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#4452 日銀保有の国債と政府の借金を相殺すればいいというのは荒唐無稽の論 Jan. 10,2021 [95.増え続ける国債残高]

 日銀保有の国債500兆円と政府の借金を相殺すればいいから、いくらでも国債発行をしてかまわないという論をいう経済評論家がいるようだ。いや、経済学者の中にすらいる。
 説明は簡単だから、初等簿記の知識で十分です。

 日銀がそういう相殺処理をしたと仮定しよう、次のような仕訳がなされる。
 (借方)特別損失 500兆円 (貸方)保有国債 500兆円
 日銀保有国債はこれでゼロになる、資産の減少と損失の発生という簿記取引になる。

 政府の方の仕訳は、
 (借方)借入金 500兆円  (貸方)特別利益 500兆円
 企業会計基準では借入金(債務)の減少と特別利益の発生という簿記取引になる。しかし、資金の収支を記帳するだけの公的会計基準ではこうはならないだろう。公的会計基準は複式簿記ではないからだ。世界中の企業が複式簿記で運営されているが、日本の公的なセクターだけは、その埒外である。いい加減に資金の収支計算書はやめて複式簿記で企業会計基準に則った会計処理をすべきだ。こんなダブルスタンダードだから、夕張市のように財政破綻しないと経営の実態がつかめないということになる。たとえば、広報ねむろ6月号の5ページに病院事業会計への一般会計繰出し金が17億1793万円記載されている。赤字補填のための期末一時借り入れがない限り、この金額が市立病院経営で生じた1年間の赤字額である。同じページをみると病院事業の陶器純損失は3265万円である。市民は病院経営赤字は3265万円だと誤解するだろう。だから公的会計基準は廃止すべきなのだ。実態がまるで分らないものになるからだ。青色申告は複式簿記での記帳を要求しているから公的会計基準での決算を国税庁は受け付けない。国税庁すら認めないのが公的会計基準での処理である。上場企業も財務諸表規則違反・証券取引法違反になるので公的会計基準での決算は認められない。日本では江戸時代から複式簿記(大福帳)での記帳がなされてきたのに、なぜか公的セクターだけは単式簿記でやり続けている。時代錯誤と言ってよい。
 わたしには結果しかわからぬ、政府の財産目録の負債の項目から500兆円が消えることになる。
 そして、日銀には自己資本が4.2兆円しかないから、その100倍を超える債務超過に陥る。
 中央銀行が自己資本の100倍を超える債務超過になったら何が起きるのかは誰にもわからぬ。
 いまだかって、そういう事態に陥った中央銀行の前例がない。

 中央銀行が資産を膨らますことは大きなリスクになるので、さまざまな制限が付けられていたが、ことごとくそういう制限が外された。国債は今年度末に約500兆円になるし、国内株式も45兆円も保有している。株式市場は日銀保有の株式を売却すれば15000円以下に暴落して巨額の債務超過になるから、売却できない。長期金利を上げれば、数年のうちに金利負担で政府財政が破綻するから、長期金利を上げる選択肢もなくなっている。破綻に向かってアクセルを踏み続けるしかない。アクセルとは、国内株式を買い続けることと長期金利を実質ゼロのまま据え置くことだ。そのうちに国内大手銀行が経営破綻に追い込まれる。にっちもさっちもいかないというのが実態である。
 政府からの日銀の独立性はとっくにない。財務省のしもべに成り下がってしまった。財務省は具体的な財政破綻のシナリオを描いている。そのことについては#4451に書いた。

<余談:仮説例>
 上場企業のebisu社が銀行から100億円借りたとしよう。銀行とebisu社の債権債務を相殺するなんてことができるわけがない。やってくれたら借金を返済しないで済むからebisu社に取っては願ったりかなったりだ。そんなことをすれば銀行には100億円の損失が発生する。
 しかし現実にはこういうことはよく行われていた。ある企業が業績不振に陥ると、銀行はお金を貸すだけでなく、役員を送り込む。社長の場合もあるし、副社長や専務取締役や常務取締役、平取締役の場合など、それらのミックスの場合などがある。経営がさらに悪化すると、銀行は自分の持っている債権を切って損失処理をする。当該企業は100%減資を行うと同時に増資を行う。ゼネコンのフジタに対する2000億円の貸付金の債権切りがあったと記憶している。こういうことをして銀行は上場企業に役員を多数送り込んでいた。

 相殺処理というのは、初等簿記からいうと債権をもっている側が貸倒損失処理をするということでそれなりの手続きが定められている。
 親会社と子会社なら連結ベースの決算では相殺されて表示されるではないか、同じように処理すればいいということを言っていたと思うが、これもばかげている。日銀と政府は親子関係にはない。独立の組織である。中途半端な知識でいい加減なことをいう輩が世の中にはうじゃうじゃいるから、ご用心。

