SSブログ
A8. つれづれなるままに… ブログトップ
前の10件 | 次の10件

#4454 車庫のシャッター下部の凍結、わたしの対策 Jan. 13, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

 車庫のシャッターの接地面が凍結して困ったことはありませんか。わたしはその都度がたがた何度も上に引っ張り上げたり、下の部分を蹴飛ばして、はがしてました。これがガッチリ凍結接着してしまうと、なかなかはがれてくれないのです。(笑)
 2年前にシャッターの下部をよく見ました。シャッターを下ろすとき鉄製のフックをひっかける穴が開いていることに気がつきました。ここにローブを通して、結び目を作れば、表側からそのローブを引けば前側に捲(めく)れて凍り付いた部分が小さな力ではがれるのではないかと、やってみました。

①シャッター下部の真ん中にロープが見えてるでしょう、これがそれです。
 黒いフックを貼り付けて、ロープが止められるようになってます。
 このロープを摑んで、上に引けば凍結しても簡単に剥がせます。
DSCN4407s.jpg

②ズームアップしました
 引っ張る部分は20cmくらいです。
DSCN4406s.jpg

③シャッターを上げて、地面へ設置する部分を撮りました
 結び目がみえますね、シャッターを引き下ろすときに鉄製のフックをひっかける穴がついてます。そこへ通すだけで大丈夫。紐の長さは50㎝くらいあればいいでしょう。
DSCN4405s.jpg

③突然、大粒の雪が降ってきました
 30分もあったかな。
DSCN4408s.jpg


にほんブログ村


nice!(1)  コメント(0) 

#4447 除雪道具ファミリー:正月2日マイナス13.2度:Jan. 2, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

 おめでとうございます。

 正月2日、根室はとても寒い朝を迎えております。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 極東の町根室は5時59分に最低気温-13.2度を記録、西南西の風6.0m/s、外を歩いたら耳がちぎれる(それほど痛い)でしょう。正月元旦も-10.2度でマイナス10度越えでした。
 過去五年間の正月元旦の最低気温は2017年-8.4度、2018年-1.6度、2019年-6.0度、2020年-6.0度でした。
 根室で最低気温がマイナス10度を超えるのは2月の厳寒期に数回だけ。いまの寒さが半端でないことをものがったっています。大西洋を流れる温かい海流が北上し北極圏の冷気を押し出す圧力となって、寒気団が日本列島に偏ってきているようです。
 昨日もせっせと雪かき。家の前は雪がありません。道路のはす向かいは中学校のテニスコート。その前が10mほど空き地になっています。そこまで「ママダンプで」運びました。正月からいい運動してます。
 雪国でない人は見たことないでしょうから、後で雪かき道具の写真をアップしておきます。

1.除雪道具ファミリー
DSCN4354s.jpg
左から、「ママダンプ(大)」、「ママダンプ(小)」、「プラスコップ」、「アルミ製スコップ」、「鋼鉄製スコップ」、「竹ぼうき」
用途に応じて使い分けます。
①「ママダンプ(大)」は柄が長いのと短いのがありますが、これは長いものです。庭のような狭いとところには向きません。方向転換するときに柄の長さが半径になりますからね。だからもっぱら塀の外側の除雪用に使っています。
②「ママダンプ(小)」は右手で絵の先端部分を、左手で下の方のパイプを摑むとスコップのようにも扱えます。狭いところはこれですね。でもあまり使いません。庭の中も大きい方でやっているんです。
③ ブラスチック製のスコップには先端にステンレスの刃がついていますから重い。湿った雪だとこれに雪をてんこ盛りしたら10kgのどありそうです。もっぱらそのまま雪を押してどけるのに使います。「ママダンプ(大)」で除雪した後の「仕上げ」用ですね。
④ アルミ製スコップは軟弱で、先端が捲(めく)れてきます、だからやさしく扱います。ほどほどに湿った雪の場合は、このスコップが軽くて扱いやすいのです。大事な道具ですから、古くても捨てられません。車用のワックスの余りがあるので、ときどき塗布してからぶきしておきます。
⑤ ブルが道路わきに残していった固まった雪は鋼鉄製のスコップが便利です。一部が凍り付いていてもガンガン叩いて砕けます。たぶん、小学生時代に使っていたものの筈ですから60年以上使っているのかな。
⑥ 竹ぼうきは玄関前のゴムマットに積もった雪を掃き捨てるのに使います。
⑦ 屋根の雪下ろし用の4mほどの長さの除雪道具を並べ忘れたことに気がつきました。玄関前の屋根の雪下ろしは、それを使ってやります。屋根の先端が氷のカタマリですから、お昼頃に滑って落ちてきたら怪我します。お袋が梅ヶ枝町の家で2階の屋根から落ちてきた雪のカタマリでケガしたことがあります。半年ぐらい頭が痛かったと言ってました。とっても危険なのです。だから、屋根に雪がある間は、玄関前の屋根はこまめに除雪しています。20人前後の塾生も郵便屋さんも宅配の人も新聞配達の人も来ますから。怪我させちゃいけません。

