SSブログ

#4261 新型コロナ感染症と老人医療・介護 June 1, 2020 [35.1 COVID-19]

 軽い認知症を発症している在宅介護中の85歳の老人が新型コロナ感染症に罹患したと仮定しよう。PCR検査陽性なら、病院へ隔離入院である。
 認知症にはアルツハイマー型や幻視を伴なうレビー症候群、脳梗塞などによるものがある。ようするに脳が正常に機能しなくなるということだろう。まだ一人で家の中を歩いたり、食事をしたり、トイレへ行ってウンチができている老人が、隔離入院するとどういうことになるだろう?60歳を過ぎている人はわが身に置き換えて想像してみよう。40代の人は親がそうなったら何が起きるのか想像してください。

 ある日突然に病隔離入院が起きる。看護師さんたちは新型コロナ感染症患者の老人に病棟内を勝手にうろつかれると困るが、うろつかないように患者に言っても、理解できないか、すぐに忘れて、病棟内を徘徊する者が続出。看護師さんたちは忙しいし、隔離病棟にヘルパーさんはいないから、徘徊しないようにするには、拘束するか、夜は薬剤を使って眠らせざるを得ない。徘徊されたら転倒して大腿骨骨折なんてことが普通に起きる。骨がもろくなっているからだ。寝たきりにすれば、血液に溶けるカルシウムの量が増え、さらに骨粗鬆症(こつそそうしょう)が進む。宇宙へ数か月滞在した宇宙飛行士が、地球への帰還を果たした時に、両脇を支えられて立ち上がるシーンを見たことがある人は多いだろう。無重力状態で暮らすと骨のカルシウムが血液中に溶けて失われ、骨粗鬆症を起こして、地上へ帰還したときに自力で立ち上がると、骨折するからだ。認知症の老人患者には夜間に薬剤を使わなければ、夜勤の看護師さんは仮眠がとれない。2時間程度は寝ないと身体がもたぬ。
 こうした「治療」を受けて新型コロナ感染症が全快してめでたく退院するまで1か月かかったとしよう。家に戻ってからは依然と同じわけにはいかない。筋肉は衰え歩けない、認知症はさらに進んでしまっている、排便は自分では処理できない。ウンチを肛門の括約筋で切る筋肉が衰えてしまって感覚がないからそのままパンツをはく。放っておいたらトイレも汚れるから、排便のたびに付き添わなければならない。入院前は家の中を動くことで全身の筋肉が働いていた。ところが拘束や薬で1か月も寝たきり状態になったら、もうベッドから降りて歩けない。家の中で車椅子生活になる。それでもベッドから転がり落ちることはあるから、物音がするたびに見に行かなくてはならぬ。昼間も寝ていることで体内時計が狂ってしまうのか昼夜逆転もするから、介護する家族は眠れなくなり、介護疲れで追い込まれていく。
*縛らない介護:http://www.prokaigo.com/home/report1201.html

 認知症を発症している老人を特養で3日間ショートステイしたとする。かってに徘徊するから、転倒事故を起こさないために車椅子に拘束するか、行動抑制になるような精神薬を使って「抑制」を行う。するとたった3日間で、認知機能も歩行機能も悪化してしまう。元に戻すのに1か月以上かかる。

 新型コロナの専門家会議には、老人医療や介護の専門家は一人もいないから、新型コロナしか眼中にない。歪なメンバーの構成を変えなくては問題はおき続ける。老人医療に携わっている臨床医をメンバーに加えるべきだ。

 ACPというのがある。アドバンス・ケア・プランニングの略である。老人と家族と医療スタッフが将来のケアプランを事前に話し合って決めておくというもの
*https://www.tokyo.med.or.jp/citizen/acp

