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#2742 藤原直哉(前編):物価と景気動向⇒二番底が来る July 21, 2014 [A4. 経済学ノート]

 経済アナリストの藤原直哉氏が18日のビジネス展望で「日本生成に求めるもの」というタイトルで8分間ほど喋っていた。大きく分けて論点は5つ、初回は三つに絞って紹介し、次回に残り二つをとりあげたい。

1.現状分析
 食料品、賃金コスト上昇、高速料金・ガソリン・軽油・重油高など諸物価が高騰している。国民は物価高にあえぎ、地域経済の主体である中小企業はコストアップ分を全額価格転嫁できているところはほとんどない。東京の企業社と地方の企業の業績格差が大きくなりつつある。

(1)facts
 ■ 消費者物価上昇率は3% ⇔ 日銀の目標値は2%
 ■ 企業間物価市指数は4%
 ■ 東京は活発に動いている企業があるが、地域経済は厳しさを増している

 インフレ局面下で日銀のとるべき政策は金融引き締めである。そんなことは中学校の公民の教科書にも書いてあるほど当たり前のことで、マネーの流通量を減らし、金利を上げるのが常套手段である。
 物価上昇率はすでに日銀の目標値を上回っているのだから、日銀は金利を上げて物価抑制すべきである。その際にとるべき手段は三つ。
 ① 国債、株式、不動産投資信託の買い入れをやめる
 ② 異次元の金融緩和をやめる
 ③ 金利を上げる

 この三つをやったら、じつはアベノミクスは幻想で経済実態は何も改善されていないことが明るみに出てしまう。
 買い手を失った国債が大暴落しかねないリスクを孕むし、株価も不動産価格も下落はまぬがれない。アベノミクスで景気がよくなったという説明をしているので、化けの皮がはがれてしまっては都合が悪い。
 政府は10月に消費税値上げ(10%へ)を決めたいという思惑で9月までは景気がよいという演出をしているというのが藤原氏の見方である。

 海外へ生産拠点を移した企業は国内回帰を考えているところが少なくないという。この点については理由についての説明がなかった。何か具体的な根拠があるのだろう。
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< 職人主義経済学 >
 ebisuは鎖国(強い管理貿易)によって、生産拠点を日本へ戻すことを提唱している。貿易は自国で生産できない物資やシステムあるいは自国で生産することが著しく困難な物資やシステムに限定する。そのほうが世界各国の国民が自国内に安定した雇用の場を確保できて幸せに暮らせる。ものをつくるのは「労働」ではない、仕事だ。スキルを磨き上げることで自分の「能力の進化・発展」を確認できて、仕事自体が楽しいものになる。スキルが上がれば生産物のできばえや使い勝手がよくなる。同じ生産物なら安心安全で美しい・おいしい方がいい。
 先進国が発展途上国へ工業製品の生産システムや農水産物の生産や加工に関するシステムを供給するようになる。コストの安い国へ生産拠点を移して最終製品を取引するという貿易形態が一変する
 鎖国は国内に安定した正社員の雇用を増やすためだ。貿易量を制限し、自国内で生産技術を伝承していく。小規模多品種生産を基調とする世界、物を修理しながら大事に使う社会、廃棄物の少ない社会、学歴ばかりが大事ではなく手仕事を磨くことでも社会の尊敬を得られる経済社会、そしてエネルギー消費の少ない社会、それらを労働価値説に基く古典派経済学とマルクス経済学に対置して'職人主義経済学'と名づけた。
 企業規模で言うと、30~100人程度の規模の中小企業群が主体の経済構造になる。競争において企業規模大きいことすなわち大企業はさしたる意味がなくなり、現在もっている圧倒的優位性を失っていく。
 技術レベルの高い者たちが集まることで優良な企業ができる。そしてその集団は技術を磨き次の世代へと技術を伝承していくことで、社会教育機関としても重要な役割を果たすことになる。
 高い学力と運だけがものをいう社会ではなく、マジメに技術を磨くことが安定した生活につながる経済社会となる。
 A.Smith、D.Ricard, K.Marx、この三人の労働価値説の巨人達をようやく乗り越えられた気がする。高校2年16歳の夏に『資本論』を読んだときに抱いたモヤモヤがようやく晴れた。49年の歳月が流れた。

< 価値観の転換 >
  小欲知足
 売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし
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 日曜日のテレビ番組を見ていたら、西の離島のイカ漁がとりあがられていた。イカ漁は船の左右に照明をたくさんぶら下げ、ライトを時間差をおいて点滅させることでイカを捕獲するのだが、照明に燃料費がかかる。高価なLED電球に切り替えが進んでいるが、旧式のライトのままの漁船も多い。その漁師さんの説明では燃料費がコストの3割を占めるという。燃料のA重油が1年間で2割ほど値上がりし、イカが不漁だとコスト割れだ。離島は全国平均よりもA重油の価格が高い。コストはアップしても資源量が増えることはない。
 運送業の人(トレック運転手)も取材されていた。やはり軽油が値上がりして利幅が小さくなって経営が苦しいという。地方の中小・零細企業にはコストアップがじわじわ利いてきている。景気がよいなどといえるような状況ではない。

(2)米国の影響力低下
 米国は利上げを示唆しているのだが、それでも円高ドル安のままで政策的にドル高誘導できなくなっている。いままでは、米国の利上げ観測が出るとドル買いが起こり、ドル高・円安になった。米国経済が地盤沈下しつつある。

(3)2014年は二番底が来る年
 1932年の世界恐慌から5年後に相場下落の二番底があり、その後第二次世界大戦へと進んでいった。
 1992年に日本の株価が大暴落したあと、五年後に二度目の大暴落があり、国内金融機関が多数潰れた。
 リーマンショックのあと2009年3月に一番底があり、それから五年後の今年は二番底を迎える年回り。今回は世界同時に起きる。二番底は政府が市場経済を支えきれなくなって相場が下がるので、根本的に政治体制にも大きな変化が生ずる。世界同時だから根本的に現在のさまざまなシステムが変わると考えるべき。

 日本に焦点を当てると、滋賀県知事選挙で過去1年半の安倍政権の評価がでてしまっている。自民党支持層よりも無党派層のほうが多い。多くの国民が既成政党に飽き飽きしている。政治も経済も安倍政権では行き詰まりを見せて、二番底前夜の状況ができあがってしまっているというのが、藤原氏の意見だ。


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*#2731 10年間で33%農業人口が減少している日本の農業 July 11, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-11

 #2729 年金基金の運用資産が130兆円から210兆円に増える:危うい株式投資 July 9, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-08

 #2715 GPIFの株購入と銀行保有リスク資産に関わるBIS規制変更 June 25, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-25

 #2702 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"③:公務員は別扱い June 10, 2014   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-10

 #2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

 #2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-06

*#2693 鎖国をして国内雇用を確保しよう May 31, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-31

 #2669  成長戦略:規制緩和を考える May 7, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-05

 #2660 庶民の物価感覚 : 消費は落ち込む Apr. 27, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-27

  #2643 職人仕事を中心に据えた経済学の創造(3) Apr. 13, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-13

 
#2634 職人仕事を中心に据えた経済学の創造(2) Apr.7, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-06

 #2631 職人仕事を中心に据えた経済学の創造(1) Mar. 31, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-03-30-1

 #2561 物価上昇なんて経済政策はありえない話だ:経済アナリスト藤原直哉 Jan. 10, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-10

 #2245  円安はそんなにいいことか? Mar. 17, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17

 #2627 消費税引き上げ+物価上昇>所得増加:三番目の矢はない  Mar. 22, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-03-21-2

 #2565 人口減少社会を問ふ(2) Jan. 17, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-17

 #2564 人口減少社会を問ふ(1) Jan. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-16

 #2561 物価上昇なんて経済政策はありえない話だ:経済アナリスト藤原直哉 Jan. 10, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-10

 #2554 「日本の経常収支と円を考える」 東洋大教授・中北徹の論 Jan. 3, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-03

 #2549 アベノミクス批判 (2):内橋克人 Dec.31, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-12-31

 #2543 インフレと自己責任:リスク増大へ対処の方法はあるか? Dec. 27, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-12-27

 #2540 アベノミクス批判(1):『世界8月号』伊藤光晴論文 Dec. 23, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-12-23

*#2523 アベノミクスの行く末: 日本総研調査部長の論点 Dec. 9, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-12-09

 #2502 アベノミクスと企業経営 Nov. 18, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-17-3

 #2430 手詰まりの安倍首相 ついに消費税引き上げ決意表明 Oct. 2, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-02

  #2401 消費税値上げ延期なら国債価格は下落 Failure to raise sales tax 'could hurt bond prices' Sep. 9, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-09-09

  #2388 アベノミクス:雇用規制改革の正体 Aug. 30, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-30

  #2385 TPPは再び植民地化を招く:マハティール元首相 Aug. 28, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-28

  #2376 貿易赤字13ヶ月連続 7月最大の1兆240億円 Aug. 20, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-20

  #2329 アベノミクス:ナカミがないのに財政健全化を約束 Jun. 12, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-13

  #2321 株価暴落はどこまで続くのか?:とりあえずの目安は11,250円 Jun. 4, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-04-1

  #2311 どうにも解せぬこと ミャンマーへ債務免除 : プライマリーバランスの回復はするつもりがない? May 26, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-05-26-1