2.バス停前まですっきりです
DSCN4355s.jpg

3.道路斜(はす)向かい側
DSCN4357s.jpg
道路を横断して母校のテニスコート前へ雪をもっていってます。3年くらい前までは雪が降ったあとバス停前をの除雪をしておくと、2日くらいたってからバス会社のブルが来て、雪をテニスコート前までもっていってくれました。1.5mくらいの高さに積んだ雪が数回で全部なくなりました。朝通勤や病院へ行くお年寄りが利用するぐらいで、公共交通機関は汽車もバスも風前の灯火。除雪くらいは元気なうちはやっておきますから、まだしばらくはもちこたえてください。採算に合わないでしょうから、いずれ市が第三セクター方式で運営しないといけなくなるでしょう。その時に公的会計基準ではいけませんよ。市立病院のように年間17億円の赤字が数千万円の赤字とアナウンスされますから。公的会計基準は経営の実態を表しません、事実と違うのです。民間の会計基準で決算公表しましょう。

4.バス通り、反対側からのショット
奥突き当りがセイコーマートです。
DSCN4365s.jpg




nice!(0)  コメント(0) 

#4445 雪かき3時間:汗だく Dec. 31, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

 18㎝の積雪、朝8時の気温-8.9度、西北西の風9.8m/s、東根室駅まで様子を見に行ったら、耳がちぎれそうなくらい痛かった。58年前に信金本店近くにあった自宅から光洋中学校まで通学途中の寒さを思い出した。耳がちぎれるようにいたんですが、しばらくするとぽかぽかしてきます。若いうちは身体がすぐに反応して血流を上げてくれましたね。(笑)

 3時間かけて除雪しました。ビフォアーとアフターをお届けします。
①除雪前
ブルが歩道の雪をどけてくれてます。明け方早くにやってくれたのでしょう。暮の31日にご苦労様、そしてありがとう。
DSCN4319s.jpg

②除雪終了
きれいでしょ。ここからバスに乗るのはお年寄りが多いのです。通勤のほかに病院へ行く人が数人います。
DSCN4342s.jpg

③反対側からもう一枚
DSCN4338s.jpg



④道路向かい側のバス停もついでに除雪
ここが開いていないと、バスを降りたお年寄りが、滑る道路をおぼつかぬ足取りで50mほど車道を歩くことになります。とっても危険です。
DSCN4340s.jpg


 今日も弊ブログを見てくれてありがとうございます。
 あと一本アップして今年の締めにします。


にほんブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

#4442 リビングに置いてある机の拡張 Dec. 29, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

 暖かい季節は2階の大きな座卓で仕事しています。広いと使いやすいからです。
 寒くなるとリビングでやってることが多くなります。45㎝×90cmのパイン材を2枚買ってきて、机にクランプで止めてL字型に配置し、広くしました。2か月ほどたちますが、とっても使いやすくて満足しています。
 英作文問題と解説を作る時間が多くなりました。やりやすくていつでも始められるからです。数学の問題を解く時間とバランスが悪くなっているので、要改善ですね。経済学分野でも書き残すことがまだあります。
(マルクスがなぜあんなにひどいことになったのか、数学という物差しで測ったらそうせざるをえなかった理由が見えてくることに気がつきました。数学音痴がゆえに、スミスやリカードの労働価値説をベースにしてヘーゲル弁証法という流行のトンデモ理論に流された哀れな末路、マルクス自身は「資本論第一巻」を出してから気がついてしまったようにみえます。数学の劣等生でなければ、『経済学批判要綱』段階で労働価値説を棄てたでしょうね。草稿は書き溜めたが、ついに資本論二巻以降が書けませんでした。資本論第2巻以降は意向を編集したエンゲルスの手になるものです。)
 1月14日から始めた英作文問題及び解説作りは、今日510回目をタイピングして、3825題になりました。A4判で521頁を通過しました。本にしたら1040頁の英作文問題・解説集です。ラインで配信していましたが、生徒たちにHP社の最新のパソコンが根室市から配られたので、2月からはLine配信をやめて、希望者のパソコンへ送ることにするつもりです。基礎コースの文型解説を入れた英作文はまだトライアルで、英語が苦手な生徒対象にやりながら、改善中。

