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#4115 二度目の尿管結石 Nov. 2, 2019 [36. 健康]

 1週間、東京へ行っていた。目的は三つ、歯科(インプラント)の定期点検と白内障手術から3か月経過したので眼鏡を買うのと南多摩センターの本屋(丸善)で本を探すこと。

<定期歯科検診>
 行く前に1週間ほど歯が炎症を起こしてほっぺが張れていたが10月20日ころおさまった。そこをよく見てもらったが、罅は入っていないが、縦に割れが入っている可能性があると林先生。器具で横をなぞってみても割れは確認できないが、腫れたことから、割れの可能性があるという。なるべくその歯で硬いものを噛まないようにして、3月に治療してもらうことにした。1週間での治療は無理、ちょっと厄介だとドクター。炎症を起こした時のために、「セゾンカプセル」を処方してくれた。

<突然の痛み:尿管結石>
 歯医者へ行って、買い物を家に戻ったのが4時前だった。日経新聞の小説は夏目漱石が主人公で面白そうで読んでいたら、4時5分ころ急に右わき腹が痛み出した。肝臓かな?いや、9月の肝機能検査では異常値はなかったから、肝臓のはずがない。痛みはだんだんひどくなり、冷や汗と吐き気がはじまった。痛みが背中の方へ広がって、そこで気がついた。最近尿の色が濃いのが気になっていた。2年前に尿管結石の症状が出たときには左側だったが、似たような症状だった。とても病院まで行けそうもないので、救急車を呼ぼうかと思った。
 女房殿が電話帳で泌尿器科のある病院を探してくれた。すぐに見つかり、7時まで診療しているので、車で高幡不動の駅前駐車場へ車を置いて、駅裏の「医療モール」内の「Oクリニック」まで歩いた。痛くてゆっくりしか歩けない、歩く振動が体に伝わると痛い、そっと歩くしかなかった。「医療モール」内には1階の入り口近くに小児科とレントゲン室があった。いくつクリニックが入っているがひとつひとつ確認する余裕はない。
 泌尿器科のクリニックは2階だった。痛みがひどく、右側の尿管結石だと思うのでと受付の女性へ伝え、問診票に記入した。オシッコはしたばかり、尿検査をするというので水を飲んでくださいと受付の人に言われ、50ccほど飲んで、座ってられなくて5分ほど廊下をうろうろした。痛くてじっとしていられない。水を飲んでいたら、検査の女性が「水のまないでください、圧がかかって痛みがひどくなります」、そういわれて、水を飲むのをやめた。
 診察室へ入り、2年前に左側の尿管結石をやっているが、今回は右、痛みと吐き気がしていると訴えたら、すぐに1Fのレントゲン室へ行くように指示されて、レントゲン撮影をした。それから、また2階のクリニックへ戻り、尿を20CCほど採尿カップへ、そして検査してもらった。
 その後、レントゲンと尿検査結果がでたので、再診察してもらった。潜血反応「+++」、レントゲンでははっきりしない。超音波でもはっきりしないので、X線CT検査を勧められたが、金曜日までしかいないのでというと、「どちらから?」と小山先生が問うので、「秋刀魚の産地の根室です」と告げると、二十数年前に3-4年行ってたことがあるという。東京医大が根室市立病院を運営したいたころのことだ。
 「あのころは、病院はぼろで、人件費が捻出できないので、二次医療は釧路は任せて、根室は診療所にしてしまえという意見もあった、常勤医が4-5名しかいないひどい状態だった」
 病院は5年前に建て替えられて綺麗な建物になっているし、毎年15-17億円の赤字ですが、ふるさと納税がある限り市財政はもちますと伝えた。常勤医へは2500-3000万円支払っていますというと、びっくりされていた。
それなら、常勤医に困ることはないでしょう

 市立病院の赤字を5-8億円減らすのはそうむずかしいことではない。8億円減らせたら、根室市の負担はゼロになる。国からの赤字補填の範囲内でやれる。市役所のだれかやってみなはれ(笑)
 40代の医師に長くいてもらうには、教育問題を解決するのが鍵だ。40代なら学齢期の子どもがいる、医師は自分の子どもも医師にしたい、だから良好な教育環境がなければ、根室へ子どもを連れて移住しようとは思わぬ。子どもの教育に不安がなくなれば、40代の医師が70歳までずっと根室で仕事できる。方法はあるよ。
 根室は極東の町、僻地である、子どもたちの学力も釧路根室管内で最低レベル、でも地域医療はやり方次第で、いくらでもよくできる。どういう地域医療がほしいのかビジョンをつくってみたらいい。そしてそのビジョンを実現するための手段=戦略を考えたらいい、熱意があればできますよ。

 たまたま尿管結石症状が出たので夕方五時ころに診てくれる病院を電話帳で探し、外来診療に訪れたクリニックのドクターが根室に赴任経験があった、世の中広いようで狭い。
 座薬で痛みは治まった。2時間痛かったがそれっきり、血尿も止まった。痛み止めの座薬「ジクロフェナクナトリウム坐剤」を5錠処方してくれたが、痛みはぶり返さなかった。薬剤は根室の家の冷蔵庫で眠っている。

 2年前は1週間ほど痛くて痛くて、眠られなかった。暮の30日ころから痛み出して、CT検査をしたのが1/5だった。結石はすでに膀胱へ落ちて、X線CT画像では宝石のように真っ白くきれいに写っていた。今回は3時間もたたないうちに結石が尿管から膀胱へ落ちたのだろうか。
 SRLの結石検査室には標本箱に整理されたサンプルがあった。赤外分光光度計で測定するのだが、その前に直方体のステンレス製の容器に10個ほど球が入るような穴が開いているがその中に入れて、砕いて、ブレードでそこから掻き出して、五円玉のような金属の真ん中に詰めて、固める。その作業をセイコー社のアームロボットで行うのである。1988年ころに開発・導入した。検査管理部の尾形さんと、検査担当者と一緒にセイコー社へ見学に行って、セイコーのアームロボットで開発することに決めた。取引業者で腕の良い技術屋さんがいた。ずいぶん無理難題をもちかけた、そのなかで一番苦労したのは掻き出すときのブレードの形状である。30種類くらい刃の形状を変えて試してようやくものになった。あれからもう30年が過ぎた。SRL八王子ラボでは2代目、あるいは3代目のアームロボットが動いているのだろう。八王子ラボを一度見てい見たい。

<メガネの新調>
 今年3月に眼鏡を新調しようと、聖蹟桜ヶ丘の眼鏡屋さんで眼の検査をしたが、左目の視力低下は目の病気、白内障の可能性があるので、眼科で受診してからにした方がいいと、言われた。60歳過ぎの物腰の柔らかいおじさんだった。近所の眼科へ行ったら、白内障の診断があり、メガネは白内障の手術をしてからにしなさいと、日野市のある眼科クリニックのドクターから勧められた。それで、市立根室病院眼科で大谷先生に白内障手術をしてもらったのが7/31である。
 メガネは眼科受診を勧めてくれた聖蹟桜ヶ丘の眼鏡屋さんで、同じ人にお願いしてつくった。車の運転をするときに使うと用途を説明してから、丁寧な視力検査をしていただき、レンズを選んだ。軽くてフィット感がいいので、フレームはシャルマンにした。中標津空港から車を運転してきたが、以前の眼鏡に比べて目の疲れが小さい。たぶん、お店の人の視力検査とレンズの調整のしかたが上手だからなのだろう。聖蹟桜ヶ丘京王アートマン2階の眼鏡屋さん「メガネサロン ルック」だ。
 数学の問題を見るときに、指数部の小さい数字が見えにくいので、30㎝くらいの距離で使うメガネも必要なので、オヤジの遺品の鼈甲(べっこう)の眼鏡のレンズ取り替えたいが、やってもらえますかと訊いたら、OKだという。この次に行ったときにやってもらおうかな。
 いま見たら、オヤジの遺品のメガネは、鼈甲と金(メッキ?)製品だ、重い。眼鏡をかけて新聞を読んでいた。 

