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#4260 五月の気温としては史上最高か? 28.5度 May 30, 2020 [85.サイクリング]

 5月に28.5度なんて10年に一度もあるのかな?先週より18度も気温が高かった。根室でこんなに高かったから、別海や中標津は30度越えだっただろう。

 少し涼しくなった4時半ころ気温26度の牧の内を走ってきた。
 道端のフキの緑色も牧草地の緑色も若々しい。カッコーがあちこちで長閑に啼(な)いている。小鳥たちがさまざまな声で囀(さえず)る。原野の色彩はいまころが最高!空気が乾燥しているせいか、国後島がはっきり見えていた。
 今日の走行距離は25㎞だったが、降りるときに足がふらつかなかった。航空自衛隊分屯地周回コースを3回ほど走ったから、脚に少し筋肉がついたのかも。
 陽気がいいと体調もよくなる、ご飯もおいしい。脂っ気のない秋刀魚が手に入ったので、出汁昆布をたっぷり入れた煮つけを作ってくれた。好い食材が入るからふるさと根室はありがたい。

 平均時速20.1km、瞬間最高時速37.9km、安全運転。(笑)
 5月走行距離 RB:49㎞ 累計5335km
       MTB:8km 累計1542km

 さて、今年は10月末まで、どれだけ走れるか、体調と気分次第。

(5/31追記:釧路市中徹別で全国一の32.5度、釧根で13地点が30度越え、別海町、標茶町、弟子屈町などの名前が挙がっている。)

(6/1追記:最低気温28.5度、最低気温7.8度、一日の気温差は20.7度、年寄りにはストレスが大きすぎる温度差だから、重篤な老人は亡くなる確率が上がる。)


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#4259 Sapiens (29th) : page 40 May 30, 2020 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

<最終更新情報>5/31朝8:50

<40.0> When two strangers in a tribal society want to trade, they will often establish trust by appealing to a common god, mythical ancestor or totem animal.
<40.1> If archaic Sapiens believing in such fictions traded shells and obsidan, it stands to reason that they could also have traded information, thus creating a much denser and wider knowledge network than the one that served Neanderthals and other archaic humans.

 アンダーライン部のit stands to reasonの 'it' が何を指しているのかと言いう質問があった。
 話の流れを確認すると、「部族社会の見知らぬ二人が交易したいと思ったら、共通の神とか神話上の祖先とかトーテムの動物に訴えることで相互の信用を確立する」、「そうした虚構を信じる古代のサピエンスが貝殻や黒曜石を交易していたと仮定するなら...」という文脈である。前のものを指示しているとすれば、その候補は archaic Sapiens か文全体かという選択肢が思い浮かぶ。

 theyはarchaic Sapiensである、人だからitでは受けられないし、集合名詞としてのSapiensでもない。個々のサピエンスがハラリの脳裏に浮かんでいる。weで受けずにtheyで受けたのは、飛行機で移動し、飛行機でスマホなどのエレクトロニクス製品を運び、電子決済をして地球規模で貿易する現代社会に生きるサピエンスであるわたしたちと物々交換をしていた古代のサピエンスに距離を感じているからだ。

①archic Sapiens believing in such fictions traded shells and obsidian (このような虚構を信じる(同じ部族内の)古代のサピエンスたちが貝殻や黒曜石を物々交換していた) 

it stands to reason that they could also have traded information


 could have treded は形だけ見ると仮定法の帰結節にも見えるが、文脈から判断するとこの場合は仮定法ではない。「過去時の可能性・推量」で、その意味は「情報を交換できたであろう」
である。美しい貝殻や黒曜石が数百キロメートルを隔ててなお物々交換がなされたという事実から、ハラリが合理的に推量しているのである。日本語の論説文でも事実と意見を分けて書くのは、あたりまえのお作法に属するが、英文でも同じこと。書き手が考古学的な事実とそこから推して有力な仮説を自分の意見として述べているのだから、読み手の方もそれらを分けて受け取る必要がある。数万年も前に数百キロメートルという距離を隔てた交易がなされていたという考古学的事実から、それを行ったサピエンスにはすでに共通の神とか神話上の祖先とか、トーテムの動物に語りかけることという共通の虚構があったはずというのが、彼のユニークな推論である。考古学的な事実や証拠はたくさんの人が目にしているが、共通な虚構が存在したこと、そしてその重要性に気がついた人はいない。ハラリの仮説はとてもユニークなのである。この本が世界中でベストセラーになっているから、このユニークな意見は現在進行形で通説化しつつある。


 文法的な解説に戻ると、standは前置詞句を伴なっているから自動詞である。「立っている、位置している、…である」のどれだろう?toは到達を表すから、「(理由のないところから)理由のあるところに到着して立っている⇒明確な理由がある」、なんだか慣用句の匂いがするので、reasonを辞書で引いたらあった。ジーニアス4版から引用する。
-------------------------------------
 it stands to reason that (…は当然である、理に適う)
 It stands to reason that workers are paid. (労働者が賃金をもらうのは当然だ)
-------------------------------------
 「理由のあるところに到着して立っている⇒明確な理由がある⇒理に適う」、なるほど。
 なんてことはない、慣用句化したit...that構文である。itはthat節ということになる。
 「(ものばかりでなく)同時に情報も交換しえたということは理にかなっている」

③archaic Sapiens could have created a  knowledge network.
(古代のサピエンスはある種の知識ネットワークを創り出すことができたかもしれない)
④the knowledge network served Neanderthals and other archaic humans.
(その知識ネットワークはネアンデルタール人たちや古代の人類に役にたっていた)

④’ the one that served Neanderthals and other archaic humans.

 それで、③と④が比較されている。片方は古代のサピエンスが創りだした知識ネットワーク、比較されるのはネアンデルタール人たちやその他の古代の人類の役に立った知識ネットワーク。the one となって定冠詞がついているのは、[ネアンデルタール人や古代の人類の役に立った]知識ネットワークという限定がついているから。同じ名詞句の繰り返しを嫌ったということ。英文の修辞法(rhetoric)では基本に属する知識。
 servedを「役に立つ」と訳したが、気になるので『英語基本動詞辞典』を引いてみると次の用例が載っていた。
-----------------------------------------
2c. S serve O  :S〈物〔事〕〉がO〈人〔人の目的など〕〉に役にたつ〔かなう〕
   That excuse will not serve you. (それは君の言い訳にはなるまい)

-----------------------------------------

⑤archaic Sapiens could have created a much denser and wider knowledge network than the one that served Neanderthals and other archaic humans.


 以上で解説終了、やっかいな文だ。(笑)


 翻訳者の柴田裕之さんは上手に処理してる。
部族社会で見知らぬ人同士が交易しようと思ったときには、共通の神話的な祖先やトーテムの動物に呼びかける。
 もしそのような虚構を信じている太古のサピエンスが貝殻と黒曜石を交換していたとしたら、情報も交換して、ネアンデルタール人ら、他の太古の人類のものよりも格段に濃密で広範な知識のネットワークを生み出せたと考えるのは理に適っている。」p.53

 柴田さんは「貝殻と黒曜石を交換していたとしたら」と書いているが、もしそうなら、ハラリは次のように書いただろう。

  If archaic Sapiens believing in such fictions traded shells for obsidan, ...

