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54. イメージ化能力と学力について ブログトップ

#3660 PC 出張設置サービス Dec. 14, 2017 [54. イメージ化能力と学力について]

 注文していたノートPCが先週木曜日(12/7)に届いた。出張設置サービスを待ちきれずに、翌日接続して使い始めたが、ルータの交換とメーラーのOUTLOOKの設定が面倒そうなので手を付けずにおいた。昨日(12/13)、釧路から出張設置サービスのMさんが見え、2時間ほどかけて作業をしてくれた。

 2月にフィリーズしたXPからメーラーのアドレス帳をwindows10のアウトルックへ移したくて、手順を聞いたら、スマホで検索して手順概要を教えてくれた。Mさんが帰ってからやってみたら、export⇒import機能を使って簡単に移行できた。ついでにE藤さんのメールが詰まったフォルダーが同じ機能で移せないかやってみたら、これもうまくいった。ただ、受け渡しに「カンマ付きCSVファイル」を使ったので、無用の改行が1行ごとに入っている。これはCSVファイルの欠点だ。1990年ころ、IBMのデータベースマシン(AS400)から、CSV形式でデータのexportをして、財務会計システムへ取り込んだりしていた。92年ころにはEXCELへの取り込みもできるようになった。CSV形式とは、カンマ区切りのテキストファイルである。
 あとで別形式でのXPからWindows10への export⇒importを試してみる。釧路の教育を考える会のzapperさんからのメールも量が多いので移そうと思う。それから、ドクター2名のフォルダーも量が多いし、読み返しても役に立つので移そうと思う。この際だから、蓄積されたメールを一度整理しよう、ずいぶんたまってしまった。


 新しいノートパソコンは画面が高精度で文字の輪郭線が細く、小さい字でいままでの2倍量表示しても読めるので、各ソフトのメニューバーにはたくさんの項目と文字が躍っている。機能の確認は一通りしてみたが、帯に短したすきに長しというものも中にはあるが、XPよりもwindows8.1よりもずっとパワフルである。

 WORDには日本語文章校正機能だけでなく、英語も、設定すればドイツ語だってなんだってやれる。これは勉強熱心な学生にはとっても便利な機能だ。

 このパソコンはSSDが256G byte、HDが1T byteあり、普段はSSDのみで動いているので音がしない、静かでいい。XPは32ビットマシンだったが、Windows10は64ビットマシンなので、XPで使えたプリンタドライバがWindows10では使えない。プリンター・メーカのCANONもWindows10用のドライバーを作らない。もっているのはLASER SHOT LBP 1510という機種で堅牢な製品である。買ってから15年たったが、昨年トナーを取り換えたのであと5年は使えるが、プリンタドライバーがなければアウトだ。プリントが必要な時は、USBメモリーに落として、XP搭載の古いPCとプリンターをつなぐ。そのうち、プリンターも買い替えだ。インクジェットがいいのかレーザー・プリンターがいいのか、製品がありすぎる。そして壊れていないのに捨てるのはなんだかかわいそう。

 ルーターを BUFFALO Air Station 11ac デュアルバンドのものに交換した。5GHzと2.4GHzの二つのバンドの電波を出している。Windows8.1搭載のパソコンとは2.4GHzで接続し、Windows10搭載のパソコンとは5GHzで接続している。くるくる回るマークが出て待つようなことがなく軽快だ。

 Windows10には関係ないが、グラフ描画ソフトGRAPESをまた使い始めた。高校生が数学の勉強をするのに便利なツールだから、個別指導だから授業でこれを使って解説したほうが分かりやすい問題はどんどん使うことにした。火曜日に中3の生徒が数1の2次関数の定義域 a≦x≦a+1 で最大値・最小値を求める問題をやっていたが、描画ソフトで区間移動をして見せたら、移動イメージがそのまま脳に刻み込まれるから、慣れると脳内に2次関数を描いて区間移動ができるようになるので、トレーニングツールとしてとりあげる。
 何がどのように便利か、実例を挙げて別稿でレポートしてみたい。GRAPESはフリーソフトであるから、パソコンさえあればだれでも利用できる。ほかにもスマホで動くフリーソフトが何種類も出ている。


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#3655 マインドセット(心)の問題 Dec. 5,2017 [54. イメージ化能力と学力について]

<更新情報>
12/6 午後1時 追記
       午後5時40分追記: ビリヤードへの熱中と自我消失の技


  プレッシャーがかかると実力を出し切れないというのは、誰にでもありがちなことで、どのような状態でも実力を出し切れるという強靭な精神の持ち主はむしろ例外に属する。これからとりあげるケース・スタディが、プレッシャーに弱いところのあるふつうの中高生たちの参考になれば幸いである。

  名前を仮にπ(パイ(pi:円周率))君とする。π君は中学校へ入学してすぐの学力テスト(通称「お迎えテスト」)で学年トップ、2番との差が四科目合計点で1点差、次の定期テストから英語が加わって五科目、合計点で2位との差が2点。π君は2回目のテスト直後に一過性の不整脈があり体調を崩した。僅差が連続したので次は負けるかもしれないと心に強いプレッシャーがかかったのだろう、なかなか負けん気が強いところがある。点差を広げるために国語は1年ほど前から音読トレーニングをしていたから、社会科に手を打つ必要があった。2-3の指示を出しただけで、その後は順調に苦手の国語と社会を得意科目に変えどちらも学年トップをとるようになったから、2位との点差が急速に開きテスト直後に体調を崩すことがなくなった。しかし、点差が開いて体調が崩れるという現象があらわれなくなっただけで、点差が接近したときに同じ問題が出てくる可能性があるから、問題をこのままにしておけない、そう考えて対策を探していた。

  プレッシャーに弱いというのはふつうのことだが、これが一生に一度の大学入試で出てしまったら、どんなに難問題集を解いて準備しても、試験当日に力を出し切ることはむずかしいから、目指す大学が難関大学医学部なら合格がかなり怪しくなる。

  さて、どうしたらよいかと2年間様子を観察してきた、ebisuの気の長さがわかるだろう。(笑)
  500点満点なら2位との差が60点にに拡大したのでプレッシャーは自然に消え失せた。3年生になって300点満点の学力テストでも2位との差は60点以上あるから、ダントツの学年トップ。
  治ったかどうかそろそろ試してみようと、違う学校の学年トップ生徒の点数を教えて、競わせた。案の定、気負いすぎてガタガタになった。体調を大きく崩しただけでなく、五科目300点満点でいつもより30点近くも点数を下げてしまった、得意のはずの数学がとくにひどかった。本人に自己分析を訊いてみた。「高校・数Ⅰをやっているので、中3の試験範囲がおろそかになっていた」と分析、なるほどそう思っていたのか。1年前にやったときに、良問や一発で解けなかった難問は印をつけさせてあったのだが、フォローが不十分だったと本人の弁。「あの時はできた問題がいまできないものがある、とくに2次関数と相似の章をもう一度やり直したい」と言うので、高校数学のセンターレベルの問題集を一時棚上げすることにした。3週間そういう状態が続いていたが、模試が終わった日に数1の問題集を開いて二次関数の最後のほうの応用問題と格闘していた。数Ⅰに戻れという指示はしていないが、自分で判断して復帰した、それでいいのである。指示は少ないほうがよい、指示の多い指導は生徒から自主性を奪うことがある

 π君の数学の受験戦略を大雑把に説明すると、高校2年の夏までに数Ⅲを終了して、秋から難問題集に着手するつもりだったが、こういうことが繰り返されるとスケジュールを先延ばしせざるを得ないことになるかもしれない。リスクは小さくない。どのようにリカバリーするかは指導する側が臨機応変に考えればいいことだから、数Ⅰと高校英語の一時棚上げを許可した。
  高校受験で有名私立中学用の難問題集をやらせたくなかった。数学の学力テストは60点満点で57-60点(満点)がとれるようになるが、半年ぐらい時間を取られる、受験戦略上ここでそんなに時間を取られたら、大学受験に致命傷になりかねない。開成や慶応、早稲田高等学院などの過去問をやらせたらおそらく6割台しか得点できないだろうが、いまはそれでいい。難問題集へのチャレンジは大学受験勉強でやると決めていた。
  学年トップを続けることにこだわると、高校2年の秋以降にやるはずの難問題集のトレーニング期間が短くなる、そうなれば、つい最近起きたことが大学入試の時点で再発しかねない。大学受験用の難問題集を十分にやれなかったというプレッシャーが潜在意識に書きこまれる。大学入試に照準を合わせたら、中学の順位も得点も捨てていいのである。だが、捨てられない、そこが心の弱さだ。首都圏で教えた三年間は、学校の成績を気にしない生徒が多かった。問題を多方面から眺めより深く考えることと偏差値をアップすることを目標にしていた、それで生徒たちは納得していた。受験戦略は足元ばかりを見ていたら、元も子もなくすことがある。

  3週間心置きなく、2次関数と相似の章の複合問題を消化した件(くだん)の生徒、結果は如何に?しっかり手ごたえがあった。五科目合計目標点に2点足りなかっただけ。五科目合計300点満点の学力テストで、2位との差が60点もあるから、トップがとれないなんてことはありえない話だ。全科目トップの味を何度も味わったから、ただのトップでは気がすまなくなっている。人間の欲望はとどまるところを知らないが、勉学に関してはそういう貪欲さも必要な場合がある。過ぎると副作用が出るのはほかの物事と一緒である。
  12/1にC中学校3年生のみ模試があったが、落ち着いてやれたと報告があった、晴れやかな顔つきだった。十分な準備があったから、心に余裕が生まれたのだろう。そこで訊いてみた。

T:「感じが違っただろう?」
S:「ぜんぜん焦らなかったから、落ち着いてやれました」
T:「そのときの感触が残っているだろう?」
S:「いつもと違ってましたから、覚えています」
T:「つぎの試験のときに目をつぶって深呼吸し、その感触を思い出せそうか?」
S:「たぶんやれると思います」
T:「寝るときに試験の時の感触を思い出すトレーニングをしてみたら?」
S:「わかりました」

 ebisuは折を見て生徒によく質問を投げる。個別指導授業は生徒一人一人を観察し、生徒との対話で進めるのが基本だ。
  この生徒は今回の模試がふだんとは異なるこころの状態でやれたことき気がついていた。いままでの試験の時とは違う感触があったのである。感触はその時その場をイメージすることで呼び覚ますことができる。繰り返し呼び覚ますことで、心がそういう落ち着いた状態に容易に変わる。雑念がすっと消え、集中力が高まり、それまで培った力が抵抗なく解放される。これは気持ちがいいものだ。
  わたしは家業のビリヤード店を手伝いながらゲームに熱中し、そういう心の状態を創り出す技に小学生高学年のころから慣れてしまっていた。スーッと雑念が消えて、集中力が急激に大きくなる。失敗したらどうするなんてことは心の片隅にもない。意識の中から自分がなくなれば、うまくいくに決まっていた。そういう状態の時には上手にやろうという意識も、さらには自我も消えている。少しの間、迷いや判断ミスが消滅した世界にいる、不思議な感覚なのである。

