大事だ。生徒を通じて根室高校の先生たちも協力してくれるようになってきた。恥ずかしながら、一番非協力なのが肝心要の根室市教委と根室教育長だろう。14年間見てきたが、教育問題では市議会文教厚生委員会にも動きがない、そろそろ動いたらいかが?北構先生が30代のころならはっきりモノを言っただろう。
 古里へ戻って14年目、気が付いたことがある。平均的な学力が著しく低下してしまった今でも、学年トップクラスの3人を上手に育成出来たら、浪人生も含めて、毎年2人ほどは医学部進学者を出すことができる。小学4年生から受験勉強スタートで十分だ。中高の先生たちと私塾の連携があればやりうる。30年間それが続けられたら、20人ほどは根室へ戻って市立病院で仕事してくれるだろう。市立根室病院の常勤医は12人、地域医療で大問題は常勤医が少ないことだ。長期的には自分たちの努力でいくらでも解消できるのに、手をこまねいている。教育に関心の薄い歴代市長や辞めたらすぐに根室を去るような教育長に根室の教育改革の仕事は出来ぬ。
 根室には、わたしのやれることは高が知れているが、30年後に町を担える人材を数人育てられたら、故郷に戻ってすでに14年、小さな塾を続けている意味がある。わたしはわたしにしか出来ぬ小さな仕事をやりぬく。

 根室唯一の文学博士、そして実業家、遠慮なくものを言う人が一人いなくなった。
 まだ、はっきりものを言う人はいる。老舗の造り酒屋の当主もその中の一人だろう。辛口である。根室にとっては大事な人たちだ。

 6月5日にお亡くなりになってから、なんとなく心が落ち着かなかったが、区切りがついてようやくほっとしている。

*

#4267 北構保男さんの思い出 June 10, 2020

#3953 北構コレクションの常設展示:オホーツク文化 Mar. 15, 2019

#2260 東西の古地図に見る日本・北海道・千島:展示会 Apr. 10, 2013

*2008年6月18日、ブログ#205『対談 弁天島発掘130年〈上〉』
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-17-1

 2008年6月19日、ブログ#207『対談 弁天島発掘130年〈中〉』
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-18

 
 2008年6月20日、ブログ#208『対談 弁天島発掘130年〈下〉』
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-19


「知床学のすすめ」菊池俊彦
  この中に、北構さん所蔵の「鳥骨製針入れ」の写真が掲載されている。
http://www.hokudai.ac.jp/bureau/populi/edition22/shiretoko




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#4283 中学生の野球試合:光洋中グラウンド July 5, 2020 [89.根室の過去・現在・未来]

 光洋中学校のグラウンドがなにやらにぎやか。車が30台ほど止まっていたので、試合だろうと行ってみた。
 そろいのユニフォームに「NENURO」と入ったチームと不揃いの格好のチームが野球をしていた。柏陵中と啓雲中の合同チームと光洋中学校のチームの試合だろうか?あんなに光洋中野球部いたかな?
 光洋中の野球部の監督大石先生が日焼けした顔で動き回っていたから、あれは光洋中野球部なのだろう。来年は啓雲中が光洋中へ統合されるので、こういう形式の試合は今年限り。

 どちらのピッチャーもいい球投げてましたから、打席に立って打ってみたい気がしました。バッティングセンターで機械から飛び出してくる球と違って人間が投げるから愉しい。同僚だった加藤と新宿で酒を飲んだ後、誘われてバッティングセンターで思いっきりバットを振ったことがあった。これが酔いが回って来て素面(しらふ)のときよりもよく当たるんだ。
 板橋区に住んでいたころ、近くにバッティングセンターがあって、マイバットで数回打ちに行った。小学生のころから鉞振り回して廃材叩き折っていたから、力任せに振り切る。かすると木のバット表面が削れてすぐにボロボロに、かするたびに摩擦でゴムが焦げたようなにおいがした。木のバットって消耗品であることがバッティングセンターで打ってみてわかった。金属バットの音よりも木のバットのほうがずっといい音がする、贅沢な音なんだなあれは。