 全国の老人、そして老人を抱える家族に言いたい。新型コロナに感染する前にACPした方がよい。罹患・隔離してからでは相談の機会を失ってしまう。

 1999年に首都圏の300ベッド弱の特例許可老人病院から療養型病床への転換のための病棟建て替えを担当したことがある。建て替えは市や県庁との補助金申請の折衝業務やゼネコンとの仕様の詰め、そして病院経営と長期経営計画を任されていた。70歳の老総婦長は「縛らない介護」を徹底していた。それまで病院勤務経験のないわたしに老人病院の現実を具体例で丁寧に教えてくれた。病棟婦長さん一人と総婦長が病院経営の「相棒」だった。ほかに精神科医の副院長が実際の診療業務について教えてくれた。たった2年間だったが、老人医療の実態の一端を知ることができた。理事長はゼネコンF社と契約寸前だったが、仕様の詰めが甘く、建築費は当初11億円だったが、仕様の追加ですでに15億円に膨らんでいた。F社との仮契約を打ち切ってもらい、新日鉄との交渉に切り換えた。F社と交渉したのでは埒が明かないと判断した。RC造で外断熱、地盤が軟弱なので百本ほども固い地層までパイルを打って補強してもらった。総契約額11億円、坪単価65万円だった。この建築開発申請資料は、藤原市長時代に、道庁から出向してきていた総合政策部長のK山さんと同じく出向課長で病院を担当していたK地さんへ渡して説明した。道庁側の単価は130万円だと聞いた。「大理石の病院が建てられます、民間企業ではありえない坪単価」、お二人はちゃんと聞いてくれましたよ。当時の市長の藤原さんから、聞いてもわからないので担当者二人に説明してほしいと云われたからだ。半年後にかれら二人は道庁へ戻って、担当が変わった。仕様の詰めをきちんとしないと、仕様の追加でいくらでも坪単価がアップしてしまう。実務設計してそれに基づいて仕様書の書ける人材は稀だ。
 根室市に療養型病床は1ベッドもない、全国に稀な市である。根室市政はそういう医療ニーズを無視し続けてきた。地域医療に関してはお粗末な市長が続いているということ。建て替え前に実施した市立根室病院職員アンケートでは、市立病院に老人のケアのための療養型病床が必要だという意見が多数あった、当たり前の意見だろう。みんな年寄りを抱えているし、20年、30年後には自分たちがケアされる側になる。根室は田舎だから、三世代同居は珍しくないし、同居してなくても、市内に親が住んでいるケースがほとんど。老人医療はみんな切実な問題なのだ。

 5病棟の婦長や看護師の中には、当直勤務で仮眠を長くとるために、患者を拘束したり、睡眠薬で眠らせたりする人がいる。そのほうが勤務が楽なことは事実だ。「縛らない介護」は言うや安くするのはきついのである。総婦長はときどき抜き打ちで各病棟を巡回してチェックしていた。各病棟婦長に口頭で繰り返し言うだけでは、現場はその指示を徹底できない。人間は安きに流れるもの、よほど注意していないと楽な方へと流される。たくさんの看護師やヘルパーさんを使っていると、善意を期待するだけでは管理ができない。放っておいても大丈夫な婦長は残念ながら少なかった。カラオケスナックへ行くとお酒と歌の好きな看護師さんや婦長さんがいて、院内で起きている話がよく聴けた。オフィシャルな会議の場では聞けない話がでる。たいがいは右の耳で聞いたら左の耳から吐き出すようにしていたが、それとなく確認する必要のある話もでてくる。

 療養型病床群の場合は看護師の配置が多い。多いというのは、精神科の病院や特別養護老人ホームに比べての話である。それでも、しっかりチェックしていないと拘束や精神薬での行動抑制が日常茶飯事になってしまう。
 精神病院でケアする場合は看護師の配置が少ないから、薬で抑制するケースが多い。抑制すれば身体の機能も脳の機能も急激に悪化してしまう。

