#1368 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (3) : 学問の楽しさ Feb. 3, 2011 [83.『「漢委奴国王」金印]
今日は暖かい。札幌も最高気温6度、道ばたの雪が溶けて、小川のようになった水が排水溝に吸い込まれていた。3月末のような陽気だった。
海のほうは真っ白に雪をかぶった国後島がはっきり見えて、沖まで真っ白だ。流氷が入ったのだろうか?沿岸氷があんなに広がるわけはないのだが・・・沿岸氷の一部がが岸から離れて流されているのかもしれない。
標題の3回目である、古代史の翻訳書のあるEさんはメールの公開を次のように快く承諾してくた。
海のほうは真っ白に雪をかぶった国後島がはっきり見えて、沖まで真っ白だ。流氷が入ったのだろうか?沿岸氷があんなに広がるわけはないのだが・・・沿岸氷の一部がが岸から離れて流されているのかもしれない。
標題の3回目である、古代史の翻訳書のあるEさんはメールの公開を次のように快く承諾してくた。
xx様
ブログへの掲載の件、承知しました。
年寄りの見解が若い人の成長にお役に立つことができるなら、
それは本望というべきものだと思います。
・・・
・・・
ですから、今後も私の書いたもので使えそうと思うものがあったら、
いつでもご自由にお使いくださって結構です。
さて、前置きはこれくらいにして2通目のメールを紹介する。
XX様
金印の件について、もう一言。
ヨーロッパやユーラシアの大国の興亡について、色々な資料を長く漁っていると、歴史というものの大枠は案外と常識的なもので、巷で人気の高い陰謀史観とか英雄史観、あるいは悪の帝国の横行だとかいうようなものは割に合わないので、なかなか成立しないと思うようになってきました。
考えてみれば当り前で、大帝国を維持しようとするなら周辺諸国を心服させねばならず、そのためには品性の卑しいことをは、政策上から考えても、論外なのです。
どんなに腕っ節が強くても、品性が卑しく、ヤクザみたいなのにのさばられては不満でしょう。大国の興亡も同じで、腕力をほこるだけの傲慢な大国は嫌われるのです。当然、そういう国は一時的には成立しても、すぐに滅亡します。
ですから、国の発展とともに品性も陶冶されねば、その国の余命はタカが知れています。品性が陶冶されてくれば、その国の発展の方向は、周囲の人間に理解できる言動、つまり、論理的で着実な発展の方向に進みます。
これは華やかさにはかけるにしても、静かで着実な発展の方向です。したがって悪意に満ちた陰謀や奸計が入る余地は、次第に少なくなってくるのです。
これは効率の面からいっても、おなじことが言えます。
悪計をやりとげようとするのは、厖大な時間と労力、つまり金と繊細な神経を必要とするうえに、失敗の確率は高く、うまくいったところで憎まれるだけ、という不経済の最たるものです。
ならば正々堂々と進んだほうが効率的で、少なくとも失うものは少ないと思うでしょう。それで、後に紛争の種を残すような言動は出来る限り避けるというのが外交の鉄則になるのです。その場の言い回しや態度は形としては後に残りませんが、文言は後に残ります。
ヘロドトスを見ても、あるいは春秋・戦国を見ても、外交辞令というのは実に丁重ですが、それは後に残るものだから、いわば当然なのです。
したがって外交辞令というのは、いつの時代でも、どこの国でも丁重な言い回しになるのです。それを知らずに好き勝手な放言を高官がやらかすのは、田舎者国家の野蛮国です。昭和の大日本帝国が世界各国から嫌われたのも、そのせいです。
今回の金印の文言についての疑問も、このような歴史の流れを背景に考えてみると、少なくともローマ初代皇帝アウグストゥスと同時代のアジアに覇を唱えた後漢という大帝国の振舞いとしては、実に理に合わぬ話になると思っていたのです。
もっとも、中国の王朝の官吏は古来、理に合わぬことを承知で他国に押し付けることが国威の発揚と思い込んで壮大なゴマスリをやらかし、後に紛争の種を捲いてきたわけですから、贋物だとは言い切れないところもあるのは確かですね。
太字の強調とアンダーライン引きはebisuによる。文章全体を何度も読み返して欲しい。読み返すに足る内容がつまっている。
たとえば、アンダーラインの一部は、外交に限らずサラリーマンや経営者の仕事に共通していえることだろうと思う。普遍的な生き方の問題にも関わる。
悪計を張り巡らし、嘘を一つつくと、辻褄併せのために次々と嘘をつき続けなければならなくなる。それは無駄なエネルギーというもので、正直にやるのが最短距離を歩むことになる、簡単なことだ。
仕事は正直に誠実にやるのが一番労力が小さくてすむのだが、病院建て替え問題一つとっても根室の町の関係者にはそれがなかなかできない、案外難しいことなのかもしれない。
なぜ難しいかというと目先にぶら下がっている私的利益を見逃さなくてはならない事態にしばしばぶつかるからだ。それどころか正直にやるとあからさまな不利益が降りかかることをみんな承知している。
だが、それでも目先のことにごまかされるな、浮利を追ってはならぬ。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」がよい。外交や仕事の話しを超えてEさんは生き方の真髄に触れているように見える。
金印の真贋については著者の鈴木勉は江戸期の金印と製作技術上共通する部分が多く、中国古代のものとは共通点がないといいながら、比較資料の数が35個ではまだ足りぬと、断定を慎重に避けている。
