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#4228 「十三や」は何を商うお店?:幸田文『一生もの』より April 19, 2020 [44. 本を読む]

 午前零時を過ぎてから、ベッドの中で本を読むのが習慣化しつつある。義妹が三つもいらないからと数年前に「ハズキルーペ」を送ってきてくれた。数日前に、寝床に入って読むときにかけてみたら、字が大きくてはっきり見える、以来かの有名なメガネのお世話になっている。

池の端の十三やさん、不忍の櫛屋さん。子どものころから知っている名だし、櫛だし、おみせのまえは私がちょいちょい通る道なのだし、こちらがひとり決めで勝手におなじみだと思っているのである。」『幸田文全集第16巻 闘・しのばず』p.363

 「十三やさん」とはなんなのだろう?続けて不忍の櫛屋さんとあり、子どものころから知っている名(お店)、そして商っているのは「櫛だし」となっているから、櫛屋のことを「十三や」と言ったのだろうかと、だとしたらその由来は何か、ここでぱたんと本を閉じた。
 ちょっとの間考えてみたがわからない。
 朝目覚めて、わたしも日本人が受け継いできた言葉や数字に対する感覚を失っていることに気がつく。

 「くしや」を数字で表記すると「九四八」である「九」は「苦」、「四」は「死」を連想させる。それでは縁起が悪いから、「9+4=13」、「十三や」という洒落なのだ、そういう看板を掛けていたのだろう。店の表にかける看板のほかに、店の中に別の看板を掛けるお店もあったようだ。江戸の風情であるが、昭和30年代まで下町にそれがあった。団塊世代の二世代前までは言葉に対するセンスがずっと鋭かったと言えそう。
 この作品は幸田文が62歳のとき、1966年に書かれている。懐かしい情景を思い出しながら書いている姿が見えるようだ。そのころわたしは根室高校3年生、遠い昔のこと。

 露伴の娘である幸田文の書くものには、江戸情緒が漂う懐かしい世界へいざなう力がある。わすれていた言葉の魅力を目の前で見せてくれる。こういう書き手はもう一人もいない。

(聖蹟桜ヶ丘駅前オーパで買った、シャトレーゼ(甲府の洋菓子屋さん)の北海道産小豆を使った「きんつば」を食べながら...)
*シャトレーゼ
https://www.chateraise.co.jp/company


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①愛用になってしまったハズキルーペ
SSCN3486.JPG

②季節の移ろい
 庭のクロッカスが咲き始めた
SSCN3488.JPG




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#4227 Sapiens (24th) : page 31 April 18, 2020 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

  武漢コロナウィルス感染症が広がっているので、北海道は独自の非常事態宣言をし、全道の小中学校へ休校要請を出した。根室市の小中学校も5/6まで休校である。武漢コロナウィルスは広がる勢いを弱めていないので、五月になればさらに延長されることになりそうだ。
 それにしても日本人の死亡率は極端と思われるほど低い。4/18までで10181人の感染者、207人の死亡者であるから、感染者の死亡率は2.0%にすぎない。日本はPCR検査数が極端に少ないので、発熱しても検査されていない感染者が多いと推定されるので、ヨーロッパ並みの検査数が確保されたら死亡率がさらに低いことが証明されるだろう。検査数がずっと少ないのにドイツの死亡率2.8%を下回っている。(ドイツは4/17までで、感染者数134000人、死亡者3868人、死亡率2.8%)
  検査数データを拾った。ドイツは150万件、米国100万件、韓国43万件、日本はたったの9万件。
 人口百万に当たりの死亡率で見ると、ヨーロッパの1/600というデータをみた。BCGの接種率が98%と高く、それが「訓練免疫」を賦活化しているという説がある。ヨーロッパでBCG接種効果を試すために臨床治験が始まっている。日本人は何か特別な理由があって、武漢コロナウィルスに感染しても重篤化して死亡する割合がヨーロッパ諸国や米国に比べてずっと低いようだ。したがって、ヨーロッパや米国並みの自粛が本当に必要なのか疑問。
*https://www.bing.com/search?q=%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E6%84%9F%E6%9F%93%E8%80%85%E6%95%B0&form=EDGTCT&qs=PF&cvid=5ddb19701be64d24b7f39314cffa6517&refig=2d41ee72b56941a884112269bc171388&cc=JP&setlang=ja-JP&plvar=0&PC=NMTS
ドイツhttps://blogos.com/article/451453/
検査数データhttps://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/新型コロナ「検査拒否」の実態、電話中に咳をしたら切られた…他/ar-BB12OUYd?ocid=spartanntp

 さて、本題に入ろう。
<31-2>People easily understand that 'primitives' cement their social order by believing in ghosts and spirits, and gathering each full moon to dance together around the campfire.What we fail to appreciate is that our modern institutions function on exactly the same basis. Take for example the world of business corprations. 

  gathering以下の訳に窮して質問があった。「月を一杯集めて...」いったい何の話だろうということ。
 文を基底文に書き換えてみよう。

 ① 'primitives' cement their social order by believing in ghosts and spirits,
 ②('primitives') gather each full moon to dance together around the campfire.

 ここでgatherは自動詞なのだが、each full moonを目的語ととってしまったから他動詞だと思い込んだ。じつは副詞句であるがそうと見抜けなければ生徒がやったような訳になり、意味がつかめなくなる。ちょっと難しかったかもしれない。①の文は第Ⅲ文型、②の文は第Ⅰ文型である。
 「①原始時代の人々は/社会的絆を深める/幽霊や霊魂を信じることで」、どういうやり方でそれを行うかというと「②原始時代の人々は/集まる/満月のたびごとに/焚火の周りでともに踊るこために(集まる)」、このようにぶつ切りにして頭から読めばいい。後ろに続く文が前の文の説明になっている。

 function:(v)機能する  appriciate:(v)きちんと認識する



原始的な人々は死者の霊や精霊の存在を信じ、満月の番には毎度集まって焚火の周りでいっしょにおどり、それによって社会的秩序を強固にしていることを、わたしたちは簡単に理解できる。だが、現代の制度がそれとまったく同じ基盤によって機能していることを、わたしたちは十分理解できていない。企業の世界を例にとろう。」柴田裕之訳 p.44

<31-4> In what sense can we say that Peugeot SA (the company's official name) exist? There are many Peugeot vehicles, but these are obviously not the company.  Even if every Peugeot in the world were simultaneously junked and sold for scrap metal, Peugeot SA would not desappear.  It would continue to manufacture new cars and issue its annual report.  The company owns factories, machinery and showrooms, and employs mechanics, accountants and secretaries, but all these together do not comprise Peugeot.  A disaster might kill every single one of Peugeot's employees, and go on to destroy all of its assembly lines and excutive offices. Even then, the company could borrow money, hire new employees, build new factories and buy a new machinary.  Peugeot has managers and sharholders, but neither do they constitute the company.  All the managers could be dismissed and all its shares sold, but the company itself would remain intact.
  It doesn't mean that Peugeot SA is invulnerableor inmoral....

