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47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」 ブログトップ
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#3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015  [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

〈 「書き」のトレーニング方法いろいろ 〉
 「書き」についてはどのようなトレーニングをやればよいのかについて、定説がない。要するに美しい文章をたくさん読んだ者の中から、美しい文章が書けるようになる者が出る。あるいは諸学の論理的な文章をたくさん読んだ者が論理的な文章が書けるようになる、そんなところが関の山というのが現状だろう。
 道のないところに道をつけようというのだから、なにか目印になるものがほしい。だから、シリーズ4回目各論「書き」がテーマ、思いつく文章書きのトレーニング法を並べて、「守・破・離」の「守」とは何なのか検討してみたい。皆さんもこの小さな冒険にお付き合いいただきたい。

1.視写(見てそのまま写す)
2.ディクテーション(先生が読んだ文を生徒が書き取る)
3.本を選び、一文ずつ数回音読してから、一文全部を書く
4.自由作文

 視写もディクテーションも国語の授業でやる先生はほとんどいないだろう、ましてや3番目を授業で生徒にやらせようという先生は稀有だ。読み・書き能力伸張には有力な武器なのだが、3番目を授業で指導しようすると、先生の出番がほとんどない。座って暇をもてあますことが嫌いな律儀な先生には我慢できない授業となる。スキルス胃癌を患い、術後に体力を失ってから、そういう授業もありだということに、わたしはようやく気がついた。致命的な癌を患い胃を失っても、なお得をすることがある、世の中はうまくできている。(微笑)

 どのようなお稽古事でも、お手本をそのまま真似るということが、初歩的な段階では要求される。欧陽旬、顔真卿、虞世南の古典といわれる名筆の主を一人選び、何度も何度も臨書して、書法を身につけていく。
 書道では楷書のお手本を見ながら、それを真似るが、うまくいかないから、筆の運び方、力の抜き方等について、先生から指導がある。ピアノの練習も、練習曲を繰り返し弾くことから実技指導がはじめられる。段階に応じて、練習曲の難易度が上がっていく。ひたすら先生を真似るのである。
 柔道では受身の練習から始まる。もちろん、受身には基本の形があり、それを繰り返し反復練習する。じきに投げられたら無意識に身体が反応して受身が取れるようになる、それから投げの技のトレーニングに入る。剣道は数種類の基本形の素振りを反復練習する。千日の稽古でなんとか様になる、万日の素振りでひとつの境地がみえてくる。他の武道だって似たようなものだろう。
 大工修行は鉋(かんな)研ぎから始まる。毎日毎日鉋を研ぐことで、切れ味のよい刃物がどういうものか砥石に訊くのである。刃物に両手を添えて、ひたすら砥石の上を均一の力で往復させる。慣れてくれば、刃が砥石に吸い付いてしまう。そして刃に指先を当てただけでどれくらいの切れ味に仕上がっているかわかるようになる。材料を削って、今度は木材に訊くのである。向こうが透けて見えるような鉋屑がひらひら舞うようになると、削られた柱の肌が鏡面のように反射する。
 こうしたアナロジー(analogy 類推)が問題の整理に役に立つ。すべからくlearningには、基本の型があり、ひたすら反復トレーニングすることで、技を磨く。守・破・離の守の段階である。文章作成技術の育成も同じことだろう。

 そこから、名文の「視写」というトレーニングが「書き」の基本であることがわかる。ひたすらお手本を真似る。よい本を選び、1冊丸ごと「視写」してみたらいい。小説家を志す高校生には『平家物語』の音読と視写を薦めたい。ああ、ここでは主として小中学生向けの「書き」を取り上げることになっていた、ちょっと脱線しそうになった。

 ディクテーションは外国語を学ぶときによく用いられる方法だが、小中学校の先生たちは授業で日本語のディクテーションをやってみたらいい。生徒が読まれた文をどのように理解したかが、書かれた漢字を見れば一目瞭然だ

 「けいようしはめいしをしゅうしょくする」

 こういう文を読み上げたとしよう。形容詞と名詞は書ける生徒が2/3を超えるだろうが、「しゅうしょく」が案外むずかしい。理由は簡単である、同音異義語があるからだ。ワープロの漢字変換機能には、「就職」「修飾」「秋色」「愁色」「襲職」の5つがリストされていた。文章の意味理解ができないと適切な漢字を頭に思い浮かべることはできないのである。すでに社会人となっている中2の生徒が二人とも一番目の「就職」の字を書いたことがあった。「修飾」という熟語を習っていないというのである。黒板に書いてもこの熟語の意味がわからないと言った、生徒二人は漢和辞典を引いたことがなかったのである。中1で国文法を少しやるから、国語の授業中に先生が説明したはず、ところが騒ぐ生徒が3人もいたら、先生の話がところどころ聞き取れなくなり、話の文脈が理解できない。それで「聞いていない」という発言になる。「聞こえなかった」のだろう。
 授業で生徒たちに耳慣れない漢字熟語を使うと、生徒の頭の中で、知っている見当違いの漢字に置き換えたり、外来語のようにカタカナになってしまえば、意味の理解はできない。語彙力の不足している生徒たちには五教科全部でそういうことがおきている。先生の発話を頭の中で正しい漢字に置き換えられなければ、発話の意味が理解できない、それほど語彙知識は決定的な重みをもっている。
 知らない語彙が耳に入ってきたときに、人間の頭は自分の引き出しに入っている漢字を無理やり充てようとする。もちろん「形容詞は名詞を就職する」と書いた生徒は、意味がチンプンカンプンなはずだが、そのことにすら気がつかない。文脈追いをしていないからで、ちゃんと聴き取れましたという顔で澄ましている。語彙数の少ない日常会話には不自由しないから、自分たちは人の話が理解できると勘違いしている。
 さらに突っ込んで分析すると、その生徒二人は「形容詞は名詞を」という句と「しゅうしょく」するという句の意味を関連付けて判断していないことがわかる。書いたものがどういう意味かを問うと頓珍漢な答えが返ってくるだけ。
 「書き」においても、前後の単語との意味の連携(コロケーション)が読み取れなければいけないということ。同音異義語を文脈に沿って、ちゃんと書き分けられる生徒の脳の働きは、そうではない生徒に比べてその性能に大きな差が生じている。大人の会話ができるようにならなければ、大人が使うあるいは文章語として出てくる語彙を知らなければ、中学校では授業の理解に支障がでてくることがわかる。
 文脈を追い、的確な語彙に漢字変換してそのつど正しい意味理解をしている生徒と、語彙が貧弱で正しい漢字変換をしていない生徒では、脳の働きに大きな差ができてしまうのである。これはわたしの「仮説」ではなくて、「観察された事実」である。

 次に取り上げる方法は「逆輸入」というとよくわかる。外国語を学ぶときの「音読⇒書き取り」連携トレーニングを日本語でやってみようというのである。ハンドルネーム「後志のおじさん」が数ヶ月前にコメント欄で教えてくれた。2週間試してみたが、やりかたは普遍的で効果は絶大。
 オリジナルは、「30回音読、10回書き」である。日本語だから、3回読み1回書く、これを数セットやれば十分だ。慣れたらスパンを大きくとり、「文章二つの連続音読⇒書き」をやればよい。文章を一つあるいは二つ頭に入れて、それを書き下すというのは、一時記憶トレーニングとしても優れている。1文章全体を1時記憶として保持できなければ、文の意味判断が不可能となり、単語を適切な漢字に変換できないことは明らか。2文を1時記憶できなければ、文と文のつながりを判断できない。数学の文章題の場合なら、1文目の条件を1時記憶保持できなければ、2文目を読んでいるときにその前提条件あるいは関連が脱落することになるから、立式が不可能になる。さっと読んでわかるようになるには、1段落の文くらいは1時記憶として保持できなければならない。
 幸田露伴の『五重塔』だけは、テクストに使わないほうがいい。最初の文が500字ほどもあり、2番目の文は千字を超える、一時記憶域がオーバフローしてしまい、とても覚えきれない。(笑)何が書いてあったか、記憶に残るほど鮮烈かつ秀逸な表現が、記憶に残っていれば十分だろう。
 「音読⇒一人ディクテーション」作業を繰り返すことで、一時(temporary)記憶域に文章を放り込み、それを読みながら書くことに慣れていくのである。temporaryの意味は、数秒~数十秒間の記憶保持である。1文あるいは2文を読み終えるまで、あるいはそれらを書き写すまで、記憶を一時的に保持することを指す。
 「先読み」のところでやったように、書きのトレーニングでも脳内では並列処理がなされる。読み・書きトレーニングをこのような方法で繰り返しやることで、脳の機能が格段にアップしてしまう。

 少々乱暴な仮説かも知れぬが、1~3までを文書作成の「守」とすると、その過程を通り過ぎたら、日記を書いても、テーマを決めて作文しても、見違えるほどさまになった文章が書けるだろう。この段階を迎えたら、何を書いてもよい。守・破・離の破のステージがまっている。


*守破離について(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E7%A0%B4%E9%9B%A2
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守破離(しゅはり)は、日本での茶道武道芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。

まずは師匠に言われたこと、を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身とについてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。

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*#2853 『釧路市学力保障条例の研究(1)』東大大学院教育行政学論叢 Oct. 29, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29


*#3154 日本語読み・書きトレーニング(1) Oct. 11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11-1

 #3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

 #3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

 #3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14-1

 #3158 日本語読み・書きトレーニング(5):数学と「読み」のスキル Oct. 16, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-15

 #3159 日本語読み・書きトレーニング(6):数学と「読み」のスキル-2 Oct. 19, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-19

 #3195 家庭学習習慣の躾は小学1・2年生のうちにやるべし Dec. 4, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04

  #3196 四段階ある作文指導工程  Dec. 6. 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-05


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#3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015  [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 「読み・書きトレーニング」シリーズ3回目、どんどん面白くなります。乞うご期待。

 全国学力テストデータの知らしむるところは、釧路も根室も国語B問題と、算数・数学B問題の正答率が全国平均よりも低いということ。

 データからは問題文を理解するに足る読解力をもつ生徒が少ないということは言えそうだ、端的に言うと、読みの力の欠乏。なんだか、鉄欠乏性貧血みたいで、自分のことを言われているようだ。(笑)

 あるときに中1の生徒が文章題の意味がわからないというので、声に出して読んでごらんというと、「池の周りに」と書いてあるところを、「いけのしゅうりに」と読んでいた。「いけのまわりに」と読むんだよと伝えると、「なーんだ、意味わかった!」。漢字の音訓を読み分けられないと、たまにだがこういうことがおきる。質問があったら問題文を音読させてみるのは、読み方の声の「調子」や間の取り方で、どの程度読めたのかが判断できるからである。どの箇所の理解が不十分かが読ませるだけでわかる場合もある。これは教える側の技だ。
 読みの速度が遅くて、2行目を読んでいるときには1行目の文章を忘れてしまう生徒がいる。
 こういう例もある、大問の説明から条件を読み取る、そして(1)をやり終え、(2)を読むときに元の大問の説明文を忘れてしまいつなげて考えない、こういうケースもある。
 先読みができなければ、いま読んでいる箇所だけにしか目が届かない、したがって、読んでいるときに前後の文と比較しながら文意がサーチできない。
 そういう生徒は、脳の使い方が悪く、一時記憶領域が未発達で小さいから暗記が不得意である。高速で一気読みをしたほうが、長い文章全体を一時記憶領域に保持しやすい。もちろん、暗記も得意になる。
 速く詰め込むことで、一時記憶領量が拡張する増やせるのだろう。これが、「1文音読⇒1文書き」につながってくる。後志のおじさんの英語とドイツ語の勉強法である。日本語にも応用が利くから、普遍的な語学学習方法であるとebisuは考えている。もちろん、「それしかない」わけではない、他にも方法(わたしはまったく異なる方法(画像記憶)と技を用いた、この方法はstudyには便利がよいが、learningには向かない、条件が特殊すぎる)があるが、いまのところこれ以上のものが見つからない。


〈先読みの実際〉
 本をよどみなく読むためには、先読みの技が必要である。いま音読しているところよりもさらに前を頭の中で読む技である。脳は今読んでいる箇所を声に出すという作業をしながら、声に出さずにさらに先を同時に読むという並列処理をしている。先読みできない生徒の脳は「逐次処理」をしているのである。理解の深さも読む速度も比較にならないほど差が出てしまう。先読みする生徒とそうでない生徒は、脳の使い方が違うことがご理解いただけるだろう。
 中2の音読テクスト『国家の品格』から、先読みの例を挙げてみる。
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 新渡戸は日本人の美意識にも触れています。「武士道の象徴は桜の花だ」と新渡戸は言っています。そして桜と、西洋人が好きな薔薇の花を対比して、こう言っています。
「桜はその美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花も及ぶところではない。薔薇に対するヨーロッパ人の賛美を、我々は分かつことを得ない」
 そして、本居宣長の有名な歌、
 敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花
を引いています。
   藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)125ページ
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 「新渡戸は日本人の美意識にも触れています」の最後の部分である「触れています」と声に出して読んでいるときに、その先の「武士道の象徴は」という句を先読みしている。そうしながら、文の意味も追っている。同じ行内での先読みの技である。ひらがなが10文字以上続くと、どこで区切っていいのか迷いそこでストップする生徒が多い。ひらがなが連続する箇所は、意味まで判断して読まなければならないから、難易度が高くなる(適度な漢字の混ぜ書きが、意味を即時に了解しやすいことは、書くときに注意すべきだ)。同じ行内での先読みが第一番目。
 次は折り返し部分の先読みの技。「武士道の象徴は桜の花」の部分を一時記憶域へ放り込み声に出しながら、視線はその先の「だと新渡戸は言っています」を読んでいる。こういうように脳内で並列処理して読まなければ、ターン(折り返し)の読みがスムーズに行かない。生徒に音読させて折り返し部分に注目していると、先読みしているかどうか、簡単に判定がつく。
 よどみなく読む生徒は、意味も追いかけて3つ目の並列処理をしているから、頭の反応速度が速くなるのは当然のことだろう。文字面だけを追いかける読み手とは脳の活動が比較にならない。
 脳の一時記憶域から読むべき情報を引き出して文章を声に出すと同時に、先読みし、意味を追跡、そして文や単語の予測という4つの並列処理をする生徒は、初見のテクストをじつにスムーズに読むことができる。ちゃんとした音読が脳をフルパワーで駆使するものであることが理解いただけただろうか?