 有吉佐和子『恍惚の人』が老人介護・医療の問題を取り上げ話題になっのは1970年代だった。その少し前に青森に一人で住んでいた母方の爺さんが入院した。見舞いに云ったら「酒が飲みたい」といいうので小瓶の酒を買ってきて飲ませたら喜んでいた。看護師さんがやさしい人で、「小瓶なら」と認めてくれた。帰ろうとしたら、話があるという。「連れて行くならいまです、一月ぐらいして機能が衰えたら系列の精神病院へ転院になります。移したら薬漬けになって半年持たない」、そう言った。すぐに根室へ戻って、オヤジとお袋へ伝えた。お袋とオヤジ二人で青森の病院へ。オヤジは爺さんを、背負って汽車に乗り、根室へ連れて帰った。わが家のごとく遊びに来る孫とミカンの取り合いなんかしてしばらくは楽しくやっていたようだ。根室へ連れてきたときには認知症がかなり進んでいた。医師の診断は「脳軟化症」だったように記憶している。2年ほど介護して在宅介護が無理になる。その後入院、1年ほどで逝った。入院してからしばらくして褥瘡を起こし、付き添いがたいへんだったと聞いた。背中をそっと拭いても皮膚がベロリと剥げてしまう、惨(むご)いものだ。どれほど手を尽くそうと命には終わりがあり、入院での介護も限界がくる。元気になって退院できるのではない、最後のときをどのように生きるか、そしてどのように死んでいくかがターミナルケアの眼目だ。意識はほとんどなくなって、意思の疎通がとれない。話しかけてもときどき頷いたかなと思える程度になる。十分に介護したら、あとは担当医と相談してしずかに看取ればいい。お袋と妹の一人が病院で付き添って介護した。
 わたしは大学生だった、東京住まいで爺さんの介護はなんにもしていない。わたしはわたしの役割を果たしただけ。平成5年にオヤジが大腸癌が再発して肝臓や全身へ転移して亡くなって、十年ほどしてから根室へ戻ってお袋と生活した。ボケが始まり、次第に体力がなくなり、昼夜逆転、徘徊がはじまって、排泄も女房殿の助けがないとできなくなった。しばらく頑張ったが、限界、こちらの体力が消耗するのが先かおふくろが先かという状況になり、そういう時に運よく北浜町のグループホームの部屋が一つ空いたとケアマネさんから連絡があった。ありがたかった、ついていた。2年間お世話になり、脳梗塞を起こして食事ができなくなり、精神科の病院へ入院、チューブにつながれて経管栄養で数か月で静かに逝った。医師に今日が山場と言われ、しばらくベッドのそばで見守り、「お袋、もう楽になっていいよ」と耳元で囁くと、呼吸が少し荒くなってから、次第にゆっくりして、とまった。意識がないのにまるで聞こえたかのようだった。子どもたち、妹夫婦、孫たちに看取られて静かな最期だった。
 地方の病院だと看取ることもままならない。地元にターミナルケアできる医療施設が必要だと思う。できたら、自宅で最期の時を迎えたい。それには死亡診断書を書いてくれる主治医が必要だ。自宅で亡くなれば、司法解剖になるケースが多いことは知っておくべきだ、虐待や殺人の可能性はゼロではないからだ。慌てて救急車を呼べば、病院に運ばれて、思ったような死を迎えられない。あらかじめ準備してなければなかなか思うようには死ねない。

 50年前のターミナルケアの現実といまを比べてみる。

 認知症発症⇒入院⇒機能悪化⇒精神病院⇒数か月から1年で死亡

 短期間で効率よく人間の機能を衰えさせ、死を早める、それが老人医療のスタンダードだった。昭和50年(1975年)ころまでは、これが標準コースだった1970年代は薬漬けの老人医療が告発された時代である、いままたそこに戻りつつある
 この20年間ほどで、全国の療養型病床がベッド数削減されている。医療費削減のために20万床減らして在宅介護へ切り替えを進めた。療養型病床群の病院で総合病院へ切り替えられた病院はないだろう。揃えなければならない医者の数も看護師の熟練度もまるで違うからだ。300ベッドの総合病院なら、常勤医が40-50人必要になる。だから、ほとんどの療養型病床の病院は精神科を標榜する病院となったこの20年間で医療・介護が必要な老人は数十万人単位で増加したのに、それを受け入れる病院は激減している、残念だがこれがわが国の老人医療の実態である

 認知症の老人は家庭で介護仕切れるものではない。多くの犠牲をともなう、とくに女房殿に負担の多くが行ってしまう。息子に排便の始末をしてしまうのは母親は嫌がってさせない。ボケてもときどき正気に戻る、そのときに辛いのだ。介護しているほうは疲れ切り、精神的に追い込まれているし、在宅介護されているほうもときどき正気に戻ったときに辛い。結婚している息子ばかりではないだろう。90歳の両親を60代の子どもたちが介護する、在宅で「老々介護」も普通になっている。会社を辞めて親の介護をするために田舎へ戻る人も出てきている。
 なかなかうまくいかない場合が多いから、虐待や心中が増えている。隣町の中標津で数年前にそういう痛ましい親子心中事件が起きているが、そのうちにニュースにもならなくなる。
 老人病院では「まだらボケ」の患者さんが正気に戻った時が危ない。病室の窓を開けて飛び降りるようなことが起きる。だから新病棟は窓は20㎝くらいの幅までしか開かないような構造にした。老人たちの居心地も考えて外断熱の建物にした。外気を入れて換気しても、壁のコンクリートが温まっているのでヒートショックが少ない。オムツ交換があるから、臭気対策は外断熱抜きにはほとんど不可能だろう。暖房費も半分以下になる。

 具体的な問題が続出しているのだから、この国の老人医療は新型コロナ感染症を機に一度見直すべきだ。
 わたしも71歳の老人だ、ACPをこどもと話し合っておく必要がある。とっくにそうしてある。延命治療は不要、自律的に食べられなくなれば、そのままでいい、枯れるように死んでいきたい。希望を自筆で書いて日付を入れてある。書類の場所は子どもに伝えてある。

