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#5206 ようやく八分咲き Apr. 7, 2024 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 まだかまだかと待っていた桜の開花、ようやく八分咲きになりました。午後2時の気温は21.8度、昨日よりも5度高いのです。
 古里、極東の桜が咲くのは五月下旬ですから、そのころには同じくらいの温かさになります。

 
 桜の木の下で、お弁当を広げている家族。広場で十数人でドッジボールに興じる子どもたち、ちょっと賑やかでした。

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 昨日は心拍数が180にアップし、「このまま逝くかもしれないな、死因は心不全ということになりそう」、救急車は間に合わないので、横になり安静にしていたら10分間でおさまりました。女房殿少し焦っていました。心拍数が200を超えたら10分間はもたないかもしれません。予行演習しているようなもので安らかに逝けそうです。
 消化器内科医の主治医と循環器内科医のドクターに心房細動という診断名をつけてもらったので、今週、心臓超音波検査の予約をしてあります。
 きりがないけど、5年生きられたらうれしい。人のために少しやることがあります。

 桜の季節ですから、西行法師の気持ちがよくわかります。
 散り始めた満開の桜とあたたかい春風の中で
 「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」


 思い出しました。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発をいう珍しい症例で手術をした2006年7月20日、その翌年の千島桜と、金刀比羅神社のお祭りは、見納めかもしれないと思って見てました。あれから18年が過ぎようとしています。天に感謝です。

*#4546 日本最東端の駅「東根室駅」の桜が満開です  May 20, 2021


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#5172 今日のランチはカレーうどん+手造りマーマレード Feb. 25、2024 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 女房殿が、生活クラブで取り寄せたミカン6個でマーマレードを作ってくれた。手造りし始めてからもう30年くらいになるかな。いろんなレシピを試して遊んでいるようだ。今回は中身の方も使ってステンレス鍋に入れて火にかけていた。
 カレーもつくっていたが、細めの冷凍「稲庭風うどん」を湯煎して、カレーうどんが今日のランチだった。
 せっかくだから、小皿にマーマレードを乗せて、辛さを緩和しながらいただいた。
 なかなかいい組み合わせで、美味しくいただきました。

 イチゴのプリザーブもあいかわらず手造りしてます。
 杏子(アプリコット)ジャムはこの数年でずいぶん価格が高騰したので、造らなくなりましたね。750mLのガラス瓶が5~6本並ぶと、しばらく楽しめるんですが...
 プラムは余市産が安かったので、極東の町にいたときにはよくジャムにしてました。ヨーグルトにトッピングしたり、トーストに載せていただいてました。こちらでは余市産のものはみませんね。あまり量がないのかもしれません。

 わたしはヨーグルトメーカーでヨーグルトを手作りしていますが、それにマーマレードをトッピングして、朝食前に食べました。血糖スパイクを避けるためです。ヨーグルトを食べてから小一時間ほどたってから朝食を摂ります。
 以前に何度か、朝食後30~60分ぐらいで血糖スパイクを起こしたことがあるので、用心しています。動悸が200/分近くまで上がってしまうと、心臓が持たないかな、なんて危ないゾーンへ突入しますが、救急車を呼んでもおそらく間に合わない、予防が一番です。3~4度くらい経験してます。

<余談:ワカサギの天麩羅>
 女房殿がスーパーで北海道産のワカサギを見つけて買ってきました。1パック350円って言ってかな。2パック。頭をとって天麩羅にしてくれました。手間をかけてそれはそれで美味しいのですが、翌日の朝に残りをトースターで炙ってカリカリにすると、これがまた絶品なのです。
 古里のワカサギの味、なつかしかった。
 もっと小ぶりなのもあったので、佃につくってみようかな、なんて言ってました。楽しみです。
 FB仲間で漁師の女将さんが、大きな鍋にワカサギをたくさん入れて薪ストーブに載せていました。あれは火の通りが違うので、うまいだろうな。15㎝くらいのワカサギがびっしり詰まってましたが、骨までやわらかくなるでしょう。湾中のほうの漁師の女将さんだったかな。
 落石の漁師の女将さんは薪の燃えている見事な写真をアップしてました。炎の揺らめきと色に美と神秘さを感じました。とってもいい写真でした。