<南多摩センター丸善>
 ワンフロアとしては日本一の広さである。1200坪、とてつもなく広い。探した本は2冊ともあった。両方で4000円をちょっと超えたが、amazonでみたら6-7割程度で買える。これでは本屋がつぶれるわけだ。
*#3717 春休みに見つけた巨大書店 Apr. 8, 2018



*南多摩センター丸善駅前ココリア多摩5階 丸善
https://honto.jp/store/detail.html?shcd=70067

Steve Jobs: The Man Who Thought Different

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  • 作者: Karen Blumenthal
  • 出版社/メーカー: Square Fish
  • 発売日: 2012/02/14
  • メディア: ペーパーバック
アマゾン¥1308 丸善¥1760
Homo Deus: A Brief History of Tomorrow

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  • 作者: Yuval Noah Harari
  • 出版社/メーカー: Vintage
  • 発売日: 2017/03/23
  • メディア: ペーパーバック
アマゾン¥1100 丸善¥1980

<余談:ハグ>
 孫が幼稚園の年長さんだ。3月にあったときよりも脚が長くなった。走る格好もよくなっていたから、とても追いつけない。
  腕を広げて飛び込んでくるので、持ち上げてぎゅっとハグしてやると、「ジジだいすき」、このところそれが「儀式」になった。ハート型に切り抜いたピンクの紙の「お手紙」をいただいてきた。(笑)
 来年はもう腕を広げて飛び込んでこないだろう、いまだけ。
 ケーキを買ってやろうと駅前のケーキ屋さんまでお散歩した。お母さんが「一つだけですよ」ときつく言う。太ることを気にしているから、甘いものを制限している。ちょっとくらい太っていても小さいものはかわいい、わたしはいいと思うのだが…
 孫はショーケースのなかのケーキを入り口から一つ一つ慎重に眺め始めた。端まで行って指さしたのは2000円のホールケーキ。買おうとしたら、「こっちの」カットケーキから選びなさい」と天の声。大きいモンブランを選んだ。「お父さんとお母さんの分もね」と3個だけ。二つずつというわたしの提案も「ダメです」と即座に却下されてしまった。



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#4103 レルベア200 エリプタ30吸入用 Oct. 16, 2019 [36. 健康]

 20代に大気汚染のひどい地域で3年ほど仕事をして気管支と肺を痛めたことがある。それ以来咳がとまらなくなることがある。今年1月に咳の症状がひどかったので、主治医に標記吸入薬を処方してもらった。これがよく効いた。


 20代半ばのころ、1月末で仕事を辞めて大学院入試の勉強を始めたとたんに風を引き、ひどい気管支炎の症状が出て、咳止めをなんどか注射してもらったことがある。5時間ほどの睡眠であとはずっと勉強していたから、医者はこれ以上悪化したら、命の保証ができないと、何度目かの注射のときに云った。「いまやめるわけにはいかない、それで助からない命ならあきらめます」と返事したらあきれられた。頻繁に打ってはいけない注射薬だったのかもしれぬ、無鉄砲だった。(笑)
 当時の注射薬はあまり効かなかったのである。大気汚染公害患者認定ができるからと申請を勧めてくれた。親切でやさしいお医者さんだった、60歳代だっただろう。

 歳をとると弱いところが出てくる、しかし、あんなにひどいことはなくなった。英語の短期特訓で音読をそれぞれの文を10-30回ほどやるので、咳が出るとやりにくい、そこでレルベアの登場である。1月に15日間用、3月に30日間用を処方してもらったから、まだ数日分残りがある。

 「レルベア200」というのが薬剤名称、「エリプタ」というのは吸入器の名称である。青い部分の蓋を引き起こすと微量の2種類のパウダー状の微量薬剤1回分が充填されるような仕掛けだ。吸い込んで5秒ほど息を止めて喉粘膜と気管支粘膜へ浸透させ、その後うがいをして口中から薬を除去する。これを怠ると、声がかすれる。
 内部構造のわかる写真と実物の写真のURLを貼り付けておく、「30」という数字が残量回数。

 咳でお悩みの方は、主治医へ相談して一度この薬を試してみたらいかがでしょう。

*レルベア200エリプタ
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&id=A00680342A0BD7A81500294A783248455A4DCDC1&thid=OIP.W-PTLl5Ia-2zW5sz_RTaSQAAAA&mediaurl=https%3A%2F%2Fstat.ameba.jp%2Fuser_images%2F20131128%2F18%2Fangelbearred%2Fce%2F03%2Fj%2Fo0432039112763928756.jpg&exph=391&expw=432&q=%e3%83%ac%e3%83%ab%e3%83%99%e3%82%a2%e3%82%a8%e3%83%aa%e3%83%97%e3%82%bf&selectedindex=0&ajaxhist=0&vt=0&eim=1,6


https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&id=DA402DA98111DFA06012B6221631B7CC305C50ED&thid=OIP.ssMZ6ty4v2nIApDMlf9KEAAAAA&mediaurl=http%3A%2F%2Fqlife.jp%2Fmeds%2Fimg%2Fpackageinsert%2Fbasic%2F2290803G4027%2F2290803G4027_002.jpg&exph=256&expw=256&q=%e3%83%ac%e3%83%ab%e3%83%99%e3%82%a2%e3%82%a8%e3%83%aa%e3%83%97%e3%82%bf&selectedindex=2&ajaxhist=0&vt=0&eim=1,6


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#4085 フェリチン定量:Sep.19, 2019 [36. 健康]

 白内障の術後3か月間は目薬がなくなるごとに診察を受けることになっている。目薬(ネバナックス)がなくなりそうなので、9/17に市立病院眼科を受診してきた。
 朝、7時5分前に市立病院へいくと、7時には30人ほど並んでいた。診察券を受け付けの機械へ通すと眼科受付番号は「9014」、眼科で外来受付14番目ということ。並んでいた人の半数以上が眼科のようだ。いったん家へ戻り、8時25分にまた病院へ行った。受付で名前を呼ばれるのを待ち、基本票を受け取って眼科窓口へ出した。5分くらいして、視力検査や眼底検査をして、瞳孔拡大の点眼液をさしてもらい、30分間まつ。一滴さしただけで黒目がどんどん広がっていくから不思議だ。右目と左目では黒目の広がる速度も元に戻る速度も違っている。

 白内障手術は7/31だった。それ以来3種類の目薬が出ていた。
①ベガモックス
②フルメトロン
③ネバナックス懸濁性点眼液

 フルメトロンは結晶ができるので振ってから使う。「振る目とろん」、ダジャレだ。
 ネバナックスも振ってから使う。ねっとり、ネバネバしているので、ネバナックス、これも駄洒落だろうか?
 ネバナックスは薬容器の尖端のところに粘ってついてしまうので、そのつどテッシュでふき取るから、水のように粘性のない他の2剤よりも早くなくなる。

