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データに見る根室の中学生の学力低下と学力向上のためにやるべきこと [57. 塾長の教育論]

実データに見る根室の中学生の学力低下と
   学力向上のためにやるべきこと


 最近何度も学力の問題について論じてきた。教育問題については「塾長の教育論」というカテゴリーにまとめてあるのでそちらを見ていただきたい。
 クラブナビさんが国家レベルの教育ビジョンがないことが大きな問題であるとコメントしていた。そういう確かなビジョンは必要だし、それはその通りだと思う。この点に関しては明確な国家戦略に教育を組み込んでいるフランスやインドが参考になるので次回採り上げたい。
 だが、そういうものがなくても現場の努力で全国ナンバーワンにすることが可能なところに教育というフィールドの特殊性がある。
 Hirosukeさんは教える側の技術を問題にする。それも真実だ。情熱だけではすまない。教育技術の高さも必要だ。教育技術水準の高さと情熱が学力向上という車の両輪だろう。

 根室は日本の一番東に位置する市である。しかし、センターもペリフェリも関係ない、やれないとあきらめたら何も見えなくなるし、できなくなる。具体的な目標を掲げて、努力すれば全道ナンバーワンは達成できる。
 学力は教える側と、学ぶ側の両面からとらえなければならない。これらの点も次回のブログで論じてみたい。

 さて、本題に入ろう。夏休みが終わってから市街化地域の中学校のうち1校のみ学力テストを実施した。学力テストは教えている先生たちが問題を作っているわけではない。これも業者テストのひとつであるが、問題がやさしいにも関わらず、教えている先生たちが問題を作って実施する中間テストや期末テストよりも平均点が低い。

 中2のデータを紹介する。「第2回学力テスト成績連絡表」の棒グラフにある人数を足し算すると受験した生徒数は64人、5科目合計平均点は238.4点である。1科目平均47.7点となる。平均点が一番高い科目は国語60.7点、低いのは社会41.5点、英語41.7点である。理科の平均点は59.8点と比較的高い。

 この学校は理科の点数がいつも高い。他の学校に比べて理科だけで平均点が15点ほど高く出る。小テストを繰り返し、教えたことを定着させている先生がいるからである。基本に忠実な授業をしている。2年生の理科をその先生が担当しているかどうかは知らない。教えているのは他の先生かもしれない。とにかくこの学校の理科の平均点は他校よりも高い。
 国語の平均点が比較的高いのは読書習慣が影響しているのだろうか。高校生の全国模試でも国語は平均レベルにある。ちなみに数学や英語は全国平均よりも低い。親子読書サークルが盛んだが、人数はそれほど多くはない。だからこの点に関しては何が影響しているのか私にはわからない。

 数学の分布を見てみる。10点以下が13人、11~20点の層が1人、21点から30点が8人である。これらをまとめると、30点未満が22人/61人(なぜか5科目合計点のグラフを集計した64人と合わないが、そのまま元データを書いておく)であり、36.1%を占めている。おおよそ3分の1が30点以下である。
 この30点以下の層に属する生徒は、おそらく小数点の乗除算や分数計算ができない。小学校で習得できなくて、中学生活を1年4ヶ月過ごしてもなお理解できないのだ。
 なぜだろう。中学校の学習指導要領には分数や小数の計算が含まれていないからである。現場の先生たちは学習指導要領に従って教えることになっている。中学校で通分の仕方や小数点の乗除算の桁移動をまとめて教えることはない。それゆえ、小数や分数の理解できない生徒は放置されたままになり、基本計算能力を欠いた子供たちは授業を聞いていても理解できない。その結果、授業への興味をなくしてしまう。
 両親やじいちゃんばあちゃんに甘やかされ放題の子供が増えている。「我慢力」のない生徒たちは授業中平気でお喋りをしたり、携帯をいじっている。勉強したい生徒たちに先生の声がしばしば聞こえなくなる。こうして成績のよい生徒が減少していく。この中学校は3年前には1学年80余人で400点以上が25~27人いた。今回のテストを見るとたったの4人しかいない。この3年間で生徒は20人ほど減少したが、成績上位の1番から20番までがいなくなってしまったかのようである。市街化地域のもう一つの中学校では前回の学力テストで400点以上が一人もいなかった。5年前にはやはり25人いた。ドミノ倒しのように市街化地域の中学校の学力が低下している。
 今春、久しぶりに根室高校から北大と東北大への合格者が出たが、3年後には現在の中学生が根室高校生だ。進学状況は激変するだろう。

 授業への興味をなくした生徒たちの中から、授業中に教室内を歩いたり、授業を抜け出して空いている教室や外に出てサボるグループが出ている。なかには毎日のように体育館の裏手でたばこを吸っている者たちまでいる。
 わがままし放題に育った子供は親の言うことも聞かないし、先生の言うことも聞けない。授業を抜け出しても先生たちは注意することすらあきらめてしまう。学校だけで生徒を変えることは無理だと思ってしまう。学校は荒れている。勉強したい生徒にとっても、勉強したくない生徒にとっても、先生たちにとっても、学校はつらい場所になっている。悪循環である。

 数学に関して言えば、平均点以下の生徒を集めて週2回×3ヶ月間補習すればなんとかなる。中学生が分数の加減算や小数位取りを理解するのはそれほど困難ではない。きちんと教えてやれば理解できる者たちがほとんどである。だから生徒自身はもとより先生もあきらめてはいけない。
 基礎計算ができるようになった生徒は数学に興味を示す。授業もきちんと聞くようになる。数学での成功体験が他の科目への興味をかきたてることもある。数学の学力テストが零点とか10点未満の生徒が2~3ヶ月で85点をとるなんてことが現実にある。この数年だけでも何人もいた。ただ、しばらくの間、先生が根気よく付き合って教えてやる必要がある。先生にも「辛抱力」が要求される。

 英語は30点以下の層が22人/60人おり、36.7%を占めている。数学とほとんど一緒だ。中1の夏休み以降に英語がわからなくなったのだろう。このころから「三単現のs」とか、助動詞do、does、疑問詞のある疑問文など文法事項がたくさん出てくる。現在進行形や過去形も1年生の文法事項の範囲である。この山を登りきれなかった生徒が三人に一人いるということだろう。
 この層は、中1の基礎事項をまとめて復習しないと、英語の授業が理解できない辛いものになってしまう。
 塾では成績不振者に対しては個別補習もやるし、授業で学年を無視して遡って基本事項の説明もやる。つまり「生徒を見て」授業をしている。
 塾では文部科学省の定めた学習指導要領にしたがう必要もないから、よくできる生徒には大学レベルの高度なことも教えるし、成績不振者には何度も基本事項のトレーニング機会を提供する。どんなに成績が悪くても、生徒にやる気さえあれば半年程度でなんとかなるが、数学よりも少し時間はかかっているのが実情である。
 根室は東京よりも小学生の英語教育の盛んなところだが、今回の学力テストで91点以上が1人のみ、80~90点は5人のみ。おおよそ10%しか80点以上がいない。個別的には効果の高い生徒もたまには出るのかもしれないが、中学生のテストデータの分布をみても、その効果はデータに現れていない。
 東京では私立中学受験のために4年生から個別指導の進学塾へ通うのが「優秀」な生徒たちの普通のコースである。勉強時間を考えても、中学受験生に英語教室に通う時間的余裕はない。つまり、根室の小学生が英語に費やしている時間に東京の小学生は国語と数学の能力を磨くことに時間を費やしているのだ。こうして高校受験までに東京と根室の間に国語と数学に関する学力格差が広がってしまう。小学生英語が盛んなことは根室のきわだった特殊性のひとつだろうと私は思っている。

