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#5285 「51-51」熱血野球漫画家でも描かない物語 Sep.21, 2024 [5. こころの洗濯]

 9/21朝日新聞朝刊に「大谷50-50」「本塁打・盗塁 大リーグ史上初」という記事が載ってました。
 9/20のテレビ朝日「羽鳥モーニングショー」で「51-51」と騒いでいたので、何事かと聞いていたら、3本まとめてホームランを打ったと喋ってました。何かの冗談かと思って聞いてましたが、ホントの話(笑)
 熱血野球漫画の「Major」でもありえないストーリーにビックリ仰天しました。
 6回と7回に連続ホームランで50を達成、9回に51本目が出ました。マーリンズは内野手がピッチャーをやりましたが、逃げずに勝負したのは見上げた采配でしたね。野球へのリスペクトが感じられました。あのスローボールをホームランにした大谷さんのパワーに脱帽です。

 そして今日9/21、52号です。「52-52」、とどまるところを知らない。

 夏が終わって高くなった秋の空を見上げているようです。

 何より本人が一番びっくりしているのではないでしょうか。
 おめでとうございます。



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#5177 ブラックアウトの星空と建礼門院右京大夫の星空の歌 Sep. 2, 2024 [5. こころの洗濯]

  NHKラジオ番組「古典講読」を聞いていたら、建礼門院右京大夫の歌が紹介されていました。
 恋人の平資盛が壇ノ浦の戦で亡くなったあと、傷心の建礼門院右京大夫が(月のない)夜空にまたたく数々の星の美しさに気がつき、詠んだ歌です。
 月を謳った歌はそれこそ星の数ほどもありますが、星の美しさを詠んだ歌はこれが日本文学史上の嚆矢であるとは、講師の島田景二氏(東京電機大名誉教授)の解説です。

 2018年9月5日に胆振東部地震が起きて北海道全域がブラックアウト、その停電は3日間に及びました。
 そのときに、夜空を見上げたら、満天の星でした。

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十二月ついたち頃なりしやらむ、夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて、叢雲さわがしく、ひとへに曇りはてぬものから、むらむら星うち消えしたり。引き被きふしたる衣を、更けぬるほど、丑二つばかりにやと思ふほどに引き退けて、空を見上げたれば、ことに晴れて浅葱色なるに、光ことごとしき星の大きなる、むらなく出でたる、なのめならずおもしろくて、花の紙に箔をうち散らしたるによう似たり。今宵はじめて見そめたる心地す。先々も星月夜見馴れたることなれど、これはをりからにや、ことなる心地するにつけても、ただ物のみおぼゆ。


  月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる

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*現代語訳

 建礼門院右京大夫にとって平資盛は夜空に輝く月だったのでしょう、旅の途中で月のない夜空を眺めたときに、星々の美しさに気がつき、見惚れてしまった。月が煌煌と照っていたら満天の星には気がつかなかったでしょう
 九百年前の歌ですが、何らかの事情で恋人を失った女性たちへのエールかもしれませんね。いまもそういう事情を抱えた女性は幾万人といます。歳月が過ぎ去っても、人を愛する心はちっとも変わらない、だからこそ、古典を読みたくなります。古典の中に変わらぬ今があり、昨日があります。


 9/5の胆振東部地震、そして全道ブラックアウト。
 9/7の夜空の様子を弊ブログ#3817から抜粋します。穴があったら入りたいくらい拙い文章ですが、星空の美しさに見とれてしまったところだけは建礼門院右京大夫と同じ。凡で俗なわたしには複雑な感情はありませんでした。ただただ美しいと感じたのみ。(笑)
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<星が空いっぱいに…>
 昨夜ひょっとしてと思って外に出ました、まっくら、見上げると晴れ渡っていました。期待以上の満天の星、こんなにたくさんの星があるのに今まで気づかなかったんだ、美しさに見とれて双眼鏡で30分ほど眺めてました。
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#5117 公理を変えて資本論を演繹体系として書き直す① Nov. 18, 2023 


#5132 公理を変えて資本論を書き直す⑥:生産性アップと労働価値説 Dec. 20, 2023


 



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#5071 チャップリンと金子みすゞ Sep. 26, 2023 [5. こころの洗濯]

 喜劇王チャップリンを知らない人はいないだろう。
 1889年4月16日、ロンドン生まれである。ヒトラーは同じ年の4/20生まれだから4日違い。
 両親ともにミュージックホールの芸人だが、両親はチャップリンが2歳の時に別れてしまい、母親のハンナは別の芸人とすぐに一緒に暮らす。それも長続きせず、7歳のときには困窮して、救貧院へ収容される。貧乏のどん底を這いずり回る数年間がある。

 あるとき、近くの屠場から羊が逃げ出し、そこいら中を駆け回って逃げ、大騒ぎが起きる。羊はつかまえられて、屠場へ戻される。その日の夕方チャップリンは母親のハンナに羊がかわいそうだと泣きながら訴える。この経験が後に映画を作るときの骨格になっている。
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ

 「ライムライト」「独裁者」「モダンタイムス」...彼の作品は喜劇と悲劇あるいは一抹の哀愁が立体的に織りなして出来上がっている。こんな俳優・監督・作曲家は2度と現れないのだろうか?

