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#4120 標津の叔父貴:8年ぶりの再会 Nov. 9, 2019 [21. 北方領土]

 標津の叔父貴のところまで、車を運転していってきた。先月、T叔父貴の嫁さんが亡くなったのを昨日知ったからだ。初めて叔父貴の家を訪れた。

 8年前に根室まで来てくれた。癌に効くからと「猿の腰掛」を砕いたものを袋に入れて持ってきてくれた。T叔父貴は巳年(1929年)生まれで90歳になる。うちのオヤジが1921年酉年生まれだから、8歳年下になる。1924年生まれのお袋の実弟、5歳下。1923年9月1日の関東大震災が起きている。

 叔父貴は終戦の年に16歳、択捉島にいた。3年間ロスケ軍政下で生活して日本に戻ってきた。ピストルで脅されたりしたが、実際に発砲することはなかったという。日本人の青年男子は漁労に従事していた。択捉島での漁は、戦後のソ連の食糧増産のために重要だったらしく、かなりきつかったようだ。

 日本へ戻ってきてから、団塊世代のわたしが幼稚園児のころ数か月間あるいは1年間くらい、根室に来て一緒に暮らしたことがあるので、T叔父貴はわたしには親戚というよりも家族の感情が強い。昭和23年にソ連から引き揚げてきたときには19歳、両親はすでになくなっていたから、苦労したのだろうと思う。
 択捉島蘂取村の前浜の漁場の権利は叔父貴名義になっている。長女であるおふくろは、結婚しなかった妹の老後と死後を心配して、弟にその管理を委ねた。叔父と同じ漢字の名前の叔母は叔父貴が供養している。義務と権利は一体というのが母の考え。
 満州で戦死した兄が生きていれば、長兄が相続しただろう。戦前の択捉島は根室の漁師の3倍の漁がある「宝島」である。北方領土が戦後50年くらいで戻ってきてたら、T叔父貴の暮らしはまったく違ったものだっただろう。

 家に上がって、挨拶をし、線香をあげて、それから8年ぶりの再会を喜んだ。とっくに車の運転をしなくなったので、根室に出てくることもない。根室の自衛隊に勤務している息子がいる。息子に会うのは2度目である。11時から三七日の法要をやっていたのだが、胃と胆嚢の全摘・リンパ節切除・大腸一部切除しているので、わたしは午前中は体調が悪く車での移動は11時すぎないと無理、道の駅「おだいとう」で珈琲を飲みサンドイッチを食べて、午後1時過ぎに標津についた。ちょうど法事で集まっていた人たちの最後の一人が帰るところで、見送りに表に出てきていた。

 戦時中は秘密部隊の落下傘部隊員だったオヤジが60歳ころに標津までサイクリングで行ったついでに叔父貴の家を訪れた話や、標津が本店の蕎麦屋福住でそばを食べて、「うまいそばだ」と褒めた話、根室のヤクザの親分だったT嶋さんとオヤジの話など、たわいもないことを小一時間ほど話した。自分の目で見たT嶋さんとオヤジの話を叔父貴が教えてくれた。昭和28年ころのことだろう。
 親分のT嶋さんは、幹部5人にしかオヤジのやっているビリヤード店への出入りを許可しなかった。親分のしつけがきびしいのか皆さん言葉使いはよろしいしとっても行儀がよかった。あるとき幹部でない組員が親分へ連絡事項があって店に来たことがある。「ここは、〇〇さんの店、お前たちは出入りはならぬ」とぴしゃっと云い渡した。店番していて自分の耳で聞いておやっとおもった、堅気のオヤジをまるで兄貴分扱いするようなT嶋さんの態度がふだんから不思議だった。お袋に話しかけるときに「姉さん」というのも。
 理由はずっと後で、オヤジの通夜の席で旭川のN叔父から聞いて知った。戦後まもなく、富良野で映画館でヤクザ屋さん5人ばかりに因縁つけられ、「顔を貸せ」と囲まれてトイレに連れ込まれたことがあり、数分後にそこへN叔父がいくと5人とも倒れていたそうだ。落下傘部隊員は正規兵3人を相手にして互角に戦えるほど厳しい訓練を経ている。オヤジは終戦数か月前の「加藤隼戦闘隊」という戦時宣伝映画の降下訓練シーンの撮影で、最終降下役、すぐ前の隊員が降下気迫を失いためらったので、押し出しながら飛び出したら、主導索に腕をひっかけて右腕複雑骨折、終戦まで別府温泉や青森の温泉で療養。その後遺症で戦後数年間は右腕がほとんど上がらなかったのである。昭和22年にお袋とお見合いしたときに、上がらない腕で箸をもって、顔を箸に近づけて食事していたオヤジを見て、傷ついた兵隊さんの妻になろうと思ったのだそうだ。満州で戦死した兄のことが頭をかすめたのだろう。オヤジは軍隊に入る前に町内対抗の自転車選手だっただけでなくボクシングもやっていたから、左腕一本、ジャブで片付けたのだろうか、おそるべし、落下傘部隊生き残り。それ以降、富良野のヤクザは道路ですれ違うとオヤジをよけて歩いていたと、N叔父が大笑いしながら話してくれた。オヤジは兵隊時代のことを面白おかしく聞かせるのが得意だったが、N叔父から聞いたような話は聞いたことがなかった。旭川のN叔父は、「同じことだろうよ」とほほ笑んだ。Nさん、技術が優秀なので運輸大臣賞をくれるというのに、断るような頑固な畳職人だった。
 それで、オヤジが決して続きを言わなかった話の合点がいった。戦後の食糧難で富良野で野菜や穀物コメの買い付けをして根室へ運んで売っていたことがある。そのときに、T嶋さんは鼻っ柱の強い若頭だった。緑町に松乃湯という銭湯があって、そこで目と目が合って、「表へ出ろ」、応じて外へ出た。話はそこまで、あとは決して語らなかった。二人には愉しい思い出だったのかもしれない。T嶋さん素直なのである、以来、オヤジは兄貴分扱いだったというわけ、オヤジはなんとなく迷惑そうだった。でもチンピラが店に出入りしないのはありがたかった。(笑)

 小学生低学年のころから、空きになると石炭ストーブの焚き付けにざっぱを鉈(なた)で叩き折ってたくさん積んでおくが、わたしはそれを素手でやっていた。手刀や拳骨で叩き折るのである。生渇きの木が混じっているので、撓(しな)って折れないことがある、そういう生木を繰り返し叩くと次第に折れるタイミングがわかってくる。気を入れて本気で高速で叩けば百発百中だということがわかり、そういう叩き方を身体が覚えてしまった。何千本も手刀や拳で叩くから、手刀は次第に固くなり、拳の骨密度も大きくなりパンチが重くなる。重い鉞(まさかり)を全力でふっていたからか、両腕がよく発達して人より10㎝ほど長い。(笑) 空手をやっている人は拳にタコができるが、小学生低学年から繰り返していると、拳ダコができない。だが、破壊力は拳ダコのある者よりもおそらく大きい。当時は廃材もふんだんにあり、五寸角の角材も混じっていた、いま五寸角の柱を使っている家はほとんどないだろう。長柄の大きな鉞でも一発では折れてくれない。振り上げて体を後ろにしならせて背後の土に鉞の鉄部がついたら、ゆっくり振り上げて、振り下ろす瞬間にギュッと握りしめながら、渾身の力で叩く。十数回繰り返すと叩き折れる。四寸角の柱ならもっと楽だ、三寸角の角材なら、2-3発で叩き折れる、まれに一撃で折れることがあった。五寸角についた鉞の刃のあとをみると、どれくらい正確に狙い通りにあたったかが確認できる。渾身の力で一か所を狙って打ち下ろして、1㎝の幅に収めるのは、よほど腰が安定して、振り下ろし方が一つの型にまでならないとできない。住宅用柱に使われているのは現在では三寸角である。正確に振り下ろして、当たる瞬間に握りしめて渾身の力で叩きつける。ぼきっと折れるとスカッとする。
 家の裏庭でそんなことを繰り返して遊んでいると、オヤジはそばを通り過ぎても何も言わない。毎年廃材の角材や焚き付け用のザッパをたくさん預けて、好きにさせてくれた。中学3年生になると、オヤジに頼んで砂とセメントを買ってもらい、混ぜてコンクリートを練って、鉄パイプの両側に太い針金を巻き付けてコンクリートで固めた。40-50㎏くらいのお手製のバーベルの出来上がりである。左官職人がモルタルの壁を塗るときにやっているのを見ていたから、やってみたくなったのだ。真似してやってみたつもりでも、数か月で壊れた。(笑)
 ビリヤード店にはベンチがある、それの片側を箱の上に載せて傾斜をつくり、高い方にベルトを撒いて両足をひっかけて、腹筋する。20セット5回を日に何度か繰り返したら、次第に腰が痛くなり、逆療法とばかりにさらに回数を増やすと、二階の居間へ階段を這って上がることになってしまい、腰が痛くて、病院へ行った。医者が腰を触って、「なにをやったんだ?」と訊く。説明すると、やりすぎで炎症を起こしているから、しばらく休めと叱られた。中学生や高校生のときにはずいぶん無茶をした。30度ほど傾斜をつけてシットアップすると20回が60回くらいの負荷になる。朝早く起きて5セット繰り返す、気が向くと時間をおいてまた繰り返していた。
 鉞で背筋が、シットアップで腹筋が、ザッパ割で手刀と拳が鍛えられた。見かけとは裏腹に血の気が多かった。お袋が亡くなる数年前に「お前が高校生のときに、T嶋が「息子に何かあったら言ってくれ」そう言ったことがあった」と教えてくれた。T嶋さんはわたしに一度もビリヤードをやろうと言ったことがないし、一度もゲームしていない。常連客でゲームをしなかったのはT嶋さん一人しか記憶にない。表面(おもてづら)とは違って、わたしに血の気が多いことを見抜いていたのかもしれぬ。
 高校卒業してまもなく東京・新宿で、ヒロシとムサシの三人でパンチボールを叩いた。腰のひねりを加えて一撃すると180㎏の数字が出た。踏み込まずに腰のひねりだけで叩いた。腕に覚えのある二人は150-160㎏、かなりのパンチ力だった。
 180㎏はプロのボクサーの強打者並み、そして拳は空手家と同等の破壊力なら凶器そのもの。踏み込んで叩いたら、3割くらいは衝撃力が増すだろう。中指のところが他より突き出ているから、その1㎝くらいのところへ破壊力が集中する。顔面ならどこを叩いても骨が砕ける。歯を折るだけではすまない。側頭部にまともに当たれば頭がい骨骨折、脳挫傷で即死だろう。一番硬い額を叩いても同じことだ。加減した叩き方はできないから、素手で人を叩いたことはない。殺人罪で一生を棒にふるようなことはできぬ。
 中三の冬に仲の良かった友人のK池と何かのはずみで喧嘩になったことがある。どちらからともなく外に出ろと雪が50㎝ほど積もった校庭へ、そして取っ組み合いの喧嘩をした。身長は互角、肉付きのよい奴だったから重くて投げ飛ばすのがたいへん、大けがさせたくないから素手ではなぐらない。10分もお互いに雪の中に投げ飛ばし合っていたら息が上がってへとへと、勝負がつかない。雪の中へ何度投げたり投げられたりしても、ダメージはない。そのうちに廊下の窓を開けて3クラスの数十人がワイワイ言いながらみているのでばかばかしくなり、二人とも雪の中で大の字になり大笑いして仲直り、愉しい喧嘩だった。K池、中学校を卒業してから一度もあっていない、転勤族の子どもで性格のよい奴だった、どうしてるかな。先生たちは生徒同士の喧嘩に干渉しない。光洋中学は1学年10クラス550人。