 π君にプレッシャーをかけて反応を診るところまでは予定の範囲だったが、そこから先は出たとこ勝負だった。
  マインドセットを変えなければいけないと思っていたが、突然きっかけが訪れたのである。小さなロス(三週間高校数学と英語を棚上げ)を覚悟したら予想外の大きな収穫(マインドセットの書き換え)があった、これで何とかなる、ここまで来るのに2年半かかった

  12/1の模試は目標の270点超に2点届かなかった。国語の漢字の読みと書きがそれぞれ1題できなかった。「慎む」(読み)と「しゅうせき」(書き)。「なぜ書けなかったのかな?」、と首をかしげて、すっかり余裕を取り戻した様子。数学の作図問題(問題文を読み、4つの基本作図技法のどれとどれを使う問題かという視点から考える)のように改善すべき細かい点はいくつかあるが、そんなことは些末な問題だ。より本質的で大きな問題はマインドセットの書き換えである。前回の手痛い失敗とこころに生じた焦り、そして今回マインドセット書き換えが自然に始動するという大きな収穫があった。あとは自力でやれる、難関国立大学向け数学問題集「赤チャート」程度なら独力でマスターできる境地にようやく届いた、もう数学は教える必要がないのかもしれない。誰の助けも借りず、独力で勉強できるようになることが個別指導の目標である

<用語解説>
mindset: 心的態度; (固定した)考え方、物の見方。...『ジーニアス英和辞典第4版』


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#3395 Z会Vテストで全国レベルを知る  Aug. 20, 2016 [54. イメージ化能力と学力について]

< 道教文協学力テストの問題点 >
  北海道の中学校で実施している学力テストは全道平均値すら算出されていないいい加減なものである。もちろん偏差値も出ていないから、それぞれの学校内の平均値と順位しかわからない。これでは、自分の学力が全国レベルでどれくらいは知る由もない。
  今はどうなっているかわからないが、40年前の東京都の公立中学校で実施される学力テストでは、東京都全体の偏差値も、その学校の偏差値も、個人ごとの偏差値も表示されていた。参加人数も十数万人いただろうから、そのまま大学進学の目安にもなった。
 東京都の場合で言うと、難関大学進学を考える親は子どもを小4から進学塾へ通わせ、中高一貫校を受験させる。中高一貫校では1年前倒しで授業をやり大学受験に備える。学力の高い生徒を集めるから、1.3倍速の授業が標準になる。
 そういう事情があるから、首都圏の子どもたちと大学受験で競争することになる生徒はどんなに遅くても中学時代に自分の全国レベルでの学力を確認する必要があるとわたしは思う。
 全道の公立中学校が、時代錯誤の北海道教育文化協会学力テストを採用することで、子どもたちは自分の学力を知る機会を奪われているように見える。

*北海道教育文化協会
http://www.ho-bunkyo.jp/p51

<根室の子どもたちは高1の進研模試で全国レベルの学力を知る>
 根室の子どもたちは根室高校普通科に入学して、7月に進研模試を受験して初めて、偏差値と全国レベルでの自分の順位や通う学校の学力レベルを知る。この10年間ほどでさらに学力が低下したいまでは、中学校で学年5番程度でも、高校生になって進研模試を受けると全国偏差値50以下(真ん中よりも下)というのが普通になってきた。根室市内の中学校の上位10%が全国レベルでは平均値よりも低いのだから、中学校の学力テストの学年順位は全国模試の偏差値とは大きくかけ離れている。中学校で生徒が自分の全国レベルでの学力を知れば、その後の勉強の仕方が違ってくる。
 高校では全国模試の偏差値を使わないと進路指導ができないことは常識だろう。大学進学率は全国平均では50%、根室は15~20%程度。全国レベルの難易度のテストを実施したら、数学の平均点は20点以下になりかねないから、全国レベルの難易度とかけ離れた授業をしている道内の公立中学校で全国模試を実施するのははなはだ困難であることも事実。

< 全国レベルの学力テスト:Z会Vテスト >
 Z会の「Vテスト 7月受験型」をいう全国テストを受験した中2の生徒がいるので、初めて「Vテスト成績表」を見た。五科目の全国平均値と偏差値が表示されているのは全国レベルのテストでは常識、もちろん「英数国」三科目合計点の偏差値も、五科目合計点の偏差値も載っている。
 北海道の五科目受験者は173人、全国では5495人だから、受験者数は少ない。
 中学生は「チャレンジテスト」をやっている生徒が多く、「Z会」は少ない。両方を比べると、後者のほうが学力の高い生徒が集まっている。

 偏差値60だと上位16%であるが、参加している生徒の学力が高いので、実際の中学生全体の学力分布を想定すると、上位5%くらいになるだろうと推測している。このテストで偏差値60なら、根室の中学校では学年トップの座に安住できる。逆から見ると、根室の中学校でやったテストの半分が学年トップでも、大学受験偏差値では100人中16番目くらいということ。根室の中学校で学年トップを目指していたら、難関大学合格は覚束ない。
 高校の進研模試には公立高校普通科の7割ぐらいが参加しており、大学受験をしない生徒も多数含まれており、私立中高一貫校の学力の高い生徒たちが受験しないので、上位層が薄く下位層が厚いという特徴がある。私立中高一貫校の生徒は一年先をやっており、進度が合わないから、Z会のVテストに参加していないはず、この点ではZ会のVテストと進研模試は同じ欠点を持っている。学力下位層が参加していないところがZ会Vテストの特徴だろう。

 そういうわけで、Z会「Vテスト」の偏差値を進研模試の偏差値に読み換えるには10以上加点していいのではないか、河合塾の偏差値なら+5かと考えている。

< 国語力アップの重要性とその方法 >
 ところで、このテストを受験した生徒は国語の偏差値が他の科目に比べて8程度低い。論説文の読解は得点が9割を超えているから、小説と短歌の読解力をアップしなければならない。
 小説や短歌を読んでもイメージがわかないので、本を読まない。楽しくないのだから仕方がないが、濫読しなければ読解スキルが上がらない。
 具体的な事例を挙げると、
  「古池や 蛙飛び込む 水の音」
 それがどうしたの?こういう次第だ。俳句を受け止める日本的情緒が育っていない。森閑としたお寺の境内にある池に蛙が飛び込んだ音が一瞬響いて、また元の静けさに戻っている。座禅して呼吸を整えながら瞑想すれば、数分でイメージした風景の中に自分をおくことができる。座禅と呼吸法を指導したほうが速いのかも知れない。慣れたら時空を超えて脳に特定のイメージを結ぶことも、消すこともできる。
 詠み手と入れ替わって時空を超えて古池のふちにたたずむ自分がイメージできたらこの俳句が味わえたといってよいのだろう。
 心の中心に日本的情緒が育っていなければ短歌や俳句はわからないから、中高生のうちに古典文学を読み、心の中心に日本的情緒を育むことは大事なことだ。

 この生徒は国語が苦手だったので、少し背伸びするような良書を選び2年半音読指導をしてきた。

 斉藤隆『声に出して読みたい日本語①』⇒『声に出して読みたい日本語②』
⇒音読破シリーズ『坊ちゃん』⇒『走れメロス』⇒『銀河鉄道の夜』⇒『羅生門』⇒『山月記』⇒『五重塔』
⇒斉藤隆『読書力』(岩波新書)、藤原正彦『国家の品格』、

と読み進んできた。そろそろレベルを上げる必要を感じている、次のテクストは『すらすら読める風姿花伝』である。原文と格調の高い林望現代語訳を交互に音読するつもりだ。その次あたりで『福翁自伝』を採り上げたいが・・・。

 昨日の授業で、斉藤隆の最新刊『日本人は何を考えてきたのか』(祥伝社)を150ページまで読み終わった。中学生としてはトップレベルだが、折り返し地点の先読みにまだ問題があるし、語彙も不十分だ。このままでは、高校生になってから隘路に入り込むことになるから、テクストのレベルをもう一段階あげなければならない。
 
 学力テストで国語が90点取れても、難易度の高い進研模試では偏差値55程度だろうから、センター試験の国語の得点を85%にまでアップするためには、苦手の小説と古典を読み慣れておく必要がある。
(目標はセンター試験で数学と英語で90%、国語が85%)

 言葉から風景や読んだ人の心をイメージするためのトレーニング・テクストとして昨日『日本の古典を読む④万葉集』(小学館)を1ヶ月間預けた。
 毎日ひとつだけ意味を理解して繰り返し声に出して読み、言葉から風景や心象イメージをつむぐトレーニングを課した。
 採録した歌にはすべて現代語訳や注釈がついているから、それを読めば意味はわかる。
 詠物歌は季節の風物を読んだものだが、情景がイメージできるようになってほしい。相聞歌は恋の歌だから、恋心がまだ芽生えていない中学生にはわかりにくいし、共感をもって読むことはかなわないだろう。それでも大人の恋がどういうものであるのか短歌を通して知っておくことは無駄ではない。(笑)
 この時代は、気の利いた歌も読めないような男は教養がある美女には相手にしてもらえないのである。
 1ヶ月のトレーニングで、言葉から具体的なイメージをすこしは脳につむぐことができるようになるだろうか?


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声に出して読みたい日本語

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  • 作者: 斎藤 孝
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2001/09/12
  • メディア: 単行本
斎藤孝の音読破〈1〉坊っちゃん (齋藤孝の音読破 1)

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  • 作者: 夏目 漱石
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本

読書力 (岩波新書)

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  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書

国家の品格 (新潮新書)

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  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/11/20
  • メディア: 新書
すらすら読める風姿花伝

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  • 作者: 林 望
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/12/13
  • メディア: 単行本


日本人は何を考えてきたのか――日本の思想1300年を読みなおす

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  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2016/03/01
  • メディア: 単行本

#3297 イメージの働きの類別作業   May 22, 2016 [54. イメージ化能力と学力について]

 学習にイメージを利用すると、とても有利なことがあるので、イメージの働きを分類してみようと思う。

1.言葉(文)からつむぎだされるイメージ:情緒が関係する

 藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)から引用するので、まずお読みいただきたい。
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俳句が呼び起こすイメージ
 さらに日本人は、自然と心を通わせるという得意技を持っている。俳句などは、その好例です。
 森本哲郎氏の本で読んだのですが、彼がドイツを旅行していた時、列車の中でこんなことがあったそうです。彼は芭蕉の俳句集を読んでいた。前に座ったドイツ人大学生と会話が始まった。「何を読んでいるんだ?」「俳句だ」「俳句って何だ?」となったので、「枯れ枝に 烏(カラス)の止まりたるや 秋の暮れ」という句を訳してあげた。「枯れ枝にカラスが止まっています。秋の暮れ」とね。
 するとその大学生は、こう言ったそうです。
「それで?」
 欧米人にとって、「枯れ枝に烏が止まっています。秋の暮れ」ではストーリーが何も始まっていない。だから、「それで?」と聞き返してしまう。
 しかし日本人で「それで?」なんて聞き返すものは一人もいない。聞いた瞬間に誰でも、沈む夕日を背に、枯れ枝がスッと伸びていて、烏がポツンととまっている姿が思い浮かぶ。そして秋の憂愁が村全体、町全体、国全体を覆っていくイメージがすぐに湧く。烏の黒一点が秋の中心であるかの如く風景を締めている。人によりニュアンスの相違はあれ、こんなことを日本人なら誰でも瞬間的に思い描く。  P.109
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 言葉から、情景が思い浮かぶのだが、そこには日本的情緒が関係している。この情緒がなければしみじみとした秋の憂愁は感じられないだろう。言葉があるイメージを呼び起こし、心を揺さぶるのである。短歌や俳句の七五調は日本的情緒と深くつながっている。演歌も歌詞は七五調が相性がよいのは日本的情緒が呼び覚まされるからだろう。
 小説も、文学作品も主人公へ感情移入し、言葉から情景がありありとイメージできたら楽しい。わたしは世の中の人が全部そういう読み方をしているものだと思っていたのだが、そうではないことがあるときわかった。文章を読んでも、具体的な情景が脳裏に焦点を結ばないので、つまらないと主張する生徒に教えられた。
 さて、あなたはどちらのタイプだろう?