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#5157 極東の町のコマイ:取り扱いは「生活クラブ」Feb. 2, 2024 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

今朝(2/6)コマイの一夜干しを食べました。

根室市本町にある北海道漁連の加工場で作られたものです。「生活クラブ」でときどきカタログに載ります。
ありがたい。
小学生の時は、本町の岸壁で、チカとコマイを、毎回200匹ほども釣ってましたね。いえ、腕は悪いんですが、とにかく魚影が濃くて、釣り針を3つ付けて「三天秤」で釣ってました。釣り針が底に着く前に魚が餌に食いつくなんて状態でした。

チカが数百匹の群れで回遊してくるのは釣れないのです。見向きもしないで群れがぐるぐる回るだけでした。

朝からは飲まないですが、コマイで北の勝を飲むのはとてもおいしい。地酒には地魚がとっても合うのです。
最東端の酒蔵である碓氷商店「北の勝」の元番頭さんは高校の同級生。酒談義もたくさんしました、長い、なが~い付き合いです。
「大海」「鳳凰」「純米吟醸」「搾りたて」「大吟醸酒」
「酒泉館」で北の勝が手に入ります。
「根室市酒泉館」をキーにしてググってみてください。


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#5141 ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート Jan. 6, 2024 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 ようやく正月気分に浸れました。
 ウィーンフィルによるニューイヤーコンサートが1/6午後2時からEテレで放送されました。今年の指揮はティーレマンです。この人初めて見ました。
 ラスマイの「美しき青きドナウ」とラスト曲の「ラデツキー行進曲」を聞いて元気をもらいました。
 Hpappy New Year!

  このコンサートを見始めたのはもう30年くらい前になるのかな。しばらく親子3人で見てましたね。
 そのころからNHK紅白を見なくなっています。
 今年の紅白は寺尾聡の「ルビーの指輪」が採り上げられたそうですね。彼の歌は味があるので聴きたかった気がします。
 なぜ紅白を見なくなったのかと思い出してみると、学芸会に毛の生えたようなレベルの歌が増えたからという気がします。3時間も続けて見ていられなくなりました。
 その一方で「落語theムービー」のような職人芸の番組が愉しくて、欠かさず見るようになりましたね。

 若い人たちの中から、一時代を築くような音楽家がぽつりぽつりと出てくるはずです、期待しています。

 元旦の能登半島地震で被災地は今日も死者の確認が増えて、126人を数えています。瓦礫の下になっている人たちがまだまだいるようです。早く出してあげたいですね。



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#5112 同期の桜・ムサシの訃報 Nov. 12, 2023 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 高校同期のヒロコから昨日電話が入っていたので、電話してみた。昨日、根室会があり、そこでムサシが11/3に亡くなったと聞いて連絡してくれたのだ。
 同じクラス3Gの3人、ヒロシとムサシとトシ(ebisu)が東京へ出てきた。根室高校最後の総番長のヒロシとは一緒に上京したから、同じ飛行機便で東京へ降り立った。全日空のスカイメイト、料金は半額6800円だった。1967年当時は中標津空港がない。ムサシは拓大へ進学した。ムサシも総番グループ、三人の副番長のうちの一人だったが、ボンボンで気の優しい奴だった。
 東京へ出てきて、わたしは新宿や池袋の盛り場を遊びまわっていた。夏になるとムサシから一通の葉書が来た。ホームシックにかかって寂しいので会おうと。そういうやつだった。
 二人でヒロシの高円寺のアパートに泊まって酒を飲んだ。数回そんなことがあった。
 二十数年前だったかな、一度、有楽町で偶然にすれ違った。声をかけたら照れくさそうだった。奥さんを亡くしてから数年たっており、女性と一緒でほほえましかった。

