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#4432 会食自粛は呼びかけたが、ダメとは言っていない... Dec. 16, 2020 [8. 時事評論]

 14日に菅総理が国民に3密を避け、5人以上の会食は自粛するように呼び掛けた。当のご本人である菅総理がその日の夕方に芸能人を交え、15人で忘年会をしたという。
 西村経済再生担当大臣
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西村康稔経済再生担当相は16日の衆院内閣委員会で「一律に5人以上がだめだと申し上げているわけではない。強制力があるわけでもない」と問題ないとの認識を示した

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 典型的なご飯論法である。小利口な奴は困ったものだ。国民に自粛要請をしているのだから、15人の忘年会なんて言語道断、諫言申し上げると言い切ればいいだけ、なぜ言えぬ。ヘタレ大臣殿。

 ヘタレは一人だけではなかった、加藤官房長官も似たようなことを言っている。
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加藤勝信官房長官は15日の記者会見で、新型コロナが拡大する中、夜の会食を続ける菅義偉首相の対応が適切かどうか聞かれ、問題視しない考えを示した。「首相は必要な注意を払っている。会食目的と感染防止対策のバランスの中で個別に判断することが重要だ」と述べた。
 首相は年末年始の「Go To トラベル」停止を決めた14日夜、経営者ら約15人と会食。その後、自民党の二階俊博幹事長ら5人以上が集まったステーキ店に。
 加藤氏は、5人以上の飲食について「感染リスクが高まる」と注意を促している政府対応との整合性を問われ、「5人以上と一律に決めるものではない」と釈明した。

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 政府の要職にあるものがこの体たらく、二人ともまるで茶坊主か幇間(たいこもち)だ。いい大人が何を血迷っているのか?


 なぜこんなことが起きるのか?それは己の言うことを聞かなけりゃ首を飛ばすと公言してはばからぬ、そして自分の意向に反対するものを次々に排除して来た菅総理の政治姿勢そのものに原因があるのではないか。
 だから、ひたすら受験勉強をして東大へ合格し、キャリア官僚となり、そこを足場に政治家へ華麗に変身した加藤勝信氏も西村康稔氏もひたすらご機嫌をうかがうようなことしか言えない情けない官房長官や大臣になってしまうのだ。トップの政治姿勢がこれら二人の言動と仕事に現れたと言える。
 見回してみたらダメなものをダメと言えぬ安っぽい人材しか菅総理の周りにはいないではないか。異見を言ったら、首にするような傲慢で無能なトップに有能な部下が仕えるはずがない。さっさと見切りをつけて去っていく。部下ばかりではない。企業経営者に一番必要なのは人を使う能力だ。自分にない能力をもった人材を登用して思う存分使いまわす能力である。上司の意向を忖度し仕事がおろそかになるような管理職は下衆の極み。仕事のできる人間は優先順位をつけながら余裕をもって難題をてきぱき片づけていく。
 ブレーンもそうだ、竹中平蔵なんて政府の政策や予算を利用して私腹を肥やすことにしか興味のないものとつるむことになっている。心の在り方が自己中心なところがそっくりだ。大数学者の岡潔先生はこういうのを自我本能の暴走と見なしている。自他弁別本能は動物本能そのもので、意識が非常に低いレベルのある証左である。
 この三人は民間企業でしっかり仕事した経験がないことが共通している。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」なんて言葉を知らんのだろうな。

 前日まで「GoToキャンペーン」を続行すると言い続けて、支持率が十数ポイント下がると慌てて記者会見で中止を発表した。何よりも自分の身が可愛いだけの人だ。一国の総理大臣が自分の利益ばかり考えて行動してどうする?

 こんな総理大臣と官房長官と担当大臣がコロナ対策の旗を振り日本丸の舵取りをしている。大事な時によくこんなに似た者同士が集まったことよ。類は友を呼ぶって本当だな。健全な保守主義を標榜し、憤る自民党国会議員が多数いてもらいたい。

