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#1618 武士と町人と日本文化  Aug. 8, 2011 [A4. 経済学ノート]

 ニムオロ塾は5日から金比羅さんのお祭りが終わる11日まで1週間のお休みである。
 暇に飽かして好きな時代小説を読んだ。
 山本周五郎著『ひとごろし』『楽天旅日記』
 6月に『酔いどれ次郎八』『松風の門』を読んでから山本周五郎のファンになった。

 山本周五郎の作品には武士の生き様や町人の生き様がよく描かれている。江戸情緒の書ける最後の作家だったのではあるまいか?
 『酔いどれ次郎八』には「江戸の土圭師」という時計職人の話しが載っている。江戸時代の庶民が仕事をどのように考えていたのかよくわかる。古典落語の長屋の世界に住む職人が主人公だ。幸田露伴の『五重塔』も職人(大工)の話だった。
 これらの職人たちはスミスやリカードやマルクスの考えていた労働者とは別の世界に生きている。ヨーロッパの経済学者たちの労働概念は奴隷労働がベースになっている。否定されるべきものとして扱われる。
 "工場労働"と職人の仕事はまるで別物である。職人は日々技を磨き、仕事の手を一切抜かない。そのときやりうる最高の仕事をする。職人仕事は自己実現そのものである。腕のよい職人はみな自分の道具を持ち手入れを怠らない。「弘法は筆を選ばず」と言われているが事実は逆で、自分の使う筆を工夫を凝らしてたくさんつくった。道具や材料を工夫しなければいい字は書けぬ。
 日本人は工場労働者になってもほうっておけば自然にその工場で「職人」となってしまう。自分のやっている仕事の"改善"に夢中になるのだ。自分が使う道具や機械の手入れも徹底しておこなう。
 オヤジは落下傘部隊の隊員だったので、戦後もっていた落下傘部隊関係の写真の大半を焼却処分した。秘密部隊だったからJHQから何か追求があることを畏れたものらしい。だが、十数枚だけ残っている。その中の一枚は機関銃を構えている写真である。軍服はずいぶん立派なものを着ており、機関銃は写真の中でもそれとわかるほど手入れが行き届き黒光りしている。
 大工が鉋の刃を研ぐのも、軍人が武器の手入れを怠らないのも同じ精神から出ているように思える。誰かに言われてするのではなくその道具の最高の性能を発揮するには普段の手入れが肝心なのだ。手入れの悪い道具ではいい仕事ができるはずがない。
 日本文化は外国から入ってくるものをいつも溶かし込んで日本独特のものに変えてしまう。縄文以来1万年の歴史をもつ文化と伝統は海のようなものだ。いろんな川から水が流れ込んできても変わらずある。

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#1576 九州電力世論操作事件 :仕事と心 July 9, 2011 [A4. 経済学ノート]

 九州電力の取締役2名が執行役員の部長に「よろしく頼む」「国の説明番組を支援、協力してやれ」と執行役員の部長に指示したという。部長から課長にそして子会社へと指示は具体的になり自宅のパソコンから賛成意見を送れという風に広がった。そして内部告発が出た。何らかの不利益を覚悟の勇気ある行動だろう。こういう事件では内部告発者がしばしば理不尽な被害を受けることが多い。自分の損得を度外視した「世間よし」の心意気を称える雰囲気が日本社会に満ちることを祈っている。そうなればだれも好い加減なことはやれなくなるし、やらなくなる。日本はそういうところから変わるのだろう。

「九州電力:原発やらせメール 前副社長ら指示「国の説明番組支援を」」
http://mainichi.jp/select/biz/news/20110709ddm001040018000c.html

「九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開を巡る「やらせメール」問題で、原子力担当の副社長ら役員2人(ともに6月末から子会社の社長)が指示していたことが8日、関係者の話で分かった。組織ぐるみの疑いが強まったことで、眞部利應(まなべとしお)社長ら経営トップの進退に発展するのは避けられない情勢となった。・・・」

 そもそも経済産業省がたった7名の住民をピックアップして説明会を開いたことに批判が集中していたが、それだけでなく、会社ぐるみで情報操作していたわけだ。しかも、こういう情報操作は慣例になっていたらしい。ZAPPERさんがブログで小出裕章氏の発言を採り上げている。

「やらせメールは慣習だった!(自戒の念を込めて)」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/

●小出裕章(京大助教)非公式まとめ
7月7日 「ヤラセメールは慣習だったしありふれた出来事だった」小出裕章(MBS)
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/07/08/tanemaki-jul-7/


 仕事は正直に誠実にやるのが一番いい。職人を尊ぶ文化の日本では仕事は神事につながるから、嘘偽りのない心で最大限の努力をする。もちろん必要な技倆は毎日磨き続けることが求められる。それができない者はその道の「名人」とは呼ばれない。刀鍛冶を思い浮かべてみれば、職人仕事が信じであることが理解できる。日本人にとって仕事の原点は神事であると私は思う。だからこそ近江商人の家訓に代表されるように「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」が広く受け入れられているのだ。
 電力産業に働く者たちよ、仕事の原点に戻れ、正直に誠実に仕事をしよう。ダメなことはダメと言おう、社内で声を上げよう。それで一時期冷や飯を喰らってもどうってことはない、きっと気分は爽快だ。一時期仕事を干されたって、干した上司がいずれその地位を追われることになるからひたすら仕事の技倆を磨き待て。辛抱できる者に未来はある。見てみろ、世論操作指示をした副社長や執行役員の部長のこれからを。私利私欲、自部門の利益しか考えず、地域住民の利益を損なうような仕事をした者たちの末路は暗い。私利私欲のために不正直で不誠実な仕事をして気持ちのよいはずがない。自分の子供・親・兄弟姉妹・友人に誇れる仕事をしよう。天に向かって恥じない仕事をしよう。なにより自分の心が晴れ晴れとして雑念なく仕事に没頭できるのが一番いい。そういう姿は美しい。




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#1565 東京電力株主総会に見る株式会社制度の根本的な欠陥 Jun. 30, 2011 [A4. 経済学ノート]

 この数日間に各電力会社の株主総会が集中して開かれたが、衆目を集めた東京電力の株主総会は28日だった。

 電力会社の株主総会では、一般株主が原発稼動反対や定款に原発開発禁止条項を取り入れるように意見を主張し、その場にいた株主の大多数が提案に賛成しているにも関わらず、ことごとくこれらの提案が否決されている。

 こんなことが可能なのは機関投資家から東京電力が委任状を取り付けていたからである。機関投資家とは銀行、信託銀行、保険会社などであるが、これらはお客様から預ったお金で東京電力の株を購入しているものである。それが預金者や保険契約者の意向を無視して利用されることにどこかおかしいと感じる人が多いのではないだろうか。企業間の株式持合いによって、それぞれの企業の取締役が批判を封じて好き勝手=恣意的な経営を行うことにブレーキがかけられない。恣意的なぐらいならまだしも、原子力発電による被害は社会全体へ重大なダメージを及ぼすものだから、原発を続けることは反社会的経営と言い切って差し支えないだろう。

 金融機関と東京電力はお互いに株を持ち合い、相互に経営に口出しをしない。機関投資家による株の持ち合いは、相互批判を封じ込め、それぞれの巨大企業で取締役の恣意的=反社会的な経営方針をサポートする結果となっている。

 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の精神で運営されなければ、株式会社がまったく反社会的な存在になってしまうことが明らかになったとみるべきだ。株式会社制度の根本に係わる欠陥が露呈した。

