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#4066 白内障術後初診察 Aug. 20, 2019 [36-1 白内障手術とその後]

 三種類の目薬が今週末くらいに切れそうなので、7/31の白内障手術後初めて外来診察をしてもらった。
 朝7時に診察券を受け付けの機械に通すと、眼科外来受付番号9010の紙がでてきた。頭の9の番号は外来患者に付与される識別番号で、予約患者は別の数字が割り当てられている。眼科外来受付10番目である。
 いったん家に戻って食事、そして8時40分ころ病院へ行った。受付番号を提示したら、もうカルテが用意してあった。それをもって眼科受付へ提出すると、5分もしないうちに名前が呼ばれて、小さな検査機械で眼圧や視力検査を3種類したあと、別の視力検査。手術をした左目は裸眼で0.5、眼鏡使用で1.5であった。よく見える。
 そのあと、瞳孔を拡大する目薬を差してもらって、30分間待機。20分くらいしてトイレで見たらずいぶん瞳孔が大きく開いていた。30分がたち、眼科受付の看護師さんに瞳孔を確認してもらって、大谷先生の診察待ち。
 15分くらいで順番が来て、診察室に受付番号「9010」が表示され、入室。
 眼底検査をしてもらい、異常なし、術後の経過は順調。3種類の目薬のうち、ステロイド剤の一つ「リンデロン点眼液0.1%」を弱い物「フルメトロン点眼液0.1%」に変更、いま点(さ)している目薬がなくなったら、新しいものへ切り換える。
 視力はまだ動く可能性があるので、眼鏡を作るのは時期早尚。10月下旬まで様子見。
 診察が終わると「基本票」を渡されるので、それをもって会計のところへ提出、3分もしないうちにディスプレイに「9010」が表示され、清算、9時55分。
 歩いて「ふじ薬局」まで行って目薬を三種類だしてもらって、説明を聞いた。薬剤師の藤枝さん、いつもにこにこ愛想よく丁寧に説明してくれるのもありがたい。藤枝さんとは年齢が同じだ。なんとなく気が合う。

 白内障手術をしてよかった、とってもよく見える。本を読むときにはメガネは要らない、車の運転をするときには眼鏡使用で左右それぞれ1.5だ。テレビも細部までくっきり見えてます。ありがたい。
 

<目薬の差し方>

 ①ベガモックス点眼液0.5%
 ②フルメトロン点眼液0.1%
 ③ネバナック懸濁性点眼液

 「リンデロン点眼液0.1%」の点眼薬をネットで調べたら、点眼した直後に瞼を閉じたままにして瞬きしないことと書いてあったが、他の点眼液の場合は瞬きしてもいいか、大谷先生に訊いてみた。
 瞬きすると涙が流れてきて薬剤が薄くなるので、1分間は瞬きしないほうが薬の効きがよいとのこと。これは3種類の点眼液すべてに共通して言えることだという。2分間くらいはじっと瞬き我慢だ。
 薬剤師の藤枝さんから、②のフルメトロンは結晶状になって沈殿することがあるので、使用直前によくふってから使うように説明があった。



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#4059 白内障手術後の夜間ドライビング Aug. 10, 2019 [36-1 白内障手術とその後]

 昨日(8/9)は金刀比羅神社例大祭の宵宮だった。各祭典区の寄付集め担当者たちは、透明の雨具に身を包んでいたが、激しい雨降りの中を歩いて個別訪問だから、ずぶ濡れ、ご苦労様。昨日の最高気温は15.8度だったから、風邪をひいてなけりゃいい。東部祭典区が来なかったのは、雨がひどいので、回り切れない地域があったのだろう。
 あんなに雨が降り続いていたのに、夕方5時ころ雨が上がったが、6時半からの緑町1丁目交差点での「山車競演」は中止になった。昨年は見に行ったが、今年は昨年弊ブログにアップした写真を見て愉しんだ。(笑)
 今日が本宮である。神輿を見に行こう。

 一昨日(8/8)、用事があって夜7時半頃に車の運転をして、気がついたことがある。左側の暗闇がよく見えない感じがした。車幅の感覚も少し違う。夜間の運転は数年ぶりだから、そのせいかもしれないが、感覚が違った。
 夜9時ころ、庭で確かめてみた。歩き回って体の位置を変えて、白内障手術した左目側が暗闇が来るような位置でどうなのかやってみたのである。明かりがついていれば問題なしだが、どうやら、暗闇の場合は視認性が落ちているようで、車の運転のときに感じたことは事実と認めざるをえぬ。

 車の運転をしていて一昨日何が起きたのかというと、車幅感覚が曖昧で、街灯が切れたところの視認性が悪く、行先の家を通り過ぎてしまった。通り過ぎた瞬間、右側が見えていたのでおかしいと気がついて停車した。家の電気が消えていたので気がつかなかったのである。脳の方は目的の家が近づいているので、無意識に家をサーチしていたが、目がそれをとらえられなかったらしい。

 夜散歩してさらに確かめてみようと思うが、夜間の車の運転は避けたほうがいいのだろう。

<8/10、23時追記>
 助手席に乗って左側の暗闇が見えるかどうか試してみたら、大丈夫だった。一昨日は、雨が降っていたので、対向車が来ていて、ぎらついて見えにくかったようだ。
 雨の日の夜間ドライブは、薄い黄色のサングラスを着用したほうがよさそうだ。



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#4058 髪を洗うのは術後1週間 Aug. 7, 2019  [36-1 白内障手術とその後]

  7/31に白内障手術をし,、8/2た退院のときに、「白内障手術を受けられ退院する方へ」という紙をいただいた。

 書いてあるのは次の3項目。
①退院後の点眼薬の使い方
②受診の目安⇒点眼薬がなくなるころ
③術後の日常生活について⇒術後1週間たってから入浴・洗髪・洗面をいつも通りに

 さっそく風呂にはいり洗髪した。2度洗いして髪がすっきりした。昨日まで、ロードバイク用のサングラスをして、顔と目に水がかからぬようにしてシャワーですませていた。毎日最高気温が25度くらいだったので、暑かった。それでも夜になると8度くらい下がる。
 今日の最高気温は25.5度、最低気温は17.8度である。