 音読トレーニングをして、先読みの技が身についた生徒は、国語のテスト問題の本文を高速で精確に読みきることができる。
 もうすこしやってみよう。「西洋人が好きな薔薇の花を対」というところを先読みしているときに、その後に来る語を予測している。意味の流れから「対」は「対比」だと予測して、折り返しを先読みして確認する。これが、意味の流れからの予測先読みである。
 こういうのは一種の技だから、芸事と同じで、指導して反復練習させればほとんどの人が身にけられる。誰でもできるlearningの領域であり、studyではない。勝手に読ませていたら、大量に読む1割の生徒以外は、こういう技が身につかない。
 「読み」においては、速度が遅いのは、文全体の意味が追えなくなるので致命的である。高速音読ができない生徒は、黙読も読みが遅くなるとともに読みの精度も低くなる。

 まとめておこう。
1.同じ行内での先読み
2.折り返し部分の先読み
3.予測先読み
4.前後の文と対比し、意味を追跡しながら読む文脈読み

  昔から言われている基礎学力の三本柱、「読み・書き・そろばん(計算)」は重要性の高い順に、そして優先順位の高い順に並べられている。なぜ、「読み」が最重要で、最優先なのか、その理由の一端がわかったのではないだろうか。
 このように先読みの技を意識してトレーニングすると、脳は4つの仕事を並列処理することになるから、次第に慣れてくる。そして四並列読みを無意識にやれるようになる
 反復トレーニングによって脳の機能(働き)が変容を受けると考えてよいのだろう。音読トレーニングを通じて脳の活動が活発になり、一時記憶量の拡張も起きるから、物理的には同じ脳なのにその機能がまったく違ってきてしまう。つまり、音読トレーニングのやり方しだいで学力が上がるということに、読んでいる皆さんはすでに気がついているだろう。わたしは当たり前のことを言っているに過ぎない。
 勉強をする前にする5分間の音読は、脳の機能を高める「準備体操」として実に有効

 読める漢字と書ける漢字は10対1、書ける語彙を増やすには、10倍量を読まなければならない。本を読まなければ、その語彙を使う前後の文脈やシーンがわからないから、覚えた語彙も文章の中で適切に使うことができない

 1.とにかく量を読む
 2.「てにをは」や漢字の読みを間違えずにちゃんと読む
 3.意味を精確に読みとる

 この三段階をクリアするには、適切な「先読み音読指導」が強力なサポートになる。中学生でこれが必要ないのは、濫読期を通過した1割の生徒たちだけ。

 「読み」の各論を展開したので、次回は「書き」を鍛える技の各論を取り上げるので、どんどん面白くなります。小学校と中学校の先生たち、見てね!
 次に何が出てくるのか、書いている私自身が知らないのだから、書くほうも面白い。書き上げてから、それを読んで、「なるほど!」と納得している。
 あ、一番大事な小中高の生徒たちを忘れるところだった、弊ブログ記事を読んで、自らを鍛えてください。

*#2853 『釧路市学力保障条例の研究(1)』東大大学院教育行政学論叢 Oct. 29, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29


*#3154 日本語読み・書きトレーニング(1) Oct. 11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11-1

 #3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

 #3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

 #3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14-1

 #3158 日本語読み・書きトレーニング(5):数学と「読み」のスキル Oct. 16, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-15

 #3159 日本語読み・書きトレーニング(6):数学と「読み」のスキル-2 Oct. 19, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-19

 #3195 家庭学習習慣の躾は小学1・2年生のうちにやるべし Dec. 4, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04


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#3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 さて、今回は基礎学力の三本の柱である「読み書きそろばん(計算)」のうち、「読み」と「書き=文書作成」トレーニングを取り上げる。


〈「読み」には三段階あり〉
 「読み書きそろばん(計算)」が基礎学力の三本柱であることにどなたも異論はないだろう。
 「読み」と「書き」にかかわるスキルにはそれぞれ段階があることもあらためて証明する必要がないほど自明なことに属する。

 デカルト『方法序説』「科学の方法」の2番目にしたがって論を始めてみたい。

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。  
 デカルト著・谷川多佳子訳『ワイド版 方法序説』(岩波書店)29ページ


 細かく分けすぎてもいけない、読みにはおおよそ次の三つの段階があることに大方の人が同意できるだろう。

 1.絵本
 2.児童書、漫画
 3.大人の本

 絵本は説明の必要がない、名が体を表している。
 児童書にはアニメのノベライズものを含める。漫画のルーツは平安時代の絵巻物にさかのぼるから、千年の歴史をもっており、ジャンルが多様で、内容もしっかりしたものが多数ある。そして子供たちへの影響力は児童書よりもはるかに大きい。子供たちだけでなく大人も読者が多いのは、メディアとして客観的に見た場合でも、漫画の本の内容のレベルが高いものが少なくないからだろう。
  大人の本とは、その咀嚼に強い顎の力を必要とする読み物をいう。幅広い語彙がちりばめられている明治期以降の純文学作品群、古典文学群、哲学・科学・医学・経済学などの専門書群、評論集等。

 高校時代に、毎週3冊の習慣漫画(少年サンデー、少年マガジン、少年キング)を読み続け、同時に哲学書や経済学の専門書、会計学や原価計算の専門書群を読み漁った経験からいうと、漫画の本をたくさん読むから、硬い本が読めないとか、読まないとかいう議論には与(くみ)しない。しかし、語彙力が貧弱だと高校2年普通科の標準的な現代国語のテクストや専門書が読めないことは当たり前。
 高校2年生の現代国語の教科書には難解な評論や語彙の豊富な純文学作品が多数収録されているそうしたレベルのテクストを読みこなすことのできる読書力獲得を前提にすると、高校生までに、さまざまなジャンルの評論や論説文、純文学の作品、そして入門書レベルの哲学書が読めるくらいの語彙力をつけるにはどうしたらよいのかという問題が浮かび上がってくる
 新聞や論説文を読めばよい。高校2年標準的な現代国語教科書を前提にすると、すくなくとも、岩波新書レベルのものを中学生から高校1年生までに20冊くらい読んでおきたい。新書は専門書への入門としてコンパクトで優れているからである。それらに加えて、明治・大正期の文学作品の名作も50冊ほど読んでいたらベストだろう。
(もちろん、こうした過程を経ずとも、別の方法で強靭な国語力を獲得する者たちがいることは事実である。モノが違うといってよい。根室でも数年に一人の割合で、そうした生徒が存在している。)

 さまざまなジャンルのものを読めば読むほど頭の引き出しの中の語彙が増える。大人の本を平気で読めるようになるには、そういうレベルの本を読み、語彙を増やすしかない。
 流れを途切らせずに読むには、相応の語彙力が必要になる。語彙力が貧弱だと、しょっちゅう読めない漢字や理解できない熟語が出てきて、読書の流れが途切れてしまう、これは大きなストレスで、読書そのものを楽しめない、集中力もそのつど切れてしまう。
 語彙力を「読み」と「書き」という側面から考察してみると、読んで意味がわかる語彙と書ける語彙は、10対1くらいではないだろうか。書ける語彙を増やすことは、その十倍の読める語彙を増やすことでもある
 大人の本とは、語彙の豊富な純文学、評論、散文、岩波新書レベルの本、そして各分野の専門書。
 東野圭吾の小説が境目のようだが、エンターティンメントは噛むのに強いあごを必要としないから、大人の本には含めないグレーゾーンということにしておきたい。「グレード2.5」という命名がふさわしい。
 宮沢賢治の童話群は児童書のカテゴリーにふくめよう。

 釧路のMさんの話では、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』(日本の童話名作選 偕成社)が原文そのままで総ルビがふられ、豊富な挿絵で絵本風になっているそうだ、これはどちらに入れていいのか判断がつかぬ。こういうクロスオーバーな絵本が増えてくれたら、橋渡しになるのでありがたい。このシリーズで40冊ほどでており、小学生低学年が読めるようになっている。

 それぞれの段階の解説は別稿でとりあげる。1から2への移行はスムーズに行くが、2から3へ移行できる者は中学生ではおおよそ1割、ここを学校教育でどのように扱うかが重要である。

 江戸時代は5歳から論語の素読をさせたから、3万あった私塾ではいきなり難解なテクストを全員で朗誦していた国語の教育は良質の大人の本を選び、音読指導からはじめたのである。
 昭和40年代までは本や新聞にはルビが振られていたから、グレード2の段階から3の段階へは漢字が読めないという制限がなかった。それゆえグレード2から3の段階へはスムーズに移行できた。団塊世代がそういう世代だった。
 江戸時代は、大人の本への橋渡しは、幼児教育の時点からなされていたと考えられる。そして昭和40年代までは、新聞も本もルビが振ってあったから、子供たちは児童書から大人の本へスムーズに移行できた。歴史的に見ると、大人の本への移行が困難になったのは、戦後の教育と出版分野へのコンピュータ(Desk Top Publishing System)導入によって生じた特殊な問題ということができる。
 日本人の国語力が著しく低下したのは、戦後の漢字制限*とコンピュータの性能が低くてルビがふれなかった時期が長く続いたという事情もあったのである。性能がアップして、ルビをふることに制限がなくなったのに、長いことルビを振らなかったので、現在の一線の新聞記者たちにはどの程度ルビを振るべきかについて、判断基準がない。ルビが振られた大人の本をあまり読む機会がなかったからだろう。出版社の人とは話したことがないが、新刊書を見ればわかる、同じだろう。常用漢字の範囲に漢字や語彙の使用を「自主規制」しているようにみえるが、そのうちに常用漢字以外は使えないような、貧弱な語彙力の小説家が出現するのだろう。いや、アニメのノベライズはすでにそういうレベルだろう。弊ブログカテゴリー「本を読む」に十数冊、そういう本を取り上げて論評してある。
 ルビについては、常用漢字以外はすべて振ればいい、ついでに、副詞の漢字使用も解禁すべきだ。

*この点に関しては、大野晋著『日本語の教室』(岩波新書)「第二部 日本語と日本の文明」「(質問13) 漢字制限はよいことだったのではありませんか?」167ページ参照。
 

〈「書き」には四段階あり〉
 文章を書かせる指導には大きく分けると、次の4段階がありうる。
 1.小学校低学年(親が担う)
 2.小学校高学年(学校が担う)
 3.中高生(学校+自分でトライ)
 4.大学生および社会人(自分でトライ+先生や上司)

 4段階それぞれごとに別の指導法と生徒の取り組み方が対応しそうだ。

 第一段階はAさん方式。同級生のAさんが自分の子供三人を書くことと計算大好きなこどもに育て上げた家庭学習のしつけかた、担うのは親。習った漢字書き取り、その漢字を使った短文トレーニング、日記方式の自由作文、十字形の漢字熟語パズルなど。低学年の時期に数年間おやが手間隙かけてやれば、本を読むことや文を書くことが大好きな子供に育てられる。
 花マルいっぱいあげて、こどもはよろこんで問題の「おかわり」をするようになれば、大成功。

 第二段階は議論のあるところ。自我が育ち始める時期で、二番目に重要。
 トレーニングの内容は二つ、視写と本の章単位での「あらすじまとめ」。「本のあらすじまとめ」は音読トレーニングと並行してやるのが効果が大きい。「読み」と「書き」はつながっている部分がある。
 お手本を真似るということがさまざまな基礎的トレーニングに共通している書道、剣道、柔道、空手、詩吟、お琴、日本舞踊、茶道、香道、大工、左官、・・・、およそ芸事や武道、職人仕事というものは、師匠や指導者、親方の挙措をお手本として徹底的にそして繰り返し真似ることから修行をはじめるものだ。自分で好き勝手にやっていいということはなく、お手本を真似て基本形を反復練習することからはじめるのが古(いにしえ)から伝わる自然なやり方。「守離破」「守」の段階といえる。
 名文の音読と視写の反復トレーニングは日本語のよいリズムを脳と手に刻み込む作業になる。トレーニングによって使える語彙とリズムを身体に染み込ませていく
 書きのトレーニングは計算トレーニングと同様に量の確保が重要。音読トレーニングと併行してやる「三色ボールペン」(斉藤隆方式)での線引きが役に立つ。あらすじに青線を引いておけば、あらすじをまとめる作業が客観的になる。名文の音読と視写、そして章単位でのあらすじのまとめくらいで十分である。
 高校入試で出題される現代国語の記述式問題は、あらすじや重要箇所に青線と赤線を引くトレーニングをしていれば、正答できる。
 読んだ本のあらすじを言ったり書いたりすることができれば、十分な読解力があると判定してよいここでも読みと書きは連動して動く、まさしく「車の両輪」

 第三段階は第二と第四の狭間としておく、議論のあるところだから、さまざまな異見が続出してよい。いくつかの流派がありうるとだけ書き留めておきたい。
(じつは最近3週間にわたって、「釧路の教育を考える会」のIさんと議論していた。関係のある数人がモニターできるメールで、すでに20本のメール(原稿用紙で100枚以上)を書いている。その議論があったから、こうして「書く」ことについて、自分の意見をまとめてみようという気になった。議論をすれば、議論を通じて自分の意見が次第にひとつのまとまったものとなって、姿を現してくる。相手の論を受け入れ、自分の論を対置することで、鏡に映して見るような作業になってくる、Iさんに感謝。)

 第四段階の対象は大学生と社会人論述式問題の答案練習や卒論指導会社にあっては「報連相」や業務報告書作成、社内および社外文書作成時の上司のチェック。もちろん、自力でやれる者は自力で挑む。最後は誰にも頼らず、独力でやりきることができる文書作成能力を獲得することが目標である。

 言いたいことは書き方の指導には段階があり、自明のことと自明ではないことがあるということ。いくつかの「流派」が存在する余地があるから、議論のあるところは徹底的に議論すべきだ。しかし、無理に一本化する必要はない。
 読みと書きとは車の両輪、読むもののレベルが上がってくれば、使用語彙や論理構成に違いが出てくるので、書くものも違ってくる
 読みで最重要なのは、児童書から大人の本への飛躍、ここで躓くこどもが大半である。中学生でこのギャップを乗り越えられるのは1割ほど
 第四段階は専門書を読んでいることが書くトレーニングの前提となる


〈国語授業時間数不足のよる「読み書き」能力の低下〉
 もうひとつ大きな問題があることを指摘しておきたい。それは小学校の国語の時間数の少ないことが国語力の育成にとって致命的だということ
 小平邦夫(数学者、フィールズ賞受賞)がどこかで書いていたが、かれの時代は低学年で国語は週10時間、高学年では12時間あったそうだ。
 現在は半分かな?それでは読みも書きも絶対量が足りるわけがない
 そこをなんとかしろと声を上げることも民間の教育関係諸団体の役割。

子供が言語を修得する能力に優れているうちに国語を十分時間をかけて徹底的に教えておこう」(『怠け数学者の記』小平邦彦著、岩波現代文庫102ページ)

 小学校低学年では、社会も理科も要らぬ、国語と算数と体育と音楽だけでいいという極論もありえる。(小平は自分が小学生のころは、1・2年生では社会科や理科がなかったと書いている。大数学者の岡潔も小学校低学年には社会科はいらぬと言明している。その後の学力の伸びにとって、それほど国語と算数が重要だということ。)
 これなら、「読み・書き・計算」スキルと・体力をともに現在よりも格段に引きあげられる。


*#749 フィールズ賞受賞数学者小平邦彦と藤原正彦の教育論  Oct. 4, 2009 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04

*#2853 『釧路市学力保障条例の研究(1)』東大大学院教育行政学論叢 Oct. 29, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29


*#3154 日本語読み・書きトレーニング(1) Oct. 11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11-1

 #3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

 #3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

 #3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14-1

 #3158 日本語読み・書きトレーニング(5):数学と「読み」のスキル Oct. 16, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-15

 #3159 日本語読み・書きトレーニング(6):数学と「読み」のスキル-2 Oct. 19, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-19

 #3195 家庭学習習慣の躾は小学1・2年生のうちにやるべし Dec. 4, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04


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 どの本も実物を手にとって見ていないので論評できない。「絵本」と表記のあるものとそうでないものに分かれている。「絵本」も原文は忠実に採録されているのだろうか?

