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#1374 400年ごとに日本は大きく変わる?:関ヶ原の戦いから400年 Feb, 7, 2011 [A4. 経済学ノート]

  夜中に雪が降った後、数時間雨が降ったから、道路はびしゃびしゃ。2時くらいからまた少し雪が降った。夜9時過ぎにマイナス4.5度、道路はブラックアイスバーン。まっすぐに走っていてもアクセルを吹かすとタイヤが流れて危ない。いくら慣れていても今日はダメだ、車はスピードを落として走っていた。何度もタイヤが滑るのを感じながら家へ戻ってきた。

 昨年10月からはじめた毎週土曜日午前中の中3社会の補習も今月末で終わる。地理と公民を終わり、先々週から日本史に入っている。
 大きな時代区分を黒板に直線図で表してみたら、縄文の1万年の長さが圧倒的だ。これに比べると弥生時代の600年間はじつにわずかなもので、縄文文化が日本文化の源流と古層をなしていることが一目瞭然である。生徒たちにもインパクトが強かったようだ。
「先生、縄文時代ってすっごく長い!」
私たちはいまも縄文文化の大きな流れの中にたゆたっている。

 縄文時代⇒弥生時代⇒古墳時代。中学校の教科書では飛鳥・奈良時代も古墳時代に入っているようだが、すこし、毛色が違う。史実かどうか分からぬが、聖徳太子が物部守屋氏の書庫を焼いてしまったので、古事記以前の古文書が失われてしまった。それゆえ、飛鳥斑鳩の宮以前と以後の違いがよくわからない。飛鳥斑鳩以前は豪族の寄り合い所帯で連合政権の様相を呈していたが、天智以後は中央集権国家へと脱皮したのだろう。この境目辺りは史実が曖昧模糊として謎が多い。ネットで調べたら、飛鳥時代や奈良時代は古墳時代には含めていない。

*「日本史時代区分表」ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8C%BA%E5%88%86%E8%A1%A8

 直線図を延長していったらある事実に気がついた。平安時代(794-1185)から数えておおよそ400年ごとに日本は大きな転換期を迎えている。1192年が鎌倉幕府の成立で武士が台頭し、1600年に関が原の戦いがあり、その後、鎖国・幕藩体制の260年と明治からバブル経済までの140年、合計400年間がある。関が原の戦いの次の転換点が11年前の2000年であった。
 日本人は今いま明治維新以上の大きな転換の時期を迎えていると考えたほうがいいようだ。どこが明治維新以上かというと、人口増加社会から人口減少社会への転換というところにある。ベクトルが逆に向いてしまっているのだ。パラダイムシフトといってよい、日本史始まって以来の大転換期を迎えている。
 400年ごとに日本の歴史は転換点を迎えているという説は何かで読んだ気がするので、そういう視点で日本史を見ている歴史家は小数いるのだろう。数直線状に時代区分を書き込んでいけば誰でも気がつくのではないだろうか。教科書には書いていなくても、気がつく中高生は少なくないだろう。学問のきっかけなんてそんなものかもしれない。このような平凡な事実ではなく、もっとオリジナルな疑問を見つけたら大切にすべきだ。
 
 日本人の智慧は江戸期までは循環型社会という大きな枠組みを維持しつつ、生産力の増大やそれに資する技術開発へ向いていた。明治以降は循環型社会という枠が弱くなると同時に急激な工業生産力の増大・人口増大へと向かう。そして2000年から11年目、気がついてみると殖産興業・富国強兵・人口増大・経済高度成長・バブルと150年続いたアンバランスを回復するかのように日本は人口縮小社会へ突入してしまっている。

 縄文1万年の歴史は自然と共存しながら安定的な社会を維持してきたといえるだろう。21世紀になって地球温暖化問題に尖鋭的に現れているように、このまま世界中の発展途上国が先進国並みの生産力と富を手にしたら地球環境がもたない。自然と共存するためには人類は人口減少へと向かうしかない。馬場宏二*先生の過剰富裕化論もそういう文脈で生まれるべくして出現した学説なのだろう。

 日本人の集団的無意識(縄文文化という古層文化)が自然環境との共存のために人口減少という現象を生み出したのではないかという假説をわたしは提示したい。
 人口が4000万人程度に縮小すれば、日本国内に限れば、CO2問題も食糧自給問題も解決できる。人口減少社会は決してデメリットばかりではないのである。50年間辛抱すれば縮小均衡をなしとげられる。大きな社会的ストレスが生じるがそれをどのように受け止めるかだ。私たちの世代、団塊世代にとってはどう消え去っていくかという問題でもある。世代のエゴを滅して、次の世代のお手本となるような消え去り方をしなければならぬ。

 日本は成長至上主義から縮小型社会へ転換しつつあるようで、その世界史的な意味は大きい。日本という国はどうあるべきか、400年ごとに大きな転換期を迎えてきた日本史を今一度思い起こして、時代が如何なる課題をわたしたちに担わせようとしているのか考えたい。

 そうすれば、現実の政治で「成長路線」を声高に叫んでいるほとんどの政党の主張がいかに歴史という現実を直視していないか理解できるだろう。現実を直視できないのは、菅総理や岡田幹事長だけではなく、私たち国民も同じである。
 経済成長・人口増大の時代は終わったのだから、バラマキをやめて、あらゆる政策を人口縮小社会に適合的なものへ作り直し、舵を切るべきだ。
 日本や人類が自然や環境と共存する道はそれしかない。日本人が世界に先駆けて、自ら大きな犠牲を払いながら人口縮小のモデルケースを示せばいい。
 世界中の国を見渡したとき、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」の商道徳を受け継いできた日本人しかできない役割のように感じる。エゴ=小我を殺せなかったらできない事業だからである。数学者の岡潔風に言えば小我を棄て、真我に目覚めよということだろう。


*#1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2

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*中世以降の時代区分については面白い研究があるので紹介する。
江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代 (岩波現代文庫)

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  • 作者: 尾藤 正英
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/04/14
  • メディア: 文庫


 過剰富裕化論の馬場宏二先生の本を紹介するが、読むのに骨が折れる本である。
新資本主義論―視角転換の経済学

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  • 作者: 馬場 宏二
  • 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: ハードカバー

日本の国という水槽の水の入れ替え方―憂国の随想集

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  • 出版社/メーカー: 成甲書房
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春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

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  • 作者: 岡 潔
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  • メディア: 文庫

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