 パソコンでタイピングするのがとっても楽だ。50㎝ほど離れて両目がバランスよく焦点が合うので、目の疲れ方がはっきり違う。
 地元に腕のよい眼科専門医がいて、世界一であるZEISS製手術機械が導入され、息の合ったチームの治療が受けられるのはほんとうにありがたい。
 3月下旬に東京で眼鏡屋さんに左目の視力がこんなに低下したのは目の病気の可能性があるので、眼科医の診察を勧められた。すぐに近所の眼科医で受診すると、白内障の診断があり、白内障の手術をしてから眼鏡を作るように言われた。レンズには単焦点と多焦点レンズがあり、前者は保険適用だが、後者は保険適用外という説明だった。保険適用外の多焦点レンズはピントが2か所で合うが、それほどいいものではないと羽藤先生、「わたしなら、単焦点にします」ときっぱり。多焦点レンズは病院によって価格に幅があり、50-70万円くらいだという。単焦点レンズに決めた。
 根室に戻ってから主治医の岡田先生に相談すると、市立根室病院の眼科を勧めてくれた。大谷先生に紹介状を書いてもらい診察を受けた、やはりレンズは単焦点と多焦点があり、多焦点レンズの手術が必要なら別の病院を紹介する、根室では単焦点レンズの手術のみやっていると説明があった。それで手術のスケジュールが決まった。眼科の手術は毎週水曜日、白内障の患者が多いから、3か月後に手術ということになった。2.5万人の人口で8000人が老人である。根室は高齢化が進み、老人の比率が3割を超えている。
 予定通り7/31に手術をしてもらった。手術予定の患者は6人だったが、途中で緊急オペが入り、40分ほど遅れた。予定の6人プラス1人、手術チーム待ったなしで対応だから厳しい仕事だ。
 術後1週間がたち、今日のんびりお風呂に入り、髪を洗って気分もすがすがしい。

 白内障手術体験記がどなたかの役に立てば幸いと思いながら、書き綴りました。カテゴリー「36-1 白内障手術とその後」にまとめてあるので、本欄左側のカテゴリー区分蘭の該当箇所をクリックすれば、記事が新しい順に並びます。
 白内障の手術をしようかどうか迷っている方、そして白内障でもないのに、読んでくれたあなたにも、ありがとうです。

 8月の最後の週には次の点眼薬が必要になるので、処方箋をもらいにいきます。もちろん、その際には診察も受けます。3か月間、月に一度の頻度で受診の予定になっています。術後の経過観察もちゃんとしてもらったほうがよい。
 鏡で眼球をよく見たら、レンズの羽が固定されている部分が光の屈折率に違いがあり、わかった。すごいものだ、こんなことができるんだ。


 新しいメガネは、東京のメガネ屋さんで視力の検査をして、眼科受診を勧めてくれた方にお願いするつもりです。視力検査のあとで、こういってくれました。
 「いまつくっても、つくれないことはないのですが、無駄になりますから、先に眼科の受診をお勧めします」
とても親切な方でした。

<余談:インプラント>
 7年くらい前に東京聖蹟桜ヶ丘駅前の林歯科医院でインプラントを2本入れてもらいました。歯の治療もあるので、毎年東京へ行くたびに、インプラントもチェックしてもらってます。インプラントをした後は定期点検を毎年やったほうがいいと、林先生。わたしもそのほうが安心です。胃を全摘しているので、歯のトラブルは食べる量が減るので、体力がもちません。歯の健康はとっても大事なのです。歯科医の林先生とはもう20年くらいのお付き合いになっています。最近は、孫も。



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#4057 白内障手術前の点眼薬「ガチプロ」:Aug. 6, 2019 [36-1 白内障手術とその後]

 白内障手術の4日前から「ガチプロ」というキャップが赤の点眼薬を一日五回使用する。この眼薬は目の細菌を殺菌する作用のあるもので、細菌のDNA阻害剤であるから、手術直前の点滴が終わると、看護師さんが回収した。1度に2滴の投薬もやってはいけない、量が多すぎるからだ。作用が強いだけでなく、他の点眼薬とは薬理作用が違っていてDNA合成阻害剤ということもある。細菌のDNA合成を阻害するだけならいいが、正常細胞のDNA阻害という副作用が生じるような使い方になってはいけないのだろう。

 手術後は別の3種類の点眼薬を使うことは、#4053で説明した。
*ガチプロ
https://www.qlife.jp/meds/rx14534.html

 ところで、術後の「点眼液2=リンデロン(炎症止めのステロイド剤)*投薬後瞬きしないこと」には、ネットで調べたら注意書きがあったが、なぜだろうと考えていた。
 点眼後に瞬きをすると、薬剤が眼球の裏側に流れ落ちるのがわかる、前面の方が薄くなる感じがある。手術の際に眼球の表側の端のほうへメスを入れて、手術機器を挿入・操作するので、傷は表側にある。抗菌作用のある目薬はその傷のところに作用してほしいのだから、瞬きをして「裏側にこぼして」しまっては薬剤の効果が小さくなるからだろう。リンデロンは黒の遮光袋に入っている。

 術後に1日4回、5分おきに点眼する3種類の目薬は、投薬後はどれも瞬きしないほうが目の表面にとどまって効きがよいということになる
 7/31の手術だから、ちょうど7日目だ。明日から頭髪を洗える。3種類の点眼薬は3か月継続するように、大谷先生に指示されている。21回やったので、面倒な手順に慣れた。

 投薬前の指の除菌と目の周囲の清拭そして投薬、手順の解説は#4053をご覧ください。


<感謝!... m(_ _)m>
  白内障手術をしたあと、左右の視力が同じになったので、とっても見やすいのです。以前の眼鏡をかけると、テレビに映る細かい字の輪郭がくっきり見えます。裸眼でもテレビ画面に映る字が読めるのでありがたい。パソコン操作にちょうど良いところで、焦点があってます。手術をした左眼でも、していない右目でも小さい字がくっきり見えてます。
 プラスチック・レンズは透明度が違うようで、手術をしていない右目の方が色がすこしくすんで見えてます。
 大谷先生の技術力が高いことと、四人の手術チームの呼吸がぴったりあっているから結果がいいのでしょう。手術機器も世界最高のZEISSです。
ソニーのカメラがツァイスのレンズを採用しています。



*#4053 白内障手術体験記(2):術後の点眼薬3種類3か月 Aug. 3, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-08-03

 #4052 白内障手術体験記(1) Aug. 2, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-08-02

 
*#4026 眼科受診:白内障術前検査小話 July 4, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-07-04



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#4053 白内障手術体験記(2):術後の点眼薬3種類3か月 Aug. 3, 2019 [36-1 白内障手術とその後]

 朝7時の気温は昨日よりも2度低い21.0度でした、昨日の最高気温は28.6度(10時16分)、今日はついに30度越えかな。根室はほとんどの家にエアコンがついていません。もちろんわたしのところも。金刀比羅神社の例大祭のときには涼しくなっていたらいい。こんなに暑けりゃ、根室の子たちはバタバタ熱中症で倒れます。

