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#4436 監査人の責任:連合岩手1億円使い込み Dec. 20, 2020 [8. 時事評論]

 連合岩手で1億円の使い込み事件があった。
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 今年9月に約1億円の使途不明金が発覚した連合岩手(鈴木圭会長代行)は19日、盛岡市内で記者会見を開き、第三者委員会による検証の結果、不明金は死亡した会計担当の女性職員の不正行為によるものだったと発表した。
 調査報告書などによると、女性職員は約30年間、ほとんど1人で会計事務を担当。不明金は今年9月、内部会計監査を前に女性が急死したことを受けて発覚した。女性職員の家族に聞き取りしたところ、家族で頻繁に上京して遊んだり、外車やブランド品を買ったりしていたことがわかった。
 また、組織の危機管理意識の低さや監査の杜撰(ずさん)さについても指摘し、外部監査の導入など再発防止策も提言した。

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 根室でも漁船保険組合や落石組合で同様の事件が過去にあった。何年にもわたって不正が継続して発覚するから、被害額が大きくなる。弊ブログで何度か取り上げているから、検索ボックスで関連記事を検索できる。
 こういう事件で驚くのは、現金の出し入れと帳簿記帳に内部牽制がないということと監査人がいても、帳簿残高と現金と通帳残高の確認すらしていないということ。監査人がメクラ判を押している。
 監査人は監査業務に対して責任があるから、年に2回は現金在高と預金通帳残高が帳簿残高を一致していることを確認しなかればならない。突合作業を月に一度やれば、そもそも不正をする気が起きないだろう。不正をやった本人が悪いことは当然だが、ルーズな監査が犯罪を引き起こしていることも否めぬ。
 監査の基本すら知らぬ者に監査人を任せてはいけない。監査人を引き受けたら、監査の専門書を1冊は読むべきだ。読む学力のないものは監査人を引き受けてはならない。

 基本的な監査業務すら怠って、使い込みが発生したときは、監査人に損害賠償請求をしたらよろしい。お金が数百万以上あるときは、監査人を委嘱するときに、「監査業務の基本を怠り不正が発生したときには損害賠償義務を負う」という、契約書を取り交わすべきだ

 公認会計士は人員過剰になっているから、仕事のない公認会計士が少なくない、そういう時代だ。だから監査業務を安い報酬で外部委託すればよい。契約でチェック範囲を明瞭にしておけば、それなりの金額で契約できる



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#4435 ふるさと納税制度の消滅 Dec. 20,2020 [8. 時事評論]

 根室の魚屋さんは師走というのに四日間も店を占めているところがある。もちろん稼ぎ時だからフル回転だ。根室のお客さんを相手にできないほどふるさと納税の商品の仕入と発送が忙しい。商売繁盛、仕入れて送るだけだから新型コロナも関係なしだ。しかし、販路はネット業者に握られている。
 根室の主産物の一つに昆布がある。昆布は全漁連が買い上げて全国に販売している。販路は全漁連が握っているから、安く買いたたかれるが、何十年たっても自前で販路を開拓しようとしない。沖縄が昆布の消費量が大きい、沖縄へ行って昆布の小売価格を見てきたらいい。
 根室市の水産業者は補助金頼りだ、自前でリスクをとってやろうとしない。ホタテの養殖事業も全額補助金で始めたばかりだ。サロマ漁協は50年も前にちゃんと事業化して独立独歩でやっている。東京の人形町の魚屋さんを見てきたらいい。眼玉が飛び出るような値段で、冷蔵ショーケースにケーキを並べるがごとく魚の切り身の粕漬や味噌漬けがきれいに並べられて売られている。加工を自前でやり、ネットで販売する網元はいないのかね。東京には居酒屋も水産業者が経営しているお店がいくつもあるよ、安くて新鮮だからとっても繁盛してる。共同でやったっていいんだ。そういうことをやるには、優良な人材が必要になる。そういう人材が夢を抱いて働きたくなるような地場企業が育ってこないといけない。経営改善の仕方がわからない人はわたしのところへ聞きに来たらいい、教えてあげられます。企業の上場はあたりまえのことを当たり前にやるだけですから、中小企業も学べるところが盛りだくさん。3社4回そういう仕事にタッチしてます。たぶん北海道でそんな経験のあるのはわたしだけ、きっと貴重品です。(笑)
 建設業者はどうか?最大手の会社を見ると、国の補助金と根室市の予算に依存している。何かに過度に依存しているとどんな企業でも脆(もろ)くなる。

 唯一の例外がある。根室の外に展開して成功した企業は回転ずしの「花まる」だけである。根室の地生えの企業で戦後の75年間で1社のみ。花まる創業者の清水さんは京セラの稲森和夫に教えを請いに行ったと聞いている。気質に違和感を感じているのか、根室の経済団体には属したことがないようだ。

 こういう根室の偏狭な気質はどこからきているのか?

 前置きはこれくらいにしよう。ふるさと納税制度は2006年3月16日の日経新聞のコラムが取り上げたのが端緒である。半年後の10月に西川一誠福井県知事が古里寄付金控除の提言を主張し、2007年5月に管総務大臣が導入を表明した。2014年に総務省自治税務局長の平嶋章英氏が問題点を挙げ反対していたが、翌年7月に自治大学へ転出となった。異論を唱える官僚を官房長官の菅氏が排除したのである、異論を唱える官僚は排除するというのが菅総理大臣の基本的な政治姿勢だ。異論を唱えるものを排除する総理大臣は、同じだけの力が反作用として自分に働くから、そう長くない時期に排除される。それがモノの道理だ。
 ふるさと納税は脱税の合法化であり、マイナスになっている自治体は非常に困っている。そこに住民がいるのに住んでいる自治体に住民材を支払っていない。しかし、市民として行政サービスは受けている。こんな狂った制度は菅氏が権力の座から追われたら、再検討がなされるだろう。次の政権がまともなら消滅する可能性がある。

 そうなったときに、自前の販路をもたない企業は弱い。四百年に一度の地震よりももっと確度が高いから、そろそろ準備したほうがよさそうだ。

 ところで地生え企業の盛んな諏訪と比べてみたら根室の特色が浮かび上がる。

 根室の地生えの企業を育てる方向へ、市政が舵を切る必要がある。補助金依存体質を強化を主導しているのは根室市政である。市長が何度変わっても根室市政は変わらぬ。長期的に根室の町を衰退へ導く愚かな政策を続けている。市政ばかりが原因ではない、そこにもたれかかるだけで、経営能力のない地元企業にも問題がある。問題があったり、土台が悪けりゃ造り変えればいいだけのこと。時間をかけたら変われる。変わる意志がないと変われないのは、やる気がまったくない生徒の学力を伸ばすことが困難なのとよく似ている。
 根室の企業経営者は中高生の時代に勉強しなかった者が多いのではないか?中高生のときに学ぶ姿勢を身に着けた者は、大人になっても学ぶことをやめない。
 根室は町づくりの土台である教育、なかんずく子どもたちの学力を軽視し続けている。そろそろ気がつかないといけないのではないかね。

<余談:地生えの企業の盛んな町>
 諏訪市と言っても道産子にはなじみがない。諏訪大社や諏訪湖、諏訪湖の御神渡り行事は知っているだろう。諏訪には地生え企業が圧倒的に多い。この地域では100人に一人が経営者である。
「諏訪市の総人口. 49,829人.」「諏訪地域の域内人口は194,439人2019年時点)」

 『諏訪式』という本があるが、その紹介文の載っているサイトを見つけた。そこから引用する。
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 驚くことに、この諏訪地域には2000社を超える「ものづくり企業」が集まっているという。「東洋のスイス」と呼ばれるように、その多くは精密機械の会社だ。地域の人口は約20万人なので、100人にひとりが経営者ということになる。
 時計の諏訪精工舎(現セイコーエプソン)、オルゴールの三協精機(現日本電産サンキョー)、カメラや光学機器のヤシカ(1983年、京セラに吸収合併)、チノン、日東光学(現nittoh)、小型ポンプの荻原製作所、バルブの東洋バルブ、キッツといった大企業が、この地に生まれた。
 精密機器だけではない。ハリウッド化粧品、ヨドバシカメラ、すかいらーく、ポテトチップスの湖池屋なども諏訪にルーツがあるし、岩波書店を創業した岩波茂雄、歌人の島木赤彦、作家の新田次郎、童画家の武井武雄といった著名な出版人も輩出している。

多くの仕事や人材がここから生まれている。どうやら諏訪は、ただならぬ場所らしい。その秘密に迫ったのがこの『諏訪式。』である。

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諏訪式。

諏訪式。

  • 作者: 小倉 美惠子
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2020/09/26
  • メディア: 単行本



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#4434 新型コロナワクチン:安全性評価 Dec. 19, 2020 [35.1 COVID-19]

 ファイザー社の新型コロナワクチンの有効性が95%だという。首をかしげたくなるような数字ですね。治験にどこか問題はないのだろうか?わたしは50-60%を予測していました。予測をはるかに超えているときは、何か特別の事情が背後にあるのが、モノの道理です。
 インフルエンザワクチンはワクチン開発時と実際の流行の型が違えば、予防効果はほとんどありません。A型のワクチンはB型が流行したら、予防効果は期待できません。せいぜい、症状がいくぶん軽くなるケースがあるというだけ。
 新型コロナはRNAウィルスだから、変異が激しい。だから、有効性が95%というのは背後に何か特別な事情を予想させます。おいおいわかるでしょう。
<SARS-CoV-2遺伝子型変遷図>
coronavurus-phylogeny-2020s.jpg