 ヒロコはクラスは違うが仲の良い友人の一人である。生徒会で一緒だった。ヒロコは初台の「男子禁制」のアパートに住んでいた。なぜかそこは根室人が数人まとまっていた。新宿駅から歩いても20分ほどの距離だったから、新宿で遊んだついでに何度か行ったことがあった。鍵をかけていないので、本でも読んで暇をつぶして1時間も待っても戻らないとあきらめて新宿へ戻る。男女の気遣いをしなくていい気さくな友人である。
 同じアパートにヒロシも来ていたことを、30年もたってから知った。彼の奥さんになる人が同じアパートにいたのである。だから、時々行っていたとヒロシ。大笑いした。ヒロシは歌舞伎役者のよう顔立ちで野球部、ずいぶんもてていたが、晩熟(おくて)だった。

 根室会に来ていないので、連絡が行っていないのではと気遣ってヒロコが電話してくれた。ヒロコの亭主も数年前に亡くなっている。団塊世代はそういう時期に入ったということだ。来年、東京の同期会を開く予定なので、決まれば連絡をくれるそうだ。ありがたい。行けるかどうかはそのときの体調次第だ。

 まだしばらく東京の空気を吸っているつもりだが、元気そうに見えても、突然体調を崩すということがある。会いたい人には、機会を逃さずいまのうちに会っておいたほうがいいのだろう。
 高校時代の友人は付き合いの長いのが多い。会うと不思議とあの時代のこころに戻れるから不思議だ。

 1月にヒロシが亡くなって、ムサシが逝った。向こうは賑やかそうだ。何年かしたら、また三人で楽しい酒が飲めるかもしれない。
 ムサシの冥福を祈る。

<余談:3回英語授業を潰した>
 1年生の時の沢井先生は中高6年間で最高でした。音読は低音ですばらしい。説明も理論的でした。文型中心の授業をしてくれました。北大卒の先生で、根室高校の後は釧路国立高専の教授になったそうです。高2と3年次はH先生に変わりました。やる気のない手抜きの授業になぜか無性に腹が立ちました。
 あるとき、授業中に席を立って廊下へ出ていき、体育館へいって体育の授業で使っていないことを確かめ、バスケットボールをもって教室に戻り、「体育館空いている、バスケットしようぜ」と声を掛けると、バスケット部のムサシと総番長のヒロシが「おう!」とひと声、ムサシはニコニコしてついてきます。
 3回目には、H先生が校長からお咎めがあったようで、気の毒で3度だけにしました。
「授業中に体育館で遊ばせている先生がいる」
 職員会議でそう叱責があったようで、他の先生から聞きました。担任の冨岡先生だったかな。私がやったことは当然ご存じですが、お咎めなし。理由なくそんなことをする生徒ではないとよくわかってくれていました。