<巷の窮乏ぶりと財政破綻への道をひた走る政府>
 飲食店はやっていけなくて廃業する店が激増しており、店を閉めたら所得はゼロのケースが多いだろう。貯金取り崩してやりくりできる人はまだいい、貯金のない人たちは家を処分したり、路頭に迷う人も出ている。非正規雇用で雇い止めになった人たちも不安のどん底で年の瀬を迎える。それでも総理大臣はボーナス返上を言い出さなかった。国会議員は与野党問わずだれもボーナスカットを言い出さない。一律十万円の給付も国会議員や地方議会議員、公務員はコロナで所得が減ったわけではないから、支給の必要がなかった。困っている人に何度も支給する工夫が必要だ。
 国会議員のボーナスだけを考えても、自我本能の強い人ばかりが政治家になっているのかと唖然とする。せめて国会議員は国民に範を垂れるぐらいの気構えをもって行動してもらいたい。予算を膨らませて必要でないところまでばらまく。そして自分たちの懐に関係のある歳出は削らない。
 国債の新規発行額は100兆円を超えるという。ついに外為特別会計から米国債を6000億円も日銀が買い取ることになった。政府は外為特別会計の米国債を売ることで得たお金で、造幣局にある金を購入する。いずれそれも売却処分され税外収入となる。金売却にはGoToキャンペーン並の巨額の利権が動く。紙幣発行の裏付けの金の保有が義務付けられたのが金本位制だった。日本円は文字通りただの紙切れとなりつつある。米国で連邦準備銀行にある金を政府が売却するような動きを見せたら、大騒ぎになる。そんなことすら平気でやっているのが現在の日本政府だ。大多数の国民がバカで従順だからこんなことが可能になる子どもたちや孫たちのために利口になろう明治以来、先人が営々として貯めてきた国富を切り売りしなければならぬほど、財政がひっ迫しているという事実をよく考えるべきだ
 政府財政は七十数年前の戦時財政と同じで、拡大の一途をたどる。その行きついた先には預金封鎖と新円切り換えがあった。歴史を忘れてはいけない。預金封鎖の前奏曲はマイナンバーカードの普及である。銀行口座とマイナンバーが結びついていたら、預金封鎖の網から零れ落ちる預金はない。すでに紐づけは完了している。株式も不動産もマイナンバーとリンクしていく。電子カルテすらマイナンバーとのリンクが検討され始めている。個人の病歴データや義務教育の学校データすらもマイナンバーとのリンクが計画されている。預金封鎖のへの利用はごく一部の機能だ、そういう範囲を超えて、デジタル監視社会へと日本は向かっている。マイナンバーを入れて検索したら、小学校から大学卒業までの成績データや個人の評価データが画面に表示される。病歴というタブをクリックすると、その人の病歴データが画面に現れる。いつ、どのような病気で受診し、あるいは入院、手術したのか、すべて政府が知りうることになる。いつどこで何を買ったのかも検索可能だ。購入履歴から、思想傾向、趣味、SNSでの人間のつながりなど、あらゆるデジタルデータを分析可能になる。前川元文部事務次官が歌舞伎町のキャバクラへ通っていたのを調べたのもそういうツールを利用してのことだろう。公安出身の杉田というスタッフが官邸にいる。学術会議のメンバー6人をはじいたのも彼の仕事だ。米国から検索システムが供与されているようだ。顔認証システムを利用すれば、いつどこへ行ったかは簡単に調べ上げられる。カードで支払えばそれもそうした情報も供与された検索システムで検索可能になっているのはあたりまえだろう。

 1946年2月17日、突然大蔵大臣から預金封鎖が宣言された。政府財政の破綻を国民の財産で贖ったということ。財務省はいまもより現実的な破綻処理シミュレーションに余念がないのだろうよ。現に1997年に秘密裡にやっていたことがバレている。
公平の名のもとに国民の資産を把握し膨れ上がった国家の債務の解消のために預金封鎖がなされうることを副島隆彦が著書で指摘している[7]。『文藝春秋』2002年12月号にて、1997年(平成9年)に当時の大蔵省内部で預金封鎖の検討が行われた旨の記事が掲載された。『週刊朝日』2020年7月17日号にて、日銀が準備率を20%まで引き上げて準備預金を引き出せないようにしたり、超過準備を民間金融機関から引き出せないようにし、利息をマイナス100%にすることで政府債務を部分的に処理する懸念が掲載された[8]
 預金封鎖がじわじわと現実味を帯びてきている。


<支払いは誰が?>
 ところで、この忘年会は会費制だったのだろうか?検索してみたがどこも報じていない。
 高級焼肉店だそうだが、総理大臣の給料は連日高級レストランで会食できるほど高くはないと思うが。答えるはずがないことをわかっているので、新聞もテレビもだれも訊かない。それでも問わなきゃジャーナリズムの責任をまっとうできないだろう。


【今日のSARS-CoV-2・PCR検査陽性者数】
 全国 2986人 東京都 678人(最大値を更新)

<余談:仁徳天皇 民のかまどの話> 
  為政者かくあるべしという神話が日本書紀に載っている。菅総理は爪の垢でも煎じて飲んだらよろしい。加藤官房長官、西村経済再生担当大臣、なんと器の小さいことよ、卑屈すぎる。子どもたちの教育にとっても悪い。

原文:三月己丑朔己酉、詔曰「自今以後至于三年、悉除課役、以息百姓之苦。」是日始之、黼衣絓履、不弊盡不更爲也、温飯煖羹、不酸鯘不易也、削心約志、以從事乎無爲。是以、宮垣崩而不造、茅茨壞以不葺、風雨入隙而沾衣被、星辰漏壞而露床蓐。是後、風雨順時、五穀豊穰、三稔之間、百姓富寛、頌德既滿、炊烟亦繁。

現代語訳:(即位4年)3月21日。
詔(ミコトノリ)して言いました。
今より以後、3年は全ての課役(エツキ=税・公的な労働のこと)を免除して百姓の苦しみを和らげるのだ
この日より白黒の模様の入った粗い絹糸の衣服を履いて、それがほつれてダメになるまでは新調しませんでした。温かいご飯、汁ものが腐って酸っぱくなるまで替えませんでした。心を削ぎ、控えめにしておごらず、静かに過ごしました。それで宮垣が破れても直さず、茅葺き屋根が乱れても吹き直しませんでした。風や雨がその隙間に入って衣服を濡らしました。星の光が屋根の隙間から漏れて、床を照らしました。