これから旅にでるウキウキした気分が伝わってきますか?
 おもしろや ことしのはるも 旅の空  (『芭蕉全句集』13番)

根室は数日前に満開になった桜が散って庭は花びらでいっぱいですが、この気分が伝わってきますか?
 扇にて 酒くむかげや ちる桜  (同書225番)

桜つなぎでもう一首、桜の散るのと自分の人生の終わりを重ねて詠んだ西行の情感が伝わってきますか?
 願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ (西行)


2.恐怖心を呼び起こすイメージ
 高所恐怖症のわたしは、断崖絶壁に立って下から吹き上げてくる風を感じていると想像しただけで、恐怖心が湧く。新宿西口のNSビルの中には吹き抜けの30階に横断通路がかかっている。そこを渡る時、床が透明になってしまうことをイメージしただけで足がすくむ。ついには渡れなくなった。29階まで直行するエレベータはガラスの外壁の内側にあるのだが、目をつぶっていても外の情景が目に浮かび、手すりを握ったまま手が離れなくなる。
 夢の中で身体の比重が空気のそれに次第に近づいていき、空気中を浮遊しだしてだんだんに地上からの距離が離れていくのがヴィジョンとして見えてしまうと怖くなる。それは現実に起きていることと同じに感じられてしまう。

3.喜怒哀楽に関するイメージ:こころが影響を受ける
 過去に聞いた落語や大笑いしたときのことを思い出すだけで、笑いが湧いてくる。
 腹の立つことを思い出すだけでますます腹が立つ。
 悲しいことを思い出すだけで悲しくなる。
 楽しかったことを思い出したら、こころがそのときと同じ状態になりウキウキワクワクする。

4.動きのある画像が意志のままにあるいは自動的に展開する:集中力を伴う
 ビリヤードファンは、ビリヤードを習いたての頃に、ご飯を食べながら無意識に箸で茶碗をつついてしまう人がいる。ご飯を食べてはいるが、頭の中では無意識にビリヤードをしているのである。慣れてくると、頭の中で無限にゲームできるようになる。武術やスポーツの技の修得も同じメカニズムを利用している、イメージトレーニングというのがそうだ。
 将棋のプロが棋譜を思い出せるのも集中力とセットのイメージ記憶ではないだろうか。
 この状態の時には考えていない、頭の中は「無」の状態、絵が見えているだけ。脳内に自動的に展開する画像を眺めているだけ。
 学校の授業で先生が黒板に白いチョークで字を書いたものが、グリーンのビリヤードテーブルに赤と白の玉が転がるのに似ているので、3ヶ月くらいはページをめくるように、書いた文字が読める。ただし、その授業に興味があって、異常な集中力で傾聴したときに限る。相手のあることだからせいぜい2科目くらいかな。

5.数式から創られる座標イメージ

 前回#3296から引用する。
--------------------------------------
 (tan x -√3)(tan x -1/√3)<0,   0<x<π/2

 定義域からtan x は第一象限でプラス。値は0から無限大だ、単位円とx=1の直線を立てた図をイメージしたらいい。円の中心からその線に向かって引いた線の当たった位置がtan xの値だ。仰角がπ/2に近づくとどんどん上に行って無限大に発散してしまうだろう?仰角がπ/2のところでは平行線になるから永遠に交わらない。そこまでイメージできたら、もう一度問題の不等式を眺めよう。

 (マイナス)×(プラス)<0
 (プラス)×(マイナス)<0

 (1) tan x - √3<0 ∩  tan x - 1/√3>0
 (2) tan x - √3>0  ∩  tan x - 1/√3<0

 手がかりを見つけられずにむずかしく見えていた問題だが、二つの部分に分解しただけで単なる1次不等式の問題に還元できます

 単位円をイメージできれば、共通領域のあるのは(1)のほうであることがすぐにわかるから、イメージ操作に慣れていたほうがよい。計算はイメージ操作でえられた結果を確認するだけ。「tan x=√3」は「x=π/6」だから、不等号から判断して下側である。同様にして「tan x=1/√3」は「x=π/6」で、不等号から判断してその上側であることがわかる。あとは筆算して、紙に図を描いて確認すればよい。
 イメージがつくれなければ、両方計算して図に描いてみるといい。描いた後で、上記の不等式から図をイメージする訓練をしてみよう。(2)の不等式に共通領域がないことも単位円の座標イメージですぐに確認できる。
--------------------------------------

 不等式を二つに分割して、座標平面上の単位円をイメージすれば、正解への筋道がわかる。あとは、イメージにしたがって、計算すればよいだけ。
 これは画像イメージだが、途中で暗算を入れたり、単位円の円周のある点の上側になるのか下側になるのか、論理的思考と画像イメージが共存している。
 こんなことは意識してトレーニングすれば誰にでもできる。


6.意味と論理に関わるイメージ:vision

 #3296から抜粋引用
--------------------------------------
  log2(x+1)=log4(2-x) + 1

 log2(x+1) は log2 x のグラフをx軸方向にプラス1だけ平行移動したグラフだ、問題を見たら、グラフのイメージぐらいは頭に浮かべて輪郭を押さえておきたい。同じ底の対数の和は真数のかけ算の形に変換できるが、log2(x+1) にはそういう変換が適用できないよ。
 底変換の公式で等式の右辺の2項の底をそろえてやればいい。その後は真数を=でつないでxについての2次方程式にもっていけばよいだけ。
--------------------------------------

 問題はこの対数方程式をどのように理解するかだ。右辺の2項を底が2の対数に置き換えた状態を直感的にイメージできれば、左辺と右辺の真数同士が等号で結んで、2次方程式に持ち込み、xが計算できる。
 底が揃った対数方程式がイメージできれば、対数方程式を真数を使った方程式に還元できることがわかる。対数方程式の意味が理解できていることが前提条件となる。
 正解ヴィジョンが湧くかどうかが決め手のようだ。意味を考えているわけでもなさそうで、ぱっと正解の状態が見えてしまう、直感の働きと言ったほうが起きていることがらを正しく表しているような気がする。6番目のイメージが論理的思考と画像イメージが綯い交ぜになるのに対して、こちらは直感の作用だから、直感が働く瞬間は思考停止状態。
 何も考えないという状態を意識的につくるのだが、これはトレーニングがいる。集中力を上げることよりも、どこにも集中しない、何も考えない、そういう状態を意識的に作り出して、対象を虚心に眺めるのは上級コースだろう。最初は何かにとらわれてしまったり、雑念が湧いて消せないものです。


7.概念相互の関係・構造化
 さまざまな経済学的な概念を脳にインプットすると、それらの諸概念が相互関係に応じて構造化してくる。経済学的な概念体系と呼んでもよい。これは弊ブログで扱ったことがある。
 抽象的な事物を扱うときに産まれるイメージである。
 弊ブログで次のような分類をしたことがある。
--------------------------------------
#2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014より抜粋
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16

 言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。
 もう一つ特別なタイプがある。文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者は稀だ。この能力をもつ者は、もたない者としばしば会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。

 A型 ⇔ non-A型
 B型 ⇔ non-B型
 C型 ⇔ non-C型

 3組で各組2つだから、全部の組み合わせは2^3=8である。学力の点から言うと、
 non-A & non-B & nonC ⇒ 最弱
 A & B & C ⇒ 最強
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8.音楽や絵画に関するイメージ
 これはわたしの経験外のことだが、おそらくそうだろうという話である。モーツアルトは頭の中で音楽がなっていたにちがいない。それを音符に写すだけ。
 元禄文化と化政文化の狭間に絵を描いた伊藤若冲(1716-1800)は、下絵なしに微細な線を一度も直さず完璧な絵を描いた。あれは脳内にある絵のイメージを高度な職人技で写していただけ。微細な部分まで下絵が脳内に在ったとしか考えられない。
 高校卒業までの18年間梅ヶ枝町に住んでいたが、隣に2歳年下の天才少年がいた。土の上に釘で相撲の絵を描いていたのをあるときオヤジが見て、「あれは天才だ、線に迷いがまったくない」と驚いて話していた。その少年のIQは180であった。勉強もよくできた。塾へも行かなかったし、とくに勉強している様子もないのに、北大へ現役合格。入学後、宗教へ傾斜して様子が変わっていった。頭が良すぎて社会的な適応がうまくできなかったようだ。もったいない気がする。

*伊藤若冲の絵(写真画像)数十枚 「軍鶏」がすごい
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E8%8B%A5%E5%86%B2&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&rlz=1I7SUNA_jaJP310&prmd=ivns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjgsu_8u-zMAhWEupQKHRoCCOAQsAQIJQ


9.数学者のイメージ:美的感受性とセット
 数学は美的感覚とセットになっている。岡潔はフランス留学から戻ってくるや蕉風(芭蕉の俳句)の研究を数年やってから、それまで誰も解くことのできなかった数学の難問を、一人で三つも解いてしまった。
 藤原正彦は『国家の品格』p.141で「数学をやる上で美的感覚は最も重要です。偏差値よりも、知能指数よりも、はるかに重要な資質です」と述べている。
 インドの高卒の大天才数学者ラマヌジャン(1887-1920)について、藤原は次のように書いている。
「美の存在しない土地に天才は、とくに数学の天才は生まれません」(同書p.141)
「あれほど美しい公式を3500以上も発見したラマヌジャン」(p.166)
「クンバコナム近くのタンジャブールで見たブリハディッシュワラ寺院は、本当に息を呑むほどに壮麗でした。この寺院を見た時、わたしは直感的にこう思いました。「あっ、ラマヌジャンの公式のような美しさだ」と。
 ラマヌジャンは「我々の百倍頭が良い」というタイプの天才ではありません。「なぜそんなことを思いつくのか見当もつかない」というタイプの天才なのです。」(p.168)
「アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくても二年以内に誰かが発見しただろうと言われています。数学や自然科学の発見のほとんどすべてには、ある種の必然性が感じられます。ところがラマヌジャンの公式群は、圧倒的に美しいのに、必然性がまるでわからないのです。
 高卒だったラマヌジャンは「夢の中で女神ナーマギリが教えてくれる」と言って、次々に定理や公式を発見しました。・・・
 彼の死後、異様に美しい定理が証明されないままたくさん残されました。多くの数学者がその後、ラマヌジャンの定理の証明に取り組みましたが、南インドにいた頃、すなわち26歳のときまでに発見した定理の証明がやっと完成したのは、1997年のことで、五巻本として出版されました」(P.169)

