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#3088 公民・歴史・地理から見た安保法制論議:憲法第九条と自衛隊 July 21, 2015 [20. 歴史]

    <更新情報>
    7/22 朝9時追記 <国防-4:文化交流>


     中学校の社会科は、地理・歴史・公民と分野が分かれているが、問題はこれらの三分野がクロスオーバしているところに存在する。憲法第九条と安保法制の問題はまさしくそういうところにある問題ではないだろうか。中高生の皆さんは分野横断的な問題分析のトレーニングだと思って読んでもらいたい。

    <憲法第九条を素直に読むと・・・>
     まずは公民分野からのアプローチ、小学生になったつもりで憲法第九条を素直に読んでみよう。
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1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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 条文の論旨は明快で、①戦争の放棄、②戦力の不保持、③交戦権の否認の三つの要素から構成されていることは、多くの学者どころか、小学生でも誤解するものがいないくらい、明々白々である。
 「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」となっているから、憲法条文解釈上は日本に軍隊が存在する余地はない。自衛隊は軍隊ではないというのは、大人の屁理屈。

<敗戦処理と憲法第九条:70年前になにがあったのか>
 次は歴史からのアプローチだ。この条文は日本が白人との戦いにおいて負けた結果、戦勝国である最強の白人帝国(米国)が占領政策上天皇制の存続を認めたほうが統治しやすいと判断し、天皇の戦争責任を問わない代わりに世界に例のない第九条の条文をいれて他の国々を黙らせたという当時の事情はあるのだろう。米国は何が何でも、つまり天皇制維持を認めてさえも日本を統治して自分の支配下に組み入れる必要があった。アジアでの日本の力を無視できなかったのである。ほうっておけば、日本はいずれアジア諸国のリーダとなり、白人帝国と衝突することになる可能性が大きいから、米国の国益上、日本の天皇制を利用しつつ、米国文化へ取り込むために日本文化の破壊を目論んだ。
 たとえば文字政策を具体例に挙げたい。昭和21年当用漢字(1850字)が告示され、漢字制限が行われた。これは文人の国語力を下げただけではない、一般国民の国語力も著しく低下させてしまった。序(つい)で米国は日本独自の文化破壊を目的として漢字廃止を画策、CIEによる国語テストを実施した。当時の人口7755万人から、戸籍簿に基づき無作為に17100人を選び16820人について国語力テストが行われた。該当者の年寄りを山の中まで迎えに行って、町役場や村役場につれてきて国語のテストを受けさせるというほど厳格なものだった。結果は予想とは大違い、平均点は78.3点、満点が6.2%、識字率が97.9%だった。
 これだけ厳密な識字力調査は世界に類例がない。漢字や短歌の読み書き能力の高さや識字率の高さに驚いて米軍は漢字廃止政策を取りやめた。こんなに文化程度の高い国とでは次に戦争になったときにはやっかいなことになると思っただろう。
 驚くべきはその後の日本側の調査委員会の対応であった。6.2%の満点を強調せずに、漢字の読み書き能力が足りないという結論を下し、漢字制限へと動くのである。そして国語審議会が中学3年生までに学習すべき漢字を881字に制限してしまう。(大野晋『日本語の教室』(岩波新書)より)
 その後の経緯は明らかだ、文部省と国語審議会が漢字制限をし続け、日本の文化を根底から破壊し続けている。
 進駐軍が漢字を廃止するには日本国民を納得させるために、具体的な調査とデータが必要だったのだろう。世界に類例がないほど国語力のレベルが高いことが分かり、それで米国は漢字廃止をあきらめたのである。データの裏づけのない暴挙(漢字廃止)をしたら、日本人の国民感情を著しく傷つけ、米国への反感が一気に巨大なうねりとなりかねないと読んだのだろう。愚かだったのは日本の歴代の文部官僚と国語審議会のメンバーである。

 憲法第九条は結果として日本が朝鮮戦争に直接巻き込まれることを防いだし、ベトナム戦争でも国内基地の利用を認めることはあっても、直接日本の軍隊が米軍と一緒に戦うことを阻止した効果は認めるべきである。この辺りは現代史。

