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#1978 ギリシアに学ぶ:職人に敬意を払う国は栄え、仕事をさげすむ国は滅ぶ June 18, 2012 [A4. 経済学ノート]

 このところジャパンタイムズではSpainがとりあげられていた。EUから1000億€の金融支援が決まったが、金融機関救済のための資金で、スペイン経済がどうなるものでもない。四人に一人が失業している状況下にある。
 PIGSと呼ばれ、EUから金融支援を受けるのはこれで4カ国、ポルトガル、アイルランド、ギリシア、スペインである。スペインはEUで4番目の経済大国である。イタリアもスペインの後を追いそうだから、経済崩壊はスペインでとめなければEUそのものが大きく地盤沈下しかねない。
 これらの国に共通しているのは経常収支がマイナスということ。日本も単月でみると2011会計年度からそういう月が生じ始めている。年度でみても経常黒字額は7.9兆円で前々年度の半分になっている。急激に悪化しているといえる。ギリシアは私たちの一歩先を歩いている?

 もともとEUは台頭する日本経済に対抗して作られた。英国もドイツもフランスも一国だけではもはや日本に対抗できないということ、そういう危機感の下にヨーロッパ諸国が共通経済圏を組織しようと集まった、あの当時はEC(欧州共同体)と言っていた。
 ところが強いのはドイツのみ、あとは財政的に見ても経済的に見ても「弱者」といえる国々ばかり。ラテン系の国家は財政も経済も脆弱であり、弱いものがいくら集まっても結局は弱い。

 ギリシアとイタリアはともに古代史では栄耀栄華を誇った国で、市民社会の国である。労働は奴隷のするもので「特権市民」は労働から解放されていたから、労働蔑視がこれらの国の国民意識の深層にある。
 ドイツはマイスターの国で、国民は職人に敬意を払っている。いい仕事をするのは人間としての誇りでもある。仕事に対する考え方がギリシアやイタリア、スペインとまったく違う。フランスもラテン系の国だからギリシアやスペインやイタリアと同類だろう。

 ドイツ国民が職人(マイスター)に敬意を払うのは、日本と同じだ。日本でも一流の職人は国民の敬意を受ける。仕事に手抜きはしないし、その技術を日々磨き、最高の仕事をなしとげる。
 正直に誠実に仕事をするのが職人だ。賃労働の工場労働者とは違う。日本では工場労働者ですら日々業務の改善に励む職人が多い。指示されなくても自ら自分の仕事を改善し、最良の仕事をしようとする。職人仕事は数百年あるいは千数百年ににわたって培ってきた伝統文化でもある。

 ギリシア選挙が昨日行われ、緊縮策を提唱する新民主主義党が勝利し、急進左派連合が敗北した。EUに約束した緊縮策を実行するという。だが、これも棘の道である。ギリシアには選択肢がない。棘の道を歩むか破滅するかの二者択一である。働くことを軽蔑する国の国民はキリギリスとアリの寓話のキリギリスのようなもの。二千年以上もの歴史をもつ労働の蔑視、治らないだろうな。急激な破綻が避けられただけで、混迷は深まるばかり、根が深いから緊縮派が勝利しても危機は去っていないと判断すべき。

 一流の職人に敬意を払い正直に誠実に仕事をする国は栄え、労働を蔑視する賃労働の国は衰退する

(日本の政治はウソだらけになった。マニフェストで約束したことと反対のことを「命を懸けて」やる総理大臣が出現した。これほどひどい総理大臣は歴史上いなかった、バケモノを見るような気がする。)


*「ギリシャ議会再選挙、緊縮派政党が僅差で勝利 連立協議へ」AFP
 http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1128232

2012年6月18日 07:08 (AFPBB News)

【6月18日 AFP=時事】17日に投開票が行われたギリシャ議会の再選挙で、財政緊縮策の継続を訴える旧与党の新民主主義党(ND)が第1党となる見通しとなった。同じ緊縮派の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と合わせた獲得議席は過半数に達する見込み。…」

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#1889 職人仕事の成り立ち  Apr. 3, 2012 [A4. 経済学ノート]

 BS放送で地球温暖化シミュレーションの番組をやっていた。最後に江守正多という研究者が出てきて「心・技・体」ということを強調していた。
 わたしたちのこころの在り方、温暖化阻止技術、経済社会の体系そのものの変革が三つセットで必要となるということ。
 ちょっと気になることも言っていたのでメモっておこう。南極の氷が溶け出しているという説だが、南極の氷河の流速が大きくなり大陸から離れて海へ流れ出す量が増えているというのだ。従来考えていたよりも3倍くらいの水位上昇(+1.5m)になるという。

 二週間の休暇をとったが、その間に数冊の本に眼を通した。日本において職人の成立はどれくらいまで遡れるのか、日本史の専門家はどうみているのかを探りたくて網野善彦著『日本の歴史を読みなおす(全)』筑摩文庫を読んだ。
 網野氏は、律令国家の財政が窮乏化しお雇い職能集団がそれぞれ自分でお金を稼がなくてはならなくなったあたりにその淵源を求めている。踊りをやっていた者たちは白拍子などへ、それぞれ自分たちがもっている技能や技術を生業に自立していったということはたしかなことなのだろう。

 もともとは神への捧げ物にルーツがあるのではないだろうか。神前には海で獲れたものや畑で取れたものを供えるが、それらは腕によりをかけて海から獲った魚だったり、手間をかけて育てたお米だったりしたのだろう。いまでも伊勢神宮は昔のままに同じ畑でお供え物を作っているようだ。神への供え物を作る畑で手抜き仕事は考えられない。そこには、ひたすら正直に誠実に手間を惜しまぬ仕事の姿がある。

 神社の建築に係わる宮大工や武器である剣をつくる刀工が自立・分化した職人として最古かもしれない。これらも神に係わるものだ。刀工はいまでも正月に禊をしてから仕事始めをするという伝統を守り続けている。

 職人仕事はもともと神への捧げ物をつくるところにルーツがあったのだろう。漁師も農民も土器を作る人も分化していない時代から、それぞれの職能が分化していくときに成立したのだろうと思われる。そう考えると、縄文時代から古墳時代にまで職人のルーツを遡ることができるのだろう。大事なのは八百万の神々への供え物を作ることと関わりがあったという点である。神への供え物は最上等品でなければならない。

 日本人にとって職人仕事とはその原初から嘘偽りや誤魔化しのない正直で誠実なものだったと言ってよいのではないだろうか。
 それが自動車生産の工場でも、農民の米や野菜や果物作りにも現れている。製品の品質を上げるために工場で仕事をする人々は指示されずとも毎日仕事の改善を積み重ねていく。
 それゆえ労働における人間疎外の問題は日本ではマルクス経済学者の頭の中にしか存在しない。職人仕事はもともと神聖なものであり、ごまかしの許されぬものであるから、その都度、渾身の力でいい仕事をすればいい。
 あらゆる業種にそれぞれ細分化された職人がおり、名人がいる。それが日本の伝統的な経済社会だ。スミスやリカードやマルクスの考えた「労働者」とはまったく異なる仕事のやり方をする職人が日本ではあたりまえだ。職人仕事のあり方は商道徳にも影響を及ぼしている。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」、信頼に基く経済社会こそが日本本来のあり方と言ってよいのだろう。

  問題の先送りや、ごまかしの仕事をしてはいけない。好い加減な仕事は恥ずかしいことと心得よう。
 仕事は正直に誠実にやり、日々その技を磨くべし。そういう心がけでやる仕事は楽しいもの、腕が上がっていくのが実感できる。
 日本人本来の仕事のあり方とは何か、それを自らに問いつつ日々の仕事に精励したいものだ。