 美しい貝殻や刃物として役に立つ黒曜石は、物々交換される貴重品の代表としてあげられているのであって、貝殻と黒曜石を交換する話ではない、細かい話だが、意味が違ってしまっている。
 わたしの訳案を書いておく。

「このような虚構を信じる古代のサピエンスが貝殻や黒曜石を物々交換していたとしたら同時に情報交換もしていたと考えるのが理にかなっている。したがって(thus=数百キロメートルもの距離を隔てた交易によって)、ネアンデルタール人たちやその他の太古の人類が利用していたもの(=知識ネットワーク)よりはるかに濃密で広範な知識ネットワークを太古のサピエンスが創り出していたと云いうる。」




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英語基本動詞辞典 (1980年)

英語基本動詞辞典 (1980年)

  • 出版社/メーカー: 研究社出版
  • 発売日: 2020/05/30
  • メディア: -
 こういう素晴らしい辞書は絶版にしないでもらいたい。買う人がいなければ出版社は絶版にせざるを得ませんから、毎年数百人の人が購入したら8刷り、9刷りと続きます。翻訳をやる人には必携の辞書に一つです。
 わたしがもっているのは1999年初版7刷り、新品同然のきれいな状態のものを8000円ほどで手に入れました。
 絶版になっていないかもしれませんので、新品を購入したい方は本屋で問い合わせてください。この辞書には姉妹編として『英語基本形容詞・副詞辞典』と『英語基本名詞辞典』があります。会計学や経済学、コンピュータシステム開発、医学関係の専門書を知的興味や仕事上の必要があって原書で読んできたので、文学作品には疎く、わたしは英語の形容詞や福祉にはあまりなじみがないのですが、文学作品を読む人は『英語基本形容詞副詞辞典』が役に立つでしょう。もちろん、英文を書く場合にも圧倒的に多数の用例が整理されていて使い勝手がいい本なのです。

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#4258 国際的に見た日本の上場企業の役員のレベル(1) May 29, 2020 [2. マネジメント]

 ルノー、日産、三菱自動車の提携見直し案がルノー会長ジャン・ドミニク・セナール会長から出された。3社とも赤字転落、青息吐息である。共通プラットホームを拡大してコスト削減と同時に製品の信頼性をアップしようというわけだが、開発するリーダー企業とフォロワー企業に分野ごとに分けた。日産社長からも三菱社長からも具体的な提案はなかった。テレビ会議で決まったわけだが、三人のトップの経営の力量の差は一目瞭然である。日産も三菱もトップは経営を立て直せるような人材ではない。

 日本企業の経営者は低学力ばかりという論説が昨日アップされている。
*https://www.msn.com/ja-jp/news/money/日本企業の経営者が低学歴ばかりになってしまった根本的理由/ar-BB14GJ2l?ocid=spartandhp
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簡単に言えば、新しい変化に対応するには高学歴の頭脳が必要ということだ。たしかに日本の大手企業の役員や経営者は大卒どまりの人材が多く、大学院の修士号や博士号を持つ人は少ない。世界の経済人とは大きく違う点だ。
ちなみにグローバル企業と言われる日産自動車には外国人の役員も相当数いる。しかし、役員の経歴を見ると、日本人は社長以下、大卒どまりが圧倒的に多い。それに比べて外国人役員は大学院卒が目立つ。技術系だけではなく、文系でも心理学修士や会計学修士、特に多いのはMBA(経営学修士)ホルダーだ。

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 セナール会長は1976年にHEC経営大学院を卒業、経営学修士である。HEC経営大学院はフランスのトップの大学であるグランゼコールの中でもトップに位置する世界のCEO輩出ランキングではハーバード大、スタンフォード大に続いて第三位である。グランゼコールに合格すると国家公務員として給料がでる。だから、アルバイトはする必要がなく学生は勉強に専念できる。だから、日本の大卒とは学力がまるで違う
  比較のために並べてみると、日産自動車の内田誠CEOは同志社大学神学部卒業、三菱自動車の益子修三会長は早稲田大学政経学部卒業。大学卒業時点で会社経営に直結する学問の素養はない。
 ハーバードやスタンフォードやHEC経営大学院のようなトップレベルのビジネススクール出身者のグローバル企業の社長たちと日本の上場企業の経営者たちは対等に話ができるだろうか?

 日本企業の役員に大学院卒は珍しい。日産も三菱自動車も同じだろう。勉強のピークは18歳まで、その後シビア―な勉学はしていない者がほとんどで専門領域と言えるものがない。会社が経営の危機にあってもそれを打開する具体的な経営目標やそれを達成する経営戦略が描けず右往左往する。日産と三菱自動車のトップの発言を読んだが、組織を調整維持するだけの能力しかない、セナールが具体的な経営戦略を語ったのとは対照的で、その発言はまるで無能に聞こえた。

 日本にも大学院卒はたくさんいる、しかし、その卒業生たちと企業経営は結びつかない。理系出身者は数が多いがマネジメントできる人材が稀である。コミュニケーション・スキルや、マネジメント・スキルが概して低いい傾向がある。いや、文系だって似たようなものかもしれぬ。本をたくさん読んで語彙が豊かでなければ、理系・文系問わずコミュニケーションスキルが発達しないのはあたりまえか。受験勉強ばかりで、部活や生徒会活動などでリーダとして実績を積み重ねた者は社会人となってからも仕事でリーダシップを発揮する機会に恵まれてしまう。大学院卒は圧倒的に理系が多い、文系の大学院卒は理系に比べたら1/20以下だろう。ほとんどのケースが大学に残るしか就職がないし、残れる枠はさらに数分の一と極端に少ない。文系大学院卒を積極的に採用する上場企業はあまりない。文系大学院での研究経験が企業では役に立たないケースが多いからだ。
 企業運営と関係がある原価計算学はいまだに、コンピュータシステムに専門知識のない学者たちが学会を作って運営している。上場企業で原価計算システムのない会社は一社もないが、大学で原価計算を研究している学者にはコンピュータシステムの専門知識がない。大学で教えていることは実務とかけ離れており役に立たないケースが多いのだ。番場嘉一郎、岡本清と歴代の原価計算トップ研究者は一橋大学出身者で、学会事務局も1990年ころは一ツ橋大学内にあった。会計学者も同じだ。原価計算や会計学はシステムとは切り離せないが、この領域の学者はほとんどいないから、せっかく米国で専門書が出版されても翻訳できる専門家がいないので原書で読まざるをえない。会計学や原価計算学は文系科目だが、コンピュータ・システムは理解科目、高校から路線を分けてしまっている、現実の企業会計や企業原価計算はコンピュータ・システムなのに、それを教えられる学者がいないし、日本の教育制度ではこうした境界領域の専門家が育たない。米国の公認会計士は理系出身者が多いと聞いている。まことにめずらしいことにトーマツ監査法人のSRL担当責任者の公認会計士は京都大学の理系出身者だった。実務は実務、大学は大学、まったく別のことをやっているのが日本、クロスオーバーできる人材がいない。
 このあたりが米国と事情がまるで違う大統領が交代すれば、それまで大統領を支えていたスタッフたちは野に下り、大学や企業へ転職するさまざまな分野の高度な学力を有した専門家たちが大統領を支えている新大統領は企業や大学から自分の好みに合うスタッフを大勢引き連れてホワイトハウスに乗り込む。大統領が交代するたびに、政界と大学の間で大量の人事交流がなされる。
 日本では大学院での研究が企業で仕事するときにほとんど役に立たないという特殊な事情がある。研究内容が現実離れしてレベルが低い。そして古典文学や日本経済史などの専門家が民間企業でその能力を生かして働ける仕事はほとんどない、出版関係だけだろう。本が売れないから優秀な出版人が育たなくなってきている。岩波書店の出す本すら、チェックがいい加減になっている。出版社側の人間が、引用された文献を調べてチェックするという作業すらできない状態になっているのだ。
 まれに、優秀な大学院卒がいたとしても、それを使う課長職や部長職や役員はみな大卒である。使えないのである。