 昨年12月ですら、5種類の株があった。現在8種類の株に分岐しています。ワクチンがどの株にターゲットを絞り込んだものなのでしょう。1/8の確率しかありませんから、95%の有効性というのは何かカラクリがあります。

 昨日(12/18)CNNがワクチンにアレルギーのなかった人がアナフラキシーショックを起こしたと報じました。症状を起こし始めたら15分以内にアドレナリンを打たないと命の危険があります。
 ここで、思考実験してみます。

 米国の人口:3.33億人  日本の人口:1.23億人
 人口百万人当たりの死亡者数:米国938.7人 日本21.0人
20201219国別死亡率.png

 米国は日本の44.7倍の死亡率です。だから、新型コロナワクチンのリスク評価に米国基準を準用できないことは当然です。12/18までの日本での死者数は2783人です。

 治療薬は病気にかかっている患者に使われますが、ワクチンは健常人に打つものです。だから副作用のリスク評価は治療薬よりもずっと厳しい。百万人に10人のシビアな副反応(ワクチン投与直後に出る副作用を副反応と言います)があれば認可されませんでした。

 1000人に一人、アナフラキシーショックを起こすと仮定すると、日本人全体にファイザー社のワクチンを投与したら、123000人が深刻な副反応に見舞われます。その内の25%が亡くなるとしたら、ワクチン投与で30750人の死者が出ます。これは昨日までの死者数の10倍を超えています。だから、ファイザー社のワクチンは日本では、ワクチン投与による不利益がワクチン投与による利益を上回るので使えないということになります。
 アナフラキシーショックが10000人に一人なら、ワクチン投与の利益と副反応により不利益が均衡します。そうした事実を知って、ワクチンを使うか使わないか各自が判断したらいい。

 米国のケースではどうでしょう。
 3.33億人÷1000×25%=83250人 
 ワクチンの副反応で死亡する米国民は83250人ですから、ワクチン投与の利益が副反応による死亡者数の1/4程度ですから、95%に有効というデータが真であるとしたら、ワクチンに許可が出せます。

 同じワクチンでも、人口1,000,000人当たりの死亡率が米国の1/44.7にすぎない日本では、ワクチン投与の利益よりも、アナフラキシーショックという不利益の方が大きくて許可できないということになります。

 許可が既定路線のような雰囲気で話が進んでいるようです。2月にどんな理屈で許可するのでしょう。正直な医療行政を望みます。

 ワクチンの購入価格が漏洩したようです。元ネタはベルギー。アストラゼネカのワクチンが一番安くて225円台、一番高いところが1800円です。
 日本政府はファイザー社1.2億回分、アストラゼネカ社1.2億回分、合計2.4億回分に7000億円の予算を組んでいると、どこかで見ました。単価は2900円になりますね。世界一高い買い物をしたようです。
 仕入原価はそれらに物流経費も含まれます。-70度が要件ですから-80度仕様の冷凍庫を手配しなければなりません。とっくに間に合わないので、ファイザー社製ワクチンの半数以上が廃棄されることになるでしょう。日本政府には仕事のできない無能な官僚が少なくない。キャリア官僚でも、ちゃんとした仕事のできる人は2割ぐらいなもの。本件とってもお粗末です。

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ブリュッセル時事】欧州連合(EU)欧州委員会が加盟国を代表して製薬各社と事前購入契約を結んだ新型コロナウイルスワクチンの価格が、ベルギーの閣外相がツイッターにうっかり投稿したことで「暴露」された。欧州委は守秘義務を理由に公開を拒んできたが、1回分当たりの契約価格は日本円で約225~1860円とみられ、製薬会社によって大きな開きがあることが明らかになった。
 ベルギー紙ラーツテ・ニュース(電子版)が17日、報じた。予算担当のデブレーケル閣外相が野党からワクチン予算の追及を受ける中、政府の購入数や金額の一覧表を投稿。EUが確保した6種類のワクチンの契約価格が判明した。

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 契約価格については守秘義務条項が契約書にあるはず。ベルギー政府はいくら賠償請求されるやら。くわばらくわばら。

<12/20午後1時追記>
 ニュース報道によれば、米国では27万人にワクチンを投与し、重大な副反応が6例出ているから、百万人当たり22例ですね。この成績はワクチンとしては失格です。
 アレルギーのある人の接種を避けても、4.5万人に1例の割合で深刻な副反応が出ているということ。

 日本人の人口(2020年1月1日)124百万人でけいさんすると2728人ですから、COVID-19による、現在までの死者数とほぼ同じです。ああ、全員死ぬとは限りませんね。アナフラキシーショック症状を呈してから15分以内にアドレナリンを注射すれば助かります。不幸にして1/4がアドレナリンの注射が間に合わずに亡くなると仮定すれば、「2728×25%=682人」です。冷凍庫の整備や物流経費、そして集団接種会場や人の手配を加えると8000億円はくだらないでしょうね。ワクチン接種によって2100人ほど死亡者数が減少します。集団接種会場にアドレナリンの用意をして、接種後1時間ほどは会場に待機してもらわないといけません。そういう体制で数千万人に接種なんて実務上は不可能に見えます。医療関係者や病院や介護施設にいるお年寄りには打てるでしょう。
 いやちょっと計算が違いますね。有効性95%ですから、5%にはワクチンは効果がない、つまり620万人には有効性なし。
   (2783人/124000000)×6200000人=139人
    2728+139=2867人
    2867×25%=716人
 ほとんど結果は変わりません。計算の精度自体がが不確かですから、この程度の数値の違いに意味はありません。
 米国は日本の44.7倍の死亡率ですから、有効性が95%のワクチン投与は死亡者数を減らすことに大きく寄与することは計算するまでもありません。

 そこで問題です。スギ花粉アレルギーをもっている人は日本人にはとても多いのですが、SARS-CoV-2ワクチンを打ってもアナフラキシーショックは起こさないのでしょうか、それとも起こすリスクが高いのでしょうか?
 こんな臨床治験に参加してくれるスギ花粉アレルギー患者さんはなかなかいないでしょうね。
 
<米国CDCが警告> 20日16時
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 【ワシントン時事】米疾病対策センター(CDC)は19日、新型コロナウイルスのワクチン接種で「深刻なアレルギー」が報告されているとして、国民に注意を促した。米国では米製薬大手ファイザー製のワクチン接種が始まっており、米政府の対策本部長を務めるペンス副大統領らが接種を受けている。
 CDCは声明で、ワクチンを接種された人が急激なアレルギー反応である「アナフィラキシーショック」を起こし、投薬や病院での治療が必要となる事例があったと説明。ワクチン接種後、深刻なアレルギーが出たと感じた場合は「救急通報して速やかに治療を受ける」よう勧告した
 その上で「ワクチンに含まれる成分で過去に深刻なアレルギー反応が出た人は、そのワクチンの接種を受けるべきでない」と指摘。新型コロナ以外のワクチンや注射でアレルギーが出たことのある人も、接種に先立ち医師に相談するよう求めた。ワクチンと無関係な食物やペットなどのアレルギーがある人の場合は、ワクチン接種は可能だと指摘した。 

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 ということは、スギ花粉やヒノキ花粉、ブタクサ花粉などのアレルギーもOKということかな?しかし、今までワクチンにアレルギー反応を呈したことのない人がアナフラキシーショックに見舞われている。つまり、誰に出るかはわからないということ。



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#4433 根室市新庁舎の基本計画決定 Dec. 18, 2020 [26. 地域医療・経済・財政]

 根室市の新庁舎の基本計画が決定したと12/17付の北海道新聞朝刊根室地域版が報じている。
DSCN4263s.png

 建築単価が国土交通省基準の23.8/㎡の2.5倍であることについては、地域別の割り増し指数によるということだが、来週中に担当者から説明が聞けることになっている。
 25年後には1.3万人になるのに、新庁舎が既存の建物の1.5倍の規模になることについては合理的な説明はなされなかった。現在の職員数は令和6年299人ということだが、25年後の想定人数がないと適正規模が計算できないはずだが、パブリックコメントに対する市側の回答では示されなかったので、これを含めて個別に質問を4つしたが、次のような説明があった。
また、想定職員数についてでありますが、新庁舎が供用開始となる令和6年に新庁舎に勤務する職員数は299人と想定しています。25年後の職員数については、現在よりは減少することも想定されますが、今後の行政需要が見通せない中、現時点で想定することは非常に難しく、具体的な積算は行っておりません。


 もちろん、説明になっていない。
 なぜ、現在庁舎で働いている職員数を書かずに、令和6年新庁舎竣工後にそこで働く予定の人数を記載したのか、その理由は分からない。たぶん、現在の方が数値が小さいのだろう。こういう回答の仕方は誠実だと言えるだろうか?
 デジタル化によって書類の量も必要な人員も著しく減少するし、人口比で職員数を仮定してみたらいいだけ、それが職員数の最大値だろう。細かい人数の積み上げは計算の必要がない。デジタル化は生産性をアップさせる効果が大きい。長期計画でその人数へ向けて調整すればやれる。むずかしいことは何にもない、簡単な話。