*地球温暖化シミュレーション
http://www.team-6.jp/cc-sim/

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 網野 善彦
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/07/06
  • メディア: 文庫

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#1836 日本人の仕事 : 三浦しをん『舟を編む』を読んで Feb. 9, 2012 [A4. 経済学ノート]

 この頃、本を読むと自然に"仕事"へ関心が向いているのを感じる。日本人の仕事観は欧米人や中国人とは相当異なる。たとえば、ギリシア人は労働は奴隷のすること、そこから解放されていることが生活の理想となるから、そういう価値観がベースになっていればいずれその国は財政破綻するのは必定なのだろう。
 日本人は仕事から解放されたことにあまり喜びを感じない、それどころか仕事がなくなると社会から疎外されたように感じる者が多い。日本人にとって働くことは喜びでもある。喜びである仕事に手を抜くようなことをする職人はさげすまれる。社会の根底にある仕事に関する価値観の違いは大きい。

 さて、最近、三浦しをん著『舟を編む』を読んだ。出版社で辞書を編纂する仕事が採り上げられている。主人公馬締(まじめ)君は他の部署で働いていたのだが、定年間近の辞書編集者荒木さんに見込まれて辞書編集部員となる。最初は気の進まない仕事で何をどうしたらよいかもわからないが、次第に仕事が面白くなる。そういう馬締の素質を棚の整理をしている姿をみただけで見抜いて編集部員に引き抜いた荒木さんの眼力もたいしたもの、小説にしても巧くできている。辞書の改定には10年あるいは20年という長い年月がかかる。仕事を続けているうちに馬締君は次第にのめりこみ、プロフェッショナルになっていく。改定作業中の辞書の名前は『大渡海』。
 十数年がたって馬締は美人板前の女性香具矢と結婚している。そのお店で馬締の部下の女性編集部員が尋ねる。

「まじめさんのどこがいいと思われたんですか」・・・
辞書に全力を注いでいるところです
・・・
洗い物をする手を休めず、香具矢はつづけた。
美味しい料理を食べたとき、いかに味を言語化して記憶しておけるか。板前にとって大事な能力とは、そういうことなのだと、辞書づくりに没頭する馬締をみて気づかされました
・・・
「辞書編集部でのお仕事はいかがですか」
めずらしく香具矢から発された問に、岸辺は笑顔で答えた。
最初は戸惑うことばかりでしたが、いまは楽しいし、やりがいを感じています
こんなに晴れやかな気持ちで言える日が来るなんて、移動した当初は予想もしていなかった

 岸辺さんは馬締の部下として女性雑誌の編集部から異動してきた。なぜ私が辞書編集部に異動?としばらくは不満もあったし、新しい仕事がわからずとまどうことばかりだった。

 『大渡海』専用の特注紙のチェックシーンがある。岸辺は1年8ヶ月の間編集室にある辞書を片っ端からめくって、どの出版社のどの辞書か即座に言い当てられるほどになっている。どういう感触の紙がいいのかニュアンスを製紙会社の営業マンと開発担当者へ伝える。そしてその最終チェックの場面を馬締から任される。全幅の信頼を受けて大仕事である。205ページにあるから、その場面はぜひ本を読んで味わっていただきたい。でも、ちょっとだけ紹介しておきたい。著者の表現のさえているシーンがある。

 岸辺は無言のまま唾をのみ、ゆっくりと紙をめくった。一枚、二枚、辞書のパージをめくるように紙の束をめくっていった。
 しばし、耳の痛くなるような静けさが部屋を支配した。耐え切れなくなったのか、言葉を発したのは開発担当者だった。三十代半ばぐらいだろう。眼鏡をかけた細身の男性だ。
 「いかがでしょうか」
 開発担当者は、自信と不安がないまぜになった表情で岸辺を注視している。

 私は根室という田舎育ちだが、街中に家があったので夜中には酔っ払いの声や自動車の通る音でけっこう騒々しかった。あるとき、友人の誕生日を一回りほど歳が離れたお姉さんが祝ってくれたことがあり、そこへおよばれして泊まったことがある。そうしたら時計の音だけが響いて静かなこと極まりない、まるでシーンという音がしているかのような錯覚に襲われた。「耳の痛くなるような静けさ」という句を読んだときに四十数年前のことを思い出した。

 話しを元へ戻そう、辞書の監修者の先生が辞書刊行一月前に亡くなる。
 辞書編集には何の興味もなかった二人が十数年を経てそれぞれ辞書編集部に異動になり、仕事をするうちにのめりこみ、辞書編集の楽しさを味わうようになる。そして肝心の監修者が亡くなった直後に改訂版が出る。

 日本人にとって、仕事がなんであるのかがよく書けている。毎日それに携わっているうちにのめりこみ、次第にその仕事が面白くなり、さらにのめり込んでプロの技倆が磨かれていく。
 損得を度外視して仕事に没頭する姿は辞書の監修者も前任の編集長も馬締君も編集部員の岸辺さんも同じだということが丁寧に描写されている。

 『言海』『広辞苑』『日本国語大辞典』『大辞林』などおなじみの国語辞典の定義が比較検討されるさまも面白い。国語辞典ばかりで白川静先生の辞書が出てこないところが残念ではあるが、しかたがない。でも、そこまで突っ込む方法はあったはずである。縦糸の国語辞書と横糸の漢和辞典、言葉の楽しみ方を啓蒙するにはいい方法ではなかっただろうか。
 辞書を引かない生徒たちが増え、本を読まない、読めない生徒たちが増えている。言語の大海原に漕ぎ出でる者たちが激減している時代だからこそ言葉に関する啓蒙小説が必要なのではないだろうか。

(私が使っているのは『広辞苑』と『大辞林』のふたつだ。それに岩波の『古語辞典』(これはちょっとイレギュラーの部類に入るだろう)、角川の『漢和中辞典』、白川静『字統』『字訓』。辞書を引くのは楽しいからもう一つ『字通』がほしい。
 英語の辞書は5年ごとくらいに買い換えている。コウビルドが最初だった。英英辞書の電子版の機能が年々よくなっているので、三種類を使っている。そしてブログを通じて根室出身の専門家が薦めてくれた小西友七『英語基本形容詞・副詞辞典』『英語基本動詞辞典』が一昨年から書棚にある。折に触れて辞書を引くのは楽しいものだ。いくつか並べて同じ語の定義や用例を比較検討してみると面白さが増す。)

 作品中の架空の辞書『大渡海』は「言葉という大海原を航海するための舟」となっている。

舟を編む

舟を編む

  • 作者: 三浦 しをん
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2011/09/17


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#1833 日本よ、破産せよ Feb. 7, 2012 [A4. 経済学ノート]

 ショッキングなタイトルをつけて、ブロガーのHirosukeさんがニムオロ塾コメント欄でのやり取りを編集してアップしてくれた。ネットを通じてのコラボレーションである。三つ読むのが面倒な人は"3 of 3"をどうぞ。
 ここでは史上最高額での株式上場を果たしたfacebookの5つの経営理念を参考に日本がとるべき理念に言及した。Hirosukeさんの問題提起に触発されて、刺激的かつ斬新な視点で日本経済の現状を解説、期せずして阿吽のコラボレーションが実現している。

*Hirosukeさんとebisuのコメントは次の弊ブログ記事にある。
 #1828 「ゼロ金利の罠: Fed targets and transparency」 Feb. 3, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-03

 標題を検索キーにグーグルで検索すると次のHirosukeさんのブログ記事が並んで出てくる。
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  • 日本よ、破産せよ。【1 of 3 - LMN研究所 @tada_de_English - So-net

    tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2012-02-06
    7 時間前 – オーソモレキュラー【栄養】療法を実践する【元英文テクニカルライター(英検準1級etc.)⇒現塾講師】 の【健康・環境・教育】ログ.
  • 日本よ、破産せよ。【2 of 3 - LMN研究所 @tada_de_English - So-net

    tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2012-02-06-1
    7 時間前 – オーソモレキュラー【栄養】療法を実践する【元英文テクニカルライター(英検準1級etc.)⇒現塾講師】 の【健康・環境・教育】ログ.
  • 日本よ、破産せよ。【3 of 3 - LMN研究所 @tada_de_English - So-net

    tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2012-02-06-2
    17 時間前 – オーソモレキュラー【栄養】療法を実践する【元英文テクニカルライター(英検準1級etc.)⇒現塾講師】 の【健康・環境・教育】ログ.

