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#4449 幸田文の美術評論 Jan. 3, 2021 [44. 本を読む]

<更新情報>1/4朝10時半<余談>追記

 幸田文(1904-1990)は露伴(1867-1947)の娘である。どちらも長生き、そういう家系であるか、生没年を書いて気がつく。
 露伴の作品はあまり読んだことがないが、『五重塔』の職人魂は胸を打つ。文体にリズムがあって読んでいて気持ちがよいのである。オヤジが名だたる文豪でも、娘はそうはいかぬのが世の常だが、幸田家だけは別格のようで、孫の青木玉も物書きの端くれである。
 この数か月間、ベッドに入ってから『幸田文全集』の第三巻と第二巻を数ページずつ味わいながら読んでいた。彼女の作品の中には辞書で引いてもネットで検索してもわからぬ語彙がでてくる。
 幸田文の作品群は昭和の東京下町の語彙の宝庫と言ってよいのだろう。凄いのは語彙だけではなく、論理の組み立て、その表現の仕方である。それら三つを統合したスキルの高さは他の物書きの追随を許さず、高くそびえる孤塔の感がある。こういう書き手はもう現れない。日本語の表現の豊饒さは優れた書き手の作品が世に現れたときにわかるもののようだ。
 数日前に読んだ美術評論がある。美人画で夙(つと)に有名な上村松園の絵(1875-1949)を批評した名品である。正月だから、全文引用して紹介したい。
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画中の美人
 —上村松園展を見て

 壁間はことごとく美人を以って埋まりおり雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女、そのあまりにけんらんたる眺めにしばらくはぼう然と致し、ふと気がつけばわが身ながら自分の姿は深山の奥のこけ猿に似て疎ましく思え、対照の妙とは、かかる場処にも自然配慮あるものと驚嘆も致し、いささかもの悲しく存じました。
 色彩は晩年に至るまで一生を通じて衰えず鮮麗、かつ女のほれぼれするとり合せをもって組み立てられています。これは私には一寸危険な誘惑でした。なぜなら四十七歳の婆猿の身をもうち忘れ、長年きなれたドンツク毛皮がとたんにいやになって今日をかぎりにこの画のような美しい配色の着物をきなくては損だなどとムホン気をあおられたからでございます。これは女史のツミではないでしょうか、ああ。
 画にはみな打ちあがった品があり、なげやり、廃たい、奔放などは見当たりませんでした。ひかえめなためにやや平板を感じさせるものもありますが俳諧の詞先情後という言葉をふと思いました。
 『花嫁と母『みゆき』『つづみ』などはさすがに良く心の奥行きが見えており、殊に『小町』には気はくの量感、速度が響いています。一貫していえることは清潔感です。上着をぬがせ、襦袢をぬがせ、下着をとってしまっても、どれにもあかづいたものが無く、裸身にも何一つ汚れがないという感じがします。大層安心ではありますが、凡俗な私には物足りなくまた縁遠いい美女ではあることよと存じます。真、善、美の極なる美人を志して描き度いという女史の心情も考え合わされ、信仰とはこういうものかもしれないとおもいました。
 顔には系統があり、わたしの好むものではありませんが、それにもかかわらず、美を認めさせられたのは、女史の力量が画布三尺の外に発して人を打ったものと存じます。同一題材、類似姿態がめにつきます。好きな材料だからたのしくてしばしば書く、描くと満足がある―とも取れますが、わたしは逆に取ります女史の終身の強さというものを見ます。好きな材料だけに、一作毎にそこはかとなく物足り、尽くさなさがつきまとい、もっと、書けないだろうか、もっとよく出来ないだろうか、そういう頂点を望んであくなき態度、もっといえば芸道の人の悲しさが、受け取れてしまうのですが如何でしょう。年代順に並べてみるゆとりがなかったのが残念です。
 さて『花かたみ』『焔』をみました。それまでは正直なところ、絵のあまりの美しさに、所せん近づき難き遠さを感じ、作者へも及び難き距りを悲しく思っていたのでしたが、この作を一見してたちまちにわかに親しいもの、つながりを与えられてほっとしました。狂女のほうけ、しんい(瞋恚)のほむら、題材の奇はもち論眼を奪いますが、なによりそれが女史四十年代の作たることに、はげしく私は打たれました。女史ほど内輪に控えめな人でも、女は遂に一度はここを通っていくものなのでしょうか。これを描かずにはいられなかった経緯を思わない訳にはまいりません。生意気な申しようですが『花かたみ』の前年の作『深雪』には愛情の過剰がみえて、はらはらする魅力があります。それが『花かたみ』の痴ほうにまで進展し、更に三年をおいて『焔』になっています。表裏二狂女の年を比べてください、恐ろしいまでの作者の気構えが出ています。
 パーマネントの令嬢方にはわかりますまいが、わたしは日露戦争っ子でして、束ねた髪の根から発する気味の悪い臭さを知っています。元結をきるときにはなれたかみ結さんでも息をつめるほどいやな臭いなのです。『焔』の女に私は思わずいやないやな想像をしてぞっとさせられてしまいました。描かれているその状態からもしももう一歩進んだ事柄になって逃げられぬ一かパチかの窮りのように追い詰められた時、多分はこの女の元結もたけながもぶつんとはじけ飛んで、汚臭は辺りに流れ、乱髪の脳天からはちろちろと青い火が燃えるんではないでしょうか、とそんなふうに思われたのです。モデルがあったのでしょうか、あったとすればそれをがつがつながめていられた女史の神経のほどに恐れを覚えますし、なかったとすればなお更のこと、その想念の走りかたに戦りつを禁じえませんが、その故に私はとりすました端正なものより、より近しくほの温かい味をくみ取ります。多かれすくなかれ女たれしもにあるいやなものへ向かって大胆至極な態度で、はっきりつっぱってみせられたのは誠にすっきりしていて頭が下がります。貪欲な私は思わずこの作の前後いずれにか、かならず、瞬きも許さぬ程なエロティシズムがありはしないかと渇仰してうろうろしましたが、画中の美人は冷たくしんとしています。四年を経て浴後の『貴妃』がありますが、豊艶でしかし乙にすましていました。すくなからずがっかり致しました。
 女史は心にくいまで、つつましく非常に上手に画も身も処して、あぶなげなく終わった美人ではないでしょうか。ある型の輝ける代表選手であったと言えます。オール同性から惜しみなく讃仰の拍手を送るべきだと存じます。 