 フランスの数学者エバリスト・ガロア(1811-1832)はどうだったのだろう。フランス革命(1776)のあと、1815年にルイ18世によって王政復古がなされる。時代はフランス革命以前へ逆戻りである。共和主義者のガロアは大学は合格できなかったし、高等師範学校へ入学するも学校から共和主義運動を禁止される。かれの理論を理解してくれる者は現れない。ルイ18世のあとを継いだシャルル10世がアルジェリア侵略を始める。共和制がドンドン遠くなっていくなかで、共和主義者のガロアは友人と奇策をもちいる。決闘を仕組み自分が殺されることで、革命の導火線に火をつけようとしたようだ。共和主義者でもあったガロアは未来に深い絶望を感じていたのではないか。
 かれの群論が理解されはじめたのは、38年後の1870年、カミィーユ・ジョルダンの『置換と代数方程式論』においてである。ガロアには群論のヴィジョンが見えてしまったのだろうが、既成の数学理論の述語論理では容易に表現できない代物だった。新しい理論にはそれを記述する新しい言葉(語彙)が必要になる。
(インフェルト『ガロアの生涯』を学部の学生のころに読んだから45年以上前のことだ表紙が現在とは違っている。白い表紙にガロアの肖像が描かれていた。インフェルトは色恋沙汰の決闘を仕組んだ裏に秘密警察がいてガロアが謀殺されたと書いているが、事実はそうではないようだ。告白はしたが断られている。身元がしっかりしていて、複数の相手と色恋沙汰を起こすような女性ではなかったようだ。インフェルトの創作がかなり入っている。)


  さて、ここまで思いつくままに羅列したから、これを整理してみたい。しばらく頭の中に入れておけば、自然に熟成して分類がつく。

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*#2597 イメージの力(3):Aとnon-A型について  Feb. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16-2

*#2595 イメージの力(2): 6タイプに分類 Feb.16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16

*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14

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 #2749 記数法とn進数についての質問あり July 27, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-27

#3296 統一模試の数学過去問にトライ:のんびりしている根室の高校生  May 20, 2016 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-19-1


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ガロアの生涯―神々の愛でし人

ガロアの生涯―神々の愛でし人

  • 作者: レオポルト インフェルト
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2008/08
  • メディア: 単行本


#2749 記数法とn進数についての質問あり July 27, 2014 [54. イメージ化能力と学力について]

 『トライEX 数学演習数Ⅰ・A+Ⅱ・B』の整数問題の章をやっていた高3の生徒が、「余り」に関する一番最後の問題を質問し、解説を見ながら解き終わった。そのあとまた手が止まっていたので、どこまで自力で考え抜くか様子を見ていたら堂々巡りで考えあぐねたのだろう、右手が上がった。「質問アリ」の合図である。

 「整数の種々の問題」(96ページ)をみていた。学校から出された宿題プリントをやるために問題集を参考書代わりに使おうとしたが、なにがなんだかわからぬという表情だった。
「この章、意味がわからないんです」
 正直だね、素直、大好きだよこういう性格。この生徒は高校生になってから数学の定期テストで1番をとったことがありどちらかというと数学が得意な優秀な生徒。しかし基本的な概念が理解できないとそこで立ち止まってしまい、先へ進めなくなるということがたまに起きる、抽象的な思考が苦手なタイプなのだろう。いろんなタイプの生徒が居るから楽しい。

 ebisu先生は10進数と2進数を比較できるように1から並べて書いてみた(ついでだから3進数表示と4進数表示と5進数表示も並べておく)。個別の事例から帰納的に法則を類推してもらいたかったからだ。左側が10進数、右側が2進数である。面白いので、しばらくお付き合いいただきたい。

 10進数表示2進数表示3進数表示4進数表示5進数表示
11111
210222
3111033
410011104
5101121110
6110201211
7111211312
81000222013
910011002114
1010101012220
1110111022321
1211001103122
1311011113123
1411101123224
1511111203330
161000012110031



 同じ数字が表記法が違うとあらわし方(数字の列)が異なる。桁上がりの原理を10進数を例にとって説明してみる。10進数で使う数字は0~9までの10個である。9に1を足すと桁上がりして10となる。二進数で使う数字は「0と1」の2個、1に1を足すと2になるが、2は使えないから桁上がりして10(2)となる。それが、上に書いた比較表の意味だ。

 具体的な問題を解くことで帰納的にわかってもらえばいから問題を3題黒板でやって見せた。
 10進数に書きかえる問題である。
(1)  100101(2)
(2)  2201(3)
(3)  435(6)

 右端の数字から順に
  n^0, n^1, n^2, n^3, ..... n^(n-1)
 とやっていけばいい。

  1*2^5+0*2^4+0*2^3+1*2^2+0*2^1+1*2^0
 =32+4+1=37

  2*3^3+2*3^2+0*3^1+1*3^0
 =54+18+1=73

 4*6^2+3*6^1+5*6^0
 =144+18+5=167

 また、しばらく手が止まっているので、訊ねたら、
「10進記数法と10進数はどこがちがうのかわからない」
 なるほど、そこからか、意味が理解できないときに立ち止まってしまう具体例だ、意味さえ理解できたらあとはスムーズにいく。面倒くさいので意味なんか考えないで計算だけできればいいと割り切る生徒もいる。もちろん、意味をしっかり理解していくタイプの方が長期的に見ると力が伸びる。
 ここでも帰納的に類推してもらいたくて、具体例を挙げて説明してみるが、その前に言葉の定義を明らかにしておかねばならない。二つの言葉の関係がわかればいい。
 記数法は数の表記方法で、10進数はさまざまある表記方法の中から10進記数法を選択して表記された個別の数字。一般化するとn進記数法とn進数がある。
 2進記数法⇒2進数
 3進記数法⇒2進数
 ・・・
 10進記数法⇒10進数
 ・・・
 16進記数法⇒16進数
 ・・・
 n進記数法⇒n進数

 普通科の生徒は1年生のときに「情報処理」という科目で2進数をならっているのだが、2年経つと忘れているのは当然のことだろう。「情報処理」では2進数の他に16進数も教えておいてほしい。35年前のコンピュータはアッセンブラという言語で16進数を使っていた。コンピュータの中はすべて2進数に直されて動いている。言語レベルを低い方から並べると、
 アッセンブラ<BASICのような逐次翻訳言語<コンパイラー言語
 コンパイラー言語は特定の言語ルールで書いたプログラムをコンパイラーが機械語(2進数)に書きなおして動く。命令を実行する都度機械語(オブジェクト・コード)に翻訳する手間がかからないので、実行速度が逐次翻訳言語よりも速い。コンパイルという作業が一つ増える。
 こんなことは35年前に仕事でコンピュータに携わったebisuにはあたりまえのことだが、高3の生徒には現実感のない話だ。
 40年程前には中学2年生の教科書に「記数法」の章があった。大型電子計算機が大学や一部の研究所や大学に普及し始めたので、基礎教育の分野で2進数を教える必要があったからだろう。現在は高校で教えることになっている。

 10進記数法の関わる問題は中学2年で連立方程式の応用問題をして出てくる。たとえば、「二桁の整数がある。各位の数字を足すと9、数字を入れ替えて元の数字を引くと45になる」というような問題である。10進数だから十位の数をx、一位の数字をyとすると
 x+y=7
 (10y+x)-(10x+y)=45
という二つの方程式ができる。十位の数を10xとか10yで表すところがミソだ。これが16進数なら、元の数字は、(16x+y)と表すことになる。中学校では二桁の数字しか問題に出てこないが、高校生になると3桁問題が出てくる。2桁を拡張すればいいだけなのだが、拡張できない生徒が少なくない。一般式まで拡張して考えていないからだろう。もちろんこんな問題で、n進数まで拡張して教える中学校の先生はほとんどいないし、ほとんどの生徒にはその必要もない。成績下位層の生徒は概念を拡張するとついていけずに、混乱を起こすだけになる。成績上位層の生徒には説明したほうがいいのだが、クラスが習熟度別に編成されていても生徒の学力に応じた説明がなされていないのが現状である。習熟度別に編成している意味がないのだが、大事な問題なので別項で論じたい。 

 話しを元に戻そう。100101は10進数の数字にも読めるし、2進数の数字にも読める、3進数の数字にも読めるが表している量はそれぞれ異なる。
 逆に、41という数字は10進数としては読めるが、2進数の数字として読むことができない。2進数で使える数字は0と1のみだから、4という数字は2進数の表記にはない数字である。
 このあたりも混乱していた。ここは記数法と表記の実際の関係を理解するために大事なポイントの一つだろう。3つ例を挙げて説明した。

 最後に、3題の問題を利用して逆演算をやらせてみた。
 10進数の37、73、167をそれぞれ2進数、3進数、6進数に戻す問題である。
 二種類やり方を例示した。縦型の割り算をひっくり返したあのやり方が簡単でいい。両方やらせることで全体像がつかみやすくなる。

<概念を拡張しその適用限界を知るべし>
 概念を適確にとらえるために、拡張してみる。10進数は0~9までの10個の数字を使う。それで足りないときは桁上がりの原理でやればどんなに大きい数字でも表記することができる。8進数では8個の数字、2進数では2個の数字0と1を使う、n進数ではn個の数字が使われてずべての数を表す。このようにn進記数法にまで拡張することを「一般化」という。

「では1進数は?」と疑問をぶつけてみる、どこまで理解したかチェックだ。
 数字は0しか使えず、桁上がりが処理できないから、数字の表記ができない。だから、2進数が一番使う数の少ない表記法だ。最低2種類の数字を使えないと桁上がりが処理できない。こういう「遊び」も必要だ。ある概念を手にしたときにそれがどこまで通用するのか、その限界を知っておいたほうがいい。あらゆる場で通用する概念や理論なんてものはないことが特定の専門分野の勉強をしていけば諒解できるだろう。 

<用語の理解=概念をつかまえる>
さて、ここで終わったのではたんなる授業の点描であるから面白くない。少し退いて問題の所在を遠望してみたい。言葉の理解の問題が潜んでいることに気がついただろうか?
 「10進記数法と10進数」は同じではないのかという問があったのだが、意味がイメージできていない。記数法という方法概念と特定の方法を適用した場合の個別的な表記というイメージが頭の中に構築されていないのだろうと思う。
 言葉と脳内のイメージの関係についてわたしは#2734「イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング」で触れている。言葉をいくつかインプットしたら、それらの相互の関係を脳内に建築物のように再構成する力の持主を'C型'と呼んだ。
 ある程度トレーニングすることでこのC型の能力を開発することができる。そのためには大量の語彙をインプットすると同時に、それら相互の関係を頻繁に考えてみるというトレーニングが必要だ。
 哲学関係の本や専門書といえるレベルの本を読むのが一番いい。小説レベルの読書にとどまっていたら、この能力は鍛えられず脆弱なままに大人になる。
 年齢に応じて読む本のレベルを上げなければいけないのだが、そういう指導を小学校でも中学校でも高校でもやってくれないから、自力でやるしかない。ではどれだけの生徒が自力でそこまで到達するかというと百人に一人いればいいほうだろう。すくなくとも高校生でそういうレベルの本を読んでいなくてはならない。受験勉強に忙しいことを理由に硬い本を読まなければ、概念体系をイメージできる能力は育たない。いや、体系イメージができなくても、言葉相互の関係がイメージできるだけで充分なのである。いまとりあげている問題に関して言えば、「記数法」と「特定の記数法で表された実際の数字の列」の関係がイメージできたらそれだけで充分だ。