 閉鎖的な市政の在り方に大きな問題がある。本来は、市民説明会を開催して、丁寧に説明するのがモノの道理だ。その点はよく考えて、改めてもらいたい。

関連記事

#4426 住民参加の中標津町のまちづくり:根室とは真逆 Dec. 11, 2020

#4419 根室新庁舎建て替えパブコメ回答への質問状 Dec. 5, 2020

<ハマナスの真っ赤な実>
 干しハナマス?真っ赤な顔して「食べてください」と言っているようです。でも、鳥さんたちは見向きもしません。
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#4432 会食自粛は呼びかけたが、ダメとは言っていない... Dec. 16, 2020 [8. 時事評論]

 14日に菅総理が国民に3密を避け、5人以上の会食は自粛するように呼び掛けた。当のご本人である菅総理がその日の夕方に芸能人を交え、15人で忘年会をしたという。
 西村経済再生担当大臣
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西村康稔経済再生担当相は16日の衆院内閣委員会で「一律に5人以上がだめだと申し上げているわけではない。強制力があるわけでもない」と問題ないとの認識を示した

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 典型的なご飯論法である。小利口な奴は困ったものだ。国民に自粛要請をしているのだから、15人の忘年会なんて言語道断、諫言申し上げると言い切ればいいだけ、なぜ言えぬ。ヘタレ大臣殿。

 ヘタレは一人だけではなかった、加藤官房長官も似たようなことを言っている。
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加藤勝信官房長官は15日の記者会見で、新型コロナが拡大する中、夜の会食を続ける菅義偉首相の対応が適切かどうか聞かれ、問題視しない考えを示した。「首相は必要な注意を払っている。会食目的と感染防止対策のバランスの中で個別に判断することが重要だ」と述べた。
 首相は年末年始の「Go To トラベル」停止を決めた14日夜、経営者ら約15人と会食。その後、自民党の二階俊博幹事長ら5人以上が集まったステーキ店に。
 加藤氏は、5人以上の飲食について「感染リスクが高まる」と注意を促している政府対応との整合性を問われ、「5人以上と一律に決めるものではない」と釈明した。

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 政府の要職にあるものがこの体たらく、二人ともまるで茶坊主か幇間(たいこもち)だ。いい大人が何を血迷っているのか?


 なぜこんなことが起きるのか?それは己の言うことを聞かなけりゃ首を飛ばすと公言してはばからぬ、そして自分の意向に反対するものを次々に排除して来た菅総理の政治姿勢そのものに原因があるのではないか。
 だから、ひたすら受験勉強をして東大へ合格し、キャリア官僚となり、そこを足場に政治家へ華麗に変身した加藤勝信氏も西村康稔氏もひたすらご機嫌をうかがうようなことしか言えない情けない官房長官や大臣になってしまうのだ。トップの政治姿勢がこれら二人の言動と仕事に現れたと言える。
 見回してみたらダメなものをダメと言えぬ安っぽい人材しか菅総理の周りにはいないではないか。異見を言ったら、首にするような傲慢で無能なトップに有能な部下が仕えるはずがない。さっさと見切りをつけて去っていく。部下ばかりではない。企業経営者に一番必要なのは人を使う能力だ。自分にない能力をもった人材を登用して思う存分使いまわす能力である。上司の意向を忖度し仕事がおろそかになるような管理職は下衆の極み。仕事のできる人間は優先順位をつけながら余裕をもって難題をてきぱき片づけていく。
 ブレーンもそうだ、竹中平蔵なんて政府の政策や予算を利用して私腹を肥やすことにしか興味のないものとつるむことになっている。心の在り方が自己中心なところがそっくりだ。大数学者の岡潔先生はこういうのを自我本能の暴走と見なしている。自他弁別本能は動物本能そのもので、意識が非常に低いレベルのある証左である。
 この三人は民間企業でしっかり仕事した経験がないことが共通している。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」なんて言葉を知らんのだろうな。

 前日まで「GoToキャンペーン」を続行すると言い続けて、支持率が十数ポイント下がると慌てて記者会見で中止を発表した。何よりも自分の身が可愛いだけの人だ。一国の総理大臣が自分の利益ばかり考えて行動してどうする?

 こんな総理大臣と官房長官と担当大臣がコロナ対策の旗を振り日本丸の舵取りをしている。大事な時によくこんなに似た者同士が集まったことよ。類は友を呼ぶって本当だな。健全な保守主義を標榜し、憤る自民党国会議員が多数いてもらいたい。

<巷の窮乏ぶりと財政破綻への道をひた走る政府>
 飲食店はやっていけなくて廃業する店が激増しており、店を閉めたら所得はゼロのケースが多いだろう。貯金取り崩してやりくりできる人はまだいい、貯金のない人たちは家を処分したり、路頭に迷う人も出ている。非正規雇用で雇い止めになった人たちも不安のどん底で年の瀬を迎える。それでも総理大臣はボーナス返上を言い出さなかった。国会議員は与野党問わずだれもボーナスカットを言い出さない。一律十万円の給付も国会議員や地方議会議員、公務員はコロナで所得が減ったわけではないから、支給の必要がなかった。困っている人に何度も支給する工夫が必要だ。
 国会議員のボーナスだけを考えても、自我本能の強い人ばかりが政治家になっているのかと唖然とする。せめて国会議員は国民に範を垂れるぐらいの気構えをもって行動してもらいたい。予算を膨らませて必要でないところまでばらまく。そして自分たちの懐に関係のある歳出は削らない。
 国債の新規発行額は100兆円を超えるという。ついに外為特別会計から米国債を6000億円も日銀が買い取ることになった。政府は外為特別会計の米国債を売ることで得たお金で、造幣局にある金を購入する。いずれそれも売却処分され税外収入となる。金売却にはGoToキャンペーン並の巨額の利権が動く。紙幣発行の裏付けの金の保有が義務付けられたのが金本位制だった。日本円は文字通りただの紙切れとなりつつある。米国で連邦準備銀行にある金を政府が売却するような動きを見せたら、大騒ぎになる。そんなことすら平気でやっているのが現在の日本政府だ。大多数の国民がバカで従順だからこんなことが可能になる子どもたちや孫たちのために利口になろう明治以来、先人が営々として貯めてきた国富を切り売りしなければならぬほど、財政がひっ迫しているという事実をよく考えるべきだ
 政府財政は七十数年前の戦時財政と同じで、拡大の一途をたどる。その行きついた先には預金封鎖と新円切り換えがあった。歴史を忘れてはいけない。預金封鎖の前奏曲はマイナンバーカードの普及である。銀行口座とマイナンバーが結びついていたら、預金封鎖の網から零れ落ちる預金はない。すでに紐づけは完了している。株式も不動産もマイナンバーとリンクしていく。電子カルテすらマイナンバーとのリンクが検討され始めている。個人の病歴データや義務教育の学校データすらもマイナンバーとのリンクが計画されている。預金封鎖のへの利用はごく一部の機能だ、そういう範囲を超えて、デジタル監視社会へと日本は向かっている。マイナンバーを入れて検索したら、小学校から大学卒業までの成績データや個人の評価データが画面に表示される。病歴というタブをクリックすると、その人の病歴データが画面に現れる。いつ、どのような病気で受診し、あるいは入院、手術したのか、すべて政府が知りうることになる。いつどこで何を買ったのかも検索可能だ。購入履歴から、思想傾向、趣味、SNSでの人間のつながりなど、あらゆるデジタルデータを分析可能になる。前川元文部事務次官が歌舞伎町のキャバクラへ通っていたのを調べたのもそういうツールを利用してのことだろう。公安出身の杉田というスタッフが官邸にいる。学術会議のメンバー6人をはじいたのも彼の仕事だ。米国から検索システムが供与されているようだ。顔認証システムを利用すれば、いつどこへ行ったかは簡単に調べ上げられる。カードで支払えばそれもそうした情報も供与された検索システムで検索可能になっているのはあたりまえだろう。

 1946年2月17日、突然大蔵大臣から預金封鎖が宣言された。政府財政の破綻を国民の財産で贖ったということ。財務省はいまもより現実的な破綻処理シミュレーションに余念がないのだろうよ。現に1997年に秘密裡にやっていたことがバレている。
公平の名のもとに国民の資産を把握し膨れ上がった国家の債務の解消のために預金封鎖がなされうることを副島隆彦が著書で指摘している[7]。『文藝春秋』2002年12月号にて、1997年(平成9年)に当時の大蔵省内部で預金封鎖の検討が行われた旨の記事が掲載された。『週刊朝日』2020年7月17日号にて、日銀が準備率を20%まで引き上げて準備預金を引き出せないようにしたり、超過準備を民間金融機関から引き出せないようにし、利息をマイナス100%にすることで政府債務を部分的に処理する懸念が掲載された[8]
 預金封鎖がじわじわと現実味を帯びてきている。


<支払いは誰が?>
 ところで、この忘年会は会費制だったのだろうか?検索してみたがどこも報じていない。
 高級焼肉店だそうだが、総理大臣の給料は連日高級レストランで会食できるほど高くはないと思うが。答えるはずがないことをわかっているので、新聞もテレビもだれも訊かない。それでも問わなきゃジャーナリズムの責任をまっとうできないだろう。