 なにか法律を制定することでこの根本的・致命的ともいえる欠陥を防ぐ手立てはあるのだろうか?企業の反社会的な行為(社会に重大な実害の生じる経営方針)に関しては株式数ではなく、出席株主数で議決ができるように法律を制定すべきだ。会社法を改正すればいい、法律の制定は国会議員の仕事である。

*「東京電力:株主総会 相次ぐ厳しい質問 会場外で抗議行動も」
http://mainichi.jp/select/biz/news/20110628dde041020006000c.html

「東電株主総会、6時間で終了 原発撤退議案は否決」産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110628/biz11062816180045-n1.htm

「 28日行われた東京電力の株主総会は、午後4時9分に終了した。9000人超の過去最多の株主が出席し、午前10時から約6時間のロングラン総会となった。福島第1原発事故を受け、株主が提案していた原発撤退議案が否決される一方で、取締役選任など会社提案の議案はすべて可決された。

 原発事故や賠償問題、業績悪化による株価暴落などに批判が噴出し、・・・」

「株主402人が提案する原発からの撤退などを定款変更を諮る議案については、「反対多数」とされ、否決された。」


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#1508 ユッケと職人仕事 May 9, 2011 [A4. 経済学ノート]

 このところ「えびす」が世間を騒がせている("ebisu"ではない)。5月9日の産経ニュースは次のように伝えている。

「焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」でユッケなどを食べた客4人が死亡した集団食中毒事件で、チェーンの運営会社「フーズ・フォーラス」(金沢市)に対し、食肉卸業者「大和屋商店」(東京都板橋区)が、食中毒を防ぐために生肉の表面を削る「トリミング」は店舗で必要ないとする趣旨のメールを送っていたことが9日、フーズ社への取材で分かった。」
http://sankei.jp.msn.com/life/topics/life-14963-t1.htm

 フーズ・フォーラスを経営するのは40代の創業社長だが、次々とチェーン展開をしたようで、20店舗あるようだ。外食産業は1店舗に店長あるいはもう一人のみが社員であとはアルバイトのシフト体制で切り回すところが多い。店長教育はある程度の規模ならマニュアルがあってインスタントになされている。問題があるとすれば社長と店長が職人ではないということだ。そこをカバーするために全店舗を統括するプロの職人「総料理長」がなくてなならぬ存在だ。社長にも品質管理のためなら苦言を呈することができる強者であることが望ましい(イエスマンは品質管理の役に立たぬ)。そういう人材がいたのだろうか?

 ユッケは生肉を扱うから職人の見識と技倆がいる料理である。ふぐ料理を考えてもそうだろう。280円294円弱でユッケが食べられるというのはリスクと隣り合わせであるということが明るみに出た。
 きちんとした修行を積んだ職人を配置し、よい食材を選べば280円294円弱で出せるはずがない。ある高級焼き肉店では1400円だそうだ。客に出すときにトリミングして芯の部分をだすから、歩留まりが悪くなるので相応の値段になる。
 ユッケは安手の焼肉チェーンでは食べてはいけない料理だということは、消費者も自分の頭で判断しなければならぬ。常識で考えて無理があるのだ。常識を支えるのは、職業と職人についての常識、ちょっとしたコスト試算の四則計算である。自分で買い物をしたことがあり、ある程度の教養と基礎的な学力があれば十分判断できる性質の事柄である。
 (教養と基礎学力はさまざまな災厄を避けるために必要なものだ。他の例を挙げると、米国の低所得層・低学力層を狙い撃ちにしたサブ・プライムローンも四則演算をしっかりできるだけの基礎学力があれば引っ掛かるはずがない詐欺商法だった。
 教養と基礎学力は社会人として必要最低限の武器や鎧なのだから、小中高生はしっかり学習すべきだ。なにより自分のためなのだ。自分がしっかりしないと世のため他人のために働くことはできないのだよ。)

 いくら精肉卸しがトリミングの必要がないといっても、たとえ無菌処理されてパックされた肉でも常識として時間がたてばトリミングが必要なことは職人なら当たり前のことだ。職人がやったのなら技倆のない半端職人で、そんな人間の経営する個人経営店はすぐにつぶれる。
 肉の処理のプロではない人がユッケを作るということ自体が間違っている。ユッケが食べたければそれなりの肉料理の職人がいるお店に行けばよい。

 なぜこんな事を採り上げたのか理由を書き留めておく。
 なんてことはない、オヤジが焼き肉店を数年間開いていたからだ。屠場から直接肉を仕入れていた。仕入れた肉が気に入らなければはっきりそういう。返品することもあるし、半分棄てることもある。とにかく職人として納得がいかなければお客様には出さない。それは職人としての自分の仕事に対するプライドであり当たり前のことだ。
 屠場からの直接仕入ルートがなくなってから、地元仕入をやってみたが、納得のいく肉が手に入らなかった。そしてほどなく店を閉めた。潔いことは職人気質のひとつだろう。
 若い頃、きちんと修業したからこその焼き肉屋だった。納得のいかない仕事はしない男だった。もう二十数年前に店をたたんだが、小さな根室の町だからご記憶の人があるだろう。

 東京人形町交差点に"キラク"という小さなステーキ屋がある。もちろんトンカツも美味いのだが、わたしはここのポークソテーと牛カツが大好きだった。通ったのは1970年代終わりから83年までのことだ。午前中の会議が延長して1時過ぎに食事のときはよくこの店で食べた。ランチの時間帯は行列ができて混雑しているからだ。今でもこの店はあるはずだ、息子か娘夫婦が継いでいるだろう。当時は家族営業の店だった。
 この店は有名な「今半」から肉を仕入れていた。あるとき、細身で背のあまり高くはないオヤジが届いた肉をチェックしてすぐ電話した。黒く重たい受話器を耳に当て、
「約束が違う、いつもの品物ではない」
と言って返品・交換を要求した。江戸っ子のタンカはなかなか威勢がよい。カウンターに椅子が10個くらいのちっぽけな店だがプライドは高い。
 すぐ近くにある人形町今半本店は肉の大店である。自分のところでもすき焼き屋を直営している。その大店に向かって「約束が違う」と言い切り、今半も思い当たったのだろう、反論することなく交換に応じた。わたしが観てもポークソテーに使うブロックが小ぶりだった。これではいつもの大きさのソテーを出せない。仕入はお店の存亡をかけた真剣勝負である。客の期待に応えるためには言うべきことは言わねばならぬが、当然、仕入コストに跳ね返ってくる。それでも構わぬという覚悟のこもった言葉だった。売るほうも買うほうも、「約束が違う、いつもの品物ではない」それだけで分かり合い、仕事がスムーズに流れる。なぜ、小さいブロックが来たのかについては事情を買い手も承知している。ああだ、こうだという言い訳は不要。映画にしたいくらいいい場面を見せてもらった。

(【牛カツの思い出】
牛カツが好きなのには理由がある。高校生のときに洋食の職人がいて牛カツを懸けてビリヤードをしたことがある。その職人は腕に覚えがあるから高校生のわたしに美味い牛カツを食べさせたかったのだろう、ゲームは彼の思惑どおり私の勝ちだった。
 さっと揚げた後、石炭のオーブンで油を切り、ミデアムレアの牛カツが出てきた。これがとんでもなく美味しかったのである。肉の熟成加減も、処理もいい。絶品だった。根室にも洋食の腕のよい職人がいた。
 人形町キラクで最初に牛カツを注文したときは「あの牛カツ」に迫る牛カツが出てくるかなとワクワクしたことを覚えている。目の前でオヤジが肉を切り、解き卵をくぐらせて粉とパン粉をつけ、油へジュッと放り込む。ころあいをみて油から上げ、長い牛刀でサクサク音を立て切り分け、白い皿にキャベツと芋サラダを合わせて盛り付ける。うーんなかなか、オオノさんが作ってくれた牛カツといい勝負だ。)

