#5113 公理を変えて『資本論』を演繹体系として書き直すことは可能か? Nov. 13,2023 [A2. マルクスと数学]
高校2年生の時から数えると58年間『資本論』研究に断続的に費やしてきたことになります。大学に残って研究を続けてもマルクスを超えることはおそらくできない、民間企業で仕事してマルクスの労働観が正しいかどうかも確かめたかったのです。
小学生になる前から、家業のビリヤード場が遊び場で、中高と6年間は毎日店番を数時間していたので、さまざまな職種の常連客とコミュニケーションに恵まれました。歯科医の先生3人、青年実業家、タクシー会社の社長、ヤクザの親分、大工さん、印刷会社の熟練工、お菓子の商店主、喫茶店のマスター、ラーメン屋さん、漁業関係者、公務員、銀行員、信金職員、魚屋さん、肉屋さん、高校の先生、男子一生の仕事と言っていた珠算塾の先生、家具職人、...、さまざまな職種の常連客がいました。
そこからみてもどうもマルクスの労働観(労働は苦役である)は日本人の仕事観とは違っている感じがしていたのです。その違和感の正体を突き止めるために、業種の異なる民間企業5社を選んで仕事して、じっくり日本の企業をマネジメントの視点から観察しました。仕事が面白くてドツボにはまってしまい28年があっという間に過ぎましたが、そのうち3社は株式上場を果たしています。その経験を通していくつか分かったことがあります。
マルクスに欠けていたのは労働とマネジメントの経験智でした。大英図書館と頭の中で考えていただけで、21世紀の今から見るとまるで専門家の「資本家的生産様式」の分析とは思えないような内容です。晩年にマルクスは『資本論第1巻』の体系構成方法の誤りに気がついてしまったのです。その結果、『資本論第1巻』を出版してから死ぬまでの17年間、続巻を出せずに沈黙したまま亡くなりました。
マルクスには複式簿記の知識がありませんでした。資本主義経済の企業では複式簿記と株式会社制度は会計帳簿の記帳法と企業形態のスタンダードですが、複式簿記の専門知識がないことも致命的でした、理由は後で(稿を改め)詳しく書きますが、そのせいで生産過程で商品の価値が決まると思い込んでしまいました。商品の価値が決まるのは市場です、生産過程で決まるのは製造コストにすぎないのです。複式簿記の知識と原価計算論の知識や経験があれば間違えるはずのないことです。
1867年という『資本論第一巻』初版出版年を考えると、経済学者に複式簿記理論の知識や実務経験のないことも、株式会社でマネジメントの仕事をした経験のないことも、学問の体系構成法に関する数学の知識のないことも、数学が不得意なマルクスには仕方のないことだったのでしょう。
世界初の株式会社は17世紀「オランダ東インド会社(Dutch East India Company)です。
小学生になる前から、家業のビリヤード場が遊び場で、中高と6年間は毎日店番を数時間していたので、さまざまな職種の常連客とコミュニケーションに恵まれました。歯科医の先生3人、青年実業家、タクシー会社の社長、ヤクザの親分、大工さん、印刷会社の熟練工、お菓子の商店主、喫茶店のマスター、ラーメン屋さん、漁業関係者、公務員、銀行員、信金職員、魚屋さん、肉屋さん、高校の先生、男子一生の仕事と言っていた珠算塾の先生、家具職人、...、さまざまな職種の常連客がいました。
そこからみてもどうもマルクスの労働観(労働は苦役である)は日本人の仕事観とは違っている感じがしていたのです。その違和感の正体を突き止めるために、業種の異なる民間企業5社を選んで仕事して、じっくり日本の企業をマネジメントの視点から観察しました。仕事が面白くてドツボにはまってしまい28年があっという間に過ぎましたが、そのうち3社は株式上場を果たしています。その経験を通していくつか分かったことがあります。
マルクスに欠けていたのは労働とマネジメントの経験智でした。大英図書館と頭の中で考えていただけで、21世紀の今から見るとまるで専門家の「資本家的生産様式」の分析とは思えないような内容です。晩年にマルクスは『資本論第1巻』の体系構成方法の誤りに気がついてしまったのです。その結果、『資本論第1巻』を出版してから死ぬまでの17年間、続巻を出せずに沈黙したまま亡くなりました。