 その一方で顕著な実績を挙げている例もある。この中学校では理科の先生が実績を挙げているし、他では最近ある郡部校の英語の先生がその学校の学力テストの英語の平均点を70点超にした。これはダントツ市内ナンバーワンである。郡部だってその気になれば英語の学力テストの平均点を70点超にあげられるのだ。
 だから小数の現場の先生の努力次第で生徒の学力を北海道ナンバーワンにすることも可能だ。やれない言い訳を考えるのはやめにして、やる術を考え、実行しよう。生徒も先生も「辛抱力」が必要だ。
 しかし、現場の先生たちがすべてを担うわけではない。親は親としての義務を果たすべきだ。家庭学習習慣を育むのは子供をもつ親の責任である。
 小学低学年生をもつ親は子供と一緒に勉強を楽しむ時間をもつべきだ。健全な学習習慣は小学校低学年のうちに親がしつけるべきだ

 根室市教委によれば「平日一日に2時間以上ゲームをする割合は小学生で3割、中学生で5割弱」である。ゲームは中毒性があるので、中毒症状を治療するための、「ゲーム中毒心療内科」が欲しいくらいだ。アルコール中毒に関しては久里浜病院が専門病院だが、ゲームやパチンコに関しても専門の医療機関が必要だ。
 2時間以上やる人数を見ても小学生よりも中学生のほうが2倍以上多くなっているから中毒性ははっきりしている。生活習慣を崩してしまうところにもその弊害は生じている。ゲームが終わってからでは勉強をする時間がない。自分の意志ではなかなか抜け出せずに、深みに嵌っていくところが覚醒剤と似ている。もちろん、飽きて抜け出す子供も少ないながら存在するが、ほとんどが自分では抜け出すことのできない中毒症状を引き起こしているといってよいだろう。親は子供が可愛かったらゲーム機を買い与えてはいけない。買い与えるなら、一日1時間以上はやらせるな。だが、中毒性があるから時間制限は無駄だ、子供は夜中に起きて隠れてもやるだろう。

 学校は週に2日は部活を中止し、国語・数学・英語の補習を実施すべきだ。何もしなければ、根室の子供たちの学力は全道で一番低いままにとどまる。その北海道も全国47都道府県中42位、小学校にいたってはビリから2番目の46位だ。各学校は職員会議で学力向上策を真剣に話し合え。
 親、学校の先生、教育行政、塾の先生、そして生徒自身がやるきになり、それぞれが責任を果たしながら協力すれば根室の子供たちの学力はたった2年で全道ナンバーワンにできる。

 教育委員会は大半が小中学校の先生たちの退職後の「OB会」のようなものだ。この程度のことを「天下り」とは言いたくない。出身母体から考えると、現場の先生の負担になるような提言はしたくないのが心情だろう。しかし、ここまで落ちてしまった根室の子供たちの学力を、補習をせずに上げるのは不可能である。週に2日は部活を禁止し、補習するよう各校の校長を集めて説得したらどうか。学力テストと一緒に実施したアンケート結果について、以前からは考えられないほど具体的に情報公開した。さらに踏み込んで自ら勇気と決断を示すときだろう。
 次回は、教育ビジョンとある分野の実例について書いてみたい。

 2009年9月13日 ebisu-blog#733
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ys(9月13日14
時45分)


根室の中学3年生の家庭学習時間は? [57. 塾長の教育論]

根室の中学3年生の家庭学習時間は?

  前々回のブログで、全国学力テスト結果と根室の子供たちの学力向上策について書いた。
 市街化地域の3中学校は数学のテストで20%以下の得点層が35~40%もいる。こうした普段の「やさしい学力テスト」の結果から、中1で家庭で勉強しない生徒が20%程度、一日30分以下が40%程度はいるのではないかと書いたが、実態は1日30分以下の生徒が60%(中3受験生)もいるようだ。
 どの学校かは知らないが、根室市内の市街化地域のある中学校では1日30分以下の家庭学習時間の三年生が60%いるというのである。この数字は驚きである。これほど勉強しない中3は全国でもめずらしい。根室の中学生の学力が全道最低レベルなのも肯ける。
 小学校低学年の生徒を持つ親は子供にもっと勉強させてくれ。親は子供と一緒に勉強して欲しい。

 全国学力テスト結果を根室市教委は公表していない。民主党政権になっても学力テスト結果の公表はされないだろう。
 テストを受けた生徒自身すら、その結果を知ることができないのは、国民の知る権利の侵害であろう。
 北海道は全国47都道府県中46位(小学校算数、中学3年は42位)、そして根室管内は全道最低である。根室の生徒たちの学力を向上させるためには、市内の学力テストに関するデータの公開が不可欠である
 民主党は年金問題や埋蔵金で官僚が情報を秘匿していると主張し、情報公開を声高に叫んできたが、全国学力テストデータについては情報公開に口をつぐんでいる。おかしいではないか?ダブルスタンダードはやめて、政権を握ったのだから教育に関しても情報公開をしてもらいたい。それが情報公開に対する一貫したあり方だろう。

 新しい市議たちは、学力テストデータの公開について市議会で採り上げるだろうか?高校時代に勉強に関心があった者が議員のなかには少ないようだが、根室の子供たちの学力向上には関心があるだろうか?

 根室の中学生の半数以上が家庭学習習慣がないことは事実のようだ。なぜだろう?健全な学習習慣を育むには、学校に通い始めのときが肝心である
 小学校低学年で健全な学習習慣を育むべきだ。最初の3年間で学習習慣が固まってしまう。この大事な期間に根室の親たちの過半は子供に勉強を教えていないようだ。根室の親たちは全国一番教育に関心が低いのだろうか?
 小学校低学年ならどの家庭でも子供に勉強を教えることが可能だ。この時期に簡単な足し算や習った漢字を使った短文などの問題紙に書いてやらせれば、子供は勉強の楽しさを体験できる。毎日繰り返すことで、健全な学習習慣ができる。小学1~3年までの間に家庭学習習慣を育むことができる。この期間さえうまくやれば、自ら進んで学習するこどもをつくることができる。

 子供をだめにしたいなら、この期間にゲーム機を買い与え、好きなだけやらせればいい。じいちゃん・ばあちゃんも欲しがる物を何でも買い与え、我慢や辛抱のできない孫に育てるがいい。孫は確実にダメになる。

 小学低学年で自分の子供をほうったらかしにしてはいけない。健全な学習習慣も「シツケ」の一つである。シツケは「押し付け」であり、身を美しくする「躾け」とも書く
 小学生低学年で子供の学習を他人任せにしてはいけない。親が自分で手塩にかけて学習週間を育む責任がある。子どもを育てるとはそういうことだ

 小学校で分数や小数の加減乗除算を覚え切れなかった生徒たちに補習をしない学校の先生たちの無責任さも問題だし、そういう生徒たちを受け入れて、テストの結果を見て何が理解できていないのかを知っていながら、部活にかまけて補習をまったくしない中学校の先生たちも悪い。学習指導要領は見ても、目の前にいる生徒たちの学力の現実から目をそらし、放置している学校運営にも大いに問題はある。
 だが、よく考えてみると教育の根本は家庭にあるのではないだろうか。学習塾に通うのは小学校高学年からでいい。
 
【結論】
 小学校低学年の子供をもつ親は、他人任せにしないで自分で子供を教えるべきだ。小学校1・2・3年のうちに家庭で学習する楽しさを経験させてやろう
 中学校を卒業した学力があれば誰でもできることだ。半数以上の親が誰にでもできることをしていないことが根室の子供たちの学力を北海道で一番低いものにしているのかもしれない。
 家庭・学校・教育行政・学習塾がそれぞれ努力しない限り、根室の子供たちの全国最低レベルにとどまり続ける。

【提案】
 市議や道議や国会議員の支持者あるいは知人・友人はその議員に聞いて欲しい。学力テストデータの公表に賛成か否かを。そしてどうやって学力テストデータを根室市教委に公表させるのかを。
 データ公表に反対なら、どうやって根室の子供たちの学力を上げるつもりなのかを。

