#3928 視写速度格差の学力への影響 Feb. 12, 2019 [47.2 書き]
北海道新聞のコラム「卓上四季」を使ってタイムを測ってみた。文字数は569文字です。
A: 20分49秒 ⇒ 27.4文字/分
B: 6分55秒 ⇒ 82.5文字/分
標準時間はおおよそ15分(38文字/分)である。このケースの時間の比は A:B=3:1である。文章を塊でとらえて書くことができれば速度が上がる。アイ・スパンが広くなるから、視写しながら文意もつかめる。速度が遅い生徒は文章がぶつ切りに読んで書きとるので意味の塊としてとらえられない、つまり、文章を読むときにも障害が生ずる。先読みがほとんどできないから、文章の意味理解ができないし速度が著しく落ちることになる。難易度がそれほど高くないものは読みが速くなればなるほど理解の精度も上がる。だから、音読トレーニングや書かれた文章の視写から得られる学力に関する情報はすくなくない。
標準速度よりも3割以上も試写が遅いと、国語の学力テストで平均点をとるのははなはだ困難である。文章全体をざっと読み、次いで「段落読み」をする時間が無くなるから、論旨を正確に追えない。
Bの生徒は国語の学力テストでいいときには満点に近い得点が可能だ。でてくる語彙をほとんど知っているからこそ、この速度が出せる。この生徒は圧倒的に速い。
視写が遅いのは読めない語彙があることも原因の一つに挙げていいだろう。読めない語彙のところではシャーペンがとまるったり、速度がガクンと落ち、リズムが維持できない。速い生徒は一定のリズムでシャーペンの音が途切れることがない。
語彙力が貧弱だと授業で先生の話す言葉もところどころ理解できないから、話の文脈全体を理解することができなくなる。そういうレベルの生徒が根室の中学生には25%くらい居そうだ。本を読まない生徒は日常生活で読む訓練がなされないし、知らない語彙が頻出して意味が分からなくなるので新聞や本を読まないし、視写速度も遅いということになる。
「卓上四季」の視写に18分以上かかる生徒は音読トレーニングと視写トレーニングを併用すべきだ。15分が切れるまで毎日やったらいい。たいした時間はかからぬ、音読と視写で30分やれば十分である。
高校へ入学したら、授業を聴きながら先生の説明を聴きとるには、16分を切らなければむずかしい。分速27文字レベルでは黒板をノートに写しているときは、先生の話が意味のある塊として聞こえていない。黒板の視写をしながら先生の説明を聴くという並列処理ができないのである。
生徒を観察していると面白いことがわかる。数人が私語し始めたとしよう、並列処理のできる学力の高い生徒は話に混ざりながら手が動いて問題を解いているが、学力の低い生徒は手が止まっている。個別指導だから、問題を解き終わると生徒たちはときどき学校のできごとの情報交換をすることがある。話題に興味のない生徒は黙々と問題を解いている。並列処理はできるようにトレーニングしておいた方がいい。社会人となったときには仕事ではそういう能力も要求される。客先に行って話の要点をメモしている瞬間に、相手の話が聞こえなくなっている。危なくて重要顧客を任せられない。並列処理ができないとはそういうこと。
これらのデータからわかることは、学校の授業をどんなに上手にやっても、根室市内の中学生の25%ほどはその学力を上げることができないということ。
これを裏側から見ると、「読み・書き・計算」の基礎技能をアップすれば学力全般を飛躍的に上げることができるということだ。
読み・書きの基本技能は訓練すれば速度アップができる。時間を5分間測ってやればいい。新書版の本なら何ページ音読できるかスマホのタイマー機能をつかってトレーニングしてみたらいい。口を大きく動かして、最大速度で5分間読んでみよ。