マルクスには複式簿記の知識がありませんでした。資本主義経済の企業では複式簿記と株式会社制度は会計帳簿の記帳法と企業形態のスタンダードですが、複式簿記の専門知識がないことも致命的でした、理由は後で(稿を改め)詳しく書きますが、そのせいで生産過程で商品の価値が決まると思い込んでしまいました。商品の価値が決まるのは市場です、生産過程で決まるのは製造コストにすぎないのです。複式簿記の知識と原価計算論の知識や経験があれば間違えるはずのないことです。
1867年という『資本論第一巻』初版出版年を考えると、経済学者に複式簿記理論の知識や実務経験のないことも、株式会社でマネジメントの仕事をした経験のないことも、学問の体系構成法に関する数学の知識のないことも、数学が不得意なマルクスには仕方のないことだったのでしょう。
世界初の株式会社は17世紀「オランダ東インド会社(Dutch East India Company)です。
日本初の株式会社は『資本論第一巻初版』が出版された2年後、1869年の丸善でした。英国だって株式会社形態はまだ黎明期でした。個人経営や共同出資経営が支配的な企業形態だったからこそ、「資本家対労働者」という2項対立構図があたりまえだったのです。所有と経営が分離するのは株式会社形態が普及してからのことで、1910年以降のことです。だから資本論の失敗の半分以上は、時代のせいであり、マルクスの責任ではないとわたしは思います。早すぎたのです。
21世紀のわたしたちには、発展段階の異なる資本主義を見ています。そして努力次第でマルクスが手にできなかった複式簿記という武器を容易に手に入れられます。しかし、いまでも経済学者で複式簿記理論を熟知している人は殆どいないのが実態でしょう。だから、マルクスがどこで何を間違えたのかが理解できないでいます。とはいえ、ユークリッド『原論』とデカルト『方法序説』「科学の方法四つの規則」を読まなかったのはマルクスの責任に帰していい。流行だったヘーゲル弁証法かぶれも同じです。視野狭窄に陥っていました。
ところで、わたしのテーマは二つに分かれています。資本主義経済の分析と新しい経済社会のデザインです。公理を変えて資本主義経済を演繹的に記述するのはマルクスと同じ程度の分量の原稿を書かなければならないと漠然と思っていました。もうそんなことをしている時間的余裕はないので、新しい経済社会のデザインについて研究方向を絞ろうとしていました。
昨日から、脳を分散モードにして、A4のコピー用紙に資本主義経済の分析をメモしながら、公理を変えて演繹的に記述がどの程度の手間でできるのか整理していました。今朝になって、あらかた整理がついたので、これから作業に入るつもりです。
どうやら『資本論』全3巻の分量の1/10以下で、コンパクトに記述できそうです。資本主義経済分析の演繹的な記述はあたらしい経済社会デザインにつながります。
研究ノートとして書き溜めたら、整理して体系的な叙述をしてみたいと思います。研究ノートが書き終われば、そういう作業が必要かどうかがわかるでしょう。
<余談:株式会社制度に言及した最初の経済学者>
A. Smithは『諸国民の富』(1776年)の中で、合資会社の間接有限責任社員に言及しているようです。現在の会社法の株式会社に近いものと言えそう。
--------------------------------------------
●リスクの大きい直接無限社員ではなく、過度のリスクを背負わず、資産を増やせる可能性のある合資会社の間接有限責任社員になりたい人が多い
●そのような投資家が多数いるため、最終的に多額の資本を調達できること
--------------------------------------------
『諸国民の富』で該当箇所を探してみましたが、見つけられませんでした。
*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び Oct. 13, 2016
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ところで、わたしのテーマは二つに分かれています。資本主義経済の分析と新しい経済社会のデザインです。公理を変えて資本主義経済を演繹的に記述するのはマルクスと同じ程度の分量の原稿を書かなければならないと漠然と思っていました。もうそんなことをしている時間的余裕はないので、新しい経済社会のデザインについて研究方向を絞ろうとしていました。
