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#3324 人間万事塞翁が馬:中国故事成語に親しむ June 10, 2016 [82.言葉のアンテナ]

 koderaさんの最新刊『総合力アップのためのガイドブック』は、就職のためのガイドブックだが、「商品を売ることと自分を売り込むことは同じだ」という考えで貫かれています。
 そこには中高生の時代から目標を具体的に掲げて、戦略を練ってことを成し遂げるというやり方が具体的に書かれており、企業人の立場からマーケティングやシステム関係のさまざまな専門用語を用いて、進学と就活が語られています。
 当然使われている用語には中高生や大学生は不慣れで意味がわからないものがあるから、本のページの下段1/4ほどが用語解説用に仕切られ、用語解説がふんだんになされるという面白い構成になっています。だからシステム関係の専門用語が使われていても意味内容がちゃんと伝わってきます。こんな構成の本は見たことがありません。高校生がこの本の編集やイラストに参加していることが、斬新な構成を生み出す素(もと)となったようです。
 ところでマーケティングやシステム専門用語のほかに故事成語もいくつか載っています。一番最初(38ページ)に載っていたのが「人間万事塞翁が馬」、わたしは高校のときの漢文で「ニンゲンバンジサイオウガウマ」と習ったが、koderaさんの本には「ジンカンバンジサイオウガウマ」とルビが振ってありました。
 『中国故事成語辞典』で引いてみて、両方の読みのあることがわかりました。「人間」とは中国語では「人の世の中のこと」だそうで、訓読するときは「ジンカン」と読む。

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 塞上に近き人に、術を善くする者有り。馬、故無くして亡(のが)れて胡に入(い)る。人皆これを弔す。その父曰く、これ何ぞ福となさざらんや、と。居(お)ること数月、その馬、胡の駿馬を将(ひき)いて帰る。人皆これを賀す。その父曰く、これ何ぞ禍となる能(あた)わざらんや、と。家、良馬に富む。その子騎を好み、堕ちてその髀を折る。人皆これを弔す。その父曰く、これ何ぞ福と為らざらんや、と。居ること一年、胡人大いに塞に入る。丁壮なる者、弦を引きて戦う。塞に近き人に、死する者、十に九なり。これ独りは跛の故を以て、父子相保つ。故に福の禍と為り、禍の福と為る、化、極わむべからず、深、測るべからざるなり。

近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、
此何遽不為福乎。
居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、
此何遽不能為禍乎。
家富良馬。其子好騎、墮而折其髀。人皆弔之。其父曰、
此何遽不為福乎。
居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。
故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。

       淮南子・人間訓(ジンカンクン)

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 2番目(39ページ)に出てくるのは「禍福はあざなえる縄の如し」です。

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 伏波困窮し、智慮愈(いよいよ)殖え、禍に因りて福と為す。成敗の転は、譬えば糾墨の若(ごと)し。

 伏波困窮、智慮愈殖、因禍為福、成敗之転、譬若糾墨
          史記・南越列伝・賛
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 koderaさんの本の注は次のように簡略に意味を載せています。
 「悪いと思ったことが良いことの序曲であったり、逆に良かったことが、悪いことにつながることから、悪いことが起きてもくよくよするなという意味」

 「禍と幸福が編んだ縄のように次々と起きてしまうこと」


 故事成語を知っていても、出典が中国のものであるのか、日本古来のものであるのは判然としないものがあります。「人間万事塞翁が馬」は中国の古典だと知ってはいても、「禍福はあざなえる縄の如し」というのはずいぶんと日本人にはなじみが深く、日本古来のもののような感触があります。後者は日本の文化により深く入り込んでいるといえそうです。
 中国臭いものと、日本臭いものにわけて眺めたら、それはそれで面白そうです。

 最近、『中国故事成語辞典』を買いました、飽きるまで毎日いくつか読んでみます。知らないことを知るのは楽しい。たとえ、頭の容量が一定で、古いものがoverflowして零れ落ちていくにしてもインプットは楽しい。


*#3277 進路選択と就活のために: 『夢こそ生きる力』 Apr. 29, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-04-29


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*『高校生が絵を担当 総合力アップのためのガイドブック 夢こそ生きる力』
   原作:小寺次男 編集:鈴木朗   出版元:星奈のお店
『総合力アップのためのガイドブック 夢こそ生きる力』
 原作小寺次夫、編集鈴木朗、イラスト鈴木萌花(高校1年生)、2016年4月15日発行、
 出版社「星奈のお店」、本体1200円+消費税
   ISBN978-4-9908905-0-6
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三省堂 中国故事成語辞典 ワイド版

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#3316 'for と during' の使い分け:中2の生徒の素朴な質問  June 4, 2016 [82.言葉のアンテナ]

 「単語が違うと意味や使うシーンが違う、表現が異なればニュアンスも異なる、数学のような等値関係で考えないほうがよい」そういう話を折に触れて文例とともにしていたら、中2の生徒が教科書Sunshineの次の文に気がついて、どちらも「~の間に」という日本語が巻末の和訳に載っているので、「during と for はどのような違いがあるのですか?」と質問したそうです。

 I watched a movie for three hours. (10頁)
 I visited Nikko by train during "Golden Week". (14頁)


 先生はさぞかし戸惑ったことだろうと思います。横にいたアシスタントティーチャーとしばし協議してちゃんと答えてくれました。
 こんな質問、ドッキリですよね。わたしがその先生なら、たぶん目が真ん丸くなります、そして質問をした生徒を一生忘れないでしょう。
 「いい質問だと先生がほめてくれました」と喜んでましたよ。(笑)
 微笑ましいシーンです。敬語がちゃんと使えるところも偉い。
 生徒が先生を育てるということもあります。油断のならぬ生徒がいれば、教えるほうも勉強の手を抜けません。オーソドックスな受験参考書には説明があまり載っていないでしょう。だから、前置詞について書かれた「専門書(?)」2冊から、該当箇所を引用してみます。


 西村喜久『今までにない前置詞講義』に解説と例文が載っているので紹介します。
------------------------------------
参考までに、ある期間はforで表します。そしてその「期間中に」を表すのはduringという前置詞で、forを超えた期間がoverになります。

They are holding the exhibition for four months.
 (その展示会は4ヶ月間開催している)
They are going to hold a lot of events during the exhibition.
 ( その展示会期間中は多くの催し物が開かれる予定だ)
They are not going to hold the exhibition over four months.
 (その展示会の開催期間は4ヶ月を越えない)
               ・・・86頁
--------------
     A ●===============⇒● B
   at             at  
forは、このA点からB点 あるいはB点からA点のように「ここからここまで」という動的な方向を表す前置詞なのです。   
               ・・・74頁
------------------------------------

 atは●の点をあらわします。forはA点からB点までの空間的な移動イメージが、時間軸に置き換えられて「(始まりと終わりのある)ある期間」という意味が出てきます。空間と時間は置き換え可能なんです。AからBまでの間の任意の位置に出現するものはforでは表せません、そこを補足するのがduringの役割です。
 たとえば、「夏休みに東京へ遊びに行った」とします。ずっといっていたわけではなくて、次の文では夏休み中のあるときに東京へ行ったということが了解できます。
 I visited Tokyo during summer vacation.