  #2309 Nikkei dives 7%, ends below 14,500 : May 25, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-05-25

  #2298 アベノミクスの罪:日経平均15,096.03円 May 16, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-05-16

  #2270 人口減少の衝撃: 2040年の日本の人口は1億727万人:"Japan's depopulation time bomb" : Apr. 21, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-22

  #2256 マネタリーベース270兆円へ拡大:亡国の決断 Apr. 6, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06

  #2245  円安はそんなにいいことか? Mar. 17, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17

  #2185 各論(3):'Abenomics' Jan. 24, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-24

 #2170 各論(2):貿易収支赤字転落⇒? Jan. 3, 2013 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-04

  #2169 各論(1):国債暴落の可能性とその影響 Jan.2, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-02

 2168 歴史認識を欠いた安倍新政権の歴史的役割(2):蔵相高橋是清暗殺 Dec. 31, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-31-1

 #2164 歴史認識を欠いた安倍新政権の歴史的役割は何? 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-28

 #2158 自民党圧勝294されど第2の危機民主党惨敗  Dec.17, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-18

 #2144 成長路線と金融緩和の罠 : 衆院選挙でナイトメアがはじまる 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-11-30

 #1828 ゼロ金利の罠: Fed targets and transparency Feb. 3, 2012
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-03

 #829 国家財政破綻の瀬戸際  Dec.12, 2009
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-12-12

 #346 これから10年間の日本経済のシナリオ
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10 

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#2508 JR北海道 レール検査データ改竄と賃労働 Nov. 22, 2013 [A4. 経済学ノート]

 今日(11/22)野島JR北海道社長が国会喚問されている。8保線区でレール検査データの改竄がなされていたと認めた。厚岸保線区もそのなかに含まれているから、これでは花咲線に安心して乗れない。お客様の信頼を裏切るような仕事をしてはならぬ。仕事は徹底的に誠実に、徹底的に正直にやるべし。

 昔から組合活動が活発だったから、労働に関する考え方がおかしいのではないだろうか?労働を賃労働と考えると、時間で働いているという感覚に陥る。

 労働の質×労働強度×時間=労働量

 とすると、労働時間を勝手に変えることはできないから、労働の質や労働強度を下げることが自分の得になるような感覚が生まれるのではないだろうか。
 変数の一つである労働の質については異論があるかもしれない。質の高いベテランの技は無駄がないから、労働強度を変えずにアウトプット数量を増やせることを想像いただきたい。もちろん、同じアウトプット量で高品質の製品という想定もありうるから、そういう前提では労働の質の高度化は産出量を変えないことになるのだろう。

( マルクスは労働の質的差異を捨象(無視)して、その経済学体系の端緒に抽象的人間労働をおいた。それは工場労働者の労働を想定したものだった。そこにマルクス経済学の、そしてケネーやA.スミス以来の古典派経済学の、そして欧米の経済学の限界を見ると同時に職人仕事観をベースにした日本的な価値観にもとづく経済学が展望できる。それは人類を救う経済学であり、グローバリズムに対立するものだ。貿易は比較生産費説でするのではない、自国で作りえないものを各国が輸入すれば、雇用が確保できる。正規雇用割合の高い安定した経済社会を創ればいい。)

 NHKのBS放送だったか、ロシアの農場の作業風景が紹介されていたことがあった。農場労働者の勤労意欲は低く、経営者が見ていなければサボり放題で、しまいにはウォッカを隠れのみして酔っ払って赤い顔をしている。経営者が嘆く、中国人のほうが働くと。
 農地を有償で借りて中国人が耕作すると、作物を何度かとったあとは土が痩せて荒地になる。するとまた別の農地を借りて同じことを繰り返す。そういう番組だった。

 同じ仕事をやっても、ロシア人と日本人ではまったく違う。日本人にとって仕事は本来神聖なものであり、あらゆる仕事が職人仕事、したがって、賃労働ではない。最高の技術でつくられたものが、八百万の神々へ捧げられる。神々への捧げ物をつくるのに手抜きをする日本人はいない。こうして仕事は神聖なものだという共通の価値観、感覚が生まれた。

 職人は自分の道具(生産手段)をもち、いつでもそのときに己のもつ技倆の最高点で仕事をし、決して手を抜かない。そして、日々技倆を高めるために工夫と努力を重ねる。他人が見ていなければ手を抜くなんて奴は半端職人だ。誰がみていてもいなくても、仕事の手は決して抜かない、それが一人前の職人の仕事である。
 一日の仕事が終わると、心地よい疲れと深い満足がある。

 JR北海道の職員は哀れな賃労働に明け暮れてきたのではないのか?マルクス『資本論』の労働観で仕事をしているのではないか?労働強度を下げるために、レール検査データを改竄し、手を抜き、やるべき労働量を減らしているように見える。そうしたことを日々繰り返していたら、労働の質もいつしか最低レベルになってしまう。

 同じことは学校の先生にも言えないか?授業の手抜きをすれば労働強度は簡単に下げられる。授業の質を上げれば生徒の学力はいくらでも上げられると秋田県の教育関係者が証言している。秋田の先生たちの授業の技術レベルが高いから、秋田県は学力テストで最高点を取り続けることができる。(読売新聞「No.1848 教育ルネサンス」「他県でも教員のレベルアップを考えてはどうか」)
*「大学受験と高校受験と教育ブログ」
http://maruta.be/gakusyu/1087


 教育の職人としての誇りを取り戻せば、北海道の子どもたちの学力を上げられるのではないか?

 JR北海道も小中学校の教員の皆さんも、マルクスの賃労働観から早々に脱却して、教育の職人としての誇りを取り戻してもらいたい。教員同士ですぐれた技術の共有に努め、日々の授業を通じて教える技倆を磨けばよい。

 仕事は正直に、誠実に、渾身の力で成し遂げよう。
 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」
 自分だけよければいいなんて情けない考えは棄てよう。



*#2502 アベノミクスと企業経営 Nov. 18, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-17-3


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#2437 経済学と人間の幸せ(2):中野孝次と馬場宏二の説をめぐって  Oct. 6, 2013 [A4. 経済学ノート]

 秋晴れ、空気は幾分冷たくなった、朝の気温は14度くらいだっただろう。サイクリング日和だ。

 前回のブログ#2436で「小欲知足」という価値観の共有が新しい経済学を拓く鍵だと書いた、この論点は繰り返し弊ブログで述べてきているもの。
 『清貧の思想』の著者中野孝次に『足るを知る』という作品があるが、その中に「1 自足のすすめ」というのがある。そこに次の指摘があるので、少し長いが引用して紹介したい。

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・・・
 だが、過去五十年の日本では、なるべく骨折らないで望むものを手に入れたいという風潮が支配的で、努力などという言葉はなんとなくやぼったい、冴えないひびきしか発しない語になっている。
 そういう言葉がいくつもある。わたしがここで取り上げようとする知足(ちそく)もその一つで、知足すなわち足るを知るとは自分の欲望を制し、いい加減なところで満足するくらいの意味にしか、今はとられていない。要するに不景気な言葉なのである。
 だが、もしかすると21世紀の地球上の人間にとってこれは最も大事な生きる上で中心になる徳目かもしれないのである。それは、地球環境の悪化がこれ以上見過ごせない状況になっているとか、地球上のマーケットがどこも飽和状態に達し、これ以上無限の生産向上は不可能で、従って経済は今後ずっと成長に慣れてゆかねばならぬだろうとか、そういう地球を囲む条件が変ったせいもむろんある。ともかく、第二次世界大戦の終わった1945年以降ずっとつづいた大量生産=大量消費=大量廃棄による経済発展は、20世紀の終わりとともに終わりに来た。今後は低成長、横ばい経済、すなわちいま不景気といわれている状態がずっとつづくと覚悟しなければならない以上、人の生き方もそれに応じて変わらなければならない道理だ。
 が、それだけでなく、物の生産と消費、物価の獲得と所有、科学技術による果てしない進歩の幻想の上に成立っていた21世紀の生き方は、それだけでは人々に幸福をもたらさないことがはっきりした。限度を知らぬ物の所有欲、快適と便利の追求とは違う原理が、今求められている。その原理の一つが、知足という心掛けではないか、とわたしは思うのである。「足るを知る」、それはたんに欲望を抑えるというだけではなく、もっと積極的により深い生の充実に達するための知恵だと思う。
    (11-12ページより)

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 このあとに中野は、加藤祥造著『タオ―老子』から詩の一節を引いている。少しずつ紹介してみたい。

 『足るを知る』は2004年に初版が出ている、すごいと思う。
 こういうことを真正面から取り上げた経済学者は過剰富裕化論の提唱者である馬場宏二氏であり、すでに弊ブログで何度もとりあげている。
 過剰富裕化論の賛同者は経済学者では青森大学経営学部長の戸塚茂雄氏とほかに数名のみ。馬場氏は宇野弘蔵のシューレ(学派)に属しているが、かれは宇野の三段階論を踏襲しながら、過剰富裕化論によってその枠をはみ出したことをあまり意識していなかったように見える。
 過剰富裕化を生み出しつつ生産力の発展で人類はその棲息環境を破壊し滅亡することになると、あたらしい資本主義終末論を説いたのである。従来は資本主義の終焉は恐慌論の分野だった。リーマンショックでも資本主義はつぶれなかったし、金融ディバリイブ商品が実体経済の数百倍に膨らんだままで、米国も日本も同時にゼロ金利と量的緩和をやっているから、リーマンショックとは比べものにならぬ恐慌が起きるのだろう、しかし、それでも資本主義経済はつぶれない。
 だからこそ、過剰富裕化論は資本主義終焉を今までにない観点から説いているのでノーベル経済学賞を受賞してもいいぐらいの新説である。生産力の発展だけならマルサスがいるが、過剰富裕化論という視点が新しい。