学問とはこうしたものだ。Aではないと言えてもBであるのかCであるのかDであるのか、にわかに判定しがたいときは、判定できないと正直にいう勇気もまた必要なのである。可能性の消せないものはそのまま可能性ありとしておく。
さて、3回のシリーズを終わる。著者は印章の製作技術と製作道具というユニークな視点から金印の由来を説き明かしてみせた。きっとドキドキしながら資料を検討し書き進んだのだろう。学問は楽しいものだ。団塊世代の一人であるEさんは、金印の真贋問題を俯瞰して見せてくれた。わたしは著者が提示して見せた研究成果とEさんの感想をワクワクしながら読ませてもらった。労作を読ませてもらうこと、そして旧友の感想を読ませてもらうことはじつに楽しいことである。
高校生諸君が学問へ興味を抱く契機のひとつになってくれたらと願いながらニコニコ顔で筆を擱(お)く。
(なお、太字の部分については前回の「補足」部分を読まれよ)
*#1362 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む:パイオニア
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-2
#1366 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (2) : 学問の楽しさ
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-02
- 作者: 幸徳 秋水
- 出版社/メーカー: 未知谷
- 発売日: 2010/05
- メディア: 単行本
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「漢委奴国王」金印・誕生時空論―金石文学入門〈1〉金属印章篇 (金石文学入門 1 金属印章篇)
- 作者: 鈴木 勉
- 出版社/メーカー: 雄山閣
- 発売日: 2010/06
- メディア: 単行本
#1366 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (2) : 学問の楽しさ Feb. 2, 2011 [83.『「漢委奴国王」金印]
古代史の翻訳書のある旧友からメールが届いたので紹介したい。メールは2通あるので、2回に分けて掲載する。世界史をやっている高校生の中に、興味をもつ人が現れたらうれしい。団塊世代のおじさん二人から高校生へのメッセージである。
学問をやるにはある種の"センス"や"嗅覚"が必要だ。高校生は受験勉強の世界史にとどまらず、興味を広げて、"センス"を磨いてもらいたい。
Eさんは印面に使われている文字を見て金印にかねてから疑いを抱いていたという。こうした直感=6センス、文字や言葉に対する感受性は学問をする場合に決定的な重要性をもつ。
彼とは20代の後半に出遭ったのだが、現代西洋哲学をやる傍ら迷いなくギリシア語やラテン語へ分け入ったあいつを、わたしは「ほう~、めずらしいやつ」と思っていた。現代哲学をやりながらギリシア哲学をギリシャ語やラテン語で読もうなどという奴は周りには誰もいなかった。
西洋哲学の概念を捉えるためにはキリスト教を知るだけでは足りない、ギリシア哲学の用語を一度は原語で探っておかなければ肝心なところで的を外す気がして気持ちが悪いし、概念の深部に届かないことになる。わたしはプラトンのイデア論に興味があったのだが、原典を読もうなどと露も思ったことがなかった。ひとり学部の同じゼミの同期で哲学の教授をしている者がいるが、凡庸に見えたそいつとは違って、わたしはEさんには異質なものを感じていた。
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学問をやるにはある種の"センス"や"嗅覚"が必要だ。高校生は受験勉強の世界史にとどまらず、興味を広げて、"センス"を磨いてもらいたい。
Eさんは印面に使われている文字を見て金印にかねてから疑いを抱いていたという。こうした直感=6センス、文字や言葉に対する感受性は学問をする場合に決定的な重要性をもつ。
彼とは20代の後半に出遭ったのだが、現代西洋哲学をやる傍ら迷いなくギリシア語やラテン語へ分け入ったあいつを、わたしは「ほう~、めずらしいやつ」と思っていた。現代哲学をやりながらギリシア哲学をギリシャ語やラテン語で読もうなどという奴は周りには誰もいなかった。
西洋哲学の概念を捉えるためにはキリスト教を知るだけでは足りない、ギリシア哲学の用語を一度は原語で探っておかなければ肝心なところで的を外す気がして気持ちが悪いし、概念の深部に届かないことになる。わたしはプラトンのイデア論に興味があったのだが、原典を読もうなどと露も思ったことがなかった。ひとり学部の同じゼミの同期で哲学の教授をしている者がいるが、凡庸に見えたそいつとは違って、わたしはEさんには異質なものを感じていた。
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本日のブログ、金印jは江戸時代の贋作の可能性ありというのは面白いですね。
私は何十年も昔から、あの「漢倭奴国王」という印文は怪しいなと思っていたので、贋作なら話はスッキリするように思います。
「倭」とか「倭奴」いう語は昔も今も、中国や朝鮮の人間が日本人を罵倒したり、軽蔑するときに使う言葉で、「チビの野蛮人」程度の意味なのだろうと思います。
