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#3111 記憶の構造と学力 Aug.21, 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

 生徒を観察しているといろいろなことがわかる。
 たった2行の数学の問題を読むのに、1行目を読み終わって、2行目に移ったときにはもう忘れている、そういうことがときどき起きる中1の生徒が根室市内の中学校には毎年2割くらいいるのではないだろうか。(中3の生徒で中学入試用語彙力問題集『言葉力ドリル実戦編』(学研)で50点未満は3割ほどいそうだ。授業を聞いていても、ところどころで先生の言う日本語を頭の中で適切な漢字に置き換えられないから、意味や文脈が理解できない。年齢相応の本を読む習慣がない生徒にはそういうことが起きている。)
 2つの文章の意味のつながりを読み取れないのは、2つ目を読んだときに、一つ目の文章を記憶しておいて意味の関連をサーチできないからだ。往々にして、読む速度が小さいと単語をぶつ切りにしてその一つ一つにとらわれ、文章の意味を把握できない。
 そういう生徒でも日本語音読トレーニングをするうちに中2になれば簡単な数学の文章題の意味くらいは読みとれるようになる。音読トレーニングをしない生徒は読解力がそのままになるケースが多いことは言うまでもない、どのような高校生になるか想像がつく。音読トレーニングでできるだけ救ってやるべきだ。

 国語の語彙力が貧弱で音読の下手な生徒の学力は総じて低くなる傾向がある。オンラインゲーム、ライン、ツィッターなどに費やす時間が増えるから、本を読む時間は昔に比べて少なくなったことは事実である。読んでいる生徒も、アニメをノベライズ(小説化)したもののような、語彙力レベルの低いものにとどまってるケースが多い。高学力層でも推理小説レベルにとどまっているのが大半であるが、中高生は精神的な成長の大きい時期だから、背伸びして(内容と難易度の高さが)大人のレベルの本を読んでおきたい。
 ニムオロ塾では、読書レベルを上げるために、良書を選んで音読トレーニングをしている。スムーズに音読できるようになれば、学力全般が上がる。だから、基本トレーニングを怠ってはならない。基本トレーニングとは「読み、書き、そろばん(計算)」に関するトレーニングで、それぞれにいくつもの技がある。意識して普段から磨いておくべきだ。

 国語の問題を解くのも似たようなものだ。1ページの文を読み終わったときに、内容をどれだけ記憶しているのだろう?2行の数学の問題が読み切れない生徒でも50点以上の点数が取れる国語の問題は果たして適切なのだろうかという疑問がわく。

 戦後まもなくGHQが漢字を廃止しようとして、データの裏づけを得るために、CIEによる厳密な全国国語力調査の学力テストを実施した。結果は予想を大きく裏切り平均点は78.3点だった。言語学者の大野晋氏はあれほど厳密な国語力調査は世界で初めてだと『日本語の教室』のなかで述べている。
 当時の人口7755万人から、戸籍簿に基づき無作為に17100人を選び16820人について国語力テストが行ったのだが*、問題はとてもむずかしいものであった。いまあれを中高生にやらせたら、とても70点台の平均点は獲れないだろう。50点すら怪しい、それほど日本人の国語力が落ちている。
*#3088 公民・歴史・地理から見た安保法制論議:憲法第九条と自衛隊 July 21, 2015
<敗戦処理と憲法第九条:70年前になにがあったのか>参照
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-07-21
 
 数分間数ページの内容を保持し続ける一時記憶ができるか否かは、学力に馬鹿にならない影響を及ぼしているのではないだろうか。
 数ページ分を一時記憶領域に保持できる者が、それを1週間記憶する領域に移すことができれば、学力差はさらに広がる。

 難しい問題を一時記憶領域から、1週間記憶領域に移して、暇なときに出して考えられる人間は数学や哲学の難しい問題を考え続けることができるだろう。
 さらに大きな難問を数ヶ月、あるいは数年、そして十年、出し入れしながら考えられる人は経営者にも学者にも向いている。

 ここに紹介する国語の学力に関する合格先生の論は、ある程度の量を記憶できることが国語の学力と大いに関係が深いことを的確に説明してくれている。


ブログ「情熱空間」より
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8099177.html
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2015年08月20日

音読と作文と(高校入試・国語の問題から)