  質問があったのは次の箇所である。
There are many Peugeot vehicles, but these are obviously not the company. 
  簡単なように見えて何を言っているのか意味が分からないという。「プジョーの車がたくさんあるが、プジョーの製品である車はプジョーという会社ではない」、この文の理解には経験の差がでる、ようするに普通の高校生には周辺知識や企業人としての経験がないから意味が分からないだけ。「法人」という言葉の意味を知っていたら理解できただろう。「法的な人格」である、そういうことについてハラリがくどいくらい書いている。意味不明のときは構わず先を読めば具体的な記述があるから、先を読むというのが読解の定石である。法人格としての企業とはどういうものかを具体例を挙げてハラリは順次説明していく。
 アンダーライン部は精確にとらえていた。慣れてきたのだろう。

 every [last] single one of NP: 最後の一人まで …全員を強調した表現

 フランス語でSA(société anonyme)は株式会社を表す。ドイツ語ではAG( Aktiengesellschaft)と表記する。

わたしたちはどういう意味でプジョーSA(同社の正式名称)が存在していると言えるのだろうか?プジョーの乗り物はたくさんあるが、当然ながら、それらの乗り物自体は会社ではない。たとえ、世界中のプジョー製の乗り物がすべて同時に廃車され、金属スクラップとして売られた通しても、プジョーSAは消えてなくなりはしない。同社は新しい車を製造し、年次報告書を発行し続けるだろう。同社は機械、ショールームを所有し、機械工や会計士や秘書を雇っているが、これらをすべて合わせてもプジョーにはならない。何かの惨事で従業員が一人残らず亡くなり、製造ラインとオフィスが全滅するかもしれない。それでもなお、同社はお金を借り、新たに従業員を雇い、工場を新設し、新しい機会を買い入れることができる。プジョーには経営陣と株主がいるが、彼らが同社を構成しているわけでもない。経営陣を全員首にし、株式をすべて売却しても、会社自体は元のまま残る。
 これは何もプジョーSAが不死身だとか不滅だとかいうわけではない。」柴田裕之訳p.44
 




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#4226 武漢コロナ感染症:休校初日のグラウンド April 18, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

 武漢コロナ感染症対策で、今日4/18から5/6まで小中高が休校となっています。休校初日に母校(中学校)のグラウンドの周りを歩いてみました。

①テニスコート2面
バス通りに面して、テニスコートが2面あります。テニスコートのある中学校は光洋中学校だけ。都会の学校にはとっても贅沢なテニスコートです。元々は根室中学でした。戦後はこのテニスコートの場所は畑だったんです。肥料は人糞、トイレから長い柄のひしゃくで掬って木桶に入れて天秤棒で担ぎますが、慣れないと揺れて跳ねてズボンにつきます。(笑) 中学校で生徒たちが大根やキャベツを作っていました。戦後の食糧不足を補うためでした。団塊世代が入学したときにはもう畑はつくっていません。木桶を天秤でぶら下げて担ぎ損ねました。旧校舎は現在のグラウンドにもっと近いところにあったのです。1年8組から10組まではグラウンドに近い場所で、戦時中は馬小屋だった建物でした。そこを校舎に改造したので、吹雪には教室に雪が入ってきました、すこしですよ。3年10組のときは給食室のほう、一番端でグラウンドのバックネットの前でした。
 冬は今より雪が多くて、分厚い鋳物の石炭ストーブでした。生徒たちが交代で毎日石炭をとりに行きます。あったかかった、もちろんストーブの前の人だけ。真っ赤な顔してがんばってました。後ろは寒いんです。持って行ったアルミ製のお弁当をストーブの周りに並べて温めます。授業中にさまざまなおかずの匂いがしてきます。いいでしょ。(笑)
団塊世代が中学生になったときに、教室が足りないので、柏陵中学校が新設され、根室中学校は光洋中学校と名称を変更しています。だから、わたしたちが光洋中学校1期生です。
SSCN3481.JPG

②画面左側がテニスコート、右側がグラウンド

この土手は20度くらいあるかな、マウンテンバイクでギアを一番軽くしないと登れません。草でふかふかしてペダルがとっても重くなります。登りは姿勢を前傾にしてハンドルの上に体重を乗せます、下りはサドルからお尻を外して、後ろ側へずらせ、バランスを取ります。結構楽しいのですが、息が切れるので数回やったら終わりです。ほどほどがよろしいようで…
SSCN3479.JPG

③広いグラウンド、広さは?
奥のほうに犬を散歩させている姉妹とサッカーボールで遊んでいる少年が一人だけいました。
SSCN3478.JPG

④右端から写してます。左側手前に校舎があります。
グラウンドの広さは奥まで190歩、左右が95歩でしたから、今日の歩幅は95㎝ですから、180m×90mあります。この角度から20㎞先の納沙布岬の展望塔が見えることがあります。
SSCN3480.JPG

 外で遊ぶ中学生はほとんどいません。10年ほど前には教員住宅の付近で缶蹴りして遊んでいる元気な中学生が十数人ほどいました。とっても楽しそうだった。半分くらいが光洋中サッカー部で、女生徒もまざっていました。缶蹴りって思いっきり走るので体力つきます。(笑)
 百年以上も生徒たちが遊ぶのを見続けてきたグラウンドですが、人がいなくてなんだか寂しそうに見えませんか?在校生のみなさん、ボールもって遊びに行ってやってください。




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#4225 散歩ショートコース開発 April 17, 2020 [36. 健康]

 近場のサイクリング周回コース(航空自衛隊分屯地コース)は2.2㎞と4.3㎞ある。散歩するには「決意」がいる。もっと短いコースを「開発」した。歩いて確認したら、東根室駅前コース650mと光洋中学校グラウンド周回コース800mの二つがよさげだ。これなら、気が向いたらすぐに出かけて戻れる。グラウンド周囲の土手は草でふかふかして足元の感触の気持ちがいい。
 ついでに大股で歩いたときに歩幅を計測した。コンクリート塀に90㎝ごとに凹みラインが入っているので、13個(11.7m)で試したら、11歩だった。107㎝/歩である。
 早いもので前回散歩したのは4/4、自衛隊周回コースの4.3km。ショートコースを気軽に歩く方がいい。

 根室の小中高は来週から、休校になりそうだが、根室の子どもたちが散歩を楽しむ姿は想像できない。(笑)
 そろそろサイクリングの季節である。午後2時の気温は9.2度、西南西の風3.7m/s、サイクリング日和である。ロードバイクもMTB(マウンテンバイク)もタイヤの空気圧は調整済み。
 今日はオホーツク海の向こうに国後島の山並みがきれいに見えている。



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#4224 ホタテが美味しい! April 17, 2020 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 身が厚くて甘みのある立派なホタテが夕食のおかずに供された。10年物くらいかな、産地に育ったわたしでも高級品に見えた。帆立のフライも最近ときどき食べているが、こちらは冷凍ものだ。
 武漢コロナ騒ぎで高級料理店に客足が遠のいているので、高級品ほどだぶついているのだそうだ。値段が半額程度になっているので、週に何度か贅沢品の10年物帆立が食べられそうだ。(笑)


 ホタテ漁をしている人たちは浜値が下がってたいへんだろう。地元住民のわたしはこうして高級帆立を食することで少しは協力できる。そんなに食べなくてもいいから、武漢コロナ騒ぎがはやくおさまってそこそこの値段になればいい。
 あ、大消費地の中国の買い付けが減っているのが主たる原因のようだ。帆立の値段が元に戻って、身の厚いものが地元住民の口に入らなくなったら、中国が武漢コロナ騒ぎから脱したということか。
 しばらくおいしいホタテを刺身とフライで楽しめそうだ。

 歯舞産のマツブもおいしい。フライパンを熱して、小さく刻んでたっぷりのオリーブオイルにニンニクをゆっくり泳がせ、強火にして刻んだマツブを一気にフライパンへ投入。トーストしたバケットの上へ落とすとジューっと音を立てる。これが絶品なのです。東京都小平界隈のとあるイタリアンレストラン、思い出した「マ・メゾン」で食べたのが最初(84年)でした。ずいぶん昔、懐かしい情景です。