昨日から、脳を分散モードにして、A4のコピー用紙に資本主義経済の分析をメモしながら、公理を変えて演繹的に記述がどの程度の手間でできるのか整理していました。今朝になって、あらかた整理がついたので、これから作業に入るつもりです。
どうやら『資本論』全3巻の分量の1/10以下で、コンパクトに記述できそうです。資本主義経済分析の演繹的な記述はあたらしい経済社会デザインにつながります。
研究ノートとして書き溜めたら、整理して体系的な叙述をしてみたいと思います。研究ノートが書き終われば、そういう作業が必要かどうかがわかるでしょう。
#5088『資本論』の論理と背理法:労働価値説の破綻を証明 Oct. 17, 2023
<余談:株式会社制度に言及した最初の経済学者>
A. Smithは『諸国民の富』(1776年)の中で、合資会社の間接有限責任社員に言及しているようです。現在の会社法の株式会社に近いものと言えそう。
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●リスクの大きい直接無限社員ではなく、過度のリスクを背負わず、資産を増やせる可能性のある合資会社の間接有限責任社員になりたい人が多い
●そのような投資家が多数いるため、最終的に多額の資本を調達できること
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『諸国民の富』で該当箇所を探してみましたが、見つけられませんでした。
#5117 公理を変えて資本論を演繹体系として書き直す① Nov. 18, 2023
#5124 資本論の論理構造とヘーゲル弁証法 Dec. 5, 2023
#5125 公理を変えて資本論を書き直す③ Dec. 8, 2023
#5127 公理を変えて資本論を書き直す④:生産性とマネジメント
#5128 公理を変えて資本論を書き直す⑤:生産性シミュレーション Dec. 11, 2023
*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び Oct. 13, 2016
#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016
#3439 フェルマーの最終定理と経済学(3):整理作業-1 Oct. 19, 2016
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2023-11-13 08:40
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コメント(32)
それにしても島根大学元客員教授の久保田邦親氏の材料物理数学再武装による関数接合論がきっかけでバックオフィスの連中のKPIブームがDXブームに負けず劣らず加速しているな。KPI競合モデルとも。これでストライベック、国富論、人工知能(AI)まで説明してしまうんだから。すごいタコツボ組織の破壊力だ。
by 軸受財務のプロ (2023-11-13 15:46)
軸受財務のプロさん
ネーミングが面白い。軸受けと財務のプロは接合しないように感じます。何か含意がありそうですね。
ストライベックと国富論をひとくくりにするのは意味が解りません。愚生にわかるように、もうすこし敷衍していただけたらありがたい。
by ebisu (2023-11-13 17:42)
名門の輝きといいたいのでは。
by グリーン経済 (2023-11-19 21:51)
グリーン経済さん
軸受財務のプロさんの投稿を、そういう風に理解したのですか。
わたしには異分野の用語を羅列しただけに見えています。
そうでなければ、日本語として意味をなすような説明をしてくれるでしょう。
by ebisu (2023-11-19 23:36)
でも少なくともストライベックと国富論という両者の言葉の意味をよく知り、その組み合わせにこだわる姿勢は素晴らしい知性を感じてしまいます。
by グリーン経済 (2023-11-20 21:08)
グリーン経済さん
ストライベックと国富論、この二つの言葉の間にどのようなつながりがあるのでしょう?