ですから、「漢倭奴国王」とは「チビの野蛮人の王」ということになるのですが、いくら剛腹な後漢の皇帝であっても、後の時代に伝わるのが確実な金印に、こんな底意地の悪い、拙劣な文辞を刻むだろうかと疑問に思っていたのです。
もし本当に金印の通りに後漢の朝廷が与えたものであるなら、後漢というのは恐ろしく殺伐で、無学な集団であったということになります。
今日の北朝鮮のような狭い地域とか辺境の社会ならともかくも、紀元前後の世界の最先端地域の一つである中国に、そんなヤクザみたいな王朝が成立していたとは、どうにも考えにくいのです。
大文明の王朝とヤクザのごろつき根性とは両立しないでしょう。
それで、贋作、それも江戸時代の職人の手になる贋作という話が成立するとなると、儒教とか国学の大先生をからかってやれという風韻が感ぜられて楽しいですね。
もし本当にそういう職人とパトロンがいたとするなら、彼等は時代を百年も先取りした福沢精神の魁みたいな人達だったのかも知れませんね。
できればブログで紹介された本を読んでみたいとも思うのですが、今のところ、なかなか時間が取れそうにないのが残念です。
それにしても、楽しいお話、有難う御座いました。
とりいそぎ、拙い感想まで。
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【補足】
品性がよろしくないといけないのは個人も国家も同じだが、品性という観点から金印の文字を眺めたかれの眼力に驚かされる。なるほどそういう見方もあるのか。やはり奴はユニークな視点をもっている。
ところで、金印に彫られた文字は「漢委奴国王」であって「漢倭奴国王」ではない。
念のために「倭奴」という言葉を漢和辞典で引いてみたら、「昔、中国人が日本人を卑しめて呼んだ呼び方」となっている。「委」が「なよなよとした様」を表すから、「倭」は「なよなよとした人」を意味するのだろう。金印の文字は「倭奴」に引っ掛けて「委奴」としたのか、わざわざ人偏を落として伝えたいことがあるのか判然としない。だが、「倭奴国王」の意だとすると、Eさんの言うようにずいぶん無礼な文字ということになる。素直に読めば「ワドノコクオウ」と読めるのだが、史家は「ワノナノクニノオウ」と読ませる。著者は「1978年にやはり東京国立博物館において開催された「日本の考古遺物」展の図録」の解説を例に挙げている(p.14)。もともと牽強付会の説ということか?
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<2014年12月5日追記>
人偏を外したのは注文主の作為かもしれないことに気がついた。中華は東夷・北狄・西戎・南蛮と周辺国に人であらぬ文字を使うから、その延長上に金印の文字を考えたという推量が成立つ。
外交においてはそのような野蛮な物言い、そして文書、ましてや臣下の礼をとる国に対して下付する金印に野蛮な文字を使うはずがないというのが、Eさんの慧眼。
金印の注文主は作為をしすぎて馬脚をあらわしたのか?
断定できないところが面白い。
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邪馬台国の「台」の字は「壹」であるが、この字は「ト」と読むのだが、なぜか「台」の字を充て、「ヤマタイコク」と読んで議論がかまびすしい。「邪馬壹国」は素直に読めば「ヤマトノクニ」であり、中国人が日本人の使いがどこから来たと問われて「ヤマトノクニ」と言ったのを卑しい文字を当てて「邪馬壹国」と表記したのだろう。音を当てただけである。卑弥呼のあと「壹与」という巫女が現れるが、こちらは「トヨ」と読む。「邪馬壹国」も「壹与」も同じ字「壹」を使っている。
「卑弥呼=日御子」説があることも注意したい。王は誰かと問われ、使いの者が「ヒノミコ」と言ったのをやはり卑しい字を充て「卑弥呼」と音を真似たのだろう。中国人は周辺を蔑称で呼ぶ癖があり、卑しい字を充てるのが常のようだ。「北狄」「西戎」「南蛮」「東夷」、自分は世界の中心=文明の中心「中華」である。鼻持ちならないが、己の文明の高さを誇った過剰なプライドの発露だと思えば可愛い気もみえてくる。
なお、後漢書倭傳は「光武賜以印綬」と伝えるのみで印面についての記述はない。「建武中元ニ年(西暦57年)に後漢の光武帝から倭奴国の王に下賜されたものと確定的に取り扱っている」(p.7)と書いてあるので、「委奴」を「倭奴」と解釈するのが通説のようだ。
印面を見ると、字のバランスが面白い。全体の印象を先に述べると堂々としていて美しい字である。
「漢」の字が縦一杯に彫られており、他の文字の2倍のスペースをとっている。「倭」の字つまり人偏をいれるとどうにも字の線の太さにバランスがとれない。「委」としてはじめてどっしりとした風格がにじみ出てくる。
意匠上の配慮を金印を彫った職人が考慮して人偏を削り「委」の字を充てたのだろうか?美しさを考慮してのことなら、日本人の職人らしい仕事である。何よりも仕上がりが美しくなければならぬ。それはスポンサーと彫った職人の一致した見解だっただろうか。勝手な想像をしながら、わたしはこの「委」の文字に、製作者のメッセージを感じる。適度な妄想癖もあったほうが楽しくてよい(ジョークですよ)。
一番下に本の写真が載っているのでクリックして、印面の文字を拡大してみてほしい。あなたはどのように感じるだろう?