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#4223 藤原辰史『パンデミックを生きる指針』April 16, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

 すごい人がいた。読み応えのある論考である。次のサイトから緊急メッセージを全文引用した。(…)部分は意味を分かりやすくするためのebisuのつけ足し。
 

*https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic?fbclid=IwAR2yXLiQraGym047OOYeTYQna8pw5UJ41WqNxcINNrYtQUlss7YEixGCW4E

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藤原辰史:パンデミックを生きる指針         ——歴史研究のアプローチ   
 
1 起こりうる事態を冷徹に考える 
2 国に希望を託せるか 
3 家庭に希望を託せるか 
4 スペイン風邪と新型コロナウイルス 
5 スペイン風邪の教訓 
6 クリオの審判 
(本文中で言及された①~④の記事には、末尾で示したQR コードからアクセスできます)
 (ebisu注:歴史の女神クリオが携えるのはラッパと書物、頭には月桂樹(げっけいじゅ)の冠をかぶっている。月桂冠とラッパは勝利と名声を表し、書物には勝者の栄光が記されている。歴史とは勝ち残った者の記録という寓意(ぐうい)なのだろう…https://mainichi.jp/articles/20190601/ddm/001/070/103000c)
 
1 起こりうる事態を冷徹に考える
    人間という頭でっかちな動物は、目の前の輪郭のはっきりした危機よりも、遠くの輪郭のぼやけた希望にすがり たくなる癖がある。だから、自分はきっとウイルスに感染しない、自分はそれによって死なない、職場や学校は 閉鎖しない、あの国の致死率はこの国ではありえない、と多くの人たちが楽観しがちである。私もまた、その傾 向を持つ人間のひとりである。     甚大な危機に接して、ほぼすべての人びとが思考の限界に突き当たる。だから、楽観主義に依りすがり現実から 逃避してしまう——日本は感染者と死亡者が少ない。日本は医療が発達している。子どもや若い人はかかりにく い。1、2週間が拡大か制圧かの境目だ。2週間後が瀬戸際だ。3週間後が分水嶺だ。一年もあれば五輪開催は大 丈夫だ。100 人に4人の中には入らないだろう。そう思いたくなっても不思議ではない。希望はいつしか根拠の ない確信と成り果てる。第一次世界大戦は 1914 年の夏に始まり 1918 年の秋まで続いたが、開戦時にドイツ皇 帝ヴィルヘルム二世はクリスマスまでには終わると国民に約束した。第二次世界大戦では、日本の勝利に終わる と大本営は国民に繰り返し語っていた。このような為政者の楽観と空威張りを、マスコミが垂れ流し、政府に反 対してきた人たちでさえ、かなりの割合で信じていたことは、歴史の冷酷な事実である。     ペストの猛威、三十年戦争、リスボンの大震災、ナポレオン戦争、アイルランドのジャガイモ飢饉、コレラやペ ストや結核の蔓延、第一次世界大戦、スペイン風邪、ウクライナ飢饉、第二次世界大戦、チェルノブイリ原発事 故、東京電力の原発事故。世界史は生命の危機であふれている。いずれにしても甚大な危機が到来したとき、現実の進行はいつも希望を冷酷に打ち砕いてきた。とりわけ大本営発表にならされてきた日本では、為政者たちが 配信する安易な希望論や道徳論や精神論(撤退ではなく転進と表現するようなごまかしなど)が、人を酔わせて 判断能力を鈍らせる安酒にすぎないことは、歴史的には常識である。その程度の希望なら抱かない方が安全とさ え言える。
     想像力と言葉しか道具を持たない文系研究者は、新型コロナウイルスのワクチンも製造できないし、治療薬も開 発できない。そんな職種の人間にできることは限られている。しかし(文系研究者にもやりうることは)小さくはない。たとえば、歴史研究者は発見した史料を自分や出版社や国家にとって都合のよい解釈や大きな希望の物語に落とし込む心的傾向を捨て る能力を持っている。そうして、虚心坦懐に史料を読む技術を徹底的に叩き込まれてきた。その訓練は、過去に 起こった類似の現象を参考にして、人間がすがりたくなる希望を冷徹に選別することを可能にするだろう。科学 万能主義とも道徳主義とも無縁だ。幸いにも私は環境史という人間と自然(とくに微生物)の関連を歴史的に考 える分野にも足を突っ込んでいる。こうした作業で、現在の状況を生きる方針を探る、せめて手がかりくらいを 得られたらと願う。       

2 国に希望を託せるか   
  まず、現実を観察したい。  
   新型コロナウイルスは世界を分断している。日本の内部も。そもそも、日本だけ感染者が少ないという事実は、 検査量の少なさに拠るところも多く、喜んでいられない。運悪く最近まで東京オリンピックを七月に実施したい と足掻いていた人たちが、日本社会に根拠のない楽観主義をもたらしてきた。しかし、延期が決定するやいなや 首都では感染者の数が急速に増えつづけている。世界では高齢者や重病者以外の感染者も死者も増えてきている。 さらにいえば、新型コロナウイルスは、人びとの健康のみならず、国家、家族、そして未来への信頼を打ち砕き つつある。すでにもう土台がぐらついていたものばかりであるが。 
    第一に、国家。     人びとは、危機が迫ると最後の希望をリーダーとリーダーの「鶴の一声」にすがろうとする。自分の思考を放棄 して、知事なり、首相なり、リーダーに委任しようとする。     たしかに、もしも私たちが所属する組織のリーダーが、とくに国家のリーダーがこれまで構成員に情報を隠すこ となく提示してきたならば、そのデータに基づいて構成員自身が行動を選ぶこともできよう。異論に対して寛容 なリーダーであれば、より創造的な解決策を提案することもできるだろう。データを改竄したり部下に改竄を指 示したりせず、きちんと後世に残す文書を尊重し、歴史を重視する組織であれば、ひょっとして死ななくてもよ かったはずの命を救えるかもしれない。自分の過ちを部下に押し付けて逃げ去るようなそんなリーダーが中枢に いない国であれば、ウイルスとの戦いの最前線に立っている人たち、たとえば看護師や介護士や保育士や接客業 の不安を最大限除去することもできよう。危機の状況にも臨機応変に記者の質問に対応し少数意見を弾圧しない リーダーを私たちが選んでいれば、納得して人びとは行動を起こせる。「人類の叡智」を磨くために、「有事」 に全く役に立たない買い物をアメリカから強制されるのではなく、研究教育予算に税金を費やすことを使命と考 えてきた政府であれば、パンデミックに対して少なくともマイナスにはならない科学的政策を提言できるだろ う。     ところが、残念ながら日本政府は、あるいはそれに類する海外の政府は、これまでの私たちが述べてきた無数の 批判に耳を閉ざしたまま、上記の条件を満たす努力をすべて怠ってきた。そんな政府に希望を抱くことで救われ る可能性は、『週刊文春』の 3 月 26 日号に掲載された「最後は下部のしっぽを切られる」「なんて世の中だ」 という自死寸前の赤木俊夫さんの震える手で書かれた文字群によって、また現在の国会での政府中枢の驚くべき 緩慢な言葉によっても、粉々に打ち砕かれている。この政権がまだ 45.5 パーセントの支持率を得ているという 驚異的な事実自体がさらに事態を悪くしている(共同通信社世論調査。2020 年3月28 日配信)。     その上、「緊急事態宣言」を出し、基本的人権を制限する権能を、よりにもよって国会はこの内閣に与えてしま った。為政者が、国民の生命の保護という目的を超えて、自分の都合のよいようにこの手の宣言を利用した事例は世界史にあふれている。どれほどの愚鈍さを身につければ、この政府のもとで危機を迎えた事実を、楽観的に 受け止めることができるだろうか。 

