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#4270 フキがまっさかり:原野のサイクリング June 14, 2020 [85.サイクリング]

 天気がいいので1時ころサイクリングに出かけた。
 気温20.4度、南南東の風5.1m/s 
 今日の最低気温は11.1度、最高気温は22.5度、根室は涼しいと思って同時刻の東京の気温を調べたら、22.3度だった。あまり変わらぬ、こんな日もある。でも、明日は東京は蒸し暑くなりそうである。

 路肩にはフキがびっしり生えている。原野の鳥の声も騒がしくなってきた。家の周りを縄張りとしているカッコーがときどき長閑に「かっこー♪」と啼くが、原野のカッコーのほうは1週間前よりは少ない感じがする。家の周辺の草叢(くさむら)で夜啼く鳥が増えた。夜通し草叢で囀っているあのおしゃべり好きな鳥は何というのだろう。

 土曜日に13㎞、今日も13㎞走ってきた。今週は月~金曜日まで気が向かなかったので、土日の2回だけ、合計26㎞だった。風を切って走るのは気持ちがいい。
 走りたいと思ったときに走る。気が向かなければさっぱり走らない。最高速度は46kmだった。往きの直線5200mは11分フラットだから平均時速28.4km。半袖に、安全のため腕にサポータをつけて走っている。サイクルパンツは冬用の厚い生地の物、根室は年中これで間に合う。(笑) 転倒したときに腕にサポーターがあるとないとではけがの程度がずいぶん違う。
 累計走行距離は5429km。毎月100kmくらい走れたら十分だ。
 そんなに汗の量は多くないが、走ったら大麦若葉の青汁を飲んでいる。気温が高くなくても500㏄くらいは汗をかくので、水分補給は200ccでは追いつかぬが、胃がないので400cc飲んだら下痢してさらに水分を失い危険だ。水分回復に2-3日かかるから、10㎞を超えるサイクリングは週に2日が限度だ。納沙布岬周回コースは45㎞あり2000ccくらい汗をかくのでもう無理、ゆっくり回れば可能かもしれない。いやいや、やめておこう、とろとろ走っても楽しくない。
 二度尿管結石をやっているから、用心に越したことはない。あれは眠られぬほど痛いから。(笑) 

 高3対象にやっている、ライン配信方式の英作文問題、第136回目を作った。毎回5題のつもりで始めたが、回を追うごとに出題量が増えて、最近は10題平均になっている。生徒への負荷が大きくなっているので、週に3回程度に減らしたほうがよさそうだ。明日の月曜日は75回目だから、「貯金」が61回分ある。週4回だから9月末までの大丈夫だ。しばらく、1・2年生のほうの英作文問題作成に注力するつもりだ。英語が苦手な1・2年生にチューニングした問題が創れるようになるまで反応診(み)ながら試行錯誤、5か月かかった。(笑)


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#4269 Sapiens(31st) : Page 42, 43 June 13, 2020 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

 昨日、6/12金曜日の授業から。
 42頁第2段落で出てくる副詞句の訳がやっかいだった。生徒からの質問がなければわたしも漫然と読み飛ばしてしまう。いい質問だ。

<42.2> ... If you tried to bunch together thousands of chimpanzees into Tiananmen Square, Wall Street, the Vatican or the headquarters of the United Nations, the result would be pandemonium. By contrast, Sapiens regularly gather by the thousands in such places. Together, they creat orderly patterns --- such as trade networks, mass celebrations and political institutions --- that they could never have created in isolation. The real deffernce between us and chimpanzees is the mythical glue that binds together large numbers of individuals, families and groups. This glue has mde us the masters of creation.


 ここが問題の箇所である。
 Together, they creat orderly patterns

 together:副詞 ともに、一緒に、協力して
 中学生の時から見慣れた単語だが、この副詞句は強調で文頭に置かれただけではない。カンマがついているところもしっかり確認しておきたい。カンマには意味がある。アンダーラインを引いたtogetherと呼応している。そちらは仮定法過去の文で、反実過去。

 2回目に現れたtogetherのほうは内容から推して単なる条件節ですから、必要なものを補って書き直すと、次のような文になる。
 If you try to bunch together thousands of [sapiens], they creat orderly patterns...


 「サピエンスを数千人集めたら、その行動は整然としたパターンを描く」と述べて、
そのあとに整然としたパターンの具体例が三つ示されている。貿易ネットワーク、集団での儀式、政治機関の三つである。


 Together, they creat orderly patterns

 したがって、この部分は「数千のサピエンスを集めたら、整然としたパターンを描く」と訳したらよいのだろう。
 柴田氏は前後関係からうまくつないだように見える、これもプロの翻訳家の技か。ハラリの言いたいところとはちょっとニュアンスが違うようにわたしには感じられる。「サピエンスが一緒になる」ことでは貿易のネットワークは生じない。ああ、ここは交易ではなくて現代の話だから貿易と訳すべきだ。ハラリの言わんとしていることは「数千人単位のサピエンスが集まり一団をなせば」ということ。数人や数十人や数百人単位の集団では現代の貿易ネットワークや集団での儀式、政治機関は生み出せない。数十人単位の集団行動ならネアンデルタール人でもやれたのだ。


もし、何千頭ものチンパンジーを天安門広場やウォール街、ヴァチカン宮殿、国連本部に集めようとしたら、大混乱になる。それとは対照的に、サピエンスはこうした場所に何千という単位でしばしば集まる。サピエンスは一緒になると、交易のネットワークや集団での祝典、政治機関といった、単独では決して生み出しようのなかった、整然としたパターンを生み出す。わたしたちとチンパンジーの真の違いは、多数の個体や家族、集団を結びつける神話という接着剤だ。この接着剤こそが、わたしたちを万物の支配者に仕立てたのだ。」柴田裕之訳 56頁

<43.0> How is it that we now have intercontinental missiles with nuclear warheads, whereas 30,000 years ago we had only sticks with flint spearheads? Physiologically, they has been no signeficant improvement in our tool-making capacity over the last 30,000years.

  この文をどう処理していいかわからないというので、itが何を指しているか訊いてみたら、that節という答えが返ってきた、ちゃんとわかっている。ではなぜ訳に戸惑ったのだろう?単に文が長いからではないだろうか。whereasという接続詞も使われているので、that節には2つの節があり、節同士の関係を読みそこなったからだ。
 しかし文構造は単純である。こういうときは基底文deep structureに書き直せば意味は簡単につかめる
  How is it? 「それはどういうことなのか?」「それはどうしたことだろう?」
 itという箱の中身は生徒自身が答えたようにthat節である。3万年前に火打石の穂先をつけた槍しかもっていなかったわたしたちが、今日大陸間弾道ミサイルをもっているのはどういうことなのか?生物学上、道具を作る能力において30,000年間に意味のある変化はなかった。なのにこれほどの差が生じているのはどうしたわけなのだろうというのが、ハラリの問題提起である。
 whereasは3万年前といまを比較しているから、そのまま対比的に訳せばいいだけ。訳語を知らなくても文脈で気がつく。つねに文脈を読みつつ読み進むのは日本語で書かれた本を読むときと同じである。この生徒は良質の日本語テクスト15冊を厳選して5年間の音読トレーニングをやり終えている。日本語テクストでできることが、英文ではまだできない。英語の本は1冊目、それも10か月かけてようやく43頁であるから無理もない。文章を読んで、普段使っている日本語レベルで訳文を書くトレーニングを続けているが、そろそろ卒業して、速度重視のスラッシュ・リーディングへ切り替えたい。精読トレーニングを100頁やれば景色が違ってくるし、文脈への反応もずっとよくなる。
 このサピエンスの朗読音源がamazonから出ているので、それを利用してリスニング・トレーニングをすることにしている。理解している英文を繰り返し音読することで頭から英文を理解できるようになる。相乗効果を狙っている。

 ハラリの視点はとってもユニークである。大陸間弾道ミサイルの開発や製造には数十万ものイベントがある。数十万もの単位のジョブ・イベントをPERTチャートに展開して仕事を進めなければならない。数十万人~百万人を超える人々が協調して仕事をしないとつくれない。それを可能にするのが「集団を結びつける神話という接着剤」であり、ネアンデルタールやそれ以前の人類がもてなかった能力なのである。その分岐点をハラリは「認知革命」と名付けた。

3万年前には燧石の穂先をつけた木の槍しかもっていなかったわたしたちが、今では核弾頭を搭載したミサイルをもっているのはどういうわけか?生理学的には、過去3万年間にわたしたちの道具作成能力には目立った進歩はなかった。」 柴田裕之訳



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#4268 面白い循環小数問題&記数法問題 June 12, 2020 [52. 数学]

 3年生の生徒が進学講習のプリントをもってきた。その中に面白そうな問題があった。

 問:ある整数の逆数をとったら、0.abcabcabc...と3桁の循環小数となった。その整数の最小値と2番目に小さい値を求めよ。

 改題して「そのときのabcの値を求めよ」と付け加えたらもっと面白くなる。

 答えは、27と37である。(a,b,c)=(0,3,7) , (0,2,7)