 幸田露伴に『五重塔』がある、宮大工の物語だ。山本周五郎が昭和17年に書いた『江戸の土圭師』という時計職人の話しがある。どちらも職人と仕事についての小説だ。
 わたしは乙川優三郎の著作が好きだが、1950年代生まれの彼には職人を書いたものがない。全部を読んでいるわけではないのであるのかもしれないが、読んだ範囲では記憶にない。武家の心構えについてはたくさん作品がある。
 職人、仕事、親方、長屋などの舞台装置は古典落語の世界でもある。こういう世界を書ける書き手がいなくなりつつあるのではないかと心配になる。古典落語や小説を通じて私たちは職人や仕事というものについて著者が持つ深い洞察を学んできた。それは現実の仕事にも影響していたのだろうと思う。物づくりを尊ぶ世界である。それは濡れ手で粟をつかみとる世界と対極をなしている。
 一店成功すれば、金太郎飴方式で次々チェーン展開して儲けようという輩が増えていることは確かなようだ。江戸期や明治期の日本人が嫌った浮利を追ったり、濡れ手で粟をつかむような輩を持ち上げる傾向がテレビを筆頭に増えてしまった。
 金太郎飴方式のチェーン展開は現代の錬金術のひとつであろう。うまくいって店頭公開できれば百億円程度の儲けは手にできる。しかし、落とし穴がある。仕事の質が均質化し、低下してしまっている。お店では工場で下処理されたり半製品化された材料を調理するだけである。材料選びから下処理、最後の仕上げまで一貫して学ぶ環境がない。こうして仕事に対する考え方や技倆が劣化してしまっている。
 料理を出すために、材料選びから下処理、仕上げの調理を一貫してやってみて技倆は高めることができる。どの工程もお皿に盛り付けられた料理の味に関係している。
 こうして仕事が分業化され分断されることで仕事を極めるという姿勢や環境が失われつつある。日本の職人文化は外食産業の隆盛に反比例して危うい。

(外食産業のチェーン店で一人前の職人を育てることはほとんど不可能だ。40歳を過ぎたら困るだろう。就職先としてはあまりお薦めできない。一人前の職人を目指すならどの店で修行するかというスタートが大事だ。5年間は身を粉にして人の2倍働き仕事を覚えろ。そういう覚悟のない者は職人には向かぬ。)

*人形町 洋食キラク
http://r.tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13003057/


五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

  • 作者: 幸田 露伴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1994/12/16
  • メディア: 文庫
酔いどれ次郎八 (新潮文庫)

酔いどれ次郎八 (新潮文庫)

  • 作者: 山本 周五郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1990/07
  • メディア: 文庫
*学校の先生や塾の先生も職人という側面がある。
 『酔いどれ次郎八』の中に「江戸の土圭師」がある。時計職人の主人公三次郎が見世物小屋でナイフ投げの男女の芸を見たときにそのまなざしの真剣さに心を打たれる。自分はああいうまなざしで仕事をしていただろうかと本来の自分を取り戻し、数年間の放浪に終止符をつけて親方へ詫びに行く。
「わたしが考え違いをしていました」
と。仕事に不平不満はじつは自分の心根の問題だった。・・・
 先週、朝8時台のNHKラジオ番組を寝ながら聴いていたら、朗読がはじまった。いい話だなあと感心して終了時間を見たら8時45分だった。

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#1482 東北大震災とパラダイムシフト:良寛をめぐって Apr. 22, 2011 [A4. 経済学ノート]

  戦後65年間私たちは一貫して経済的繁栄を求めてきた。それが幸福を手にするために必要なことだと確信していたからである。
 日本人は明治維新の殖産興業・富国強兵以来ずっと物質的繁栄を求めてきた。産業の発展が幸福の礎だと思っていたのである。

 団塊世代が小学生のころは電話や電気冷蔵庫のある家はほとんどなかった。中学生のころようやく固定電話が家庭に普及し始めた。高校1年生の1964年に東京オリンピックがあったが、それを契機に18インチのカラーテレビが家庭に普及していった。3~5万円ほどの値段ではなかったか?
 高校生のころですら学校へ「自家用車」での送り迎えなど考えられなかった。根室にはサラリーマン家庭で車を持っている家などなかった。自営業で景気のよい人たちが車を持ち始めていた。そして高校へ行かなかった団塊世代の道楽息子たちが18歳になって車を乗り回し始めたのがこのころだっただろう。当時ほとんどが砂利道だった釧路―根室間120キロを1時間で走る者が3人いた。一人は一度全損事故を起こし車はオシャカになったが不思議と軽い怪我ですんだ。車の価格は急速に下がり始めていた。下がり始める前の当時の車の値段は標準的な家が一軒買えるほどの価格だった。記憶に間違いが多いのだが高校2年のときに見た新聞広告に乗っていたスポーツカー、日産シルビアが当時の価格で150万円ほど、高卒の初任給が2万円のころである。
(大学進学率は根室高校で10%程度だっただろう。当時の根室高校は同世代の40%ほどの定員枠で、高校を卒業したら職業人となるのが普通のコースだった。わたしは高校を卒業したら金融機関で働きながら公認会計士試験を受けるつもりでいた。中2のときに自分の進路を決めていた。方針を変更して大学進学を決意したのは高校3年の12月だった。家が自営業だったからのんびりしていたのだろう、間抜けな話である。小学校から高校卒業まで毎日数時間ずっと家業を手伝っていた。)
 いまでは1家に1台あるいは2台の車がある。家も昔に比べるとずいぶん豪華で広くなったし、冷蔵庫もテレビも携帯電話もパソコンもあらゆる物が周りに溢れている。
 しかし、この物質的豊かさの拡張は人間の幸福につながるものではなかったということに日本人はうすうす気がついており、今回の東北大震災と福島第1原発事故で豊かさが一瞬で空前絶後の災厄に変わることを思い知った。物質的豊かさを追い求めても幸福は得られないことに気がつき始めたのだ。

 日本人は生き方を変えなければならないのだろうが、変えられるだろうか?変えねば比較にならぬほどの大災害をすでに準備してしまっている。時間の経過が大災害の引き金となる。日本の全域に人が住めぬほどの大災害を日本人の私たちがこの50年間で準備してしまった。積み上げた薪の上に住んでいたことにこの福島第一原発事故で気がついたのである。

 物質的豊かさを切り捨てて生きた先人がいる。誰も訪ねてこない越後の山の中の4畳半ほどの庵で冬をすごし、無一物の生活を続けたお坊さんがいる。良寛である。良寛は時代を超えて道元の弟子であることを自認していた。

 師道元は年長の弟子懐奘に言う。
「ついでに示していわく、学道の人はまずすべからく貧なるべし。財おほければ必ずその志を失ふ。(略)貧なるが道に親しきなり。」『正法眼蔵随聞記』岩波文庫

 中野孝次は2000年12月に出版した『風の良寛』で次のように書いている。
「 貧乏でなければ道を悟れない、というのか。恐ろしい思想だ。だが、良寛はほんとうにそれを信じ、そのとおりだと知ったので、生涯あの貧乏生活を選んだのか。
 わたしは雪の中の五合庵に立って、良寛はついにはそういう恐ろしい難問をこちらにつきつけてくる、と感じた。もしほんとうにそうならば、物を多く所有し、ゆたかさを謳歌する現代人は、ついに悟道と無縁なわけである。真の幸福は悟道とむすびついているなら、貧乏にならぬ現代人はついに真の幸福と無縁であるのか。」(20ページ)