計算も同じことで、10分間に何題の計算問題ができるかタイムとその時間内にできた問題数を問題集に書き込んだらいい。小学校低学年のうちに珠算を習わせるのが理想的だ。珠算塾では級ごとに乗除算を各10分間、見取算(足し算引き算)を10分間時間を測ってやらせる。計算も音読も視写も、これらの基礎技能は時間を計測してトレーニングすることで速くなる。スポーツと同じである。
時間を計測してトレーニングしないと速度アップはむずかしい。かならず時間を測って訓練してほしい。
<余談:速度と時間と勉強量>
だいじなことを書き忘れてました。標準速度の2倍で読め、書けるるということは、標準的な生徒が2時間かかって勉強するところを1時間でできるということです。
そしてさらに計算速度が標準の5倍の生徒は、他の生徒たちが3時間かかかって解く問題を1時間で解いてしまうということです。そういう生徒が毎日3時間勉強したら、平均的な基礎技能の生徒は6時間勉強しても追いつきませんよ。学力格差は年々拡大してしまうということです。
基礎技能の速度差は学年が上に進むにつれて学力格差を広げるほうに作用します。
こんな関係が成り立っているのでしょう。勉強量に2倍3倍の差があったら、それが何年間も続いたら、圧倒的な学力差になって当然です。脳の反応のパターンも違ってきそうです。
毎日繰り返しやることは、習慣となり、数年続けたら脳の反応に鋳型ができるので、性格形成にまで影響します。あだやおろそかにしてはいけません。
勉強量=(読み書き計算速度)×思考速度×時間
#3408 ノートをとらないプリント授業の副作用は社会人になってから現れる Sep. 9, 2016 [47.2 書き]
深夜から雨が降り続いて25mmの降雨量、朝9時の気温は15.5度、寒いので床暖房を入れている。秋だなあ。
根室高校は今日で前期期末テストが終了する。英語嫌いが4人、自ら英語の勉強に挑んでいたから、手応えがしっかりある。
弊ブログ「#3407 ノートをとる必要がないプリント主体授業増殖中」でプリント授業に言及した。
教科書をちゃんと使ってその上でプリント問題を補充している先生もいる。問題なのは教科書を使わないでプリントのみ、生徒が板書をノートにとる必要のない授業スタイルである。
昨日、中2の生徒が英語のプリントをやっていた。「if節+主節」の構造の文章のトレーニングだが、その中に仮定法の文が混ざっていた。
If I got one million yen, I would go on a trip.
If I were you, I could choose a rich man.
文例を見て苦笑してしまった、ずいぶんと即物的な文である。こういう感覚の先生が当たり前になってきたのだろう。人間は豊かになればなるほど、拝金思考が強くなるようで、嘆かわしい。日本人が培ってきた伝統的な価値観も危うい。「武士は喰わねど高楊枝」なんて言葉を知らないのだろう。
これら二つの文は「仮定法過去」といわれる文で、過去形を使っているが意味は過去ではなく現実の状況に反する仮定で、言っていることは現在だと説明してその形式の特異性を説明して板書し、文例を補足した。ニムオロ塾は個別指導だから、この事例では質問をした生徒一人に解説をしている。説明が終わったら、次の問題を解き始めた。ノートをとる様子がない。
「あなたの説明に応えた。高校1年生の後期に習う範囲だが、大事なところだから仮定法の説明書いた。なぜノートにとらないのか?」
言われたらしぶしぶノートを出して書いた。
その前に、別の質問があった。「aとanの使い分け」に関する質問である。
語源的なことを言うと、もともとはanはoneの意味で、不定冠詞の基本はanの方、そのnが脱落してaになった。「アン」と「ワン」、音が似てるでしょ?