 ある上場企業の創業社長Kさんは臨床検査専門学校卒だった。どういうわけか役員に大卒が一人もいなかった。その創業社長は専門学校時代に同じアパートの向かいの部屋に住んでいた。1970年ころ専門学校を卒業するときに「これからは専門学校卒ではダメだから、大学進学する」と言っていた。彼のところには専門学校の仲間がよく集まっていたから人望はあった。彼は東京理科大の夜間へ進学して中途退学している。数年して起業して会社を急激に大きくして会社を店頭市場に公開した。名前が同じであることに気がついたときにその会社の役員の経歴を見たら、高校時代の仲間や専門学校の友人たちばかりで、大卒が一人もいない、歪な役員構成だったのでちょっとびっくりした。もちろん経営スタイルにも色濃く影響してしまった。大学進学できなかったことがトラウマになったのだろうか。専門学校卒のかれは大卒の人材を会社幹部に雇わなかったようだ。もし彼が有能な大卒や大学院卒を使っていたら、業界2位のBMLは3位だったかもしれない。1991年ころに資本提携して出向した会社の社長と同期、同じ県の出身者でよく知っていたから、社長のT橋さんから「俺とは同郷だからよく知っている、Kに会いに行くか?」と誘われたことがある、そのときは時期ではないと思った、だれもKさんとわたしが学生時代に同じアパートに住んでいて旧知の仲とは知らないから、会うとSRL側に余計な憶測が飛ぶ、立場上会えない事情があった。それでK君が専門学校を卒業してから一度も会っていない。

 同じことは根室市役所にも言えそうだ。釧路市役所部長職はほとんどが大卒だが、根室市役所に大卒は少ない。北大卒は一人だけと聞いた。大卒だから学力が高いとは言えないケースもあるが、市役所で大卒が根室市役所ほど少ないところはとっても珍しい部類だろう。2割いるだろうか。高卒や専門学校卒の部長職や課長職が大卒の部下を使えるならいいが、大卒比率があまり上昇しないところを見ると使えないのだろう。それは根室市役所全体の戦力ダウンとなっている。根室支庁で大卒だったのは道庁職員から市長となった横田さんや藤原さんだけだろう。二人とも北大卒。釧路の教育を考える会の会長である角田さんも北大卒で、市役所経済部長職の後で釧路市教育長職を2期務めている。こういう人材がいるから、釧路の教育改革が進められる。釧路市役所の次長や部長職は大卒がほとんどだ。高学力は全体の戦力をアップするために必要なのである。問題山積みなのに崩せる人がいないというのが日本企業や官公庁に共通の悩み。

 ここからは個人的な経験に基づいた意見を書く。
 大学院を卒業して、1978年9月に産業用エレクトロニクスの輸入専門商社関商事(後にセキテクノトロンと社名変更)へ中途入社した。新聞広告を見て2社に応募書類を送った。社長面接を終わり、ファッションブランド森英恵の会社から採用通知が来たので、エレクトロニクスの会社へ断りに行ったら、「いまいるから関周社長にあって行け」と総務経理担当役員のN村さん、会って話をして、翻意してその会社に入社することに決めた。給料の多寡の問題ではなかった、コンピュータ組み込みの世界最先端の計測器類がゴロゴロしているところを見てしまったからだ。こどもがおもちゃを見つけたようなもの。いじってみた方のである。
 関さんは慶応大学大学院卒、経済史の専門家だったと思う。わたしの専門領域は理論経済学だが、マルクス経済学、会社の経営とは何の関係もない。高校は商業科、大学は商学部会計学科で経理関係業務のエキスパート、そういう異色なところが買われたようだった。最初の週に予算編成と予算管理、そして資金繰りを任された。その翌週には、6つのプロジェクトが社内に公示された。そのうちの5つにわたしの名前が載っていた。5つとも実質わたし一人でやることになっていた。プロジェクト・リーダは財務委員会と長期経営計画委員会が関社長、収益見通し分析委員会が一番若手のM本取締役、電算化推進委員会が早稲田理工科出身の営業担当常務、為替対策委員会が上司のN村さんで総務・経理担当取締役だった。役員は全員大卒だった。扱っている製品が軍事製品や欧米50社の世界最先端の産業用エレクトロニクス製品だったから、営業マンは9割が理系の大学出身者。利益重点営業委員会は担当ではなかったが、具体案の作成と実行実務を任されていたE藤東京営業所長がシステム化案件なので手伝ってほしいと申し入れがあり、結局手伝うことになり、入社して1か月後には6つのプロジェクトを背負って走り出した。それまで社内ではだれもチャレンジしたことのない課題を6つのプロジェクトに分けて、中途入社早々のわたしに預けたのだから、関さんも冒険だっただろう。まさか2年で全部やり遂げるとは考えていなかったと思う。為替変動で黒字と赤字を繰り返していた会社が安定して高収益をあげられる会社になった。院卒の社長のもとで仕事したのはこの会社が初めてだった。東大卒の3代目社長が会社を潰した。業績が悪化して2010年ころに他社に吸収合併されて上場廃止したのを知ったときには愕然とした、40代50代で路頭に迷った社員たちが気の毒。
(先代の社長が創業者で、三井合同(財閥持ち株会社)の幹部だった。戦後の財閥解体で社員の首を切り、その後で辞職している。そういう覚悟がなければ社員を切ってはいけないのである。そのごヒューレット・パッカード社の日本総代理店を始めた。彼ら二人と先代社長はスタンフォード大で同期だった。)


 次回は具体例をあげて学卒では手に余るレベルの仕事について論じてみたい。


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#4257 四枚の大陸プレートの衝突部にある日本列島と経済のデザイン May 26, 2020 [91.経済]

 COVID-19の第2波(ヨーロッパ型、第1波は武漢型)は沈静化しつつあり、次の第3波のパンディミックまで小休止、その間に準備すべきことは多い。


 地球を覆っている地殻は十数枚あり、そのうちの四枚が衝突しているところに日本列島が乗っかっており、そんな地域は地球上に日本列島以外にはない。北から時計回りで挙げると、東日本が載っている北米プレート、日本海溝に沈み込んでいる太平洋プレート、南から押し上げる圧力で富士山を造ったフィリピン海プレート、そしてユーラシアプレートである。その四枚の継ぎ目に形成されたのが日本列島なのである。複雑な地殻構造の上に日々暮らしていることを忘れてはならないのだろう。
 台風による大雨や長雨で崩れやすい場所、すなわち住居には適さない場所が多いことも日本列島の地殻構造と成立の経緯から当然のことだろう。火山灰地は崩れやすい、とくに山や丘陵地帯の斜面や斜面の接続部で水が流れる一帯ががそういう場所だ。
 巨大地震、大津波、火山噴火、地殻が不安定なことによる自然災害は残念ながら予測しがたいことをわたしたちは2011年3月11日の東北沖巨大地震やその後の火山噴火などで知った。地震も噴火もまったく予想されていなかった場所ですら突然起きる。さまざまな分析で地震や噴火の起きる確率が高くなっているところでも、いつ起きるのかについては確たる推論の方法がないというのが事実である。天からの恵みと災厄は同じコインの表と裏の関係、いつなのかがわからないからつかの間の幸せを楽しめるのではないか。

 COVID-19でリモートワークが増えている。首都圏から離れることが可能な人は思いっきり離れて仕事したほうがいい。そうすれば、首都圏で直下型の地震が起きたときの被害を小さくできる。経済機能もリモートワークで一部を分散化・温存できる。教育のオンライン化はまだごく一部で始まったばかり、さまざまな障害のあることが次第に判明してきているが、一つ一つ解決したらいい。自然災害や地球規模でのパンディミックが起きたときの備えになる。

