#2237 過剰富裕化論提唱者の福島原発事故処理構想:遺稿 Mar. 4, 2013 [A4. 経済学ノート]
お昼頃、スズメにえさをやっていた女房が庭で「大鷲が飛んできたから、はやく!」と呼ぶので、10倍の双眼鏡をもって外に出た。ゆっくり羽ばたいて西から東へ飛んでいく鳥を見つけた。嘴が黄色く尾羽と肩のところが真っ白、他は黒っぽいから、間違いなく大鷲だった。光洋町上空はときどき大鷲やオジロワシが飛んでいる。双眼鏡で見るとはっきりわかる。通り過ぎるまでほんの1分足らず。
庭に来る鳥は、スズメ、ヒヨドリのツガイ、そしてゴジュウカラだ。メンコイものだ。あ、カラスも来る、これはメンコクない。
青森大学経営学部長である戸塚茂雄教授から馬場宏二氏の『神長倉真民論』が送られてきた。この本は戸塚さんの編集で、別途弊ブログでとりあげるが、今回は『馬場宏二先生追悼記念誌』(馬場ゼミナール同窓会・神奈川大学)に載った戸塚氏の「追悼馬場宏二先生―短いが太い交流」と題された小論に載っていた馬場氏の「絶筆と思われる・・・レジュメ」を紹介したい。3月11日まであと1週間だ。
過剰富裕化論の経済学者である馬場宏二氏が福島原発をどのようにとらえていたのかを広く知ってもらいたいと思う。
2011年の経済理論学会のために用意されていた報告レジュメであるが、馬場氏は術後の体調が悪く出席できなかった。過剰富裕化論の提唱者の出席がかなっていたらどういう報告になったかは、このメモを手がかりに想像するしかない。
「経済理論学会第59回大会特別部会 東日本大震災と福島第一原発事故を考える 意見・提言集」 26ページ
http://jspe.gr.jp/drupal/files/jspe59teigenshuu.pdf
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1. 原子力発電は過剰富裕化とシャム双生児である。
質的には、人力で制御し得ない生産力をもちいて、当面の金もうけや生活の安楽の資とし、自然環境を生存不可能なまでに破壊する。量的には、日本原発設置は日本経済が、まさに過剰富裕化水準に達した時点から暴走した。電力消費抑制を含めて、反原発は過剰富裕化批判である。
2. 原子力発電コストは意図的に過小評価されていた。原発なきあとの電力価格は、当然、大幅に引き上げるべきであり、それが環境維持の一助となる。
3. 原発処理を含めて、震災復興費は、付加税によるべきである。国債によるのは、亡びの道である。当代のマイナスは当代で負うべきである。負っても、まだ過剰富裕化状態である。
4. 肉体労働を高評価する風潮をつくるべきである。これが社会再生のカギである。
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1番目は馬場氏の年来の主張の過剰富裕化と原発をセットにして論じただけのように見えるが、初めての論点である。
2番目はの「原発なきあとの電力価格は、当然、大幅に引き上げるべきであり、それが環境維持の一助となる」という主張はかなり踏み込んだものであり、大胆だ。廃止と同時に過剰富裕化を軽減するために電気料金値上げを受け入れるべきだと言っている。
3番目の「当代のマイナスは当代で負うべき」というのは言葉の使い方がうまいな思うと同時に気迫を感じる。
民主党政権と同じように安倍政権も国債増発で乗りきろうとしているが、国債で賄ってはいけない、きわめて重要と思われる論点である。次世代に対して当代がどう対峙すべきか迷いのない決然とした主張である。
そうするためには付加税だけではすまぬ、特別会計予算と一般会計予算を徹底的に削るべきだ。あらゆる費用をおおよそ30~50%カットするくらい過激なことを考えないといけないのだろう。大きな痛みを伴う具体案を1年間で検討し、ただちに実行すべきだと諭しているかのようだ。やれば戦後史で最大の国家プロジェクト、いや日本の歴史に残る大プロジェクトになる。
4番目の「肉体労働を高評価する風潮をつくるべき」だという主張は今までの過剰富裕化論にはなかった論点であり、唐突であるが、経済成長を止めるべきだという馬場氏の主張の延長線上の発言にも聞こえる。一番最後に記したのはさらなる論考への予告編だったからだろうか。
この論点は職人経済社会を標榜するebisuには大歓迎である、2年半前に言及したとおりの展開になったことに驚く。
私は2010年8月の#1158で過剰富裕化論をとり上げて、次のように述べている。
「資本主義経済批判であると同時にマルクス経済学批判でもある職人主義経済は過剰富裕化論といくつか接点をもつことになるだろう、そういう予感がする。」
馬場宏二氏の絶筆のレジュメを読むとこの予感通りになったように思える。私は2年半前に理由も挙げている。
「資本主義経済で生産力の発展と拡大再生産が至上命題になってしまったのは、労働概念にもかかわりのある問題である。労働力は資本の拡大再生産のための歯車のひとつでしかない。
名人の仕事を想起すればいい、全人格的な職人仕事は生産力を発展させない。利潤追求も至上命題にはならないから、拡大再生産とも無縁である。
ひたすらいい仕事をするために技術を磨き、道具の手入れを怠らず、仕事の手を一切抜かない。ごまかしのない誠実・正直な仕事をする。
職人主義経済は正直・誠実を旨とする。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」には地球環境との調和も入っている。「世間よし」はまさにそういう価値観の表明である。自分だけがよければいい、自分の会社だけが儲かれば地球環境はどうなってもいいなどとは考えない。馬場先生と一度話してみたいな。」
