養老牛温泉夜話(7)番外編 <根室市大企業論> #791 Nov. 8, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]
養老牛温泉夜話(7)番外編 <根室市大企業論> #791 Nov. 8, 2009
<市立病院中小企業論⇔根室市大企業論>
150床の公立病院は企業経営の規模としては中小企業であり、院長は中小企業の「オヤジ」だから、その経営成果はひとえにオヤジの力量で決まるというのがKさんの假説であった。
この論に従えば、地方自治体としての根室市は「従業員数」が500を超えているから大企業に分類されることになる。
大企業は諸規定が整備されている。社内の重要な仕事は主として文書で決裁が行われる。
大企業の経営成績は何で決まるのか。やはり人だろう。それに組織機能が業績を上げるのに最適に編成されていることだろうか。だから、外部環境の変化に適応するために、数年に一度は大きな組織変更が行われる。
権限と責任が表裏のものだと假定すれば、一番権限が大きい社長に経営責任がある。経営成果は社長の経営能力と、社長を補佐する取締役の能力に左右される。
根室市を大企業としてみた場合、社長たる市長の能力はどこに現れるのか?もちろん経営成績として現れるが、公的会計が現状を正しく表さないので、成果がつかみにくい。
公的会計基準を廃し、企業会計基準に統一して公認会計士による外部監査を導入すれば、全国の自治体や国の赤字隠しがすべて明るみに出る。夕張市のような破綻(死)を迎える前に、傷の小さいうちに手当て(治療や手術)ができるようになる。
公認会計士試験は司法試験と同様に合格者が10年前の10倍ほどにもなっているから、地方自治体や国の決算を監査する余力が生まれつつある。
能力のある経営者は利益をだし、自己資本を大きくする。損失の繰り延べをせずに将来にツケを回さないのが優良な経営者の条件の一つだろう。
企業経営だと赤字特例債発行は長期負債として扱われるが、公的会計上は資本の部に表示され、財政状況を正しく表示しないことになる。民間企業でこのようなことをしたら議論の余地のない粉飾決算となる。ライブドア事件を思い出して欲しい。上場企業なら刑事事件として立件されるのであるが、官がやるのはお咎めなしである。これも官民格差のひとつだろうか。
良い市長は決算で純損失を出さないし、損失の繰り延べもしない。特別な災害や将来の予測せざる損失に備えて年々積立金を増やし、自己資本を厚くする。
根室市の場合は、病院事業会計では損失の繰り延べをしているから、企業経営者としては現市長は落第点だ。任期も残り少なくなってきたから、次年度はしっかり運営して有終の美を飾ってもらいたい。
赤字を少なくする経営改善に取り組むのがまっとうな市政だ。自分の任期中に出した赤字を繰り延べて、次の市長へバトンタッチする姿は醜い。国や道への陳情を繰り返し、中央依存を当然のこととして、自助努力を放棄したかのような姿も同様に醜い。独立心を放棄したかのような市政は、子供の教育上も誠によろしくない。
赤字を繰り延べず、その期で処理し、職員と共に経営改善に全力で取り組む、そういう仕事のやり方が美しい。残りの任期で、現市長がそうした市政運営をされることを望みたい。
根室市を企業経営としてみたときに、根室市長に元支庁長や助役がなるのは非常にまずいと思う。
理由は誰にでも理解できるだろう。取締役あるいは社長に助役をスカウトした大企業は前例がないがなぜだろう。助役に企業経営ができると思う経営者はいないからである。根室市は規模から言えば「大企業」に分類される。理想を言えば、規模の大きい企業経営ができるレベルの市長が望ましい。
根室市の「経営改善」をするために、将来にツケ回し(赤字特例債発行)をしない覚悟が必要だ。それにはまず10億円の赤字見込みなのに6億円の繰り入れ予算しか組まないというごまかしをやめるべきだ。未来は、現在なにを選択するかで決まってくる。子供たちに回すツケを大きくしてはいけない。できるだけ小さくすべきだ。できたらゼロに。そのための具体的なビジョンや達成プログラムを市長は語ってほしい。
ツケを将来へ回さず、己の職務に忠実に、渾身の力で職員と共に取り組む、そういう市長が次回選挙で誕生して欲しいと願う。
民間大企業の社長や取締役としても仕事ができるくらいの人材が欲しい。いや、能力がなくてもいい。正直に課題に取り組む市長であれば十分だ。足りないところは市の幹部職員や一般職員が補えばいい。
根室市民の一人として、職務に全力で取り組む市長を私も応援したい。そういう姿をこそ「オール根室」と言いたいものだ。
養老牛温泉夜話(6)<市立病院中小企業論> #790 Nov. 8, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]
養老牛温泉夜話(6) #790 Nov. 8, 2009
<病院は中小企業、院長は中小企業のオヤジ、経営成績はオヤジ次第>
病院経営についてKさんは面白い假説を展開して見せた。600ベッドもあるような大病院は別として、300ベッドクラスまでは中小企業だというのである。
中小企業の経営はオヤジに権限が集中しており、独裁型も少なくない。したがって、経営成績はオヤジの力量次第。会社経営というよりは、個人企業の色彩が強い。会社経営の視点があるからこそ、個人経営の特徴がよく見えるのだろう。数十の病院経営をつぶさに観察してえた結論のようだ。
わたしは公立病院経営を企業経営とは別のものとしてみてしまい、共通点を見逃していたのかもしれない。事務長に経営者としての機能分担を考えていたから、Kさんの切り口―病院経営は中小企業経営であり、院長は中小企業のオヤジだ―が斬新なものに見えた。
これは今書いていて気がついたことだが、医療の職人にすぐれた経営者としての能力を備えた者は少ないのが現実であるから、病院=中小企業論が人材難という袋小路に入り込む懸念はあるので、そこを打開する展望も必要だろう。やはり、わたしは事務長と院長の二人三脚による病院経営に期待をしたい。だが、Kさんから、経営能力を有する事務長も同様に稀であるをいう指摘がありそうだ。病院経営には企業経営には還元できない病院特有の何かが残りそうな気がしてならない。しばらく考えてから、これらの点についてKさんとまた話しをしてみたい。