 この生徒、循環小数は習っていないと主張していたが、数1の教科書にあるから、やっている。見せたら「あ、ある、ほんとうだ」、忘れていただけ。ちょっとやっただけだから2年たつと普通は忘れてしまっている。そしてこういう難易度の高い問題は根室高校1年生の授業ではやっていません。忘れてたのもあるけどやっていないといった方が正鵠を射ているのでしょう。かつてやったことを思い出し、複合問題にチャレンジするには好いプリントです。
(数Ⅲをやっている生徒からは、逆関数の積分の問題の質問が出ました。このところやっている問題は特殊な問題が多いから、基本を忘れてただけ。30秒の解説で理解してました。1/14から『青チャート数Ⅲ』全問制覇をし始めて、6月末までに終了が当初スケジュールですが、1週間余して終われそうです。この生徒は意志の強さをほめたい。)

 プリントには2進数の除算問題も載ってました、どうやったらいいのか鳩が豆鉄砲を食らったような顔で質問していましたが、十進数と同じように割り算したらいいだけ。やって見せたら余りがゼロになったところでピンポーン!黒板見ないで自分でやってみて「できました!」。8進数の加算や減算問題は、繰り上がりや繰り下がりを8でやるだけ、縦に並べて計算すればすぐにできる。横計算でやると難問になる。筆算は小学校でも縦でやったでしょ。こちらも慣れておかないと、大学受験本番で出題されたら、時間を食ってしまい痛い目に合う。今年の夏休みは2週間ほどしかなく短いが毎日12時間勉強して、忘れていたものを思い出したらいい。

 20代後半(1978年)に、好奇心からマイコンの本を読み漁って、2進数、8進数、16進数の計算をしたのが懐かしい。当時はパソコンはおもちゃ同然。社内にあったコモドール製パソコンは、押しても戻ってこないキーがあったほど粗雑な造りでした。HP社のマイクロ波計測器の制御とデータ処理部に使われていたパソコンは当時200万円くらいしました。これは優れものですが、個人ユースでは買ってもらえません。(笑) 
 オフコンとワープロが仕事で使われ始めてました。1979年に三菱電機製のA4縦型のワープロを東京営業所で見積作成用に導入しましたが200万円しました。1982年10月にNEC9800シリーズのパソコンが売り出されたときには驚きでした。キーボードがコモドール製品とは比較にならぬほどしっかりしてました。スプリングの品質が違っていたのでしょう。
 中途入社してすぐに5つのプロジェクトを任され、自社の経営分析と収益構造を変える具体案を作り実行するために、かなりの量の統計計算が必要で、数日間、朝から晩まで電卓叩いて計算してましたが、そのままでは埒が明かず、どうしようかと思っていたら、HP社のHP67とプリンタ付きのHP97を入社1か月目と2か月目に関周社長が米国出張で買ってきてくれました。朝出社すると机の上に置いてある、うれしかった。秘書に尋ねると「社長がebisuさんに使えって置いてきました」。当時11万円と22万円もした高額の科学技術用プログラマブル計算機でした。一日中計算に明け暮れていたのが、プログラムを組んでしまうとデータ入力とチェックだけでいいので30分で終わってしまったのは感激でした。時間が短縮できるので統計計算量が数倍に増えました。線形回帰分析をベースに、経営分析用の25ゲージのレーダ・チャートを開発しました。組んだプログラムはテストデータでチェック済みですから、計算の確認がいらない。プロジェクト5つ抱えていても問題がなくなりました。収益構造を変えることを目標にシステム化(為替管理、円定価表システム、納期管理システム、仕入在庫管理など)をいくつかやったので、3年後には会社の売上高経常利益率が7%ほどアップしてました。これらのシステムは円定価見積レート、仕入レート、決済レートで連動していました。仕入れと営業実務が劇的に変わりました。
 
400頁の英文のマニュアル2冊を1週間で読み切り統計関係の数値プログラミングをマスターし、その後2年間の間にさらに2言語プログラミング言語をマスターして仕事で使いました。3年目には会計情報統合システム分野では国内トップレベルのSEと互角に仕事してました。5年目には為替管理や簿記や原価計算、経営分析、在庫管理、初等統計学などの専門知識がある分だけこちらが有利、国内トップレベルのSEを超えましたね。その都度一緒に仕事するソフトハウス(オービック⇒日本電気情報サービス⇒NCD社)は代わりましたが、スキルが上がるとSEたちは何でも言うこと聞いてくれました。8か月で臨床検査最大手SRLの会計情報統合システムが本稼働した後、「暇だからプログラミングやろうかな」って言ったら、「内部設計やプログラミングはわたしたちがやるので、ebisuさんは実務デザインと仕様書書いてください」って。(笑)
 コンピュータを扱えることはあたりまえ、それ以外の専門知識が大事。国語と数学と英語の勉強をちゃんとやっておけば、コンピュータ関係の専門書は必要な時に独力で読めるし、仕事で使えばスキルも短期間で飛躍的に伸びます。だから高校生のときには国語と数学と英語の勉強をしっかりやっておこう。大学では専門分野を極めよう。簡単なプログラミングはとっくにブラックの世界ですよ。雇用の安定しない非正規・低賃金です。ゲームソフトの世界も恐らく同じでしょうよ。どうか高校生の皆さんは高額報酬分野を目指して勉強してください。それには国語と数学と英語が大事です。情報の勉強なんか社会人になってからでも独学でやれます。仕事でつかえる環境があればスキルはぐんぐん伸びます。スキルの高いSEと仕事する機会があれば、技術は盗めます。一緒に仕事して見ただけでわかるんです。

 さて、高校数学の勉強の話に戻りましょう。ふだんやっている問題集に良問には「良」のマークを付け、できなかった問題には「レ点」をつけてあれば、効率的に復習できます。マークを付けた問題でも2度目にやって十分理解したら、マークに二重線を引いておけば、3度目はパスできます。こうして問題の分量を減らしていけば数分の一の時間で復習できまります。時間は一日24時間しかないから、いかに効率的に復習するかが3年次の学習効果を決定します。ふだんの勉強方式は予習方式です。これが一番効率がいい。なぜかって?習っていないところを予習してあると、どこがわからないかがはっきりしますから、学校の授業は分からなかったところに集中して聴けばいい、つまり復習になってしまうからです。そういう勉強の仕方が学力アップの効率が高い。

<余談:転職≒天職>
 1978年の大学新卒の初任給は105,500円でした。産業用エレクトロニクス輸入専門商社の関周社長が入社早々に買ってくれたHP97は22万円ですからずいぶん高い製品だったのです。
 本社は日本橋人形町、大学院卒の中途入社でした、初任給は2.5倍ほどいただいたのではなかったか。仕事は期待に応えたと思います。五年後にこの会社を辞めて、職探しにリクルート社の人材斡旋で選んだうちにフェアチャイルドジャパンがありました、経理課長職で年収850万円でした。当時の大卒初任給は135,800円ですから、年収220万円程度です。外資の半導体製造企業は日本企業に勝てそうもないのでいずれ撤退になると判断。プレジデント社とスキルの高い上場準備要員を募集していた臨床最大手SRLに絞って、5年分の決算情報をみて、両方の会社を訪問しました。プレジデント社は赤坂に事務所がありました、雑誌の編集の仕事です、経営や経済記事が中心の雑誌ですから向いていたかもしれません。
 上場準備中のSRLはシステム開発の高度なスキルが生かせます。担当できる社員がいなくて困ってました。SRLは西新宿の超高層ビル22階が本社、いまでこそ都庁の手前ですが、当時は都庁は丸の内で西新宿にはまだ移転してません。ビルと業績でSRLに決めました。高校卒業して根室から出て行って、都会で仕事ですから、超高層ビルで一度仕事してみたかった、それだけ。(笑)
 その後、横浜の療養型病院の常務理事となり、病棟建て替えをやり終え、また転職。外食産業の別の会社で経営企画次長として銀座3丁目でも仕事することになります。
 根室へ戻って来てから、東北の会社からお誘いが一度ありましたが、いくらなんでももう転職はナシです。体力がありません、そのうちにふるさとの土になります。(笑)
https://nenji-toukei.com/n/kiji/10021


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#4267 北構保男さんの思い出 June 10, 2020 [22. 人物シリーズ]