 2年次の化学の先生もいい加減な授業でした。2度質問をしましたが答えられず、あきれて自分で勉強することに決めました。わたしたちが卒業してから別海町へ転任し、あまり授業がずさんだったために首になったといううわさを聞きましたが、公務員ですから首にはなってないでしょう。そういう噂がたつほどの先生だったということ。この先生のときには授業妨害してません。教える能力のない先生もいていいと思っていましたから。でも、やる気のないのは許せませんでした。
 いい先生もいました。授業がうまかったのは簿記の白方功先生(北見北斗高校出身、バッキーシラカタの愛称で呼ばれていました)、政治経済の柏原栄先生、英語の沢井先生、生徒に慕われたのは担任に冨岡良夫先生とバスケットボール部顧問の野沢先生。担任は「ドンタ」野沢先生は「ショッちゃん」の愛称で呼ばれていました。
 新任で二年間だけの付き合いで授業を持ってもらったことはありませんでしたが、ラグビー部を創設時に顧問を引き受けてくれた明大ラグビー部出身の村田先生、お願いしたので部員集めと1年後の部への昇格はわたしの方で手配しました。発足1年間は「同好会」という規定が規約にありました。同好会の部への昇格は、活動実績を見て生徒会の判断でできたので、お約束できました。指導がいいからすぐに強豪校のひとつになりました。予算の配分は、当時は生徒会会計が部長と副部長を生徒会室に読んで単独で決めていたので自由にやれました。予算は生徒会会計の専権事項でしたから、権限が大きかった。もちろん公平性には意を砕きました。
 予算と帳簿の記帳と決算業務が生徒会会計の仕事でしたから、毎年仕事のできる生徒を選んでいました。指名権は生徒会会計にありましたから、先輩の指名があれば否やなナシでした。拒否権ないのです。生徒会選挙の時に、先輩の副会長が2名、次期生徒会長に立候補しろとこれも「命令」でしたから、その旨生徒会顧問へ告げると、校長が反対、表向きは「生徒会会計をしているので、立候補はダメ」、でもそんな規程はありませんから無視してよかったのですが、生徒会顧問が困った顔をされたので、同じクラスだったH勢に副会長への立候補を依頼、副会長の先輩二人に事情を告げて、H勢の応援演説をお願いしました。お二人とも快諾してくれました。副会長の先輩二人がなぜわたしを会長候補に推したのかは理由がありました。1年の終わりころ会計に指名されて、まもなく、丸刈り坊主頭の校則改正を副会長と会計の先輩に相談したら、「おまえがやれ」と言われて、11月の修学旅行に間に合うようにスケジュールを引いて、作戦を練り、2年生になったばかりの四月に保護者へ丸刈り校則の改正を目的としたアンケートを実施しました。髪型は基本的人権の一部だと誘導するようになっていましたので、保護者の方はOKです。校長が弱いのはPTAですから、PTAを味方につけたら、勝負は勝ったようなものでした。あとは集計結果をまとめて、校則改正の規約に則って全校生徒集会を開催して賛否を問いました。それで校則改正ができたのです。修学旅行の3か月前でした。髪を伸ばして東京都・大阪・奈良、11泊12日の修学旅行を楽しみました。その経緯を見ていた副会長二人が、「会長に立候補しろ、応援演説は俺たち二人がやる」そう言ってくれたのです。そして校長の反対。
  そういうわけで会長は中学の時、隣のクラスにいたオサムが立候補となりました。あいつは、一人褌を締め、たんたんと「鉄砲」をしていました。たった一人の相撲部、でも性格が温厚な大柄な男でした。
 オサムは漁師の親方の次男坊、あるとき(1967年)16段変速のサイクリング車に乗ってきました。生徒会室の窓の外に置いてました。ピカピカの新車で。
「オサム、自転車ちょっと貸せ、前の道路を走ってみたい」
「いいよ」
と二つ返事でした。貸したくなかったと思います。(笑)
 アナログのスピードメーターがついていました。
 根室高校前からセブンイレブン方向は緩い下りです。そこを全速力で走ってみました。ダンプカーが前にいました。スピードメーターに目を落としたら、あと少しで時速70㎞です。その瞬間に赤い光が目に入りました。ブレーキランプでした。T字路ですからダンプはブレーキをかけて右に曲がります。あ、と思った瞬間におもいきり右側に自転車を倒して、センターラインを越えて反対車線に出ていました。ブレーキをかけたらタイヤの細いロードバイクですから、タイヤがロックしたまま滑ってそのままではダンプの車体の下に入り込んで、命はありません。どーどバイク用のヘルメットをかぶっていてもアウトだったでしょう。そんなものはあの時代にありません、たまたま対向車線には車がいませんでした。生きるか死ぬかの一瞬の判断、後からドキドキです。あの瞬間は「生きてる!」って実感がわいたのです。危ないことほどドキドキワクワクなのです。流氷に乗って遊ぶのと一緒でした。
 オサムが買ってもらったばかりの新車のサイクリング車をあやうくお釈迦にするところでした。あいつ、大事にしているのわかっていましたからね。強引に「貸せ!」って言いました。あの時に死ななくてよかった。優しい奴だから、オサムのこころに傷がついたでしょう。
 ムサシは牧場主の長男、どちらもボンボンで人柄のいい仲間でした。

