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#4601 夏の思い出 2019:根室金刀比羅神社例大祭 Aug. 10, 2021 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 8月10日は毎年恒例の根室金刀比羅神社の例大祭の日です。この日をめがけて帰省ラッシュが起きます。根室っ子はお祭り大好き人間が多いのです。
 今朝から台風9号の影響で雨が降り続いています。この雨では神輿はトラックの荷台に乗せられて巡行ということになったでしょう。あいにくと2年続きのCOVID-19パンディミックで祭典は中止となり、緑町に並ぶ夜店もアスファルトに場所割りのT字型のマーキングがつけられただけで、屋台は一つもありません。
 祭りが近くなると、各祭典句は笛や太鼓や金棒の練習に熱が入りますから、音が遠くまで聞こえてきます。その祭りの音色に毎年浸っているうちに、根室っ子の身体にリズムが染み込んでしまいます。

 高校を卒業して都会へ行っても、身体がその音色とリズムを記憶していて、時々妙に古里が懐かしくなります。根室の高校を卒業してから17年目1984年の12月に、仕事していたのは西新宿NSビル22階のSRL本社でした。クリスマスコンサートが30階まで吹き抜けになっている1回広場で開かれます。毎年カントリーウェスタンでした。尾藤イサオが歌う、"Country road, take me home..."、この歌詞が耳に入ってくると、古里根室が懐かしくって胸が締め付けられる思いをしてました。50歳になったら故郷へ帰ろう、そう思ったのです。2年遅れましたが、その時の想いは現実になりました。不思議ですね、思いが現実化するほど強かったのかな。

 今日は朝から雨、寒いので、昨日と今日は床暖房を入れてます。午前11時気温は13.7℃。

 故郷を離れて、何年あるいは十数年、そして数十年たったあなたも、思い出してください。和太鼓のや笛のあの音とリズムを。そして力技の金棒の揃った音を。

 2019年の写真です。

①駅前付近で撮りました
 いい顔して担いでますね。
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②第三祭典区の先太鼓です
 先頭で笛吹いているのは根室高校サッカー部のゴールキーパーです。
 中学生の時は出たとこ勝負のへたっぴーでしたが、高校サッカー部では名ゴールキーパーと言われてました。念願だった大学サッカー部で活躍してるって聞いてます。
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③西部祭典区の山車です
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④緑町2丁目交差点付近
 山一商店の前の夜店です。角には食料品中心の川原商店がありました。午後には建物内に陳列しきれない商品が歩道に積まれて販売されていました。ずいぶん流行ったお店です。夕方になると、積んだ商品があらかた売れてしまいます。右側には山田さんというお豆腐屋さんがありました。一枚ずつ油で揚げたがんもどきと焼き豆腐が美味しかった。娘さん、中学校のときに同じクラスでした。
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⑤これはどのあたりだったかな?(笑)
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⑥夜の祭典—山車のお囃子太鼓の競演
 第一祭典区の山車と角突き合わせて太鼓を叩き合っているのはどの祭典区かな?
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⑦緑町1丁目と2丁目の交差点付近です
 右角は老舗の酒屋さん。
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⑧祭典区ごとの和太鼓の競演です<第一祭典区>
 これが熱い!普段の和太鼓のトレーニングの成果がここで爆発します。
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⑨和太鼓共演<西部祭典区>
 根室太鼓のサトウさん、愉しそうですね。和太鼓のトレーニングはずいぶんカロリー消費しますが、和太鼓の名手でもなかなかやせないのですね、不思議です。毎年、少しやせたかなって思いながら見てます。元気で何よりです。
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 お祭りの和太鼓の音が聞こえてくる気がしたら幸いです。
 最後までご覧いただきありがとうございます。




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#4446 金刀比羅神社初詣バス運行 Dec.31, 2020 [88.金刀比羅神社のお祭り]

元旦の朝、金刀比羅神社初詣バスが運行されますのでお知らせします。
 光洋中学校バス停前10:54発です。

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 これが今年最後のニムオロ塾の記事です。
 1年間、弊ブログをご愛読くださいましてありがとうございます。来年も変わらぬご愛読をお願い申し上げます。
 それでは皆様、好いお年をお迎えください。

