#5118 『こころ』初版復刻本の楽しみ方 Nov. 22, 2023 [44. 本を読む]
現在のわたしたちとは指示詞や副詞や接続詞に漢字を当てている点も大きな違いだ。その違いを味わうのも一興である。
夏目漱石の初版復刻本が中古市場で安く取引されている。漱石は本の装丁に興味が強かったらしく、一冊ずつそれぞれ趣を異にした装丁で本を出した。
スマホで『こころ』を読んでみたが、旧仮名遣いは現代仮名遣いの改められているし、副詞や指示詞は平仮名に書き改められており、原文の味を著しく損なっていた。
ぜひ、初版復刻版でお読みいただきたい。いまこのような装丁で本を出版したら、1冊10000円くらいになるかもしれない。全巻ではないが十冊くらいのセットで10000~20000円くらいで手に入るようだ。
『こころ』は高校国語教科書にも掲載されている。ぜひ初めから終わりまで、通して読んでもらいたい。書き手の頭の中がのぞけます。漱石はどのように思索しているのかがよくわかります。これだけ深い思考を達意の文章で表現できる作家はなかなかいませんね。文豪の一人と言われる所以(ゆえん=理由、分け)がよくわかる作品です。
ページの記載のないのは最後の第56章から抜き出しました。
① 妻(さい)の笑談(じょうだん)を聞いて初めてそれを思ひ出した時、...
② 能(よく)く解らない
③ 何方(どっち)が苦しいだろう
④ 己を盡(つく)した積(つもり)です
⑤ 却(かえ)って其方(そのほう)
⑥ 此(この)手紙、此世(このよ)、此(この)長い
⑦ 他(ひと)の参考に供するつもりです
⑧ Kが嘸(さぞ)喜ぶだろう 405
⑨ 斯(こ)うした 其前(そのまえ) 其墓(その墓) 406
⑩ わたしの果敢(はか)ない希望 407
⑪ 所(ところ)が愈々(いよいよ)夫として 407
⑫ 不図(ふと)自分の位置に気がつくのです。 411
⑬ 屹度(きっと)沈鬱な反動があるのです 411
⑭ 自分丈(自分だけ)に集注される 416
⑮ 彼は大学へ這入(はい)った以上 289
⑯ わたしは左右(そう)かと言って 289
⑰ これは固(もと)より 293
⑱ 彼は段々感傷的(センチメンタル)に 294
笑談で「じょうだん」とフリガナをつけているが、「冗談」の字では「笑いながら冗談」を言う景色は見えてこない。うまいつかいかたです。
②の「能く」は「良く」、「好く」の三つがあるが、漱石はここでは「能く」を選択しています。「能く解らない」というのは自分の能力の範囲では「能く解らない」と解していいのでしょう。他の字ではそういう含意が伝わらぬ。
④の「盡」は「尽」の旧字です。明治時代の本ですから、旧字の方が雰囲気出ますよね(笑)
⑮の「這入った」は這いつくばって(努力して)大学へ合格したことがよくわかります。「入った」では味も素っ気もありませんや。こういう漢字の使い方が巧(うま)いのです。ぜひ真似して遣(や)ってみてください。国語の先生が何というか、愉しみですね。「なかなかすてきだね」なんて言える先生は十人に一人もいるかな?
⑱の「感傷的」に「センチメンタル」というルビを振ってあるところも粋ですね。明治時代にこんなことしているのですから、ハイカラです。『虞美人草』では「洋杖」と書いて、「ステッキ」とルビが振られています。
同じ本からもう一つ追加したくなりました。
「額とも云はず、顔とも云はず、頸窩(ぼんのくぼ)の盡くるあたり迄、 3ページ」
「ぼんのくぼ」とは頭の後ろ側の下部、頭がい骨と頚椎の接点のあたりの窪んだところ、重要なツボのひとつで、眼精疲労に効きます。「首+窪み」で「頸窩」、納得がいきませんか?「けいか」とルビを振ったら、音だけ聞いても何のことは伝わりませんよね。漱石は大和言葉の「ぼんのくぼ」に通常当てられている「盆の窪」の漢字を当てずに、意味から考えて「漢字に翻訳」しているんです。名訳ですよね。
『吾輩は猫である』だったか『坊ちゃん』だったか、「むつかしい」に「六つかしい」と当て字しているのがありました。あれにはたまげた。六つも選択肢があったら「むつかしい」のはあったりまえ。(笑)
初版復刻本は書き手が選んだ漢字の意味を考えることで、シーンの理解に奥行きが出てくる場合が多いのです。こうしてみると最近の小説はのっぺらぼうの二次元のような作品が多いことに気がつきます。表現の手段として、漢字を選択して、ルビを振ることは展開されるシーンに奥行きを与えるものであることがわかります。そういう作品が出てきてほしい。
もう一つ大事なことがあります。主人公の「先生」の思考が克明に書き込まれていますが、あれは漱石自身が頭の中で考えて創り出したものですから、漱石の思考の仕方を追体験できます。文豪は物事をどういう風に見てそれについてどのように考え、行動が必要ならどういう決断をするのか、人間関係をどのようにとらえて考えを突き詰めていくのか、そういうことも読み取れるわけです。優れた書き手が著したものはくめども尽きぬ泉のようなものです。時空を超えて書かれた本を通して漱石とまみえることができるのは、ありがたいこと。
理由はどうでもいいから、ぜひ、初版復刻本でお楽しみいただきたい。
これは少し高い。7984円だそうです。
岩波書店初版復刻版『こころ』
1982年にほるぷ社で出版した24冊物の『漱石文学館』夏目漱石初版復刻全集の方がずっとお安いですよ。わたしの所蔵品はこれです。リタイアしたら読むつもりで買いました、それから40年が経ち、ようやく全巻読むことができそうです。