不定冠詞の次の名詞がaeiouの母音で始まる単語ならanが付き、子音字ならaをつけると説明して、具体例を板書した。
an apple, an egg, an island, an orange, an umbrella
子音字は、bcdfghjklmnpqrstvwxyz
(a、an、the、無冠詞の四つの用法だけで一週間集中授業をしてもいいくらい。受験参考書の受け売りじゃなくて、こういうテーマで発展学習用の強力なプリントを作成してほしいね。)
板書したのにノートに書かないのである。大事なポイントをノートに書くという習慣がない、これはこの生徒に限ったことではない。ほとんどの生徒に共通している。この学校の英語の授業では毎回たくさんのプリントを生徒に渡して宿題にしている。
大事なことをノートに書く習慣がない生徒が、高校生になったらちゃんとノートが取れるか?苦労しながらノートをとっている生徒が多い。根室高校でノートがとれない生徒はまだ一部である。高校統廃合がなされる来年4月以降は、ノートがとれない生徒が1/4になるだろう。書く速度が標準に達しない生徒が25%を超えることが予想される。聞いてもわからないしノートに要点を書き取ることもできない生徒たちが増えれば授業が荒れ、生徒の平均的な学力は低下する。
高校もまた少しずつ教科書軽視、プリント主体の授業が増えざるを得ない。
そして生徒たちは高校を卒業して、地元企業に勤める。そこで何が起きているのか、ブログ「情熱空間」の記事(青太字部分)をご覧いただきたい。
前回同様に具体策を引用の後に書いておきます。
ttp://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8567810.html
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2016年09月07日
書かない子を量産する北海道
ならば、こうすればいいんです。書かせましょう。とにかく書かせるようにすればいいんです。勉強が壊滅的な子の特徴があります。これ、百発百中です。書かないんです。とにかく書かない、書こうとしない。ただ黙って問題を見つめているんです。「何やってるの?」と尋ねると、「今、考えているの…」との返答が返ってきます。おいおいおい、算数・数学の計算式をじっと見つめていたって、炙り出しじゃないんだから(笑)、答えなんか浮き出てくるわけないべって!とまぁ、そんな感じですね。
新規高卒者を採用したある企業、その経営者の悲鳴。「何度教えても、仕事を覚えないんですよ…」「書かないんですよ。メモを取るように何度言っても、それに従おうとしないんです」「言い続けていたら、そのうちふてくされちゃって…」分かります。だって言っちゃ悪いけれど、北海道の場合、義務教育というトンネルをくぐってくる中において、多くの場合、書かないことをしつけられてしまっているんですから…。書かないということが、その若者には完全に習慣になっているんです。
話は一つ前の記事、切った貼ったのノート作り、プリント授業に重なります。よくよくお考えいただきたいのはこの部分なんです。人の話を聞きながら書く。小中学生ならば、先生の授業を聞きながら、黒板に書かれたことをノートにとる。その作業、単純そうでいて、しかしそうじゃないんですよね。
ちゃんと話を聞きながら、それでいて一方では書かれたことを書き写す作業を進める。その場合、短期記憶メモリーが働くんですよ。書き写す作業には、瞬間的記憶力が伴いますよね。書かれていることを瞬間的に記憶し、そしてそれをノートに書いて再現するという。板書が多いということはつまり、それだけ短期記憶メモリーが、すなわち脳が鍛えられることに他なりません。
よく、「書きながら考える」とか「書き出して考える」とか言われますが、多くの子ども達は今、それができません。理由は単純明快。書かないから。書くトレーニングなされていないから。だから自力でまとめることができない。ゆえに学力が低いまま。手と脳はつながっていると言いますが、まさにその通り。学力が高い子はまた、例外なく書くことを苦にしないものです。しかしこの部分、北海道では猛烈なまでに軽視されている。そうとしか言いようがありません。
釧路の子は(文章を)書くことが苦手。(文章を)要約することもまた苦手。全国学力テストの分析ですが、そんなもんあたりまえだってーの(笑)!だって、書かせないんですからね。作文以前、文章以前、そもそも文字を書かせないんだもん。ちょっと多めなくらい板書をして、そしてそれをノートに書かせるべきなんです。効用は学力面だけじゃありませんよ、集中力の持続が求められるわけだから、授業もまた静かになる。作業をさせるわけだから、授業時間が短いと子どもは感じる。まさにいいことづくめ。
教える側の技量もまた高まります。話しながら子どもを引きつける。手早く板書をする。書き写している様子を確かめ、また話に戻る。その繰り返し。それってつまりは「間(ま)」ですよ、「間(ま)」。黒板を用いて板書をし、それをノートに書き写させる。そのためには、「間(ま)」を上手にコントロールできることが必要。ところがプリント授業にはそれが不要なんです。答え(穴埋め部分)のみを板書して終了。教師も児童生徒も手を動かすのは最小限。そうしてやがて手を動かすのが億劫になってしまう。「間(ま)」どころか「魔(ま)」になっちゃうんですよ、板書で授業ができなければね。