 話を元に戻そう、標津の叔父貴の息子に年齢を聞いたら、ちょうど一回り下、同じ丑年生まれだった。中学生の時に一度だけ標津を訪れたことがある。そのころ、T田さんが標津駅前で親戚が床屋を営んでいた。少し離れたところに母の叔母の家があり、漁師をやっていた。羽振りがよかった。家には馬が一頭いた。標津町には親戚が数軒ある。そのときに、叔父貴の家までは行かなかった。少し離れていて不便だったからだ。今日、初めて訪れた。

 叔父貴は帰路の運転を心配して、早く帰れとせかす。夕方になると鹿がでるから車の運転が危ないと心配するのである。来る途中に3度草叢(くさむら)にいる鹿を見た。根室市内も鹿が多いので、衝突事故がたまに起きている。時速80㎞なら車は全損だし、ケガもする。70㎞でも突然林の中から飛び出してくる鹿はよけきれないので危ない。だからと言って、よけきれる時速40キロで走る車はいない。軽トラを運転しているお年寄りが時速100㎞超で追い抜いて行った。ずっと飛ばして、見る間に小さくなっていく。道路わきに林のあるところはいつ鹿が飛び出してくるかわからないから要注意だ。角が半分獲れた雄が一頭いた。

 叔父貴はまだ元気なようす、百歳まで生きてくれたらありがたい。母方のほうは叔父と叔母とそれぞれ一人ずつしか残っていない。83歳の叔母は叔母というよりも歳の離れた姉という感情が強い。中高生のころは呼び名も「〇〇お姉さん」と呼んでいた。
 母の兄は満州でソ連軍と戦って戦死、長女だった母は平成23年に亡くなった。叔母たち3人はお袋よりも先に逝った。オヤジのほうの兄弟姉妹も全員亡くなっている。昨年は釧路の従兄が一人逝った。

 帰路、道の駅「おだいとう」に寄ってソフトクリームを食べた。人の数よりも牛の数が多い別海町だから、そこの牛乳を原料に造られているソフトクリームはとってもおいしい。¥350、お値段以上の味、コーンも特別なものを使っている。おススメの一品です。

 叔父貴に久しぶりに会って、昔話をちょっとしたのでこころがうきうきしている。

<余談:理不尽>
 8年前にT叔父にあったときに、「墓参りに行きたい」と言っていた。1週間おいて続けて亡くなった父親と母親の墓があるが、一度も墓参に行っていない。年が明けてから千島歯舞居住者連盟の事務局のある千島会館へ電話して、電話口に出た方に訊いてみたら、今年の分はもう締め切ったとつれない返事。「叔父は島民1世で引揚者、なんとかなりませんか?」と畳みかけても、「無理です」、様々な全国組織に割り当てられていて、根室への割り当てはあまりないのだそうだ。
 T叔父は島民1世で、かつ引揚者でもある。20回30回といっている人も少なくない。高齢であることから、体力がもたないのでとっくにあきらめている。あきらめも癒しの一つだろう。
 わたしもスキルス胃癌になる前は、墓参りをしてみたい気があったが、いまはない、とても体力がもたぬ。病気を患い体力が失われて行けないのだから、私自身が墓参できぬことに理不尽さは感じない。
 母は生前、(択捉)島には複雑な思いがあると言っていた。墓参には一度も行っていない。前浜で川に遡上してくる鮭で竹竿が立つと魚の密度の濃さを表現していた。魚群が密で川に立てた竹竿が倒れないのだそうだ。長兄が川に入って鮭を両手で掬って川岸へ何匹も跳ね上げる、そして腹を裂いて筋子をとる。「樽に一杯とっても食べきれないから、その辺にしたら?」と声がかかる。戦前の話だから冷蔵庫はなかった。そういう話をするときに、母には情景が見えているようだった。辛く悲しかったことばかりではない、いいときもあった、懐かしい思いはあったのだろう。
 漁が豊富なだけに、漁業権をめぐって、島には島の事情があった。一回りしか離れていない末っ子の叔母からそんな話を数年前に聞いた。財産が人を不幸のどん底に叩き落すことがある。しかしそれで生まれてくる命もあるのだから、禍福はあざなえる縄の如し。運命は受容するしかないのである。恨みつらみは人を不幸にするだけ、そこを乗り越えたら幸福が待っている。
 オヤジは「戦友たちはみんな戦死した、俺は幸せだ、戦友たちは結婚もせず、子どもも残さず、靖国で会おうといって出撃して戻らなかった」。大腸癌の手術をした後に、東京へ来て、靖国神社へお袋と一緒にいった。お袋は満州でソ連軍と戦って戦死した兄を弔うつもりだっただろう。そのときに、オヤジは万里の長城へ行ってみたいと言った。戦時中朝鮮や中国にいたことがあったからだろう。医者には無理だととめられていた。翌年再発して手術したが、「開け閉じ」。5か月後に全身転移で亡くなった。死んでもいいから万里の長城への旅行、行かしてやりたかった。
 大学のゼミの指導教官である市倉宏祐教授(哲学)は元特攻隊の生き残りである。オヤジと同じ1921年生まれだ。市倉先生が遺した『特攻の記録 縁路面に座って』は弊ブログに同名のカテゴリーがあって、そこに全文を貼り付けてある。遺稿の編集委員伊吹克己専修大学教授の好意で電子ファイルの原稿を送ってもらった。クリックすれば読めるので、哲学者による唯一の特攻の記録をたくさんの人に読んでもらいたい。


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#4025 日露首脳会談6/29:「元島民落胆深く」 Jul. 1, 2019  [21. 北方領土]

  6/30北海道新聞28面のタイトルは次のようになっている。

 領土「足がかり見えぬ」
  日ロ会談 元島民、落胆深く

 関係者のコメントを北海道新聞から引用する。
 ①千島歯舞居住者連盟根室支部長宮谷内亮一さん76歳

今回の会談で何か足がかりがあってほしいと思っていたが、まったく見えない。進展がなく残念だ」
「戦後74年、領土問題は置き去りにされてきた。ほんとうに悔しい。そろそろ現実的な対応をしてほしい
 ②千島歯舞居住者連盟副理事長河田弘登志さん84歳
この状況(元島民の平均年齢84歳)を見れば、一日も早く解決してほしいというのがわたしたちの偽らざる願いだ。首相も肝に銘じてほしい
 ③択捉島出身で札幌の岩崎忠明さん85歳
交渉はずっとロシアペースだ
道がなかったり、ロシア側が訪問を認めなかったりする墓地もある。墓参できる墓地が増えなければ、航空機を使えても意味はない
 ④石垣根室市長
一定の進展を見た
ごみの減容対策は根室市が主体的に担わなければいけない。(四島に対し)分別や減容の指導もできる。できることから一つずつ積み重ねることが領土問題の解決につながる

 元島民と根室市長のコメントには温度差が大きい。元島民の返還運動団体である千島連盟は市長と一緒にやっていけるのかね?