季節が巡り、五穀豊穣(イツツノタナツモノユタカ)になりました。三稔(ミトセ=3年)の間に百姓は豊かになりました。頌德(ホムルコエ=王の徳を讃える声)が満ち、炊烟(イイカシクケブリ=飯を炊く煙)がたくさんと登るようになりました。

 高き屋に のぼりて見れば けむり立つ 民のかまどは にぎはひにけり

<余談:実は15人と8人の会食をハシゴ
 驚いた。GoTo中止の記者会見を、質問を無視してさっさと切り上げたのは、ニューオータニ―でフジテレビ社長、オリンピックわいろ疑惑やコロナ補助金疑惑の電通社長、財界人ら15人との会食に出席するためだった。それを8時26分に切り上げて、今度は銀座の高級焼肉店で、王貞治、杉良太郎、みのもんたら8人との忘年会だったということが判明した。


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badmintonmusume

 またも力作、恐れ入り谷の鬼子母神。
 でもアホはebisu先生の論旨は読めますが、新円切り替えの預金封鎖の影響がさっぱり読めません。すみません。
 戦後の預金封鎖で喜んだのは農家と山林持ちでは。それで母の実家は没落。
 預金封鎖と昔の徳政令との違いが分かりません。多くの人が公平に貧乏になるのでしょうか。
 それなら国民の多数派は貧乏生活者。ひょっとして賢くそれを望んでいるのかも。
 いずれにしろ私はからっけつ。くたばるだけ。あまり影響はありません。コロナに感染したら、念仏を唱えるだけ。
 既に後期高齢者は、楢山節考考。望みはいたみなく苦しまず捨てられたい。映画のように。それだけです。
 南無大師金剛遍照。
by badmintonmusume (2020-12-17 12:16) 

ebisu

koderaさん
戦後の預金封鎖はわたしには細かいところはよくわからないのです。
当時は天皇家の財産が莫大にありましたから、そこへの配慮はが最優先でなされたはずです。
山林などの不動産、国内の優良企業の株式、現金預金など、財産目録が宮内庁には保管されているはずです。
戦時中は宮内庁に5000人の職員がいたそうです。天皇家の資産管理に多くの職員が使われていたのでしょう。三井三菱を合わせたよりももっと大きい。

水田や畑や山林は課税を免れたのでしょう。次がどうなるかは財務官僚の方針次第です。

徳政令と預金封鎖の違いですが、徳政令は借金がなくなる、損をするのは貸し手です。現代なら銀行ということ。
預金封鎖はお上(政府)による銀行預金や郵便貯金の召し上げですから、被害を受けるのは預金をもっている国民です。
企業の預金はどうなるのでしょう。召し上げてしまったら、企業の内部留保が吹っ飛ぶので、株価の下落は計り知れません。
どういう預金封鎖をデザインしているのか知っているのは案を検討している財務官僚だけですね。財務省に預金封鎖課なんて組織はありませんから、内部部局の主計局でしょうかね。
大臣官房に「総合政策課」がありますから、ここは関係していそうです。
主計局の「法規課」も関係ありますね。預金封鎖に当たって法律を用意しないといけませんから。
財産税を課税しなければならないので主税局との調整も必要でしょう。

https://www.mof.go.jp/about_mof/introduction/organization/

銀行が対象になるので、金融庁総合政策局と実務の事前打ち合わせが必要ですね。

預金封鎖についてどんな研究論文があるのか興味が出てきました。
by ebisu (2020-12-17 22:35) 

ebisu

マイナンバーで銀行預金が紐づけされているので、預金情報は個人別に集計可能になっています。
株式はこれもデジタル情報になっているので、とっくの昔にマイナンバーで個人別に集計可能です。
不動産登記がいまはシステムが各地方でバラバラですが、これもシステムの統一が課題になってきています。
つまり、政府が国民各自がどんな種類の財産をいくらもっているかを簡単に把握できるようになっています。
国民各自の財産明細がわかれば、「公平」な財産税課税が可能です。
政府の借金を国民の財産で贖うのが預金封鎖です。

もう少しシステム化が進行すれば、預金封鎖しなくても、課税システムで自動計算して預金や株や不動産へ財産税を課税できるようになりそうです。

ようするに、準備は着々と進んでいると思いましょう。
外貨預金だって、口座を開くのにマイナンバーを要求されたら、財産税の課税からは逃れられません。
by ebisu (2020-12-17 23:06) 

ebisu

政府が発行する国債の半分は日銀が保有していますから、政府の債務と日銀の債権を相殺したら、問題がなくなるなんてことをいうアナリストや財政学者がたまにいるようですが、これは簿記の基本を勉強したことのない阿呆の説です。
そんなことをしたら、日銀に莫大な損失が発生します。債務超過で円への信認が崩れますから、何が起きるかわかりません。国債通貨として機能しなくなるリスクすらあります。
by ebisu (2020-12-17 23:10) 