あなたの理解するところを教えていただけたら幸甚です。
by ebisu (2023-11-20 21:49)
これはAIというアルゴリズムが社会の通念を変革しつつある兆候なのではと思われます。
by 通りすがり (2023-11-21 08:16)
通りすがりさんへ
AIというアルゴリズムが社会通念を変革しつつあるというのはわかります。
AIとは汎用型のものを指しているとすれば、最近流行りの「AI」は文書作成支援エキスパートシステムという位置づけになるのでしょう。
それですら、いくつかの職業を脅かす存在になりつつありますし、それを上手に使えるか否かで、文書作成効率や漏れがないかのチェックなどに有効に使えると思います。
1970年代後半から、エレクトロニクス業界で仕事してましたが、コンピュータの高性能化と通信速度の高速化のどちらもけた外れになりました。「社会通念」を変えてきたのは事実です。それがさまざまなエキスパートシステムが開発されていいずれ万能・汎用タイプのAIが実現するのかもしれません。
そうした議論は今や常識なのでしょう。
それで、ストライベックのベアリング(軸受け)に関する理論と国富論がどのように関連をもって説明がなされるのかが日本語としては、わたしには理解不能と申し上げています。
KPIについては知らなかったのでネットで調べましたが、中身は陳腐です。
デジタルトランスフォーメーションは1980年代半ばから先進的な企業で取り組まれてきたものです。それが中小企業にまで広がったのが現状でしょう。
過去40年間一貫した流れにわたしには見えます。
理解できないのは、ストライベック理論と国富論の関連です。それについて取り上げた学術論文でもあるなら、つながりそうもないからこそ面白そう、ですから読みます。
ご存じの方は投稿をお願いします。
by ebisu (2023-11-21 13:33)
まあ私の理解だと、ヘーゲル哲学の止揚(アウフヘーベン)の真の定式化をしたというのが久保田博士だとの認識がありますが。
by 象が転んだ (2023-11-23 22:45)
言葉を弄ぶのがお好きなようですね。
同じ方がハンドルネームを変えて投稿しているのでしょうか?
by ebisu (2023-11-23 23:03)
よくみると、「グリーン経済」さんというハンドルの方だけが同じネームで2度投稿されています。これだけが別人の可能性があります。
それ以外のハンドルの方は、同一人物かもしれません。
どうでもいいことです。
問題は中身なのですから。わたしは、いくつか提示された罐詰のラベルを眺めている気がしています。
ところが罐の中身が一向に見えてこないのです。ひょっとして空き缶なのではという気すらしてきます。
好奇心から、以下の投稿文をまな板に載せたいと思います。
「まあ私の理解だと、ヘーゲル哲学の止揚(アウフヘーベン)の真の定式化をしたというのが久保田博士だとの認識」
精神現象学なのか、論理学なのか、どちらを想定されているのかこの文章からは判別できませんがヘーゲル論理学の定式化は、ヘーゲルの著作やヘーゲル研究者の著作を読まずとも、議論できるでしょう。
便利ですね、wikiには次のように書かれています。
-------------------------------
ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた統合されて保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。なおカトリックではaufhebenは上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)だけの意。
-------------------------------
aufは「上へ」hebenは「持ち揚げる」、それを哲学者は「止揚」や「揚棄」という用語を当てました。1960年代後半の学生運動盛んなりしころに流行った言葉でした。簡単なことを難しく議論するというのが当時の傾向でもありました。
引用した一般に流布しているこの弁証法の定式化に、あなたが思いついた「真の定式化」を対置してください。そうすれば、このブログを読んでくれている読者のみなさんにも理解できるような具体的な対話が拓けます。
弁証法と言えば、ソクラテスがその端緒ですが、ヘーゲルとは意味合いが違っています。弁論術あるいは対話術とでもいうべきものがソクラテスの弁証法でした。3度質問を重ねたら、アテネの学者たちは黙らざるを得なくなります。学者は言う及ばすアテネ市民にも嫌われました。
そのあたりを上手に解説した本があります。
遠藤利國著『百%の真善美―ソクラテス裁判をめぐって』2013年刊