 言いにくいことだが、自然災害は人間の都合に配慮してはくれないから、これから第3波のパンディミックと重ならぬ保証がない。それに備えるには今何をなすべきなのだろう。

 四百年に一度の根室沖巨大地震は地層に大量に運ばれた海砂の堆積層としてその記録が刻まれている。5500年間に13回の大津波(20~30m)が北海道太平洋沿岸を襲ったことが地層調査から判明している。東海と南海大地震も危険域に入っていることがもう30年も前から叫ばれている。1923年9月1日11時58分に起きた関東大震災(震源地不明)からもうじき100年目を迎える。富士山の宝永の噴火は1707年11月28日であり、すでに313年が過ぎている。同じ年に南海トラフを震源とする宝永の大地震(1707年10月28日)が起きている。宝永の大地震が起きてから富士山噴火が起きた。東南海大地震が起きれば、富士山噴火の可能性が大きいことぐらいは地震学者でなくてもわかる。
 噴火の可能性が高まっているという火山学者が増えているが、いつそれが起きるかは誰にもわからない。2014年9月27日の木曽の御岳山の噴火はいきなりだった。鹿児島湾や九州西側に巨大海底カルデラの存在がわかっている。過去に巨大噴火が起きたことだけはたしかだ。九州に住む人が全滅するほどの規模だったらしい。
 日本列島にはそうした地震や津波そして火山噴火がいたるところで起きてきた。起きるたびに甚大な被害を受けつつも、自然の恵みもいただいて生き延び、暮らしてきたのである。

 社会や経済の仕組みを根本からデザインしなおすときに来ている。COVID-19は天からのメッセージと受け止めよう。リモートワークできる人たちは首都圏を離れ、教育はこれから来るパンディミックに備えて、デジタル化を進めたらいい。それが自然の流れである。

 平時に赤字国債を大量に発行するような愚かなことはやめよう。自然災害が起きるたびに赤字国債が必要になるから、個人も企業も地方自治体も政府も、自然災害に備えて貯蓄や内部留保を増やそう。政府も地方自治体も借金をなくし、年間予算額と同額の災害復興積立金をもとう、それを使わなければならないときは繰り返し来るのだから。来たときには惜しみなくそれを使おう。幸いなことに日本の企業の内部留保は500兆円もある。
 企業レベルで見れば、内部留保を薄くして配当を増やし、一人当たり人件費を減らしながら経営者の報酬を1億円にするなどのグローバル・スタンダードは狂気の沙汰である。強い管理貿易で国内に必要な生産拠点を維持しよう。そういう、自立型の閉鎖的な経済体制を世界中に広め(輸出す)ることで、経済格差が縮小できる。

 日本列島に住む私たちは、世界のほかの国々に住む人たちとはかなり事情が違っているから、日本列島で暮らしてきた私たちが育んできた伝統的な価値観を大切にし、自然災害と折り合いをつければいいだけ。

*脆弱な日本列島:https://www.zenchiren.or.jp/tikei/zeijaku.htm
*富士噴火に関する火山学者の意見
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64713
*2014年の御嶽山噴火 - Wikipedia



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#4256 地域の老人医療・介護崩壊を招かないためになすべきこと May 24, 2020 [37. 老人介護・医療]

<最終更新情報>5/25朝8時半 <余談:外断熱仕様の重要性>追記

 介護施設やサービスにはさまざまある。療養型病床の病院、老人保健施設、特別養護老人施設、老人ホーム、グループホーム、ショートスティ、デイサービスなど。
 最近高齢者の入所系施設でのクラスター感染が散見されるようになっている。北海道では札幌市の介護老人保健施設で利用者と職員30人のクラスター感染があった。
 重傷者は感染症指定病院へ入院・隔離措置をとるが、陰性の入居者は施設にそのまま残置される。PCR検査がままならない現状を考えると、ヘルパーさんたちは身の危険を感じながら仕事しているのだろう。家族へ感染させるかもしれないというリスクを考えてやめる人も出る。フェースガードやサージカルマスクや消毒用アルコールも足りない。
 こうした施設が単独ではやれることには制限があって、十分な対処ができないことは想像に難くない。
 療養型病棟だと、褥瘡(じょくそう)を防ぐために頻繁に寝返りを打たせなければならないからそのために介助が必要。食事の介助が必要な患者さんもいる。オムツ交換も濃厚接触しなければできないし、ジエットバスやバブルバスの特殊浴槽に入れなければならない患者さんも少なくない。普通のお風呂を利用できる患者さんも介助の必要な人とそうではない人がいる。感染流行中は感染予防のために見舞客を病棟に入れることはできないが、医者・看護師・ヘルパーさんたちの中に、不顕感染者が出ることは防げない。症状が出たときにはすでにウィルスをバラまいた後になる。症状のでる直前3日間がもっともウィルス排出量の多いことが判明している。
 特殊浴槽は特養だって老健施設だってデイケアセンターだって備えているし、日々ヘルパーさんが入浴介助に当たっている。食事の介助は例に挙げた全施設で日常的に生じる風景である。

 こうした施設は、クラスター感染が発生した場合にどのような応援体制が必要なのか、施設内で具体的に議論して、所在地の市町村や都道府県に回答期限付きの具体的な要望書を出したらどうか?
 北海道知事や道庁や市町村長の動きは鈍いから、施設側から、欲しいもののリストと数量、応援スタッフの要件・人数・期間などを書いて提出したほうがいい。個々の事情は市町村長や北海道知事にはわからない、わからないのだから、道知事も市町村長も知る努力をすべきではないのか。

 コロナ騒ぎがあってから、わたしは大勢のヘルパーさんを抱えた療養型病床群の病院や老健施設やグループホームでクラスター感染が起きることを心配していた。首都圏の300ベッド弱の特例許可老人病院を療養型適合病院にするために常務理事として病棟建て替えの仕事をしたことがあるからだ。もし、自分が仕事している病院だったらどう対処するのか、他人事ではない思いでずっとテレビや新聞報道を見てきた。

 老健施設やグループホーム、特養施設内でクラスター感染が起きたときには、ヘルパーさんの応援部隊として感染症予防が指導できる看護師派遣や医師の派遣が必要になる。どの病院から応援部隊の看護師さんが派遣できるのか、その場合に、ヘルパーさんの感染防止対策はどのような手順ですべきか、必要な資材の確保や備蓄はどうあるべきか、そしてマニュアルの作成も必要だし、いざというときに備えて実践的なトレーニングもしておくべきだろう。やるべきことは多い。良好な経験値を積み上げておいたら、新たな感染症が出てきたときには十分な準備がなされていることになる。


 次の感染の波が来るまで半年くらいあるだろうから、具体策を練り実践的なトレーニングに充てて、間に合わせてもらいたい。放っておいたら多数の死者が出るだろうし、クラスター感染が起きた地域の老人介護医療や介護事業が崩壊する。クラスター感染を広げぬ鍵は初動体制にあるから、事前準備に地域の医療機関の枠を超えた協力体制があれば速やかに対処できる。

*茨戸アカシアハイツ(札幌市北区)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20200524-OYT1T50066/

**「新型コロナで“介護崩壊”の危機? 高齢者施設で いま何が」「保健所は「施設内で看取って」、感染者が続々死亡…関係者証言」*
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200508/k10012422701000.html



<余談:外断熱仕様の重要性>
 老人医療や介護ではオムツ交換時に強い臭気が出るのは致し方ないことである。外断熱仕様にしてあれば、各居住スペースに換気扇が取り付けてあればスイッチを入れて臭気を排出すればいい。必要なら小窓を空けて部屋ごとに空気の入れ換えもできたほうがいい。外断熱仕様の建物なら空気を入れ替えても部屋の温度変化が小さいし、コンクリート建物なら外壁に蓄熱できるから輻射熱でヒートショックが起きない。
 暖房は輻射熱を利用した暖房がいい、遠赤外線が一番居心地がいいのである。北海道は厳寒期には-10度以下に気温が低下する。マイナス30度にもなる陸別などの内陸部は別としても、オホーツク海と太平洋を分けるように突き出している根室半島でもマイナス5度は普通だ。強い北西の季節風が吹くから、外断熱仕様のない建物は石の建物を外から強い風を当ててガンガン冷やしながら暖房することになる。まことに効率が悪く不経済だ。外断熱仕様にすれば燃料用灯油の消費が半分くらいにできるのではないだろうか?なにより病気を抱えて入院・入所している老人には換気してもヒートショックの小さいことがありがたい。弱って来れば急激な温度変化は強いストレスとなって命を奪う。療養型病床の病院では、春先の暖かくなったころが一番死亡率が高くなる。寒い冬が終わろうとして、温度変化が一年間で一番大きいからだろう。
 ところで、外断熱仕様にするには建築費が1割程度高くなるが、冬の暖房と夏の冷房を考えると、燃料費や電気料金が3割以上(冬は半分以下で済む)は節約できるから、増える建物減価償却費の何倍ものコストカットが可能だ。北海道の冬の外気温と室温との差は25°~50°もある。
 わたしが1999年にやった首都圏の300床弱の病院は外断熱仕様を採用した。仕事で病棟に出入りするとき、時々強い便臭が気になっていたからだ。冬に窓を開けて空気の入れ換えをすると、室温が下がって患者さんたちが風邪をひくと婦長さんたちが言っていた。