<余談-2:根室高校総番制度>
 根室高校の総番制度がいつから始まったのかはわかりません。戦前の根室商業高校時代からだろうと思います。5年先輩のSMさんも総番長でした。野球部のキャプテンでもありました。親戚のお兄さんですから、高校1年の時に半年だったか、1年間だったか、事情があって一緒に暮らしていた期間があったので、総番制度について知るところとなりました。ヤクザともめごとがあれば、学校を代表して総番長が話をつけるルールになっていました。なにせ、気の荒い「ヤンシュウ」の多い漁業町ですから、トラブルはあったのです。
 ヤクザともめごとがあったときには、向こうの流儀で「挨拶」をします。「仁義を切る」というアレです。やくざ映画で見たことあるでしょう。SMさん、やって見せてくれました。仁義の台詞が総番長に代々伝わっていました。右手を前に出して、左手を後ろに回して腰を落とし、「お控えなすって、さっそくお控えなすって下さって、ありがとうござんす。手前生国発しますところ...」とやるわけです。見事な仁義でした。そのときに仁義の台詞を書いた小く折りたたんだ紙をもらいました。机の中に入れたまま数十年がたち机もなくなってしまいました。残しておきたい資料でした。
 あの紙をわたしに渡したということは、総番長の後継者には渡していないということ。ヒロシに確認してみましたが、あいつはそういう引継ぎはなかったと言いました。ヒロシもSMさんと同じ野球部でした。二人に面識はありません。普通科ができても、総番長は商業科から出すのが不文律でした。仁義の台詞はSMさんが時代にそぐわないので、後継の総番長に引き継がなかったのでしょう。根室高校生がヤクザともめごとを起こすなんてことはとっくにありませんでした。親分のTさんも、わたしを少し危ない奴と見ていたようで、「姉さん、息子に何かあったら言ってくれ」そう言っていたと、2002年11月に根室に戻ってきてから、当時を思い出して笑って教えてくれました。
 総番長も5代前のSMさんまでは、責任重大だったわけです。ヤクザともめごとがあったら、それを収めるのは、校長でも生徒会の会長でもなく、総番長の役割と責任でした。半端な覚悟ではやれません。いざとなったときに逃げるようでは総番長にはなれません。根室高校の前身の根室商業はそういうバンカラな学校だったのです。
 短歌をよく詠んだ歯科医のT塚先生は、大正6年のお生まれだったかな、根室商業時代に、線路上で両手を広げて蒸気機関車を止めています。どのあたりだったのか、たぶん花咲港へ行った帰りのことではないかと思います。「乗せてくれ」と一言。国鉄の機関手は停車して乗せた、なんて逸話が残っています。根室商業の学生はそんなことをしても大目に見られた時代がありました。いま根室高校の生徒がそんなことをしたら、即逮捕でしょう。