蜘蛛の糸 (日本の童話名作選)

蜘蛛の糸 (日本の童話名作選)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1994/10
  • メディア: 大型本

日本の名作どうわ―日本童話名作選 (1年生) (学年別・幼年文庫 (1年 8))

日本の名作どうわ―日本童話名作選 (1年生) (学年別・幼年文庫 (1年 8))

  • 作者: 坪田 譲治
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1957
  • メディア: 単行本
日本の名作どうわ―日本童話名作選 (2年生) (学年別・幼年文庫 (2年 8))

日本の名作どうわ―日本童話名作選 (2年生) (学年別・幼年文庫 (2年 8))

  • 作者: 坪田 譲治
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1957
  • メディア: 単行本
日本の名作童話 3年生―日本童話名作選 解説と読書指導つき 日本童話名作選 (学年別・幼年文庫)

日本の名作童話 3年生―日本童話名作選 解説と読書指導つき 日本童話名作選 (学年別・幼年文庫)

  • 作者: 坪田譲治
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1988/04
  • メディア: 単行本
絵本・日本の童話名作選 第一期(宮沢賢治作品)全18巻

絵本・日本の童話名作選 第一期(宮沢賢治作品)全18巻

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2002/03
  • メディア: 単行本
絵本・日本の童話名作選第2期(全12巻セット)

絵本・日本の童話名作選第2期(全12巻セット)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2002/03
  • メディア: 単行本
日本の童話名作選(22冊入セット)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1995/06
  • メディア: 単行本
絵本・日本の童話名作選 全25巻

絵本・日本の童話名作選 全25巻

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1998/03
  • メディア: 単行本



#3154 日本語読み・書きトレーニング(1):序論   Oct. 11, 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 子供たちの学力がこのままでは地域の未来が危ういとさまざまな職業人が集ったのが「釧路の教育を考える会」であった。ワイワイガヤガヤ、専用掲示板や複数のメンバーが同時に閲覧可能なメール機能を利用して活発な議論が日々繰り返されており、それら釧路の教育改革の歯車となっている。
 同じ北海道で、近隣の市であり、学力問題に関して釧路は根室と共通の問題を抱えている。だから、創立時にお誘いを受けて、根室管内のほかの2名の方とともにebisuは根室から参加を決めた。「釧路の教育を考える会」が釧路・根室管内に広がりをもつべきだという話に乗った。
 中学卒業の時点で、生徒全員に基礎学力を保障したいという共通の願いを集約することで、副会長の月田光明氏が超党派の「釧路市議会基礎学力問題研究議員連盟」を組織し、全国に先駆けて「基礎学力保障条例」を制定(2012年12月)した。その仕事の手際のよさと市議会における論戦の粘り強さには敬服の念を抱かざるをえない。しばらくしてから、同じ大学の同じ学部、そして同じ学科出身であることがわかった。偶然だが、こんな偶然はそうはない、ebisuのほうがロートルである。月田さんは釧路市議会議長となったが、かれだけではない、市議会での論戦する姿からジャンヌダルクとニックネームがついた金安市議も強力なメンバーの一人である。そして寺子屋の活動で公務員アォード賞を受賞した大越さんが、市議となった。
 「基礎学力研究議員連盟」と「釧路の教育を考える会」が、車の両輪となって、釧路の教育改革を前に推し進めてきたといってよい。これからもそうだろうし、釧路の教育改革のパワーはより大きくなったといってよさそうだ。

 共通の問題が大部分ではあるのだが、釧路固有の問題もあり、共通部分にバイアスがかかってしまい、現実の活動はすっきり切り仕分けることができない、なかなかむずかしいものだ。でも、それはそれ、問題そのものからバイアスを取り除いて検討しておくことはできる、わたしの役割はそこにあるようだ。

 前置きが長くなったが、そろそろ本論をはじめたい。
 基礎学力にとって、「読み書きそろばん(計算)」スキル育成は、学力という構造を支える三本の柱である。

(基礎学力を木造の家屋にたとえると、三本の柱は木でできているから「三木」だろう。ebisuは弊ブログを見て、2010年4月4日に根室まで会いにきてくれた「三木」さんからお誘いを受けた。かれも三人の副会長のうちの一人、行動を見ていると「ブルトーザ」とニックネームをつけたくなる、思いついたらすぐに行動ができる人だ。社会保険労務士で明光義塾愛国教室の経営者、そして釧路西ロータリークラブの会長でもある。ユニークな人材がほかにも何人もいる。メンバーの顔ぶれを眺めると、「類は友を呼ぶ」というのは本当のようだ。)

 文章作成についてのトレーニングについて、ブログ「情熱空間」を転載して、その後にそれをさらに分割、発展させることができれば幸いである。
 文書作成*は、大人になっても苦手な人が多いが、大方の人がどうしてそうなってしまうのかについても、その理由をついでに探ってみることになる。小学生1・2年生での親の関与の仕方が、案外影響が大きいことが2回目にわかるだろう。

*おいおい説明することになるが、考えるところがあって、「作文」という用語は使わない。

ブログ「情熱空間」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8174346.html?1444521893#comment-form
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2015年10月09日

「褒めて伸ばす」は作文指導にこそ

褒めて伸ばす。

最近よく耳にするフレーズですが、私はそれには懐疑的です。多くの場合、「褒めて伸ばす」ではなくて、「褒めるようなシーンでもないのに褒めている」つまりは、「単におだてているだけ」のことが多いですから。

その意味、実は私、こう見えても、こと子ども相手では褒め上手なんですよ、いえ本当に。その分、大人相手ではまるでダメですけどね(笑)。コツはですね、「褒めるべきときに褒める」「本当に自分が褒めたいと思ったときに褒める」と、たったそれだけだと思っています。

しかし、例外があると思っています。それはずばり作文。内容はさておき、まずは書いた時点で褒めてあげるべきです。その時点で「花マル」でしょうか。字が汚い、漢字が間違っている、文法上のミス、表現の方法。それらは後回しにして、まずもって書いたこと自体を褒めてあげるべき。その際、多少オーバー気味に褒めてあげてですね、それから少し時間を空けて指導をするようにすべきだと思うんですね。

がしかし、そうした指導、最近では実に実に手薄ですね。そもそも、朝読書に代表されるインプットには力を入れているみたいですが、アウトプットたる文章の「読み」「書き」 の「書き」の方が驚くほど手薄になってしまっていますから。

「読み」 「書き」は車の前後輪みたいなもので、双方が一方を引っ張り、そうして回転をしながら速度を上げていくもののはずです。しかし現状、「書き」の方が実に手薄。「書き」を軽視して「読み」を鍛えようとしても、それは土台無理というものなんですね。冷静に傍から客観視したならば、「読み」ばかりで「書き」がどうにもこうにも足りていない。だから学力の伸びがすぐに頭打ちになっちゃう。

ですからどうぞ、「書き」 の指導たる作文をこそ重要視していただきたいものであります。よっしゃ、ボンズを被験者に、実験を試みることにしましょうか。(^∀^)
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<素朴な疑問:読みに関する指導はなされているか?>
 議論の前提条件というものは、じつに重要な役割を果たすことになる。「読み」の指導やトレーニングはなされているのだろうか?ここがズレてしまったら、その後の議論全体が見当違いの方向へとそれてしまうから要注意である。
 ほったらかしにされているのは「書き」だけではない、じつは読みも指導がなされていない。朝読書をみたらわかる、あの時間に教師は何も指導していない。
 読みと書き(文書作成)にかんしては、いまのうちにできるだけ議論を前に進めておきたい、やっておけば、いつか役に立つときが来る。すでにライフワークの「21世紀の経済学」を書き終え、スミス、リカードはもとより、マルクス『資本論』も超えた。日本の伝統的な価値観に基づく新しい経済学の可能性を提示し、わが生涯、なすべきことはなし終えた。なお、まだ時間と体力が残されているようなので、何が見えてくるのか歩けるところまで歩き、その景色を眺めてみたい。
 アップダウンの多い地形では迂回も必要となるが、迂回は時に問題を複雑にして、部外者に議論をわかりにくいものにするので、わたしはまっすぐに歩いて道を拓いておこうと思う。なんとか細い道を通すことができたら十分である。


*#2853 『釧路市学力保障条例の研究(1)』東大大学院教育行政学論叢 Oct. 29, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29


*#3154 日本語読み・書きトレーニング(1) Oct. 11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11-1

 #3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

 #3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015
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 #3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015
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 #3158 日本語読み・書きトレーニング(5):数学と「読み」のスキル Oct. 16, 2015
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 #3159 日本語読み・書きトレーニング(6):数学と「読み」のスキル-2 Oct. 19, 2015
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 #3195 家庭学習習慣の躾は小学1・2年生のうちにやるべし Dec. 4, 2015
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  #3196 四段階ある作文指導工程  Dec. 6. 2015 
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#3147 読み・書き・そろばん(計算) Sep. 30, 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 いま、「釧路の教育を考える会」の中でネット上で数人で議論していることを、ブログ「情熱空間」管理人のZAPPERさんが統一的な視点からまとめてくれました。
(ネット上での特定の掲示板あるいはMLを利用した議論は便利がいい、釧路と根室の距離がなくなります。)

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2015年09月30日

学力向上のキモ(途中式と作文と)

途中式を書かせない。
作文を書かせない。


現在、議論を進めているところですが、なぜこの地の子ども達の学力が上がってこないのか、その核心部分と考えられるもの。結局、この二点に集約されるものではないだろうと考えるに至りました。

中学数学。学習指導をしていて痛感するのは、本当に本当にそれはもう驚くほどに途中式を書かないというものです。こうした感じですね。単なる計算問題。ただ黙って問題を見つめたままの生徒。「何しているの?」と問うと、「考えているの…」との返事が。またはこう。途中式を書くのではなく、与式の上か下に(途中計算の)メモを書いて、書くべき途中式は完全に端折っては答えだけを書こうとする。

ですから、多くの場合、まずは途中式をきちんと書くことの指導からになります。しかし、これが実に厄介なんですね。もはや根競べでしょうか、どれだけ言っても書かない。書くように指導をするも、頑なに書こうとしない。しまいにゃむくれる(苦笑)。ええ、なかなか壮絶ですよ。意地でも書こうとしません(笑)から。途中式を書かない。だから間違う。途中式を書かない。だから見直しができない。まさに悪循環。

で、いよいよとなれば「強権発動」です。多くの問題を解かせる。でもしかし案の定、途中式を書かない。結果、当然ながら間違いのオンパレード。目の前ですぐに丸付け。×のラッシュ!解きなおしを命じる。それを繰り返す。そうしてやっと気づくんですね。途中式を書かない。だから間違える。書いたならば間違いはグンと減る。そのことをやっと理解して、書こうとする。文章にすると簡単そうに聞こえますが、これ、敵(笑)は本当に強いですよ。手強いったらありゃしない。

お次は国語です。文章表現が稚拙。それ以前、年齢なりの語彙力が足りていないんです。文章を書かせたなら、まずまともに書けない。文書を読み、その論旨をまとめよといった問題。無理ですね、まずできない。しかし「話し言葉」はそこそこしっかりしているんです。ところが「書き言葉」になった途端、フリーズ。思考停止状態に陥ってしまいます。そうした子、でも設問なりの文章を声に出して読んであげたなら、それでもそこそこは正解できるんですね。つまりこういうことです。「話し言葉」と「書き言葉」がリンクしていない。「話し言葉」ならば理解できる。しかし「書き言葉」だと途端に理解できなくなるということです。ええ、「話し言葉」と「書き言葉」の橋渡しに大きな問題があるということです。

ここは当然ながら「読むこと」と密接な関係にあるわけですが、いかんせん「書くこと」の練習がまるで足りていないわけです。事実、朝読書がこれほどまでに普及していながら、ペーパーテストの得点はまるで上がってこない。ええ、「書くこと」のトレーニングがまるでなされていないわけだから、年齢なりの「文章を読む力」に劣ってしまうということになるんです。アウトプットが非常に手薄。だからインプットを奨励するも効果が出ない。見方を変えたならばそう言えるでしょう。

さて、それらが融合されるとどうなるか。例えば算数・数学の文章題。手も足も出ません。そもそも設問を読めない(正しく読み取れない)ので次の手が打てません。仮に読み取れたとしても、立式にまで至りません。なぜなら、与えられた条件を書き出してみるということをしないわけだから。それはまた、無回答率が跳ね上がることが証明している部分でもあります。

というわけで、小学校に目を向けてみると…。言っちゃ悪いですが、案の定ですね。途中式を書かせていない。そりゃ見直しすらしなくなるでしょう。(事実、検算すらまともにできない子があまりにも多い)具体的には3年生・4年生ですよ。分数の足し算引き算、それに四則計算、括弧を含む計算。そこで途中式を書く指導を徹底し損ねたなら、高い確率で書かない子が誕生してしまうことになります。そして5年生・6年生で軌道修正ができなかったならば、極めて高い確率で前述のような子に仕上がってしまうことになります。

作文指導はなし。あってもおまけ程度。「読む」と「書く」は車の両輪でしょう。読ませて書かせる。だから読む力と書く力の双方が少しずつ養われていく。でも書かせない。書かせないから、目的意識をもって文章を読むことをしなくなる。結果、悲しいかな、そのように調教されてしまっている。ここでしょう、ここ。いや、ここですよここ、問題の核心部分は。