ところで病院事業は基本的にはサービス業という業種に属するのであるが、設備の重さからは製造業に近い気がする。広い病院建物は工場に、高額の医療機器は製造設備に匹敵する。
医療サービス業でありながら、医者も看護師も薬剤師もレントゲン技師も検査技師も立派な職人である。そうした点からも製造業との共通点が多い。
ウィキペディアによれば中小企業の定義は次のようになっている。
1.資本の額(資本金)又は出資の総額が3億円以下の会社並びに常時使用する従業員の数が300人以下の会社及び個人であつて、製造業、建設業、運輸業その他の業種(次号から第四号までに掲げる業種を除く)に属する事業を主たる事業として営むもの
2.資本の額又は出資の総額が5000万円以下の会社並びに常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人であつて、サービス業に属する事業を主たる事業として営むもの
<経営責任は権限と裏腹:人事権の問題>
Kさんは病院は中小企業だと主張するのには根拠がある。相似性と言い換えてもいい。経営成績が企業主であるオヤジ(院長)次第であることが、中小企業との相似性だというのである。数十の病院を自分の目で見て、院長や病院スタッフと直接話し、経営状況を比較しての結論である。
中小企業だから、市立根室病院の経営改善もオヤジである院長次第だというのである。事務長ではない。その場合に、問題になるのは人事権だという。
<経営形態についてK氏の意見>
地方公営企業法「全部適用」で院長を指定管理者にする案が考えられる。しかし、職員が公務員であること、予算を市役所の総務部あるいは財政課が握っていることから、実質的な予算権と人事権をもつことができないのが現実だ。こういう点を考慮すると、経営形態は地方公営企業法の全部適用よりも、事業管理者が院長で非公務員型の独立行政法人にするほうがよいというのがK氏の意見である。経営の自由度が大きくないと責任をもった運営ができない。
具体例として、「昨年4月に那覇市立病院が、今年4月に静岡県の3病院が独立行政法人になった例を挙げている。山形県では昨年4月に県立日本海病院と酒田市立病院が合体して、あらたに非公務員型の地方独立行政法人*(2)になったのがユニーク」であるとメールで知らせてくれた。
Kさんは市立根室病院が最終的には大学付属病院になるべきだとして、「お手本に」筑波大学附属水戸地域医療センター*(3)を具体例として挙げている。
<経営形態について公認会計士長氏の意見>
比較のために公認会計士の長氏の見解も確認しておきたい。長氏は経営形態について次のように提言をしている。
「根室市は、独立法人化を乗り越えて、一気に指定管理制度に行くのが懸命。独立行政法人は、医師確保にそれほど苦労していないようなところでないと意味がないと思っております」(2008年10月6日根室での講演会議事録、8頁)*(1)
例として、Kさんが挙げた山形県の病院の行政視察を勧めている。
「懇談会で取り上げたのは、山形県立日本海病院と市立酒田病院が経営統合して、独法化した事例をモデルにしている。将来、独法化するのであれば、行政視察はここに行かれたほうがいいというふうに考えております。」(同8頁)
<経営形態について―まとめ>
指定管理制度を利用するとして、応募があるかないかというところが判断の分かれ目だろう。大学病院の付属病院化調整が事前についているなら、その問題はなくなる。
権限のないところ経営に対する責任も生じないというのがKさんの持論だ。非常に明快で論理的なところがKさんの持ち味だ。説明のしかたも巧い。「夕令暮改」の都度、経営方針の変更理由をきちんと説明してきたことが、自然な語り口の中に説得力を与えているのだろう。
仕事の重要な判断に関しては、私は違うソースから情報をとって比較する癖がある。
専門家二人、長氏とK氏は経営形態に関して結論が一致している。最終型は大学を指定管理者にした大学付属病院化である。根室にとっては医師の安定供給が魅力だ。
不等式で示せば次のようになるだろう。
院長を事業管理者とする地方公営企業法全部適用 < 事業管理者を院長とする非公務員型独立行政法人化 < 指定管理制度による大学付属病院化
さて、どういうステップで最終型にもっていくべきか。
<地域医療に関するビジョンやマスタープランの必要性>
Kさんは、市民あるいは医療協議会などが根室市の10年後までの地域医療ビジョンをまとめ、やってもらいたいこととそのためにどこまで市が負担するのかを決めてから、道内3大学に市立根室病院の大学付属病院化を提案すべきだという。
わたしたち市民もある程度は汗をかかないと良い病院は造れないということだ。
これで、養老牛温泉夜話を終わるが、根室に来ていくつかの提案をしてくれたKさんに感謝したい。
*(1)講演会議事録URL http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/image/69444edddc9a05b2492570c700077f92/$FILE/kouenkaikiroku01.pdf
*(2)地方独立行政法人・日本海総合病院酒田医療センター・ホームページ
http://www.nihonkai-hos.jp/medicalcenter/
*(3)筑波大学附属病院戸地域医療センター
http://www.tsukuba.ac.jp/topics/20081113112645.html
http://www.tsukuba.ac.jp/topics/20090331210339.html
http://www.tsukuba.ac.jp/public/press/081107press.pdf
(筑波大と茨城県厚生農業協同組合連合会との協定書)