 政府と日銀との間で相殺処理について合意ができたとして、日銀側は保有国債について債権放棄になるので、巨額損失が発生することは、簿記3級の知識があれば、十分に理解できる。債権債務の相殺で問題がなくなるなんて主張する経済評論家は初等簿記すら理解できぬバカ丸出し。経済学者にもいるからあきれる。全世界の企業が複式簿記で運営されている、財政破綻を論ずるには複式簿記の知識は必要条件である。

<余談-2:マイナス金利は実質増税>
 個人と企業の預金額を合わせて1500兆円と仮定しよう。金利が2%なら毎年30兆円の利息が収入となる。ところが、「異次元の金融緩和」によって、長期金利はゼロだ。毎年30兆円の増税と同じことになっている。そこまでして、日銀は政府を助けているのである。新規赤字国債発行と借換債という巨大な資金ニーズが恒常的にあるにもかかわらず、金利が上がることはない、金融市場はその機能を完全に停止してしまっている。


#4451 新型コロナ対策それいけドンドン:財政破綻・財産税課税への道 Jan. 6, 2021



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#4451 新型コロナ対策それいけドンドン:財政破綻・財産税課税への道 Jan. 6, 2021 [8. 時事評論]

 明日、緊急事態宣言が発令される。令和2年度の一般会計予算は63.5兆円の税収に対して、102.6兆円の歳出予算である。差額の39.1兆円は赤字国債。来年はもっと膨らむ。税収は57.4兆円、歳出は106.6兆円だから、差額の44.2兆円が赤字の新規国債で贖われる。

 このように新型コロナ対策で歳出が膨れ上がっている。普通なら歳出カットでバランスを合わせようとするはずだが、そんなことは露ほども頭にないのは与野党を問わぬ。みんなそれいけドンドンなのである。ブレーキのない車が暴走して、崖から冬の海へ突っ込もうとしている。

 新型コロナ対策でお金が必要なら、なぜオリンピックをやめてそこにかかるお金を対策に充てないのだろう?
 一律十万円は年金暮らしのわたしたちや収入が減っていない国会議員諸氏、公務員には不要な措置だった。2度目の対策を打つなら、まずはそういうところから削ってもらいたい。飲食店業者や非正規雇用で職を失った人たちのことを考えたら、国会議員のみなさんはボーナスの半分返上くらい何人かが言い出してもよさそうだが、同僚議員から顰蹙を浴びるのを気にしてか口をつぐんでいる。だれも財政破綻を回避する道を探らない。ブレーキをなくしてまっしぐらだ。

 政府がこんなに借金を増やし続ければ、そのうちに財政破綻が起きる。日銀が保有する国債は2019年12月30日の残高で459兆円で、昨年末は約500兆円になっただろう。既発行額の約半分が日銀所有だ。国債発行市場が機能を停止して久しい。市場に買い手がいないのである。
 日銀が保有する上場株式は45兆円を超えた、日銀の自己資本は4.2兆円しかないから、日経平均が17000円程度で債務超過になるだろう。GPIFにも巨額損失が生じ、年金基金が棄損され、年金支払いも3割くらいの減額は仕方がないのだろう。
 中央銀行が債務超過になるなんて前代未聞の出来事だ。
 長期金利が上昇すれば新規国債の発行が困難になる。いつまでも上がらなければ国内の大手銀行の倒産もありうる。何が政府財政破綻や日銀債務超過の引き金になるのか誰にもわからない。

 財務省は破綻の現実的で具体的なシミュレーションをしているだろう。銀行預金や株はデジタルデータになって住基番号と結びついているか関係部局から人を募ってチームを作って具体的な検討に入っていいるだろう。計画はほとんど完成に近づいている。いつでも預金や株に財産税の課税ができる。財務省は財政破綻に向けて着々と準備している。日銀も破綻に向けてアクセルを踏みっぱなしだ。
 デジタル庁ができた。新型コロナのどさくさに紛れて、不動産登記システムが一つになる。これで、国民一人一人の銀行預金、株式、所有不動産データが住基データで名寄せされて政府によって掌握される。


 新円発行になるかどうかわからないが、財産税の課税は1946年2月17日の預金封鎖のときより、はるかに簡単にできるようになった。預金封鎖しなくても、個人別に預金額の名寄せが住基コードでできるから、50%課税しようと思えば銀行口座から自動的に政府口座へ振替が可能だ。実務設計や必要なプログラムはすでにできているだろう。法律の原案もすでにあるだろう。

 バラマキに喜んでいたら、銀行預金は半分、株は30%課税、不動産には20%課税なんてことがおっつけ起きる。財産税の割合がどれくらいになるかはわからん。財務官僚の恣(ほしいまま)だ。政府の借金は令和2年度末で1355.8兆円だそうだから、これを帳消しにするだけ財産税が課税されるということだ。

 与党も野党も歳出を増やすことに一生懸命で、増やした分のカットや増税による補填を言い出さない。ほんとうにずるいと思う。この点に関しては与野党意見が一致しているから、選挙があっても国民には別の選択肢がないということ。
 国民は何年たってもお利口にならぬものらしい。75年たってもまた同じ手に載って政治家と財務官僚たちにいいようにおちょくられている。


