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#4237 Sapiens (25) : p.33 April 29, 2020 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

 武漢コロナウィルス感染症で世の中が騒がしい。「これから2週間が山場です、行動の自粛を願います」という言葉を総理大臣や東京都知事や道知事から再三聞かされてきたが、4月も終わろうとしているのに、まだ同じことをアナウンスしている。じきににっちもさっちもいかなくなる。GDPは50兆円減ると3月下旬に書いた、リーマンショックどころの話ではない。500兆円前後ある上場企業の内部留保も赤字計上続出で数十兆円規模で消滅する。2年続けば飲食業界や観光業界、鉄道や航空業界のなかでどれだけの企業が生き残れるのか。死者は300人を超えただけ。秤にかけたらいい、事の重大さに気がつき、さっさと経済活動を再開することになる。
 こういう時は普段読めなかった本をじっくり眺めるに限る。

 先週の授業では日本語訳に窮した個所と、「何言っているのかわかりません」という箇所が一つだけあった。

<32.3> Peugeot belongs to a particular genre of legal fictions called 'limited liability companies'. The idea behind such companies is among humanity's most ingenious inventions. Homo sapiens lived for untold millenia without them. During most of recorded history property could be owned by flesh-and-blood humans, the kind that stood on two legs and had big brains. If in thirteenth-century France Jean set up a wagon-manufacturing workshop, he himself was the business.

ingenious:very clever and skilful, ro cleverly made or planned and involving new idea and method


 'limited liability companies'すなわち有限責任会社の説明をしている個所である。「人間が生みだした至高の発明」と「数えきれない千年祭」をどのように訳すかだが、訳者の柴田さんのこの部分の語彙の選び方がいい、「さすがプロだ」と生徒は感心しきりだった。この部分の訳を引用するので、プロの技を味わってもらいたい。themは'limited liability companies'であることは言うまでもない。
 もう一つ、the businessの箇所が引っかかったようだ。定冠詞がついているところが味噌。businessには「商売・仕事・職業・事業・実務」などたくさんの訳語がある。プジョーは19世紀末にガソリンエンジン車の製造会社として世に現れたのだが、それが13世紀フランスで荷馬車の工場をはじめていたら、ジャン自身が事業だった、つまり法人としての有限責任会社ではなくて、ジャンが個人的に無限責任を負う事業であらざるを得ないということ。事業の失敗はジャン自身の失敗となる。「ジャン=事業」であってこれらを切り離すことはできないのである。
 個人事業に関しては、日本はまだ「13世紀フランスのまま」だ。個人事業をしていると、それが株式会社であっても、借用書には個人の資産を担保にしなければ借り入れができない。だから、会社が破綻すると、それは代表取締役の破滅となる。不動産も有価証券も何もかもを失うケースがあたりまえのようにある。連帯保証という制度が経営者をさらに追い詰めることになる。自分の破産は連帯保証人の破産となるケースが多い。自殺が多くなるのはそういう特殊な制度を残しているからだ。連帯保証は本質的には江戸時代の「五人組制度」そのもの。こういう制度を残存させているので、日本の若者たちの起業の足かせになっているように思えてならない。

プジョーは法的虚構のうちでも「有限責任会社」という特定の部類に入る。このような会社の背景にある考え方は、人類による独創的発明の内でも指折りのものだ。ホモサピエンスは、有限責任会社なしで幾千年、幾万年とも知れぬ月日を暮らしてきた。有史時代のほとんどの期間、資産を所有できるのは生身の人間、つまり二本の足で立ち、大きな脳をもった種類の人間に限られていた。もしプジョーの創業者一族のジャンが13世紀のフランスで荷馬車製造工場を開設していたら、いわば彼自身が事業だった。」柴田訳

<33.2> This is why people began collectively to imagine the existence of limited liability companies.  Such companies were legally independent of the people who set them up, or invested money in them, or managed them.  Over the last few centuries such companies have become the main players in the economic arena, and we have grown so used to them that we forget they exist only in our imagination.  In the US, the technical term for a limited liability company is a 'corporation', which is ironic, because the term derives from 'corpus' ('body' in Latin)ー the one thing these corporations lack.  Despite their having no real bodies, the American legal system treats corporations as legal persons, as if they were flesh-and-blood human beings.


 質問のあったところはアンダーラインを引いた箇所である。何を言っているのかわからないというときは、周辺知識がないか、英文が理解しきれないとき、今回は、さてどちら?


Over the last few centuries such companies have become the main players in the economic arena, and we have grown so used to them that we forget they exist only in our imagination. 


 スラッシュを入れて頭から訳してもらったら、'so used to them that'の箇所に問題があった。themはcompaniesである。
  used to them(会社に慣れる)
「過去数世紀にわたってこのような有限責任会社が経済の舞台で主役であり続け、わたしたちはそういう中で育ってきたので、すっかり会社というものに慣れてしまい、有限責任会社というものが想像の中にしか存在していないということを忘れてしまっている」


 有限責任会社の代表例は株式会社である。それは法的な虚構のなかであたかも人格をまとっているかのように存在している。モノを購入し、人を雇用し、製品を製造し、販売して利益を上げ、株主に配分する。飽くことのない拡大再生産を続けることで企業は成長してきた。
 ハラリは現実の経済社会に存在している株式会社を、個人と対比しながら法的な人格である法人の歴史的特異性を明らかにして見せてくれる。

だからこそ、人々は有限責任会社の存在を集団的に想像し始めた。そのような会社は、それを起こしたり、それに投資したり、それを経営したりする人々から法的に独立していた。その手の会社は過去数世紀の間に、経済の分野で主役の座を絞め、ごく当たり前になったため、わたしたちはそれが自分たちの想像の中にのみ存在していることを忘れている。アメリカでは、有限責任会社のことを、専門用語では法人と呼ぶ。これは皮肉な話だ。なぜなら「corporation法人」という単語はラテン語で「身体」を意味する[corpus]に由来し、それこそ法人には唯一欠けているものだからだ。法人にはんものの身体がないにもかかわらず、アメリカでは法人を、まるで血の通った人間であるかのように、法律上は人として扱う。」柴田訳


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