http://www.mitokyodo-hp.jp/15_mmc/15-00.html
(水戸協同病院ホームページ)
筑波大学附属病院水戸地域医療教育センターに関する協定締結
この協定は,人的・物的資源の活用により相互に連携協力し,水戸協同病院内に「筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター」を設置し運営することにより,地域における診療活動を通した教育・研修及び医師の育成に寄与することを目的として締結したものです。
締結式は,筑波大学からは岩崎洋一学長,田中敏副学長,山田信博附属病院長を始め各副病院長,医学群長,臨床医学系長らが,また,茨城県厚生農業協同組合連合会からは,市野沢弘代表理事会長,宮本幸男代表理事専務,萩谷和哉常務理事,平野篤水戸協同病院長らが出席し,山田附属病院長からの協定締結に至るまでの経過説明の後,岩崎学長及び市野沢会長が協定書に調印しました。
協定締結により,今後,更なる地域における医療の充実,診療活動を通した教育・研修及び医師の育成が期待されます。
筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター開所式挙行
このセンターは,地域における診療活動を通した教育・研修及び医師の育成に寄与することを目的として,平成20年11月に締結した茨城県厚生農業協同組合連合会との協定に基づき,水戸協同病院内に設置するものです。
水戸協同病院1階玄関前にて行われた除幕式では,平野篤水戸協同病院長の挨拶のあと,川俣勝慶茨城県副知事,加藤浩一水戸市長,市野沢弘茨城県厚生農業協同組合連合会長と,筑波大学からは,山田信博附属病院長,渡邉重行センター長が参加し,序幕を行い,同センターの開所を盛大に祝いました。
その後,水戸京成ホテルへ場所を移した式典・祝賀会では,市野沢会長,山田病院長,川俣副知事及び加藤市長の挨拶に続き,和やかな懇談となりました。
同センターは本年4月1日から活動を開始し,水戸地域及び県北地域における診療の充実,さらには医師の教育・研修及び医師の育成も期待されます。
養老牛温泉夜話(5) #786 Nov.6, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]
<携帯及びゲーム依存症と学力、そしてコミュニケーション障害>
窓辺近くに餌をついばみに来るカケスを眺めながら、コミュニケーションや音読の苦手な子供たちのことをKさんに話していた。
根室の子供たちは、ゲームや携帯電話、インターネットに嵌っている時間が他地域の子供たちより長いことは、全国学力調査のときのアンケート調査で明らかになっている。その分、勉強する時間がなくなるから、学力は低下する。北海道14支庁管内で最低の学力水準である。
<本の音読が苦手な子供>
子供たちを見ていると日本語の音読が苦手な者が20%程度はいるようだ。こういう生徒たちは日本語の語彙(ボキャブラリー)が極端に少ない。読めない漢字が実に多い。漢字の読みはもちろんのこと、意味も知らない。あまりのボキャ貧ぶりにこの子達は日本人と言えるのだろうかと疑問がわく。
程度がわからないだろうから具体的に書こう。中学生に『読書力』斉藤孝著・岩波新書、『国家の品格』藤原正彦著の音読をさせてみると、読めない漢字が1ページ当たり10個ほどもある生徒がたまにいる。読めない単語の大半が日本語として意味がつかめていない。
そういう子供たちは本を眺めても読めない部分が多いし、読んでも意味がつかめない。意味のあるものとして前後関係を理解しながら読み進むことができていない。
問題文はどの教科も日本語で書かれているから、文の意味理解の速度や正確度が他の生徒に比べて著しく落ちる生徒は成績が振るわない。
音読は次の行まで先読みをしながら声に出していかないと、流れるようには読めないものだ。意味がつかめないと、とくにひらがなの多い部分は区切りがわからずつかえる。音読は文を先読みしながら意味の塊を確認して区切りを見つけて読み進む高度な頭脳プレーである。脳をフル回転しなければ流れるような音読にならないのである。
小中高生の時期の文章の音読が脳の発達に強い影響を与えている可能性が大だ。
ゲームや携帯への依存でコミュニケーション能力の発達が止まってしまう子どもたちがいる。話しかけても3回に2回は返事をしない。相手の表情を見ていないのでコミュニケーションに対する反応が著しく鈍感になっている。
たまにだが、先月まできちんと反応していたのに、話しかけても反応が急激に鈍くなってしまう生徒がいる。そういう時はインターネットや携帯電話に嵌っていないか確認するが、ほとんど推測があたってしまう。
脳が急速に成長する中学生の時期にゲームや携帯電話への依存が強くなると健全な脳の発達が阻害されてしまうようにみえる。
そういう子供は自己抑制力や辛抱力(我慢力)が未発達なまま大人になってしまうのではないだろうか。仕事に就いても、辛抱できなければ、何度転職を繰り返してもしっかりしたスキルが身につかず、いつまでも半人前だ。
日本語の音読の苦手な生徒は英語の音読がもっと苦手である。声を出すこと自体が嫌なようだ。だから英語の音読が下手な生徒は日本語の音読がどの程度できるか確認することにしている。
<ゲーム・携帯依存症と発達障害>
ゲームや携帯電話やインターネットは便利な一面で、人間同士の"face to face"の直接的なコミュニケーションを妨げる場合があるように見える。過度な依存が生じた場合がそれにあたるだろう。なにごともバランスが大事なことは言うまでもない。
小学生高学年から中学生にかけては生活習慣が固定化する時期でもあるし、急激な精神的発育が生じる時期でもある。そのような時期に良質の本を読むとか、精神の発達にとって「滋養」ともいえる「良質の刺激」が必要である。
ゲームや携帯電話に嵌っているこどもたちは本を読む時間や勉強する時間、そして直接コミュニケーションする機会が著しく少なくなってしまうようにみえる。個人差はあるものの、過度の依存により強い影響を受けて、精神的に未発達なまま大人になる者たちが増えているようだ。自己抑制力が鍛えられず、未発達なまま大人になってしまう。