#4452 日銀保有の国債と政府の借金を相殺すればいいというのは荒唐無稽の論 Jan. 10,2021


#4196 日銀異例の談話発表 Mar.2, 2020 



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#4450 根室市内で新型コロナ感染者1名 Jan.5, 2021 [90.根高 こもごも]

<更新情報>1/6朝9時 <余談>追記、写真アップ

 今朝(1/5)の北海道新聞釧路根室地域版によれば、根室市消防本部の50代賛成職員が新型コロナに感染したと根室市役所から発表があったとのこと。濃厚接触者18名がPCR検査中。
 根室市内で新型コロナ感染者は1年間でまだ数名しか出ていない。いずれ、入ってくるのはしかたがない、新型感染症とはそういうものだから。
 
 根室は火事が年に数回あるかなしかだ、60年前に比べて激減した。昔は石炭ストーブだった、いまそんなものを使っている家はないだろう。薪ストーブは贅沢品だ。暖房器具の安全性が飛躍的に高くなったことに加えて、建物の防火性能もよくなったからだろう。

 昨日だったかな、大型消防車両が家の付近を巡回しているのを見た。バス通りは除雪が速やかになされるので心配ないが、裏通りの小路は大型車両が通れるかどうか、巡回確認の必要があるからだ。不用意に角に除雪した雪を積むと大型消防車両が曲がり切れないこともある。ああ、わが家も角にあるが、ブルが角に押し寄せた雪は大型車両が曲がる際の障害になるので、全部ママダンプで向かい側のテニスコート前の空き地に運んだから、運転手が新米でも曲がれるよ。ないだろうけど、万が一の時の用心がしてあるのとないのでは大違いだ。
 巡回して、実際に裏通りの角を曲がって確認するのが一番確かだ。ご苦労さん。
 それと消火栓の確認も。消火栓は道路の外側にあるので、雪に埋もれている場合が多い。雪が多く降ると別の部隊が来てその都度確認、除雪をしている。だから、火事があっても心配いらない。根室の消防署はちゃんと仕事しているのである。
 無線システムも最新型にすでに更新済み。消防車両も手入れがいいのか新しいのかピカピカである。

 火事の出動に比べて救急活動の方がずっと多い。そちらもちゃんと手配されているのだろう。
 冬場だから空気も夏に比べて乾燥しているから、火の用心はしておきたい。

<余談:角の除雪の必要>
 奥が東根室駅です。消防車両は右側から来て右折します。
DSCN4368s.jpg 
 円で囲った部分に左側からブルが除雪してきた雪が押し付けられ積み上げります。1mほど道路にはみ出し狭くしてしまうので、大型車両が入るには、その山を取り除いておく必要があります。目測を誤ったのか、夏に観光バスが後輪を歩道に乗り上げて曲がっていくのを何度か見ています。ここに雪山があれば後輪が乗り上げてスタックします。



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#4449 幸田文の美術評論 Jan. 3, 2021 [44. 本を読む]

<更新情報>1/4朝10時半<余談>追記

 幸田文(1904-1990)は露伴(1867-1947)の娘である。どちらも長生き、そういう家系であるか、生没年を書いて気がつく。
 露伴の作品はあまり読んだことがないが、『五重塔』の職人魂は胸を打つ。文体にリズムがあって読んでいて気持ちがよいのである。オヤジが名だたる文豪でも、娘はそうはいかぬのが世の常だが、幸田家だけは別格のようで、孫の青木玉も物書きの端くれである。
 この数か月間、ベッドに入ってから『幸田文全集』の第三巻と第二巻を数ページずつ味わいながら読んでいた。彼女の作品の中には辞書で引いてもネットで検索してもわからぬ語彙がでてくる。
 幸田文の作品群は昭和の東京下町の語彙の宝庫と言ってよいのだろう。凄いのは語彙だけではなく、論理の組み立て、その表現の仕方である。それら三つを統合したスキルの高さは他の物書きの追随を許さず、高くそびえる孤塔の感がある。こういう書き手はもう現れない。日本語の表現の豊饒さは優れた書き手の作品が世に現れたときにわかるもののようだ。
 数日前に読んだ美術評論がある。美人画で夙(つと)に有名な上村松園の絵(1875-1949)を批評した名品である。正月だから、全文引用して紹介したい。
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画中の美人
 —上村松園展を見て