badmintonmusume

 国債は全てチャラ。昭和40年頃、額面通りで償還されました。100円が百円。紙屑でした。祖母は交換せず大事に孫である私の従弟と渡しました。私は国も国債も信じていません。国債も債権も。
 田畑は耕している人に与えられました。先祖伝来医者だった祖母の家系は田畑を所有していましたがゼロ。長屋は召し上げられなかったので、芋や野菜で家賃を頂いたようです。川越でしたので、芋本位制のようなもの。(笑)一家が食べるのにぎりぎりだったよう。
 金属は全て供出。辛うじて日本刀5本を天井裏にありました。3人の叔父、私たち兄弟の特攻隊の出陣のため。1週間早く終戦になり、川越は焼夷弾が降らず、家は残り、疎開していた母も生き残りました。
 毎晩のように空襲警報。リヤカーで逃げていた、大きなお腹の母はいよいよ逃げるのを諦めたよう。川口、浦和と毎晩焼け、夜中に空が真っ赤に川越から見えたそうです。
 今も天皇家は財産家、株や宝をお持ちだと思います。不動産はそのまま維持されました。多分今回も。でも価値が暴落。
 若い人が体を売り、パンパンが新宿や銀座にごろごろ。成城はMPが済む町。床の間がシャワー室に。庭の五重塔がペンキで塗られた。でも昔のアメリカ兵は優れた人の比率が高かったと叔父たちが言っていました。日本人がアメリカ軍の輸送を担当して奇跡の復活。今はアメリカも危なそう。バイデンではダメでしょう。中国の属国のようなアジアになるかも。世界は香港のように。2000年戻るのかも。
 私は地獄か極楽かです。子供や孫のために祈るだけ。
by badmintonmusume (2020-12-18 04:36) 

ebisu

koderaさん
おはようございます。
国債に関する実話の提供ありがとうございます。

国債はGPIF(年金基金)も所有してますね。
例えばデノミが行われて100円=新円1円という交換比率になれば、国際価格は1/100ですね。1000万円が10万円新円です。
小学生のころ、お袋が裏庭で何か紙の束を燃やしていました。
「何燃やしているの?」
「軍票だよ、兵隊さんのために貯金代わりに買いためていたの」
兄は満州でソ連兵と戦って死に、荒野の木の根元に埋葬されています。残った軍票は払い戻しされずです。択捉の漁場は戻って来ない。何もかも失いました。それでもお袋は命がありました。根室空襲を生き延びた。
戦後はみんな貧乏でしたね。生きることに一生懸命でした。貧乏はそんなに長くは続きません。まじめに働いていれば金持ちではないにしても食べるのに困らない生活がじきに訪れます。昭和30年代はそういう時代でした。

政府財政破綻の予想されるシナリオとその影響について、ブログで整理してみたくなりました。
整理したところで、国民に抗う術はほとんどないでしょうね。
だけど、現在の政府のバラマキが何を引き起こすのかは明らかになるでしょう。
オリンピックに数兆円もつぎ込んだり、GoToキャンペーンで特定の業界と旅行者へ利益供与することが何を引き起こすのかが明らかになれば、国民も少しな目を覚ますかもしれません。
by ebisu (2020-12-18 08:44) 

badmintonmusume

 そうですね。私は昔の岡場所などとコロナ感染流行土地の相関関係があると思い、五木の子守歌、竹田の子守歌の土地も調査。
 それよりはましな生活で日本の没落は止まると思います。私は日本全国の差別地区を勉強。北海道は特に酷かった。昔見学した大鵬の実家も差別されていました。
 開成は20年ほど前、北海道の差別の調査の修学旅行がありました。地区の公園でキャンプして実感したようです。凄い実践教育でした。生徒の投票で決まりました。良い学校です。
 岡場所や童話の情報は溜まりましたが、悲惨すぎ書けません。来年から落語の小話を考えて創造性のブログを復活しようかと思います。笑わないと鬱になります。

 余談ながら、お寺も悲惨でした。舘林の義理の兄の寺は1000年以上の歴史のある真言宗の寺。それでも終戦で寺の田んぼは全て取り上げられそうになり、先代の大黒が役場に行ってお願いし、家族が耕せる田んぼだけ許されたそうです。寺の財産は国の所有なのでしょう。貧乏後家からお布施も頂けなかったそうです。
 当時義理の兄はまだ幼児。耕せる人は3人。僅かな田畑だけお情けでそのまま寺の所有になったそうです。寺の一家で土手のカボチャで食いつないだそうです。
 川や田の鯉や魚、ザリガニ、ドジョウ、亀など何でも捕まえ食べたそうです。お陰で住職は寄生虫に冒され早死にでした。でもカボチャは栄養があるし、栽培が簡単。食いつないだようです。
by badmintonmusume (2020-12-18 17:03) 