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  • #1814 「31年ぶりの貿易赤字」 :日本の時代がやってくる Jan. 26, 2012 [A4. 経済学ノート]

     31年ぶりで2.5兆円の貿易収支赤字だそうだ。1981年はバブルがはじまった年だ。1979年にイラン革命がありイランからの原油輸入が途絶し、原油価格が上昇、貿易収支は赤字となった。記憶によれば三井物産は当時イランで2000億円の石油プラントを建設中だった。
     いままた米国と欧州主導によるイラン経済制裁で原油輸入が途絶しそうである。原油の持続的な値上がりは避けられそうにない。

     一昨年が6.6兆円の黒字だったから貿易収支は差し引き9兆円もの悪化である。GDPが500兆円といわれているから、貿易収支の悪化を私たち国民も注視せざるを得ないだろう。

     グローバル企業は生産拠点をとっくに中国、タイ、ベトナム、米国などへと移しているから、貿易収支の赤字転落は時間の問題だったし、東北震災の影響を除いても、この傾向は今後ますます強くなるだろう。
     私たちはスケールの大きな時代の転換点に立っており、貿易収支の赤字化はその大きな転換=パラダイムシフトの一つの現象でしかない。

     長期にわたって貿易収支のマイナスが明らかになれば、外為の基調は円安とかわる。ウォールストリートジャーナルは昨日"End of era for Japan's Exports"という記事を掲載した。
    http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204624204577178642527605990.html

     自動車、エレクトロニクス製品、半導体をシャワーのごとく世界市場にばら撒いた日本の時代が終わりを告げているという論調である。当然の論であるが現象を語っているにすぎぬ。

     世界一のスピードで超高齢化社会を迎えているだけではない。日本の子どもたちの学力が低下しており、それが長期にわたれば国力を疲弊させることは間違いのない推論だろう。
     子どもたちの学力を低下させてはならぬ、そして日本的情緒を失ってはならぬ、日本語の美しさを日常の生活から失ってはならぬ。
     正直に誠実に仕事し、「売り手よし買い手よし世間よしの三方よし」を商売の基本にしっかり据え直そう。

     経済成長はもういらない。小欲知足でいい。経済規模を縮小してエネルギー消費を小さくし、仕事を分かち合って質素に生きればいい。そういう経済社会がいま人類に求められている。日本人が率先してそういう経済社会を実現してみせればいい。
     輸出が減る分、輸入を減らせばいいだけのことだ。経済成長ではなく経済縮小の時代だが、人口減少がそれを可能にしてくれる。
     貿易収支が赤字となるのが当たり前の時代の幕があけたと思うべきなのだろう。キーワードは人口縮小、高齢化、経済規模の縮小である。

     あと40年もすれば高齢化社会も終わりを告げ、人口はバランスの時代に入る。日本海溝には日本人が数百年使う分のメタンハイドレートが眠っている。排他的経済水域200海里内には無尽蔵ともいえるレアメタルがある。日本の時代が到来する。

     その40年の間には首都圏直下型の大震災がある。全国54基ある原子力発電所のうち数箇所が直下型の地震に見舞われる。2箇所で直下型の地震があれば放射能汚染で日本の国土の70%は数百年間人の住めない地域と成り果てるだろう。北海道の泊と福井県の敦賀で直下型の地震があれば、東に向かって放射能が流れる。食糧自給率200%の北海道が放射能に汚染されれば、日本人は食糧の大半を輸入せざるを得なくなる。こうなってはお手上げである。福井圏内の原発が直下型地震に見舞われたら京都・大阪が被災地となる。関西圏が大打撃を受ける。
     そして縄文期から1万2千年以上にわたって受け継いできた日本民族の遺伝子は大きな障害を受け、劣化してしまう。
     小欲知足の世界へと踏み入ることができるかどうか、日本人は天に試されている。おそらくこれがラストチャンスだ。

     大災害に比べれば小さなことだが、いずれ1ドル200円、ガソリン300円/リットル、灯油200円/リットルの時代が来る。しかし、一時的に1ドル200円になっても、150円辺りで落ち着くのではないか。円安になれば消費が落ち込み輸入が減る。輸出環境がよくなり貿易収支は改善する。
      この前提には但し書きがある。北海道の泊原発を廃炉にして食糧自給率200%の広大な地域を放射能汚染から守れば貿易収支は長期的に改善できるということだ。

     原子力発電所なんてなくていい。あせることはない、日本人は小欲知足を旨として、時代の流れにゆったり流されて生きればいい。きちんと予防措置をとっていれば案外のんびりしたいい時代なのだから。
     40年後、人口8千万人の日本は輸入に頼らず自国の資源でつましく暮らせる。私たち日本人は閉鎖・自立型経済圏の幸せな国を築くことが可能なのである。具体的なビジョンを描いてそういう国つくりを目指せ。


    *#346「これから10年間の日本経済のシナリオ」
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10

    *#1254 「経済成長論の終焉」 Oct.24, 2010 
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-24-1

    *#1482 「東北大震災とパラダイムシフト:良寛をめぐって」 Apr. 22, 2011 
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-21

      #484「国民の95%が幸せ…屈託のない笑顔」
     
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-01-11-1


     #1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」
     
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2

     #1158 「過剰富裕化論(2):過剰富裕化とは何か」 Aug. 12, 2010
      http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-12

     #1162 「過剰富裕化論(3): 経済学部を目指す高校生へ」 Aug. 16, 2010 
      http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

     #1164 「過剰富裕化論(4):人類史上最短労働時間の社会への道」 Aug. 18, 2010 
      http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-18

      #1165 「過剰富裕化論(5):節度ある明るい未来」 Aug. 19, 2010
      
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-19 

     #1182 民主党代表選挙と国家財政の現状:過剰富裕化論  Sunday, Aug. 29, 2010 
      
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-29

     #1185 日銀金融緩和策公表も効果なし:資金の過剰富裕化は何をもたらすのか  Sep. 1, 2010
     http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-09-01


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    #1802 蜂谷涼『夢の浮き橋』 Jan. 12, 2012 [A4. 経済学ノート]

    夢の浮橋

    夢の浮橋

    • 作者: 蜂谷 涼
    • 出版社/メーカー: 文藝春秋
    • 発売日: 2011/09
    • メディア: 単行本

     作者は1961年小樽市生まれの道産子。
     江戸職人に興味があり標記の本を元旦に読んだ。女のガラス職人の話である。
     子供ができないために出戻ったおはんは、実家の家業である貸し本のデリバリーを手伝っているうちに客先で素晴らしいガラスの工芸品の壺に出会う。一目見た途端に目が離せない。印象を問われて源氏物語の空蝉が脳裏に浮かび"空蝉"と答えると、まさしくそれがその品に作り手の名工がつけた名前であった。
     すぐにそのガラス職人を訪ね、弟子入りを志願するも師匠からはなかなか許しが出ない。雨の日も作業場の前に座り続ける。・・・