<地政学上の問題:現下の世界情勢と日本>
 しかし、戦後70年がたち国際情勢が大きく変わった。中国は戦後、モンゴルやチベットを侵略して自分の版図を広げたし、ベトナムにさえも版図拡大のために侵略戦争を仕掛けた。いままた南沙諸島や尖閣列島で力に物を言わせて同じことをしようとしている。日本が消費している原油の90%は中東産である。マラッカ海峡を通り、南沙諸島を経由して石油タンカーで運ばれてくる。外交と防衛は地理的条件に依存しているから、南沙諸島の石油輸送ライン確保は日本にとっても重大な関心を寄せざるを得ない。モンゴルやチベットは強力な軍隊がなかったから、中国の属領にされてしまった。強力な軍隊があれば、侵略されずにすんだ。地理上の相互の国の配置条件からくるところの、外交・防衛問題は地政学の対象である。
 北朝鮮は言を左右にして、拉致した我国の国民を戻さない、そして核弾道ミサイル開発を急いでいる。
 ロシアは200カイリ内サケ・マス流し網漁禁止法案を制定し、北方領土とその周辺の実効支配をさらに強化しようとしている。ヨーロッパが食料品輸出禁止措置をとっているので、ウクライナ情勢が解決するまで、ロシアは農水産物の自国領内での生産増大を図らなければならない。北方四島海域での水産資源の重要性が増大している。
 中国とロシアの領土拡張志向はほとんど病的、そして避けて通れない地政学的な問題があるのだから、日本はロシアと中国と米国を強く意識した防衛体制を築かなければならない。

<国防-1>
 自衛隊は軍隊ではないという方便はもうやめて、憲法上で軍隊の存在を認め、時の政府の拡大解釈の余地を小さくする具体的な規定を盛り込み、必要な法令を詳細に定めるべきではないのか。
 特定秘密法案と並べてみると、安保法制は政府の判断次第で何でもできるように見える。情報の隠蔽は国の未来を危うくする。憲法第九条の改正と必要な法令の整備について、もっと具体的な論議をすべきで、3年間くらい議論をつくして成案をつくればいい。

<アジア対白人帝国との戦いであった大東亜戦争の総括の必要>
 こうした作業をする前に、なぜ日本が戦争に追い込まれたのか、アジア諸国の白人支配にピリオドを打とうとした大東亜戦争とはアジアから見たらなんだったのかについて、総括すべきである。日本はブロック経済で石油供給を断たれた結果戦争に追い込まれた。いままた中東からの原油輸入が途絶えるようなことがあれば、日本はどうするのか、そういう具体的な危機を想定してコンセンサスを醸成する必要がありはしないのか。『戦前日本の石油攻防戦』という本が3年前に出版されている。わたしたちは開戦前の日本経済の危機的状況を知らなさ過ぎる。現実の国際政治はいたって厳しい。

戦前日本の石油攻防戦―1934年石油業法と外国石油会社

戦前日本の石油攻防戦―1934年石油業法と外国石油会社

  • 作者: 橘川 武郎
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2012/05
  • メディア: 単行本


<国防-2:原発廃炉と多核弾道ミサイルの開発配備>
 もうひとつ、国防上看過できない大問題がある。50基の原発である。ここにテロを仕掛けられたり、ミサイル攻撃を受けたら、1箇所だけで原発30個分の放射能汚染が生ずる。このような状況は国防上危ういから、1基を残して20年間で49基を廃炉にして、核武装すべきだ。
 近隣諸国である中国、北朝鮮、ロシアが核爆弾とその運搬手段(ミサイル)をもっており、万が一日本が攻撃されるようなことがあったら、相手を殲滅できるだけの軍隊と武器が必要である。多核弾道ミサイルを開発して、必要な場所に必要な数だけ配備すべきだ。技術も必要なウラン精製用の遠心分離機も、核爆発のシュミレーションをするスーパーコンピュータ「京」も、開発能力を要する人材も必要なものはすべて日本国内にある。ロケットはロケットの精密誘導技術もすでにある。日本は潜在的な多核弾道ミサイル保有国である。
 中国はモンゴルもチベットも侵略して自分の国土とした。ベトナムにさえも軍隊を送り侵略しようとした。日本人は無抵抗で殺され、国土の蹂躙を許すほどお人好しではない、戦う準備は必要だ。どの国でも、日本を侵略しようとしたら、相打ちにできるだけの武力はもつべきだ。日本人は特攻の歴史がある。同じ武器をもって戦ったらどうなるかは戦勝国(国連安全保障常任理事国)が知っている。そういう背景があれば、外交交渉も可能になる。

