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#1508 ユッケと職人仕事 May 9, 2011 [A4. 経済学ノート]

 このところ「えびす」が世間を騒がせている("ebisu"ではない)。5月9日の産経ニュースは次のように伝えている。

「焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」でユッケなどを食べた客4人が死亡した集団食中毒事件で、チェーンの運営会社「フーズ・フォーラス」(金沢市)に対し、食肉卸業者「大和屋商店」(東京都板橋区)が、食中毒を防ぐために生肉の表面を削る「トリミング」は店舗で必要ないとする趣旨のメールを送っていたことが9日、フーズ社への取材で分かった。」
http://sankei.jp.msn.com/life/topics/life-14963-t1.htm

 フーズ・フォーラスを経営するのは40代の創業社長だが、次々とチェーン展開をしたようで、20店舗あるようだ。外食産業は1店舗に店長あるいはもう一人のみが社員であとはアルバイトのシフト体制で切り回すところが多い。店長教育はある程度の規模ならマニュアルがあってインスタントになされている。問題があるとすれば社長と店長が職人ではないということだ。そこをカバーするために全店舗を統括するプロの職人「総料理長」がなくてなならぬ存在だ。社長にも品質管理のためなら苦言を呈することができる強者であることが望ましい(イエスマンは品質管理の役に立たぬ)。そういう人材がいたのだろうか?

 ユッケは生肉を扱うから職人の見識と技倆がいる料理である。ふぐ料理を考えてもそうだろう。280円294円弱でユッケが食べられるというのはリスクと隣り合わせであるということが明るみに出た。
 きちんとした修行を積んだ職人を配置し、よい食材を選べば280円294円弱で出せるはずがない。ある高級焼き肉店では1400円だそうだ。客に出すときにトリミングして芯の部分をだすから、歩留まりが悪くなるので相応の値段になる。
 ユッケは安手の焼肉チェーンでは食べてはいけない料理だということは、消費者も自分の頭で判断しなければならぬ。常識で考えて無理があるのだ。常識を支えるのは、職業と職人についての常識、ちょっとしたコスト試算の四則計算である。自分で買い物をしたことがあり、ある程度の教養と基礎的な学力があれば十分判断できる性質の事柄である。
 (教養と基礎学力はさまざまな災厄を避けるために必要なものだ。他の例を挙げると、米国の低所得層・低学力層を狙い撃ちにしたサブ・プライムローンも四則演算をしっかりできるだけの基礎学力があれば引っ掛かるはずがない詐欺商法だった。
 教養と基礎学力は社会人として必要最低限の武器や鎧なのだから、小中高生はしっかり学習すべきだ。なにより自分のためなのだ。自分がしっかりしないと世のため他人のために働くことはできないのだよ。)

 いくら精肉卸しがトリミングの必要がないといっても、たとえ無菌処理されてパックされた肉でも常識として時間がたてばトリミングが必要なことは職人なら当たり前のことだ。職人がやったのなら技倆のない半端職人で、そんな人間の経営する個人経営店はすぐにつぶれる。
 肉の処理のプロではない人がユッケを作るということ自体が間違っている。ユッケが食べたければそれなりの肉料理の職人がいるお店に行けばよい。

 なぜこんな事を採り上げたのか理由を書き留めておく。
 なんてことはない、オヤジが焼き肉店を数年間開いていたからだ。屠場から直接肉を仕入れていた。仕入れた肉が気に入らなければはっきりそういう。返品することもあるし、半分棄てることもある。とにかく職人として納得がいかなければお客様には出さない。それは職人としての自分の仕事に対するプライドであり当たり前のことだ。
 屠場からの直接仕入ルートがなくなってから、地元仕入をやってみたが、納得のいく肉が手に入らなかった。そしてほどなく店を閉めた。潔いことは職人気質のひとつだろう。
 若い頃、きちんと修業したからこその焼き肉屋だった。納得のいかない仕事はしない男だった。もう二十数年前に店をたたんだが、小さな根室の町だからご記憶の人があるだろう。