(小中学生の)国語力がどうの、などと言いますが…。

もうもうもう、本当に合格先生が指摘する通りなんですよね。北海道の公立高校入試の場合、何も難しいことなんかないんですよね。ごく普通のビジネスマンが問題を解いたなら、あたりまえに50点(60点満点)とか取れてしまう。と、そうしたものでしかありません。(はっきり言って、有名どころの私立中受験の問題の方が、はるかに難しい…)

そこそこちゃんと文章を読み取れて、そこそこまとめて書ける力があれば、楽勝で8割をクリア。とまあ、その程度のレベルなわけですね。ということは、問題はこういうこと。そのレベルの問題に太刀打ちできないということは、大きな問題あり。そうしたことについて、合格先生がすっきりまとめてくれています。

漢字の読み書きは当然のこととして、読書ですよ読書。そしてそれ以前に、まずは音読。黙読させたところで、ちゃんと文章を読めているかどうかは分かりっこありません。つっかからずにスラスラ読めているかどうか、まずはその確認からのはずです。(音読させてみると、「驚くほど読めていない」ことがすぐに分かるものです)

朝読書とやらも結構ですが、まずはそれ以前、音読の指導からだって思いますね。そしてお次は作文の指導。ところがしかし、気がつけばどちらの指導も、実に実に手薄なものになってしまっています。


●国語の問題、どうやって解く?
http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/jijimonndai.html#Anchor-10610

《引用開始》
読書をきちんと出来るようにするためには

 国語の勉強と言うと、漢字の練習以外まともにやったことはない、とか、読書をすれば何とかなる、というふうに思っている人も多いのではないでしょうか。実は、そんなに甘いものではないんですね。ただ、あまり大きく話を広げてしまうと、的を絞れなくなってしまいますから、今回は、北海道公立高校入試レベルの問題について、どのように対処していくべきか、という事をお話しようと思います。難関私立高の入試や大学入試にかんする話は、また、別の機会に。

 実は、北海道の公立高校入試の問題って、裁量問題であろうがなかろうが、すごく易しいんです。ですから、よく、受験のテクニックとして「先に設問を読んでから、問題を解く」というような事を言われますが、そんな事をする必要はありません。そういうのは、難関私立などで行ってくれればいいことです。

 で、自分が生徒に話しているのは「元々、国語の問題というのは、文章を一通り読み終わった後、きちんとその内容を把握して読んでいるかどうかを確認するためのものなんだ。だから、せいぜい文庫本で2・3ページ程度の文章なら、その内容をきちんと頭に入れて本を読んで行かないと、結局、その本の内容が掴めず、その本を読んだことにならないから、こういう問題が設定されているんだよ」ということで、「最初にきちんと問題の文章を読んで、その内容をある程度きちんと頭に入れた状態で問題を解きなさい」と指示しています。もちろん、設問を読んだ後、答えを書くときに本文に戻って確認しながら問題を解きますが、一度、読んであるので、どこにその答えが書かれているかは、すぐに分かるはず。それが分からず、オロオロしているようであれば、それは読書の質が悪い、という判断をするんですね。ですから、時間を計って、比較的スムーズに解答が出来ているか、そうでないかで、生徒の読書の質が分かります。文章把握の問題はこうやって対応します。
 それと合わせて、知識系の問題。例えば、漢字・語彙・文法・文学史系などに触れます。ここは知っているか・知らないかの勝負なので、それは知識として頭に入れればいいでしょう。

 さて、ここで言いたいのは、単に問題を解く、というところに視点を当てるのではなく、後々、どのような事を聞かれてもすぐに対応出来るように、文章をきちんと読むという習慣をつけて「読書力を上げる」というのが大事なカギになります。要するに、入試の問題に出てくるようなレベルのことは、普通に読んでいるだけで頭に入っている読書レベルにすること。設問で出てきた内容を見て「あれ? これ、どうだったっけ?」と思うようであれば、これから先は、そういう雑な読み方をしないようにしていくこと。ここが出来ているかどうかで、北海道公立高校の国語の得点力が決まります。いくら受験のテクニックを使おうが、元々の文章をきちんと読めるようにならない限り、国語の得点力は変わりません。ましてや、設問にかいてあるところを探しながら読んでいるようでは、全体の文章内容の把握も出来ない~ここで点数が頭打ちになりますし、極端に言うと、そういう読み方をしていて読書が好きになるとは、到底、思えないのです。