 *「一日30分以下の生徒は全国で18%に対し、本校では60%になっています」
 
http://blog.livedoor.jp/winma123/archives/50055626.html 


 2009年9月9日 ebisu-blog#731
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ys(9月9日23
時30分)


生活習慣の改善は成績向上をもたらす [57. 塾長の教育論]

生活習慣の改善は成績向上をもたらす

 8月28日の新聞で4月実施の第3回全国学力テストの結果が報じられた。小学校は47都道府県で46位、中学は2つ上がって44位である。
 民主党は実施校を絞る「抽出方式」にする意向らしい。わたしはこの政策には反対である。都道府県・市町村・学校単位に学力がどうなっているかを知り、具体的な学力向上策の効果を測定するためには、全校の学力テストデータ公開が必要である。
 学力テストデータがなければ、改善策のチェックができない。道新は道南の中学校長の意見を載せている。「学力向上の目標や課題を明確にする教員が少なく、校長や教頭もそのような学校運営をしていない。道教委の努力が足りない」と。
 札幌の主婦は「高校1年の息子は中学時代、『放課後の教室利用は安全管理上できない』との理由で補習がなかった。これでは学力は上がらない」と述べている。
 低学力の生徒の学力を上げるには補習が一番効果的である。放課後部活に熱心な学校が、手間のかかる補習には安全管理上の理由を挙げて拒否する、本末転倒としか言いようがない。
 民主党にしてもらいたいのは全国学力テストの完全実施と都道府県・市町村別・学校別データの公表である。文部科学省や日教組の思惑ではなく生徒の学力向上を第一に考えて政策を決めるべきだ。学力は国力の源泉である。

 さて、夏休みが空けて市街化地域の1校と郡部の1校のみ学力テストが行われた。対象校のサンプル数は中2の生徒6人であるが、4月の学力テストよりも5科目合計点が平均で38.5点上がった。一人のみ前回よりも1点下がったが、他は30点以上あがっている。最高値は70+α点のアップだった。成績は上がり下がりするのが当たり前だから数回のアップに一喜一憂するよりも、しっかり毎日の勉強に身を入れることだ。
 4回連続でテストの点数が上がっている者と3回連続で上がった者がいるが、学校から帰ると勉強を1~2時間やってからテレビを見るとか携帯で遊ぶというように生活習慣を切り替え中の生徒だ。

 一般的な話しをすると、家庭学習習慣がついて復習と予習をするようになった成績中位の生徒たちは、1年くらいかけて400点(500点満点)とれるようになる。5科目合計点がおおよそ150点ほどもあがる。
 数学と英語の学習の仕方が身につけば、他の科目への応用が利く。その結果5科目ほとんどの点数が上がってしまう。勉強の仕方がわかってしまうからなのだろう。だから、塾で全部の科目を学ぶ必要はない。子供の塾への過度の依存は自立への妨げとなるからだ。自立的な学習習慣を育むことも塾教育の目標の一つであるべきだろう。

 小中学生は仲間と遊ぶことを通して多くを学ぶ。遊びと同様に重要なのが学習である。家庭で健全な学習習慣を育むことが子供の成長の糧となる。小学校低学年で健全な家庭学習習慣を身につけた子供は成績がよい。北海道の子供たちの学力が低い原因のひとつは小学校低学年での家庭学習習慣の育成に失敗している家庭が多いことの表れでもある。もちろん、北海道の教育環境や学校教育にも問題はある。成績上位層の半数以上が私立中学受験をする東京とは学習の動機において差がつくのはやむをえない。それをなにかでカバーしなければ、学力の地域格差は縮まらない。
 都市部との格差に加えて、根室の問題は北海道の他の13支庁管内と比べても学力が低いというところにある。対策は簡単であると同時に困難だ。
 健全な家庭学習習慣を育むことは生徒自身と両親の意識改革を迫るものだ。学校で補習をすれば成績下位の生徒たちの成績は劇的に改善できるが、教える側の熱意と多大な労力を要する。週2回の補習を半年程度継続することが現在の先生たちにできるだろうか?昔は小学校の先生たちが熱心に補習してくれたので、分数や小数の加減上除算ができない小学生はほとんどいなかった。珠算塾の衰えも基礎計算能力の低下に拍車をかけている。

 学力テストと同時に行われた家庭学習に関するアンケート調査では、道内の小中学生の学習時間が全国平均値よりも少ないことが報じられている。根室管内の生徒の学力は14支庁管内で最低である。
 生徒の実態を見ても、小学生でおおよそ2割は家庭学習時間がゼロ、40%は1日30分未満だろうと考えられる。中学生の普段の学力テスト結果(学校で点数の分布表を出している)からはそのような実態が読み取れる。

 成績を上げたかったら、生徒は生活習慣を見直すことだ。家に帰ってきたら勉強が最優先だ。勉強を1~2時間やってから他のことをしよう。
 学校は本気で生徒の成績を上げようと思うなら、労力を厭わず、週に2日は部活を中止してでも学力不足の生徒たちに補習すべきだ
 生徒が家庭学習習慣を身につけ、学校が補習すれば、根室の子供たちの学力は全道トップレベルにできる。それほど難しいことではない
 難しいのは生徒自身が生活習慣を改善し健全な学習習慣を身につけることや親の学習に対する意識改革だろう。そして補習に関する学校の意識改革もはなはだ困難なことではある。

 小学校で6年間家庭学習をしてこなかった生徒が中学生になってから健全な過程学習習慣を育むことは非常に難しい。6年間家庭で勉強しない習慣が身についてしまっていると、それは性格の一部にまでなってしまうからだ。
 しなければいけないが、嫌なこと、つらいことを我慢してやったことのない者が嫌いな勉強を毎日継続することはたいへんである。それでもいけないことに気がつき、自分の生活習慣を改善する中学生が小数だがいる。
 優先順位を間違えないことや嫌なことでも努力して克服することを経験しておくのは重要である。そういう生徒は社会人になってからも優先順位を間違えないし、仕事で必要な専門知識や専門技術を嫌がらずに努力して身につけるだろう。

 もし、中学生がこのブログを読んでいたら君もがんばれ、生活習慣を変えてみせろ。今日から、休日は朝早く起きてまず2時間勉強しろ、他のことはそのあとでやる、たったそれだけだ。

 私塾では学力不足の塾生に対しては無料の個別補習をしているところもある。塾生でない人は電話して4回程度の無料補習が可能かどうか問い合わせてみることだ。先生との相性もある。
 小学校低学年なら日本の伝統文化・技術である珠算も基礎計算能力の育成には有効だ。根室にはすぐれた歴史をもつ珠算塾がまだある。
 試してみれば体験を通していろいろなことがわかる。それも「学び」である。

 2009年9月5日 ebisu-blog#729
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ys(9月5日8
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#728 小選挙区と比例区重複立候補に見た生き様・死に様 [57. 塾長の教育論]

小選挙区と比例区重複立候補に見た生き様・死に様

  小選挙区比例代表制でどうにも納得がいかないのが重複立候補である。小選挙区で選挙民が落選させても比例代表の上位にリストされていれば、比例代表での復活当選となる。

 道内の例を挙げて説明しよう。一番問題なのは、たとえば武部勤や町村信孝のような人の復活当選である。
 武部氏は小泉チルドレンの親玉である。80人いた議員が10人に減った。80人中70人が落選である。屍累々としているのに、親玉は復活当選である。兵が前線で全滅に近い討ち死にしているのに、武部氏のみ保険を掛けて生き延びる。なんと卑しいこころだろう。
 町村氏は森派を継承し、自民党最大派閥「町村派」の親玉である。この派も多くが討ち死にしているが、親玉は保険がかかっていて復活当選である。小選挙区で落選し、狼狽して敗戦の辞を述べた。そのあと比例代表での復活当選を知らされたときのあの顔のいやらしい表情は見るに耐えなかった。画像がハイビジョンでないのが救いだ。自派の落選議員への憐憫の情や選挙惨敗の責任が微塵も感じられなかった。最後まで、自分は正しいと主張し具体的反省の弁はひとつもない。敗戦が勉強にならぬ人のようだ。これでこれまでどおりついていく人がいたら大ばか者だろう。
 道内ではないが他にも派閥の長や重鎮で比例代表での復活当選組みが何人かいる。