 (今年大学を卒業して社会人1年目の元塾生がFB上に暮れの挨拶文を載せていました。見事な文でした。長年のサラリーマン生活のお陰で書いた文章を見ただけでどの程度の仕事ができるのか、ある程度判断がつきます。社会人としての文章力が軽く偏差値60を超えてます。インプットの量がある線を超えないとああいう文章は書けませんね。この生徒は多読、それも高速で本を読む生徒でした。その速さとジャンルの広がりはナンバーワンでした。わたしの本棚から、子供向けに書かれて哲学の入門書を見つけて引っ張り出して読んで「先生、これ面白そうだから貸して」。何冊か自分が読んだ本を「これ面白いから読んで」なんて、ゲームを題材にした小説や「本当は怖い童話」も何冊かもってきました。面白かった。でもね、数学と英語の勉強は嫌いでしたね。絵と習字がとっても上手でした。わたしはその才能から漫画家になることを期待していました。いや、いまでも期待しています。彼女の描いたものは表情が生きてるんです。)

 正月休み、暇を持て余したら、語彙レベルがちょっとだけ高い本を選んで読みましょう。


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#4236 根室金刀比羅神社例大祭中止 April 28, 2020 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 金刀比羅神社例大祭(8/9・10・11)が中止になった。
 武漢コロナウィルス感染症が終息しそうにないので、お祭り参加者や見物の人々の間で感染が起きることを懸念して、涙を呑んで中止となった様子。二週間くらい前から、先太鼓や笛、山車の太鼓や笛、手古舞の練習をはじめないといけない。とても感染対策とれないということで各祭典区の意見が一致したのだろう。結論出すの速かった。泣くこと武漢コロナ感染症には金刀比羅神社のお祭りも勝てない、負けるが勝ちということもある。今年は7月の花火大会も港祭りも消滅しそうだ。
 根室高校の学校祭はまだ考慮中の様子、消滅すれば3年生は昨年が高校最後の学校祭となってしまう。なんともうらめしいことだろう。中学校の修学旅行は例年5月だから、中止の選択肢しかない。根室高校は11月だが、おそらくやれない。2年生は来年3年になってからということで延期という選択肢があるが、それも今後の状況次第。武漢コロナ感染症の影響は大きい。

 お祭り中止の詳細は下記の神社ホームページをご覧ください。

*根室金刀比羅神社ホームページ
https://www.nemuro-kotohira.com/例-大-祭/


<昨年のお祭り>
 担ぎ手のみなさん、いい顔してます。ここから根室駅前往復200mの疾走が始まります。走り終えたらへとへとです。ことしはこれが見られない、とっても残念です。
  54年前、根室高校3年生のわたしも、数人の仲間と一緒に担いでました。大人のチームと高校生主体のチーム、担ぎ手は2チーム編成でした。若い人が少なくなりました。
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#4061 金刀比羅神社例大祭:本宮の夜 Aug. 10, 2019 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 8/10、夜7時から緑町1丁目交差点で行われた、太鼓の競演を見に行きました。まだ、太鼓の音がジンジンしてます。写真10枚アップします。

