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#2137 物価を上げ国内に雇用を確保するには鎖国すべし Nov.24, 2012 [A4. 経済学ノート]

 紳士服の製造拠点が日本から韓国に移りだしたのは1970初頭である。韓国に縫製工場が移転しだした。機器も技術も日本から持ち出し、技術指導を熱心にやった。最初は惨憺たるものだった。国内と同じ速度では韓国の工場の縫製技術が上がらないのだ。儒教の国で身体を使って働くことを蔑視している国柄だからだろう。それでも7年ほどたち1970年代後半には韓国の縫製工場は徐々にではあったが技術を上げていった。おおよそ日本の半分の速度だった。

 1970年代初頭のことだが、あの当時の団塊世代が社会人となり、スーツの需要が急拡大したので国内の紳士服縫製工場は増えていた。新規の工場ができると、まず替え上着(ブレザー)の縫製をやらせる。そして技術が上がってきたら値段のはるスーツを縫わせて技術指導をする。技術レベルの低い工場は襟が「ぬきえり」になりがちであった。数年厳しく指導をすることになる。生地の裁断をする職人はもちろん縫製技術もしっかり身につけているから、細部に具体的な注文をつけ、課題を明示する。縫製業者はそれをしっかり聞き、裁断された生地を受け取り、指摘された点を改良してドキドキしながら納品して検品を見守る。
 そういう過程を繰り返して、3年ほどで新規の工場は着心地のよい紳士服をつくり上げることができるようになる。

 技術のよい裁断職人が一人いるだけで、傘下の外注縫製工場の技術改革が数年でなされる。同じ言語を話し、同じ文化の中でのことだから、技術移転も仕事の心構えも、シツケも実にスムーズだ。
 紳士服を縫うにはじつは中間プレスが重要なのである。英国の職人は重いアイロンで中間プレスを丹念に行う。相当腕力のある日本人でないと同じ重さのアイロンを操れないから、中間プレスが甘くなりがちだ。工場では機械でやるから調整しだいでプレスはしっかりやれる。これがしっかりしていると何年たってもスーツは型崩れしない。

 東京から根室に戻ってきて10年たつが、最近2年間続けて釧路の紳士服の安売り店で4着スーツを買った。店で一番いい品物を求めた。ポケットやズボンに使われているファスナー、とめ金具などはしっかりしたものを使っている。唯一欠点は、「抜き襟」になることだ。2年とも同じ欠点が目に付いて気になって仕方がない。ラベルを見ると「ベトナム」となっている。
 日本側に具体的な指示を出せるしっかりした職人がいないのか、ベトナム側の縫製工場に日本人の職人の言うところが理解できないのか私には分からぬ。
 職人文化の強いところでなければすぐれた製品を生産する工場はできない。手仕事を蔑視する儒教文化圏や西欧流の労働観に毒された共産圏の国の人々は日本人の職人文化を理解するのがむずかしいのだろう。仏教文化をもち共産化しなかったビルマ(ミャンマー)やタイのほうが、日本的職人文化を理解する素地を残しているのかもしれない。

 縫製工場は日本から韓国、そして中国、そこからまたベトナム・ミャンマー・タイへと移り、そのうちにインドへ行く。終着駅はアフリカ大陸である。こうして経済の「平坦化」は地球を一回りする。工場生産品は日本人がつくっていたときが技術のピークだ。ものづくりの拠点が国内から失われれば、それを支える文化的伝統も消滅しかねない。伊勢神宮は20年後との式年遷宮の儀式で古代の建築技術を現代にそのまま伝えているが、さまざまな分野でいままで培ってきた伝統技術が失われつつある。もう、十数年前だが、百年以上の歴史をもつ国内大手繊維メーカを定年になった人の言葉を思い出す。「もう国内で繊維工場をつくる技術がないのです。海外工場はつくれますが、国内工場は数十年つくっていないので、技術者が退職してしまって技術の伝承がされなかった」、そう仰っていた。

 グローバルに見ると、18世紀産業革命から300年をへて生産拠点は地球を一回りすることになる。
 この点に関して友人のZAPPERさんがおもしろい記事を書いているのでお読みいただきたい。

*「世の中はこう変わる」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6088910.html
 

 国際経済論をとってリカードの『経済学及び課税の原理』を読んだのは1975年だった。マルクスの経済学体系の構成は概念的枠組みの拡張をベースにしており、その最終環が国際市場関係なのだが、世界市場論と関連させてユニークな視点から論文を一本書き担当教授の木原先生に進呈してから37年もたった。修士論文のメインテーマと関連があったので、"ついで"だったが手抜きはない。木原先生、大喜びしていた。
 リカードが比較生産費説に基く国際分業について言及したのはほぼ200年前の1817年のことである。現実はその通りになっていて、生産費の安いところへと生産拠点が移動している。これは一つの経済合理性の追求の結果ではあるだろう。日本国内からさまざまな業種の生産工場がこの三十数年間で激減してしまった。
 60歳定年だったはずが、年金基金の枯渇が計算上はっきりするにつれて65歳へ定年延長が始まっている。あおりを食らったのは若者世代である。若者の半数は正規雇用の職がないという厳しい現実の中で暮らしている。

 働く気がある若者に職を保障するには国内に生産拠点がなければならない。鎖国すればいいのである。もっと穏やかに言うと、厳格な管理貿易をする。国内生産できるものは輸入制限をかける。輸入は国内で生産できないもの、すると著しくコストが高くなるものに限定すればいい。
 国内生産によって雇用は増える。そこで技術と文化の伝承をしていけばいい。国内生産に切り替えることで、製品コストは高くなるし物価は上がる。しかし、生産拠点が国内にあることで、修理も容易になる。古いものを修理しながら大事に使えるようにして天然資源の消費量を抑えればいい。時代の転換点は日本人に価値観の転換を迫っているように感じる。

 経済合理性を放棄することで日本は安定した社会を創造できる。人口減少が進み8000万人以下になれば、国民の大半が小さな農地をもてるし、食糧自給率も飛躍的に高めることができるだろう。
 私たちの祖先は縄文以来1万2千年の歴史をこの日本列島にきざみ、職人文化を育んできた。私たちはいま人口縮小といういままでに経験のない大きな時代転換点を通過しつつある。
 日本人にしかできない時代転換を成し遂げて見せようではないか。そのカギは「鎖国(強い管理貿易)」にある。コントロールの利く物価上昇と仕事の分かち合い、小欲知足の落ち着いた経済社会に暮らそう。

 経済合理性を放棄することで、日本人はアダム・スミスやリカードやマルクスの西欧経済学を超える。もとからある職人文化を徹底することがカギだ。経済合理性を超えて、ひたすらいい製品を追求して技術を練磨する、そういう職人が尊敬される経済社会である。農業も水産業も工業も医者も事務屋も、あらゆる職業人が職人である。それぞれ名人といわれる超絶の技能を有する者たちが存在し社会の尊敬を集め、失業のない安定した経済社会。


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