 午後から天気が好くなったから、生徒たちは存分に楽しんだだろう。50人ほど見学していた。
 試合が終わる4時ころの気温は16.8度、南南西の風8m/sだった。

 野球部担当の大石先生、ご苦労様。
 庭の桜の樹が伸びすぎなので、剪定し、喉が渇いたのでわたしはこれからビール飲みます。


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#4277 根室市議会定数削減是非の市民意見募集 June 27, 2020 [89.根室の過去・現在・未来]

<更新情報>6/28朝9時 市役所職員不正採用について追記

 6/18の北海道新聞に「議員定数の市民意見 削減是非、人数 特別委が9月結論」という記事が載っていた。どうしようかなと、数日間迷っていたが、急に思い立って午前中に1時間ほどかけて意見書を作成し、昨年9月の学力テスト総合Aの釧路・根室管内18校データを添付して、根室市議会事務局へ送信した。


 市議会定数は18人、現状維持派の主張は「議会のチェック機能、市民の多様なニーズを行政に反映させる機能を維持するため」ということにあるらしいが、はたして過去15年間市議会による市政チェック機能は何度果たされたのか、また町の将来にかかわる具体的な政策提案が何回なされたのか、わたしが知りえたチェック機能は明治公園の再開発計画をストップした1例のみ。それもさらに規模を大きくしたような市民総合体育館建て替えを含む案がいま検討されているようだ。人口が激減(毎年600人のペース、人口比で見たら釧路市の2倍の速度)しているのに、利用者が増えるわけもない。メンテナンス費用が増えて将来困るだろう。


 市立根室病院の赤字額は17億円前後だが、2019年度は3千万円の赤字と市の広報に載っていた。公的会計基準での公表はやめて、企業会計基準でその経営実態を報告してもらいたい。事実を見ないでどうする。市議会で企業会計基準で市の広報に掲載しろと決議すればいいだけ。


 市議会が市政チェック機能を果たしていたら、市民から削減要求なんて出るはずもない。果たしていないから、過去に2度も市民運動で削減要求の署名活動がなされて、定数削減要望書が出されている。
 定数を3人減らして、市政チェック機能をちゃんと果たしたら、市民の考えも変わるに違いない

 たとえば、人口減対策と称して移住促進に予算を投じているが、どこにいくら投じて何人移住したのかの報告すら聞いたことがない。プランがあったら、計画通りに行ったかどうか、チェックがあって当たり前です。根室市は釧路市に比べて、人口比で2倍の速度で人口が減っています。50年前には中標津町の約3倍の人口だったが、今やほとんど一緒だ。周辺地域に比べて人口減少が激しいのは水産業が衰えただけではない、他にも理由がある。根室の旧弊・悪弊が連綿として続いている。市役所職員の不正採用もそのなかの一つだろう。

 市庁舎の建て替えについて、小中学校統廃合をすれば耐震改修済みの旧校舎がいくつも空き家となるが、そこをリハウスすれば10-15億円で立派な庁舎ができるし、氷見市がそういう例を示してくれている。調査にすら行ってないではないか。建物を新築したら耐用年数は50年、半分経過したころの2045年には根室市の人口は1.5万人を切っている4.5万人のときに建てた現庁舎よりも大きい新庁舎がどうして必要なのか合理的な説明がない。ここでも市政チェック機能が果たされているとは思えぬ。小学校をリハウスして25年使い、それまでに建設積立金を積んで、人口に見合ったコンパクトな新庁舎を造ればいいではないか、なぜそういう議論が市議から出てこないのだろう?
 「〇〇市民委員会」方式で、重要課題を検討し、市側の計画をオーソライズしているがこれはやめてもらいたい。中標津町は作業部会をテーマごとに立ち上げて、町民自由参加で町の将来ビジョンを作成している。「委員会」方式は12人の委員のうち10人が市のほうから任命され、公募委員が2名というのがあたりまえになっている。閉鎖的な諮問委員会方式での議論はやめよう、ろくな結論になっていない。オープンな場で、市民自由参加で何度も議論を重ねよう。これも市政チェック機能と具体的な政策の提案機能に含まれるのではないですか?