 さて、前回は白内障手術のところまで話したので、今回は術後の点眼薬をとりあげます。眼球の周辺部を数㎜切開しているので、雑菌が入るとトラブルになりますから、点眼のしかたを入院当日に習います。同じ学年のK塚さんとちょっと年上のA井さんが一緒でした。説明は看護師2年目のTさん。

 手術の3日前から、事前に渡されていた抗菌作用のある「ガチプロ」という赤いキャップの点眼薬を1日5回使っていた。その点眼薬を用いて、除菌用ウェットテッシュとアイコットンを使い、手順をトレーニング。

①ウェットテッシュで両手の指を拭い除菌する
②アイコットンは2枚入りなので、袋を開けて真ん中からふたつにわける。
③分けたコットンの片方で上瞼を中心から外側に向かって拭う。
④そのアイコットンの裏側を使い、下瞼を同じ方向で拭う。
⑤点眼薬のキャップを外し、横にする。立てたらキャップの底が汚染され、点眼ボトルの中身が汚染されるので決してしてはいけない。
⑥点眼薬のボトルを親指と中指で挟み、人差し指で底を押す。
⑦目からこぼれたら、残りのアイコットンで拭う。

 書くと面倒なようだが、やってみてもやっぱり面倒でした。(笑)
 数日続けたらきっと慣れるでしょう。


<写真①>
SSCN2962.JPG

ア:除菌できるウェットテッシュ
イ:ふきとりアイコットン
ウ:5分タイマー
エ:点眼液1=ベガモッグス(モキシフルキサシン塩酸塩液0.5%)
オ:点眼液2=リンデロン(炎症止めのステロイド剤)*投薬後瞬きしないこと
カ:点眼液3=ネバナック(抗炎症剤、腫れ止め)

 術後は一日に四回、3つの点眼薬を5分おきに点眼します。全部、抗炎症作用のある点眼薬です。それだけ術後の傷の炎症には気を配れということ。3か月間点眼を継続します。

 わたされたボトルは適正に使用すると1か月もつそうです。ぼとぼとこぼしたり、目から外してやり直したりすると、2週間でなくなる場合もあるようです。
 点眼薬2のリンデロンは遮光の黒い袋に入ってますが、これだけは点眼後の瞬き禁止です。目をつぶったまま、じっと3分間我慢です。検索して瞬き禁止を知りました。
 投与しているうちに、かゆみや腫れなど、異常が生じたら、すぐに主治医へ相談に行きましょう。迷っていてはいけません。

*#4052 白内障手術体験記(1) Aug. 2, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-08-02


 
*#4026 眼科受診:白内障術前検査小話 July 4, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-07-04


*ベガモック:ノバルティスファーマ
https://medley.life/medicines/prescription/1319753Q1029/
*リンデロン:塩野義製薬
https://www.qlife.jp/meds/rx13111.html
*ネバナック:ノバルティスファーマ
https://medley.life/medicines/prescription/1319759Q1026/

 開発部に属していたころ塩野義の膵癌マーカー検査試薬の共同開発を担当しています。当時は「死のマーカ」と呼ばれていました。検査で判明したときには手遅れという意味でした、1990年ころだったかな。その後、SRLは塩野義製薬の臨床検査子会社を吸収合併しています。
 ノバルティスファーマは帝人との合弁による臨床治験検査会社の経営を任されたときに、お客様の一つでした。世界中の大手製薬メーカは全部取引がありました。もちろん、国内の主要製薬会社も。当時は臨床治験検査受託分野では国内ナンバーワンでした。

 ここ数日の30度近い気温で、庭に咲いたアジサイの色が鮮やかになってきたので、ご覧ください。白い花もついでにどうぞ。夕方に撮りました。
<写真②>
SSCN2960.JPG

<写真③>
SSCN2959.JPG



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#4052 白内障手術体験記(1) Aug. 2, 2019 [36-1 白内障手術とその後]

<最終更新情報>
8月3日朝7時30分

 左右の視力はバランスがとれていたのですが、数年前から左目の視力が0.1くらいに低下していました。本を読むときには視力0.6の右目で読んでいたのです。はじめのころは右目からしか文字情報が入らないので、脳の働きに影響が出ました。なんとなく、もわっとするのです。次第に慣れてきて、右目から入った情報がうまく処理できるようになり、違和感が小さくなりました。脳梁部での情報の受け渡しがスムーズになったのでしょうか、本を読むときに脳全体が以前よりは動かせるようになりました。どうやら視力は脳の働きに関係があるようです。
 一昨日(7/31)白内障手術しましたが、右目よりも手術をした左目の方が視力がよくなりました。プラスチック・レンズのほうがクリアに見えるのです。光の透過度が違い、右目の方は薄く茶色がかって見えていることが分かりました。白い壁をみると、左目の方が真っ白に見え、右目の方で見るとくすんだ色に見えます。おそらく、右目の水晶体がくすんで見えるように色がうっすらついているのでしょうね。老化とはこういうことかもしれません。身体の部品の一つ一つが、ポンコツになっていくのです。心臓や腎臓、肝臓などの生命維持に直接かかわる臓器がポンコツ化したらたいへんです。腎臓だけは、人工透析でなんとかなります。心臓もペースメーカーがあります。そのうちに携帯型の透析装置とか、人工肝臓が開発され、ついで小型化されるのでしょう。細胞培養技術で心筋梗塞を起こしている組織を交換することができるかもしれませんね。医療技術開発の恩恵で、人間の長寿化が進みます。生きる意味が問われる時代がきっときます。
 入院している間、暇なので、数学Bの数列の入試問題を解いていたのですが、今朝午前中にこの三日間で二十数頁使ったノートを、解法手順に焦点を当てて診ていくと、脳がスムーズに動くのが知覚できました。両目でしっかり見ることが脳全体の働きをよくするようです。

 術後の2日目(今朝)、検査で視力測定をしましたが、左目の方は眼鏡矯正で一番下の文字までくっきり見えました。矯正視力1.5です。高校時代は左右ともに裸眼で1.5でした。矯正視力で18歳のときと同じレベル、現代医療はありがたい。視力が上がると世界が違って見えてきます。脳の機能が活性化して溌溂(はつらつ)としているのがわかります。目を通じて入力される情報量に大きな違いが生じて、脳の働きが活発になっているのでしょう。目に焦点を当てて老化を考えると、老化とは視力が落ちて、情報の入力量が減少し、それに比例して脳の働きが落ちていくことのようです。たんに、入力された情報の処理機能が落ちるだけでなくて、脳全体の働きが不活発になる。認知症や記憶障害もそういう脳機能全体の低下現象として出てくるのでしょう。

