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#3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 さて、今回は基礎学力の三本の柱である「読み書きそろばん(計算)」のうち、「読み」と「書き=文書作成」トレーニングを取り上げる。


〈「読み」には三段階あり〉
 「読み書きそろばん(計算)」が基礎学力の三本柱であることにどなたも異論はないだろう。
 「読み」と「書き」にかかわるスキルにはそれぞれ段階があることもあらためて証明する必要がないほど自明なことに属する。

 デカルト『方法序説』「科学の方法」の2番目にしたがって論を始めてみたい。

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。  
 デカルト著・谷川多佳子訳『ワイド版 方法序説』(岩波書店)29ページ


 細かく分けすぎてもいけない、読みにはおおよそ次の三つの段階があることに大方の人が同意できるだろう。

 1.絵本
 2.児童書、漫画
 3.大人の本

 絵本は説明の必要がない、名が体を表している。
 児童書にはアニメのノベライズものを含める。漫画のルーツは平安時代の絵巻物にさかのぼるから、千年の歴史をもっており、ジャンルが多様で、内容もしっかりしたものが多数ある。そして子供たちへの影響力は児童書よりもはるかに大きい。子供たちだけでなく大人も読者が多いのは、メディアとして客観的に見た場合でも、漫画の本の内容のレベルが高いものが少なくないからだろう。
  大人の本とは、その咀嚼に強い顎の力を必要とする読み物をいう。幅広い語彙がちりばめられている明治期以降の純文学作品群、古典文学群、哲学・科学・医学・経済学などの専門書群、評論集等。

 高校時代に、毎週3冊の習慣漫画(少年サンデー、少年マガジン、少年キング)を読み続け、同時に哲学書や経済学の専門書、会計学や原価計算の専門書群を読み漁った経験からいうと、漫画の本をたくさん読むから、硬い本が読めないとか、読まないとかいう議論には与(くみ)しない。しかし、語彙力が貧弱だと高校2年普通科の標準的な現代国語のテクストや専門書が読めないことは当たり前。
 高校2年生の現代国語の教科書には難解な評論や語彙の豊富な純文学作品が多数収録されているそうしたレベルのテクストを読みこなすことのできる読書力獲得を前提にすると、高校生までに、さまざまなジャンルの評論や論説文、純文学の作品、そして入門書レベルの哲学書が読めるくらいの語彙力をつけるにはどうしたらよいのかという問題が浮かび上がってくる
 新聞や論説文を読めばよい。高校2年標準的な現代国語教科書を前提にすると、すくなくとも、岩波新書レベルのものを中学生から高校1年生までに20冊くらい読んでおきたい。新書は専門書への入門としてコンパクトで優れているからである。それらに加えて、明治・大正期の文学作品の名作も50冊ほど読んでいたらベストだろう。
(もちろん、こうした過程を経ずとも、別の方法で強靭な国語力を獲得する者たちがいることは事実である。モノが違うといってよい。根室でも数年に一人の割合で、そうした生徒が存在している。)

 さまざまなジャンルのものを読めば読むほど頭の引き出しの中の語彙が増える。大人の本を平気で読めるようになるには、そういうレベルの本を読み、語彙を増やすしかない。
 流れを途切らせずに読むには、相応の語彙力が必要になる。語彙力が貧弱だと、しょっちゅう読めない漢字や理解できない熟語が出てきて、読書の流れが途切れてしまう、これは大きなストレスで、読書そのものを楽しめない、集中力もそのつど切れてしまう。
 語彙力を「読み」と「書き」という側面から考察してみると、読んで意味がわかる語彙と書ける語彙は、10対1くらいではないだろうか。書ける語彙を増やすことは、その十倍の読める語彙を増やすことでもある
 大人の本とは、語彙の豊富な純文学、評論、散文、岩波新書レベルの本、そして各分野の専門書。
 東野圭吾の小説が境目のようだが、エンターティンメントは噛むのに強いあごを必要としないから、大人の本には含めないグレーゾーンということにしておきたい。「グレード2.5」という命名がふさわしい。
 宮沢賢治の童話群は児童書のカテゴリーにふくめよう。