     師匠の磊治(らいじ)がおはんに言う。
    「どないな腕利きの職人かて、完璧なものなんぞようできへん。仕上げてしばらくは、今度こそ最高や、傑作や思うても、何日か経てば、あそこをこうすればよかった、ここをこうすればよかった、て思うようになる。次はもっとええもん拵えたる、ってな。これで終わってたまるかいな、って思うんや」
    「親方でも、そうなんですか」
    「当たり前やんか。それが職人いうもんやし、そうでなければ腕も上がらへん、技も磨かれへん。」

     物語の最後は幕末という時代状況が二つ絡んでくる。男と女恋あり、修業あり、競い合いあり。名工には手の技だけでなく教養も一つの武器となることがよくわかる。師匠の磊治と弟子のおはんを結びつけたのは源氏物語。
     江戸情緒の色濃い作品である。源氏物語の「空蝉」の帖もあわせ読まれたらいっそう面白い。


    【日本人の職人仕事観と新しい経済学の可能性について】
     小学生4年のときから北海道新聞の社説と1面の政治経済欄の記事を読み漁ったヘンな少年だったから、もともと政治や経済に興味があった。高校へ入学して当時出版され始めた中央経済社の『公認会計士2次試験講座』をテキストに簿記や会計学や原価計算論、監査論とともに経済学も学び始めた。近代経済学だがそれなりに面白かった。しかし、根室高校の図書室で読んだ資本論は1冊目であえなく沈没、全体の構成がさっぱりわからなかった、森に迷い込んで方向感覚を失ったような気がしたのである。
     商学部会計学科に進みながら経済学にますます興味を深めていった。学部を超えて学生を集めた一般教養ゼミの一つがが『資本論』を読んでいた。哲学の市倉宏祐先生が指導するそのゼミの一員に加えていただき『資本論』と『経済学批判要綱』にのめりこんだが、マルクスの労働観には違和感を抱き続けていた。
     大学院で経済学を専攻し、マルクス資本論の構成についての高校時代以来の疑問は解けたが、古典派経済学以来の労働観への違和感がますます大きくなった。
     直感は、スミス・リカード・マルクスの労働観と日本人の労働観がまったく異なると告げていたが、そのような疑問を抱いた経済学者は過去に例がなかったから、本を読んでいてもわからぬ。違和感の正体を確かめようと、26年間に業種の異なる四つの会社を渡り歩き経営管理・企画畑の仕事をした(入社時に上場企業だった会社はないが、3つは上場企業になった。お陰で上場前の高収益会社への経営の仕組みの切り替え、実際の上場実務、上場後の企業の状況変化を経験し、つぶさに観察できた)。毎日仕事の真剣勝負で技を磨き自分の技倆のあがるのが実感できたのはガラス職人の主人公おはんと同じだろう。のめりこめば何とかなるもの、明日の見えないときも見えるときも仕事は生きがいのひとつであった。
     それゆえ仕事でマルクスが言うような疎外感を感じたことはない。仕事は真剣にやればやるほど面白く楽しくなるもの。ようやく50歳を過ぎてそれまでやってきた仕事について書いてまとめてみて、マルクスの労働観の誤りの正体に気がついた。
     "労働"ではなく"職人仕事"だったのだ。職人仕事が日本人の労働観の基礎をなしており、工場労働や奴隷労働に基礎をおく西洋経済学の労働観と日本人が伝統的に抱く"職人仕事"観とはまったく違うものである。ここから西洋経済学と異なる日本人の伝統文化や仕事観に基く新しい経済学が始まるのだろう。日本人は日本の伝統文化にもとづく新しい経済学を創始できる。あくなき欲望の追求である西洋経済学は地球規模で行き詰ってしまったが、日本の伝統文化をベースにした新しい経済学は人類を救う可能性を秘めているのだろう。

     マルクスが想定する工場労働者の労働と日本人の仕事観は異なる。人間疎外ではなく人間の全人的な表現が職人仕事の正体である。その根本は神への捧げものを造ることからはじまった。いまでも刀鍛冶の仕事にそれが端的に伝承されている。職人は自宅に神棚を祭る。
     江戸のガラス職人を描いたこの作品も、日本人の仕事観をよく伝えている。正直に・誠実にひたすらいい仕事をしたいものだ。
     仕事も仕事場も神聖なもの。整理整頓・清掃をよくすることは神聖な仕事場を清める意味もある。いい職人は仕事の後の整理整頓が板についている。仕事の前よりも仕事の後のほうがきれいだと思わせるような見事な仕舞い方をする。
     仕事の技を磨き、たとえ誰も見ていなくてもけっして日々の仕事の手を抜かない、それが日本人だ。



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    #1744 【パラダイムシフトの時代】TPP、グローバリズムと著作権:四方山話 Nov. 20, 2011 [A4. 経済学ノート]

     言論統制と著作権について、通行人あらためPlage.Stさん、別の通行人さん、Hirosukeさんがコメント欄にそれぞれのご意見を書き込んでくれた。ブログの読者の皆さんは楽しんでくれただろうか。 
     棚上げしていた部分(著作権とグローバリズム)を以下に書いておく。いろいろ意見がありうるから、コメント欄へ書いてくれたらいい。それを楽しく読んで私も再度考えてみたい。

     日本では著作権は著者の死後50年だが、米国は70年だ。TPPはこういう点も米国流に変更せよと迫るのだろう。
     ではその内容はどうか、日本では学術論文に他の書籍からの引用をする場合は出典を明らかにするだけでお構いナシである。きちんとだれが書いたものかを明瞭にし、誤解のないようになっていればいいのである。ところが、ネット上では出典を明らかにしても著作権を盾にとって引用すら拒否できるようにいつの間にかなってしまっている。著作権法が改正されたからだろう。
     こんな慣行は日本にはなかったし、日本にはなじまない考え方である。国家が10万人も職員のいる機関を作り世界中の情報管理をしている米国流の考え方なのだろうが、私はノーである。日本人の文化や感覚に合わないからだ。だれが書いたものか明記すればやましいところなどない、引用は卑怯な行為でもないから悪い行為だと言う通念は日本人にはなかったどうして日本人が米国流のジャングルの掟の一つとも言える「米国版著作権」を受け入れる必要があるのだろう?