<国防-3:ビジョン>
 国防上も外交戦略上も、そういう議論をすべき時期に来ているから、日本の国防をどうするかの議論を逃げてはいけない。憲法第九条改正をして、自衛隊を国を守る軍隊と認めよう。
 江戸中期の国防について論じた書に、林子平著『海国兵談』(16巻)がある。海に囲まれた島国の防衛を論じた最初の書である。21世紀に住むわたしたちはどのような『海国兵談』を書くべきか、林子平に問われている。

*林子平『海国兵談』 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%9B%BD%E5%85%B5%E8%AB%87

海国兵談 (岩波文庫)

海国兵談 (岩波文庫)

  • 作者: 林 子平
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1939/03/02
  • メディア: 文庫


<<林子平「三国通覧輿地路程全図」>>
 もう5年ほども前になるが、この地図の複製を根室の文学博士(考古学者)のK構さんからいただいた。ロシアと中国が下方に描かれていて、日本列島が弓形にロシアと中国の太平洋進出を阻んでいるように見える地図である。両国から見たら、日本は実にうっとうしい存在であると林子平は言いたかったのだろう。両国が太平洋に進出するためには日本を属国にしなければならない、そういう地政学的な位置に日本がある。

<国防-4:文化交流>
 中国では日本の絵本や漫画やアニメが人気がある。日本人のメンタリティを理解してもらうには、中国語に翻訳された絵本で中国の子どもたちが育つのはいいことだ。絵本は大人が子どもに読み聞かせるから、大人も日本人のメンタリティを理解するようになる。
 アニメや漫画の本についても単なる娯楽ではない質の高い作品が多数存在する。手塚治の『火の鳥』『釈迦』『ブラックジャック』『鉄腕アトム』、千葉てつや『明日のジョー』、梶原一騎・川崎のぼる『巨人の星』、さいとうたかお『ゴルゴ13』、土山しげる『食いしん坊』、あだち充『タッチ』、ジョージ秋山『浮浪雲(はぐれぐも)』、長谷川町子『サザエさん』・・・名作は他にもたくさんある、実に多彩で日本人独特のメンタリティを表現した作品や普遍的な価値を追求したレベルの高い作品が多い。
 相互のメンタリティを理解するのは長期的に中国と日本の関係を考えるときに大事な意味を持つ。何かことが起きたときに、そういう人たちが橋の役割を果たす。最後に頼りになるのは文化交流とそれによって育まれた人の交流であることを忘れたくない。
 中国の文化は文字や漢詩を通じて、千数百年間日本に入っているから、いちいち上げる必要はないだろう。土曜日に隔週登校させて、小学生に漢文素読と日本文学作品の音読をやらせてみたい。国語の学力が著しく上がるだろう。

<安保法制 わたしはこう考える>
 ブログ仲間で、「釧路の教育を考える会」の副会長であるお二人が、安保法制について思うところを書いている。

「議論がかみ合うはずもなし」  ブログ「情熱空間」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8059121.html

「第3182回 そもそも論なのです」  ブログ「くしろよろしく」
http://blog.livedoor.jp/gekko946/archives/51794927.html

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*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06


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#2823 歴史の真実:1949年10月1日は中華人民共和国建国の日 Oct. 1, 2014 [20. 歴史]

 中華人民共和国の建国の日(国慶節)は1949年10月1日である。日本が先の大戦に負けた1945年8月ではない。
 中国は抗日戦線を戦って"日本から独立した"と宣伝してるし、そのように嘘で塗り固められた教科書で国民を教育し続けている。
 1949年に日本軍が中国にいたか?日本は1945年8月15日に白人帝国の国際連合軍との戦いに敗れ無条件降伏している。
(学力優秀な若者がゼロ戦の操縦桿をにぎって特攻に赴いた。その数5000名を超える。負けはしたがアジア各国はその後白人帝国からの独立を次々に果たした。目的の一つは達せられたのである。)
 では中国共産党軍は誰と戦っていたのか?蒋介石の率いる国民党軍である。つまり、日欧米の列強が中国大陸から手を引いたあと、4年間も内乱を繰り広げており、1949年に決着がついて中華人民共和国が誕生した。