数日前にamazonで見たときには、数セットあった出品が一つもなくなっています。初版復刻本は安値で出るとすぐに売れてしまうようです。
#5033 宮部みゆき『桜ほうさら』を読む Aug. 15, 2023 [44. 本を読む]
標記の小説は2013年4月3日に初版2刷りで読んだ。古里の町にUターンして20年間住んでいたときだから、リライアブルで購入したのだろう。そのころには老舗の最後の本屋「伊沢書店」が店じまいをしていた。
宮部みゆきは、なんとなく親近感のわく小説家である。その理由がなんなのか、この本を再度読み直して理由の一端がわかった気がする。
彼女の祖父は川並職人で、木場で働いていた。山で切った材木をいかだに汲んで木場まで流す筏職人、それを受け取り等級別に仕分けする川並職人。お父さんも職人だそうだ。娘の彼女は都立隅田高校を卒業して社会人となっている。裁判所速記官試験に挑戦し不合格、その後、中根速記学校へ通って速記1級に合格しているから、相当な頑張り屋さんだ。法律事務所で和文タイプライターの職に5年間就いている。その間に小説を書き始めた。縛らう句の間は法律事務所のOLと作家という「二足の草鞋」を履いていた。
宮部みゆきはお父さんやお爺さんから落語や講談の怪談話をよく聞かされて育った。彼女はわたしよりも11歳下だ。山本周五郎のファンだったようだ。どうりでそういうテイストが彼女の小説にはある。
小説を数本書いて売れ出してから、法律事務所をやめて、作家一本で仕事してきている。そういう点ではサラリーマン生活をしたことのある東野圭吾に少し似ている。仕事をしている人の背景がよく書けるということだ。
いつものことながら、小説を読みながら、この作家はどうやってこの本を書いたのか気になるのである。詳細なプロットを書き出し、大きな紙に張り付けて整理してから執筆し始めるタイプなのか、原稿用紙に使い慣れた万年筆でスラスラ書き始めるのか、思いつくままパソコンのキーボードを叩いて編集して執筆していくタイプなのか、気になるのである。
この小説の主人公は現在の千葉県中央部「上総の国」の小藩である「搗根(とうがね)藩」の古橋笙之介という若者が主人公の物語だ。小納戸役の父が賄賂を受け取っていると取引業者「波野千(はのせん)」から訴えられ、賄賂を要求する書きつけが証拠として突きつけられる。その手跡はどうみても自分の書いた文字で、自分が書いた文書にしか見えないのだが、覚えがない。結局、笙之介の父は切腹して果てる。
気性の異なる母親里江の親類の江戸留守居役坂崎重秀の計らいで戸へ出て、手跡を完璧に真似ることのできる代書屋を探す。笙之介は性格が父親の宗右衛門に似ており、父親が賄賂を受け取るはずがないので、偽文書を作った犯人を捜すために、自身も貸本業の村田屋から写本の仕事をもらい、仕事をしつつ、探りを入れる。
坂崎は不忍池の畔に「川扇」という小料理屋に梨枝という美人の愛人を囲っている。切れ者の江戸留守居役でお家大事のために八面六臂のご活躍だが、門閥の関係上、家老にはなれないので、それなりの煩悶はある。家老の家の長男に生まれれば、将来はバカでも家老だ。次男三男はスペアで飼い殺し。
笙之介は次男で、長男の勝之助は剣術と出世欲が強く、兄弟でありながらソリが合わぬ。笙之介が住むのは深川は北永堀町にある富勘長屋、材木商で地主の福富屋がいくつも所有する長屋の一つである。勘右衛門はその長屋の差配であり、住民から「富勘」と呼ばれている。そこにはさまざまな職人とその子供たちがその日暮らしで命をつないでいる。笙之介は代書屋を始めた。
深川佐賀町にある書き物問屋(兄の興兵衛)と貸し本業を営む(治兵衛)の村田屋を中心にその得意先のいくつかのお店(たな)が出てくる。神田伊勢町の高級瀬戸物を扱う「加野屋」、「三河屋」の商いは何だったか、その三河屋で、娘のかどわかし事件が起きるが、それが狂言であることを笙之介が見破る。
貸本屋は売れる本を選って写本造って売上を増やす。墨や紙を使うから、筆や墨・硯を商う日本橋通り四丁目の勝文堂というお店もでてくる。深川を中心にさまざまな商いの網目と人間模様が描かれている。具体的でリアルだ。
桜の花の精のように美しいが、顔と体の半分に痣のある和田屋の娘「和香」に笙之介は惚れるのだが、小説の最後に来ても、「朱外(しゅがい=江戸の外)」へ移り住むことになった笙之介の元へ、和香がときどき訪ねていくと言わせているのみだ。たとえば、甲州なら2日がかりだ。そんな書きようでゆくゆくは一緒になるとほのめかすだけ。
宮部みゆきは独身のようだ。どうも恋愛に関しては貪欲ではなさそうで、そういうことが小説にも表れているように感じる。男女の生々しい性愛を書けるだけの経験を持ち合わせていないのかもしれぬ。江戸時代の性風俗を考えると、笙之介と和香はすぐにも性的な関係ができて、それからお互いの共通の興味である、書物の世界の語らいがあるのが自然なのだが、プラトニックなままでそこが描けない、なんとも歯がゆいのである。江戸時代の深川の町娘のように性に奔放な女流作家が同じテーマで書いたら、まったく違うものになったのではないかと、ふと思う。
人間関係や商売の関係がよく描けているのは、この作家の優れた部分だ。具体的でリアル、そして複雑な網の目が書きあげられているので、事前にプロットを書いて、それらを組み立てて書くのは不可能に感じた。つまり、風景や人物が降りてきて、勝手に暴れまわり始める、彼女は速記者にすぎないのではないかと思った。こういうスタイルは、夢枕獏がそうだ。彼は万年筆で原稿を書くのだろうが...