 3 家庭に希望を託せるか 
    第二に、家庭。   
  国が頼りなければ、家庭に生死を決める重荷がのしかかってくる。家族ほど近くて頼れて安心できる存在はない。「濃厚接触」は免れないから運命共同体とさえいえる。しかし、在宅の仕事が難しい親は、小学生の子どもを家 に置いていかなくてはならない。その不安と罪悪感と闘わなくてはならない。不況による解雇も増えている。遠 くに住む老いた両親に手伝いに来てもらうにも、感染リスクに晒されながらの長旅は正直心配だ。結局、経済基 盤も育児環境も改善しない。家庭が安全であるという保証もない。     そもそも、子どもにとって家庭は安全な存在だろうか。あるべきかどうかではない。そうなのかどうか、である。 日本は、七人に一人の子どもが貧困状態にある国である。経済状況の差をここまで広げた政策のつけは、こうい う危機の時代に回ってくる。私は、『給食の歴史』(岩波新書、2019 年)で、高度経済成長期でさえ給食で一日 の重要な栄養をとって食いつないできた子どもたちが多数いたことを書いた。まさに、現在は、子どもたちの最 後の生命線が絶たれている現状とさえいえるのだ。     たとえ、三食最低限のご飯が食べられている家庭でも、危険はまだ残っている。『クーリエジャポン』(3月29 日配信 ①)によると、「3 月 17 日の外出禁止令以降、家庭内暴力が増加した可能性があることを認めている。 パリ警視庁管轄の地域では1週間で 32 パーセント、憲兵管轄の地域では36 パーセントほど、家庭内暴力が増加 したという」。これはすでに女性への家庭内暴力が社会現象となっていたフランスだけの問題ではない。日本で も、普段は長時間一緒に滞在しない家族の成員が同じ屋根の下で過ごすことで、なんとなく気まずい空気が流れ ている家は少なくないだろう。普段虐待を受けている子どもにとって、家庭はますます逃げがたい牢獄となるだ ろう。子どもだけではない。配偶者、とくに夫の家庭内暴力を受けてきた妻には、外出が難しいこの現状は文字 通り牢獄にほかならない。今後、感染したことで家族の成員が欠けることも十分に考えられる。     家族が機能不全になったら地域に頼るしかない。しかし、不運なことに、そもそも社会的に弱い立場にある人を 支える場所が、新型コロナウイルスの影響で機能が低下したり、機能不全に陥ったりしている。地域の活動の場 所である PTA も自治会も NPO も、飛沫感染が恐れられるなか、活発な援助に手を出しにくい。子ども食堂も 学校給食もほとんど閉鎖され、子どもたちの腹と心の寂しさを誰も満たしてくれない。     しかも現時点で、近年頻発する水害や地震のような大災害が起こったならば、地域の避難所は間違いなく感染の 温床となってしまうだろう。ゆえに、現時点で各地方自治体は、災害時の避難の対応について早急にガイドライ ンを作成すべきである。  

  4 スペイン風邪と新型コロナウイルス  
   新型コロナウイルスの活動が鎮静ではなく、拡散の方向に向かっているいま、希望的観測から頼りうる指針を選 別していくため参考にすべき歴史的事件は、SARS やエボラ出血熱よりも「スペイン風邪」、すなわち、スパニ ッシュ・インフルエンザだと私は考える百年前のパンデミックである。アメリカを震源とするこのインフルエ ンザの災いは、戦争中の情報統制で中立国だったスペインからインフルエンザの情報が広まったため、スペイン人にとっては濡れ衣にほかならない名前が歴史の名称となった。1918 年から1920 年まで足掛け3 年かけて、3 度の流行を繰り返し、世界中で少なく見積もっても4800万人、多く見積もって一億人の命を奪い(山本太郎『感 染症と文明——共生への道』岩波新書、2011 年)、世界中の人びとを恐怖のどん底に陥れた。そのわりに教科書 でも諸歴史学会でもほとんど取り上げられなかった世界史の一コマである。私は、第一次世界大戦期ドイツの飢 餓について研究を進めていく過程で(『カブラの冬——第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』人文書院、2011 年)、多くの民間人をも苦しめたスパニッシュ・インフルエンザについて調べたことがあるが、現状のパンデミ ックと似ている点が少なくないことに気づく。どちらもウイルスが原因であり、どちらも国を選ばず、どちらも 地球規模で、どちらも巨大な船で人が集団感染して亡くなり、どちらも初動に失敗し、どちらもデマが飛び、ど ちらも著名人が多数死に、どちらも発生当時の状況が似ている。     ただ、当時は、インフルエンザのウイルスを分離する技術が十分に確立されておらず、医療技術的には現在の方 が有利、地球人口が17 億程度だった当時と、75 億人まで増えた現在とでは過去の方が有利だ。新聞以外にSNS も含め多くのメディアが必要・不必要にかかわらず情報を大量に発信しているのも現在の特徴であり、正直、ど ちらに転ぶかわからない。百年前はWHOも存在しなかったので、本来であれば現在の方が有利だと思いたいけ れど、なかなかそう思いづらいのは報道の通りである。 
    百年前の日本はちょうど米騒動とシベリア戦争(シベリア出兵)の時代である。当時、アジアもヨーロッパも北 米大陸にも、これまであり得ないほどの人の移動があった。第一次世界大戦の真っ只中だったからである。すで に 1918 年の春からインフルエンザが流行っていたアメリカから、多数の若い男たちが輸送船に乗ってヨーロッ パにわたっていた。換気が悪く、人口密度が高い船内でどんどん感染が広がり、健康そのものだった若者が次々 に死んでいった。ヨーロッパにはアジアからも多くの人たちが労働者として雇われていた。植民地である仏領イ ンドシナからはフランスへ、インドやビルマからはイギリスへ、中国からは苦力が多数ヨーロッパに上陸してい た(東南アジアの第一次世界大戦については、早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ——東南アジア史のなか の第一次世界大戦』人文書院、2012 年)。やがて、アジアにも感染は拡大し、日本でも約40 万人前後が亡くな ったと言われている。    インフルエンザがここまで世界に広がり、多くの兵士たちが死んでいった理由として、戦争中の衛生状態や栄養 状態が考えられた。環境史家のアルフレッド・W・クロスビーによれば、兵士は、体調不良を感じても衛生的に 悪い条件で無理して作業に従事するため、悪化しやすく、感染しやすかったという。銃後は食糧不足に悩んでお り、やはりインフルエンザ・ウイルスの格好の餌食となった。しかも当時兵士たちを悩ませていた一つが虫歯だ ったことを考えれば(Ruchel Duffett, The Stomach for Fighting: Food and the Soldiers of the Great War , Manchester University Press, 2012, p. 21.)、ウイルスの主な生存場所である口腔の衛生状態は相当に悪かっただ ろう。     だからといって、いま、世界規模で繰り広げられるような戦争がなかったことを寿ぐことはできない。ここ十年 の人の移動の激しさは当時の比ではない。その最大の現象は昨今のオーバーツーリズムであるかつての兵士は いまのツーリストである。船ではなく飛行機で動くツーリストたちの動きは、頻度と量が桁違いだ。それが今回 の特徴である。   

5 スペイン風邪の教訓   
  スパニッシュ・インフルエンザの過去は、現在を生きる私たちに対して教訓を提示している。クロスビー『史上 最悪のインフルエンザ——忘れられたパンデミック』(西村秀一訳、みすず書房、2004 年)を参考にしつつ、ま とめてみたい。     
 