【今日のSARS-CoV-2・PCR検査陽性者数】
 全国 2986人 東京都 678人(最大値を更新)

<余談:仁徳天皇 民のかまどの話> 
  為政者かくあるべしという神話が日本書紀に載っている。菅総理は爪の垢でも煎じて飲んだらよろしい。加藤官房長官、西村経済再生担当大臣、なんと器の小さいことよ、卑屈すぎる。子どもたちの教育にとっても悪い。

原文:三月己丑朔己酉、詔曰「自今以後至于三年、悉除課役、以息百姓之苦。」是日始之、黼衣絓履、不弊盡不更爲也、温飯煖羹、不酸鯘不易也、削心約志、以從事乎無爲。是以、宮垣崩而不造、茅茨壞以不葺、風雨入隙而沾衣被、星辰漏壞而露床蓐。是後、風雨順時、五穀豊穰、三稔之間、百姓富寛、頌德既滿、炊烟亦繁。

現代語訳:(即位4年)3月21日。
詔(ミコトノリ)して言いました。
今より以後、3年は全ての課役(エツキ=税・公的な労働のこと)を免除して百姓の苦しみを和らげるのだ
この日より白黒の模様の入った粗い絹糸の衣服を履いて、それがほつれてダメになるまでは新調しませんでした。温かいご飯、汁ものが腐って酸っぱくなるまで替えませんでした。心を削ぎ、控えめにしておごらず、静かに過ごしました。それで宮垣が破れても直さず、茅葺き屋根が乱れても吹き直しませんでした。風や雨がその隙間に入って衣服を濡らしました。星の光が屋根の隙間から漏れて、床を照らしました。

季節が巡り、五穀豊穣(イツツノタナツモノユタカ)になりました。三稔(ミトセ=3年)の間に百姓は豊かになりました。頌德(ホムルコエ=王の徳を讃える声)が満ち、炊烟(イイカシクケブリ=飯を炊く煙)がたくさんと登るようになりました。

 高き屋に のぼりて見れば けむり立つ 民のかまどは にぎはひにけり

<余談:実は15人と8人の会食をハシゴ
 驚いた。GoTo中止の記者会見を、質問を無視してさっさと切り上げたのは、ニューオータニ―でフジテレビ社長、オリンピックわいろ疑惑やコロナ補助金疑惑の電通社長、財界人ら15人との会食に出席するためだった。それを8時26分に切り上げて、今度は銀座の高級焼肉店で、王貞治、杉良太郎、みのもんたら8人との忘年会だったということが判明した。


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#4431 経済学研究と思想傾向の変遷 Dec. 14, 2020 [A4. 経済学ノート]

<最新更新情報>12/17日朝9:20

 ビリヤード店を手伝いながら、小4のときから北海道新聞の「卓上四季」や社説を読み始め、1年後の5年生のときには政治経済欄に読みふけるようになったわたしは、当時の社会党の思想に次第に染まっていった。
 高校生になって特殊数学の分野である簿記に夢中になり、中央経済社から出版され始めた公認会計士二次試験参考書を読み始めた。あの当時は7科目で経済学があった。もちろん近代経済学である。会計学説でも東大の黒沢清先生の本と一橋大学の沼田嘉穂先生の対立する理論を読み比べていたから、自然にマルクス『資本論』にも興味がわいた。根室高校図書館に『資本論』があったので、読んでみたが、100頁ほど読んでみて、大きな森の中に迷い込んだような感覚があり、話の大きな筋道が見つからないもどかしさを感じた。ヘーゲルの著作も1冊図書室にあるものを読んだ。ニーチェにも興味がわいて、これは自分で本を買って読んだ。中央公論の世界の大思想全集の一冊だった。
 歯が立たなかった『資本論』へはその論理がつかみたくて興味が持続した。原価計算論の小沢ゼミに入るつもりでいたが事情があって募集のときに東京にいなかった。戻ってきたらもう募集が閉め切られていた。がっくり来ていたところへ、市倉先生の一般教養ゼミの張り紙を掲示板で見つけたのである。使っているテクストは『資本論第3巻』となっていた。それで2年次から哲学の教授の市倉宏祐ゼミに入れてもらった。ゼミに入るには小論文の提出が課されていた。既存の経済学者の説に違和感が消えないので、経済学者ではないほうがいいとは漠然と考えていたら、市倉先生の一般教養ゼミは渡りに船だった。哲学の教授は資本論をどのように読むのか興味がわいていたからだ。学部を超えた「一般教養ゼミ」という位置づけだったが、とんでもない、経済学部のゼミよりもずっと専門的だった。集まった学生は商学部の学生が多かった、経済学部の学生には経済学者のゼミがあるから、一般教養ゼミをとるのは意味がない。意味はあるけど、哲学者の読みに興味がある学生が経済学部には一人もいなかったということだろう。
 資本論を読み終わると、市倉先生は『経済学批判要綱』をとりあげた。チョイスは先生だったか、大学院経済学研究科へ進学した先輩だったのか記憶にない。この本は資本論を書く準備のために経済学の基礎概念相互の関係や論理の展開方法を模索したものだった。全部で6冊あるから、その分量は資本論に匹敵する。この本を読まずして資本論のロジックが理解できるはずもない。世の中には『経済学批判』を読んだだけで分かったつもりのマルクス経済学者が当時は多かった。『経済学批判要綱』研究は当時は広松渉の論文ぐらいなものだった。マルクス経済学者でも通読した人がほとんどいなかっただろう。市倉ゼミはいつの間にか経済学部のゼミを凌いでいた。商学部の1年先輩が経済学研究科と哲学研究科へそれぞれ進学したが、ありがたいことに学部のゼミに継続して参加してくれた。議論のレベルが上がって、3年生が議論にほとんど参加できないような状況が現出した。そのころようやく資本論体系構造が見えだしてきた。はっきり見えたのは大学院へ進学してから、渋谷の進学塾で数学を教え始めて、ユークリッド『原論』に目を通した時である。『原論』と『資本論』に共通の演繹的体系構造が見えた。そういう目で見ると『資本論』は第一巻で方法的な破綻にたどり着いたこともわかった。その理由が何であるかは『数学手稿』を読んで明白になった。無限小が理解できなかった。微分概念が理解できなかったのだ。
(数学に優れた能力を発揮できる学者には別の経済学が見えてしまう。サミュエルソン『経済学』のように数学を駆使した経済理論が出てくることは必然だった。)
 マルクスは数学では劣等生だった。それで資本論第3巻を読んで四則演算しか出てこないことに違和感のあったのが氷解した。高校生の時の問題意識でマルクス研究にのめり込んだが、行きついたところは、マルクスの方法論の否定だった。数学が苦手だったのでヘーゲル弁証法などという、当時流行のまがい物にもたれたことが破綻の理由だった。デカルト『方法序説』の科学の方法「四つの規則」でも読めばよかった。デカルトは分かっていた、数学にその方法が示されていると。
 その後が問題だった。マルクスを超えるにはどうすればいいかの手掛かりがつかめなかった。日本資本主義は欧米のそれとはかなり様相を異にしている。職人仕事がベースでマルクスの経済理論の根底を支えている工場労働概念が日本の現実とはまるで合わないことにうすうす気づいていた。
 日本企業で働く中で欧米の工場労働概念と日本の職人仕事概念を比較研究し、新たな経済学体系が生み出せるかどうかがライフ・テーマになった。業種を変えて転職して、日本企業や日本人がしている仕事のスタイルに共通なものはないかを探った。