WiKiで宮部みゆきを検索したら、やはり詳細なプロットなしに、いきなりワープロ機能をつかって小説を書いているとあった。宮部みゆきは素晴らしい時代小説作家の一人だと思う。
ほかには「あやかし」というタイトルの小説を読んだはず。山本周五郎や藤沢周平、司馬遼太郎などの時代小説500冊ほどを、昨年11月に引っ越す前に処分したので、時代小説は数冊書棚にあるだけ。読みたくなったら図書館へ行けばいい。
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#5011 永井荷風著『腕くらべ』 Jul. 10, 2023 [44. 本を読む]
昨年引っ越すときまでに10年間ほどかけて半分ほど本の処分をしたが、『荷風小説傑作集四 腕くらべ』(昭和25年、六興出版社)は棄てられず、もってきた。
この小説は新橋藝者駒代が主人公の作品で、花柳界がよく書けている。荷風の父親は大実業家で、落語や歌舞伎に親しみ、そして花柳界でもよく遊んだようだ。新橋藝者と一時期結婚している。
駒代は新橋藝者になりたての17,8の頃、保険会社の係長である吉岡と男女の関係を持つ。その後吉岡は洋行し、駒代は秋田の富豪に身請けされ嫁ぐが、亭主がほどなく亡くなり、言葉も通じない田舎で孤立し、生きるために新橋藝者に舞い戻る。25歳になったときに、吉岡と偶然に再会し、頻繁に宴席に呼ばれ、ヤケボックリに火がついてしまう。吉岡から身請け話がでるがなかなか頷けない。駒代は将来が不安なのだ。走行しているうちに、女形の歌舞伎役者と出遭い、馴染みになる。駒代は歌舞伎役者に惚れてしまい、女房に収まろうと算段する。あるとき、横浜の骨董商からお座敷がかかり、こちらとも男女の縁ができてしまう。男3人を手玉にとって弄ぶが、吉岡にそれがバレ、歌舞伎役者には別の女ができ、嫌いなタイプの海坊主の骨董商の座敷へ10日に一度ほどお呼びがかかって断れない。お金への執着があるからだが、そこを見抜いて、いたぶるように弄ぶのが海坊主の正体。
注意しなければならないのは、荷風の時代は性風俗が日本古来の残滓があるということ。緩いのです。決まったスポンサーのついた芸子でも、歌舞伎役者との浮気ぐらいは、スポンサーの旦那もとやかく言わない。それが粋ってもの。芸子にそういうチャンスをつくって泳がせてやる、そういう余裕がありました。ただし、本気になってはいけないというのがルールでした。本気になったら、スポンサーをやっている理由がなくなるので、切れるということになります。縁の切れ目は金の切れ目なんです。それとわかるシーンが何度も出てきます。
色と欲が飛び交う、人間って百年たっても千年たっても変わらないものだと思う。
置き屋の女将がの脳出血で急逝し、亭主の呉山は男手では置屋を切り回せないので、店の整理を始める。駒代の証文・公正証書を調べるうちに、天涯孤独の彼女の人生を気の毒に思う。本気になって惚れた歌舞伎役者に袖にされて、どこか田舎で働く決意を固めたときに、置屋の亭主の呉山が、駒代にある提案をする。呉山は講釈師で、落語や講釈が衰退していく中で、もう一度寄席に出てみようかという気になっている。
落ちがとってもいい。荷風が名人芸を見せてくれる、読後感は爽やか、暑い夏に是非お読みあれ!
<余談:語彙と生まれ・育ち>
着物や着物にまつわる付属品や小間物の描写がふんだんに出てくるが、こういうものを書ける小説家はもういない。呉服屋さんが読むととっても勉強になるかもしれない。
荷風は歴史的仮名遣いで原稿を書いているので、現代仮名に直していない版で読んだ方がいい。漢字も、たとえば「藝者」と表記しているが、これを「芸者」と書き直したら、漢字にまとわりついている味が薄れてしまう。常用漢字への書き換えたものでは読みたくない。副詞の「ちょっと」は「鳥渡」と漢字表記しているが、こんな表記は中学校の教科書では出てこない。
「何もかも知らないあの時分には藝者というものがなんとなく凄艶に見えた」p.8なんて表現も味がある。
新橋藝者に対して柳橋藝者が出てくるが、柳橋は電車の駅でいうとJRの浅草橋駅付近である。新橋は言うまでもない、銀座の隣である。「京橋⇒銀座⇒新橋」、銀座7丁目の「ライオン」でよくビールを飲んだ。込んでいるから相席になる。男二人で行くと、女二人の客と相席になることがあり、なかなか楽しい。
地図で場所を確認しながら小説を読むのも愉しい。日本橋人形町で仕事していたことがあり、浜町公園まで10分くらいだった。そこから隅田川沿いに歩いて1㎞のあたりが、柳橋である。日本橋芳町の小路を昼間歩いていると、三味線の音が聞こえてくることがよくあった。四十数年前はあの辺りにはまだ下町の情緒が残っていた。「よし梅」まだある。老舗が多い。
荷風はたいへんな金持ちの家に生まれて育ったので、この小説に出てくるサラリーマンはまるっきり現実味がない。サラリーマンがどういうものかわかっていなかったのだろう。いくら明治期でも、保険会社の40歳前のたかが係長が、芸者を身請けして家をもたせるなんてことはできるはずもないが、荷風はそんなことには無頓着だ。親の財産を使って十代のころから花柳界で十分な経験を積んでいるので、これ以上ないくらいに詳しい。場数を踏んでいるから、自在に筆が走る。
東野圭吾はサラリーマンを生活感を持ってよく書ける稀な小説家だ。
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同じものがないので、別の出版社のものを紹介します。
#4907 手塚治虫『ブッダ』を読む Jan. 12, 2023 [44. 本を読む]