 壁間はことごとく美人を以って埋まりおり雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女、そのあまりにけんらんたる眺めにしばらくはぼう然と致し、ふと気がつけばわが身ながら自分の姿は深山の奥のこけ猿に似て疎ましく思え、対照の妙とは、かかる場処にも自然配慮あるものと驚嘆も致し、いささかもの悲しく存じました。
 色彩は晩年に至るまで一生を通じて衰えず鮮麗、かつ女のほれぼれするとり合せをもって組み立てられています。これは私には一寸危険な誘惑でした。なぜなら四十七歳の婆猿の身をもうち忘れ、長年きなれたドンツク毛皮がとたんにいやになって今日をかぎりにこの画のような美しい配色の着物をきなくては損だなどとムホン気をあおられたからでございます。これは女史のツミではないでしょうか、ああ。
 画にはみな打ちあがった品があり、なげやり、廃たい、奔放などは見当たりませんでした。ひかえめなためにやや平板を感じさせるものもありますが俳諧の詞先情後という言葉をふと思いました。
 『花嫁と母『みゆき』『つづみ』などはさすがに良く心の奥行きが見えており、殊に『小町』には気はくの量感、速度が響いています。一貫していえることは清潔感です。上着をぬがせ、襦袢をぬがせ、下着をとってしまっても、どれにもあかづいたものが無く、裸身にも何一つ汚れがないという感じがします。大層安心ではありますが、凡俗な私には物足りなくまた縁遠いい美女ではあることよと存じます。真、善、美の極なる美人を志して描き度いという女史の心情も考え合わされ、信仰とはこういうものかもしれないとおもいました。
 顔には系統があり、わたしの好むものではありませんが、それにもかかわらず、美を認めさせられたのは、女史の力量が画布三尺の外に発して人を打ったものと存じます。同一題材、類似姿態がめにつきます。好きな材料だからたのしくてしばしば書く、描くと満足がある―とも取れますが、わたしは逆に取ります女史の終身の強さというものを見ます。好きな材料だけに、一作毎にそこはかとなく物足り、尽くさなさがつきまとい、もっと、書けないだろうか、もっとよく出来ないだろうか、そういう頂点を望んであくなき態度、もっといえば芸道の人の悲しさが、受け取れてしまうのですが如何でしょう。年代順に並べてみるゆとりがなかったのが残念です。
 さて『花かたみ』『焔』をみました。それまでは正直なところ、絵のあまりの美しさに、所せん近づき難き遠さを感じ、作者へも及び難き距りを悲しく思っていたのでしたが、この作を一見してたちまちにわかに親しいもの、つながりを与えられてほっとしました。狂女のほうけ、しんい(瞋恚)のほむら、題材の奇はもち論眼を奪いますが、なによりそれが女史四十年代の作たることに、はげしく私は打たれました。女史ほど内輪に控えめな人でも、女は遂に一度はここを通っていくものなのでしょうか。これを描かずにはいられなかった経緯を思わない訳にはまいりません。生意気な申しようですが『花かたみ』の前年の作『深雪』には愛情の過剰がみえて、はらはらする魅力があります。それが『花かたみ』の痴ほうにまで進展し、更に三年をおいて『焔』になっています。表裏二狂女の年を比べてください、恐ろしいまでの作者の気構えが出ています。
 パーマネントの令嬢方にはわかりますまいが、わたしは日露戦争っ子でして、束ねた髪の根から発する気味の悪い臭さを知っています。元結をきるときにはなれたかみ結さんでも息をつめるほどいやな臭いなのです。『焔』の女に私は思わずいやないやな想像をしてぞっとさせられてしまいました。描かれているその状態からもしももう一歩進んだ事柄になって逃げられぬ一かパチかの窮りのように追い詰められた時、多分はこの女の元結もたけながもぶつんとはじけ飛んで、汚臭は辺りに流れ、乱髪の脳天からはちろちろと青い火が燃えるんではないでしょうか、とそんなふうに思われたのです。モデルがあったのでしょうか、あったとすればそれをがつがつながめていられた女史の神経のほどに恐れを覚えますし、なかったとすればなお更のこと、その想念の走りかたに戦りつを禁じえませんが、その故に私はとりすました端正なものより、より近しくほの温かい味をくみ取ります。多かれすくなかれ女たれしもにあるいやなものへ向かって大胆至極な態度で、はっきりつっぱってみせられたのは誠にすっきりしていて頭が下がります。貪欲な私は思わずこの作の前後いずれにか、かならず、瞬きも許さぬ程なエロティシズムがありはしないかと渇仰してうろうろしましたが、画中の美人は冷たくしんとしています。四年を経て浴後の『貴妃』がありますが、豊艶でしかし乙にすましていました。すくなからずがっかり致しました。
 女史は心にくいまで、つつましく非常に上手に画も身も処して、あぶなげなく終わった美人ではないでしょうか。ある型の輝ける代表選手であったと言えます。オール同性から惜しみなく讃仰の拍手を送るべきだと存じます。 


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 うーん、何度読んでも見事だ。校正のために読み直した。
 一箇所だけ、仏教用語なので平仮名の部分に括弧書きで漢字を入れた、「しんい(瞋恚)のほむら」のところである。「瞋恚の焔」とは人間の怒りを燃え上がる炎にたとえたもの。
 こういう幸田文の文章には、物柔らかな言いようのうしろに、すさまじい批評精神とそれを表現する語彙と技術の果てしない高さを感じてしまう。真・善・美というが、上村松園の美人画は「美」に光りを当てたものが多くつまらない、女の「真」の部分まで描き切ってこそ、名人ではないかという文の声が聞こえそうだ。40路になれば花もとうに盛りを過ぎ、もう一度激しい恋をしてみたい。それは地獄・修羅の道、そういう選択をした女の情念がほの見えた作品が『深雪』『花かたみ』『焔』であった。この三年の間に上村松園に何があったのか、その期間に描かれた作品にこそ、女の真実の姿があるはずと幸田文。
 ネットで作品を検索して数枚の絵をみたが、上村松園38歳(1913年)の『蛍』が気に入った。「貴妃」とはまるで違って表情も姿態も色っぽく描かれおり、着物の青と柄も美しい。この絵には生身の女の色気と使う色数を絞り切ったシンプルな彩りの美しさ、とでもいうようなものがある。