<六月末日:日めくりカレンダーの金言>
 努力なくば、安楽もなく、休息もなし
SSCN2895.JPG

<北方領土返還戦略の作り方>
 北方領土返還運動を担う千島歯舞居住者連盟も手詰まりである、なぜかというと具体的な返還戦略がないからで、どうやれば北方領土の返還が行われるのか自分たちの頭で考えてこなかった。政府にただお願いしてきただけ、そしてビザなし交流や墓参を政府予算丸抱えでやってきたことを反省すべきだ。自分たちの問題しか視野に入っていないことも運動が広がらない原因の一つである。領土問題は北方領土だけではない、尖閣列島も竹島もある。引揚者は北方領土からだけではない、樺太からも満州からも朝鮮からもパラオなど南の島々からも、土地や家屋ややっていた事業、財産すべて失い命懸けで引き揚げてきた人たちが他にもたくさんいる。国民に共感をもってもらいたいなら、こういう人々にも共感があってしかるべきだろう。
 一度、内部で議論してみたらいい。思いつくままいろんな事項を列挙して、整理すればいい。KJ法*やワークデザイン法*を利用して分析し、そういう作業をベースにしてPERTチャート*にイベントを並べて具体的な北方領土返還戦略をたてたらいい。仕事は段取り八分、やり方次第である。方法論を間違えているから70年間ロスしてしまった。

 もちつもたれつの関係を解消する時期に来ているのではないか。このまま「お願い」運動をしても進展はない、千島歯舞居住者連盟の二人もそう言っている。具体的な領土返還論、返還戦略を自分たちで真摯に議論して、公表したらいい。政府の外交政策と真っ向から衝突するよ、そういう覚悟がないなら現状維持、「お願い」返還運動で満足するしかない。他人任せにしていたからこういうことになる。
 弊ブログ#195を参考にしてもらいたい。そしてわたしの案を鼻で笑えるような具体的なシナリオを考えだして公表したらいい。返還運動を政府任せにしてはいけない、どうしてほしいか各人がそれぞれ考え抜いて、具体案をまとめ上げて表明したらいいのである。

*KJ法:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/KJ

*ワークデザイン法:日本創造学会
http://www.japancreativity.jp/category/work-design.html

*PERT chart:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/Program_Evaluation_and_Review_Technique



*#2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012

#2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012

#1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012

#195 すこし過激な北方領土返還論:MIRV開発・組み立て・配備・解体ショー



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#3929 VENONA文書と北方領土:四島一括返還の戦略 Feb. 13, 2019 [21. 北方領土]

 VENONA(ヴェノナ)文書の存在を最近知った。FBIが盗聴した暗号解読の公文書が50年たって公開された。その内容は大東亜戦争と東京裁判の見直しを迫る驚くべきものである。

 ルーズベルト大統領の側近に何人もソ連のスパイがいて、日米開戦を画策していたという。ハルノートの原案もソ連スパイ(ハリー・デクスター・ホワイト 財務次官補)の手になるものだった。中国も南京虐殺をでっち上げ反日キャンペーンを米国で繰り広げ、米国世論を反日へ誘導したことが、これらの公文書公開でようやくわかるようになってきた。誰がどこからの指示でどういう機関や組織を作り何をしていたのかが明らかになっている。
 ルーズベルトの前任者のフーバー大統領は、ソ連の拡大をとめるために、日本と協力すべきだと主張していた。当時の米国の保守主義勢力は、共産主義の拡大を防ぐために日米の協力を模索していたのである。

 ルーズベルトは1929年の大恐慌のあと景気低迷と失業者があふれた状況を何とかするために、政府内部に何人もいたソ連スパイの提案を採用して日米開戦の準備をしていた。1941年11月26日に日米交渉で示された「ハルノート」は日本を戦争に踏み切らせるための踏み絵だった。1941年の開戦で米国は1200万人の失業者が職を得、空前の好景気に沸いたのである。見事なものだ。ソ連と中国共産党は戦略という投網を打っておいて、時節の到来をじっと待つ。
*https://ja.wikipedia.org/wiki/ハル・ノート

 ソ連はマンハッタン計画もスパイから情報を入手して、広島に原爆が落とされる日まで知っていた。原爆投下に合わせて開戦すべく、その半年も前からヨーロッパ戦線から軍隊を引き揚げて、10万人も樺太へ集結させていた。そして広島に原爆が落とされた3日後の8月9日に北方領土と樺太そして満州に一斉に攻め込んだのである。ソ連は20年もかけて領土拡張の戦略を練り、米国や日本にスパイを送り込み実行し、まんまとやり遂げた。
 ルーズベルトはスターリンや毛沢東と組んだ、ヤルタ協定は元大統領のブッシュも恥ずべき政策だったと誤りを認めている。米国の保守主義は日本の核武装を歓迎するだろう。米国議会はヤルタ協定はルーズベルト個人が結んだもので、米国政府が正式に認めたものではないとまで決議している。だから、日本は北方領土と南樺太の領有権に関して米国議会と協力できるのである。

 ルーズベルトは第2次大戦で国境を変更しないと明言していたが、ヤルタ協定でスターリンと取引した。東欧や満州をソ連にくれてやる約束をしたのである。旧満州はソ連と中国の切り取り放題を認めた。ポーランドとバルト海三国、ラトビア、リトアニア、エストニアはこうして戦後ソ連に組み込まれた。中国は1951年にチベットへ軍隊を送り併合した。チベットはいまでは中華人民共和国の一部になってしまった。かつての大帝国モンゴルも中国の属国化が進む。元横綱朝青龍がモンゴルに急激に漢人が増えて困ると悲鳴を上げている。チベットの向こう側のウィグル自治区にも中国はたくさんの強制収容所をつくりウィグル人の人権を蹂躙している。これらの発端がヤルタ協定であり、ソ連と中国共産党の戦略の結果である。チベットを併合しただけでは気がすまず、中国はその版図を広げようと「一衣帯水」と称して現代のシルクロードをつくりあげ、モンゴルやその向こうのウィグルにも触手を伸ばしている。あくなき領土拡張の欲望が中国共産党を動かしている。米国の保守主義者はほぞをかんでいるだろう。戦略での負けは取り返しがつかぬ。

 明確な戦略をもって20~30年の歳月をかけて布石を打って、領土拡張を図ったソ連と中国、ソ連は米国政府内部にまでスパイ網を構築して米国と日本を対立に持ち込み、戦争に追い込んだ。中国が米国内部で南京大虐殺のキャンペーンを組織した。関係のない写真をばらまき反日宣伝をおこない米国国民を対日戦争に誘導した。日本が真珠湾を奇襲した12月8日の翌日に、中国共産党は「これで対日包囲網が完成した」とアナウンスしている。米国と日本は見事にしてやられたのである。

 戦略のない外交がいかに脆弱なものかはソ連と中国の領土拡張の歴史を見ればよくわかる。安倍政権は戦略なしに、北方領土問題をロシアのプーチン大統領と話し合うという。詰将棋が詰んでしまってから形勢の挽回をしようとするようなもの。日本外交はまるで子ども、幼児性がいまだに抜けぬ。
 適切な戦略があれば北方四島返還はできるのだよ。

 千島歯舞居住者連盟のみなさん、根室高校北方領土研究会のみなさん、そして日本共産党のみなさんもVERONA文書に関心をもってください。ヤルタ協定は無効です、それが米国議会の正式見解ですから、北方領土返還運動で日米は協力できます。

*#195「少し過激な北方領土返還論」:MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
⇒ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07


 ところでこの文書は2010年に翻訳①が出ているのだが、値段が3万円以上もする。原著で読もうと思ってamazonで調べたら、代金引換やコンビニ決済が利用できない区分になっている。ネットで銀行口座を入力するのは危なくてやる気がしない。さて、どうしたものかの。amazonはどういう基準で代金決済に制限をかけているのか、ご存知の方がいたら教えてほしい。
 東京で書店回りをする体力があるかどうか。電車に乗って洋書のある書店へはスキルス胃癌の術後は一度も行ったことがない。混んでいる電車で立っているのは辛い、無理だろうな。あんなに本屋を回るのが好きだったのに…

 これらの本は暗号が誰宛てなのか、だれが発信した者なのか、歴史と照らし合わせて個人を特定している。
 ③の本が2014年の出版で一番新しい。解析がさらに進んでいるようなのでこちらを読みたい。大東亜戦争への見方ががらりと変わる。ルーズベルトは米国政府内部に構築されたソ連スパイ網でいいように踊らされていたのだ。

 なお、ウィキペディアは米国政府内部に構築されたソ連スパイ網の実名リストを挙げている。
*https://ja.wikipedia.org/wiki/ベノナ


ヴェノナ

ヴェノナ

  • 作者: ジョン・アール・ヘインズ
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2010/01/30
  • メディア: 単行本
Venona: Decoding Soviet Espionage in America (Yale Nota Bene)

Venona: Decoding Soviet Espionage in America (Yale Nota Bene)

  • 作者: John Earl Haynes
  • 出版社/メーカー: Yale University Press
  • 発売日: 2000/08/11
  • メディア: ペーパーバック
The Venona Secrets: The Definitive Exposé of Soviet Espionage in America (Cold War Classics)

The Venona Secrets: The Definitive Exposé of Soviet Espionage in America (Cold War Classics)

  • 作者: Herbert Romerstein
  • 出版社/メーカー: Regnery History
  • 発売日: 2014/12/08
  • メディア: ペーパーバック

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#3882 羅臼町長の北方領土に対する明快な意見 Dec. 15, 2018 [21. 北方領土]

 15日付北海道新聞根室地域版によれば、湊屋羅臼町長は町議会の答弁でつぎのように語っている。
今まで動かなかった交渉が少しでも動くならば、国の交渉を注視したい。ただ羅臼町の町長としては、国後と択捉の両島が置き去りにされてはならないとはっきり申し上げたい

 隣のページには根室市長が千島会館で千島歯舞居住者連盟根室支部創立60周年事業の一つである北方領土問題研修会で次のように述べた。
元島民や隣接地域の思いを受け止めた総理に結果を任せよう。総理には職を賭して首脳会談に当たってほしい

 参加者50人、市長の講演だから忖度する市役所職員が20-30名くらいは来ているだろう。
 あなた任せ、当事者の発言には聞こえない。石垣市長のこの発言は元島民の心情が理解できていない。歯舞群島や色丹島の元島民は自分たちの島がもどってくるのと引き換えに国後島と択捉島が永遠にロシア領になってしまうことがわかっているから喜べない。一緒に戦ってきた国後島や択捉島の出身者に申し訳がないから、水晶島出身者や数名の歯舞群島出身者は苦渋の表情を浮かべてテレビのインタビューに応えている。
 これが「北方領土返還運動の原点の町」の市長の発言かと耳を疑った。
 尻尾を振る犬はかわいい、だが北方領土の番犬は羅臼町長のように肝心なところでは吠えなくてはならない。