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#4255 北の勝で帆立を刺身に晩酌 May 23, 2020 [85.サイクリング]

 3時の気温8.3度、南風4.5m/s、曇り空。お昼頃に太陽が出てきて気温が上がった、朝7時は5.4度だった。極東の町はあいかわらず寒い。
 牧の内T字路まで走っていてから、航空自衛隊分屯地を一周してロードバイクから降りたら足がふらつきヨロめいた。去年はこんなことなかったから体力低下を実感した、13㎞でやめておいた方がいい、納沙布岬周りの、「太平洋⇒納沙布岬⇒オホーツク海コース」45km走破はトライアルする気にもならぬ今年の気分。
 床暖房がついているので、水分補給に青汁を飲み横になったらとたんに30分ほど眠っていた。まるで死んでしまったかのような深い深い眠りだった。
 どうやら五月は昨年の1/3も走れない、無理する気力もないからそれが速度にも出る、最大速度は38km/hだった。全速力でペダルをこげば50km/hを超えるだろうが、25~35km/hで平地をしばらく走れたらそれで十分、心の在り様が違ってしまっている。牧の内T字路往復10㎞走るのに26分かかっている。往路を無理していないから復路が案外速いことに気がついた。わずかな坂ともいえない登りのときは軽いギア(4段目)に切り換えて走った。昨年は3段目を使っていた。南から風が吹いていたので、往路も復路も横風で走りやすかった。国道なら秒速10mを超える横風は危険だ、強く吹いてくると1mほど走行ラインがブレることがあるからだ。横風のときは右から風が吹いていたら、路側帯と車道の間に引かれた白線上は走らない、ラインよりも50㎝ほどセンター側を走るようにしている。時速30㎞で側溝に突っ込んだら、怪我しかねない。たぶん、身体を空中に飛ばしてとっさに回転しながら受け身はできるだろう、しかし落ちた草叢(くさむら)に石があったらアウト。光洋町の自衛隊近くのT字路で車線をはみ出して右折してきた車に進路をふさがれてフルブレーキしたら、自転車ごと一回転し受け身をしたのはいいが左大腿部を縁石にしたたかに打ち付けたことがあった。
 ランニングしている人が一人と歩いている人が一人いた。荷台の囲いの高いダンプカーが何かを運んで数台通り過ぎたから、どこかで土木工事をしているのだろう。人気のない原野に鳥が囀り、路肩にはフキが伸び始めていた。

 夕方6時ころだったろうか、近所に高校の同級生が住んでいるが、奥さんがホタテ貝をもってきてくれた。殻がついたまま、おすそ分けと言いながらたくさんいただいた。
 それで今夜はホタテの刺身を肴に北の勝を飲んだ。美味しかったのですぐに食べたから刺身の写真は撮りそこなった。お酒は2週間に一度かもっと間が空く。飲みたいと思ったときだけいただくことにしている。

 ベッドで就寝前に幸田文全集を読むのが癖になっている。そこから酒の話をピックアップ。
父は亡くなる二三日前に、ビールが飲みたいと云った。さう云はれたとき、病室の緊張がゆるんでみんな明るかった。当時酒類は自由販売でなかったから、ビール二三本のことに今思えば嘘のような苦労をした。ようやく手に入れて、吸引でそれを飲ませると、父は酔った。そのことはビールばかりでなく、肴も米も入手に苦労したが、それだけに又膳にのぼせたあとはほっとする思ひで、ビールのときには、よかったという思ひがいっそう濃かった。あんなに酒をたしなんだ人が、わづか一杯のビールを酒の最後にしてゐなくなってしまった。亡くなって喪の通知をすると、だれもが生前の好物を思ひだしてくだすったのだろう、方々から霊前へ清酒とビールが集まった。酒壜(サカビン)の並んでいるのは景気のいい眺めであったが、わたしは変な気がした。」幸田文全集第3巻「父の七回忌
 露伴は終戦後2年たった昭和22年7月30日に亡くなっている。戦時統制の名残で米は配給制だったし、酒を手に入れるのはとってもたいへんだっただろう、酒造メーカーにも原料米は配給制だったのだろう、だから「三増酒」などという言葉まで生まれた。需要に見合った生産量を確保するために水で3倍に薄めてアルコール添加や糖類の添加をした酒をそう呼んだから、日本酒はひどくまずいものになった(国民は米穀通帳がなければ買えなかったので、根室高校を卒業して東京へ行って東京のお米屋さんで米を買おうとしたら、米穀通帳の提示を求められて、お袋に電話して送ってもらった。実質的に1969年ころに自由化されて米穀通帳なしでコメが買えるようになった)。
 1867年8月22日生まれの露伴は終戦前から病気で床に就いて疎開し転居を繰り返し、1947年に亡くなっている。漱石も同じ年の2月9日生まれだ。明治の文豪と言っていいのだろう。露伴の最初の妻は明治45年にインフルエンザで亡くなっている。昔はインフルエンザで簡単に人が亡くなった。世界中を震撼させているCOVID-19は感染者が激減しているので、数日中に緊急事態宣言が解除される。東南アジア各国の感染者は欧米に比べてとても少ないし、死亡率も桁が小さい。死亡率が低いのは日本だけではない、東南アジア各国に級通している事実である。

 地元のお酒の宣伝を兼ねて、お酒の写真だけアップする。これも頂き物の高級品。北の勝の庶民の酒辛口の「大海」も地元の魚貝類にはよく合う。まったく趣が違うから比べながら味わえるのでありがたい。

①極東の町自慢の銘酒「北の勝大吟醸」
 毎年1月中旬に幻の酒「搾りたて」が出るが、即日完売だから市民にとっては文字通り幻になりつつある。作り始めのころは、醸造用糖類か醸造用アルコールの添加表示があったはずだが、結局何も足さないのがいいということになったのだろう、保管してある「搾りたて」を確認したが、添加物の表示はない。味もすっきりしている。当初の数年間は甘かった。最東端の造り酒屋「北の勝・碓氷商店」製造の幻の銘酒。呑むのは半年後だろうか?
SSCN3542.JPG

 露伴先生だって、こんな銘酒を晩年に飲む機会はなかった、それが呑めるのだから...時代がいい。(笑)
 このグイ呑みに8分目で80cc入る。2006年にスキルス胃癌の手術をしたので、爾来(じらい)、呑むとすぐに小腸で吸収が始まり、すぐに5合飲んだくらいお酒が効いてくる。だから家飲みするときはたったの一杯で満足なのだ。ゆっくりと味わうから、それぞれの酒の好さが以前よりもわかり、飲みすぎて体を壊す心配もいらぬ。好い気分になって小一時間で酔いが抜けていくのも愉しい。ありがたいことに二日酔いという字がわたしの辞書からなくなってしまった。スキルス胃癌と巨大胃癌併発という天からの贈り物のお陰だ。悪いことの裏には好いこともある、ぐい飲みで酒を一杯呑むたびに人生の妙を感じ、おだやかな時が流れる。(笑)

 ロードバイク、今日の走行距離17㎞、累計走行距離5303km



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*根室の地酒がネットで注文できるお店
酒泉館https://www.shusenkan.com/