 別の角度からすこしだけ説明をしておきたい。宇野氏はマルクスの『経済学批判要綱』(通称"グルントリッセ")を読んでいない、当時は出版されていないのだから仕方のないことであるが、この本を読めば、流通過程分析で経済学的諸概念がどのような過程を経て洗練され、相互の関係が整理され、体系化されていったかを知ることができたのかもしれない。それは演繹的な体系で、ユークリッドの『原論』と類似の構造をもっている。
 宇野氏の「経済学原理論」は厳密にいうと宇野経済学であって、『資本論』とは異なる構造をもった経済学体系となってしまった。自己完結したユニークで精緻な学説ということはできる。
 『資本論』を読んでそれが演繹的な体系だということに気づかなかったところに宇野氏の経済学者としての限界が現れているが、「宇野理論」から入っていった宇野シューレの面々は思考停止に陥り、理論の拡張と整合性を確保に腐心したように見える。結果として、このシューレは日本経済や人類の未来に何らかの寄与があっただろうか、わたしは疑問を抱かざるを得ない

 『資本論』が経済学的諸概念の演繹的体系であることに気がつかなかっただけではない。宇野氏はマルクスの経済学理論が奴隷や農奴に端を発する労働概念をその土台に据えており、日本人の伝統的な職人仕事観とまったく相容れないものであることにも気がつかなかった。
 宇野氏は日本人の仕事観や仕事に対するメンタリティ、商道徳水準の高さに気がつくことがなかった。だから日本人のすぐれた資質、倫理観、職人仕事観をベースに、資本主義経済を乗り越えるユニークな経済学の芽があることにも気がつかなかったのだろう。頭でっかちで足元の日本の現実をみない経済学説であった

 宇野派に属していながら馬場氏は米国の現実も日本の現実も直視して、人類が生存できないほど生産力が発展し地球環境を破壊するだろ結論に至った。『宇野理論とアメリカ資本主義』は493ページの大著であり2011年3月に出版されているが、その中に「第四部 過剰富裕化論の徹底」が収められている。

 馬場宏二の過剰富裕化論は突き詰めていくと二つの選択肢へと漂着する。馬場氏はその一方の人類滅亡のほうへと進んでいることを憂えながら亡くなった。
 しかし、もう一つの選択肢があるとわたしは考える。それは日本的仕事観と小欲知足への価値観へのパラダイムシフトによる抑制された新しい経済学の展開である。どちらを選択しても宇野理論は根底から崩れざるをえない
 過剰富裕化論を提唱した馬場氏への学は内部のネグレクト(無視)は、シューレそのものの崩壊へと進みかねない危険を感じ取ったからだろう。

 幸いなことに中野孝次は経済学者ではないから特定の経済学派に所属していない、それゆえ特定の経済学説にとらわれない透明な精神で経済の現状をしっかりみており、「足るを知る」ことが21世紀の経済学の鍵であるとはっきり書いた

 馬場氏は人類の未来に深い絶望感を抱いたまま亡くなった。ebisuは「小欲知足」が21世紀の新しい経済学の鍵であると確信している。中野孝次という先達がいたことを発見して力強く思う

 お二人ともすでに故人である、馬場氏には青森大学の戸塚教授を介してお会いするチャンスがあったのだが、わたしが胃癌を患ったあと体調の管理にまごついている間に、馬場先生が胃癌を発症してさっと逝かれてしまった。

 戸塚教授が馬場先生から後事を託され、亡くなった後に監修して出版した馬場宏二著『神長倉真民(かみはせくらまたみ)論』という本があるが、一冊いただいた。いかにも学者らしい資料の追及と分析の本である。馬場先生の学風、研究スタイルを惜しみなく公開してくれている。大学院への進学を考えている人には読むべき価値のある本である。
 すぐれた研究ではあるが、このような専門性の高い学術書は読者が限定される。馬場夫人が費用の一部を負担して出版にこぎつけたという。わたしはこの本を監修者の戸塚教授からいただいたのだが、スポンサーは奥様であるというメールをもらっていたので、手紙で礼状を出しておいた。数ヶ月経ち、奥様からお手紙をいただいた。
 体調を崩されて返事がかけなかったことが綴られていた。ご自愛いただき、馬場先生の分も長生きされて日本経済の行く末を見守っていただきたい。

 中野孝次、馬場宏二、お二人の先生のご冥福を祈ります。

足るを知る  自足して生きる喜び (朝日文庫)

足るを知る 自足して生きる喜び (朝日文庫)

  • 作者: 中野 孝次
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2004/07/10
  • メディア: 文庫



 『神長谷倉真民』馬場宏二著 開成出版 2013年1月31日

 この本はamazonを検索しても出てこなかった。繰り返すが、すぐれた学術書である。メッタに褒めることのすくないebisuが太鼓判を押すので、大学院経済学研究科への進学を考える全国の大学生に読んでもらいたい。

新資本主義論―視角転換の経済学

新資本主義論―視角転換の経済学

  • 作者: 馬場 宏二
  • 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: ハードカバー

 この本の最終章に「結論 過剰富裕化時代の到来」がある。

 これもamazonで検索しても出てこないが、過剰富裕化論について文献的な整理をしつつ、統計資料を挙げて過剰労働時間について戸塚教授が自説を展開している。大学の講義で使用しているテクスト。

『過剰富裕化と過剰労働時間 第2版』 
戸塚茂雄 開成出版社 2009年4月 (本体¥2200+税)

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 #1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」 Aug. 5, 2010 
   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2

 #1158 「過剰富裕化論(2):過剰富裕化とは何か」 Aug. 12, 2010
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-12

 #1162 「過剰富裕化論(3): 経済学部を目指す高校生へ」 Aug. 16, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

 #1164 「過剰富裕化論(4):人類史上最短労働時間の社会への道」 Aug. 18, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-18

  #1165 「過剰富裕化論(5):節度ある明るい未来」 Aug. 19, 2010
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-19 

 #1182 民主党代表選挙と国家財政の現状:過剰富裕化論  Sunday, Aug. 29, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-29


 #1254 経済成長論の終焉 Oct.24, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-24-1

 #1482 「東北大震災とパラダイムシフト:良寛をめぐって」 Apr. 22, 2011 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-21

 #1689 経済格差解消の先にあるもの:馬場宏二先生と過剰富裕化論 Oct. 16, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-10-16
 #1735 TPP?ちょっと立ち止まって考えよう:異質な経済学の展望 Nov. 17, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-17-1

 #2237 過剰富裕化論提唱者の福島原発事故処理構想:遺稿 Mar. 4, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-04

 #2436 経済学と人間の幸せ Oct. 5, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-05



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#2436 経済学と人間の幸せ Oct. 5, 2013 [A4. 経済学ノート]

 ふとこんなことを考えた。

 ロボットが必要な食糧や衣料品やさまざまな耐久消費財をつってくれるような世の中が到来したと假定しよう。人間たちは労働から解放されている。食べ物はふんだんにあり食べたい分だけ手に入る。病気になっても医療はただ。

 さて、あなたは何をして日がな一日を潰すのだろう?
 ゲーム三昧、好きなスポーツを毎日楽しむ、一日中野球やサッカーを観戦する、コンサートや観劇に出かける・・・

 そういう生活が毎日続いたとして、楽しいだろうか、幸せが感じられるだろうか?
 半年もやったら飽きそうな気がしないか?

 週に2日は、日が昇れば起きて畑で働き、作物を栽培し、翌日は魚釣りをして食糧を自給する。自分のつくったものを大切に食べる。
 週に3日は自分の技能を生かして人のために働く。
 週に2日は好きな本を読み、テレビを見たり、音楽を聴いてのんびり過ごす。
 月に一度くらいは温泉に出かけゆったりと過ごす。

 身体を使って仕事をするということは人生を楽しくするのではないだろうか?
 渾身の力で何かに打ち込んで他人のお役に立つ、それは歓びではないのか?