 物質的ゆたかさの向こうに幸福はない。足るを知る、小欲知足の世界がわたしたちにできるギリギリのところかもしれない。
 良寛の真似はとてもできない、しかし、道元の言を噛み締め、良寛の生涯を今一度思い起こしてみることはできる。
 今夜の外の気温はほとんど零度である。良寛は数メートル雪が積もる山奥で、火の消えた囲炉裏の灰に足を入れて腹わたまで冷える夜をしのいだ。春の訪れは格別のものだっただろう。寒く厳しい孤独な冬を過ごした者にしか春の大いなる喜びは感じられぬ。
 日本人は世界トップレベルの便利さを手に入れると同時に喜びを失ったのである。

 春の訪れの喜びを取り戻すためには棄てなければならぬものがたくさんある。わたしたちにそれができるのだろうか?できなければ、それに見合う未来と直面するだけである。
 今後百年の間に原発のある土地でいくつかの直下型地震が起きるかもしれぬ。福島第一原発のおおよそ100倍もの量の3000トンの使用済み核燃料貯蔵庫のある六ヶ所村でも直下型地震は考えられる。ここにフランスで再処理して戻された純度の高いプルトニウムも数トン貯蔵されているが、その半減期は2.4万年である。あ~ぁ、とため息をつかざるをえない。
 4枚のプレートの上に乗っている日本の国土の中に地震をまぬがれるところはない。原発を廃棄しても使用済み核燃料の保管場所と冷却システムが必要だから、すでに手遅れなのかもしれない。どれほど便利であろうとウランは掘り起こしてはいけないモノだったのだ。
 慈悲は人と人との間にあるもの、天に慈悲はない。ただ因ありて果となるのみ。


*#1254 「経済成長論の終焉」 Oct.24, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-24-1


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風の良寛 (文春文庫)

風の良寛 (文春文庫)

  • 作者: 中野 孝次
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/01
  • メディア: 文庫

正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)

正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)

  • 作者: 和辻 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/02
  • メディア: 文庫

 


#1466 オーバーテクノロジー(メモ) :ホーキンスの警告  Apr. 8, 2011 [A4. 経済学ノート]

 ホーキンス博士が福島第一原発事故に関連した発言をしている。その中に標記の言葉、オーバーテクノロジーが出てくるが、これは馬場宏二氏の「過剰富裕化」概念と共にパラダイムシフトのキーワードの一つだろう。
 かれはオーバーテクノロジーを「自分たちでは使いこなせない技術」と定義し、具体例に原子力技術を挙げている。

想定外の事態が発生して放射能を漏らしているのであれば、原子力は人間が100パーセント操れる技術ではないという証拠なのだ。つまり原子力はオーバーテクノロジーであり、それでも「安全だ」「管理できる」というのであれば、それは自欺である

 "自欺"という言葉は聞きなれぬ言葉だが、自己欺瞞の意だろう。ホーキンスは原発事故がこの星から人類の生存を脅かしかねないことを指摘し、警告しているのだ。


 わたしはやってはいけないことに再生が不可能な資源の浪費も挙げたい。最終目標は再生可能な資源の範囲で人類は生活すること。

 自己破滅型の成長経済から縮小経済へはどのようにして切り替えが可能なのかをみんなで考えたい。
 人口爆発から人口縮小へと向かう社会の範を日本が示すことになるのだろう。そのきっかけが今回の東北大震災だ。そして、天は福島第一原発事故というオーバーテクノロジーの問題も突きつけてくれた。最終目標は遠大である、走っては続かぬ、ゆっくり歩こう。

*「地球を死の星にしてはならない / ホーキング博士「銀河系の知的文明は100年と持たずに絶滅してる」」
http://topics.jp.msn.com/wadai/rocketnews24/column.aspx?articleid=551938

「理論物理学者として有名なスティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士。博士は、この銀河系に知的文明を持った惑星が200万は存在するだろうと発言している。しかし、100年と持たずに絶滅しているともコメントしている。それはどうしてか? 自分たちでは使いこなせないオーバーテクノロジーを手に入れたことで、自滅してしまうというのだ。」

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#1454 異質な経済学の展望 :パラダイムシフト Mar. 31, 2011 [A4. 経済学ノート]

 原発は便利である。利便性を追い求めた結果、人類が手に入れたものはたくさんある。しかし、この便利さを疑ってみる必要がないだろうか?東北関東大地震とそれによって引き起こされた津波が福島1号原発を襲った。3機の原発が火災を起こし、4機の原子炉建屋から大量の放射能がばら撒かれた。地震からすでに21日目であるが一向に終着点が見えない。

 これは3月7日に書いてそのままにしてあった小論である。いろいろ考えあぐねているのだが、私には商品経済をどの程度制限すべきかについてはいまだに整理がつかない。

 人類が生き延びるためには「過剰な利便性」を排除し、ある程度の不便を受容する経済社会が必要なのではないか。日本列島は4枚のプレートに載った不安定な構造上にある。原子力発電はそういう日本の地質学的な構造に適さない。利便性と同時に破滅的なリスクを抱えることになるからだ。そういう現実を今回わたしたちは目の当たりにし、原子力専門家の言うこと(何重にも施された安全性)が当てにならないことを思い知らされた。

 かなり不便なそして高いコストを払うことになるが、私たちは生活基本物資を国内で自給自足できる体制を創出すべきだと思う。世界各国は国内で生産・調達できない物のみ国際市場で調達すればいい。リカードの比較生産費説による国際分業を真っ向から否定することになる。スミスとリカードとマルクスは一本の線でつながっているから、マルクス経済学に取って代わる経済学を創るためには結局、スミスもリカードも否定することになるということにいまごろ気がついて、それですこし狼狽している。
 商品経済を制限し、国単位での自給自足の度合いを強め、経済縮小や人口減少を図り地球環境とのバランスを取り戻すべきで、それを実現できる経済学を提唱したい。小欲知足の経済社会である。
 
 
  私には見果てぬ夢がある。『資本論』とは異質な経済学を垣間見ることだ。まさか、リカードの『経済学及び課税の原理』まで否定することになるとは考えていなかったのだ。これは試論である。浅学菲才の私には描くべき経済学の全体像がどのようなものかまだわからない、要点を整理してみようと思う。