 わたしは永井荷風の『断腸亭日乗』の文体が好きだ。簡潔そして切れる文章で無駄を削り取ったところがいい。幸田文の文体は永井荷風のそれとはずいぶんと趣が違うが、それでも過不足のない文章運びにはどこか共通項を感じる。


<余談-1:リズム>
 挙げ始めると限(きり)がないので一箇所だけ。
 「雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女」
 「雨の美人、雪の美人」では平板すぎるから、「ゆきの美人」と書いた。美人を四回続けるのは野暮だから「花の美女、月の美女」と来た。これも「つきの美女」としたのでは、前例踏襲でつまらぬし、「月」を「つき」と書いたのでは、月にまとわりついている情緒が失われるので、あえてどちらも漢字にした。
 第一段落全体はリズムが軽やかでまるで講談を聞いている心地がする。

「壁間はことごとく美人を以って埋まりおり雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女、そのあまりにけんらんたる眺めにしばらくはぼう然と致し、ふと気がつけばわが身ながら自分の姿は深山の奥のこけ猿に似て疎ましく思え、対照の妙とは、かかる場処にも自然配慮あるものと驚嘆も致し、いささかもの悲しく存じました。」

 拍手喝采したくなる。


<余談-2:詞先情後について>
 俳諧に「姿先情後(シセンジョウゴ)」という言葉はあるが、「詞先情後(シセンジョウゴ)」という表記はない。周りにあるものを写生するのが先、主観的な感情は後という意味だが、幸田文がわざわざ「詞先情後」と書いているので間違えて書いたはずはないだろう。原稿を校正した岩波書店の編集者担当も気がついていただろうが、そのままにしたということは、文自身が特別な意味を込めたと受け取ったからだろう。
 「七部集の名が茶の間の話の中に盛んに出始めたのは、たしかわたしの十六あるいは十七のときだったとおもふ。小宮豊隆・和辻哲郎・安倍能成の三氏が向島蝸牛庵に見えて、連俳をして遊ばれたころからのことと記憶している」と「雪の狂うらばなし」347頁に書きとめている。和辻哲郎が露伴と連俳を楽しむような付き合いがあったというのは初耳で、驚きである。和辻(当時、東大教授)は市倉宏祐先生(哲学者)が学徒出陣するときに出征旗に署名している(『特攻の記録 縁路面に座って』)。和辻へのあこがれはゼミのときに何度か聞いた記憶がある、「呪文の哲学」を書いてみたいとも。
 短歌や俳句については露伴の薫陶があったのだから、間違えるはずはないという前提に立てば、「姿先情後」とは別の境地を「詞先情後」という言葉であらわしたのだろうか。娘の文が読んだ句を露伴が酷評する話もあるから、耳で聞き覚えていただけで、単なる書きミスもないとは言えぬ。

 本を探していたら、本棚に『遺稿集・田塚源太郎』(昭和55年刊)と矢野利明著『歌集・病雁』(青垣発行所・昭和32年刊)があるのを見つけた。田塚先生は根室の歯科医である。昭和54年に58歳で亡くなられた。その年に遺稿が編纂されて本になっている。