  第一に、感染症の流行は一回では終わらない可能性があること。スパニッシュ・インフルエンザでは「舞い戻り」 があり、三回の波があったこと。一回目は四ヶ月で世界を一周したこと。一回目よりも二回目が、致死率が高か ったこと。新型コロナウイルスの場合も、感染者の数が少なくなったとしても絶対に油断してはいけないこと。 ウイルスは変異をする。弱毒性のウイルスに対して淘汰圧が加われば、毒を強めたウイルスが繁殖する可能性も ある。なぜ、一回の波でこのパンデミックが終わると政治家やマスコミが考えるのか私にはわからない。ちょっ と現代史を勉強すれば分かる通り、来年の東京五輪が開催できる保証はどこにもない。 
    第二に、体調が悪いと感じたとき、無理をしたり、無理をさせたりすることが、スパニッシュ・インフルエンザ の蔓延をより広げ、より病状を悪化させたこと。何より、軍隊組織に属する兵士たちの衛生状況や、異議申し立 てができない状況を考えてみるとわかる。過労死や自殺者さえも生み出す日本の職場の体質は、この点、マイナ スにしか働かない。 

    第三に、医療従事者に対するケアがおろそかになってはならない。スパニッシュ・インフルエンザを生きのびた 人たちの多くが、医師や看護師たちの献身的な看病で助けられたと述懐している。目の前の患者の命がかかって いる場合、これらの人たちは、多少自分が無理しても助けようとすることが多いことは容易に想像できよう。し かし、いうまでもなく、日本の看護師たちは低く定められた賃金のままで、体を張って最前線でウイルスと戦っ ていることを忘れてはならない。世界現代史は一度だって看護師などのケアの従事者に借りを返したことはない のである。
     第四に、政府が戦争遂行のために世界への情報提供を制限し、マスコミもそれにしたがっていたこと。これは、 スパニッシュ・インフルエンザの爆発的流行を促進した大きな原因である。情報の開示は素早い分析をもたらし、 事前に感染要因を包囲することができる。 
    第五に、スパニッシュ・インフルエンザは、第一次世界大戦の死者数よりも多くの死者を出したにもかかわらず、 後年の歴史叙述からも、人びとの記憶からも消えてしまったこと。それゆえに、歴史的な検証が十分になされな かったこと。新型コロナウイルスが収束した後の世界でも同じことにならぬよう、きちんとデータを残し、歴史 的に検証できるようにしなければならない。とくにスパニッシュ・インフルエンザがそうであったように、危機 脱出後、この危機を乗り越えたことを手柄にして権力や利益を手に入れようとする輩が増えるだろう。醜い勝利 イヴェントが簇生するのは目に見えている。だが、ウイルスに対する「勝利」はそう簡単にできるのだろうか。 人類は、農耕と牧畜と定住を始め、都市を建設して以来、ウイルスとは共生していくしかない運命にあるのだか ら(たとえば、ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史——国家誕生のディープヒストリー』みすず書房、 2019 年)。もしも顕彰されるとすれば、それは医療従事者やケースワーカーの献身的な働きぶりに対してであ る。 
    第六に、政府も民衆も、しばしば感情によって理性が曇らされること。百年前、興味深い事例があった。「合衆 国公衆衛生局は、秋のパンデミック第二波の真っ只中、ほかにやるべき大事なことが山ほどあったにもかかわら ず、バイエル社のアスピリン錠の検査をさせられていた」。これは、「1918 年当時の反ドイツ感情の狂信的なま での高まり」が、変な噂、つまり、ドイツのバイエル社が製造していたアスピリンにインフルエンザの病原菌が 混ぜられて売られているという噂が広まっていたためである(クロスビー『前掲書』259 頁)。 
    現在も、疑心暗鬼が人びとの心底に沈む差別意識を目覚めさせている。これまで世界が差別ととことん戦ってき たならば、こんなときに「コロナウイルスをばら撒く中国人はお断り」というような発言や欧米でのアジア人差 別を減少させることができただろう。あるいは、政治家たちがこのような差別意識から自由な人間だったら、き っと危機の時代でも、人間としての最低限の品性を失うことはなかっただろう。そしてこの品性の喪失は、パン デミック鎮静化のための国際的な協力を邪魔する。 
 第七に、アメリカでは清掃業者がインフルエンザにかかり、ゴミ収集車が動けなくなり、町中にごみがたまった こと。もちろん、それは都市の衛生状況を悪化させること。医療崩壊ももちろん避けたいが、清掃崩壊も危険で あること。     第八に、為政者や官僚にも感染者が増え、行政手続きが滞る可能性があること。たとえば、当時のアメリカの大 統領ウッドロウ・ウィルソンも感染者の一人である。彼が英仏伊と四カ国対談の最中に三九・四度の発熱で倒れ、 病院に入院している間、会議の流れが大きく変わり、ドイツへの懲罰的なヴェルサイユ条約の方向性が決まって しまった。  


6 クリオの審判  

さらにいえば、新型コロナウイルスが鎮静化すれば危機が去ったと言うことはできない。実は、本当に怖いのは ウイルスではなく、ウイルスに怯える人間だ。ドイツの首相アンゲラ・メルケルは 3 月 18 日の演説で、日本の 首相とは異なり、基本的人権を制限することの痛みと例外性を強調した。東ドイツ出身の彼女にとって、移動と 旅行の自由は苦労してやっと得たものだった(日本語訳は、Mikako Hayashi-Husel ②)。だが、これが例外であ りつづけるのかどうか、私は大いに疑問である。今回のパンデミックは人びとの認識を大きく変えるだろう。人 びとの不測の事態に対するリスクへの恐怖が高まり、ビッグデータの保持と処理を背景とした個別生体管理型の 権威国家や自国中心主義的なナルシズム国家がモデルとなるかもしれない。ユヴァル・ノア・ハラリは新型コロ ナウイルスの後は、E U理念の復活のチャンスになりうるという希望的観測を慎重に抽出しているが、私は上記 の理由から、逆に価値が暴落する可能性も考えている(Yuval Noah Harari, In the Battle Against Coronavirus, Humanity Lacks Leadership, in: Time on 15 March 2020. ③)。また、ハラリは、コロナウイルスの対応におい て、各国の遮断ではなく協力を呼びかけており、それには全面的に賛成するが、それにしても自国中心主義に溺 れる国家が国際社会には溢れすぎている。こうして、世界の秩序と民主主義国家は本格的な衰退を見せていくの かもしれない。すでにパンデミック以前から進行していたように。 


 または、ハラリは述べていないが、新型コロナウイルスを「滅菌」するための消毒サービスが流行して、恐怖鎮 静化商品の市場価値が生み出され、人びとが、ただでさえ蔓延していた潔癖主義に取り憑かれ、人間にとって有 用な細菌やウイルスまで絶滅の危機、それによる体内微生物相の弱体化、そして免疫系統への悪影響に晒される かもしれない。第一次世界大戦後、毒ガスの民需転用で殺虫剤商品が増えていくが(その一つがユダヤ人虐殺に 用いられたツィクロンBである)、これが公共交通機関や公共施設の消毒に用いられたのは、おそらくインフル エンザが猛威を振るったこととも関係しているだろう(拙著『戦争と農業』集英社インターナショナル新書、2017 年)。 