 瞳孔が拡大したのを看護師さんが確認してから2番の検査室へ入り、検査をしてから、3番の診察室で大谷先生の診察を受けた。ベガモックスとフルメトロンは使い切ったらそれでOK。あとは10月末までネバナックスだけを点眼すればいいということになった。ありがたい。術後の経過は「順調」ということだった。そういってもらえると安心だ。10月下旬か3月に新しいメガネをつくることにしている。

 ふじ薬局でネバナックス3本を受け取るとまだ10時半だったので、そのまま岡田医院へ行った。3か月検診で先週採血した血液検査結果が出ているので、病院の「ハシゴ」。
 フェリチン定量が33、基準値内(男20-250ng/ml)に入っていた。体内貯蔵鉄が少し増えたようだ。マツキヨの「ヘム鉄withバイオペリン」を2週間ほどやめてオリヒロの「鉄more in chewable」を服用していた。こちらの方が、わたしの場合は吸収がいいのだろうか。たまたまそうだったかもしれず、3か月間飲み続けて結果を見ないとわからない。これらは一日1錠だけ、どちらも1日2錠が目安となっているから半分の量。ほかに雪印乳業の「プルーンFe 一日分の鉄分飲むヨーグルト」を飲んでいる。頻度は週4本くらい。
  腫瘍マーカも異常なし。

https://www.matsukiyo.co.jp/store/online/p/4571104433880


http://health.orihiro.com/product/detail/?id=172



http://www.meg-snow.com/products/detail.php?p=prune_fe

プルーンFe 1日分の鉄分 のむヨーグルト


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#4082 左脚にかすかな異常あり: Sep. 13, 2019 [36. 健康]

 座ってブログ記事をタイピングしていると、左脚がしびれと麻痺があることがある。右脚にはそういうことがない。右脚の上に左脚を組んで載せているときに起きるようだ。椅子から立ち上がりざまに左脚がしびれていてよろけることがたまにある。
 そういえば1か月くらい前に、近くのコンビニへ行くのに、車が来るのを気にしながらすこし急いで道路を横断して、25㎝の高さの縁石に左足先をひっかけて転倒したことがあった。左足がぶらんとする感覚がして一瞬力が入らずに、つま先が思ったほど上がっていなかった。だから如何にも年寄りらしい無様な転び方だった。
 昨年10月に東京へ行ったときに、家から最寄りの駅まで15分ほど歩いた。駅まであと200mというところで低血糖症状とともに、左脚からカクンと力が抜けてへたり込みそうになった。いま思い出してみると、左脚が一瞬云うことを聞かぬという同じ感覚があった。気持ちでは左脚を前に出しているのに、実際に足が前に進んでおらぬ、足首から先が挫くようにカクンと横になった。

 いま、膝を高く上げて足踏みを100回ほどしてみたら、やはり左脚の神経系が右足に比べてヘンな感じがする。反応が違うのである。左脚のほうが「いうことをきかない」感じがかすかにしている。言語や思考には差支えがないから、右脳に梗塞があるのではなさそうだ。
 ちなみに、この1年ほどはサイクリングはするが、散歩はまったくしない。面倒なのだ。風を切ってロードバイクで走るのは気分がいいが、散歩はそういうことがないので、つまらない。スキルス胃癌で退院したころは、向かい側にある母校(中学校)のグラウンドの周りを毎日5週ほどしていた。1周550mある。40日間の入院で衰えた脚のリハビリのために1年間ほど必死に歩いた。それほど足が弱っていた。走るとよろけた。

 加齢によって大腿部の血管が細くなってつま先の毛細血管の血流が悪くなり、左脚の神経系へ影響しているのかもしれない。まあ、人間、齢(よわい)70を数えると年々ポンコツになるのはいたしかたなし。(笑)
 いずれ、本格的に何か症状がでたら、レポートしたい。
 動かさないのがいけない?サイクリングと散歩では使う筋肉が違う、ほどほどに散歩もしないといけないかな?

<余談>
 スキルス胃癌と巨大胃癌の手術は2006年7月だった。その後、TS-1という抗癌剤治療をした。そのお陰でいまこうして生きているのだろう。髪の毛が抜けたが禿はしなかった。両足のふくらはぎの横の部分が、薬の副作用で老化が進み黒ずんだ。その部分は皮膚が乾燥したようになっている。13年がたち、少しは色がうすくなったようだが、ほとんどそのまま。皮膚に異常が出るということは、両脚になんらかの異常があることはたしからしい。とくに左脚のようすがおかしい。でも日常生活にはほとんどこまらぬ。縁石を超えるときに左足つま先が上がらず、転倒して手をすりむいて痛い思いをしただけ。あと十年したら、上手に転べずに、大腿骨骨折や腕の骨折で入院、その後車いす生活となるやもしれない。あなおそろしや。歩けるうちにお迎えが来てくれたら、それはそれで幸せ。

<徒然草より>…同じサイトに現代語訳も載っています
http://www.esdiscovery.jp/knowledge/japan/tsuredure032.html
第108段:寸陰(すんいん)惜しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しと言へども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の、一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。 
されば、道人(どうにん)は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩(ぎょうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて(わたりて)、一生を送る、尤も愚かなり。 
謝霊運(しゃれいうん)は、法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思を観ぜしかば、恵遠、白蓮(びゃくれん)の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。


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#3989 腸内細菌と認知症:適度な運動の役割 May 11, 2019 [36. 健康]

 国立長寿医療研究センターの調査・研究で腸内細菌と認知症との間に関連があることがわかってきた。バクトロイデスという腸内細菌の多いタイプが認知症が少ない。
 ブログ「オータムリーフの部屋」さんが、その調査研究をまとめてくれているので、認知症の危険因子を減らして、ピンピンコロリがお望みの50代から上の方たちにお読みいただきたい。

*オータムリーフの部屋「認知症の危険因子」
https://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100?fm=rss

 ほどほどの量を食べ、適度に運動してBMI*値をコントロールすれば、健康でしかも脳の方も認知症を起こさずに済むなら、結構な話ではないか。
 毎日ほどほど歩くもよし、スポーツジムの会員になって運動するもよし、週に1度くらい泳ぐもよしだ。わたしは、サイクリングがいい。30-60分程度のサイクリングなら無理がなくて楽しい。
 今日は土曜日だから33㎞走ってきた。写真付きで根室の原野やオホーツク海に浮かぶ国後島の島影、そして太平洋の景色をお楽しみいただきた。#3990でアップします。

*BMI
https://keisan.casio.jp/exec/system/1161228732



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#3982 胡坐から立ち上がれますか:老化度チェック May. 3, 2019 [36. 健康]

 昨日(5/2)のことである。テレビを見ていたら、老化を判定する動きをやっていた。
 胡坐(あぐら)をかいて足を交差させたままゆっくりと立ち上がれなければ、歳を召した証拠で筋力が弱っているといってトレーナがやってみせた。確かにその通りなのだろう。今どきの言葉ではロコモティブ・シンドロームというらしい。ロードバイクに乗って飛ばしているから、それくらい簡単だろうとやってみたら、こけた。こけただけならいいのだが、左側に座卓があった。133㎝×77㎝の無垢板だから重い、腕が当たっても座卓はびくともしなかった。したたかにぶつけ、しばらくしてもヒリヒリがおさまらぬ、腕をまくってみたら、2か所3㎝くらい擦り剝けていた。
 散歩すらしないから脚の筋力が衰えっぱなし、自転車で使う筋肉は座ったり立ったりするときに使う筋肉とは違っていることがやってみてわかった。