 本筋からそれるので、ここからは読み飛ばして結構です。
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 業種は変えたが、どの企業でも経営管理部門とシステム開発がメインの仕事だった。1978年9月に中途入社した産業用エレクトロニクスの輸入商社では、欧米50社の世界最先端の産業用エレクトロニクスは軍事用エレクトロニクス製品の勉強を6年間やった。毎月のように新製品の説明に各メーカーからエンジニアが本社に来て説明会が開催されたので、そのすべてに出席して傾聴した。製品知識がなければ経営管理はできない。入社早々5つのプロジェクトを任された。長期計画委員会、収益見通し分析委員会、為替対策委員会、電算化推進委員会、資金投資委員会の5つ、あとで利益重点営業委員会の方の仕事も電算化案件だったので、加藤常務と担当課長の遠藤さんの依頼で一緒にやった。プロジェクトはそれぞれ具体的な課題が設定されていたが、3年間で全部クリアした。システム開発や管理会計は米国の尖端の専門書で学習した。よく仕事したなと思う。そのあとは個別に開発した3システムの統合システム開発を任された。6年間仕事して、統合システム開発でオーナー社長と意見が衝突し辞職。引継ぎに2か月かけるように頼まれた。その期間にリクルート社の斡旋で転職先を見つけた。資本規模も従業員数もはるかに大きい会社への転職だった。6年間で培ったスキルがモノを言った。退職した翌日(1984年2月1日)から、SRL本社で仕事していた。好い時代だったし、運がよかった。
 国内最大手の臨床検査会社(当時の本社は西新宿のNSビル22階(後に都庁が移転してきた))でも商品知識は経営管理や経営改善には不可欠、同じことだった。会社の取扱商品や生産方法について知らなければ経営管理なんぞは出来はしない。上場準備で入社した年に、テーマごとに大学病院の先生を講師に招いて社内講習会が1年間にわたって開催された。そこで、臨床病理学会項目コード委員会の櫻林郁之助・助教授(当時)と知り合い、学会の仕事への協力を依頼された。
(86年に「臨床診断システム開発と事業化構想案」を書き、藤田社長の承認をもらいフィジビリティスタディをやった。予算は200億円。そのプロジェクトの一つに臨床検査コードの標準化=日本標準制定があった。大手6社を巻き込んで5年ほどかけて、臨床病理学会から公表、日本標準となる。いま全国の病院システムがその臨床検査項目動いている。構想全体はとん挫している。NTTデータ通信事業本部と数回打ち合わせたが、コンピュータの性能と通信速度が30年後でないと要求仕様を満たさないという結論になったからだ。しかし、10年でコンピュータの性能も通信速度も要求仕様を満たした。世界中でこの手のシステムが開発され出しているが、肝心のインフラが整備されていない。それは検査項目コードの世界標準制定や電子カルテのフォーマットの標準化である。クラウド上で可能だがセキュリティが大問題になるだろう。世界中の個々人の病歴データが巨大なファイルとなって存在することになるからだ。)
 経営統合システム開発を8か月で終え、予算編成や管理をしていたが、2年目には検査試薬の16億円のコストカットを提案し、実行部隊に加わるように指示され、購買課へ応援部隊として参加したら、交渉が目標通りに終わると、2か月後には異動事例が出た。
 入社3年目に監査役と会社の送迎バスで出遭った。「いまどこにいるの?」「購買です」「そうか、購買部長か」「いえ、平です」そう言ったら外口監査役絶句した。監査役は親会社の富士レビオが上場したときの経理部長だから、会社上場で上場要件を満たす経営統合システムを作ることがどれほど大変な仕事か体験してご存じ。それを8か月でやり、画期的な「投資・固定資産管理システム」も作った。減価償却費の予算差異が1億円以上でて、上場要件に引っかかっていたので、システムを作り誤差を1/10にした。固定資産棚卸がいい加減だったので、これも貼り付けるラベルと棚卸の実務設計をして、上場要件に適合するように変えた。検査試薬のコストカットも自分で提案して、プロジェクトを作ってもらい、交渉にも参加して、予定通り16億円の成果を上げたから、わたしの手腕を正当に評価できる唯一の人だっただろう。「入社して翌年では課長昇進が早すぎる」と人事部の反対で昇格がぽしゃったと後で聞いた。購買課へ異動事例が出てしまったので、そこで2年半機器の購入担当とシステムメンテナンスをした。この異動は結果としてはわたしにとっても役に立った。仕事上、世界最先端の水準にある八王子ラボの全セクションへ立ち入る権利を得たのである。だから、打ち合わせは頻繁に検査現場でやるようにした。担当者と話せばその人の担当分野の専門知識がコピーできる。漫画のスライムのようなものだ。そしてその検査に関する文献が機器メーカーの営業から手に入るものは片っ端からお願いして持ってきてもらった。購買担当だから機器メーカーの営業員に否やはない。
 購買在庫管理システムは担当者2人がド素人だったので、帳票類の半分はわたしが設計して仕様書を書いてあげたもの。しかし他の部分であちこちに不具合があり、半年ぐらい調整作業の追われた。危険物の管理も種類ごとにシステムの中に組み込む必要が出てきて、危険物分野ごとに分類してマスターファイルを作り、システムを作り替えるニーズがあった。機器を担当したお陰で検査知識と検査機器に関する知識が身についた。マイクロ波計測器に比べたら、インターフェイスが遅れていた。GPIB(双方向インターフェイス)が産業用エレクトロニクスでは標準だったが、検査機器にGPIBバスが標準装備されることはなかった。とっても不便で、SRLでは92年ころDECの64ビットマシンのミニコンを使って検査機器とインターフェイスを実現した。当時のパソコンでは機器の制御は出来なかった。検査機器の理解には、産業用エレクトロニクス輸入商社で育んだ世界最先端の計測器や質量分析器、時間周波数標準機、制御・データ処理用のコンピュータに関する技術がそのまま生きたのである。4年間購買で勉強させてもらった。そのご学術開発本部担当取締役のIさんから異動の打診があり、1989年12月に学術開発本部スタッフとなり開発部の仕事や学術情報部の仕事を兼務した。この時に上司のI取締役がすぐに課長にしてくれた。開発部は検査試薬の共同開発をやっていたので、製薬メーカー2社と検査試薬の共同開発、そし担当者バラバラにやっていた開発業務のPERT法を使った標準化、慶応大学病院産婦人科のドクターとの出生前診断の日本人基準値づくりのプロジェクト・マネージャをやっている。本部内には開発部、学術情報部、精度管理部の3つの部があったが、本部スタッフとして全部の部の仕事をテーマごとにもたされた。学術情報部のほうは「ラボ見学案内」を担当した。担当者が3人いたが、三人ともやれるわけがないとI取締役に言ったようだ。一度ラボ見学にお客さんを案内するときにわたしを同行して見学させるように言った。その後すぐにわたしがお客様を案内して、三人が観察するように指示した。それで問題解決。何年もその仕事をやっている彼らよりもわたしの方がずっと上手だったから、もう文句は言わない。仕事の分担が明瞭になされた。学術情報部長のK尻さんはわたしのことをよく知っていたから黙ってみていた。彼女を臨床病理学会項目コード委員会と業界6社の産学共同プロジェクトへ引っ張り出したのはわたしだった。大手6社で始まったプロジェクトを2回目に参加して産学共同プロジェクトへ変えたのもわたしの仕事。5年ほどかけて日本標準検査項目コードになった。制定後は検査項目コード管理事務局がSRL学術情報部の担当になった。日本全国の病院のシステムはこのコードで動いている。検査機器の共同開発を製造メーカー数社とやっていたから、その機械が設置してある検査部門での説明は三人に渡されたマニュアルを無視してやった。RI部の精度管理用のサブシステムも一度見ただけで統計的な管理もシステムもわたしの専門領域だから10分で理解出来た。国内の病院からのお客様は、手が足りないときに応援、海外製薬メーカーからの見学希望者への対応がわたしの仕事になった。「本部内の業務の3割カットプロジェクトも担当した。一緒に組んで仕事して、「何年か後に、おまえに使われているかもしれないな」なんてことをつぶやいた。1年5か月で新しくできた関係会社管理部へ異動(1991年4月)し、子会社千葉ラボの赤字脱出プロジェクトを親会社側で担当。新システム導入で、生産性が3倍になり、簡単に黒字になった。25本のゲージのレーダチャートと偏差値評価をベースにした関係会社業績評価システムをつくり、経営分析レポートを作成。これは輸入商社にいたときに、HP97で開発したシステムをEXCELに乗せ換えただけだったので、簡単だった。総合偏差値で業績評価のできる優れものだった。予算で目標偏差値の設定もできた。そのあと、1993年2月から北陸と東北の臨床検査会社2社の買収と資本提携交渉を同時に担当し、6月1日から3年の約束で東北の会社へ役員出向。黒字化案をつくり創業社長の藤田さんに最終承認をもらいにSRL本社へ行くと、藤田社長と谷口副社長からストップを命じられ、1994年10月1日付で出向解除、SRL本社へ戻る。損益シミュレーションの結果は売上高経常利益率が15-20%でありSRLグループナンバーワンになるので、ストップがかかった。子会社SMS(千葉ラボ)の新システム導入による損益シミュレーションは予測値を実績値が越えたので、改善改革案実施後の損益シミュレーションについては社内で信頼度が高かった。
 悪いと思ったのか、社長室、経営管理課長、購買担当課長の3業務兼務辞令が出ていた。ところが意にそわないことが起きて、本社業務の続行を拒否し、子会社への異動を希望、1994年1月3日付で一番古い子会社であるSRL東京ラボへ出向。その会社のラボ移転を口実にグループ全体のラボ再編計画を進めていた。八王子ラボは手狭で4か所に分散していたので、150mの平面ラインでの自動化ラボ構築を考えていた。圧倒的に世界一の生産性と品質管理を誇るラボを作るつもりだった。子会社社長の箕輪さんを説得してラボ移転の合意をとり、土地を不動産屋を使って物色しようとしていたときに、SRL近藤社長に呼び戻され、1996年11月から帝人との合弁会社プロジェクトと新会社の経営を命じられた。経営の全権と仕事の進め方はわたしの流儀でやることを認めてもらって、引き受けた。
 合弁会社のプロジェクトは暗礁に乗り上げていた。新聞に公表した1月の開業に間に合わないので慌てていた。お手上げだったのだ。任務は3つだった。①期限通りに合弁会社をスタートさせること、②臨床治験検査とデータ管理の合弁会社で両社の赤字部門だから3年間で黒字にすること、③帝人出資分を引き取り合弁解消をすること、ああもう一つあった、④羽村にある帝人の臨床検査子会社を買収することだった。
 ④は簡単だと思った。1988年に購買課で機器担当をしていたときに染色体画像解析装置を3台、英国エジンバラの会社IRSから買ったが、そのあとで帝人と東北の臨床検査会社がそれぞれ1台ずつ購入したという情報を輸入元の日本電子輸入販売の担当者から得ていた。この分野の外注検査はSRLが8割を占めていたので、採算に乗るだけの検体を集められるわけがない、そんなこともわからないで処理能力の高さに目をつけて買うようでは、おそらく会社は赤字で、新規分野の拡張による採算改善を狙ったものだと判断していた。2社ともさらに採算を悪化させると予測していた。いずれ、買収してみたい、1988年にそう考えていた。帝人は大会社だから、30年経営しても採算を合わせられない事業だから、社員の引き取り保証などを条件に上手に持ち掛けたら買収できると考えていた。帝人本社側は臨床検査事業を持て余していた。東北の会社には1992年資本提携交渉をして1億円の出資をして役員出向、染色体検査の拡大で黒字にできるめどが立ったが、SRL藤田社長の反対で、実施を見送り、藤田さんに本社へ戻された。ラボのシステムを入れ替えれば生産性は3倍にできたが、千葉ラボで実験済みだったのでつまらないのでやらなかった。
 帝人との合弁会社は①~④を2年半で終了し、仕事が終わったので、老人医療をやりたくて300ベッド弱の特例許可老人病院常務理事として1999年10月に転職した。経営手腕を見ていた帝人の石川専務からはebisuさんが社長をやったらいいとは言われた。SRL社内はなかなかそうはいかない。学術開発本部長のI取締役を社長に迎えるつもりで、SRL社長の承諾を取り付けたが、Iさん辞めてしまった。あとで担当していた案件で失敗がありお辞めになったという噂を聞いた。
 かねてからお誘いいただいていた特例許可老人病院へ転職した。療養型病院へ転換するために病棟建て替えが必要だった。県庁の医事課長や横浜市の医療担当者2名と半年ほど建築仕様を確認して、新日鉄のゼネコン部隊へ発注、坪単価65万円(で20万円/㎡)で竣工。そのあと、2001年5月に外食産業上場の仕事で転職、本社事務所は銀座である。四丁目交差点から徒歩1分。オーナー所有のパチンコ事業も見せてもらった。首都圏で20店舗1000億円の売上の企業である。2年後に古里へ戻った。会社上場には四度、3社経験している。