 根室の文学博士(考古学)北構保男氏が6/5に亡くなった、103歳。札幌の老人ホームで2年ほど暮らしていたと新聞に載っていた。奥様がなくなられてからもう10年くらいにはなるのでは。根室印刷株式会社創業者でもあったが、体調の関係から会社の方へ顔をお出しにならなくなってから、もう5、6年になるだろうか。会社の方はとうに娘婿の山田氏に任せておられた。
 山田社長が、林子平「三国通覧輿地路程全図(1785年)」を2011年版のカレンダーで見事な復刻印刷をされたときに、「山田がね…やってくれた」とうれしそうなお顔でわたしに「一部あげるよ」と下さった。あの印刷は高度な技術を要するのだろう。東側が上になった、地図である。日本列島が北方領土から沖縄・台湾まで中国とロシアの太平洋進出を阻んで存在することが一目瞭然の地図。そういう地政学的位置に日本列島がある、だから、林子平は『海国兵談』を書いたのだろう。海の防衛という観点から政治家や自衛官そして社会科教師が読むべき本の一つである。別の古地図(改正蝦夷全図(1875年))のカレンダーも同じ年に復刻印刷をしている。塾生に視点を変えて日本列島を見てもらいたくて、林子平の「三国通覧輿地路程全図」はニムオロ塾の壁に貼ってある。「ロシアや中国からみたら太平洋へ出るのに日本が邪魔だね」、北方領土問題を考えるときにこの地図を見ると、一度太平洋への出口を確保したロシアが手放すはずがないと思うのはモノの道理だ。戦争で奪われたものは戦争で奪い返すしかない。それが国際政治の現実であるから、軍事力の背景のない外交交渉は無力、幻想にすぎぬ。経済的な側面からの交渉で領土返還が可能だとしたら、ロシアが経済的に崩壊したときのみ。それがあるかないかは誰にもわからぬ。
*https://ja.wikipedia.org/wiki/林子平
(奥様は根室に2つあった酒造「色媛」の長女と先生からお聞きした。穏やかで品の好い話し方をする方でした。ヒシサンホーマが造り酒屋「色媛」のあった場所、現在の成央小学校のあたりから湧き水を引いて酒の仕込み水に利用していた。角にはその湧き水の水道栓があって、花咲街道沿いの商店は水道栓の鍵を各家で持っていて、飲み水に使わせてもらっていた。花屋のケイコの家の木村さんも、床屋のマーちゃん家の酒井さんも、根室信金向かいのヤッコのお菓子屋さんの「ミドリ」も、洋裁店のユッコん家も、隣の根室の老舗奥田時計店も、ビリヤード店と居酒屋(後に焼き肉屋)をしていたわが家も飲み水は色媛の水道栓からふんだんに出る水を汲んできていただいていた。小学校2年生のときだったか町営水道が敷設され、鉄管と塩素の味がする水道水のまずさに閉口した。裏に住んでいたお茶の大好きなおばあさんはそ「色媛の水」でお茶を飲むのが楽しみだった。好い水で入れたお茶はまるで味が違う。もちろん、ご飯も味噌汁もラーメンも同じだ。そんな話を先生と愉しんだ。)

 2002年11月ころ古里根室に戻って来て、新聞の折り込み広告をお願いに根室印刷へ行ったら、奥の机におられた。以来何度か、会社とご自宅でお話を聞く機会があった。

 学生時代は京王井の頭線沿線にお住まいだったようだ。京王線明治大学前から渋谷まで京王井の頭線を利用することがあったが、京王井の頭線にはあまりなじみがない。昔は沿線はずっと閑静な住宅街だっただろう。国学院大学大学院を卒業されて、根室へ戻られ、先生は最初は新聞社をやるつもりだったという。1942年に道内11紙が統合されて北海道新聞が発足していたので、あきらめたのではないだろうか、それで印刷会社を興した。
 先生は、北国賛歌の作詞者である歯科医の田塚源太郎先生や高坂さんと根室商業の同期である。「長生きも考えものだ、友達はみんな逝ってしまった、もう昔話ができるのはebisu君、あなたくらいなものだよ、たまには家まで話に来い」と笑っておられた。50年近く前の話や先生の旧友の話ができるのは他にはいなかったご様子。田塚先生と高坂さんはビリヤードの常連だったし、田塚先生の二女が小学校、中学校で同級生、高校も1年生とときは同じクラス、男のお子さんがいなかったので、かわいがってくれた。小学校低学年の時に面白がってよくビリヤードの相手をして遊んでくれた。わたしはそれまで田塚先生の出身がどこかを知らなかったが、「かれは国後島の大漁師の家の息子だ」とおっしゃっていた。根室商業から三人そろって東京の大学へ行き、つるんで遊んだそうだ。
 昔は「根室商業⇒歯学部進学」もあり、道東の名門校だった。北構さん同様に田塚先生も175㎝ほどの長身だった。線路に立ちはだかり、手を振って列車を止めて乗せてもらったなんてことも。根室商業の生徒ならと、大人たちが大目に見てくれた時代だった。田塚先生の「武勇伝」である。この話は他の人から聞いた。

 国学院大学大学院へ通っていた時に、北構先生は文部省の依頼でベトナムの王族の一人に日本語を教えていたことがある。文科省からお金が給付されたという。ベトナムは当時フランスの植民地だったから、日本語を教える傍ら、フランス語の勉強になった。あるとき「殿下が日本へ来るので会わせたい」と話があったが、戦局の悪化で実現しなかった。当時の日本政府はベトナムをフランスから独立させるために、王族を日本へ呼び寄せ、支援していた。敗戦後少なからぬ日本人将校や兵士がベトナムに残留し、ベトナム独立に命をささげている。共産主義の北ベトナムのベトコンの精鋭は「生粋の日本帝国陸軍製」であった。ベトコンは生まれ落ちたその時から正規軍として日本帝国陸軍の軍事訓練を受けて育ったのである、だから比類なく強い。フランスが撤退した後、米国の傀儡政権ができたが、それも倒してしまった。統一独立を果たした後で、あの小国が今度は中国軍の侵略に抗して戦っている。米国との独立戦争に勝利した後、同盟軍であったはずの中国が領土拡張の好機とばかり背後を襲ったのである。ロシアと中国の領土拡張は彼の民族の遺伝子に刻まれているようなものだから、油断をしてはならない。現地に残留してベトナム名を名乗った元日本人将校と兵士たちは、故国に戻ることなくベトナム人として彼の地に眠っている。
 いま根室で働いているベトナムの方たちは100名を超えているのではないか。不思議な縁を感じる。ベトナムから働きに来ている人たちを大事にしてもらいたい。

 逝去を伝える6/9付北海道新聞記事によれば、通算18年間根室町議と市議を務めたというから、昭和21年ころに根室町議になっている。先生は大正6年のお生まれだから、27歳の町議。ずいぶんお若い、そして青年実業家で市井の考古学者であった。いまそういう若者がいたら根室はとっても面白い町だろう。

 1964年東京オリンピック開幕のさなかの市長選挙だった。お兄さんだったか当時根室信金理事長ではなかったかと思うが、信金の幹部数名を連れて、お店へ「応援よろしく」と挨拶に見えられた。オヤジはずっと北構さんに票を入れていたのでいまさら頼まれるでもなかった。人柄を買っていた。根室印刷とは道路と家一軒を挟んでいるだけ、ご近所さんだった。大きな声がするなと思うと、北構さんとオヤジが根室印刷と家の間の角で話している。声が大きいのだ。元落下傘部隊員だったオヤジは終戦後、小樽で下駄の卸問屋をしていた知り合いの後押しで梅ヶ枝町三丁目で下駄屋を開業した。それ以来の近所づきあい。
 北構さんは助役だった横田俊夫氏と選挙戦になり、落選した。インテリでものごとの白黒をはっきり言うので地元有力者たちから煙たがられた。あのときに北構さんを根室市長にしていたら、根室の町は大きく変わっただろう。先生は「あれであきらめた、政治から手を引き、会社経営と考古学研究に専念することに決めた。根室の町は何をどうやっても変わらないよ」と根室印刷の応接テーブルで大きな声で話してくれた。そのときの話が耳に残っているので、スキルス胃癌の手術後の2006年11月から古里を変えるためにはどうしたらいいかを考えながらブログを書き始めたのかもしれぬ。4267回目に先生の思い出を書くことになろうとは、そのときは思いもよらぬこと。小石を一つ投げ込んで、波の伝わり方を見たかっただけ。14年間で小さい変化はあったが、町の体質はあいかわらずだ。次の世代を育てることで30年先の根室を変えることになるのだろう。小さな私塾から巣立った者たち数名が協力して30年後の町を変える力の一つになる、根室を変えるのは根室人だ、そうありたい。

 ご自宅へお伺いしたときに、60歳を過ぎてから博士論文を書いて、母校から文学博士の学位いただいたことを話された。発掘作業とそれを論文にまとめているうちに、一冊の本に実を結んだのだろう。オホーツク海沿岸の文化史をまとめた論文が本になっていた。考古学に興味のある根室の若い人たちに読んでもらいたい。市立図書館にあるだろう。博士学位を取得されたと聞いてから、名字に「先生」をつけて話しかけていた。根室で考古学研究を続け、60歳を過ぎてから本を一冊まとめられたことへの敬意である。

 緑町3丁目の角にポンポン屋という釣具や模型などを商っていたお店があったがそこを先生は買われた。考古学の資料が溢れていたから、その整理のための場所だった。洋裁店のユリヤ横山も廃業して売りに出たので買われた。お付き合いがあったからだろう。そこも発掘した考古学の資料を保存するために使われた。自宅には本が3万冊以上ある、考古学仲間から献呈された本が多いと聞いた。発掘した資料をどうするかしばらく考えておられた。数年間に、根室市に寄贈された。何しろ数が多いので、そのご整理が進んでいる。大切に保管して、研究者に公開してもらいたい。

 1972年に結婚式を根室ですることに決め、北構さんに媒酌人を頼んでもらいたいとオヤジに伝えたら、先生は快く承諾してくれた。お仲人さんでもあった。

 子どものころからたくさんの根室の大人が育ててくれた。その中で最後のお一人と言ってよい北構先生が亡くなった。ちょっとばかり寂しい気がしている。
 古里に戻って来てからお世話になりました。ご冥福をお祈り申し上げます。...m(_ _)m

*#3953 北構コレクションの常設展示:オホーツク文化 Mar. 15, 2019
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2019-03-15
 
 #2781 北方領土の地政学的な位置 Aug. 19, 2014
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2014-08-19


 
#2260 東西の古地図に見る日本・北海道・千島:展示会 Apr. 10, 2013
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2013-04-10


 #2264 なぜ松前藩だけが地図をつくれなかったのか? Apr. 16, 2013
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2013-04-15