 そういうわけで、今朝から庭で四股踏みを再開、そして昨日の復習である。足を交差させてから、お尻が地面につくほど下げて、ゆっくり立ち上がる、これを20回ほど繰り返したら、身体が暖かくなってくる。
 転んでも大丈夫なように畳の部屋でやってみた。胡坐をかいてから勢いをつけると立ち上がれるが、ゆっくりは無理だ。1か月後にできたらいい。これなら、気が向いたときに1分間でも家の中でやれる。

 ブログ「オータムリーフの部屋」さんが「危険な高齢者」と題して、高齢者の車の運転の危険に警鐘を鳴らすと同時に、「フレイル(虚弱)」、「サルコべニア(加齢に伴う筋量減少)」「ロコモティブシンドローム」の解説をしている。ブログ主はいつもよく調べて丁寧な解説をする女性である、分野が多岐にわたるから好奇心の強い人の様だ。クライミングそれも岩山登山が好きだったようだ。興味のある方はお読みいただきたい。どういうわけか、わたしはずっと男の人が書いていると思っていた。2年ほど前に女性だと気がついた。ebisuと年齢はあまり違わないのかもしれない。

*ブログ・オータムリーフの部屋
https://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100/e/f06582f917b3fede44f46d6f7af43c98
https://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100/c/f68e7cc89f1dc9cb61f1a78b6fd186fb

*長寿社会のフロントランナー 秋山弘子
https://www.platinum-handbook.jp/contents/5/?fbclid=IwAR0RJb_TwncvmbflWqVY9SHMCZwGw8Z34Jt9D4z55ZgXJoYio_whbDFOGGs

①痩せてるから、骨にぶつかって皮膚が擦り剝けます、太りたい(笑)
SSCN2633.JPG

②「犯人」はこの座卓です
SSCN2636.JPG


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#3955 眼科受診:それぞれの人が仕事をまっとうして社会がなりたっている Apr. 4, 2019 [36. 健康]

<最終更新情報>
4/6 朝8時追記

 2年くらいまえから左目の視力が落ちて気になっていた。東京へ遊びに行ったついでに、度の合うメガネを作ってもらおうとメガネ屋さんで視力検査をした。年配の人が対応してくれて、視力検査と度の調整をした後で、左目の視力低下は何らかの目の病気によるものかもしれないので眼科受診をしてから眼鏡を作ったほうがいいといわれ、翌日近所の眼科クリニックで受診した。
 眼科クリニックで再測定してくれたが、眼鏡屋さんとまったく同じ結論で、眼鏡で矯正しても左目は0.5、右は1.0、左は白内障だとの診断。手術をしてから眼鏡をつくるべきだとのご託宣。
 左目の被写界深度が15㎝ほどしかないので、本を読むのに右目だけで読んでいる。右目だけからの入力だと脳の働きが違うような気がする。ドライブは右目が遠くまではっきり見えるから問題なしだ。ふだん、本を読むのにうっとうしい、そして右目がつかれる。右目へ過度な負荷がかかり続けたらいいわけがない。右目から「きついよー」とサインが出ているような気がする。気のせいだろうが…
 血圧を測ってきてくださいと言われて、2台設置してある自動血圧計測定器の右側のほうへ右手を入れ、スイッチを押した。プリントされた測定データを見てびっくりした。75-125、普通の血圧である。スキルス胃癌の手術(2006年)後はほぼ50-90の値で、最高血圧が100を超えたことなど一度もない、事前に言っておかないと看護師さんが首をかしげて測定しなおすほど低いのである。「50-90でしょ、それでいいんです、わたしが気がついていないだけで死んでいるのかもしれません」、冗談のつもりだが、一瞬ぎょっとして、間をおいてからほほ笑んでくれる。
 どういう具合だろう?ほんとうにこんなに上がっているとすれば、なにか疾患が隠れている可能性が大きい。歳をとると毎年どこかに異変が現れるから自分の身体に自信がなくなる。要するにポンコツ、ここを直せば次はあちらが悲鳴を上げ始めるという具合。

 東京の眼科医羽藤先生の説明だと白内障には単焦点レンズと多焦点レンズがあり、前者は保険適用、後者は自由診療で30-40万円。多焦点レンズを選択した患者さんにクレームが多いという。元のように見えるわけではないからそんなに期待しないほうがいいとのこと。わたしと年齢が近いその女性眼科医に、「あなたならどちらを選びますか?」と訊いたら、「単焦点レンズを選びます」はっきり。「いま眼鏡を作っても無駄です、白内障の手術をしてからです」とこともなげにおっしゃた。眼科医からみたら白内障の手術は眼鏡を新調することとそんなに変わらぬどうってことのないもののようだ。50年前の眼科医が聞いたら現代医療技術の進化に仰天するだろう。

 根室へ戻ってきて、まず主治医の岡田先生へ相談、根室の眼科と釧路、日帰りなら札幌があると説明された。市立病院の眼科医は同じ大学の後輩で腕がいいという。根室高校同期の数人からも市立の眼科の大谷先生の評判が耳に入ってきていた、すこぶるよかった、それで紹介状を書いてもらった。

 スキルス胃癌と巨大胃癌を併発した2006年のとき紹介してくれた入院先は国立旭川医科大学の先輩、消化器内科医の冨田先生が副院長の病院で、巨大胃癌が胃の出口を塞いでいてモノが食べられない状態だったから緊急手配してくれた。釧路市立は入院まで一月ほど待たなければならない、スキルス胃癌の自覚症状もあったので、手術は緊急を要した。釧路医師会病院なら同門なのですぐに手配できるとのこと、ありがたかった。手遅れだったが、どいううわけか生きている。執刀医の後藤幹裕先生に感謝だ。あのころ30歳前後ではなかっただろうか、思い切ってやってくれた。開いて手遅れだと思ってしばしためらい、閉じようとしたら、院長の浅川先生が「ざっくり取ったらいい」とおしゃった。リンパ節に転移、大腸に浸潤していたし、開腹時の肝臓触診でも肝転移が疑われた。病理標本はSRL八王子ラボへ送られた。病理課長は旧知の名取さんだったかもしれないが、ebisuさんこれではアウトと思っただろう。「巨大胃癌とスキルス胃癌の併発」と所見が書き込まれていた。助かるはずがない症例だったが、生きている。
 いましばらく猶予してやるから何か世の中のお役に立つ仕事をやれということだろう。縁とは不思議なものだ。また同じ医大系列のドクターにお世話になる。

 再度一通り検査を済ませたが、メガネで強制すれば左目は0.7、右目は1.1にできるので、白内障手術は数年先にしてもいいし、いまやってもいい。左目は少し緑内障にもなっているとのこと。これは自覚症状がなかった。わたしの希望は、被写界深度が15㎝くらいしかないので、本を読むのに右目で読んでいる、両目を使って読みたいので右目と同じくらいの被写界深度が欲しい。車の運転時は眼鏡で調整できればいいと伝えた。白内障手術で左目の被写界深度を右目と同等程度の50㎝くらいにできるそうだ。