 もちろんすべての復活当選が悪いとは言わぬ。ミスター年金の長妻昭が前回の衆議院選挙で自民党の候補者に1万票あまりの僅差で落選し、比例で復活当選した。長妻氏がいなければ年金問題は闇に葬られていたかも知れぬ。今回の選挙で長妻は4万票増やし15万票獲得し、自民党候補者に8万票の大差をつけて圧勝している。

 では、何が悪くて何が善いのか。
 西郷隆盛は負けを承知で薩摩にもどり、西南の役で郷党の親玉に座った感がある。「ほうっておけない、やむにやまれぬ気持ちもわかる、せめて一緒に死んでやろう」、そういう心情が伝わってくる。自分だけ前線から逃げるような卑怯な振る舞いはしない、最後は前線で死んでいる。
 吉田松陰は海外渡航に失敗し、従容として人形町で刑死した。首切り役人さえ感動させるような腹の切り方であったらしい。松下村塾からは明治維新を担った人材が多数輩出した。
 西郷隆盛、吉田松陰、どちらも逃げなかった人だ。

 責任ある立場のものは卑怯なあるいは卑しい振る舞いをしてはならぬ。己の生き様、死に様で後進に範を垂れねばならぬ。そういう覚悟のない者は、人を率いるべきではない。

 「粗にして野なれど卑に非ず」・・・石田礼助

 2009年9月4日 ebisu-blog#728
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ys(9月4日7
時10分)


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*2012年12月2日朝7時7分に朝日デジタルニュースに野田総理大臣が12月16日の衆院選挙で小選挙区と南関東比例区に重複立候補を表明した直後からこの記事にアクセスが急増したので、再掲した。ピークには1時間当たり6000人を超える訪問者と7400アクセスをいただいた。日本人はこういう卑怯未練な振る舞いが大嫌いなのだ。

  「#2147 (過去ログの再掲)小選挙区制と比例区重複立候補に見た生き様・死に様 Dec.2, 2012 」
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-02-1


**#3144 男の進退:下村文科大臣 Sep. 25, 2015  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-25-1


国語と英語のセンター試験対策(Hirosuke先生original) [57. 塾長の教育論]

 国語と英語のセンター試験対策(Hirosuke先生original)

 
Hirosukeさんのブログに現代文、古文、英語のセンター対策がまとめて載せられているので紹介しよう。

 現代文攻略は3度読みだという。
 1度目は全体をイメージする
 2度目は部分をイメージする
 3度目は先頭から読みながら、傍線に当たったら、設問を読んで答える

 彼によれば日本語も英語も同じだという。3回読むことで問題を解く時間が余分にかかると思うだろうが、事実は逆だと彼は自分の理論を説明している。

 私は1回目は何も考えずに読むのがいいと思う。虚心に読み、先入見をもたないことが重要である。焦点をあわせずに読むという読み方である。そうすることで見落としを小さくして、全体のイメージが掴まえられる。どこかに焦点が当たってしまうとそこに意識が向いて、文章ごとに読み方に濃淡が出てしまう。
 「焦点を結ばない読み方」は案外難しいものかもしれない。ある程度技術、つまり技がいるからこそトレーニングが有効だ。
 座禅による瞑想を体験すればよくわかると思う。意識を集中することはやさしいが、何物にもとらわれない状態に意識をもっていくことはトレーニングなしにはできない。呼吸をコントロールする術(すべ)がのみ込めると次第に雑念からフリーになり、意識のコントロールが自在になっていく。さらに慣れてくると呼吸していることすら忘れてしまうことがある。

 ところで、ニムオロ塾では日本語がすべての科目の土台をなしているので、『読書力』『国家の品格』『日本語の磨きかた』『風姿花伝』をテキストにして三色ボールペンで線を引きながら音読トレーニングを実施している(明大の斉藤孝先生の方式に準拠している)。対象は中学生、自由参加である。
 文章を二つずつ輪読したあと、幾分スピードを上げて皆で一斉音読を行う。

 文章を速く読むほうが頭の中に複数の文章をいれてそれらの関連を考えながら読める。先読みしていないと高速で読めないので、読むときに脳に負荷がかかり「目覚める」という感覚が味わえる。そして高速で読むと、段落ごとのテーマや相互関係が掴まえやすい。逆に、読むのが遅いと読んでいるうちに忘れてしまい、全体の文脈がとり難くなる。高速音読できれば、黙読はさらに飛躍的に高速になる。それがすべての科目の成績をアップすることになる。

 とにかく、Hirosukeさんが過去ブログをセンター試験攻略に焦点を当ててまとめてくれているので受験生諸君は閲覧してみたまえ。やってみてもいいなと思う人はやればいい。自分の勉強に限界を感じている人は、勉強法を見直すためにもいいだろう。
 じつはこの方法を応用した学習スタイルは、日商簿記一級受験や公認会計士受験勉強にも有効だと思う。もちろんただ読むだけではまったく合格できない。サブノートを自分で作ったり、問題をひとつひとつ自分でとかなければ合格にはおぼつかない。そのあたりは数学の勉強スタイルと共通点が多い。異質な学習法を併用すると、全部の科目が制覇できるだろう。わたしが数学と英語を一人で教えることにこだわるのは、こういう勉強スタイルから来ているのかもしれない。
 独自の方法論として確立していなくても、似たような読み方を自然にやっている人は多いだろう。
 Hirosukeさんの方式は複数の科目に共通な問題攻略法であると同時に学習法でもあるらしい。つまり、かなり普遍的な方法論だということだ。
 やって効果がありそうなら、まず3ヶ月間継続してみることだ。自分に合う方法か否かは、そこでまた考えればいい。

*『いまから始めるセンター試験対策』
 
http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2009-05-03

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

  • 作者: 斎藤 孝
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09
  • メディア: 新書

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 新書

日本語の磨きかた (PHP新書)

日本語の磨きかた (PHP新書)

  • 作者: 林 望
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: 新書

すらすら読める風姿花伝

すらすら読める風姿花伝

  • 作者: 林 望
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 単行本

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

  • 作者: 斎藤 孝
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 文庫



 2009年7月13日 ebisu-blog#649
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中学校で3階からの転落事故と労働訓練所 [57. 塾長の教育論]

中学校で3階からの転落事故と労働訓練所

 どの学校かは詮索無用。昨日(6/29)、ある中学校に救急車が来た。
 生徒が3階から転落し、怪我をしたらしい。授業をサボってトイレの天井からいったん外(壁)に出て屋上へ、そして戻るところを手がすべって転落。なかなか難度の高い「技」を要求される「登攀ルート」だったようだ。身の軽い生徒だったのか敷き詰められた砂利の上に落ち、顔は擦り傷で血だらけにもかかわらず、小指の骨折だけですんだのは不幸中の幸いだった。この年頃は冒険はしたいものだが、ほどほどに。悪いことは悪い、先生はしっかり叱ってやればいい。
  偉そうなことを書いている私もバックネットによじのぼって叱られたことがある。「てっぺんまでのぼれるか?」「のぼれるさ」と友だちと言いあったのが切っ掛けだった。身が軽かったのでネットに手をかけてするすると登った。てっぺんだ、どうだのぼったぞといおうと思ったときに、「こらー、あぶない、おりれ!」、先生の怒鳴る声に気がついて降りると、何人かいた仲間が雲の子を散らすようにいなかった。すばやい奴らとあきれながら、一人で叱られてしまった。間抜けな話だ。