書かせましょう。どんどんどんどん書かせましょう。書くことを苦にしない子だらけになったなら、全国学力テストなんてすぐに上位になっちゃいますってば。義務教育というトンネルを抜けたならば、書かない子、書こうとしない子だらけ。実におかしいって思います。9年間の義務教育を終えても、自力でノートにまとめることができる子、我が北海道では本当に少ないですからね。教育は自立のための営みのはず。それなのに自立を阻害するかの如く手を動かせないって、おかしい、実に実におかしいって思いますね。
最後にかっこよくまとめてみましょう(笑)。北海道の子ども達に驚くほど不足している力、それはこれですよ。【視写】ですよ、ししゃ。プリント授業が蔓延していて、より一層それに拍車をかけてしまっています。視(み)ながら書き写すこと。読んで字のごとくですが、それが今、驚くほどに軽視され続けています。はっきり言いましょう。だからいつまで経ってもダメのままなんです。
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《「読み・書き・そろばん(計算)」における標準速度の確保》
学校教育で12年間続けてすっかり「ノートをとらない病」に罹った子供たちは社会人になってからまことにやっかいな存在になるのです。ノートをとらない生徒は、高い確率で「メモをとらない社会人」になります。大事なことをメモにとるという習慣は、小中高で板書をノートに書き取ることで育ちます。その大事なところを端折ってはいけません。
「読み・書き・そろばん(計算)」スキルは、学年ごとの標準速度(量と制限時間)を示して指導しませんか?中学生の書き取りの標準速度はニムオロ塾では16分間で600字と決めています。北海道新聞の「卓上四季」がそれくらいの分量です。計算速度は同じクラスの速い生徒と遅い生徒で1:30の差がありました。計算スキルに秀でた生徒が10分間でやり終わる問題に、計算が遅い生徒たちは30倍の300分、6時間もかかります。速度の差は大きな学力差を生み出します。読みの技能が一番基本ですが、これは音読指導をしなければチェックできません。手間のかかることですが、ニムオロ塾ではやっています。音読指導は授業料をいただきませんから、最近は希望者のみ。日本語の読みの正確さと速度チェックだけはいまでも全員に実施しています。「先読み技術」は音読指導をしないとなかなか身につけることができなくなりました。読む本の分量が少なすぎたら、「先読み技術」は自然には身につきません。
*#3407 ノートをとる必要がないプリント主体授業増殖中
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-09-07
70% 20%
#3407 ノートをとる必要がないプリント主体授業増殖中 Sep. 8, 2016 [47.2 書き]
ブログ「情熱空間」の記事を転載して紹介します。
同じ事情は根室でもあります。生徒が分厚いプリント・ファイルを鞄に入れて持ち歩いているようになってから、もう7年になるかな、最初はB中学校1校だけでした。
プリント授業が行き過ぎると、教科書をほとんど使わなくなりますから、いま教科書のどこをやっているのかわからない生徒が増えます。授業で教科書を軽視するのが常態になるので、生徒は教科書を読まなくなります。教科書のどこをやっているのか知らない生徒が増えたのですから、予習をする生徒が激減したのも当たり前で、学力テストの得点分布に影響しています。学校・学年によりばらつきが大きいのですが、学力上位層が激減し、下方にシフト、学力下位層が肥大化しているということは言えそうです。
学力テストで400点以上が激減(各学校の学年で1-3名、10年前は5-15名)したのは、スマホの普及だけではなくて、教科書を読み、予習する生徒が激減したことも原因に数え挙げられるのではではないかと疑っています。
(各学校では少なくとも12年分程度のデータは残してあるでしょうから、EXCELで加工して得点分布の変化を追って、(生徒たちやPTAや地域住民へ)学校ホームページ上で公開して議論してみたらいかがですか?データ公開を恐れる必要はありません、それどころか学力向上へ向けて具体的な協力が得られるでしょう。とってもデータがよい年度があります、そこから学ぶべきものがあるはずです。)
中学校で板書をノートにとらなければ、高校生になってもやはり板書をちゃんとノートにとることはむずかしいのです、当たり前ですね。まだそれほどでもありませんが、この10年間で根室高校もプリント授業が増えました。生徒たちがノートを取るのが下手になったからそうしているのか、先生の都合でプリントを多用しているのか、直接お訊きしたことがないのでどちらとも判断がつきませんが、プリント授業が増えています。
数学は宿題にプリントを多用しているだけのようですが、英語でプリント主体の授業をやっているケースが見受けられます。生徒のノートを見たり、時おり生徒に質問して確認しているわたしの個人的な感想ですが、英語は教科書を使っていても内容の解説が簡略すぎる嫌いがあります。
こういうのを「負の連鎖」というのでしょうね。小学校でノート指導がちゃんとできていないと、中高で問題がどんどん大きくなります。そして社会人になったときには、・・・
小・中・高で一貫してノートをとるトレーニングを積まなかった生徒たちが、高校を卒業してからどうなるのか想像したことがありますか?
