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#4228 「十三や」は何を商うお店?:幸田文『一生もの』より April 19, 2020 [44. 本を読む]

 午前零時を過ぎてから、ベッドの中で本を読むのが習慣化しつつある。義妹が三つもいらないからと数年前に「ハズキルーペ」を送ってきてくれた。数日前に、寝床に入って読むときにかけてみたら、字が大きくてはっきり見える、以来かの有名なメガネのお世話になっている。

池の端の十三やさん、不忍の櫛屋さん。子どものころから知っている名だし、櫛だし、おみせのまえは私がちょいちょい通る道なのだし、こちらがひとり決めで勝手におなじみだと思っているのである。」『幸田文全集第16巻 闘・しのばず』p.363

 「十三やさん」とはなんなのだろう?続けて不忍の櫛屋さんとあり、子どものころから知っている名(お店)、そして商っているのは「櫛だし」となっているから、櫛屋のことを「十三や」と言ったのだろうかと、だとしたらその由来は何か、ここでぱたんと本を閉じた。
 ちょっとの間考えてみたがわからない。
 朝目覚めて、わたしも日本人が受け継いできた言葉や数字に対する感覚を失っていることに気がつく。

 「くしや」を数字で表記すると「九四八」である「九」は「苦」、「四」は「死」を連想させる。それでは縁起が悪いから、「9+4=13」、「十三や」という洒落なのだ、そういう看板を掛けていたのだろう。店の表にかける看板のほかに、店の中に別の看板を掛けるお店もあったようだ。江戸の風情であるが、昭和30年代まで下町にそれがあった。団塊世代の二世代前までは言葉に対するセンスがずっと鋭かったと言えそう。
 この作品は幸田文が62歳のとき、1966年に書かれている。懐かしい情景を思い出しながら書いている姿が見えるようだ。そのころわたしは根室高校3年生、遠い昔のこと。

 露伴の娘である幸田文の書くものには、江戸情緒が漂う懐かしい世界へいざなう力がある。わすれていた言葉の魅力を目の前で見せてくれる。こういう書き手はもう一人もいない。

(聖蹟桜ヶ丘駅前オーパで買った、シャトレーゼ(甲府の洋菓子屋さん)の北海道産小豆を使った「きんつば」を食べながら...)
*シャトレーゼ
https://www.chateraise.co.jp/company


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①愛用になってしまったハズキルーペ
SSCN3486.JPG

②季節の移ろい
 庭のクロッカスが咲き始めた
SSCN3488.JPG




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