  もうひとつ紹介します。大西泰斗/ポール・マクベイ著『ネイティブスピーカーの前置詞』に載っている解説です。
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During

 duringは期間をあらわす語句を伴い「~の間に」という意味になりますが、forのあらわす「期間」とは別物です。

 I went on a diet for (*during) 3 weeks.(3週間ダイエットした)
 I went on a diet during (*for) the summer.(夏にダイエットした)

 duringが「いつ(ある出来事が)起こったのか」を意味するのに対し、forは「どのくらいの期間(ある出来事が)続いたのか」に力点があるからです。
 もちろんduringは、示された期間の間ずっとある出来事が起こっている場合もありますが(~の間中ずっと)、その期間に1度あるいは数度出来事が起こっていることもあります。要するに、臨機応変にということです。

 We'll be on holiday in Europe during the whole of July.
   (7月中ずっとヨーロッパで休暇)
  The students always fall asleep during Mr. McVay's lecture.
   (期間の中で1回あるいは数回)
                   ・・・156頁
-------------------------------------

 大西泰斗先生は認知言語学からのアプローチ、いままでなかった前置詞の解説をしています。感覚的なものを抽象化した図(イメージ・スキマー)をもちいて説明していることが多いのですが、duringの条には図がありません。でもわかりやすいでしょ。前置詞の解説書はどの本も概して途中からこじつけのような説明になりますから、それが鼻についてばかばかしくなり、半分程度しか読めません。この本はひとつのイメージで全部を説明するのではなく、前置詞一つ一つの基本イメージ(本人)とそれを取り巻く特殊なイメージ(家族)、そしてその友人・知人たちという3段階での解説を試みています。本人がいて、家族がいて、その周りにそれぞれ友人が配置されている、というような展開です。イメージ・スキマーが随所にあるので理解を助けてくれます。これならひとつのコアイメージでずべてを説明する無理がずいぶんと緩和されますから、すばらしい方法だと感心しました。なんてことはない、一般・特殊・個別という哲学ではお馴染みの三段階です。学際的な研究、すなわちクロスオーバーが大事なんです。
 じつはこの大西先生の説明は、次に挙げるEnglish Usageの解説とまったく同じなんです。

 さて、ここからはわたしの論です、どちらの本にも載っていないことを補足しておきます。もちろん当たり前の話です。(笑)
 duringは現在完了の文と相性が悪いことに気がつきましたか?
  Collins COUBILD English Usagefor と during それぞれの項にある例文を挙げて検討してみます。この本は5億語のコーパス(データベース)から文例をピックアップしていますから、生きた文例ばかりで、この本のために作られた文例はひとつもありません。
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duration(期間)

 You use for to say how long something lasts or continues.
 I'm staying with Bob DeWeese for a few days.
 The five nations agreed not to build any new battleships for a ten-year period.

 You also use for to say how long something has been the case. 
 I have known you for a long time.
 He has been missing for three weeks.
 ...artist who have been famous for years.
 He hasn't had a proper night's sleep for a month.
       ...page 200
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during

1. 'during' and 'in'

 You usually use during to say that someting happens continuously or often from the begining to the end of a period of time.
 She heated the place during the winter with a huge wood furnace.
 This was evident in the weekly colum he wrote for the Guardian during 1963-1963.
 In sentences like these, you can almost always use in instead of during. There is very little difference in meaning. When you use during, you are usually stressing the fact that something is cotinuous or repeated.
      ...page 151
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 forの項の現在完了の文はその状態が現在まで引き続いていることをあらわしているので、「継続的な期間」をあらわしていますから、for がぴったりです。ところが現在完了の文で during を使った例を見たことがありません。
 duringの項に現在完了の文例はひとつもありません。何かイベントが継続的にあるいは繰り返し起きるときはduringを使います。

someting happens continuously or often from the begining to the end of a period of time」

と書いてありますから、何も特別なイベントが起きない状況、すなわち過去のある時点から現在まで同じ状態が続いている現在完了文には使えないと判断してよいのでしょう。このアンダーラインの部分と前述した大西先生の「duringが「いつ(ある出来事が)起こったのか」を意味する」は同じことを言っています。次に挙げるアンダーライン部も同じことに言及しています。
 二つの例文は「1963年から1964年まで毎週繰り返しコラムを書く」「冬の間中ずっと毎日繰り返し薪ストーブで暖める」、ある一定の期間に特定のことを繰り返す状況がイメージに浮かびます。
 When you use during, you are usually stressing the fact that something is cotinuous or repeated.

 forについても、「forは「どのくらいの期間(ある出来事が)続いたのか」に力点がある」という前述の大西先生の本とEnglish Usageの「You use for to say how long something lasts or continues」は同じことを言ってるのに気がつきましたか?


〈 単語の相互関係:意味のネットワーク 〉
 英語の単語は単独では意味や用法がわからないものがたくさんあります。もちろん漢字と違って表意文字ではなく表音文字であるという制限にも関係があります。動詞と一緒に使われるものがとくにむずかしいようです。動詞が運動を表し、前置詞(副詞)が運動方向や空間的な位置を表すので、抽象的な意味まで表現できます。
 ひとつの単語は類似の単語との関係でニュアンスの違い、使われるシーンの違いが理解できます。近い意味の単語はそれぞれ距離を保ちながら網の目を構成しています。西村先生や大西先生の解説を読み、for と during と over の相互関係が網の目になってイメージとして理解できたらいいですね。

7割くらいを包摂する便利な方法はある 〉
 前置詞と冠詞は日本語にはないので理解が難しいのです。前置詞はそれらが表す空間的な位置関係や運動方向がイメージできるようになれば理解が多少楽になります、全部は無理ですよ、屁理屈になります。前置詞に関するさまざまな本を読めば、ほとんどの本が途中から屁理屈になってしまっていることに気がつきます。大西先生の本だけは「一般⇒特殊⇒個別」の3段階なので素直に読めました。コア・イメージ(基本イメージ)から個別の用法の意味を直接取り出そうとするのは無理があります、理屈だけで一筋縄ではいかないと思ったほうがいいのです、悩ましいですね(笑)。

〈 多読によって帰納的に類推すべし 〉
 たくさん読んでさまざまな事例にぶつかるたびに繰り返し比較して考えてください。毎日15分でいいから声に出してさまざまなテクストで音読トレーニングを繰り返す、Hirosukeさんや後志のおじさんの方法がとっても効果的です。テクストはNHKラジオ講座がいいですね。自分のレベルに合わせて選択できます。
 「日本語の意味をイメージしながら音読トレーニング」がHirosuke流。「30回の同調音読、そして10回書き取り」、それが後志のおじさんの流儀。
 単純なトレーニングほど効果的ですが、辛抱できる人は少ない、それを十年二十年とちゃんとやってきた、世の中にはすごい人がいます。

〈 山はどこからどのように登るも可 〉
 わたしですか?訊かないでください、そういう方法がとっても苦手なんです。食わず嫌いではありません、後志おじさん方式もちょっとの間だけ試しましたから、効果のほどは実感しています。
 わたしは別の方法でやってきました。何度か書いていますが、専門書を読む必要に迫られてやっただけで、あまり一般的な方法とは思えませんからおススメしません。彼らの方法のほうが普遍的で優れています。
 でもね、山はどこからどのように登ってもいいとも思うのです。ゆっくり回るように歩きながら高度を上げていくのもよし、無茶ですが岩をつかみながら直登するもよし、目的が違えば登り方も違ってあたりまえだという感じが強いのです。
 とにかく8合目まで辿りつけたら見晴らしのよい景色がまっています、同じ景色を見ることになるんです。そこから先もやはりゆっくり登りつめるのがいいのです。頂上まで行けずとも見晴らしのよいところまで登るだけでもよいではありませんか。
 言語学者になるわけでなければ、英語は各自の目的に応じた手段にすぎません。わたしの場合は、経済学の専門書や会計情報システムの専門書、仕事で使うコンピュータ・システム開発の専門書、最先端の情報が載っている医学関係の雑誌を読みたかったから、その目的に応じた勉強法を採りました。

 強い動機が勉強の武器になること、そして学問には疑問のわくことが大切なこと、その二つを今日のテーマで高校生や大学生の皆さんに伝えたかった。英語は大嫌いだったけど、我慢して読んでくれた昔高校生の大人の方も、最後まで読んでくれてありがとう。