<写真①>
 緑町3丁目交差点(花咲街道)から見た夜店の列です。弥生町1丁目まで続いています。
 夜店の数は少しずつ減ってます。55年前は、梅ヶ枝町三丁目から一丁目まで夜店が並んでいました。花咲通りにも梅ヶ枝町から緑町まで夜店が並んでいました。当時は植木屋さんは場所をとるので、鳴海公園でした。現在の2倍くらいありました。いまはこの通り一本だけです。気温は15度くらいでも、浴衣姿の人は多い。本音はウールの着物の方がぴったりです。
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<写真②>
 緑町2丁目交差点左側の「型抜き」の夜店です。この奥がスマートボール。この区画だけは60年前とあまり変わりません。旧川原商店前ですね。お昼には歩道に商品が山積みになり、それが夕方にはほとんどなくなっていました。お客さんでごった返していました。スマートボールの夜店の向かい側が「山田豆腐店」でした。がんもどきやアブラゲを毎日揚げてました。数人人を使っていたお豆腐屋さんでした。長女だったかな中学生の時の同級生でした。
  左側、手前角から、川原商店、山一、九谷屋金物店が一区画でした。派手な色彩の九谷焼の大きな陶器が窓辺に並んでいたのを覚えています。陶器屋さんだと思っていました。ご主人物書きだったのですね。北海道新聞が根室高校シリーズを連載していますが、その記事で知りました。子ども心にも、商売に熱の入っていないお店だというのがよくわかりましたが、理由がわからなかった。60年たってようやく理由を教えてもらった気がします。(笑) 川原商店も山一も商売熱心でお客さんでごった返していましたから、じつに対照的でした。商人というものは、その心掛けが商売にそのまま出るモノなんです。わたしには懐かしい一角です。道路右側には、靴屋さん、山田豆腐店、銭湯の松乃湯、文具屋さん(五番館?)、宮本おもちゃ店が並んでいました。この辺りまでは、梅ヶ枝町3丁目、道銀向かいに生まれてから高校卒業までの18年間住んでいたわたしのテリトリーでした。常磐町のヨッコもこのあたりがシマでした。あいつは北斗小学校、わたしは花咲小学校、光洋中学校で同じクラスになりました。あれから58年間のつきあいになります。
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<写真③>
 第一祭典区の太鼓演奏が7時23分から始まりました。
 太鼓の数は8つです。肩から下げた太鼓が重そうです。
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<写真④>
 東部祭典区の太鼓演奏です。軽い音のする小さい太鼓を6個、パイプ製の台にセットして地面に直接置いてます。大太鼓が一つと、3個並べて一人で叩いてました。太い撥を両手で持って打ち下ろすので、腰の力がモノをいいます。演奏は、タンタンタンと軽快な音から始まりました。
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<写真⑤>
 第三祭典区の太鼓部隊です。太鼓は10個でした。もちろん各祭典区には太鼓のほかに、3人の笛と、シャンシャンシャンとなる、金属の灰皿のような楽器を打ち鳴らす人がいます。リズムに合わせてダイナミックに動きます。それも見どころの一つです。
 御旅所のあるところに、ヤチダ靴店「靴のトガシ」がありました。2階建てで2階も売り場になっていました。
*靴のトガシ:http://www.midoreet.com/m042.html
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<写真⑥>
 第三祭典区-2
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<写真⑦>
 第三祭典区-3
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<写真⑧>
 西部祭典区
 どの祭典区の技術レベルも高いのですが、西部祭典区には根室太鼓の佐藤さんがいます。この祭典区が一番根室太鼓のメンバーが多いのではないでしょうか。
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<写真⑨>
 1丁目交差点での太鼓共演がはねた後、緑町2丁目交差点で第一祭典区の山車と第三祭典区の山車が角を突き合わせて、太鼓をたたき合っています。第一祭典区の女の子が太い撥を笑顔で突き出している表情がいい。「よいよいよいよい!」と大きな掛け声とともに、バチを突き出し、第三祭典区の叩き手を挑発してます。第三祭典区の方は細い撥で、神田ばやしを高速連打です。年に一度だけ、太鼓の競演が終わっても余韻まだ冷めやらぬといったところです。
 2丁目角の酒店さんは60年前にもありました、老舗です。緑町1丁目の小林酒店さんも老舗でしたが、数年前に閉店しています。1丁目では伊沢書店さんも老舗の書店の一つでしたが、一番最後に閉店となりました。ご主人の顔が浮かびます。お元気にしておられるかな。本を買う人が減っていけば、町から本屋さんがなくなります。

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<写真⑩>
 同じシーンを、少し引いて写しました。2丁目交差点は熱演に声援を送る観客でいっぱいです。午後8時33分のシーンです。左端の手前側が第三祭典区の山車、奥側が第一祭典区の山車です。
 右側の角の店が、老舗の酒店さん、60年前にもありました。小酒井さんと言ったかな。斜め向かいに北洋相互銀行そして坂を下った方に札幌銀行がありました。北洋相互瓶工は60年前にもありました。若い元気な行員さんがビリヤードしていたので覚えてます。
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 どの祭典区だったな忘れましたが、肩から掛けた大きな太鼓を、片手で両面を連打する技がすごかった。ソロ演奏が長かったんです。この技は、根室太鼓の佐藤さんが3年くらい前にやって見せてくれたのが、わたしが見た初めてでした。金刀比羅神社のお祭りを横糸とすると、根室太鼓という縦糸があって、一つの織物となって技が受け継がれていってます。お祭り練習だけでは、技倆がこんなに上がらなかっただろうと思います。60年前との大きな違いは、根室太鼓という和太鼓のグループがあり、一年を通してトレーニングしているからです。その担い手の一人が、佐藤さんです。太鼓に打ち込むあまり、だんだん太鼓になってきました。仕事も一生懸命にやる人です。