釈迦滅中の時まで旅のお供をした弟子のアーナンダ―は漫画の方では殺人・強盗を繰り返した人物として描かれていたが、実際には釈迦族でお釈迦様の親戚である。宗教家(白光真宏会開祖)・五井昌久が書いた『阿難』という題名の小説をずいぶん前に読んだが、まるでアーナンダが憑依して書いたような印象があった。昨年、引っ越しの際に処分したので手元にない。amazonで検索したらヒットした、五井昌久『阿難』である。この小説の中では、教団を分裂に導く提婆達多は阿難の兄として描かれている。手塚の本では赤の他人の沙門ということになっている。
本題に戻ろう。初期仏教経典群の『阿含経典』によれば、釈迦はあの世があるともないとも言わない、そういうことを論ずるのは意味がないと退けるが、手塚の作品では人は死ぬと大きな生命の流れの中に入っていく。川を経て海へ溶け込むというイメージである。それが宇宙だとも書いている。
もっとも初期に成立した原始経典群の中では、お釈迦様は苦とは何かと問い、生老病死という苦のよって来るところをすべて解き明かし、苦の滅尽の方法を衆生に教える。それは八正道である。八正道とは
「正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定がそれである。比丘たちよ、これが過去の正覚者たちのたどった古道・古径であって、この道に従いゆいて、わたしもまた、老死のよってきたるところを知り、老死のよって滅するところを知り、また老死の滅に至る道を知ったのである。」『阿含経第一巻』p.222
この点は手塚治虫の漫画には何度も言及があった。原始仏教経典群の『阿含経典』では、お釈迦様は何かを信じろとか、自分を信じろとは言わない。生老病死から生じる苦の一切を説くと言われて、それをさまざまな譬えを用いて繰り返し衆生に説明し、それを滅する方法を説くのである。宗教というよりも、哲学であり、個としての生き方を説いている。
宗教教団を創ること自体がお釈迦様の教えに背くものなのだ。戒(法)を守れとは言うが、教団を造り寺院を建て、信者に寄付を募ることは、釈迦が目指した八正道とは何のかかわりもない。句の滅尽をするためには、ひたすら八正道に励めばいいだけである。寄付も寺院もいらぬ。
それなのに、釈迦滅後に直接教えを聞いた弟子が集まり、自分の耳で聞いた教えを輪唱するということが始まった。それが教団へとつながっていく。哲学や個人の生き方の問題は、開祖であるお釈迦様やその言説への信仰にすり替わる。釈迦はがっかりしているのではないだろうか。
手塚は欲望を滅尽しないと、いつか人類は滅ぶと述べている。過剰富裕の問題もウクライナとロシアの戦争も中国の一党独裁と習近平の独裁体制と情報統制を見ても、2000年かかっても人類はちっともその欲望を抑制できないことがわかる。科学や技術がさらに累進的に進化した百年先に人類はどういうことになっているのだろう?
お釈迦様は、生産力が強大になった現代の資本主義が直面している、生態系の破壊と人類滅亡が、欲望の滅尽で克服できることを2400年前に説いているのだ。
手塚治虫は壮大なスケールで、ところどころ経典に従って書くと同時に、架空の登場人物を描いて、釈迦の教えを壮大なスケールで「作品」として仕上げたように見える。
手塚治虫には『火の鳥』という作品もあったはずだが、ずいぶん前に処分したようだ。もう一度読みたい作品である。
<余談:小説の書き方>
フィクションをまとめ上げる構想力という点から、三人の書き手を並べてみたい。
津本陽<司馬遼太郎<手塚治虫
津本と司馬は織田信長を取り上げた小説で比較してみたうえでの感想である。津本陽氏は比較的史実に忠実に書き進めるタイプだが、史実がうるさすぎて読みにくいところがあった。司馬遼太郎は要注意の書き手だ。相当史実とは離れている、資料の読みこみが足りないか、そういうものから比較的自由に、物語としての面白さを大事にした書き手のようだ。
ブッダを取り上げながら、経典の記述にない登場人物を配置しながら、全体として釈迦の思想をよく伝えているのが手塚治虫氏だが、釈迦が言ってはいないことまで言及している。それは死後の世界に関してであるが、その点についてはすでに書いた。
己の霊感が伝えるところを小説にしたのが五井氏の『阿難』である。それぞれ、書き手の個性が光る。
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阿含経典〈1〉存在の法則(縁起)に関する経典群 人間の分析(五蘊)に関する経典群 (ちくま学芸文庫)
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/08/08
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#4900 まんぞくまんぞく:女剣士小説のドラマ化 Dec. 31, 2022 [44. 本を読む]
(あらすじと主人公のプロフィールは青字部分をクリックしてください)
当時の道場での稽古は木刀である。型の稽古を積んでからでなと速い動きでの打ち合いはかなり危険で、そうしたシーンを撮るには、振付師がついて相当練習しないとぎこちなく撮れてしまうはずだが、女剣士は流れるような美しい打ち合いを演じて見せていた。
2段突き、3段突きのシーンがあったが、2段目や3段目はつんのめってしまうものだが、剣先がするすると伸びるので、相手の男優さんがおろおろして見えた。脚がついていっているのだ、足さばきというのだろう。膂力のある突きや振りにはなっていないが、体さばきがとってもよく、美しい。打ち合って交差して、ターンするときも重心がしっかり座っている。振付師がいたとしても、こんな動きが素人にできるわけもない。ところが剣道の有段者には見えない、動きが違う、流れるようにきれいなのだ。いや、偉い女優さんを見つけたものだなと、しきりに感心しながら、剣劇シーンに見入った。