 チャップリンが作曲家だということをわたしは数日前まで知らなかった。映画『ライムライト』の「エターナリー」や『モダンタイムス』の「スマイル」という主題歌はチャップリンの作曲だ。チャップリンが監督した最後の映画『伯爵夫人』のテーマ曲「愛のセレナーデ」も彼の作曲。どれもメロディーの美しさの中に陰りがある。作曲家としても才能に恵まれていた。ミュージックホールの売れない歌手だった母親の手ほどきの影響が大きい。5歳のころから舞台で母親の代役をすることがあった。小さな子が、上手に歌い演技する姿が愛らしかったのだろうな。

 金子みすゞの「大漁」という詩が大好きだ。なかなか怖いものがあるが、チャップリンの名言で彼女のこの詩を思い出した。視点がよく似ている。

   大漁
 朝焼け小焼けだ(あさやけこやけだ)
 大漁だ(たいりょうだ)
 大羽鰮の(おおばいわしの)
 大漁だ
 浜は祭りのようだけど
 海の中では何万の
 鰮のとむらい
 するだろう

金子みすゞの詩歌って踊って

<余談:ヒットラーとチャップリン>
 4日違いで生まれたチャップリンとヒットラー。映画『独裁者』は1940年に作品で、その構想は第2次世界大戦勃発前になされていた。ナチズムが吹き荒れている最中に、チャップリンは映画『独裁者』を製作して封切った。たいへんな反骨精神である。
 わたしはあの映画は戦後の作品だと勘違いしていた。あまりに危険すぎるからだ。ナチスは、チャップリンがユダヤ人だというキャンペーンを試みたが、教会の記録を遡ってもユダヤ人が出てこなかったようだ。
 俳優、映画監督、作曲家、どれをとっても超一流の人。
 チャップリンほどではないが、ときにそういういくつもの才能に恵まれた人がいる。歓びが大きい分だけ苦労の谷も深くなる、かわいそうだ。

エターナリー
スマイル
愛のセレナーデ


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#5064 FM東京「ジェットストリーム」 Sep. 16, 2023 [5. こころの洗濯]

 深夜零時からはじまるこの番組を久しぶりに聴いている。54年ぶりかな。

 番組冒頭のナレーションが流れたが、すぐに違和感がわいた、心が溶け込めない。福山雅治のナレーションがプロの俳優らしからぬ語り口なのである。福山の東野圭吾の本のテレビ化作品をいくつか見たが、こんなレベルだったのかとびっくり。音声だけだとごまかしようがない。

 この番組は、極東の町の高校を卒業してら東京へ来た年、1967年から「FM東海」の試験放送が始まった。飛行機が離陸する音とともに城達也(ジョータツヤ)のナレーションが始まる。いい声だったな。数年して「FM東京」へ変わった。FMは試験放送から本放送へ移行したのだ。そういう変わり目の時代だった。

 福山と城のナレーションを比べてというより、福山のナレーションを聴いた途端に城のナレーションが脳裏によみがえって、その違いにたまげたのである。朗読技術に大きな差がある。いまの時代だって朗読の上手な俳優はいる。声だけで勝負だから、力の違いが歴然と出てしまう。
 福山雅治、シンガーでもあり俳優でもある、結構売れていたから、台詞を言うトレーニングなんて積んでいる暇がなかったのかもしれぬ。そういえば、そうした俳優は他にも心当たりがある。たとえば「科捜研の女」の沢口靖子、他にもたくさんいるが、これらはみなさん売れっ子、朗読が上手そうには見えない。「科捜研の女」の相手役の内藤剛史も一本調子で上達のそぶりもない。さて、ジャニーズ事務所で朗読の上手な役者はいるだろうか?
 努力が足りないのか、努力の方向が間違っているのか、怠け者なのか、もともと俳優の素質が乏しいのか、わたしにはわからない。30年間、役者稼業をやれば10000日だから、そこそこの芸域に達していてもおかしくないはず。
 ところで、演劇での舞台経験が豊富な人は概して朗読が上手だ。たとえば、市原悦子。中標津町出身の老俳優が地元で開いた朗読会はすばらしかったようだ。こういう人たちは若い時にしっかり修業しているのだろう。むしろ、あまり有名ではない人に朗読の名人が多いのかもしれぬ。
 ショッキングな冒頭のナレーションだった。