 釧路のMさんの話では、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』(日本の童話名作選 偕成社)が原文そのままで総ルビがふられ、豊富な挿絵で絵本風になっているそうだ、これはどちらに入れていいのか判断がつかぬ。こういうクロスオーバーな絵本が増えてくれたら、橋渡しになるのでありがたい。このシリーズで40冊ほどでており、小学生低学年が読めるようになっている。

 それぞれの段階の解説は別稿でとりあげる。1から2への移行はスムーズに行くが、2から3へ移行できる者は中学生ではおおよそ1割、ここを学校教育でどのように扱うかが重要である。

 江戸時代は5歳から論語の素読をさせたから、3万あった私塾ではいきなり難解なテクストを全員で朗誦していた国語の教育は良質の大人の本を選び、音読指導からはじめたのである。
 昭和40年代までは本や新聞にはルビが振られていたから、グレード2の段階から3の段階へは漢字が読めないという制限がなかった。それゆえグレード2から3の段階へはスムーズに移行できた。団塊世代がそういう世代だった。
 江戸時代は、大人の本への橋渡しは、幼児教育の時点からなされていたと考えられる。そして昭和40年代までは、新聞も本もルビが振ってあったから、子供たちは児童書から大人の本へスムーズに移行できた。歴史的に見ると、大人の本への移行が困難になったのは、戦後の教育と出版分野へのコンピュータ(Desk Top Publishing System)導入によって生じた特殊な問題ということができる。
 日本人の国語力が著しく低下したのは、戦後の漢字制限*とコンピュータの性能が低くてルビがふれなかった時期が長く続いたという事情もあったのである。性能がアップして、ルビをふることに制限がなくなったのに、長いことルビを振らなかったので、現在の一線の新聞記者たちにはどの程度ルビを振るべきかについて、判断基準がない。ルビが振られた大人の本をあまり読む機会がなかったからだろう。出版社の人とは話したことがないが、新刊書を見ればわかる、同じだろう。常用漢字の範囲に漢字や語彙の使用を「自主規制」しているようにみえるが、そのうちに常用漢字以外は使えないような、貧弱な語彙力の小説家が出現するのだろう。いや、アニメのノベライズはすでにそういうレベルだろう。弊ブログカテゴリー「本を読む」に十数冊、そういう本を取り上げて論評してある。
 ルビについては、常用漢字以外はすべて振ればいい、ついでに、副詞の漢字使用も解禁すべきだ。

*この点に関しては、大野晋著『日本語の教室』(岩波新書)「第二部 日本語と日本の文明」「(質問13) 漢字制限はよいことだったのではありませんか?」167ページ参照。
 

〈「書き」には四段階あり〉
 文章を書かせる指導には大きく分けると、次の4段階がありうる。
 1.小学校低学年(親が担う)
 2.小学校高学年(学校が担う)
 3.中高生(学校+自分でトライ)
 4.大学生および社会人(自分でトライ+先生や上司)

 4段階それぞれごとに別の指導法と生徒の取り組み方が対応しそうだ。

 第一段階はAさん方式。同級生のAさんが自分の子供三人を書くことと計算大好きなこどもに育て上げた家庭学習のしつけかた、担うのは親。習った漢字書き取り、その漢字を使った短文トレーニング、日記方式の自由作文、十字形の漢字熟語パズルなど。低学年の時期に数年間おやが手間隙かけてやれば、本を読むことや文を書くことが大好きな子供に育てられる。
 花マルいっぱいあげて、こどもはよろこんで問題の「おかわり」をするようになれば、大成功。

