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#4457 (1) 復員①:『遺稿集・田塚源太郎』より Jan. 15, 2021  [22-1 田塚源太郎遺稿集]


昭和21
この歳、五月、北支那河南省より復員
傷病患者の輸送指揮官のひとりとして
着のみ着のままの復員であった。
故郷の千島が占領されていることも根室が
空爆を受けて灰燼に帰してゐることも
全く識らずに所持品といふ所持品は
すべて病兵達に与へて‥‥‥‥私は
半ば栄養失調、そして、記憶が
断絶した様子状態で今にしても、どうもその当時の
記憶はさだかではない。

     <復員> 


 戦争(たたかひ)に勝ちたるものも敗れしものも
  共に汚く食をむさぼる 
   


 乗り得たる復員列車無蓋車に感慨もなく
  饅頭(まんとう)をむさぼりて喰らふ 
  


 夜来れば停車を襲ふ暴徒の群れに
  病みて装備なき歩哨を立たす


 敗戦で中国から引き上げる時の情景がありありと浮かぶ。日本の土を踏むまで敗戦から9か月がかかっている。
 敵であった者も味方も、垢にまみれ食べるものが乏しくて栄養失調の者も少なくない、傷病兵には必要な薬もない。屋根のついていない貨物車に乗って無事に日本へ帰りつけるかどうかもわからない。武装解除されて武器を持たない部隊が暴徒に襲われたらどうしようもない。
 軍医として四年間支那を転戦したあげく、輸送指揮官として傷病兵を武器もないまま歩哨に立たせなければならなかった苦渋がこの歌に滲んでいる。

 五七調にはなっているが短歌の形式ではない。最初の句は五七七七七の35語、第2句は五七五七五八の37文字、第3句は五七七八七の34文字となっている。三十一文字の短歌の形式ではない。歌のことはよくわからないが、おいおい学んでいくつもりだ。

(田塚先生とのかかわりは弊ブログ#4456に書いた。この遺稿集の印刷は根室商業の同期で親友だった北構保男氏の経営する根室印刷でなされている。遺稿集がそのまま埋もれるのを惜しんで、奥様と娘さん二人と遺稿の整理・編集をされたのだと思う。広く読んでもらいたいと切に願う。)

#4456 田塚源太郎先生と根室の大人たち Jan. 15, 2021 



 戦争の記録として、大学のゼミの指導教授だった市倉宏祐先生(哲学)の『特攻の記録 縁路面に座って』がある。編集者の伊吹克己教授の好意で全文掲載してある。哲学者が書き残した特攻の記録である。市倉先生は特攻兵として順番待ちをしているうちに土浦の基地で終戦を迎えている。
 西浜町会長の柏原栄先生(元花咲小学校・光洋中学校・根室高校教諭)は、土浦航空隊での実技試験を経て合格し、海軍飛行予科練習生として入隊する直前に終戦を迎えた。終戦があと1か月延びて土浦航空隊へ行っていたら、指導教官は市倉先生だったかもしれない。わたしは柏原先生に中2のときに「歴史」を教えてもらった。初めて本気で勉強する気になったから、柏原先生には学恩がある。高校生になってから経済学の専門書や哲学書を読み漁ることになったのは、柏原先生の歴史の授業が契機になったと自覚している。
 市倉先生は土浦航空隊で指導訓練した少年兵たちのことを、「選抜された優秀な少年兵ばかりだった、生きていたなら...」と悔やまれていた。
 お二人の先生、柏原先生と市倉先生、が接点をもちあと数か月戦争が長引いていたら、二人とも太平洋上に散華し、いまのわたしはおそらくない。

1. 特攻の記録 縁路面に座って(20)



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#4456 田塚源太郎先生と根室の大人たち Jan. 15, 2021 [22-1 田塚源太郎遺稿集]

 田塚源太郎先生は家業のビリヤード店の常連のお客様のひとりだった。小学1年生のころからビリヤード台にあがって球を撞いていたわたしを面白がって、遊んでくれたことがあった。冬は鍔のある帽子をかぶり、コートを着てお店へ入ってくるオシャレな人だった。身長は5尺8寸(175㎝)ほど、長身である。お店のお客さんで映画に出てくるようなハットをかぶってくる人は田塚先生ただお一人、他の人が真似しても似合わないだろう。都会的な雰囲気を感じさせる大人だった。豪傑で繊細な感受性のもち主、矛盾したものを内にもっていらしたように思う。


 考古学者で文学博士、㈱根室印刷の創業者であった北構保男先生とは根室商業の同期である。田塚先生は国後島から2か月遅れて6月に根室商業へ入学してきたという。それ以来、二人は親友である。北構先生は豪放碧落な性格で職業や社会的地位で人を分け隔てしない、庶民的なインテリであった。
 根室印刷は梅ヶ枝町にあった自宅兼店舗から15mほどのご近所さん、田塚先生のご自宅兼歯科医院も歩いて3分ほどの距離。落下傘部隊のオヤジは彼らよりも2歳年下で。オヤジから見たら「軍医殿」、中国の四年間の転戦に敬意を払っていたように思える。オヤジも落下傘部隊の前は朝鮮や中国へ通信兵として配属されたから、田塚先生とは話があっただろう。いくつかエピソードがあるが、その内に書くことになる。オヤジは「田塚先生」と読んでいたが、田塚先生はオヤジのことを「五郎さん」と名前で話しかけていた。オヤジを名前で呼んでいた人は田塚先生お一人だけ。
 田塚先生が歌人であったことは、遺稿集で知った。昭和55年ころビリヤード店に置いてあった遺稿集を見ていたのだが、それっきり手に取ることはなかったが、たまたま本棚にあるのを数日前に見つけ、読みふけり、そしてもったいないと思った。
 根室の他の人たちにも知ってもらいたい。市立図書館にあると思うが、限定500部しか刷られていない、貴重な歌集である。