 東京人形町交差点に"キラク"という小さなステーキ屋がある。もちろんトンカツも美味いのだが、わたしはここのポークソテーと牛カツが大好きだった。通ったのは1970年代終わりから83年までのことだ。午前中の会議が延長して1時過ぎに食事のときはよくこの店で食べた。ランチの時間帯は行列ができて混雑しているからだ。今でもこの店はあるはずだ、息子か娘夫婦が継いでいるだろう。当時は家族営業の店だった。
 この店は有名な「今半」から肉を仕入れていた。あるとき、細身で背のあまり高くはないオヤジが届いた肉をチェックしてすぐ電話した。黒く重たい受話器を耳に当て、
「約束が違う、いつもの品物ではない」
と言って返品・交換を要求した。江戸っ子のタンカはなかなか威勢がよい。カウンターに椅子が10個くらいのちっぽけな店だがプライドは高い。
 すぐ近くにある人形町今半本店は肉の大店である。自分のところでもすき焼き屋を直営している。その大店に向かって「約束が違う」と言い切り、今半も思い当たったのだろう、反論することなく交換に応じた。わたしが観てもポークソテーに使うブロックが小ぶりだった。これではいつもの大きさのソテーを出せない。仕入はお店の存亡をかけた真剣勝負である。客の期待に応えるためには言うべきことは言わねばならぬが、当然、仕入コストに跳ね返ってくる。それでも構わぬという覚悟のこもった言葉だった。売るほうも買うほうも、「約束が違う、いつもの品物ではない」それだけで分かり合い、仕事がスムーズに流れる。なぜ、小さいブロックが来たのかについては事情を買い手も承知している。ああだ、こうだという言い訳は不要。映画にしたいくらいいい場面を見せてもらった。

(【牛カツの思い出】
牛カツが好きなのには理由がある。高校生のときに洋食の職人がいて牛カツを懸けてビリヤードをしたことがある。その職人は腕に覚えがあるから高校生のわたしに美味い牛カツを食べさせたかったのだろう、ゲームは彼の思惑どおり私の勝ちだった。
 さっと揚げた後、石炭のオーブンで油を切り、ミデアムレアの牛カツが出てきた。これがとんでもなく美味しかったのである。肉の熟成加減も、処理もいい。絶品だった。根室にも洋食の腕のよい職人がいた。
 人形町キラクで最初に牛カツを注文したときは「あの牛カツ」に迫る牛カツが出てくるかなとワクワクしたことを覚えている。目の前でオヤジが肉を切り、解き卵をくぐらせて粉とパン粉をつけ、油へジュッと放り込む。ころあいをみて油から上げ、長い牛刀でサクサク音を立て切り分け、白い皿にキャベツと芋サラダを合わせて盛り付ける。うーんなかなか、オオノさんが作ってくれた牛カツといい勝負だ。)

 幸田露伴に『五重塔』がある、宮大工の物語だ。山本周五郎が昭和17年に書いた『江戸の土圭師』という時計職人の話しがある。どちらも職人と仕事についての小説だ。
 わたしは乙川優三郎の著作が好きだが、1950年代生まれの彼には職人を書いたものがない。全部を読んでいるわけではないのであるのかもしれないが、読んだ範囲では記憶にない。武家の心構えについてはたくさん作品がある。
 職人、仕事、親方、長屋などの舞台装置は古典落語の世界でもある。こういう世界を書ける書き手がいなくなりつつあるのではないかと心配になる。古典落語や小説を通じて私たちは職人や仕事というものについて著者が持つ深い洞察を学んできた。それは現実の仕事にも影響していたのだろうと思う。物づくりを尊ぶ世界である。それは濡れ手で粟をつかみとる世界と対極をなしている。
 一店成功すれば、金太郎飴方式で次々チェーン展開して儲けようという輩が増えていることは確かなようだ。江戸期や明治期の日本人が嫌った浮利を追ったり、濡れ手で粟をつかむような輩を持ち上げる傾向がテレビを筆頭に増えてしまった。
 金太郎飴方式のチェーン展開は現代の錬金術のひとつであろう。うまくいって店頭公開できれば百億円程度の儲けは手にできる。しかし、落とし穴がある。仕事の質が均質化し、低下してしまっている。お店では工場で下処理されたり半製品化された材料を調理するだけである。材料選びから下処理、最後の仕上げまで一貫して学ぶ環境がない。こうして仕事に対する考え方や技倆が劣化してしまっている。
 料理を出すために、材料選びから下処理、仕上げの調理を一貫してやってみて技倆は高めることができる。どの工程もお皿に盛り付けられた料理の味に関係している。
 こうして仕事が分業化され分断されることで仕事を極めるという姿勢や環境が失われつつある。日本の職人文化は外食産業の隆盛に反比例して危うい。