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#4060 金刀比羅神社例大祭 Aug. 10, 2019 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 2時ころにお祭りを見に行った。緑町は人でごった返していた。2時の気温は14.8度だが、浴衣姿の人が多い。中高生と家族連れでがほとんど、若い人は少ない。時々小雨がぱらついていました。

 今夜6時半からの、各祭典区の太鼓の競演がすばらしいのです。観客が多いほど盛り上がります。太鼓の技量は昔に比べると、比較にならぬほどアップしてます。太鼓だけは、後継者もしっかり育っています。

<写真①>緑町はいつもどおり夜店が並んでいた。
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<写真②>お神輿が来た!
正面に白装束の人がいますが、毎度おなじみ、お神輿の先導役のK浦さんです。忙しそうなので眼で挨拶、根室高校1年生の時に同級生でした。当時、かれはアマチュア無線が趣味でした。わたしは家業のビリヤードが趣味と同時に店番お手伝い。たった一年間の同級生でしたが、35年ぶりで根室へ戻っても、「お!、ebisu」「お!上浦」といきなり高校1年生からワープしてきた感じで、違和感なし。お祭りのときに立ち話するだけ、毎年そうしてお互いの生存を確認してます。(笑)
 後ろに歩道橋が写っていますが、お神輿が通るときに歩道橋に人がいたら、下りてもらいます。お神輿には神様が乗っておられますので、お神輿よりも高いところから見物してはいけません。
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<写真③>根室駅前 お神輿ラン!
 根室駅まで走ります。惰性がつくので、とめるのたいへんなんですが、すんなりとまってました。青い装束の人たちが神輿の制御役です。1.5tのお神輿ですから、勢いがつくと危険なのです。組んでいる木をいれたら、1.8tあるのかな?重いので、綿の入った分厚い肩当をして担ぎます。52年前にわたしも肩当をして担ぎました。緑町の下り坂で、道路わきにとめてあった車を大破させ、出雲神社の大灯篭を吹っ飛ばしました。お神輿の枠木にちょっとあたりました。2mを超す石灯篭が吹っ飛びました。間に人が入ったら、即死です。神輿を担ぐ人たちは、途中でお酒を飲まなくなりましたね。昔は、結構飲む人が多かった。だから危なかった。ご利益か不思議に怪我人がでない。
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<写真④>息切れしてます(笑)
 担ぎ手は2つのグループに分かれているので、ここで交替です。
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<写真④>着飾ったお稚児さん 
 お母さんと6人の子どもたち、ではありません。(笑)
 いくつかのグループに分けて、それぞれお世話係のお姉さんがついてます。このお姉さん、子どもの扱いがとっても上手。
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<写真⑤>西部祭典区山車
 根室駅前の国道から撮影
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<写真⑥>第三祭典区山車
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<写真⑦>第三祭典区先太鼓
各祭典区には「先太鼓」グループが2組ついています。子どもと大人ですが、いまは大人がすくなくなって、中高生がほとんどです。子どもの方は小学生が主体。境目がはっきりしなくなってきました。昔は先太鼓を高校生が叩くということはありませんでした。20-30代の大人の男だけでが叩いてました。先太鼓の競演では、「喧嘩太鼓」、腕力勝負、力任せにたたいてました。(笑)
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<写真⑦>東部祭典区山車(遠景)
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<写真⑧>東部祭典区山車(ズームアップ)
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#3804 根室金刀比羅神社例大祭:本宮の夜 Aug. 10, 2018 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 前回は10日の昼の部でしたが、今回は同じ日の夜の部、和太鼓の競演です。アスファルトの地面を太鼓の振動が伝わってきて、心がわしづかみされます。根室っ子は祭りの太鼓の音が大好きなのでしょう。ニムオロ塾にも開塾当初から和太鼓娘が多い。最初の年は根室高校ぎりぎりの生徒が2013年1月下旬の和太鼓グループの3日合宿に行ってます、受かってからいいようなものの、危険なかけでした。K.Aさん、印象が強かったのでいまでも名前を憶えています。和太鼓グループは根室太鼓のほかにもう一つあったのではなかったかと思います。全国準優勝したグループがあったのではないか。あるいはどちらも根室太鼓かな、そのあたりがはっきりしません。どなたかわかったら投稿欄で教えてください。