試験問題を解くにあたって、前提となるのは、自らの「解答が確からしい」という実感・確信のはずです。なぜその解答に至ったかという思考。順を追って作業をし、順を追って考えて、そうして解答を導いた。だから「解答が確からしい」という自信を持つに至るものが、その思考のツール自体(途中式を書くこと。文章を書くこと。書く前提で読むこと)が不確かであるならば、そりゃ学力なんて伸びやしないというものでしょう。

読み・書き・計算とはよく言ったものです。いつもebisuさんがご指摘なさっていますが、まさしく重要な順に並んでいます。そしてこのことは沈着冷静にお考えいただきたいですが、「書き」と「計算」が驚くほど疎かになってしまっています。ええ、作文指導と計算過程を書くことが。というわけで結論です。途中式は必ず書かせるよう指導を徹底する。作文指導を強化する。それこそが《キモ》であるということです。

そうしたならば、こうした若者もまた雇用の現場から減ることになるでしょう。文章を書かせるも、まるで要領を得ない。何度言ってもメモをとろうとしない。ええ、実はそこへと直結しているわけですから。書く。書いて思考を可視化する。そのトレーニングが実に手薄だということです。

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#3111 記憶の構造と学力 Aug.21, 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 生徒を観察しているといろいろなことがわかる。
 たった2行の数学の問題を読むのに、1行目を読み終わって、2行目に移ったときにはもう忘れている、そういうことがときどき起きる中1の生徒が根室市内の中学校には毎年2割くらいいるのではないだろうか。(中3の生徒で中学入試用語彙力問題集『言葉力ドリル実戦編』(学研)で50点未満は3割ほどいそうだ。授業を聞いていても、ところどころで先生の言う日本語を頭の中で適切な漢字に置き換えられないから、意味や文脈が理解できない。年齢相応の本を読む習慣がない生徒にはそういうことが起きている。)
 2つの文章の意味のつながりを読み取れないのは、2つ目を読んだときに、一つ目の文章を記憶しておいて意味の関連をサーチできないからだ。往々にして、読む速度が小さいと単語をぶつ切りにしてその一つ一つにとらわれ、文章の意味を把握できない。
 そういう生徒でも日本語音読トレーニングをするうちに中2になれば簡単な数学の文章題の意味くらいは読みとれるようになる。音読トレーニングをしない生徒は読解力がそのままになるケースが多いことは言うまでもない、どのような高校生になるか想像がつく。音読トレーニングでできるだけ救ってやるべきだ。

 国語の語彙力が貧弱で音読の下手な生徒の学力は総じて低くなる傾向がある。オンラインゲーム、ライン、ツィッターなどに費やす時間が増えるから、本を読む時間は昔に比べて少なくなったことは事実である。読んでいる生徒も、アニメをノベライズ(小説化)したもののような、語彙力レベルの低いものにとどまってるケースが多い。高学力層でも推理小説レベルにとどまっているのが大半であるが、中高生は精神的な成長の大きい時期だから、背伸びして(内容と難易度の高さが)大人のレベルの本を読んでおきたい。
 ニムオロ塾では、読書レベルを上げるために、良書を選んで音読トレーニングをしている。スムーズに音読できるようになれば、学力全般が上がる。だから、基本トレーニングを怠ってはならない。基本トレーニングとは「読み、書き、そろばん(計算)」に関するトレーニングで、それぞれにいくつもの技がある。意識して普段から磨いておくべきだ。

 国語の問題を解くのも似たようなものだ。1ページの文を読み終わったときに、内容をどれだけ記憶しているのだろう?2行の数学の問題が読み切れない生徒でも50点以上の点数が取れる国語の問題は果たして適切なのだろうかという疑問がわく。

 戦後まもなくGHQが漢字を廃止しようとして、データの裏づけを得るために、CIEによる厳密な全国国語力調査の学力テストを実施した。結果は予想を大きく裏切り平均点は78.3点だった。言語学者の大野晋氏はあれほど厳密な国語力調査は世界で初めてだと『日本語の教室』のなかで述べている。
 当時の人口7755万人から、戸籍簿に基づき無作為に17100人を選び16820人について国語力テストが行ったのだが*、問題はとてもむずかしいものであった。いまあれを中高生にやらせたら、とても70点台の平均点は獲れないだろう。50点すら怪しい、それほど日本人の国語力が落ちている。
*#3088 公民・歴史・地理から見た安保法制論議:憲法第九条と自衛隊 July 21, 2015
<敗戦処理と憲法第九条:70年前になにがあったのか>参照
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-07-21
 
 数分間数ページの内容を保持し続ける一時記憶ができるか否かは、学力に馬鹿にならない影響を及ぼしているのではないだろうか。
 数ページ分を一時記憶領域に保持できる者が、それを1週間記憶する領域に移すことができれば、学力差はさらに広がる。

 難しい問題を一時記憶領域から、1週間記憶領域に移して、暇なときに出して考えられる人間は数学や哲学の難しい問題を考え続けることができるだろう。
 さらに大きな難問を数ヶ月、あるいは数年、そして十年、出し入れしながら考えられる人は経営者にも学者にも向いている。

 ここに紹介する国語の学力に関する合格先生の論は、ある程度の量を記憶できることが国語の学力と大いに関係が深いことを的確に説明してくれている。


ブログ「情熱空間」より
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8099177.html
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2015年08月20日

音読と作文と(高校入試・国語の問題から)

(小中学生の)国語力がどうの、などと言いますが…。

もうもうもう、本当に合格先生が指摘する通りなんですよね。北海道の公立高校入試の場合、何も難しいことなんかないんですよね。ごく普通のビジネスマンが問題を解いたなら、あたりまえに50点(60点満点)とか取れてしまう。と、そうしたものでしかありません。(はっきり言って、有名どころの私立中受験の問題の方が、はるかに難しい…)

そこそこちゃんと文章を読み取れて、そこそこまとめて書ける力があれば、楽勝で8割をクリア。とまあ、その程度のレベルなわけですね。ということは、問題はこういうこと。そのレベルの問題に太刀打ちできないということは、大きな問題あり。そうしたことについて、合格先生がすっきりまとめてくれています。

漢字の読み書きは当然のこととして、読書ですよ読書。そしてそれ以前に、まずは音読。黙読させたところで、ちゃんと文章を読めているかどうかは分かりっこありません。つっかからずにスラスラ読めているかどうか、まずはその確認からのはずです。(音読させてみると、「驚くほど読めていない」ことがすぐに分かるものです)

朝読書とやらも結構ですが、まずはそれ以前、音読の指導からだって思いますね。そしてお次は作文の指導。ところがしかし、気がつけばどちらの指導も、実に実に手薄なものになってしまっています。


●国語の問題、どうやって解く?
http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/jijimonndai.html#Anchor-10610

《引用開始》
読書をきちんと出来るようにするためには

 国語の勉強と言うと、漢字の練習以外まともにやったことはない、とか、読書をすれば何とかなる、というふうに思っている人も多いのではないでしょうか。実は、そんなに甘いものではないんですね。ただ、あまり大きく話を広げてしまうと、的を絞れなくなってしまいますから、今回は、北海道公立高校入試レベルの問題について、どのように対処していくべきか、という事をお話しようと思います。難関私立高の入試や大学入試にかんする話は、また、別の機会に。

 実は、北海道の公立高校入試の問題って、裁量問題であろうがなかろうが、すごく易しいんです。ですから、よく、受験のテクニックとして「先に設問を読んでから、問題を解く」というような事を言われますが、そんな事をする必要はありません。そういうのは、難関私立などで行ってくれればいいことです。

 で、自分が生徒に話しているのは「元々、国語の問題というのは、文章を一通り読み終わった後、きちんとその内容を把握して読んでいるかどうかを確認するためのものなんだ。だから、せいぜい文庫本で2・3ページ程度の文章なら、その内容をきちんと頭に入れて本を読んで行かないと、結局、その本の内容が掴めず、その本を読んだことにならないから、こういう問題が設定されているんだよ」ということで、「最初にきちんと問題の文章を読んで、その内容をある程度きちんと頭に入れた状態で問題を解きなさい」と指示しています。もちろん、設問を読んだ後、答えを書くときに本文に戻って確認しながら問題を解きますが、一度、読んであるので、どこにその答えが書かれているかは、すぐに分かるはず。それが分からず、オロオロしているようであれば、それは読書の質が悪い、という判断をするんですね。ですから、時間を計って、比較的スムーズに解答が出来ているか、そうでないかで、生徒の読書の質が分かります。文章把握の問題はこうやって対応します。
 それと合わせて、知識系の問題。例えば、漢字・語彙・文法・文学史系などに触れます。ここは知っているか・知らないかの勝負なので、それは知識として頭に入れればいいでしょう。

 さて、ここで言いたいのは、単に問題を解く、というところに視点を当てるのではなく、後々、どのような事を聞かれてもすぐに対応出来るように、文章をきちんと読むという習慣をつけて「読書力を上げる」というのが大事なカギになります。要するに、入試の問題に出てくるようなレベルのことは、普通に読んでいるだけで頭に入っている読書レベルにすること。設問で出てきた内容を見て「あれ? これ、どうだったっけ?」と思うようであれば、これから先は、そういう雑な読み方をしないようにしていくこと。ここが出来ているかどうかで、北海道公立高校の国語の得点力が決まります。いくら受験のテクニックを使おうが、元々の文章をきちんと読めるようにならない限り、国語の得点力は変わりません。ましてや、設問にかいてあるところを探しながら読んでいるようでは、全体の文章内容の把握も出来ない~ここで点数が頭打ちになりますし、極端に言うと、そういう読み方をしていて読書が好きになるとは、到底、思えないのです。

 ちなみに、きちんと読めていない場合の一番大きな原因は「読み飛ばし」。文章をきちんと読んでいるつもりで、実は頭の中を素通りしているだけになっている場合。もう一つは「語彙」。単に意味が分からなかったり、意味を取り違えていたりして、全く、違う方向の結論を出してしまう場合です。ですから、きちんと読めていない子については、下手なテクニックを教えるより、「語彙」の知識を増やすというのが、遠回りのようで最短距離。
 また、要約など、字数が多めの筆記問題に対応出来ていないのは、単に「書き」の練習不足です。大事な部分を箇条書きにするなりして、自分なりのまとめかたを身につけていれば、実はそれほど躊躇しなくても比較的スムーズに対応できます。

 北海道の公立高校入試って、実はこんなレベルなんです。
《引用終了》

=========================


<音読トレーニング>
  日本語の音読トレーニングをしてみたらすぐにわかります。子供たちは読めていません、なんとなく「眺めて」読めたつもりになっているケースが多いのです。
 読めない漢字、意味のわからない漢字は読み飛ばします、「てにをは」を頻繁に読み違えます。ひらがなの続くところでつかえるのは、先読みできていないのでどこで切ったら良いのかわからないからです。上下に目を移動しながら読んでいるときに、下まで読み終わる前に目を上に送って「先読み」ができません。下の塊を頭の中に記憶しておいて、頭の中の文章を読みながら目の方は上段に移して頭の中で読んでしまわないと、行を変わる部分がスムーズに読めません。
 初見の本をよどみなく読むというのはじつにさまざまな技が習得できていないとできないものです。これが完璧にできている中学3年生がいたら、学力は学年トップクラスでしょう。
 「朝読書(黙読)」を各学校でやっていますが、意味ありますか?2/3の生徒は読めていませんよ。音読させないで読めているかいないか判断できますか?できるとおっしゃる先生がいたら神様です。
 どうも学校というところは、PDCAサイクルで考えないのが習慣になっているように感じます。やらせっぱなしで確認をしない、目の前の生徒を見ていない、学力テストデータで目標設定がない、だからテスト結果での検証もない、民間企業では予算・決算の対比でなされる当たり前のことがさっぱりやられないようです。
 計画で目標数値を設定して、具体的な工夫をして計画値に実績を近づけていくのは当たり前ですが、学力テストの学年別・科目別目標平均点を設定している中学校は根室市内にありますか?日本全国探したって見つかりません。

 話を戻します。朝読書(黙読)よりも、たとえば、論語の素読と読み下し文の書き写しをしたほうがずっとましです。
 
 好奇心の赴くままにさまざまなジャンルの本を読み漁って、先読みの技を磨き、段落ごとの意味を保持し、さらに段落ごとの論理展開を追いながら読めたら、現代国語の問題も、社会科の科目も、数学も理科も、短時間で教科書レベルのことは簡単に理解できてしまいます。

 「読み・書き・そろばん」といいますが、先頭にある「読み」が一番大事なんですね。読みにはさまざまな技が含まれています。ぜひ、技の一つ一つを意識して濫読してください。

 わたしの小学生時代は、読みとそろばんの両方を鍛えました、基本トレーニングを欠かさなかった。北海道新聞の社説とコラム「卓上四季」を四年生から毎日読んでいました。3ヶ月間は国語辞典と漢和辞典のお世話になりましたが、後は楽です。すぐに一面の記事を読むようになり、語彙力が充実したお陰で、中学生になると濫読期が訪れました。高校2年生からは、公認会計士2次試験参考書の簿記論、会計学、原価計算論、経済学、経営学、監査論、商法などの専門書や『資本論』や哲学書を読み漁りました。小学校4年生からの3年間のトレーニングがそういうことを可能にしてくれました。
 そろばんも同級生が習っていて面白そうだったので、珠算塾へ通いました。いつのまにか頭の中でそろばんの玉がパチパチ弾けるようになっていました。お陰で、数学の問題は計算に頭を使わなくてすみました。文章読解だけに頭を使えば解けてしまいますから楽でした。会社で予算編成や予算管理、決算分析をするときにこの能力が役に立ちました。いつも頭の中で3桁に丸めてシミュレーションを繰り返していましたから、どこかで「異変」があればすぐにキャッチでき、対応策もあからじめ頭の中の暗算でシミュレーションしていたのですぐに決められました。便利なものです。
 書くほうもやっておけばよかった、やりかたがわかりませんでした。いまならわかります、良質のテクストを選び、毎日1ページ分くらい書き写すだけでいいのです。いいお手本を選び写す、たったそれだけです。
 基本トレーニング侮るべからず。



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 戦後のCIEによる国語力テストは大野晋『日本語の教室』153ページ参照
 当時行われた国語学力テストの問題文が155ページに載っている。

日本語の教室 (岩波新書)

日本語の教室 (岩波新書)