 ようするに老化だ。昨年正月は尿管結石、今年は軽い喘息症状と白内障、来年のことは鬼が笑うので心配しないようにしておこう。何がでてくるのか、楽しみというわけにはいかぬ、何もないのが一番だ。
 先月とうとう70歳になった。生徒にそう伝えると「おめでとうございます」と言われた。突然言われて、ああおめでたいのだなと合点がいった。2006年に巨大胃癌とスキルス胃癌の併発で死にかけたことを忘れていた、生徒のほうが普段のわたしを見ているのでよくご存じだ。とりあえずこれで東京暮らしが35年、ふるさと根室が35年のfifty-fifty、分岐点に立っている。ほんとうにめでたい気がしてきた。こんなことを言ってくれるから生徒たちはとってもメンコイのである。
 医療技術の不断の進化のお陰でなんとか生きている、ドクター、看護師さん、薬剤師さん、レントゲン技師さん、薬剤師さん、掃除のスタッフのみなさん、事務スタッフのみなさん、それぞれの役割を受け持って医療を支えてくれている、ありがたい。

 わたしもせっせと自分の仕事に励み、地域医療を支える医者や看護師やレントゲン技師や薬剤師や理学療法士を目指して勉強に励む生徒たちも応援したい。なりたいものが決まったら、そこを目指して努力する、そういう生徒たちが希望をかなえれれるように力が貸せるのはじつに楽しい。まだしばらくある寿命、自分にやれることをしっかりやり続けたい。
 今日診察してくれたのは大谷真一先生、よろしくお願いします。

<余談-1>
 急にテレビがつまらなくなり、昨日から見ていない。見て楽しければ、またそのうち見るようになるだろう。

<余談-2:三代のお付き合いと人材育成共同プロジェクト>
 大谷先生が紹介状をみたあとで、わたしの職業を尋ねた。岡田優二先生との関係が知りたかったのだろう。「塾をしてます、岡田先生は主治医であり、高校2年になる先生のご子息は教え始めて6年目の塾生です」、ついでに直近の全国模試の偏差値を内緒で伝えた。市立病院へ子どもを連れて赴任してきても医学部受験は問題がないことを知ってもらいたい、根室はいま首都圏と変わらぬ体制で受験準備ができる。市立根室病院に30-40代の先生が増えてくれたらうれしい。件の「ご子息」は数学と英語の2科目なら全道一の進学校の札幌南へ転校しても5番以内の偏差値だろう。根室高校からでも国公立大学現役医学部受験はできる。生徒を挟んで阿吽の呼吸で、根室高校と私塾との「産学共同」プロジェクトをやっているようなものだ。生徒が学年担任と学年主任とのミーティングで要望事項を述べ、高校側がニーズにかなうように動いてくれるようになった。首都圏でもトップクラスに位置するような学力の生徒を産学共同で育てた経験が根室にはなかったが、事実上三月から始まった、慶賀すべき変化が起きてしまった。
 根室の学校と私塾の教育システムへの信頼がないから学齢期の子どものいる若い医師が赴任して来ない、ならば実績をつくり広く知らしめることだ。そうしたシステムをつくりたいから、オープンに協力する体制を築きあげる方向で仕事している。
 鮮明な旗を高く掲げれば、このプロジェクトに必要な人が自然に集まってくるのがモノの道理というものである。そうなりつつある、わたしは状況の変化をじっと観察していればいい。天の配慮としか言えない、予想もできないことの連鎖が生ずる。業種を変え転職を繰り返した東京のサラリーマン人生でこうしたことは何度も経験した。私的な利害損得を離れ、情緒をきれいに維持するだけでいいのである。あれこれ画策する必要はまったくない。

 岡田医院の前院長、「おじいさん先生」(わたしはいまはそう呼んでいる、数年前までは「お父さん先生」と呼んでいたが、孫を教えるようになってしばらくしたら「おじいさん先生」と呼ぶようになった。年寄りということではなく、親しみを込めて敬称のつもりである。おじいさん先生もあるとき、「助かるはずのない症例だった」と無事であることをワインを飲みながら喜んでくれた。あれは極東の名店、ワインバーサリーだった)はオヤジの主治医だった。おじいさん先生に大腸癌の疑いアリと診断をしてもらって釧路市立病院で手術し、執刀外科医森山先生の予告通り2年後に再発し亡くなった。オヤジの癌の最初の手術の時は、釧路市立病院からSRLに免疫電気泳動検査が依頼されていたので、事情を話してデータを教えてもらった。担当者で女性の鈴木さんは「悪性新生物です」と申し訳なさそうに云った。彼女はそれ以前から知っていた。臨床病理医の櫻林郁之助先生が免疫電気泳動検査の顧問をしていたので検査を担当していた一人であった。臨床化学2課ではめずらしい院卒だった。あの頃私はSRL学術開発本部スタッフとして、開発部の仕事と学術情報部の仕事と精度保証部の仕事を兼務していた。検査データは親子だから、そして管理しているのが学術情報部だから聞くことができた。他の部門の社員では不可能だっただろう。社内手続きが面倒だし、おそらく学術情報部門は丁寧にお断りする。このとき、わたしの発案で始まった臨床検査大手5社と病理学会臨床検査項目検討委員会委員長の櫻林先生と産学共同プロジェクトが3年目に入っていた。学術部長はSRL側のコントローラの役目をお願いした川尻さん(スタート時は臨床検査部長)だった。データ開示はもちろん直属上司の石上取締役の了解ももらってのことだ。人間関係は大事なのだ。このときには、慶応大学産婦人科との出生前診断に関する産学共同研究プロジェクトのマネジャもしていた。これも5年くらいかかりトリプルマーカMoM値は事実上の日本標準基準値となり、数年前までそうだった。現在は新しい検査法に変わっている。臨床検査項目コードの産学共同プロジェクトのほうはその2年後くらいにプロジェクトが終了し、いま全国の病院の医療システムが、臨床病理学会の標準臨床検査項目コードで動いている。もう20年以上たつが保険点数の改定がある都度、標準臨床検査コードを配信しているのはいまでもSRLに設置した事務局だろう、もちろん市立根室病院の医事管理システムもその臨床検査項目コードで動いている。
 あのプロジェクトは臨床診断支援システムを開発して事業化するための10個のプロジェクトの一つだった。1985年の構想である。臨床検査項目コードは世界標準をめざしていたのだが、わたしが関われたのは立ち上げ1年間ほどだけ。櫻林先生は世界標準へと昇華させることを断念した。日本が世界標準制定に寄与したことは台風の藤田スケールぐらいなものかな。臨床診断支援システムは医学生の教育にも絶大な効果の期待できるシステムだった。通信回線がネックになっていたので画像が安価に伝送できるようになるのはいつころか見通しを聞くためにNTTデータ通信事業本部と数回ミーティングした。誰に聞いたってわからなかっただろう。専門家の意見を聞かずに自分で判断すべきだった、わたしのミス。もう十数年も前から通信速度もコンピュータの計算速度も要求仕様を満たしている。大きな視点で仕事する日本人が現れてほしい。