 中高生向けに整理し、簡素化した説明をつくってみたので、中高生の皆さんはこちらを読んでください。きっと役に立ちます

*#3318 'forとduring':中学生向けの説明 June 5, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-05-1



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ネイティブスピーカーの前置詞―ネイティブスピーカーの英文法〈2〉

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*セインの本は数冊ありますが、一昨年に出版されたこの前置詞の本はまだ買っていません。そのうちに読んでみようと思って、リストに加えました。あとの3冊はぱらぱらめくって読みました。

ネイティブが教える ほんとうの英語の前置詞の使い方ネイティブが教える ほんとうの英語の前置詞の使い方
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#3021 根室市長施政方針にみる「官民」という言葉のセンス Apr. 11, 2015 [82.言葉のアンテナ]

 広報「根室4月」が来た、今回から「広報ねむろ」ではなく漢字に変わったので市の広報ではないと思った。最初のページには新年度にふさわしい記事、市長の市政方針が載っている。その中からおやっと思った語彙を冒頭部分から二つだけとりあげる。いちいち言葉尻をあげつらうつもりはなく、その奥に潜む問題に光があてられたらいい。若い市役所職員の皆さんが30年後に同じ愚を繰り返さないようにと思って書いている。

-----------------------------------------
…本市は、都市部に先行して生産年齢人口が減少し、経済の主力である中小企業等では、深刻な労働力不足が生じています。
 食品製造業、交通事業者、医療・福祉・介護、建設業、いずれの業界とも、一貫して人手不足であります。
 こうした構造的な課題には、関連した事業者や行政のみならず、官民が真正面から向き合い、ともに将来を展望していかなければなりません。
 この40年余り、雇用環境に起因して、若者の流出に歯止めがかかっていない現実があります。
 「安定した雇用」、「相応の賃金」、「誇りをもてるやりがい」、この三要件を如何にして実現していくのか、その対策が求められているところであります。
 ・・・
 政策を具体化するのは、国ではなく地方自治体であり、地元に根を張った企業等であり、わたしたち「市民」です。
 ・・・
-----------------------------------------

 お気づきだろう、太字の部分がおやっと思った箇所である。
 「あなたとわたし」というときは、あなたが先でわたしは後だ。「あなたたちとわたしたち」というときもそうである。それは英語でも同じで、You and Iとは書くがI and youとは書かないのが作法である。「官民」と民間人が使うならまだあるだろう、しかし、官のトップである市長が「官民」と施政方針に書くのは言葉の使い方にいかにも常識がない。市長の市政方針原稿だから「民と官」と書くべきだ。
 ついでに言うと、最初の「本市」というのもいただけない。こういう用例はあまり見たことがない。大辞林を引いてみたら、「ホンシ」には「本旨」「本志」「本師」「本紙」「本誌」の5つの用例が載っているが、「本市」は記載がない。そのまま「根室市」とやるか「当市」とすべきだろう。ちなみに「当市」もまた大辞林には項目記載がない。しかし、ビジネス文書で自分の会社のことを「当社」とするのは普通のことで、社員向けにも、お客様や取引先向けにも使える中立的で便利な語彙である。
 それでは「弊社」もあるから、「弊市」はいいかというと、市長が市民向けに書く市政方針原稿ではよろしくないのである。「弊社」という言葉は取引先やお客様向けには使うが、社内向けには使わない。市長は公僕として根室市に仕えているのだから、市民向けに「弊市」という言葉をつかうべきではない。一段下げた言い方が「弊市」であろう。ここではたんに「根室市」とするか「当市」がいいのである。
 文書には書いた人の語彙力が出てしまう。3期目にしてこういうレベルの施政方針では困る。足りないのは若者だけではない、市長となるべき人材も足りないのである。
 複数の上場企業あるいは上場準備中の(そのご店頭公開上場済み)企業で3000件以上の稟議書や購入協議書、ビジネス文書を見てきたが、文書能力の低い者は概して仕事の能力も低い。市長が助役時代、そしてそれ以前にどういうレベルの仕事をしてきたかが、たったこれだけの施政方針文章からうかがい知ることができるのである。
(2期は無投票当選、3期目はようやく選挙になったがにわかに立候補した女性の東京都目黒区議、それでも現職(8456票)の半分以上の得票(4646票)を得た。地元の対立候補が3期続けて出なかったということは、市長の器をそなえた人材が居ないのだろうか、根室の行く末が心配になる。)

 たったこれだけの文で2箇所気になった。これ以上書くと言葉尻をあげつらうことになるのでやめておく。次の世代を担う若い人たちは中高時代は一生懸命に勉強し、社会に出てからも勉強を怠らず、正直に誠実に仕事をし続けてもらいたい。スキルは年々歳々あがっていく。どうやらそうはしなかった者、学ぶべき反面教師の姿がここにある
 ebisuはこの「市政方針」を読み、裸の王様という寓話を思い出してしまった。「市役所村の住人」はだれも「王様は裸だ」と言わない。

 高校を卒業して市内で就職先を見つけて根室で暮らす若者たちでも、しっかりした先輩や上司に鍛えられたら、30歳になるころにはきちんとした体裁のビジネス文書が書けるようになるし、一人前の仕事人になれる。高校時代は勉強を一生懸命にすべきだが、そこを部活ややる気が起きなくてスルーしてしまった若者は、正直に誠実に仕事をして、その都度必要な本を読み続けることでスキルを磨いてもらいたい。大学行かなかったからと泣き言をいうのはみったくナシだけだ。社会人になってから大いに勉強すればいい、そして5年10年間努力を続けて根室を担える能力を備えた立派な大人へと成長してもらいたい

 お粗末な「市政方針」の内容については、次回、簡潔に問題点をメモしていく。

 根室市の将来に関わることだから、市民の皆さんはどうか「広報根室4月号」の施政方針を熟読いただきたい


<余談>
 60年以上の歴史のある大企業の課長職には文書能力の低い者がまざるが、部長職の文書能力は比較的高い。ある程度の文書能力がなければ稟議書は通らないから、課長職から部長職への昇進で自然に淘汰されてしまうのだろう。
 そういう目でこの「市政方針」を眺めると、できの悪い課長職の作成文書に見える。言葉が空疎で有効な具体策も期限もない、問題点があるのみである。民間企業は問題を増やすために人を雇うのではない、解決するために人を雇う。
 何をいつまでにやるのか、それがはっきりしない「市政方針」には合格点はやれない。わたしが上司なら最初の4分の1くらいに朱をたくさん入れることになるだろう、後はばかばかしくてやっていられない。「これではダメだから最初のほうだけ朱を入れた、参考にして2日間で書き直しておいで」と伝える。こういうレベルの管理職には優秀な部下も権限も預けられないから、ラインの管理職から外すことになる。部下をつけずにスタッフとして働いてもらう。

<余談-2>
 もう何年前のことになるか、根室に内閣総理大臣が来たことがあった。その折に市役所建物に大きな垂れ幕が掛かった。
 「歓迎 内閣総理大臣様」だったか、「歓迎 ○○内閣総理大臣様」(○○の部分は氏名)だったか忘れたが、テレビにも映った。敬称に様をつけて恥を全国にさらした。こんなことも市役所部長職や市長がチェックできなかった。いや、やったのは部長職だったのではないか。
 部長職はある程度の幅の教養や常識が必要なのだが、人材が居ないのか課長職すら任せられないような人材が部長職のポストに就くことがあるようだ。勤務医を騙って品の良くない投稿を弊ブログにした市立病院管理職がいる。ブログ・ニムオロ塾があるのを知っていたら根室には来なかった、ニムオロ塾があって腹が立つから市立病院をやめようと思っている、責任はebisuにある、そういう内容だった。勤務医を騙って投稿するようなお下劣な管理職まで居たが、いったい根室市役所の管理職はどういう基準で任命しているのか訊いてみたい気がする。
 いまは大丈夫だろうか?市役所の管理職は、定型外の仕事や部下の指導ができているのだろうか?
 若い職員皆さん、研鑽を積まないと、50歳を過ぎて市役所部長職となり同じような愚を繰り返すことになるからご用心。