 この番組を最初の年(1967年)は東芝のトランジスタラジオで毎晩聴いていた。1年後くらいにサンスイのチューナープリアンプを買ってヘッドフォンで聴いた。高いアンプだったが、その代わり、音は抜群によかった。そのチューナープリアンプは当時で4万円弱の値段だった。そのころの大卒新入社員の給料は3万円。そしてさらに1年後にオンキョーのパワーアンプを買って、スピーカーを自作した。
 ヘッドフォンで聴くときはボリウムを下げて聴くようにした、長時間聴いていると耳の負担が大きい。難聴になりそうな感じがあった。ボリウムを絞っても音は抜群によかった。わたしはジェットストリームという番組が懐かしいのである。

 10枚組のCDセット「ジェットストリーム」がある。冒頭にジェット機の離陸する轟音と城達也のナレーションが重なって流れる、明日はあれを聴こう。

*城達也のナレーションは台詞が二種類ある。こちらのサイトに記されている。
 「JET STREAM」


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#5052 映画「英国王のスピーチ」を観て:映画音楽のすばらしさ Sep. 7, 2023 [5. こころの洗濯]

 数日前にNHK衛星放送で「英国王のスピーチ(原題は"The King's speech")」が再放映された。
 吃音癖のある弟アルバートは、兄エドワードが離婚歴のあるウォリス・シンプソンと結婚したくて教会と対立し王位を投げ捨てたために、ジョージ6世として急遽戴冠することになる。
 ライオネル・ローグという言語療法士の治療を少年のころから受けてきた彼は、戴冠式の演説のマネジメントを彼に委ねたいが、ローグに正式の資格はないし、医師でもないので、戴冠式を行うウェストミンスター寺院の大司教が反対し、評判のよい医師を選んで連れてこようとするが、ジョージ6世は拒否する。そもそもイングランド国教会が兄の結婚に反対したから自分が王位をつぐはめになったのだから、アルバートは快く思ってない節がある。ローグと二人っきりで、翌日に迫った戴冠式の演説のリハーサルが始まる。

 それからまもなく、今度はナチスドイツに対する宣戦布告演説をすることになるが、これもローグがマネジメントする。何度も何度も練習したあと、本番を迎えるが、そのときに使われた音楽がすばらしい。放送室でマイクの反対側にローグがいる。かれはジョージ6世に自分に話して聞かせるようにやれと指示し、吃音のジョージ6世は言葉に詰まりながら、長い間を置いて話し始めるのだが、その間の長さがとっても演説に重みを与えていた。ローグはオーケストラを指揮をするように腕を動かす。そしてアルバートが長い沈黙を置いてからゆっくりと語りだす。
 歩くようにゆっくり、そして徐々に盛り上がるこの曲はベートーベンだ。7番であることは分かったが、あとでシンフォニー7番の第一楽章を聞いてみたが違っていた。あの印象的なメロディは第2楽章だった。
 ドイツへの宣戦布告演説のバックに使ったのはドイツ人の作曲家のベートーベンの交響曲7番というのは英国流のユーモアかもしれない。

 最後のシーンで流れたのは聴き覚えのあるきれいなピアノ曲だった。曲名は忘れたので、どなたか知っていたら投稿欄で教えてほしい。
 (英国の著名な作曲家のピアノ曲なら、エルガーの「愛の挨拶」が一押しである。たぶんこの曲だった。この映画のエンディングテーマにふさわしい。どうやら音楽担当は同じことを考えたようだ。(笑))

 言語聴覚士のローグと吃音のある英国王ジョージ6世の生涯変わらぬ友情を扱ったすばらしい作品だったが、使われた音楽にも深い味わいがあった。

*「英国王のスピーチ

<余談:藤田光一郎さんの交渉の間の取り方>
 出向していた東北の臨床検査会社の資本提携解消の案件で、浜松町の東芝ビルにあるJAFCO本社をSRL創業社長の藤田光一郎さんと二人だけで訪れたことがある。
 本社で藤田さんと5分ほど資本提携解消について話し合ったが、後は雑談だった。社長室ではなくて、わざわざオープンスペースの小さなテーブルを指定して、わたしの報告を聞いていたから、あとから本社の役員から何を話していたのか訊かれた。藤田さんが社員とオープンスペースの小テーブルで1時間も話しているなんてことはなかったからだ。
 そのあと、立川の本社ビルを出て、中央線で新宿で山手線で乗り換え、浜松町で降りて歩いて東芝ビルへ向かった。その途中で「やはり、ebisuさんの言う通りにやりましょう」と喧嘩腰だった前言を翻しました。JAFCOの役員と部長職が出てきて会議が始まると、藤田さん、言葉が出ません。間が長いのです。圧力がグーンと大きくなるのが見えるようでした。交渉事は沈黙をコントロールする必要があることを、見せて教えてくれたのです。ジョージ6世のナチスドイツへの宣戦布告演説を見て、藤田さんの間のコントロールを思い出しました。JAFCOはIPO事業では日本でナンバーワン企業ですから、藤田さんが製薬メーカーの富士レビオと臨床検査事業のSRLの2社を創業し、一部上場企業にしたことを知っています。日本で2社一部上場した経営者はその当時は藤田光一郎さんだけでした。あの間の取り方の巧みさは、俳優でもなかなかいませんね。