 第二段階は議論のあるところ。自我が育ち始める時期で、二番目に重要。
 トレーニングの内容は二つ、視写と本の章単位での「あらすじまとめ」。「本のあらすじまとめ」は音読トレーニングと並行してやるのが効果が大きい。「読み」と「書き」はつながっている部分がある。
 お手本を真似るということがさまざまな基礎的トレーニングに共通している書道、剣道、柔道、空手、詩吟、お琴、日本舞踊、茶道、香道、大工、左官、・・・、およそ芸事や武道、職人仕事というものは、師匠や指導者、親方の挙措をお手本として徹底的にそして繰り返し真似ることから修行をはじめるものだ。自分で好き勝手にやっていいということはなく、お手本を真似て基本形を反復練習することからはじめるのが古(いにしえ)から伝わる自然なやり方。「守離破」「守」の段階といえる。
 名文の音読と視写の反復トレーニングは日本語のよいリズムを脳と手に刻み込む作業になる。トレーニングによって使える語彙とリズムを身体に染み込ませていく
 書きのトレーニングは計算トレーニングと同様に量の確保が重要。音読トレーニングと併行してやる「三色ボールペン」(斉藤隆方式)での線引きが役に立つ。あらすじに青線を引いておけば、あらすじをまとめる作業が客観的になる。名文の音読と視写、そして章単位でのあらすじのまとめくらいで十分である。
 高校入試で出題される現代国語の記述式問題は、あらすじや重要箇所に青線と赤線を引くトレーニングをしていれば、正答できる。
 読んだ本のあらすじを言ったり書いたりすることができれば、十分な読解力があると判定してよいここでも読みと書きは連動して動く、まさしく「車の両輪」

 第三段階は第二と第四の狭間としておく、議論のあるところだから、さまざまな異見が続出してよい。いくつかの流派がありうるとだけ書き留めておきたい。
(じつは最近3週間にわたって、「釧路の教育を考える会」のIさんと議論していた。関係のある数人がモニターできるメールで、すでに20本のメール(原稿用紙で100枚以上)を書いている。その議論があったから、こうして「書く」ことについて、自分の意見をまとめてみようという気になった。議論をすれば、議論を通じて自分の意見が次第にひとつのまとまったものとなって、姿を現してくる。相手の論を受け入れ、自分の論を対置することで、鏡に映して見るような作業になってくる、Iさんに感謝。)

 第四段階の対象は大学生と社会人論述式問題の答案練習や卒論指導会社にあっては「報連相」や業務報告書作成、社内および社外文書作成時の上司のチェック。もちろん、自力でやれる者は自力で挑む。最後は誰にも頼らず、独力でやりきることができる文書作成能力を獲得することが目標である。

 言いたいことは書き方の指導には段階があり、自明のことと自明ではないことがあるということ。いくつかの「流派」が存在する余地があるから、議論のあるところは徹底的に議論すべきだ。しかし、無理に一本化する必要はない。
 読みと書きとは車の両輪、読むもののレベルが上がってくれば、使用語彙や論理構成に違いが出てくるので、書くものも違ってくる
 読みで最重要なのは、児童書から大人の本への飛躍、ここで躓くこどもが大半である。中学生でこのギャップを乗り越えられるのは1割ほど
 第四段階は専門書を読んでいることが書くトレーニングの前提となる


〈国語授業時間数不足のよる「読み書き」能力の低下〉
 もうひとつ大きな問題があることを指摘しておきたい。それは小学校の国語の時間数の少ないことが国語力の育成にとって致命的だということ
 小平邦夫(数学者、フィールズ賞受賞)がどこかで書いていたが、かれの時代は低学年で国語は週10時間、高学年では12時間あったそうだ。
 現在は半分かな?それでは読みも書きも絶対量が足りるわけがない
 そこをなんとかしろと声を上げることも民間の教育関係諸団体の役割。

子供が言語を修得する能力に優れているうちに国語を十分時間をかけて徹底的に教えておこう」(『怠け数学者の記』小平邦彦著、岩波現代文庫102ページ)

 小学校低学年では、社会も理科も要らぬ、国語と算数と体育と音楽だけでいいという極論もありえる。(小平は自分が小学生のころは、1・2年生では社会科や理科がなかったと書いている。大数学者の岡潔も小学校低学年には社会科はいらぬと言明している。その後の学力の伸びにとって、それほど国語と算数が重要だということ。)
 これなら、「読み・書き・計算」スキルと・体力をともに現在よりも格段に引きあげられる。


*#749 フィールズ賞受賞数学者小平邦彦と藤原正彦の教育論  Oct. 4, 2009 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04

*#2853 『釧路市学力保障条例の研究(1)』東大大学院教育行政学論叢 Oct. 29, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29