(1)労働概念から職人仕事概念へ
 労働は苦役だというのが西洋経済学思想の根底にある。労働はもともと奴隷や農奴のもので、苦役以外の何物でもない。特権市民は労働をしない。労働からの解放は奴隷からの解放と重なる。
 マルクスにとっては工場労働者の労働は人間疎外や苦役という観点から、奴隷や農奴の労働と変わらない。労働が苦役だという考えは古代奴隷制社会や農奴制社会に固有なものだろう。決して普遍的な概念ではない
 日本は奴隷制社会も農奴制社会も経験していないが、そのことが労働概念の違いとなっていることに日本の経済学者は誰も気がついていないようにみえる。
 日本人の労働観は西洋のそれとはまったく異なる。刀鍛冶は禊をしてから刀を打つ、日本人にとって仕事は古来から神聖なものであった。あらゆる分野の仕事がさまざまな職人によってなされており、名工は尊敬されている。
 労働を私は仕事と言い換えたい。もっとはっきり言えば職人仕事である。
 自らの仕事を「人間疎外」だなんて感じる職人は日本には一人もいないだろう。職人仕事は自己実現そのものであり、全人的な行為である。だから、工場でさまざまな改善活動が自然に起きてしまう。工場にいる職人たちは仕事の改善活動が楽しいのだ。職人が自分の技を磨くのは他からの強制ではないし、自分がそのときになしうる最高の仕事をするというのが職人仕事の基本である。日本の風土は「工場労働者」さえも職人化してしまう。風土と経済も切り離しえないのだろう。
 マルクスは資本論の出発点に抽象的人間労働を措定したが、これを職人仕事に置き換えたらどのような経済学体系が展望できるのだろう。私たちはまったく違う世界をみることになる。
 とはいえ、公理的な体系である経済学の学の端緒を入れ替えて別な建物を建てるのは簡単ではない。本音を言えば最初のところから沈没しそうである。種々の概念を比較分析し、基本的なものを篩(フル)いにかけ、ついでそれらに順序をつけて、基本的な関係から順を追って複雑な関係の中のおいて、概念を発展させていかねばならぬ。つまり、うんざりするような仕事がまっているのだ。
 そもそも価値形態論は書きうるのだろうか?それとも不要なのか?それすらまだ分からぬ。やってみるしかないだろう。世界市場関係や国際関係までの道のりは遠い。誰かがやるべき仕事だろうが、正直言って私の手には余る。

(2)経済成長論から経済縮小論への転換
 日本の歴史は400年ごとに大きく変貌を遂げてきた。平安時代から400年で武家政権の鎌倉時代へ、そして1600年の関が原の戦いで鎖国体制に入った。その後の400年は経済成長と人口増加の時代だった。2000年を境に人口縮小・経済縮小の時代に入ったのではないかというのがわたしの見方だ。感覚の鋭い経済学者である馬場宏二氏が90年代後半から「過剰富裕化論」で縮小の経済学を説いているのは興味深い。大きな潮流の変化を感じ取っているのだろうと思う。
 遺伝子の中でどういうプログラムが働いているのかわからないが、日本人はピーク時の四分の一、人口3000万人へ縮小しつつあるのかも知れぬ。
 3000万人へ人口縮小という假説に立ってみよう。食糧の自給は可能になるし、二酸化炭素の排出量も四分の一になる。経済成長論よりも経済縮小論のメリットのほうがはるかに大きいのではないだろうか。
 EEZ(排他的経済水域)内には現在の人口でも100年分のメタンハイドレートが眠っているし、レアメタルも海底に無尽蔵にある。巧く人口を減らせれば、資源は500年でも1000年でももたせることができる。その間に人類が生存可能なように智慧を絞ればいい。
 人口減と経済縮小と環境に負荷のかからない生活様式への切り替えを世界に先駆けて日本人がやる。おそらくそうすることでしか世界は救えない。古代奴隷制社会や農奴制社会を経験した欧米の国民やロシア人や中国人にはこのような役割を期待できない。労働に関する価値観や商道徳が違うからだ。
 縮小経済論は特殊日本的なものでありながら世界経済へ普遍性をもつものとなるだろう。

(3)商道徳
 自由放任で神の見えざる手が働くというのがスミス『諸国民の富』の説くところであったが、地球環境的にも行き詰まりである。レッセフェール(laissez-faire=自由放任)に対して私利私欲を棄て、三方善しの経済を対置する。原始仏教の小欲知足という考えや自然と調和して1万2千年過ごしてきた縄文の価値観とも通底する。

 人間は自らの欲望を理性でコントロールしなければならない時代に入っている。日本人は特有の商道徳の実践で強欲を戒めてきた世界に類のない国民である。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」の商道徳は広く受け入れられて、様々な企業で家訓や社訓として受け継がれてきた。
 日本には信用を旨とし、200年以上の歴史を誇る企業が多い。世界中にある200年以上の歴史を誇る企業のおおよそ80%は日本にあると言われている。住友家の家訓の一つ「浮利を追わず」というような企業理念をもつ会社が日本には多い。
 だまされるほうが悪いという西洋流の無軌道な弱肉強食のルールは日本には合わないし、そういう考えの企業は一時的に反映してもあだ花に終わり永続できない。
 そもそも地球環境の維持ができないほどの経済発展は「三方善し」の考えに立てば、「世間善し」とはならないから、やってはいけない事柄に属する。自らの欲望を固く閉じ込めなけらばならないのだが、日本人にはそれが可能だ。
 この点でも特殊日本的な職人主義経済は世界経済への普遍性をもつことになる。

(4)宗教と経済
 プロティスタンティズムと資本主義の精神という本があるくらいだから、近代資本主義とプロティスタンティズムは関係が深い。ジョンロックの思想やスミスを研究することで論証できるだろう。もちろん、マックスウェーバーの著作もだ。
 イスラム世界はまた違った思想で経済が動いている。ユダヤ教も然り。これら三つの宗教に共通するのは啓典宗教ということと、もともと同じ神を信仰しているということだろう。預言者が違うというだけのことで、お互いに自分が正しいと言い募っている。

 日本は多神教の世界である。自然界のあらゆるものに神が宿っていると考えている。古代奴隷制も農奴社会も経験していない。必要以上に収穫をせず、自然と調和する生活を縄文時代1万年にわたって続けてきた。100万人の人口があった江戸すらも当時の技術で自然と可能な限り調和を求めた社会ではなかっただろうか。上下水道や糞尿処理の違いを比べてみるのも一興である。
 縄文期の暇つぶしのための縄文土器造りや神への捧げ物とつくる仕事が原点にあるのではないだろうか。
 多神教という意味では、ヒンズー教のインドへの興味もわく。そして仏教はユダヤ教やキリスト教やイスラム教が宗教という意味での宗教ではなく、哲学である。人間がいかに欲望を抑えるかということを繰り返し説いている。私は小欲知足という言葉を使いたい。
 ネパール、チベット、ブータンなどの国々が日本と似ている。ネパールはヒンズー教が8割、仏教が2割のユニークな国である。仏教徒は欲望をコントロールする術を知っている。お釈迦様は欲望を離れることを繰り返し述べておられる。苦は欲望の火から生まれる。無明を脱するためにその火を消しつくすことを繰り返し述べれおられる。涅槃=やすらぎは理性による本能の制御によってもたらされるのだろう。
 小欲知足。必要なもの以上を自然から収奪しない、つまり商品経済社会ではない経済社会を描くことになる。しかし、現実はツギハギになる。いや、商品経済社会そのものを制限するか止揚しなければならないのだろう。この辺りも大きな問題を孕んでいそうだ。
 
*#484 「国民の95%が幸せ…屈託のない笑顔(ブータン)」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-01-11-1

(5)政治形態
 経済と政治形態は切り離しがたいのではないだろうかという疑問が私にはある。近代資本主義と民主主義、マルクス経済学と共産主義や社会主義。職人主義経済もそれにふさわしい政治形態があるのではないだろうか。漠然としたイメージがあるだけだ。

 おおよそ、以上のような五つの要素を土台にして新しい経済学が展望できれば本望である。マルクス『資本論』のように経済学体系として一つの書物を書き切ることはできないだろうが、要点を記述するぐらいのことは私にも可能だろう。現段階ではそう考えている。
 もちろん、他の誰かがやってくれてもいい。誰がやるというよりも、仕事の結果が大事だ。行き詰まりを迎えている人類を救う経済理論が生まれなければならぬ、そういう大きな転換期に来ている。これから400年間日本経済の理論的支柱となるべき経済学である。日本が率先してやって見せ、世界へ範を示せばいい。いいものは広がり、普遍性を獲得する。