 ちなみに、きちんと読めていない場合の一番大きな原因は「読み飛ばし」。文章をきちんと読んでいるつもりで、実は頭の中を素通りしているだけになっている場合。もう一つは「語彙」。単に意味が分からなかったり、意味を取り違えていたりして、全く、違う方向の結論を出してしまう場合です。ですから、きちんと読めていない子については、下手なテクニックを教えるより、「語彙」の知識を増やすというのが、遠回りのようで最短距離。
 また、要約など、字数が多めの筆記問題に対応出来ていないのは、単に「書き」の練習不足です。大事な部分を箇条書きにするなりして、自分なりのまとめかたを身につけていれば、実はそれほど躊躇しなくても比較的スムーズに対応できます。

 北海道の公立高校入試って、実はこんなレベルなんです。
《引用終了》

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<音読トレーニング>
  日本語の音読トレーニングをしてみたらすぐにわかります。子供たちは読めていません、なんとなく「眺めて」読めたつもりになっているケースが多いのです。
 読めない漢字、意味のわからない漢字は読み飛ばします、「てにをは」を頻繁に読み違えます。ひらがなの続くところでつかえるのは、先読みできていないのでどこで切ったら良いのかわからないからです。上下に目を移動しながら読んでいるときに、下まで読み終わる前に目を上に送って「先読み」ができません。下の塊を頭の中に記憶しておいて、頭の中の文章を読みながら目の方は上段に移して頭の中で読んでしまわないと、行を変わる部分がスムーズに読めません。
 初見の本をよどみなく読むというのはじつにさまざまな技が習得できていないとできないものです。これが完璧にできている中学3年生がいたら、学力は学年トップクラスでしょう。
 「朝読書(黙読)」を各学校でやっていますが、意味ありますか?2/3の生徒は読めていませんよ。音読させないで読めているかいないか判断できますか?できるとおっしゃる先生がいたら神様です。
 どうも学校というところは、PDCAサイクルで考えないのが習慣になっているように感じます。やらせっぱなしで確認をしない、目の前の生徒を見ていない、学力テストデータで目標設定がない、だからテスト結果での検証もない、民間企業では予算・決算の対比でなされる当たり前のことがさっぱりやられないようです。
 計画で目標数値を設定して、具体的な工夫をして計画値に実績を近づけていくのは当たり前ですが、学力テストの学年別・科目別目標平均点を設定している中学校は根室市内にありますか?日本全国探したって見つかりません。

 話を戻します。朝読書(黙読)よりも、たとえば、論語の素読と読み下し文の書き写しをしたほうがずっとましです。
 
 好奇心の赴くままにさまざまなジャンルの本を読み漁って、先読みの技を磨き、段落ごとの意味を保持し、さらに段落ごとの論理展開を追いながら読めたら、現代国語の問題も、社会科の科目も、数学も理科も、短時間で教科書レベルのことは簡単に理解できてしまいます。

 「読み・書き・そろばん」といいますが、先頭にある「読み」が一番大事なんですね。読みにはさまざまな技が含まれています。ぜひ、技の一つ一つを意識して濫読してください。

 わたしの小学生時代は、読みとそろばんの両方を鍛えました、基本トレーニングを欠かさなかった。北海道新聞の社説とコラム「卓上四季」を四年生から毎日読んでいました。3ヶ月間は国語辞典と漢和辞典のお世話になりましたが、後は楽です。すぐに一面の記事を読むようになり、語彙力が充実したお陰で、中学生になると濫読期が訪れました。高校2年生からは、公認会計士2次試験参考書の簿記論、会計学、原価計算論、経済学、経営学、監査論、商法などの専門書や『資本論』や哲学書を読み漁りました。小学校4年生からの3年間のトレーニングがそういうことを可能にしてくれました。
 そろばんも同級生が習っていて面白そうだったので、珠算塾へ通いました。いつのまにか頭の中でそろばんの玉がパチパチ弾けるようになっていました。お陰で、数学の問題は計算に頭を使わなくてすみました。文章読解だけに頭を使えば解けてしまいますから楽でした。会社で予算編成や予算管理、決算分析をするときにこの能力が役に立ちました。いつも頭の中で3桁に丸めてシミュレーションを繰り返していましたから、どこかで「異変」があればすぐにキャッチでき、対応策もあからじめ頭の中の暗算でシミュレーションしていたのですぐに決められました。便利なものです。
 書くほうもやっておけばよかった、やりかたがわかりませんでした。いまならわかります、良質のテクストを選び、毎日1ページ分くらい書き写すだけでいいのです。いいお手本を選び写す、たったそれだけです。
 基本トレーニング侮るべからず。