 私たちが価値観を変えたら、小欲知足の安定した経済社会は案外簡単に手に入れられるのかもしれない。
 百年後に、私の子孫がそういう経済社会で心豊かに暮らしていてほしい。
 そのために、これから数年間わたしには何が出来るのだろう。
 そのために、あなたはこれから何をするのだろう。

 ふと、そんなことを考えた。

*#2437 経済学と人間の幸せ(2): 中野孝次と馬場宏二の説をめぐって  Oct. 6, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-06

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#2388 アベノミクス:雇用規制改革の正体 Aug. 30, 2013 [A4. 経済学ノート]

  8月26日の朝のNHKラジオ番組、ビジネス展望で経済評論家の内橋克人氏がアベノミクスの成長戦略の柱の一つである労働規制改革を論じていた。
 規制改革会議<雇用ワーキンググループ>と首相官邸の<国家戦略ワーキンググループ>が三つの項目を検討している。

1.労働移動支援助成金増額
2.労働者派遣制度緩和
3.雇用特区:雇い止め、ホワイトカラー・エグゼンプション、労働基準法の適用除外

 この三つの項目を内橋克人氏は「豊かな社会にふさわしいのか?」という視点から分析をしてみせた。8分ほどの番組だから、要点だけをざっと触れたに過ぎない。
 労働の移動は成長分野への労働移動と低生産性分野から高生産性分野への労働移動を言っているのだが、では成長分野が何なのかが明示されていないという。移動が不可能なのに、移動を促進したら失業が増えて雇用が不安定になるだけ。
 これは内橋氏は説明していないが、低生産性分野から高生産性分野への人の移動は現実にはありえそうもない。やる仕事がまるでことなり人材に要求されるスキルが高度化するから、こんな移動は現実にはありえない。

 日本の雇用の現実は、非正規労働者が40%に近づいていること、そして転職すればするほど地位や報酬や労働条件が下がるのが現実であること、これらを前提にしたときに、労働支援助成金で労働移動を奨励しても、労働者の幸福にはまったくつながらす、雇用を不安定にするだけであるというのが内橋氏の論点。

 労働者派遣制度の緩和は何をもたらすのかはすでにハッキリしている。正規社員の特権意識を育て非正規労働者の志気を削ぎ、その結果職場環境を悪化させ、日本企業の永続的な発展を阻害することになる。

 わたしは90年代に一部上場会社同士の赤字部門の合弁会社経営を任されたことがあるが、赤字会社を黒字にするのは比較的簡単な仕事だった。高利益率の成長分野を創りだし、具体的な経営戦略を明示して、明るい未来を語り社員を引っ張っていくだけでよかった。売上高経常利益率を10%以上にすれば、銀行は親会社の保証ナシに無制限に低金利で融資してくれるし、親会社への発言権も大きくなる。元々親会社の社長とのコミュニケーションがよかったから、たいていの経営方針はそのまま承認してくれていた。
 ところが、困った問題があった。非正規社員の問題である。正社員よりもしっかりした仕事をする非正規社員が数人いた。そして能力の低い正社員がいた。見える範囲に正規社員と非正規社員が座って仕事をしているが、身分が違うから、対等の関係ではない。ペイも非正規は社員の半分以下である。仕事は非正規のほうができるとなると、ストレスがたまるのは当然のことだ。いずれ、社員への登用を考えていたが、合弁会社では企業文化の違いからそれができない。黒字化をしたあとで合弁相手の企業を交渉をして株の譲渡・買取に快く応じてもらった。
 もともと正規社員の雇用条件がまったくことなる会社の合弁だったので、給与の統一も困難が付きまとうし、片や一部上場企業で100倍以上の競争率で就職、他方は上場企業の子会社で就職が容易、こういう事情があったから雇用条件の変更実務はいろんな問題が生じる。
 個別企業の特殊な事情は本論から外れるので、どこにでもある雇用にかかわる普遍的な問題に焦点を当てよう。正規社員と非正規雇用労働者が同じ仕事をしていることから軋轢が生じるのはどの企業にも見られる共通の問題。
 正規社員と非正規社員とで給与が2倍から3倍の格差が現実に生じており、そのことが正規社員に特権意識をもたせ、非正規側に大きなストレスを生む、精神衛生上まことによろしくない職場環境になっている。
 こういう職場環境が長いこと続いたら、その企業の生産性向上や成長力を著しく阻害することになるだろう。もっと簡単に言えば、こんな労働慣行あるいは雇用制度を続けたら、日本企業の永続的発展を阻害し、自滅の道をたどることになると思うのである。これがグローバリゼーションというなら、そんなものは捨てたほうがいい。

 同じ職場で働く者に格差をつくらないというのは大事なことだ。わたしは内橋氏が言うように、労働者派遣制度緩和に反対である。とんでもないことだと思う。
 智慧のない経営者は人件費をカットすることで利益を増やそうとする、賢い経営者は成長分野を創出して人材のスキルを向上させ、人件費を増やしながら利益をさらに増やす。

 カルロスゴーンのような経営者を褒めてはいけない、あれは最低の経営者だ。人員をカットして自分の報酬は際限なく上げる、そういう悪辣な手段を弄してなされた「経営改善」は長い目で見れば自滅の道だ。
 日本の商道徳は「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」である。経営者が法外な報酬を手にする一方で、リストラされた社員は再就職先がなかったり条件が著しく悪化した環境で働いている。たくさんの社員や非正規雇用の従業員の不幸の上に小数の経営者の法外な報酬があってはならない。こんな経営者をビジネス専門誌や新聞・テレビがもてはやしたのだから、マスメディアと日本の企業経営者の倫理観は地に落ちてしまっているといわざるをえぬ。
 日本の「三方よし」は世界に誇るべき精神生の高い経営哲学であり、こうした哲学に支えられた経済社会実現に日本は邁進すべきで、米国型の低劣な経営戦略の真似などする必要はない。

 3番目の雇用特区は時間外賃金を支払わないホワイトカラー・エグゼンプション、金銭解決による首切り容認という、雇用条件の悪化や雇用の不安定化を招くだけで、経営者側に一方的にメリットの生じる政策にすぎない。これで労働者が幸福を感じることはないだろう。ますます愚かな経営者を喜ばすだけ。これでは経営倫理のしっかりした経営者が育たない。雇用規制改革とそれに支えられた成長路線、そしてそれらの総称のアベノミクス、糞喰らえである。ダメなものはダメ。

 
*規制改革会議 雇用ワーキンググループ報告書
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/publication/130605/item4.pdf


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*#2385 TPPは再び植民地化を招く:マハティール元首相 Aug. 28, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-28

 #2376 貿易赤字13ヶ月連続 7月最大の1兆240億円 Aug. 20, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-20

 #2329 アベノミクス:ナカミがないのに財政健全化を約束 Jun. 12, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-13

 #2321 株価暴落はどこまで続くのか?:とりあえずの目安は11,250円 Jun. 4, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-04-1

 #2309 Nikkei dives 7%, ends below 14,500 : May 25, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-05-25

 #2305 株高の原因: Nikkei ends over 15,000 for first time since 2007
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-05-22

  #2298 アベノミクスの罪:日経平均15,096.03円 May 16, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-05-16

 #2256 マネタリーベース270兆円へ拡大:亡国の決断 Apr. 6, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06

 #2245  円安はそんなにいいことか? Mar. 17, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17

 #2196 Cabinet OK's record 92,6trillion budget Feb.2, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-02-02

 #2185 各論(3):'Abenomics' Jan. 24, 20
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-24

 #2170 各論(2):貿易収支赤字転落⇒? Jan. 3, 2013 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-04

  #2169 各論(1):国債暴落の可能性とその影響 Jan.2, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-02

 2168 歴史認識を欠いた安倍新政権の歴史的役割(2):蔵相高橋是清暗殺 Dec. 31, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-31-1

 #2164 歴史認識を欠いた安倍新政権の歴史的役割は何? 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-28

 #2158 自民党圧勝294されど第2の危機:民主党惨敗  Dec.17, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-18

 #2144 成長路線と金融緩和の罠 : 衆院選挙でナイトメアがはじまる 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-11-30

 #1828 ゼロ金利の罠: Fed targets and transparency Feb. 3, 2012
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-03

 #829 国家財政破綻の瀬戸際  Dec.12, 2009
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-12-12

 #346 これから10年間の日本経済のシナリオ
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10 




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#2292 伝統の力 出雲大社式年遷宮の儀式 :日本人はこれからどう生きる May 11, 2013 [A4. 経済学ノート]

 出雲大社(いずもおおやしろ)は明治4年までは「杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)」と呼ばれていた。

 その式年遷宮は60~70年に一度、建物自体は修復がなされるだけだが、今回の費用は80億円。伊勢神宮の式年遷宮は東西のお社を20年ごとに交互に新築して神様を新しい社にお迎えする。出雲は仮殿をつくってそこへ神様をお移しして、修復が済んだらまた本殿へお移りいただく。

 本居宣長が『玉勝間』で上古は32丈の高さがあったと書いているから96mあったことになる。中古は16丈とあるから48mで、東大寺よりも3m高い。基礎を土の上においたために地震で何度も倒壊したようだ。

 仮殿から修復が終わった社への神様の渡御が昨日夜行われた。十数人の人が棹の先に白い布でできた天幕を持ち上げ、周りから見えないようにして神様に修復の済んだ社へお移りいただく。
 式年遷宮ごとに新しくなったところへ神様をお迎えする儀式は、再生と永遠をイメージさせる。終わりのないのが神道の時間のイメージだ。
 啓典宗教とちがって、書かれた物のないのが神道の特徴だが、それゆえにこうした伝統儀式が強いメッセージ性をもっていることに気付かされる。伝統を守り伝えることがどれほど大事なことか、還暦をすぎてようやく気がつくこの愚かさ。

 659年に造営されたと出雲大社の資料や日本書紀に記述が残っているようだが、それから数えると1354年、実際には2~3世紀の頃からあっただろうから、おおよそ1900年。記録のある式年遷宮は21~23回ぐらいだろうか。上古から数えても30回程度だろう。