 できない仕事はなかったと言っていい。黒字にできなかった赤字会社もない。経営には「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」を貫いた。だから、赤字の会社も黒字にできたし、ボーナスが増えて社員が喜んで働いてくれたから、黒字はますます膨らんだともいえる。
 マネジメントには商品とそれを支えるさまざまな仕事に対する知識が必要だった。生産性を上げたり、新規事業分野を切り拓く仕事にはシステム開発が必要だった。
 マネジメントは人である。自分だけが得をしようなんてちっぽけなことをちらっとでも考えたら、それは伝わってしまう。無心で、そして最善を尽くして仕事すること、結果としてそれが心地もよければ結果もよくなるものだと悟った。そういう心の在り方が日本人の仕事観で、奴隷労働に淵源をもつマルクスの工場労働=苦役とは対極にある価値観である。刀鍛冶が神にささげるために禊をして新年初めに刀を打つ、あの姿が日本人の仕事をよく表していると思う。経済学の公理に日本人の仕事観を置けば、まったく別の経済学と経済社会が立ち上がる。新しい経済社会を創造するには、実務デザイン能力と長期戦略が不可欠である。担うに足る能力をもった若者が、いずれ何人も出現するだろう。
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 50歳くらいになってだいたいまとまった。スキルス胃癌を患ったあと書き残しておく必要を感じて、このブログに掲載している。
 マルクス研究者ではあってもマルクス教の信者ではない。わたしが展開したのはマルクス批判である。いまは健全な保守主義者を自称している。16歳のときに目覚め、55年の長い旅路ではあったが、健全な保守主義に辿り着いた。



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#4430 校則の厳格化が進行している:従順になった高校生 Dec. 14, 2020 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 NHKラジオ朝7時半ころからの番組で、名古屋大学の准教授内田良さんだったかな、校則をテーマにデータを挙げて論じていた。
 校則を守るべきものだという生徒の割合が2001年の68%から2020年に88%にアップしているという。高校生は規則の当否を問わなくなっているようだ。ただ唯々諾々としたがう奴隷のような存在に意識の内ではなっている。こんな人材は企業にもたくさんいて、ただの数合わせの存在だ。必要なのはすべてを疑い、そして今までなかったものを創り出す力である。

 丸刈りの校則を導入する学校が増えているのだそうだ。これにもびっくりした。
 団塊世代のわたしは、極東の町根室で生まれ育った。根室商業が根室高校となっても丸刈りの校則がそのまま維持された。根室商業の伝統を受け継いだということだろう。中3の冬休みに生まれて初めて丸刈りにした。根室高校商業科へ進学するためである。生まれてこの方、坊主頭にしたことはなかったので、根室高校へ入学したら校則改正をするつもりだった。どういう手段があるかは、そのときは考えもしなかったが、問題意識だけは強烈にあった。
 なぜか?北海道新聞のコラム「卓上四季」と「社説」を小4のときから読み始めた。ビリヤードの店番をしながら、わからない語彙が出てきたら国語辞書を引いて新聞を読んでいる小学生を見て大人たちは面白がって遊んでくれた。ビリヤードは抜群に強かった。釧路に親せきが多いのでオヤジが釧路へ行くときは必ずわたしを連れて行ってくれた。用事を済ませる間、駅近くのビリヤード店へわたしを数時間置いて遊ばせてくれた。小6のときに釧路の平和ビリヤードだったかな、そこで大人を相手にゲームした。四つ玉で持ち点は60点だったが、連勝するだけでなく、調子がよくて撞き切ってしまったので持ち点をアップして70点でゲームした。何人か大人が変わって相手してくれた。それでも全勝した。昔は7キュウ・ドローンといって、7回交替して自分の持ち点を撞けなければ引き分けである。ゲームは10回やったのかな、それから釧路では評判のビリヤード少年となった。

 北海道新聞は左がかっているとよく言われるがその通りである。沖縄返還で反対声明を出したのは琉球新報と中部日報と北海道新聞の3紙だけだった。沖縄返還には密約があったことが後でわかる。1942年に新聞統制で道内の11紙が統合されて北海道新聞社が誕生した。紙の配給が関係があったのだろう。さんざん戦争を煽った朝日新聞と同様に戦後の民主主義の洗礼を受けて左傾化していった、時代の流れだったのだろう。
 社説は社会党というスタンスのものが多かったと記憶している。社会党党首浅沼稲次郎の刺殺1960年10月12日の記事は翌日の北海道新聞に載ったが、一面トップの写真を記憶している。メガネが外れかかって、腰を後ろに少し引いてよけたようだが、よけきれなかった。右翼の17歳の少年山口二矢(ヤマグチオトヤ)が刺す直前の瞬間をシャッターが捉えていた。数日後に犯人は独房内で自殺して果てる。
 自衛隊が極秘に机上作戦としてやっていた三矢研究が道新の記事になったのは1963年、中3のときだった。ビリヤード店の店番をしながら、時間があると政治経済欄を片っ端から読んだ。そしてその政治思想に染まっていった。だからわたしは北海道新聞の申し子のようなもの。
 小学校の担任は教育大釧路分校の新卒鶴木俊介先生だった。戦後の民主化教育に理想を見ていたから、とても熱心で、算数の授業がわからない生徒は放課後残れと言い、しょっちゅう補習をしてくれた。冬には一緒にスケートしたりソリやスキーを花咲小学校の裏山で滑って遊んでくれた。正月には生徒を自宅に呼んで百人一首をみんなでやって遊んだ。いい先生だった。北教組に加盟していたと思う。当時の先生たちのほとんどがそうだった。だから人権意識が高かった。わたしは、小学生の時に北海道新聞を読み、教育の民主化の理想を実現しようと突っ走る若い教師に育てられた。鶴木先生、とってもいい先生だった。
(西浜町会長の柏原栄先生もそういう時代のお一人である。わたしたちが花咲小学校を卒業と同時に根室中学が光洋と柏陵に分かれたときに一緒に光洋中学校へ、そこで歴史を習った。そして光洋中学校へ卒業と同時に、また一緒に根室高校へ、今度は高校の教員となられた。中学校の担任は山本幸子先生、家と学校にお袋が二人いるようなものだった。山森パンの長女だった。数年前に心臓にペースメーカーを入れる手術をされた数か月後に亡くなった。副担任は半田(旧姓大岩)先生、新卒で赴任されたので、女生徒と見分けのつかないことがあった。数年前に癌で亡くなられた。「ebisu君、癌友だね、がんばろうね」って、何度も笑顔で話しかけてくれた。)
 価値観の転換、そして激動の時代だった。