 戦争(たたかひ)に勝ちたるものも敗れしも共に汚く食をむさぼる

 乗り得たる復員列車無蓋車に感慨もなく饅頭(まんとう)をむさぼりて喰う

 夜来れば停車を襲ふ暴徒の群れに病みて装備なき歩哨を立たす


 日本歯科大を卒業して軍医として志那へ、4年間各地を転戦し生きて還ってきた。その当時の様子を謳った短歌三つ。
 田塚先生は、小学1年生のころからビリヤードを始めた私を面白がって一緒にゲームして遊んでくれた。球が台の中央付近だと背が足りないので、「失礼します」と挨拶してビリヤード台の上へあがって撞いた。わたしだけの特別ルールだった。ルールブックでは両足が浮いたら即アウトなのである。家(うち)のオヤジのことを名前で「五郎さん」と呼ぶのは田塚先生お一人しか記憶にない、わたしは「トシボー」だった。落下傘部隊員のオヤジの気分は2歳年長の「軍医殿」だったかもしれぬ。田塚先生は4年間中国大陸を転戦して回った。オヤジは朝鮮と中国へそして落下傘部隊へ応募している。馬が合っていたのは傍から見ていてもよくわかった。
 田塚先生が豪放磊落、そしてやさしい人だったのはゲームをしてよく分かった。ゲームには人柄が出るもの。高校卒業までの12年間、常連さんだけでもさまざまな職業人である数百人の大人たちがゲームに興じるさまを観て、学んだことである。
 根室の考古学者の北構保男先生と根室商業の同期生、大学進学で東京へ一緒に行き、同じ部屋で4年間過ごしたという。35年ぶりに根室へ帰って来て北構先生のところはご挨拶に行ったとき、昔話に花が咲いた。「田塚君のことを話せるのはもう君くらいしかいないよ」と北構先生、笑いながら大きな声でおっしゃったが、「友達はみんな死んでしまった」と寂しそうだった。
 田塚先生は国後島の蟹漁場の親方の一人息子、資源が豊富で根室とは水揚げ高が違うので、ずいぶんと豪勢な暮らしだったという。北構先生は考古学調査で何度か田塚先生の国後島の実家へ寄ったことがある。その折の話はまた別途書くことになるだろう。
 田塚先生の遺稿集は限定500部、親友の北構先生が編集して根室印刷で印刷している。いままでこの本があることに気がつかなかった。オヤジがビリヤード店に置いておいたようだ、その後お袋が大事に所蔵していた。わたしが小5のころから居酒屋「酒悦」をやっていて仕事が忙しいのに暇を見つけては本を読む人だった。

 大学へ行けたのも、大学院へ進学できたのも、いまこうして故郷で小さな私塾をやっていられるのも、ビリヤード店や居酒屋「酒悦」(後に焼き肉屋)の常連客のみなさんと、一生懸命働いてくれたオヤジとお袋のお陰である。たまには仏壇に手を合わせないといけないな。そこにはいませんと二人が笑うだろう。
 田塚先生も福井先生(根室の歯科医で小説家)も北構先生も、オヤジもお袋もみんな逝ってしまった。そろそろわたしの番だろうが、まだ早いので迎えはいらない。(笑)


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#4448 英作文問題&解説集:530回、3975題 Jan. 2, 2021 [78-2英作文千本ノック]

<更新情報>1/3朝9時半 <余談:個別添削と私の解説補足>追記

 昨年1/14から、半分遊びのつもりで英作文問題を解説をやり始めた。
 大西泰斗先生のNHKラジオ英会話のテクストをそのままタイピングして英作文に利用させてもらっている。Lineで高校3年生に配信してつき合ってもらった。どういう質問が出るのか、彼ら彼女たちの質問につき合うのが愉しみだった。数名の生徒がつき合ってくれた、とってもありがたかった。大西先生の解説では足らず、だいたい2倍から3倍ほどの解説になることが分かった。NHKラジを英会話のテクストは英作文トレーニングに転用すると単なる材料という位置づけがふさわしいようだ。
 生徒たちへは100回目、750題のところで一区切り、配信は1000題までやった。この英作文トレーニングに「英作文千本ノック」をいうニックネームをつけたから、1000題で一休みだ。しかし、1000題を超えてもタイピングは続いている。試行錯誤していたフォーマットも型が次第に固まった来たので、最初のころに比べるとかける時間が半分くらいですむようになっている。「型」とか「慣れ」というのはありがたいものだ。

 大西先生は語彙のイメージを中心にした解説をしてくれている。もう一つ大事なのは「フロー(台本)」という概念である。日常会話は意図をもってなされている。その意図を実現するのにどういう台本がふさわしいかという観点から、テクストが作られている。

 わたしは会計学や経済学関係の本を読むために英語が必要だった。社会人となってからは仕事に関連する専門書を読む必要があった。時代の最先端でシステム開発の仕事をするためには翻訳されていない最先端の専門書を読む必要があった。産業用エレクトロニクス輸入商社勤務時代は、取引先の欧米50社の最先端の産業用エレクトロニクス製造メーカから、エンジニアが来日して、機器の説明会が毎月数回開かれていたので、理系の営業マンや技術部の連中と一緒に新製品説明会に全部出席していた。マイクロ波計測器はディテクターとデータ処理部とインターフェイスで構成されているので、真ん中のデータ処理や制御系がわかれば全体の理解は案外簡単なのである。ディテクターの周波数に違いがあるだけで、計測器の種類が変わっても応用が利く。門前の小僧習わぬ経を読むの類だろう。最大手の臨床検査会社に転職してから2年間ほど検査機器の購入や共同開発にタッチしたが、エレクトロニクス輸入商社で蓄積した知識が役に立った。この会社へは東証2部上場のための経営統合システム開発要員として雇われた。予算返済と管理を任されて試薬コスト20%カットを提案、自分がやれとプロジェクトを作ってくれて、応援部隊としてとしてSRL八王子ラボで2か月仕事をしたら、異動事例が出て2年間購買在庫管理システムのメンテナンスと機器の購入を担当した。八王子ラボには図書室があり、医学関係の定期購読誌が30種類くらいあったので、仕事の暇を見つけては図書室へ入り浸った。購買課から学術開発本部へ異動、本部スタッフだった2年間は開発部の方の業務も兼務し、製薬メーカとの検査試薬の共同開発も仕事のひとつだったから、仕事時間中に医学関係専門書を読む必要があった。そんな具合で、仕事上、英語で書かれた最先端の医学雑誌や専門書を読む機会が増えた。1980年代から人工知能に興味があり、構造言語学関係の専門書もチョムスキーの著作を中心に数冊原書で読んだ。読む量が増えるにつれて、それぞれの分野の語彙はすこしずつ増えていった。
 専門書群はそれぞれの分野の専門用語を1000-2000くらいも覚えてしまうと、読むのがとっても楽になる。好奇心に任せてその分野の日本語の専門書も読むので、周辺知識も加速的に増えてネットワークとなっていくから、読むのはますます楽になっていく。
 わたしは専門書ばかり読んでスキルを磨いたのでウィークポイントは会話文であった。それが大西泰斗先生のラジオ英会話のタイピングを通して、すこしずつ身体に染み込んでいく。いままで読解に利用してきたチョムスキーの生成文法と大西泰斗先生のイメージ中心の語彙解説がかってに化学反応を起こし始めている。
 4月末には5000題に達するが、飽きずに続くだろうか。