 さてここからは雑談ですので、本論とは関係がありませんので、読み飛ばしてけっこうです
 JAFCOの部長から「お車を正面玄関に回しますのでどちらへお止めになっていますか?」と問われ、「電車できました」と答えると、「セキュリティ上まずいですよ、一部上場企業の社長ですから」、そう注意されましたね(笑)野村証券の子会社であるJAFCOの社長はこのあとに中学校で隣のクラスだった伊藤君がやっています。不祥事で野村証券の役員が2度も総入れ替えになったので、ラッキーだった。中学校の同期名簿には彼の住所と電話番号が不記載になっていました。なるほど役員のセキュリティを重視する企業のようですね。
 藤田さんは電車利用が可能だとタクシーも使わないのです。「藤田社長」と職位で呼ぶのは禁止しました。だから「藤田さん」なのです。社員が毎日社用車で病院を訪問して検体を集荷して利益が出ているのだから、社長が贅沢してはいけないという人でした。しかし、本社で仕事が忙しくて比較的多い人数が残業していると、都庁前の新宿NSビル22階に本社があったときには、最上階30階のレストラン街の有名寿司店から大きな桶に載せた寿司が二つ届きます。いいネタばかりです。もちろん会社の経費ではなく、藤田さんのポケットマネーです。経理部門に2年弱いたので、他の課員が伝票見ていますから知っていました。「ebisuさん、藤田社長は伝票まわしてこないんだよ、自分のポケットマネーから出している」そう言ってました。自分の個人的な利益は後回しにして考え行動する人でした。素敵なオーナー経営者でしたね。そんなことはオーナー社長しかできません。
「売り手よし買い手よし世間よしの三方よし」と「従業員にもよし」の四方よしのオーナー経営者でした。わたしが入社したのは1984年2月1日でしたが、前年12月のボーナスは5か月出てました。組合(職場代表者会議)の4.5か月の要求に5か月の回答でした。その年の新入社員へは80万円以上が出てましたから、父親よりもボーナスが多かったなんて話がありましたね。(笑) 1983年の大卒初任給平均は13.2万円ですから、初任給も相場よりも随分高かったのです。売上が年率で20~30%も伸びていて、いくら人を補充しても追いつかない時期でした。女子社員に、「ご亭主SRLへ転職しないか?」「運転免許持っている、じゃあ営業で採用だ」なんて時代は1980年ころまででした。給料が高いので、応募倍率のとても高い企業へ変わりつつありました。東証1部へ上場した年には20人に採用枠に1万人を超える応募がありました。
 東証2の部への上場準備で1982年から8名ほどが中途採用されましたが、わたしの採用は1984年2月1日付で、その中の最後の一人でした。ぎりぎりセーフ。簿記1級と経営分析とデータに基づく経営改革と経営情報系の統合システム開発経験があったからです。欧米50社の世界最先端の産業用エレクトロクス製品の知識も臨床検査機器を理解するうえでとても役に立ちました。6年間毎月行われていた東北大の先生の講義や、海外メーカーのエンジニアが開発したばかりの製品の説明に年間20回ほどは着て説明会を開催していたので、面白いので全部出席してました。「ディテクター+処理装置+インターフェイス」という理化学測定器の原理はどれも同じでしたから、臨床検査機器の理解にそのまま流用できました。本社部門にそんな人材は一人もいませんでした。複数の専門分野に精通した人材はとっても少ないのです。8人の内、わたしだけでしたから。
(藤田社長は1990年頃に、八王子ラボで廃液に関する内部告発があったときに、2階に第2社長室を置きました。学術開発本部長直属スタッフだったわたしの席は社長室のパーティションが背中にありました。一番近かったのです。毎週金曜日は30分ほど開発部のメンバーと本部長とわたしと、藤田社長へ情報提供をしていました。そのあと関係会社管理部へ異動し、藤田さんの特命案件(北陸の臨床検査会社の吸収合併と東北の臨床検査会社への資本提携交渉)を二つ処理しています。赤字だった子会社千葉ラボの黒字化のための新規システム開発導入も関係会社管理部でわたしの案件でしたので、損益シミュレーション付きの稟議書にOKを出してくれてます。予定以上の結果が出ています。86年には「臨床診断システム開発と事業化案」に200億円の予算とフィジビリティスタディを承認してもらっていたので、藤田さんとは接点が多かったのです。)