*4月11日現在、広報根室は市役所のホームページにまだアップされていません。
http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/0/C5BA49B257175EBA492570C300446F71?OpenDocument

*#3022 平成27年度根室「市政方針」論評  Apr.11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-04-11-1


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#2997 議論と言葉の定義の重要性 :基礎と基本 Mar. 12, 2015 [82.言葉のアンテナ]

 話がかみ合わないことがある。なぜ噛みあわないのか分析してみると、同じ言葉を使ってはいるのだが、どうも意味が違うらしいことに思い至る。
 「資本論と経済学」というタイトルで経済学論文シリーズをアップしたが、そこでも言葉の定義が問題になった。西洋は「労働は苦役」、日本は「仕事は歓び、神聖なもの」という同じ働くことに対する定義の相違、そして価値観の違いに行き着く。労働は苦役であるという公理を棄て、経済学の公理・公準を入れ替えることでまったく別の経済学が創造できることはすでに証明済みである。

 教育問題でも言葉の定義は重要な役割を果たす。基礎・基本という言葉を使うとき、それがどのような定義であるのかを問うことナシに生産的な議論はできない。
 ブログ「情熱空間」でなされた三人のすれ違いの議論が、分析能力の高い合格先生の概念定義で実にすっきりと整理されるさまをごらんいただきたい。

ブログ「情熱空間」より
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7838276.html
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2015年03月12日

「相対的」か「絶対的」か(話が通じない理由)

保護者団体や経済団体の有志なりが教育行政に物を申す。そうしたこと、過去に何度かあったんですね、実は。ところが、いつの間にか、みごとに「うっちゃられてしまった」わけです。

教育の成果はおよそ数値計測になじまないもの。
知徳体のバランスこそが重要。
個を重視したきめ細かな指導こそが…。

そうした、「分かったような、分からないようなフレーズ」で煙に巻かれ、一度捕まえたはずがスルッと逃げるがごとく、かわされてはいつの間にか自然消滅。そんなところでしょうか。

R100さんが提起してくださった問題、いわゆる基礎・基本について、合格先生がすっきり整理をしてくれました。過去に経済団体や保護者が「うっちゃられた」理由がここにあります。《結果から逆算》してみなければ、この部分は浮き上がってこないものでしょう。我々がなぜ「うっちゃられない」のか。ええ、《結果から逆算》されたところの事実、様々な問題を抱えたままの事実を分析し、それを「絶対的なもの」として突きつけているからです。

子どものあるべき学力を、「相対的なもの」と捉えるか、「絶対的なもの」と捉えるか。

教育行政、それに学校現場と、なぜこれほどまでに話が噛み合わないのか(笑)、合格先生がすっきり明快にその解を示してくれました。当然ながら、我々が求めるところの基礎学力保障とは後者そのものです。しかし、学校現場と教育行政の「用語」においては前者に属するとの認識。まさにボタンの掛け違い。考えてみれば、これでは話が噛み合うはずもありません。

私自身、大きな気づきを得てすっきりと整理ができました。R100さん、合格先生、ebisuさん、amandaさん、ありがとうございます。なるほどなるほど、つまりは用いている「用語」からして異なるわけですね。となると翻訳作業が必要になるわけか…。それだもん、みなさん「うっちゃられて」きたわけだ。なるほどなるほど。

●基礎・基本の考え方
http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/jijimonndai.html#Anchor-10574

《引用開始》
これを知っておくと、あとで困らないんです

 ちょっと最初は面倒な理屈っぽい話ですが、なぜ、こういう話をしているか、という根本の部分の話になりますので、何となくぼんやり分かったでも構わないので、最後までお話に付き合っていただきたいと思います。

 さて、「基礎・基本」という言葉が良く出てくると思いますが、ここで、「基礎・基本」という言葉の持つ性質について最初に述べておきます。それで、こういう言葉の性質について考える際には、ちょっと極端な例を挙げて考えると、その性質などがハッキリするので、ここでは薬剤について例をとりますが、例えば「クロピドグレル硫酸塩」と聞くと、一般の人は「何の薬?」という話になるでしょう。でも、これが薬剤師や服用している人にとっては「血栓が出来にくくなる薬」ということを知っているんですね。それが当たり前で、そういう人たちにとっては「ごく基本的な知識」ということになります。ですから、その人の置かれている立場によって「基礎・基本」という認識が変わるものなんだ、ということなんです。

 これを学力的な話に落としていくと、例えば、中2の関数の問題。難関私立校を受験するような子供さんに取っては「関数で作られる図形の面積を二等分する直線の式を求めよ」くらいのレベルは普通に出来なくては、当然難関校など受かりません。こういうレベルの子にとっては、このレベルの問題は「基本中の基本」として捉えて行くことになります。しかし、公立の中堅以下の高校を受験しようと思っている子にとっては、前述の問題は「応用~かなり難易度が高い問題」という認識で、こういう子供さんに取っては、関数の場合「まず、座標を求める」というレベルの内容が「基礎・基本」として認識される事になります。この辺は、実際に教材を見たり、作っている方なら分かっていただけると思うのですが、実際に市販の教材を見てみると、その子供達のレベルによって、基礎・基本の内容が違うということは一目瞭然だと思います。

 ということは、実は「基礎・基本」という言葉は、その人の立場や置かれている状況によって変わるし、その子の目指している目標によっても変わる~いわゆる、立場や目標から逆算した「相対的なもの」であるという事なんです。

 ところが、道教委などからは「どこの地域に生まれても、等しく皆が平等に身につけられる基本的な内容」という「絶対的なもの」という認識で語られるのが「基礎・基本」の学力となっている訳です。
 そうすると、元々「相対的なもの」を「絶対的なもの」として話をしようとするわけですから、当然、無理があり、ここで話が噛み合わなくなる~齟齬が生じてしまうわけです。
 結果的に、地域・学校・場合によっては担任個人によって、その基礎・基本の概念がまちまちになり、ある地域では「計算が出来れば基本はオーケー」と考え、ある地域では「学校の教科書に載っている例題を基本」と考え、ある地域では「教科書内容のうち、発展内容として扱われているもの以外はすべて基本」と考え、という具合に、その場所・その人によって、基本の認識がまちまち~それによって、学力の地域格差や学校間格差などが生じる原因になる要因をつくってしまった、ということなんです。

 そこで「釧路の教育を考える会」はどのような事をしたか、というと「釧路では生活保護・準要世帯が多く、また、統計で見ると親が生活保護世帯である場合、その子も生活保護になる可能性が高い」~いわゆる「負の連鎖」になっていく可能性が高いことから、こういう子供達が「正規雇用~アルバイトやパートではなく正規社員として就職する」事によって、この負の連鎖から脱却出来るようにしていくために必要な学力というのを考えた訳です。
 そして、実際問題として、雇用の現場からは「資格試験に受からないから正規雇用として雇えない」「かけ算の九九すら怪しく、仕事が長続きしない」また、それ以外にも「学科試験が受からず、運転免許すら取れない」という話を聞き、最低限、ここをクリア出来るように、この「雇用の状況からの逆算」で「小学校4年生までの内容を基礎学力とする」という、一定の基準を示した訳です。要するに「相対的で、その曖昧だった概念に基準を設ける」という事を行ったんですね。そして、これが思った以上に高い評価を受けたんです。