 <ニムオロ塾の教室の壁に貼ってある復刻古地図(根室印刷株式会社製)>
SSCN3570.JPG


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海国兵談 (岩波文庫)

海国兵談 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
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 本欄の右側に弊ブログ内の記事の検索ボックスがありますので、「北構保男」で検索していただいたら、10個ぐらい記事が出てきます。

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#4266 Sapiens(30th) : page 40 June 7, 2020 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

 1/14から始めたメール配信による英作文問題、120回目の問題を作成し終わった。平均7問題くらいだから、840問題と解説をし終えたということ。今日が72回目だから12週分貯金ができた。(笑)
 問題と解説でA4版ですでに125頁の分量、1頁1600語くらいだろう。
 Lineで生徒が受信してやってきたら、塾で個別に添削解説している。やってこない人は送信された解説を読むくらいはしているのだろう。生徒には「主語と動詞と目的語だけでいい、主語と動詞だけでも結構、あとは英文の作り方を塾で個別に教えてあげる」、そう伝えている。本人のやる気や自主性、自律性を重んじている。ようするに大人扱いしている。
 これ(ブログ)書き終わったら、数学の問題を少しやり脳のバランスをとる?なんだか似たような使い方をしているような気もするのだが…

 金曜日(6/5)の授業で質問のあった個所をとりあげる。40頁第2段落。
 (直前の段落は前回取り上げている)

<40.2> Hunting techniques provide another illustration of these differnces. Neanderthals usually hunted alone or in small groups. Sapiens, on the other hand, developed techniques that relied on cooperation between many dozens or individuals, and perhaps even between deferent bands. One particularly effective method was to surround an entire herd od animals, such as wild horses, then chase them into a narrow gorge, where it was ezsy to slaughter them en masse. If all went according to plan, the bands could harvest tons of meat, fat and animal skins in a single afternoon od collective effort,and either consume these riches in a giant portlatch, or dry, somke or (in arctic areas) freeze them for later usage.


 問題の箇所はアンダーライン部分。
Hunting techniques provide another illustration of these differnces.

 illustrationをイラストつまり「絵」だと理解していた。思い込んでしまっているから、「意味がさっぱり分からない、どう訳せばいいのですか?」ということになった次第。
 案外こういうことはよくあること。知っている単語ほど危ない、辞書を引かないからだ。記憶にある訳語だけで処理しようとしたってできるわけがないし、頓珍漢な迷訳を創り上げることになる。
 単語の暗記はしなければいけないが、訳語で考えてしまう癖がつくことには注意を払おう。
 文脈次第で名詞なのか動詞なのか変幻自在の単語は多いし、名詞でも動詞でも訳語がいくつもある単語はむしろ普通だ。動詞はとくに目的語が何かで意味が変わる動詞は目的語とセットでなければ意味がつかめないケースが多い。動詞は副詞や前置詞と組み合わされても意味がちがってくるから、つねに基本イメージに戻って考える癖をつけよう。
 たとえば、be fed up withだ。fedはfeed「餌をやる」の過去分詞形だが、餌をやり続けて喉まで一杯に(up)なれば、それ以上はもう見たくもなくなるだろう。そこから、「うんざり」という意味が出てくる。

 文脈をトレースしながら、整合性を確認しつつ読む努力もしよう。日野ン語で書かれて本を読むときと同じだ。
 前段は長距離の交易をしていたサピエンスはネアンデルタールや古代の人類たちとは異なる密度が濃くてそして広汎な知識のネットワークも創り出していただろうというハラリの推測・仮説が述べられていた。
 そして段落を変えてさらなる説明になる。前段で提起した仮説をさらに敷衍して見せるのだ。「狩猟技術は差異についての別の説明を提供する」と言っている。illstrationの意味さえ取り違えなかったら簡単な文章である。
 保留して先を読み進むのも一つの技である。続く文章はアンダーラインの文章をさらに具体的に展開しているから、先を読み進んでから戻ってみたらほとんどわかる。

 こういう思い込みをして、思考が隘路に迷い込む、数学でもたまにあるでしょ。問題文の条件を一つ読み落としたら、解けない場合がある。そういう時には、「どこか間違って考えているはず、間違えているのはどこ?」、深呼吸を数回して、虚心に問題文を読んでみよう。
 文脈からこの文章の意味の見当はつく。見当をつけておいて、知っている単語についても辞書を引けばいいのだ。辞書に書いてある訳語は①②…と数が多いから、だれだって全部を知っているわけではないのである。基本イメージを抑えるように普段から努力しよう。

 illustrate:(v)説明する ②挿絵を入れる illustration:(n)例、説明 ②挿絵、説明図、イラスト
 文章で説明されるよりも、簡単な絵や図にして説明してもらえばよくわかるでしょう。そういう時に使われるのがこの単語です。

 意識を集中するのは簡単である。ヨガの呼吸法を知っていたら、数回ゆっくりと呼吸したらいい。意識をどこにも集中させないほうがずっとむずかしい。意識の放散がむずかしいどこにも意識を集中させず全体を眺めていると、感覚に引っかかってくるものが現れる
 高校生の時から、どういうわけか呼吸コントロールに興味がわいて、呼吸を長くする(長息呼吸法)トレーニングをしていた。失敗もあった。我流だったからなんでもやってみた。(笑)
 止息トレーニングは呼吸器系に悪影響があるからやらないほうがいい。歩いて呼吸するときに吸気、止息、吸気、吸気...という具合に間隔をだんだん長くしていく。一呼吸の間の歩数を増やしていけばいいのだ。座禅を組んで瞑想してみるのもいい。ようは意識を呼吸に置くだけ。
 呼吸は止めてはいけない。吐ききったら自然に吸気が始まり、頂点に達する直前にゆっくり吐き出し、吐き切る。意識の集中や分散には呼吸のコントロールが不可欠である。

(呼吸法は性や健康や精神にも深い関係があります。トレーニングによって次第に深く長い呼吸が自在にできるようになります。興味のある方は「タントラ・ヨーガ」で検索してください。呼吸のトレーニングは健康法なのです。)

狩猟の技術もこうした違いを浮かび上がらせてくれる。ネアンデルタール人はたいてい単独で、あるいは小さな集団で狩りをした。一方サピエンスは、何十人もの協力、ことによると異なる生活集団間の協力にさえ頼る技術を開発した。なかでもとりわけ効果的なのは、野生のウマなどの動物を群れごとそっくり取り囲み、それから狭いという峡谷に追い込むという手法で、こうすれば楽々ひとまとめに獲物を殺すことができた。万事計画通りにいけば、複数の集団がある日の午後の間、協力するだけで、何トンもの肉と脂と皮を収穫し、大宴会を開いて肉を平らげたり、後に食糧とするために乾燥させたり、燻製にしたり、(北極地方では)凍らせたりした。」柴田裕之訳54頁
 


 呼吸法や瞑想法に関するヨーガの本はたくさん出てますから、お好きなものを選んで読めばいい。呼吸法をDVDで独習してもいい。便利になりました。身近に教えてくれる人がいたら、そのほうがいい。

 お釈迦様の呼吸法について面白い本が出ています。この本を書いている方、たしか台東区に「調和道場」を開いていて、そこへ行って教えてもらおうかと思った時期もあったが、なかなか暇がとれなかった。(笑)

 わたしの持っているのは1981年第六刷りである。

釈尊の呼吸法: 大安般守意経に学ぶ

釈尊の呼吸法: 大安般守意経に学ぶ

  • 作者: 村木 弘昌
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2020/04/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

この本は読んでいません。検索したら引っかかってきただけ。
ブッダの〈呼吸〉の瞑想

ブッダの〈呼吸〉の瞑想

  • 出版社/メーカー: 新泉社
  • 発売日: 2012/10/02
  • メディア: 単行本


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#4265 道端のフキ:原野は鳥が囀っていた June 7, 2020 [85.サイクリング]

 英作文問題を午前中につくった。120回目まで作成した。各回平均7問強あるから、840題ほどつくったことになる。メール配信方式の英作文トレーニング用だ。NHKラジオ英会話のテクストを使って作成している、週4回だから、結構大変だろう。
 塀の内側が苔がついて部分的に緑色になっているので、ブラシで落とした。ついでだから、ペンキ(ホワイトスノー色)塗ったらますますきれいになった。気持ちがいい。やることやったから、サイクリングだ。ワォー!