*#1362 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む:パイオニア
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-2
**Eさんの翻訳の本
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【補足】
品性がよろしくないといけないのは個人も国家も同じだが、品性という観点から金印の文字を眺めたかれの眼力に驚かされる。なるほどそういう見方もあるのか。やはり奴はユニークな視点をもっている。
ところで、金印に彫られた文字は「漢委奴国王」であって「漢倭奴国王」ではない。
念のために「倭奴」という言葉を漢和辞典で引いてみたら、「昔、中国人が日本人を卑しめて呼んだ呼び方」となっている。「委」が「なよなよとした様」を表すから、「倭」は「なよなよとした人」を意味するのだろう。金印の文字は「倭奴」に引っ掛けて「委奴」としたのか、わざわざ人偏を落として伝えたいことがあるのか判然としない。だが、「倭奴国王」の意だとすると、Eさんの言うようにずいぶん無礼な文字ということになる。素直に読めば「ワドノコクオウ」と読めるのだが、史家は「ワノナノクニノオウ」と読ませる。著者は「1978年にやはり東京国立博物館において開催された「日本の考古遺物」展の図録」の解説を例に挙げている(p.14)。もともと牽強付会の説ということか?
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<2014年12月5日追記>
人偏を外したのは注文主の作為かもしれないことに気がついた。中華は東夷・北狄・西戎・南蛮と周辺国に人であらぬ文字を使うから、その延長上に金印の文字を考えたという推量が成立つ。
外交においてはそのような野蛮な物言い、そして文書、ましてや臣下の礼をとる国に対して下付する金印に野蛮な文字を使うはずがないというのが、Eさんの慧眼。
金印の注文主は作為をしすぎて馬脚をあらわしたのか?
断定できないところが面白い。
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邪馬台国の「台」の字は「壹」であるが、この字は「ト」と読むのだが、なぜか「台」の字を充て、「ヤマタイコク」と読んで議論がかまびすしい。「邪馬壹国」は素直に読めば「ヤマトノクニ」であり、中国人が日本人の使いがどこから来たと問われて「ヤマトノクニ」と言ったのを卑しい文字を当てて「邪馬壹国」と表記したのだろう。音を当てただけである。卑弥呼のあと「壹与」という巫女が現れるが、こちらは「トヨ」と読む。「邪馬壹国」も「壹与」も同じ字「壹」を使っている。
「卑弥呼=日御子」説があることも注意したい。王は誰かと問われ、使いの者が「ヒノミコ」と言ったのをやはり卑しい字を充て「卑弥呼」と音を真似たのだろう。中国人は周辺を蔑称で呼ぶ癖があり、卑しい字を充てるのが常のようだ。「北狄」「西戎」「南蛮」「東夷」、自分は世界の中心=文明の中心「中華」である。鼻持ちならないが、己の文明の高さを誇った過剰なプライドの発露だと思えば可愛い気もみえてくる。
なお、後漢書倭傳は「光武賜以印綬」と伝えるのみで印面についての記述はない。「建武中元ニ年(西暦57年)に後漢の光武帝から倭奴国の王に下賜されたものと確定的に取り扱っている」(p.7)と書いてあるので、「委奴」を「倭奴」と解釈するのが通説のようだ。
印面を見ると、字のバランスが面白い。全体の印象を先に述べると堂々としていて美しい字である。
「漢」の字が縦一杯に彫られており、他の文字の2倍のスペースをとっている。「倭」の字つまり人偏をいれるとどうにも字の線の太さにバランスがとれない。「委」としてはじめてどっしりとした風格がにじみ出てくる。
意匠上の配慮を金印を彫った職人が考慮して人偏を削り「委」の字を充てたのだろうか?美しさを考慮してのことなら、日本人の職人らしい仕事である。何よりも仕上がりが美しくなければならぬ。それはスポンサーと彫った職人の一致した見解だっただろうか。勝手な想像をしながら、わたしはこの「委」の文字に、製作者のメッセージを感じる。適度な妄想癖もあったほうが楽しくてよい(ジョークですよ)。
一番下に本の写真が載っているのでクリックして、印面の文字を拡大してみてほしい。あなたはどのように感じるだろう?