 教育問題に関しては釧路根室管内18校の昨年9月実施の学力テスト総合Aでは根室市内の3中学校が最下位グループを形成している。そうした具体的な数値をもとに市議会文教厚生常任委員会は議論をし、具体的な提案をしたことがありますか?根室の中学生の学力の現状データを見てください。昨年9月の学力テスト総合Aでは釧路根室管内18校で最下位グループを根室市内の3中学校が形成しています。根室市議たちは高齢化が進んで、小中高生の子どもがいないので、教育に関心がわかないのではないですか?町に将来を左右するのは子どもたちの教育にあることに異論のある市議はいないでしょうね。でも、さっぱりです。

 釧路市議たちは学力問題で超党派の組織を立ち上げて「基礎学力保障条例」を制定し、子どもたちの学力向上目指して市議会で激しい議論をしている。学力問題に強い危機感を感じているから、元釧路市議会議長月田光明さん、金安潤子市議、公務員アワードを受賞したことのある大越市議などが継続して教育改革の旗を振っています。

 コネによる職員採用は一向に改まらぬようだ。こういうことは噂で広まる。学力の低い者が採用されれば周りには明々白々だ。一緒に市役所を受けた成績優秀な生徒が何人も落ちるのに成績がよろしくない者が事前の噂の通りに採用される。漏れ伝わってくるコネを使っての採用とは学力の低い者を職員として迎えるということ。こんなことをずっと続けているから、課題がたくさんあったも山が崩せないということになる。不正採用があるたびに採用されなかった学力に秀でた子どもたちはふる里に残ることをあきらめ、恨みに思う。そんなこころに変えてしまってはかわいそうだよ。その子には兄弟姉妹や友人や親や親せきがいる。関係者、つながりのある者たちがみんながそういう不正を知る。そういうことが何十年も積み重なっているんだ。それを根室の町の旧弊・悪弊とわたしは呼んでいる。
(こういう職員採用に関わる不正は「噂」だけではブログに書かない)
 
不正に関わっているのは幹部職員であるが、自浄作用はないから市議会がチェックするか、新たな職員採用方法を提案するしかない。
 こんな幹部職員が何人いるのだろう?市役所は大丈夫か?職員採用不正をやっている幹部職員たちが予算執行で不正をしていない保証があるのか?
 市立病院建て替えのときには一番札を入れたジョイントベンチャーに仕事は回らなかった。当時の市長や副市長(現市長)が幹部職員を集めて緊急会議を開き、競争入札を覆して2番札だった市役所御用達業者へ落札している。札幌市でそんなことが起きたら大事件だろう。地域に根差した北海道新聞根室支局が大きくとりあげなかったのか不思議だった、いまもってその理由がわからない。地元経済界と利害関係の強い根室新聞が取り上げられるはずもない。「オール根室」という閉鎖的な村社会が根室の癌。

 ところで、管内4町(別海町、中標津町、標津町、羅臼町)は共同で職員採用試験をしている、そこに根室市も参加したらいい。そうすれば根室市役所の幹部職員による職員採用不正はできなくなる。
 なぜ、職員採用に関わる不正が許せないかというと、身近にそういう不正が横行していることを知った同期の高校生たちが根室という町に愛想をつかすからだ。市民意識調査をやっても、故郷の町に住みたくないという住民の割合が中標津町にくらべてずっと多い。ほんとうに罪が重いと思う。市議の諸君も噂はなんども耳にしているだろう。そろそろ市政チェック機能や提案機能を果たしてもらえないだろうか?