 藤田さんの特命案件で資本提携交渉をした後、赤字の会社立て直しを引き受け、3年の出向予定が1年半で解除になりました。作った再建案が染色体検査事業の拡張で売上高経常利益率15%という劇的なものだったので、実施をとめられ出向解除となったのです。1億円の資本提携から子会社化する具体案の調整も出向会社の社長と大株主との交渉が済んで、子会社化していました。売上高利益率15%は子会社中でダントツナンバーワンですし、SRLよりも業績がよくなる損益シミュレーション付きの具体的な計画案でした。重要な子会社社長はSRL役員を兼務するというのが慣例でしたから、それが嫌だったのです。毛色が違い過ぎました。藤田さんの人柄を考えると、無理のない結論でしたね。三年間で黒字にできっこないと思っていたのでしょう。赤字の会社を黒字にすることにしか目が行っていなかったわたしが浅はかだったのです。
 本社の「管理会計課長・社長室・購買部兼務」で戻したのには藤田さんに何か意図があったのか、新しく社長になった近藤さんの判断だったのかわかりません。購買部の兼務は購買在庫管理システムの更新時期に来ていたので、わたしに担当させたかったのでしょう。1週間でクライアント・サーバーシステムへ乗せ換える仕様書を書いて購買部のシステム担当チームに渡しました。富士通の汎用大型機を使うつもりだったようで、当てが外れて担当者はむくれてました。1993年頃だったから、もう汎用大型機の時代じゃありませんでした。最初の購買在庫管理システムはわたしの担当ではありませんでしたが、システム開発経験のない人3人でやっていたので仕様書の半分は書いてあげました。購買課で機器購入担当を2年半した経験があったので、運用もシステムの内容も熟知していました。
 後でシステム部長のS田さん(病理医)が、「ebisuさんのことなんにも知らなくてあの時は失礼しました」って謝ってました。SRLシステム部は、能力が低くて、1984年に経営統合システムを開発したときにはノータッチでした。NCDさんという外部のベンダーを使って、外部設計と実務設計はこちら側でやりました。NCDさんの役割は内部設計とプログラミングのみ。

 グループ会社を含めた25ゲージのレーダチャートと総合偏差値による業績評価システムは1978年にエレクトロニクス輸入専門商社で開発したものをEXCELに乗せ換え済みでしたから。1992年に関係会社管理部に1年半ほど在籍しましたときに、グループ企業全部の業績評価をそのシステムでしています。経営分析のコメント付きで業績評価をしました。経営改善用のまったく新しい業績評価システムでした。
 子会社関係会社の業績を管理するにはわたしが本社へ戻ってやるしかなかった。いまでも、あんな25ゲージ・5ディメンションの総合偏差値業績評価システムをもっている会社は日本にはないかもしれません。
 産業用エレクトロニクスの専門輸入商社にいた1978年に会社の経営体質と財務構造を変革するためにHP-67とHP-97を利用してプログラミングして開発したシステムでした。科学技術計算専用のプログラミングのできる電卓型計算機でした。統計計算のパッケージと数学のパッケージも別売でありましたので、それも会社で購入してもらいました。したい仕事を思いっきりさせてもらって幸せでしたね。


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#4972 笑いのおすそ分け May 20, 2023 [5. こころの洗濯]

 5/13付朝日新聞10面の「いわせてもらお」投稿欄より


<おもいやり>
 娘の家に小5の孫の大好きなわらび餅をもって行き、みんなで食べた。 夫(72)が「これも食べて」と自分の分を孫に差し出すと、「おいしいものはおじいちゃんが食べて、わたしにはまだ時間があるから」。
(川崎市・長生きしたい・74歳)

 おもわず、笑い声を出してました。

<本音>
 久しぶりに小1の孫娘を預かった。遊び相手をしたり、彼女が好きなおでんをつくったり、だいぶ気を使ったつもりなのに、パパが迎えに来た途端、「あ~、やっと帰れるわ」の一言を残して去って行った。
(大阪市・「やっと帰ってくれるわ!」と言ってやりたかった・73歳)

 気を使っていたのはババだけじゃなかった。小1の孫娘も気を使っていた、知らぬが仏。ケッサクです。

 どちらの孫も、ジジ・ババにしっかり気を使っています。孫の視点で見ると世界が変わります。(笑)


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#4532 こんなご時世だから:悪態俳句のススメ April 28,2021  [5. こころの洗濯]