最近の犯罪、無差別殺傷は背景にコミュニケーション障害や精神の未発達な例が多く含まれているのではないだろうか。読書や適度なコミュニケーションはストレスを解消する効果がある。
誤解があるといけないから、コミュニケーション障害を二つに分類してみる。
①人と話すことが苦手なだけで、ボキャブラリーも豊で読解力があり、自制心も十分ある。
②人と話すことが苦手で、ボキャブラリーも少ない。音読が苦手で、国語の成績が悪く、成績が全般的に振るわない。ある程度努力はするが、成果が出ない。
人とのコミュニケーションはできるがボキャブラリーに問題がある場合を二つに分類する。
③人と話すことは平気だが、音読が苦手で、国語の成績が平均よりも悪く、成績が全般に振るわない。ゲームや携帯に嵌っている場合が多い。
④人と話すことは平気だが、ボキャブラリーが極端に不足して音読が下手である。嫌いなことを辛抱強くやり抜くということも苦手なタイプ。わがままで「辛抱力」に欠けるタイプ。もちろん成績は振るわない。
<対処法>
Kさんがあるソウルシンガーのことを話してくれた。吃音だった彼は、ソウルミュージックを聴いたときに魂を揺さぶられた。そしてソウルミュージックを歌うことにのめりこむ。吃音はいつの間にか消えてしまっていた。①と②の両方に効果があるだろう。
セラピー犬という種類の犬がいる。特別に訓練されて犬で、飼い主に寄り添い、飼い主のハッスル声に反応する。褒めてやると尻尾を振って喜びを表現する。簡単な英語の単語だったはずだが、褒める言葉がなんだったか思い出せない。"good boy"だったような気がする。
シンガーが舞台でその言葉を声を合わせて言うように観客に要求すると、犬は褒められるということを感じて尻尾を振る態勢に入る。観客が声を発した途端に千切れんばかりに尻尾を振る。これから褒めるぞという心が犬に伝わっているのである。ここのところは、Kさんの話しを聴いたときには思わず涙がこぼれそうになるほど感動的なシーンだったのだが、文章が拙劣でブログを読んでいただいている皆さんに感動をお伝えできないのが残念である。
犬には人間の心が伝わる。その犬に話しかけることができれば次の段階は人とのコミュニケーションである。これも①と②に効果があるだろう。直接、他人とのコミュニケーショントレーニングをせずに、迂回するところに特徴がある。一段階入れれば、次の段階への以降がスムーズにできるということだろうか。
本の音読が苦手な生徒に無理やり本を読むトレーニングをしていい場合とダメな場合のあることに最近気がついた。後者の場合には音読トレーニングを強いると塾を辞めてしまう。ほとんどの生徒は音読トレーニングを強いることで、音読は上手になるし、国語の成績も顕著に上がってくるものだ。国語のテストが30点台しかとれなかった生徒が半年音読トレーニングをして、出てくる漢字を片っ端から10回ずつ書かせたら、70点以上とれるようになった。それ以来、中学生には授業時間を15分ほど延ばして音読と三色ボールペンで線を引くトレーニングをするようになった。
だが、声を出すことが嫌いな生徒をよく観察してみると、声が小さく、楽しんで音読できていない。こういう場合は、直球勝負はダメだ。好きな歌を歌うのがいいだろうが、初めのうちは誰もいないところでやるのがいい。他人がいると恥ずかしがって大きな声で歌うことができないからだ。
好きな歌を歌うことで大きい声を出すことに慣れることができるし、セラピー犬に話しかけることがコミニュケーションが苦手な人の会話トレーニングになりうるという。具体例を挙げて説明してもらってよくわかった。
音読が嫌いな生徒にどのように対処すればいいか考えあぐねていたが、Kさんから聴いたソウルシンガーとセラピー犬の話しが参考になった。
生徒は一人一人違うので、教える側はできるだけたくさんの「引き出し」を用意しておかなければならない。生徒Aに有効だったことが、類似の問題を抱えている生徒Bには通用しないということはよくあることだろう。新しい生徒にめぐる合うたびに、学ぶのは教えるこちらの方だ。
養老牛温泉夜話(4) #785 Nov.5, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]
養老牛温泉夜話(4) #785 Nov.5, 2009
<人口減少と高齢化による老人医療問題>
10年後の根室の人口はおおよそ2万5千人~2万6千人である。現在よりも4000人~5000人ほど減少するだろう。将来の根室の医療がどうあるべきかは人口構成がどうなるのかにも大きく左右される。
すでに老人人口は7700人を超えた。10年後には40%、1万人に近くなるだろう。
根室市の老人医療は二つの精神病院に依存している。根室共立病院が115床、江村精神科内科病院が101床、特養はまなす園50床は江村病院に付属している。2病院は患者の大半が老人である。
療養型病床が70床あった隣保院が2年前に閉院した。
根室共立病院あるいは江村精神内科病院のいずれかが10年後になくなっているとしたら、市立根室病院に療養病床100床のほかに併設の80床程度の特別養護老人ホーム及び老健施設が必要になる。現在地は狭い。消防署が移転するがそこを使ってもぜんぜん間に合わないので、現在地での建て替えは根室の地域医療ニーズに合わないことになる。
併設の施設を複数考えたり、療養病床の増設の余地を残すなら、場所は交通網や面積から考えて、成央小学校が最適地だということになる。
病棟の増設も可能だし、併設の特別養護老人ホームも敷地内に建てられる。幸い、市街化地域の小学校はマイクロバスで生徒を運べば、1校ないしは2校ににまとめることができる。否、すでに生徒数が少ないから、競争を確保し学力を向上させるためにも根室半島東部は1校にまとめるべきだ。西部は落石までを1校にすれば、厚床にもうひとつあれば十分だろう。3校体制でいい。
<実データを使用した推計をやるべき>
Kさんは次のように語った。