遠藤さんは早稲田大学大学院時代は樫山ゼミでした。そのときの授業で採りあげられたヘーゲル研究の著作は、市倉宏祐訳、イポリット著『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』です。
学部の午後のゼミのときに、眠い顔をされているので、どうしたのかと尋ねると、「イポリットの翻訳をしていて、気がついたら朝になっていた」、なんておっしゃっていました。1972年の秋頃だったかな。
ゼミではマルクス『資本論』全巻と『経済学批判要綱』1~3までだったかな、テクストに取り上げていました。
先生とヘーゲル精神現象学について議論したことは一度もありませんでした。
でも、ヘーゲル論理学については、十代の終わりのころの数年間10冊ぐらいは読んでいますので、ハンドルネームを変えながら投稿してくれている方が、ヘーゲル研究者なら、対話のお相手が務まるかもしれません。
日本ではヘーゲル研究者は多くありません。どの先生に師事したのか、どういう本を読んだのかがわかれば、議論の方向が見えてきます。
どうぞ、罐詰の蓋を開けて、中身を見せていただけませんか?このブログの管理人からのお願いです。
by ebisu (2023-11-24 08:40)
世界が注目しそうな話ですね。わたしにもわかりません。
by 象が転んだ (2023-11-30 05:08)
Facebookでの経営戦略の話ですね。実に興味深い。
by モビリティパーツ関係 (2023-12-09 15:19)
まあそれにしてもトライボビジネス関係のCCSCモデルのほうが反響は大きいと思いますが。
by ジャーナル軸受 (2023-12-09 21:28)
https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/prmagazine/pwcs-view/202201/36-04.html
このサイトに「図表3」というのが載っています。
SRL創業社長の藤田さん、嗅覚の鋭い慧眼の人でした。
当時は製薬メーカー富士レビオの創業社長でしたが、臨床病理学会長の河合先生の意見を取り入れて、特殊検査市場を切り拓きました。
このマトリックス(図表3)に従えば、「相対的技術力」も「市場性」も高い分野でした。
そこへ、有資格の臨床検査技師を集めて、性能の良い検査機器を揃え、ルーチン部門の社員にさえ、新規検査の研究開発の機会を与えました。申請すれば必要な機器や検査試薬を買ってもらえました。
なぜそんなことができたのでしょう?
特殊検査市場は一般臨床検査会社の創業社長には手が出せない分野だったからです。
ラボは有資格の臨床検査技師と薬剤師などがほとんどでした。それと特殊検査に使う機器は電子顕微鏡、ガスマス、ラマン分光光度計、液体シンチレーションカウンターなど、ツァイスの蛍光顕微鏡など高額なものが多いのです。
検査の質を高めるためには電子天秤だってラボ内で標準化すべきでした。人の異動の時にさまざまな電子天秤があったら、その都度マニュアルを読まなくてはいけません。だからメトラー製の世界最高レベルのもので揃えました。
そのため、ずっと競合する企業がなく高収益企業でした。
当然社員の平均年収も圧倒的に他の検査センターよりも群を抜いて高い。
創業社長の藤田さんの個人資産が大きかったから、特殊検査分野を開拓できたのです。
帝人の臨床検査子会社を吸収合併しましたが、帝人の臨床検査子会社とSRLは創業時期はそんなに差がないのです。でも、吸収するときの売上の差は1:20くらいありました。
帝人本社エリートは一ツ橋閥で固められています。子会社社長にはそこから部長職を出向させていましたが、一橋大ですから臨床検査のこともマネジメントもわからないのです。臨床検査のことをサラサラと学べる、しっかりした理系のサポート役が必要でした。
スタートアップしてから30年間のマネジメントスキルの差が出てます。藤田さん、欲のない人で自社株は10%くらいしか保有していませんでした。
1984年にラボの新規システム導入で大きなトラブルがあり、本社からも応援に人を数か月間出しました。
そのあおりで本社は残業が増えたのです。
そんなときには、ビル30階にある高級寿司店から大きな盆が二つ届くことが数回ありました。
オーナー社長ですから、全部ポケットマネーです。そういうことでは会社のお金を使わない人でした。
だから、藤田さんを慕う社員が多かった。
入社したのは1984年2月1日でしたが、その前の12月のボーナスは、職場代表者会議(労組)が4.5か月要求を出したら、藤田さん5か月の回答出してます。(笑)
新入社員のお父さんが「俺よりボーナス多い」と言ったそうです。