*#3154 日本語読み・書きトレーニング(1) Oct. 11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11-1

 #3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

 #3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

 #3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14-1

 #3158 日本語読み・書きトレーニング(5):数学と「読み」のスキル Oct. 16, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-15

 #3159 日本語読み・書きトレーニング(6):数学と「読み」のスキル-2 Oct. 19, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-19

 #3195 家庭学習習慣の躾は小学1・2年生のうちにやるべし Dec. 4, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04


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 どの本も実物を手にとって見ていないので論評できない。「絵本」と表記のあるものとそうでないものに分かれている。「絵本」も原文は忠実に採録されているのだろうか?

蜘蛛の糸 (日本の童話名作選)

蜘蛛の糸 (日本の童話名作選)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1994/10
  • メディア: 大型本

日本の名作どうわ―日本童話名作選 (1年生) (学年別・幼年文庫 (1年 8))

日本の名作どうわ―日本童話名作選 (1年生) (学年別・幼年文庫 (1年 8))

  • 作者: 坪田 譲治
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1957
  • メディア: 単行本
日本の名作どうわ―日本童話名作選 (2年生) (学年別・幼年文庫 (2年 8))

日本の名作どうわ―日本童話名作選 (2年生) (学年別・幼年文庫 (2年 8))

  • 作者: 坪田 譲治
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1957
  • メディア: 単行本
日本の名作童話 3年生―日本童話名作選 解説と読書指導つき 日本童話名作選 (学年別・幼年文庫)

日本の名作童話 3年生―日本童話名作選 解説と読書指導つき 日本童話名作選 (学年別・幼年文庫)

  • 作者: 坪田譲治
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1988/04
  • メディア: 単行本
絵本・日本の童話名作選 第一期(宮沢賢治作品)全18巻

絵本・日本の童話名作選 第一期(宮沢賢治作品)全18巻

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2002/03
  • メディア: 単行本
絵本・日本の童話名作選第2期(全12巻セット)

絵本・日本の童話名作選第2期(全12巻セット)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2002/03
  • メディア: 単行本
日本の童話名作選(22冊入セット)

日本の童話名作選(22冊入セット)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1995/06
  • メディア: 単行本
絵本・日本の童話名作選 全25巻

絵本・日本の童話名作選 全25巻

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1998/03
  • メディア: 単行本



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後志のおじさん

読んで意味のわかる語彙と書ける語彙は10対1、

wordに関しては、そのくらいでしょうね。

文として、書ける話せるには、200対1が最低ラインと、英語やドイツ語を学んだ経験から言えます。

英語だから特別な学習法が必要なのではないのです。コミュニケイションのための言葉なのですから。

主語述語、修飾語被修飾語の関係が的確にとれることと、語の意味が自分のものになっていること。

言語修得の目的であり、そこには日本語も英語も違いはありません。


「頭のよい」子供に育てたいならば、
親が先ず、

スマホを手離して、子供に向かい合い、
子供の発する言葉にニコニコとうなずき(心理的報酬)、単語だけの会話ではなく主語述語のある文で言葉かけをして、いろいろな本を読み聞かせる。

これだけで、小学校1、2年の優等生は確定だと思います。



by 後志のおじさん (2015-10-12 22:29) 

ebisu

後志のおじさん

こんばんは。

>読んで意味のわかる語彙と書ける語彙は10対1、wordに関しては、そのくらいでしょうね。

単語が書けても、文の中で使えなければ意味がありません。漢字の書き取りテストも重要かもしれませんが、文の中で使われている漢字の書き取りトレーニングが一番よい。前後の文脈がついているので、用例がわかるだけでなく、どういうシーンでどのように使うのが効果的なのかよくわかります。


>英語だから特別な学習法が必要なのではないのです。コミュニケイションのための言葉なのですから。

裏を返すと、日本語も音読トレーニングをしない、お手本の文の視写もしないとなるとどうなるのかということです。

学校では朝読書をやっているが、生徒が自分の好みで選んで持ってきた本を黙読しているだけで、読みの技術指導がなされていません。

>文として、書ける話せるには、200対1が最低ラインと、英語やドイツ語を学んだ経験から言えます。

日本語も似たようなもの。書き言葉のインプット量が足りない。書き言葉のインプット量を増やさずに、作文させても書ける文は小学生レベルからぬけられないのは当然の理屈です。