①机は都立高校仕様、塾で使っているものがベースになっている
 それにパインの集成材をクランプで止めただけ。これでとっても使いやすくなった。リビングには床暖房が入っているから、足元が温かい。
 辞書が2段になっているが下の段の端っこで20㎝×20㎝×6cmの敷石を転用している。滅多に使わない辞書・辞典は2階だ。
DSCN4282s.jpg

②窓は手前側の高さ210㎝ほどの引き戸とその向こう側1.3mに大きなガラス窓がある。冬は陽が部屋の中まで射すので、日中の数時間は暖房を切って入れるくらい暖かい。机奥にノート型パソコンが置いてあるが、パイン材から奥の方へパソコンを載せるために20cm延長板が取り付けてある。
 
DSCN4290s.jpg

③2階の座卓コーナー
 巨大胃癌とスキルス胃癌を併発し手術した後、この座卓で暖房パネルを背にしてブログ「ニムオロ塾」が始まった。1m×1.5mの分厚い栃ノ木の一枚板である。これは新宿伊勢丹デパートで購入した。ときどき生徒が2-3人で使っている、贅沢な学習空間だ。(笑)
DSCN4292s.jpg


④夏はここが居心地がいい
 右側に暖房用のパネルが設置してあるが、背中は暖かくても、脚の方が寒い。部屋全体は16畳あるので、全部を温めるのはとっても不経済なのだ。だから、冬は1階のリビングで過ごすことが多い。
 ソファーは横浜にあるある有名な家具店で購入したもの。クッションも生地もだいぶへたってきた。手を入れたいが、遠すぎる。
DSCN4293s.jpg

 本は奥側のものが見えない。建具屋さんに作ってもらった奥行29㎝ある本棚だから、奥と手前に2列に置ける。後ろ側は経済学の専門書が並んでいる。使わないので奥でいいし、だいたいどこに何が並んでいるかは承知している。手前側が覚えきれない。探すことが多くなった。歳のせいだね。女房殿からは「もう増やさないで、いまあるものも整理してちょうだい」と言われている。文学全集を中心に孫に残しておくものだけは300冊ほどリストができている。筑摩書房の文学全集、ポプラ社の初版復刻版の夏目漱石全集、筑摩書房から出された太宰治全集、角川書店から出された『芥川龍之介全集』、小林多喜二選集、『魯迅選集』(岩波?)、岩波書店から出された芭蕉直筆の奥の細道の写真復刻、林望『謹訳源氏物語』全11巻、興味のままに一つ一つ買い集めた古典文学全集、鏑邦夫編著・原文対訳『ほつまつたゑ』上下巻、ユークリッド『原論』など。経済学の専門書はまだ使いそうだが、いずれゴミだ。
 団塊世代の研究者が所蔵している専門書は莫大な量があるだろう。これらが今後30年のうちにほとんどがゴミとして処理される運命だ。もったいないことよ。若手の研究者へ引き渡す仕組みがあればいい。だれかやってはくれまいか。




nice!(0)  コメント(0) 

#4425 620万アクセスに感謝:マルクスの破綻と弊ブログの関係 Dec. 11, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

 ブログを始めたのは2006年11月27日だったかな。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で手術を受けたのが、その四か月前の7月でした。40日間の入院生活で体重が13㎏程落ちました。デブではなかったので、落ちた肉のほとんどが筋肉。懸垂が8回できたのに術後はゼロ回、ぶら下がるだけ、ショックでした。体力が落ちると脳の働きも悪くなり、文章が書けるのかと心配になりました。ふらふらしながら授業したのを覚えています。