 連盟根室支部長の宮谷内さんも最近のテレビニュースでは遅ればせながら四島返還を口にした。人の心情としてそういわざるを得ない。元島民にとっては損得勘定では割り切れない問題がある。

 ロシアと戦わずして北方領土の返還などあるはずがない、四島返還ノーなら、ロシアと経済断交するぐらいの気概をもって外交交渉してもらいたい。根室市議会で「四島返還、さもなくばロシアと経済断交すべし」という決議をして外交交渉をバックアップすべきだ。「北方領土返還運動原点の町」である根室が何も行動を起こさないで成果がえられるはずがない。

*#3871 根室市長「いかなる結果でも全面的に支持する」
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-12-02-1

 

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#3871 根室市長「いかなる結果でも全面的に支持する」 Dec. 2, 2018 [21. 北方領土]

 「北方領土返還要求中央アッピール行動」が12/1東京都内で行われた。
 「四島を返せ」の掛け声は封印、いったいなにしにいったのだろう。

 水晶島出身の柏原栄先生がテレビの取材に、「70年も実効支配が続いて…四島は日本の領土だと主張してもらいたい」と言葉を選びながら苦渋に満ちた表情で応えていた。2島で妥結すれば、それでジ・エンドであることが分かっていながら、そのあとに2島返還交渉をというのはまやかしの思いだろう。小中高と団塊世代と一緒に学校を転任した唯一の先生である。そういう意味で団塊世代と縁の深い先生だ。昨年亡くなられた元択捉島出身の岩田先生とは花咲小学校教諭時代の同僚である。わたしは中学2年生の時に柏原先生に1年間「歴史」を習った、楽しい授業だった。あの時から成績が飛躍的にアップしたので、恩人だと思っている。黒板に字の大きさをさまざまに変えて場所もときに隅っこを使ったりして書いていた、印象(=記憶)に残る板書でかつ達筆であった。ある日、緑色の「黒板」に書かれた字を丸ごと記憶でき、ページをめくるように3か月間は保持できることに気がついた。家業のビリヤードで幼稚園のころから毎日遊んでいたビリヤード台はグリーンのクロスが張られて、その上を白と赤のボールが幾何学的な軌跡を描く。小学3年生のころには頭の中で無限にビリヤードができた。それを勉強に応用しただけで成績は簡単にあがってしまった。緑色の黒板に書かれた字や図を、苦も無くそのまま頭に浮かべることができた。子どもの頃の記憶力がなぜあんなに大きいのかわからないが、何十枚でもOK、ビリヤードを頭の中でやるのと一緒。頭の中の引き出しから引っ張り出しては確認し、書かれたことを整理してまた格納する。数分単位で暇なときに繰り返せばいいだけ。ノートも鉛筆もいらぬ、ビリヤードの店番をしているときにときどき頭に思い浮かべるだけでよかった。ビリヤードが勉強にそのまま使えることに気がつくきっかけをつくってくれたのが柏原先生の歴史の授業、そして小中高で数人の尊敬する先生のお一人。先生らしい発言だと思いながらテレビを見た。おいくつになられてもブレないインテリである。

 すごいのは根室市長の発言だ、3か月前の市長選挙のときの北方領土返還政策とはまるでちがって、ブレブレ。自分の言っていたことを忘れてしまったのだろう。北海道新聞12/2朝刊31面の記事を引用する。
日ロの交渉が)いかなる結果でも全面的に支持する。それが(領土返還運動)原点の町の思いだ

 関係者や根室市長としての公的立場に配慮した発言をしてもらいたいね。北方領土問題に関心の薄い大多数の国民がこの発言を見たらどう思うだろうくらいの想像力はもってほしい、北方領土の玄関の町根室市長なんだから。地元根室市長ですら北方領土については「この程度の認識と思い」であると受け取られかねない。
 根室市が四島返還を強く要求しているほうが、政府は外交交渉がやりやすい、カードが一枚増えるからだ。ロシアが強硬なのは、一度分捕って自国領土に組み入れた土地は絶対に返さないという国民が圧倒的に多いからだ。地元市長すら政府に下駄預けでは、強い交渉を政府ができるわけがない。対ロシア弱腰外交には地元の領土返還運動に熱意が見られないという理由がある。今度こそは、安倍総理の対ロシア外交を下支えするために、北方領土玄関口の根室市長がどれほど強硬な領土返還論をぶち上げるかと思いきや、「いかなる結果でも支持する」と後退発言、はなから負け犬、戦う意思すらない、がっくりきた。
 日本が抱えている領土問題は竹島も尖閣列島もある。領土に関して日本国民は腰が引けているとロシアや韓国や中国に間違った印象を与えることになる。実効支配すれば、国民も日本政府も強くは出てこないと思うだろう。尖閣列島も日中中間ラインの資源紛争もが危うくなる。
 東シナ海には日中中間ラインをまたぐ形でガス田が広がっているが、中国は井戸を掘り天然ガスの生産をはじめている。やりたい放題だよ、既成事実を積み重ねれば日本は手も足も出ないとなめられている。そうした国際関係にも配慮のできる市長であってもらいたい。
*東シナ海ガス田問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/東シナ海ガス田問題
 タイムリーですね。昨日(12/3)夜配信された記事です。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/中国、ガス田試掘を正当化-「主権と管轄権の範囲内」/ar-BBQpR4L?li=AA4RHB&ocid=spartanntp

 市長発言は領土返還交渉は政府マターで根室市は関係ないといっているように聞こえる、なんにもわかっちゃいない、北方領土の玄関口の根室市長の発言は外交問題に影響するのだよ。根室市の在り方次第で北方領土返還外交は劇的に変えられる。弊ブログ#195を一度読んだらいい。ロシアが震撼するような圧力をかけてやればいい。
 北方領土は外交マターで根室市は関与しない、9月の市長選挙の時に政策にそう書いていたのは対立候補の保坂いづみさんではなかったか?弁護士らしい割り切った考え方に頷けなかった覚えがある。他方、石垣氏は長谷川前市長の政策を継承すると宣(のたま)わっていたはずだが、長谷川前市長は昨年の「北方領土返還要求中央アッピール」行進で「四島を返せ」と叫んでいた。「いかなる結果でも…」ではなく、四島返還だった。そして根室市の役割は市民の声を政府に届けることとなっていたはず、石垣氏はいつ宗旨替えをしたのだろう?まだ、市長選挙から3か月たっていない。領土返還に関する市民の意見どころか、千島歯舞居住者連盟内部ですら、2島返還かそれとも四島返還かについて議論も意見のとりまとめもなされていないのである。いつ、どこで市民の声を聞いたのだろう?


 千島歯舞居住者連盟の国後島と択捉島出身者たちは市長の発言に迷惑しているに違いない。水晶島出身の柏原先生は自分の出身の島は返ってきても、93%を占める国後島と択捉島が返ってこないことが確定してしまうことに心を痛め素直に喜べない、だからテレビ取材に一言一言絞り出すように苦渋の表情を浮かべて応じていた。一緒に返還運動をしてきた仲間の思いが犠牲になって、自分の出身の島だけ戻ればいいなんて考える元島民はごく少数だろう

 水晶島出身者の吉田義久さん(81歳)=富山県黒部市=は次のように言っている。
元島民は故郷を追われた点でみんな同じ立場。やはり『島を返せ』が正直な気持ちだ

 国後島出身の岩松昇さん(78)=根室管内標津町=は次のように言っている。
今の状況はわかるが、気持ちをもっと出したかった。四島返還を言い続けて来たから」と本音を漏らす。11月の首脳会談で「交渉が前進してきた」と感じるが古里の返還は見えないままで、「ロシアとの交渉では、日本も態度をはっきり示すべきだ」と訴えた

 12月4日付の北海道新聞15面に載った記事も転載しておこう。「どうなる北方領土」というタイトルの記事に、歯舞諸島多楽島出身者元島民である東狐貢さん(88)の意見が載っていた。東狐さんは根室市から都内のデモに参加した元島民最高齢者である。
「「島が返ってきてほしい。だが、国後、択捉出身の元島民もいる。この方針でいいのか、一言では言えない難しさがある」と胸中を明かす」

 別の紙面に掲載された写真の中の元択捉島民の叔母の表情はめずらしく苦虫をかみつぶしたようだった。昨年亡くなった択捉島蘂取村出身者の岩田宏一氏の望郷の思いが頭をよぎっていたのかもしれない。

#3662 NHK朝までドキュメント72時間:岩田先生 Dec. 16, 2017

<領土は渡さない:サッチャーの毅然とした対応>
 1982年アルゼンチンとのフォークランド紛争時の英国首相サッチャーは毅然としていた。ただちに航空母艦2隻と原子力潜水艦、駆逐艦、フリゲート艦などの軍艦を派遣し、航空機によるアルゼンチン飛行場爆撃を開始、軍隊を上陸させ、アルゼンチン群を英国領から追い出し、鎮圧した。領土は絶対にわたさないという決意を全世界に示したのである。
 四島返還の原理原則の主張を引っ込め、7%の歯舞群島と色丹島で結構でございます、見返りにシベリア開発で兆円単位の経済協力をしますでは、日本人は世界中から腰抜けと思われないか?
 ことと次第によってはロシアと全面的な経済断交へ突き進むくらいの覚悟を決めた外交交渉はできないのかね。