当時は、ボーナス年間9か月、チャレンジして失敗しても、一切お咎めなし、ルーチン検査担当でも研究開発ができる、誰かが大きな失敗しても、お祭り騒ぎで全社一つになって応援体制が組める愉快な会社でした。
高収益企業だったから、誰かが大きな失敗しても屋台骨が揺らぐなんてことはありませんでしたから、ドーンと思い切ってやれたのです。新規開発は10個にひとつうまくいったらいいだけ。新規システム導入が失敗して数億円の被害が出てもお咎めなし、それで社員のスキルが伸びたらいいだけ。
そういう企業が世の中に増えてもらいたい。
by ebisu (2023-12-10 21:00)
それにしてもKPI競合モデルは高度なマトリックス組織を実現するための基礎式としても有望ですね。一般にはマトリックス組織は、正の相互作用しか考えないがKPI競合モデルは負の相互作用まで表現できる数式になっているのがありがたい。
by 組織設計学関係 (2023-12-11 02:26)
3×3マトリックスで新規導入検査項目の価格を決める仕組みは1986年だったかな。成長性と技術的な難易度でマトリックス図を作っていました。
その前の輸入商社時代も自社の経営分析や経営改善にマトリックスを使っていました。経営計画プロジェクトで役員の説得に便利だからね。
わたしだけが使っていたはずがありませんから、実務としては40年以上前形使われている道具です。
問題は、その次のステップです。
「図表3」のように4分割したとして、その右上のエリアの事業をモノにするための戦略が重要なことは言うまでもないでしょう。
ほとんどの人がマトリックスで理解できても、モノにできない。戦略遂行に必要な資源を集めるという仕事の難易度が少し高いからです。
ああ、思い出しました。
SRLの学術営業部長だったKさんが、そういうエリアで事業開拓を夢みました。藤田さん5億円ほど出した遣ったのではないかな。見事に失敗。
2匹目のドジョウがペプチドリームでした。
by ebisu (2023-12-11 09:20)
ペプチドリーム社ホームページ
https://www.peptidream.com/
創業メンバーで元代表取締役の窪田規一氏がSRLの元学術営業部長のKさんです。
by ebisu (2023-12-11 10:22)
わたしは1986年に「臨床診断支援システム開発と事業化案」を書いて、創業社長の藤田さんの了解をもらいました。とりあえず200億円の予算で。
診断プロトコルの複雑な血液疾患や高度なスキルを要求する病理診断、それから患者の多い生活習慣病とその合併症の診断プロトコルをプログラム化してみようと思いました。世界中で誰もまだやっていません。図3のマトリックスなら右上、それもずっとはるかかなたに位置する仕事でした。
世界中の病院をそのシステムでネットワークして事業化しようと考えたのです。
10個のプロジェクトに仕事を分割してありました。その中のひとつが臨床検査項目コードの標準化でした。コードが標準化されていなければコンピュータ処理できませんから。これは大手6社と臨床病理学会の項目コード検討委員会の委員長だった櫻林郁之助自治医大教授を結び付けて、3年かけて、日本標準コードの制定にこぎつけました。
このシステムが要求する性能のコンピュータと通信速度が実現できるのは30年後だと、NTTデータ通信事業本部と2回ほどミーティングをした結果、結論に至りました。それで、プロジェクトは断念してます。
15年で、通信速度もコンピュータの性能も臨床診断支援システムを満たす性能になりました。読み間違えました。(笑)
いくつかの大学病院と提携して開発するつもりでした。SRLは全国の大学病院と取引があるので、そういうチャンネルはつくりやすいのです。
何が言いたいのかというと、図3で右上の事業分野が見えたとして、それをターゲットに戦略を練り、実現していくのはまったく別の才能やコネクション、そしてコミュニケーション力が必要だということ。システムや医療関係のそれぞれの専門家たちを巻き込んでいかなければなりませんから。彼らが持っている専門知識を急速に吸収しながら仕事を進める必要があるからです。ナレッジ・エンジニアリングのスキルです。
by ebisu (2023-12-11 10:38)
1986年はSRLへ最後の上場準備要員入社して3年目です。
創業社長の藤田さんが200億円の予算にOKしてくれたのは理由があります
経営統合システムを8か月で立ち上げたと1予算編成と管理も土王時にしていたので、入社翌年に検査試薬20%のコストカットを提案して、専務から「言い出しっぺのお前がやれ」と言われて、その年だけで16億円カットしたからです。3年間担当しましたが、合計で50億円を超えています。