 急速な高齢化と同時に進む人口減少、日本列島の経済社会ははじめて大きな曲がり角に来ている。ピンチはチャンスである。
 海外への生産拠点の移転はやめよう。日本で消費するもので日本国内でつくりうるものはコストが2倍かかっても国内生産しよう。スキルを高めて素晴らし製品を生産しよう。高くても雇用を守るために安心安全そして丈夫な国産品を大事に使おう。それぞれの国が自国で消費するものは自国内で生産すればいい。生産できない場合(生産技術がない)や高性能あるいはぜいたく品は輸入したらいい。
 日本は国を閉じていい、そして若い人たちに職を与えよう。労働ではなく仕事を与えよう。縄文以来1.2万年の歴史のある日本、独自の文化を伝えるためには国を一時閉じること(鎖国)を検討したらいい。完全に国を閉じるわけではない、江戸期のように強い管理貿易体制をとるだけ。

 キリスト教は行き止まりの宗教である。ハルマゲドンとキリストの再臨、人類の天国への救済。日本古来の宗教は死と再生の永遠の繰り返しである。式年遷宮の儀式自体が永遠を表している。

 西洋経済学の「労働観」では経済社会はもたない、それはハルマゲドンという終末思想を持つ宗教のせいかもしれない。啓典宗教が描いているその終末に向かって驀進しているようにみえる。人間はイメージしたものを実現するように遺伝子によってプログラムされている。人類はそういう心の怖い仕組みに気がつき自己を客観視すべき段階に来ている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は実に厄介で、終末思想ゆえに人類に大災厄をもたらしかねない疫病神なのである。この三つの宗教は共通の神をもつ、違いは預言者であるにすぎない。モーゼ、キリスト、モハメッドは同じ神の預言者である。これら三つの宗教が激突するイスラエルとその周辺の国々の紛争が核戦争の引き金となりかねない。日本はこれらのどの国にも肩入れしてはならぬ。肩入れしないことに如何なる理由も要らない、ダメなものはダメなのである。

 縄文以来森と共存することで育まれてきた神道の時間概念は死と再生の繰り返しすなわち永遠である。日本は孤立を恐れずに独自の道を歩むべきである。
 日本には独自の「仕事観」がある。刀鍛冶の仕事に見るように職人仕事は神聖なもの、ゴマカシはいっさいない、最善の技術で神に捧げるものをつくる。そこが職人仕事の原点だろう。職人仕事に基く経済社会は信頼の社会である。ダマシやゴマカシは卑劣なこととして蔑まれる。

 職人文化、そうした原理に基いた経済社会を創造して世界に範を示すことが日本と日本人に与えられた人類史的な役割なのではないか。そのために急速な高齢化と人口減少というダブルパンチを日本の八百万の神々が与えてくれていると考えるとなんと幸せなことだろう。これから迎える日本経済の危機は死と再生そしてその繰り返しによる永遠が隣り合わせ、ほんとはありがたいこと。パラダイムシフトのときがきている。

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*「出雲大社」ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE

 「葬られた王朝」梅原猛
http://blogs.yahoo.co.jp/crazy_tombo/43350434.html

 「雲太」
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/unta.html

 「雲太、和二、京三」
http://blog.goo.ne.jp/fagus06/e/e4778badd1745a1586e65f4f1bc56938


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#2237 過剰富裕化論提唱者の福島原発事故処理構想:遺稿 Mar. 4, 2013 [A4. 経済学ノート]

 お昼頃、スズメにえさをやっていた女房が庭で「大鷲が飛んできたから、はやく!」と呼ぶので、10倍の双眼鏡をもって外に出た。ゆっくり羽ばたいて西から東へ飛んでいく鳥を見つけた。嘴が黄色く尾羽と肩のところが真っ白、他は黒っぽいから、間違いなく大鷲だった。光洋町上空はときどき大鷲やオジロワシが飛んでいる。双眼鏡で見るとはっきりわかる。通り過ぎるまでほんの1分足らず。
 庭に来る鳥は、スズメ、ヒヨドリのツガイ、そしてゴジュウカラだ。メンコイものだ。あ、カラスも来る、これはメンコクない。

 青森大学経営学部長である戸塚茂雄教授から馬場宏二氏の『神長倉真民論』が送られてきた。この本は戸塚さんの編集で、別途弊ブログでとりあげるが、今回は『馬場宏二先生追悼記念誌』(馬場ゼミナール同窓会・神奈川大学)に載った戸塚氏の「追悼馬場宏二先生―短いが太い交流」と題された小論に載っていた馬場氏の「絶筆と思われる・・・レジュメ」を紹介したい。3月11日まであと1週間だ。

  過剰富裕化論の経済学者である馬場宏二氏が福島原発をどのようにとらえていたのかを広く知ってもらいたいと思う。
 2011年の経済理論学会のために用意されていた報告レジュメであるが、馬場氏は術後の体調が悪く出席できなかった。過剰富裕化論の提唱者の出席がかなっていたらどういう報告になったかは、このメモを手がかりに想像するしかない。

「経済理論学会第59回大会特別部会 東日本大震災と福島第一原発事故を考える 意見・提言集」 26ページ
http://jspe.gr.jp/drupal/files/jspe59teigenshuu.pdf
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1. 原子力発電は過剰富裕化とシャム双生児である。
 質的には、人力で制御し得ない生産力をもちいて、当面の金もうけや生活の安楽の資とし、自然環境を生存不可能なまでに破壊する。量的には、日本原発設置は日本経済が、まさに過剰富裕化水準に達した時点から暴走した。電力消費抑制を含めて、反原発は過剰富裕化批判である。

2. 原子力発電コストは意図的に過小評価されていた。原発なきあとの電力価格は、当然、大幅に引き上げるべきであり、それが環境維持の一助となる。

3. 原発処理を含めて、震災復興費は、付加税によるべきである。国債によるのは、亡びの道である。当代のマイナスは当代で負うべきである。負っても、まだ過剰富裕化状態である。

4. 肉体労働を高評価する風潮をつくるべきである。これが社会再生のカギである。

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 1番目は馬場氏の年来の主張の過剰富裕化と原発をセットにして論じただけのように見えるが、初めての論点である。

 2番目はの「原発なきあとの電力価格は、当然、大幅に引き上げるべきであり、それが環境維持の一助となる」という主張はかなり踏み込んだものであり、大胆だ。廃止と同時に過剰富裕化を軽減するために電気料金値上げを受け入れるべきだと言っている。

 3番目の当代のマイナスは当代で負うべきというのは言葉の使い方がうまいな思うと同時に気迫を感じる。
 民主党政権と同じように安倍政権も国債増発で乗りきろうとしているが、国債で賄ってはいけない、きわめて重要と思われる論点である。次世代に対して当代がどう対峙すべきか迷いのない決然とした主張である。
 そうするためには付加税だけではすまぬ、特別会計予算と一般会計予算を徹底的に削るべきだ。あらゆる費用をおおよそ30~50%カットするくらい過激なことを考えないといけないのだろう。大きな痛みを伴う具体案を1年間で検討し、ただちに実行すべきだと諭しているかのようだ。やれば戦後史で最大の国家プロジェクト、いや日本の歴史に残る大プロジェクトになる。

 4番目の「肉体労働を高評価する風潮をつくるべき」だという主張は今までの過剰富裕化論にはなかった論点であり、唐突であるが、経済成長を止めるべきだという馬場氏の主張の延長線上の発言にも聞こえる。一番最後に記したのはさらなる論考への予告編だったからだろうか。
 この論点は職人経済社会を標榜するebisuには大歓迎である、2年半前に言及したとおりの展開になったことに驚く。
  私は2010年8月の#1158で過剰富裕化論をとり上げて、次のように述べている。

「資本主義経済批判であると同時にマルクス経済学批判でもある職人主義経済は過剰富裕化論といくつか接点をもつことになるだろう、そういう予感がする。」

 馬場宏二氏の絶筆のレジュメを読むとこの予感通りになったように思える。私は2年半前に理由も挙げている。

「資本主義経済で生産力の発展と拡大再生産が至上命題になってしまったのは、労働概念にもかかわりのある問題である。労働力は資本の拡大再生産のための歯車のひとつでしかない。
 名人の仕事を想起すればいい、全人格的な職人仕事は生産力を発展させない。利潤追求も至上命題にはならないから、拡大再生産とも無縁である
 ひたすらいい仕事をするために技術を磨き、道具の手入れを怠らず、仕事の手を一切抜かない。ごまかしのない誠実・正直な仕事をする
 職人主義経済は正直・誠実を旨とする。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」には地球環境との調和も入っている。「世間よし」はまさにそういう価値観の表明である。自分だけがよければいい、自分の会社だけが儲かれば地球環境はどうなってもいいなどとは考えない。馬場先生と一度話してみたいな。」

 馬場氏はこうも言っている、「これが社会再生のカギである」、私の用語に翻訳すると「スミス、リカード、マルクスの労働概念から神の国の職人仕事概念への転換が社会再生のカギである」ということ。
 お会いして話しをしたかった、よき先輩である戸塚氏が間にいたのだから無理をすれば可能だったかもしれぬ。いやスキルス胃癌で6年前に胃の全摘と胆嚢切除、大腸の一部切除をしたので旅行は無理だった、やはりお会いできなかった。
 馬場氏と世界を変える新しい経済学の展望を議論してみたかった。このレジュメを何度か読み返しているうちに、直接お話がしたかったという思いが強くなる。