①「先太鼓と金棒の競演」が始まりました、最初に入場したのは東部祭典区です。建てき手が赤、横笛のチームがいます。
場所:緑町1丁目交差点
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②金棒隊が入場してきました。動きが激しいのでにじんで写りました。
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③四祭典区の先太鼓が全部そろったようです。東部と向かい合わせなのは西部祭典区の先太鼓です。叩くのとは反対側の面が1mくらいですから、打ち方が弱いと太鼓の革が共鳴して振動し、撥がはじき返されます。まさに喧嘩太鼓です。50年前はわざと50㎝くらいまで近づけて力比べをしてました。血気盛んな若衆が多かった。
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④太鼓たたいています。赤のも王の入った祭典区は叩き手が10人以上いますね。思いっきり叩くので長くは叩けませんから、次々途切れないように上手にバトンタッチしていきます。
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⑤四祭典区全部の金棒隊が入場して回っています。
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⑥完全に逆光です、いま気がつきましたが、移動が面倒なこととムービー機能を使いたかったので、そのまま撮影続行。これはこれで味があります。
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⑦東部祭典区和太鼓演奏がはじまりました。ここからがたまらない、お祭りの夜のクライマックスです。今年3月に東京多摩市で4グループの和太鼓演奏を見ましたが、技術レベルがまるで違いました。毎年のお祭りめがけて一生懸命練習を繰り返している。腕のよい先輩から後輩へと技術が引き継がれている。そして外枠から和太鼓グループ根室太鼓が各祭典区の技術手ベルを維持・向上に努めています。FBのほうにムービーをアップしてあります。
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⑧大太鼓の下に控えている獅子舞2組が太鼓のリズムに合わせて、首を振り尻尾をふって動き出すと、周りの女の子たちが「こわい!」とお父さんの陰に隠れます。まるで生きて踊っているようないい動きなのです。三人一組で一つの獅子を操るのはこの第三祭典区だけです。機会があれば、来年是非来てご覧になってください。同じ日のおなじ時間にやります。
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⑨横に長い写真になってますので、ドラック(左クリックしたまま横にずらす)すると全面がでます
 絵画の大作ような写真が撮れました。コンデジカメラで望遠機能を使ったので、画質が悪くなり粒子が荒れてしまいました、偶然絵画風に、ワッハッハ。でもこういう絵を描いてみたいと思います。
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⑩第一祭典区の和太鼓チームの演奏風景です。前に位置している三人のうごきが柔らかく、ぴたっと一致していました。面白い動きでした。一番前の人がいわばコンサートマスターです。
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⑪四祭典区全部の先太鼓と金棒の競演スナップです。
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⑫四祭典区先太鼓と金尾部の競演
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⑬これも同じです、金棒チームの躍動感が写っています
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⑧-2 ムービー画像からプリントしました。左クリックしながらドラッグして全画面をごらんください。迫力のある絵が画面いっぱいに広がります。
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長いことおつきあいくださってありがとうございます。これでおしまい。


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#3803 根室金刀比羅神社例大祭:本宮の昼Aug.11, 2018 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 金刀比羅神社例大祭本宮の昼の巡行スナップ写真とキャプションをご覧ください。根室のお祭りは若者の意気盛んです。学校の先生も毎年三人ほど参加しています。
 お神輿だけ#3802へアップ済みです。
 