*https://ja.wikipedia.org/wiki/フォークランド紛争

*#2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012

#2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012

#1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012

#195 すこし過激な北方領土返還論:MIRV開発・組み立て・配備・解体ショー



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#3860 北方領土は2島(7%)返還でおしまい、これでいいのか? Nov. 24, 2018 [21. 北方領土]

 このままいけば、北方領土返還交渉は2島返還でいいのか?
  歯舞群島と色丹島はわずか7%、返還されない国後島と択捉島は北方領土の93%を占める、国後島と択捉島はどちらも沖縄本島よりも大きい。
 北方領土の面積は5,038平方km国後島1,499平方km択捉島3,184平方kmの2島は北方領土全体の93.0%を占めている。比較のために書いておくが択捉島は沖縄本島1,206平方kmの2.6倍も大きい
 週刊現代がタイムリーな解説記事を掲載してくれた。近藤俊介氏が書いている、この記事をお読みいただき、いま一度北方領土問題についてお考え下さい。

 「北方領土交渉、このままいけば「ロシアの圧勝」で終わる可能性
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58551

<要点抜粋>
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安倍首相は緊張からか、疲れからか、顔色が優れず、虚ろな表情をしていた。だが、発言内容は重大で、日本の戦後外交を歴史的に転換させる舵を切ったのである。端的に言えば、北方領土の4島返還を諦めて、2島返還で決着させるということである。歯舞島と色丹島のみロシアから返還させて、国後島と択捉島は諦めるという決断をしたのだ。
しかも安倍首相は、いま日本で喧伝されているような「2島+α」ではなく、2島の日本帰属を認めさせて返還を死守する、すなわち「2島-α」を出さないことを目標に据えているように思える。


これだけ長く首相をやっている割に、成果が乏しいのである。
私は以前、ある元首相に、「日本の最高権力者の座に就いて考えたことは何ですか?」と聞いてみたことがある。すると元首相は、こう答えた。
「首相なんて結局は、3つのことしか考えないんだよ。第一に、自分の在位中、日本が平穏無事であること。第二に、一日でも長く首相の座にとどまり続けること。そして第三に、自分の時代にこれをやったというレガシー(遺産)を残したいということだ。おそらく首相が考えることは、誰がなっても同じだろうよ」
こういった証言から推論するに、安倍首相もいよいよ、「2019年は自分のレガシー作りに邁進する年にする」との決意を固めたということではなかろうか。


日本は、1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約でも、ミスを犯している。吉田茂首相がサインした講和文書の第2条(C)には、こう書かれている。
〈 日本国は、千島列島並び日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する 〉
吉田首相は受諾演説で、北方領土の取り扱いに、一応は異議申し立てを行っている。
「日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何らの異議を挿まなかったのであります」
だが吉田首相は、図らずも異議申し立ての中で、「千島列島」の中に択捉島と国後島が含まれることを認めてしまっている。その上でサインしたのだから、これまた日本の自己責任論だ。ただ一つの救いは、ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印を拒否したことだった。

これだけ長く首相をやっている割に、成果が乏しいのである。
私は以前、ある元首相に、「日本の最高権力者の座に就いて考えたことは何ですか?」と聞いてみたことがある。すると元首相は、こう答えた。
「首相なんて結局は、3つのことしか考えないんだよ。第一に、自分の在位中、日本が平穏無事であること。第二に、一日でも長く首相の座にとどまり続けること。そして第三に、自分の時代にこれをやったというレガシー(遺産)を残したいということだ。おそらく首相が考えることは、誰がなっても同じだろうよ」
こういった証言から推論するに、安倍首相もいよいよ、「2019年は自分のレガシー作りに邁進する年にする」との決意を固めたということではなかろうか。
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*#3859 北方領土は現状のままでええじゃないか Nov. 23, 2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-23

#3856 日露平和条約:国後島と択捉島は北方領土の93% Nov. 15, 2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-15

#3564 セルツェ(心)ー遥かなるエトロフを抱いてー July 2,
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-07-02

*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-1

 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28

*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14


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#3859 北方領土は現状のままでええじゃないか Nov. 23, 2018 [21. 北方領土]

 北海道全域で初雪が降りました、いよいよ冬の到来です。根室の今朝の最低気温は0.2度(午前9時19分)、強風で水たまりが凍りついていました。

 弊ブログ投稿欄へときどきコメントを寄せてくれる阿波の国の方がいらっしゃいます。もちろん、異論を対置して見せてくれるのですが、阿波の言葉でのその語り口も素敵です。
 なるほどな、北方領土問題は外側から見ていたらそういう見方もあるのか、「名無しのゴンベイ」さんとの対話部分だけ紹介します。
(サリーさんも投稿してくれてます。サリーさんはお父さんが引揚者ですから、北の島々にはわたしと同じような思い入れがあります。投稿欄の冒頭にあるので、クリックしてご覧ください。)

#3856 日露平和条約:国後島と択捉島は北方領土の93% Nov. 15, 2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-11-15

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大昔、に自由に闊歩して生活していたアイヌが和人に土地を奪われ生活の変容を余儀なくされた。
昔、日本人が生活していた土地がロシアに奪われて追い出された、もしくは、不便を感じて脱出した。
今、すでに多くのロシア人が生活を営んでいる。
将来、この人達を追い出して、もしくは、不便を感じて移住することになるかもしれない土地の所有者を変えることになるのか?
主権と所有権が違っても良いのかもしれん。住んでる者の事を考えてあげたらば。
by 名無しのゴンベイ (2018-11-21 09:50)
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戦って負けたら、土地も財産ものうなってしまう。
平安の昔から東北、そして北海道、北方の島々で和人とアイヌの戦いが、そしてロシアとの戦いがあった。負けたら盗られる、勝てば分捕る、それだけのこと。
領土と領海をめぐる戦争はこれからも隣接する国との間で起る。経済を武器にして戦えばいい。やれんじゃろな、もうけが先だわい。幸か不幸かカルロス・ゴーンと根っこのところは一緒の日本人が増えている。
by ebisu (2018-11-21 15:20)
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いや、わしの言うとることは、この4島が心底必要なもんが今の日本におるのか?ということや。そりゃあればあったで経済開発やらに名乗りをあげるもんもおろうけど、それは余剰のことや。今現に島で生活しているもの達にとっては心底今の状態が続く方がええと思うてるやろ。日本に返還となったらまた新たな悲劇を生み出すことになる。住んどるもんには何の罪もないのにや。
色んな面子もある、うまく話合うて返還して所有権は名目上日本とするが、主権は今のままロシア、ちゅう線もええなあと思う。みんなの面子が立つやろ?
by 名無しのゴンベイ (2018-11-21 18:19
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誰でも故郷へのノスタルジーはある。
ノスタルジーやない、実際に辛い体験もある。
そしたら相手のこともわかるやろ。
生活の拠点が変わる事がどれだけ辛いことか。
政治や経済といったうわべに囚われていたら個々の人の生活が見えんようになってしまう。そして戦争や。
大事なんは実際にそこに住んどるもんの生活やないやろか?
by 名無しのゴンベイ (2018-11-21 18:37) 
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あんたの主張は
今あの島に住んでいる人達を追い出すことになる、
悲しませることになるかもしれんけど、
それを超える程の価値があるんやろか?
今の状態でこの日本で憂いてる人の価値と、
もし返還になったら憂うことになる人達の価値と、
を比べて勝るんかいな?
by 名無しのゴンベイ (2018-11-21 23:23)
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価値があるのかないのかと問われたら、あるんよ。
理不尽なことには妥協はしないという意志を見せることは、価値のあることなんよ。
そのうえでの外交交渉に意味があるんよ。どういう形の返還が実現できるのか、具体的な検討が必要なんだろう。

たとえば、主権も権利関係も戦前に戻す、そのうえで、ロシア人住民の数を半分にして居住を認めることだって、外交交渉のまな板にのせられる。
な~にもせんと、ただ現状追認は納得いかんというこっちゃ。

このままあと二十年の時が過ぎたら、島に住んだことのある人間はきれいさっぱり一人もいなくなる。ふるさとへのノスタルジーがなくなり、静かになるわ。それでおしまいっちゅうことや。

そういうことが、「隠れたカリキュラム」になる。ロシア相手に真っ向から領土返還交渉すらできないヘタレだと、中国は日本をなめてかかる。
73年前にロシアがやったことは、いま中国ならずっとスマートにできると思うだろう。接続海域に中国潜水艦が出入りするようになった。既成事実をどんどん積み上げて侵食してきおる。尖閣列島だけでなく、沖縄も危うくなる。
琉球王国は中国へも朝貢していた歴史があるから、中国の一部だくらいのことはいいよる。日本の未来は危ういのう。ここからは退かぬというラインがない。
by ebisu (2018-11-22 00:14)
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#3856 日露平和条約:国後島と択捉島は北方領土の93% Nov. 15, 2018 [21. 北方領土]

<最終更新情報>
11/16朝、柏原先生のニュースステーションインタビューに関する感想と昨年亡くなった岩田先生のことを追記した

 安倍総理が2島返還で決着をつける方向へ舵を切った。ロシア大統領プーチンの思惑通りである、喜んで手を叩いているだろう。北方領土の7%に過ぎない歯舞諸島と色丹島だけを返還して領土問題に決着がつけられる、そしてシベリア開発に日本の技術と資本が利用できるようになる。平和条約締結後は米国といさかいを起こして経済制裁されても痛みはずっと軽くなる。国際政治で日本という有力なカードを手に入れることができるのだ。