 カテゴリー「経済学ノート」は新しい経済学体系を創造するための試行錯誤である。いくつかの職人仕事についてはすでに何度か書いた。伝統的な商道徳や200年を超える歴史をもつ企業についても。これらは日本経済を理解する上で、そして西洋経済学へのアンチテーゼとして重要な鍵であると私は考える。

・・・冗長な文を最後まで読んでくれてありがとうございます。
                                m(_ _)m
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#1374 400年ごとに日本は大きく変わる?:関ヶ原の戦いから400年 Feb, 7, 2011 [A4. 経済学ノート]

  夜中に雪が降った後、数時間雨が降ったから、道路はびしゃびしゃ。2時くらいからまた少し雪が降った。夜9時過ぎにマイナス4.5度、道路はブラックアイスバーン。まっすぐに走っていてもアクセルを吹かすとタイヤが流れて危ない。いくら慣れていても今日はダメだ、車はスピードを落として走っていた。何度もタイヤが滑るのを感じながら家へ戻ってきた。

 昨年10月からはじめた毎週土曜日午前中の中3社会の補習も今月末で終わる。地理と公民を終わり、先々週から日本史に入っている。
 大きな時代区分を黒板に直線図で表してみたら、縄文の1万年の長さが圧倒的だ。これに比べると弥生時代の600年間はじつにわずかなもので、縄文文化が日本文化の源流と古層をなしていることが一目瞭然である。生徒たちにもインパクトが強かったようだ。
「先生、縄文時代ってすっごく長い!」
私たちはいまも縄文文化の大きな流れの中にたゆたっている。

 縄文時代⇒弥生時代⇒古墳時代。中学校の教科書では飛鳥・奈良時代も古墳時代に入っているようだが、すこし、毛色が違う。史実かどうか分からぬが、聖徳太子が物部守屋氏の書庫を焼いてしまったので、古事記以前の古文書が失われてしまった。それゆえ、飛鳥斑鳩の宮以前と以後の違いがよくわからない。飛鳥斑鳩以前は豪族の寄り合い所帯で連合政権の様相を呈していたが、天智以後は中央集権国家へと脱皮したのだろう。この境目辺りは史実が曖昧模糊として謎が多い。ネットで調べたら、飛鳥時代や奈良時代は古墳時代には含めていない。

*「日本史時代区分表」ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8C%BA%E5%88%86%E8%A1%A8

 直線図を延長していったらある事実に気がついた。平安時代(794-1185)から数えておおよそ400年ごとに日本は大きな転換期を迎えている。1192年が鎌倉幕府の成立で武士が台頭し、1600年に関が原の戦いがあり、その後、鎖国・幕藩体制の260年と明治からバブル経済までの140年、合計400年間がある。関が原の戦いの次の転換点が11年前の2000年であった。
 日本人は今いま明治維新以上の大きな転換の時期を迎えていると考えたほうがいいようだ。どこが明治維新以上かというと、人口増加社会から人口減少社会への転換というところにある。ベクトルが逆に向いてしまっているのだ。パラダイムシフトといってよい、日本史始まって以来の大転換期を迎えている。
 400年ごとに日本の歴史は転換点を迎えているという説は何かで読んだ気がするので、そういう視点で日本史を見ている歴史家は小数いるのだろう。数直線状に時代区分を書き込んでいけば誰でも気がつくのではないだろうか。教科書には書いていなくても、気がつく中高生は少なくないだろう。学問のきっかけなんてそんなものかもしれない。このような平凡な事実ではなく、もっとオリジナルな疑問を見つけたら大切にすべきだ。
 
 日本人の智慧は江戸期までは循環型社会という大きな枠組みを維持しつつ、生産力の増大やそれに資する技術開発へ向いていた。明治以降は循環型社会という枠が弱くなると同時に急激な工業生産力の増大・人口増大へと向かう。そして2000年から11年目、気がついてみると殖産興業・富国強兵・人口増大・経済高度成長・バブルと150年続いたアンバランスを回復するかのように日本は人口縮小社会へ突入してしまっている。

 縄文1万年の歴史は自然と共存しながら安定的な社会を維持してきたといえるだろう。21世紀になって地球温暖化問題に尖鋭的に現れているように、このまま世界中の発展途上国が先進国並みの生産力と富を手にしたら地球環境がもたない。自然と共存するためには人類は人口減少へと向かうしかない。馬場宏二*先生の過剰富裕化論もそういう文脈で生まれるべくして出現した学説なのだろう。

 日本人の集団的無意識(縄文文化という古層文化)が自然環境との共存のために人口減少という現象を生み出したのではないかという假説をわたしは提示したい。
 人口が4000万人程度に縮小すれば、日本国内に限れば、CO2問題も食糧自給問題も解決できる。人口減少社会は決してデメリットばかりではないのである。50年間辛抱すれば縮小均衡をなしとげられる。大きな社会的ストレスが生じるがそれをどのように受け止めるかだ。私たちの世代、団塊世代にとってはどう消え去っていくかという問題でもある。世代のエゴを滅して、次の世代のお手本となるような消え去り方をしなければならぬ。

 日本は成長至上主義から縮小型社会へ転換しつつあるようで、その世界史的な意味は大きい。日本という国はどうあるべきか、400年ごとに大きな転換期を迎えてきた日本史を今一度思い起こして、時代が如何なる課題をわたしたちに担わせようとしているのか考えたい。

 そうすれば、現実の政治で「成長路線」を声高に叫んでいるほとんどの政党の主張がいかに歴史という現実を直視していないか理解できるだろう。現実を直視できないのは、菅総理や岡田幹事長だけではなく、私たち国民も同じである。
 経済成長・人口増大の時代は終わったのだから、バラマキをやめて、あらゆる政策を人口縮小社会に適合的なものへ作り直し、舵を切るべきだ。
 日本や人類が自然や環境と共存する道はそれしかない。日本人が世界に先駆けて、自ら大きな犠牲を払いながら人口縮小のモデルケースを示せばいい。
 世界中の国を見渡したとき、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」の商道徳を受け継いできた日本人しかできない役割のように感じる。エゴ=小我を殺せなかったらできない事業だからである。数学者の岡潔風に言えば小我を棄て、真我に目覚めよということだろう。


*#1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2

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*中世以降の時代区分については面白い研究があるので紹介する。
江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代 (岩波現代文庫)

江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代 (岩波現代文庫)

  • 作者: 尾藤 正英
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/04/14
  • メディア: 文庫


 過剰富裕化論の馬場宏二先生の本を紹介するが、読むのに骨が折れる本である。
新資本主義論―視角転換の経済学

新資本主義論―視角転換の経済学

  • 作者: 馬場 宏二
  • 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: ハードカバー

日本の国という水槽の水の入れ替え方―憂国の随想集

日本の国という水槽の水の入れ替え方―憂国の随想集

  • 作者: 岡 潔
  • 出版社/メーカー: 成甲書房
  • 発売日: 2004/04
  • メディア: 単行本
春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

  • 作者: 岡 潔
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/10/12
  • メディア: 文庫

#1324 元旦:日本橋にんべんを題材にした二つの小説 Jan. 1, 2011 [A4. 経済学ノート]

 6時に目が覚めた。夜中中風の音がしていたのでなんだかおかしな夢を見た。核戦争で地下壕をどんどん降りて逃げているのだが、ゆっくり歩いてのんびりしていた。何か食べないと血糖値が下がるなどと考えながら六花亭のバターサンドがどこかに入っていたはずだとポケットを探していた。今夜は風が止み静かそうだからさてどんな初夢になるのだろう。
 東の空は厚い雲に覆われおり太陽が出たのは9時半過ぎだった。