 NHKラジオの朝7時半ころから10分程度の番組を毎朝聞いている。聴いているではなくて聞こえてくるのだ。
 夏井いつきさんという歌人の悪態俳句をNHKのアナウンサーが紹介していた。負の感情を短くちぎって投げることでストレス発散になるという。句を読んでなるほどと思った。言葉を短く五七五にちぎって投げつけたら、ストレスが飛んでいく感じがする。夏井さんの読んだ句を四つ紹介する。

 六十の 春こそよけれ 絶交す
 やまびこや 案山子に耳は ありますか
 タンポポを さんざんぶって やりました
 理屈たれる 春のマスクを あごにかけ

 還暦になった春に、気に入らない人と絶交したと、強い毒を吐いてます。
 何を言っても馬の耳に念仏の人は居るもので、あなたに耳はあるのですかと皮肉っている。季語は案山子(かかし)で秋です。軽い毒を散らしています。
 ストレスが溜まって、それをタンポポにぶつけているのが見えるようです。還暦過ぎたおばちゃんが蹴とばしている姿を想像してください。笑えますね。毒だけじゃなく、面白みもあるんですね。
 屁理屈いう人はどこにでもいます。そんな人が理屈をまたたれているけど、あなたのマスクは用をなしていませんよ、鼻と口が出てます。言行不一致をチクリと一刺し。

 夏井さんはユーチューブで俳句の作り方を解説しています。

 わたしもひねってみます。

  春となり コロナの山が 惨(三)連なり
  みぎひだり コロナ重苦(19)に 春二度目

 コロナの山はすでに三つ連なり、第4波の山を迎えつつあります。変異株が急速に広がり死亡者数は激増し、1万人を超えました。まさしく「惨」です。「娘十八番茶も出花」といいますから、19歳は2度目の春。そういう青春真っ盛りのときに彼氏ができたら、土日は一日中くっついていたい、とっても明るく楽しい春が連想できます。外食や飲み会さえ控えなければならないコロナの暗い春と対比してみました。
 政府も国民もコロナに右往左往で、なす術ナシ。政府のコロナ担当2大臣(田村厚労大臣、西村コロナ担当大臣)も東京都知事も、口を開けば「自粛、自粛」です。河野ワクチン担当大臣はもう賞味期限切れとなって変異株にはほとんど効かぬワクチンを「5月末になれば...」なんて言ってます。ファイザー社のおひざ元の米国はすでに2億回もワクチン接種済み、日本はまだ国民の1.2%に接種しただけ。数字はごまかしがききません。そのファイザー社もモデルナ社も変異株に現行ワクチンが効かぬことを承知しているので、変異株用にデザインしたワクチンを開発中であり、まもなく臨床治験段階に入ります。南アフリカ政府は効かないことを確認したのでワクチンを打つのを中止、転売先を探しているのです。日本のワクチン担当大臣、南アフリカ政府以下の能力、気はたしかか?
 河野氏は行革担当大臣でもあったはずですが、ワクチン接種でさらに別のシステムを作って全国の市町村や国民に利用を強要しています。行革担当大臣としては一本化するんじゃなかったの?テレビでピントを外した話をするだけで、実際にはまるで仕事ができない。コロナ予防接種で三つもシステムがあり、現場は大迷惑で右往左往してます。
 そういうわけで被害と苦しみは国民へ。COVID-19の19と「重苦」は掛詞。


 口直しに、『芭蕉全句集』No.73からの格調の高い名句を一つ

  春なれや 名もなき山の 薄霞




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芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2010/11/25
  • メディア: 文庫


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#3717 春休みに見つけた巨大書店 Apr. 8, 2018 [5. こころの洗濯]

<巨大書店発見>
 八重洲ブックセンター、新宿紀伊国屋(南口店はすでに消滅)、神田三省堂書店など大きい本屋はいくつもあるけれど、ワンフロアでこんなに広い本屋は初めてでした。東京多摩センター駅 ココリ多摩5階、丸善書店です。もとは大塚家具のビルでした。
 売場面積は約1200坪ですから、130m×30mくらいでしょう。
 写真②は30mほどの奥行の書架を撮りました。これが縦に100m以上にわたって30列以上並んでいるのが写真①です。一列両側に各6000冊とするとそれが30列あると36万冊の在庫ということになります。ゆっくり見たら3日がかりとなりそうですね。こんど歩いて歩幅で計測してみよう。書架が何列あるかもカウントしてみたい。時間がなくて本を見るのに夢中だった。(笑)

 池袋西武の本屋や池袋東武の本屋がワンフロアとしては東京では大きい方なのですが、ココリア多摩の丸善はまるで比較になりません。

 聖蹟桜ヶ丘駅ビルのアートマン7階に熊沢書店があるのですが、レイアウト変更になって、哲学書と数学書のコーナーがなくなりました。それで近隣で大きな本屋を探していたら偶然に見つけました。丸善多摩センター店は数学分野だけで片側一列あります。学参物は別書架です。
 おそらく、ワンフロアとしては日本最大でしょう。機会があったら、ぜひ見学してください。