 中学校の数学までなら、こうした能力がなくても問題は無い。高校数学はこうした言葉をイメージする力が芽生えていた方がやりやすい。大雑把に考えて2割程度がそういう生徒だろう。
 イメージ化能力を三つに分類して以前論じたことがあった。言葉からその言葉のもつ情緒をイメージする力(A型)と図形のイメージ化能力(B型)そして概念体系のイメージ化能力(C型)の三つである。C型は概念相互の関係のイメージが基本だ。物事を理解するときにそれぞれの概念を理解し、ほかの関連概念との関係をイメージする習慣をもちたいものだ。

#2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014より抜粋
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16
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 言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。
 もう一つ特別なタイプがある。文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者は稀だ。この能力をもつ者は、もたない者としばしば会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。

 A型 ⇔ non-A型
 B型 ⇔ non-B型
 C型 ⇔ non-C型

 3組で各組2つだから、全部の組み合わせは2^3=8である。学力の点から言うと、
 non-A & non-B & nonC ⇒ 最弱
 A & B & C ⇒ 最強
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<イメージ化能力の発展段階に応じた教育>
 三つのイメージ化能力から学校教育のあり方を考えると、小学校では言葉のもつイメージを脳内につくりあげる能力を磨くために、日本語の良質のテクストを大量に読ませるべきだろう。小学校低学年では理科や社会科を外して日本語テクストをたくさん読むべきだ。
(数学の巨人の岡潔は晩年にこの国の教育を憂えて教育関係の著作をいくつも書いたが、小学校低学年では理科や社会はやる必要がない、「読み・書き・計算」を徹底すべきだと説いている。)
 中学校の段階では図形のイメージ化能力を重点的にトレーニングさせたい。高校生には概念のイメージ化能力を育成するために、哲学を必修科目とすべきだ。



<関連テーマ>
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*#2597 イメージの力(3):Aとnon-A型について  Feb. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16-2

*#2595 イメージの力(2): 6タイプに分類 Feb.16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16

*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14

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#2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014 [54. イメージ化能力と学力について]

<学校祭の終わった高校生たち>
 根室高校の学校祭が日曜日に終わり、二日目の今日は4時台に四人来た。三人は7時で帰ったが、一人は後ろの席で9時まで勉強していた。浮かれ気分から一気に勉強モードへ切り替えを図っているように見えたが、2年生は明後日数学の試験があるので、お尻に火がついていたのだろう。
 高1の生徒は勉強するのは久しぶりのようで教科書と準拠問題集『3トラ』をやっていた、場合の数のところだ。質問が二つあった。高2の生徒二人は複素数のところをやっていた。学校の宿題プリントだが、学校祭で忙しかったのと、上の空で授業を聞き逃していて、「全部わかんない」なんていいだす始末だが、教えるのは要所要所で充分である。高3の生徒は数ⅠA&数ⅡBのプリントと準拠問題集『トライEX数学演習I ・A+Ⅱ・B』をやっていた。整数問題である。彼はこの章が苦手で先週解説したところが納得がいかないというので、整理しなおしてもういちど説明した。さらに新しい問題で三つほど質問があった。四人の質問を順に捌いていくので、なかなか忙しい。通り一遍の説明では納得できないのは当然だから、いくつか攻略法を示さなければならない。それはそれで、アドリブで生徒とのやり取りが楽しいのである。個別指導授業は生徒と組んだジャズ・バンドのセッションのようなものだ。

<本題:前回の提示した分類のおさらい>
 さて、本題にはいろう。
 言語のイメージ化能力にはそれほど個人差がないだろうと漠然と受け取っていたが、ふるさと根室に戻ってきて11年間セントを教えて、イメージ化能力には大きな差があることに気がついた。基礎学力を構成する「読み・書き・そろばん(計算)」の一番大事な部分、「読み」の能力を支える大きな柱であるので、学力を上げるために言語のイメージ化トレーニングの可能性を探っている。
 生徒を言葉とイメージの関係をまな板に載せるのはこれで4度目。#2597の分類からおさらいしたい。

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 言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。
 もう一つ特別なタイプがある。文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者は稀だ。この能力をもつ者は、もたない者としばしば会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。

 A型 ⇔ non-A型
 B型 ⇔ non-B型
 C型 ⇔ non-C型

 3組で各組2つだから、全部の組み合わせは2^3=8である。学力の点から言うと、
 non-A & non-B & nonC ⇒ 最弱
 A & B & C ⇒ 最強
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<イメージ化トレーニングの実際>
 いま小6の生徒に協力してもらい、授業実験をやっている。non-A&Bタイプの生徒は言葉のイメージ化能力を強化できたら、高校生になってからも大きく学力が伸びることが期待できるから、音読トレーニングをすると同時に言葉のイメージ化能力のトレーニングも兼ねた授業を週に1時間やっている。

 2ヶ月前だったか、正岡子規の俳句や短歌を朗誦した。

 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
 くれなゐのニ尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る
 瓶に刺す藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
 いくたびも雪の深さを尋ねけり
 糸瓜咲きて痰のつまりし仏かな
 痰一斗糸瓜の水も間にあはず
 をととひのへちまの水も取らざりき
    『声に出した読みたい日本語』斉藤孝著 128ページ

 これらの句を音読した後に、意味解説をして、最初の句以外は脊椎カリエスで病床にある子規が寝床の中で詠んだ句であることを付け加える。その上で、子規になったつもりで情景をイメージしてもらう。そして再びゆっくり朗誦しながら味読する。

 百人一首から、
 春すぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
 田子の浦に打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
 いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな
 君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手にゆきはふりつつ
 久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
 月見れば千々に物こそかなしけれわが身一つの秋にはあらねど
 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢わむとぞ思ふ
 逢ひ見ての後の心にくらぶればむかしは物をおもはざりけり
    同書130ページ

 これらの句は情景を思い浮かべやすい。音読してから意味解説をして一つ一つ朗誦しながら味読していく。ありありと情景と読み手の心情を心の中に思い浮かべるのである。

 『荘子』から、

  真人の息は踵を以てし、衆人の息は喉を以てす
      同書136ページ

 踵(かかと)で呼吸することなど凡夫のわたしにはとうてい及ぶ域ではない。そこで喉でする呼吸ではなく、ヨーガや座禅瞑想で使う丹田呼吸法をやって見せた。家から一畳の絨毯をもってきてその上で、呼吸法を利用して身体をやわらかくする方法も入り口のところだけは実習してみせた。「やってみて、やらせる」ことは教育の基本だ。自分で数ヶ月継続すれば感じるはずだ、あとは自分でやってこなければ先を教えることができない。
 少し脱線するが、心のコントロールは呼吸でする。あらゆる武道は呼吸に行き着くものなのだろう。意外なのは6歳頃からやっていたビリヤードも心身のコントロールに呼吸がある。試合のときに自然に応用している自分に気がついて驚いたことがある。集中力を極限にまで高めるときにゆったりリラックスした呼吸が伴うことに気がついた。ゆっくりしずかな呼吸の世界を垣間見たらいかがだろう。世界は呼吸の仕方で見え方が違うもの。
 高校生や大人は別の分野(人間の根源的な欲求の支配する世界)でこの呼吸法を試してみたらいい。ファスト・フードとスロー・フードの違い以上のものがある。身体に何が起きるかはやってみた人のみがわかる。

 138ページに世阿弥の『風姿花伝』から一節が引かれていた。

 秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず
    同書138ページ

 林望現代語訳・世阿弥原著『すらすら読める風姿花伝』が中3の音読教材となっているので、それを見せながら意味解説をしていく(一章くらい音読するような脱線をするので『声に出して読みたい日本語』のほうはなかなかはかどらぬ。それでいいと思っている。この授業ではむしろ脱線してオリジナルを体験させることの方が大事かもしれない)。
 斉藤孝の解説も1ページを使ってなされているのでそれも読み比べていく。解説の中に「花と、面白きと、珍しきと、これ三つは、同じ心なり」「離見の見」「目を前に見て、心を後ろに置け」など、一筋縄ではいかない句が出てくる。
 だんだん哲学の領域に分け入ると同時に、日本的な情緒を身体にしみこませていくのである。

 宮本武蔵の『五輪書』からは次の句が引かれていた。

 千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。
 能々(よくよく)吟味有るべきもの也。
    同書140ページ

 斉藤孝は「量が蓄積すると質的な変化が起こる「量質転化」(南郷継正)を、武蔵はこの言葉で表現している」と解説している。万日の稽古はおおよそ30年だが、それぐらいの稽古をしないとほんとうのところがわからない。わたしはビリヤードを6歳の頃から始めたが、わかったような気に慣れるまで30年以上を要した。「万日の稽古を練とす」は意味が深い。書棚から『五輪書』を取り出して見せたら、喜ぶこと喜ぶこと・・・

 幸田露伴の『五重塔』の一節も、イメージ化には最適のテクストである。
「木理うるわしき欅胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳づくりの長火鉢にて話し敵もなく唯一人、少しは淋しそうに坐り居る三十前後の女、男のように立派な眉を何日掃ひしか剃ったる痕の青々と、見る目も覚むべき雨後の山の色をとどめ翠の匂ひ一しほ床しく、鼻筋つんと通り、目尻キリリと上がり、洗い髪をぐるぐると酷く丸めてひっさき(引裂き)紙をあしらひに、一本簪でぐいと留めを刺した色気無しの様はつくれど、憎いほど真っ(烏)黒にて艶のある髪の毛の一綜ニ綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかかれる趣きは、年増嫌いでも褒めずには置かれまじき風体、・・・」同書144ページ

 日本語の切れのよさを音読で確認して、いくつかに分割しながら情景を思い浮かべていく授業はなかなか楽しいのである。『五重塔』も教室においてある。いい女であることは大人のわたしにはよくわかるのだが、小6にはちと無理だった。(笑)