 消毒文化の弊害については、さしあたり、マーティン・J・フレーザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』(山 本太郎訳、みすず書房、2015年)が参考になるだろう。そうして、ある特定のウイルスを体内に長年共生させ、 他の病原菌から守るような状況になる可能性を失っていくかもしれない。潔癖主義が人種主義と結びつくと、ナ チスの事例に見られるようにさらに厄介である(H・P・ブロイエル『ナチ・ドイツ 清潔な帝国』大島かおり訳、 人文書院、1983 年)。     このように、悪いことはいくらでも想像できる。しかし、世界史の住人たちは一度として、危機の反省から、危 機を繰り返さないための未来への指針を生み出したことがない。世界史で流された血の染み付いたバトンを握る 私たちは、今回こそは、今後使いものになる指針めいたことを探ることはできないだろうか。  


 第一に、うがい、手洗い、歯磨き、洗顔、換気、入浴、食事、清掃、睡眠という日常の習慣を、誰もが誰からも 奪ってはならないこと。あたりまえだ、という反応が帰ってきそうだが、歴史が我々に教えているのはむしろ、 戦争とそのための船上および鉄道での移動がこのあたりまえの習慣を困難にしたことである。人間を不衛生な場 所に収容・監禁することがこれを困難にしてきた歴史も、私たちは知っている。仕事が忙しくても、仕事中に上 記の基本的な予防(たとえば昼休みにも歯磨きをすることや共有のゴミ箱やトイレを丁寧に使うこと)を部下が 実践することを、上司が止めず、上司もみずから進んでやること。よく食べ、よく笑い、よく寝る、という免疫 力をつける重要な行為が、これまで仕事よりもあまり重視されなかったことを反省してみてもよい。 

    第二に、組織内、家庭内での暴力や理不尽な命令に対し、組織や家庭から逃れたり異議申し立てをしたりするこ とをいっさい自粛しないこと、なにより、自粛させないこと。その受け皿を地方自治体は早急に準備すること。 総力戦体制だから「城内平和Burgfrieden」(第一次世界大戦時にドイツで唱えられたスローガン)でいきましょ う、というのが、20 世紀の歴史の常道だったが、異議申し立ての抑制こそが、かえって新型コロナウイルスによ る被害を増大させるだろう。フランス大統領のエマニュエル・マクロンは 3 月 16 日のテレビ演説で「我々は戦 争状態にある」と繰り返し、アメリカ大統領のドナルド・トランプもみずからを「戦時下の大統領」と呼んで憚 らないが、この言葉は諸刃の剣である。緊急性を高めることのみならず、異論を弾圧することにも極めて効果的 な言葉だからだ。 

    第三に、戦争にせよ、五輪にせよ、万博にせよ、災害や感染などで簡単に中止や延期ができないイベントに国家 が精魂を費やすことは、税金のみならず、時間の大きな損失となること。どのイベントも、その基本的な精神に 立ち戻り、シンプルな運営に戻ること。とくに、日本のような災害多発列島はいつキャンセルしても対応可能な 運営が望まれる。  

   第四に、現在の経済のグローバル化の陰で戦争のような生活を送ってきた人たちにとって、新型肺炎の飛沫感染の危機がどのような意味を持つのか考えること。危機は、生活がいつも危機にある人びとにとっては日常である、 というあたり前の事実を私たちは忘れがちである。いつ落ちてくるかわからない戦闘機に毎日さらされている基 地周辺に住む人びとにとって、爆音で神経が参ってしまうリスクや事故に遭うリスクは、新型コロナウイルスに 感染するリスクよりも低いだろうか。原発事故によって放射性物質にさらされ、いまだに避難中の人びとにとっ て、病気になるリスクは、新型コロナウイルスに感染するリスクよりも低いだろうか。上司の嫌がらせを受けな がら働く人間にとって、過労死や自殺やうつ病になるリスクは、新型肺炎で死ぬリスクよりも低いだろうか。ホ ームレスが病気を患っている可能性は、新型コロナウイルスに感染する可能性よりも低いだろうか。派遣労働者 として働いているシングルマザーにとって、体を崩して子どもに負担をかける怖さは、新型コロナウイルスの怖 さよりも小さいだろうか。学校に馴染めない子どもたちが学校によって傷つくリスクは、この子たちに新型肺炎 が発症するリスクよりも低いだろうか。権力を握る者たちは、毎日危機に人びと晒してきたことを忘れているの だろうか。なにより、新型コロナウイルスが、こういった弱い立場に追いやられている人たちにこそ、甚大かつ 長期的な影響を及ぼすという予測は、現代史を振り返っても十分にありうる。 


 第五に、危機の時代に立場にあるにも関わらず、情報を抑制したり、情報を的確に伝えなかったりする人たちに 異議申し立てをやめないこと台湾の保健省大臣のように、体力的にも知能的にも、何時間でもどんな質疑が来 ても誠実に応答できる人間だけが、政治を担うことができる。また、インターネット上の新聞記事は、個人の生 命に関わる重要な記事にもかかわらず、有料が多い。情報の制限が一人の救えたかもしれない命を消すこともあ るのだ。せめて新型コロナウイルスに関する記事だけでも無料で配信するのが、メディアの社会的責任である。  


   日本は、各国と同様に、歴史の女神クリオによって試されている。果たして日本はパンデミック後も生き残るに 値する国家なのかどうかをクリオが審判を下す材料は何だろうか。危機の時期に生まれる学術や芸術も指標の 一つであり、学術や芸術の飛躍はおそらく各国で見られるだろうが、それは究極的には重要な指標ではない。死者数の少なさも、最終的な判断の材料からは外れる。試されるのは、すでに述べてきたように、いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うかである。いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱 いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。  

   武漢で封鎖の日々を日記に綴って公開した作家、方方は、「一つの国が文明国家であるかどうか[の]基準は、 高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達し ているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界 を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、 それは弱者に接する態度である」(日本語訳は日中福祉プランニングの王青 ④)と喝破した。     この危機の時代だからこそ、危機の皺寄せがくる人びとのためにどれほどの対策を練ることができるか、という 方方の試金石にはさらなる補足があってもよいだろう。危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日 常の危機を顕在化させる。危機以前からコロナウイルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほどさらされてきた 人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミック後も尽くし続ける覚悟があるのか。皆が石を投げる人間に 考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか。これがクリオの判断材料に ほかならない。「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、パンデミック 後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れ落ちていくだろう。 


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#4222 根室高校進路実績データ&高1英語特訓授業開始 April 14, 2020 [71.データに基づく教育論議]

 根室高校の直近5年間の進路実績データをご覧ください。


  H27 H28 H29 H30 R令和元
国公立 23 14 11 7 15
道内私大 50 54 36 54 70
道外私大 41 12 8 5 22
合格者合計 114 80 55 66 107
大学進学者数 56 49 44 42 57
生徒総数 193 188 146 175 211
市内就職 46 41 29 36 32
大学進学率 29.0% 26.1% 30.1% 24.0% 27.0%

 H30年に比べるとR元年の国公立大学合格者は倍増したがH28年並みに戻っただけで、H27には及ばない。合格者合計には複数校合格者が含まれているので、「大学進学者数」が実際に大学へ進学した人数である。これをみるとH27年度とR元年の合格者数はほぼ同じになっている。
 国公立大合格者の中には北大が一人はいっているが、一浪生と聞いている。小樽商科大学が2名合格している。1名はサッカー部のI君だ。中学時代は数学がよくでき、とくに計算の速い生徒だった。道外の国公立は秋田・埼玉・静岡・弘前大の名前がある。
 北大合格者人数1の右肩に(1)とあるが過年度生が1名と読んでいいのだろうか。そう読むと、道外私大に明治大学が2名いるがこれは右肩に(2)とあるので両名共に過年度生ということか。道外私大は法政大学へ3名合格しているところが出色だ。1名は推薦枠であるから、2名は一般合格者だろう。
 大学進学率は24.0%~29.0%である。全国平均値は50%を超えているから、半分程度と言える。教育に関心の薄い地域であることと、極東の町だから大学進学者はすべて地元から出て通わなければならないという不便さが大学進学率の低さの主要な原因だろう。