 市立根室病院に7月30日から3日間入院しました。白内障の手術をしてもらうときに、車いすに乗って、手術室へ入るのにうっかり靴下をはいていたら入る前に、脱ぐように言われました。雑菌を持ち込まぬためでしょう。これから白内障の手術を受ける方、靴下は脱いでいきましょう。(笑) 足は1時間ほど前にタオルでしっかり清拭しておきます。抗菌剤入りの目薬をつけるのに「除菌できるウェットテッシュ」を使うので、それを4枚ほど使って、除菌するくらいのことは、次に右目の白内障手術があればやるつもりです。手術を受ける側のマナーですね。
 手術室の空調はしっかり利いており、寒いのですが、脚にバスタオルをかけてくれたので、寒くありません、大丈夫ですよ。実は咳が出ることを心配してました。根室高校を卒業してから東京で35年間暮らしていたので、気管支喘息の気があるのです。団塊世代が進学で東京へ出て行ったころから、東京は車が増えて大気汚染がひどかった。27歳の時に公害病に認定できると病院で言われたことがありました。肺も長年のそうした大気汚染の影響を受けて、石灰化し、ポンコツになっています。2月に咳がひどかったので、主治医へ咳をとめる相談をしたら、「レルベア吸入用30日用」を処方してくれました。これが劇的に効きました。だから、白内障の手術の日の朝も久しぶりにレルベアを吸入して咳の予防をして臨みました。
 白内障の手術とスキルス胃癌の手術のときとはパンツが自前だけの違いです。スキルス胃癌の手術のときは全身麻酔でおしっこが垂れ流しになるので、オチンチンに管を通しますから、パンツは手術用の使い捨て紙パンツでした、もう13年も前だったので忘れていました。あれは2006年7月20、6時間の手術で低体温症を起こし、術後に身体が痙攣して、集中治療室で、まるでエビのように体が跳ねていました。縫い合わせたばかりの腹部が開くのではないかと心配でした、体温を取り戻すために身体が反応していたのだろうと思います。数人の看護師さんがベッドから体が落ちないように押さえつけてくれてました。生命力ってすさまじいものです。文字通り身体が大きく跳ねていました、本能で渾身の力で死にあらがっていたのだと思います。大きな声で一人が「電気毛布もってきて!」と叫ぶ声がしました。電気毛布で体を包まれて、身体が温まり始めると痙攣がおさまったのです。麻酔で意識がないはずなのに、痙攣がおさまって、ああ、これで助かるんだと思いました。意識が自分の身体にスーッともどりました。上から見ていたのです。なにか、明るいところが見えてました。そちらへいってもいいかな、身体は低体温症で跳ねているのに、そして6時間の手術後なのに、ちっとも苦しくないし痛くもないのです。なるほど、死というのはこういう自然なものなのかと、恐れなくていいのだとわかったのです。2度目が来たら体の状態がどうであろうとも、きっとこころ安らかに死にます。せっかく何人もの人たちに助けていただいた命です、そう思って日々生きています。

