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#1802 蜂谷涼『夢の浮き橋』 Jan. 12, 2012 [A4. 経済学ノート]

夢の浮橋

夢の浮橋

  • 作者: 蜂谷 涼
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/09
  • メディア: 単行本

 作者は1961年小樽市生まれの道産子。
 江戸職人に興味があり標記の本を元旦に読んだ。女のガラス職人の話である。
 子供ができないために出戻ったおはんは、実家の家業である貸し本のデリバリーを手伝っているうちに客先で素晴らしいガラスの工芸品の壺に出会う。一目見た途端に目が離せない。印象を問われて源氏物語の空蝉が脳裏に浮かび"空蝉"と答えると、まさしくそれがその品に作り手の名工がつけた名前であった。
 すぐにそのガラス職人を訪ね、弟子入りを志願するも師匠からはなかなか許しが出ない。雨の日も作業場の前に座り続ける。・・・

 師匠の磊治(らいじ)がおはんに言う。
「どないな腕利きの職人かて、完璧なものなんぞようできへん。仕上げてしばらくは、今度こそ最高や、傑作や思うても、何日か経てば、あそこをこうすればよかった、ここをこうすればよかった、て思うようになる。次はもっとええもん拵えたる、ってな。これで終わってたまるかいな、って思うんや」
「親方でも、そうなんですか」
「当たり前やんか。それが職人いうもんやし、そうでなければ腕も上がらへん、技も磨かれへん。」

 物語の最後は幕末という時代状況が二つ絡んでくる。男と女恋あり、修業あり、競い合いあり。名工には手の技だけでなく教養も一つの武器となることがよくわかる。師匠の磊治と弟子のおはんを結びつけたのは源氏物語。
 江戸情緒の色濃い作品である。源氏物語の「空蝉」の帖もあわせ読まれたらいっそう面白い。


【日本人の職人仕事観と新しい経済学の可能性について】
 小学生4年のときから北海道新聞の社説と1面の政治経済欄の記事を読み漁ったヘンな少年だったから、もともと政治や経済に興味があった。高校へ入学して当時出版され始めた中央経済社の『公認会計士2次試験講座』をテキストに簿記や会計学や原価計算論、監査論とともに経済学も学び始めた。近代経済学だがそれなりに面白かった。しかし、根室高校の図書室で読んだ資本論は1冊目であえなく沈没、全体の構成がさっぱりわからなかった、森に迷い込んで方向感覚を失ったような気がしたのである。
 商学部会計学科に進みながら経済学にますます興味を深めていった。学部を超えて学生を集めた一般教養ゼミの一つがが『資本論』を読んでいた。哲学の市倉宏祐先生が指導するそのゼミの一員に加えていただき『資本論』と『経済学批判要綱』にのめりこんだが、マルクスの労働観には違和感を抱き続けていた。
 大学院で経済学を専攻し、マルクス資本論の構成についての高校時代以来の疑問は解けたが、古典派経済学以来の労働観への違和感がますます大きくなった。
 直感は、スミス・リカード・マルクスの労働観と日本人の労働観がまったく異なると告げていたが、そのような疑問を抱いた経済学者は過去に例がなかったから、本を読んでいてもわからぬ。違和感の正体を確かめようと、26年間に業種の異なる四つの会社を渡り歩き経営管理・企画畑の仕事をした(入社時に上場企業だった会社はないが、3つは上場企業になった。お陰で上場前の高収益会社への経営の仕組みの切り替え、実際の上場実務、上場後の企業の状況変化を経験し、つぶさに観察できた)。毎日仕事の真剣勝負で技を磨き自分の技倆のあがるのが実感できたのはガラス職人の主人公おはんと同じだろう。のめりこめば何とかなるもの、明日の見えないときも見えるときも仕事は生きがいのひとつであった。
 それゆえ仕事でマルクスが言うような疎外感を感じたことはない。仕事は真剣にやればやるほど面白く楽しくなるもの。ようやく50歳を過ぎてそれまでやってきた仕事について書いてまとめてみて、マルクスの労働観の誤りの正体に気がついた。
 "労働"ではなく"職人仕事"だったのだ。職人仕事が日本人の労働観の基礎をなしており、工場労働や奴隷労働に基礎をおく西洋経済学の労働観と日本人が伝統的に抱く"職人仕事"観とはまったく違うものである。ここから西洋経済学と異なる日本人の伝統文化や仕事観に基く新しい経済学が始まるのだろう。日本人は日本の伝統文化にもとづく新しい経済学を創始できる。あくなき欲望の追求である西洋経済学は地球規模で行き詰ってしまったが、日本の伝統文化をベースにした新しい経済学は人類を救う可能性を秘めているのだろう。

 マルクスが想定する工場労働者の労働と日本人の仕事観は異なる。人間疎外ではなく人間の全人的な表現が職人仕事の正体である。その根本は神への捧げものを造ることからはじまった。いまでも刀鍛冶の仕事にそれが端的に伝承されている。職人は自宅に神棚を祭る。
 江戸のガラス職人を描いたこの作品も、日本人の仕事観をよく伝えている。正直に・誠実にひたすらいい仕事をしたいものだ。
 仕事も仕事場も神聖なもの。整理整頓・清掃をよくすることは神聖な仕事場を清める意味もある。いい職人は仕事の後の整理整頓が板についている。仕事の前よりも仕事の後のほうがきれいだと思わせるような見事な仕舞い方をする。
 仕事の技を磨き、たとえ誰も見ていなくてもけっして日々の仕事の手を抜かない、それが日本人だ。



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