 建国後の話だと思うが、「一村一殺」運動まであったらしい。村の中の「ブルジョワ」を選んで見せしめに殺した。「人民裁判という名のリンチ」が中国全土で行われた。裁判は公式記録が残るが、リンチは公式記録を残さない。当時の中国にいくつの村があったのか私は知らない。国民党軍との内乱とその後の「粛清」でどれほどの「中国人民」が殺されたのか公式な統計は殺した側の中国共産党ももっていない。毛沢東が政権をにぎっていたときなされた権力闘争である紅衛兵の文化大革命(1966-1977)を含めると犠牲者の数は一説に2000万人とも言われている。中国の歴史は王朝が交替するごとに虐殺の繰り返しである。中国共産党もその例に漏れぬ。

 その中国共産党軍は日本軍とはほとんど戦っていないし、中国を共同統治していた欧米列強の帝国諸国軍とも戦っていない。なにしろ大東亜戦争で中国は白人の側についたのだから白人帝国とは戦っていないヘタレな国なのだ。列強に要求されるままに租借や割譲を繰り返した。
 他のアジア諸国は宗主国の白人帝国とそれぞれ戦って独立を成し遂げている。多くの日本軍将校や兵士が残留してアジア各国の独立戦争を共に戦っている。だから、インドやフィリピンやインドネシアやミャンマー(ビルマ)、ベトナムなどは親日的である。それぞれの国の独立に日本人が損得抜きで深く関わったからである。白人帝国に立ち向かうために大東亜共栄圏、五族共和という理念を共有した時期があった。
 同じ植民地統治下にあった台湾は親日的で、韓国は反日。日本は韓国にも台湾にも帝国大学を設置した。当時日本も決して豊かではなかったが国家予算の4分の1も割いて植民地経営をして、インフラの整備に努めた。戦後それらの教育機関で育った人材が両国を支えた。もちろん整備された鉄道・道路・ダムなどのインフラもそのまま使われたのである。
 韓国は反日、台湾は当時の日本人の努力に感謝して親日となった。同じことをしてもこれほど受け取り方に違いがある。
 アジアの中で中国と朝鮮が白人帝国と戦わなかった。いや、多くの朝鮮人が日本人として日本軍に参加、戦死しているから共に戦ったといえるだろう。他のアジア各国は宗主国の白人帝国と戦って独立を遂げて建国しているが、中国にはそういう誇れる建国のストーリがない、そうした真空が生じたところへ「抗日戦を戦い抜いての建国」というフィクションがはめ込まれた。国民は簡単にだまされ、いまだにだまされ続けて反日を叫ぶ。

 今日10月1日は、中華人民共和国建国の日である。1945年ではなく1949年であることを再確認してもらいたい。抗日戦争を戦い抜いて日本から独立したのではないのである。当時の中国共産党軍は国民党軍に追われて逃亡中だった、それを毛沢東は「長征」と称している。たんなる長い長い逃亡劇を長い征服劇と偽ったのである。

 永遠に嘘を突き通さなくては中国共産党の正当性の根拠がなくなる。中国共産党軍が単独で抗日戦争を戦ったことはない、ずっと国民党軍と戦っていた。
 大東亜戦争(第二次世界大戦で)白人列強の帝国に味方したアジア唯一のヘタレな国だなどとは口が裂けてもいえまい。中国共産党支配の根拠がなくなる。嘘で固めた建国ストーリ。

 社会科を担当している先生たちは中国建国に関して歴史の真実を生徒たちに教えてほしい。中華人民共和国建国の成立は1949年10月1日である、日本が先の大戦で欧米の国際連合軍に負けた1945年ではない。

<余談>
 根室在住の唯一の文学博士で考古学者であるKさんは、戦時中に文部省の要請でベトナム人の王族の青年に日本語を教えていた。ベトナムはフランスの植民地であったから王族が話す言葉はフランス語。ベトナム人に日本語を教えるのにフランス語を介してやり取りが行われた。あるとき「殿下に会ってもらいたい」と言われて、お会いしたそうだ。日本はベトナムの王族を日本へ招いて国費をかけて教育をしていたのである。韓国と台湾に8番目と9番目の帝国大学を創ったことも教育重視の表れだ。国の独立を支える基礎が教育にあることを知っていた日本はアジア各国の独立を果たすためにこういう基礎的なこともしっかりやっていた。