 さて、面倒な話はここまでで、ここからがお父さん・お母さんにとって大事なところになるんですが、いわゆる「雇用の状況から逆算して、小学校4年生までの学力が必要」ということであれば、実際に中3で受験する総合ABCの学校平均で110点台とか120点台ということはあり得ないんです。少なくても140点前後まで行っていなければ、将来的に「雇用」という時点で危なくなる可能性が高い、ということなんです。要するに、学校平均が低いということは「基礎・基本」と考えているレベルが低くなっている可能性が高く、周りもそれで満足してしまっていて、結果的に将来性の芽を摘んでしまっている可能性が高い、ということなんです。
 ですから、自分たちは学校平均の内容に関しても、いろいろとうるさくコメントしているんですね。

 ということは、中学校卒業する生徒さんの中で、この点数に満たない人は、これから一生懸命勉強に取り組まなければならないと思いますし、中1・2の段階で500点満点の学力テストで200点前後というような平均点になっているところがあれば、それもまずいんです。ですから、決して「学校平均より高いから」と満足せずに、最低でも小学校4年生以上の学力を身につけ、それを基にして考えた場合の点数を保持していかなければならない、と考えなければなりません。そして、その基準はテストの6割前後、と考えておくといいと思います。
《引用終了》

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 どういう議論がなされたかは、ブログ「情熱空間」の投稿欄をごらんいただきたい。
*台形の面積の公式に見る「学習指導の甘さ」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7835477.html



*#2935 『資本論』と経済学(1):「目次」 Jan. 25, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-25

 #2936 『資本論』と経済学(2):「1.経済現象と日本の国益」 Jan. 26, 2015 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-26

 #2937 『資本論』と経済学(3):「円安はいいことか?80⇒120円/$の威力」 Jan. 27, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-27

 #2938 『資本論』と経済学(4) : 「経済学とは?」 Jan. 27, 2015 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-27-1

 #2939 『資本論』と経済学(5) : 「『資本論』の章別編成」 Jan. 27, 2015  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-27-2

 #2941 『資本論』と経済学(6) : 「マルクス著作の出版年表」 Jan. 29, 2015   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-28-1

 #2942 『資本論』と経済学(7) : 「デカルト/科学の方法四つの規則」 Jan. 29, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-28-2

 #2943 『資本論』と経済学(8) : 「ユークリッド『原論」 Jan. 29, 2015   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-29

 #2944 『資本論』と経済学(9) : 「何をやりつつあったかは残された文献に聞け」 Jan. 29, 2015    
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-29-1

 #2945 『資本論』と経済学(10) : 「プルードン「系列の弁証法」 Jan. 29, 2015    
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-29-2

 #2947 『資本論』と経済学(11) : 「労働観を時間座標系においてみる」 Jan. 29, 2015     
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-29-4

  #2948 『資本論』と経済学(12) : 「学としての『資本論』体系解説」 Jan. 29, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-30

 #2950 『資本論』と経済学(13) : 「マルクスの経済学体系構成法」 Jan. 31, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-31-1

 #2951 『資本論』と経済学(14) : 「マルクスの労働観と日本人の仕事観」 Jan. 31, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-31-2

 #2952 『資本論』と経済学(15) : 「ヨーロッパ労働観⇔と日本の仕事観」 Feb.1, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-31-3

 #2953 『資本論』と経済学(16):「仕事がキツイ!に潜む心(仕事観)の問題」 Feb.1, 2015 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-01

 #2955 『資本論』と経済学(17):「要領の悪いものほど忙しいとぼやく」 Feb.3, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-03

 #2958 『資本論』と経済学(18):「教育の職人」 Feb. 5, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-04-2

 #2960 『資本論』と経済学(19):「日本経済の未来」 Feb. 6, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-05-1

 #2961 『資本論』と経済学(20):「経済成長の天井 山田久氏の論」 Feb. 7, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-07

 #2964 『資本論』と経済学(21):「過剰富裕化論」 Feb. 8, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-07-3

 #2966 『資本論』と経済学(22):「相対的貧困率上昇と富裕層増大」 Feb. 9, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-08-1

 #2967 『資本論』と経済学(23):「ピケティの空想的所得再分配論」 Feb. 10, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-09

 #2968 『資本論』と経済学(24):「浜矩子 予算案と公共性について」 Feb. 11, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-10

 #2971 『資本論』と経済学(25):「村落共同体と税:自由民と農奴について」 Feb. 12, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12

 #2972 『資本論』と経済学(26):「文部科学大臣下村博文「教育再生案」について」 Feb. 13, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-1

 #2973 『資本論』と経済学(27):「注-1~5」 Feb. 13, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-13

 #2974 『資本論』と経済学(28):「注ー6」と主要文献リスト Feb. 14, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-13-1







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#2969 「まてにやってるね!」 Feb.11, 2015 [82.言葉のアンテナ]

 神武天皇即位の日を神話から推定して、紀元前660年1月1日と定め、建国の日(紀元節)とした。もちろん旧暦であるから、新暦2月11日がその日に当たる。日本の年齢は次の計算でできる。
  660+2015=2675年
 風のない穏やかないい日和だ。 

 日が照っているので家の前の歩道上の圧雪をはがしてあらかた真っ黒いアスファルトがでたところへ80歳前後の元気な老人が通りかかり、
「まてにやってるね」とニコニコ顔、
「え、!」と聞き返すともう一度、
「まてにやってるね」
ようやく合点がいって、
「ああ、風もなくて天気がいいからやってます、滑らないように気をつけて!」
「ありがとう」

 「まてにやる」とは「真丁寧にやる」という句を縮めたものだろう。団塊世代は子供のころ耳にしているはずだが、こういう言葉を話す根室人がほとんどいなくなった。昭和30年代には道内だけでなく、東北各県から出稼ぎに来る人が多かった。そのまま根室に住み着いた人もすくなくなかったから、東北各県の方言が年寄りの会話に混じるのは自然なことだ。

 道内最大の水産缶詰加工企業であった、日本合同缶詰株式会社の経営がおかしくなり始めた昭和30年代中ごろから、流入の傾向が変わり始めた。出稼ぎに来てそのまま根室に定着した男工さんたちが工場に見切りをつけて根室を去り始めたのである。ときを同じくして青森や道内各地から来ていた女工さんたちも集まらなくなった。経営の仕方が旧態依然で悪かった。道内のほかの企業の勤務条件が改善されたのに、根室の企業は無頓着だったから、根室の企業の勤務条件が相対的に年々低下しいったことに気がつかなかった。
 
 若い人たちが減少すれば根室市の人口減少が加速することは目に見えていた。人口減少は根室の地元企業の経営改善が進まない結果でもある。
 根室で生まれ根室で育ち、根室の外に視野を広げない地元経営者が多いのは残念ながらいまも事実だろう。
 そんなことを、なつかしい根室方言「マテにやってるね」を聞いて思い出した。

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#2940 小雨・こぬか雨・霧雨:日本的情緒と言葉 Jan. 28.2015 [82.言葉のアンテナ]

 生徒の質問に答えて9時20分ころ仕事が終わり、家に変えるときには小雨がふっていた。それから30分して外へ出てみたら薄手の白レースを敷き詰めたようにまっしろ。

 和英辞書ジーニアスで「小雨」を引いたら、次の説明がある。
a light [slight] rain: drizzle [a drizzle] 霧雨、こぬか雨 sprinkle (countable)
今朝小雨がぱらついた It sprinkled [drizzled] this morning.