 わたしがなぜブログを書き始めたのか書き留めておきます。
 マルクスが経済学の方法でヘーゲル弁証法を使うという大きな間違いに晩年は気がついていたようですが、方法的破綻に沈黙を守ったまま亡くなっています。初めて体系的な叙述法を用いた数学書にユークリッド『原論』があります。そこには公理を学の端緒とした演繹的体系が示されています。経済学体系の叙述も公理・公準を出発点にして演繹的にやればよかったのです。デカルト『方法序説』にある科学の方法「四つの規則」でもよかった。デカルトは分かっていました。そのどちらも読まなかった、いやデカルトくらいは読んでいたと思いたいが、彼の指摘の重要性を理解できなかった。わたしが読んだマルクスの著作のどこにもデカルトの科学の方法「四つの規則」への言及はありませんでした。
 マルクスはいくつかの経済学的基礎概念を方法的無自覚ではありますが公理に措定しています。労働概念です。日本人が伝統的に持っているのは「職人仕事」概念です。ドイツにはマイスター制度がありますが、かれはそれを棄てました。工場労働(淵源をたどると古代都市国家の奴隷労働)を公理に置いたのです。そしてヘーゲル弁証法を用いました。資本論1巻を書いたところで弁証法の方法的破綻に気がついてしまったように見えます。他の巻はエンゲルスが遺稿を集めて勝手に編集したものです。マルクスは数学が不得意で微分の概念が理解できなかっただけでなく、ユークリッド『原論』も読むことはなかった。不幸でしたね、当時流行のヘーゲル弁証法を採用してしまった。かれは古くて本質的なものに気がつかず、一時の流行にすぎなかったヘーゲル弁証法に呑み込まれたしまったのです。数学が不得意なことが遠因になっています。マルクスの学位論文はギリシアの自然概念に関するものでしたから、ユークリッドも目を通しておくべきでした。高校2年生の時に『資本論』を初めて読んだ時に森林に迷い込んだような眩暈を感じたのと、なぜ四則演算しかないのだろうと不思議に感じました。その前に公認会計士2次試験講座の参考書で7試験科目の一つの「経済学」を読んで近代経済学の知識と比較しながら眺めたので、違和感が自然に沸き上がったのです。商学部会計学科の学生である私は2年生になって市倉宏佑教授(哲学)のゼミに入れてもらい、『資本論』と『経済学批判要綱』を同じ問題意識で読んでいきました。『資本論』全巻を読み終わって、「やはりな、当初の違和感は本物だった」と確信しました。『資本論』には四則演算以外は載っていませんでした。マルクスは数学が苦手だったのです。『数学手稿』をみたらよくわかります。微分の意味、無限小への分割ということの意味が理解できていません、マルクスは経済学に微積分を使えなかったのです。あいにくと影響がそれだけでとどまることはありませんでした、ユークリッド『原論』を知らないためにヘーゲル弁証法を導入するという決定的な過ちを犯してしまいました。方法的な模索過程はマルクスの著作の中では『経済学批判要綱』によく表れています。流通過程分析ではなんとか弁証法で体系の基礎を築こうと努力してます。方法的破綻は「生産過程」の章の後に明らかになります。マルクスはそれを自覚していたとしか思えません。資本論第一巻を書いたっきり、次の巻の原稿を書き溜めましたがうまくいかず、2巻以降を出版できなかったのです。エンゲルスはそんなマルクスの苦悩を知ることができませんでした。学者としては三流でしたが株式投資とアジテーションには才能があったようです。
 『数学手稿』はマルクスの「数学学習ノート」でした、出版などしてほしくなかったはず。マルクスを神のごとくあがめた共産主義運動に参加した人たちが、マルクス死後に勝手に出版してしまった。お陰でわたしにはマルクスの弱点がよくわかります。
 わたしは公理を入れ替えることで別の経済学が立ち上がることを皆さんに書き残しておきたかったのです。経済学は行き詰まっていますが、その打開の鍵が弊ブログにあります。人類がAIの支配をまぬがれる方法もそこにありそうな気がしています。
 ライフワークに手を付ける体力と文章力が残っているのか、ブログを書き綴ることは自分に対する挑発でもありました。脳のリハビリを兼ねてブログを書き始めたのです。最初のうちは嫌になるほど漢字変換ミス、タイプミスがありました。半年年くらい書いているうちに体力がきつくなり、ブログをやめようと思ったら、前に勤務していたSRLの社長だったK藤さんが、弊ブログを読んでいてくれて「書き続けたらいい」と背中を押してくれたのです。それでなんとか峠を登りきれたような気がしました。とってもありがたかった。
 読んでくれている皆様に改めて感謝申し上げます。

 <余談>
 ここまでで文字数をカウントしたら2154文字である。これを平均値として採用すれば、
   4425×2154=9531450=11914頁
 1冊500頁の本に換算して24冊分となる。平均値はもう少し長くて3000文字かもしれない。


ニムオロ塾

記事数:4,449  nice!:2,277  今日: 708 / 累計: 6,200,710  読者数:1
アクセスランキング: 198 位
ブログテーマ:blog( 16位 / 12078ブログ中 )

 16/12078=0.0013=0.13%≒偏差値80


にほんブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

#4389 ヘビースモーカだった同期のIさんが逝った Oct. 20, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

 正月2日に、近くに住む同級生Nさんが新年会を毎年開いてくれる。奥さんのご厚意に甘えて、毎年楽しく過ごさせてもらっている。九人会(高校同級生、メンバーは11人)のほかに数名が「常連」である。タバコを吸うのが2名いた。Iさんと西浜のコウジだ、Iさんはヘビースモーカで2箱/日だと云っていた。