10年後に市内の病院がどのようになっているかについて調べる。病院ごとに院長の年齢や後継者の有無を確認すれば、おおよそ10年後の医療施設の患者収容数にどのような問題が発生するかがわかる。
患者の推計も可能だ。現在いる7700人の老人のうち、介護度別に何人いるのかは市役所がデータをもっている。社会福祉協議会が実際の調整に当たっているから、資料があるだろう。その資料と年齢別人口データを付き合わせれば、10年後のおおよその老人医療ニーズ(療養病床数、老健施設収容数など)が推計できる。
<ビジョンとマスタープラン作りの必要性>
根室市の医療協議会があるはずだが、ここが根室の地域医療の将来ビジョンを描き市民に公表すべきだ。地元の人材だけでできないなら、外部から専門家を呼び月に一回医療協議会に加わってもらう。費用は交通費と日当を支払えばすむ。
私たち自身の問題だから、40前後の地元医師を核にすえて、「根室の地域医療を考える会」を立ち上げ、10年後の根室の医療についてのマスタープランをまとめる作業もやるべきだ。
<機能別に代替案を作成し比較検討する>
たとえば産科病棟の維持には、医者2名6000万円、助産婦と看護師など年間おおよそ1.5億円かかるが、収入は新生児一人当たり50万円とすると9000万円に過ぎない。赤字は産科病棟だけで年間6000万円も出てしまう。
釧路のホテルと提携して出産予定日10日前から待機するのも一案として考えられる。ホテル代は市が補助する。現状で200人前後だから、10年後の出産数は160~180人程度だろう。一人当たり十万円の補助とすれば、1800万円である。
市の一般会計から赤字補填に年間いくら支出して市立病院を維持するのか市民の合意が必要だから、代替案を具体的に検討していき、どのような機能が10年後の市立根室病院に必要なのか、ビジョンやマスタープランをまとめるべきだというのがKさんの意見だ。
<What is Dr.K?>
Kさんの提案を書いてきた。彼は病院経営に詳しく、実際のデータに基づいて話のできる人である。公的病院経営に関してはもちろんのこと企業経営に関しても専門知識と経験がある。そして医師でもある。もうひとつおまけがつくが、書かないでおこう。日本ではこういう経験のある医師はめずらしく、稀有な人である。こういう人から根室の地域医療についての具体的な意見が聞けるのはありがたい。
<北ふくろう>
食事の膳が並び始めたときに、北ふくろうが来ているとホテルのスタッフが教えてくれた。ヤマベで餌付けしているので、夜になると「予告なし」に来るという。「出演時間」も気まぐれ。川の端の生簀の上の丸太にじっと止まっている。ときどき首を回すのでわかる。石の置物のシルエットのように見えるので、なかなか北ふくろうだとは気がつかない。泊まり客がたくさん出てきて、
「どこ、どこ?」
「あそこだよ、木の枝の下の辺り、石の置物の右だよ」
「あ、首が動いた」
と大騒ぎだった。
かなり大きい鳥だ。
私ははじめて見た。
養老牛温泉夜話(3) #784 Nov.4, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]
<医師不足は10年経っても解消できない>
絶対的な医者不足は今後10年間は解消できない。大学病院は10%の定員増を実施しているが、10年経っても、医者不足の状況は変わらないというのがKさんの説明だった。
たとえば、医学部定員が8000名だとしよう。10%増で8800名だ。假りに65歳まで働くとしたら、「40年×8000人=32万人」の医師がいることになる。そういう市場へ10年後に医師が8000人増えるだけだから、たった2.5%増に過ぎないというのである。私が理解した限りで、話しのおおよそはこういうものだった。
単純な計算の結果から、定員10%増では今後10年間は医師不足の状況が改善されないことが理解できる。私にはショックな数字だった。漠然と、もっとよくなるものだと思っていた。
<大学付属病院化の提案>
根室の地域医療をどうしたいのか、根室に住むわたしたちが具体的なビジョンやマスタープランをもつべきだ。そのビジョンを掲げて旭川医大、札幌医大、北大と話し合い、いずれかに運営を任せるのがいいというのがKさんの提案だ。
大学への寄附講座を設け(たとえば、医師18人で年間5億円)市立根室病院を大学付属病院として運営してもらうのである。
これには先例がある。筑波大学と水戸地域医療センターだ。Kさんの説明は次のようなものだった。
茨城県厚生農業協同組合連合会(JA)が筑波大学に寄附講座を開設し、これに所属する医師はJAが解説する水戸協同病院内で勤務するというものです。形式的には病院内に大学の「水戸地域医療教育センター」を設置し、実質はここに所属する医師が病院で診察するというものです。医師は大学に所属するので報酬が大学が医師に支払うのであって、病院は払いません。水戸協同病院の一定の診療科目の診療を大学が業務委託したといえます。医療教育センターに所属する医師は大学からの教授なり准教授といった称号をもらいます。また、異動は大学内の人事異動で決まります。
大学は寄附講座としてお金をもらいますが、すべてを報酬にあてるわけではないので研究費を確実に確保できます。一方、病院は寄附講座分として一括して大学に支払う代わりに診療する医師を確実に確保できます。
実際には、まだ病院にはプロパーの医師がいるので、大学の医師との診療連携をしにくいとも言われています。一番の問題はプロパーの意思のほうが報酬が高いということです。プロパーの医師がいなくなれば、徐々に寄附講座を大きくしていき、最後にはすべて大学の所属医師になる可能性もあります。
以上がおおよそKさんの提案であるが、少し補足をしておきたい。JAの病院だから寄附講座への資金はJAが拠出している。根室は市立病院だから根室市が大学へ寄附講座をもてばいいことになる。
大学は独立行政法人となったから、採算を改善するために、適法な運営改善策が必要だ。両者のニーズを合致させることで病院に医師を確保する。根室はこのような案を実行案まで練り上げ、実現できるだろうか?