 昨日は23㎞、今日は17㎞、原野を走ってきた。
 昨日:気温14.9度、北東の風4.6m/s
 今日:気温13.1度、北北東の風3.7m/s
 押してみたら、空気圧が足りない感じがするので、測ってみたら6barに落ちていたので、規定の8.5barにセットしてから出かけた。路肩を走ると小石で車体がガタガタ跳ねる。空気圧が高いからしかたない。乗り心地よりも速度優先だ。MTBはタイヤ幅が5.5㎝、前サスペンションだからふわふわして座り心地がいい、その代わり重たい。ブリヂストン製品。

 カッコー、鶯、さまざまな小鳥たち、原野はだんだんにぎやかになってきました。
 航空自衛隊根室分屯地の周囲を走っていたら、キタキツネが自転車に驚いて、金網のフェンスをよじ登りました。2mくらいあるかな。途中まで登ってどさっと落ちてきました。折り返して戻ると、今度はしっかり登って、有刺鉄線とフェンスのすきま25㎝くらいのところからサッとフェンスの内側へ躍り込んで、こちらを見ていました。キタキツネ君、軽業師だね、なかなかやるじゃないか。

 今週の走行距離:56㎞ 累計走行距離5403km

①道端のフキ
 道路の脇は50㎝ほど掘り下げただけの側溝になっているので、水が溜まっているからフキにとって生育条件がいいのだろう。
SSCN3560.JPG

②一面を覆っている薄茶色の植物は笹のようです。
SSCN3559.JPG

③向こう側はオホーツク海
 のんびり草を食べてます。この時期は毎日霧がでるから、ミネラルを海からたっぷり運んでくる。ストレスも少ないし、牛乳の品質はずいぶん高いだろうね。
SSCN3562.JPG


④笹
SSCN3563.JPG

⑤風車
 動いてません。風車さんもコロナ休み明けでお疲れなんでしょうかね。
SSCN3566.JPG

⑥オヤジのロードバイク
元落下傘部隊員、そして最高齢の一輪車乗りで、一輪車協会公認指導員だったオヤジが60代後半に買ったロードバイクだから、もう32年ほどたっています。いまは私の愛車です。車輪とギアは一度交換してます。エアロリムにしたかったので。
*一輪車協会公認指導員
http://jua-web.org/wp/guidance/section3
SSCN3564.JPG

⑦”carbon”
 フレームのみカーボン製です。カーボンリムは高いので、フレームのみ。国産、ミヤタ製品ですからしっかりしてます。初期のころのカーボンフレーム製品でしょうね。オヤジがこれを買ったときにはフルカーボン製の製品ラインがミヤタ自転車にはなかったのだろう。実はこの部分が油汚れがべっとりこびりついていたのですが、車用のワックスで落としたら、きれいになりました。汚れって落ちるもんですね。
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⑧出かける前の点検
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#4264 公営企業の営業収益とは?:赤字改善ができないのには理由がある June 6, 2020 [26. 地域医療・経済・財政]

 地方公営企業法が平成25年2月に改正施行されている。それまでの会計基準では公営企業の経営実態を表さないので、民間の企業会計基準に合わせて行こうというのが改正の趣旨であったが、そうなっているだろうか?
 枝葉末節のところばかりいじくって、肝心なところを落としている。基本中の基本を見落としてしまうか、意図的に脱落させたとしか思えない、なぜこんなことが起きるのかも考えてみたい。

 #4262に市立根室病院の損益計算書概要をアップしてあるので、それを例にとって議論を進める。問題の焦点は「営業収益」である。病院の営業収益は外来患者売上と入院患者売上以外にはないが、そこに一般会計繰入金を含めている。(民間の)企業会計基準では営業収益に営業以外の収益を含めてはならないのは当然である。そこに営業以外の収益を含めたら、意図的なら粉飾決算になるし、意図的でないなら作り直しになる。
*弊ブログ#4262:https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2020-06-02

 地方公営企業法改正の総務省の資料に39頁に「真の損益構造が明らかになる」と新しい地方公営企業法の改正点の説明が載っている。
*地方公営企業会計制度の見直しについて(平成25年12月)総務省
https://www.soumu.go.jp/main_content/000266292.pdf
 
 改正のポイントは「真の損益構造が明らかとなる」こと。
(1)赤字構造か黒字構造か  
(2)どの程度公的支援に依存しているか 」
 
 市立根室病院は17.5円の赤字なのだが、一般会計繰入金17.2億円を営業収益に含めることで0.3億円の赤字という損益計算書になっている。17.5億円の赤字が0.3億円の営業損失では「真の損益構造が明らかとなる」とは到底言えまい。粉飾そのもの、従来の公営企業会計と変わらぬ。

 総務省の解説を読んでも、どこにも営業収益に一般会計繰入金を含めてはならないとは書いていないが、一般会計繰入金を営業収益に含めてはならぬとも書いていないから、従来からの方法、つまり営業収益に含めてよしということなのだろう。
 これは民間会計基準で判断するとやってはならぬ規則違反である。17億円もの営業赤字が損益計算書上から消えてしまうからだ。

 どうしてこんなことになるのだろう?財務省も総務省もキャリア官僚は民間会計基準を字面だけ読んで意味を理解していないのではないか?
 東大法学部を卒業までに簿記の勉強をしたことのある人がほとんどいないだろうし、経済学部卒でもキャリア官僚には簿記の勉強をちゃんとやった人がいないのではないか?もちろん、民間企業での財務・経理の経験もないから、複式簿記や会計基準、そしてその背景にあるものを知らないのではないだろうか。

 どうように、全国の市役所財務課で、簿記の資格を持っている人はほとんどいないのではないかと思う。根室市役所の昨年度の予算規模は290億円を超えている。これほどの予算規模なら上場企業に匹敵するが、この規模なら日商簿記1級や税理士資格や公認会計士資格をもった財務担当が一人もいないという企業は想定しにくい。市役所の予算や決算実務だけで簿記勉強をしたことがないから、営業収益に一般会計繰入金を含めて表示することに何の違和感もないのだろう。

 「真の損益構造が明らかになる」ためには、営業収益に損失補填の一般会計繰入金を含めてはならないことは不可欠の要件である、それが地方公営企業会計基準見直しの扇の要にならなければならない。
 そして、全国の市役所の財務課職員には日商簿記2級か、全商簿記1級の資格取得を義務付けるべきだ。そうしないと、営業収益と営業外収益や特別収益の区別すらつかぬ財政課職員だらけということになる。まともな複式簿記の感覚が身につかないということ。
 現金主義の単式簿記の収支計算書しか知らないなんて実に恥ずかしいレベルなのである。民間企業の経理や経営管理担当部門の専門職の人間とは対話が成り立たない。経営の実態を捉える複式簿記による損益計算という共通の知識の土台がないからだ。

 数日前に、根室市役所財政課へ「広報ねむろ6月号」記載の予算データや病院事業会計について問い合わせの電話をした折に、「病院事業会計の営業収益から赤字補填目的の一般会計繰入金を外さなければ、財政課職員以外の市民全員が市立根室病院の経営実態を誤解するから、そうしてもらいたい」と主張したが、根室市役所だけの問題ではなく、この国の地方公営企業会計制度自体に大きな瑕があることがはっきりした。根室市役所はそれに従ってやっているだけ。
 でも、市民への報告は民間企業会計基準の損益計算書や、年度予算の当初予算との予算実績差異分析表は作成公表できる。ようするに、市民が根室市の予算の実態や病院事業の経営実態を市民に正しく理解してもらおうという気持ちがあるかどうかということになるのでは?

 政府予算も市町村の予算も、収支を合わせるだけの現金主義の単式簿記である。赤字になれば、借金(国債や地方債を発行)すればいいだけ。同じ感覚で、地方公営企業も運営されている。地方公営企業の経理課長の主要な役割は、予測される事業赤字金額相当の一般会計繰入金を市の一般会計からもって来きて、事業赤字を消すことだ。こうして損益計算書上の赤字はなくなる。だから、公営企業の赤字削減努力がなされない。表面上は赤字でないのだから努力の必要もなくなる。危機感ゼロ。
 市立根室病院の17億円の赤字のうち9億円くらいが国負担分となっている。国の財政も苦しいから、赤字補填を減らそうと病院統廃合を声高に叫び始めている
 公営企業である自治体公立病院が赤字削減努力をしなければ、いずれ全国の公立病院の何割かが統廃合でなくなってしまうことになる

 だから、公営企業会計基準は見直すべきだ。その要点は一般会計繰入金は特別利益区分に表示して、営業収益には含めないということ。
 年間赤字額を知らず、いくら赤字を出しても賞与や給料に影響がなければ、改革の必要性すら感じられぬことはモノの道理というもの

<余談:茨木市の水道事業の実例>
 検索していると茨木市の水道事業の説明資料「公営企業会計の仕組みと財務諸表」がヒットした。平成30年度損益計算書が載っているが、営業収益区分に「他会計負担金」が含まれている。
*https://www.city.ibaraki.osaka.jp/material/files/group/93/05h30kaikeinosikumi.pdf

 下水道使用料 35.9億円
 他会計負担金 10.2億円
 その他      0.2億円
 営業収益   46.4億円

 営業費用が50.7億円だから、営業損失は4.3億円。

 しかし、「真の損益計算書」では、10.2+4.3=14.5億円の営業赤字である。 



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#4263 根室市の予算:公的会計そのままの公表では市民は一人も理解できない June 3, 2020 [26. 地域医療・経済・財政]

 「#4262 市立根室病院決算情報」の続編である。広報ねむろ6月号の「根室市の財政状況」の2頁と3頁のタイトルは「令和元年下期予算執行状況」となっており、予算額296億円の内訳が表になっている。
*https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2020-06-02

 午前中に財政課へ電話で問い合わせたら、これは当初予算と補正予算を合算したものだと説明があった。令和元年度の当初予算を市役所ホームページで見ると176億円であるから、296-176=120億円の補正予算が組まれたということのようだ。
 上場企業でこんなに粗悪な精度の予算はあり得ないし、もしあったとしたら、財務担当取締役は責任を問われるが、根室市に限らず公的会計はこういうところがルーズなようだ。「足りなけりゃ、補正を組めばいいんだ」、そういう意識がありはしないか?当初予算の精度を高めることが予算編成の王道だろう。