 馬場氏の論にさらに付け加えたい論点がある。
 鎖国(強い管理貿易)で国内に手仕事を確保すべきだ。TPPとは真逆のことをやるべきなのだ日本はそういう時代の転換点にあることを認識すべきだ。西欧経済学の労働観に対置して「職人仕事」へ価値観の転換を果たすべきだ、そこに人類社会再生のカギがある。
 日本列島に住む日本人は縄文以来1.2万年の日本列島の歴史で、初めて超高齢化社会の到来と急激な人口減少時代を迎えている。21世紀になって、ようやく新たな経済学が生まれる必然性が生じている



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 馬場氏の論点を再掲する。人類滅亡への道(青)と人類再生への道(緑)、二者択一。
(#1164より)
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2008年9月29日青森大学で開いた特別講演のレジュメの中の「Ⅳ.歴史観・価値観の逆転」という項目を再掲する。

Ⅳ.歴史観・価値観の逆転
 ―人類存続の前提―
 経済成長主義―世界の場合・日本の場合
 利潤経済=市場主義化―民営化・規制緩和・グローバリズム
 アメリカ的価値観=西欧近代思想の極限
           ―個人の自由
           ―成功至上主義
           ―臆面なき自己正当化
           ―フロンティア願望
           ―人種差別戦争

  ―それでも、人類として唯一重要な課題、最大の努力が要る―
      ―金儲けと戦争の放棄
      ―生産より分配、発展でなく安定、民営化でなく重税国家
      ―経済成長を止め、物的消費水準を意図的に大幅に下げる
 先進国は消費水準を下げられる、それが『過剰富裕』の意味
 途上国は、先進国の下げた水準を到達目標とする
 到達目標は、地球環境自動復元力の回復


 前段(青)は逆転すべき価値観、後段(緑)は馬場氏が人類が生き延びるために示した指針である。

 逆転すべき価値観として「利潤経済=市場主義化―民営化・規制緩和・グローバリズム」を挙げている。金融デリバリー取引は利潤極大化のために実体経済の数百倍もの規模に膨れ上がり、世界経済の時限爆弾化している。利潤を追求して株式会社は成長路線をひた走っている。
 利潤追求は資本循環(拡大再生産)と相性がよい。資本主義では資本循環は個別企業にとって経済成長そのものである。馬場氏はそうした価値観を棄てろと言っているのだ。
 穏やかに言い換えると、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」路線で行けということだとわたしは理解したい。地球環境との共存は「世間よし」ということだ。
・・・・・
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*ウィキペディより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E5%AE%8F%E4%BA%8C
「馬場 宏二(ばば ひろじ、1933年 - 2011年10月14日[1])は、経済学者東京大学名誉教授。マルクス経済学者として敢然と「過剰富裕論」を唱えた

「特別部会 東日本大震災と福島原発事故を考える」、経済理論学会の特別部会だと思うが、この2ページ目に戸塚氏の報告が載っている。
http://jspe.gr.jp/drupal/files/jspe59specialsession.pdf


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 #1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2

 #1158 「過剰富裕化論(2):過剰富裕化とは何か」 Aug. 12, 2010
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-12

 #1162 「過剰富裕化論(3): 経済学部を目指す高校生へ」 Aug. 16, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

 #1164 「過剰富裕化論(4):人類史上最短労働時間の社会への道」 Aug. 18, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-18

  #1165 「過剰富裕化論(5):節度ある明るい未来」 Aug. 19, 2010
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-29


*URLをクリックしてもジャンプしない場合は、右側の「検索」ボックスに"#1254"と入力してエンターキーを押して下さい。

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*#1254 経済成長論の終焉 Oct.24, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-24-1

 #1482 「東北大震災とパラダイムシフト:良寛をめぐって」 Apr. 22, 2011 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-21

 #1460 「原子炉圧力容器損傷か?:写真で検証
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-03-1

 #1462 「裸の王様:原子炉圧力容器は破損している 論より証拠、よく写真を見てごらん 」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-05

 #1463 「福島第1原発3号炉はもう無い:東京電力社員退去要請の意味」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-06

 #1607 児玉龍彦国会で告発(2):(書き起こし) July 31, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-07-31

 #1611 児玉龍彦教授(3):息子さんからのエール Aug. 3, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-08-02-1

 #1655 あらら、何を隠そうとしているの?:原子炉建屋にコンクリートの覆い Sep.21, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-09-21

 #2237 過剰富裕化論提唱者の福島原発事故処理構想:遺稿 Mar. 4, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-04

 #2323 次の原発事故のために(1):甲状腺癌と情報操作?:U.N. experts see no increase risk of cancer … Jun. 6, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-06

 #2324 次の原発事故のために(2) :福島県で12人が甲状腺癌 Jun. 7, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-07

 #2325 次の原発事故のために(3):Tyroid cancer hits 12 kids in Fukushima: Jun. 8, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-08

 #2377 次の原発事故のために(4):小児甲状腺癌18人に  Aug. 21, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-21

 #2379 次の原発事故のために(5) 8000万ベクレル/ℓ 高濃度汚染水漏洩 Aug.22, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-22

 #2381 次の原発事故のために(6): 超高濃度汚染水と浄化システムALPS  Aug. 25, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-24

 #2383 次の原発事故のために(7): 漏洩はセシウムとストロンチウム合計で30兆Bq  Aug. 26, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-27

 #2387 次の原発事故のために(8):トリチウムの問題 Aug. 29, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-29 

 #2390 サンマのI-131の濃度から放射能汚染水の大量流出は分かっていた Sep. 1, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-09-01



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#2137 物価を上げ国内に雇用を確保するには鎖国すべし Nov.24, 2012 [A4. 経済学ノート]

 紳士服の製造拠点が日本から韓国に移りだしたのは1970初頭である。韓国に縫製工場が移転しだした。機器も技術も日本から持ち出し、技術指導を熱心にやった。最初は惨憺たるものだった。国内と同じ速度では韓国の工場の縫製技術が上がらないのだ。儒教の国で身体を使って働くことを蔑視している国柄だからだろう。それでも7年ほどたち1970年代後半には韓国の縫製工場は徐々にではあったが技術を上げていった。おおよそ日本の半分の速度だった。

 1970年代初頭のことだが、あの当時の団塊世代が社会人となり、スーツの需要が急拡大したので国内の紳士服縫製工場は増えていた。新規の工場ができると、まず替え上着(ブレザー)の縫製をやらせる。そして技術が上がってきたら値段のはるスーツを縫わせて技術指導をする。技術レベルの低い工場は襟が「ぬきえり」になりがちであった。数年厳しく指導をすることになる。生地の裁断をする職人はもちろん縫製技術もしっかり身につけているから、細部に具体的な注文をつけ、課題を明示する。縫製業者はそれをしっかり聞き、裁断された生地を受け取り、指摘された点を改良してドキドキしながら納品して検品を見守る。
 そういう過程を繰り返して、3年ほどで新規の工場は着心地のよい紳士服をつくり上げることができるようになる。

 技術のよい裁断職人が一人いるだけで、傘下の外注縫製工場の技術改革が数年でなされる。同じ言語を話し、同じ文化の中でのことだから、技術移転も仕事の心構えも、シツケも実にスムーズだ。
 紳士服を縫うにはじつは中間プレスが重要なのである。英国の職人は重いアイロンで中間プレスを丹念に行う。相当腕力のある日本人でないと同じ重さのアイロンを操れないから、中間プレスが甘くなりがちだ。工場では機械でやるから調整しだいでプレスはしっかりやれる。これがしっかりしていると何年たってもスーツは型崩れしない。

 東京から根室に戻ってきて10年たつが、最近2年間続けて釧路の紳士服の安売り店で4着スーツを買った。店で一番いい品物を求めた。ポケットやズボンに使われているファスナー、とめ金具などはしっかりしたものを使っている。唯一欠点は、「抜き襟」になることだ。2年とも同じ欠点が目に付いて気になって仕方がない。ラベルを見ると「ベトナム」となっている。
 日本側に具体的な指示を出せるしっかりした職人がいないのか、ベトナム側の縫製工場に日本人の職人の言うところが理解できないのか私には分からぬ。
 職人文化の強いところでなければすぐれた製品を生産する工場はできない。手仕事を蔑視する儒教文化圏や西欧流の労働観に毒された共産圏の国の人々は日本人の職人文化を理解するのがむずかしいのだろう。仏教文化をもち共産化しなかったビルマ(ミャンマー)やタイのほうが、日本的職人文化を理解する素地を残しているのかもしれない。

 縫製工場は日本から韓国、そして中国、そこからまたベトナム・ミャンマー・タイへと移り、そのうちにインドへ行く。終着駅はアフリカ大陸である。こうして経済の「平坦化」は地球を一回りする。工場生産品は日本人がつくっていたときが技術のピークだ。ものづくりの拠点が国内から失われれば、それを支える文化的伝統も消滅しかねない。伊勢神宮は20年後との式年遷宮の儀式で古代の建築技術を現代にそのまま伝えているが、さまざまな分野でいままで培ってきた伝統技術が失われつつある。もう、十数年前だが、百年以上の歴史をもつ国内大手繊維メーカを定年になった人の言葉を思い出す。「もう国内で繊維工場をつくる技術がないのです。海外工場はつくれますが、国内工場は数十年つくっていないので、技術者が退職してしまって技術の伝承がされなかった」、そう仰っていた。

 グローバルに見ると、18世紀産業革命から300年をへて生産拠点は地球を一回りすることになる。
 この点に関して友人のZAPPERさんがおもしろい記事を書いているのでお読みいただきたい。