*#1362 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む:パイオニア
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-2
**Eさんの翻訳の本
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「漢委奴国王」金印・誕生時空論―金石文学入門〈1〉金属印章篇 (金石文学入門 1 金属印章篇)
- 作者: 鈴木 勉
- 出版社/メーカー: 雄山閣
- 発売日: 2010/06
- メディア: 単行本
#1362 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む(1) :パイオニア Jan. 31, 2011 [83.『「漢委奴国王」金印]
先週土曜日(1/29)に中3対象の社会科の補習をやった。10月から5ヶ月かけて中学社会全科をやるつもりだがあと一月だ。地理をやり終え、続いて公民を終わって歴史に入ったのだが、福岡県出土の標記金印が問題に出てきた。
ここで「最近本を買ったな」と思い出してしまった。たしか、製造技術的アプローチで江戸時代の製作を強く疑う研究だった筈。
生徒には、「この金印には真贋論争があるので、最近製造技術的なアプローチからユニークな研究書が出ているので、調べて来週報告するよ」と伝えた。
それで、ざっと読んでみた。金印を計測した資料を駆使して、加工精度を確認しているが、後漢時代の製作物とするにはあまりに精度がよすぎるというのが著者の印象である。
後漢書倭傳の「光武賜以印綬」の記述に基いて、江戸時代の職人が作ったことが疑われる。そうだとしたらスポンサーは誰だろう?腕のよい職人とお金持ちで数寄者のスポンサーが手を組んでいたずらをして遊んでやろうと思ったのかもしれない。世間を相手の大きな遊びである、被害者は誰もいない。いや、だまされた仕事の不出来な考古学者が被害者かもしれない。まあ、「愉快犯」みたいなものだろう。
そのスポンサーと彫金の名工がゆらゆら揺れる蝋燭の明かりの下で相談している光景を想像してみられよ。ドキドキワクワクは間違いなしだ。腕のよい小説家なら、江戸時代の彫金に関する資料を集め、百万部売れるような小説が書けるだろう。
「精密な加工には、精密な測定技術が必須である」
(『「漢委奴国王」金印誕生時空論』p.21)
産業エレクトロニクスの輸入商社で5年間ほど働いたことがあるので、精密測定器である時間周波数標準器が電子部品の製造に必要なことぐらいは知っていたから、著者の言に納得がいく。
オシロクォーツ社のルビジウム周波数標準器や水素メーザー標準器の日本総代理店で、欧米50社の総代理店契約をもっていた。私はその会社で外国為替管理、長期資金管理、経営企画・管理、システム開発、システム管理、売上債権管理などの仕事を兼務していた。規模の小さな会社のほうが何でもやらしてもらえて面白い。もちろん度量の大きな社長でなければこういう仕事の任せかたはできない。あの会社を30代の半ばに退職したが、その後ニ十数年間為替管理で差損を出さないコンピュータシステムはそのまま受け継がれたのだろうと思う。売上総利益率も統合システム導入前にすでに12%あがって40%になっていた。仕組みの開発は利益確保に絶大な効果のあるものだ。民間企業は人をどのように使うかで、結果が大きく左右される。経営者が人材を見抜く目をもっていなければ、その会社の業績は凡庸なものにならざるをえない。仕事を任せた社長が優秀だった。初代はスタンフォード大でヒューレットやパッカードと共に学んだ。その縁で戦後HP社の合弁子会社YHPができるまで総代理店だった。2代目は慶応大大学院で西洋経済史を学んだ教養人、社名を変更して店頭公開した。私はこの人の指示で会社公開前の利益拡大・自己資本充実を目標とする6つのプロジェクトで基礎作りの仕事を5年間担当させてもらった。いまは東大出の3代目と聞く。私が退職したころ東大生だった。
当時は200人弱の中小企業だったが営業は数人の国立高専出身者を除いて理系の学部出身者たちだった。取扱商品は半分が最終ユーザー防衛庁・米軍関係のエレクトロニクス商品、半分が産業用エレクトロニクス製品だったから、理系大卒でなければ説明ができない商品群だった。大手電機メーカーや国内の研究所が得意先。
先端知識重視の社長の方針で東北大学から助教授を講師に招聘し毎月様々な周波数帯域(マイクロ波、ミリ波、光)の計測技術の原理について講習会が開かれており、加えて欧米の総代理店の先端製品に関する説明会も頻繁に開かれるという面白い会社だった(この知識はのちに最大手の検査会社へ転職してから医療用検査機器の理解とメーカーとの共同開発に役立った)。1年常駐する海外メーカーのエンジニアもいた。