敵討ちのシーンが秀逸だった。格上の使い手に対して、脚を切られてびっこを引きながら押しまくられ、転び、あわや一刀両断のところで、婿入りすることが決まっていた男が駆けつけてきて手裏剣を投げる。振りかぶった敵役の左手の甲に刺さるが、その手裏剣の柄を口で噛んで引き抜く。右手で引き抜いたら、怪我をした左手では剣を構えることはできないからだ。その隙を女剣士は逃さない、そういう剣の遣い手だ。手の甲から手裏剣を口で引き抜くシーンはどうやったのだろう?ほんとうに手の甲に刺さった手裏剣を引き抜いたように見えた。撮影の細部も凝っている。
そのあと女剣士は何度か打ち合って、剣先が折れ飛んでしまう。剣先が飛んでしまったので2/3ほどの長さになり、絶体絶命である。ところが女剣士は、迷わず敵役の浪人に間合いを詰めて打ち込んでいく。
普通は打ち込めない、長さが違うから相手の間合いに入ったら自分の剣が届かぬうちに切られてしまう。まさか、そんなはずがと浪人が慌てた一瞬に、素早い動きで身体を交わしながら背中から体当たりをした。死中に活を求めるとはこういうことを言う。後ろ向きのまま自分の肩越しに浪人を刺す。
切っ先が折れているから、刺さるはずがないところはお愛嬌だが、間合いを詰めるために飛び込むその勢いはとても速かった。あれではからだをかわせない。なんであのような動きができるのかと不思議に思った。
気になるので、石橋静香さんのプロフィールを検索したら、クラッシックバレーのプロということが分かった。どうりで足さばきがいいわけだ。配役を決めた人がすごいね、女剣術とバレリーナが頭の中で結びついたのだから、ひらめきがすごい!このドラマは剣技が見ものです。
池波正太郎の小説は30冊は読んでいるだろうが、この原作は読んだ覚えがない。江戸の人情を描くのが実にうまい作家である。このドラマの見どころの一つも人情だ。7000石の旗本の一人娘の外出は籠が原則だろう。おつきの家来の金吾が護衛に当たって外出した。お寺から近道で帰ろうとわがままを言って、人通りにない近道に入ると、浪人数人が強盗を働いている現場にでくわし、目撃者として命を狙われる。金吾が追い付いてきてあわあというところで、2人を切り捨てるが、残った一人が手練れ、娘をかばって後ろから刺されて絶命してしまう。その敵打ちがしたくて、剣術道場に通い始めたのだ。めきめき腕を上げるが、その剣筋には殺気が宿っている。道場では師範代になり、だれも彼女には勝てない。
父親に自分よりも強い男でないと結婚しないと宣言するが、彼女より強い男は現れない。旗本の三男坊・織田平太郎に白羽の矢が立つが、立ち会うもなかなか勝てない。律儀な男でなんども立ち合いを所望する。浪人を切ったことで、間合いの見切りがさらに一段と磨きがかかってしまうので、そのあと道場で立ち合いをしても、やはりかなわない。
女剣士は「勝ち負けなんてどうでもいい」、そう言うが、律儀な男は納得がいかない。
私はあんたに惚れたんだから、もう私より強い男なんてこだわりがなくなりましたということ。律儀で野暮な男はそんな女心の変化にちっとも気がつかないところも頓珍漢で愉しい。
最後のシーンもよかった。満開の桜が咲いているお寺の前の茶店で二人で甘酒を飲んで笑い合っていた。再放送されたら、たくさんの人に見ていただきたい。
さて、これが今年最後の記事になります。
ことしも弊ブログをお読みいただきありがとうございました。
来年もよい年でありますように、お祈り申し上げます。
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#4800 映画ヒットラー最後の12日間を見た Aug. 10, 2022 [44. 本を読む]
ドイツ語の映画は初めてでした。ドイツ語は英語よりもよほど聞きやすいのですね。
ゲッペルスの妻が睡眠薬を調合するように医務将校に命じます。フラスコに入った薬剤を5人の子どもたちに飲むように言います。一番年下の女の子に「勇気があるわ」と言いながら苦い薬を飲ませ、次々に飲ませます。最後は事情の理解できている長女ですが、彼女は飲むのを拒みます。母親は医務官と一緒に押さえつけて無理やり飲ませました。それで部屋の明かりを消して出ていきます。薬が効いている時間は4時間だと医務将校が言ってました。母親は子どもたちが眠ったころに再び部屋を訪れ、眠っている子ども人一人に青酸カリ入りの小さなカプセルを加えさせ、頭を押さえて顎を押します。「プチッ」と落ちがして、2秒くらいで子どもたちが死んでいきます。死を確認するとブランケットを顔まで引き上げます。上にずらされたブランケットから足がでます。一人一人の足をカメラが映していきます。幼い子は足の指も小さい。
全員殺した後、母親はゲッペルスと表に出て、拳銃で夫に撃たれ、夫は自分で頭を打ち抜きます。待機していた将校3人が、その遺体にガソリンがかけて焼却します。
子どもたちは生きていたら、殺人者の子どもとして悲惨な生活を送ることになったでしょう。意志の強い母親を演じた女優の演技は見ものでした。
いろんな場面で出てきた登場人物たち、その一人一人に感情移入して、自分なら、どう生きるのか、どのように死ぬのか、その都度考えさせる映画でした。
どうしてあんなに国民がナチズムに狂騒してしまったのか、ファシズムはある所からはもう抑えきれない流れになることを示してくれた映画です。
大数学者の岡潔が、動物脳のことを「自他弁別智」と呼び、自分と他人に明確な線を引くことだと言ってます。それに対して、「平等性智」「無差別智」は自他を区別しない脳の働きだといいます。それが人間の智なのでしょう。
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#4669 江戸の笑い Dec. 12, 2021 [44. 本を読む]
<寝ぼけ>
夜、寝ていると、しきりに戸を叩く音がします。
「だれだ?」
「おれだ。あけてくれ」
「はてな?おれは、ここにいるのに…」
<飛脚>
江戸の大火事のことを知らせる飛脚と、関西方面の大水害のことを伝える飛脚とが、箱根山でばったり出会い