*「世の中はこう変わる」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6088910.html
 

 国際経済論をとってリカードの『経済学及び課税の原理』を読んだのは1975年だった。マルクスの経済学体系の構成は概念的枠組みの拡張をベースにしており、その最終環が国際市場関係なのだが、世界市場論と関連させてユニークな視点から論文を一本書き担当教授の木原先生に進呈してから37年もたった。修士論文のメインテーマと関連があったので、"ついで"だったが手抜きはない。木原先生、大喜びしていた。
 リカードが比較生産費説に基く国際分業について言及したのはほぼ200年前の1817年のことである。現実はその通りになっていて、生産費の安いところへと生産拠点が移動している。これは一つの経済合理性の追求の結果ではあるだろう。日本国内からさまざまな業種の生産工場がこの三十数年間で激減してしまった。
 60歳定年だったはずが、年金基金の枯渇が計算上はっきりするにつれて65歳へ定年延長が始まっている。あおりを食らったのは若者世代である。若者の半数は正規雇用の職がないという厳しい現実の中で暮らしている。

 働く気がある若者に職を保障するには国内に生産拠点がなければならない。鎖国すればいいのである。もっと穏やかに言うと、厳格な管理貿易をする。国内生産できるものは輸入制限をかける。輸入は国内で生産できないもの、すると著しくコストが高くなるものに限定すればいい。
 国内生産によって雇用は増える。そこで技術と文化の伝承をしていけばいい。国内生産に切り替えることで、製品コストは高くなるし物価は上がる。しかし、生産拠点が国内にあることで、修理も容易になる。古いものを修理しながら大事に使えるようにして天然資源の消費量を抑えればいい。時代の転換点は日本人に価値観の転換を迫っているように感じる。

 経済合理性を放棄することで日本は安定した社会を創造できる。人口減少が進み8000万人以下になれば、国民の大半が小さな農地をもてるし、食糧自給率も飛躍的に高めることができるだろう。
 私たちの祖先は縄文以来1万2千年の歴史をこの日本列島にきざみ、職人文化を育んできた。私たちはいま人口縮小といういままでに経験のない大きな時代転換点を通過しつつある。
 日本人にしかできない時代転換を成し遂げて見せようではないか。そのカギは「鎖国(強い管理貿易)」にある。コントロールの利く物価上昇と仕事の分かち合い、小欲知足の落ち着いた経済社会に暮らそう。

 経済合理性を放棄することで、日本人はアダム・スミスやリカードやマルクスの西欧経済学を超える。もとからある職人文化を徹底することがカギだ。経済合理性を超えて、ひたすらいい製品を追求して技術を練磨する、そういう職人が尊敬される経済社会である。農業も水産業も工業も医者も事務屋も、あらゆる職業人が職人である。それぞれ名人といわれる超絶の技能を有する者たちが存在し社会の尊敬を集め、失業のない安定した経済社会。


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#2073 鎖国具体論:和のビジネス再生(畳) Sep. 2, 2012 [A4. 経済学ノート]

 7月8月と根室は天候不順で晴天の日が数日しかなく、金比羅さんのお祭りも10日はひどい雨に見舞われコースを短縮したぐらいだったから、蟹祭り関係者は当日の天気を心配していたに違いない。ところがいい天気に加え、適当な風がそよいで絶好の祭り日和となったから、よほど関係者の心がけがよかったのだろう。(笑い)
 1時頃、(花咲)蟹祭りをみてきた。花咲某(なにがし)という歌手が舞台の上で喋っていた。ご本人がデビューしてから30年だと説明したら、会場の人たちがどっと笑っていた。よくがんばってるな、ずっとがんばれという気持ちのこもった笑いだった。
 晴れた蒼い空、気温23度、舞台の前に用意された椅子はほぼ埋まっていた。さすがに高級品の花咲蟹を食べている人はそう多くはないようだが、鉄砲汁など有力なメニューはいくつかあって、盛況だった。久しぶりの青空に感謝。

 8月27日のNHKビジネス展望で、立教大の山口義行教授が「和のビジネス再生への試み」というタイトルで、話しをしていた。ここには伝統文化とビジネスのありようについてひとつのヒントがあるように思える。

 畳表は中国からの輸入が80%超だという。6000軒あった国内のイグサ農家は600軒に減少してしまった。中国産に価格の点でかなわないのである。
 畳屋さんが集まり「畳道場」という会を作り、熊本県のイグサ農家へ研修に行くことになった。朝の3時から気温30度湿度90%の蒸し暑い中での作業はきつい、イグサの刈り取りは「生きるか死ぬか」といわれるほどの作業だった。イグサは農産物だったのである。この作業を通じて畳職人たちはいろんなことを知ることになった。中国産のイグサは値段が半値だが、品質が日本産のイグサにはるかに劣ることがわかった。実際に刈り取り作業や乾燥作業をしてみて、畳表の材料としてのイグサの善し悪しに目が利くようになったのである。これほどの質の違いがあるのだから値段が高くて当然だと思い始める。

 畳表は呼吸しているから、畳の部屋の湿度を自動調節する。そして有害物質をイグサの芯の部分に吸着するので部屋の空気も浄化する。その香りはアロマセラピー効果ももっていることにあらためて気がつく。刈り取ったばかりだと、質の違いに気がつかないが、使ってみると日本産のイグサは湿度調整や空気の浄化やアロマセラピー効果の点において、段違いに高品質であることがわかった。
 イグサ農家で研修することで、材料の目利きができるようになった畳職人たちの中には、品質のよい日本産のイグサしか扱わないところが出だした。I-PADをもって画像を見せながら、お客さんに日本産イグサのよさを説明するようになったのである。いま、日本家屋には畳の部屋のないものが増えている、あっても一部屋だけというケースが多いから、畳表の値段が高くても、きちんと説明すれば品質のよいものを買うお客さんが案外多いのである。
 日本産しか扱わないと宣言した畳屋さんは、I-PADを使った営業も功を奏して売上は以前よりも増えたという。買ったお客さんの評判もよく、口コミで日本産イグサを使った畳の素晴らしさが広がり始めている。

 畳を例に考えると、分業が進んでイグサ農家の苦労を畳屋がわからない。問屋から買うだけでイグサ農家にいったこともないので、いつのまにか畳屋が材料の目利きができなくなっていた。そして消費者も見た目は変わらないから、安いほうの中国産を購入してしまい、畳の部屋に魅力を感じなくなって、日本家屋から畳の間が消えていきつつある。

 生産が分業化され、畳職人すら材料の目利きができなければ、消費者は材料の善し悪しなどわかるわけもないし、中国産のイグサの畳を使ってみて、こんなものかと思ってしまう。
 消費者が品質のいいものを理解し、大事に使うには、生産に携わる職人が、一気通貫で全部の作業や材料の目利きができて、消費者にただしく説明ができなければならない。そういう職人が増えれば、日本産の畳表の需要も増え、イグサ農家が増え、畳職人の数も増える。国内に仕事が増えて、雇用が増えるのである。

 材料の値打ちがわかれば、半端になる材料の短いイグサを棄てるのはもったいないと思うようになった。半端なたけの短いイグサを集めて40センチぐらいの長さの「イグサロール」を手作りして、これをつなぎ合わせてマットを試作してみた。そしてそれにあう布団をつくり、香りのよい寝具を開発して売りに出し始めた。こうして仕事の幅も職人技の奥行きも広がる。
 材料のよさがわかれば規格に外れたものも、棄てずに、なにか別の製品をつくることができないかと工夫を生むことになる。農家が朝の3時からきつい作業をしていい材料を供給してくれている、その苦労が分かっていればこそ、いい材料を棄てるのはもったいない。

 畳は日本の伝統文化である。そこに使われてきたイグサをよく知ることで、良質の日本産イグサの需要を増やし、生産農家を元気にすることができる。畳職人の数も増えるし、なにより消費者が製品の良さを理解して使うようになり、いいもののほんとうのよさが理解できるようになる。

 日本は鎖国していいのではないだろうか?品質の高いものを国内で生産して使う、自給自足の度合いをいまよりずっと増やしていくという決意をもつという選択肢があるのではないだろうか。鎖国とは管理貿易である、江戸幕府が長崎出島を通じて貿易はしていたように、完全に国を閉じることではない。貿易はお互いに自国で生産できないないものだけでいい。それぞれの国が自国の伝統文化を大切にして、古の昔から伝えてきた材料生産からはじまるさまざまな職人仕事をセットで次の世代に守り伝えていくには、自国の伝統文化の素晴らしさを真に理解することからしかありえない。

 日本のお米の生産量は900万トン、農村は過疎化と高齢化が進み、耕作放棄地が急速に増えている。トウモロコシなど飼料用穀物はほとんど米国から全量輸入。味噌、醤油、豆腐、納豆に使われる大豆も大半が輸入。
 いま米国で旱魃が進み、飼料用トウモロコシの値段が上がり始めている。鶏も豚も牛も、その育成のためにC4植物である米国産飼料用トウモロコシが使われている。牛肉1kgを生産するのに20倍の飼料用穀物が必要だという。暮れ頃にはいろんな食品の値上がりラッシュがはじまるのだろう。
 な~に、心配ない、のんびりしている日本人は、実際に目の前に不都合が現れないと対処の仕方を考えないが、不都合が続けばやり方を変える。赤塚不二夫ふうに言えば「それでいいのだ」。