 オヤジの大腸癌が再発し肝臓転移、骨転移したときには、関係会社管理部へ異動し、2社の取引先臨床検査会社からの依頼で経営診断や経営改善の具体策作成、ついで買収交渉を担当し、北陸の太陽構成研究所を買収し子会社化、そして資本提携を決めた福島県の臨床検査会社へ出向役員として赴任したばかりだった。「どちらにしますか、どちらでもどうぞ」というのがSRL創業社長藤田さんの意向だった。北陸のラボの経営改善は簡単だった。千葉ラボで生産性を3倍にアップするラボシステムを開発済みだったから、其れをブラッシュアップすればいいだけ。福島県の赤字の臨床検査センターのほうは事情があってその手が使えない、別の手を考えなければならなかった。だから手ごわい方を選んだ。黒字の改善案を作成したとたんに出向解除、本社経営管理部へ異動した。2年弱ごとにまったく異質な部門へ次々に異動していた。(笑)
 学術開発部門にいたときに本社で原価計算システム見直しと、わたしが一月ほどで外部設計書を書き上げた統合システムが9ケ月の開発期間を経て84年末に本稼働したが、パッケージシステムへの載せ替えがテーマに上がっていた、90年ころだったかな。副社長はわたしに担当させようと上司の石上取締役に異動の打診をしたようだが、断られたのだろう。システムは載せ替えただけ、結局原価計算システムの見直しもできなかった。必要な技能を担当した者がもっていなかったから当然の結果で、NCDさんの宇田さんに「載せ替えお願いします」と依頼するだけで済むような仕事になっていた。宇田さんは85年から統合システムのメンテナンス業務を委託していたNCD社の担当者だった。上司の女性のSEへわたしが依頼した仕事の大半を彼がこなしてくれたいたから、スキルがずいぶん上がっていた。数年してから、ebisuさんから指示のあった仕事は「宇田、やれるだろうと上司の女性SEである鈴木清美さんから丸ごと預けられ、たいへんでしたが、スキルは上がりました」、そういって笑った。わたしの指示は具体的で、自分がやれない仕事は依頼しない、ギブアップしたときにはわたしがでて全部解決するから、NCD社のSEさんたちは、「できません」と言ったことは一度を除いてない。稼働後最初の半期決算でデータの移し替えの時に買掛け金支払い管理システムのデータが移せないと、NCD社のトップレベルのSEが三人が雁首を揃えてきたことがあった。話を聞くからファイル関連図をもってきてほしいと頼んだ。村山SEと塚田SE、そしてその時担当だった女性のSE栞さんがきた。ファイルフロー図を広げてもらい、どのファイルを使って処理して、どの部分で処理不能になるのか、説明してもらった。素人が百数十もあるファイル処理関連図を見てわかるわけがないという顔していた。5分ほど眺めて質問をいくつかしてから、処理方法を提案した。「これでできませんか?」、しばらく声がなかったが「…できます」、この手の事務系統合システム開発ではおそらく国内トップレベルのSE三人だった。それ以降、「できません」とはけっして言わなくなった。言えばわたしがまた何か持っておいで、相談に乗るというから。(笑) あれは稼働半年後、1985年のこと、SRLへ転職して2年目だった。全社予算編成と統括管理もわたしの仕事になっていた。決算処理と翌期へのデータ移行までちゃんと見てシステム開発の仕事は完了する。
 90年当時ならパッケージへの載せ替えだけなら、NCD社の宇田さんへ伝えるだけであいつが全部処理できた。6年間のメンテナンスで宇田さんは統合システムの隅から隅まで知り尽くしていた。若い人の成長は短期間でも目を見張るものがある。
 原価計算システムはじつは画期的な構想があった。5つのディメンションに分割した財務指標の偏差値を利用したの利益管理システムの一環として、利益シミュレーションを組み込んだ構想を途中までまとめてあった。25項目の経営指標偏差値による業績評価システムは91年ころに子会社業績評価システムとして実用段階にあった。その関連で原価計算システムをベースとする、新規商品導入の利益を極大化する利益シミュレーションシステムを考えていた。論文にまとめれば世界で初事例の画期的な原価計算システムだっただろう。臨床検査業界No.1のSRLには面白い仕事がいくらでも転がっていた。

 ある日、突然副社長の谷口さんから電話があり、八王子ラボへいく、応接室で話があるので部屋の予約をしておけという。何のことかと思ったら、「関係会社管理部への異動は石神取締役に伝えるな、社内公示があるまで厳秘だ、話がもれたらこの異動はご破算になる」、これには困った、石神さんとの信義の問題があるからだ。学術開発本部のマネジメントはわたしが担っていた。あとで社内公示で異動を知った石神さんに叱られた。「申し訳ありません、言えませんでした」とだけ伝え、副社長がラボまでわざわざ来たことは言わずじまいだった。海兵と陸士の両方に合格した谷口さんは、戦後東大に入りなおして富士銀行へ就職している。なかなかの切れ者。何度か彼の部下で仕事した。助けたことが一度だけある。(笑)

 1年と5か月で福島県の臨床検査会社の経営改善案を作成し赤字会社が黒字に転換するめどがついたら、親会社の社長と副社長に本社へ来るように言われ、実行をストップした。本社には本社の思惑があった、画期的な経営改善をされては困る事情が創業社長の藤田さんにあった。手じまいのジャフコとのミーティングは浜松町の本社までわたしが藤田さんに同行した。こちらはふたりっきり、向こうは役員が並んでいた。当時1部上場を現役社党として2社やったのは日本で藤田さん一人だけ。扱いは低調だった。帰り際、「お車を正面玄関へ回します、どちらへ止められましたか?」と訊く、「電車で来たので電車で帰ります」と伝えると、びっくりした顔をされていた。ジャフコは安全に留意している、社長が電車ででかけるのは安全上してはならぬことだった。その数年後に野村證券子会社ジャフコの社長は中学生の時の隣のクラスの伊藤君が就任した。野村証券役員の時から彼の住所欄は空欄だった、これも「安全上の配慮」だろう。藤田さんのあとに社長になった近藤さんも電車で動く人だった。そもそもSRLには社長専用車がない。高収益会社だったが、社員の福祉へ大金を払ってもそういうところへはお金を使わぬ会社だった。藤田さん、いい経営者だった。そういうところは次の社長だった近藤さんへも引き継がれていた。
 社長は近藤さんに交替した直後だったが、会長の藤田さん申し訳ないと思ったのか、辞令は経営管理部経営管理課長、社長室兼務、購買部兼務の三部署という異例のものだった。それぞれ担当すべき事案がくっついていた。仕事の時間配分にはじめて戸惑いを感じた。部下の中に優秀な社員が3人いたので指導しろということだったのかも。有能な部下を無能な上司が使うほど不幸なことはない。そして当時のSRLにはマルチの人材が必要だった。どこの企業でも一緒だよね。(笑)

 癌の自覚症状があったので2006年6月の現院長の優二先生に内視鏡検査をお願いした。「癌だと思うので内視鏡検査をお願いします、ちなみにオヤジの男兄弟は全員癌で亡くなっています、部位はそれぞれ違っています、胃癌の人は一人もいないので多分今度は胃癌」そう伝えて内視鏡検査をはじめたら、「あ!」という声が上がり「鉗子用意して!」、病変部の検体を採取して病理検査に回すのだとすぐに了解した。こういうところは国内最大手の臨床検査センターにいて、八王子ラボ内の各検査部に4年間ほど自由に出入りできたので、病院から依頼される仕事の流れが頭の中に入っていた。検査のあとで内視鏡カメラで撮影した胃をドクターが見せてくれた。見事な癌が胃の出口付近を塞いでいました。「これ癌組織ですね」と訊ねたら、優二先生、気の毒と思ったのかうつむいて「そうです」とお応えになった。ああ、素直に育ったいい先生だなとそのときに感じたのである。