 ネット辞書「英辞郎」には次の訳語が並んでいる。
http://eow.alc.co.jp/search?q=%e5%b0%8f%e9%9b%a8

  • drizzle
  • gentle rain
  • light drizzle
  • light rain
  • small rain
  • a spatter of rain
  • sprinkle
  • sprinkling of rain

 a light rain は「土砂降り」が a heavy rainだから辞書を引かずとも想像がつくが、「小雨」や「こぬか雨」がもつ日本的な情緒が落ちてしまう。こぬか雨は粉糠雨あるいは小糠雨と書くが、「こぬか雨」と書いたほうが、日本的情緒を強く感じる。
 霧雨はa misty rainがそのまま直訳になるが、これもその言葉が使われる地方の風土や情緒と切り離すことができないだろう。

 ある現象を表現するのに、どういう語彙を選ぶか、そしてそれをどのように表記(ひらかな、カタカナ、漢字の選択)するのかという二段構えのところが他の言語にない日本語の特徴であり、それが日本的情緒の言語表現に奥行きを与えているように思える。


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#2686 中国機異常接近 「抗議をさせていただいた」???防衛大臣発言 May 25, 2014 [82.言葉のアンテナ]

  中国海軍のロシア海軍の合同演習を監視していた自衛隊機に中国軍機が30mの異常接近あり、防衛大臣が記者達を間に次のように発言した。

「・・・抗議をさせていただいた」

 防衛大臣にこんな物言いがあるのか?まかり間違えば攻撃せざるをえない切迫した状況をつくりだした中国に厳重抗議するのに、「抗議させていただいた」なんて言い草があるのか?気に障ったので調べてみた。

 ヤフー知恵袋では「目下の人へのへりくだりの言葉」となっているが、なんともわからない説明だ。説明が分からないのではなく、「目下」へ「へりくだる」ということが矛盾なのだろう。

 「教えてgoo」では「~させていただく」の用法に関して次のような回答が載っている。
*http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3470170.html

============================
文化庁の文化審議会国語分科会が今年2月に答申した『敬語の指針』(*)の
第3章・第2・6項で、「させていただく」の使い方の問題に触れています。

http://www.bunka.go.jp/1kokugo/pdf/keigo_tousin. …
(*)敬語の3分類を5分類に改めることで話題になった答申です。

『「させていただく」の使い方の問題』の要旨。
------------
基本的には、自分側が行うことを、
 ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い、
 イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合
に使われる。
この2つの条件をどの程度満たすかによって、適切な場合と余り適切とは言えない場合とがある。

実際には条件を満たしていなくても、満たしているかのように見立てて使う用法があり、
その見立てをどの程度自然なものとして受け入れるかということが、
その個人にとっての「許容度」を決めていると考えられる。
------------
============================

■勉強させていただく⇔勉強する
■食べさせていただく⇔食べる
■お話しさせていただく⇔話す
■お願いさせていただく⇔お願いする
■お支払させていただく⇔支払う

 わたしの語感では「させていただく」は、へりくだった言い方に聞こえる。

 日本の防衛大臣は中国にへりくだる弱みでもあるのだろうか?中国の許可をもらって「抗議をさせていただいた」ので、自分の防衛大臣としての体面が保てたというように聞こえる。言い方も弱腰だった、坊やが物を言っているように聞こえた。防衛大臣がこんなに軟弱な人でいいのだろうか?小野寺防衛大臣は安倍首相のお友だちの一人のようだが、内閣の人選が思わぬところでほころびを見せている。7年前の一度目の組閣のときは「お友だち内閣」と揶揄されたではないか。またやってしまったようだ。
 前の防衛大臣の森本氏なら「抗議した」というだろう。


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#2602 イジメと「改心」:ボキャ貧は先生たちにも及んでいる Feb. 23, 2014 [82.言葉のアンテナ]

 イジメにどのように対処すべきかという假定の話であるが、具体的なシーンを想定して会話を書き連ねてみる。類似の事例があったようだが、事実は見る角度によっていろんな様相を呈するものだから、会話は取材した断片的な事実に基くフィクションであるとお考え戴きたい。
 イジメへの対応を考えるための、ケース・スタディである。
(この程度のイジメはしょっちゅう起きているというのが生徒たちの弁であるから、このケースは特別なものでなくごくありふれたものであるようだ。あとで中学校のもっともっとシビアなイジメの実例を二つ挙げる。小学校でこういう状態を放置したり対応を誤ると、中学校ではエスカレートしてイジメは身体への暴力となることがある。先生が「弱い者イジメは卑怯な行いで、人として恥ずべき行為」だと繰り返し生徒に伝えるべきだ。)

=======================
 五年生の生徒Aの机の上に「死ね」と書かれたノートの切れ端が置いてあった。なが~いお説教が終わりに先生は27人の生徒の一人一人に問う。

T:これはイジメです、イジメはよくないことです、みんなで改心しましょう。B君あなたは改心しますか?
B:・・・改心します
T:C君は改心しますか?
C:・・・はい
T:D君はどうですか?
  D君は犯人が誰かは知っている。しかし告げ口になるので言わないと決めていた。先生の言うことはなんだかおかしいなと思ったが、このまま返事をしないとお説教が終わりそうもないのでしかたなく、
D:・・・はい
 先生はこうして生徒全員に問いかけていった。みんな「はい」と返事した。でもD君は納得がいかない、何かおかしい感じがするのである。
 先生はイジメをした人にも人権があると説明した。

T:それではみなさんノートを全部出してください。

 先生は全員のノートを一つ一つ調べ始めた・・・
=======================


 わたしが五年生だったら、こう反論するだろう。
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T:ebisu君、改心しますか?
E:先生「改心」って、心を改めるって書くんですよね?
T:そうだよ
E:わたしが「死ね」と書いてA君の机に置いたわけではありませんから、改心できません。「死ね」と書いて置いた人が心を改めるのが改心ではないのですか?やっていない人はどうやって改心するのですか?辞書で意味を確認しませんか?
------------------------------------------
------------------
 『大辞林』より
改心:いままでのことを反省し、心を改め正すこと 「非行少年を改心させる」
------------------

 ものごとがごちゃごちゃになりだしたと感じたら、原理原則に還るのがよい。この場合は「改心」という言葉の意味を確かめることである。そこを確認するところからはじめたら問題のたてかたの誤りにすぐに気がつけるだろう。
 おわかりのように、27人の生徒の中で改心すべきは「死ね」とノートの切れ端に書いた少年だけである。全員が「改心」するというのは言葉の意味すらわかっていない頓珍漢な話で、そんな屁理屈で長説教をしてしまう先生がいる。根室の小学校に限ったことではなく、全道の小学校ではごくふつうのことなのかもしれない。説教は短いほど効果が大きいもの、そうしたこともお分かりになっていない。
 先生もボキャブラリーが貧困だが、五年生の生徒たちもボキャ貧、笑えない現実がある。日本人全体がボキャ貧になりつつある象徴的な出来事のようにみえる。
 平均点で測定した生徒の学力が低いということは、教えている先生たちの学力が低いか、授業技術が悪いか、トコトン教え着ると言う覚悟がないかのいずれか、あるいは全部が原因ということができるだろう。だから、学力の低い地域の教育委員会や学校、教員は学力テストデータの公表に反対する。手抜き仕事や仕事の能力が低いことが白日の下に曝されてしまう。そんなことは先生たちの「教師道」の問題であり、自分たちで解決すべき問題だ。プロなら、このままでよいと思うわけがない。

 気になるところはいくつかあって、大きなものだけ挙げると、理不尽な事を言われてもそれに唯々諾々と従う無気力なところがその代表例だ。恣意的な市政運営に市議を含めてほとんどの大人たちが異論を述べないのとそっくりである。語彙力不足の根室の子どもたちはじつは大人の鏡ではないのか?子どもたちの日本語語彙力や基礎学力がしっかりしなければ、30年後も根室市政はいまのようなありさまになる。いやもっとひどいことになりそうだ。教育こそは町づくりの基(もとい)である