 平和条約締結の目的は三つ。
①戦争状態の公的な終結
②請求権問題の解決
③領土境界線の確定

 ①と②は日ソ共同宣言で解決済みだから、平和条約をいま結ぶとしたら③の問題が確定すること以外にはない。2島返還で平和条約を締結すれば、それで領土境界が確定することになる。国際法上領土返還請求権が消滅する。
 国際法とは畳分としてあるのではない。国際的な取り決めである条約や、国際慣習法で構成されている。平和条約には領土境界画定が含まれるというのが国際的な常識である。平和条約が締結されたら、以後2国間に領土問題は存在しないということ。存在しない問題に継続協議なんてありようはずもない。

 千島歯舞居住者連盟の宮谷内根室支部長(理事)がテレビで2島返還で平和条約を締結し、そのあとで国後島と択捉島の返還交渉をすればいいと言っていたが、「のんきな父さん」だ、取り返しのつかぬことになる。宮谷内さん(国後島出身)はこれで国後島の返還はなくなったとわかって言っているのです。立場上、本音が素直に言えない、気の毒ですね。顔に苦渋の色を浮かべていました。

 米国と2国間FTA交渉はしないと安倍総理が言い続けてきた。商品だけの貿易交渉TAGを始めるとアナウンスされた。TAGはFTAではないと茂木経済担当大臣も説明している。ところが米国側の文書にはTAGの文字はないことがマスコミ報道によって明らかになっている。正本は英文のほうだから英文原本を見なければならない。英文原本にはFTA交渉と記載してあるらしい。最近日本へ来たペンス副大統領も商品に続いてサービスと投資についても交渉すると記者会見で言明したから、二国間のFTA交渉が始まるのだろう。為替の円安誘導についてもやめる方向でテーブルに載せるつもりのようだ。通常のFTA交渉よりもさらに幅が広い。これをTAGだと言い、FTAではないと国民に説明しているのだから、あきれる。ここまできたらこんな詭弁に騙される方が悪い。

 政府は日露平和条約締結後に国後・択捉の2島半間交渉を続けると言い募るのだろう。だが、平和条約締結の目的はもう③の領土境界の確定以外にはないのである。国後島と択捉島をロシアにくれてやるということだ。平和条約締結後に国後島と択捉島の返還交渉をするというのは詭弁である。

 千島歯舞居住者連盟はメンバーにちゃんと説明して、2島返還で領土問題は決着とする合意をまとめるべきだろう。四島返還の筋論を通すなら、日ロ平和条約締結は四島返還が譲れない前提条件だとはっきり主張すべきだ。いったいどっちなの?
 政府の方針に唯々諾々としたがって来たのは政府の補助金で運動が支えられてきたから。今回もそうなのだろうか?これでは国民の関心が薄くなるのは当然だ。存命の引揚者は残りあとわずか、引揚者であるわたしの叔母も80歳を過ぎた、そして10年後には住んだことのあるほとんどの人がいなくなる。いまのままでは運動の支え手が消滅し、日本人はだれも住んだことがない島ということになる。
 先週まで政府の方針は四島一括返還だと国民に説明していたではないか。こんなに大きな方針転換をするなら、領土にかかわる重大問題だから、2島返還で国民投票と衆議院解散を行い国民の信を問うべきだ

 それにしても、日本の外交交渉は下手だね。面積で2等分しましょうくらいのしたたかな主張ができないのかな。北方領土返還運動団体もそれくらいの要求をまとめられないのかね、ちっとは頭を使ってくださいよ。

<母は択捉で生まれ育ちました>
 おばあさんのお墓がありますが、母は一度も択捉島の土を踏むことなく平成23年に亡くなりました。千歳の叔母は母より先に逝きました。どちらも一度も古里である択捉の土を踏むことはありませんでした。
 爺さんは宝島と言ってました。そうとしかいいようのないほど水産資源が豊富だったのです。

<柏原先生と岩田先生:11/16朝追記>
 昨夜(11/15)午後9時からのニュースステーションでインタビューを受けていた柏原栄先生(元花咲小学校、光洋中学校、根室高校教諭)もうつむいて、「明るい光ではない、鈍い光が見えただけ、今までと変わらない、素直に喜べない」、重苦しい表情で語っていた。国後島や択捉島出身者の知人や一緒に運動してきた人たちのことを慮(おもんぱか)っての発言である。先生は水晶島出身者で終戦後、命懸けで小さな船でオホーツクの海を渡って根室まで逃げてきた。そうした先生の表情に年輪を重ねて磨かれた人格の輝きを見た気がした。中学校の時に1年間だけ「歴史」をならったことがある。2002年晩秋にふるさとに戻って小さな塾を開いてから数年後に、写真店展があり満開の桜の写真に先生のお名前を見つけた。都内ではなさそうなので電話をかけて撮影場所をお尋ねしたことがあった。大阪造幣局だった。いつまでもお元気でいてほしい。
 習ったことはなかったが、岩田先生が昨年亡くなっている。岩田先生はebisuの母親と同じ択捉島出身で、千歳の叔母とは幼馴染だった。母は岩田先生にとっては近所のお姉さんだったのだろう。千歳の叔母はもう10年ほどまえに逝ってしまった。4人いた叔母のうち存命なのは末っ子の「語り部叔母さん」のみ、ebisuとは一回りほどしか年齢が離れていないので、叔母というよりお姉さんという感覚である。昨年7月に択捉島蘂取村出身の山本昭平さんの講演会を聴きにニホロの北方館まで行ったときに、叔母の紹介で56年ぶりにお会いした。ニコニコしながら、「話をしに遊びにおいで、退屈してるから」そう言ってくれた、半年もしないうちに旅立つとは思わなかった。昔話のできる人たちがいなくなる。高齢だから今日元気でも一月後はわからない。
 ebisuの母親は平成23年に一度も島の土を踏むことなく逝った。自分の母親の墓参りが気になっていたようだった。できれば長男のわたしに墓参りしてほしかったに違いない。秋になると鮭が家の前の川に遡上してきて、川に竹竿を挿すと倒れないほど魚でびっしり、兄の初男さんが河口付近で川に入り鮭を手で救い上げて川岸に次々に放り投げ腹を裂いて、樽に筋子を入れる、「そんなにとっても腐るだけだからよしなさい」とのどかな秋の風景を懐かしそうに話すことがあった。長男の初男さんは満州の国境警備の任に当たっており、終戦時に侵攻してきたソ連軍と戦って死んでいる。満州の荒野に一本立っている木の根方に眠っている。霊感の強かった母はその光景を夢に見ていた。戦後満州から引き揚げてきた戦友が最後の様子を知らせに訪ねてきたことがあったという。母親が夢に見た景色を言うと、「どうして知っている、だれか伝えに来たのか?」と不思議がったと言っていた。〇〇さんがなくなったといい、窓辺にお酒を備えることがあった。あとでその人が死んだと知らせが入るのである。
 二女の叔母が一番霊感の強い人だった。前もって見えてしまうのである。幼いころに病床に就いた父親がなくなると1か月も前から泣くのである。訊くとそうではない、両方とももうすぐ亡くなるというのだ。父親の死後、1週間で元気だった母親が急逝してしまう。このように未来が見えるというのは人を幸せにしない。何が見えても人に言わないようになっていった。高校柔道部の同級生が腎不全でなくなったときに、ちょど亡くなった時間に二階のリビングに叔母と一緒にいた。大きな敷布のようなものがゴーッと音を立てて飛んで行った。あわてて窓を開けたが何もなかった。叔母に「みた?」と訊いたら、「見た」と一言。翌日死亡通知の折り込み広告が入った。ちょうどその時間に亡くなっていた。腎臓が悪くてしばらく釧路の病院に入院していたのだが、お盆のころ戻ってきていた。歩いていてすれ違い、「N西、治ったのか、よかったな」と声をかけた、当時は人工透析がなく、治療の方法がないので退院したことが後でわかった。「オー、よくなった」といって笑顔で別れて数日だった。霊感の遺伝子は女系に伝わっている。やはりときどき時間と空間を超えて見えてしまう能力のある者が身近にいる。見たくなくても見えてしまうことがある、本人に選択の余地がないのだから、始末に負えない。択捉に眠っている婆さんが、一番の霊能者だったようだ。その婆さんの墓参りに行ってみたかった。墓の前に立てば、婆さんが母親のことで何か孫に伝えたいことがあるはず、それを聞くくらいのことはできるのだろう。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で胃の全摘、胆嚢全摘、大腸一部切除をしたので、体力的に無理。3日間船上暮らしをしたら2週間ほど寝込み、体重を元に戻すのに2か月間もかかることになりかねない。小さな私塾をやっている間は無理。
 岩田先生には一昨年に北方領土返還運動関係者の講演会があり、五十年ぶりにお会いした。末っ子の叔母が「貞子お姉さんのところの長男」と告げると、「遊びにおいで、話し相手がいないので退屈しているから」きさくにそう言われた。なかなか行く機会がみつけられないまま、半年たったころに逝ってしまわれた。ご自宅へ線香をあげに伺ったら、奥様と話しているうちに厚岸の「てっちゃん」と同級生だということが分かった。「てっちゃん」はebisuの婆さんとてっちゃんの父親が兄弟だから、母親の従弟であるが、てっちゃんが中学生の時にちょっとの間一緒に暮らしたことがあるので、わたしにとっては兄弟のような人、このように択捉島を通じて、人間関係の網の目がいろんなところに広がっている。択捉島で暮らしたことのある人々は年々減って、あと10年もしたら一人もいないなんてことになりかねない。
 それでも、政府には「四島返還がなされないなら、未来永劫日露の経済協力はなしだ」というぐらいの毅然とした返還交渉をお願いしたい。(16日朝追記)


<国後島と択捉島の面積>#3304より引用
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28
 国後島と択捉島は北方領土全体の93%です、それを放棄して7%だけでいいのでしょうか?2島返還論を声高に主張していました。
 根室の町にはいろんな意見があります。水産関係の人のようでしたから、切羽詰って自棄(やけ)を起こしているようで、いい大人が駄々っ子のように見えました。根室の町のためだそうですが、話を聞いていてわたしにはさっぱりうなずけませんでした。おそらく中学生に聞いてもらっても大半がわたしと同じような感慨を抱いたでしょう。2島返還ならそれはそれで結構ですが、60歳を過ぎたらもっと説得力のある意見が言えなくては情けない。もっと大人の議論が聞きたかった。
 4島の面積がどうなっているのか、それすら挙げずに議論しても不毛でしょう。事実を踏まえて意見を述べてもらいたかった2島返還論を主張するときには、「歯舞色丹群島は北方四島の面積の7%に過ぎない、国後島は沖縄本島よりも大きいし、択捉島にいたっては沖縄本島の2.6倍あります」ちゃんと事実関係を説明してから、自分の意見を述べるのが大人のやり方、違いますか?