 白内障の手術に使う機器はドイツの工学機器メーカ、ZEISS製です。視野検査に使っている機器もZEISS製でした。ツァイスは世界最高の光学機器メーカで、特にそのレンズの優秀さは定評があります。
 SRLのウィルス検査部には蛍光顕微鏡はZEISS製が十数台並んでいました。1980年代終わりころ、オリンパスが180-200万円くらい、ニコンが250万円前後だったが、ZEISSは300万円を超しいた。見え方がはっきり違うとは当時のウィルス検査担当者の弁。ラボ見学の目玉になるので、独断でウィルス検査室の蛍光顕微鏡は全部ZEISS製に入れ替えました。こういう予算はわたしが決めれば本社の予算管理担当部門も副社長の谷口さんが全部OKを出してくれました。自由に動けるようにバックアップしてくれてました。ラボに異動する直前まで全社予算の統括管理責任者でしたから、わたしがゴーサインだしたものに社内でノーを言える人はいませんでした。東証Ⅱ部上場要員として統合システムのサブシステムと他のシステムとのインターフェイス仕様書を作成して、8か月で本稼働、そのご検査試薬の20%コストダウンを提案して、提案したお前がラボの購買へ行って指揮しろと検査試薬コストダウンプロジェクトの本社側担当者として、20%のコストダウンに成功すると、そのまま異動通知が出されました。数年間毎年やれというのです、中途入社2年目でした。
 大学検査室から見学に来られると、「さすが、技術が高いSRLさんは、使っている機器も世界最高のものだ」とZEISSの蛍光顕微鏡が十数台並んだウィルス検査室はなんども褒められました。検査担当者は迷惑だったと思います。蛍光をみているのに、ラボ見学で入室するときにドアが開きますから光が入ります。見えなくなるのです。仕事していて作業の流れがみだされるのは嫌なものです。でも、検査に使う蛍光顕微鏡を全部ZEISS製に替えたのはわたしですから、いやな顔はできないのです。世界最高のZEISSの顕微鏡で検査するのは仕事に大きな誇りをもてるのです。迷惑は分かってましたから、なるべく関係のなさそうな見学者は蛍光顕微鏡の部屋は外してました。阿吽の呼吸です。見せ所は他にもたくさんありました。
 海外からのお客様のラボ見学のご案内がわたしの担当でしたが、学術情報部の3人では間に合わないことがありましたから、たまにピンチヒッターで国内の大学病院の先生たちのラボ見学のご案内もすることがありました。ラボ見学が終わった後で、応接室で「ところでebisuさん、どの検査部におられたのですか?」と訊かれたときが困るんです。「予算の統括管理と、統合システム開発をしていました、専門は経済学と経営管理です」そうお応えするしかありません。「え、…」、たいてい絶句なさいます。
 ラボ見学対応の技はSRLでは歴代ナンバーワンだったと思います。これには理由があります。産業用エレクトロニクスの輸入商社でマイクロ波計測器を中心にマイクロ波やミリ波や光をディテクターに使った計測器、質量分析器、オシロクォーツ社の時間周波数標準機など、欧米50社の世界最先端の理化学機器を扱っていたので、6年間「門前の小僧習わぬ経を読む」式に知識が増えてました。毎月海外のメーカからエンジニアが来て新製品の説明会を開催してくれますし、東北大学の助教授が営業マン(理系大卒)と技術部員向けに計測原理に関する講義をしてくれました。全部出席してました。理化学機器はどんなものでも、基本的にディタクター部と制御と計算処理用コンピュータの部分と、インターフェイスの三つの部品から構成されています。わたしはその会社に中途入社して、すぐにプログラミング言語を3言語マスターしましたから、制御や計算処理用コンピュータを中心に理解できたのです。それらに比べると、臨床検査機器は制御や計算処理部分、そしてインターフェイスがずいぶん遅れてましたから、理解が簡単でした。ある小さいメーカと結石前処理ロボットの共同開発を検査部門がやっていましたが、ラボ管理部の尾形君が誘ってくれたので、タッチすることができたし、自動分注機の開発にも購買側の機器担当者としてタッチできました。SRL仕様を教えて、海外メーカー・ファルマシアLKBにRIカウンターを作らせたこともありました。LKBは紙フィルター式の液体シンチレーションカウンターをSRL向けに開発してくれました。それまで検査室の中は液体シンチレーションカウンターようのバイヤル(ガラス瓶)が山のように積まれて、少し太めの検査担当者がその間を縫うように動いて仕事してました。20㎝×15㎝ほどの紙フィルターに96検体を自動分注機で分注すれば、あとは静かに処理してくれます。バイヤルの山はなくなり、2台の紙フイルター方式の液シンで検査室は急に広くなりました。液体シンチレーションカウンターもエレクトロニクスの輸入専門商社の取扱品目でしたから、日常、見ていました。技術部門が下のフロアにあり、仲の良いのが数人いたので、何か新しいものが入ってくると入りびたりでした。愉しかった。
 ラボを離れて数年後にRI部を覗いたら、真っ白でデザインのいいLKB製のRIカウンターがずらり並んでいました。ダサいデザインの日本製のものがなくなっていました。ちょっとうれしかった。栄研化学に提案して酵素系標識の精度のよい大型検査機器LX3000の最終インスタレーションテストを半年くらいして、半年間の独占使用契約をむすんだことがありましたが、これも数年後にラボで見たときにはずらりと並んでいました。RI検査機器に比べて、3桁検査精度が上がるんです。栄研化学の担当者が「契約書」を作るのでと挨拶に来た時に、ああ、上場作業中だなとすぐにピンときました。「どうして知っているんですか、会社からは外部に言うなと言われてます、内緒にしてください」と慌ててました。それでいくつか相談に乗ってやったのです。上場準備で暗礁に乗り上げそうなところにピントを絞って。栄研化学のある部長さん、喜んでました。その返礼に新規開発中の大型検査機械が、間もなく市販できる体制にあることを教えてくれたのです。市販してから何か技術的なトラブルが生じたらたいへんですから、SRLの臨床検査部で市販前に他の検査機器をつかったデータと比較テストを提案して、実施することになったのです。SRLで数か月間インスタレーションテストをすれば、市販するときには完璧な製品になってますから、栄研化学側にも大きなメリットがありました。あのような最終段階での大掛かりな性能テストは業界で初めてのケースでした。データの再現性に問題が見つかりました。朝の立ち上がりが悪いのです。2時間ほど動かすとデータが安定してきます。理由の解明は別途するとして、予備の温めを2時間することでクリアしました。時間周波数標準機は規定の性能がでるまで「火を入れてから」1か月間かかるなんて製品もありましたから、そういう問題が生じても当たり前と思ってました。要は問題点をクリアできればいいだけのこと。臨床検査部とメーカとの間で再現性でトラブルが生じ、一時険悪になったので、間に入って当面の処理のしかたをメーカ側のエンジニアに指示しました。エレクトロニクスの輸入商社の経験と専門知識がなければとてもできない仕事でした。
 そんなわけで、分析機器やさまざまなタイプのコンピュータやソフトウェアやインターフェイスに詳しかったので、ラボ見学の性の説明内容が専門的で具体的だったようです。八王子ラボへ異動して全部の検査機器を一人で担当した2年間の間に自分がタッチしたものが多かった。精度保証部が世界で一番厳しい品質管理基準の米国CAPライセンス取得の際にも、仕事でタッチしてましたし、学術開発本部へ異動してから、3000項目の標準作業手順書を閲覧できたので、気になる検査については、標準作業手順書で確認していました。学術開発本部内の3部門、学術情報部、精度保証部、開発部の仕事をそれぞれ抱え、産学共同プロジェクトの責任者もしてました。本部内の部署を横断的に仕事していたのはわたしのみ。だから必要な書類は部署を問わず自由に閲覧できました。だから、検査手順にも詳しくなっていったのです。
 学術開発本部の学術情報部の三人がラボ見学担当でしたが、担当取締役の石神さんは開発部案件で海外メーカからのラボ見学対応の担当者として、わたしを指名しました。異動して1か月もしないうちにです。他部署からの異動で学術情報部にきても、ラボ見学を一人で担当できるまで3年間ほどかかります。検査部の数は多いし、検査項目も膨大です。いい加減な説明をしたら、会社の信用にかかわります。見学に来るのは重要顧客のケースが多いですから。そして見学に来る人たちは、それぞれ何かの分野の専門家で、半数以上がドクターの学位保持者でした。いい加減な説明が通用するはずもない。こういう10個ほどの検査部門を横断して、解説ができるマルチな能力の人材を育てるというのは、いまでもむずかしいでしょう。たまたま、わたしは学術開発本部へ異動したときに、ひつような専門知識は全部持ち合わせていました。
 検査部と業務部とシステム部を全部回ると5時間かかります。実施している検査項目が3000もあるのですから、ラボは広いし、検査部の数も多いのです。

 市立根室病院眼科は専門医である大谷先生一人で頑張ってくれています。ZEISSの手術機器はもちろん世界一ですが、この分野では標準機になりつつあるそうです。極東の町根室でも、都会の大病院で使っている最高の機器で手術を受けられるというのは幸せなことです。眼科医は高度な技術を駆使する職人、使う道具も精度が高くて使いやすいものがいい。
 欧州の一流メーカは開発する技術者の魂が違います。ドイツ電子天秤メーカ、メトラー社は世界最高の製品を作り続けているのでしょうが、1980年代終わりころに、展示会で話をしたことがあります。フードの開閉に使っているモータは日本製のマブチのステップモータだという説明でした。「100万回テストをしたが、ガタつかない、世界中でそんなモータが造れる日本のマブチだけ」のはそういっていました。困るどものころ、模型の部品に使われていたのが、マブチでした。おもちゃでしたよ、いつの間にか世界最高レベルの小型モータメーカーになっていたんです。
 これも1980年代終わりごろのこと、染色体画像解析装置を開発した英国のメーカIRS社は、培養後の顕微鏡下の染色体をCCDカメラで取り込んで、コンピュータ処理して、自動的に大きさの順番に並べ替えた後、画像のプリント処理をしますが、そのために最良のレーザープリンタを採用したくて世界中のプリンターを20製品をテストしたと言ってました。プリントはきれいでした。スコットランド訛り強い英語(まるでドイツ訛りのような英語)でしゃべる技術者でした、品質の追及は徹底していました。
 こういう風に、欧州の技術屋さんたちは妥協せずにとことんいいものを追いかけるようです。もちろん、自分のところでとってもユニークな技術を核にもっていての話しです。