 道元の『正法眼蔵』は読めない本の一つだ。わたしはこの本を2種類もっている。岩波文庫ともひとつは4冊セットの解説書だ。
 経済学者のヒヨコであった時期があるので、かなりの数の本に眼は通しているが、この本だけは何度読んでもわからぬ。だから、道元の年上の弟子である懐奘の聞き書き、『正法眼蔵随問記』の方を何度か読んだ。これはとてもわかりやすい。この本を何度か読んだあとで『正法眼蔵』にトライしてもやはり道元の伝えたいところがわからぬ。
 初期仏教経典(南伝の経典群)を読むと、お釈迦様は衆生に理解できる言葉で問答をなさっているのだが、大乗仏教は中国を経由することで衆生にはとっても難しいものになってしまった。お釈迦様の説かれた仏教は宗教ではなく、折に触れて弟子達の疑問の答えながら真理を説いているから、それは哲学である、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のような宗教ではない、たんなる普遍的な心理を語ったものだ。興味があって30歳代のころに南伝の仏教経典群『阿含経』6冊を通読した。
 「かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は○○にましました。そのとき世尊は・・・」と一人一人の比丘の質問にやさしいたとえで丁寧に答えるのである。その教えが1500年たって今でもそのまま通用するほどの普遍性を兼ね備えている。透明で深い湖のほとりに佇んでいる感じがする。
 最近は『心がスーットなるブッダの言葉』アルブモッレ・スマナサーラを読んだ。この人の著作は10年ほど前にある人が読んでいて「いい本だから」と紹介してくれた。パーリ語にまで遡ってしかも具体的にやさしく解説するのがお上手だ。初期経典群はお釈迦様の説法の姿がみえるように具体的でやさしいから、ぜひ読んでいただきたい。
 大数学者の岡潔先生は、あるときから難解な『正法眼蔵』を全部理解できるようになったと、神秘的な体験を書いておられる。なんと時間を遡り坊さんに両脇を抱えられながら道元の前に進み出て面授の弟子にしてもらったというのである。それからは『正法眼蔵』に書かれていることが明確に理解できるようになったという、なんともうらやましい話だ。

 身心脱落
 只管打座
 仏道をならふというは、自己をならふ也。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
 この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなきなり。
    同書148ページ

 『徒然草』からは二つ紹介したい。

 初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。
 あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候
    同書164ページ

 小6の生徒に最初の文の意味はどういうことかと問うた。こんなことが即答できて正解であるような小学生は教えたくない。(笑)
 二の矢があると油断が生じるものなのである、それを戒めている。「二つ目の方は試験のときにも通ずるよ、やさしい問題ほどケアレスミスにご用心との意だ」と伝えると、なるほどという顔をした。

 『歎異抄』から、
 「善人なほもって往生を遂ぐ、いはんや、悪人をや」

 これも強烈なストレートだ。ここで15分ほど潰した。

 千利休の「四規七則」
 四規 : 和 敬 清 寂
 七則 :
  茶は服のよきように点て、
  炭は湯のわくように置き、
  冬は暖かに夏は涼しく、
  花は野の花のように生け、
  刻限は早めに、
  降らずとも雨の用意、
  相客に心せよ
     同書168ページ

 四規は漢字一つ一つの意味を考える、それも狭い茶室に自分がいることをイメージしながら。そうすると、言葉の奥に込められた意味が千利休から伝わってくる心地がする。七則もそれぞれ深い意味がある。こういうところはじつにゆったりと共に考えて言葉の真意をさぐる。
 秀吉がなぜ利休を殺さなければならなかったのか、斉藤孝がヒントを解説に置いている。

「秀吉の「底ひなき心の内を汲みてこそお茶の湯成りとはしられたりけり」という歌に、利休は「茶の湯とは只湯をわかして茶をたてて呑むばかりなるものと知るべし」と教える」

 利休は茶の湯のことになると容赦がない。天下人になった秀吉にさえへつらわぬ。彼の茶の湯には妥協がない、自分の茶道を貫くために従容として切腹するのである。秀吉は助けたかったに違いない、ただ一言へつらいの言葉を言ってくれたら助けられたのに、利休は厳しかった。
 歴史への興味がわいてくれたらいいのだが・・・


----------------------------------------------
<余談>
 このままでは、大学入試時点の国語の偏差値が50~55くらいでとまってしまいそうなので、イメージ化能力を強化する目的で週に1時間、音読⇒イメージ化のトレーニングをしている。すべての生徒にこういう授業をするわけではない。生徒の能力とニーズに応じて授業のレベルも選ぶテクストも変わる。non-A∩Bタイプの生徒だから、数学はこのままで70を超える、問題は国語なのである。国語の能力が平均的だと高校生になってから英語の文脈読解能力が制限を受ける。いやいや、高校数学は問題文の読解が20~30%くらいの比重を占めているから、数学も著しく制限を受けることになる。
 外国語は母語以上にはならないから母語の底上げをしておく必要がある。速く読むトレーニングも 内容理解と密接な関連があるので案外大事だ。書くのが遅い生徒は時間を測って(5分単位)で筆写トレーニングをさせ、書いた行数をカウントしたらよい。授業を聞き漏らさずに黒板をノートに写し、コメントを入れていくには、スピードと丁寧さが要求される。高校生でこれができない生徒はほとんどが成績下位層に吹きだまることになる。やれる生徒は中学生の内からそういう技が身についているものだ。 

<次回予告>
 次回はNon-Aタイプの中1のA君に英語の教科書の個別音読トレーニングを始めたばかりなので、その事例の紹介をしたい。日本語の音読が下手な生徒は英語もほとんど例外無しに学力がふるわない。それは学年が進むほど差が大きくなるのが通例であるから、中学生のうちに手を打たないといけない。一音一音の発音に問題があるから英語と日本語の両方の発音のトレーニングを毎週繰り返す必要がある。この生徒はフォニックスで一通りの発音トレーニングは済んでいるのだが、身についていない。無理もない、授業でまとめてやるのは7回くらいだから、身につく生徒は半分程度だ。
 週に40分、12週くらい個別音読トレーニングを繰り返したら、見違えるようによくなる。問題はきらいな音読や読書を我慢してやれるかである。家でやって来いといっても、やってきた生徒はいない。きらいだからやらないし、できないから、誰かが適切な音読指導をしないと改善できない。
 口をはっきり開けて喋らない生徒が要注意である。口を閉めないで半開きのまま話しをしてみたらいい。その音声を録音して目をつぶって聴いてみたら自分が何を喋っているのか聞き取れないだろう。そういう生徒が10%ほどいるのではないか。「先読み」のできない生徒、中学生なのに語彙力が小4程度の生徒も入れると、どの学校でも音読指導が必要な生徒は40%前後になるだろう。
 手間がかかるが、縁あってニムオロ塾に来た生徒はとことん面倒みたい。こういうときはブカツがじゃまだ。毎週1日先生に告げてブカツを休んで塾に来れば3ヶ月でずいぶん改善できるのだが、レギュラーから外されるという理由で、ブカツをしている生徒は来ない。
 苦手なことをやらせるから、たくさん生徒のいる時間、特に下級生の要る時間にはプライドがあるからやれない。だから、4時から5時の間で空いている曜日を指定するのだが、当然ブカツの時間帯とぶつかる。3ヶ月ブカツを週に1日捨てるべきだが、生徒たちは棄てられない。保護者も往々にしてブカツを優先する。自分の子どもの未来と引き換えにしてよいブカツなどないとすれば、こどもの未来を真剣に考えていると言えるのだろうか?
 社会人になったときに、自分の考えを言葉で適確に伝え切れない、上司の話しを理解できない、必要な文書がかけない、つまりコミュニケーション障害の形をとってあらわれることになる。職を点々とするよ、たったの週1日3ヶ月間の我慢を生徒も保護者もできなければそういうことになる。
 治すチャンスはなかなかない。学校でこんなトレーニングはほぼ不可能だ。やってくれた例はこの11年間聞いたことがない。学校の先生もやってもらいたい。個別に音読レッスンをしてあげるべきだ、それがあなた達の本業なのだから。
 なんだかもう要点は全部書いた気がするので、次回は言葉のイメージ化に関して別なテーマをとりあげることにする。


*#2597 イメージの力(3):Aとnon-A型について  Feb. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16-2

*#2595 イメージの力(2): 6タイプに分類 Feb.16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16

*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14


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声に出して読みたい日本語

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ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1958/01
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心がスーッとなるブッダの言葉 (成美文庫)

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  • 作者: アルボムッレ スマナサーラ
  • 出版社/メーカー: 成美堂出版
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ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1978/01/16
  • メディア: 文庫

 1979年3月に第一巻初版が出版された、その直後に増田文雄訳『阿含経典』を神田の信山社で購入した記憶がある。パーリ語の辞書も置いてあったのだが、そのときに一緒に買いそびれ、いまだにパーリ語の辞書をもっていない。次に行ったときにはなかった。単行本はすでに絶版なので、文庫本を紹介しておく。


阿含経典1 存在の法則(縁起)に関する経典群 人間の分析(五蘊)に関する経典群 (ちくま学芸文庫)

阿含経典1 存在の法則(縁起)に関する経典群 人間の分析(五蘊)に関する経典群 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/08/08
  • メディア: 文庫
阿含経典3 中量の経典群/長量の経典群/大いなる死/五百人の結集 (ちくま学芸文庫)

阿含経典3 中量の経典群/長量の経典群/大いなる死/五百人の結集 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/10/10
  • メディア: 文庫



正法眼蔵〈1〉 (岩波文庫)

正法眼蔵〈1〉 (岩波文庫)

  • 作者: 道元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1990/01/16
  • メディア: 文庫
正法眼蔵〈2〉 (岩波文庫)

正法眼蔵〈2〉 (岩波文庫)

  • 作者: 道元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1990/12/17
  • メディア: 文庫
正法眼蔵〈4〉 (岩波文庫)

正法眼蔵〈4〉 (岩波文庫)

  • 作者: 道元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1993/04/16
  • メディア: 文庫
正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)

正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)

  • 作者: 和辻 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/02
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正法眼蔵〈1〉

正法眼蔵〈1〉

  • 作者: 道元
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1996/06
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正法眼蔵〈2〉

正法眼蔵〈2〉

  • 作者: 道元
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1996/07
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現代文 正法眼蔵〈3〉

現代文 正法眼蔵〈3〉

  • 作者: 石井 恭二
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1999/12
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正法眼蔵〈4〉

正法眼蔵〈4〉

  • 作者: 道元
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1996/10
  • メディア: 単行本
新訂 徒然草 (岩波文庫)

新訂 徒然草 (岩波文庫)

  • 作者: 吉田 兼好
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1985/01
  • メディア: 文庫

#2597 イメージの力(3):Aとnon-A型について  Feb. 16, 2014 [54. イメージ化能力と学力について]

 コメント欄でご指摘をいただいたので、俗説である右脳・左脳説に拠らすに観察された事実から、推論あるいは假説の構築を試みたい。

 前回定義した6類型のおさらいからはじめよう。

#2595から抜粋(すこし手を入れた)
--------------------------------------
 言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。

 A型 ⇔ non-A型
 B型 ⇔ non-B型

 学力という点からは、A&B型が圧倒的に有利であることは論をまたないだろう。根室にもどって塾を開いて11年が過ぎたが、中学生にnon-A&non-B型が増えている。それは日本語語彙力の衰えに現れている。生徒の20%がほとんど小説や文学作品を読む習慣がなく、漫画とゲームに熱中している。映像を受け取るだけで、15歳になるまで言葉から自分の頭の中に映像を作り上げるトレーニングをしていない。A型は本を読むことで強化されるのだが、本を読まないから脳内に言葉からイメージを創りあげるシステムが発達しない。はっきり言うが、こういう生徒は高校生になっても学力が伸び悩む。それは日本語読解力が育たないからだ。
・・・
 じつはもう一つ特別なタイプがある。文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者は稀だ。この能力をもつ者は、もたない者と会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。