 根室市議たちが市政チェック機能をしっかり果たし、データに基づいた具体的な提案をするようになれば根室市は住みやすい町に変わる。市民から市議定数削減要望がでなくなるくらいしっかり仕事してもらいたい

 10箇条ほど項目を並べて、午前中に市議会事務局あて送信しました。



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#4184 根室明治町SSが2月末で閉店:変わりつつある根室 Feb. 20, 2020 [89.根室の過去・現在・未来]

 2002年11月に古里根室へ戻ってきて、明治町のSSにはずっとお世話になってきた。当時は中学時代の同級生がそのGSを運営している会社の根室支店の課長だった。そのご、めでたく根室支店長となり、しばらく仕事してから退職、やや間があってから、燃料関係の組合の仕事をしている。あいつは人柄がいい。このごろちょっと体調が悪いのは、地域医療と関係があるが、今回は触れない。
 2日前に閉店の通知が来て、昨日明治町のSSへ給油に行った。給油してくれた人に、「残念だな、ここがなくなるのは寂しい、異動先は決まった?」と訊いたら、ほとんどがイーストハーバーホテル向かい側のスタンドへ配置換えになるそうだ。遠くなるがそちらを利用することになる。光洋町から行くと道路の反対側だからどこかでUターンすればいい。西浜町のショッピングセンターにあるホクレンショップへの買い物帰りならよりやすい。

 根室のSSは船舶用のA重油の売上が圧倒的多かったのだろう。水産資源量の減少で、減船減船がこの50年続いているので、売上の減少は止めようがない。そして、この十年間ぐらいで自動車の燃費が大幅に改善され、車種によっては2倍以上に燃費が伸びているので、ガソリン消費量も半減だろう。人口が減少すれば冬の燃料用灯油の売上も減る。人口は最盛期の半分、加えて、若い人たちの生活スタイルが車離れを起こしている。都会で非正規雇用だと車を買えるはずもないが、根室はバスが頻繁に走っているわけではないので、車がないと仕事へ行くのに不便、都会ほど車離れは起きていないようだ。その分、家計を圧迫している。スーパーへ買い物に行くと駐車場にある車のおよそ半分は軽自動車である。

 社会保障・人口問題研究所の地域別人口推計によれば、いま2.5万人の人口が2040年には1.5万人となる。毎年500人ずつ減少したら、1.5万人だが、この数年間は600人を超えている。新しい推計値が出るたびに、2040年度の根室市の人口はしぼんでいく。

 いずれガソリンスタンドはセルフだけになるのかもしれない。人を雇っているGSがある間はそこを利用したい。スーパーも4つのうち一つは確実に撤退するだろう。採算割れすれば、本部の判断で簡単に閉店が決まり、人口の多いところへ新規出店となる。しかし、日本全体が人口減少するようになれば、新規出店が不可能になるから、閉店になっても新規出店なしというときが、間近に迫っている。
 水産加工会社も水産資源量の減少が続いているから、智慧を絞って高付加価値の加工へ転換できない企業や若い人に見向き去れない企業を中心に3割は消えるのだろう。地元企業が経営破綻すれば、そこで働いていた人たちは職を求めて、外へ出る人が増える。
 地元企業の経営者も後継者がいないところが増えている。息子を東京の大学へ進学させて、「じり貧だから、戻ってこなくていい」と伝えた経営者もいる。できの好い息子が後を継ぐなら、何とか生き延びられるかもしれないが、できの悪い息子が後を継いだら、従業員が気の毒だ、会社は消滅する。

 そういうわけで、10年先、20年先までどうやって生きていくのか、人口減少下でどういう長期的な経営戦略で生き残るのかを決めなければならない。回転寿司店ハナマルのように根室から出ていくという選択もある。


  地元企業の経営改革をリードする役割が、経済諸団体に求められているが、商工会議所、青年会議所、中小企業家同友会、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、水産業界諸団体のいずれがそういう役割を自覚し、担うのだろう?