(外食産業のチェーン店で一人前の職人を育てることはほとんど不可能だ。40歳を過ぎたら困るだろう。就職先としてはあまりお薦めできない。一人前の職人を目指すならどの店で修行するかというスタートが大事だ。5年間は身を粉にして人の2倍働き仕事を覚えろ。そういう覚悟のない者は職人には向かぬ。)

*人形町 洋食キラク
http://r.tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13003057/


五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

  • 作者: 幸田 露伴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1994/12/16
  • メディア: 文庫
酔いどれ次郎八 (新潮文庫)

酔いどれ次郎八 (新潮文庫)

  • 作者: 山本 周五郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1990/07
  • メディア: 文庫
*学校の先生や塾の先生も職人という側面がある。
 『酔いどれ次郎八』の中に「江戸の土圭師」がある。時計職人の主人公三次郎が見世物小屋でナイフ投げの男女の芸を見たときにそのまなざしの真剣さに心を打たれる。自分はああいうまなざしで仕事をしていただろうかと本来の自分を取り戻し、数年間の放浪に終止符をつけて親方へ詫びに行く。
「わたしが考え違いをしていました」
と。仕事に不平不満はじつは自分の心根の問題だった。・・・
 先週、朝8時台のNHKラジオ番組を寝ながら聴いていたら、朗読がはじまった。いい話だなあと感心して終了時間を見たら8時45分だった。

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通りすがりの女

 はじめまして。いつも楽しく拝見しています。
いつもはロムっているだけなのですが、一つどうしても言いたくて、厚かましいかもしれませんがコメします(^^;)
 
 富山に住んでいるので、焼肉酒家えびすには何度も通っている常連です。
 富山ではCMや新聞などの媒体で毎日のように宣伝されている、とても有名なお店なんです。

 本題ですが、ユッケ280円弱とありましたが、正しくは294円(税別280円)です♪
 私は生肉が苦手なので食べた事はありませんが、主人は最近もあのユッケ食べていました・・・。しかも、いつも小学生の子供も一緒に行くのですが、ニュースを見ながら主人が「俺も子供が食べたいって言ったら、一口くらいあげたなー。」と怖い事を言っていました。(最初に亡くなったお子さんは、父親のユッケを一口だけ食べただけとの報道があったので・・・)
 GWも子供と行く約束をしていましたが、こんな事になってしまい、お店の前を通ると、やはり張り紙がしてあって開いていませんでした。

 一言と言いましたが、長々となってしまい申し訳ありません。
 これからも、ebisuさんのキレのあるコメントを楽しみにしていますので、頑張ってください(^^)
by 通りすがりの女 (2011-05-10 10:38) 

ebisu

"通りすがりの女"の方へ

当ブログを読んでくれてありがとうございます。

税込み表示に切り替わってずいぶんたちますね。税別ならその旨注記が必要ですね。税込み表示に直しておきます。

卸を通じず屠場からその日のうちに肉が届くといいのですが、そういう特別の仕入れルートは個人的なつながりがないと無理のようです。

トリミングして相応の値段で出してくれると問題ないので今後はそうしてほしいですね。
わたしは5年前に胃の全摘をしてから焼き肉を食べたことはありませんが、大好きでした。
いい肉を焼きながら、家族や気心の知れた仲間と集って食べるのは楽しいですよね。
by ebisu (2011-05-10 11:00) 

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