営業部門や技術部門対象の講習会ではあるが管理部門の私が参加しても違和感なく迎え入れてくれた。80年代初頭のオフコンや汎用小型機のプログラミングを修得し、システム開発関係の技術書(先端技術は原書)を片っ端から読んで仕事に使っていたから、マイクロ波計測に使われる制御用コンピューターの機能は外人のエンジニアが英語で説明しても理解できた。お陰でマイクロ波計測技術を中心としてさまざまな周波数での計測技術やデータ処理について5年間毎月勉強会で学習させてもらい知識を集積できた(文科系出身者が仕事で理系の製品を理解するにはたしかな基礎学力が必要だから、文科系進学でも数ⅢCまで勉強しておくべきだ。英語で書かれた専門書が読めるレベルまで実務は要求するから、大学では会話よりも文章の読解スピードを重視した勉強を薦める)。"猫に鰹節"だったなあと当時を振り返る。むしゃぶりついていた。社長はそういうわたしの性格を見抜いて仕事を任せていた。取扱商品への知識が増えるにつれて、営業と技術部に友人が増えていった。フランス原子力機関で働いたことのあるドクターNも親切ないい先輩だった。
ついでにもうひとつだけ脱線させてもらいたい。この会社で一番うれしかったことを書いておきたい。東京営業所長Eさんがナンバーワン営業だった。その彼と組んであるコンピュータシステムを作り、会社の業績が為替変動に左右されなくなると同時に売上高営業利益率を28%から40%超にあげることができた。実はこの仕組みはお客様であるユーザーにたいへんメリットのあるものだった。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」を地でいくものだった。
業績が安定しボーナスが為替変動に左右されなくなった。もちろん利益は大幅に増えたのである。自己資本比率がすぐに上がりはじめた。資金繰りがみるまに楽になっていく。利益の分配方式についても経営計画で三分法を公表、約束したから、士気も高くなった。社員の何人かがあるときうれしそうにこんなことを言った。
「ボーナスが安定して出るおかげで住宅ローンが組める、XXさんのお陰だ、ありがとう」
この言葉が一番うれしかった。不安定な業績では社員は結婚しても住宅ローンも組めない、働くにはそれなりの夢と希望が必要だ。そういう形のないものを大事にしたい。本当はいろいろな提案を受け入れてくれた社長が偉かったのだが、社員はそうした経緯を知らない。ほとんど役員ばかりの非公式のミーティングで社長は会社の基本方針を変える提案を何度も受け入れてくれた。ある合弁事業からの撤退に関するレポートをまとめたことがある。言われて書いたレポートではない。一番若い担当役員が海外出張から戻る社長を空港へ迎えにいって車中でそのレポートを読んでもらった。即断だった。当時で8千万円の損失を償却してその合弁事業を解消した。2億円程度の利益が出るようになっていたからこそ可能な決断だった。社長も同じ線で腹を括っていた。社内をまとめるダシに使えるレポートが揃ったというだけのこと、反対であろう筈がない。まとまりのよい会社だった。やる能力のある者はやるべき時が来たら任された仕事は全力でやるべきだ。
前置きと脱線が長くなってしまったが、そういうこともあって製造技術的な観点からの真贋論争へのアプローチにとくに興味がわいたのかもしれない。
金属加工には精度を維持するために切削作業に治具を必要とするがどういう治具を使っているのかを検討すれば、製作年代の推定ができる。もちろん鏨(たがね)などの工具の種類を同定することも同じ理由で重要だ。
拡大した写真に基いて個々の技術や道具を解説した上で、金印と国内の中国古代金印群A(4個)、中国の博物館所蔵の古代金属製印章群C(13個)、国内の中国古代金属製印章群J(13個)、江戸時代の金属性印章E(5個)、合計35個をマトリックスにまとめて比較検討(同書P.150)している。
著者は比較資料数が十分でないことを理由に挙げて慎重に断定を避けているが、はっきりしたことは次のようにまとめて述べている。
「「金印」については、本書のE群の印章との間に技術的な共通点をいくつか見出すことができた。それは、切れ味の鋭い腰取りたがねの使用、文字線の端部に向かって太くする書的な表現技術、印面の仕上げと印面四辺の直線度に反映する基盤技術水準の高さ、などである。
さらに、「金印」については、J群の日本国内にある中国古代金属製印章との間に技術的な共通性を見出すことができなかった。J群については、「金印」ばかりでなく、C群との間にも共通点を見出すことができなかった。
また、線彫り金印三顆については、C群及びJ群との間に、技術的な共通点を見出すことができなかった。」(同書p.162)
どうやら、江戸時代の製作が強く疑われるようだが、さて、生徒にどう説明したものだろう?