<根室高校の「教育改革」紹介>
 根室高校は数学を学力別に6クラス編成にしているが、授業進度もテスト問題も今年度から別にすることになったようだ。旧根室高校並みの学力の生徒が普通科の半数を占めている。その低学力の生徒と最上位のクラスの生徒たち対象の授業進度を合わせると、たとえば2年生が最上位のクラスも微分積分の章に手が付けられないで年度を終了するという悲惨な結果を引き起こすことになった。四月のいまやり残した微分積分の授業をやっている。今月いっぱいかかる、その反省を踏まえての改革なら大歓迎。
 2年生のコミュニケーション英語は教科書の半分しか消化できなかったが、これも改善してもらいたい、楽しみにしている。

<高1対象英語特訓授業>
 明日から毎週水曜日高1の生徒たち相手に音読中心・文型解説中心の英語の特訓授業を開始する。英語が苦手な生徒が多いので、徹底的に音読を繰り返し、全文・文型解説する。4回やったら1か月休み、合計12回が特訓授業の目安。
(子音の発音は息が日本語の3倍以上強いから、マスク着用だね。換気さんも2台回しっぱなしにする。子音発音トレーニングは口の形を見せなければいけないので、音読のときだけはわたしはマスクを外す。3回ほどやれば子音の発音はマスターできるから、その後はわたしもマスク着用のまま音読や文型解説する。根室で4/29まで武漢コロナ感染者が出ないことを祈る。)
 事情を知らない生徒の一人が「先生、特訓授業は別にお金かかるんでしょう?いくらかかるんですか?」と訊くので、「昨年高2の生徒を対象に10回の英語特訓授業をやった、英語嫌いの生徒には効果の高い授業だからどうしてもお金払いたいなら受け取るよ、高級寿司店と一緒で価格は時価だ」と言って一緒に笑った。昨年は9月ころから5人の生徒対象だったが、そのうちの一人が先週ラインで配信している英作文問題9題のうち5題正解だった。これには本人もわたしもびっくりだった。「英作文できるようになった!」って大喜び。レベルは英検準1級程度の作文問題だ。彼女は進研模試英語偏差値が45くらいだった生徒、今日も長文問題をしっかりやっていた。えらい!こういうことがあるから、英語特訓授業が愉しいのである、塾長の道楽だから愉しませて。
 いま新高1の生徒たちのために文型中心英作文問題を作っている。今週末からラインで配信できる。3年生には週4回、毎回5題出題して、解説している。1月14日からはじめたので、すでに200題を超えた。あと2か月ほどで異色の英作文参考書1冊分ほどが書きあがる。読めて書けたらあとは聴き分けられたらすばらしい。リスニングは生徒たちがもっている学校の長文問題集に2次元バーコードが印字されているものがあった。最近は教科書にも二次元バーコードが印刷されたものがあるから、それを読み込んで音声を聞いて同調音読を繰り返したらいい。もちろん、市販のリスニング教材でも効果の高いものがたくさん出ているから、自分で選んで2つくらい買って両方使って、効果が高いと思うほうで徹底的にやればいい。

<来年の進路実績への不安と期待>
 学校は数学の授業進度と定期テスト範囲や問題を学力別クラスごとに別々に変更している、塾は数学は得意だが英語が苦手な生徒たちのアレルギー反応を消そうと、昨年に続き英語の特訓体制を組む。それぞれいま自分にできることをやる。
 さて、来年の進路実績はどうなるのだろう。中学3年次の学力テストでは昨年の3年生よりも平均点がだいぶん低かった学年である。高校生になってから学力が伸びた生徒が散見される。53年前に根室高校を卒業したわたしは期待してるよ。思いっきり駆け抜けたらいい。1年後には大学進学で根室から離れて暮らすことになる。将来戻ってくるのはわずか数名だろう。いいよそれで。わたしは根室高校卒業して首都圏の大学へ進学し、幸いなことに大学院で高校時代からのテーマの研究もできた。それから仕事、結局35年間東京暮らしをしてから古里へ戻ってきた。(笑)

*根室高校進路実績
http://www.nemuro.hokkaido-c.ed.jp/index.php?page_id=31



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#4221 東京都医師会と大手民間センター3社が手を組んだ:PCR検査センター開設 April 13, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

 先ほどテレビ朝日の番組を見ていたら、東京都医師会が新型コロナ感染症「PCR検査センター」を立ち上げるという。開業医から民間検査センターへのパイプを敷設するという話である。すでに3社の民間検査センターと契約したという。

 <いままで>
 開業医や病院⇒保健所(多数のチェック項目アリ)⇒指定感染症病院⇒国立感染症センターもしくは都道府県立の衛生研究所
画像画像画像画像画像
 <これから>
 開業医と病院のドクター判断⇒「PCR検査センター」⇒大手臨床検査センター3社

 「PCR検査センター」の役割は、検査可能な指定医療機関の縛りをなくすこと、開業医や病院ドクターが必要と判断したらPCR検査できる体制を構築することである

 保健所を経由しないでクリニックや病院から直接民間検査センターへ検査依頼ができる。これなら10,000/dayでも20,000/dayでも問題なく処理できるだろう。
 東京都医師会と大手民間検査センター3社が、武漢コロナウィルス感染症感染爆発直前になってようやく手を組んだ、喜ばしい。

 大手臨床検査センター3社とは次の会社である。この順位は40年間変わることがなかった。技術力ではダントツにSRLである。SRL学術開発本部や経営管理部で仕事したわたしがいうのだから間違いがない。(笑)
1.エスアールエル

2.ビー・エム・エル

3.LSIメディエンス

*民間検査センター売上ランキング:https://mt-bank.jp/laboranking

 SRLは2月中旬から新型コロナPCR検査を受託している。おそらく1月下旬には会社として新型コロナウィルスPCR検査に必要なプライマー作成を決定したのだろう。素早い対応である。検査に必要なプライマーの自家調整をやっているのはSRLだけだろう。他は検査試薬を購入することになる。
 SRLは日本の検査センターではダントツにレベルの高い検査センターである。米国のトップレベルの検査センターと比べても遜色がないから、世界有数の民間検査センターである。その技術力は高い。

 3/6から適用の保険点数であるが、検体を郵送した場合が1800点(18000円)、それ以外は1350点(13500円)だが、これはほかのPCR検査に比べて高すぎる。なぜそうなったのかは国立感染症センターや都道府県の衛生研究所の検査コストを基準にして設定されたからではないか?民間センターのPCR検査はRNAウィルスでもそんなに高くないから、500-600点(5000-6000円)に設定すべきだ。患者負担に違いがありすぎる原価は100テスト/dayのときと5000テスト/dayではまるで違う、数分の一になるのが普通だ。かつてはSRLの原価計算システムに一番詳しいことのあったわたしが言うのだから信用してね。(笑)
 厚労省はSRLにRNAウィルスの原価情報提供依頼をしたらいい。守秘義務契約を取り交わして原価情報を教えてくれます。ナンバーワンセンターとしてその社会的使命をわきまえている会社です。