 手術室のスタッフは2名の女性の看護師さんと1名の男性看護師さんの3人。大谷先生を入れて四人のチームで編成されていました。手術室に入ると、歯科医院にある治療用椅子よりももっとごつい椅子座り、ヘッドレストに頭をつけます。両手は椅子の脇の湾曲したバーを握れるようになっています。最初の内は思わず手に力が入りましたが、次第に力を抜いていきました。生徒がひどい目の物貰いで瞼の巣術をしたときに、「先生、目に直接麻酔薬打つんだよ、痛かった」と笑いながら脅すんです。だから最初はどうなることかとちょっと緊張してました。
 左目の治療だから、左目の周りに目の部分だけが開いたラバーを顔に貼り付けます。歯科医でも最近は口を開けたままにしておくのに、ラバー製のシートを口の周りに貼り付けて、開いた口が動かぬように固定しますが、同じ材料だと思います。東京の聖蹟桜ヶ丘駅前の林歯科医院で使っているものと感触が一緒でした。結構な力で引っ張られていました。
 ラバーでの目の固定が終わると、麻酔液を眼球にかけます。手術照明灯を見るように指示されました。明るくてまぶしいのですが、光の洪水の中に「CI」を右に90度回転させた文字が銀色に輝いて見えます。手術が始まって、眼球を切開してジーという音がしてきます。水晶体を切って小さくして超音波でさらに細分化して吸い上げていくようです。途中で「残量290」という声がしました。水晶体の残りのことなのか、何かの薬剤の残りなのかよくわかりません。光が見えなくなり、自分の眼球がどの方向を向いているのかわからない状態がしばらく続いて、突然また光と「CI」の字が戻ってきました。それで、プラスチック・レンズが入ったことが分かりました。手術開始のときよりもくっきり見えるのが不思議でした。終わりましたと言って、照明が消えたら、大谷先生の顔がはっきり見えました、びっくりです。眼球の真ん中の角膜を切開していると思っていたので、手術直後にはきれいな像が見えないと思い込んでいたからです。そうではありませんでした。
 目を圧迫しないブルーの眼帯を装着してもらって、手術室をでました。「水晶体が、少し硬かった」と大谷先生。切り出し処理に時間がかかったようです。
 午後4時10分に病室を出たが、戻ってきたのは4時50分でしたから、正味30分くらいの時間でした。通常は20分くらいとおっしゃっていました。
 四人のチームワークのよいこと、指示が次々に飛ぶのですが、間髪入れずに目に指示した薬液がかけられます。ふだんの目の検査のときに、1分でも開けたままでいるのは目が乾いて辛いのですが、あれだけいいタイミングで薬液を次々にかけられたら、眼球が乾く心配などありませんよ、術前には目を開けていれるかが心配でしたが、杞憂でした。

 翌日(8/1)、午前中に診察を受けました。眼帯を外して視野検査をして結果は良好。よく見える。右目と変わらない。右目の水晶体がすこし茶色がかかっていることが分かった。左目で見ると、白が真っ白に見えるが、右目だとくすんで見える。プラスチックレンズはクリアなのだ。いま、右目を閉じて左目でタイピングしている。
 ところで、角膜を切開して水晶体を切り、砕いて吸いとったはずだから、角膜が傷ついたはずなのに、手術直後に先生の顔がはっきり見えたり、眼帯を外したもらって、像がゆがまないのはどういうわけか訊いてみました。脇のところから切開して手術するので、視野に入る角膜は傷がつかないのだそうです。ZEISSの手術機器は優れもの。
 今朝(8/2)10時に視力検査をした。術前は裸眼で一番上の記号すら判読できなかったのに、上から1/3くらいは判別できました。眼鏡をかけて度の調整をしたら、1.5、実によく見えます。

<病院食>
 胃と胆嚢がないので5分割食にしてもらいました。10時と3時におやつ、ヨーグルトとプリンです。
 「胃切分割食」とプレートに貼り付けてありました。2006年にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で釧路医師会病院に入院したときの食事に比べて、器の保温性能が格段にアップしています。分厚くて軽いから、冷めない。器自体も温められているのでしょう。もちろ配膳カートも保温機能付きです。胃がないので食べ終わるのにほぼ30分かかりますが、冷めきらない。最後まで温かいまま食べられます。おかずは魚類が多かった。肉は一度もでませんでした。鰈の煮つけだけでなく、干物だが焼き魚もだされましたた。魚を焼ける設備はもっていないところが多いが市立根室病院にはあるようです。おいしくいただきました、もちろん毎食完食。ご飯は「胃切分割食」150gと表示されていました。

 大谷先生とチームの3人の看護師さんたちどうもありがとうございました。

<病棟看護師さん>
 看護学校を卒業して、2年目のTさんとベテランのHさんがついてくれた。点滴用の管を挿入しに、Tさんが来た。わたしはTさんの同級生を数人知っていました。
「自分の手だとは思わない、人の手だから、思い切ってぶっすりいれたらいい」
 わたしの血管はよく見えるのだが、遠慮しがちに穿刺すると血管が逃げることがある。釧路医師会病院のベテラン看護師さんが18Gだったかな、太めの針で3度やって3度とも外して、「自信を無くした」と細い針でやってもらったことがあった。ためらうとますます血管が逃げるようだ。
 Tさんの穿刺は思いっきりがよかった。一発で成功、こんな思いっきりのよい刺し方ははじめてでしたね。どんどん上手になってください。術後、点滴の管を抜いた後3分ほど軽く押さえておいたら、内出血ゼロ。
 3年目のある看護師さんは、小学生の時から体力がなくて、中学校へ入学してから吹部、疲れて、授業中寝落ちすることがたまにあった。我慢して勉強しようとするのだが、次第に頭がぐらつき、ストンと寝落ちする。寝つきがよかった。(笑) 個別指導だから15分間そのまま寝かせておく、15分経ったらすっかり元気いっぱい。回復力のある子だった。好い看護師さんになった。なんだかとっても嬉しかった。
 岡田先生が看護師の奨学金増額を提言してくれて、それが市議会で賛成多数で可決され、月3万円だった奨学金が10万円になったので、たくさんの根室高校生が看護学校に進学できるようになった。毎年15-18人くらい看護学校に進学しているから、四人に一人しか戻ってくなくても、根室市の各病院は看護師さんを確保できる。
 根室はつい数年前まで、正看護師の足りない地域だったのである。制度をいじっただけで、長期的には看護師を自前で確保できる町になった。高い年収で、好い職場があれば、根室に戻って来たい根室っ子はじつは多いのだ。受け皿があれば若い人たちが戻ってくるから、根室の人口が減ることはないのである。
 次は医師の番である。毎年3人くらい、医学部の進学できそうな生徒がいる。まずは、実績を創ることだ。育て方次第、長期戦略の立て方次第で根室市は医師不足を解消できる。