 C型 ⇔ non-C型
--------------------------------------

 角度を変えて、わたしが直面している「難題(?)」から説明してみたい。
 一つは1月から音読トレーニングを始めてさまざまなテクストをいっしょに読んでいる小学生xの日本語語彙力の拡張と読解力強化をどうやるかという問題。この子は会話でも文章語を織り交ぜて自在に話すから、同年齢の子たちに比べると文章語の語彙力は格段に大きいから現段階では特段問題がない。'non-A∩B'型の小学生が高校生になったときに国語の偏差値を70オーバーにするための「仕込み」をどうやるのかという問題と言い換えてもよい。
 言葉からイメージを構成する力の弱い子どもにはほうっておいたら濫読時代が訪れないから、濫読期を経験する子どもと国語力において圧倒的な差ができる。国語の学力テストで毎回85~95%の得点をとる生徒は例外なく濫読期を経験していた。そして、どの生徒も平均して学力テストで学年3番以内の成績だった。読むのも速いが書くのも速い。粒のそろった字を高速で書くことができた。国語力の程度は学力全般に大きな影響があるとわたしには思える。
 年齢相当以上の語彙力のある小学生が、言葉のイメージ構成力に弱点をもっているとおそらく国語の成績が伸び悩むことが予測できる。本を読んで 自分のイメージを創りあげて楽しめる子どもはほうっておいても中学生の時期に濫読期を迎えることになる。

 もう一つは中3になっても小4レベルの日本語語彙力の生徒yの日本語語彙力の拡張と文章読解力をどうやって強化するという問題である。
 中学生の成績下位30%層の生徒のほとんどが小4程度の語彙力レベルというのが根室現実。成績下位層が厚くなって、成績上位層が急激にやせ細り始めたからこの5年くらいの大きな変化で、当然学力テストの平均点ががくんと下がった。
 なぜこのような現象が起きているのかはまた別途検討を要するが、根室の町の将来を左右する重大問題であることはまちがいない。現在の小中高生が30年後40年後の根室を支える貴重な人材となるから、低学力のままに放置したら根室は衰退の一途をたどることになる。30年後の根室の姿のおおよそは、いまわたしたち大人が子どもたちをどのように教育するかにかかっている。

 これら二人に共通なやりかたがあるのかもしれないし、問題が別だからそれぞれ個別に対応しなければいけないのかもしれない。いまはまだわからないから、結論を出さずに試行錯誤を続ける。
 はっきりしていることは母語の能力の低い生徒は英語の成績も伸びないということ。母語の能力と外国語の習得の間には強い正の相関関係がありそうだ。教科書は日本語で書かれているから、他の教科の学力にも影響が大きい。

 xがイメージがわかないと言ったときには愕然とした。だれでも言葉から具体的なイメージが自然にわくものだとわたしは思い込んでいた。だから、トレーニングを積んで種類の異なる日本語テクストをたくさん読ませ、そのセンスを磨けばいいのだと単純に考えていた。
 しかし、言葉からイメージがわかなければいくら良質のテクストを選んで音読をしても苦痛なだけで、本を読むことが面白いということはないだろう。いつまでも音読トレーニングを続けるつもりはないのである。言葉からイメージを創りあげその中を泳ぐ快適さを経験すれば、音読トレーニングはそこで終わりにする。あとは自力で濫読すればいい。

 話しが言ったり来たりするが、辛抱して読んでもらいたい。
 小説の大好きな高校1年生の女生徒が音読しているテクストの情景を詳しく説明しはじめたら、楽しそうに聴いている。「なるほど、そういうことですか」とうれしそうだ。言葉からイメージのわかない生徒には良質のテクストの音読だけではダメということ。ときどき、情景を解説してイメージ構築を誘導してやればよさそうだというところまではわかった。

 中3の生徒数人はもう少し初歩的なところに問題がある。数日前にある生徒が「おれ悲痛だ」と発言した。「悲痛」を辞書で引いて意味を調べてたので使ったのだが、「悲痛な叫び」とか「悲痛な思い」という用例はあるが、「わたしは悲痛だ」という用例は見当たらない。他にもなにか新しく覚えた言葉を使ったが、それも使い方が間違っていた。本を読まずに、漢字検定などの問題集で漢字を覚えても、用例がないから使えないということは起きるのだろう。やはり本を読み、文脈の中で用例とともに漢字を覚えていくのが遠回りのようでも近道なのだ。

 言葉からイメージを創れないかあるいはイメージ構成力の弱いnon-Aタイプについて議論している。xもyも、現在はこの類型に属している。
 中3のyのほうには他に問題があるが、これは成績下位層(30%)の生徒の大半に共通する問題である。音として聴いた言葉を脳内で適切な漢字に変換できないことは学習上の大きな障害である。
 日本人は話し言葉を脳内で漢字に置き換えてその意味を理解しているから、適切な漢字に変換できなければ文章語を使った発話の意味を理解できない。授業中に先生の話していることの意味がわからないから集中できない、そのために退屈になりアンテナが先生のほうから向きを変え、ノイズを拾い始める。無意識に私語をはじめ落ち着きがなくなる。いくら注意しても私語をはじめてしまうのがこのタイプだ。
 3年間も学校でそんなことを毎日繰り返していたら、私語をすることや落ち着きのないことが習慣となり、性格の一部にまでなってしまう。正常な人間は意味のわからない話には2分と集中できないようだ。我慢して聞いてみたところで、次々に意味不明のことばが出てくれば、心が疲れて聴くのを身体が嫌がる、ひどく疲れるのである。

 予防策はある。小学校低学年で基本漢字については書き取り反復トレーニングを徹底すればいい国語辞書や漢和辞典も引かせなくてはならないから、学校はそういうことを仕向けるような宿題の出し方を考え、家庭では毎日そうした時間をとれるように生活習慣の躾をしっかりしなければならない。これらはすべて小学校低学年の時期に躾けるべきことで、学力に自信のないお母さんでもできることだ

 では、中3でnon-Aタイプにすっかりなりきっている生徒はどうしたらいいのか?
 つれない言い方をするのはつらいが、数ヶ月でnon-A型をA型に変える魔法はない。読む本のレベルを漫画や児童書から引き上げ、年齢相応の本や背伸びした本をたくさん読み、意味のわからない言葉は国語辞書で引き、それをノートに毎日書き溜めて眺めることだ。新しく出てきた漢字は必ず漢和辞典を引き、漢字があらわしている元々の意味をしっかりつかんでおくことだ。

ーーーーー
 家に漢和辞典が一つあるなら、比較対照するのに白川静の『常用字解』を買ってみたらいい。高校生までは漢和辞典はこれで充分だ。大学生なら同じ著者の『字統』を書棚に飾っておきたい。『古事記』『日本書紀』『万葉集』を本格的に読もうと思う人は、『字訓』がいい。漢文の原典に遡って用例を載せている『字通』は漢和辞典の最高峰だが、普通の人にはいらない。わたしももっていないが、漢籍に興味がわけば話は別だ。人生は案外長いのかも知れぬ。
ーーーーー

 中学3年生で小学生4年生程度の日本語語彙力しかなかったら、高校3年間は徹底的に本を読み国語辞典を引け、そして新しい漢字に出遭ったら漢和辞典をひく。基本漢字についてもその原義については漢和辞典で確認しておいたほうがいい

 どんな専門分野でも日本語はありがたいことに基本漢字の組合せで専門用語ができているから、漢字の意味さえわかれば、専門用語の意味の検討がつく。だから、小学校で基本漢字の読み書きトレーニングを徹底することが重要なのである。
 英語はこうはいかない、たとえば医学専門用語はギリシア語やラテン語の接頭辞・語幹・接尾辞からできているから、これらの言語の素養がなければ、専門用語を一つ一つ覚えるしかないのである。
 その点、日本語はよくできている。基本漢字の意味さえしっかり漢和辞典を引いて覚えてしまえば、数式を除いてあらゆる専門分野の専門書を読む基礎的素養が備わる
 いまからでも遅くはない、いや遅いのだが、取り返しはつく。いままで怠けたのだから、追いつくためには人の2倍努力せよ
 ぜひ、A&Bタイプとなって、学力強者に成り上がってもらいたい


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*#2595 イメージの力(2): 6タイプに分類 Feb.16, 2014 
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#2595 イメージの力(2): 8タイプに分類 Feb.16, 2014 [54. イメージ化能力と学力について]

 土曜日の授業は中3である。1時間延長して10時まで英語の授業をやっていた。1・2・3年生でブカツ三昧だったり、ワガママできらいな科目を辛抱して勉強できない生徒が三人に二人の割合でいる。いまさらだが、基礎がまるでダメなので、不規則動詞を使った各単語三種類(現在形・過去形・過去分詞形)の文例をそれぞれ否定文と疑問文に書き換えさせるトレーニングをしている。68種類の不規則動詞をほぼ全員が60以上書けるようになった。家でまったくやってこない一人は11時20分まで居残りさせたこともあった。低学力化が進行する根室で私塾にどういう戦い方があるのか、こちらも真剣勝負だ。このクラスは思い入れが大きい。学校の先生たちも低学力の生徒に放課後補習をやる例が増えている。土曜日に数人対象に個別補習をしている先生もいる。授業の進捗管理は格段に改善された、昨年1月下旬に起きた弊ブログ炎上もこうしてみると必要なことだったと思える。一番歴史の古いA中学校では主要4科目がすでに教科書を終えている。9月頃はだいぶ怪しかったけど、教頭先生、よくやった。歓迎すべき変化である。
 授業が終わって10時半頃もどったときに、急に北風にのって吹雪はじめた、合同庁舎前の気温表示板はマイナス1.8度、気温が上がって雪の粒が大きいから、一週間前の48cmよりも大雪になりそうだ。

 さて、本題へ移ろう。「イメージの力」の2回目である。イメージの力は学力に関係が大きいので、一度自分の考えをまとめておきたいとにわかに思い立って書いている。子育て中のお母さんたちが子どもを育てるときや、小学生や中学生、そして高校生が自分をどういうタイプの学力強者に鍛え上げるかという問題を考えるときに少なからず役に立つだろう。

 万葉集原文はすべて漢字で表記されている。だから読み方が定まっていない歌もある。
 大和言葉に充てられた中国語(漢字)や音から連想でいる古朝鮮語には大和言葉とは別の意味が隠されているという説を唱えて、解読を試みている人やグループがある。読み様によっては非常に高度な遊びとほんとうに伝えたかった意味が裏に秘められているようだ。

 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

 茜さす 紫野逝き 標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる
 (あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる)