ebisu

koderaさん
北海道が差別が激しかったというのは意外なご意見です。
大鵬の実家が差別されていたというのは、わたしには具体的にどういうことかわかりません。白系ロシア人との混血ですから、混血に対する差別は北海道に限らずどこにでもあったのではないかと思います。
オヤジが旭川育ちだったので、スタルヒンと雪合戦した思い出を話してくれたことがあります。突然、町からいなくなったと言ってました。旭川中学でオジキが野球部で一緒だったと聞いています。
関西系の会社で仕事したことがありますが、あの時はびっくりしました。言葉では知っていたのですが、現実に出遭ったのは初めて。部落出身の女性とそうではない男性社員が結婚しました。親戚付き合いがなくなるそうで、いまだにそんなことがあるのに驚きました。
北海道人には差別に無自覚なところがありそうなので、具体的なことを書いていただけたらありがたいのです。
よろしくお願いします。
お寺の田んぼは自分のところで耕せる分だけ認められたというのは、面白い。そういう交渉事、駆け引きが全国でなされたのでしょうね。
官僚がどのような実務設計をするのか、議論はなしでいきなり預金封鎖⇒財産税課税がなされるのでしょう。
 

by ebisu (2020-12-19 18:23) 

badmintonmusume

 大鵬のお母さんは2度再婚したのでは。お母さんも対応もお兄さんと一緒に苦労して、引揚者部落に納谷の姓で住んでいたはず。そこを見学しました。
 小さな大鵬の記念館は川湯温泉の傍にありました。お兄さんが自費で大鵬の記念品を飾っている小さな商店のような家でした。
 すぐ傍に立派な環境庁と文科省協賛の大鵬記念館ができました。大相撲が川湯に巡業した記念に造られた博物館。わざわざ原生林を開拓して作りました。
 大鵬もお兄さんもないがしろにされた箱物行政の結果でした。自然を破壊して箱だけを建てました。私は両方見て、環境省も文科省も話にならないと思いました。
 ここの名前はもともとは相撲記念館でした。それが大鵬が亡くなり大鵬相撲記念館に変わりました。大鵬のお兄さんから展示物などを譲り受け名前が変わりました。もともとはお兄さんの小さな大鵬記念館の所有物でした。管理会社が譲り受けたとされていますが、召し上げたのでしょう。
 大鵬の実家は貧乏長屋の区域でした。何もない寂しい地域。差別されていた労働者が住んでいた町。樺太や4島から逃げてきた人、部落の人なども住んでいたと思います。足湯から歩くと本当に寂しい街並みでした。
 北海道は炭鉱の町。炭坑節にあるように掘って掘って掘りまくり、大金を稼ぐ労働者。だから明日をも知れずお金を使う。その下の層にアイヌの人を定義し不満のガス抜きをしました。
 当然、温泉に湯屋ができ、貧しい娘を女衒が集める。北海道の温泉はその名残の名湯ですよ。昭和37年に私の北海道修学旅行がありました。お風呂は混浴。夜中に仲居さんがお風呂に来て、誘っていた時代でした。開成生がどこの町にテントを張ったかは知りません。 
 湯女は親に売られてきたようなもの。開拓に失敗した侍の子もいました。朝鮮や東南アジアから一発当てようと来た人もいました。
 屯田兵は部落の人を連れてきました。獣を料理する技を持っていたからです。彼らは職人でした。良い仕事をする人を差別するのが間違っているのです。
 もちろん北海道の温泉地だけでなく、どこの温泉地も似たようなものですが、すすき野や小樽もその手の湯屋が並んでいました。お金もちと男性単身労働者が多く、儲ける商人がいました。
 防止法以前は何処の市にも部落がありました。全国ですよ。新宿の歌舞伎町も。全国の新町、栄町、川端町など。
 禁止された後でも、私は湯島で湯女を見たため、街を歩けば湯屋があったかどうか分かります。今でもあります。特別な構えです。温泉には立派なホテルも建ちましたが、伝統的な旅館は多い。もちろん表立ってありませんが、裏は知りません。
 北海道は獣をとり、皮を剥いで商売をしていました。武士の時代、皮が大事だったためですが、男の比率が多かった北海道はその手の商売が繁盛しました。
 私は被差別部落があったと思える町の名前がある市のお土産や名産を買うのが趣味です。今は竹田と五木。奈良と京都は差別が酷かった。共産主義者や有名な政治家がいました。今もかも。
by badmintonmusume (2020-12-20 16:01) 

ebisu

koderaさん
「被差別部落」というのは北海道にはないと思っていました。あれは関西に固有のもの。被差別部落というのは根室や釧路や中標津では聞いたことがありません。
根室や中標津町や標津町や羅臼には引揚者がたくさんいました、そして引揚者が困窮を極めたのは事実ですが、被差別部落ではありません。
根室空襲で約500が亡くなりましたが、家財道具を一切失って、貧乏のどん底から再出発した人がほとんどでした。お袋もその中の一人。
引揚者は戦後しばらくたってから戻ってきたので、そのころは着の身着のままで焼け出された人たちも住む家くらいはなんとかしていました。苦労する時間がズレただけのことです。引揚者に叔父と叔母がいますので、そのあたりのことは少し知っています。叔父は姉であるわたしの母親を頼ってきました。半年ぐらい一緒に生活してます。仕事を見つけて出ていきました。助け合って生き延びました。