     住友家の家訓に「浮利を追わない」というものがあるが、商道徳として日本では普遍的な価値である。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の"三方よし"も日本人には共通の価値観である。
     こうした、日本人が何百年も育んできた善良な商道徳を棄てて、品の悪い米国流のジャングルの掟にしたがう必要があるのか?質の高い価値観ならまだしも、ゲスのゲス、そんな価値観にあわせる必要がどこにあるのだろうというのが私の根本的な疑問である

     TPPにはISDS条項というのがある。投資紛争解決センターという機関が米国にあり、そこに提訴されたら米国での裁判に応じなければならない。実際にNAFTA(北米貿易協定)に加盟しているカナダやメキシコ政府が米国企業の提訴による巨額の裁判を抱えてしまっており、そういう紛争に日本も巻き込まれることになる。
     よく考えてほしい。日本には裁判権がないのである。治外法権と変わらない状況が生まれるだけではない、これは領事裁判権よりも悪質だ。日本がいま政策的にやっている補助制度が米国企業の意思次第で次々槍玉に上がられ、このセンターへ提訴される可能性がある。米国の弁護士は仕事が急増し、巨額の報酬を手にすることになるだろう。
     こういう裁判社会の米国流のルールに日本が入っていくことはない。米国の土俵で日本が戦うことになるからである。

     TPPは関税自主権と裁判権を放棄することに等しい。明治初期に20年も苦労してこれらの権利を回復したのに、それを忘れて自ら放棄しようとしている。貿易は管理貿易でいいし、それが正しいのである。
     米国は発展途上国に自国のルールを持ち込んで商売がしたくてTPPを言い出している。米国にとって都合のよいルールだからだろう。

     日米の自動車貿易摩擦のことを思い出してほしい。結局、日本の自動車メーカーは米国に進出して工場を作らざるを得なかった。あれがなければ米国で販売される日本車は日本で作られていたはずで大量の雇用が日本から失われた。
     たとえば、米国の工場を廃止して賃金の安い中国やタイやベトナムやインドで生産したとき、米国が受け入れるだろうか?
     米国で生産される車はほとんどなくなり、大量の失業が生まれる。そのような国益に反することができるはずがない。大統領選挙で破れることになるからだ。きちんと仕掛けが用意してあるはずでそれすら見えていない段階でTPP参加を表明するバカがどこにいる。米国の手の内を読み、対抗策を用意できる官僚や政治家がいまいるだろうか?

     日本が為すべき国際貢献は日本のルールを輸出することである。正直で誠実な仕事、信頼に基く商品売買、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の価値観などである。全世界を相手に堂々と日本流のルールの素晴らしさを説き、同じルールへの参加を募ればいい。
     日本が誰か(米国)についていく時代は20世紀で終わった。21世紀は日本が自分の道を正々堂々と歩き、同じ道を歩く者を募る時代である。大局を読み違えてはいけない。

     はなはだ荒っぽいが著作権とTPPについての私見を述べた。

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    #1736 鎖国のススメ Nov. 18, 2011 [A4. 経済学ノート]

     以下は、先週依頼されて書いた原稿の下書き2本のうちの一つである。字数の関係で4割程度削ったが、まだ削り足りない。さて、どこを削ろう?

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    【グローバリズムの負の側面】

    トヨタ自動車会社は海外に生産拠点を増やし、世界ナンバーワン企業になったが国内雇用が増えるわけではなく、トヨタの米国工場で米国民の作った車を米国民が購入している。ユニクロの製品は安くて良いが、生産はほとんどが海外である。国内の衣料メーカーはその分売上を失い、働いていた人々は職を失った。グローバリズムやその延長線上にある経済成長路線には地場産業の衰退と雇用減という現象が伴う。

    【グローバリズムと癌細胞の相似性】

     グローバリズムは利益の極大化が至上命題であり、視点を変えてみるとコントロールを失って増殖し続ける癌細胞のようだ。経済現象と生物の病理現象だから相同性があるわけがないのだが、なぜか相同性を感じてしまう。グローバリズムもある種の病理現象なのである。

    【日本文化や価値観の深層】

     日本の歴史では縄文時代が1万年、弥生時代が400年ある。大和朝廷成立以来古代国家から考えても1700年だから、縄文の文化の影響が日本人の深層に色濃く残っている。

     縄文文化の支流の一つがアイヌの文化であるが、アイヌの狩猟や漁労は本来商品生産ではない。自分たちが食べる命を神からいただくのであり、殺し・食べることで神のもとへ送り返すのである。だから余分な生産はしない。私はそこに小欲知足の世界をみる。

     山の斜面に美しい棚田がひろがるのも、神社の鎮守の森が全国各地に今も残るのも日本人が12千年にわたって小欲知足の生活を守り自然と共生してきたからではないのか。

    【鎖国のススメ】

     仮に江戸時代の鎖国に似た貿易統制を行うとしよう。
     トヨタに不都合があるだろうか?日本国内向けは日本の工場で、海外向けは世界各地の工場で変わらぬ生産を続けることができる。ユニクロは海外からの仕入れ分に関税が掛けられ国内での製品価格を上げざるを得なくなるだろう。販売量は減少し、その分、国内生産が増える。海外で精算し海外で販売する分に関しては影響がない。
     しかし、国内で生産して海外へ輸出する製品群をもつ企業が苦しくなるのは事実だろう。報復関税適用がありうる。海外へも生産拠点をもたざるを得なくなるかも知れぬが、それはそれでいいではないか。日本へもそうした企業が来れば国内生産は増え、雇用も増える。
     いずれ日本の企業は海外へ生産拠点を求めるか国内市場向けだけで縮小再生産するかの選択を迫られるだろう。品質に優れ付加価値の高いものを作る企業はしっかり生き残る。
     自国で生産できないもの、自国での生産費が極端に高くなるもののみを相応の関税をかけて輸入すればいい。

    【世界中で一番自給自足に適した国の中の北海道】

     食糧の貿易を制限し国内での自給率を上げることになれば北海道の農水産業は飛躍のチャンスである。原料供給だけではたかが知れている。加工技術を開発すべきで、北海道人はどうもその辺の努力が足りない。根室の町だって優れた加工技術があれば雇用を2倍に増やすことだってできる。基礎学力が高くないと優れた加工技術の開発ができぬことは当たり前。全国47都道府県で最低の学力の北海道で、14支庁管内最低レベルの学力ではお話にならぬ。豊かな水産資源を活かすためには、全国でもトップレベルの優秀な人材(技術と教養)が必要だ。まずは地元の子どもたちの基礎学力を高めると同時に、数少ない優秀な子どもたちを徹底的に鍛え抜こう。そのための具体的なプログラムをもつことだ。

    【資源豊かな国土と排他的経済水域を汚染するな】
     排他的経済水域を入れれば日本の主権の及ぶ範囲は世界で
    6番目だという。海に目を向けると日本は資源大国である。
     日本列島には四季があり東西南北に長い弓形をしており、自給できるものは他の国に比べても種類が圧倒的に多い。気がつくべきだ、日本が世界中で一番自給自足に適した国だということに。だから、国土や海を放射能や重金属で汚染してはならぬ。

    【縄文の価値観への回帰】

     グローバリズムに背を向けて、自然と共生しながら欲望を抑えて暮らすという生活スタイルは12千年の日本の歴史からみても流れにかなっているようにみえる。

     グローバリズムの元になっているのは宗教(プロティスタンティズム)とヨーロッパで生まれた経済学である。それは工場労働をベースにしているが本をただせば古代ローマの奴隷労働に行き着くのだろう。

     日本人がそんなものに同調する必要はない。日本人の労働観はまったく異なる。刀鍛冶の仕事始めの禊に見るように、仕事は神への捧げ物をつくるためにこそあった。だから、日本人は仕事の手を抜かぬ、神が見ているからだ。あらゆる分野・業種にさまざまな職人がいて、名工・名人と称えられる人も多く、世間の尊敬を集めている。私たちが住んでいるのは時間で測定される工場労働の社会ではなく仕事の出来で認められる職人仕事の経済社会であるのだろう。

    【経済の縮小・安定を受け入れよう】

     日本は人類史上最高速の高齢化社会に突入してしまった。すでに国内消費はターニングポイントを通り過ぎ、縮小段階にある。

     人口は1.3億人から8千万人に向かって減り続け、国内経済規模の縮小はさけられぬが、それでいいではないか。すべてを肯定的に受け入れたらいい。

    医療費と教育費はタダ、仕事は分かち合う。生活スタイルを変えられれば、人口が半分になれば食糧自給率(平成22年度生産額ベースで69%)は100%を超えるだろう。
     鎖国しても小欲知足を旨として生活するなら国民全部が仕事を分かち合い安全・安寧に暮らすことが可能だ。