 資源だけで食ってきた時代はとっくに終わりを告げている、根室の地元企業経営者たちはどういう長期経営戦略をもって人口減少に臨むのか
(地元の金融機関である大地みらい信金、根室漁業組合、歯舞漁業組合、落石漁業組合、湾中漁業組合、ピンからキリまで数多(あまた)ある水産加工会社、蟹の卸売り企業、建設会社、輸送会社、どの企業も例外なく経営戦略の転換と従業員への説明を迫られる。信金はお金を貸し付けるだけではじり貧となる。地元企業の上場を支援して、上場前に未公開株を取得して利益を稼ぐぐらいのことはやらなければならないだろう。地元企業と大地みらい信金の共存共栄の道である。)

 結局、従業員を大事にし、お客様が何を要望しているかに敏感に反応し、仕入先やそのほかの取引先を大切に思い、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」を貫く優良な企業が生き残る。

 人口減に対応した、縮小戦略を上手にやれる企業は多くはない。理由は簡単、有能な経営者は稀だからである。変化が小さい時は無能な社長でもやれるが、変化の大きな時代はそうはいかぬ。舵取り如何(いかん)で浮いたり沈んだりする。

 エネオス明治町曙町SSは上手に閉鎖、イーストハーバーホテル前店への統合を実行する。
 そこで働いている人たちがいる、こういう穏やかなやりかたがいい。閉店通知の手紙が来た時に、働いている人たちが、遠くの他の町へ異動しなければならないのではないかと心配だった。


*#4014 教育と地元企業の経営改善こそが町の未来の決め手 Jun. 9, 2019
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2019-06-09



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 エネオスからの通知書を確認できたので、「根室明治町SS」と訂正しました。ガソリンスタンド店名のミスを投稿してくれた石動さん、ありがとう。(2/22午後7時追記)

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#4014 教育と地元企業の経営改善こそが町の未来の決め手 Jun. 9, 2019 [89.根室の過去・現在・未来]

 わたしは古里根室へ平成14年(2002)11月に戻ってきた。
 根室市政は、藤原市長(平成10年9月から2期8年)⇒長谷川市長(平成18年9月から3期12年)⇒石垣市長(平成30年9月から)という流れになっている。
  2006年7月にはスキルス胃癌と巨大胃癌の併発、胃と胆嚢の全摘、リンパ節と浸潤していた大腸一部切除、よく生き延びたものだ。
 平成10年⇒1998年
 平成14年⇒2002年
 平成18年⇒2006年

*歴代根室市長
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/shinitsuite/aboutnemuroshi/rekidai/1322.html

 道庁の根室支庁長から市長になった藤原氏だけが大卒、北大水産学部だったと記憶する。地元にしがらみのない人だった。根室市役所は大卒比率が1割程度ではないのか。おそらく道内の市では最低レベルだろう。全国的に見たら大学進学率が50%にもなっているのだから、異常である。
 20年くらいかけて根室市役所職員の大卒比率を7割くらいにもっていくべきではないのか?

 藤原市政のときには平均して毎年400人前後の人口減だったが、長谷川市政の後半になって年600人に加速している。長谷川市政を引き継いだ石垣市政になってもその傾向はかわらない。