 この中学校は体育館周辺で授業をサボってたばこをグループが数組ある。すでに伝統化したのか何年も続いている。先生たちも吸殻がたくさん落ちていても見回りに来ない。2度くらいブログで書いたかもしれない。たぶん、見回る先生も過去に数人いたのかもしれないが、いたちごっこであきらめたのだろう。ほとんど「野放し状態」である。
 したがって、この中学校は市街化地域の3校の中で学力テストの平均点が一番低い。もちろん、年度によっては例外もある。昨年度の3年生がそうであるかもしれない。
 こういう学習意欲のない生徒がクラスに数人いるだけで、騒がしくて授業をする先生の声が聞こえない、したがってそのクラスの学力テストの平均点が下がるというのは3校に共通した現象となってしまっている。
 なんどかサボるうちに授業に出てもまったくわからない状態になり、授業中は自分の居場所がなくなるケースがある。しまった、と思ったときには手遅れになっている。ほったらかし、そして無視、誰も助けてはくれない。そうした生徒のためにも放課後の集団補習授業は大切だ。最近始めた学校がある。

 ところで、ニュヨークの話しだったか、渋谷近くの商店街の話だったか、落書きを街の人間が集まって消し始める活動をしだした。落書きがほとんどなくなると、街がきれいになっただけでなく軽犯罪が激減したという。落書きという軽度のいたずらを放置すれば、軽犯罪が増え、強盗などの重犯罪がさらに増えるという負の連鎖があるのかもしれない。
 学校の先生たちにもあきらめて欲しくはないが、30年前に高校の教師をしていた友人の話しを思い出した。
 高校野球部に所属していた彼は、教える科目は社会科だが、いわゆる「体育会系」である。体育の教師と荒れ始めていた学校を何とかしようと立ち上がった。
「何が起きたと思う?」
「静かになっただろう」
 そう答えると、
「静かになった、強い先生の授業ではな」
「え!」
「その通りだ、ひ弱な先生の授業を狙って生徒が騒ぐようになった。それで授業にならない。そういう先生たちが困っている」

 難しいものだと思う。その後どうなったかは聞いていない。首都圏の高校の話しである。
 塾でもたまに言うことを聞かない生徒がいる。学習意欲もないし、家での学習習慣もない。親がいけって言うから来ている。そういう生徒はおしゃべりを始めるから他の生徒の授業の迷惑である。迷惑をかけているという自覚がない。KYに自分がなっていることに気がつかない。
 こういう生徒は親の言うこともほとんど聞かない。当然のことだが、学校で先生の言うことも聞かないだろう。昔は親の言うことを聞かなくても先生の言うことは聞いたものだが、いまはそうではない。体罰が原則禁止されているから、そうした生徒は「怖いもの知らず」「我慢や辛抱のできない人間」へと育ってしまう。そのような人間は社会でも要らない。自分が会社を経営しているとして、つらいことを辛抱して一生懸命働かない人を雇うだろうか?そういう生徒にそのまま聞いてみることがある。「う~ん」とうなって、一呼吸置いて「雇わない」と返事が返る。
「君のことだよ、違うかい?数学も英語も嫌いだ、嫌いなことはしたくないし、していない。違うかい?」
「我慢力をつけろ、中学・高校で我慢する力、辛抱する力のついた者は社会に出ても心配ない」
 こうした生徒にも、明るく陽気で元気に大きな声で挨拶できる者もいる。一律にだめなわけではないし、学力だって、数学が0点とか数点で入塾しても、一念奮起して2ヵ月後の期末テストで70~88取る生徒がたまにいるから、ややこしい。2年生の11月に入塾して12月初旬の期末テストでこういう成績を残した生徒が4人いた。驚くほどの成長を見せる者も確実に混じっている。
 
 その一方で、だめな生徒もいる。親の言うことも先生の言うこともまったく聞かない、学校へは行くが授業を毎日サボる。こういう「教育の義務」を放棄した生徒は、憲法で守る必要はないと思う。
 労働訓練所を作って毎日農作業を8時間やらせて自分たちの食べるものは自分たちで作らせる。規則正しい生活を送らせることで根本から教育しなおす。食べるものを育て、自分たちで調理して食べれば、労働に対する感謝も、働くことの厳しさと喜びも同時に味わえる。そうした全人的な経験はその人間が生きる糧となるだろう。
 厳しい躾けと規則正しい生活、もちろん携帯の持込はダメ、きついだろうな。教育の義務を放棄した生徒はそういう「労働訓練所」で教育するのがいい思う。学校制度の下では救えないのが実態だ。授業をサボっているのを放置して、漢字の読み書きができない、分数小数の計算すらできない人間をそのまま送り出している。このままで好い訳がない。
 「労働訓練所」では毎週面接をして、中学校へ戻りたいという生徒は「しっかり勉強すること」を条件に、自筆で誓約書を書かせて戻してやればいい。受け入れ側は遅れた分を取り戻すために、個別指導体制をとらなければならない、たいへんだ。こういう生徒のために、定年退職した先生にボランティアで協力願えばいい。
 暴論と知りつつあえて中学生に「労働訓練所」の必要を唱えた。

 2009年6月30日 ebisu-blog#631
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生きザマ 鳩山邦夫総務大臣辞任 [57. 塾長の教育論]

生きザマ 鳩山邦夫総務大臣辞任

 NHKの正午のニュースでは、午前中に麻生総理大臣が鳩山総務大臣を官邸に呼んで話しをし、鳩山総務大臣が記者会見をしているところが映っていた。「罷免、辞任もありうる」「ここで曲げたら男ではない」と一貫した主張を繰り返した。午後にもう一度会談があることが報じられていた。

 1時55分のニュースで辞任が伝えられた。午前中の会談で西川再任を認めないなら「辞任届けを提出してくれ」と言われたのだろう。「いろいろ」「いまはこれ以上言えない」と鳩山氏は口を濁した。午後の会談とは辞任提出だったのだろう。

 大臣ポストに連綿としない潔さは近頃例を見ない。麻生総理大臣が総理大臣ポストにしがみついて、解散総選挙を逃げているのと好対照である。
 大臣になると、専用車での送迎があり、大臣交際費は使え、事務次官はじめ官僚たちがかしずき、SPが数名周りをガードする。一度そういう待遇を受けると、なかなかポストを自ら手放すことはできないのが人間の弱さというものだろう。

 以下は辞任会見の弁(午後2時10分)
 「いずれ1年以内に私の正しさが証明される」
 「「私も失敗はたくさんしてきましたが、汚れたことを許すことはできない」
 「潔く去ります」
 「悲しいですね」
 「今回の総理の判断は間違っていると思います」
 「妥協案は呑めませんか?(麻生)」「呑めません(鳩山」
 「西川さんが私に謝るというのは違う、国民に謝るべき」
 「信念は曲げられない」
 「正しいと思うことが通らなければ辞任でいいと思っている」
 「厳しいときの選対本部長を務めていただいて、そういう関係もあるから悲しく思う・・・(麻生)」
 「正しいことが通用しないと思ったら、こういうことは潔さが大事だから」

 真似はできないけれど、共感できる自民党議員は若手を中心に少なからずいるだろう。

 2009年6月12日 ebisu-blog#611
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HP 35s 便利な道具 [57. 塾長の教育論]

HP 35s 便利な道具

 一月ほど前にヒューレッドパッカード社製のHP35sを購入した。科学技術計算用のプログラマブル・キャリュキュレーターである。10年ぶりくらいでHP-49gから買い換えた。
 高校数学は科学技術計算用のプログラマブル・キャリュキュレータを使うと理解が深めやすい。たとえば、ベクトルの内積計算はコサインを使う式と座標成分の掛け算の式があるが、この計算機を使うと任意の座標から簡単に計算ができ、両方式の計算値の一致を確認できる。対数計算も指数部が分数の場合の指数計算も簡単にできてしまう。三角関数は特殊角にこだわる必要がなくなる。なにより、理系大学へすすんだときにこのようなプログラマブル・キャリュキュレータを使うことになるから、その点からもよい。もちろん、文系への進む者にとっても社会へ出ると仕事上、基礎的数学の素養は不可欠である。