    【広い視野は豊かな教養から生まれる】

     価値観の転換を伴う大きな経済社会の転換は、広い視野に立って、総合的な判断をしながら数十年に渡り努力しなければなしえないものなのだろう。

     釧路と根室の将来を広い視点で考えるためにはたしかな基礎的学力が必要である。それは昔から言われているように「読み・書き・ソロバン(計算)」能力に他ならぬ。

     全国学力テストの結果によれば北海道は47都道府県中44番目、根室は残念ながら道内14支庁管内で最低レベルにある。

     地域の子どもたちの学力を上げることが、根釧地域の将来を明るいものに変える。老パトリオットはふるさとのこの地がもっと住みよいものになってほしいと願っている。

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    *「#1735 TPP?ちょっと立ち止まって考えよう:異質な経済学の展望
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-17-1

    #1734 ブータン国王夫妻来日:「国民の95%が幸せ...屈託のない笑顔」
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-17


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    #1735 TPP?ちょっと立ち止まって考えよう:異質な経済学の展望 Nov. 17, 2011 [A4. 経済学ノート]

     TPP、TPPとかまびすしい。TPPは日本人に価値観の転換を迫っているのかも知れぬ。パラダイムシフトのいいチャンスである。過去ログと最近頼まれた原稿の下書きに書いたものを続けてアップしたい。「鎖国のススメ」である。過去の記事の他に新しいものを1~2回追加する予定だ。
    (過去の記事に1行ほど加筆・修正した)

    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31
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    #1454 異質な経済学の展望 :パラダイムシフト Mar. 31, 2011

     原発は便利である。利便性を追い求めた結果、人類が手に入れたものはたくさんある。しかし、この便利さを疑ってみる必要がないだろうか?東北関東大地震とそれによって引き起こされた津波が福島1号原発を襲った。3機の原発が火災を起こし、4機の原子炉建屋から大量の放射能がばら撒かれた。地震からすでに21日目であるが一向に終着点が見えない。

     これは3月7日に書いてそのままにしてあった小論である。いろいろ考えあぐねているのだが、私には商品経済をどの程度制限すべきかについてはいまだに整理がつかない。

     人類が生き延びるためには「過剰な利便性」を排除し、ある程度の不便を受容する経済社会が必要なのではないか。日本列島は4枚のプレートに載った不安定な構造上にある。原子力発電はそういう日本の地質学的な構造に適さない。利便性と同時に破滅的なリスクを抱えることになるからだ。そういう現実を今回わたしたちは目の当たりにし、原子力専門家の言うこと(何重にも施された安全性)が当てにならないことを思い知らされた。

     かなり不便なそして高いコストを払うことになるが、私たちは生活基本物資を国内で自給自足できる体制を創出すべきだと思う。世界各国は国内で生産・調達できない物のみ国際市場で調達すればいい。リカードの比較生産費説による国際分業を真っ向から否定することになる。スミスとリカードとマルクスは一本の線でつながっているから、マルクス経済学に取って代わる経済学を創るためには結局、スミスもリカードも否定することになるということにいまごろ気がついて、それですこし狼狽している。
     商品経済を制限し、国単位での自給自足の度合いを強め、経済縮小や人口減少を図り地球環境とのバランスを取り戻すべきで、それを実現できる経済学を提唱したい小欲知足の経済社会である。
      
      私には見果てぬ夢がある『資本論』とは異質な経済学を垣間見ることだ。まさか、リカードの『経済学及び課税の原理』まで否定することになるとは考えていなかった。
      これは試論である。浅学菲才の私には描くべき経済学の全体像がどのようなものかまだわからない、要点を整理してみようと思う。

    (1)労働概念から職人仕事概念へ
     労働は苦役だというのが西洋経済学思想の根底にある。労働はもともと奴隷や農奴のもので、苦役以外の何物でもない。特権市民は労働をしない。労働からの解放は奴隷からの解放と重なる。
     マルクスにとっては工場労働者の労働は人間疎外や苦役という観点から、奴隷や農奴の労働と変わらない。労働が苦役だという考えは古代奴隷制社会や農奴制社会に固有なものだろう。決して普遍的な概念ではない
     日本は奴隷制社会も農奴制社会も経験していないが、そのことが労働概念の違いとなっていることに日本の経済学者は誰も気がついていないようにみえる。宗教(神道)と職人仕事の関係も無視できぬ。
     日本人の労働観は西洋のそれとはまったく異なる。刀鍛冶はその年の仕事始めはをしてから刀を打つ、日本人にとって仕事は古来から神聖なものであった。あらゆる分野の仕事がさまざまな職人によってなされており、名工は尊敬されている。
     労働を私は仕事と言い換えたい。もっとはっきり言えば職人仕事*である。
     自らの仕事を「人間疎外」だなんて感じる職人は日本には一人もいないだろう。職人仕事は自己実現そのものであり、全人的な行為である。だから、工場でさまざまな改善活動が自然に起きてしまう。工場にいる職人たちは仕事の改善活動が楽しいのだ。職人が自分の技を磨くのは他からの強制ではないし、自分がそのときになしうる最高の仕事をするというのが職人仕事の基本である。日本の風土は「工場労働者」さえも職人化してしまう風土と経済も切り離しえないのだろう。
     マルクスは資本論の出発点に抽象的人間労働を措定したが、これを職人仕事に置き換えたらどのような経済学体系が展望できるのだろう。私たちはまったく違う世界をみることになる。
     とはいえ、公理的な体系である経済学の学の端緒を入れ替えて別な建物を建てるのは簡単ではない。本音を言えば最初のところから沈没しそうである。種々の概念を比較分析し、基本的なものを篩(フル)いにかけ、ついでそれらに順序をつけて、基本的な関係から順を追って複雑な関係の中のおいて、概念を発展させていかねばならぬ。つまり、うんざりするような仕事がまっているのだ。
     そもそも価値形態論は書きうるのだろうか?それとも不要なのか?それすらまだ分からぬ。やってみるしかないだろう。世界市場関係や国際関係までの道のりは遠い。誰かがやるべき仕事だろうが、正直言って私の手には余る。

    (2)経済成長論から経済縮小論への転換
     日本の歴史は400年ごとに大きく変貌を遂げてきた。平安時代から400年で武家政権の鎌倉時代へ、そして1600年の関が原の戦いで鎖国体制に入った。その後の400年は経済成長と人口増加の時代だった。2000年を境に人口縮小・経済縮小の時代に入ったのではないかというのがわたしの見方だ
     感覚の鋭い経済学者である馬場宏二氏が90年代後半から「過剰富裕化論」で縮小の経済学を説いているのは興味深い。大きな潮流の変化を感じ取っているのだろうと思う。
     遺伝子の中でどういうプログラムが働いているのかわからないが、日本人はピーク時の四分の一、人口3000万人へ縮小しつつあるのかも知れぬ。
     3000万人へ人口縮小という假説に立ってみよう。食糧の自給は可能になるし、二酸化炭素の排出量も四分の一になる。経済成長論よりも経済縮小論のメリットのほうがはるかに大きいのではないだろうか。
     EEZ(排他的経済水域)内には現在の人口でも100年分のメタンハイドレートが眠っているし、レアメタルも海底に無尽蔵にある。巧く人口を減らせれば、資源は500年でも1000年でももたせることができる。その間に人類が生存可能なように智慧を絞ればいい。
     人口減経済縮小環境に負荷のかからない生活様式への切り替を世界に先駆けて日本人がやる。おそらくそうすることでしか世界は救えない。古代奴隷制社会や農奴制社会を経験した欧米の国民やロシア人や中国人にはこのような役割を期待できない。労働に関する価値観や商道徳が違うからだ。
     縮小経済論は特殊日本的なものでありながら世界経済へ普遍性をもつものとなるだろう