<具体的ビジョン作りを地元医師と市民が担うべき>
「○○大学付属市立根室病院」なんとも安心な響きである。こういう要請を大学へぶつける前にしておかなければならないことがある。そこがKさんの話の要点だろう。
根室市民自身がどのような地域医療が欲しいのか、10年間の具体的なビジョンを提示すべきというのだ。それに賛同する大学に病院運営業務を受託してもらう。面白い仕事だ。ボランティアでマスタープラン作りに参加する地元医師と市民が必要だ。コアーを担う人が数人現れないものだろうか?
*筑波大学付属病院水戸地域医療センター
http://www.mitokyodo-hp.jp/
*「筑波大学(学長:岩崎洋一)と、茨城県厚生農業協同組合連合会(会長:市野沢弘、以下「茨城県厚生連」)は、総合病院水戸協同病院内に、「筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター」を設置し、来年の4月から運営することについて合意し、11月7日に調印式を行いましたのでご報告申し上げます。」
http://www.ib-ja.or.jp/kouseiren/tukuba_medical.html
養老牛温泉夜話(2) #783 Nov.3, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]
<花まる:回転寿司の最高峰>
回転ずしの花まるで食事をした。寿司ネタは地元のものを中心に。ウニはミョウバン処理していないし、イクラも美味しい。わたしはイクラが嫌いで食べられない。なんど挑戦しても嫌だ。マツブ、カレイのマツカワ、甘えび、ホタテなどが大好きだ。花まるはネタが新鮮で美味しい、そして安い。「東京の半分の値段だ」というのがKさんの感想だった。イクラの軍艦巻きを食べるとき嬉しそうな横顔をみせた。根室のイクラは今が旬である。
<近くに見える巨大な島影>
牧の内のサイクリングコースを見たいというので、T字路まで走った。根室高校の広いグラウンド前を通り過ぎて、信号のない道をひた走る。納沙布へは行ったことがあるというので、T字路を左折してオホーツク海へ出た。今日は国後の島影が濃い。根室からは知床半島の先端と国後島とが重なって、つながって見える。茶々岳を指差し、
「あの辺りから国後島です」
「え、おおきいね、こんなにあるの」
「おっきいでしょ」
国後島の泊(とまり)までは地図上で直線を引くと根室港から約45キロ、釧路までの三分の一の距離である。島の長さは120キロメートル、芭蕉湾(根室湾)から見ると圧倒的な重量感で迫ってくる。
歯舞漁協が監視船を転用して、「北方領土クルージングツアー」をはじめたようだ。あいかわらず斬新な試みをやってくれる。根室漁協は組合長の不祥事や保険組合専務理事の使い込み事件など不祥事続発、やる気が失せたのかアイデアが枯渇してしまったのか、あたらしい企画がさっぱり出てこない。流れが止まって水がよどみ腐ってしまったのだろうか。トップがこういう見識のない者では職員が気の毒だ。
国後島の圧倒的な大きさをみたら2島返還論は言いにくいだろう。択捉島はさらに大きい。200キロメートルもの長さでオホーツク海と太平洋の間に横たわっている。沖縄よりもはるかに面積が広いことは案外知られていない。水産資源は豊で、北海道全域を併せたぐらいもあるかもしれない。
<春国岱>
ちょっとだけ寄って木道を橋の真ん中まで歩いた。曇っていたので鳥がいない。水はきれいだ。ここではホッキ貝やアサリがとれる。一週間前にSと歩いたときには鳥が一杯いたのだが、まったく鳥の姿が見えない。曇りの日はどこに潜んでいるのだろう。
遠くに丸太を組んで造ってある見晴台がみえた。一度行ったことがあるが、ロープを張って入れないようになっている。だいぶ痛んで昇るのは危ない。
そのまま朽ち果てさせるのは可愛そうだ。いっそのこと人を集めて、火を放ち、大きなキャンプファイアーに見立ててお祭り騒ぎをしてもいいのではないか。春国岱の中には3年ほど前の強風で大木がたくさん倒れている。チェンソーで1メートルほどにカットしてあるのもある。搬出しなければ虫がわき、腐って大量のメタンガスがでる。搬出して燃やして二酸化炭素にしたほうが温室効果が小さくできる。搬出にはお金がかかる。以前のブログで書いたがSがいい案を考えてくれた。ヘリで橋のこちら側の広い空き地へ運び、カットして欲しい市民が自由に持ち帰り燃料にする。根室市民みんなで智慧を絞り、協力してなんとかしたいものだ。
<中標津と根室、町の性格比較>
根室の町は漁業中心だ。酪農の中標津と好対照である。漁業は略奪産業で、酪農は主として牧草と家畜を大事に育てることで成り立っている育成産業である。細かいことを言うと、漁業もカレイのマツカワのように養殖・放流したり、アサリや昆布のように管理・育成しているものもあるが、概ね「略奪産業」と一括りにして間違いではなかろう。
漁業には計画性がないし、コツコツ積み上げるということも少なく(うーん、これも語弊がある)、どちらかと言うと出たとこ勝負で博打に近い。酪農の町はすべてがコツコツとまじめに積み上げるイメージがある。そうした主産業の違いが町の性格を規定している。
根室の町がこの30年ほどで中標津に負けた理由のひとつは車の普及である。中標津は商圏としては根室よりも大きい。別海や標津、羅臼までも含む。概ね6万人の人口を有する。これは道路がよくなり車が普及したことが影響している。
空港のあることも札幌や東京へのアクセスに差がついた理由である。
東武サウスヒルズにビールとつまみを買いに寄った。季節限定の「琥珀エビス」が旨いというのでそれとつまみを少々買った。このショッピングセンターの規模の大きさにKさんが驚いた。根室にはこれに匹敵する規模のショッピングセンターはない。
ついでに、通りを標津の方へ走り、KS電気、ホームセンターやユニクロ、ビッグハウス、シマムラ、ツルハドラッグなどの前を通った。
東武サウスヒルズは中標津資本である。根室の業者は残念ながらこれだけの規模のショッピングセンターを自前でもてなかった。理由は仕入である。中標津の地元資本はコツコツと仕入先を開拓し続けたが、根室の資本は仕入先開拓ができなかった。この能力の差は何か?