①先頭は東部祭典区です。場所は国道44号、根室駅交差点手前です。歩道橋とホテル・イーストハーバーが写っています。
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②場所:駅前交差点
東部先太鼓です、小雨が降っていたのでビニールシートをかけてます。力いっぱい叩くので濡れたままでは太鼓の革が破れちゃいます。叩きにくいでしょうね。
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③東武祭典区金棒チームです。前に控えて背中を向けている若衆二人が全身で拍子をとってチーム全員に伝えます。オーケストラにたとえると指揮者役です。
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④東武祭典区の子どもの先太鼓です。移動しながら叩くのでむずかしいのですが、女の子がしっかり叩いてました。
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⑤東武祭典区の子ども神輿です。各祭典区がみな子ども神輿をもってます。


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⑥東部祭典区の山車です。この写真の順序が各祭典区に共通です。
場所はあいかわらず駅前交差点、国道44号です。
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⑧第一祭典区のこども先太鼓です。小学生の女の子が叩いてました。道路の向こう側に映っているのは旅館です。いい場所にあります。
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⑨カネカのマークが白字で壁にくっきり書かれています。レンガ造りかな?「北の勝」で有名な碓氷商店の酒蔵です。3棟並んでいます。皆さんご存知、日本製東端の造り酒屋。高校同級生のニックネーム「オトヤさん」が番頭さんをしています。碓氷さんは酒蔵を一般公開していないので見学はできません。一度だけ現当主がテレビ取材に応じて酒蔵にカメラをいれたことがありました。2年前だったかな、あれはびっくりでした。なかのよい友達が番頭さんでも、酒蔵には入れてもらえません。蔵の中は空気たしっとりして、酒の香りが漂っています。奥多摩の澤乃井は10回ほども見学したし、山梨県まで酒蔵見学にでかけたことがありました。カネカのマークの入った酒蔵を背景に祭りを切り取りたかった、うまくいきました。
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⑩先太鼓ですね、服装の色から見ると西部祭典区です。
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⑪西部祭典区金棒隊の行列
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 夜の部は#3804でアップします。


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#3803 根室金刀比羅神社例大祭本宮:神輿巡行 Aug. 10, 2018 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 10日の神輿巡行を根室駅前で待ち構えていました。交差点から駅まで神輿は往復するのですが、途中駆け足がはいります。1.5tの神輿に太くて長い組み木が付属するので、総重量が1.8tになっています。誰かがこけたら重いですから、総崩れになり怪我人や死人が出かねません、それほど危険な駆け足ですが、いまだ事故無し。神様が載ってますからね。

①鮮魚店の海鮮市場前ですね、その隣ピンクの建物は喫茶店モンブラン、わたしが高校生の頃に(1964-67年)よく利用しました。高校生にはふさわしくないお小遣いがありました。家業のビリヤード店を毎日手伝っていたからです。土曜日なんか、「オヤジ寝ていていいよ、俺朝まで店見てるから」と、翌朝8時ころに交替してました。お客さんが多かった。人口4.8万人、若い人がとっても多く、活気にあふれる町でした。
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②写真が大判だと走って疲れたという表情がよくわかるのですが、サイズが小さい。FBには8Megaでアップしてるので、一人一人の表情がわかります。
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③神輿の写真は上から撮ってはいけないのです。北海道新聞が朝刊に上から撮った写真を載せてました。ルールを知らなかったのでしょう。来年は上から撮らないように。50年前は神輿が通るのを2階から見物するのもはばかられていました。北海道銀行の向かい側に家がありましたが、いつも2階の窓から、通りを歩く同級生と話をしていたので、神輿も2階から眺めようとするとお袋に叱られました。「降りてきてみなさい!」
 同級生のKが神輿の先導係をしていますが、国道にかかっている歩道橋に人が上がっていると、大声で降りるように注意してます。神輿は人が下りてからでなければ、通りません。運航の邪魔をすることになります。
駆け足で往復したので担ぎ手はヘタっています。だから、交替です。ここ(常盤公園前)から「北の勝」碓氷さんの酒蔵まで下り坂ですから、疲れていたらアブナイ。支えきれなくなって事故を起こします。神輿の前部分には制御のための人員を配置しています、服装が違うのでわかります。
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④交替しました
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⑤お酒北の勝で有名な碓氷商店の前です。道路の手前側(撮影者の背中側)が酒蔵になっています。一般公開はしてません。高校時代の仲のよい同級生が番頭さんをしていますが、私が頼んだって無理です。もちろん頼んだことはありません。友達に無理を言ってはいけません。今日も忙しそうに碓氷商店本店前で祭りの接待してました。忙しいに決まっているから声もかけませんでした。けっして仲が悪いわけじゃありません。(笑)
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⑥御旅所に到着、奥に鎮座しています。緑町1丁目交差点です。
ずっと仮小屋を組み立てて運営、祭りが終わる都度解体していましたが、数年前に固定施設にしたとたんに、祭り当日に雨が降るようになりました。金刀比羅神社の例大祭は根室では雨が降らない得意日だったのです。だから、子どもたちは「お旅所を造った祟りだ」と噂してました。全国放送になった高潮騒ぎもあったからでしょう。あの時は御旅所の床すれすれまで水が来たそうです。祟りではなくて建てたところが洪水がよく起きる低いところだったのと、根室半島がこの50年間で50㎝沈み込んでいるからなのでしょう。それと異常気象が増えたことなどによる、複合原因というのが事実でしょう。今年も雨が降りました。神輿は12時半に御旅所を出発する予定になっていましたが、朝から雨、でも小ぶりでした。2時にはやんでます。
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#3802 金刀比羅人社例大祭:宵宮 Aug. 9, 2018 [88.金刀比羅神社のお祭り]