子供たちが読む量は、スマホやパソコン、ゲームに奪われて、この10年ほどで著しく減少しています。根室はそれに加えて、過度な部活がさらに時間を奪います。
良質なテクストの読む量を増やさずに、いくら作文指導をやっても、それは小学生レベルの域を出ないことになります。

「30回音読、10回書いてみる」、やってみたらよくわかります。作文が楽になります。
お奨めの方法を2週間ほどやってみました、素直でしょう。(笑)
効果のほどが自分の身体を使って確認できました。意外なことに、読解力が上がり、書き手が伝えたいイメージが文の中で選ばれた単語を通してはっきり見えることが多くなりました。
中高生は3ヶ月もやれば大きな効果を確認できるでしょう。毎日20分で十分ですよ。

きちんとした文を音読して写すのは効果が大きい。作文力養成には実に優れた方法です。名作の視写も効果が大きいですが、音読してそれを書き写すほうが、はるかに効果が大きい。

小説家になりたい高校生には、『平家物語』丸ごと「音読⇒ライティング」をお奨めします。
by ebisu (2015-10-13 01:16) 

tsuguo-kodera

 素晴らしい大作、論旨納得です。勉強の基本をまとめて頂きとても良く分かりました。ありがとうございます。
 私は国語は中学まで劣等生でした。作文も感想文も酷いものでした。高校の1年生の時、アメリカの新聞や週刊誌を読むと英語ができるようになると先生から言われ、1冊買って数か月読みました。
 作文が嫌いだったので、宿題はその中の英文の記事をパクって、少しアレンジして持論にして提出しました。先生は今回は良い出来だと褒めてくれ良い点数をくれました。アホな先生だと思いました。それからか、突然国語ができるようになりました。
 会社でも提案書は褒められました。それで企画をすることになり、自信作を没にされ、辞表をたたきつけました。
 管理人様の言うようなきれいな段階を経ていませんが、仕事のホウレンソウで困ったことはありません。他の人ができないのが不思議だったのです。
 息子はもっと例外でしょう。国語をほとんど勉強しませんでしたし、本もほとんど読みませんでした。でも、迷路のパズルから始まってクロスワードパズルもジグソーパズルなども好きでした。子供の時も大作を作れました。
 小学校5年生になるころ、同級生が中学受験する人がいて、塾に入りました。何でもしてみようと言う考え方からです。四谷大塚系の塾でしたので予習シリーズが教科書でした。中学受験性に1年遅れて始めたわけです。
 このシリーズ本を読むのはゲームのような感覚だったのかもしれません。暇があると読んでいました。一番読んでいたのは算数です。算数は大人でも難解な説明です。
 私など、すぐ代数学で解けば済むと思うからやり方を覚えませんでした。妻は数学は苦手、音楽が好きでしたので算数の説明が新鮮で素直に読めたようです。二人で毎日1時間ほど予習シリーズの算数の説明をああでもないこうでもないと学び合っていました。
 息子は四谷大塚の試験に毎週日曜出かけていました。最初は最下位のクラスだったようですが、クラス分け試験があるたび順位を上げて、6年生の秋には最上位のクラスのある校舎になりました。一度も順位を落としたことはありません。
 開成に記念受験したのですが、合格してしまいました。開成受験は簡単かもしれないと思ったのですが、いろいろ話を知って、まぐれだったのだと理解しました。
 そして中学ではバド漬けでした。バドの試合会場で試験勉強する習慣がつきました。試合期間は公立に合わせていたので大変だったようです。勉強は先輩のやり方を見て予習と授業中の内職でやっていました。
 ここまでは前置きです。中学3年になり、クラスで一ケタの順位になりました。何と国語は学年でトップの成績をとることが増えました。
 そして高校になり、数学と英語は最難関の専門塾に合格し、毎週遊びのように楽しく通っていたようです。数学ができるようになったのは高校生のときのSEGのお蔭でした。
 3年まで文系で受ける計画でしたが、突然理転し、夏から理1志望に変えました。祖父の真似をしたかったようです。それでいつも限界の成績で進学できる学部や学科や教室を選んできたようです。要するにいい加減に選択してです。
 私の一家はこの素晴らしい管理人様の解説には程遠い人間かもしれませんが、もし管理人様とどこかで出会っていたらもっと勉強が好きな大人になっていたようにも思えます。
 家の一家の特徴や良い人に出会って可愛がられやすいのかもしれません。それしかないのかもとも考えています。管理人様の経験は血となり肉となるのでしょうが、私にとって遅すぎました。やはり南無阿弥陀仏としか言えません。
by tsuguo-kodera (2015-10-13 05:02) 