 十数年前に(わたしは)スキルス胃癌と巨大胃癌を併発し、岡田病院で内視鏡検査で胃癌の診断を受け、釧路医師会病院へ入院、手術を受けたが、同じ病室に肺癌疑いのMさんがいた。ヘビースモーカのMさんは当時70歳前後、検査と経過観察中だった。そのMさんは状態がよくならず、少しイライラしていた。「十年前に主治医に言われたときにタバコをやめときゃよかった、毎日二箱吸っていたらいずれ肺癌になると言われた」、そう云っていた。容体が悪化して結局、片肺切除となった。釧路市立病院へ転院・手術が決まった日に、次のように云った。
「あの時にやめていればこんなことにはならなかった、やめられなかった。毎年阿寒川にフキを採りに行っている、片肺になったら水の中に入ってフキを採ることはもうかなわない。みずみずしくていいフキがとれるんだ。あれが一番の楽しみだった。」
 そう云って、涙を流した。
 「ebisuさん、退院したら電話をください」と電話番号のメモが残っている。わたしは手遅れだったので術後、しばらくの間はどうなるかわからない、数年間は体調もすぐれず、電話できないままになった。
 そんな話を、Iさんにもしたが、かれも、煙草はなかなかやめられなかった。

 Iさんの住まいは海の方だ。そこから以前勤務していた光洋町の水産会社までよく散歩していた。その途中にわが家がある。家の前を掃いたり、自転車の整備をしていたりすると、ニコニコ顔で10分ほど世間話をする。
 昨年は、電動自転車を手に入れて、「楽だ、全然軽い」と乗り心地のよさを話していた。ヘビースモーカだから、肺機能が弱っているので、普通の自転車だと緩い上り坂が続くのでしんどかったんだろう。電動自転車に乗ってとっても楽しそうだった。しばらく見ないな、関西の娘さんのところへでも遊びに行っているのかなと思っていたら、今朝の葬儀の折り込み広告があり、ほんとうに驚いた。

 近所の同級生Nのところへ行って聞いてみた。
 岡田医院で診察を受け、肺癌の疑いアリの所見で、釧路市立病院に7月に検査入院。その時は太っていて元気だった。地元で療養したいと9月には市立根室へ転院。入院生活が長引いたので、骨が弱くなり、歩行困難、車椅子に。
 寝たきりになると骨のカルシウムが血液中に溶け出して、骨がスカスカになる。宇宙飛行士が無重力状態で数十日生活するとそう言うことが起きる。地球に帰還すると、自分では立てずに両脇を抱えられて運ばれる。自分で立つと骨折するからだ。身体の縦方向に重力がかかることで、骨密度が維持できるように人間の身体は出来ている。寝たきりになると、縦方向の重力が働かなくなり、骨のカルシウムが血液中に溶け出す。わたしも40日の入院期間中、ほとんど点滴のみだったので、ストレッチは毎日したけど、身長が174.5cmから173.0cmに。測定の仕方が悪いのかと病院の身長測定器で何度測ってみても同じだった。壊れているのかと思ったが、そうではなかった。慥(たし)かに身長が縮んだのである。

 市立根室病院への転院はターミナルケアだったのだろう。家族が住んでいる根室の病院なら家族はいつでも見舞うことができる。歳をとると釧路は遠くなるのである。市立根室病院のターミナルケア機能がますます重くなる。

 高樹のぶ子『小説伊勢物語 業平』を昨日読み終わった。最後のページに業平辞世の歌が載っている。

  つひに行く道とはかねて聞きしかど
    昨日今日とは思はざりしを

 千百年前もいまも、人の命の儚さは変わらぬ。笑顔で話しかけてくれたIの冥福を祈る。


<余談:南伝(パーリー語聖典)の仏教より「取著」>
 漢訳の経典群は、小頭のよい中国のお坊さんたちがサンスクリット原典から漢訳したものだから、やたらと小難しい。南伝の仏教(パーリー語聖典群はサンスクリット聖典よりも成立が古い)はお釈迦様が譬喩を巧みに使って衆生にやさしく語り掛けてくれている。そこにお釈迦様がいらっしゃって、語り掛けてくれているように、存在が感じられる経典群である。
 「取著」というのはこちらから求めているわけではないのに、いつの間にかしっかり心の奥に根を張るもの。友人の死にまみえて、日々心の洗濯が必要だなあと感じた次第。

#3458 取著(しゅちゃく)  Nov. 17, 2016 



にほんブログ村


小説伊勢物語 業平

小説伊勢物語 業平

  • 作者: 髙樹 のぶ子
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版
  • 発売日: 2020/05/12
  • メディア: 単行本
ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: Kindle版

nice!(1)  コメント(0) 

#4369 国勢調査 :オンライン入力 Sep. 14, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