<根室金刀比羅神社例大祭:宵宮>18:30~20:05
台風13号は21:45石巻市の東南東120㎞にあり、東へ遠ざかっている。午後6時半から緑町交差点で手古舞と山車の競演が開かれた。学生たちは金刀比羅神社のお祭りに一斉に帰省する。友人たちに会うにはこの3日間がベストだ。
19時の気温は13.2度、北東の風5.0m/s
寒かった、写真に写っている人の服装は浴衣アリ、冬用防寒具アリ、さまざまです。中学生に浴衣が多かったかな。大人は寒くてとてもそんな薄着でいられません。

金色に輝くセンスを頭上にかざしたところをパチリ、手古舞です。クリックすると写真全体が見れます。
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弥生町の坂の上から夜店の列を撮ってみました。今日と明日の夜が一番人出が多い。一人、元塾生を見つけました。
金魚すくいがまだありました。食べ物の夜店が多い。左手前の店は「フルーツあめ」。

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第一祭典区、待機中です。寒いので他の山車が演奏しているときに、エアーで相手のリズムに合わせて太鼓を叩くしぐさをしてました。身体を動かしていないと寒い。わたしも風邪ひいたかもしれません。
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東武祭典区、ただいま次の出番待ち。さっきまで白い歯を見せてほほえんでいたのに、シャッターチャンスを逃がしました。高校生の和太鼓娘の一人かな?
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これは第三祭典区の山車です、この後ろにフィギュア―が載ってます。
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第三祭典区の山車です。全部で四区あります。ここの祭典区の太鼓はテンポの速い神田ばやし。7ときどき腰を浮かせて叩いて、ドスンと腰を落とすので山車がゆれます。前の五人がぴったりあわせて動くので、揺れます。そんなところに注目してほかの祭典区と比べて太鼓の演奏を見ているとおもしろい。

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右側が東武祭典区、左が第三祭典区です。四区全部が交差点の中央の狭いところで、太鼓を打ち鳴らします。和太鼓の喧嘩です。アンサンブルではありません。それぞれのリズムを叩きあって他を圧倒します。
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#3580 年に一度お祭りの時に飲む特別なお茶 Aug. 14, 2017 [88.金刀比羅神社のお祭り]

<更新情報> 
8月15日夜11時55分 400年に一度の大津波に備える

金刀比羅神社のお祭りのときに、「北の勝」ではパイプを引いて蛇口をつけて酒造りに使っている湧水をふるまう。10日にそこから300ccほどいただいてきた。
  その水でお茶を入れて飲む、これが実においしいのだ。年に一度しか飲めないからなおさらだ。今年も貴重なお水を沸かしてお茶を入れていただいた。