温泉は混浴が多いことは事実です。高校生の時に十勝川温泉へ行きましたが混浴でしたね。たのしかった。若くて巨乳の女性が何も隠さずに入ってました。(笑)
売春防止法が昭和31年ですから、そのころまでは全国のどの町にも売春街はありました。地名に残っています。根室では花園町という町名に名残があります。
昭和30年代半ばまで、近所の飲み屋さんでそういう商売をしていたお店を一つ知っています。若い女性が数人いて客を取っていました。昭和30年代後半にはなくなりました。
そういうわけで、関西の被差別部落と比肩できるような差別部落は北海道にはないと思います。
吉原のような花街を被差別部落といういい方も聞いたことがありません。
アイヌだけは差別がありました。これは向き合わないといけません。
北海道には「部落」という言い方自体がありません。アイヌ問題と被差別部落の問題は別というのが通説のようです。
中学校社会 公民/被差別部落とアイヌ問題 - Wikibooks
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%85%AC%E6%B0%91/%E8%A2%AB%E5%B7%AE%E5%88%A5%E9%83%A8%E8%90%BD%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E5%95%8F%E9%A1%8C
by ebisu (2020-12-20 17:56) 

ebisu

ああ、少し事情が分かってきました。
koderaさんは東京生まれ、東京育ちですから、部落差別=同和問題をご存じないのではないでしょうか。いや、シャープで奈良勤務があったから、ご存じだ。
わたしは関西系の会社で働くまでは知りませんでした。社会科の教科書や歴史関係の本で知っていただけです。まるで実感がありませんでした。
先ほども書いたようにアイヌ差別と部落問題はまったく別です。
色街と部落もまったく別物です。
吉原のような花街は一般的には部落とは言いません。
吉原はいまでもそういう色町の名残があります。風俗店が乱立してます。すすき野も、川崎にも...全国至る所にあります。業態が多様化していますね。
30年ほど前ですが、新宿にある高級バーでそういうところがありました。同僚がよく知っているお店で、お店のママに頼むと、アルバムをもってきてくれます。そこから選びます。若くて美人でスタイルのいい娘が揃っていました。みなさん日本語のしゃべれる中国人でした。雰囲気のいいお店でした。
業態は多様化しています、デリヘルだってありますから。
by ebisu (2020-12-20 18:24) 

badmintonmusume

 江戸時代から北海道全体が差別の土地。屯田兵は家臣団の下にその生業の人を連れて行きました。さらにひどい差別をされたのはアイヌの人たち。
 アイヌの人がいても、部落がなかったと民主主義を語る人はそうしたい。温泉にはその商売がありました。とても酷い生涯です。
 差別のひどさは土地土地で違いました。大名が没落し、近代化し、かえって差別が酷くなりました。北海道になかったと言うのは迷信です。落ちぶれた武士団が頑張って北海道を開拓したのだから。武士団にはその手の女性だけでなく、言うことを聞く労働力が必要です。
 新宿は確か8軒の飯盛り宿があったはず。その親分衆がお酉さまを主宰していました。今は知りません。差別は法律で禁止され、言葉がつかえなくなりました。
 でも全国の部落の詳細の本がどこの会社にもあったはず。興信所に頼むと個人名まで確認できました。町全体ではなく、丁目や個人名で分かりました。私も仕事で使いました。今もどこかにあると思います。
 立派な風俗店に勤めるのではなく、人身売買、年季奉公。でも年季は明けません。借金は増えて行く。吉原は上流です。
 ebisu先生の話はパンパン以降の話だと私は思います。
by badmintonmusume (2020-12-20 19:01) 

badmintonmusume

 娘を売らないと生きて行けない人はたくさんいた。ですから五木や竹田を調べて下さい。今もダム問題で揉めている。
 皮を扱う、殺生をするのは江戸時代禁忌。犬公方は殺生が嫌いな人でした。でも誰かが鹿狩りやイノシシ狩りをしなければいけなかった。それをしてくれたのが差別されていた人。だから徳川幕府は大事に扱っていました。
 でも文明開化で商売があがったりになり、農民の差別意識が助長した。食べて行けず娘を売った。ジジババを粗末にした。今の日本と同じ。私も同じ。笑えます。
by badmintonmusume (2020-12-20 19:16) 

ebisu

竹田の子守歌、耳に残っています。
http://www.beats21.com/ar/A04021902.html

koderaさんが指摘したように、わたしの話は戦後のことです。
大鵬の話も引揚者に含まれるので戦後の話ですね。引揚者が集落をなして住み差別されていたという事実はないと思います。戦後はみんな貧乏でした。身近に何人も引揚者がいますので、実態を少しは知っているつもりです。

明治政府の鳥取藩不平士族対策で根室県令の厚意で、釧路の鳥取町に入植したご先祖は、丸太小屋とクワ2丁のみ。水田指導に本州からお役人が来ましたが、2年続けて一粒もとれず。いまだって無理です。家財道具を売り払いながら飢えを凌ぎました。鳥取神社に残っている資料を見ましたが被差別部落の人たちを連れてきた形跡はありません。支給された家が狭くて住めるわけもありません。
内陸部の方へ屯田兵で入植した士族には被差別部落民を伴なうというような例があったのかもしれません。だから、ひとくくりにはできないように感じます。