 天智天皇の寵愛を受けた額田王が元夫であった大海人皇子に詠んだ歌で相聞歌といわれている。この二人の間には十市皇女(といちのひめみこ)が生まれている。しかし、この歌が詠まれたときには額田王は標野(天皇の御料地)の内におり、手が届かぬ存在になっている。この歌に対する大海人皇子の返歌もまた意味が深い。・・・

 数学が得意だが国語がきらいなある男子生徒に日本語音読トレーニングを主体にした実験的な授業を1月からやっている。テクストに使っているのは『声に出して読みたい日本語』と斉藤孝・音読破シリーズであるが、狙いは日本語語彙力を拡張し読書力をつけると同時に日本的情緒を身体にしみこませるという欲張ったもの。
 日本文学の原点である万葉集はそうした材料として考えるときに、宝物がびっしり詰まった「宝箱」にみえてくる、『源氏物語』や『枕草子』もそういう宝物の一つであり、日本文学は宝の山だから利用しない手はない。

 この歌を含めて短歌を何首か音読して解説したがノリが悪いので訊いてみたら、言葉から情景が想い浮かばないのだという。短歌ばかりでなく、他の文章を読んでもイメージが頭の中に浮かばないという。
 「あかねさす」ときたら、茜色に染まるのは朝方の日の出のころと、夕方の日没前の情景が日本人には誰でも浮かぶものだとわたしは思い込んでいた。茜色・紫色の2種類の色と薬草畑の一面の青色、その中で大海人皇子が額田王に袖を振っている。野守が見ているかもしれませんよというのは、天智天皇が見ているかもしれませんということだ。そういう情景が自然に言葉から浮かんだら、この二人の関係はどういうことになっているのだろうと、想像力と好奇心がはたらく。ところが、イメージが湧かなければ、知的好奇心も起きない。
 短歌や俳句は言葉からイメージをつむぎだす宝物なのだが、脳内にイメージを創れない者にとっては退屈なだけで興味が湧かない。

 かくして言葉や文章から情景がイメージできないタイプがいることに気がついた。言語の処理は左脳、映像とをもなうイメージ処理は右脳が関係するといわれているが、これは俗説で特段の科学的な根拠はない
 文章からイメージがわかない人は、言語処理系のシステムの中にイメージを形成する処理系が含まれていないあるいはその連結が弱いのだと考えると、とりあえずは納得がいく。それが脳内の仕組みの中でどのようになっているのかは脳科学者の領分だから、彼らに任せたい。

 さて、言語からイメージを形成するのが苦手なこの生徒は図形を頭の中で動かすことができる。図形の回転移動を頭の中でやることができるし、立体図形も頭の中で操作できるから、数学はとてもよくできる。

 高校生の女の子に訊いたみた。'-1<x<5' と式を書いても、数直線が頭の中に思い浮かばないのだという。この女生徒は小説が大好きで、本を読むとその情景が頭にありありと浮かぶ。だが数直線を頭に想い描くのは苦手。情緒が関係するとイメージがわくのかもしれない。数直線なんて代物は味も素っ気もないから、イメージ構成システムが働かないのだろうか?
 この手の式をいくつか書いて、交わりの部分をソラで書ける生徒もいる、数学が得意な生徒だ。数学のセンスのよい生徒なら、そうした「芸」が可能だ。

 中学1年生の女子に立方体を描かせたら、半数近くがなかなか描けない。30分ほどトレーニングをすると描けるようになる。男子は立方体を頭の中に思い浮かべて、線のつながりを頭の中のイメージを元にして描くから、ほとんどの者が特別な訓練なしにいきなり立方体を描くことができる。

 男子の中には漫画の本ばかりで活字だらけの本はほとんど読まない生徒が4割ほどいるようだ。ゲームは熱心にやる。ゲームも映像を与えられるから、自分で脳内に映像(=イメージ)をつくる必要がない。
 小学生の6年間ずっと活字の本を読まないでいると、言葉からイメージを創る機能が未発達のまま中学生になる。その結果、文章を読んでもイメージが湧かないタイプの脳ができあがる。やっかいなことに育てたように脳は育ってしまう
 小説を読んでも純文学でも、言葉からイメージが湧かなければ、実につまらないから、こういうタイプの脳になってしまうと、ますます本を読まないし、日本語の読解力が著しく劣ることになる。国語も数学も社会も理科も英語も教科書はどれも日本語で書いてあるから、学力全般の低下が起きてしまう

 言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。

 A型 ⇔ non-A型
 B型 ⇔ non-B型

 学力という点からは、A&B型が圧倒的に有利であることは論をまたないだろう。根室にもどって塾を開いて11年が過ぎたが、中学生にnon-A&non-B型が増えている。それは日本語語彙力の衰えに現れている。生徒の20%がほとんど小説や文学作品を読む習慣がなく、漫画とゲームに熱中している。映像を受け取るだけで、15歳になるまで自分の頭の中に映像を作り上げるトレーニングをしていない。A型のイメージ構成力は本を読むことで強化されるのだが、non-A型は本を読まないから脳内に言葉からイメージを創りあげるシステムが育たない。はっきり言うが、こういう生徒は高校生になっても学力が伸び悩む。それは日本語読解力が育たないからだ。こういう生徒に本を読ませるのは酷だろうな。読めといっても読まないだろう。音読させればすぐにわかるが、先読みができない。先読みできなければ高速で読むことができないから、段落ごとの意味内容を比較対照しながら筋を追って読むことができにくくなる。高速読みができる者は難なく段落全体の構成を頭の中に創りうる。遅いものは次の段落を読み始めた途端に、前の段落を忘れてしまうようなことが起きるから、段落全体を俯瞰することができない。人間には短時間記憶領域というようなものがあるようで、そこを上手に使うには、インプット=読みの速度が大きくなければならない。遅いと時間切れで記憶が消えていき、前後の比較ができなくなるようなシステムになっていると仮定すると、読みの遅い生徒が文意を捕まえられない事情がよくわかる。

 少ない観察例からはAタイプとBタイプはしばしば拮抗するようだ。A型になるとB型の機能が衰える、BタイプだとA型の機能が弱くなるという傾向があるように思える。一方が発現すると他方の発現を抑えてしまうようだ、いわゆる文系頭と理系頭にわかれてしまう傾向がある。なぜそうなるかはこれまた脳科学の領域だから専門家にお任せしたい、わたしは観察した事実と、現象を語るだけだ。
 現象面から見ると、国語はできるが数学はからっきしダメという女生徒は案外多いし、数学はできるが国語や英語は大きらいだという男子生徒も多い。

 だが、極小数、A&Bタイプが存在し、その者は学力強者となる。「育てたように脳は育つ」と書いたが、どうやればそういう脳の機能を強化できるのかは3回目以降のテーマとなる。

 じつはもう一つ特別なタイプがある文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者が存在する。この能力をもつ者は、もたない者と会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。

 C型 ⇔ non-C型

 すべて假説であるが、生徒を観察した事実と自分の経験に基いている
 2回目はこれくらいにしておく。


(コメント欄に右脳・左脳説は俗説であり科学的な根拠がないという指摘を受けた。ネットでいくつか検索してみたが、科学的根拠がないことだけはたしかなようだから、本文を修正した。アンダーライン部分である。
 左半球と右半球の間に脳梁があり両方のインターフェイスを行っているので通信しあって連動して機能しているというのが正しいのだろう。あまり機械論的に考えると実際の脳の働きから離れることになりそうだ。わたしは観察された事実から、假説を提示するだけで、脳の機能そのものについては脳科学者の領域であり、素人の私が口を挟むフィールドではない。)


*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14



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 芥川龍之介『羅生門』
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斎藤孝の音読破〈1〉坊っちゃん (齋藤孝の音読破 1)

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 「すらすら読める○○シリーズ」という古典名作解説シリーズがある。ニムオロ塾では中3の音読授業に、世阿弥著 林望現代語訳『すらすら読める風姿花伝』を5年前から使っている。
 原文対訳、そして解説がついている。中学生にはかなり背伸びした読書になる、高校生や大学生にはぴったりだろう。何冊か読んだら、好きなものを選び、古典の名文ををそのまま味わうとよい。

すらすら読める風姿花伝

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#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 [54. イメージ化能力と学力について]

 NHKプレミアムアーカイブスで作曲家&ジャズピアニストの加古隆をとりあげていた。1947年生まれだからわたしよりも二つ年上。こんな人がいるなんていままで知らなかった。東京芸大大学院卒のジャズピアニストなんだかミスマッチのようでもあり、クロスオーバなベストマッチのようでもある。パリ国立音楽院へ留学しているから、本来ならクラッシク畑の人だったのだろう。

*加古隆オフィシャルサイト
http://www.takashikako.com/

 ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%8F%A4%E9%9A%86

 加古がいうには、ピアノは「樹の響き」だという。美しい音は美しいものを大事にしようとする心と共振するというようなことをいっていた。うまくは表現できないがと言いつつそういった。
 お父さんに連れられて海へ行ったときにそこに沈む夕日がとても美しかった、作曲でつまるとその夕日を思い浮かべたという。

 小学生の何年生だったか忘れたが、たぶん6年生の夏、オホーツク海へ沈む夕日にしばし見とれたことがある。とても美しかった。赤く染まった大きな太陽が海へつきそうになる瞬間に太陽の下部がゆらゆらしながら帯状に海へと伸びてつながってしまった。魂をわしづかみにされた気がして、「ああ、・・・」、どういうわけか涙が溢れた、とまらなかった。限りなく美しいものをみてしまった気がしたのである。
 「沈む夕日に奪われし12の心」

 高校を卒業してから35年間東京暮らしだったわけだが、ときおりオホーツクに沈む夕日を心の中に描いていた。いろんな芸術作品はそれなりの感動を呼び起こすものだが、あのときに沈んだ太陽以上の感動を与えるものにであったことがない。美しい光景に出会った瞬間に魂が共振現象を起こしたのだと思う。
 東京では海辺から30kmも離れた日野市に住んだが、湿度や風向きの関係で丘陵地帯にも潮の香りのする日が年に数回あった。そのたびに無性に海を見たくなった。

 加古も海へ沈む太陽という原風景をしっかり心に刻み込んだのだと思う、それが作曲の原動力なのだろう。

 生徒を教えていて、最近あることに気がついた。自分ではあたりまえすぎて気がつかなかった。言葉に対するイメージ化能力の有無が学力に深くかかわっていることに気がついたのである。それは2種類ある。
 次回は、2種類のイメージ化能力について書いてみたい。


(生まれた川へ戻るシャケさながらに、35年ぶりにふるさとへもどったのは、オホーツクに沈む夕日の美しさが繰り返し心の中によみがえり、わたしを呼んだのかもしれません。心の原風景は一度焼きついたら死ぬまで消えることはない、いまもあの時の振動を折に触れて心の中にありありと再現するのです。どんな心象風景があるのかはわかりませんが、似たような想いを抱く高校時代の同期が一人はいるようです。今年になってから弊ブログで取り上げました。#2560「ふるさとの風」)
*http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-09

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*#2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16

*#2597 イメージの力(3):Aとnon-A型について  Feb. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16-2

*#2595 イメージの力(2): 6タイプに分類 Feb.16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16

*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14




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