 国勢調査のオンライン回答が今日(9/14)からなので、早速やってみたら、10分程度で終了した。年寄向けにしてくれたのが、画面の文字が大きい。(笑)
 国税庁のe-taxは初期のころフリーズしたりして面倒だったが、「国勢調査オンライン」は合格点をあげられる、快適だった。

(わたしは知らなかったが、前回の国勢調査のときからインターネットでオンライン回答が選べたそうだ。FBで調査員だった方が教えてくれました)

 



<クリックすると検索用ページへ飛んでいきます>
 記事番号管理表


①気温が下がってすっかり色変わりした紫陽花

 枯れ始めています。
DSCN4046s.jpg


②まだ数輪だけ花をつけているハマナス
DSCN4047s.jpg


③花より薄皮饅頭(福島県郡山市駅前柏屋さんの銘菓、「檸檬」もいいね)…おいしかった!
DSCN4043s.jpg


nice!(1)  コメント(4) 

#4342 明日から仕事:のんびりころりん Aug. 16, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

 ニムオロ塾は今週は夏休みだった。過去の記事をEXCELに’500タイトル/sheet’並べ、それを百ずつ区切ってブログへアップ、そしてその百タイトルごとの記事のカタマリを一覧表に整理した。2007年11月27日が最初のブログ、ようやく掘り当てた。何を書いたか覚えていないから検索のしようもなかった。検索システムができあがったから、過去にアップした記事で何を書いたか、自分ですぐに探し出せる、ちょっとうれしい。

 根室がどれだけ涼しいか8日間の最高気温と最低気温を表にまとめてみた。


  9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日
最高 18.7 20.4 32.5 30.2 25.7 17.3 15.9 23.3
最低 13.9 15.1 16.1 19.6 15.5 14.1 12.8 15.0

 最高気温が20度にならない日が3日もあった。東京でどんなに冷房かけたって20度以下にはならない。根室の高校生は日本一快適な気温で勉強しているけど、本人たちは。今日も’暑い!’って言ってる。(笑)

 わたしはどこにも出かけず、サイクリングを少しやっただけで、水分補給に青汁にレモンハチミツ入れて飲みながら、のんびりころりんこんしてました。
 酒は北の勝を「ぐい呑み」で飲みながら、オヒョウのフライ、ホタテの刺身、根室で獲れる魚貝類を少し食べれば大満足です。昨日は花咲ガニの鉄砲汁、美味しかった。胃がないので酒も肴も量はたくさんいらないのです。よく噛んで味わいながらゆっくり食べ、そして呑む。酒量?100ccで十分です。多くてもせいぜい200cc、胃がないので喉元を過ぎると小腸ですから、5分で酔いが回ります、そして呑み終わって1時間もしたら酔いがさめます。月に数回しかいただきません。すっかり慣れちゃって、たくさん飲みたいと思わない、味わってゆっくり飲むので、酒の味がよくわかるようになりました。

 さて、大学受験生や専門学校受験生のみなさんは一日8時間以上勉強できたかな?
 久しぶりの顔、明日が楽しみだ。仕事のスィッチ入るかな?

<記事の検索方法>
 弊ブログ記事番号管理表 ⇒ 青色太字#9999選択 ⇒ タイトルのコピー ⇒ 右サイドバー最下段の検索ボックスへ張り付け ⇒ クリック、目的記事へ  

  記事番号管理表




nice!(1)  コメント(0) 

#4340 記事タイトルの検索システムが完成しました Aug. 15, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

<更新情報>午後四時半、<余談:経済学との出遭いと戦い>追記

 根室は一気に秋です、今朝7の気温は14.2度でした。

 夏休みに入ってから、なんとなくいままでアップした記事を整理していました。古い記事だと自分で探すのもたいへんです。ブログ付属の「記事管理」のページにはアップした年月日降順でリストされるので、たとえば、5年前に書いた記事を探すにはページを何度も何度もさかのぼって行かなければなりません。だから、一番最初の記事にたどり着くなんて実際上は不可能でした。
 なんとなく記事のタイトルをEXCELでつくった一覧表に張り付ける作業をしていました。500タイトルごとにシートを別に分けて並べていきました。やっている途中で検索できるような工夫ができるのではないかと気が付きました。全体の見通しがあってやっていたわけではありません。

 百タイトルの一覧表×43個を43のブログ記事としてアップし、さらにその43個の「百タイトル一覧表」アドレスの一覧表「年月日」と「ブログ#」の降順の表にまとめて、二段構えにしたら検索システムが可能だということ、ふと気が付いたんです。