江戸時代や明治のころにアイヌ差別がひどかったのは事実です。男手をとられて、人口が激減して、絶滅しかかってます。
根室のトツカマップでも反抗したアイヌが十数人集団で処刑されています。戦後生まれのわたしは、小学校でアイヌを見たことはありません。釧路管内にはアイヌの集落があるので、この点については根室が例外なのかもしれません。
売春防止法までは人身売買があったことは日本中人のいるところはどこでもあった話でそれも事実です。

by ebisu (2020-12-21 01:00) 

badmintonmusume

 天下の大横綱の住宅はまるで震災の被災者の住宅でした。立ち並んでいました。お兄さん一家はその通りでお店をやっていました。
 方や物凄い立派な相撲博物館が国費でできたのに。大鵬の家は支援されていなかった。彼が合いの子だから。差別。その周囲は色々な貧乏な人が住んでいた。炭鉱の労働者の成れの果てなど。お近くだから見に行ってください。今も少しは残っているのでは。
 なお、日本中、市場の傍に殺生をする人がいました。小さな市場でも。皮や肉が生活に必要だから。北海道開拓は函館から始まったはず。函館札幌帯広と農業と畜産業のお陰で潤い、釧路や根室に至ったと私は考えています。アイヌを虐殺して。開成はその部落の公園でキャンプした。
 いつの時代も日本人は差別が好き。差別と個性尊重の差が分からない人種になりました。今教育改革で個性を伸ばす教育を35人学級で始めます。ますます先生間の虐めやハラスメントが増えます。
 35人学級化で先生が増え、精神的に病む先生が増えるでしょう。おかしな先生は異常の子供を育てます。
 マスゴミや父兄は教育改革に賛同していますが、ますますシステムが無くなる教育になります。
 遊ばせて、子供の好きなようにさせなければ、個性化はできません。勉強したい子はすればよい。でもゲームの比率は減らさないと目と頭が変になるでしょう。eスポーツもしかり、戦争の道具にしかなりません。
by badmintonmusume (2020-12-21 04:33) 

ebisu

おはようございます。
まず名横綱大鵬さんの実家、納谷家の方から。
根室も昭和35年くらいまでは貧困地区が数か所ありました。町中にあったわたしが生まれ育った近所にも。
小学生のころのことですが、入り口の庇を廃材で伸ばして、筵がかかっていました。1mほど奥に引き戸があり、入ると土間の炊事場、その奥に四畳半くらいの畳の部屋だけ。四人の親子が住んでいました。そういう家が十数軒ありましたが、昭和35年くらいになくなりました。
根室は水産資源が豊かな町でした。だから働き口がありました。船に乗って漁師になればサラリーマン以上に稼げた時代が戦後25年は続いた。だから、復興が速かったのでしょう。貧困地域は他にもありました。2000人の生徒がいたマンモス小学校でしたが、子どもたちの間で、差別があったという事実はありません。おおらかでしたね。
納谷家は弟子屈、事情が違ったのだと思います。場所のよいところは古くからの人たちが住んでいるから、後から来た人たちは不便なところに住まわざるを得ません。そしてて弟子屈は山の中ですから、経済発展が著しく遅れたのでしょう。貧困地域は貧困のまま経済発展から取り残された。それだけのことです。
白系ロシアだったから、差別されたことはあったでしょうね。小学生のころ「あいのこ」ということばはありましたが、現実に周りにはいません。だから、言葉を知っているだけです。差別の対象がないのですから、差別意識は生まれません。
アイヌも同様です。
根室にアイヌが11人処刑された石碑が残っています。和人71人が殺されたので、犯人のアイヌ11人を処刑したことが刻まれています。碑文に1812年に作られたとあります。
根室にはアイヌがいませんでした。だからアイヌ差別もない。絶滅(=和人が殺)したか、経済的に窮乏して消えた、あるいは世代を重ねることで同化してしまったのでしょう。北海道の和人の一部にアイヌの遺伝子が受け継がれている。
つぎに、屠畜に関わる職業人への差別ですが、和人が本州から多数乗り込んできたときには色濃くあったでしょう。
関西系の被差別部落への差別意識をもった人は移住者の中では少数派ではなかったのかという気がします。気候が違いすぎて来れない。日本海側の豪雪地帯からの移住者が多かった。人の移動は船でしたから、航路を見たらわかります。漁師の移住が当初は多かった。その人たちに部落民への差別意識はほとんどありません。
もうひとつ、大事なことがあります。北海どの自然がとても厳しいことです。大自然を前にしたら人間なんてちっぽけなものです。自然と調和して生きなければ生き延びられません。
鳥取県が島根県に吸収され、鳥取県庁がなくなり、食い詰めた士族に明治政府への反乱の兆候が出始めると、明治政府は士族の釧路への移住を奨励しました。
クワ2丁と粗末な丸太小屋が支給されました。50名ほどの士族が移住しました。父方のばあさんの家の名前が釧路の鳥取神社の石碑に刻まれています。よく生き延びたと思います。稲作が奨励され、技術指導員が派遣されてきました。それまで畑仕事なんてしたことがない。気候が合わないので2年続けて一粒もコメが取れませんでした。いまだって無理です。鳥取神社の史料をみましたが被差別部落民を連れてきたなんて事実はありません。
屯田兵で移住してきた人たちの中にはそういう例があったのかもしれません。しかしそれを北海道全域に拡大して考えるのは無理があります。地域によって事情が違っています。
屠場については釧路と十勝にあります。そこで働く人たちが職業で差別されたなんて話も、聞いたことがありません。
東京で関西系の人とお付き合いがあって、被差別部落のことを知りました。驚きました。結婚したら、付き合いが一切なくなる、いまでもそうだというのです。千年間もそうしてきたのですから、そこに住む人たちの潜在意識に刻まれています。北海道人にそれはありません。歴史が短いからです。能天気かもしれませんね。ここまで書いて気がついたことがあります。
by ebisu (2020-12-21 10:04) 