 弊ブログ#2794で各島の面積を挙げて論じているのでご覧ください。

*#2794 争点整理④: 北方領土問題 Aug. 31, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-31
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 北方四島が返還されたら、羅臼の漁師は漁獲量激減で困窮するだろう。違法操業はしなくても安全操業A地域とB地域へ出漁しているから、根室の漁師への影響も小さくない。
 つまり、根室管内の漁師たちは北方四島が帰ってこない現状の方が都合がよい。2島返還で国後島と択捉島が戻ってこないことが根室管内の船主にとってベストチョイスだ。北方領土の面積は5,038平方km国後島1,499平方km択捉島3,184平方kmの2島は北方領土全体の93.0%を占めている。比較のために書いておくが択捉島は沖縄本島1,206平方kmの2.6倍も大きい
 北方領土面積の93%を占める国後島と択捉島を外した返還交渉はありえない話だ。7%に過ぎない歯舞群島と色丹島の2島返還でいいならロシアはいつでもそれで決着をつけるだろう。
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 2島返還なんて言い出したら、日本が世界中からバカにされます。尖閣列島や竹島問題にも影響しますよ。日本は領土問題で原則論を簡単に曲げる国だと中国にも韓国にも思われるでしょう
 四島返還はありえないとお二人の方が仰いましたが、自分の智慧が足りないとは考えないのでしょうか?

#3564 セルツェ(心)ー遥かなるエトロフを抱いてー July 2,
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-07-02


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#3748 貝殻島コンブ漁の行方:今日解禁、採取料1億円弱 Jun. 2, 2018 [21. 北方領土]

 貝殻島コンブ漁が解禁された。貝殻島は納沙布岬の目と鼻の先にあるれっきとした日本領土だが、ロシアが実効支配し続けているから採取料を支払わなくてはならない。そして採取料は毎年引き上げられる。
 北方領土は日本固有の領土と主張しながら、ロシアの実効支配海域と認めて採取料を支払うのは1964年からのことである。現実は矛盾に満ちている。

*6/2朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASL6230NXL62IIPE00D.html
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 北方領土・歯舞群島の貝殻島周辺で2日、コンブ漁が始まった。本土最東端の北海道根室市・納沙布(のさっぷ)岬沖に集まった241隻が、3・7キロ先の貝殻島に向けて一斉に出漁した。
…1963年にソ連側に採取料を払って漁をする民間協定が結ばれた。(神村正史)


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 ロシアは北方領土沿岸のカニを獲りつくして資源量が激減した。ついで金額の張るウニを獲りだしたがそのウニも資源が減った。昨年来「鮭流し網漁」が禁漁となり、根室の水産業界にとっては大きな打撃となっている。

 ロシアは資源の囲い込みをしているから、このまま拡大していけばコンブ漁も、いずれ日本側には禁漁になるのではないか。そうなれば日本はロシアから昆布も輸入することになる。

 経済交流ばかり拡大しているが、北方領土問題は置き去りの感がある。外交はまず国益を第一に考えてもらいたい。

 歯舞地域の昆布漁に携わる人たちは、貝殻島コンブ漁が禁漁になる日が来たらどうするのか、死活の問題である。そうしないためにいま何をしておくべきなのか、よく考え、具体的な手を打たねばならないのだろう。
 誰も何もしてくれない前提で、自分たちでなんとかすることをベースに考えよう。
 根室の沿岸漁業四組合のなかでは歯舞漁協がナンバーワンの商品開発力、情報発信力をもっている。その歯舞でコンブ漁が続けられなくなる事態が起きれば、歯舞地域だけの問題ではなく、水産業界のみならず根室全体にかかわる問題となるは必定。

 数年前に北海道新聞記者K田さんがシリーズで採り上げた2013年の記事に、歯舞昆布漁師の新鋭が二人載っていた。高校を卒業した春、初めての漁だった。もう6年目の春だ、隣同士で幼馴染のタクヤとカズキ、話し合ってなんとか具体策を考えだし行動に移してみたらいい。未来は君たちのものだ、君たちのパワーに期待してる。
(二人の体重を加えると200㎏を尤(ゆう)に超える、どちらも180㎝を超える巨漢、腕力も握力も抜群に大きい。小学生のころから昆布干しを手伝っていたから握力は80㎏前後もあるのでは?)

*#1954 味わいのある記事:「歯舞 コンブの浜 春」 May 30, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-30


 #1955 タクヤとカズキのデビュー :「歯舞 コンブの浜 春(下)」  May 31, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-31


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#3662 NHK朝までドキュメント72時間:岩田先生 Dec. 16, 2017 [21. 北方領土]

<更新情報>
17日朝10:15 追記 術場(手術室)の看護師さん他

 NHKで表記の番組が12/15午後10時50分から25分間放送された。西浜町のタイエー(地元のコンビニ)の72時間だ。おにぎりを買った90歳の老人がこれから車を運転して中標津へ戻る、いとこの葬儀に来たとレポーターに応えた。

 16日からの72時間だから、日付から考えて岩田宏一さんの葬儀に参列されたのだろう。いとこだからお顔が似ていらっしゃった。
 2日前の14日の午前中に電話してから岩田さんのお宅を訪問し、お線香をあげてきた。四七日(よなぬか:亡くなって28日目)のお経をあげにお坊さんが来て、帰ったところだった。

 7月2日にニホロで北方領土関係の後援会があり、択捉島蘂取村出身の講師の山本昭平さんと、岩田宏一先生と、叔母とわたしの4人で会場で写真を撮った。昭平さんのことは母から何度も聞いていたので、一度お会いして話がしたかった、念願がかなったのである。叔母の車で送ってもらったのだが、岩田先生が車から降りたときに、「退屈してるから話しにおいで」と誘われた、お元気だったからそのうちに伺おうと思っていた。わたしを含めて、周りのだれもがこんなに早く逝ってしまわれるとは思わなかっただろう。
 スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で、手遅れだったわたしが死なずに術後11年が過ぎた。初診の内視鏡検査で癌の診断をつけてくれた岡田医院は岩田先生のお宅から1分の距離。お父さん先生に大腸癌でオヤジがお世話になり、若先生にわたしが胃癌でお世話になった、いやいまもお世話になり続けている。 (現在は音更町で開業され、「東木野クリニック」の院長の)後藤幹弘先生が釧路医師会病院の勤務医で執刀担当医だった。FBでアップされている写真を見ても今でも十分若いのだが、あのころは35歳くらいのピッカピカの若き外科医。進行性の癌でしかも併発、「わたし失敗しませんから」とは言わなかった。それどころか「開いてみないとわからないので、状態によっては、胃と胆嚢だけでなく膵臓をそして脾臓も…」「肝臓も怪しいのでCTではどっちとも判別できないので開いたときに手で触って感触で確認します」と微に入り細にわたる具体的な説明をしながら、同意書に判を押すように促された、初夏の正午の木陰の芝生の上でくつろいでいるような雰囲気で聞いていたのを覚えている。入院して3週間、自覚症状から診て必ずスキルスがあるはずだからと訴えたので、消化器内科医の副院長富田先生が丁寧に様々な検査を繰り返してくれた。そういう過程があり、巨大胃癌とスキルスの併発という内科的診断が確定した。助からない際まで来てしまっているというのに、ああ、手術してもらえるんだとなんだか妙に明るい気分だった。膵臓は胃の裏側だから、横の裏側に近い部分にスキルスが粘膜の中を走っていたから、膵臓にすでに浸潤している可能性があった。案の定、開いたら手遅れ状態で、後藤先生の手が一瞬止まり、あきらめて縫合しようとした、その一瞬の隙をベテラン外科医のA院長が「ざっくり取ったらいい」と促してくれて、手術は続行することになった。若い外科医はたくさん切らなきゃ腕をあげることができない。ダメでもともと、切ってよいのである。覚悟はしていた。この若い外科医なら腕を上げるためにわたしの体を使ってくれていい、そう思えたのだ。だから、不安はなかった、ただありがたくて手術室へ運ばれたときに涙がこぼれた。うれしかったのだ、術場の看護師さんは涙の意味を理解してくれただろう。偶然とはあるもので、術後1年くらいしたときに検査で釧路医師会病院へ行ったときに、外来カウンターにいた。名前と顔を確認して、「ebisuさんの手術を担当した看護師です」と名乗ってくれた。「会って、直接お礼が言いたかった、ずっとそう思っていました、あの時はありがとうございます、おかげさまで生きています。ほかのお二人にもよろしくお伝えください」、そういうことができた。思いがかなった瞬間だった。30歳前後の美人な看護師さんだった。
 癌は進行していたので、リンパ節に転移し、大腸へも浸潤していたから、横行結腸も10㎝ほど切除した。予定の倍の6時間の手術だった。出血量は700cc、輸血なし。技術の進歩はすばらしい。
 助かるはずのないebisuが助かり、末期じゃなかった岩田先生がお亡くなりになる、なんだか申し訳ない思いもした。いろいろな人たちがその仕事を通じて私を助けてくれた。そういう命を世のため古里のため、人のためにすこしでも使えたらうれしい。