 もう一人、歯科医の福井先生を挙げておかねばならない。福井先生は昭和の元年か2年ころのお生まれではないだろうか。ビリヤード店の常連客のお一人だった。物腰のやわらかい品のよい人だった。いま、息子さんが同じ場所で歯科医をされている。わたしの知っている福井先生は2代目だった。初代の先生は太鼓腹だったそうで、赤ん坊の時にお腹の上にのっけてよく遊んでくれたとお袋。だから3代のお付き合いになる。2代目の福井先生は根室新聞に連載小説を載せていた。時代小説だった。北構先生との雑談のときに福井先生の話が出たことがある、時代小説ばかりでなく現代小説も連載していたとおっしゃった。

 北構先生は昨年亡くなられた。福井先生は平成3年の秋に亡くなられた。田塚先生は昭和54年だから58歳で早世された。凄い人たちが周りにいたことはわたしの人生に少なからぬ影響を与えているかもしれぬ。


 前置きはこれくらいにして、次回から3つくらいずつ田塚先生が日々の暮らしの折々に詠んだ短歌を紹介したい。
  娘さんは一人はわたしと小学校・中学校・高校1年生まで同じクラスだった。お姉さんは1学年先輩、根室高校の美術部長だった。わたしが2年生の時に生徒会会計で予算折衝で話したことがある。もう十年ほど前になるが、美術を習っている塾生がいたので、展覧会を見に行ったときにお会いして話をしたのが2度目だった。


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弊ブログ#4321に、根室商業を卒業した年に東京東横デパート屋上で北構さんと田塚先生とたぶん高坂さんだろうと思うが三人で撮った写真が残っていたので掲載してある。こちらへコピーで来るので貼り付けておきます。真ん中が田塚先生です。右側が北構先生(文学博士考古学者)、左が高坂さん。田塚先生、どう見ても高校を卒業したばかりの人には見えないでしょう。冬にビリヤードの店番をしていると、こういういでたちで入ってきました。帽子とコートを帽子掛けとコート掛けにかける。それから球を撞いてました。独特の雰囲気のある人でしたね。


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#4455 髪がアメル??? Jan. 15, 2021 [44-1. 言葉の拾い物]

 いよいよ明日と明後日、大学入学共通テストです。根室高校生は今日の昼過ぎから試験会場の釧路へ向かいます。数日間緊張してなかなか寝つけない生徒もいたようです。一生に一度のことですから無理ありませんね。
 以前はセンター試験と言ってましたが、共通テストに代わったんですね。「試験」が「テスト」になってます。ことばは間断なく変化していきます。

 都知事の小池さんはやたらカタカナ語を連発していますし、口の回らない菅総理も先日の記者会見ではやはりカタカナ語を何度か言ったようですが、わたしには聞き取れませんでした。日本語で丁寧にお願いしたい。早口でカタカナ語を連発されると、何か不都合があってごまかしているように聞こえることがあります。


 昨日、高校3年生が「髪がアメル」って発言したので、どういうことか訊いてみました。アメルは日本語の方言です。「あめる」と平仮名で書いた方がいいのでしょうね。1週間も髪を洗わないと髪がべたべたするので、そういう状態を「髪がアメル」っていうのだそうです。
 団塊世代の爺のわたしは「ご飯がアメル」というのはふつうに使っていたので理解できますが、「髪がアメル」というのは聞いたことがありませんでした。35年間根室にいなかったので、その間に起きた変化でしょうかね。
 団塊世代の共通の理解は「アメル」というのは食べ物にしか使いません。鍔のついたお鍋でご飯を炊いて、蒸らした後にしゃもじで掬って御櫃(おひつ)に移します。蒸気を飛ばすとご飯が美味しくなります。夏場だとご飯がアメて臭いがつくことがあります。鼻で嗅いで感じるのではなく、口の中で感じる臭いなのです。だから食べ物にしか「アメル」を使いません。ひょっとして今の子どもたちは口の中で感じる臭いと鼻で感じる臭いの区別がつかないのかもしれませんね。アメタご飯は口の中に入れたときにいやな臭いを感じて「ゲッ」となるのです。

 東北の一部で「髪がアメル」という地方があるようです。
 匂いは鼻で感じるものと、口中で味と一緒に感じるものの2種類あります。アメタご飯を食べたらわかりますが、電子ジャーではご飯はアメないから、ご飯がアメルという事実がなくなったので、それを表す語彙も本来の用法からずれてしまったとはわたしの意見です。
 ああ、東京では使いません。
 道内のほかの地域ではどうか、世代別ではどのあたりから用法が違ってきているのか、意見がございましたら、投稿欄へどうぞ。



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