 昨晩全部の作業を終了しました。4300本の弊ブログ記事が2段構えて検索できるようになりました。左サイドバーのカテゴリー欄「0.ブログ記事No.索引」をクリックすると、検索リストの一覧が年月日の降順でてきますので、青い太字の文字列をクリックしていただいたら、各記事のタイトル一覧表へジャンプします。
 記事百タイトル一覧表の中で見たいものがありましたら、タイトルをコピーして、右サイドバーの「検索ボックス」へ張り付けて、クリックしてください。指定された記事がポップアップします。候補が3つほど出ると思いますので、そこから選択してください。

<ブログを始めた経緯(いきさつ)
 ついでですから、このブログを始めた理由も書いておきます。
 2006年6月はスキルス胃癌と巨大胃癌を併発し、釧路医師会病院で6時間の手術で命を救ってもらった年です。6月6日に地元の岡田医院で岡田優二先生に内視鏡検査してもらいました。幽門部付近に癌アリ、ほとんどふさがっていて十二指腸まで内視鏡が届きません。自覚症状からスキルスの併発があると思うので、さらに検査をお願いした。冷たく重い感じの何かが胃のあたりで広がりつつあるのがはっきり感じられました。胃の粘膜を走るスキルスは腫れを起こさず静かに広がっていきます。気味の悪い感触です。なんらかの天の助けがなければダメだと思いました。釧路医師会病院へ6/26入院、3週間の検査でスキルスの併発の診断(副院長の富田先生が内科的診断でスキルスの併発と診断)がついて7月20日に手術。執刀外科医は30代の後藤幹弘先生(現在は音更町の木野東クリニック院長)でした。ついてました。術後の病理検査で巨大胃癌とスキルス胃癌が確認されました。8月4日に退院、40日間の入院で手術前は食事は一度もとれませんでした。巨大胃癌が幽門部をほとんど塞いでしまっていたからです。固形物は通らないのでココアミルクのような液状の飲み物とヨーグルトそして点滴で過ごしました。退屈だったので、高校数学の問題集を2冊解きました。手術に備えて身体がなまってはいけないので全身のストレッチやベッドの上で深い呼吸のトレーニングも欠かしませんでした。高校生のころから自己流でヨガと呼吸のコントロールをやっていました、何が役に立つかわからないものです。
 二つの癌はリンパ節へ転移し、隣接している大腸(横行結腸)へ浸潤していました。ひどい状態だったようです。悪いところは全部切除(胃と十二指腸と胆嚢の全摘、胃のリンパ節と大腸一部切除、小腸を首のところまで引っ張って行って食道上部と吻合(ふんごう))、思った以上に進行していたので6時間の手術でしたが、輸血量を後藤先生に訊くとゼロ、700cの出血があったそうです。輸血しないでこれだけやっかいな手術ができる、すごいと思いました。
 術後は体重が10㎏ほど減少し60.5kgに、体力が衰えたのはもちろんのこと、脳の活動も体力に関係のあることがわかりました。塾をやめたら経済学の論文*を書くつもりでしたが、書けなくなったのではと不安になり、リハビリを兼ねて術後1年4か月後からブログを書き始めたのです。2007年11月27日が最初のブログ記事です。短い文章でも見直すたびに校正すべき箇所が目につきました。初めのころは何度も何度も見直したのです。普通に書けるようになるまでどれくらいかかったかは、ある程度は文章の長さに現れています。ブログは末期癌患者の脳のリハビリの記録のようなものです。わたしの場合は脳機能の低下に抗(あらが)う必要がありました。ようやく掘り当てた初回のブログ記事です。