  • 作者: 大野 晋
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書

言葉力ドリル 実戦編―中学入試

言葉力ドリル 実戦編―中学入試

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2008/06
  • メディア: 単行本

#3053 「読み・書き・計算」基礎トレーニングの成果 Jun. 2, 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 中学1年生と2年生の二人が30分の時間差で補習授業に来た。先に来た2年生がうれしそうな顔で報告する。
 「先生、単元テストで98点とりました」
 「おお、よくやった、ついに結果が出たな」
 B4の用紙に裏表に計算問題と3の倍数の証明問題が載っている。1年前ならこの生徒は半分くらいしか手をつけられなかっただろう。計算速度が実に遅かったので、同じ計算問題を繰り返しやらせたが、なかなかやりたがらずてこずった。苦手なものはやりたくないのが通例だ。宿題にしてもほとんどやってこなかったから、嫌がるのを無理やり補習授業でやらせた。昨年4月に計測したら、速い生徒の1/35しか計算速度がなかった生徒である。だからほめてもほめ足りないくらいだ。1年間で計算力に途方もない差のあった生徒に勝ってしまった。勉強だけは結果が努力を裏切らないと言い続けた意味がわかっただろう。
 併行して今年になってから北海道新聞の「卓上四季」の視写を課した。書くのが遅いので速度アップのためにやらせたのである。最初は目標値の分速40文字に対して15文字弱だった。1ヶ月ほどずるけていたこともあるが、努力をサボるとそれなりの結果がでる。補習授業のときに北海道新聞「卓上四季」を視写させてチェックしたら、分速30文字まで改善していたのに26文字に後退していた。
 「ほら、こういうことになる、サボると元に戻る。分速40文字書けるようになったら元には戻らなくなるから、これから3ヶ月しっかりやれ」
 このトレーニングには副産物があった。小さい字できれいに書けるようになった。「小さい字で書け」とはいったが、字がきれいになることは期待していなかった。字が撥ねる悪筆だったので、終筆をとめるように何度も何度も注意した。形がいびつで判読ができないひらがなの書き方も直した。現在は分速33文字だから、速度は当初の2倍以上になっている。これが計算速度にも影響したと考えてよいのだろう。
 なんてことはない、この1年間「読み、書き、計算」トレーニングを繰り返しただけである。学年50人中、数学の単元テストでついに学年トップになった。定期テストや学力テストでの五科目合計点や学年順位も上がり続けている。1学期末テストでは五科目合計点でさらに順位を上げるだろう。学年10番くらいなら2年生のうちに届きそうだ。

 おどろいたのはこんな簡単なテストで百点が一人もいないことである。3の倍数に関する証明問題が一つだけ出題されていたが、あとは計算問題と等式の変形の問題だけだから、10年前なら学年85人中5人は百点が出ただろう。

 1年生がいった。
 「単元テスト、僕百点だったよ、他には百点がいなかったから一番だった」
 「君は百点であたりまえだ、「正負の数」のところだけだろう、お迎えテストでも総合点で学年トップなのだから当然のことだ、でもよくやった」

 「予定より遅れているからスピードアップしてさっさと問題を解こう」といわれて、少し不満気だ。高校生の女の子が、「あんたは百点で当たり前でしょ」と横から口を出す。数学はよくできるので塾生の間では期待値が高い、文章題が半分あっても2回に1度は百点だろう。
 簡単な計算力テストで1年生の平均点が65点付近にあるようだ。東京の中学校でやったら80点を超えるだろう。この程度の計算問題で平均点がほんとうに65点なら、80点以下の生徒は計算力に問題があるから、部活を休ませて放課後補習をやるべきだ。計算力は「方程式」の単元はもちろんのこと、「比例と反比例」「図形」でも基礎部分をなしているのでおろそかにしてはいけない。2年生になってからの数学の学力に大きく影響する。
 この中1の生徒は今日は反比例と比例のグラフの交点座標と面積の複合問題をやっていた。夏休み終了までに塾用の1年数学問題集を全部やり終えさせるスケジュールで勉強させており、ハードルはかなり高い。夏休み明けから難易度が高めの中2の問題集をやる予定だ。学年トップを取ることが目標ではない、たかだか50人足らずの小規模の学校で難易度の低い問題で学年1番をとることにさしたる意味はない。
 難易度の高い問題にトライしつつ消化速度を上げて、中学生の内に数ⅠAと数ⅡBを、高校1年生で数Ⅲをやりきること、そして英字新聞を読めるレベルまで英語力を上げることを念頭においた指導をしている。もちろんこういう戦略を採用したのは理由があるが、書かないでおこう。本人の進路希望にそった最適戦略ではある。
 この生徒は「お迎えテスト(文協学力テスト)」で数学も国語も90点を超えたが、国語が学力テストで常時90点を超えられるかどうかも大事なポイントだ。そのために通常の国語の問題集を解かずに語彙力問題集(『言葉力ドリル』)をやり、併行して1年半にわたって音読トレーニングをしてきた。文章から具体的な情景がイメージできないタイプの生徒なので工夫がいる。数学の問題からは図形の具体的なイメージを形成することができるのだが、短歌から雄大な自然の情景がイメージできない。
 小説家や文学者になるわけではないから、文章を論理的に読めればそれで十分だ。斉藤孝の音読破シリーズ2冊と『声に出して読みたい日本語』の「1」と「2」の2冊を音読授業で消化した。所々遊びと解説を入れながらやったから、楽しかっただろう。
 準備運動期間が終わったので、そろそろ次のステップへ踏み込む時期だから、高速音読トレーニングを今日から始めた。斉藤孝『読書力』(岩波新書)を段落ごとに交代で読む。意識して速度をアップして手本を見せるが、当分の間は真似ができない。しかし、平均的な中1の生徒に比べると読める漢字の範囲が広いし読む速度も大きい。だが、速度を上げると誤読(先読みの際に知っている別の漢字に置き換わってしまうことや「てにをは」の読み違い等)の頻度が大きくなる。具体的な目標やチェックポイントを指示しながら丁寧な高速音読トレーニングをやるつもりだ(興味を広げて濫読をするかどうかは本人次第、こればっかりは自発性がないと無理である)。
 縦書きの本だから、行の下まで読んだら次の行を先読みしていないとスムーズに読めない。そこに意識を集中して読むように注意した。先読みスキルの練磨がしばらく続くことになる。先読みの際にそのセンテンスの文意まで適確につかまないとスムーズな折り返しはできないから、案外むずかしい。高速音読はトップクラスの生徒でも頭をフル回転させないとできない。
 高速音読だから短時間でたくさん読める。授業の前に10~15分やるだけで、今年は3冊消化することになる。読むテクストの質を上げていくので、論説文の読解力が確実に身につく。読んだ文章に出てきた漢字の書き取りや意味調べも併行してやらせる、日本語語彙を増やしていくことも目的の一つである。

 河合塾の全国模試問題の国語は本文が20ページほどもあり、文章の難易度も高いから、いまからこうしたトレーニングを課しておけば、難易度の高い全国模試の国語でも90%前後の得点が可能になる。スピードと読解力が増せば他の科目の予習にとられる時間を削減できる。短い時間でたくさんの文章を読み、たくさんの問題を解けるようになる。
 目標は高校生になったときに、河合塾の全国模試で国数英3科目合計偏差値70をクリアすることだ。進研模試なら偏差値80超。クラスメイトが競争相手ではない。

<余談>
 中高の6年間、ゲームの時間を削って勉強に専念するだけで、その後の50年間の生活レベルがとてつもなく違ってくる。裏返して言うと、この6年間に部活三昧で、勉強の努力を怠った者にはそれなりの厳しい人生が待ち受けているということだ。
 現在の家庭環境がどうであろうと、中高生は学力で這い上がれる。這い上がりたかったら、たった6年間だけでよいから、死に物狂いで勉強してみたら?

<余談-2>
 高速音読でとりあげる予定のテクスト。
 『国家の品格』藤原昌彦著
 『風姿花伝』世阿弥著・林望訳
 『方法序説』デカルト
 『春宵十話』岡潔

 いまのところ、予定しているのはこれだけだが、もう数冊読めそうだから、追加を考えておく。新書版の専門書の入門書(医学と経済学)で2冊、日本の古典文学から2冊。高速音読には適さないが、万葉集、奥の細道が日本的情緒を育むにはいいし、読みやすさを考慮するなら徒然草や方丈記も良書である。「すらすら読める」シリーズから、枕草子を原文対訳で読むというのも日本的情緒を育みながら楽しめる。

  学部のゼミの指導教授であった市倉宏祐先生の翻訳書がいくつかあるが哲学科の学生でないととても無理だから、『和辻哲郎の視圏』と和辻哲郎著『古寺巡礼』を一緒に読むというのが面白そうだ。西洋哲学に興味が出れば『ハイデガーとサルトルと詩人たち』や『現代フランス思想への誘い』も候補に入るかも知れぬ。これらですら普通の高校生が読むようなレベルの本ではない。
 これも新書版ではないが内田義彦先生の『内田義彦の世界1913-1989』も読む価値のある本だ。商学部会計学科の学生だったときに内田先生の経済学の講義を聴いた。使われたテクストは『経済学の生誕』だったような気がする。大学院の学内試験の口頭試問では30人ほど並んだ真ん中に座っておられた。経済学研究科長ではなく大学院長だった。
 大学院時代に1年間学んだ増田四郎先生がおそらく弟子の阿部謹也さんの『中世の窓から』に刺激を受けて書いたと思われる『西洋中世世界の成立』も、若い人たちには刺激の多い本だろう。専門家が専門分野について書いた本だから学問の臭いを嗅ぐには好適だ。
 新書版以外は生徒の興味と好奇心次第としておこう。

(こんな程度のことは塾でトレーニングしてもらわなくても、成績上位の生徒は自力でできる。わたしは小学4年生のときから北海道新聞の卓上四季と社説を国語辞典を引きながら読み始めた。当時の新聞はルビが振ってあった。中学時代は光洋中学校の図書室にあったSF小説の濫読をした。高校時代は簿記・会計学・原価計算論・経済学・哲学などの専門書を片っ端から自力で読み漁った。だから、ある水準を超えた成績上位層の生徒には、例として挙げた本を音読トレーニング教材として十分に使えると判断している。)


*#2647 問題消化速度1対35の衝撃(1):学習量=速度×集中力強度×時間 Apr.18, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-17-1

 #2649 問題消化速度1対35の衝撃(2):学習量=速度×集中力強度×時間 Apr.18, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-19

 #2815 一日を48時間にする魔法:国語B問題の改善されぬ正答率を考える Sep. 21, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21

 #3034 低学力の実情:ゲームやってもいい? Apr. 25, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-04-25



<関連テーマ>
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*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14

*#2595 イメージの力(2): 6タイプに分類 Feb.16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16

*#2597 イメージの力(3):Aとnon-A型について  Feb. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16-2

 #2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16

 #2749 記数法とn進数についての質問あり July 27, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-27
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読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/11/20
  • メディア: 新書

すらすら読める風姿花伝

すらすら読める風姿花伝

  • 作者: 林 望
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/12/13
  • メディア: 単行本

読書と社会科学 (岩波新書)

読書と社会科学 (岩波新書)

  • 作者: 内田 義彦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1985/01/21
  • メディア: 新書


春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

  • 作者: 岡 潔
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/10/12
  • メディア: 文庫



和辻哲郎の視圏―古寺巡礼・倫理学・桂離宮

和辻哲郎の視圏―古寺巡礼・倫理学・桂離宮

  • 作者: 市倉 宏祐
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2005/02
  • メディア: 単行本
ハイデガーとサルトルと詩人たち (NHKブックス)

ハイデガーとサルトルと詩人たち (NHKブックス)

  • 作者: 市倉 宏祐
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 1997/10
  • メディア: 単行本
現代フランス思想への誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ

現代フランス思想への誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ

  • 作者: 市倉 宏祐
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1986/04/30
  • メディア: 単行本


内田義彦の世界 1913-1989 〔生命・芸術そして学問〕

内田義彦の世界 1913-1989 〔生命・芸術そして学問〕

  • 作者: 内田 義彦
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2014/03/21
  • メディア: 単行本


西洋中世世界の成立 (講談社学術文庫 (1241))

西洋中世世界の成立 (講談社学術文庫 (1241))

  • 作者: 増田 四郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: 文庫

#3007 高校受験が終わった生徒たちは本を読め  Mar. 21, 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 道立高校の合否発表が17日にあって、数学と英語の「宿題」を渡されたから、まずそれをきちんと片付けること。小学生ではないのだが、数学の「宿題」は31ページもある。高校生になったら、宿題なんぞ出されなくても勉強はするものだ。

 根室高校普通科へ進学した生徒には7月の進研模試がまっている。数学と英語の平均点は毎年20~30点の範囲内におさまっている。全国レベルの難易度のテストでは百点満点でこのありさまだ、釧路湖陵は60点を超えていると聞いた。

 高校の勉強で一番大事なのは国語だ。英語をのぞいた教科の授業は日本語で行われるから、本を速く読み、意味がつかめないと全教科の成績に重大な影響がある。中学校のように「復習方式」で勉強していたら、学力は見る見る下がっていく、高校の各教科は中学校のときとは比較にならぬほど急激に難易度が上がる。
 教科書と副読本、教科書準拠問題集を受け取って、その分量の多いこと、重いことに驚くだろう。通学用の鞄(リックサック)が3年間壊れずにすむ生徒はほとんどいない。重さに耐えかねて頑丈なものでも壊れてしまう。

 1月と2月に行われた2年生の進研模試国語問題の分量を具体的に紹介したい。

 【1月模試】問題文全文27ページ
  現代文問題1(論説文): 4ページ
  現代文問題2(小説)  : 5ページ
  漢文           : 1ページ
 【2月模試】問題文全文45ページ
  現代文問題1(論説文): 8ページ
  現代文問題2(小説)  : 7.5ページ
  古文           : 1ページ
  漢文           : 1ページ


 本文だけで1月模試が10ページ、2月模試は17.5ページの分量である。このほかに設問文があって、それぞれ合計ページ数が27ページと45ページである。
 試験時間は80分だがこの時間で全部の問題を読みきり、記述式問題に適確に答えるには、相応の読書スピードを要求される。2月の記述式問題で要求される水準のスピードと読解力をもつ生徒は学年120人中わすか2~3人だろう。

 中学校時代に受けていた全国最低レベル難易度の文協学力テストとはまるで別世界で学習することになる。たくさん本を読み、予習方式で3年間勉強しなければとても大学受験などできない。
 ちなみに、文協学力テスト五科目500点満点で、400点は市街化地域の3校中学校で学年トップか4番までの順位が確保できたが、全国模試では偏差値45~48である。
 どういうことかというと、全国の普通科の生徒の平均が偏差値50であるから、真ん中にも届かないレベルだということ。