 わたしは小学校4年生のときに辞書を引いて北海道新聞の社説を読み始めたから、五年生でこういうことを先生に問われたら、言葉の意味を確認し、使い方が間違っていますよと主張したのではないだろうか。物心がついたころから、「なぜ、どうして?」としつこく大人に質問するので、回りの大人たちが辟易していたとは亡くなった母の弁。生来、理屈っぽいところがあったのだろう。三つ子の魂百までもの言葉通りに、わたしの性癖になってしまったようだ。(笑)

 この事例ではあと二つまずいことがあるように思える。
 一つはイジメをした少年にも人権があるという話だ。犯罪者にもそれなりの人権がある、たとえば弁護人をつけてもらうことがそうだろう。しかし、犯罪人ではない者と同じ人権が認められているわけではないから、そうした話しを付け加えることも必要だ。
 弱い者イジメは人間としてしてはならぬことだから、そういうことをした生徒には人権はない、人でないことをすれば「人でなし」となるから、人でない者に人権が十全に認められるであろうはずがないと説明すべきではないのか?
 法律に書かれた罪を犯せば、大人なら刑務所にいれられる。著しく人権を制限されて刑期を終えるまで刑務所を出られない。してはいけないことをした者には人権が制限されるのはあたりまえの社会のルールである。この先生は法律の勉強をしたことがないのだろうか?ほとんど社会常識のレベルだと思う。

 もう一つは、生徒全員にノートを提出させて、一つ一つ調べたことだ。置いてあったノートの切れ端と、破いた形跡のあるノートをつき合わせたら犯人は特定できるだろうが、学校の教師の役割は物的証拠をつかみ犯人を見つけることだろうか?イジメで被害者が自殺するようなことがあれば、犯人探しは警察に任せたらいい。
 そのように警察まがいのことをしなくても犯人は簡単にわかるものだ。何人かの生徒たちは誰がやったか知っている、ただ告げ口になるから言わないだけの話だ。何かの折に、こっそり聞いてみたらわかる。D君の返答に少し間があったことに気がつくことができたら、誰もいないところでこんなふうに訊くことができる。
 「D君、やったのが誰か知っているだろう?口外しないからだれがやったのか教えてくれないか、次のイジメを防ぐことができるかもしれない。先生もいいクラスにしたいんだ、君もキモチは同じだろう?」

 イジメにはどのように対応すればいいのだろう。むずかしくないのである、生徒全員の前で次のように言い放てばいい。
「イジメは卑怯なことで人として恥ずべき行為だ、あとで本人に謝るか、先生のところへ来たらいい。またやったら許さないぞ。」
 生徒があとでこっそり来て、「自分がやりました」と言ったら、「バカヤロー、二度とやるなよ」と穏やかな声で一言いって、笑って見せたらいい。そして普段から、「弱い者イジメは卑怯な振る舞いで、卑怯者は人間のクズだ」と繰り返し言えばいい。何度も何度も言うべきだ。

 先生たちの日本語語彙力やコミュニケーション能力が心配だ。「改心」の意味すらきちんと理解していないか、論理的な思考力がないのかどちらかだろう、先生たちの日本語語彙の貧困ぶりと論理的思考力のなさがうかがわれる。イジメは卑怯な行いで、人間のくずだと言い放つ気概のなさや、イジイジと犯人探しをする陰湿さも気になる。「弱い者イジメは卑怯な行いで、人としてやってはいけないことだ」となぜ言い放てない?ebisuには生徒全員を前にして怒りを込めて言い放てばよいだけの話にみえる。
 生徒も先生も幼児化している。読書量の減少と、読む本のレベルが幼児化していることが原因の一つに挙げられるのではないか?

 塾で教えていて感じることだが、根室の中学3年生の20%は小学4年生以下の日本語語彙しか持ち合わせていない。B中学校の生徒に急激な語彙力低下が起きたのはわずかこの3年ほどの間のことだ。少年団活動や生活習慣を含めて小学校での過ごし方に問題の根がある。それは親力の低下の問題でもあるようだ。日本語語彙力が劣化しているのは小・中学生だけではない、この事例でわかったのは、先生たちすら基本的な日本語語彙力があやしい、それがいまの小学校の現実の姿である
 先生の半数以上がこんなレベルではないだろうか、そういう先生たちの授業を根室管内の小学生が毎日受けているとしたら、全国一斉学力テストで、都道府県別偏差値で根室管内の生徒が37だということも納得がいく。偏差値37は成績下位9.7%である。

*#2484 ⑨全道14支庁管内別・科目別・偏差値表(小・中対比)  Nov. 8, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-08-4
 
 そういう中で英語が小学校で必修化されるという。先生すら日本語語彙力不足できちんとしたことを伝えられなくなっている状況なのに、英語を必修科目にして日本語がますます軽視されてしまう。
 こんなに語彙力が弱体化しているのでは、言語を通じたコミュニケーション一つを取り上げても学校がイジメに対処できるわけがない。語彙力不足と日本語運用能力の不足から、まるで説得力のない頓珍漢な長説教が現場で行われている。いじめに適切に対処できる教員は10%いるのだろうか、心もとない。新聞やテレビ報道でも、イジメ問題に適切に対処できた例は見たことも聞いたこともない。
 ニムオロ塾でも、過去に2例、深刻なイジメの相談があった。ダンベルを投げつける生徒がいたのである。避けたが大腿部へあたった。頭を直撃したら命がない。学校側とも話しをしたようだが、まったくムダだった。命の危険を冒してまで通学する必要はないから、希望通り毎日塾へ来ていいと伝えたら、しばらく学校を休んだ。学校は動かざるをえなくなる。
 もうひとつは1年ほどあとからわかった。「先生、俺毎日のように塾へ来ていたことがあったでしょう、学校へ行くと毎日殴られていたんだ、それで学校へ行くの嫌になって休んで塾へ毎日来てたんだ」そう告白した。入塾直前の定期テストで数学が50点前後、英語は十点台の生徒だったが、半年ほどでどちらもクラス一番の得点が取れるようになっていた。急激に成績がよくなったこともイジメの一因であったかもしれない。細い身体の背丈の小さな生徒だった。それ以来、「先生、毎日来ていいかな?」と生徒が言うときは気をつけて観察するようになった。

 文科省は足元を見たらいい。小学校へ英語の導入は狂気の沙汰で、いましなければならないのは先生と児童・生徒への日本語教育の強化と日本的価値観(弱い者イジメは卑怯な振る舞い、卑怯は人間のくず)や日本的情緒の刷り込みである。幸い日本には世界に稀に見る古典文学の宝庫があり、その作品の一つ一つに日本的価値観や日本的情緒が色濃く織り込まれているから、英語の時間を良質の日本語テクストの音読トレーニングに充てるべきだ。
 文学作品ではないが、イジメには3ヶ月ほどみんなで毎週「会津什の掟」の朗誦をすればいい。小学生ならすぐに暗唱してしまう。恥ずかしくて弱い者イジメができなくなるだろう。

-------------------------
*【会津什の掟】
http://www.nisshinkan.jp/about/juu

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

 (七番目の条は外していいだろう。昔はそういうものだったということは覚えておこう。)
-------------------------

 先生たちも学力や日本語語彙力が千差万別のようで、もちろん素晴らしい人もいる。元北海道中学校長会副会長の松実氏の卓越したご意見を紹介したい。
(新聞記事をクリックすると別画面に拡大して展開できます。)

 釧路新聞「巷論」から(ブログ「情熱空間」より)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7112837.html
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2014年02月20日

小学校の英語教育構想(釧路新聞「巷論」のすばらしいご意見)