 おじいさん先生(数年前に引退)と現院長の優二先生は焼き肉「酒悦」ファンで、優二さんが中学生のころ、おじいさん先生が頻繁にお店に連れて来た。オヤジが「食べっぷりがいいんだ」と嬉しそうに言っていたのを思い出す。まさかそのときに中学生だった優二さんに癌の診断をつけてもらい、その子どもの勉強の面倒を見るなんて夢にも思わなかった。50歳前後で根室へ戻るつもりはあったのだが…縁は異なもの味なものということか。わたしから見ると3代にわたる濃密なお付き合いということになる。こちらは2代。死ぬまでおつきあいをお願いするつもり。わたしの死亡診断書は優二先生が書くのか、息子が書くのか、それともターミナルケアを受け持ってくれる病院の担当医だろうか、さて、ニムオロ塾を巣立った看護師さんが数人ターミナルケアを受けるわたしに笑顔を見せてくれるのか、天のみぞ知る。臨終もまた楽し(笑)
(地元の歯科医福井先生とも3代のお付き合いである、ありがたい)

*スキルス胃癌と巨大胃癌の執刀をしてくれた消化器外科医の後藤幹裕先生はいま音更町で東木野クリニックを開いています。首都圏で3年ほど消化器内科医としての内視鏡技術を磨いてから開業しています。消化器外科と消化器内科の両方のできる稀有な専門医です。若いけどこの先生の執刀でいい、わたしの見込み通りでした。(笑) ベテランの外科医だったら、すぐに「開け閉じ」して手術終了、2006年に寿命が尽きていたでしょう。経験を積むほど無駄なことはしないのがモノの道理です。
*東木野クリニックホームページ
https://www.kinohigashi-clinic.com/

 手術の数日前に鼠径部の動脈血の採血に後藤先生が病室に来た。注射器をもつとまよいなく垂直に針を深々と刺した。採血した後、手で抑えてくれている。「人の身体だと思ってずいぶん遠慮のない刺し方ですね、外すおそれはないのですか?」と訊いたら、「動脈は太いし、外科医には見えているんです、だから外しません」、「それ、先に言っくれませんか」。まるで居合抜きのような刺し方だった。



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#3943 咳がでる、呼吸が苦しい、で診察 Mar. 4, 2019 [36. 健康]

 3週間ほど咳が止まらないので主治医のO先生に診察をお願いした。20代前半のころにやはり風邪をこじらせて診察を受けたことがある。大気汚染による公害病に認定できるとその時の医師が説明してくれた。
 2000年にある病院の常務理事をしていたが、そのときに風邪をこじらせたら副院長が診察してくれた。大判のフィルムで肺のレントゲンを撮ると全体に白く写っていた。肺の線維化が進んでいるという診断。
 そういう背景があったので、一度肺のレントゲン写真を撮ってどの程度線維化が進行しているか確認したかった。
 症状は鼻水と咳、とくに入浴後とか、就寝直後に身体が温まってきたときに、激しい咳が出て息苦しい。

 身長と体重を計測したら、身長が172㎝、また1cm縮んだ。元々は174.5㎝だがスキルス胃癌で入院した40日間で1.5㎝低くなり、その後13年間でさらに1㎝低くなった。脊椎が圧迫骨折を起こさぬようにあまり重いものをもたないほうがよさそうだ。大きなスコップを購入して、載せる雪の量が1.5倍くらいになっているので、満載して持ち上げて運ぶのは危険だ。ほどほどにしよう。

 呼吸機能検査をしたら、肺活量は3500㏄ほどあった。思いっきり吐く検査では3.7という数値がでていた。呼吸機能には問題なしだ。
 
 肺のレントゲンをみたら、じつにきれいだった。2000年のときは白くなっていたが、今回のフィルムはしっかり黒く抜けていた。だから、肺機能には不安がなくなった。
 人差し指の先で酸素飽和度を測ると、93くらいから数値がどんどん上がって97くらいで止まった。あの機械はパルオキシメータといったかな。

 何かのアレルギー症状で咳がひどくなるのかもしれない。喘息用の薬の処方箋を出してくれた。
 藤薬局によって「レルベア200エリプタ」を受け取ってきた。気管支を拡張する薬だそうだ。製薬会社はグラクソ・スミスクラインである。1984年に臨床検査会社SRLへ転職した当時は、世界No.1の臨床検査ラボはスミスクラインだった、当時SRLは世界第2位の規模の臨床検査ラボ。
 薬剤師さんはわたしと同期、同じ学年だそうだ。高校は札幌と言っていた。愛想のよい人だ、笑顔の対応は具合いの悪い病人にはありがたい。

 3か月に一度の定期検診も兼ねているので、いつもよりも検査項目を増やし、鉄剤とビタミンB12の静注もしてもらった。主治医がいると安心できる、ありがたい。
 まだ数年はがんばれそうだ。(笑)

<余談:使用後> 午後11時50分追記
 「レルベア200エリプタ」、効くね。一息吸っただけで気管支のガサガサ感がすっと消えました。まるで魔法!



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#3916 雪かき道具の紹介とMTB「8の字乗り」 Feb. 2, 2019 [36. 健康]

 冬は雪かきと車庫前でのマウンテンバイクの「8の字乗り」が趣味、雪かき道具はいろいろある。
 最近よく使うのは鍬、鋤、鋼鉄製の各スコップとプラスチックにステンレス製の刃がついたスコップ。


SSCN2562.JPG

 赤いのがステンレス製の刃がついたプラスチックのスコップ、これだと左側にある鋼鉄製のスコップの3倍の雪が載る。凍りついた雪の塊は鋼鉄製の頑丈な鍬か鋤の出番だ。これを大きく振りかぶって打ちおろすと、ときに抜けなくなる。頭の部分に手をかけて引けば抜ける。


SSCN2551.JPG

 赤いママダンプは中央部分が罅割れた。重い氷の塊を載せると、割れた部分が下がって引っかかり、滑らない。雪かきシーズンを乗り切るには買い替えが必須、それで柄の長い緑色のママダンプを購入した。作業が楽だね、柄が15㎝ほど長いだけで、押すのにかがまないですむから、とっても楽。赤いママダンプは今月粗大ごみとして処分予定、いままでありがとさんでした。


SSCN2558.JPG

 家の前にバス停がある。右側に影になってパイプが写っているが、バス停の標識である。以前はバス会社のブルがきて、バス停前の雪を道路向こう側の中学校のテニスコートの前まで運んでいた。予算が厳しいのかブルが回ってこなくなった。だから1/10馬力くらいしかないが、柄の長い緑色のママダンプで道路を横断して雪を運んでみたら、案外やれる。ブルで運ぶのとそん色ない。そんなわけで道路の向こう側に雪山が出現した。(笑)
 道路が乾くとママダンプでは運べない。乾いたアスファルトを引きずるとすぐにひび割れしてしまう。だからその時は、写真①の赤いスコップの出番である。あれに一杯雪を載せて、せっせと道路を横断して運ぶ。「右確認よし、左確認よし、ゴー」、その都度左右確認して運んでいるが、横断しているのを視認したドライバーが安全のため速度を緩めて通過してくれる場合もある。
 バス停の利用はお年寄りが多いから、雪をしっかりかいでおいたら滑って転ぶこともなくなる。骨折したら寝たきりになり、生活が楽しくない。でも、バスで病院に通う年よりも減った。隣近所の年寄りは夫婦いずれから亡くなると、子どものところへ行くケースが多くなる。二人とも亡くなると、家を処分。いまはまだ買う人がいるので、空き家にはなっていないが、いずれ買い手がいなくなるだろう。それまで10年ないかもしれぬ。