 ところで、T塚先生は軍医で中国の華北で終戦を迎えています。そのときのことを短歌で残しています。弊ブログでも書きました。ああ、検索のために実名を記しておきましょう。田塚源太郎先生です。オシャレで品のよい方でした。ビリヤードの常連客の一人です。先生のために帽子掛けスタンドが置かれていました。いつもソフトハットをかぶって来られました。落下傘部隊のオヤジとは気が合っていました。オヤジは「軍医殿」という態度で接していました。いやいや、一度も「軍医殿」なんて呼ぶことはありませんでしたね、そういう接し方をしていたということですよ。二女のケイコさんが、小中高と同じクラスでした。
 田塚先生は根室印刷の創業者で考古学者・文学博士の北構保男先生と根室商業の同期です。親友だと言ってました。田塚先生が亡くなってから、残された短歌を(田塚先生の)奥さんや娘さんと編集して遺稿集がつくられています。わたしも1冊もっています。田塚先生は国後島の蟹漁の親方が実家、お父さんが早くに亡くなられたようで、お母さんが漁場と漁を仕切っていたそうです。発掘で何度か訪れたことがあるので、北構先生は「大漁師」と形容していました。人を何人か使って、カニ漁は値が張るので、金額が大きいのです。いま、あんな大きなタラバ蟹がとれたら、漁獲高は軽く1億円を超えるでしょう。国後島沖にはそれくらい密に蟹が生息していました。根室商業には5月になってから入学してきたと北構先生がいってました、ずいぶん気があったようです。

 話が転々として申し訳ありません。身近に接して知ったことを書き残しておかないとという思いがどうしても起きます。
 


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#5090 運転免許証の返納と「運転経歴証明書」交付について Oct. 21,2023 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 運転免許証の更新の通知が来た。昨年11月に首都圏へ引っ越した時に車は処分したので、免許証の更新はしないつもりだ。

 1年間、車のないバス利用の生活をして、日常生活に支障がないことは確認できた。
 身分証明がなくなるのは困ると思っていたが、所轄の警察署で「運転経歴証明書」の交付が受けられることが分かった。運転免許証とそっくりのデザインだから違和感がない。運転経歴証明書の方は更新がないので生涯保持し続けられます。
 3月で免許証の更新期限が来るので、それまでに手続きをしようと思う。



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#5080 ウィルスで画面フリーズ Oct. 9, 2023 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 FBで何かをクリックしたら、突然画面に警告が出てフリーズしました。
 ディスクへアクセスしていないことをランプで確認して、電源スイッチを切りました。ノートパソコンなので緑色の小さなLED電源ランプは点いたままです。
 以前、同様のことが起きたときにはこれで、再起動したらOKでしたが、今回はダメでした。
 この画面表示プログラムはRAMに入っているのだろうから、電源をシャットダウンすれば消えるはずですから、バッテリーを外してみました。すると、緑色のLEDランプが消えましたので、バッテリーを再装着して起動したら、OKでした。

 「警告画面」が出たら、ハードディスクはアクサスしていないことを確認して電源を落としてから、バッテリーを外して、緑色のLED電源ランプが消えてから、もう一度バッテリーを装着してみましょう。「警告画面」のプログラムが消滅するので障害はなくなります。くれぐれも表示されているサイトへのアクセスや、指定された電話番号へ電話しないように。


<正しい対処法>10/9 午後4時追記
 ハンドルネームaieseiさんから、こうしたトラブルの正しい対処法が投稿欄へポスティングされました。こちらを参考にして対処してください。とくに、企業や病院内のパソコンでこういう症状が出たときは、「電源落とし」による対処は厳禁です。電源落としたら、システム管理者がきっと悲鳴をあげます。

  セキュリティソフトを入れていなかったり、重要ファイルについては毎月バックアップをとっていないなんて言うのは論外です。わたしはそのあたりはちゃんとやっています。メールについては受発信の両方にメインのセキュリティソフトとは別のプロバイダーの有料セキュリティソフトで全件チェックしています。


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#4964 大谷翔平人気爆上がりはなぜか? May 1, 2023 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 先ほど玉川さんの出ているテレビ番組「羽鳥モーニングショー」で、大谷翔平の4月の投打の成績を前年同月と比べていた。すべての項目で今年が上である。バットを1インチ長くしながら、打率がアップしているし、ホームラン数も8本と昨年よりも1本多い。奪三振も昨年30に対して46など進化が目覚ましい。
 WBCの優勝前には、「理想の新人」でNo.1だったが、「今日だけは(米国野球に)憧れるのをやめましょう」と言ってWBC優勝した後のアンケートでは「理想の上司No.1」に輝いている。