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 戦後のCIEによる国語力テストは大野晋『日本語の教室』153ページ参照
 当時行われた国語学力テストの問題文が155ページに載っている。

日本語の教室 (岩波新書)

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  • 作者: 大野 晋
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書

言葉力ドリル 実戦編―中学入試

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2008/06
  • メディア: 単行本

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ZAPPER

特に小学校の教師の多くが、「国語指導は何をどうやればいいのかが分からない…」というのが、嘘偽りのない本音でしょう。世の中の何もかもがインスタント化している中にあって、肝心の教師もまた知らず知らずそれに迎合してしまい、かつ読書をせず国語力を大きく落としているという悲しい現実があります。

他方、教育行政の側も、「ではこう指導すればよろしい」という方法論を明示できずにいます。悲しいかな、我が釧路の現実ではありますが。(市教委からして、「国語は何をどう勉強させてよいかポイントが絞りにくい教科」などと報告書の中で定義していますので)

最近では小学校の夏冬休みの作文宿題は、「一行日記」なるものの変わってきているようです。その日あったことや感想を一行だけ書きなさいというものです。(ウチの子の宿題もそうでした)

何をどうやらせるべきかがまるで分からない。まことに失礼ながら、今のこの地の小学校の現実です。何のことはない、かつて行われた効果の高い指導に戻ればよいだけなのですが…。
by ZAPPER (2015-08-21 13:04) 

ebisu

合格先生の分析と解説はあいかわらずすっきり明快、すばらしいですね。

ところでいま教育大で教えている人たちは、戦後の民主主義思想の中で、戦前や戦時中の教育を全否定した世代の先生たちに教えられたので、戦前の教育についての知識がないのでしょう。

米国流の教育制度や思想は脇においておいて、日本の伝統的な教育のどこがよくてどこが悪いのか、あらためて検討してみるべきです。

教育の職人としてプロ意識があるなら、3年も教えていたらわかりそうなものですが・・・。

>(市教委からして、「国語は何をどう勉強させてよいかポイントが絞りにくい教科」などと報告書の中で定義していますので)

おやおや、ですね。
「読み・書き・そろばん(計算)」技能を高めたらいいだけです。ひたすらトレーニングすればいだけですが、それもやらずに「何をどう勉強させてよいのかポイントが絞りにくい」なんて「暢気な父さん」のような報告書に書くようでは素人同然、市教委の仕事は向いていないから、異動願いか辞表をだされたらよろしい。

現場の先生たちはプロですから、戦前の教育制度と教育体系を調べてみたらいい。
新聞すら読まない先生たちが増えていますから、本を読むのがつらい先生のほうが数が多くなってしまったのかもしれません。

数年前に古本市で買った太宰治全集を読み始めています。第9巻の『人間失格』からですが、太宰は人間をよく観察しています。半分は自己観察だったのではないでしょうか。
未完の遺作『グッドバイ』も全集第9巻にあります。太宰はこういう小説を書くことで自分を見つめなおすことを繰り返したのでしょう。

by ebisu (2015-08-21 14:59) 

ebisu

太宰が自分をモチーフにした小説を何本も書いていたのは、アイデアに詰まっていたことを感じさせます。苦しさややりきれなさが伝わってきます。
太宰が自己をモチーフにするのは最後の手段だったのでなないでしょうか。
『グッドバイ』はこれが最後の作品だよという読者へのメッセージでもあったのかもしれませんね。
自分をモチーフにしても、いくつも書けるのは書き手の技倆を如実に表しているのでしょう。
高校生のころはなんとなく太宰が苦手で、敬遠していましたが、いま読んでみると人生の悲哀が深く心をうちます。
他の作家たちとはまったく異質なタイプの書き手であったことが、読後に残る独特の情緒が教えてくれます。

by ebisu (2015-08-22 08:29) 

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