 大納会は10,228.92(10,798)円、為替は81.30(92.85)円/$、108.50(133.49)円/€。
 (()内は昨年1月7日の相場)

 金価格は史上最高値(1400ドル/オンス、3800円/g)を更新した。 

 さて、暮れの31日夜中に読みかけの荒俣宏著『男に生まれて 江戸鰹節商い始末』を読み終わり、続けてねじめ正一著『商人あきんど』を読んだ。どちらも日本橋鰹節商にんべんの当主が主人公である。前者が八代目、後者が三代目当主。
 そして二人の著者は同じ高校の1学年違いで荒俣氏がねじめ氏の先輩にあたる。

 日本橋の鰹節商にんべんは日本橋の老舗であり鰹節と出汁の素で著名な会社である。荒俣氏の『男に生まれて』は八代目を主人公に幕末の江戸事情を描いている。薩摩が江戸町人から見れば「悪人」であったことが「歌坊」という町人の死を通して描かれている。武士に対する商人の意地があった。
 小栗上野介と両替商越後屋番頭三野村利左衛門、慶応4年2月28日別れの場面が男の意気地を表している(利八は元小栗家の用人で落ち目の小栗に旧恩を失わない)。

「お困りの節は、いつでもこの利八にご相談くださいませ。小栗様にご不自由をおかけしては、利八の男が廃りますゆえ」
「・・・そちも小栗になど肩入れするな。越後屋から追い出されるぞ」
「小栗様、利八を見くびっちゃ困ります。今は越後屋に雇われておりますが、小栗家のご恩を忘れるほど鈍(なま)ってはおりませぬ。店から暇を出されたとて、かまうものではございません」

 このあと「小栗上野介は上州群馬郡権田村に身を沈めるのだが、閏4月には新政府軍の手におち、斬首された」とある。
 伊兵衛の科白もいい。p318
「おれは男だ。男ってのはな死ぬのが役目なんだよ。身体を張って日本橋を守らなきゃいけねえんだ。でもな、おまえは女だから婆さまとこどもら連れて行徳へ逃げろ。行徳が攻められたら、房州へ行け。にんべんの者だと言やァ、どこでも助(す)けてくれる。おいら、地元の漁師やかつぶしづくりの職人が文句のねえ利益をとれるように努めてきた。もしも、逃げた先で邪険にされたら、そのときは伊兵衛を恨んでいいぜ。おれはにんべんの主人(あるじ)になれる器じゃなかったってことだからな」

 『あきんど』のほうは三代目が主人公である。三代目は傾きかけたにんべんを目の当たりにし、どん底の辛酸をなめながら大阪の鰹座に支配されていた鰹商いを、製造まで手を伸ばし江戸のニーズに合う製品を開発し、庶民が買える値段で品質のよいものを供給するシステムを作り上げた。すごい男だ。
 商人が企画・製造から販売まで、コーディネータとして登場している。この点に現代に通じる革新性を感じた。
 削り節の量り売りもにんべんがはじめた。何度もカビツケをして硬くしまった鰹節を年寄りが削るのはたいへんだ。にんべん三代目は江戸町人の様々なニーズをよくつかんでいた。
 ねじめ氏は鰹節の製造過程を克明に描いている。氏は乾物屋の息子であり、意地にかけても鰹節については薀蓄を傾けねばならぬのだが、よく調べよく書いている。何が何でも書きたかったという気持ちが伝わってくる。

 「棚卸し」を「店卸し」と表記しているが、なるほど昔はそういうことだったのかと思わせる。大店(おおたな)というくらいだから、本来「店卸し」が正しいのだろう。にんべんではいまでも正月3日に店を休んで棚卸しいや店卸しをしているのだろうか。
 店卸しは帳簿残高と現物の突合せ作業である。現物が帳簿残より多くても少なくてもいけない。それぞれいけない理由が書かれている。根室にはさまざまな業種の商店・会社があるが、230年前のにんべん3代目のころの店卸しはいまでも見習う価値があるはずだ。もちろん、店卸しは年に一回ではない。江戸日本橋商人は小さなことをおろそかにしなかった。
 にんべんは因幡藩と加賀藩の台所御用商人だったが、一時取引がなくなり辛酸をなめる。台所家老との付き合い方や藩政がどのように動くか先読みして動かなければ老舗を維持していけない。御用商人となれば店売りの価格が2割も高いとあった。御用達を務める傍ら、店売りにもしっかり精を出さないといざという時に店が持たない。大店の主人は楽ではなさそうだ。

 根室市は自らが招聘した病院コンサルタント長隆氏の提言(25~30億円でも建て替え)を無視して総事業費62億円での病院建て替えに踏み切りつつある。建て替え後の病院事業赤字は年額13~20億円にも膨らむから後始末がたいへんだ。平成22年度上期は医者の人数が増えたにも関わらず赤字が拡大した。このことから言えるのは、医者が増えても赤字が減らないような病院運営をしているということだ。
 現市長の次の市長のやるべきことは後始末だ。だだっ広い新病院は、地盤が強固で必要のない免震にお金をかけたが、外断熱仕様も太陽電池パネルも採用していない、維持費の高くつく病院になってしまう。経営という観点が病院の基本仕様に入っていないから建て替え後の病院事業の赤字は増えざるを得ない。
 次の市長は病院建て替えに積極的に加担した人間を使おうとは思わないだろう。そしてもしH市長に続いて凡庸な人間が市長になれば根室はそれまでだ。

 著者はにんべん2代目の境遇を時節が悪かった、いわば運命的なものとして描いた。運命は受け入れるしかない。

 著者は商人は人を見る目が一番大事だと書いている。
「・・・だがいくら足りなくても安易に人を雇い入れるわけにはいかなかった。たとえ給金の安い下働きの小僧であっても着せて食べさせればそれなりの出費がかかるから、できの悪い人間を雇い入れるのは、金を出して損を買うのと同じことであった」p151  

 初代にんべん当主伊勢屋高津伊兵衛は勢州(伊勢松坂)出身である。日本橋には勢州出身の商人が多かったという。かの地は藤堂高虎の領地だったことがあり、キリスト教徒共に複式簿記の技術が伝わったのだと思われる。複式簿記は大店の経営に欠くことのできない技術であり、ソロバンという別の技術と融合して経営の永続を支えた。この時代簿記技術と計算技術は日本がダントツに世界最高水準を維持していた。だから日本には200年以上の歴史を超える大店がいまもたくさん続いている。こうした技術と「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の200年以上の歴史を誇る老舗をたくさん生み出したのだ。創業200年を超える企業の9割が日本にあるという。
 両著の中では婿養子をとることで大商人が代々続いてきたという側面を強調しており、複式簿記とソロバンへの言及はない。

 ねじめ正一氏の著作のほうには「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」が色濃く出ており、商人道への言及が多い。
 私の興味は江戸商人がどのような考え方で商売をしていたのかだった。この点では十分参考になった。

 小説の中に出てくる日本橋界隈は仕事で2度かかわりのあった場所で、見知った地名が出てくるたびに懐かしかった。1970年代終わりに勤務先の本社のあった日本橋人形町と小網町のビルを行ったりきたりしていた。1990年代後半は日本橋本町のあるビルに合弁会社の本社をおいてそこで仕事をしていた。仕事仲間と昼飯を食べた店、夜飲みに行った店、そして仕事仲間それぞれの顔が浮かぶ。
 芳町の小路を昼歩くとどこからか三味線の稽古の音がしていた。いまはビルだらけの町になってしまったが、1980年前後人形町界隈は小粋な町であった。