 テナント料が売上の20%くらいとられるでしょうから、経営はかなりきついはず、いつまで存続するかは利用者しだい、応援したいと思います。

 日本橋人形町の産業用エレクトロニクス輸入商社で仕事していた時に、「ちょっと(日本橋)丸善(本店)まで行ってくるよ、3時間ほど戻らないから」とシステム関係の専門書をアサリによくいってました。本店には洋書の専門書がたくさんありました。好奇心から米国のシステム関係最新刊書を読み漁っているうちに、統合システム開発を担当することになりました。こういうふうにわたしの場合は好奇心が先で、複数の分野の専門書を読み漁っているうちにその専門知識を必要とする仕事があとからついてきます。丸善本店で洋書は本売場全体の1/3くらいありました、1980年ころのことです。
 システム関係の最先端の本は翻訳書がなかった。いまでも事情はあまりかわりません。システム分野と経理や専門業務分野の両方の専門知識をもった学者がほとんどいません。だから3分野以上がクロスオーバーする領域は担当できる学者が極めて少ないか、ゼロなのです。
 たとえば、会計情報システムと外国為替管理システムと利益管理システム、コンピュータシステムと原価計算、臨床検査システムと原価計算システム、言語学とコンピュータシステム等々。
 これらの複合分野は日本では民間企業に人材がいます。それほどアカデミズムは現実離れして遅れているということです。システムの専門知識もない学者の集まりである原価計算学会なんて時代錯誤の典型です。30年も前からコンピュータシステムで原価計算していない一部上場会社なんてゼロ、最近はどうでしょう、すこしはかわったのかな?


*ココリア多摩 丸善書店
https://honto.jp/store/detail_1570067_14HB310.html


<写真①>
DCF00074-1.jpg


<写真②>
DCF00075.JPG
左側は辞書・辞典コーナーです。中央付近の柱の陰で、リュック背負ってしゃがみ込んで本を読んでいる女性が写ってます。
中学生の女生徒とご両親が、語学関係書架のところで、100頁足らずの500語~1000語レベルの短編物語が数十冊並んでいるところで、これがいい、あれがいいと引っ張り出しては中身を確認して楽しそうに話していました。手に取って中身を確認できるところがすばらしい。Amazonばかり利用していると、こういうワンダフルな本屋が世の中からなくなってしまいます。根室ならリライアブル、できるだけ地元の書店を利用しましょう。



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てにをは連想表現辞典

てにをは連想表現辞典

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 三省堂
  • 発売日: 2015/08/27
  • メディア: 単行本
 ここで面白い辞書を見つけた。「日本を代表する作家四百名の名表現を、類語。類表現で分類。作家的表現力を身につける「書く人」のための辞典」と帯にある。「息苦しい」を引いたら、なるほど名表現が10個以上も用例として挙げられている、文筆で飯を食っている作家たちの表現は並ではない。

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#3537 散歩 May 3, 2017 [5. こころの洗濯]

  数日前に久しぶりに散歩した。ずいぶんと散歩しなかったので、筋肉が衰えたのか足元がおぼつかない。歩いている途中で低血糖の自覚症状があり、2.3㎞を歩くのに30分ほどかかった。散歩のときにはブドウ糖を携帯すべきだ。
  2日後にもう一度同じコースを歩いた。今度は筋肉が少し戻ったのかしっかり歩けた。ふらつかない。

  今日11時の気温15.1度、南風4.9m/秒、湿度50%、絶好の散歩日和だ。歩数を数えながら歩いた。
     2120m、22分、2393歩

  1分間に120歩を目安に、速足で歩いてみた。歩幅をデータから逆算すると88.6cm、分速96.4mである。案外歩けるものだ。
  自衛隊駐屯地の角まで行くと、湿原と海が見渡せる。島が二つ見え、その向こう側はかすんでいた。友知海岸もうっすらもやがかかっていた。昔の水源地であるナンブトウの周りは緑色に染まり始めた。

  58.0㎏にまで減少していた体重も59.5㎏まで回復した。あと2.0㎏増えれば元に戻る(手術前の体重は68kg)。いくぶん体が楽になった。
  2月から続いている首と右肩の痛みとしびれはまだ完全には取れていないが、眠れないほどひどくはなくなった。
  連休は水曜日の今日と土曜日が休みだ。サイクリングへはまだ行く気がしない、でもいい天気だな。(笑)

#3458 取著(しゅちゃく)  Nov. 17, 2016 [5. こころの洗濯]