#1 バーチャルとリアリティのはざ間に漂いながら考える:2007/11/27


<余談:経済学との出遭いと戦い>

 経済学は演繹的な体系構成をもっています。どのような演繹体系も一群の前提条件=公理から出発してその学問体系を構成していきます。数学モデルもそうした体系の一つです。ユークリッド『原論』が人類史上初めての演繹的学問体系です。
 A.スミス、D.リカード、K.マルクスの経済学には労働=苦役という公理が横たわっています。だから、労働からの解放が至上命題となります。自己を再設計可能なAIと機械がAIのコントロール下に置かれることで、そう遠くない未来に、人間が「労働から解放」されるのかもしれません。そういう未来を描いた小説野崎まど『タイタン』が4月に発売されています。
 こうした労働観と対極にあるのが日本人が育んできた仕事観です。職人仕事に端的に現れています。仕事は神聖なもの、だから、刀鍛冶は正月に禊をしてから初仕事をして、一振り目の刀を神に捧げます。仕事は神聖なものであり、自分が修行して育んできた技術の粋を表現する場でもあります。だから、仕事が生きがいなのです、職人仕事観からは「労働からの解放」という結論は出てきません。工場で仕事する工員も日々仕事の改善をするのも、職人が仕事の手を抜かないのもそういうことなのでしょう。わたしは本社管理部門の仕事や社長の特命プロジェクト仕事が多かった。4分野ほどの専門知識と経験を生かしてやる仕事は「労働」ではありませんでした。職人仕事そのもの。だから、日本の企業には工場も本社部門も職人仕事をやっているのです。
 職人仕事観を公理に措定すると、まったく別の経済学と経済社会が立ち上がります。そういう可能性と理論的な背景を明らかにすることが、わたしのライフテーマでした。根室高校2年生の時にマルクス『資本論』を読んだときに、巨大な森に迷い込んだ感触とこの巨大な森から抜け出したら何が見えてくるのかというのが、学問を志す出発点でした。大方のところはすでに弊ブログ書いてあります。
 経済学で公理を問題にした経済学者はいまのところわたし一人です。マルクス『資本論』は超えたと思っています。マルク氏自身も『資本論初版』(1867年)を書いたときに自分の方法論の限界に気が付いたと思っています。それ以降は経済学の著作を発表していません。ヘーゲル弁証法をベースに『経済学批判』⇒『経済学批判要綱』⇒『資本論初版』と書き進んできたマルクスは、その限界にようやく気が付いたのです。正・反・合の図式ではやれないところまで来てしまいました。(国内)市場関係や国と国際市場関係まで拡張したら、経済学的基本概念の展開が困難であることには気が付いたと思います。フランス語版(1872-1875)はまったく別な書物であると、自身が書いています。その方法的な意味を理解した経済学者はいません。『資本論初版』の方法的限界が見えてきたので、そうせざるをえなかったのでしょう。
 マルクスはヘーゲルではなくて、経済学体系の方法論を探るためにはユークリッド『原論』を読むべきでした。ですが、マルクスは数学が不得手でした。彼の『数学手稿』をみると、微分概念が理解できなかったことがわかります。『資本論』を読んでも『経済学批判要綱』を読んでも微分・積分は出てきません、四則演算に終始しています。そのこと自体もマルクスの経済学の限界になっています。方法論の誤りだけでなく、数学的なツールが使いこなせませんでした。『資本論』や『経済学批判要綱』を通して読んでずっと感じていた違和感はそこにもありました。
 『数学手稿』は、苦手だった数学の学習ノートのようなもので、出版すべきものではありませんでしたが、彼を神のごとくあがめる信者たちが出版してしまいました。泉下のマルクスは苦笑いしているでしょう。学の体系としては唯一、ユークリッド『原論』がありますが、数学が苦手ですから手に取ることすらなかったのでしょう。元々はギリシア自然哲学の専門家でした。イェーナ大学に提出した博士論文のタイトルはデモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異英語版(Differenz der Demokritischen und Epikureischen Naturphilosophie)』です。ユークリッド『原論』を読まなかったことが致命傷でした。



タイタン

タイタン

  • 作者: 野崎まど
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/04/21
  • メディア: Kindle版

nice!(0)  コメント(0) 

#4286 根室のお盆は七月 July 8, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

 北海道では函館市と根室市だけが七月がお盆である。二つの市はどちらも江戸時代から漁業で栄えた町である。根室市は旧和田村と旧根室町そして歯舞村が1959年に合併してできた。七月がお盆なのは旧根室町だけ、和田と歯舞は8月がお盆であるから、スーパーには7月と8月の両月にお盆のお供えなどの品々が並ぶ。
 金刀比羅神社の例大祭が8月9・10・11日だから、お盆を七月にもってきたのかもしれない。函館にも金刀比羅神社があるが、例大祭は9月初旬のようだから、根室とは事情が異なる。あまり盛んではなさそうだ。函館は港祭り(8/1~5)が最大のイベント。
 函館のお盆は新盆と旧盆の両方あるようだ。お寺によって違っているらしい。函館はお寺の多い町だ。女房殿の実家のお墓は、丘の中腹にある称名寺、港が一望にできるので眺めがとってもいい。高田屋嘉平や新選組の土方歳三のお墓がある。
*https://blog.goo.ne.jp/mercy_goo/e/35727dd52666dcd987ade44380467357
**http://www.hakodate-minatomatsuri.org/

***https://kawaranadesiko.amebaownd.com/posts/8721384

 そういうわけで、今日は墓掃除をしに市営墓地まで行ってきた。車が8台ほど止まっていたのは、みなさんお墓の掃除だろう。スギナ、タンポポ、イネ科の植物などを引き抜き、墓石を拭いてきたらすっきりした。(笑)

 庭のハマナスがいま盛り
 数えてみたら既に開いた花が百ほど、まだ蕾が30個ほどある。

SSCN3644.JPG




nice!(1)  コメント(0) 
前の10件 | 次の10件 A8. つれづれなるままに… ブログトップ