 さて、どうしてこんなことになるのかさらに質問を重ねてみた。296億円の中で一番大きい歳入項目は「その他」の76億円であるふるさと納税がこの中に入っているようなので、金額を訊いてみた。当初予算は6億円、実際には66億円になっている。当初予算の10倍だから、予算実績差異がふるさと納税分だけで60億円も出ている。前年実績値は予算編成の際に考慮すべきだが、それすら考慮されていない前年実績値は49億円であるから、前年実績値の12%しか予算に組み入れていなかったということになる。6億円はどういう根拠で組まれたのだろう?そんな予算案でも市議会を素通りしているようだから、びっくりだ。

 民間企業の予算編成や予算管理と対比してみたい。民間企業と言っても規模の大きい上場企業が念頭にある。市役所の予算規模が290億円だとすれば、大企業の予算規模に匹敵する。その規模の企業なら予算誤差はおおむね±3%以内だ。それくらいシビアな予算編成をしている。そして、予算実績の対比表を毎月作成して、四半期ごとにまとめた表を作成する年次でも同じだ。当初予算の中には予備費も含まれているから、特定の部署や特定の費目で予算増額が必要なときは、所定の手続きを経て、予備費からの振り替えが行われている。予備費総額は当初予算で決められているから、それを超えての予算増額は経理担当役員の権限外で、取締役会での決議が普通だろう。予算実績対比は当初予算との対比が原則である。そうしないと予算管理、つまり差異分析ができなくなる。

 決算スケジュールについても触れておかねばならない。決算は〆後2か月で作成・公表しなければならないから、上場企業は2か月後に決算発表をして、3か月以内に株主総会を開催して決算承認をすることになる。だから、3月末日決算なら、5月末には決算公表というスケジュールが民間企業のスタンダード。9月ではいくらなんでも遅すぎます。まさか手作業でやっているわけではあるまい。システムをきちんと整備すればやれますよ。やっていない民間企業はゼロですから。

 ついでだから歳出の部のどこにふるさと納税に関わる支出が含まれているか訊ねた。ベテランだからすぐに答えが返ってきた。
 すでに故人であるが、角さんが財政課係長だった時に、市立根室病院の決算書類の見方について質問に伺ったことがあった。親切に質問に応えてくれた。今回は電話だったが、十数年たっても、人は違えど対応は同じ。丁寧です。
 さて、ふるさと納税がどこに入っているかだが、金額から推して「その他」しかありえない。ふるさと納税が66億円、最大項目の「その他」76億円に含まれていることは表を見ただけでわかる。
 金額で見るとふるさと納税66億円を超える歳入項目はないのだから、独立項目にすべきだろう。欄が足りなけりゃ十分の一以下の金額にすぎない「諸収入」4.2億円や「使用料・手数料」4.1億円をカットしたらいい。
 ではふるさと納税に対応する返礼品等に係る支出はどこに含まれているのだろう。最大歳出項目の総務費107億円に含まれている返礼品が29億円その他の諸経費と合わせて35億円だという。ネット業者への手数料や送料、東京新宿での感謝祭などのイベント費用が含まれているのだろう。返礼品比率は29億円/66億円=43.9%(還元率)、諸経費込みだと35億円/66億円=53.0%である。

 ふるさと納税に関しては収入66億円、支出35億円、差し引き31億円が純益である。内訳項目の中で、金額が最大なのだから他の収入や支出に含ませないで、「市民へのお知らせ」が目的なら、独立表示すべきだろう。そうしていないから、歳出や歳入の内訳表があっても妙に膨らんでおり何が何だかわからない。

 「基金の状況」という表がある。財政調整基金は8.1億円、ふるさと応援基金が12.4億円、ふるさと応援・子ども未来基金他6件が34.9億円、合計38基金92.7億円あるが、四百年に一度の巨大地震と津波のリスクが高まっているのに、災害復興準備金がない。これでは巨大地震と20mを超える津波が起きたときに自前復興できないということ。災害対策は事前の準備が大事、根室市の予算についてのお知らせの中にはそういう項目が見当たらなかった。ふるさと納税の中から災害復興準備金を百億円積み立てておけば、次の世代も安心できるだろう。

 電話に出て親切にお答えいただいた方に、市民へのお知らせなのだから、病院事業会計については企業会計基準で公表すべきだし、予算と実績についても当初予算と実績の比較表を公表すべきと伝えた。財政課長に伝えてくれるだろう。
 厳しいように聞こえるかもしれないが、予算精度を高める努力をして、補正予算を小さくすべきで、特別なことがない限り10%を超えるような補正予算があってはいけない。当初予算編成がルーズなことと裏腹の関係だ。
 一つ例を挙げると、前年度のふるさと納税が49億円あったのに、令和元年度のふるさと納税予算が6億円だなんて予算編成はありえない話だが、根室市役所の予算編成はそうなっている。そして実際のふるさと納税額は予算の10倍の66億円あった。大事な予算なのにこんなに大きな項目すら市議会はチェックできていない。来年度予算はしっかりチェックしてもらいたい。

 広報ねむろ6月号の「財政状況」を見ても、内容を正しく理解できる市民は市役所財政課職員だけ、おそらく民間企業で働いている市民は一人も理解できない。日商簿記1級保持者でも理解できない。これではだれのために広報ねむろで「財政状況」をアナウンスしているかわからない。市役所財政課は市民のために仕事しよう。それには民間企業で働いているあるいは経営している人たちが、根室市の財政状況を内容を正しく理解できるような様式での報告が不可欠である。企業会計基準や民間企業の予算編成や予算管理のスタンダードに学び、ふつうの市民に理解できる資料を作ってもらいたい
 電話に出てくれた二人目のベテラン職員さん、どうもありがとう。わからないことあったら、また電話します。角係長にお会いして質問したのが十年ほど前ですから、この次は十年後かも知れませんね、わたしには脚がないかも。(笑)
 
*根室市の予算概要(推移表あり)
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/material/files/group/8/R2_yosangaiyou.pdf



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#4262 市立根室病院決算情報 June 3, 2020 [26. 地域医療・経済・財政]

 広報ねむろ6月号が届いた。5ページに市立根室病院の決算情報が載っているので、紹介する。

<公的会計基準>   <企業会計基準>
  単位:億円     億円
収益 48.3   売上 31.1
費用 48.6   費用 48.6
当期損失 -0.3   当期損失 -17.5
一般会計繰出金 17.2      

*「広報ねむろ6月号」
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/material/files/group/1/kouhou_202006.pdf

 左側が「広報ねむろ6月号」に載っている数値である。これは公的会計基準によるもので、民間人には馴染みのないもの。赤字額は3265万円と出ている。この数字を見たら、根室高校商業科の生徒たちは赤字が3265万円だと勘違いする。市民のほとんどもそう思っているだろう。根室市が嘘をつくはずがないからだ。
 右側は、企業会計基準によるもので、上場企業はもとより、税務申告の際に義務付けられている会計基準である。市立病院事業は令和元年度17億5千万円の当期純損失を計上している。
 どちらがほんとうなのか?

 上場企業が左側の決算書類を提出したら、監査法人は監査報告書に「不適正意見」を付すでしょう。なぜか?企業会計原則では営業収益に損失補填の一般会計繰入金を合算してはいけないからです。こういうのを経営実態を隠すものだから「粉飾決算」といいます。もちろん、公的会計基準では適法です、だから問題なのです。スタンダードが二つあるということ。ダブルスタンダードというのはインチキや不公正と同じ意味です。
double standard: a rule or principle that is applied to some people but others, in a way that is unfair.   ... Macmillan EnglishDicionary for adbanced Learners
(特定の人々にだけ適用され、他の人々には適用されざるルールもしくは基準、それも不公正な方法で)

 公的会計基準は事業の実態を表わさない、いや、隠蔽する。だから、夕張市がそうであったように公的会計では健全であるはずの地方自治体が突然に財政破綻が起きる。巨額の赤字を垂れ流していても、一般会計繰入金があれば赤字でなくなる。毎年巨額の赤字を出しても根室市の財政が揺るがないのは、たまたまふるさと納税制度で潤っているからだろう。ふるさと納税制度がなくなれば、根室市の一般会計から毎年17億円の資金が拠出できなくなる。
(同じことは政府というセクターでも言えます。どれほど赤字を出そうとも、赤字国債を発行して日銀にそれを買い取らせると一般会計上は辻褄が合わせられますが、借金が膨大に膨らみます。だから日銀の独立性や日銀が国債を買い取ることは禁じ手でした。だが、そうした縛りは全部外されてしまいました。何が起きるかは歴史が証明しています。戦後に預金封鎖がありました。新円切り換えが同時に行われ銀行預金や郵便貯金が全部召し上げになったのです。歴史を忘れると、忘れた罰だと、天がもう一度学べとお灸をすえます。歴史から学べなければ、災厄が繰り返すということです。)
 17億円の内訳は10億円ほどが国からの補助金、残り7億円余が根室市の実質負担ですよ。

 中標津町の町立病院も市立根室病院とほぼ同じ規模で、赤字も中標津が1億円くらい少なかった。最近どうなのかは知らない。

 さて、今年度の決算がどうなるかを占ってみたい。新型コロナ感染症で病院の売上が減少しているのは、市内のクリニックだけではない、市立病院も減少している。仮に、4-7月期が1割売上減少すると、
 2.5億円×3か月×0.1=0.75億円