 旧仮名遣い、漢字制限なし、原典に忠実で、製本のしっかりした好い本です。語彙や表現採集して遊ぶのも一興、いまは絶滅してしまっためずらしい昆虫がページのあちこちで見つかります。
 幸田文の文章は戦後急速に失われてしまった日本語語彙と表現の宝庫です。さすが露伴の娘ですね、言葉遣いのセンスは受け継いじゃってます。三島由紀夫の文章がはるかかなたに霞んで見えてしまいます。世代の差を感じる作品です。
幸田文全集〈第3巻〉草の花・黒い裾

幸田文全集〈第3巻〉草の花・黒い裾

  • 作者: 幸田 文
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  • 発売日: 2020/05/24
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#4254 Sapiens (28th) : page 38 May 22, 2020 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

<更新情報>5/23、13時、余談<分詞構文メモ>を追加

 寒いね、極東の町は今朝7時の気温が2.3度だった。最高気温は6.3度、一体どうなっているんだろう。桜は半分くらい花びらが落ちて庭の黒い土をまだらに覆っている。

<38.2> In other words, while the behaviour patterns of archaic humans remained fixed for tens of thousands of years, Sapiens could transform their social structures, the nature of their behabiours within a decade or two.  Consider a resident of Berlin, born in 1900 and living to the ripe age of one hundred.  She spent her childhood in the Hohenzollen Empire of Wilhelm II; her adult years in the Weimar Republic, the Nazi Third Reich and Communist East Germany.She died a citizenof a democratic and reunified Germany. She had managed to be a part of five very different sociopoliteical systems, though her DNA remained exactly the same. 


 問題になったのはアンダーラインを引いた文である。うっかり読み違えてしまった。この文の後で、この百年間で目まぐるしく5つの治世交代があったことが記されているのでripe(ライプ)を「ドイツ全盛期の百年間」と読んでしまった。

 Consider a resident of Berlin, born in 1900 and living to the ripe age of one hundred.
 ripe:形容詞 熟れた。熟した。実った。⑤円熟した。老齢に達した

 「1900年に生まれ、ドイツ爛熟期の百年間を生き抜いたベルリン在住の女性を脳裏に浮かべると…」と訳してしまった。
 ドイツは1870年に普仏戦争に勝利すると、鉄鉱石の産地であるフランスのアルザス・ロレーヌ地方を領土に組み入れ、ドイツ帝国が勃興する。ルール炭田の石炭とアルザス・ロレーヌの鉄鉱石を組み合わせて、製鉄産業が盛んになって国力が強大になり、ヨーロッパに覇権を称えた。まさにドイツ帝国爛熟期と言える百年間だったのである。

 生徒が翻訳書で確認したら、「100歳の天寿をまっとうした」となっていた。そこでジーニアスを引いてみたら、つぎの用例(a)が載っていたので、本文を変形して(b)並べてみる。
a) die at the ripe age of 95 (95歳の高齢で死ぬ)
b)   live to the ripe age of one hundred (百歳の高齢まで生きる)
 シンプルセンテンスに書き直してみる。
①(the resident was) born in 1900.
②(the resident) lived [from 1900] to the ripe age one hundred.(そのベルリン居住者は(1900年に生まれ)百歳まで生きた。)
 節clauseが句phraseに書き換えられて、次のようになった。①’の [being] は統語法上省略が原則。
①’  [being] born in 1990
②’  living to the ripe age one hundred

 前置詞 to は到達点を表しているが、ここも見落とした。意味が曖昧だと感じたら、辞書はしっかり引いて確認しないといけない。反省。

言い換えれば、太古の人類の行動パターンが何万年も不変だったのに対して、サピエンスは社会構造、対人関係の性質、経済活動、その他多くの行動を10年あるいは20年の内に一変させることができた。たとえば、1900年に生まれ、100歳の天寿を全うしたベルリンの女性を想像してほしい。彼女は子供時代をウィルヘルム二世のエンツォレルン帝国で過ごし、成人してからはワイマール共和国、ナチスの第三帝国、共産主義の東ドイツで暮らし、再統一された民主主義のドイツ市民として生涯を終えた。彼女は、DNAが少しも変わらなかったにもかかわらず、五つのまったく異なる社会政治体制を経験できたのだ。」p.52 柴田裕之訳
 
*https://ja.wikipedia.org/wiki/ホーエンツォレルン城

<分詞構文メモ>
 お馴染みのグリム童話ヘンゼルとグレーテルから引用。
  That night was a terrifying night for the two children.  Abandoned, alone, they sat sleepless together under a tree. 『英語で読む世界昔話1』

①  the two children was abandoned
②  the two children was alone

①’ [the two children being] abandoned

②’ [the two children being] alone

その夜は、二人の子どもにとってぞっとするような夜でした。見捨てられ、2人っきりで、まんじりともせずに木の下で座っていました。

  アンダーライン部は強調なのでしょうね。「見捨てられ、二人っきり」ということを強調したかった。
 普通に書くと、
  They were abandoned and alone, sitting sleepless together under a tree.
 
 受験英語では分詞句が先頭に来る場合がほとんどですが、実際には主節が来てから、次に分詞句が来る場合の方が圧倒的に多いのです。どちらが先になるかは、時間の推移と関係があります。物事が起きる順序に並べます。上記の例文では、ヘンゼルとグレーテルの二人が見捨てられabandoned、二人っきりaloneになったのが先、それから木の下で眠られぬ夜を過ごしています。物事が生起している時間の順序をきちんと守っているでしょ。だから、このケースでは分詞句を後ろに配置できないのです。
 「彼女はレストランへ行って、(そして)友達とランチを食べた」なら、次のように分詞句が後になります。
 She went to the restaurant, having lunch with her friend.

 この文からわかるように、先に主節が来ていると、分詞句の主語が何なのか明示されているので、わかりやすいのです。分詞句が先に来る場合は分かりにくいから分詞句が先に来るケースは実際の文では頻度が著しく少ない。強調構文の一つだからイレギュラーというわけ。英作文の場合には不可欠の知識です。時間の流れ通りに話を配置すればいいだけですから、実際は簡単なのです。


 ところで、この『英語で読む世界昔話』シリーズは中3と高校生用の音読トレーニング用におススメ。
 理由:
 ①話に意外性があって愉しい。
 ②文の難易度が中3~高校生にちょうどいい。
 ③5編のお話が収載されていておおよそ5000語程度だから、分量が適度。高校3年の教科書とほぼ同じワード数です。

 読みたいものをピックアップして2冊もやれば十分でしょうね。音読トレーニングは繰り返し同調音読するので1冊で十分です。
 話が愉しいのはどういうことかというと、白雪姫で継母が白雪姫を殺して内臓をシチューにして食べるなんて話は、みなさんにはおそらく初耳。グリム童話のオリジナルは残酷、そしてグロ。このシリーズのエッセンスはオリジナルに近い姿を保っているのでしょう。残酷さやグロテスクも人間の本質の一部、グリム童話は子供向けに教育上の配慮が繰り返しなされ、改変されていまのソフトな物語になっています。「本当は恐ろしいグリム童話」です。

<余談-2:リスニング対策のための英作文トレーニング>
 今年1月14日から現在の高3生にラインで配布している「英作文問題と解説」は会話文がほとんどです。もちろん慣用句もふんだんに入っています。リスニング問題に会話文が出されるので、会話文を作文できるレベルの理解力があって、さらに音読トレーニングで口と耳を鍛えておかないと高得点できません。
 音読トレーニングだけは気に入った教材を見つけて独力で家庭学習してください。
 読解の方はハラリの「Sapiens原書講読講座」(本欄左側のカテゴリー欄の「44-3. 原書講読講座 Sapiens(28)」)をクリックして利用してください。分量にしてすでに高校3年生2年分、28回解説をアップしてあります。ハラリの著作は今年の入試長文問題に四大学で採り上げられたそうです。「よしのり」さんという方が、投稿欄に大学名を書き込んでくれました、ありがとう。