ZAPPER

>「頭のよい」子供に育てたいならば、
親が先ず、

>スマホを手離して、子供に向かい合い、
子供の発する言葉にニコニコとうなずき(心理的報酬)、単語だけの会話ではなく主語述語のある文で言葉かけをして、いろいろな本を読み聞かせる。

本当にそう思います。「単語だけの会話ではなく主語述語のある文で言葉かけをして」とは、まさにまさに…。加えて、いわゆる5W1H、その問いを意識的に子どもに投げかける。

「発達段階」なる言葉がありますが、親も学校もみすみすその《旬の時期》を逃してしまっている。そんな風にも思ってしまいます。と考えると、読書や読み聞かせ以前、《親と子の会話のコミュニケーションのあり方》にまで関わってくるような気もしております。
by ZAPPER (2015-10-13 13:08) 

ebisu

koderaさん

四谷大塚で最上位クラスなら、国語の読解力は十分でしょうね。算数の文章題は読解力に秀でていなければ、とても高得点が取れません。
小説を読んでもイメージがわかないのに、論理的に文章が精確に読める生徒がたまにいます。
逆に、小説を読んでいるときに、ありありとそのシーンを脳内に展開できるのに、数学の文章題を読みきることのできない生徒の数はずっと多い。
高校数学になると、問題の読み替えという操作に慣れないと、高速で解けません。文学作品や評論の読解とはまたちがったスキルが要求されます。

あまり本を読んでいないのに、文章題がめきめきできるようになったのは、お母さんがある時期、息子さんと一緒に問題に取り組んだからでしょう。
そして息子さんは、もともとモノが違う。
人間の能力差は大きい。潜在能力の大きい子供に、難易度の高いものを与えればその才能が開花します。能力の伸びが難易度のアップに追いついてしまうのです、そういうタイプだったのでしょう。

中学、高校で岩波書店の古典文学全集を制覇できたら、その生徒はかなり優れた文系の学者になるでしょうね。
そういう人が一人います。
好きで夢中になって読んでいるのです、読んでいるうちに国語力がパワーアップして、さらにレベルの高いものを次々に読みこなしてしまう。

東京の進学塾で3年間教えていたときに、ある生徒が問題を解く速度が大きすぎて、担当している先生がギブアップし、交替してもらえないかと頼まれたことがあります。
400ページほどの文章題のみの分厚い問題集の使用をお母さんがお望みでした。四谷大塚の教材も優れていますが、あのレベルの問題集ではトップクラスの成績を維持するのは難しい。
まあ、速いこと、ほとんど同じ速度で解いていましたね。時々私よりも速かった。半分程度の問題は文章を読み終わると同時に、式を書いていました。考えるのは「新傾向問題」だけ、通常のパターン練習でやれるような問題はほとんど考えていませんでした、速いはずです。
四谷大塚で全国2位の生徒でした。週2回だったか、1回だったか、3ヶ月間で1冊全部やり終えました。あんなに速度の大きい生徒にはその後お目にかかったことがありません。
どうしているのかな?名前も思い出せません。

by ebisu (2015-10-14 00:11) 