罪が深いのです。
次のブログで「なぜ罪が深いのか」理由を紹介します。「読み・書き・そろばん(計算)」トレーニングはたくさんやらせないといけません。
批判だけではつまらないので、具体的な《処方箋》を末尾に書いておきます。
ブログ「情熱空間」より
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8567315.html
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2016年09月06日
釧路という異国(ノートをとらせない学校)
話は変わり、釧路の中学校。最近では小学校も同様に「毒されて」きました。何度かアップしておりますが、児童生徒にノートをとらせないという、異国情緒漂う不思議な学校の授業についてです。プリントを配り、それをノートに切った貼ったさせ、なにやら得体の知れないものを作成させる。かと思えば、ノートをまったく作らせずにただそれを綴らせるという100%完全なプリントオンリーの授業。というわけで、まずはご覧ください。
社会科。地理的分野ですが、公民的分野もまったく同じ、100%プリントオンリーの授業。そしてそのプリントを、折って畳んで綴るように言われ、こうしてファイルを作成するように指示されるんですね。で、これが釧路においての【ノート指導】だそうです。プリントにはまた「評価(ABC)」の欄があるので、これを提出させて眺めることを称して、【ノート検査】と言うのでしょうね、きっと。
お次は英語。これまた100%のプリント授業。で、折りたたんでノートに貼り付ける。ええ、これが【ノート指導】なんですね。驚きです。まさに、釧路という異国…。試験前には、これを開いて見直しなさいとの指示。ええ、それがこの地における試験勉強なのでしょう。自分で調べ自力でノートにまとめる。そうした勉強の仕方の指示は一切なしとか。
ちなみにこの中学校。国語は板書を写したノート(ってか、普通はそれがノートですよね、普通は)があり、授業で使ったプリントは別に綴られていました。というわけで合格ですね。数学は基本的に板書を写したノート。グラフや図形等、一部に関してはプリントを切った貼ったしていましたが、それは許容範囲でしょう。こちらも合格。理科もまた板書とプリントの切り貼りの合体といった感じですが、そこはやはり、すでに「やられちゃっている」のでしょう。切り貼りが多すぎでこちらは不合格。というわけで5教科中、まともに【ノート作り】がなされていたと判断できるのは2教科のみ。
(ただし、この中学校の名誉のために申し添えますが、この中学校の学力総合ABCの平均点は低いものではありません。市内・町内平均よりも上です。でも、これはいただけませんね、どう考えてもね。公立中学校なのであって、点数を上げるためには夜討ち朝駆けなんでもござれの塾なんかとは違いますよね。それなのにまるでどこかの塾のようですね、これは)
例によって繰り返し述べます。我が釧路では、こうしたプリントオンリーの授業や、プリントを切った貼ったさせてノートにぺったんこさせることを称して、【ノート作り】【ノート指導】というらしいです。これまた何度でも何度でも繰り返します。異常ですね、異常。こんな「ありえない授業」が普通のこととして確立してしまっているのです。釧路の常識は日本の非常識。しかしまぁ、なんという…。
狙いは2点ですね。きっと無意識なのだろうけれど。
この地の子ども達の多くは、幼少期より書くことに慣れていないので多めに板書をすると、つまりは文字をノートに書かせたなら、すぐにブーたれるんです。「手が痛い!」「やだ、書きたくない!」などと。しまいにゃイライラ不機嫌になって、ため息の果てに机に突っ伏してフリーズしたり、鉛筆をへし折ったり。ええ、まずもってその時点からして異常なんです、異常。
でもって、書かせても書くのが実にトロい。そりゃそうなんです、書かせる絶対量が低学年のうちから少ないので、だから書かせようとすると抵抗するし、書くスピードもまた実に遅くなる。そしてもう一つ。授業の進度が遅いんですよ。多くの場合、教師の側の授業の進め方が実にスローモー。教育行政がまた「ゆっくり丁寧に、分かりやすく教えましょう!」などのたまっているので、さらにトロさに拍車がかかっているんです。教科書が進まない、終わらない。ええ、だからこうしたプリント授業が(進度を稼げるとして)脚光を浴びる(?)と、そういうことなんです。
最後にもう一度。釧路という異国。ガラパゴスですよ、ガラパゴス。他地域、少なくとも道外ではこんな授業の進め方など非常識の極みでしょう、非常識。しかしそれがまかり通っているという我が釧路。こともあろうに、近隣町村の小中学校を束ねる教育センターだかなんだかからして、こうした切った貼っただの綴らせるだのを奨励しているという我が釧路。恥ずかしいったらありゃしない。まさに異国であります。