*保険点数:https://gemmed.ghc-j.com/?p=32688

**#4197 民間検査センターのPCR検査について Mar. 4, 2020
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2020-03-04

 #4198 厚労省と医師会だけで医療政策ができる時代ではない Mar.6, 2020
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2020-03-05


<余談:BCG接種と武漢コロナ感染症の関係>

 PCR検査件数が進めば、日本では症状の軽い感染者の多いことがわかるかもしれません。BCGの接種率が98%と高いからです。人口百万人当たりの死亡者数はいまのところイタリアやスペインの1/600(感染爆発がまだ起きていない)ですが、感染爆発が起きても最終的に1/50くらいにおさまるかもしれません。そうなったら、BCG接種率(98%)の高さに感謝です。そのあたりの理由については、前回の弊ブログに書いておきました。
*#4220 BCG接種が武漢コロナ感染症死亡率を下げる? April 13, 202
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2020-04-13




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<京大病院など共同声明>4/15追記
*https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/無症状でも%ef%bd%90%ef%bd%83%ef%bd%92検査を%ef%bc%9d京大病院など共同声明―新型コロナ/ar-BB12ERvR?ocid=spartanntp
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[無症状でもPCR検査を=京大病院など共同声明―新型コロナ]

  京都大付属病院と京都府立医科大付属病院は15日、新型コロナウイルスの院内感染を防ぐため、手術や救急医療を受ける患者に対し、症状がなくてもPCR検査を公費で行うか保険適用するよう求める共同声明を発表した。対策が遅れれば医療崩壊につながると訴えた
 声明は無症状であっても感染者に手術や分娩(ぶんべん)、内視鏡検査をすれば、医師や周囲の患者らに感染させる可能性があると指摘。現在は症状がある患者だけに保険が適用され、無症状のケースで実施した場合に病院側が費用を負担すれば経営を逼迫(ひっぱく)させるとした。
 また、PCR検査に必要な試薬や、感染を防ぐ防護具の確保も求め、厚生労働省に要望書を提出するという。
 京大病院の宮本享病院長は記者会見で、「臨床現場の悲鳴でもあり、この危機感は日本中の医療関係者が共有している」と話し、他の医療団体に賛同を求めた。





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#4220 BCG接種が武漢コロナ感染症死亡率を下げる? April 13, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

 驚きました。BCGが武漢コロナウィルスに効くという研究が目白押しになりそうです。
人口百万人当たりで死亡率を見ると「人口100万人に対する死者数の割合の上位3国はスペイン(338.8)、イタリア(311.7)、フランス(202.1)。米国では56.7、日本は0.69となっている。」
現在時点でという限定がつきますが、日本はイタリアやスペインの1/600しか亡くなっていません。
日本人のBCG接種率は98%です。これが自然免疫や訓練免疫を賦活しているらしいというのです。
「この研究グループは、BCGのこのような効果を「訓練免疫(trained immunity)」という新たな概念として提唱している。つまり、自然免疫が働きやすくなるように“訓練された”状態になるというのだ。」
 誤解のないように、ぜひオリジナルの記事をお読みください。

https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/コロナにbcgは「有効」なのか%ef%bc%9f東北大・大隅教授が緊急解説/ar-BB12wvYW?ocid=spartandhp

 水道が整備されていてどこでも手洗いが励行できることやマスクの着用に抵抗がないことなどを除いても、死亡率が著しく低い。そのことから類推できるのは、感染した場合の重症化率も低いということ。免疫の仕組みを考えると、BCG接種によって自然免疫の強化や訓練免疫による免疫システム賦活化効果で、不顕性感染や軽い症状で終わっている感染者の割合もずっと高くなっていると推定しうる。
 BCGによって免疫が賦活化しているとすると、花粉症やアレルギーが欧米の人たちよりも多くなるというマイナスの面もある。

 BCGは結核予防のためのものでしたが、それがその後の人生で免疫を賦活化する=訓練免疫の効果があるということ。
感染爆発しても、人口の98%がBCG接種済みの日本人の死亡率は欧米の1/50くらいにしからならない可能性がありそうです。
罹りにくいということと、罹っても自然免疫や訓練免疫の賦活化効果で重症化する人の割合が小さい、そして無症状の人や軽い風邪のような症状で終わる人が多いのが日本での武漢コロナウィルス感染症の特徴だという結論が導き出せそうです。
ヨーロッパでBCG接種の臨床実験が始まっていますから、研究の進展に注目したい。


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#4219 緊急事態宣言下の東京から帰還事情:手作りマスク April 12, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

 毎年恒例の春休みは東京で過ごしている。わたしは2週間、女房殿は+1~2週間、今回はぴったり4週間だった。
 緊急事態宣言が4/7になされた。
 4/11の羽田⇒中標津便シルバーシートを取ろうとしたら、9日から欠航。24日と27日に便があるがおそらく満席になる。感染が怖い。急遽、羽田⇒釧路便に変更した。16時15分発、17時55分着の便である。航空便の相次ぐ欠航からみると、実質的に国内は緩い都市封鎖になりっつある。

 初めて釧路空港まで車で行った。コンキリエで40分ほど休憩して、釧路に入るちょっと手前から自動車専用外環道を通ると案外早く着いた。20㎞ほどを20分で通過。街中を通ると40分かかっていた。13時25分に出発したが、釧路空港の駐車券には16時21分と印字されていた。

 釧路空港はがらんとしていた。土産物店は客がいない。2店舗でお菓子を買った。

 予定時刻通りについたが、下りてきた乗客は30人足らずであった。全日空だがエアドゥの機体とCAだったという。席が狭かったとは女房殿の弁。
 京王線で新宿駅まで、電車はガラガラ。新宿で山手線に乗り換えたのは14時ころだが、同じ車両には10人ほどしか乗客がいなかったという。東京で35年間暮らしたが、山手線がそんなに空いていたのは見たことがない。浜松町からのモノレールもガラガラ。羽田第2ターミナル駅が終点だが、下りた乗客は十数人だったという。
 買い物をして帰りたかったので、帰りは下を走ったが、道路はガラガラだから、スムーズに走れた。イオンの六花亭でお菓子とケーキとおにぎりを買って帰ってきた。

①釧路空港駐車場から
 1時間150円である。1日700円で最大14日まで停められる。中標津空港駐車場の方がずっと広いのではないだろうか。建物は釧路は3階で、3階がレストラン街。中標津は2階建て。釧路の方がずっと乗降客が多いので、もっと大きい空港を想像していた。平成3年にオヤジが大腸癌の手術をしたときに、初めて釧路空港に降り立ったが、それ以来だ。
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②到着ロビー前にある椅子には3人しか座っていなかった。飛行機がついたら7人ほどに増えた。
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③奥のほうが出発カウンターだが客がいない
 航空会社は経営がたいへんだ。夏のボーナスは昨年の半分もでないだろう。内部留保を吐き出すからゼロ解答はないだろう。
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④到着案内ディスプレイ
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⑤全日空ショップで六花亭バターサンドを購入
 ここで買うとマイルがつくんだ。この反対側のお店でロイズの生チョコを買う。
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⑥手作りマスク
 明日からこのマスクを使用する。裏にキッチンペーパーを折りたたんで入れて使えば何度も使用できる。
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⑦手作りマスクの裏側
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 東京の家にはミシンがあるから、小学生になる孫と子どものためにマスクを十数個作って渡してきたらしい。マスクがお店で買えなけりゃ庶民は工夫してしのいでいる。娘から同じ職場の人へも「おすそ分け」したらしい。困ったときはお互い様。 
 アベノマスクは極東の町にはまだ届かない、要らなくなっちゃった。(笑)





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