 末尾になりましたが、病棟看護師のみなさん、スタッフのみなさん、3日間お世話になりました。これから、よくなった目でサイクリングしてきます。(笑)

<大谷先生は超忙しい>
 眼科はいつも混んでいます。2時半の予約があって診察を受けたときには、会計済ませたら6時でした。大谷先生は、毎日6時ころまで診察業務をしておられます。とにかく患者が多いのです。眼科の受付を済ませたら、受付番号が紙にプリントされるので、その番号で順番を判断しましょう。予約のある人と予約のない人で番号が違います。どちらかが、9で始まる4ケタの番号です。下3桁が順番になっていますから、午後になりそうなら、眼科受付の人に一言いって、家へ戻って午後に来た方がいいようです。
 患者は老人が多いので、免許を返上してバスで来る人もいます。簡単に自宅へ戻ってまた来るということができない患者もいます。具合が悪い状態で、長時間待つのは実際にはなかなかつらいのです。いちど、10時半から待っている男性の老人が怒鳴り始めたのをお見かけしました。4時に近くなっていましたがまだ患者は十数人いました、責任者を出せと、30分ほど怒ってました。病院スタッフの人が言い分を聞いて、病院側の事情も伝え、なだめてました。喫茶コーナーや食事のできるコーナーがあればよかったのですが、ありません。
 高齢化が進みこういうケースが増えるのでしょうね。何かいいやり方があれば、ご投稿ください。

*#4026 眼科受診:白内障術前検査小話 July 4, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-07-04


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#4026 眼科受診:白内障術前検査小話 July 4, 2019 [36-1 白内障手術とその後]

<最終湖心情報>
7/6午前11時40分

 中央処置室で細い採血管5本の採血を済ませ、トイレで採尿をした。何ccとればいいか指定がなかったので100㏄とり小窓を開けて「採尿しました、お願いします」と声をかけると返事がした。たぶん、50ccで十分だろう。最初のものは棄てて、あるいは少し出してとめてから、中間尿をコップに採るのがよろしい、忘れてました。
 次は心電図をとるために生理検査室受付窓口へカルテを出します。

P どうぞお入りください。
P こちらのベッドにあおむけに寝てシャッツをあげてください。
E これでいいですか?
P (手術の傷跡を見て)何か手術されましたか?
E ええ、スキルス胃癌と巨大胃癌を併発して13年前(2006年7月)に手術しました。
P よかったですね、早期発見で…
E ありがとうございます、でも早期発見ではなくて手遅れでした。
P …(電極を足首につけながら、「ああ、足がある…」)

 予期せぬ返事に心電図担当の方は絶句なさってました、手遅れならふつうは死んでるもんね。(笑)
 最後はレントゲン室で正面と横から2枚撮影。鉄筋コンクリート建物内では方向音痴なので、2度どこにいるのかわけわからず、案内表示をたよりに目的のところへ行きました。

 胃癌でこれから手術を受ける方、絶望なさらないでください、開けてみてダメでも切ってみなけりゃわかりませんよ。切ってダメでも経過をみなけりゃわかりません。人間いつかは死ぬものですから、手を尽くしてダメなら静かに死を受け入れるだけ。な~に、性能のよい抗癌剤も次々に開発され、商品化されています。いい薬を開発して商品化できれば製薬会社は儲かりますから、一生懸命開発してくれています。お金は神様、だれもが神の恩寵にあずかりたいから努力する、そのあたりが資本主義のいいところでしょう。世の中にはお金の神様だけではありません、よく見るとトイレの神様もいらっしゃいます。コロポックルはフキの下にいらっしゃるようですが、野や山にいらっしゃる神様、金刀比羅神社などの海の神々、素戔嗚や天照など他にもいらっしゃる神様、慈悲深い神様、いつでもどこにでもいらっしゃる神様たちが見えなくなってはいけません。

 後藤先生はあのころ30代前半の若い外科医でした、わたしはとってもついてました。だってベテラン外科医なら、開いて手遅れと判断したら何もしないで手術を中止します、無駄な努力ですから。オヤジが72歳で2度目の手術をしたときには開け閉じでした。手術は無駄とベテラン外科医のM山先生の判断でした。大腸癌で初回の手術から2年たっていました。M山先生は初回手術のあとに緑色のラバーに切り取った横行結腸を載せて見せてくれました。そして「2年以内に再発します」って言い切りました。場数を踏んだベテラン外科医の診立ては精確、2年後に検査したときには肝臓や肺、そして骨転移していました。肝臓は手で服の上から触っただけですぐに癌化しているのがわたしにもわかりました。板が入っているようにカチンカチンでした。手術は釧路市立病院、2度目の手術から4か月で逝きました。ターミナルケアは市立根室病院でした。根室でみんなに看取られて死ぬのが希望でしたから、希望通りの最後、市営墓地に眠っています。
 話を、わたしの手術に戻します。若い外科医は場数を踏まなければ腕が上がりません、後藤先生は開腹して癌の進行が想定していたよりも速かったので手がとまりました、すでに手遅れと判断、「開け閉じ」しようとしたときに、立ち会っていたベテラン外科医の浅川院長が「ざっくりとったらいい」と続行を指示します、もちろんスキルを上げるためです。それから6時間奮闘してくれました。胃の全摘、癌が転移していたリンパ節もはがして「ざっくり切除」(後日、SRLの病理検査で転移確認、旧知の名取病理課長はわたしの名前を確認したかな?)、大腸へも浸潤していたので大腸一部切除、炎症を起こす可能性が大きいので胆嚢切除(術後に摘出された緑色の胆嚢を見た女房殿は健康で美味しそうだったと述懐)、空腸を首のところまで持ち上げて器具を使い食道上端部へ吻合、動脈も切ったりつなぎなおしたりと、ずいぶんご苦労をおかけしました。これだけ複雑な手術をして出血量はわずか700cc、輸血なし。外科医のテクニックとはすごいものだなと思いました。