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英語で読む 世界昔ばなし Book 1

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  • 発売日: 2006/03/05
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 次のシリーズは、もう8-9年も前になりますが、中3の生徒にグリム童話の単行本(上下2冊)を貸してあげたら、読み終わって、数日して面白い本見つけたって報告がありました。それを読み終わると「面白いから」と2冊続けて貸してくれました。本の大好きな生徒で、読書スピードが大きかった。教えた生徒では最速だったかも。
本当は恐ろしいグリム童話 (WANIBUNKO)

本当は恐ろしいグリム童話 (WANIBUNKO)

  • 作者: 桐生 操
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2001/01/01
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本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 (WANIBUNKO)

本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 (WANIBUNKO)

  • 作者: 桐生 操
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
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大人も眠れないほど恐ろしい初版『グリム童話』

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  • 作者: 由良 弥生
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本当は恐ろしいグリム童話 最終章 (ワニ文庫)

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  • 作者: 桐生 操
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  • 発売日: 2008/07/18
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これは、2次元の世界にはまり切ってしまった高校生を現実の世界へ誘(いざな)うためにおススメの薬です(笑)
本当は恐ろしいグリム童話 禁断のエロス編

本当は恐ろしいグリム童話 禁断のエロス編

  • 作者: 桐生 操
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2013/07/20
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#4253 公務員定年延長法案にびっくり:役職定年制を導入したらいかが? May 22, 2020 [8. 時事評論]

<更新情報>5/22 朝10時追記多数あり

 国会論議をあまり聞いた記憶がないが、公務員の定員が60歳から65歳に延長されるらしい。
*高橋洋一の霞が関ウォッチ
https://www.j-cast.com/2020/05/14385939.html?p=all

 役職定年制くらいは考えているのかと思ったが、そのまま延長のようだ。
 JR北海道職員だった同期は50歳代前半で給与が1/3くらいに切り下がったと十数年前に嘆いていたのを思い出した。
 民間企業の役員だが60歳を過ぎたら数分の一に給料が下がったけど仕事上の責任も肩書も同じと言った同期もいた。

 一部上場企業同士で臨床治験の合弁会社をつくり、出向役員として経営を担当したが、百年を超える歴史のある相手企業では平取締役が60歳定年、専務や常務が63歳まで、社長が65歳だったと記憶する。なぜそうなったかはその会社の苦い歴史に端を発する。業績の悪化した会社を立て直した凄腕の社長が26年間君臨して経営多角化に邁進して屋台骨が揺らぎ、大手町本社ビルの隣のビルを借りて、リストラ対象者約200名を集め仕事を与えず辞めていくのを待つというひどいことをした。しだいに精神を病む社員が続出したから、同期で残った社員もそういう同僚の姿を見て苦しい思いを抱いたのだ。二度とそのようなことを起こさないようにしようという反省から、役員の役職定年制が敷かれたと聞いた。
 どんな会社でも、公務員でも似たようなもの。若いときに抜群に優秀だった人の中から、ひどい老害を撒き散らすような人がでる。60歳を過ぎたら、若い人のサポート役でいい。

 会社に残れても役職定年で60歳を過ぎたら、新入社員並みの給料という民間企業が多いのではないか?
 予算を足し算してばらまくのは好きだが、引き算はしないらしい。ある部分で予算を増やしたら、他の部分で減らす努力をするのが当たり前と思うが、そういう努力はまるで見えないから、不思議だ。感覚がおかしくなっているのではないか?

 根室高校生徒会でも実績を上げた部の予算を増やしたら実績に乏しい他の部の予算を予算を減らさざるを得ない、2年生の時から先輩の各部部長と同期の副部長を生徒会室に個別に呼び、予算の割り付けをした。減らす部もあるから合理的な理由が必要で公平にやらなければならなかった。減らす部と予算折衝のときは、その部に属している友人たちの顔が浮かぶ。減らす部の部長と副部長へは「今年実績を上げたら、来年はアップできる」そう伝えた。会社でも転職の都度、当初は予算編成と予算管理を担当することが多かったが、売上を増やす算段と経費を減らす算段を必ずした。そうしないと売上が急増する見込みの分野へお金をつぎ込めないからだ。銀行との折衝もちゃんとしておかないと大きな借り入れができない。それには急伸する見込みのある分野に常に目配りをして、予測を担当銀行員に伝えなけらばならない。言ったとおりに推移しないと信用がなくなるので、商品について専門知識を深くする努力が必要だった。それが民間企業では当たり前の感覚。
 