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 うーん、何度読んでも見事だ。校正のために読み直した。
 一箇所だけ、仏教用語なので平仮名の部分に括弧書きで漢字を入れた、「しんい(瞋恚)のほむら」のところである。「瞋恚の焔」とは人間の怒りを燃え上がる炎にたとえたもの。
 こういう幸田文の文章には、物柔らかな言いようのうしろに、すさまじい批評精神とそれを表現する語彙と技術の果てしない高さを感じてしまう。真・善・美というが、上村松園の美人画は「美」に光りを当てたものが多くつまらない、女の「真」の部分まで描き切ってこそ、名人ではないかという文の声が聞こえそうだ。40路になれば花もとうに盛りを過ぎ、もう一度激しい恋をしてみたい。それは地獄・修羅の道、そういう選択をした女の情念がほの見えた作品が『深雪』『花かたみ』『焔』であった。この三年の間に上村松園に何があったのか、その期間に描かれた作品にこそ、女の真実の姿があるはずと幸田文。
 ネットで作品を検索して数枚の絵をみたが、上村松園38歳(1913年)の『蛍』が気に入った。「貴妃」とはまるで違って表情も姿態も色っぽく描かれおり、着物の青と柄も美しい。この絵には生身の女の色気と使う色数を絞り切ったシンプルな彩りの美しさ、とでもいうようなものがある。

 わたしは永井荷風の『断腸亭日乗』の文体が好きだ。簡潔そして切れる文章で無駄を削り取ったところがいい。幸田文の文体は永井荷風のそれとはずいぶんと趣が違うが、それでも過不足のない文章運びにはどこか共通項を感じる。


<余談-1:リズム>
 挙げ始めると限(きり)がないので一箇所だけ。
 「雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女」
 「雨の美人、雪の美人」では平板すぎるから、「ゆきの美人」と書いた。美人を四回続けるのは野暮だから「花の美女、月の美女」と来た。これも「つきの美女」としたのでは、前例踏襲でつまらぬし、「月」を「つき」と書いたのでは、月にまとわりついている情緒が失われるので、あえてどちらも漢字にした。
 第一段落全体はリズムが軽やかでまるで講談を聞いている心地がする。

「壁間はことごとく美人を以って埋まりおり雨の美人、ゆきの美人、花の美女、月の美女、そのあまりにけんらんたる眺めにしばらくはぼう然と致し、ふと気がつけばわが身ながら自分の姿は深山の奥のこけ猿に似て疎ましく思え、対照の妙とは、かかる場処にも自然配慮あるものと驚嘆も致し、いささかもの悲しく存じました。」