 語彙解説に英英辞典2冊を使っている。英英辞典に慣れてもらうためとこれら2冊を同一項目で引くことで違いを理解してもらいたかった。使っているのはOxford Wordpower DictionaryとCambridge Advanced Learner's Dictionaryである。どちらが優れているということはない、それぞれによいところがある。

 暮れの3日間を費やして1月分のテクストのタイピングを終わった。集中してやるとタイピング速度が上がってしまうようだ。校正用にA4の紙にプリントしたら45頁あった。全部で542頁である。
 昨日と今日で100頁ほど校正をやり終えたが、まだ240頁残っている。プリントアウトしたものをみると、解説を付け加える必要があることに気づく。よく考えながら、じっくりやるつもりだ。
 生徒の英語力に合わせて、文型中心の英作文コースも実験的にやっている。こちらは高校1年生と2年生が対象だ。

 高校生には根室市からHP社の高性能ノート型パソコンが配布されたので、2月からはパソコンのメールアドレスへの配信とするつもりだ。塾生一人一人の英語力に応じた問題の配信(個別指導)が可能かどうか試してみたい。
 配信された問題と解説をワードへ貼り付け、自分でやってみて、質問をしたら、塾生一人一人の英作文問と解説集ができるだろう。

①左にあるのが暮の3日間でタイピングした45頁分の英作文問題及び解説
中央に開いてあるのが昨年1年間で書き溜めた486頁分
右端のノートパソコンで英作文画面を開き、校正する
DSCN4350s.jpg

②手作り書見台
開いたファイルが大きくて書見台が見えませんね。これって案外便利なんです。校正作業はこの書見台でやります。その後で手書きの書き込みを見ながらパソコンへ入力します。修正が終わった項目はピンクの色鉛筆でチェックマークをつけます。
DSCN4347s.jpg

③暮れの3日間を費やした「1月号」のタイピング原稿45頁分(校正前)
暮れに雪が積もったので、雪かきに時間がとられて、間に合わないかと思いましたが、なんとかなるものですね。予定外の積雪でしたが、英作文の仕事の方は予定通り終了でした。
DSCN4349s.jpg

 あとは丸ごと覚えるために、音読を繰り返すだけです。音読時時間がなかなかとれません。さらに工夫が必要です。(笑)

<余談:個別添削と私の解説補足>
「大西先生の解説では足らず」と書きましたが、冠詞類の扱い、たとえば、無冠詞、不定冠詞(a,an)、定冠詞(the)、それと単数形・複数形の扱い。そしてこれらが3×2のマトリックスになるので、それぞれにどういうシーンが想定されるのかということ。時制の選択もしばしば問題になります。日本語の文章が英文にしたときにどの時制の選択が適切なのか。こちらの方は大西先生はあちこちで解説しているので、時制選択で文章に生まれるニュアンスの違いを解説すればいいだけ。
 塾生が自分で英作文して来れば、10-15分くらいで添削できるんです。1回当たり4-12題前後、そして週2回の配信でしたので。
 やってこない生徒はじつにもったいない、個別指導での添削の機会を失うんですから。「主語と動詞だけでいいから書いてみたら、だんだん良くなるから」、何度もそう伝えても、中学校で英語が苦手になった生徒たち(半数以上いますよ!)はアレルギー症状を起こすんです、だからやれない、心の壁(オレ、英語が苦手)が邪魔します。高校生ですから、ほうっておきます。受験が近づけば追い詰められて英語の勉強をするようになります。観察の結果は、長文問題に取り組みだすのが高3の10月ごろからですね、ちょっと遅すぎますが、難関大学出なければギリギリ何とか間に合います。
 昨年10月から水曜日に10回、(現在の高3対象に)高3の教科書を使って特快トレーニングをしました。今年はやる気のある生徒は水曜日にやっている高1or高2対象の文型中心読解トレーニングに参加を許可しています。11月からは高3対象にスラッシュリーディングの特訓を毎週土曜日に2時間やりました。だいぶ慣れましたね。
 英語にアレルギーを持ってしまった生徒たちの治療にはとっても手間暇がかかるんです。かけてやればなんとかなる。それが楽しい。長文問題解いているときの表情が以前とはまるで違います。わかるようになれば誰だってうれしいのです。