略奪産業主体の根室は漁師が主体、付け買い・定価販売が常識だった。漁がよいときにまとめて支払う。そのために小売業者は利幅を大きくできた。定価販売だから、仕入を安くする必要がなかった。中間業者(道内卸)からの仕入れに頼った。長年、そうした習慣がしみついていたから、大型店ができても仕入れ開拓ができなかった。したことがないことはなかなかできないものだという証明だろう。中標津は仕入を安くすることで利益を確保した。30年にわたってよい品物を安く仕入れるために営々と仕入先を開拓し続けてきた。
こういう見方があたっているかどうかわからないが、一応論理的ではあるので、Kさんに説明した。翌日、温泉の帰りに立派な町立中標津病院建物と広い駐車場を見て、「病院も中標津に負けているな」、二人で同じことをつぶやいていた。
<病院建て替え問題と戦略性の欠如>
とうやら根室の町には戦略性が欠けているようだ。目標を設定してそれに向かって営々と努力を続けることが苦手な町である。
病院建て替え問題ひとつとっても、どのような医療が必要なのかという分析や、マスタープランがない。耐震化補助金をもらわなければならないから、必要な病院機能すら議論せずに着工を急ぐとういばかげたことをやっている。11億円の補助金をもらうために20億円も割高な病院を建てようとしている。ほんとうに阿呆だ。建築仕様や院内情報システム要件書を作る努力はまったくなされていない。市民へ説明すべき内容がいまだにないのだ。建設特別委や市議会、病院事務局からは何年経っても、現実的で具体的な提案がなされなかった。
私たち根室市民はどのような病院が欲しいのか、それはどうすれば手に入るのか、次回はKさんの提案を語ろうと思う。
養老牛温泉夜話(1) #780 Nov.1, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]
養老牛温泉夜話(1) #780 Nov.1, 2009
よく寝た。中標津空港まで送って戻ってきてから3時間ほど寝て、食事してからまたゆっくり寝た。
10年ぶりだろうか、10月31日土曜日Kさんと久しぶりに会った。根室の町を見て、中標津により、そして養老牛温泉でくつろぐ。根室の地域医療問題、根室の町と中標津の町の比較、お互いの仕事の現況について、教育問題、ソウル歌手とセラピー犬等々、話題はさまざま。1日半語り合った。
今日(11/1)は町立中標津病院を見て、新しいお蕎麦屋さんで「田舎そば」を食べて、空港へ見送った。「じゃ、また今度!」
先週はやはり10年ぶりのSさんとの再開、2週続いて楽しい時を過ごした。続くときは不思議と続くものだ。
数回に分けて書くつもりだが、今日(11/1)のことから書こう。
6時半に目覚め露天風呂に入り、小一時間ほど話しをしてから8時から食事をした。セラピー犬とソウル歌手の話はそのときのものである。食事をした後部屋に戻り10時頃まで、お互いに相手の話しを聴く。ロビーの右手側に椅子が4つあり窓のそばにまかれた餌をついばみにカケスが数羽飛び交っている。オレンジ色と蒼い色の羽が美しい。
<ゲームや携帯電話依存症気味の子供たちが増えている>
川の流れと餌をついばみに来る美しい野鳥をながめながら、この数年顕著に増えているゲーム、携帯電話への過度な依存によるコミュニケーション障害と地域医療問題についてまた1時間ほど話した。ひとつ具体例で解決策の提案があった。その話しを聴きながら、Kさんの話しのはしばしに医師としての視点が混じっていることに気がつく。話しは「セラピー犬とソウル歌手」を例に挙げながら歌と吃音矯正のやりかたなどへ広がっていった。
日本語や英語の音読が苦手な生徒への対策として学ぶべき点が多かった。コミュニケーションが苦手な生徒が増えてきているだが、有力な対策を欠いて困っていたので早速試してみたい。結果を踏まえて、そういうお子さんをもつ親と生徒には具体的な対処法を話してあげたいとも思う。教える側は、多様な生徒に適切に対処するために「処方箋を書いた引き出し」をできるだけたくさんもつ必要がある。
話しをしていたら急に人の動きが多くなった。
<学校配置について>
11時がチェックアウトのピークだった。私たちもその時刻に出発した。来たときとは違う道路を中標津まで戻る。途中、まばらに牧場と家があったが、広い。突然小学校が現れた。竹内小学校とかいてあったような気がするが、運転しながらチラッと見ただけなので、名称には自信がない。集落はなかった。何でこんなところに小学校を造ったの?と思える場所だった。
そこでKさんがオーストラリアに旅行したときのことを話し出した。車を運転していたら、半径20キロぐらいのところに小学校がひとつ。スクールバス・ストップが点在して生徒を集めていく。生徒がある程度いて、集団生活ができ、競争がなければ学力は上がらない。学校の規模と生徒の学力は相関関係がある。だから、少人数クラスにすれば成績が上がるというほど教育は単純なものではない。
郡部の小学校は市街化地域の3校よりも概して学力が低いし、僻地校は都会の学校よりも学力レベルが低いことは承知の事実である。全国学力テストで北海道14支庁で根室管内の学力が最低だという事実は学校の先生たち努力、親の教育への関心の低さも関係があるが、小規模校が多いということも競争意識を低下させ、学力を下げる一因になっていることを忘れてはならない。なにが違うかと言うと、ひとつは生徒の数と成績に応じた学校選択ができることである。都会の親たちの学歴が相対的に高いことも、親の教育への関心度に差がつく原因の一つである。