 根室市の衰退には二つ大きな原因がある。一つは長年にわたる教育、とくに子どもたちの基礎学力の軽視である。町の礎は教育にあるが、過去20年間どうだっただろう?地元の元校長のWさんが8年教育長をやったが、学力向上には興味がなかった。体育系の教員だったと記憶する。任期が終わったとたんに根室から去った、どうしてあんな人を教育長にしたのだろう?そのあとは道教育局職員が4人入れ替わり教育長になったが、任期が終わると判で押したように根室から去っている。どなたも根室に愛着がひとかけらもなかったのだろう。留萌から来た教育長のS山さんは、ニムオロ塾を読むなと言ったようだ。何か気に障ったことでも書いてあったかな?ご本人は弊ブログを読んでいた。(笑)
 根室へ教育長として赴任してきた道教育局の職員たちと比べると、根室高校で学力の現状に関する教育講演会を開催してくれた道教育局次長の武藤さんは文科省からの出向でとびっきりの人物だったが、数年で本省へもどって何かの室長をやりいまはブラジル大使館一等書記官である。ポルトガル語ができるので、リオデジャネイロ・オリンピックの少し前に抜擢されて赴任して文科省になかなか戻らない。それにしても文科省からいきなり一等書記官というのはほとんどありえぬ異動だ、まだ若いからね。経産省からイタリア大使館一等書記官に転任した異例の人が一人いる。森友学園問題で首相夫人の秘書的な役割を演じていた谷査恵子さんという女性である。とくに官邸に特別なコネクションのない武藤さんが一等書記官就任というのはどれほど彼が有能であるか物語っている。
 北海道の教育長になって戻ってきてもらいたい。オリンピックから4年たっても出向解除にならぬところを見ると、外務省から将来の大使候補要員として引きがかかっているのではないか、外務省にだってあれだけ仕事のできる有能な官僚はすくないだろう。
 問題が生じたときに
彼の助け舟がなかったら、根室市教委と当時の根室教育長はアウトだったね。全国紙で叩かれただろう。武藤さん、間髪入れず道教育局3課長連名で授業の進捗管理に関する全道通達を発信(この時の肩書は教育局義務教育課長)、じつに鮮やかな対応で火消しをした。結果から見たら、火消しがなかった方が根室のそして北海道の教育改革が進んだのかもしれない。武藤さん、有能すぎました。(笑)
*#3185 教育シンポジウム(10): 武藤久慶氏による基調講演⑧ Nov. 21, 2015
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-11-21-1
#3184 教育シンポジウム(9): 武藤久慶氏による基調講演⑦ Nov. 21, 2015

https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-11-21
*#2207 「武藤久慶氏(道庁義務教育課長)」講演会のお知らせ  Feb. 11, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-02-11-1
 #2214 北海道庁教育局義務教育課長「講演会」でどよめきあり Feb.16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-02-17
 #2218 論旨の違う新聞報道:市PTA連合会主催講演会 Feb. 19, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-02-19
 #2582-4 "基礎学力不足は明らか"と道教委学校教育次長武藤久慶 Feb. 3, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-03-3


 学力に力を入れている釧路は市役所職員が教育長になっている。釧路の教育を考える会の会長である角田さん(釧路江南高⇒北大卒)も昔、釧路市役所経済部長のあとに釧路教育長をしていたし、現在の教育長の岡部さんも若い時に角田さんの部下だったことがある市役所職員である。四月から教育指導参事に大山さんが就任しているが、校長職を退職したあとに民間会社へ就職していたが、基礎学力の強化を願う釧路市長に懇請されて就任した。民間企業で使えるくらいの力量の人が教育指導参事になった。かれは「基礎学力保障条例」に忠実に各学校へ向けて具体的な方針指示をしている最中である。
(わたしが話したことのある釧路市役所の部長職数名は全員大卒である。釧路では市役所管理職が大卒であるのは普通のことのようで、人材が豊富だ。長年にわたる採用のしかたが人材の質に大きく影響するから、根室市役所も釧路に学べばいい。)

 根室管内には学力向上に実績のある元校長がわたしの知る限りで2名いる。ひとりは数年前に啓雲中学校長をした佐藤義昭さん、かれは荒れていた啓雲中学校を立て直した。弊ブログ記事#1307のURLを貼り付けておくので、ご覧いただきたい、北海道新聞が平成10年に取材してその惨状をシリーズ記事にしている。学校の荒れがおさまると学力も大幅に上がった。だが、校長が変わると学力が下がった。
*#2429 基礎学力 就職に有利 :根室にも教育改革の芽がある Oct. 2, 2013
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-01-1
*#1307 教育再考 根室の未来 第2部 低学力④:荒れる中学校 Dec.19, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-19-1


 もう一人は別海中央中学校長を昨年3月に退職した青坂さんである。彼のホームページ「http://office-aosaka.com/」をご覧いただけば力量がわかる。根室管内の先生たちに彼が発信した「学校通信」を読んでもらいたい。
 わたしの知っている限りで2名だから、おそらく他にもいるのだろう。根室市教委はこういう実績のある先生を嫌う。こういう人が教育長になって腕を振るって各学校をバックアップしてくれたら、落ち続けている根室の子どもたちの学力は下げ止まるに違いない。なぜこういう人材を教育長に向かえないのか?教育こそは地域の未来を拓くカギである。