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#4447 除雪道具ファミリー:正月2日マイナス13.2度:Jan. 2, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

 おめでとうございます。

 正月2日、根室はとても寒い朝を迎えております。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 極東の町根室は5時59分に最低気温-13.2度を記録、西南西の風6.0m/s、外を歩いたら耳がちぎれる(それほど痛い)でしょう。正月元旦も-10.2度でマイナス10度越えでした。
 過去五年間の正月元旦の最低気温は2017年-8.4度、2018年-1.6度、2019年-6.0度、2020年-6.0度でした。
 根室で最低気温がマイナス10度を超えるのは2月の厳寒期に数回だけ。いまの寒さが半端でないことをものがったっています。大西洋を流れる温かい海流が北上し北極圏の冷気を押し出す圧力となって、寒気団が日本列島に偏ってきているようです。
 昨日もせっせと雪かき。家の前は雪がありません。道路のはす向かいは中学校のテニスコート。その前が10mほど空き地になっています。そこまで「ママダンプで」運びました。正月からいい運動してます。
 雪国でない人は見たことないでしょうから、後で雪かき道具の写真をアップしておきます。

1.除雪道具ファミリー
DSCN4354s.jpg
左から、「ママダンプ(大)」、「ママダンプ(小)」、「プラスコップ」、「アルミ製スコップ」、「鋼鉄製スコップ」、「竹ぼうき」
用途に応じて使い分けます。
①「ママダンプ(大)」は柄が長いのと短いのがありますが、これは長いものです。庭のような狭いとところには向きません。方向転換するときに柄の長さが半径になりますからね。だからもっぱら塀の外側の除雪用に使っています。
②「ママダンプ(小)」は右手で絵の先端部分を、左手で下の方のパイプを摑むとスコップのようにも扱えます。狭いところはこれですね。でもあまり使いません。庭の中も大きい方でやっているんです。
③ ブラスチック製のスコップには先端にステンレスの刃がついていますから重い。湿った雪だとこれに雪をてんこ盛りしたら10kgのどありそうです。もっぱらそのまま雪を押してどけるのに使います。「ママダンプ(大)」で除雪した後の「仕上げ」用ですね。
④ アルミ製スコップは軟弱で、先端が捲(めく)れてきます、だからやさしく扱います。ほどほどに湿った雪の場合は、このスコップが軽くて扱いやすいのです。大事な道具ですから、古くても捨てられません。車用のワックスの余りがあるので、ときどき塗布してからぶきしておきます。
⑤ ブルが道路わきに残していった固まった雪は鋼鉄製のスコップが便利です。一部が凍り付いていてもガンガン叩いて砕けます。たぶん、小学生時代に使っていたものの筈ですから60年以上使っているのかな。
⑥ 竹ぼうきは玄関前のゴムマットに積もった雪を掃き捨てるのに使います。
⑦ 屋根の雪下ろし用の4mほどの長さの除雪道具を並べ忘れたことに気がつきました。玄関前の屋根の雪下ろしは、それを使ってやります。屋根の先端が氷のカタマリですから、お昼頃に滑って落ちてきたら怪我します。お袋が梅ヶ枝町の家で2階の屋根から落ちてきた雪のカタマリでケガしたことがあります。半年ぐらい頭が痛かったと言ってました。とっても危険なのです。だから、屋根に雪がある間は、玄関前の屋根はこまめに除雪しています。20人前後の塾生も郵便屋さんも宅配の人も新聞配達の人も来ますから。怪我させちゃいけません。

2.バス停前まですっきりです
DSCN4355s.jpg

3.道路斜(はす)向かい側
DSCN4357s.jpg
道路を横断して母校のテニスコート前へ雪をもっていってます。3年くらい前までは雪が降ったあとバス停前をの除雪をしておくと、2日くらいたってからバス会社のブルが来て、雪をテニスコート前までもっていってくれました。1.5mくらいの高さに積んだ雪が数回で全部なくなりました。朝通勤や病院へ行くお年寄りが利用するぐらいで、公共交通機関は汽車もバスも風前の灯火。除雪くらいは元気なうちはやっておきますから、まだしばらくはもちこたえてください。採算に合わないでしょうから、いずれ市が第三セクター方式で運営しないといけなくなるでしょう。その時に公的会計基準ではいけませんよ。市立病院のように年間17億円の赤字が数千万円の赤字とアナウンスされますから。公的会計基準は経営の実態を表しません、事実と違うのです。民間の会計基準で決算公表しましょう。

4.バス通り、反対側からのショット
奥突き当りがセイコーマートです。
DSCN4365s.jpg




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