正鵠を射るとは、まさしくこうしたことですね。補足説明など何もございません。少し前(2014.02.11)と今日(2014.02.20)の釧路新聞、巷論(こうろん)から。英語教育の専門家、松実寛さんによる、前倒しが予定されているところの小学校英語教育へのご意見です。

理路整然。すばらしいですね。おみごととしか言いようがありません。さて、思うこと。こうした、「地域の宝」「知恵袋」といった方にこそ、この地の教育行政のブレーンとか教育委員とかになっていただくべきではないでしょうか。三部作(?)、畏敬の念を抱きながら拝読させていただきました。ありがとうございます。

というわけで、こちらもどうぞ。

●小学校英語教育必修化は「羅針盤なき船出」(釧路新聞「巷論」から)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7077962.html

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#2031 "申し訳ないという気持ちで一杯です" July 30 2012 [82.言葉のアンテナ]

 オリンピックで"申し訳ないという気持ちで一杯です"という言葉をよく耳にする。なかなかいい言葉だ。応援してくれた皆さんの期待に応えることができず申し訳ないということ。標題は平泳ぎ100m5位に終わった北島康介の弁であるが、同様の言葉を数人の選手が言っている。

 本番になるとがちがちになって普段の実力を出せなくなる者、あるいは萩野公介(高3、17歳)のように本番で自己記録を大幅に塗り替えてしまう者がいる。

 柔道の福見友子は気の毒だった。金メダルの期待に押しつぶされてしまった。ツイッターに書いた彼女の弁。
「応援して下さった皆さん、一緒に戦ってくれた皆さん、本当にありがとうございました。 この気持ちなんだろう。とってもからっぽです。力、尽くしたんだな。 ありがとう、ありがとう、ありがとう」
「これがオリンピックだと思います」

 金メダルを期待され初戦で敗退した選手もいた。銀に終わった者も。
 韓国選手に一度は上げた旗を十秒ほどの協議で日本選手に上げなおした主審もいた。判定自体がおかしいとは思ったが、簡単に覆るのもいかがなものかと思う。主審がミジュクだということ。それ以上にルールに問題ありなのだろう。"国際化"を感じたのは、勝った選手が飛び上がってVサインをしたときだった。敗者に対する思いやりの心をもつのが日本武道に共通した精神である。憐憫の情とか惻隠の情という。そういう日本本来の精神が忘れられて技のみの競技と化したスポーツ柔道はつまらない。
 一番つまらない顔をしていたのは、競技を見守る役員団。過去に金メダルをとった者たちが居並んで現役選手にプレッシャーをかける姿はみったくない。もうすこし優しい顔をして試合を見守ることはできぬのか、敗者へのいたわりの精神が本家の日本役員団にみえないのが残念だ。
 極論を言うと、勝ち負けなんぞはどうでもいい、日本柔道は競技スポーツではないことを試合を通じて堂々と示せ。

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#1944 「農作物」はなんと読むか:桜島噴火で"ノウサクブツ"に被害(NHK)  May 21, 2012 [82.言葉のアンテナ]

 NHKの夜のニュースを聞いていた。鹿児島の桜島が噴火して700g/㎡の火山灰が降り積もり、ノウサクブツに被害が出たという。
 数日前に、「釧路の教育を考える会」の副会長がブログ(情熱空間)かフェイスブックにノウサクブツではなくノウサクモツというべきだと書いていた。わたしも彼の意見に軍配を上げたい。

 NHKのアナウンサーが"ノウサクブツ"と言ったのを聞いてあらためて強い違和感を感じた。畑になるものは"さくもつ"であって"サクブツ"ではない。生命や自然の力でなるものは"サクモツ"だからやはり"ノウサクモツ"(農作物)というべきだ。人間が作り出すものは工作物(コウサクブツ)でいい。

 それにしても、字面でみるのと音で聞くのとは違和感に大きな差異が生ずることにいまさらながら気がついた次第。声に出して読むことの重要性を再認識した。

 「読み・書き・そろばん」、この三つのうちで「読み」が最重要、もちろん声に出して読むことが一番大切。それゆえ、テクストを厳選して素読を小学校低学年で徹底的にやらせてみたい。

 国語も英語も初めのうちは徹底的に読ませるべし、授業でも渾身の力でただ読むべし。小学校の6年間のうち交互に3年間の国語授業を50分間ただひたすら読むことに費やせば、たくさん読めるからこどもたちの日本語語彙力はよほど上げられるだろう。
 中学生たちをみていると学校の授業で英語の音読トレーニング不足を感じる。スラスラ読めない生徒が多いのだが、読めなければ書けないのは日本語と同じ理屈。根室市内の中学校は土曜日午前中のブカツを禁止して一時間だけ英語音読トレーニングをしたらどう?音読のみ、解説なしの徹底した授業。

 小学校で隔年ごとに国語の授業を音読トレーニングのみに費やせば、語彙は豊かになり、読解力は飛躍的に伸びるだろう。そうすればノウサクモツとノウサクブツなどと読むプロのアナウンサーはNHKからも民放からもいなくなるに違いない。


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【5月26日追記】
 コメント欄にcccpcameraさんから、重要なご指摘をいただいたのでそのまま転載します。
 「のうさくもつ」という読みは「さくもつ」が農業生産物に決まっているので「幼稚な感じ」を受けるというのは新鮮でした。漢字熟語は同じような意味を重ねるものが多いので、わたしは「のうさくもつ」で違和感がありません。
  わたしの使っている広辞苑もcccpcameraさんと同じ2版です。4版と5版ももっているのでしょうかそれとも本屋か図書館で引いてくれたのかな?どうももっていそうな気がする。北方領土問題でも用語の使い方がとても厳密だった。北方領土問題に興味のある中高生は"cccpcamera"をキーにネットで検索してご覧、まとまった資料と解説を閲覧できます。
 定評のある辞書2冊(広辞苑と大辞林)の両方とも見出し項目は「のうさくぶつ」でした。アナウンサーの読みは正しかったと言う結論です。その上で「のうさくもつ」という読みをどう感じるかはそれぞれの言語感覚によるのでしょう。「のうさくもつ」が2版にはなくて4版や5版ででてくる新しい読みだということも驚きでした。知らないことがたくさんある。
  
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おひさしぶりです。

「のうさくぶつ」を広辞苑第4版・第5版で引くと「のうさくもつ」ともあるので、どちらでも良いのだと思います。でも、作物は農に決まっているので、「のうさくもつ」と言うと、ちょっと幼稚な感じがします。農作物とは農作による生産物のことなので、「のうさくぶつ」が普通の言い方で、ニュースアナウンサーは正しくノウサクブツと言っています。広辞苑第2版では「のうさくぶつ」の説明に「のうさくもつ」はないので、この言い方は最近なのでしょう。

今の賢い青少年は、電子辞書や携帯電話の辞書を使いこなしており、正しい言葉を結構良く知っています。おじさんの私は、電子辞書は気分的に好きではないし、かといって、広辞苑をいつも持ち歩くわけには行かないし、ということで、正しい言葉遣いでは、若者に負けているように感じています。
by cccpcamera (2012-05-26 08:40) 

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cccpcameraさん、おはようございます。

大辞林で引いて確かめました。ご指摘の通りこちらも項目としては「のうさくぶつ」でそのなかに「のうさくもつとも」と添え書きされています。
作物については農業生産物にしか使わないことも第1義にありました。

そういわれてみると「のうさくもつ」と読むのが「幼稚に感じる」というご意見がありうることはなっとくがいきます。

アナウンサーが正しく「のうさくぶつ」と言っていたことは認めざるを得ませんね。一本負けです。(笑い)

ご指摘ありがとうございます。m(_ _)m
by ebisu (2012-05-26 09:34) 

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