 私は1979年10月頃にHP-67、その一月後にHP-97を、84年にHP-41Cx、90年頃にグラフ機能付のHP-49gを、そしてHP-35sが5台目である。スタック4段、RPN方式の操作に慣れると手放せない。なにしろ昔はマニュアルが最高だった。キャリュキュレータのみならず、計測器制御用のコンピュータの世界でもHPのマニュアルのわかりやすさは世界最高水準だった。過去形で書かなければならないのが残念である。


 文系でも基礎的数学、統計学、プログラミングなどの知識が必要な理由を書いておく。
 私は文系だが、たまたま仕事で最初に使った計算機がHP-67だった。電卓を使って一日計算しているのを見かねて当時勤務していた会社の社長がすぐにHP-67を買ってくれた。1979年10月のことだ。分厚い英文マニュアルが2冊ついていた。一冊350ページほどもあったのではないだろうか。キャリュキュレータの使用法と、RPN方式のプログラミング教本だった。英文はとてもわかりやすいこなれたものだった。わたしでも1週間で2冊丸ごと読んでキャリュキュレータが自在に使えたくらいだから。ただし、基礎的数学と統計学などの知識はマニュアルを理解するために必要であった。
 自社の5年分の財務諸表を使って5つの分類(収益性指標群・財務安定性・成長性・生産性・活動性指標群)で24項目の基本統計量を計算し、レーダチャートにあらわすと共に、24項目をベースに総合偏差値を計算していた。さらにその結果を使って年次予算管理をした。総合偏差値での目標管理である。結果は月次・四半期・半期ベースで5つのディメンションに分けて24項目の目標値と突き合される。
 毎月、月次データや四半期データ、半期データで基本統計量を計算していたから、電卓では2ヶ月で限界だった。時間がもったいない。会社の収益性の向上、為替差損回避、財務体質改善、長期経営計画の作成、月次経営分析、年次計画の管理など、やるべき仕事や解決すべき課題が山積みだった。そのような中で月次決算が出たら、1日中電卓を叩かないといけなかった。
 HP-67を使うと毎月計算に丸2日ぐらいかかっていたのが、1時間足らずですんだ。入力データをチェックするだけであとは自作のプログラムにお任せだった。
 この計算機は1センチ×8センチぐらいの磁気カードでデータとプログラムを保存できる優れものだった。当時はPCの黎明期で、とても仕事に使えるレベルではなかった。もちろん表計算ソフトはまだなかった。コモドール製のPCがあったが、押しても戻ってこないようなキーのある代物だった。計測制御用のPCがあったが200~400万円もした。いまなら400万円くらいどうってことはないが、当時は高かったのである。レーダチャートを描くためのプロッターも200万円近かった。手で描いた。

 1ヵ月後(79年11月)にはプリンタのついたHP-97が手に入った。これは当時22万円した。社長が米国出張のお土産に買って来てくれた。あるとき昼休みが終わって席に戻ると、机の上に置いてあった。どうしたのかと聞くと秘書が「社長からです」という。嬉しかった。
 プログラミングの基礎はHP-67とHP-97で覚えた。
 その1年後にはダイレクトアドレッシングのプログラム言語(オフコン専用言語)を、さらに1年後にはPROGRESSⅡというコンパイラー言語(これもオフコン専用言語)を覚えた。輸入商社の統合システム開発を83年に担当させてもらったのは開発技術を磨くのにたいへん役に立った。この時期にNECのシステム開発技術の解説書シリーズや"Accounting Information System","Structured COBOL","Sftware Engineering"などの原書数冊を読み漁った。人工知能への興味から"Artificial Intelligence"を、数年経ってからチョムスキーの"Knowledge of Language"まで読み漁り、知的興味は尽きることがなかった。
 なにより一人で任された統合システム開発が技術レベルを上げてくれた。優秀なSEとのコラボレーションは何物にも換えがたい経験だ。
 外国為替管理や納期管理、円定価システムと会計システムが統合された統合システムで、個別にはすでに開発していた。取り扱い製品は輸入品であるにも関わらず、会社の利益は為替変動からフリーとなった。それどころか日米金利差から為替予約と組み合わせることで、売上の1~2%程度の為替差益が仕組み上でるようになった。利益は増え、財務体質は急速に改善された。
 開発したサブシステムの統合作業だけが残っていた。経営管理にはそれらサブシステムとHP-97による経営分析ツールと年次計画が組み合わされていた。目標総合偏差値が設定できて、5つのデメンジョンに分類して四半期計画や半期、年次計画がコントロールできるのである。これは利益拡大にたいへんな効果を生み出した。粗利益率が28%から40%へ拡大した。仕組みを変えることで何もかもが変わってしまった。
 粗利益管理のために円定価制度を提案した営業課長がいなかったらこうはいかなかっただろう。複数の会社に勤務したことのある私の知る限りで一番優秀な営業管理職はこの男である。この会社(産業用エレクトロニクスの輸入商社)はその後、店頭公開を果たした。
 (この数年間に培った技術が次の会社で業界初の統合会計情報システムを開発(84年)するのに役に立った。コア部分の財務会計システムと各サブシステムとのインターフェイス開発を8ヶ月でやり遂げたのは広汎な技術的基礎があったからである。富士通製の当時最大クラスの汎用大型機を使い、臨床検査業界初の統合会計情報システムとなった。開発費は外部支払分だけで5億円を超えた。)
 社内で毎月開催される、東北大学助教授の講習会や海外の取引先の新商品説明会へも参加した。マイクロ波回路と測定についての講義だったが、ディテクターとコントローラ用のPCの接続に過ぎないから、理解は容易だった。ディテクターはマイクロ波、ミリ波、光と、順次波長が短くなる。医療機器もディテクターとコントローラからなっているので、マイクロ波計測器の知識が後に別の会社で医療用検査機器の理解にも役に立った。ただ、医療用検査機器はバスが原始的だった。マイクロ波計測器が双方向のGP-IBだったのに、90年頃でもシリアル・インターフェイス・バスだった。医療用検査機器業界がインターフェイス・バスに関しては遅れていたといえるだろう。

 HP-97の次に使ったのはHP-41Cxである。1984年のことだった。これは別売りの統計パックソフトとあわせて4~5万円だった。90年頃になると子会社管理用の経営分析ツールにはEXCELが使える時代になったた。PCが強力になり、表計算ソフトが充実したからである。レーダーチャートもEXCELからそのまま出力できた。子会社相互の経営状況比較が5つのディメンションから総合偏差値で比較された。改善点も5つのディメンションから年次計画レベルで目標管理できるような仕組みだった。
 会社がニューヨーク州から取り寄せた出生前診断用のMoM値に関する資料に載っていたグラフとデータからカーブフィッテングで計算式を逆算して、パソコンシステムを開発したときにHP-41Cⅹが役に立った。

 ちなみに、HP社は90年代にキャリュキュレータ部門を売却した。HP-49gを買ってから2年ほどで故障したが修理できずに困っていた。数年前からまたヒューレットパッカードでキャリュキュレータを生産し始めたので最新機種を買った。アメリカでは大学資格試験に持込が許されている。高校の数学の授業でもこうしたキャリュキュレータを使っている。
 日本でも授業で使う高校があってもいいのではないかと思う。もちろん文系進学予定の学生や就職する予定の学生にも。