 思わぬ方向から校則改正のチャンスが訪れた。1年生の時にN先輩(大学も同じ)が生徒会会計に指名してくれた。それまで話をしたことはなかったが、気が合った。同じ商業科の副会長のFさん(後に室蘭税務署長)と一緒に「おんちゃ」と呼んで面倒見てくれた。普通科の副会長のHさんも好意的だった。生徒会会計は生徒会の帳簿を記帳して、決算までやっていたから、簿記や珠算に堪能な生徒が指名されていたのである。財務大臣のようなもので、生徒会会計は仕事の責任と権限が大きかった。各クラブの予算折衝も生徒会会計がやっており、2年生の時に部長と副部長を生徒会室に呼び、予算折衝を受けていた。決定権限は生徒会会計にあった。生徒会長も生徒会顧問の3人の先生たちもクラブ活動の予算配分には一切口出しできない。先生たちはまったくノータッチ、絶大な権限だった。(笑)
 2年生になってすぐに、東京・京都・大阪・奈良、11泊12日の修学旅行に長髪で行きたくて先輩に相談したら、言い出しっぺの「おんちゃ、おまえがやれ」と言われた。3年生の会長の関さんも了解してのことだった。そこで四月にどういう手順でやるかを決めた。先生たちが弱いのは保護者、保護者にアンケートをとって突きつけたら生徒集会へ持ち込み、校則改正の手続きに従ってやれると考えた。2年生の数人の生徒会役員と協力してすぐにアンケート原案を作り、謄写印刷して配った。アンケートの論調は頭髪は体の一部だからそれを規制するのは憲法の定める基本的人権に抵触する、よって校則を改正すべきだというもの。もちろん大多数の保護者は賛成してくれた。そのまま生徒総会へ持ち込み、予定通りのスケジュールで校則改正を果たし、四か月髪を伸ばして11月の修学旅行は長髪で行った。根室商業の伝統をひとつ壊したのである。応援団は面白くなかっただろう。
 総番のヒロシが応援団に入っていれば団長だっただろうが、総番は応援団長をやらないルールになっていただろう。やれば格が下がる。副番が3人いて応援団のメンバーは総番グループで固められていた。総番グループは2年のときに3年生ともめごとがあった。「13:7の決闘」と北海道新聞に載った。3年生の動員がうまくいかず、2年生にぼこぼこにされた。3年生がケガをして病院へ行ったので、警察の察知するところとなり、道新根室支局が派手に報道した。全員1週間の停学処分。9月ころだったか中間テスト直前だったのを覚えている。羅臼のヤスベ―が外出禁止で退屈していたので、毎日2-3時間ほど花札の相手をして遊んだ。店番の手伝いの終わるのが9時ころだから、それからあいつの下宿へ歩いて出かけて、帰ってくるのは真夜中すぎだった。もちろん試験勉強している暇はない、しかしテストの結果に影響はなかった。授業時間中に集中すれば、黒板に書かれた文字をほとんど記憶できた。授業が終わると5分くらい目をつぶりページをめくるように書かれたことを脳裏に再現して遊んだ。家に帰ってから店番しているときも数分間目をつぶって脳裏に黒板の字を再現すれば復習は終わり。「本当に勉強しないでいままでトップだったんだ」とヤスベ―びっくりしてた。店番してたから、そんな暇はない。春休みや夏休み冬休みにはまとめて時間をとって毎日8時間以上集中的に勉強して「貯金」しておいた。そのヤスベ―も数年前に癌でなくなった。
 生徒会活動はやっていたし、半年ほど高橋珠算塾の高橋塾長に頼まれて汐見町の塾で珠算を教えていた。澤山先輩が高校を卒業して、中央大学文学部へ進学したので、汐見町の塾を教える人が見つからなかったからだ。郡部にも分塾があったように思う。塾生が200人くらいはいたのではないか。そういうわけで時間はなかったが、公認会計士二次試験講座のテキストを読んで暗記する時間は採ったし、経済学や哲学の本は読み漁った。レベルを上げたくて上げたくて、脳がレベルの高い本を読むことを要求していた。腹をすかせた餓鬼を脳内に飼っているようなもの。高校時代は知的好奇心に突き動かされていたと言える。

 丸刈りの校則とともに総番制度も時代に合わぬものになっていた。ヤクザともめごとがあれば総番が学校を代表してもめごとを収めるようになっていたので、総番の地位と背負う責任は重かったが、そんなことは一切なくなっていた。5つ先輩の総番は野球部のキャプテンのSさんだった。わたしは親戚なので、「まこちゃん」と読んでいた。高校1年生の時にマコちゃんがヤクザとのもめごとがあったときには、ヤクザの型通りの挨拶をしなけらばならないと、目の前で実演して見せたくれた。「お控えなすって、さっそくお控えなすって下さって、ありがとうござんす、手前生国発します処...」、まあ見事なものだった。途中で言いよどんだら殺されたって文句は言えない、そう云った。台詞を手書きした小さく折りたたんだ紙をもらったが、机の中に放り込んでそれっきり。野球部員でもあった総番のヒロシに伝えるべきだったのかもしれないが、そういう時代ではなかった。まこちゃんは次に総番になった後輩にあの仁義の切り方を伝えてなかった。もう無理だと考えていたのだろうと思う。だから、何かの縁、自分が関与して終わらせてやろうと思った。
 2年生になってF組から放り出されてGクラスへ、規格外の生徒をG組に集めるのが慣例になっていたから、このクラスには面白い人材が何人もいた。ヒロシと共産党のAと3人で総番制度の廃止を議論した。それぞれ異なる人脈とこの件に関わる理由をもっていた。土曜日にヒロシと二人だけで学校帰りの道、明治牧場の草原を突き抜けて家の前まで話しながら歩いた。同じクラスで気が合ったのだ。後輩の2年生に仕切れるような人材がいないので総番制度は廃止することにしたが、それを実行したのはヒロシ一人だ。Aもわたしも総番グループではないから部外者。同じクラスの副番のMがバックアップしただろうが、E組の総番グループに反対意見が集まった。結局、総番のヒロシが押し切って解散した、偉い奴だよあいつは。
 学校側から見たら、危ない二人、「鬼と金棒」の物騒なコンビだった。息が合いすぎて、表と裏から学校を支配していたのかもしれない。ヒロシのやることにわたしに否やはないし、わたしのやることにヒロシは否やを言わず協力してくれる。阿吽の呼吸だった。(笑)
 英語の先生があんまり舐めたレベルの授業をするので、カチンときた。あるとき、授業中に「体育館みてきまーす!」といって教室を出た、そしてバスケットボールをもって戻って来て、「空いてました!」と叫んで、男子を連れ出す。ヒロシが阿吽の呼吸ですぐついてくると、みんなぞろぞろ。そりゃあ、ついてこざるを得ないさ。3回授業を潰したら、校長から「授業中に体育館で生徒を遊ばせている先生がいる」と叱られたらしい。「まともな授業しろ!」というのが犯行の動機。
 1年生の時に数学の教師とトラブルを起こした。テストの回答が間違っていたので、教壇を挟んでここが違うだろうと話していたら、みったくない言い訳をだらだらするので、カチンときた、その瞬間「なに!」と声が出たら、数学の先生は慌ててメガネを外した。殴られると思ったのだ。その刹那、すーっと冷静になれた。こんなクズ教師と刺し違えで退学になるのでは死んでも死にきれない。踵を返して席へ戻った。あとでヤスベ―が「殴ると思った」、あのときはホントに危なかった。
 小学生のころから石炭ストーブに使う焚き付けを手刀や拳で叩き折って鍛えていた。大きな鉞を振りかぶって一気に落とし、四寸角や五寸角の角材を叩き折っていたから、腕力とモノを叩き折る技術は見かけとはまるで別。身体のひねりを加えるだけで打突の衝撃アップする。身体が柔軟だったから身体のひねりを加えて一歩踏み込んだら、拳は凶器となる。高校卒業した年に、新宿でヒロシとムサシと3人でパンチングボールを叩いた。身体のひねりだけで180㎏を超えた。拳が重くてかたいので、顔を殴れば顔面陥没、額にヒットすれば頭蓋骨陥没は必至、側頭部にヒットすれば頭蓋骨粉砕骨折だろう。カッとなって人を殴ったら、刑務所行だ。見かけと違って案外短気なところがあった。何度か危ういことはあったが、その都度抑えきれた。
 ビリヤードの常連だったヤクザの親分は一度もゲームしようとは言わなかったが、わたしの本性を見抜いていた。「トシボーに何かあったら、言ってくれ」とお袋に告げていた。何かやりかねない人間に見えていたのだ。さすがに親分だけあって人を見る目が確かだなと感心した。

 柏原先生が6年前の同期会で挨拶をされた。その折に、「君たちの学年は七大改革をした」とおっしゃった。その内の最大のものは今あげた二つである。あとは何があったのか、記憶にない。市内の私立高校生徒会と会合をもったことはあった。女子バレーで練習試合を組んだが、これは初めての事例だった。明照高校という名前だったと思うが、大徳寺の境内の一角にあり、体育館は教室を3個ほどぶち抜いて作ったもので、天井が低かった。根室高校体育館で練習試合して、トスが上がると、目がくらくらしたとは部員だった妹の話だ。そのときに3年生の部長が、いまは親友の奥さんだ。生徒会長の北川さんは一度市議になったが、一度っきりで2回目は立候補しなかった。同期では五十嵐が根室市議をやっている。