興味を持たれた人は本を購入して読まれよ。
物づくりの日本をいまも支えているのは様々な職種の職人・名人たちである。名工が尊敬される文化を1400年以上も培ってきた日本人には興味深い研究アプローチであることは間違いない。優れた職人とのコラボレーションがなければ書けない種類の本だが、こういうアプローチの研究書がこれを機会に世にもっともっと出てくることを期待したい。その意味で著者は先駆者である。
*#1366 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (2) : 学問の楽しさ
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-02
ここで「最近本を買ったな」と思い出してしまった。たしか、製造技術的アプローチで江戸時代の製作を強く疑う研究だった筈。
生徒には、「この金印には真贋論争があるので、最近製造技術的なアプローチからユニークな研究書が出ているので、調べて来週報告するよ」と伝えた。
それで、ざっと読んでみた。金印を計測した資料を駆使して、加工精度を確認しているが、後漢時代の製作物とするにはあまりに精度がよすぎるというのが著者の印象である。
後漢書倭傳の「光武賜以印綬」の記述に基いて、江戸時代の職人が作ったことが疑われる。そうだとしたらスポンサーは誰だろう?腕のよい職人とお金持ちで数寄者のスポンサーが手を組んでいたずらをして遊んでやろうと思ったのかもしれない。世間を相手の大きな遊びである、被害者は誰もいない。いや、だまされた仕事の不出来な考古学者が被害者かもしれない。まあ、「愉快犯」みたいなものだろう。
そのスポンサーと彫金の名工がゆらゆら揺れる蝋燭の明かりの下で相談している光景を想像してみられよ。ドキドキワクワクは間違いなしだ。腕のよい小説家なら、江戸時代の彫金に関する資料を集め、百万部売れるような小説が書けるだろう。
「精密な加工には、精密な測定技術が必須である」
(『「漢委奴国王」金印誕生時空論』p.21)
産業エレクトロニクスの輸入商社で5年間ほど働いたことがあるので、精密測定器である時間周波数標準器が電子部品の製造に必要なことぐらいは知っていたから、著者の言に納得がいく。
オシロクォーツ社のルビジウム周波数標準器や水素メーザー標準器の日本総代理店で、欧米50社の総代理店契約をもっていた。私はその会社で外国為替管理、長期資金管理、経営企画・管理、システム開発、システム管理、売上債権管理などの仕事を兼務していた。規模の小さな会社のほうが何でもやらしてもらえて面白い。もちろん度量の大きな社長でなければこういう仕事の任せかたはできない。あの会社を30代の半ばに退職したが、その後ニ十数年間為替管理で差損を出さないコンピュータシステムはそのまま受け継がれたのだろうと思う。売上総利益率も統合システム導入前にすでに12%あがって40%になっていた。仕組みの開発は利益確保に絶大な効果のあるものだ。民間企業は人をどのように使うかで、結果が大きく左右される。経営者が人材を見抜く目をもっていなければ、その会社の業績は凡庸なものにならざるをえない。仕事を任せた社長が優秀だった。初代はスタンフォード大でヒューレットやパッカードと共に学んだ。その縁で戦後HP社の合弁子会社YHPができるまで総代理店だった。2代目は慶応大大学院で西洋経済史を学んだ教養人、社名を変更して店頭公開した。私はこの人の指示で会社公開前の利益拡大・自己資本充実を目標とする6つのプロジェクトで基礎作りの仕事を5年間担当させてもらった。いまは東大出の3代目と聞く。私が退職したころ東大生だった。
当時は200人弱の中小企業だったが営業は数人の国立高専出身者を除いて理系の学部出身者たちだった。取扱商品は半分が最終ユーザー防衛庁・米軍関係のエレクトロニクス商品、半分が産業用エレクトロニクス製品だったから、理系大卒でなければ説明ができない商品群だった。大手電機メーカーや国内の研究所が得意先。
先端知識重視の社長の方針で東北大学から助教授を講師に招聘し毎月様々な周波数帯域(マイクロ波、ミリ波、光)の計測技術の原理について講習会が開かれており、加えて欧米の総代理店の先端製品に関する説明会も頻繁に開かれるという面白い会社だった(この知識はのちに最大手の検査会社へ転職してから医療用検査機器の理解とメーカーとの共同開発に役立った)。1年常駐する海外メーカーのエンジニアもいた。
営業部門や技術部門対象の講習会ではあるが管理部門の私が参加しても違和感なく迎え入れてくれた。80年代初頭のオフコンや汎用小型機のプログラミングを修得し、システム開発関係の技術書(先端技術は原書)を片っ端から読んで仕事に使っていたから、マイクロ波計測に使われる制御用コンピューターの機能は外人のエンジニアが英語で説明しても理解できた。お陰でマイクロ波計測技術を中心としてさまざまな周波数での計測技術やデータ処理について5年間毎月勉強会で学習させてもらい知識を集積できた(文科系出身者が仕事で理系の製品を理解するにはたしかな基礎学力が必要だから、文科系進学でも数ⅢCまで勉強しておくべきだ。英語で書かれた専門書が読めるレベルまで実務は要求するから、大学では会話よりも文章の読解スピードを重視した勉強を薦める)。"猫に鰹節"だったなあと当時を振り返る。むしゃぶりついていた。社長はそういうわたしの性格を見抜いて仕事を任せていた。取扱商品への知識が増えるにつれて、営業と技術部に友人が増えていった。フランス原子力機関で働いたことのあるドクターNも親切ないい先輩だった。