ebisu

ZAPPERさん

そのとおりだと思います。

>読書や読み聞かせ以前、《親と子の会話のコミュニケーションのあり方》にまで関わってくるような気もしております。

1歳から3歳くらいまでに語彙が爆発的に増えます。1歳を過ぎたら、身の回りにあるものや絵本を指差してそのものについている名前(名詞)を教えたら、喜んで覚えてしまいます。
親が話しかけたら、子供は喜んで応答します。言語能力の拡張は親子のコミュニケーションから始まっています。
小学4年生までは、親の関わりが大きい。どれだけ手をかけるかで、結果が大きく違ってくるのは当然です。
文章の読み聞かせ大事ですね。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の原文がついた絵本があるというのはビッグニュースでした。
ひょっとして、朗読CDも効果音つきで添付されているのですか?
by ebisu (2015-10-14 00:20) 

tsuguo-kodera

 四谷大塚の順位は、上位者は個人名も出ていました。ほとんどトップになり、時々2位と交代する有名人がいました。
 両名とも超優秀、だって息子の同級生になり、またもや順位が分かりました。小学校時代は雲泥の差だったのですが、中学高校となるに従い、順位逆転は到底無理の話でしたが、点数では差が詰まってきたのは分かっていました。
 彼らは今は東大病院のお医者さんです。開成のトップクラスの人は彼ら以外に、後輩でも、医者になり東大に戻ってきた人が何人かいます。
 息子の結婚式は数年前でしたが、その時、私の席まで来て挨拶してくれました。バドをしていなかった人もです。皆さん塾で仲良しになったようです。他校の優秀な人ともです。
 私はあいさつしただけで、彼らは偉そうでなく、凄い人だと分かりました。私は仕事で人を見る目は養えて自信があります。私の知る限り、東大卒の東大の先生は偉そうではありません。むしろそのような人に劣等感がある医者が患者さんに偉そうになりがちなのかもしれません。
 根室の人は病院や医者は選べないのが可哀想ですね。医者を選ぶ目があると自信がある私は、医者は優れた人格者が確率的に多いと思っています。もちろん、中には偏った性格の人もいるはずですが、私は逃げ足が速いので本当に知りません。
 東京圏なら簡単に先生を評価できるし、良い病院も変わってきますが分かります。そこへ診てもらいに行けばよいだけです。この歳になると人を見る目こそ生きる力です。仕事で身に着けられました。
 息子の話に戻りますが、高校時代、国語だけは医者になった抜群の人を時々逆転するようになったようです。高校の専門塾、SEGと鉄力の数学と英語の先生のお蔭ででしょう。両方ともに私ですら答えられない様な問題ばかりでしたので、説明の理解と習得は大変だったようです。
 息子は生きる力をそれぞれの時代の、部活の先輩と同級生と塾の先生から頂いたと思っています。もちろん指導教官の先生方から直接頂いたのですが、彼の基礎的な生きる力はです。一番の特徴はコミュニケーション能力だと思っています。要するにまず第一にホウレンソウです。だから私は持論に自信があるのです。
 開成の理系の人は理系は抜群、国語と英語がほどほどの人が多く、息子は特徴を出しやすい理系に転向したようです。競争しないが家の基本的な考え方のようですので。一言で言えばウインウインの関係です。
 息子は大学に進学し、専門課程に進むほど、高校の塾の勉強が生きたといつも言っています。私は高校時代の良い塾は、必ず大学や仕事で生きると思っていました。息子はその通りになりました。
 塾の受験勉強は手段です。受験ではなく、生きる力のです。私は塾の経験がありません。生きる力は足りません。南無阿弥陀仏といつも言うことになるのです。
 息子は今、会議も授業も英語で、が増えたようです。出席者は日本人だけでもです。英語をもっと勉強しておけばよかったといつも言っています。高校や中学時代に2、3回、英語圏に旅行すべきだったとも。犬が居たので連れて行ってあげられなかったので。
 私も今は愛犬のために海外など到底無理、旅行も1泊だけになりました。愛犬命の毎日を妻と一緒に過ごしています。いつも犬を対象にした新規ビジネスや村おこしを発想し、誰もやらない、詰まらないとぶつくさ言いながら散歩しています。やはり最後は南無阿弥陀仏と加えながら。(笑)
by tsuguo-kodera (2015-10-14 04:59) 

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