SSCN2549.JPG


SSCN2561.JPG

 ④は1/30に撮ったもの、MTBのタイヤの跡がくっきりついてます。⑤は2/2の写真。アスファルト面はすっかり乾いています。
 車庫前の除雪がすんだら、MTB(マウンテンバイク)で「8の字乗り」だ。半径1.6mの円が二つつながっており、それをトレースする。平均時速は3-4㎞くらいだ。あまりゆっくり回ると、MTBの速度計が反応しなくなり、ゼロ表示となる。時間のカウントがストップするようだ。ヘッドフォンでラジオ英会話を聴きながら時間を計測したら、2割くらい時間が短くなっていることが分かった。時速3㎞を切るとどの辺りかわからないが、時間のカウントがなされない。ときどきストップしてどこまでバランスがたもてるかガマンしてみる。面白いんだ。
 ④の写真では昼間の陽光で雪が溶けてアスファルトが濡れている、凍りついたら危険だ。⑤の写真の状態になってしまえば、夏と変わらない。


SSCN2557.JPG

 この写真は今日、2/2に撮ったもの。雪を掻いた歩道は乾いている。気温は-9.3度~-3.8度、終日氷点下だ。昨日はとっても風が強くて最大風速が20.8m/sあった。西北西の風だからとっても寒かった。

<MTBの8の字乗り>
 正月からMTBの「8の字乗り」は累計18000mだ。一周22mだから、818周した計算になる。気が向いたときに10分とか30分できるところがいい。平均時速3.2㎞だと分速53mだが、337分間もMTBに乗っていた計算になる。運動量は小さいがバランス感覚を維持するのにいい。



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#3895 新年会:高校時代の同級生「9人会」 Jan. 3, 2018 [36. 健康]

 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし…一休宗純

  昨日、恒例の新年会があった。近くに住むNさんの家でもう30年以上続いている。高校同級生のほかに、中学時代の同期で親しい人もいる。狭い根室のことだから、いろんなところで人間関係が接点をもっている。

 5年前にメラノーマ(悪性黒色腫)を患い手術したYが肺に小さな癌ができて内視鏡で摘出、話題のオプジーボで治療中。本人はいたって元気のようだったが、内心穏やかではないだろう。Aと話をしていたがいつもならやんわり受け止められる議論ができなくなっていた。横でしていた議論が時折耳に入ってきたが最後まで平行線だった。なんにもできぬ、そうした姿を見守っているだけの無力な自分がいる。
 肺機能の異常がでている者が二人、わたしの両側に座っていた。一人は煙草を吸ったことがない、もう一人はヘビースモーカだったが数か月前にタバコをやめた。呼吸するときにヒュウ―ヒュウー音がしたのだそうだ、そりゃあ慌てるわな。他にも悪いところがあり昨年2か所にメスを入れたと言っていた。胸と下腹部の辺りを手のひらでさっと撫でて示した。向かい側に座っていたEが「おれは胸膜に水が溜まって抜いた」と言った。タバコを吸うのは三人から一人になった。
 数人が帰った後で、いつになくはしゃいでいたAがじつは多発性骨髄腫を告白。まだ症状が出ていないが、数年後には発症すると医者に言われたそうだ。英語名はマルチプル・ミエローマ、造血幹細胞の機能異常が現れる。奇数の番号の染色体に異常が出るのも特徴だ。ようするに遺伝子レベルで異常がたくさん出てきて造血機能に異常をきたす始末に負えぬ悪性癌である。もちろん本人は調べてよく知っていた。癌患者の1%しか存在しない稀な癌、老齢になるとともに増える癌だ。歳をとるということは傷のある遺伝子が増えるということ、そういう意味では老人は誰もが癌の予備軍だ。この数年間は自分で車を運転して子どもと孫のいる東京や関西へよくでかけていた。九州も四国も旅は自分で車を運転してまわっている。タフな奴だ。今年と来年は無事に運転できるだろう。発症したら疲れがどっとでてしまうから長距離運転ができなくなる。車を運転して全国旅をしたほうがいいとわたしにも勧めてくれた。
 九州の旅を勧めてくれるのはありがたいが、胃の全摘、胆嚢切除、リンパ節切除、癌が浸潤していた横行結腸一部切除。わたしには車の運転は80㎞が限界、外食もままならぬ、時すでに遅し。年に一度東京へ行っても電車に乗るのは羽田空港へ行くときだけ。住まいの周辺を移動するだけというしだい(笑)
 話を聞いていると、それぞれの友が、自分の性格に応じたやりたいことをやっているのがよくわかる。

 それにしてもどうしたことだろう、70歳を境目に、みんなの身体が一斉に壊れつつある、何もなかったのは二人だけ。わたしは57歳の時にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で入院・手術をしてもらったが、どの病室も70歳前後の患者が多かった。義父は70歳、オヤジは72歳でどちらも大腸癌で逝った。70歳前後のみなさん、身体に異常を感じたら診察を受けよう。母校で哲学の教授をしている同期のIさん、どうしてるかな、昨秋葉書をもらってからちょっと気にかかっている。
 癌細胞が体の中で増殖し始めたら、生命エネルギーをもって行かれるから、とっても疲れやすくなる。それが最初のシグナルだからご用心。ふだんから自分の身体の声を聞くようにしていたら「ヤバイ」という体の発する声が聞こえてくるよ。ヨーガや座禅瞑想をしていたらわかる。
 癌仲間が増えるのはありがたくない。Yが五年前に「トシ、おれも同じになった」と言ったときの表情を思い出した。なってほしくなかった。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発、そして広がっていき、リンパ節に転移、横行結腸へ浸潤していた、そんなわたしでも12年たって生きている。いや生かされたと言うべきだろう。死はいつ訪れるかわからぬ、くよくよせずにいまを精いっぱい生き、ただ生を謳歌する。再び病を得て自分で食事ができなくなったら、そのまま枯れるように死んでいくつもりだ。12年前に一度死を覚悟したので、死を当たり前のこととして受け入れる心ができた。ありがたい。
 12年前に、入院先の釧路医師会病院までYoがわざわざ見舞いにやってきた。中学時代からの大事な友、これが最後かもしれぬ、長い付き合いだったと思ったら、あいつが帰った後でほろりと涙がこぼれた。平然と死ぬ覚悟はできても情は別なのだよ。

 新年会メンバーはあと3人を残して70歳になった、3月末までに残りの3人が70歳を迎える。ピンピンコロリと逝きたいものだ、それがみなさん共通の願い。

 風力発電はほんとうにエコかなんて尖がった話を隣でしている、そしてこちらでは根室の水産業の現状と未来、改革の方途、そして公共交通機関維持について和気藹藹の議論あり。
 花咲線はいずれなくなる、道内から在来線が徐々になくなり、新幹線も赤字だからいずれ道内の鉄道網が消滅する。新幹線だけJR東日本に買収されるのではという意見もあった。JR東日本にとって函館―札幌間の新幹線網は東北新幹線の顧客を増やす手段としても必要性が高いので、そうかもしれない。
 根室はバスだって利用者が少ないから危ない、数名が運転免許証を返上した後の生活を心配していた。

 10年後、20年後を考えて街をいま創り変えなければ自分たちが困る、知恵を絞り、動かなければにっちもさっちもいかない近未来のなかで暮らすことになる。どういう未来を設計してつくりかえるのか、まったなしで団塊世代が試されている。

<余談>
 元旦、二日と続けて車庫前で半径1.6mの円がふたつの8の字コースをマウンテンバイクで60周、平均時速3.6㎞、分速に換算すると60m/分。歩く速さで8の字をトレース。時々2-3秒くらい静止できるようになればうれしい。
  
 有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らばふれ風吹かば吹け

*多発性骨髄腫
https://ganjoho.jp/public/cancer/MM/index.html


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