 人口減少が始まっているから、1億3000万人の人口も50年もすれば8000万人を割っているのだろう。財政及び経済規模は縮小し、耕作放棄地が増え続けるから、農業用地の規制を緩めて自給率を高める工夫をすればいい。品質がよくて安心して食べられる農業生産物を自国内でつくり、国内で食品を自給できる日本を目指すのも選択肢に考えていい。値段は高くても自国産品を受け入れよう。
 それにつけても原発だけはごめんだ、国土を放射能汚染してしまったら、日本でとれるものが食べられなくなる。何十世代、何百世代も日本人の遺伝子を放射能で傷害し続けたら、日本民族は遺伝子劣化により滅びる。
 現在の日本人種はイエローブックに載っている、福島第一原発事故以後は「絶滅懸念種」である。もう一つどこかで原発事故があれば「絶滅危惧種」としてレッドブックに記載される。

 人口減少時代の幕が開けたいま、伝統文化を見直すことで従来とはまったく違った質の高い安心・安全な選択肢がありうるのではないだろうか?グローバリズムから自国の伝統文化や生活様式を守ることで、国内に仕事と雇用を作り出すということが可能なのではないだろうか。
 それゆえ、TPPには不参加、日本は安心安全で質の高い生活のために国産品を使うことによるコスト高を受け入れ、グローバリズムとは対極の慎み深く質の高い経済社会を実現しよう。

 畳の例がいろんなヒントを提供してくれている。



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#2030 Marx『資本論』を超える経済学への道程 July 28, 2012 [A4. 経済学ノート]

 一昨日、恩師の市倉宏祐先生の訃報に接した。今朝ロンドンではオリムピックの開会式が盛大に開かれている。

 わたしには書くべきことがある。
 マルクス『資本論』がどのような体系構成になっているのかというのが高校時代から抱いていた疑問であった。当時は気がつかなかったが、そういう学に対する根本的な疑問を追及していくには経済学畑よりは哲学の教授のゼミが向いていたのである。
 前回書いた偶然の成り行きで、希望していた原価計算ゼミはスルーしてしまい、当時だけ専修大学に存在した一般教養ゼミを履修することになった。ゼミの掲げるテクストに興味のある学生が学部を超えて集ったのである。商学部の学生が多かった。1969年、当時学生運動は絶頂期を迎えていた。このゼミをとることで高校2年生の夏からはじめた公認会計士受験勉強を"卒業"してしまった、枠のある勉強に飽き足らなくなったのである。羽が生えて自由になった気がした。

 結局のところ、マルクスは抽象的人間労働が商品の価値を形成すると、流通過程分析を通して経済学の根本概念析出して体系の端緒に措定したのである。
 抽象的人間労働が価値を作るというのは学の根本概念であると同時に端緒(出発点)でもある。私はそこに『ユークリッド原論』との相同性をみていた。
 簡単に言うと、根本概念は公理公準なのである。だから、これを別のものに入れ替えると、まったく別の経済学体系が建ちあがることになる。公理公準を入れ替えると平面幾何学に対する球面幾何学のようなものがありうるのであるが、こんなことは当時も今も言う学者は世界中に一人もいない。

 マルクスは流通過程で交換関係を次第に単純化していく作業を通じて、価値や使用価値、そして交換価値などの経済学の基本概念の関係を何度も洗いなおし、何が最も根本的な概念なのかを比定した。わたしはマルクスの流通過程分析の検討の跡を追うことで彼の経済学体系構成の核心部分を確認していった。
 学の体系構成にはプルードンの系列の弁証法が利用されているが、マルクスは慎重に言及を避けている。ここいらあたりはすこしずるさを感じると同時に、系列の弁証法に言及したら誤解を与える可能性が大きかったのだからしかたがないという気もした。問題意識は共通のものがあったが、イコールではなかった。方法ありきという手法をマルクスは嫌ったのである。
 マルクスには『数学手稿』があるが、ギリシア自然哲学には興味をもっていたが、『ユークリッド原論』には関心がわかなかったようだ。数学のセンスに欠けるところがあったためだろう。『資本論』を読んでも『経済学批判要綱』を読んでもそれは了解できる。

 経済学体系として『資本論』がどういう構成をもつのかは理解できたが、公理公準である抽象的人間労働=価値を他の概念に取り替えたときに、どういう経済学体系ができあがるのか、当時の私には想像すらできなかった。
 だから、興味はマルクスが遣り残した世界市場論へと向いた。それが大学院の時期であった。木原先生の国際経済論の授業が要望に応じてリカード『経済学と課税の原理』をテクストにとりあげてくれたので、国際経済に関する論文を一つ書いた。木原先生はたいへんうれしそうに見えた。
 修士論文はそれまでの諸学説をなぞるだけで充分なのだが、そんなことにはまったく関心がなかったが、意に反して平田清明氏の説にとらわれすぎた。彼の論をとりあげる必要はなかったのである。省みると、漢字の解釈に偉大な足跡を残された白川静のようなことを経済学でやってみたかったのだ。それ以外のことには興味がなかった。

 大学に残っても、世界市場論で小さな業績が残せるぐらいしか先の見込みがなかった。つまらないと思い、企業経営にタッチしてみようと博士後期課程への進学を断念した。
 正体がわからなかったが、当時マルクス経済学に根本的な違和感を感じ出していた。30代前半はしばらくの間、東洋思想へ回帰した。原始仏教経典群に興味がわいたのである。呼吸やヨーガやチャクラに興味がわきしばらく自己流でトレーニングをしていたことがある。そんなときに道元の『正法眼蔵』に出遭った。難解な書物でいまだにその全貌が見えぬ。いくつも理由があって、私の手には負えそうもない。生まれ変わることがあったら、道元の弟子にしたもらいたい。しかし、生まれ変わることがないのはスキルス胃癌で一度死に掛かってよくわかっている。

 二十数年間、業種の異なる数社の企業で経営やシステム開発にたずさわり、ようやく学の端緒に措定できる概念を見つけることができた。それは日本の伝統的な「職人仕事」だった。
 マルクスが工場労働者の労働で想定しているのは疎外された労働でありつきつめると奴隷労働にいきつく。それは単純労働に還元できる性質のものだ。ところが職人仕事は単純労働に還元できない性質のもの、名人の仕事は出来損ないの職人が千人集まってもできるはずがない。アトムへの還元を拒否する概念である。デカルトの還元論の通用しない世界があった。ドイツにはマイスター制度もあるのだが、マルクスは資本主義的生産過程分析に焦点を絞ったために工場労働しか彼の視野に入ってこなかったのだろう。焦点を絞ると視野が狭くなり視写界深度が浅くなり、周りが見えなくなるものだ。焦点を絞るよりも、漠然と状況全体を捉えるほうがはるかに難しいもの。

 日本には日本の伝統的な職人仕事観をベースにした経済学体系が可能だと理解できたのは、いくつかの企業を渡り歩いて実際に働いてみたからだ。三つの業種のことなる企業で働いたがマルクスの言う疎外された労働は日本の現実とはまったく違うものであることがわかった。日本企業では仕事は自己実現の手段であり、神聖なものであり、歓びである。全力で打ち込めば仕事とは本来そういうものであった。
 職人仕事とはなにか?刀鍛冶の仕事をその原初的なイメージとして思い浮かべてみてほしい。大学に残っていたら、西洋経済学の概念に毒されたまま、おそらく一生理解できないままだっただろう。刀鍛冶の仕事と経済学が結びついたのは、赤字の会社やスレスレの会社を何度か高利潤の会社に変えたからだ。どこを探してみてもマルクスの言う労働疎外はなかった。日本人にとって仕事は生きがいそのものなのである。無心に最高の仕事をしていくとスキルの上がるのがはっきりと自覚できる、それはなにものにも替えがたい神聖な時間だった。
 例えば、いい仕事をするには道具である刃物が最高の切れ味をもたなくてはならぬ。見習い大工が一日の仕事を終わり、食事をすませてから、砥石に鉋の刃を当て静かに研ぐ。次第に刃が砥石に吸い付いてくる感覚が指先を通して伝わってくる、・・・、事務仕事のプロにもそういう手応えや至福のときがある。休日に十数時間、専門分野で時代の先端を行く著作を読み、休み明けに仕事に使って試してみて、使えるものと使えないものに仕分けしていく。とりあえず真似てみて、そして考え、工夫を加えていく。気がつくと、時代の先端レベルを超えた領域へと踏み出している。臨床診断支援システムのように二十数年たってから時代が追いついてくることもあった。

 職人仕事を経済学体系の公理公準としたときに、まったく別の経済学が成立する。それはスミス・リカード・マルクスの伝統的な西洋経済学を超えるものである。19世紀の古典派経済学とそれを継承したマルクス経済学に対置できる21世紀の新たな経済学体系といってよいだろう

 弊ブログには「経済学ノート」のカテゴリーがある。そこにいくつかの論点整理を試みた。今後も書き溜めていくつもりだ。私の手に余るテーマだから、若い学究の参考になることがあれば幸いである。

 あのとき、あの場所に先生がいて市倉ゼミという坩堝がなければいまのebisuはありえなかった。
 市倉先生の訃報に接して、やり残している仕事を再確認して、叱られたような気もするし、にっこり微笑んでそれでいいとおっしゃっているような気もする。


*#2029 市倉宏祐先生の思い出 July 28, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-28


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