 南伝の仏教経典は漢訳の経典とは異なりわかりやすい。パーリー語で書かれた経典群は漢訳よりも古く、サンスクリット語訳よりも古い。お釈迦様が衆生にわかりやすい言葉で説かれたことがよく伝わってきます。
 増谷文雄訳『阿含経典第1巻』(筑摩書房1979年刊)から「33 取著」を引用します。
 わたしにとって仏教は信仰の対象ではなくて哲学です。南伝の経典群のどこを見ても、信じろとか信仰せよという言葉がありません。
 もやもやしてわからなかったことがわかるようになり、こころがすっきりします。この経典群を読むたびに、時間と場所を超越してお釈迦様にお会いして説教を聴いている気分になります。聴いた後は心の洗濯をしたようなこころもちです。(笑)

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33 取著

 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊はサーヴァッティーのジェータ林なるアナータピンディカの園にましました。
 その時、世尊は、比丘(びく=僧侶)たちに説いて、かように仰せられた。
「比丘たちよ、取著するものを味わいながら観ていると、その人には愛着の念がいやましてくる。愛によって取がある、取によって有がある、有によって生がある、生によって老死・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かくのごときが、このすべての苦の集積の生ずる所以である。
 比丘たちよ、それは、たとえば、ここに大きな焚き火があって、そこで十把の薪、あるいは二十把の薪、あるいは三十把の薪、あるいは四十把の薪を燃やしておるとする。しかるに、その時、人があって、時を見はからって、その焚き火に、また乾いた草を投じたとする。あるいは乾いた牛糞を投じたとする、あるいは乾いた薪束を投じたとするならば、どうであろうか。比丘たちよ、そうすれば、その大きな焚き火は、そのために、いよいよ久しく燃えつづけるであろう。
 比丘たちよ、、それと同じで、取著するところのものを味わいながら観ていると、その人には、愛着の念がいやましてくる。愛によって取がある、取によって有がある、有によって生がある、生によって老死・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かくのごときが、このすべての苦の集積の生ずる所以である。
 しかるに、比丘たちよ、取著するところのものを、これはいけないぞと観ていると、その人には愛着の念が滅する、愛が滅すると取が滅する、取が滅すると有が滅する、有が滅すると生が滅する、生が滅すると老死・・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。かくのごときが、このすべての苦の集積の滅する所以である。
 比丘たちよ、それは、たとえば、ここに大きな焚き火があって、そこで十把の薪、あるいは二十把の薪、あるいは三十把の薪、あるいは四十把の薪を燃やしておるとする。しかるに、その時、人があって、時を見はからって、その焚き火に、また乾いた草を投じたとする。あるいは乾いた牛糞を投じたとする、あるいは乾いた薪束を投入することをしなかったとするならば、どうであろうか。比丘たちよ、そうすれば、その大きな焚き火も、やがて、さきの薪は燃え尽き、新しい燃料は加えられないということで、消えてしまうであろう。
比丘たちよ、それと同じく、取著するところのものを、これはいけないぞと観ていると、その人には、いつか愛着の念が滅する。愛が滅すると取が滅する、取が滅すると有が滅する、有が滅すると生が滅する、生が滅すると老死・・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。かくのごときが、このすべての苦の集積の滅する所以である。」

* この経題の「取」 Upadana=grasping とは所対の境に取著することをいうことばであって、十二支縁起の第八支をなす。いま釈尊は、それを中心として、比丘たちのために法を説いているのであるが、それについて釈尊の説かれた卑近の譬喩(ひゆ)が印象的である。 
* 愛 tanha もと喉の渇きをいうことば。それによって激しい愛着の念をゆびさすのである。

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 「有」には欲界(欲望の世界)、色界(物質の世界)、無色界(抽象の世界)の三つがある。
 「取」には見に対する取著、戒に対する取著、欲に対する取著、我に対する取著の四つがある。
 「渇愛 tanha」には物に対する渇愛、声に対する渇愛、香りに対する渇愛、味に対する渇愛、感触に対する渇愛、法に対する渇愛の六つがある。

 「所対」は能対の対義語と思われる。「能(よ)く対す」に対して、「対せられる所」。能動的に対して受動的という意味。こちら側の意思にかかわりなく訪れるものへの取に言及している。仏教辞典には記載のない用語のようだ。
 「八正道(はっしょうどう、巴: ariya-aṭṭhaṅgika-magga, 梵: ārya-aṣṭāṅgika-mārga)は、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のこと 。
 「十二因縁の支分は、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個であり(支分の詳細は十二の支分の節を参照)、この12個の支分において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立すると知ることを順観という 。また、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という 。


 こころに取著が生じたら、これは取著だとありのままに観ればいいのです。ありのままに観ていれば、取著は自然に消えていきます。
 南伝の経典群を読むと、言葉を通して限りなく透明な知性を感じます。


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