「ジュウ」
<うらない>
易者の店先で、子どもたちが、タコを上げながら
「ここのうらないは、あたらない。へたくそだ。」
と悪口をいっています。
「にくいやつらだ。おまえらは、どこからきた?」
「あててみな。」
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#4490 FB上で古沢栄一『論語と算盤』の読書会を開催します Feb. 22, 2021 [44. 本を読む]
興味のある方は一緒に読みましょう。本が今日届きました。
企業経営者、労働組合関係者、教育関係者、正社員、非正規雇用の人たち、いろいろな人がそれぞれの立場、それぞれの視点で読めます。
#4449 幸田文の美術評論 Jan. 3, 2021 [44. 本を読む]
幸田文(1904-1990)は露伴(1867-1947)の娘である。どちらも長生き、そういう家系であるか、生没年を書いて気がつく。
露伴の作品はあまり読んだことがないが、『五重塔』の職人魂は胸を打つ。文体にリズムがあって読んでいて気持ちがよいのである。オヤジが名だたる文豪でも、娘はそうはいかぬのが世の常だが、幸田家だけは別格のようで、孫の青木玉も物書きの端くれである。
この数か月間、ベッドに入ってから『幸田文全集』の第三巻と第二巻を数ページずつ味わいながら読んでいた。彼女の作品の中には辞書で引いてもネットで検索してもわからぬ語彙がでてくる。
幸田文の作品群は昭和の東京下町の語彙の宝庫と言ってよいのだろう。凄いのは語彙だけではなく、論理の組み立て、その表現の仕方である。それら三つを統合したスキルの高さは他の物書きの追随を許さず、高くそびえる孤塔の感がある。こういう書き手はもう現れない。日本語の表現の豊饒さは優れた書き手の作品が世に現れたときにわかるもののようだ。
数日前に読んだ美術評論がある。美人画で夙(つと)に有名な上村松園の絵(1875-1949)を批評した名品である。正月だから、全文引用して紹介したい。
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画中の美人
—上村松園展を見て
壁間はことごとく美人を以って埋まりおり雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女、そのあまりにけんらんたる眺めにしばらくはぼう然と致し、ふと気がつけばわが身ながら自分の姿は深山の奥のこけ猿に似て疎ましく思え、対照の妙とは、かかる場処にも自然配慮あるものと驚嘆も致し、いささかもの悲しく存じました。
色彩は晩年に至るまで一生を通じて衰えず鮮麗、かつ女のほれぼれするとり合せをもって組み立てられています。これは私には一寸危険な誘惑でした。なぜなら四十七歳の婆猿の身をもうち忘れ、長年きなれたドンツク毛皮がとたんにいやになって今日をかぎりにこの画のような美しい配色の着物をきなくては損だなどとムホン気をあおられたからでございます。これは女史のツミではないでしょうか、ああ。
画にはみな打ちあがった品があり、なげやり、廃たい、奔放などは見当たりませんでした。ひかえめなためにやや平板を感じさせるものもありますが俳諧の詞先情後という言葉をふと思いました。
『花嫁と母『みゆき』『つづみ』などはさすがに良く心の奥行きが見えており、殊に『小町』には気はくの量感、速度が響いています。一貫していえることは清潔感です。上着をぬがせ、襦袢をぬがせ、下着をとってしまっても、どれにもあかづいたものが無く、裸身にも何一つ汚れがないという感じがします。大層安心ではありますが、凡俗な私には物足りなくまた縁遠いい美女ではあることよと存じます。真、善、美の極なる美人を志して描き度いという女史の心情も考え合わされ、信仰とはこういうものかもしれないとおもいました。
顔には系統があり、わたしの好むものではありませんが、それにもかかわらず、美を認めさせられたのは、女史の力量が画布三尺の外に発して人を打ったものと存じます。同一題材、類似姿態がめにつきます。好きな材料だからたのしくてしばしば書く、描くと満足がある―とも取れますが、わたしは逆に取ります女史の終身の強さというものを見ます。好きな材料だけに、一作毎にそこはかとなく物足り、尽くさなさがつきまとい、もっと、書けないだろうか、もっとよく出来ないだろうか、そういう頂点を望んであくなき態度、もっといえば芸道の人の悲しさが、受け取れてしまうのですが如何でしょう。年代順に並べてみるゆとりがなかったのが残念です。
さて『花かたみ』『焔』をみました。それまでは正直なところ、絵のあまりの美しさに、所せん近づき難き遠さを感じ、作者へも及び難き距りを悲しく思っていたのでしたが、この作を一見してたちまちにわかに親しいもの、つながりを与えられてほっとしました。狂女のほうけ、しんい(瞋恚)のほむら、題材の奇はもち論眼を奪いますが、なによりそれが女史四十年代の作たることに、はげしく私は打たれました。女史ほど内輪に控えめな人でも、女は遂に一度はここを通っていくものなのでしょうか。これを描かずにはいられなかった経緯を思わない訳にはまいりません。生意気な申しようですが『花かたみ』の前年の作『深雪』には愛情の過剰がみえて、はらはらする魅力があります。それが『花かたみ』の痴ほうにまで進展し、更に三年をおいて『焔』になっています。表裏二狂女の年を比べてください、恐ろしいまでの作者の気構えが出ています。