根室は厚床地域は別として、落石よりも東よりはひとつの学校にまとめるぐらいのマスタープランがあってよい。道路事情も昔とは違う。生徒はマイクロバスで集められる。歯舞まででも20分程度しか時間がかからない。30分まで許容すると根室半島東側の生徒を市街化地域の学校に集められる。学校運営費は半分ほどになるのではないだろうか、大幅にカットできる。根室の現状は学校規模から見るとたいへんなお金をかけて、生徒の学力を低下させているといえる。この点だけはすぐにも解消可能だ。
生徒をマイクロバスで市街化地域に残す学校へ集め、競争意識を持たせる、それがKさんと私の結論だった。
その場合のデメリットは「校長ポスト」が5分の1程度になってしまうことだろう。もうすぐ郡部の校長先生になれる人たちには「青天の霹靂」だろう。OB会の「校長会」へも入会資格を失う。
何を優先するのか。学校は生徒のために在ってしかるべきだ。判断に迷ったときには原理原則に帰れと私は生徒に教えている。大人が範を示すべきだ。
<町立中標津病院:新型インフルエンザで行列の日曜救急外来>
Kさんが地図を片手に「そこを右」「もう少し行って左、東武サウスヒルズの前の通りに出るはずだから」と言ううちに町立中標津病院前に出た。来るときは右折した道を帰りは左折せず、まっすぐの道を選んだのは偶然だった。
根室の地域医療を2日間にわたって話し続けていたから、中標津町立病院前に出てしまったのは必然だったのかもしれない。私が神様ならそういう配慮はする、いたずら好きの神様ならコロポックルだったのかもしれない。11月1日は旧暦10月で神無月だが、ヤマトの神々ならぬコロポックルは出雲神社へは集合義務がなかったのかもしれない。
すぐに「見学しよう」と意見が一致し、駐車場へ乗り入れた。Kさんは5年ほど前に仕事で訪問したことがあるという。釧路営業所長が案内したのだろう。建物は4階建てだろうか、立派だ。駐車場も広い。東武サウスヒルズだけでなく病院建て替えでも段取りが悪く根室は中標津に負けた。
表玄関から入ろうとしたら、日曜日なので正面玄関の自動ドアが開かない。横の救急外来入り口へ回ると中は人がびっしり。マスクをつけた人が50人ほども診察を待っている。12時少し前だ。
「こりゃ、危ない、ここを通り抜けたら新型インフルエンザに感染してしまう」
そう言い残し、入り口へ戻ると、「新型インフルエンザ警戒中」と大きな張り紙がしてあった。
「日曜日だけど、先生たちはたいへんだな」
24117人の町で日曜日の新型インフルエンザの緊急外来が50人ほども行列している。中標津もずいぶん蔓延してしまっているようだ。閉鎖中の学校も多いのだろうか?
ワクチン不足が伝えられているが、これだけ患者が増えればもう手遅れだ。幼児が肺炎を起こし重症化する例が多いようだから、年齢の低い子供を優先すべきだろう。医療従事者へも行き渡らないのだから、いつになるのか見通しが欲しい。長妻厚生労働大臣たいへんだな。
<病院建設は10年後の根室の医療に関するマスタープランを描き市民へ説明することが先>
根室の地域医療問題についてのKさんの意見は斬新なものだった。根室に住んでいると、見えなくなることがある。情報についても決定的に足りないということも。だから東京にチャネルをもつ必要がある。話した内容はおいおい書く。
要点は根室の地域医療をどうするのか、具体的なプランを作ることが先決だということ。たとえば、10年後人口2.5万人、現状新生児の誕生は200人、はたして産科は必要か?ドクター二人体制で助産師や看護師の人件費を考えると、ざっとみて1.5億円の経費がかかる。収入は新生児一人50万円としても1億円だ。10年後には120人だとすると6000千万の医業収入しかなくなる。産科病棟の維持だけで年間1億円近い赤字の覚悟がいる。代替案として、釧路のホテルと契約して出産前10日間1万円/日の補助を出した方がはるかに安い。出産が延びれば全額市の方で負担する。これで10年後に1億円の赤字を1200万円に減額できる。こういう選択肢を含んだマスタープランを地元のドクターを含めて議論すべきだ。10年後に根室の医療体制はどうあるべきかと。医療協議会にそれを委ねてもいいし、「地元の医師+ボランティア」で「根室の地域医療のマスター・プランを考える会」を立ち上げてもいい。誰かがやってくれれば好い。わたしはブログで採り上げるのみ、それが私の役割だ。ほんとうに必要なことなら誰かが始める。必要なことを誰もやらないなら町のさらなる衰退は必須だ。天まかせ。
地域医療は結局は市民自らの問題だ。だから、市民自らが地元医師と共にマスタープラン作りをすべきだろう。具体的なプランを作ることを通じて、根室の未来に夢を語ろう。そういう場がひとつあるべきだ。考えていなかった視点からの切り口をKさんは提示してくれた。
季節限定の「琥珀エビス」を飲みながら語り合ったことを、思い出しながら、おいおい書いていきたい。昔話もしたが、それはブログでは書かない。心の中にあれば好い。