 とってもありがたかった、いま生きているのは内視鏡で診断をつけてくれた消化器内科専門医の岡田優二先生(岡田医院院長)と執刀してくれた消化器外科医後藤幹裕先生(音更町:東木根クリニック院長)お二人、そして看護師さんやレントゲン技師さん、たくさんの医療スタッフのみなさんのお陰です。地域医療で助けられたのですから、いただいた命の何割かは地域医療へ捧げたい、だから看護師さん志望や医師志望の生徒の指導には力がはいります。
 そして地域医療に関してはブログでときに厳しいことも書きます。しがらみ抜きでないとやれません。根室で生まれて18歳まで根室で育ちましたから、しがらみはゼロではありません、周囲に迷惑がかかるのもあえて無視、人ですから申し訳ない気持ちはあります。

  産業用エレクトロニクスの輸入商社で6年間働いた後、臨床検査最大手のSRLへ上場準備要員として転職、で16年間仕事してました。経営管理部門、購買部門、学術開発部門、子会社、統合システム開発、取引先臨床検査会社の経営分析・買収交渉担当、検査試薬の共同開発担当、統合システム開発担当、子会社経営改革担当、合弁会社経営、日本病理学会検査項目コード検討委員会と大手6社の産学共同研究による臨床検査項目コード標準化をマネジメント、慶応大学と出生前診断の日本標準値制定のための産学協同プロジェクトのSRL側マネージャーなど、じつに多彩な部門で使ってもらいました。
 岡田医院も木野東クリニックも市立根室病院も医療システムは、SRLが保険点数改定がある都度配信している臨床病理学会がオーソライズした日本標準臨床検査項目コードで動いています。日本標準臨床検査項目コードですから全国の病院や医院で例外なく採用されています。これがなければ動きません。84年に提案した臨床診断支援システム事業化案の10個のプロジェクトの一つが、臨床検査項目コード標準化でした。SRL創業社長の藤田さんは200億円の投資予算を承認してくれました。転職2年目、管理会計課で予算編成・予算管理と統合システム開発を担当していた時のことです。社歴に関係なく、チャレンジャブルな仕事は手続きを踏めば何でもやらせてくれる面白い会社でした。
 16年間働いてSRLを退職し、首都圏の約300ベッドの規模の特例許可老人病院の常務理事へ、翌2000年に病棟建て替えを実施、療養型適合病院へ転換。こういうバックグラウンドがあって、データや論拠を挙げて根室の地域医療批判・市政批判・北方領土返還運動批判、そしてそれらに関する具体的な提言を繰り返してきました。ふるさと根室へ戻ってきて3年目にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発でした。手術は2006年、57歳。あやうく、「享年58歳」となるところでした。

 術後の5年くらいは結構たいへんでした。一日6回の食事のほかに血中の血糖値低下を防ぐために3回お菓子を食べるので、口内環境が悪化し次々に虫歯になります、消化不良から腸が荒れて口内炎が頻発して食べることもままならない時期がありました。どうしようもありませんでしたから、「楽になりたい」と何度も思いました。体力の弱っていた時に東京の歯科の主治医へ相談してインプラントも2本やっていただきました、それからよく咀嚼できるようになり状況が改善していきました。
 ちゃんと食べることができなければ人間は枯れるように死んでいくだけ。いわば「緩慢なる餓死」ですから、痛くも苦しくもありませんよ、楽なんです。

 歯科の主治医である林歯科の林亨先生(東京聖蹟桜ヶ丘駅前)には年に一度か二度通院してずいぶん助けていただきました。2週間毎日のように通院して傷んだ数本の歯の突貫工事でした。3代のお付き合いのある地元の歯科医の福井先生にも役割分担をしていただいてます。術後の3年間は東京へ飛行機で行くのは体力と体調のコントロールができないので無理でした。福井先生のお世話になっていました。東京へ行けるようになってからは、林先生と福井先生が連携して治療してくれます。
 病状を知っている主治医がいるというのは、患者にとっては大きな安心です。
 いま、眼科の大谷先生の治療を受けています。大谷先生はもう何年間も根室で眼の診療に当たってくれています。今日は白内障の手術の際の合併症の説明を受けました。胃癌手術のときの説明に比べるとずっと軽いものでした。開けてみて膵臓に転移していたら膵臓摘出、脾臓への転移も疑われるので、その場合は脾臓摘出もありうるので事前説明資料に判を押してください。膵臓や脾臓へも転移していて手術がうまくいったら命がなさそうと、どきどきしながら承諾書へサインして判を押しました。(笑)
 今回は白内障の手術の合併症と承諾書ですが、穏やかな表情でゆっくり説明していただきました。願わくば眼科の大谷先生とも長いお付き合いになりますように。
 老化は体のあちこちの部品がポンコツ化するということ。

<余談:ようやく見つけた虫歯予防法>
 口内環境の悪化による虫歯はやり方次第でかなり防げることに最近気がつきました。
 2か月ほど前から食後にサンスター・プロケア「薬用GUMペーストPCF」を使って歯を磨いて、口を水で漱がず、歯磨き剤を吐き出すだけにしています。就寝前にLIONの「クリニカ・アドバンテージ」を使って歯を磨いて、これも口を漱ぎません。口の中にたまった残りを吐き出すだけ。こちらは研磨剤が入っていません、フッ素を含んだジェルです。歯を磨くというよりもフッ素をコーティングするという感じで電動歯ブラシでやさしくマッサージしています。
 朝、歯がネバネバしなくなりました。
 歳を取ると、唾液が少なくなり、口内の有用細菌が減って、寝ている間に雑菌の繁殖をコントロールできなくなります。対策に困っていました。
 歯科の主治医の林先生の次回定期点検が楽しみです。術後14年目にしてようやく対策が一つ見つかったのですから、喜んでいただけるのではないかと思っています。老人の患者が増えているのでいろんな臨床例があったほうがいい。奈良県から毎年治療にくる患者さんがいるそうです。

*岡田医院
https://medley.life/institutions/564ab0101c1b604d59c16b47/

*木野東クリニック
https://www.kinohigashi-clinic.com/

*根室市立病院眼科
http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/cgi-bin/hsp/doctor_ganka.php


*林歯科医院
https://www.hayashi-dent.net/doctor/


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