 親子丼の「玉秀」、名前は忘れたがてんぷらの専門店、人形町交差点のトンカツ屋「キラク」、キラクの仕入先の牛肉で有名な店「今半」・・・これも名前を忘れた、とにかく名店が多い。



男に生まれて 江戸鰹節商い始末 (朝日文庫 あ 27-2)

男に生まれて 江戸鰹節商い始末 (朝日文庫 あ 27-2)

  • 作者: 荒俣 宏
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/09/07
  • メディア: 文庫
商人

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  • 作者: ねじめ 正一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/03/26
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#1254 経済成長論の終焉 Oct.24, 2010 [A4. 経済学ノート]

 Sフロントラインというテレビ番組を見ていたら、能天気な森永卓郎氏が経済成長論をぶっていた。50兆円という数字が躍っている。行き着く先が破滅であっても、彼が言うとなにやらほのぼのとした感じが伝わってくるから不思議だ。他にも2名アナリストだろうか、経済成長論だった。経済だけ見ているとその異常さに気がつかないものらしい。
 細胞レベルで見れば、無限増殖するのは癌細胞のみで、正常な細胞は成長をやめる。どうして経済成長を続けることの異常性に気がつかないのだろう、私は不思議でならぬ。

(染色体の末端にテロメアというキャップの役割を果たす領域があるが、DNAが複製されるごとにその部分が短くなる。テロメアは複製回数のカウンターであると同時に、それがなくなるとDNAの複製ができなくなるから、複製のアドミニストレーターでもある。正常細胞は50~70回複製を繰り返すとテロメア領域が失われ複製ができなくなり、細胞レベルで死を迎える。テロメアについては次の弊ブログを参照されたい。2016年3月5日追記)

*#2417 ダイエット:Veggie-heavy diet and yoga shown to slow cell aging Sep. 23, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-09-23

 半ば皮肉をこめて言うのだが、菅政権は経済政策に関しては立派なものである。
 近年外来生物が日本固有の種を絶滅の危機に追いやり、日本固有の生態系を壊しつつある。いろいろな経済政策はときに外来生物のような役割を果たす。
 わが故郷では、あちこちで野生の鹿がみられる。光洋町を散歩していると、道路まで鹿が出てくることはめずらしくなくなった。数頭がが塀の中まで入り込んで庭の何かを食べていることもある。鹿を食べる狼が絶滅したので増えたというのが大方の見方であり、北米から狼を輸入しようという案もあるそうだ。片方で駆除をした時代があり、今度は人為的に外来種を導入する、泥縄である。経済政策もこういうところがある。
 東工大(理系)出身で一般の理系出身者同様に経済音痴なのだから、無理をせずに何もせぬがよいということもある。経済学部出身の「頭のよい者」でも考えることはほとんど経済成長論のみ。キリストではないが「父よ許したまえ、彼らは自分のしていることがわからないのです、アーメン」と言いたくなる。
 経済刺激策は省エネや自然エネルギー利用にかかわる民間の研究開発の助成をするくらいで十分だ。
 ワークシェアリングを法制化できればなお素晴らしい。若者の失業はワークシェアリングでなくすことができる。日本は世界に先駆けて脱経済成長路線の先頭を走り、先進国をリードすることになる。
 大脳前頭前野で、私的な利害を強く抑制できるのは、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の伝統的な価値観を実践してきた日本人以外にはないだろう。他にそういう可能性のある国民がいるだろうか?

 過剰富裕化という概念で経済成長の異常性を問題にした最初のマルクス経済学者は馬場宏二氏である。私は馬場宏二氏の過剰富裕化論を何度かブログで採り上げた。簡単に言うと、人類絶滅を回避するために経済成長をやめようという論である。当たり前すぎて、経済学者の中では彼の学説は冷ややかに受け止められ、広がりをみせない。経済政策として採り上げたら、選挙民から総スカンを食い、選挙で大敗北必須であるが、それでもやらなければならないことがある。
 せっかく奪取した政権という甘い蜜をなめていたいから、過剰富裕化論は政権政党には採用しえない理論である
。もちろん政権奪取をもくろむ自民党も採り上げるはずのない理論だ。所得を半分で我慢しろという、選挙受けの悪い経済政策にならざるをえない。それでもこれが日本が世界に先駆けてやってみせるべき経済政策であり、おそらくは「三方善し」の商道徳を伝統として培ってきた日本人にしかなしえない政策である。
 最近WWF(世界自然保護基金)が「現在の生活水準なら20年後に地球2個必要」*というシミュレーションの結果を公表した。Hirosukeさんがブログで紹介*していた。経済成長を続ければ2030年には地球環境が激変して人類の生存が危ういということだろう。

*「このまま経済成長すると20年後に地球は滅亡?」
http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2010-10-14-1

*http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2766222/6324039

 無限の経済成長は癌細胞の無限増殖に似て異常である、もう経済成長はいらない日本は率先して経済成長放棄宣言をすればいい
 30年をかけてCO2排出の半減も可能になる。人口は50年後7000万人でいいではないか。年収も半分でいい。仕事は分け合おう。1日5時間、週に4日働き、朝夕の食事は家族揃って食べる。
 失業というのは人為的なものだ。人為的なものは人為的な政策でなくすことができる。痛みを分け合うワークシェアリングで若者の失業をなくそう。そして教育と医療にだけは他に優先して予算を使おう。国力の礎は「学力」と倫理水準の高さである
 過剰富裕化論とWWFの警告をつなぐ環は職人主義経済である。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の経済だ。所得は半分になっても、失業のない社会が実現できる。CO2の排出が半減でき、週に4日しか働かなくてよく、毎日家族団らんの夕食が食べられる。精神性の高い豊かな社会である

 私は「10年間のシナリオ」と題して2年前にブログ記事を二つ書いた。為替が50~80円/$になり、その後、国家財政破綻で200円を超す円安になるだろうと予測した。いずれ団塊世代の貯蓄取り崩しが回りまわって構造的な円安を将来するだろう。シナリオの最初の部分が現実になりつつある。
 経済予測は外れるものだから、わたしの予測も外れのはずだが・・・。どうやら現実は、大筋でという限定付ではあるが、2年前に書いたブログ記事の通りになりつつある。日本経済の先行きに興味のある人が読んでいただければうれしい。


 #346 「これから10年間の日本経済のシナリオ [経済学ノート]」 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10

 #484「国民の95%が幸せ…屈託のない笑顔」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-01-11-1


 #1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2

 #1158 「過剰富裕化論(2):過剰富裕化とは何か」 Aug. 12, 2010
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-12

 #1162 「過剰富裕化論(3): 経済学部を目指す高校生へ」 Aug. 16, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

 #1164 「過剰富裕化論(4):人類史上最短労働時間の社会への道」 Aug. 18, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-18

  #1165 「過剰富裕化論(5):節度ある明るい未来」 Aug. 19, 2010
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-19 

 #1182 民主党代表選挙と国家財政の現状:過剰富裕化論  Sunday, Aug. 29, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-29

 #1185 日銀金融緩和策公表も効果なし:資金の過剰富裕化は何をもたらすのか  Sep. 1, 2010
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-09-01

 #2436 経済学と人間の幸せ Oct. 5, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-05

 #2437 経済学と人間の幸せ(2): 中野孝次と馬場宏二の説をめぐって  Oct. 6, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-06

 
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