 光陽堂で写真をプリントして持参した。祭壇に遺影が飾られていたのでお線香をあげて、「(伺うのが)遅くなりました、ご存命のうちにゆっくりお話ししたかった、逝くのが早すぎます」と話しかけた。
 7月20日に市立病院へ入院したのだそうだ。その後手術をされたが、予後が悪くてお亡くなりになった。人間の死はいつ訪れるかわからないものだ。
 わたしは岩田先生には一度も習ったことはないが、独身時代に裏庭に面した隣の家に下宿していたことがあったので、知っていた。ご結婚をされてからも、梅ヶ枝町3丁目にあった家から岩田先生が住んでいる家が見えた、100mほの距離だった。星野薬局(現ホシノホール)の向かい側、木村生花店の斜め向かい花咲街道沿いの四つ角のところにお住まいだった。
 ebisuの自宅(兼店舗)は梅ヶ枝町三丁目にあった。根室で一番最初に信号のついた交差点から紹介すると、幼稚園に行く前から仲よく遊んだやっこちゃんの「緑菓子店」、お菓子の問屋の「第一商事」、そして根室で一番の老舗時計店であった「奥田時計店」、そしてebisuの家のビリヤード店と根室初の居酒屋「酒悦」(のちに焼き肉店)があった。その隣には明光商事、広小路の道路を隔てて緑町三丁目の根室印刷という配置である。花屋さんのケイコちゃん家は根室印刷の隣だった。魚屋「魚茂」の女将さんになっているマーちゃんも道路の向かい側に住んでいて一緒によく遊んだ、おとなしい子だった。洋服店のおてんば娘ユッコも遊び仲間。NTTのところが空き地になっていて、5~10人くらいでよく遊んだ。缶蹴り、ケンパ、ドッジボール、小学生のうちは男女の体力差が小さいから、一緒に遊べたのである。よく遊んでよく動いた。お店を開ける前に早めの夕食をすませると、そのあとはビリヤード店で新聞を読み、お客さんの相手をしていた。様々な職業の大人が入れ代わり立ち代わりゲームに興じる。ゲームは人の本性をあらわにするから、人間を見る目が自然に養われた。ゲームのやり方を見れば、仕事の程度が想像がつくようになった。

 北海道銀行のところが半分くらい空き地になっていて、そこが子どもたちの格好の遊び場だった。平屋のNTTの建物があり、女性の電話交換手が並んで座って仕事していた。昔はハンドルをぐるぐる回して交換手を呼び出し、番号を告げて電話をつないでもらった。家に電話がついたのは小学生の終わりごろのこと。冷凍冷蔵庫も小学5年生のころに初めて購入した。まだ製氷所から氷を買って木製の冷蔵庫にいれて保冷剤として使っているというのが主流だった時代のこと、昭和30年代の中頃の話だ。お店で使っていたから冷凍冷蔵庫があったが、当時は一般家庭で冷凍冷蔵庫のあるうちはほとんどなかった。テレビがついたのは小学6年生のころ。電波状況が悪くて画像は大きな雪が降っているように見づらかったが、食い入るように見た。当時、「チロリン村とクルミの木」という人気番組があった、並みをちゃぷちゃぷかき分けて♪ ひょうたん島はどこへいく♪、あの「ひょっこりひょうたん島」はそのあとの人形劇の人気番組である。レスリングも全盛時代で力道山が活躍していた。

 物心ついたころからのご近所さんの幼馴染だから、それぞれの家には勝手に出入りしていた。親たちがそういうことを認めていた。人のお家にお邪魔するときは、脱いだ靴をそろえて上がり、ちゃんと正座してから両手をついて、「こんにちは」と挨拶するのが決まりだった。帰る時もちゃんと挨拶する。幼馴染だから、ちゃん付けして名前で呼び合った。わたしも名前にちゃんを付けて呼ばれていた。なぜかユッコだけがちゃんなしだったのは、おてんばだったからかな。
 ヤッコちゃんはもう10年ほども前に乳癌で亡くなった。一度ゆっくり昔が話したかった。中学生になってからは一度も話したことがなかったのである。ヤッコちゃんのお父さんはビリヤード店の常連で、わたしとよくゲームして遊んでくれた。男の子がいなかったからだろう。歯医者の田塚先生もよく遊んでくれた。同級生のケイコちゃんより一つ上の美人のお姉さんがいた。田塚先生もやはり男の子がいなかったからかまってくれたのだろう。長身の紳士だった。歯医者の福井先生は3代のお付き合いである。先代は時代小説も現代小説も書ける文人だった。根室新聞に連載していた。
 いろいろ書いたが、ebisuと同じ歳ごろの子供は近所に女の子しかいなかったのである。緑菓子店の向かいは根室信金本店だから、根室にお住いのみなさんはどこにだれが住んでいたか、容易に想像できるに違いない。

 閑話休題、姉とワイフが花咲小学校で岩田先生が担任だった。だから先生はebisuの姉、ついでワイフと連続して担任を受けもたれたわけだ。
 ebisuの母親が択捉島蘂取村の出身で、岩田宏一さんとは同郷、小さな村だから、ebisuの母親が近所のお姉さん、お転婆な千歳の叔母とは同級生、楽しい話をたくさん知っている。千歳の叔母は話し上手でとっても面白おかしく話してくれた。笑い転げて茶の間のガラス戸にお尻をぶつけて割ったことがあった。癌で亡くなってからもう10年くらいにもなる。択捉島へは一度も行けなかった。一人娘のいとこが遺灰を一つまみ身に着けて、択捉島の見える海か、島へ上陸してそっと撒いてきたいと言っている。60年近く前に、根室に来た時に、本町の石の突堤の近辺で、海に入り、ここにもあ、またここにもウニがいると足で探りながら夢中で獲って、石でたたいて割って塩水でさっと洗い、シュルっと食べて歓声を上げていたのを思い出した。蘂取の海岸でもあんな風にしていたのだろうか?大きな声で全身で喜びを表すな陽気な叔母だった。

 お線香をあげた後で、奥さんと話した。択捉島の蘂取村の関係だから、いきなり「てっちゃんと同級生」だと聞いてびっくり。苗字を言わなくてわかると思ったのか、話の勢いで名前が出たのかわからない、てっちゃんとは13歳離れているが、まだオムツが取れないころから数年間一緒に暮らしていた時期があるので、気分的に兄弟のような気持ちがある。急に岩田先生の奥さんが身近に思えて話し込んだ。「語り部おばさん」をしている叔母は、血縁上は叔母なのだが、歳が10歳しか離れていないので、お姉さんだ。姉と妹はいまでも彼女の名前にお姉ちゃんをつけて呼ぶ、旦那さんのほうも「〇〇お兄ちゃん」と呼んでいる。
 幼いころからの名前の呼び方には、その音の響きの中に懐かしい思い出がふんわりと浮かび上がって、包んでくれるような心地がする。80歳になった「てっちゃん」も、78歳の「サキコお姉ちゃん」も「タカオおにいちゃん」も心の琴線に触れる懐かしい響きがある。

 岩田先生の奥様は中学時代の副担任の半田(旧姓大岩)トモコ先生もご存じだった、親同士が同じお米屋さんでお店は150mくらいしか離れていなかった。田舎は人間のつながりが密だ。だから、ものが言えなくなるのかもしれない。正論を主張すれば、親戚知人のだれかを批判するか、周りの人が迷惑することになる。
 ものはついでだから、お米の配給制度について若い人たちは経験がないだろうから言及しておこう。戦後二十年以上の間、お米は配給制で「米穀通帳」という配給手帳がないと買えなかったから、お米屋さんは軒数が多かった。ebisuは根室高校を卒業して東京へ移り住んだ時に米穀通帳がなくてお米を売ってもらえず、慌てて根室から取り寄せたことがあった。信金と花咲街道を隔てた向かい側にあったお米屋さんの娘だった半田トモコ先生は数年前に癌で亡くなった。半田トモコ先生も近所のお姉さんだったのである。中3の時に新卒で赴任してきたから、8歳上だろう。お昼少し前にヤママンへパンを買いに行くとよくお会いした。「ebisu君とは癌仲間だね、わたしは薬をやめて自然食療法に切り替えた、ebisu君も頑張って」と何度も励まされたが、昨年だったか、先に逝ってしまわれた。薬をやめたのは抗癌剤の副作用がきつかったのだろうか。担任だった「肝っ玉おっかさん」の山本幸子先生はさらに数年前に亡くなった。根室へ戻ってきて挨拶に行ったときはずいぶん喜んでくれた。いくつになっても恩師はありがたいもの。小学校で5・6年の担任だった鶴木先生は今年お亡くなりになった。高校の担任の冨岡良夫先生は昨年東京のご自宅で亡くなった。根室へ帰ってきてから15年目だが、その間に知っている先生たちが相次いでお亡くなりになった。
 奥様からは「ときどき遊びにおいで、奥さんも一緒に」と優しい言葉をかけていただいた。ワイフの担任だったことを岩田先生は奥様に話していたのだろうと、そのときに感じた。
 一人、また一人、さみしい気はするが、向こうへ行ったときには大勢でお迎えしてくれるだろうから、よしとしよう。
 でも、まだお迎えはいらないから、みなさんよろしくそちらでにぎやかにやっていてほしい。
 摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多事 … 諳(そら)んじていたお経も書けなくなった。
 やるべきことがすんだら、じたばたせずにそちらへ逝きます。恩師の皆様、いつかまたお目にかかりますので、その時はよろしくお仲間に加えてください。

 合掌  m(_ _)m



*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-1

 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28



*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14



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