 年間赤字額17億円に比べたら誤差範囲だろう。同じ根室管内の中標津町立病院も似たようなもの。根室管内に新型コロナ感染症が蔓延したら話は別です。
(根室管内に感染症用のベッドは市立根室病院の4ベッドのみです。動線分離が実務上できなければ、全病床を隔離病棟にせざるをえません。一部のフロアのみ隔離病棟にするような設計にはなっていないからです。机上プランでいまからシミュレーションして必要な機材を揃え、手順を決めておけば間に合うかもしれません。実務って段取りをきちんとやれば心配いらないものなんです。言うのは簡単、初めての事態ですからやるのはなかなかたいへんな仕事になります。でも、そこを乗り越えることで人材が育ちます、そう信じています。仮説は諸説あり、真偽のほどはわかりませんが、日本人にはどうやら集団免疫が成立しているとしかいいようのない推移ですから、根室で感染爆発なんて事態は99%ないのだろうと思っています。わたしが思っているだけで確かな根拠はありません。)(この項は6/4朝追記)

 病院建て替え時の経営計画書に載っていた損益試算では、年間赤字額の最大値は12億円ほどで、そこから逓減するようになっていた。だが、赤字額は建て替えてから17億円前後で推移しており、一向に減る気配がない。
 機能を縮小せずに、7億円程度は年間赤字額は減らせるのだよ、そんなに難しくはない。10年間続けられたら、70億円の財源が浮いてくる。

 ふるさと納税制度がなくならぬ限り、市立根室病院がいくら赤字を出そうがカバーできる、根室市の財政は安泰である。
 予算規模は藤原市長時代に145.7億円にまで減らした。そのときの人口は3.3万人だったが、現在2.5万人を切ってしまった。今年(令和2年)の財政規模は191億円で前年度の176億円よりも15億円膨らんでいる。藤原市政時代に比べて人口が8000人減少したのに、予算規模は46億円も増えている。全国の市で人口が25%減少したのに、財政規模が1.3倍になったところは他にないのではないか?
*根室市の予算額の推移
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/material/files/group/8/R2_yosangaiyou.pdf

 公的会計基準はダブルスタンダードで、経営の実態を大隠すものだ。市民には正直な報告が望ましい。「広報ねむろ」へ載せるのは、企業会計基準に則った様式でやってもらいたい。正直にやれば、実態がわかる。実態がわかれば、関係者は真剣に考え、適切な対策をとるだろう。年間7億円ほどなら診療内容の縮小をせずに赤字額を減らせるのである。赤字が大きくなった理由も解決法も弊ブログで何度か触れている、担当責任者がやればいいだけ。
 
 四百年に一度の根室沖巨大地震がいつ起きても不思議ではない。市の借金は全部返して、災害復興資金を百億円ほど積み立ててあったら、根室市民は安心だ。
 北関東を震源とする地震が最近やたら多いのが気になる。富士山の噴火もいずれ起き、首都に火山灰が降りつもり、機能が麻痺するときがくる。その後で根室沖巨大地震が起きたら、政府の支援はあてにならない。自力でやるしかない。だから、借金を減らし、災害復興準備金を積み立てる必要がある。子どもたちや孫たちのためにぜひそうしてもらいたい。
 市議会議員のみなさんは、市民の代表だから、災害が発生したときに備えて万全の体制が取れるように、市議会で真摯な議論をしてくれるだろう。期待している。

<余談>
 「広報ねむろ6月号」の2頁と3頁には令和元年度下期(10-3月期)の一般会計歳入と歳出が載っている。歳入予算額296億円、歳出予算額296億円だ。4頁目に令和2年度の根室市の予算が載っているが、「令和2年度一般会計当初予算額」は191.35億円である。なぜ、令和元年の半期一般会計予算と令和2年の通期(1年間)一般会計予算が105億円も違うのか、わたしにはさっぱりわからない。半期の予算の方が105億円も多い。
 先ほど問い合わせて理由がわかったので、稿を改めて取り上げる。ベテラン財務課職員さん、応対どうもありがとう。


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#4261 新型コロナ感染症と老人医療・介護 June 1, 2020 [35.1 COVID-19]

 軽い認知症を発症している在宅介護中の85歳の老人が新型コロナ感染症に罹患したと仮定しよう。PCR検査陽性なら、病院へ隔離入院である。
 認知症にはアルツハイマー型や幻視を伴なうレビー症候群、脳梗塞などによるものがある。ようするに脳が正常に機能しなくなるということだろう。まだ一人で家の中を歩いたり、食事をしたり、トイレへ行ってウンチができている老人が、隔離入院するとどういうことになるだろう?60歳を過ぎている人はわが身に置き換えて想像してみよう。40代の人は親がそうなったら何が起きるのか想像してください。

 ある日突然に病隔離入院が起きる。看護師さんたちは新型コロナ感染症患者の老人に病棟内を勝手にうろつかれると困るが、うろつかないように患者に言っても、理解できないか、すぐに忘れて、病棟内を徘徊する者が続出。看護師さんたちは忙しいし、隔離病棟にヘルパーさんはいないから、徘徊しないようにするには、拘束するか、夜は薬剤を使って眠らせざるを得ない。徘徊されたら転倒して大腿骨骨折なんてことが普通に起きる。骨がもろくなっているからだ。寝たきりにすれば、血液に溶けるカルシウムの量が増え、さらに骨粗鬆症(こつそそうしょう)が進む。宇宙へ数か月滞在した宇宙飛行士が、地球への帰還を果たした時に、両脇を支えられて立ち上がるシーンを見たことがある人は多いだろう。無重力状態で暮らすと骨のカルシウムが血液中に溶けて失われ、骨粗鬆症を起こして、地上へ帰還したときに自力で立ち上がると、骨折するからだ。認知症の老人患者には夜間に薬剤を使わなければ、夜勤の看護師さんは仮眠がとれない。2時間程度は寝ないと身体がもたぬ。
 こうした「治療」を受けて新型コロナ感染症が全快してめでたく退院するまで1か月かかったとしよう。家に戻ってからは依然と同じわけにはいかない。筋肉は衰え歩けない、認知症はさらに進んでしまっている、排便は自分では処理できない。ウンチを肛門の括約筋で切る筋肉が衰えてしまって感覚がないからそのままパンツをはく。放っておいたらトイレも汚れるから、排便のたびに付き添わなければならない。入院前は家の中を動くことで全身の筋肉が働いていた。ところが拘束や薬で1か月も寝たきり状態になったら、もうベッドから降りて歩けない。家の中で車椅子生活になる。それでもベッドから転がり落ちることはあるから、物音がするたびに見に行かなくてはならぬ。昼間も寝ていることで体内時計が狂ってしまうのか昼夜逆転もするから、介護する家族は眠れなくなり、介護疲れで追い込まれていく。
*縛らない介護:http://www.prokaigo.com/home/report1201.html

 認知症を発症している老人を特養で3日間ショートステイしたとする。かってに徘徊するから、転倒事故を起こさないために車椅子に拘束するか、行動抑制になるような精神薬を使って「抑制」を行う。するとたった3日間で、認知機能も歩行機能も悪化してしまう。元に戻すのに1か月以上かかる。

 新型コロナの専門家会議には、老人医療や介護の専門家は一人もいないから、新型コロナしか眼中にない。歪なメンバーの構成を変えなくては問題はおき続ける。老人医療に携わっている臨床医をメンバーに加えるべきだ。

 ACPというのがある。アドバンス・ケア・プランニングの略である。老人と家族と医療スタッフが将来のケアプランを事前に話し合って決めておくというもの
*https://www.tokyo.med.or.jp/citizen/acp

 全国の老人、そして老人を抱える家族に言いたい。新型コロナに感染する前にACPした方がよい。罹患・隔離してからでは相談の機会を失ってしまう。

 1999年に首都圏の300ベッド弱の特例許可老人病院から療養型病床への転換のための病棟建て替えを担当したことがある。建て替えは市や県庁との補助金申請の折衝業務やゼネコンとの仕様の詰め、そして病院経営と長期経営計画を任されていた。70歳の老総婦長は「縛らない介護」を徹底していた。それまで病院勤務経験のないわたしに老人病院の現実を具体例で丁寧に教えてくれた。病棟婦長さん一人と総婦長が病院経営の「相棒」だった。ほかに精神科医の副院長が実際の診療業務について教えてくれた。たった2年間だったが、老人医療の実態の一端を知ることができた。理事長はゼネコンF社と契約寸前だったが、仕様の詰めが甘く、建築費は当初11億円だったが、仕様の追加ですでに15億円に膨らんでいた。F社との仮契約を打ち切ってもらい、新日鉄との交渉に切り換えた。F社と交渉したのでは埒が明かないと判断した。RC造で外断熱、地盤が軟弱なので百本ほども固い地層までパイルを打って補強してもらった。総契約額11億円、坪単価65万円だった。この建築開発申請資料は、藤原市長時代に、道庁から出向してきていた総合政策部長のK山さんと同じく出向課長で病院を担当していたK地さんへ渡して説明した。道庁側の単価は130万円だと聞いた。「大理石の病院が建てられます、民間企業ではありえない坪単価」、お二人はちゃんと聞いてくれましたよ。当時の市長の藤原さんから、聞いてもわからないので担当者二人に説明してほしいと云われたからだ。半年後にかれら二人は道庁へ戻って、担当が変わった。仕様の詰めをきちんとしないと、仕様の追加でいくらでも坪単価がアップしてしまう。実務設計してそれに基づいて仕様書の書ける人材は稀だ。
 根室市に療養型病床は1ベッドもない、全国に稀な市である。根室市政はそういう医療ニーズを無視し続けてきた。地域医療に関してはお粗末な市長が続いているということ。建て替え前に実施した市立根室病院職員アンケートでは、市立病院に老人のケアのための療養型病床が必要だという意見が多数あった、当たり前の意見だろう。みんな年寄りを抱えているし、20年、30年後には自分たちがケアされる側になる。根室は田舎だから、三世代同居は珍しくないし、同居してなくても、市内に親が住んでいるケースがほとんど。老人医療はみんな切実な問題なのだ。