    (3)商道徳
     自由放任で神の見えざる手が働くというのがスミス『諸国民の富』の説くところであったが、地球環境的にも行き詰まりである。レッセフェール(laissez-faire=自由放任)に対して私利私欲を棄て、三方善しの経済を対置する。原始仏教の小欲知足という考えや自然と調和して1万2千年過ごしてきた縄文の価値観とも通底する。

     人間は自らの欲望を理性でコントロールしなければならない時代に入っている。日本人は特有の商道徳の実践で強欲を戒めてきた世界に類のない国民である「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」の商道徳は広く受け入れられて、様々な企業で家訓や社訓として受け継がれてきた。
     日本には信用を旨とし、200年以上の歴史を誇る企業が多い。世界中にある200年以上の歴史を誇る企業のおおよそ80%は日本にあると言われている。住友家の家訓の一つ「浮利を追わず」というような企業理念をもつ会社が日本には多い。
     だまされるほうが悪いという西洋流の無軌道な弱肉強食のルールは日本には合わないし、そういう考えの企業は一時的に反映してもあだ花に終わり永続できない。
     そもそも地球環境の維持ができないほどの経済発展は「三方善し」の考えに立てば、「世間善し」とはならないから、やってはいけない事柄に属する。自らの欲望を固く閉じ込めなけらばならないのだが、日本人にはそれが可能だ
     この点でも特殊日本的な職人主義経済は世界経済への普遍性をもつことになる。

    (4)宗教と経済
     プロティスタンティズムと資本主義の精神という本があるくらいだから、近代資本主義とプロティスタンティズムは関係が深い。ジョンロックの思想やスミスを研究することで論証できるだろう。もちろん、マックスウェーバーの著作もだ。
     イスラム世界はまた違った思想で経済が動いている。ユダヤ教も然り。これら三つの宗教に共通するのは啓典宗教ということと、もともと同じ神を信仰しているということだろう。預言者が違うというだけのことで、お互いに自分が正しいと言い募っている。

     日本は多神教の世界である。自然界のあらゆるものに神が宿っていると考えている。古代奴隷制も農奴社会も経験していない。必要以上に収穫をせず、自然と調和する生活を縄文時代1万年にわたって続けてきた100万人の人口があった江戸すらも当時の技術で自然と可能な限り調和を求めた社会ではなかっただろうか。上下水道や糞尿処理の違いを比べてみるのも一興である。
     縄文期の暇つぶしのための縄文土器造りや神への捧げ物とつくる仕事が原点にあるのではないだろうか。
     多神教という意味では、ヒンズー教のインドへの興味もわく。そして仏教はユダヤ教やキリスト教やイスラム教が宗教という意味での宗教ではなく、哲学である。人間がいかに欲望を抑えるかということを繰り返し説いている。私は小欲知足という言葉を使いたい。
     ネパール、チベット、ブータンなどの国々が日本と似ている。ネパールはヒンズー教が8割、仏教が2割のユニークな国である。仏教徒は欲望をコントロールする術を知っている。お釈迦様は欲望を離れることを繰り返し述べておられる。苦は欲望の火から生まれる。無明を脱するためにその火を消しつくすことを繰り返し述べれおられる。涅槃=やすらぎは理性による本能の制御によってもたらされるのだろう。

     小欲知足。必要なもの以上を自然から収奪しない、つまり商品経済社会ではない経済社会を描くことになる。しかし、現実はツギハギになる。いや、商品経済社会そのものを制限するか止揚しなければならないのだろう。この辺りも大きな問題を孕んでいそうだ。
     
    *#484 「国民の95%が幸せ…屈託のない笑顔(ブータン)」
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-01-11-1

    (5)政治形態
     経済と政治形態は切り離しがたいのではないだろうかという疑問が私にはある。近代資本主義と民主主義、マルクス経済学と共産主義や社会主義。職人主義経済もそれにふさわしい政治形態があるのではないだろうか。漠然としたイメージがあるだけだ。

     おおよそ、以上のような五つの要素を土台にして新しい経済学が展望できれば本望である。マルクス『資本論』のように経済学体系として一つの書物を書き切ることはできないだろうが、要点を記述するぐらいのことは私にも可能だろう。現段階ではそう考えている。
     もちろん、他の誰かがやってくれてもいい。誰がやるというよりも、仕事の結果が大事だ。行き詰まりを迎えている人類を救う経済理論が生まれなければならぬ、そういう大きな転換期に来ている。これから400年間日本経済の理論的支柱となるべき経済学である。日本が率先してやって見せ、世界へ範を示せばいい。いいものは広がり、普遍性を獲得する

     カテゴリー「経済学ノート」は新しい経済学体系を創造するための試行錯誤である。いくつかの職人仕事についてはすでに何度か書いた。伝統的な商道徳や200年を超える歴史をもつ企業についても。これらは日本経済を理解する上で、そして西洋経済学へのアンチテーゼとして重要な鍵であると私は考える。


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    *職人仕事について
     ドイツのマイスター制度に代表されるように、ヨーロッパにも職人仕事の伝統はある。ドイツばかりでなくイタリアにも、広くヨーロッパにも存在している。そういう点から見ると日本の職人仕事は普遍的な広がりをもつもののようだ。
     そして奴隷労働も時代と地域で様々であることを古代ローマや古代ギリシアの専門家であるEさんが数ヶ月前にメールで指摘してくれた。どのように取り扱ったものかと考えあぐねている。
     ひとつ違うところを言えば神道とのつながりがあるところだろう。神への捧げ物を作るというところに日本人の職人仕事の原点があるように思える。

    #1689 経済格差解消の先にあるもの:馬場宏二先生と過剰富裕化論 Oct. 16, 2011 [A4. 経済学ノート]

      馬場宏二氏は過剰富裕化論の中で「経済的平等」について触れている。発展途上国が経済格差解消を求めてそれが実現できたと假定してみれば、その非現実性が理解できるというのだ。
      発展途上国の国民が米国並みの生活水準を維持するためには、世界経済が現状の数倍という途方もない規模にならなければならず、有限な地球環境はそのような負荷に耐えられない。
      マルサスの人口論の焼き直しのような単純な説だが、彼は学者だから宇野シューレの一人として原理論を踏まえて段階論として位置づけるにはそれなりの体系化への苦労があった。
     ところが幼児のごとき素直さで事実(現象)を見れば宇野三段階論にとらわれる必要などまったくない。何かにとらわれると思考の自由さを失い、先達の理論的枠組みでしか現象を考えられなくなるものらしい。
      指摘していることは私には当たり前のことのように見えるが、宇野シューレ内部での反応はほとんどないに等しかったようで、それが彼を落胆させた。お師匠さん(宇野弘蔵)の理論的枠組みでしか考えられない学派のメンバーはマルサス人口論を焼き直して(宇野)段階論に接木したような無邪気な過剰富裕化論に驚き、拒絶反応を起こしたのだろう。
     だが馬場氏は本気だった、過剰富裕化論は宇野三段階論を踏まえながらもマルクスが予想もしなかった視点から資本主義の終焉を謳ったことでたしかにお師匠さんの発想を超えている
     部外者ゆえに(?)わたしは彼の業績を素直に認めることができる。