産業用エレクトロニクス輸入商社のときはマイクロ波計測器、時間周波数標準機、質量分析器、液体シンチレーションカウンター、軍事用シミレーターなど取引先である欧米50社からエンジニアが毎月1人は東京本社へ来て世界最先端の製品の説明をする。理系の営業マン対象の講習会が開かれていたが、6年間全部出席した。お陰で「門前の小僧習わぬ経を読む」ようになった。管理部門では私一人だけだった。
 臨床検査会社に転職しても同じことだった、やはり最初は予算編成と予算管理を丸ごと任された。ラボの様子がわからないので、機器から理解しようと、日本最高水準の八王子ラボの全固定資産の実地棚卸をした。台帳記載の固定資産名称がぐちゃぐちゃだった。孵卵器がフランキー、腐乱器、恒温器、などとなっていた。機械に詳しいラボ管理部の担当者H間さんと名称を統一し、大項目・中項目・小項目・細目の4段階分類を採用した。会計システムのマスターファイルである勘定科目や組織コードがそういう構成にしたからそれに倣った。ついでに、固定資産管理システムも作り直した。上場要件で減価償却費予算制度をアップしなければならなかったからだ。1億円もブレていたのでそれを10%以下にする目標値を設定して、投資予算を固定資産管理システムに組み込んだ。1年後には全部終わっていた。実施棚卸の手順も明確にした。
 個体資産管理台帳上で固定資産種別分類をやった。たとえば冷蔵庫や冷凍庫は温度帯で分類した。冷凍庫は-20°・-40°・-80°・-150°の四つに分けた。途中の温度帯を区分したければ間にいくらでも追加できるような固定資産種別分類マスター構成にしておいた。マスターファイルの作り方が重要なのだ。トランザクションファイルはどうにでもなる。-80°の冷凍庫は1987年ころにラボ内に50台くらいあった。-150度の冷凍庫は日立製品、この温度帯になると冷媒の開発がむずかしい。当時は国内で日立製品だけ。検査機器はディテクターとデータ処理部のコンピュータでできているから、輸入商社のときに専門知識を蓄えていたので、理解が速かった。医療機器はデータ処理部(コンピュータ)とインターフェイスがずっと遅れていた。1886年当時で双方向のインターフェイスバスをもつものはゼロだった。原価計算システムの手直しをするためにも、機器やラボの検査手順に関する知識は不可欠だった。ラボ内で進行する検査機器とミニコンをつないだ自動化計画を審査するためにも、世界最先端の検査機器導入のためにも、検査手順や機器に関する専門知識が不可欠だった。とくに最先端の製品は既存製品とどこが違い、生産性がどれくらいアップするのか、見極めが必要だ。染色体画像解析装置は自社開発での失敗例を見ていて、中止させたので、どこに問題があるのかよく承知していたから、英国で開発された染色体画像解析装置のいいところ(CCDカメラとボードコンピュータによるデータ処理を組み合わせたことで、生産性が10倍)がよく分かった。染色体画像解析検査は顕微鏡写真撮影、染色体の大きさの準での並び替え、世界最高性能レーザプリンタでの並び替えた染色体プリントアウトで、生産性が3倍くらいにはなっただろう。培養工程があるので、全体での生産性はそれでも5割はアップしたはず。
 LKBの紙フィルター式の液体シンチレーションはバイヤル式の旧型液体シンチレーションカウンターエオ輸入商社で現物を見て、修理作業を観察していたので、紙フィルター式の生産性の高さが、一目瞭然で判断できた。検査コストは数分の一に低下した。栄研化学のKX3000 は市場に出す前にインスタレーションテストを提案して、半年間のSRL独占を飲んでもらった。そのまま市場に出していたらあの製品はつぶれていただろう。再現性が悪いという重大な欠陥がインスタレーションテストで判明し、欠陥を克服してから、販売となった。win-winだった。それまではRI法での検査しかなかったが、酵素法での測定は精度が3桁違っていた。10年くらいしてからラボを見学したら、大型検査機器だったが8台くらい並んでいた。検査精度を3片アップしつつ検査コストはかなり下がっただろう。
 結石前処理ロボットは当時検査管理部の担当者の発案で始めたものだが、セイコー社へアームロボットの見学に一緒に行った。腕時計の組み立てラインには十数台のアームロボットが並んでそれぞれにパーツフィーダが着けられ、無人で時計が組み立てられていた。数十個作ると、別の時計の組み立てが始まる。1分程度しか休止時間がない。細かい作業の結石前処理作業への導入に適していた。取引先の技術屋さんと共同開発した。いまでもラボで使われているだろう。結石を粉砕して金属のブレードで受け側の台の穴から剥がして、アームロボットで五円玉状の穴の開いた金属に結晶状に固めて貼り付ける。そのあと赤外分光光度計にかけるのである。これも生産性が飛躍的にアップした。検査コストは劇的に下がった。1987年ころの話だ。2年半ほどそんなことをやって遊んでいた、愉しかった。
 子会社の千葉ラボの自動化を関係会社管理部のスタッフとして1991年ころ担当したことがあった。生産性アップに重点を置いて、業務システムとラボシステムを一気に作り替え、その損益への影響をシミュレーションした。稟議書には予測損益計算をを添付して、赤字から大きく黒字転換することを予告した。生産性は2.5倍以上になる旨記されていた。4月に稼働したとたんに営業はラボ側の処理量制限がなくなったので、受注を増やしてくれたので、生産性は予定を上回った。簡単に黒字になった。1億円ほどの投資で、黒字転換できたのである。SRL八王子ラボとはまったく異なる思想・設計だった。2年ほど後で、SRLの練馬にある一番古い子会社に吸収された。そこは巨大八王子ラボの思想を引きずっていたので、生産性が悪かった。あれは分離したままにしておきたかった。親会社よりもずっと採算のいい会社になったはず。せっかくの努力が水の泡だった。わたしは、その当時北陸の臨床検査会社の経営分析と買収を担当していた。その途中で東北の臨床検査会社の経営分析依頼が舞い込み、店頭公開予定だが赤字経営になっていたそちらも1億円の資本提携話をまとめた。まとめたら、東北の会社から資本提携に当たってわたしの役員出向要請が提携相手の社長Tさんからでて、そちらに出向したので、千葉ラボの吸収が防げなかった。関係会社管理部にそのままいたら、反対して合併話は潰せただろう。練馬の子会社ラボの経営改善案を書くのは簡単だった。千葉ラボで実験済みだから、それをコピーすればよかっただけ。赤字の子会社を黒字、それも売上高経常利益率っを12%超にすれば、グループ全体での売上を増大させつつ、採算は大幅に改善できる。そうした努力は民間企業では毎日やっている。わたしが中途入社した1984年2月までの過去5年間のSRLの売上高経常利益率は12%だった。わたしは子会社の経営改善でそれを超えることを目標にしていた。目標値は15-20%だった。どの臨床検査子会社でも達成できる水準だった。そういう方向へもっていくために、25ゲージ5分野の経営指標レーダチャートと総合偏差値評価のできるシステムを開発していた。関係会社管理部に2年間ほど所属していたが、そのシステムで全子会社の経営状態を評価していた。沿おう郷偏差値の低い会社はどこが問題なのか、5つの分野にブレイクダウンでき、それをさらに25項目へ展開できたから、何をどうすればいいのか、経営指針の手掛かりになりうるシステムだった。1978年に産業用エレクトロニクス輸入商社で経営改善のための経営分析をしたときに開発したシステムを1991年にEXCELに載せ替えただけ。42年たったいまでも、そのまま使えそうだ。25ゲージのレーダチャートと総合偏差値評価を組み合わせた経営状況判断ツールなんて世の中にはたぶんまだありません。(笑)


 予算をある部分で増やしたら、その分を生産性をアップすることでコストを吸収したり、他の優先度の低い分野で削る努力をするのはあたりまえという話だった。話を元に戻そう。

 定年延長するよりも、60歳で辞めてもらって、年金を支払った方が支出総額は小さくなる。

 何より問題なのは60-65歳までがそのまま残れば若い人の職が失われる。60歳過ぎたら、役職定年はもとより、週3日まで、待遇は新入社員の6割と決めたらいいのではないか。空いた分で若い人たちを雇ってあげたらいい。
 このままでは世代間の不公平と官民格差がますます拡大してしまう。ちょっとはバランス感覚を持ちたい

<余談>
 国会議員は率先して70歳定年制導入を議論してもらいたい。やりっこないか、70歳超の議員はいったい何人いるのかな?


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#4252 根室に日本最年少JBA公認審判(A級)誕生:14歳 May 19, 2020  [73.ブカツ]

 柏陵中学校3年バスケット部所属の小林空生(くう)君が14歳3か月でJBA公認A級審判試験に合格した。いままでは17歳が最年少だったので、日本初の中学生のA級審判誕生である。おめでとう。
 道内では二人目のA級審判。
 どれくらいバスケットボールが好きかというと、家の空き地にバスケットゴールポストを設置してシュートのトレーニングをしているくらい大好き。(笑)
 文武両道で突っ走ってもらいたい。

 (根室ではC中学校のN先生がB級審判)

*http://www.japanbasketball.jp/referee/licence

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JBA公認A級審判
JBAが主催・管轄する大会及びブロック協会が主催する試合を担当することができる。
JBA公認A級審判で、特に優れているとJBAが認めた審判については、トップリーグの試合を担当することができる。
【適用大会レベル】全国大会

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#4251 学校再開:分散登校に2種類あり May 19, 2020 [35.1 COVID-19]

 昨日(5/18)から根室市内の中学校と高校の分散登校が始まった。
 高校生に聞いたら、同じクラスの生徒を出席番号で前半と後半の2グループに分けて、前半の生徒たちが月・水・金曜日、後半グループが火・木曜日に通学。教室内は半分の生徒しかいない。スカスカ状態での授業。午前中4時間のみ。来週は曜日が入れ替わる。

 中学校は昨日がAクラス、今日がBクラスの分散登校。授業中の生徒の密度は休校前と変わらない。なんだか狙いのよくわからない分散登校だ、市教委の指示なのだろうか?行政組織上了解はしているだろう。

 気になるのは職員室である。三密そのもの、先生たち大丈夫?しかし、根室市内では2月以降、新型コロナ患者は発生していないので、何をどうしようが関係なしか。(笑)
 根室市内で患者が出始めたら、職員室の体制はなんとかしないとクラスター感染しかねない、頭が痛いね。ああ、生徒が減って空いている教室がたくさんあるから、そこを利用すればいいだけか。いくらでも工夫できそうですね。そろそろ具体的な手順を考えているでしょうね。


 朝9時の気温は4.9度、北北東の風4.9m/s、窓を開け放って十分な換気をしながら授業してるのだろう、冷蔵庫の中で扇風機を回しているようなものだ。生徒も先生も厚着してホカロン入れて風邪ひかないように。
 ニムオロ塾は換気扇まわしながらやっている、当たり前の話だが、昨年同月よりも燃料用灯油の消費量は1.5倍。桜が満開になり花びらで庭が埋め尽くされている、極東の町はまだ寒い。

 ところで、新型コロナウィルス感染症の正式名称は「COVID-19」、ウィルスの正式名称はSARS-CoV-2である。


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