 この話は伝聞ではない、ご本人から直接お聞きした。わたしは仲人さんでもあるKさんを「K先生」とお呼びしている。歯科医のT先生と根室商業の同期生で仲がよかった。T先生は国後島の大漁師の出で人情味に溢れる人だった。北国賛歌の作詞者*でもある。ebisuが小学生の頃面白がってビリヤードで遊んでくれることがあった。背が足りなくて「しつれいします」といって床から両足が離れる、ほんとうはルール違反なのだが、それが面白いと満面の笑顔だった。穏やかな人柄のT先生の娘さんとはどういうわけか何度も同級生だった。8年間だったかな?信金向かいの角にあった菓子店のWさんもよく遊んでくれた。幼馴染のヤッコちゃんとは一度も同級生にならなかった。魚屋さんの女将のマーちゃんもその当時の幼馴染。花屋の娘のK子ちゃんも、洋裁店の(当時は)おきゃん娘のユッコも。どういうわけか近所に同期は女の子ばかり、男はebisu一人だけだった。道銀のところが広い空き地になっていて、ドッジボールやカンケリ、ケンパなど小学校の低学年までよく一緒に遊んだ。NTTがビルを建ててから広場がなくなり一緒に遊ばなくなった。近所に適当な空き地があることが、こどもが外で遊ぶかどうかの鍵なのかもしれぬ。
 T先生も可愛がってくれた近所のおじさんたちの一人、そして特別な一人だった。どちらの先生も尋常小学校卒のebisuのオヤジと馬があった。元秘密部隊の落下傘部隊員だったオヤジは子供のころからきかなくて手のつけられぬガキ大将だったようで旭川の小学校を退学処分になりかけ、それをきいた親戚がねじ込んでなんとか卒業だけはさせてもらったという。おじさんが天皇のお召し列車の機関士で、当時の国鉄で北海道では名前を知らぬ人がいなかったそうだから、そのご利益だったのかも知れぬ。婆さんの出自は鳥取の西尾家、子どものころは駕籠に乗って「した~に、した~に」とお供を連れて外出したというので、叔母達が嘘でしょと笑っていたが、あるとき鳥取の婆さんの実家へ伯母が一人お供して大きな旧家にびっくりしたという。婆さんの話はほんとうだった。オヤジの釧路の実家はご先祖が船が難破して最初に流れ着いた三人の和人の一人だそうで大きな旅館をやり、鉱山経営にも手を出したようだ。釧路市史関係の新書(『釧路歴史散歩(上)』)に当時の2階建てのカネ吉という屋号の旅館(北海立志図録より転載)が載っている。親父が生まれたときには没落していた。オヤジが通った旭川の小学校が閉校になるので記念式典に参加したのはもう二十数年前のことだ、懐かしかっただろ、記念写真が残っている。

 いまは三代目だが二代目の歯科医F先生は根室新聞に時代小説や現代小説を連載していた小説家でもあった。平成3年に亡くなる少し前に、「トシボー」と名前を呼ぶので誰かと思ったらF先生だった。そういう呼び方をしてくれる大人たちはすでにない。40年ほど前に根室公園の木々を植樹したのはそういう大人たちだった。40年経ち、いまは小さな森になっている。

 ふるさと根室に戻って何かしようと思ったのはこういう大人たちのお陰でいまがある、たくさんしてもらったからいまがある、そして自分のできる範囲でふるさとへの恩返しをしたいと30代の頃に思い決めていたからだ。50歳をすぎたらふるさとへ帰ろうと漠然と考えていた。うまくしたもので53歳でそういう縁ができて戻れた、お陰で小さな私塾で30年後の根室のために数人は人材を育てることができた。

 K先生を介して、ベトナムと根室はサンマ輸出の前に戦時中からご縁があったことを、たくさんの根室人に記憶していたもらいたい。
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*根室市役所 [ 飯田三郎資料展示室 ]

www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/doc/.../iidasaburou?...
昭和8年、根室を訪れたコロンビアレコードの作詞家、高橋掬太郎氏の勧めで、昭和11
年、掬太郎作詞の「愛のグラス」でデビュー。 昭和17年キング ... 昭和43年, 根室開基
100年を記念して、田塚源太郎作詞・交響組曲「北国讃歌」を作曲。 昭和48年, ミサ曲
が ...
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*#2687 『日本人はなぜ特攻を選んだのか』①黄文雄著 May 26, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-25-3

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