  お茶の葉は毎年、東京高幡不動駅前の金子園から新茶をとっている。以前は板橋区志村坂下駅前の君野園というお茶屋さんに新茶の予約注文をしていた。新茶は味わいが違う、味の劣化が少ないように冷蔵庫に入れて保管して使っている。最近はおつきあいからコープサッポロの新茶も注文して飲むが、水道の水は使わずに2Lサイズのペットボトルの天然水を使う。水道の水を使うとおいしくないから。
  お茶も珈琲も水がよいと素材の持つうまみを存分に引き出してくれる。

  根室には「北の勝」のほかに昔「色媛」という銘柄の酒があった。わたしが小学生のころはまだあった。カネマンと呼んでいたような気がする。兼古酒造だったかな、あった場所はヒシサン。成央小学校のあたりから湧水を引いて仕込み水として使っていた。一坪ほどもある木桶に滾々(こんこん)と水が流れていた。水源から1km以上の距離を一般道を乗り越えて水が引けたのだから、政治力も大きかったに違いない。今では不可能である。
  交差点の角地に水栓がもうけられていて、近所に鍵(金属のハンドル)が配れており、湧水を利用できた。天秤棒にバケツを二つぶら下げてバランスを取りながら家まで運んだ。天秤棒がしなるので慣れないとバケツの水が2割がたこぼれてしまうからコツがいる。お風呂や洗濯に使う水は家の裏にある井戸水だった。水道が家に引かれてからも近所のおばあさんはバケツに1/4ほどカネマンの水を汲んできて、鉄瓶で湯を沸かし、お茶を楽しんでいた。水道が整備されたのは根室町から根室市なった昭和32年ころ。カルキ臭いのと鉄管の臭いが混ざって慣れるのにしばらくかかった。大きな甕で水道水を受けてカルキ臭さを抜いて使っていた。良い水は匂いや味の感覚を鋭敏にする。
  「北の勝」の水源についても書いておこう。碓井さんのところは酒蔵のある一角の敷地内に水源がある。酒蔵に隣接する常盤公園はもともと碓井さんの所有地で、仕込み水の水源地と一帯。あるとき常盤公園に市庁舎を移転しようとした。木を伐採して市庁舎を立てたら水が枯れるかもしれない。公園で利用するという約束で寄付をしたのだから、用途変更は約束違反、寄付の経緯を説明して移転をやめてもらったという。年数がたつと、経緯を知っている人間が市役所のほうにもいなくなる。こういう約束は書面にしておかないと危うい。それにしても、酒蔵の隣地の林を伐採して大きな建物を建てたら、仕込み水に影響することぐらいわかりそうなもの。

  カネマンの水源だったのは成央小学校のあたりだから、井戸を掘って蛇口をつけてくれたら、大地震が来て水道が止まっても市民は水の確保ができる、そして普段から地元のおいしい水でお茶や珈琲が飲める。「北の勝」の碓井酒造の水と並んで根室産のおいしい「ふるさとの水」だ。
  地層調査の結果、根室半島は20-30mの津波が5500年間に15回来ているのをご存じだろうか?前回大津波があってから約400年間沈黙が続いている。どういうわけか根室半島はこの50年間毎年1cmほど沈んでいる。ebisuが高校生の時から50年たっているから、もともと洪水が多かった緑町も汐見町も50㎝地盤が沈下しているから、海側から高潮被害がでるようになった。爆弾低気圧で1.5mほどの高潮被害がでたのは、数年前のことだが、地盤沈下の影響が大きい。いずれ根室半島は大きな地震とともに跳ね上がることになる。
  大災害に備えなければならない。借金を増やしてはならぬ、借金はゼロにして、災害時にお金が使えるように蓄えねばならない。

  住んでいる人たちが安心て住めて心の底からいい町だと思えれば、移住してくる人も増えるのではないか?一つ一ついいところをつくっていけばいい。
  オープンマインドが大切、閉鎖性を打破しよう。

  最近、地元経済界はロシアとの経済交流について会議を開いたそうだが、非公開。こういうことも一つずつ変えて行けば町の未来が明るくなる。利害が対立する北方領土運動諸団体くらいは入れるべきだ。

  「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」


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