ebisu

郷土愛について少し書いておきます。
生まれ育ったところに、自然に愛着が育ってしまうのはあたりまえです。
お袋が生まれ育った択捉にはロシア人がもう2世代住んでいます。かれらにも生まれ育った択捉島に郷土愛が育っているのでしょう。
アイヌと和人の関係に置き換えが可能ですね。

東北のアイヌを和人の政権の下に組み込んだのは平安時代です。東北でアイヌ差別を言う人はいないでしょう。とっくに絶滅しています。同化して消えてしまった。マカオの日本人町と同じです。いまでは一人も日本人が住んでいません。数百人いた日本人の血は同化して融け込み、消滅しました。遺伝子レベルで見たら、したたかに生き残っています。
いつの日にか日本人とロシア人の血が混ざり区別がなくなってしまう日が来るのかもしれませんね。区別がなくなれば差別も自然消滅します。経済格差による差別は経済格差がなくならない限りあるのでしょう。経済格差は永遠になくなりませんが、小さくできます。
それは職人仕事をベースにした、公理に措定したと言い換えられますが、経済学と経済社会をつくればいい。ははは、我田引水ですね。

「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」

by ebisu (2020-12-21 10:19) 

badmintonmusume

 私の願望と同じ。でも五木は平安時代からまだつながっている。差別は現に生きている。差別が人は好きなのです。目を見たら差別論者か私は分かるようになりました。
 五木の勧進、勧進とはヒニンと言う意味ですよ。子守は島原に行くことになりました。親はまた町で出稼ぎでした。差別したおかげで、今年に下流の村が大災害でした。因果は巡る。
 天国と地獄の映画も、楢山節考の映画もヒニンの生活が描かれていた。だから能楽のような画像が臨場感のある映画になりました。
 東北地方の川岸の村は毎年洪水で人が死んできました。今もある。多摩地方の村もいまも悲惨。人が死んで村が全滅し、高台に移ってもまだ人の心に差別があります。中国の事は言えません。
 職人の仕事は勧進達の得意とするところ。職人経済が立ち上がることは私の願望でもありますが、もう一度酷い敗戦か経済破たんでもない限りダメでしょう。上の人以上に下の人が劣化した。から、職人はテレビのニュースの中だけです。
 コロナは怖くありませんが、生きて行く自信は無くなりました。先生は楽観的、私は悲観的。さてその中庸はどこなのか墓場から眺めます。私はアメリカと中国にはって。
by badmintonmusume (2020-12-21 16:39) 

ebisu

五木の子守歌はそういう意味だったのか。
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おどま盆ぎり 盆ぎり
盆から先ゃ おらんど
盆が早よ来りゃ 早よもどる

おどまかんじん かんじん
あん人達ゃ よか衆
よかしゃよか帯 よか着物

おどんが打死だちゅて
誰が泣てくりゅきゃ
裏の松山 蝉が鳴く

おどんが打死だば
道端ゃいけろ
通る人ごち 花あぎゅう

花はなんの花 つんつんつばき
水は天から もらい水
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by ebisu (2020-12-21 16:54) 

ebisu

おどま盆ぎり盆ぎり
盆から先きゃおらんと
盆が早よくりゃ早よもどる

おどま勧進勧進(かんじん かんじん)
あん人たちゃよか衆
よか衆ゃよか帯よか着物

<歌詞の意味>
私は盆まで
盆から先はいないよ
盆が早く来るなら
すぐにでも帰るのに

私は貧しい
あの人達は裕福
良い帯に立派な着物

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/minyo/itsuki-komoriuta.htm

小さいころに何度も何度も聞いた歌、どういう思いで歌ってくれたのか、よくわかります。
by ebisu (2020-12-21 17:00) 

ebisu

koderaさん

ブログの投稿欄でお付き合いが始まって、根室まで会いに来てくださって、中学生にバドミントンのトレーニングの仕方を教えてくださいました。
そしてさまざまなテーマで投稿欄で対話を重ねて、鈍い私には貴兄が少しわかり始めてきました。北海道の差別問題については意見が異なる部分がありますが、それを超えて感じる部分がありました。
貴兄は人の情けがよくわかる人、今回の差別や部落問題をテーマとした対話で、それがよくわかりました。
五木の子守歌はこころに沁みました。
どうもありがとう。
by ebisu (2020-12-22 08:29) 

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