 難易度の低い問題に慣れきっているから、全国模試の複合問題が手がつけられずに全滅になる。全国模試の数学問題はセンター試験レベルの難易度の複合問題が半分含まれているから、学校の授業だけで50点以上をとることは不可能である。もちろん、根室高校の先生たちは、進学講習と称してしょっちゅう補習をしてくれるが、自分で問題を解かないと実力アップできないのは中学時代と同じだ。

 偏差値50以上の大学(真ん中より上の大学)へ進学したければ、学校の授業を予習方式で勉強して、難易度の高い問題集を使ってトレーニングするしかない。偏差値40の大学は低学力の証明になってしまう。学力レベルでみたら「大卒」の値打ちはない。偏差値40は下位16%である。百校大学があると仮定したら、下から16番目ということだ。

 ついでだから英語長文問題も紹介しておく。ページ数は長文本文のみだから設問文は別。設問にもけっこうな分量の英文が含まれている。
 【1月模試】      2題: 3.5ページ
 【2月模試(筆記)】 4題: 7.5ページ

 さあ、高校新入生、3年間は中学時代の2倍の速度で過ぎていくぞ、先輩たちに訊いてみたらいい、あっというまに高校生活は終わる。時間を無駄にするな、一生の大半は高校時代の勉強にかかっている。

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<余談1:授業速度が年々低下している>
 根室高校普通科2年生の数学授業の進捗について書いておく。
 8年前は数Bは群数列を1月にやっていたのだが、毎年すこしずつ遅れて、今年は学年末テスト範囲の漸化式も群数列も入らなかった。3月になってからようやく今週(?)群数列を終了したようだ。数Ⅱも学年末テストで積分の面積問題が範囲外だった。
 入学してくる生徒の学力が年々低下しているから、授業速度を上げられないという事情があるのだろう。
 再来年から西高校がなくなって、根室高校普通科は「総合学科」となるようだが、数学の授業はどうなるのだろう?一間口(40人)増設されるから、全国模試で百点満点で数学が10点未満の生徒が40人増えることになる。落第はさせないだろうから、著しい学力低下が招来される。いまのところ、対応策は聞こえてこない。このままでは2年後にいきなりクラッシュが起きる。
 根室の経済諸団体、市議会、根室市教委のみなさん、根室高校に何か注文をつけることはないのかね。手が打てなければ、10年後には根室の地域経済の衰退がなおいっそう加速してしまう。
 問題山積みでも、その山を崩せる人材がいまですらいない。今後20年さらに人材枯渇が続いたら根室の町はどうなるのだろう?根室に住む大人たちがいましっかりしないと、根室で暮らす子どもや孫の未来はたいへんだ。

<余談2:読書>
 高2の生徒が福田恒存(フクダツネアリの恒の字は旧字である)訳の『ハムレット』を読んでいた。「最近、模試の国語の点数が低下気味なの」とつぶやいていた。本を読む速度は大きいのだが、深く読んでいないからだろう。哲学書に興味が出ると深読みに慣れてくるのだが、興味が出なければ無理だ。1行や1ページの文の理解に数日費やすくらいのことを繰り返したら、格段に深読みできるようになるものだ。
 彼女は難易度の高そうな、現代文の問題集を本屋で選んできた。1冊やればそれなりの収穫はある。
 『ハムレット』を読み終わったら、貸してくれた。日曜日に読んで返そう。昨年は生徒たちに付き合って、かれらが読む本を20冊ほど読んでみた。感想は「本を読む」というカテゴリーにまとめてある。

<余談3:所得低下に伴う大人の学力低下メカニズム>
 日本総研理事長寺島実郎が昨日のNHKラジオで気になることを言っていた。この十年間で世帯当たりの所得が47.3万円/月から42.4万円/月に減少した。月額4.9万円の減少である。なにが削られたかというと、書籍購入費や新聞代である。その一方で携帯電話がスマホになり支出が増えている。次世代をになう者たちの学力低下が社会人となってからも続くところが以前とは異なっている。国力維持という点からは子どもと大人(=国民)の学力低下は由々しき問題である、そういう主張だった。

<余談4:政府財政破綻が現実になりそうな気配が漂ってきた>
 厚労省発表の最新のデータ「国民生活基礎調査」では、世帯当たりの所得の中央値は432万円だそうだ。夫婦で年額432万円稼いでいることになる。月額36万円が中央値(全世帯を所得順に並べたら、ちょうど真ん中に相当する世帯の所得)である。年金暮らしの老人割合が年々増加しているから、今後もずっと下がり続ける。世帯当たりの所得が低下すれば、消費の減少は避けられない。日本では世帯数の減少(人口減少=少子高齢化)と世帯当たりの平均所得の両方が同時に低下し続けている。この傾向は30年間は変わらないから国民所得全体が長期にわたって減り続けることになる。
 こうしたデータから、アベノミクスの「成長路線」はまやかしであると言える。ピーヒャラ、ピーヒャラ、笛に浮かれて国民というネズミの群れが岸壁に近づいている。もうすぐ次々に岸壁から海へ飛び込んでおぼれ死ぬことになりそうだ。先に何が待っているのか、自分たちの頭で考え、笛に浮かれるのをやめられるだけの学力や判断力が残っていればいいのだが・・・

 日銀黒田総裁がBIS規制の変更で、銀行保有の国債の扱いが変わることに懸念を表明している。銀行保有の国債がリスク資産として扱われるように規制が変更になれば、大手邦銀から大量の国際が市場で売却されることになりかねない。日銀が買い支えたら、世界の金融機関から日銀と日本政府財政は信用を失ってしまう。問題を先送りしているから、切羽詰ってきた。

 日銀の信用失墜と日本政府財政破綻がいつ起きて無不思議ではないような状況が目の前に現れつつある。夕張市で起きたことが日本の国全体で再現される。公務員の皆さんも、国や地方自治体に寄りかかって甘い経営をしている企業も覚悟はしておいたほうがいい。おそらくもうだれにもとめられない。
 ピーヒャラ♪ ピーヒャラ♪ ~


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ハムレット (新潮文庫)

ハムレット (新潮文庫)

  • 作者: ウィリアム シェイクスピア
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/09/27
  • メディア: 文庫


#2998 電子辞書かそれとも紙の辞書か? Mar.13. 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 中2の生徒が「ストロンジャってなんですか?」と質問を投げてきた。なにかなと思ってみたら、strongerだった。「それストロンガー、意味は'強い'」と応えてから、「辞書は使っている?」と訊いてみた。「電子辞書を使ってます」とこたえた。
「どういう問題?」
 アンテナに引っかかるものがあったので、問題文を見た。

  This bag is stronger than that one.

 この文を和訳せよという問題だった。他の生徒をみたら「このかばんはあのかばんより強い」と訳した生徒と「このかばんはあのかばんよりも丈夫だ」と訳した生徒がいた。もちろん、「丈夫だ」が正解である。こういう細かいところをおろそかにしてはいけないのである、じつに重要な部分なのだ。高校、大学と進むにしたがって、辞書を引く前に最適な日本語の訳語が頭に浮かぶようになり、確認のために辞書を引くように変わる。そのあたりから邪魔な日本語訳が載っていない英英辞典がよくなってくる。

 「鞄が強い」という日本語を書いて違和感を抱かないのは日本語の語感あるいは日本語語彙の運用能力に問題ありと考えるべきだろう。「鞄+強い=鞄が丈夫だ」くらいの日本語の語感は育てておきたい。日本語語彙の運用能力が英語力に密接に関連していることがこの一事からもわかる。小学校から英語を習っていても高校になってぴたりと成長が止まる生徒が多いのは、日本語の語彙の貧弱さや、日本語の語感の鈍さに起因している場合が多いのである。小学校から英語を習っていても、高校で英検準2級どまりの生徒がほとんど。日本語の語感の鈍い生徒は英語の語感も相応に鈍い。だから、小学生や中学生の時期に一度、日本語の良質のテクスト(ジャンルはなんでもいい)の濫読期を通過しておかねばならない。体の成長に合わせて読むテクストのレベルを上げていくべきことはいうまでもない。それは精神の成長の滋養になる。

 電子辞書を使うと、「強い」という意味が最初に出てくる。スクロールすると「丈夫」という意味が出てくる。紙の辞書だと1番目も2番目も3番目も一緒に視界に入るから、いろんな意味のあることがわかる。だからstrongの意味全体のイメージを作りやすい。
 腕力が強いのも、珈琲が濃いのも、香水の匂いがきついのも、酒のアルコール度数が大きいのも、体が頑健なのもstrongである。
 後志のおじさんが言っていたが、辞書を引くたびにその単語のイメージを思い浮かべることを習慣にしている人とそうでない人は、年数がたつごとに英語力の差が広がっていくという。だったら、初学の生徒たちは英語の勉強に電子辞書を使ってはいけない。

 E-Gateという辞書があるが、これはstrongのいろいろな意味が、囲みの中にまとめて表記されているから、一目で全体が見渡せる。単語から、その意味をイメージしやすい辞書だ。意味の図解もふんだんに載っている。前置詞のそれらの図は大変参考になる。もちろん、それらの記号風のイラストが付してある項目はすくない。基本動詞の一部と、一部の名詞、そして前置詞と一部の副詞のみであるのだが、少ないがとっても役に立つ。他の辞書でもこういうイラストによる説明の載っているものがあるかもしれない。私自身は普段は「GENIUS4版」を使っている。英字新聞を読むのにE-Gateでは収載項目数が少なすぎるからである。
 「GENIUS 5版」が昨年暮れに出された。8年ぶりの改訂で、前置詞のイメージと他の前置詞との関連がイラストで説明されているようだ。ジーニアスは出版された当時から版が変わるたびに購入して利用している。
(英英辞典はCALD、Longman Essencial Activator, Collins Coubild Advanced Learner's Dictionaryを利用している。コリンズ・コウビルドは1987年にコーパスを利用した最初の辞書としてデビューして以来何度か買い換えている。個性の強い辞書で、便利でもあるところがときに不便でもある、でも好きな辞書の一つだ。 ああ、もう一冊、マクミランがあった。
 どれが一番いいということはない、それぞれに特徴があり、わたしには優劣がつけがたいのである。気になると何冊も同じ項目をあたって比較してみるがそれは楽しい作業だ。もちろん、ネット辞書も主要なものは「お気に入り」に登録しているので、どれにするかは気分しだい。)

 たとえば、currentには電流、潮流、風潮などの意味があるが、E-Gateでは二重の波線の図が差し込まれて、空気や水の流れを想起するようになっている。記号化されたイラストが語彙のイメージを脳内に形作るのに便利であることがお分かりいただけるだろう。

 生徒にstrongの項を開いて見せて、電子辞書ではこの一番上しかみられない、「丈夫」という意味はスクロールしないと現れないが、紙の辞書は視線を走らせるだけでサーチできるから、適切な訳語を探したり、単語の意味の根本的なイメージをつかむには紙の辞書のほうが断然有利なんだと説明した
 中学生や高校1年生が電子辞書だけで英語の勉強をしていたら、英語力の伸びを押さえているようなものだ

 弊ブログに投稿欄の常連の一人であるHirosukeさんも、高校生が電子辞書を使うのはよくない、紙の辞書を使うべきだと主張して、毎年新しい辞書を並べてその優劣を論評しているから彼のブログものぞいてみたらいい。

*「目的・目標レベル別 英語の良い辞書、悪い辞書」
http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2006-09-10


 教科書や問題集、副読本がびっしりで高校生の鞄(リックサック)はとっても重くなっているから、紙の辞書が入らないのはわかる、だから学校で電子辞書を使うのは仕方がないが、家では紙の辞書を使って勉強しよう。3年間で大きな差が出てる。

 根室市内の中学校で生徒に英語の辞書を使わせないのはどういう了見だろう?
 
小学校では国語辞書を引くトレーニングをしているが、市街化地域の3中学校では英和辞典を引くトレーニングをしていない。一度も英和辞典を引かずに、大半の生徒が高校へ進学している。高校では新入生に「オールイングリッシュ」授業をためすも、無駄なことをさとるのか2年生の授業では日本語が大半の建前だけの「オールイングリッシュ」授業になっている。

 団塊世代で中学校で英和辞典を使わなかった生徒はほとんどいない、同級生はみんな辞書を引いていた。いつからこういう風に辞書を使わなくなったのか、根室(北海道?)の中学生の英語の学習に英和辞典は必要なしとでもいうのだろうか?中学校英語授業の改善を望みたい。


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#2815 一日を48時間にする魔法:国語B問題の改善されぬ正答率を考える Sep. 21, 2014 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 晴天、根室は今日さんま祭り、ロードバイクに乗って本局で封書を出すついでに11時半頃会場へ回ってみた。会場は人でごった返していた。北方領土の署名をやっているところでバイクを置いて、署名をお願いしている女子高生の笑顔がよかったので、早速署名した。
 サンマを焼く煙がたなびいて、会場に設営された舞台がかすんでいる。好例のサンマつかみ取りがたのしそうだ。秋刀魚のたっぷり入った70cm四方くらいの開口部の水槽へ両手を入れてわっとざるを構えているおっさんの方へ放る。上手に入れられない人には追加で10尾ほども入れてあげていた。「遠軽だって!」と氷の量を調整していた。
  サンマを焼く場所はドラム缶を半分に切ったものに炭を入れて三列、長さにして100mほどもあるのではないだろうか、晴天に恵まれた会場はサンマを焼く煙でモウモウ、楽しそうな顔でビールを飲みながらサンマをつついている40前後の大人たち、人間のサンマ風味の燻製が出来上がりそうだ、好天気に恵まれ、みんな笑顔でにぎやか。(笑)
 あとで、携帯でとってきた写真をアップします。

<問題提起>
 さて、本題に移ろう。
 全国学力テストにはA問題とB問題がある。A問題は基本問題で基礎的技能を測定し、B問題は学校で習っていなくても自分の頭で考えることができるかどうかを測定するもの。
 国際的な「学力テスト」にOECDがやっているPISAというテストがある。これは高1が対象だ。
「PISA調査では15歳児を対象に読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの三分野について、3年ごとに本調査を実施しています」
 PISAでは日本の高1は平均点はそこそこなのだが、考える問題に無回答が多い。
 そうじて日本の生徒たちは自分で課題を見つけ、自分で考えるということが苦手だという傾向があるということになっている。
 OECD諸国では哲学が正規科目として設定されていない日本のような国はあまりないのではないか。哲学は思索そのものであり、中学校でも高校でもそれが教科として存在しないこととの関連を主張する「有識者」がいないのはどういうことだろう。諸学の根源をなす哲学が科目として教えられてなければ、「自分で課題を見つけ、自分の頭で考える」トレーニングが系統だってなされていないことになり、PISAではそれがハンディになっているはずだ。この問題はあとでとりあげる。