パーマネントの令嬢方にはわかりますまいが、わたしは日露戦争っ子でして、束ねた髪の根から発する気味の悪い臭さを知っています。元結をきるときにはなれたかみ結さんでも息をつめるほどいやな臭いなのです。『焔』の女に私は思わずいやないやな想像をしてぞっとさせられてしまいました。描かれているその状態からもしももう一歩進んだ事柄になって逃げられぬ一かパチかの窮りのように追い詰められた時、多分はこの女の元結もたけながもぶつんとはじけ飛んで、汚臭は辺りに流れ、乱髪の脳天からはちろちろと青い火が燃えるんではないでしょうか、とそんなふうに思われたのです。モデルがあったのでしょうか、あったとすればそれをがつがつながめていられた女史の神経のほどに恐れを覚えますし、なかったとすればなお更のこと、その想念の走りかたに戦りつを禁じえませんが、その故に私はとりすました端正なものより、より近しくほの温かい味をくみ取ります。多かれすくなかれ女たれしもにあるいやなものへ向かって大胆至極な態度で、はっきりつっぱってみせられたのは誠にすっきりしていて頭が下がります。貪欲な私は思わずこの作の前後いずれにか、かならず、瞬きも許さぬ程なエロティシズムがありはしないかと渇仰してうろうろしましたが、画中の美人は冷たくしんとしています。四年を経て浴後の『貴妃』がありますが、豊艶でしかし乙にすましていました。すくなからずがっかり致しました。
女史は心にくいまで、つつましく非常に上手に画も身も処して、あぶなげなく終わった美人ではないでしょうか。ある型の輝ける代表選手であったと言えます。オール同性から惜しみなく讃仰の拍手を送るべきだと存じます。
うーん、何度読んでも見事だ。校正のために読み直した。
一箇所だけ、仏教用語なので平仮名の部分に括弧書きで漢字を入れた、「しんい(瞋恚)のほむら」のところである。「瞋恚の焔」とは人間の怒りを燃え上がる炎にたとえたもの。
こういう幸田文の文章には、物柔らかな言いようのうしろに、すさまじい批評精神とそれを表現する語彙と技術の果てしない高さを感じてしまう。真・善・美というが、上村松園の美人画は「美」に光りを当てたものが多くつまらない、女の「真」の部分まで描き切ってこそ、名人ではないかという文の声が聞こえそうだ。40路になれば花もとうに盛りを過ぎ、もう一度激しい恋をしてみたい。それは地獄・修羅の道、そういう選択をした女の情念がほの見えた作品が『深雪』『花かたみ』『焔』であった。この三年の間に上村松園に何があったのか、その期間に描かれた作品にこそ、女の真実の姿があるはずと幸田文。
ネットで作品を検索して数枚の絵をみたが、上村松園38歳(1913年)の『蛍』が気に入った。「貴妃」とはまるで違って表情も姿態も色っぽく描かれおり、着物の青と柄も美しい。この絵には生身の女の色気と使う色数を絞り切ったシンプルな彩りの美しさ、とでもいうようなものがある。
わたしは永井荷風の『断腸亭日乗』の文体が好きだ。簡潔そして切れる文章で無駄を削り取ったところがいい。幸田文の文体は永井荷風のそれとはずいぶんと趣が違うが、それでも過不足のない文章運びにはどこか共通項を感じる。
<余談-1:リズム>
挙げ始めると限(きり)がないので一箇所だけ。
「雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女」
「雨の美人、雪の美人」では平板すぎるから、「ゆきの美人」と書いた。美人を四回続けるのは野暮だから「花の美女、月の美女」と来た。これも「つきの美女」としたのでは、前例踏襲でつまらぬし、「月」を「つき」と書いたのでは、月にまとわりついている情緒が失われるので、あえてどちらも漢字にした。
第一段落全体はリズムが軽やかでまるで講談を聞いている心地がする。
「壁間はことごとく美人を以って埋まりおり雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女、そのあまりにけんらんたる眺めにしばらくはぼう然と致し、ふと気がつけばわが身ながら自分の姿は深山の奥のこけ猿に似て疎ましく思え、対照の妙とは、かかる場処にも自然配慮あるものと驚嘆も致し、いささかもの悲しく存じました。」
拍手喝采したくなる。
俳諧に「姿先情後(シセンジョウゴ)」という言葉はあるが、「詞先情後(シセンジョウゴ)」という表記はない。周りにあるものを写生するのが先、主観的な感情は後という意味だが、幸田文がわざわざ「詞先情後」と書いているので間違えて書いたはずはないだろう。原稿を校正した岩波書店の編集者担当も気がついていただろうが、そのままにしたということは、文自身が特別な意味を込めたと受け取ったからだろう。
「七部集の名が茶の間の話の中に盛んに出始めたのは、たしかわたしの十六あるいは十七のときだったとおもふ。小宮豊隆・和辻哲郎・安倍能成の三氏が向島蝸牛庵に見えて、連俳をして遊ばれたころからのことと記憶している」と「雪の狂うらばなし」347頁に書きとめている。和辻哲郎が露伴と連俳を楽しむような付き合いがあったというのは初耳で、驚きである。和辻(当時、東大教授)は市倉宏祐先生(哲学者)が学徒出陣するときに出征旗に署名している(『特攻の記録 縁路面に座って』)。和辻へのあこがれはゼミのときに何度か聞いた記憶がある、「呪文の哲学」を書いてみたいとも。
短歌や俳句については露伴の薫陶があったのだから、間違えるはずはないという前提に立てば、「姿先情後」とは別の境地を「詞先情後」という言葉であらわしたのだろうか。娘の文が読んだ句を露伴が酷評する話もあるから、耳で聞き覚えていただけで、単なる書きミスもないとは言えぬ。
本を探していたら、本棚に『遺稿集・田塚源太郎』(昭和55年刊)と矢野利明著『歌集・病雁』(青垣発行所・昭和32年刊)があるのを見つけた。田塚先生は根室の歯科医である。昭和54年に58歳で亡くなられた。その年に遺稿が編纂されて本になっている。
戦争(たたかひ)に勝ちたるものも敗れしも共に汚く食をむさぼる
乗り得たる復員列車無蓋車に感慨もなく饅頭(まんとう)をむさぼりて喰う
夜来れば停車を襲ふ暴徒の群れに病みて装備なき歩哨を立たす