 さて、わたしたちは大谷翔平の何に感動しているのだろう?
 エンジェルスと言えば、企業にたとえると業績不振の会社である。大谷が奪三振の山を積み上げても、味方の打線が不発のときには負け投手となる。
 昨年四月は4勝、今年は7勝しているのは、そういう業績不振の企業の中での成果である。自分が頑張っても打線が降るわねければ負け、勝利投手になれない。それでも腐らず、にこにこしながら野球を楽しみ、奪三振の山をまた積み始める。倦まず弛まず努力する、その姿勢に感動しているのではないか?

 非正規雇用が4割の世の中、業績不振の中小企業で働いている人は多い。どうにもならぬ現状に這い出す努力もあきらめきってしまっている人たちがいる。多くの人たちが、自分にはない光り輝く才能とひたすら努力し続けることの美しさを彼の活躍の中に見ているのではないだろうか。

 西海岸ではドジャース、東海岸ではヤンキースが業績の良い企業で、そこに移籍すれば大谷翔平の投手としての勝利数は20勝を軽くオーバーし、全米No.1に輝くだろう。
 でも、弱小エンジェルスというより困難な状況の中で成績をアップし、チームを最強のチームに成長させ、優勝に導く翔平を観たいというのがファンの本音ではないだろうか?

 夢が持てない時代へ突入して三十数年がたち、たくさんの人が、漫画の主人公のような活躍を翔平に託しているような気がしてならない。
 WBCの最後は大谷翔平とトラウトの一騎打ちだった。あれは漫画のワンシーン以上だ。翔平はトラウトを三振に打ち取って、WBC優勝を決めた。偶然というのは空恐ろしい。あんな「臭いシナリオ」を漫画家が書くことは絶対になさそうだが、現実になった。

<余談:野球漫画>
 団塊世代のわたしが読んだ野球漫画は、『巨人の星』『ドカベン』『タッチ』『メジャー』の四つである。大谷翔平は『メジャー』の主人公・茂野吾郎をほうふつとさせるところがある。
 
野球マンガ


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#4871 天体ショー:皆既月食 Nov. 8, 2022 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 午後6時9分から月食が始まった。女房殿と少し前から5分おきぐらいに双眼鏡で観測。
 明るい月に左下に陰りがでる。双眼鏡を3つ出して、それぞれ見比べてみた。12倍のものと8倍の2種類。対物レンズの口径は一番大きい12倍のものが50mm、二番目のものが35mm、一番小さのは28mmのようだ。
 天王星が皆既月食中の月の裏側を通り抜けた。前回この現象が起きたのは織田信長の時代。
 8時45分頃には右上が輝きだした。

 二人並んで、天体ショーを眺めるなんて初めてかも知れない。
 月は東京で見たって同じ月だが、古里の空に陰っていく月を見るのは格別の味わいがある。
 いい夜だった。

 一番左の双眼鏡は12x50、87m/1000m、CONDOR社製品。後の二つはニコン製品です。
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 一番左の双眼鏡、必要な方がいらっしゃったら差し上げます。引っ越し作業中でいろんなものを処分して、荷物を減らしています。どうぞいらしてください。


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#4737 ピアニスト岩井のぞみ:NHK朝のラジオ放送より April 10, 2022 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 今日(4/10日曜日)NHK朝のラジオ番組を聞いていたら、7時半から岩井のぞみさんが出演していた。左目が極端な弱視で小さい時に積み木の奪い合いで、右目に当たって右目を失明、その後ピアノを習ったという。楽譜は拡大しないと読めないので、そうやって弱視の左目で覚えた。その左目も次第に見えなくなり全盲に。
 視力がない代わりに、聴覚が発達する、人が気づかぬような音までよく聞こえるのだそうだ。