 PISAと共通の問題がありそうだが、全国学力テストの結果から悲しい現実が見えてくる。毎年学力テストが行われているが、B問題の点数が上がらぬという現実がそれである。いろいろやっているのだろうが、B問題の正答率が上がらない、むしろ下がっているという事実を見ると努力の方向が見当違いかもしれないという疑問が湧いて当然だろう。

<全国学力テスト問題別正答率データ>
 そこでまずデータをみてもらいたい。今年度の学力テストの数値データ公表は11月頃になるらしいから、昨年H25年度のデータを北海道教育委員会のホームページから引っ張ってEXCELで整理してみた。
H25年*http://www.curricen2.hokkaido-c.ed.jp/houkoku/H251105/26absoukan.pdf
H24年*http://www.curricen.hokkaido-c.ed.jp/dokyoi/houkoku/H241126/17soukan_h2411.pdf


平成25年全国学力テストデータ全道1053校
 秋田県全国全道全道-全国相関係数
小6国語A71.762.760.4-2.30.723
小6国語B59.149.446.4-3.0 
合計130.8112.1106.8-5.3 
      
小6算数A82.877.274.9-8.30.773
小6算数B67.174.954.0-13.6 
合計149.9152.1128.9-21.9 
全道623校
 秋田県全国全道全道-全国相関係数
中3国語A81.976.476.0-0.40.859
中3国語B74.667.466.2-1.2 
合計156.5143.8142.2-1.6 
   
中3数学A68.963.762.3-1.4相関係数
中3数学B47.541.539.1-2.40.914
合計116.4105.2101.4-3.8 



<データからの推論>
 小6と中3の問題ABの相関係数(r)にずいぶん開きがある。小6では国語は0.723、算数が0.773なのに対して、中3では国語0.859、数学0.914と相関がより強い。
 これらのデータから小学生はAの基本問題ができなくてもBの記述式問題や文章題ができる生徒が多少いるが、中3になるとそういう余地がほとんどなくなるという推測が成立つ。大胆に言うと、中学3年生になったら、「読み・書き・そろばん(計算)」の基礎技能に問題のある生徒は国語も数学もB問題に手も足もでなくなるということ。高校生になったら基礎技能に問題のある生徒は90%以上の確率でもう這い上がれないだろうということ。
 データから推測できることは、学力の低い生徒は数学の文章題は問題文すら読まない傾向が大きくなる。読んでもわかりっこないから中3で低学力の生徒にはついにあきらめて問題文すらまったく読まなくなってしまう。この推測は12年間に渡り塾で生徒たちを見てきた観測事実と一致する。

<データに基く推論と観測事実との対比>
 わずか2行の問題文を読むのに1分以上かかり、わずか2行の文なのにその中に読めない単語があったりする。
(「・・・表す」の意味がわからなくて、「先生、ヒョウスってなんですか」と質問したのは中学何年生だったか。「あらわす」って読むんだと伝えたら、「なーんだ」とうれしそうな照れくさそうな顔をしたっけ)
 速度が遅い、そしてつっかえつっかえ読むから、文の前段が後段を読んでいるときには頭の中から消えてしまっている。読み込む速度が遅いとこういうことすら起きてしまう。前段を無視したら、式が立てられるはずがない。
 読み込む速度の大きい生徒は、問題文を一気に頭の中に展開して、図や表をイメージし始める。ところどころメモって確認してすぐに式を導くことができる。慣れてきたら頭の中で立式まで処理できる。

<低学力化メカニズム> 
 ところが問題文を読み込む速度が小さかったり日本語の読解力が貧弱な生徒は、読むところでつかえて、そこから先に進めないから、図や表をイメージするトレーニングを積めない
 こういうメカニズムで数学の文章題(問題B)にも文章読解力の低さが影響していると推測できる。
 数学B問題の正答率は39.1%。恐るべし。文章読解力の差、そして文章を具体的な図や表にイメージ化できる能力、それらの差がB問題に正答率に大きく影響しているとわたしは考えている。

 数学B問題の正答率が低いのは文章読解力(読む速度+文全体の把握)に問題があるとすると、それを改善するためには国語力のアップが数学の学力アップにも効くことがわかる。

 小学校で少年団活動を熱心にやる生徒は勉強そっちのけ、本は読まない、ゲーム三昧の者がかなりの割合でいる。3年間そんな生活を続けたら、それはすっかり生活習慣化してしまい、中学校のブカツでますます「生活習慣病」を助長し、ついには性格にまでなってしまう。その結果、読む速度が極端に遅く、文章の読解力や語彙力が小学4年生以下の中学生ができあがる。こういう生徒はだいたい書くの(アウトプット)も遅い。
 本を読まない生徒たちは文章語の大半が理解できないから、授業で先生が話す日本語語彙がしばしば理解できず、話の文脈が理解できないとか、(仲間同士での会話は成立っても)文章語を織り交ぜた筋道たった話がまったくできない、そうしたことが起きている。
 低学力層に読み書きが極端に遅い生徒がこの7年間ほどで急速に増えており、根室ではいまや中学生の30~40%がそうした生徒だ。この数年間プリントを多用する先生が増えて、黒板を写さなくなっていることも影響しているようだ。プリント主体の授業は生徒から書く機会を奪うので非常にまずいと思う。10年前に比べると読み・書きの極端に遅い生徒が10~25ポイントほども上昇している、"劇的変化"と言ってよい。
 こうした生徒の増加に対応して(先生たちは三年間ぐらいで他の学校に転任するので、10年間継続して同じ学校で生徒の変化を観測している先生がいないので気がついていないようだが)授業レベルや定期テストでの出題レベルが10年単位で見ると低下している。わかりやすい授業がいいものだという固定観念にとらわれると、際限なく授業レベルが下がっていくその結果定期テストの難易度も低下するのである。たしかに授業はわかりやすくなるが、それと同時に低学力化が進行する
 基本問題のトレーニングを徹底し、その上に難易度の高い問題をやることで本物の学力がつくのだから、難易度の高い問題を授業から排除してはいけない。
 市街化地域の3中学校の中には今年から数学の文章題を表を利用して解くことに力を入れ始めたところはある。全ての中学校で距離・時間・速さの問題や食塩・食塩水・濃度の問題も授業でしっかりやってもらいたい。表を上手に使えばこの二つの問題は同型であることが諒解できるから、教えることはそんなに難しくない。片方が理解できればもう一方も理解できる、まったくの同型なのである、要はそこに気がついて教えるか否かだ。
 中学生は高校生になるので、すでに根室高校普通科の定期テストやふだんの授業にまで小中学生の低学力化が影響している。根室高校普通科の定期テストの問題の難易度がはっきり低下し始めている。このままで高校統合がなされたら、統合後の高校の授業のレベル低下は目を覆うことになる。高校生の学力のさらなる低下を防ぐために、中・高の両方に具体的な対策が必要になるだろう。

 いままで述べてきたことをまとめると、次のような低学力化のシェーマがありそうだ。
 わかりやすい授業がいいという固定観念⇒授業レベルの低下⇒テスト難易度の低下⇒生徒の学力低下

 低学力の生徒にわかりやすい授業をするために標準レベルよりも授業やテストの難易度を下げる。たしかに授業はわかりやすくなるがそれはレベルを下げたからで、生徒の学力が向上したからではない。逆に難易度の高い問題を避けることでが学力は確実に低下してしまう。
 これから懸念されるのは直近2年間の道立高校入試問題の難易度が極端に低くなったことが及ぼす影響である。ふだんの学力テスト問題も難易度が低い。北海道の子どもたちは高校へ進学してから進研模試を受けて、全国レベルの試験問題の難易度の高さを知る。1年次の進研模試の平均点は数英がともに30点台が根室高校普通科の現実だ。難易度の高い複合問題が半分出題されるから、ほとんどの生徒はそこが攻略できないことになる。
 中・高でテスト問題と点数の分布や平均点を10年間追ってみたらたしかなデータで低学力化が進行している裏付けがとれるだろう。このシェーマはいまはたんなる假説である、しかし、かなり有力な假説だ。たとえば、根室高校普通科の数学の授業速度が低下すると同時に定期テストの難易度がじわじわ下がり続けている。

 たいへんだろうけれども、過去10年間のデータをもちよって分析し、小中高の先生たちが事実がどうなっているのか確認し、有効な対策になにがあるのか議論すべきだ。根室の市街化地域の3中学校の学力低下という危機意識を共有すべきだ。一番古い小学校と一番新しい中学校のように、小中では具体的な連携の動きが出てきている。これに高校が加わればいい。

<クロス集計データから見えてきたこと>
 同時に行われたアンケート調査とのクロス集計結果を見ると、先生たちの授業のやり方、意識のおき方で数学や算数は正答率に目だった差が出るが、国語は授業のやり方による格差は算数・数学に比べて小さい。たとえば、ふだんの授業で「作中人物の心情について説明しているか」というような具体的な質問が並んでいるがしていてもしなくても結果に大きな差がない。
 国語は授業以外にも本を読むことや、日常的な会話のレベルなどにも影響されるので授業による格差が小さいと推測できる。しかし、国語B問題の正解率が上がらない理由に構造的な問題が隠れており、基礎的技能の読みと書きのスピードに問題があるからB問題にチャレンジできないという假説が成立つ
*http://www.nier.go.jp/13chousakekkahoukoku/data/research-report/crosstab_report.pdf

<直線論理のメリットデメリット:日本の国語教育の欠陥>
 わたしは出口汪『日本語トレーニング』6冊を複数の小学生数名に3年間使ったことがある。論理エンジンでもつとに著名な著者の問題集はなかなかよくできており、受験勉強には有効な武器である。
 わたしは3年間このシリーズを使ってみて、いまは使っていない。理由がある。この先生の本に限らないが、解説が一本道なのである。
 論理思考が一本道というのは危険がある。ものごとをとらえるときに視点を変えるとまったく別の解釈の成り立つことがよくある。日本の国語教育にはそれが抜けている。川にたとえると、釧路湿原を流れる川は自然のままなら蛇行しているのが当たり前だ。出口汪の問題集の解説と解答は点と点を結んで定規で直線を引いているような感じがするのである。わたしはたまに別の考え方のあることを生徒に示すことにしている。
 社会科も棄て去られた古い通説が教科書に載っていることがある。鉄砲の伝来もその一例だろう。中国人の倭寇の王直が自分の船にポルトガル人と鉄砲を載せて運んできた。鉄砲の使用法を伝えるためにポルトガル人が必要だったのだろう。下世話な話に噛み砕いて書いてみると、中国貿易商の王さんが船に載せて鉄砲を運んできたのだから、鉄砲の伝来をしたのは中国人の貿易商だったというのが普通の感覚だろう。50年も前に出版された『日本の精神的風土』(飯塚浩二著・岩波新書・1952年刊)にもそうした事実が詳細に書かれてあった。日本通史を書いている『逆説の日本史』の著者も『逆説の日本史9戦国野望論 鉄砲の伝来と倭寇の謎』でその辺りの事情を詳述している。しかし、そうしたことを授業で話す中学社会科の教師はほとんどいない。
 教科書に書いてある通りに教えているようでは、成績上位の生徒は授業が楽しくない。広く流布している通説が間違いであることや、教科書に載っていることのほかにも異説のあることを、根拠(誰が、どの本の何ページでどういうことを書いているのか)を明示してもっと授業で展開していいのではないだろうか?そういう中で、相対的なものの見方や一つの現象に関していくつもの解釈が成り立つことを学び、思考の多様性を獲得できるのではないだろうか?
 どの教科も正解が一つで、単線的な論理が使われているように見えてしかたがない。

 さらに別な例を追加しておきたい。入試問題にまだ存命の作家の作品の一部を抜き出して「著者はどう考えているのか」というような設問がなされる。著者はそういう設問を見て、ぜんぜん違うとテレビで言っているのを何度か見た。
 作品に登場する人物がそれぞれどのように考えているのかという設問もしばしばなされる。ところが国語の先生の解説は一本道で、解答は一つだけ。こんなことを中学校3年間、高校3年間繰り返したら、多様な思考のできない人間が育ってしまうのは当たり前ではないのか?

 視点をずらしてものごとをみるとか、文章を読むというトレーニングは実はたいへん重要なのではないだろうか?自分の頭で考えるということは、他人とは違う視点で、自分独自の視点でものごとを見るということでもある。「読み」には大勢の人で共通部分もあるがそうでない部分もある、そうした多様性を意識した読みのトレーニングをふだんの国語の授業でやるべきではないのか?

 国語問題の出題者の意図は案外単純で、視点を固定して特定の見方を正解とするのが普通だ。正解が二つとか三つあるような出題はしない。二つも三つもある場合は、意図せずそうなってしまっただけのことで、例外だろう。
 出口汪氏のつくられた問題集のようなすぐれたものを利用してトレーニングすれば、学力テストの点数や受験勉強でいい成績を獲ることはできるだろう。しかし、自分で課題を見つけ出し、自分の頭で考えるような人間はこのようなトレーニングでは遂に育たないのではないだろうか?