 社会人になったら、どの部門で働いていても会社の商品を知らなくてはならない。その製造過程も販売も、社内の仕組みやコンピュータシステムもである。何をどうすれば利益が上がるのかを考えるためには会社がいま関係するもの、さらに未来に会社が関係するものにまで興味を広げる必要があるのだ。異部門の人々とのコミュニケーションは相手の仕事が理解できなければスムーズには行かない。だから、文系の人は理系の人たちの仕事を理解しなければならず、理系に人たちは文系の人たちの仕事を理解しなければならない。そういうことのできる社員が3%いればその会社はその業界でトップクラスの利益をあげられるだろう。
 自分の給料を上げたかったら、会社を数億円あるいは数十億円儲けさせろ。その過程で自分の仕事のスキルが著しく上がる。上がったスキルは一生自分のものである。
 ひたすら仕事をすること、それだけで気分がいいぞ。
 話しがまとまらない、社会人予備軍の高校生諸君にいろいろ伝えたいことがあって長々と書いてしまった。
 ・・・“悪い癖です、また文章が冗長になっていますよ”という「天の声」が聞こえる。
               ...m(_ _)m

*HP-97
http://www.hp.com/hpinfo/abouthp/histnfacts/museum/personalsystems/0041/0041threeqtr.html

*HP-35s
http://www.july.co.jp/index.php?main_page=product_info&products_id=226

*HP-35s日本語マニュアル
http://www.july.co.jp/hpcalc/35s_Jpn_Part1_071113b.pdf

 2009年5月30日 ebisu-blog#595
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英語教育論:数学者藤原正彦『国家の品格』より抜粋 [57. 塾長の教育論]

英語教育論:数学者藤原正彦『国家の品格』より抜粋

 「美しい情緒が重要な三番目の理由は、情緒が真の国際人を育てるということです。「国際人」と言うと、すぐに、「英語」となるのですが、英語と国際人に直接の関係はない。ここで言う国際人とは、世界に出て、人間として敬意を表されるような人のことです。…アメリカやイギリスで、国際人といえる人がどのくらいいるかと言えば、1割に満たない。せいぜい数%です。英語がいくらできても、国際人どころか、お話にならないような連中が半分くらいです。小学校でどれだけ英語を教えたところで国際人になれるわけではないということです。」 『国家の品格』143頁、新潮新書、2005年11月

 「日本人の英語下手の理由
 そもそも小学校で英語を2,3時間勉強しても、何の足しにもなりませんきちんとした教師の下、週に十時間も勉強すれば少しは上達しますが、そんなことをしたら英語より遙に重要な国語や算数がおろそかになります。そのような教育を中高でも続ければ英語の実力がアメリカ人の5割、日本語の実力が日本人の5割という人間になります。このような人間は、アメリカでも日本でも使い物になりません
 少なくとも一つの言語で十割の力がないと、人間としてまともな思考ができません。言語と思考はほとんど同じものだからです。日本の公立小学校は一人前の日本人を作る教育機関ですから、英語はダメなのです。
 日本人が英語下手なのは、小学校から教えないからでも、中高の英語教師のせいでもありません。主な理由は二つあり、一つは英語と日本語があまりに異なることです。アメリカ人にとって、日本語とアラビア語は最も難しい外国語とされています。日本人にとって英語が難しいわけです。もう一つは、日本に住む日本人は、日常生活で英語をなんら必要としないからです。母国語だけですむというのは植民地にならなかったことの証で、むしろ名誉なことです。TOEFLのテストで日本がアジアでビリ、というのは先人の努力に感謝すべき、誇るべきことなのです。」 同書144、145頁

 「外国語は関係ない
 真の国際人には外国語は関係ない。たとえば明治初年の頃、多くの日本人が海外に留学しました。彼らのほとんどが下級武士の息子でした。福沢諭吉、新渡戸稲造、内村鑑三、岡倉天心と、皆下級武士の息子です。
 彼らの多くは欧米に出向いていって、賞賛を受けて帰ってくる。・・・多くは肝心の英語さえままならなかったはずです。だけど尊敬されて帰ってきた
 彼らの身につけていたものは何か。まず日本の古典をきちんと読んでいた。それから漢籍、すなわり漢文をよく読んでいた。そして武士道精神をしっかり身に付けていた。この三つで尊敬されて帰って来たのです。美しい情緒と形で武装していたわけです。
 いま海外に百万人近い日本人が住んでいますが、その中のどれぐらいの人が尊敬されているでしょうか。羨望はされていても尊敬されている人は非常に少ないのではないでしょうか。
 国際社会というのはオーケストラみたいなものです。…ヴァイオリンはヴァイオリンのようになって初めて価値がある。日本人は日本人のように思い、考え、行動して初めて国際社会での場で価値を持つ。ガーナ人はガーナ人のように思い、考え、行動して初めて価値があるということです。」 同書145~147頁

 「外国語よりも読書を
 私がことあるごとに「外国語にかまけるな」「若いときこそ名作を読め」と言っているのは、私自身の取り返しのつかない過去への悔恨もあるからです。小中学校では古典的名作をだいぶ読みましたが、大学、大学院、若手研究者の時代には数学に没頭していたからほとんど読めず、名作に戻ったのは三十代後半からです。無論、大量に読む時間的余裕はなかったし、若者特有の感性もかなり失っています。若いときに感動の涙と共に読むのがなんと言っても理想です情緒や形を育てる主力は読書なのです。
 社会に出てからは、すぐに読むべき本が多すぎて、名作にはなかなか手が伸びない。心理的余裕もない。名作は学生時代に読まないと一生読めないと考えたほうがよい。なのに渡しは、余暇を外国語などにうつつを抜かして、その機会を失ってしまったのです。
 英語ばかりでなく、中学、高校とドイツ語、ポルトガル語にまで手を出したのです。恥ずかしいことに、外国語オタクだったのです。高校時代に買った『チボー家の人々』全5巻、大学時代に買った『戦争と平和』、谷崎潤一郎訳の『源氏物語』全十巻は今も本棚を飾っており、目にするたびに「まだ読まないね」と私を見下します。
 もちろん語学だって出来ないよりは出来た方がはるかによい。しかし、読書によって培われる情緒や形や教養はそれとは比較にならぬほど大事なのです

 ④人間のスケールを大きくする
 情緒と形が大切な四番目の理由は、美しい情緒や形は「人間としてのスケールを大きくする」と言うことです。
 欧米人のように「論理的にきちんとしていればよい」「筋道が経っていればよい」と言う考えは、今まで述べて来た通り、誤りです。万人の認める公理から出発する数学とは違い、俗世に万人の認める公理はありませんから、論理を展開するためには自ら出発点を定めることが必要で、これを選ぶ能力はその人の情緒や形にかかっています。論理が非常に重要なのは言うまでもありませんが、それは世界中の人が声高に言っているから、私はわざわざ言いません。しかし、この出発点を選ぶ情緒や形の重要性については、世界中誰一人言っていないようなので、私が声高に言うのです。これは論理と同等、またはそれ以上に重要です。」 同書147~149頁 

 以上が数学者藤原正彦の英語教育論である。小学生に英語を教えている大人たちにこそぜひ読んでもらいたい本である。そうすれば教え方も自ずから変わるだろう。害を最小限にし、副作用を押さえる穏やかなやり方が見つかる。

 抜粋させてもらった『国家の品格』は中学2年生の日本語音読トレーニングに使っている。音読後、三色ボールペンで色分けしながら、重要箇所、そこをたどれば粗筋になる箇所、面白いと思った箇所に線を引いていく。なんてことはない斉藤孝方式である。いいものはどんどん取り入れる柔軟さが教育には必要だ。

 願わくば前のブログに抜粋して紹介したフィールズ賞受賞数学者である小平邦彦の英語教育論とあわせ読まれたい。
 数学研究における情緒の大切さを最初に言ったのは大数学者の岡潔である。かれは繰り返し数学研究における日本的情緒の大切さを『春宵十話』(光文社文庫)で語っている。ただ、それが「出発点」を選ぶ上で重要だとまでは言ってない。