ついでにもうひとつだけ脱線させてもらいたい。この会社で一番うれしかったことを書いておきたい。東京営業所長Eさんがナンバーワン営業だった。その彼と組んであるコンピュータシステムを作り、会社の業績が為替変動に左右されなくなると同時に売上高営業利益率を28%から40%超にあげることができた。実はこの仕組みはお客様であるユーザーにたいへんメリットのあるものだった。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」を地でいくものだった。
業績が安定しボーナスが為替変動に左右されなくなった。もちろん利益は大幅に増えたのである。自己資本比率がすぐに上がりはじめた。資金繰りがみるまに楽になっていく。利益の分配方式についても経営計画で三分法を公表、約束したから、士気も高くなった。社員の何人かがあるときうれしそうにこんなことを言った。
「ボーナスが安定して出るおかげで住宅ローンが組める、XXさんのお陰だ、ありがとう」
この言葉が一番うれしかった。不安定な業績では社員は結婚しても住宅ローンも組めない、働くにはそれなりの夢と希望が必要だ。そういう形のないものを大事にしたい。本当はいろいろな提案を受け入れてくれた社長が偉かったのだが、社員はそうした経緯を知らない。ほとんど役員ばかりの非公式のミーティングで社長は会社の基本方針を変える提案を何度も受け入れてくれた。ある合弁事業からの撤退に関するレポートをまとめたことがある。言われて書いたレポートではない。一番若い担当役員が海外出張から戻る社長を空港へ迎えにいって車中でそのレポートを読んでもらった。即断だった。当時で8千万円の損失を償却してその合弁事業を解消した。2億円程度の利益が出るようになっていたからこそ可能な決断だった。社長も同じ線で腹を括っていた。社内をまとめるダシに使えるレポートが揃ったというだけのこと、反対であろう筈がない。まとまりのよい会社だった。やる能力のある者はやるべき時が来たら任された仕事は全力でやるべきだ。
前置きと脱線が長くなってしまったが、そういうこともあって製造技術的な観点からの真贋論争へのアプローチにとくに興味がわいたのかもしれない。
金属加工には精度を維持するために切削作業に治具を必要とするがどういう治具を使っているのかを検討すれば、製作年代の推定ができる。もちろん鏨(たがね)などの工具の種類を同定することも同じ理由で重要だ。
拡大した写真に基いて個々の技術や道具を解説した上で、金印と国内の中国古代金印群A(4個)、中国の博物館所蔵の古代金属製印章群C(13個)、国内の中国古代金属製印章群J(13個)、江戸時代の金属性印章E(5個)、合計35個をマトリックスにまとめて比較検討(同書P.150)している。
著者は比較資料数が十分でないことを理由に挙げて慎重に断定を避けているが、はっきりしたことは次のようにまとめて述べている。
「「金印」については、本書のE群の印章との間に技術的な共通点をいくつか見出すことができた。それは、切れ味の鋭い腰取りたがねの使用、文字線の端部に向かって太くする書的な表現技術、印面の仕上げと印面四辺の直線度に反映する基盤技術水準の高さ、などである。
さらに、「金印」については、J群の日本国内にある中国古代金属製印章との間に技術的な共通性を見出すことができなかった。J群については、「金印」ばかりでなく、C群との間にも共通点を見出すことができなかった。
また、線彫り金印三顆については、C群及びJ群との間に、技術的な共通点を見出すことができなかった。」(同書p.162)
どうやら、江戸時代の製作が強く疑われるようだが、さて、生徒にどう説明したものだろう?
興味を持たれた人は本を購入して読まれよ。
物づくりの日本をいまも支えているのは様々な職種の職人・名人たちである。名工が尊敬される文化を1400年以上も培ってきた日本人には興味深い研究アプローチであることは間違いない。優れた職人とのコラボレーションがなければ書けない種類の本だが、こういうアプローチの研究書がこれを機会に世にもっともっと出てくることを期待したい。その意味で著者は先駆者である。
*#1366 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (2) : 学問の楽しさ
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-02
「漢委奴国王」金印・誕生時空論―金石文学入門〈1〉金属印章篇 (金石文学入門 1 金属印章篇)
- 作者: 鈴木 勉
- 出版社/メーカー: 雄山閣
- 発売日: 2010/06
- メディア: 単行本