<日本の国語教育の欠陥の具体例:個人的な経験から>
 わたしは高校1年生のときに現代国語が大嫌いだった。定年3年前の老先生の感性で滔々と解説されてもまったく共感できなかった。作家が若いときに書いたものを定年間近の国語教師が自分の感性で解説し、老先生の意見をそのまま答案に書かないと正解とならないのだが、解釈問題は自分の考えを答案に書いた。高校一年間は現代国語のみ3が続いた。反抗的だと勘違いしたのかも知れぬ、自分の気持ちに素直だっただけなのだが、老先生の印象をたいそう悪くしたようだ。ばつをつけられることは百も承知で、ペナルティは覚悟の上で自分の感じたことを書き続けた。可愛げがない生徒で腹立たしかったに違いない。2年次にクラス替えで放り出されたが、受け入れてくれた新しい担任が「何をしたんだ、ほんとうはお前は元のクラスだったんだが・・・」と笑いながら話してくれた。それぞれ得意とするジャンルは違うが、元のクラスから「規格外」で放り出された異質なタイプの生徒が何人かいた面白いクラスだった。不思議なことにまとまりはよかった、好きなことを遠慮なく言い合う活発なクラスだった。だから放り出してくれた国語の老先生に感謝している。きっと相性が悪かっただけ、一人ぐらいそういう先生のいた方が成長の糧にはなる。正面からぶつかることでお互いを理解できるものだ。
 先生たちの名誉のために書いておくが、学識のしっかりした先生、教えることに情熱を感じる先生が三人に一人はいた。2年生になってS先生に現代国語の担当が代わって軋轢がなくなった。30代で空手をやっている先生で馬が合った。

<異なる学説を高校生の時代に学ぶことの重要性>
 複数の視点あるいは対立する視点から思索した経験を高校生や大学生のために書いておく。
 高校2年生のときに公認会計士の受験勉強を始めたが、すこし学習が進むと会計学と簿記論の分野で東大の黒澤清先生と一ツ橋の沼田嘉穂先生という学説の対立する学者がいることを知った。両方の先生の本を選んで比較しながら読むようになった。対立する学説を読むことで、簿記論と会計学の全体がよく見えてくる。経済学へ興味が移り、公認会計士受験に興味が急速に失われていったが、大学生になってから沼田先生が企業会計原則批判をまとめて一冊の本を書かれたので夢中で読んだ。
 同時にやったのはこれも公認会計士二次試験科目である経済学だった。ケインズの学説の解説書を読んだあとで、マルクスが気になり、根室高校図書室にあった『資本論』を読んでみた。ケインズの解説書は高校生でも理解できるものだったが、マルクス『資本論』は百ページほど読み終わって、どこか深い森に迷い込んだ気がしたものだ。学説が違うと同じ経済現象の理論化にこれほど大きな隔たりが生じてしまうのだという現実にぶつかったのである。読解力を上げるとか思索を深めるというのは良質のテクスト無しには成し遂げられないだろう。ついでにヘーゲル論理学もハードカバーのものを手にとって眺めた気がする。マルクス『資本論』との関係がさっぱり見えてこなかったことだけはたしかだ。あのときはヘーゲルの著作を読んでもわけがわからなかった。公認会計士2次試験参考書を梃子にして、それを超えて次々と学問への興味が炸裂していった、あの時期はなんだったのだろう、不思議な3年間だった。高校を卒業した翌年に、許萬元著『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』が出たので買って繰り返し読んでみたら、うっすらヘーゲル論理哲学の概要が見えてきたような気がしたが砂漠の蜃気楼のようなものだったかも知れぬ(笑)。『資本論』を読むのにヘーゲル哲学は要らない気がして、ゼミの市倉宏祐先生が訳したイポリットのヘーゲル研究書『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』上下2巻が大学4年のときに出版されたのだが、書棚を飾っただけで通して読まなかった。もったいないことをした気がする、しかし、これを精読していたら大学院は迷わず哲学研究科を選んだのだろう。わたしは経済学を選んだ、それでいいのである。
 『資本論』の体系構成の謎を研究するために、比較しながら『経済学批判要綱』(通称グルントリッセ)を読むのに夢中でヘーゲルまで読んでいる暇がなかったのが実情。たいした能力ではなかった、学部の学生のときはあれで精一杯だったのだから。それでも、グルントリッセを読むことで、『資本論』体系が従来の学説とはまったく異なるものであることに確信がもてた。ユークリッド『原論』と同じ演繹的な構成の経済学的諸概念の構造物だったのである。ついに従来の学説が根こそぎひっくり返ってしまった。そして抽象的人間労働を体系の端緒に措定したマルクス経済学の根本的な誤りに気づくのに二十年ほどを要した。職人仕事を経済学体系の端緒に措定すれば21世紀にふさわしい新しい経済学体系が創れるのである。スミス、リカード、マルクスと労働価値説が受け継がれてきたが、それとはまったく異なる経済学がありうる。名人の仕事も半端職人の仕事も同じだというのがマルクスの抽象的人間労働。民間企業で働いたことがなかったから、そんな素朴なことすらわからなかったのかもしれない。頭の中だけで経済学を創ろうとするとこういうことになるのだろう。経済学的な諸概念は現実の事象とぶつけてみたら真贋が容易にわかるものだ。
 従来の学説とは異なる視点で物事を見る、そういうことが学問の進歩のために重要なのだろう。だから、単線的な論理トレーニングに偏った現状の学校教育を変えるべきで、複線的な論理あるいは視点の相違による正解の多様化の世界を拓いて見せるべきなのだ。

<思考過程の対比:直線思考と蛇行思考>
  欧米の論理は企業戦略や国家戦略にその特徴がよく現れている。手順はおおまかに次のようになっている。
 ①戦略目標を設定
 ②戦略検討
 ③最適な戦略選択
 ④戦略のブレイクダウン
 ⑤戦術策定
 ⑥実施
 米国は日本潰しを戦略目標においた。日本が日清戦争に勝利し、ついで世界最大の陸軍国である帝政ロシアに日露戦争で勝利してしまったからである。あろうことか国際連盟で人種平等法案まで提出した。日本をこのままにしておいては白人の世界支配が終わりかねない。米国の支配層は危機感を抱いた、そしてそれにとどまらなかった。危機感の源泉であるアジアで唯一の帝国である日本をつぶすことが国家戦略目標となったのである。日本人を奴隷にしろというような過激な意見まで大真面目に議論されたようだ。当時は白人社会は人種差別が当たり前、そういう雰囲気があったのだろう。
 日本つぶしは米国の単独ではなくいくつかの植民地宗主国が連携してなされた。国のイニシャルと並べてABCD包囲網と呼ばれている。
 ブロック経済で日本を経済封鎖、欧米の植民地から石油が輸入できないようにした。ついで米国に供給を依存していた石油を止められた。石油が入ってこなければ、日本は石油供給基地としてインドネシアを確保せざるを得なくなる、南方進出のために戦端を開かざるを得なくなる。そしてその通りになった。米国は日本海軍が真珠湾を攻めることを知っていて、真珠湾の太平洋艦隊を見殺しにし、「リメンバー、パールハーバー」と国民を煽った、国内宣伝操作の巧い国だ。日本の暗号は全て解読されていた、すべては用意周到に用意されたのである。日本には相手の意図を察知して事前に予防の手を打つということがなかった、欧米の戦略思考に簡単にしてやられたのである。こういう状況はいまも変らない。日本は国家戦略目標に海外に依存しない経済体制を築き上げることをおくべきなのだ。このままでは、似たようなことが形を変えて繰り返されかねない。最悪の事態を予測して、それを防止する手段と手順を考え抜き、着実に実行する、日本人には苦手な思考法である。言霊の国に日本は、悪いことを予測することができない。悪いことを言葉にして考えると、言霊の呪術の力が働いて、その悪い事態が現実に起きてしまうと考えるからだ。だから天皇は日本国と国民の幸せだけを祈っている、未来に悪いことが起きるとはという言葉はけっして口にしない。ありがたいことだ、日本とはそういう国なのである。

 欧米の戦略思考は直線的で強力なのである。しかし、戦略目標を達成したときに予想のできなかった状況が常に生まれる、人間の智慧など所詮は浅智慧で、全部を見通すことなどできはしないのである。ベトナムでもアフガンでもイラクでも似たような状況が生まれている。
 例えば、イラクではフセインを殺すという戦略目標は達成したが、その結果傀儡政権としてできたマリキ政権はスンニ派の軍人たちを追いやった。なんてことはない、スンニ派の軍人たちがシリアの過激派と結びついてシリアとイラクにまたがるISISという国家が誕生しようとしている。米国の意図に反して問題はフセインが統治していたころよりずっと悪化している。米国にとっても欧州にとっても悪夢だろう。問題はキリスト教国とイスラム教国の全面宗教戦争の様相を帯びてきた。
 結果から見ると、欧米流の戦略思考は戦略目標を達成すると同時にコントロール不能なより困難な事態を引き起こし続けたのである。戦略思考は根本的な欠陥を内包しているのではないかと疑わざるを得ない。欧米の戦略思考とは異質な思考法を対置してみるべきだ。

 わたしは、PISAで日本の15歳の高校1年生が「自分で課題を見つけ、考え抜く力が弱い」ことや全国学力テストで国語と算数・数学の応用問題であるB問題が弱いことをこの小論で縷々論じてきた。そして、基礎学力の根幹をなす「読み・書き・そろばん」の徹底トレーニングが学力向上の手段の一つであるらしいことがわかった気がしている。とくに、読む速度、書く速度、そして計算速度の差が学力において予想外の大差を生み出していることも数量的に示しえたのではないだろうか。
 もう一つ本質的な問題があることにも気づいた。思索のトレーニングそのものである哲学という科目がが日本の学校には存在しないことが、「自分で課題を見つけ、自分の頭で考え抜く」トレーニングから生徒たちを遠ざけているのではないかという本質的な問題に漂着したのである。
 この小論を思考の流れという点からみると、正式教科に哲学が必要とか、読み・書き・計算速度の徹底トレーニングをさせようという「目標」を設定して、そこへ誘導をしようとの意図で論を進めてきたわけではないことはおわかりだろう。根釧原野に流れる川のように蛇行しながら、問題の本質にニつ流れから迫りえたとしたら幸いである。

<学校教育へ望むこと>
 いろいろ書いてきて頭に浮かぶことは、学校に正式教科として中学校から哲学を導入してもらいたいということである。国語で扱われているテクストとは別の世界を体験できる。
 哲学は思索そのものだから、ものごとが学説ごとに違って見えるのが当然の世界だ。そういう大きな枠組みを経験すれば、単線的で固定した点と点を結ぶような「論理エンジン」の類は雲散霧消。PISAの成績もぐんと上がるだろう。
 なにより、中高生を固定した視点からの単線論理というひ弱な思考から解き放つことができる。

 中学校と高校の国語の先生たちに哲学書を読んでもらいたい、そうすることで授業内容が変る。文科省がどうあろうと、授業の内容を支えているのは現場の先生たちである。だから、ある範囲では日本の教育は先生たちが変えられる。
 国の教育政策が変り、哲学が正式教科に採用されるなんてことは一朝一夕になしうるものではない。しかし議論ぐらいはあってもよさそうだ。たとえば、いまそうしたくても哲学を教えられる専門教員はほとんどいない。教員の準備から始めなくてはならない、選択科目として導入しながら哲学を教えることのできる教員を増やしていかなければならない、そして必修化にもっていく、ずいぶん迂遠なことになる。50年はかかりそうだ。
 だから、現場の先生の役割=ふだんの授業の質の改善が大事なのである。

<一日を48時間にする魔法:
   ⇒基礎技能の徹底トレーニングがそれを可能にする>
 問題文を読み取る速度が大きく、読み取った情報を頭の中で操作する速度が大きく、書く速度が大きければ、問題を短時間で解ける。基本問題だけでなく難易度の高い問題にチャレンジする時間的な余裕が生まれる。時間は創るものなのだ。
 コンピュータでいうと、情報のスキャン(入力)速度が2倍、CPUの処理速度が2倍、アウトプット速度が2倍のシステムのようなもの。問題の処理が半分の時間でやれる新型コンピュータと旧型が競争したら勝負にならぬ。
 小学校低学年から、「読み・書き・そろばん(計算)」の反復トレーニングを毎日1時間ほど繰り返したら、基礎計算は考えなくても高速でできるようになってしまう。問題を多面的にチェック(つまり並行処理)しながら、計算を高速でできる。量(速度)の大きさは、ある点を越えると質の変化を伴う
 小学校で「読み・書き・そろばん」の反復トレーニングをみっちりやった生徒は、中学校でも高校でも成績が伸び続ける。数学も国語も英語も社会も理科系科目もだ

 高校生を見ていると、小学校や中学校で計算トレーニングが充分でなかった生徒は、問題集についている解答を見ても途中計算が書かれていないからそこが理解できなくて30分経っても1時間経っても解答の導き方が理解できない。基礎トレーニングをしっかり積んだ生徒は、そういうところで足踏みしないですっと自分でトレースできる。

 「読み・書き・そろばん」の速度の違いが一日の時間量の違いになってしまう。「読み・書き・そろばん」の基本動作が標準の2倍の生徒には一日は48時間となる。これでは高校での成績に圧倒的に差がついてしまう
 中1年生数名に入学したての4月に四則計算問題をやらせてみたら、一番速い生徒と一番遅い生徒で35:1の速度差があった。上位10%と下位10%の速度の平均値を算出したら、根室の市街化地域の3校では1:10を超える差があるだろう。速度の遅い生徒が3時間勉強しても、速度の大きな生徒の18分間と学習量が同じということだ。学力に大きな差がついて当たり前で、それほど計算速度の差は学習量の大きな差となってしまう。こんなに差があると、時間が経つほど学力差が大きくなり、永遠に追いつけない。それほど計算速度は学習量の観点から重要なのである。速度の大きい上位10%を基準にすると、速度の遅い下位10%に一日はたったの2.4時間しかないことになる。
 計算だけではない、「読み・書き」も同じことだ。計算速度ほどの差がないにしても、上位10%と下位10%では3:1以上の速度差があるだろう。
 速く正確に音読できる生徒は文章全体の理解も正確になる傾向がある量に差がつくだけではなくて、速度が大きければ学力という点からは質も飛躍的にアップしてしまう。工場にたとえると生産性と同時に品質が飛躍的にアップすると考えていい

 実社会では人の2倍も時間を掛けなければ同じ精度の仕事ができない者は就職試験をパスすることが困難だ。よく実施されているSPI試験は速度重視の試験である。スピードは仕事でも最重要項目であるということ。

 スピードの大きい者はひとつのことをしながら他の案件も頭の中で同時並行処理できるようになる。余裕が生まれるからだ。並列処理のコンピュータと一つのジョブを逐次処理するコンピュータを比べるようなもので、仕事のコントロール能力に比較にならない差ができてしまう。並列処理ができる人間にとって、外側の時間は実にゆったりと流れているように感じるもの。
 自分の子どもを頭をよくしたかったら、小学校低学年で徹底的に「読み・書き・そろばん」のトレーニングをやらせることだ。毎日1時間くらい、10分単位で時間を測って、音読、書き取り、計算トレーニングを課すことだ。3年間お母さんが一緒にやってあげたら子どもはそれが生活習慣となるから、後は放っておいても大丈夫だ
 中学校になっても本も読まない、勉強に身が入らない、ブカツ三昧、スマホやゲームに夢中なら、それはもう手遅れだ。しかし、手遅れではすまない、なにがなんでも生活習慣を変えさせるべきだ。手間がかかるよ、しかし手間隙を惜しまずかけてやるべきだ。いつか必ず変ると信じよう。
 勉強しないことが生活習慣化しているから、塾へ行かせても一年くらいではなかなか治らない。一番よいのは大事な大事な自分の子どもを「生活習慣病」にしないことだ。予防はできるし、それが最善である。小学校低学年の時期に家庭学習習慣の躾けをしてもらいたい。

*#2647 問題消化速度1対35の衝撃(1):学習量=速度×集中力強度×時間 Apr.18, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-17-1

 #2649 問題消化速度1対35の衝撃(2):学習量=速度×集中力強度×時間 Apr.18, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-19


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(編集および校正:9月23日午前10時半)
(編集作業:9月23日午後1時)
(追記:9月24日午後11時半)


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