 なお、論理の出発点を選ぶ「情緒や形の重要性」は経済学体系の出発点を選ぶときにたいへん重要である。
 体系の出発点の選択は経済学において決定的な重みをもつ。欧米の経済学(アダム・スミス、リカード、マルクス)は農奴の労働を基礎において工場労働者の労働を考察しているのだが、刀鍛冶や職人仕事を出発点におくとまったく別の経済学が展望できる。欧米経済学の伝統では労働は苦役である。だからマルクスは労働における人間疎外を問題にする。日本の伝統では刀鍛冶の仕事に見るように、苦役ではなく、神聖なものである。常に自己の技術を練磨し、最高の仕事をする。それは人間疎外とは対極的な自己実現の手段でもある。だから、日本人の労働者は仕事の手を抜かない者が多い。それぞれの分野の最高の技術をもつ職人は名人として尊敬される。商人も自分の仕事に正直で、何より信用を一番大事にする。そういう商人が尊敬を受け、200年を超える歴史をもつ会社として永続する。これらは世界中に例を見ない仕事倫理(職人道や商人道)・考え方である。
 こうした労働観・仕事観を出発点に選ぶ経済学は、21世紀資本主義の閉塞状況を打開するものとなるだろう。
 そうした経済学をようやく時代が要請している。新しい経済学を構築する意味が出てきた。数年かけてじっくりと新しい経済学体系を描いてみたいものだ。まだしばらく生きて経済学をやる意味が出て来たように思える。 

*小平邦彦の英語教育論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-03-28

 2009年5月3日 ebisu-blog#569
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4月の学力テストの結果(2校)、400点以上はたったの3人、5年前の6%に減少 [57. 塾長の教育論]

4月の学力テストの結果(2校)、
 400点以上はたったの3人、5年前の6%に減少


 5月になった。学校は連休である。生徒が友人の釧路の生徒を連れてきた。釧路の中学校は根室よりも授業速度が速いようだ。一緒に数学の問題を黒板を使って解いて勉強していった。ラッコのクーちゃんを何度も見ているらしい。珠算を習っていたことがあるが4級をとったところで塾がなくなったと残念がっていた。計算の速い快活な中学生だ。

 さて、4月に実施された市内の中学校2年生の学力テストの結果については1校のみ400点(500点満点)以上の生徒がいないとブログに書いたが、もう1校のデータが公表されたので追加する。3人である。
 今春、根室高校から国公立大学へ20人が合格した。近年まれに見る数であるが、旧帝大へは北大と東北大へ各1名、あとは地方の国立大や小樽商大、釧路公立大学、札幌市立大学などであった。彼ら・彼女たちが中2のとき(5年前)は2校で50人以上も400点超の生徒がいた。それがたった3人に減少してしまった。5年前の10%に満たない
 いったいこの劣化はなぜだ、学校現場や家庭で何が起きているのか?学校が荒れているのは現実だ。授業中に先生の声が聞こえない教室が増えている。平均点が下がるのは当たり前と思われる状況が広がっている。現場を知りたければ生徒に聞くのが一番だろう。このブログを読んでいるあなたが中学生の親なら子供に聞いてみるがいい。子供の躾けはたいへんな仕事だ。とくに思春期になってしまったら親の言うことなど聞くものではないのが普通かもしれない。小学校低学年かそれ以前に親の言うことはしっかり聞くものだと躾けなければ子供なかなかはまともに育たない。お説教するときには畳に正座してするぐらいのことがなければならないが、今や新築の家には畳の部屋がないのが普通だ。これでは躾などできるはずがない。家を建てるときにはかならず畳の部屋を造れ。
 だが、荒れている原因は表面に見えているだけではない。家庭のしつけにもある。親の言うことすら聞かない子供たちが三分の一を超えたのではないだろうか。糖分の多い食生活は切れやすくなると言うし、環境ホルモンも思春期にその影響が大きくなると言われている、・・・さまざまな原因があるようだ。ゲームソフトも子供たちを取り込んでしまう優れものが増えている。総じて子供たちを取り巻く環境が悪化している。それは子供たちが接する大人たちの劣化をも意味しているのかもしれない。つまり私たちだ。

 中学生の人数は5年前に比べて学年で30%ほど減少した。人口減少がこの5年間で約10%であることを考えると、中学生人口の減少率は3倍もある。人口減少それ自体も問題だが、もっと問題なのは学力低下である

 根室でなぜこのような急激な学力低下が起きているのだろうか全国一斉の学力テストのときに家庭学習についてのアンケートもとっている。テストデータと共に公表すべきだろう
 ブタインフルエンザのパンディミックが迫っている。現下のフェーズは5であり、最終フェーズは6である。新型の強毒性ウィルスによるインフルエンザは情報を隠したら大変なことになる。学力低下も同じことではないのか。

 根室の子供たちの学力がこの5年間で著しく低下している。それは今回行われた4月の学力テストデータで明らかだ。5年前に2校で50人いた400点以上が、たったの3人に減ってしまった。学力テストで成績上位のものがすでに6%しか存在しない。これほど急激な学力低下をきたしている地域は全国でも珍しいのではないだろうか。

 行政や教育関係者は5年後の大学進学率とその内容を危惧すべきだ。根室に高卒者の就職先が少ないので、子供たちのほとんどは札幌や東京などへ出ざるを得ない。そのときに学力や学歴なしに戦わざるをえない者たちが急増する。都会は大卒でなければ入社試験すら受けられない会社が多い

 社会階層の固定化がマスコミで取り上げられることが多いが、親の年収が高い階層は子供の学歴も高くなる傾向がある。東大進学者の親の平均年収は数年前に1000万円を超えた。小学校から個別指導の進学塾に通い、年額50~100万円前後の教育投資を9年間続けなければ東大進学が困難な時代だ。私学の中高一貫校に通わせるとさらに年額100万円を超える授業料がかかる。
 根室に限らずどこに地域にも潜在的に学力の高い子供たちが一定数いる。普通の能力の子供たちは教育の手間隙を惜しまなければ学力はかなりのところまで努力次第で上がる。あきらめさせてはいけない、あきらめてはいけない、それが親や大人たちの役割だ
 一つ身近な例を挙げると、根室高校の中の上ぐらいの成績だったら就職できた地元信金すら、今春の男子新入社員は全員が大卒だと北海道新聞の地域蘭に載っていた。本店を新しくする余裕があったら、三分の一は根室高校から優秀な者を採用しろと言いたい。根室高校の諸先輩たちが発展の礎を築いたのではないか。

 昨年の全国一斉学力テストの結果では北海道は47都道府県中44位、北海道内の14管内で根室は最下位である

 原因はいくつかある。対応方法も原因ごとに具体策がいくつも考えられる。ブログでもすでに何度か書いた。
 事態が進展しないところを見ると、市教委や学校や家庭だけで対応できる問題ではないだろう。大阪府下の各市のようにデータを公表すべきだ。
 根室の子供たちのために大人たちは学力低下の原因を明らかにし、すみやかに具体策を練り、実施すべきだ。 


*現場の先生の努力一つで平均点に20点差がつく:
   …嘘のような本当の話

 市内4校の学力テスト英語の学校別・学年別・平均点を比べると、50点台前半と70点台と20点の開きがある。郡部の1校の点数が高い。教え方が違う。新任の先生が『英語の素振り』と称して、260余の文例のプリントをつくり、書き取りを宿題に課していた。その一方で教科書の進み具合が遅くなってしまってはいる。欠点もあるが、効果はあった、こういうやり方もいいだろう。
 他の学校だが、ある先生が教えたことを定着させるために、普段の授業で小テストを繰り返している。そのお陰で学力テストの理科の平均点がいつも20点ほど高く出る。
 学校も科目も異なるたった2例だが、現場の教師のやる気と工夫次第で平均点は1科目20点は上げられる。5科目全部、こうした先生が担当したら全国学力テストで根室が全道トップになるだろう。

 2009年5月3日 ebisu-blog#568
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