だから、藤田さん、新規事業プロジェクトに200億円認めてくれました。
経営会議に提案書を報告し、協議書に決裁印押しただけ、注文は一切なしでした。好きにやらせるのがいいのです。
価格交渉はルーチンとなっていたので、10年間で200億円くらいはそこから生まれてきます。だから認めたんです。
15年早くて必要な資源が揃えられませんでした。世界中の病院がターゲットでしたから、数兆円規模の事業を考えていました。
by ebisu (2023-12-11 10:49)
師走に選んだ歌2首
昨日といひけふとくらしてあすか川
流れて早き月日なりけり
新玉の年の終はりになるごとに
雪も我が身もふりまさりつつ
あはは。
by ebisu (2023-12-11 11:30)
久保田博士は旧日立金属(現プロテリアル)の方だったんですね。どうりで文理両道なわけだ。
by グローバルサムライ (2023-12-12 14:33)
土木学会掲載の記事読みました。森林ロボティクス大賛成です。
by 奥出雲 (2023-12-21 11:02)
奥出雲さん
賛成なのはわかりました。
「森林ロボティクス」と何か、そしてなぜそれにあなたが「大賛成」なのか理由を投稿してくれたら、読む私も愉しめると思います。
by ebisu (2023-12-25 10:34)
キーワードはアルゴリズム革命ですよ。
by 奥出雲 (2024-01-01 11:28)
奥出雲さん
面白い視点ですね。日本能率協会のサイトから、櫛田健児氏の講演から抜粋引用します。
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すべての根底はアルゴリズム革命
私から見ると、根底にあるのはアルゴリズム革命という力学です。
シェアリングエコノミーとかAIとかロボティクスの変革とかインテックとかIoTというのは基本的にはこのアルゴリズム革命の上に乗っているものです。アルゴリズム革命というのは人間の活動がソフトウェアアルゴリズムによって革命的に変化しているということです。
人間の活動を形式化すると、アルゴリズムで表現することが可能になり、そうすると活動を分散化させたり変革を超えたり、新しいコンビネーションに構築しなおすということができます。
今まで人間にしかできなかった活動というのは、生産性が低い場合が多いです。これを機械の力で生産性を上げるとハイブリッドになります。それはいずれ完全自動のほうに向きます。具体例で例えば「人間しかできない活動ってなんですか?」と。
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https://jma-garage.jma.or.jp/column/report_kushida05/
1970年代から、そういう方向に向かっていました。それが「生成AI」の出現で、加速するということ。事実その通りですね。
現在は、人間と機械のハイブリッドの時代。
「生成AI」はエキスパートシステムの段階だと思っています。そのインフラ整備には人間の手が必要ですから。
たとえば、臨床診断システムは人間の医師の診断制度を飛躍的に上げますが、臨床検査コードの世界標準を構築しなければいけません。臨床検査項目コードの世界標準規格はそういう事業を成り立たせるためのインフラです。カルテの世界標準規格も必要になります。
そういう状況が、これから数十年かかるのでしょう。
いつの日にか、人間の診断をサポートしていたはずのエキスパートシステムが人間に変わって完全自動で診断を行うことになるというわけ。
さて、ここからが経済学的な問題です。
そういう完全自動化システムを商品として生産するか否かということ。
つまり、どのような経済社会システムをデザインし選択するのかという問題があります。
マルクスに抜け落ちていた、企業のマネジメントや生産性向上の視点の向こう側には、経済社会のデザインの問題が横たわっています。わたしの現在の問題関心はそこにあるのです。
by ebisu (2024-01-01 12:09)
エキスパートって2000年代に日立製作所がやっていたif~thenルールによるエキスパートシステムを思い出しますね。今のニューラルネットの超多階層によるデーィプラーニングやドロップアウト他、ずいぶん時は流れました。SEにはアルゴリズムあまり関係ないのでしょうが、理論駆動型絶対主義(マルキシズムを含む)が終わったといいたいのでしょう。
by 安来たたら (2024-01-03 02:59)
安来たたら
おはようございます。
次々と新しいハンドルネームでの投稿ごくろうさま。
「理論駆動型絶対主義」というのは唯物史観の新しいネーミングのようですね。ヘーゲル弁証法を適用した『資本論』にも言えます。