この部分、いつまで経ってもメスが入りません。ならばそれが入るまで延々と同じことを指摘し続けることにしましょう。大いに笑われ、大いに恥をかけばよろしい。後ろ指を指され、それに耐えられなくなるまで、ずっとこのバカな方式の授業とやらを続ければよろしい。釧路という異国。しかしまぁ、ひどいものです。
学校って、ノートをとらせないんですね…。愛する我が釧路が笑われています。
●板書をしない、ノートを使わない授業の実際
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8304762.html
●それは「授業」ではない!
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8325648.html
●「校内ノート展」で学力向上!
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8326617.html
●ここから先、この3つをやればいい
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8328468.html
●狂った学習指導(しかしそれが釧路スタンダード)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8386860.html
●「狂った授業」の生い立ち(釧路はガラパゴス)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8386989.html
●日付が書かれていないノート
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8387086.html
●非常識な釧路スタンダードを一掃せよ!
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8398760.html
●全道・全国平均クリアのために!(お次の3つの課題)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8400409.html
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《処方箋》
教科書を使った授業をやって、生徒に板書をノートに写させたらいいと思います。ええ、そうなんです、昔からやっている当たり前の授業スタイルがいいんです。プリントは難易度の高い問題の補充と発展学習内容の解説に限定して使用します。
発展学習内容とは、たとえば、順列と組み合わせのところでは、パーミュティーション記号やコンビネーション記号を使った式の解説とそれに関わる計算演習問題。2次関数では一般式と頂点座標まで、因数分解では「たすき掛け法」と片側が多項式になるものまで。中学校の教科書には載っていないが、理解を深めるために必要な情報は追加・解説し計算練習をさせておきましょう。成績上位の1割の生徒は消化できます。
英語では、be going toと will の意味と使うシーンの違い、mustとhave toの意味と使うシーンの違い、someとanyの用法の説明、現在完了進行形の解説、aとanとtheの用法と意味解説、前置詞(あるいは副詞)の空間的な位置関係の解説など、学校の教科書には載っていないが、知っておいたほうがよいものはたくさんあります。
成績上位層の好奇心をくすぐる工夫をして、彼ら・彼女たちの学力を伸ばしましょう。根室という教育僻地にいても、都会の子どもたちが私立の進学校で受けているものに比べてすこしはギャップを埋める授業を演出しましょう。
根室で小中高の時代を過ごすことが学力の大きなハンディキャップとならないように、先生たちは授業のやり方をぜひ工夫してください。
ZAPPERさん、ありがとう、いい記事でした。「情熱空間」から続けてもう一本紹介します。
*ゲーム・ネット・スマホ依存症 専用外来
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%9B%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87%E5%A4%96%E6%9D%A5&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7SUNA_jaJP310&gws_rd=ssl
**「子供のネット依存、治療に当たる久里浜医療センター院長が「生易しい問題ではない」と警告」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130729/1051122/?rt=nocnt
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