     ヨーロッパで始まった経済格差解消を叫ぶ声はインターネットを介して米国に飛び火し、ウォール街では連日デモが続いている。米国では強欲な金融機関救済のための大規模な財政支出の穴埋めに増税がなされようとしているが、そういう経済のあり方そのものに対する異議申し立てがデモとなって現れている。
     ここでもまた、マルクスも馬場氏も予想できなかったやり方で、強欲な米国式資本主義への異議申し立て・反乱が世界各地に起きている。現実は常に経験科学としての経済学の予想の範囲を越えてしまうもののようだ。

     さて、紆余曲折をへて経済格差解消に世界中が向かったとして、世界の経済や地球環境はどうなるのだろう。先進国の人口は8億人だから、13億人の中国や12億人のインドが米国並みの生活水準を達成したときのことを想像してほしい。それらにロシアやブラジルも加わったら世界の経済規模は4倍5倍になる、馬場宏二氏が問題にしたのはそこのところである。
     彼が言うように、地球環境そのものが壊れてしまうだろう。いや、地球が壊れるのではなく、人類が地上から消え去ることになるのだろう。

     レッセフェール(自由放任)による欲望の無限増殖の時代は終わった。生産力や経済にタガをはめるべき時代を迎えており、欲望を抑える倫理をもてるかどうかに人類の生存がかかっている。

     日本には「足るを知る」といういい言葉がある、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という商道徳もある。そういう特殊日本的な価値感が国際的な普遍性をもちうる時代になったということだろう。

     官の特権を廃し、官と民との格差を解消し、働く時間を分かち合うことで若者に仕事の場を与え、みんなが質素に暮らすときを迎えている。
     馬場氏自身は「人類存続のためには先進諸国で消費水準の大幅低下が不可欠」と断じた。こういうことを正面から論じた経済学者はいない。

     私は馬場先生の謦咳に接したことはないのだが、宇野理論という枠にとらわれながらも過剰富裕化論という独自の理論(当たり前のことを素直に述べたに過ぎないのだが・・・)を展開した功績は大きいと思う。

    (誤解のないように補足すると、わたしは経済学徒としてマルクスの労働観に根本的な疑問を抱いており、(日本的)職人主義仕事観を対置してまったく異なる経済学が叙述しうると考えている。だから、マルクスの労働観に疑問をもたない既存のマルクス主義経済学のどの理論にも根源的な違和感をもっており、とくに宇野理論及びそのシューレにのみ違和感をもつ者ではないことお断りしておきたい。
     もち続けていた漠然とした違和感の正体は民間企業での二十数年の仕事の経験をへなければつかめなかった。大学院で経済学研究を続けても違和感の正体はつかめないという直感があり私は素直にそれに従った。こういうときは考えても無駄だから、先の見えないまま行動するのがあとから見ると最短距離を歩むことになっているものだ。私は業種を変えて何度か転職を繰り返して実験してみたが、仕事でマルクスが言うような意味での疎外感を感じたことは一度もなかったし、企業で働いているほとんどの日本人が私と同様に感じていると思う。したがって、マルクスの労働観では日本の現実を説明できない、いまは確信をもってそう言い切ることができる。大学に残っていたらついにつかめなかった、あそこが運命の分かれ道で、離れるしかなかったのである。
     本社管理部門で経営や統合システム開発に携わることが多かったが、経営もSEも会社で発生する仕事の多くはセンスとスキルを要求するもの、そういう意味では事務職といえども専門職人であり、日々センスとスキルを磨いてこそ、仕事を通じて大きなステージで自己実現、自己表現が可能になるのは当たり前のことだ。マルクスの想定する疎外された(工場)労働とはまったく違う"職人仕事"の世界があった。
     日本には業種の数の数十倍もの種類の職人がいるが、職人がマルクスの想定した工場労働者のような労働疎外を感じることはないだろう。マルクス経済学者や共産党のメンバーだけが労働疎外を感じているのだとすればおかしな話である。
     十数年民間企業で仕事に没頭すればアカディミックな世界の先生たちも私と違和感を共有できるのではないだろうか。ありていに言えば、日本のアカディミズムは労働を頭の中でだけ考えて、自らの身体を通して日本人の普通の仕事を理解していないといわざるを得ない。他人の考えをコピーしているだけで、"地頭"で考えていないように見える。いいすぎだろうか?)

     闘病生活を続けていた馬場宏二氏がお亡くなりになったというメールが昨日届いた。ご冥福をお祈りする。
     遺作となったのは4月に出版した『宇野理論とアメリカ資本主義』である。経済学部以外の学生が読むには難解な専門書だろうが、経済学に興味のある人にはぜひ読んでもらいたい本である。
      著者はこの本の最後の2章を過剰富裕化論に充てている。「第四部 過剰富裕化論の徹底」「第18章 経済成長再考」「第19章 資本主義の自滅」で人類の近未来に警鐘を鳴らしている。
     477ページから引用して、孤独に耐えて自説を展開した先達に、哀悼の意を表する。
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    1 極めてありそうな、必然の経路
     金儲け=資本蓄積に則った、世界規模での経済拡大の持続⇒過剰富裕化の昂進⇒自然環境・社会・種としての人間の、徹底的破壊⇒近代文明の崩壊と人類の滅亡⇒担い手の消滅による資本主義の消滅

    2 これよりは望ましいが、実現不可能な経路
     人類による危機の自覚⇒資本主義の抑制⇒生活水準の引き下げと戦争放棄⇒社会・産業・経済機構の大変革⇒収縮経済の定着と連帯的社会制度の世界化⇒世界社会主義化⇒資本主義からの根本的離脱⇒人類存続の可能性
     実現可能性と言えば2は問題にならない。人類は、子孫存続のために当面の生活水準を大幅に切り下げようと合意するほど理性的ではなく、仮にその合意が出来たとしてももはや遅いかもしれない。だからこの経路は思考実験として考えられるだけである。以下に1の必然の経路を三つの論拠から示す。
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    宇野理論とアメリカ資本主義

    宇野理論とアメリカ資本主義

    • 作者: 馬場 宏二
    • 出版社/メーカー: 御茶の水書房
    • 発売日: 2011/04
    • メディア: 単行本

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     #1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」 Aug. 5, 2010 
        http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2

     #1158 「過剰富裕化論(2):過剰富裕化とは何か」 Aug. 12, 2010
      http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-12

     #1162 「過剰富裕化論(3): 経済学部を目指す高校生へ」 Aug. 16, 2010 
      http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

     #1164 「過剰富裕化論(4):人類史上最短労働時間の社会への道」 Aug. 18, 2010 
      http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-18

      #1165 「過剰富裕化論(5):節度ある明るい未来」 Aug. 19, 2010
      
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-19 

     #1182 民主党代表選挙と国家財政の現状:過剰富裕化論  Sunday, Aug. 29, 2010 
      
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-29


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    *「反ウォール街デモ、世界に波及 ローマで一部暴徒化 格差是正、脱原発… 多様な不満表明」日経新聞
    http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE3E7E2E69C8DE3E7E3E2E0E2E3E39494EAE2E2E2

    「【ロンドン=松崎雄典】「ウォール街を占領せよ」の掛け声の下、経済格差の解消などを求める抗議行動が15日、アジアや欧州にも波及した。香港や台湾、韓国など各地で数百人から千人超が集結。債務危機に直面する南欧では政府の緊縮財政がやり玉に挙がったほか、アジアでも原子力発電所の全廃や外国人労働者の権利擁護など要求内容は幅広く、多様な不満を表明する場になった。
    ・・・以下省略」



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