それが破綻したことは資本論第一巻を書いたマスクル自身が気がついたことでした。1867年の直後だったでしょう。だから第2巻が書けなくなったことは何度も弊ブログで説明しました。「理論駆動型絶対主義(マルキシズムを含む)が終わった」という点ではマルクスもうなづいていますよ。もちろん私も同意見です。1970年代にユークリッド『原論』を読んで気がつきました。もうひとつ、経済史の見方については増田四郎先生の影響が強い。リストだってマルクスの単線型史観が的外れなことに気がついていました。だから『経済学の国民的体系』を書いてます。
もう一つ、エキスパートシステムについてですが、「汎用ではない」という意味で「エキスパートシステム」という概念をAIに対して使っています。
「臨床診断支援システム開発と事業化案」は1986年のことです。臨床診断分野に限定したシステムでした。
診断手順の複雑な血液疾患とか病理画像診断分野など、10個くらいをピックアップして、大学病院いくつかと提携してプロトタイプのエキスパートシステムを作るつもりでした。当時はファジーなんて言葉が流行していました。そんなコンピュータができたとして使えるものかどうかも関心のひとつでした。既存のコンピュータでどこまでやれるか、やれるところまでやってみようというものでしたね。やらなきゃ、既存のハードウェアとソフトウェア技術の限界が見極められません。
2000年代にようやく、コンピュータの速度と通信速度がエキスパートシステムが可能な水準になりました。
ハードウェアはすでにこのエキスパートシステムが可能な水準になっています。
臨床検査項目コードの世界標準規格やカルテの標準規格などを作る必要があります。いわばインフラ整備、そちらの方がたいへんそうです。
商品生産としてはやらない方向の可能性を考えていました。こういう全世界の病院をネットワークするような巨大なシステムを私物化すべきではないと。コストをカバーし、システムの開発と維持をどうやるかを考えていました。
経済社会を変革するには、商品生産部分を小さくしていくことが鍵だということに最近気がつきました。それはグローバリズムを終焉させることになります。
人口縮小へ突入している日本は格好の実験場になりそうです。人口縮小も重要なキーのひとつです。
by ebisu (2024-01-03 09:32)
ChatGTPみたいでおもしろいですね。
by 山陰京都鉄道 (2024-01-04 20:11)
たしかに。
アハハ!
山陰京都鉄道さんこんばんは。
面白そうになってきたので、そのうちにまとめて本欄へアップします。
by山陽珍幹線より
by ebisu (2024-01-04 20:20)
GX革命の旗手あらわるか。
by 生成AIファン (2024-01-10 07:55)
「生成AIファン」さんへ
おはようございます。
名前が異なる同一人物との対話、読んでいる人が誤解しそうで、投稿する都度ハンドルネームを変えるのは迷惑ですよ。
GX革命の旗手なんてどこにも存在していません。
生産性アップは巨大な利益を企業にもたらすので、勝手に暴走し続けるだけです。人間がをそれに操られてしまっています。GAFAの創業者たちがその見本です。
話の要点はパラダイムシフト、つまり新しい経済社会をデザインすることです。
一部の日本企業はとっくにやっています。
経済学者が誰も気がついていないだけです。
商品生産において、大事なのは生産性を上げることや値段の決め方です。
価格設定の仕方が欧米の企業と日本の伝統的な企業とではやり方が異なっています。
お互いにビジネスの伝統と価値観、倫理観からして当たり前なので、その違いに気がついていないだけです。
宗教の違いが企業の在り方に大きな影響を与えています。
欧米の商品生産へのアンチテーゼとして日本の伝統的な商品生産があります。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」
は近江商人の商道徳ですが、これは日本の老舗企業の間では広く普遍的な商道徳でもあります。
「浮利を追わない」
というのも普遍的な商道徳です。欧米はまったく異なります。儲けた利益に関しても欧米企業と日本の老舗企業は使い方が異なっています。そこにパラダイムシフトのヒントがあります。
「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」
私が提唱したいビジネス倫理です。これだけ守ってくれたらしい。「浮利を追わない」というのはこの大原則から派生的に導かれるビジネス倫理です。
詳細は気が向いたときに本欄でやります。
by ebisu (2024-01-10 10:17)