 シューマンのトロイメライを弾いてくれた。わたしはピアノが弾けないし、ピアノのことはちっともわからないが、この人の演奏は、一音一音が粒だって響いてくる。別々の音が美しく響いてきて、それがメロディを紡いでゆく様は、その場で音からメロディを創り上げていくような感覚がして、他の演奏家とは違った音の世界へ誘ってくれる。女性でなければあんな音の紡ぎ方はできないだろうし、女性のピアニストでもこんなに美しい音を響かせてくれる演奏を聴くのははじめて、マルタ・アルゲリッチも内田光子もフジコ・ヘミングも力強いのである。

 作詞作曲もやっており、「あさぼらけ」という曲が流れた。歌はそれほど上手には聞こえないが、詞が美しい。大切な人が亡くなったときに空がピンク色に見え、それをそのまま詩と曲にしたと語っていた。そのときの彼女のこころの在り様がそのまま素直に入ってきます。
 こころの情景が見えるようで、こちらの心が共振していました。放送されなかったが「ケセラセラ」という曲はつらい時に元気の出る曲のようです。

 さて、話し方や声の調子から小柄で華奢な女性を想像していました。ネットで検索して演奏会の写真を見たら、想像とはすこし違っていました。一つ一つの音がきらめきあって語りだすとっても個性的な演奏ですので、ぜひお聴きになってください。

 ホームページとブログのURLを貼り付けておきます。

*岩井のぞみホームページ
**岩井のぞみオフィシャルブログ

<ピアノを習っている生徒たち>
 塾へ来ている生徒たちの2-3割ぐらいがピアノを習っています。わたしの年代では、根室でピアノを習ったことのある子どもはほとんどいなかったのではないかと思います。バイオリン教室はありました。指導する先生がいました。いま根室市内にピアノ教室は5か所くらいはあるのではないでしょうか。
 昨年卒業した生徒ではK川君とU崎さんの二人ですが、K川君の演奏がすばらしいとは友人たちの評です。大学を卒業してもう5年ほどたちますがS田さんという生徒がいました。小樽商大に進学して、入部早々指揮者に指名されて、活躍してました。彼女のピアノ演奏を聞いた同期の生徒の一人が「鳥肌が立った」と言ってました。
 今年札幌光星高校マリスコースへ進学した生徒もピアノを習っていました。ブラスバンド部ではバリトンサックス担当でしたね。彼は受験が忙しくなり、半年以上前にピアノをやめて受験勉強に専念してました。どうやらピアノよりもバリトンサックスの方が好きなようです。いろんな楽器をやってみて自分にあった楽器を見つけられる、いい時代ですね。彼の同期のN村さんがいまもピアノを習っているので、時々ピアノの話題が出ます。「先生、ショパンのエチュードは何が好きですか?」と聞かれ、「ショパンのエチュードっていくつもあるの?」なんて頓珍漢でしたね。あとから調べました、27作品もある、難易度はさまざまです。e-tudeはフランス語で「練習曲」という意味なのです。どの曲を練習しているかで、腕のほどがわかるのでしょう。
 中3の生徒の一人、T中さんも習っています。
 補習の必要のある場合に、習い事等で都合の悪い曜日と時間を聞くことがあります。だから全員を知っているわけではないので、他にもいるかもしれません。好きなら、音楽や絵画や書道などの習い事、柔道や剣道、サッカーや野球、バスケットボール、バレーボールなどなど部活動も積極的にしたらいい。そのうちに一生続けられるものが出てきます。どんなものでも30年続けたら、一人前です。毎日練習すると30年間で日数にすると1万日を越えますから、それぐらいかかるということ。いろいろ試してみてから一生付き合うものを決めていいのです。わたしにとってはビリヤードと経済学です。


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