 3月に歯科治療に東京へ行って、子どもに叱られた。
「お父さん、コロナに罹ったら基礎疾患抱えているんだし、死んでしまうでしょ、来ないで」
 それでも毎年行って歯科治療をお願いしている主治医にチェックしてもらい必要な治療をしないと、スキルス胃癌で全摘してるから、咀嚼できなくなれば体はもたない。老人にとっては咀嚼できなくなり身体が衰弱して死ぬか、感染症で死ぬかだけの違いだ。慢性気管支炎もある。身体はとっくにポンコツだ。
 自分で食べられなくなったら、それは死が近いということ。臓器が受け付けなくなっているのだ。痛みなくそのまま枯れるように死ねる終末医療システムにしてもらいたい。老人医療費は劇的に削減できる。

 満開の桜の樹の下で30分ほどおにぎり食べながら、孫と4人でおしゃべりして楽しんだ。公園内には十数人、公園隣のグラウンドからは卒業式の合唱が聞こえていた。小学校の部でこのところ毎年連続優勝している合唱部のある小学校である。新型コロナ対策でグラウンドで保護者と先生たちと卒業生だけでやっていたようだ。前から一度聴いてみたいと思っていたが、新型コロナ感染症のお陰で念願適った。(笑)

*老人介護をとりあげた小説10選
https://kaigo-shigoto.com/lab/archives/2657





にほんブログ村


nice!(1)  コメント(4) 

nice! 1

コメント 4

tsuguo-kodera

 いつわが身にボケが起きるか、分かりません。起きても故障した脳は起きたと思えません。延命治療は不要とすでに書きましたが、ebisu先生を見習って、もう少し具体的に死出の旅の要求条件を書き直そうかと思いました。旅立ちは一瞬でも早いほど好みと。せっかちですのでこれしかありません。
 一番のニーズは自分は予想しなかったポックリです。突然です。でも私は行いが悪かったのでなかなか死ねないのかもと恐れています。
 私の母はポックリが願いでした。私が奈良勤務の時、法隆寺と吉田寺に案内しました。ご利益があったのか、孫とホテルで会食した夜、お風呂に入って床にいたそうです。孫が物音がしたと思い、お風呂から早々に出て部屋に入ったらすでに呼吸も脈拍も無しだったそうです。
 父は入院中に朝看護婦さんが覗いたらやはり心肺停止でした。私は両親の死に目に会えない不幸者。いいえラッキーな奴でした。
 自殺はできません。子供たちに迷惑をかけるからです、どうしたらポックリ行けるか、これには答えを私は持っていません。行いが悪かった私は無理だと思っています。
by tsuguo-kodera (2020-06-01 12:59) 

ebisu

koderaさん
こんばんは。
お母さんは法隆寺を見学された後にぽっくりだったのですか、うらやましいですね。

こればっかりは思うようにはならないのでしょうね。
死が近づくと食が次第に細くなり、そして食べられなくなって数日か十数日で枯れるように死ねます。経管栄養で半年でも生きられるでしょうが、愉しくありません。
絶食は苦しくありません、精神が次第に透明になります。食欲がなくなっても水くらいは飲めるでしょうから、少しずつ衰弱して眠るように死ねます。それがわたしの希望です。

でも、まだすこしばかり生徒たちのお役に立てそうですから、お天道様、まだしばらく生かしておいてください。(笑)

by ebisu (2020-06-01 22:44) 

tsuguo-kodera

 ご利益ねがあったのは法隆寺の直ぐそばの吉田寺でしょう。私は両方とも、東京からの客人を案内し、何度が行きましたが、無理でしょうね。ebisu先生はお天道様ですか。私は大師様に生かされています。(笑)

 さてそこで最後の御奉公と思い、日本論を勝手に書こうと思います。今のアベノセイダーズなどやはり日本は良いも悪いも特殊な国です。
 敗戦と国を守れない憲法だけの問題ではないと思います。何処までまともに書けるか、お互いに正念場かもしれません。南無大師金剛遍照。
by tsuguo-kodera (2020-06-02 11:27) 

ebisu

koderaさん

吃驚です。
奈良県斑鳩町の吉田寺(きちでんじ)は「ぽっくり寺」として有名なんですね。
浄土宗のお寺なのに、秘仏として大日如来像をお祀りしている。
中国で恵果和尚にまみえ、曼荼羅絵図に後ろ向きに2度花を投げて2度とも大日如来の上に落ち、空海が選んだ仏様ですね。
阿弥陀仏ではなくて大日如来を浄土宗のお寺がお祀りする、どういうご縁なんでしょう?
なんだか好奇心をくすぐるお寺ですね。
「きちでんじ」、なにやら好いことが伝わって来そうな...響きがあります。

根室はいま大雨、雷様が鳴ってます。すぐに晴れるでしょう。
by ebisu (2020-06-02 12:53) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。