 拍手喝采したくなる。


<余談-2:詞先情後について>
 俳諧に「姿先情後(シセンジョウゴ)」という言葉はあるが、「詞先情後(シセンジョウゴ)」という表記はない。周りにあるものを写生するのが先、主観的な感情は後という意味だが、幸田文がわざわざ「詞先情後」と書いているので間違えて書いたはずはないだろう。原稿を校正した岩波書店の編集者担当も気がついていただろうが、そのままにしたということは、文自身が特別な意味を込めたと受け取ったからだろう。
 「七部集の名が茶の間の話の中に盛んに出始めたのは、たしかわたしの十六あるいは十七のときだったとおもふ。小宮豊隆・和辻哲郎・安倍能成の三氏が向島蝸牛庵に見えて、連俳をして遊ばれたころからのことと記憶している」と「雪の狂うらばなし」347頁に書きとめている。和辻哲郎が露伴と連俳を楽しむような付き合いがあったというのは初耳で、驚きである。和辻(当時、東大教授)は市倉宏祐先生(哲学者)が学徒出陣するときに出征旗に署名している(『特攻の記録 縁路面に座って』)。和辻へのあこがれはゼミのときに何度か聞いた記憶がある、「呪文の哲学」を書いてみたいとも。
 短歌や俳句については露伴の薫陶があったのだから、間違えるはずはないという前提に立てば、「姿先情後」とは別の境地を「詞先情後」という言葉であらわしたのだろうか。娘の文が読んだ句を露伴が酷評する話もあるから、耳で聞き覚えていただけで、単なる書きミスもないとは言えぬ。

 本を探していたら、本棚に『遺稿集・田塚源太郎』(昭和55年刊)と矢野利明著『歌集・病雁』(青垣発行所・昭和32年刊)があるのを見つけた。田塚先生は根室の歯科医である。昭和54年に58歳で亡くなられた。その年に遺稿が編纂されて本になっている。

 戦争(たたかひ)に勝ちたるものも敗れしも共に汚く食をむさぼる

 乗り得たる復員列車無蓋車に感慨もなく饅頭(まんとう)をむさぼりて喰う

 夜来れば停車を襲ふ暴徒の群れに病みて装備なき歩哨を立たす


 日本歯科大を卒業して軍医として志那へ、4年間各地を転戦し生きて還ってきた。その当時の様子を謳った短歌三つ。
 田塚先生は、小学1年生のころからビリヤードを始めた私を面白がって一緒にゲームして遊んでくれた。球が台の中央付近だと背が足りないので、「失礼します」と挨拶してビリヤード台の上へあがって撞いた。わたしだけの特別ルールだった。ルールブックでは両足が浮いたら即アウトなのである。家(うち)のオヤジのことを名前で「五郎さん」と呼ぶのは田塚先生お一人しか記憶にない、わたしは「トシボー」だった。落下傘部隊員のオヤジの気分は2歳年長の「軍医殿」だったかもしれぬ。田塚先生は4年間中国大陸を転戦して回った。オヤジは朝鮮と中国へそして落下傘部隊へ応募している。馬が合っていたのは傍から見ていてもよくわかった。
 田塚先生が豪放磊落、そしてやさしい人だったのはゲームをしてよく分かった。ゲームには人柄が出るもの。高校卒業までの12年間、常連さんだけでもさまざまな職業人である数百人の大人たちがゲームに興じるさまを観て、学んだことである。
 根室の考古学者の北構保男先生と根室商業の同期生、大学進学で東京へ一緒に行き、同じ部屋で4年間過ごしたという。35年ぶりに根室へ帰って来て北構先生のところはご挨拶に行ったとき、昔話に花が咲いた。「田塚君のことを話せるのはもう君くらいしかいないよ」と北構先生、笑いながら大きな声でおっしゃったが、「友達はみんな死んでしまった」と寂しそうだった。
 田塚先生は国後島の蟹漁場の親方の一人息子、資源が豊富で根室とは水揚げ高が違うので、ずいぶんと豪勢な暮らしだったという。北構先生は考古学調査で何度か田塚先生の国後島の実家へ寄ったことがある。その折の話はまた別途書くことになるだろう。
 田塚先生の遺稿集は限定500部、親友の北構先生が編集して根室印刷で印刷している。いままでこの本があることに気がつかなかった。オヤジがビリヤード店に置いておいたようだ、その後お袋が大事に所蔵していた。わたしが小5のころから居酒屋「酒悦」をやっていて仕事が忙しいのに暇を見つけては本を読む人だった。

 大学へ行けたのも、大学院へ進学できたのも、いまこうして故郷で小さな私塾をやっていられるのも、ビリヤード店や居酒屋「酒悦」(後に焼き肉屋)の常連客のみなさんと、一生懸命働いてくれたオヤジとお袋のお陰である。たまには仏壇に手を合わせないといけないな。そこにはいませんと二人が笑うだろう。
 田塚先生も福井先生(根室の歯科医で小説家)も北構先生も、オヤジもお袋もみんな逝ってしまった。そろそろわたしの番だろうが、まだ早いので迎えはいらない。(笑)


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