 いま根室高校生徒会会計は、帳簿はつけないから、生徒会会計をやった生徒に訊いても、会計の仕事がなんなのかさっぱり要領を得ない。部活の予算も生徒会会計ではなく先生たちが決めている。
 そして昔はなかった宿題が毎日のように出されている。小学生じゃあるまいし、高校生になったら勉強くらい自分で目標を決めてやれないのか?大半の生徒がやれないのだろう。生徒たちが幼児化しているから、宿題を出さざるを得ない。だが悪循環だ、手をかければかけるほど生徒たちはダメになる。
 これでは高校3年間で自主性・自律性をはぐくむのは不可能だ、逆に、自主性や自律性を根こそぎ奪ってしまっているような気がしてならない。ただ、先生の指示に従って動くだけの指示待ち人間を増産している。そしてルールを疑うことすらない。この点がわたしたち団塊世代と決定的に違う。理不尽なルールがあれば変えてやるという意気込みがあった。
 一度だけ校長が生徒会に介入したことがあった。副会長二人から、次の会長はお前がやれ、俺たち二人が応援演説するからと指示された。先輩の指示は絶対である。立候補の意志を生徒会顧問へ告げたらダメ出しがあった。会計をやっているからダメだという。理由にならぬ。次の会計は後輩のHを考えていたから、同じ生徒会にいるから、何か問題があっても教えることができるので差し支えない。どうやら校長の指示のようで、顧問が困った顔をした。間に挟まって気の毒なので下りた。同期のHを副会長にした。先輩の二人の副会長に、校長が反対している旨を告げ、Hの応援演説を頼んだら、快く引き受けてくれた。わたしが会長になったら何をやるかわからないので警戒された。民青の矢臼別のキャンプに参加した前後には公安がついていた。
 やりたいことがあれば生徒会会計は権限が大きい、会長のオサムや副会長のカナメや中央執行委員のヒロコやカズコたちを巻き込んでなんでもやれた。
 会社勤めでも同じだった。産業用エレクトロニクスの輸入商社ではオーナー社長を説得出来たら、やりたいことはたいがいのことはやれた。臨床検査センター最大手のSRLでも、提案書を書いて創業社長の藤田さんの決裁をもらえば200億円でも使える。経営統合システムのコア部分(財務経理システム・固定資産投資管理システム・各サブシステムとのインターフェイス)を8か月で本稼働させた。そして中途入社3年間で30億円以上の利益を増やした実績があるから、OKがでる。提案の内容次第で何でもやれるしお金も自由に使えた。

 同じものを同じ規格で大量生産して経済が回る時代はとっくに終わったのに、教育はむしろ後退して、自主性や自律性を子どもたちから奪う方向へ歩みを進めている。
 面白いことに、開成高校や灘高校は校則がとっても緩いらしい。校則で締め付けなくても自分で目標を設定して勉学に励む生徒が多いからだろう。

 20年とたたないうちに、一人当たり国民所得は韓国の後塵を拝しているだろう。北方領土をソ連に、竹島を韓国に取られただけでなく、尖閣列島が中国に奪われる。尖閣の次は琉球が中国に朝貢していたから元々中国のものだと言い出すだろう。太平洋の公海上の水産資源は中国の大型漁船がとりつくしてしまう。
 教育を軽視してはいけない。



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#4429 ワクチン詐欺は起きるか? Dec. 13, 2020 [8.1 政策放談&時事放談]

 オレオレ詐欺なんて小さいものだ。何千倍も儲かる詐欺の種(ネタ)がある。新型コロナワクチンがそうだ。国際的な偽ワクチンの警告が出ている。短いからじっくり読んで、詐欺に引っかからないようにしてもらいたい。とくに、病院やクリニックのみなさん、ご注意ください。通常の仕入れルート以外からは仕入ないようにしましょう。価格が安い時は詐欺だと考えましょう。

ICPOが警告、世界の犯罪組織が新型コロナワクチンを標的に ...

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インターポールは、加盟する世界194の国と地域の警察当局に宛てた警告において、組織犯罪のネットワークが「(ワクチンの)サプライチェーンへの潜入や妨害を計画中」だと記している。その手口としては、偽ワクチンの販売や、偽のウェブサイトや製品をおとりとして無防備な一般市民を標的とする行為などが考えられるという。
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#4428 根室市議会:報酬10万円/月、定員40名にしたらどうなる? Dec, 13, 2020 [8.1 政策放談&時事放談]

 FB上で議論していたら、標記のような意見に遭遇した。こんな意見をおもちの方は元市立根室病院職員です。人柄もだが、意見がとっても面白い。

 根室市議会では60歳過ぎの市議がほとんどを占めている、偏りすぎだろう。高齢化している弊害は、市議の中に学齢期の子どものいる人がほとんどいないことにも起因している。自分の子どもの問題として受け止められないのだ。もう「終わったこと」だから、現在の小中高生の学力がどうであろうと関心が薄いのではないか?
 市議会は年間30日も開かれているだろうか?30日間と仮定すると500万の報酬は仕事に見合っていない。市議会1回につき16万円支払っていることになる。「市議会だより」を見たらいい、日当16万円に見合った質問をしている市議が18人の内に何人いるだろう?
 市庁舎建て替え問題でも氷見市のリフォーム市庁舎を調査・見学に行った市議はいないし、市役所側にもひとりもいない。何やら賞をもらったようで、もらった年に2000名を超える人が全国の自治体から見学に押し寄せた。それを知らなければ職務怠慢、知ってて行かないのも職務怠慢。
 秋田県が全国学力調査でなぜ毎年トップなのかを調査に行った市議もいないし、根室市教委や教育長も同じだろう。釧路では元市議会議長の月田さんが秋田県大館市に調査に行って、ブログにアップしたし、「釧路の教育を考える会」では月田さんの提案で大館市の教育長を招聘して講演会を開催した。秋田県大館市教育長である高橋善之氏の講演内容は弊ブログの「70.秋田県大館市教育長講演会(7)」カテゴリーにまとめてあるので、興味があればクリックしてお読みください。7本アップしてあります。釧路市議会には超党派の基礎学力問題研究議員連盟があり、全国初の基礎学力保障条例をを2012年に制定しています。低学力への危機感が強い、根室市議会と比べてください。釧路市議会ではときどき釧路市教委と火花が出るような議論がなされています。ジャンヌダルクと異名をとる金安潤子市議です。凄い人がいます。子どものミュージカル、キッズロケットの主催者です。その活動は活発だし、レベルも高いのです。釧路市議にはエネルギーの大きな市議が何人もいます。「寺子屋」活動で「地域に飛び出す公務員アウォード2013」に道内からはただ一人の受賞」大越拓也さんもいます。彼は元釧路市立病院職員です。


 根室市議は学力問題でも、新庁舎建て替え問題でも動いた気配がない。政務調査費を有意義に使って市政チェック機能を果たしてもらいたい。

 さて、市議定員を40名にして、報酬を月額10万円にする、市議会は土日に開催することにすれば、サラリーマンのいろんな職種の人が市議となって市政チェックがなされる。市議会は年間何日開催されているだろう?せいぜい30日くらいなもの、60日はないだろうな。5種類くらいある常任委員会も40人がそれぞれ得意分野を選んで参加すれば、活発になる。当分は40人も立候補しないだろうから、市議になりたい人が自分の職業に専念しながら全員市議になれる。
 考えてみたら、悪いところは一つもない。わたしはいままで、根室市の市議定数は12名に減らすべきだと思っていたが、宗旨替えをしたい。K村さんの市議定数倍増提案にもろ手を挙げて賛成である

 国会も閉会中という看板がぶら下がっている期間が長い。いっそのこと、土日開催にしたら如何?年間52週あるので、最大52回国会を開催できる。ボランティアだから報酬は月額10万円、ボーナスはなし。国会議員は政策立案機能が強く求められるので、議員秘書をフルタイムの公務員として3-5人つけてあげたらいい。退職金を毎年100万円積み立て、退職時に一括支給したらいい。30年やったら秘書の退職金は3000万円だから、民間と比べて遜色がないレベルだ。議員秘書の給料支給は国会議員経由ではなくて政府から直接支給でいい。生活の保障は必要だ。

 職業をもって生活の糧を得ている人たちが、土日を潰してボランティアで政治を執り行う。政治屋が世襲で政治をするのよりも、よほどましな政治がなされるのではないだろうか?
 賛成・反対、ご意見があれば、投稿欄へ投げ込んでください。 




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#4427 ネットで内閣支持率の投票をしてみよう Dec. 13, 2020 [5.2 好奇心]

 世論調査で内閣支持率や菅総理の支持率が公表されるが、実感とずれがあるように感じている人は多いのではないか?2000人くらいを無作為抽出してやっているようだが、本当に無作為なのだろうか?
 ネットでリアルタイムで内閣支持率と菅総理大臣支持率を投票できるサイトがあるので、支持・不支持、意見のある人は投票してみたらいい。
 ネットによる投票では支持率は2-4%程度だ、不支持率は96-98%ある。ネット住民の意見はあまりに極端ではないか?

 投票サイトはここです。日単位、週単位、30日単位で集計されています。便利だな。
 暇だったら遊んでみてください。
   今日の内閣支持率 (jra.net)

 ネット住民による投票だから若い人が多いかな?いや年寄りも多いかも、わたしは年寄りの一人。いろんな年齢層が投票していそうだ。


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