田塚先生は、小学1年生のころからビリヤードを始めた私を面白がって一緒にゲームして遊んでくれた。球が台の中央付近だと背が足りないので、「失礼します」と挨拶してビリヤード台の上へあがって撞いた。わたしだけの特別ルールだった。ルールブックでは両足が浮いたら即アウトなのである。家(うち)のオヤジのことを名前で「五郎さん」と呼ぶのは田塚先生お一人しか記憶にない、わたしは「トシボー」だった。落下傘部隊員のオヤジの気分は2歳年長の「軍医殿」だったかもしれぬ。田塚先生は4年間中国大陸を転戦して回った。オヤジは朝鮮と中国へそして落下傘部隊へ応募している。馬が合っていたのは傍から見ていてもよくわかった。
田塚先生が豪放磊落、そしてやさしい人だったのはゲームをしてよく分かった。ゲームには人柄が出るもの。高校卒業までの12年間、常連さんだけでもさまざまな職業人である数百人の大人たちがゲームに興じるさまを観て、学んだことである。
根室の考古学者の北構保男先生と根室商業の同期生、大学進学で東京へ一緒に行き、同じ部屋で4年間過ごしたという。35年ぶりに根室へ帰って来て北構先生のところはご挨拶に行ったとき、昔話に花が咲いた。「田塚君のことを話せるのはもう君くらいしかいないよ」と北構先生、笑いながら大きな声でおっしゃったが、「友達はみんな死んでしまった」と寂しそうだった。
田塚先生は国後島の蟹漁場の親方の一人息子、資源が豊富で根室とは水揚げ高が違うので、ずいぶんと豪勢な暮らしだったという。北構先生は考古学調査で何度か田塚先生の国後島の実家へ寄ったことがある。その折の話はまた別途書くことになるだろう。
田塚先生の遺稿集は限定500部、親友の北構先生が編集して根室印刷で印刷している。いままでこの本があることに気がつかなかった。オヤジがビリヤード店に置いておいたようだ、その後お袋が大事に所蔵していた。わたしが小5のころから居酒屋「酒悦」をやっていて仕事が忙しいのに暇を見つけては本を読む人だった。
大学へ行けたのも、大学院へ進学できたのも、いまこうして故郷で小さな私塾をやっていられるのも、ビリヤード店や居酒屋「酒悦」(後に焼き肉屋)の常連客のみなさんと、一生懸命働いてくれたオヤジとお袋のお陰である。たまには仏壇に手を合わせないといけないな。そこにはいませんと二人が笑うだろう。
田塚先生も福井先生(根室の歯科医で小説家)も北構先生も、オヤジもお袋もみんな逝ってしまった。そろそろわたしの番だろうが、まだ早いので迎えはいらない。(笑)
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#4409 タイヤ交換&『信長の原理』『光秀の定理』を読む Nov. 25, 2020 [44. 本を読む]
水曜日は定休日だ、のんびり一日とくにすることなし。『信長の原理』は上下巻読み終わったので、『光秀の定理』を読んでいる。それと整数基礎論の本。
『信長の原理』は信長がどのように思考したのか、作者の垣根氏は、蟻の集団に見られる1:3:1の原理を真ん中に据えて自説で書き切っている。稀に見る頭のよい書き手だ。会社という組織を考える時にも、数多(あまた)ある大学の学生の学力を考える時にも当てはまりそうな「原理」である。
『光秀』の定理では「愚息」という坊主が出てくるが、密貿易の船に乗り、インドネシアかどこかで南伝の仏教を学んだことになっている。『阿含経典』は出てこないが『スッタニパータ』は出てくる。だが、中身がだいぶ違っている。何やら禅僧めいた生き方のキャラに見えてずれを感じてしまう。30歳代のころに阿含経典群6巻を何度も読み返したので、伝来の事情も多少は承知していて、なんだかな、という感じがわいてしまう。変わり種の僧侶という設定はいいが、ちょっと無理を感じ、鼻白んだ次第。確率や自然数の和の初等数学も話題に織り込まれている。ガウスが7歳の時に1-100までの和を問われて、1+100、2+99、3+98、…とやって、それぞれ101だから101×100/2であっという間に1-100までの自然数の和を出したというエピソードを、1-10までの和に変えて3種類の計算法を紹介しているのだが、この時代には算盤があったから、暗算で5秒かからずに計算できる商人がそんなに珍しくなかったかもしれぬ。この時代、すでに日本人の計算技能はずぬけて世界最高水準にある。わたしでも1-10までの加算を暗算でやるのに5秒なんてかからない。どうもこれらの設定に無理を感じて『信長の原理』を読んだ時のように登場人物の思考や気持ちに同調できない。フィクションだからあり得ぬ設定のあったほうが展開が面白くなるのは事実だから、そういう小説として楽しんだらいいのかもしれない。仕掛けがちゃちに見えてしまっている、まだ、半分読んだところだ。
『信長の原理』の主人公は信長ではない、存在の理法とでも名付けたい信長の行動原理が主人公である。人ではない存在の理法である「信長の原理」がメインテーマとなることで、その信長の原理を間に置いて、信長と光秀が対峙する。
信長は本当にこういう風に考え、行動したのかもしれないと思えてくるほどリアリティがあった。もちろん、50歳の坂を超えて、次々と戦に追使われながら、思索を深める光秀。なぜ松永久秀は信長の下で働きながら、何度も離反し、再三再四にわたる信長の許しに応じず、信長と戦うことを選び滅んでいったのか、利口な荒木村重が負け戦を承知でなぜ信長に反旗を翻したのか、そしてその一族はどうなったのか、ギリギリと思索を深め、一つの結論に達する。信長の思考の先を読み、的確に読み切ることで身動きできぬ状況に自らを追い込み、ついに本能寺で信長殺害に至る光秀が強烈なリアリティを帯びて立ち現れてくる。信長の物語ではなく信長の原理がテーマという、まったく新しいチャレンジ、凄い書き手が現れたと思った。
阿含経典は増谷文雄訳で繰り返し読んだ。宗教ではなく哲学書である。存在の哲学、執着を滅する哲学。
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