 もう一つは地元企業の経営改善である。経営改善は経営者が私利私欲を離れて、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の経営をしてこそ築けるもの。決算資料を従業員に公開するのはもちろんのこと、予算制度を採り入れ、予算達成のときは賞与をいくら支払うのかも予算で決める。退職金規程を定め、毎年従業員一人一人にいまやめたら退職金がいくら支給されるのかを文書で通知する。それくらいのことをやらないと都会の企業の待遇とは勝負にならない。
 経営者の
心根が真っすぐで学力が高ければ企業の経営改善はとんとん拍子に進むもの。そういう地元企業の多い町は活気にあふれているだろうし、大学へ進学した若者も戻ってきて地元企業に勤めるから、人口も減らない。移住政策で人口を何とかしようなんて愚の骨頂。まっとうにやればいいだけ。
 ふるさと納税制度で、根室の企業の経営はずいぶん甘いものになっている。脱税を勧めるようなもので、こんな性悪な制度はいずれ消滅する。その時にゆるんでしまった経営体質を元に戻せるのはよほど有能な経営者のみ、ふるさと納税制度がなくなったら地元企業の倒産が相次ぎ、3年間は年間の人口減が1000人を超えるようなことにならなければいいが…この制度を提案したのは菅という官房長官殿だそうだ、罪が深い。目先でのごまかしは大きな災いの種を撒いているようなもの。時間がたてばたつほど、大きく育ってついには刈り取りの時期を迎えてしまう。あな恐ろしや。

<学力低下へのメモ>
 いまも根室の子どもたちの学力は低下し続けている、普段の学力テストの五科目平均点の推移をみたらいい。100点(300点満点)を切る学校が昨年は3校中2校だった。
*#2606 根室の中学校の過去6年間の学力低下を検証する  Feb. 28, 2014
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-27-1

 
記事のURLを眺めると、北海道新聞根室支局は2010年と2011年に、根室の教育問題をずいぶん積極的に取り上げてくれたことがわかる。小山さんという記者とその前任者が教育問題への関心が強かった。ありがとう。
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*#2607 生徒の学力低下に気がつかぬ学校と根室市教委 Mar. 1, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-03-01

 #2118 経営理念をもちそして臨機応変に: クラスに集まる生徒にあわせた授業 Nov. 6, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-11-05

 #1935 フリー授業参観に行こう:啓雲中学校  May 14, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-14

  #1758 教育再考 根室の未来第 シリーズ4部⑤:新聞活用(北海道新聞) Dec. 1, 2011
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-12-01

 #1757 教育再考 根室の未来第 シリーズ4部④:小中一貫教育(北海道新聞)
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-30-1

 #1756 教育再考 根室の未来第 シリーズ4部③(北海道新聞) Nov. 30, 2011
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-30

  #1753 「教育再考 根室の未来第 シリーズ4部②(北海道新聞)」
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-27-1

 「#1750 教育再考 根室の未来第 シリーズ4部連載開始(北海道新聞) Nov. 25, 2011 」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-25


 #1307 教育再考 根室の未来 第2部 低学力④:荒れる中学校
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-19-1

 #1306 教育再考 根室の未来 第2部 低学力③:若手多く指導に苦戦も
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-19

  #1304 教育再考 根室の未来 第2部 低学力②:「学ぶ意味」尊重されず 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-17

  ◎#1253 教育再考 根室の未来(5):第1部⑤高校統廃合(北海道新聞)
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-24

  ◎#1251 教育再考 根室の未来(4):第1部④高校統廃合(北海道新聞) 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-22

 ◎#1250 「教育再考 根室の未来(3):第1部③高校統廃合(北海道新聞)」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-21

 ◎#1249 「教育再考 根室の未来(2):第1部②高校統廃合(北海道新聞)」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-20

 ◎#1248 「教育再考 根室の未来(1):第1部①高校統廃合(北海道新聞)」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-19

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