 5病棟の婦長や看護師の中には、当直勤務で仮眠を長くとるために、患者を拘束したり、睡眠薬で眠らせたりする人がいる。そのほうが勤務が楽なことは事実だ。「縛らない介護」は言うや安くするのはきついのである。総婦長はときどき抜き打ちで各病棟を巡回してチェックしていた。各病棟婦長に口頭で繰り返し言うだけでは、現場はその指示を徹底できない。人間は安きに流れるもの、よほど注意していないと楽な方へと流される。たくさんの看護師やヘルパーさんを使っていると、善意を期待するだけでは管理ができない。放っておいても大丈夫な婦長は残念ながら少なかった。カラオケスナックへ行くとお酒と歌の好きな看護師さんや婦長さんがいて、院内で起きている話がよく聴けた。オフィシャルな会議の場では聞けない話がでる。たいがいは右の耳で聞いたら左の耳から吐き出すようにしていたが、それとなく確認する必要のある話もでてくる。

 療養型病床群の場合は看護師の配置が多い。多いというのは、精神科の病院や特別養護老人ホームに比べての話である。それでも、しっかりチェックしていないと拘束や精神薬での行動抑制が日常茶飯事になってしまう。
 精神病院でケアする場合は看護師の配置が少ないから、薬で抑制するケースが多い。抑制すれば身体の機能も脳の機能も急激に悪化してしまう。

 有吉佐和子『恍惚の人』が老人介護・医療の問題を取り上げ話題になっのは1970年代だった。その少し前に青森に一人で住んでいた母方の爺さんが入院した。見舞いに云ったら「酒が飲みたい」といいうので小瓶の酒を買ってきて飲ませたら喜んでいた。看護師さんがやさしい人で、「小瓶なら」と認めてくれた。帰ろうとしたら、話があるという。「連れて行くならいまです、一月ぐらいして機能が衰えたら系列の精神病院へ転院になります。移したら薬漬けになって半年持たない」、そう言った。すぐに根室へ戻って、オヤジとお袋へ伝えた。お袋とオヤジ二人で青森の病院へ。オヤジは爺さんを、背負って汽車に乗り、根室へ連れて帰った。わが家のごとく遊びに来る孫とミカンの取り合いなんかしてしばらくは楽しくやっていたようだ。根室へ連れてきたときには認知症がかなり進んでいた。医師の診断は「脳軟化症」だったように記憶している。2年ほど介護して在宅介護が無理になる。その後入院、1年ほどで逝った。入院してからしばらくして褥瘡を起こし、付き添いがたいへんだったと聞いた。背中をそっと拭いても皮膚がベロリと剥げてしまう、惨(むご)いものだ。どれほど手を尽くそうと命には終わりがあり、入院での介護も限界がくる。元気になって退院できるのではない、最後のときをどのように生きるか、そしてどのように死んでいくかがターミナルケアの眼目だ。意識はほとんどなくなって、意思の疎通がとれない。話しかけてもときどき頷いたかなと思える程度になる。十分に介護したら、あとは担当医と相談してしずかに看取ればいい。お袋と妹の一人が病院で付き添って介護した。
 わたしは大学生だった、東京住まいで爺さんの介護はなんにもしていない。わたしはわたしの役割を果たしただけ。平成5年にオヤジが大腸癌が再発して肝臓や全身へ転移して亡くなって、十年ほどしてから根室へ戻ってお袋と生活した。ボケが始まり、次第に体力がなくなり、昼夜逆転、徘徊がはじまって、排泄も女房殿の助けがないとできなくなった。しばらく頑張ったが、限界、こちらの体力が消耗するのが先かおふくろが先かという状況になり、そういう時に運よく北浜町のグループホームの部屋が一つ空いたとケアマネさんから連絡があった。ありがたかった、ついていた。2年間お世話になり、脳梗塞を起こして食事ができなくなり、精神科の病院へ入院、チューブにつながれて経管栄養で数か月で静かに逝った。医師に今日が山場と言われ、しばらくベッドのそばで見守り、「お袋、もう楽になっていいよ」と耳元で囁くと、呼吸が少し荒くなってから、次第にゆっくりして、とまった。意識がないのにまるで聞こえたかのようだった。子どもたち、妹夫婦、孫たちに看取られて静かな最期だった。
 地方の病院だと看取ることもままならない。地元にターミナルケアできる医療施設が必要だと思う。できたら、自宅で最期の時を迎えたい。それには死亡診断書を書いてくれる主治医が必要だ。自宅で亡くなれば、司法解剖になるケースが多いことは知っておくべきだ、虐待や殺人の可能性はゼロではないからだ。慌てて救急車を呼べば、病院に運ばれて、思ったような死を迎えられない。あらかじめ準備してなければなかなか思うようには死ねない。

 50年前のターミナルケアの現実といまを比べてみる。

 認知症発症⇒入院⇒機能悪化⇒精神病院⇒数か月から1年で死亡

 短期間で効率よく人間の機能を衰えさせ、死を早める、それが老人医療のスタンダードだった。昭和50年(1975年)ころまでは、これが標準コースだった1970年代は薬漬けの老人医療が告発された時代である、いままたそこに戻りつつある
 この20年間ほどで、全国の療養型病床がベッド数削減されている。医療費削減のために20万床減らして在宅介護へ切り替えを進めた。療養型病床群の病院で総合病院へ切り替えられた病院はないだろう。揃えなければならない医者の数も看護師の熟練度もまるで違うからだ。300ベッドの総合病院なら、常勤医が40-50人必要になる。だから、ほとんどの療養型病床の病院は精神科を標榜する病院となったこの20年間で医療・介護が必要な老人は数十万人単位で増加したのに、それを受け入れる病院は激減している、残念だがこれがわが国の老人医療の実態である

 認知症の老人は家庭で介護仕切れるものではない。多くの犠牲をともなう、とくに女房殿に負担の多くが行ってしまう。息子に排便の始末をしてしまうのは母親は嫌がってさせない。ボケてもときどき正気に戻る、そのときに辛いのだ。介護しているほうは疲れ切り、精神的に追い込まれているし、在宅介護されているほうもときどき正気に戻ったときに辛い。結婚している息子ばかりではないだろう。90歳の両親を60代の子どもたちが介護する、在宅で「老々介護」も普通になっている。会社を辞めて親の介護をするために田舎へ戻る人も出てきている。
 なかなかうまくいかない場合が多いから、虐待や心中が増えている。隣町の中標津で数年前にそういう痛ましい親子心中事件が起きているが、そのうちにニュースにもならなくなる。
 老人病院では「まだらボケ」の患者さんが正気に戻った時が危ない。病室の窓を開けて飛び降りるようなことが起きる。だから新病棟は窓は20㎝くらいの幅までしか開かないような構造にした。老人たちの居心地も考えて外断熱の建物にした。外気を入れて換気しても、壁のコンクリートが温まっているのでヒートショックが少ない。オムツ交換があるから、臭気対策は外断熱抜きにはほとんど不可能だろう。暖房費も半分以下になる。

 具体的な問題が続出しているのだから、この国の老人医療は新型コロナ感染症を機に一度見直すべきだ。
 わたしも71歳の老人だ、ACPをこどもと話し合っておく必要がある。とっくにそうしてある。延命治療は不要、自律的に食べられなくなれば、そのままでいい、枯れるように死んでいきたい。希望を自筆で書いて日付を入れてある。書類の場所は子どもに伝えてある。

 3月に歯科治療に東京へ行って、子どもに叱られた。
「お父さん、コロナに罹ったら基礎疾患抱えているんだし、死んでしまうでしょ、来ないで」
 それでも毎年行って歯科治療をお願いしている主治医にチェックしてもらい必要な治療をしないと、スキルス胃癌で全摘してるから、咀嚼できなくなれば体はもたない。老人にとっては咀嚼できなくなり身体が衰弱して死ぬか、感染症で死ぬかだけの違いだ。慢性気管支炎もある。身体はとっくにポンコツだ。
 自分で食べられなくなったら、それは死が近いということ。臓器が受け付けなくなっているのだ。痛みなくそのまま枯れるように死ねる終末医療システムにしてもらいたい。老人医療費は劇的に削減できる。

 満開の桜の樹の下で30分ほどおにぎり食べながら、孫と4人でおしゃべりして楽しんだ。公園内には十数人、公園隣のグラウンドからは卒業式の合唱が聞こえていた。小学校の部でこのところ毎年連続優勝している合唱部のある小学校である。新型コロナ対策でグラウンドで保護者と先生たちと卒業生だけでやっていたようだ。前から一度聴いてみたいと思っていたが、新型コロナ感染症のお陰で念願適った。(笑)

*老人介護をとりあげた小説10選
https://kaigo-shigoto.com/lab/archives/2657





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