馬場氏はこうも言っている、「これが社会再生のカギである」、私の用語に翻訳すると「スミス、リカード、マルクスの労働概念から神の国の職人仕事概念への転換が社会再生のカギである」ということ。
お会いして話しをしたかった、よき先輩である戸塚氏が間にいたのだから無理をすれば可能だったかもしれぬ。いやスキルス胃癌で6年前に胃の全摘と胆嚢切除、大腸の一部切除をしたので旅行は無理だった、やはりお会いできなかった。
馬場氏と世界を変える新しい経済学の展望を議論してみたかった。このレジュメを何度か読み返しているうちに、直接お話がしたかったという思いが強くなる。
馬場氏の論にさらに付け加えたい論点がある。
鎖国(強い管理貿易)で国内に手仕事を確保すべきだ。TPPとは真逆のことをやるべきなのだ。日本はそういう時代の転換点にあることを認識すべきだ。西欧経済学の労働観に対置して「職人仕事」へ価値観の転換を果たすべきだ、そこに人類社会再生のカギがある。
日本列島に住む日本人は縄文以来1.2万年の日本列島の歴史で、初めて超高齢化社会の到来と急激な人口減少時代を迎えている。21世紀になって、ようやく新たな経済学が生まれる必然性が生じている。
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馬場氏の論点を再掲する。人類滅亡への道(青)と人類再生への道(緑)、二者択一。
(#1164より)
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2008年9月29日青森大学で開いた特別講演のレジュメの中の「Ⅳ.歴史観・価値観の逆転」という項目を再掲する。
Ⅳ.歴史観・価値観の逆転
―人類存続の前提―
経済成長主義―世界の場合・日本の場合
利潤経済=市場主義化―民営化・規制緩和・グローバリズム
アメリカ的価値観=西欧近代思想の極限
―個人の自由
―成功至上主義
―臆面なき自己正当化
―フロンティア願望
―人種差別戦争
―それでも、人類として唯一重要な課題、最大の努力が要る―
―金儲けと戦争の放棄
―生産より分配、発展でなく安定、民営化でなく重税国家
―経済成長を止め、物的消費水準を意図的に大幅に下げる
先進国は消費水準を下げられる、それが『過剰富裕』の意味
途上国は、先進国の下げた水準を到達目標とする
到達目標は、地球環境自動復元力の回復
前段(青)は逆転すべき価値観、後段(緑)は馬場氏が人類が生き延びるために示した指針である。
逆転すべき価値観として「利潤経済=市場主義化―民営化・規制緩和・グローバリズム」を挙げている。金融デリバリー取引は利潤極大化のために実体経済の数百倍もの規模に膨れ上がり、世界経済の時限爆弾化している。利潤を追求して株式会社は成長路線をひた走っている。
利潤追求は資本循環(拡大再生産)と相性がよい。資本主義では資本循環は個別企業にとって経済成長そのものである。馬場氏はそうした価値観を棄てろと言っているのだ。
穏やかに言い換えると、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」路線で行けということだとわたしは理解したい。地球環境との共存は「世間よし」ということだ。
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*ウィキペディより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E5%AE%8F%E4%BA%8C
「馬場 宏二(ばば ひろじ、1933年 - 2011年10月14日[1])は、経済学者。東京大学名誉教授。マルクス経済学者として敢然と「過剰富裕論」を唱えた」
「特別部会 東日本大震災と福島原発事故を考える」、経済理論学会の特別部会だと思うが、この2ページ目に戸塚氏の報告が載っている。
http://jspe.gr.jp/drupal/files/jspe59specialsession.pdf
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#1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2
#1158 「過剰富裕化論(2):過剰富裕化とは何か」 Aug. 12, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-12
#1162 「過剰富裕化論(3): 経済学部を目指す高校生へ」 Aug. 16, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16
#1164 「過剰富裕化論(4):人類史上最短労働時間の社会への道」 Aug. 18, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-18
#1165 「過剰富裕化論(5):節度ある明るい未来」 Aug. 19, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-29
>「当代のマイナスは当代で負うべき」
これ以上の借金と社会の仕組みのホカに
原発事故の後始末まで次代におくっては
否かの過疎化のように、日本も若い人か蝉はなされる時が
来るかもしれませんし、
次の4番目についても、たまたまTVで放映していた
ドイツのマイスター制度のこととかさなり、
この辺りの考え方の不足がが、日本のよき伝統技術が
後継者もなく衰退していくことに繫がっているように
らためて感じさせて頂きました
by miopapa (2013-03-05 19:21)
miopapaさん、こんばんわ。
投稿ありがとうございます。
馬場氏は言葉の使い方がうまい、この「当代のマイナスは当代で負うべき」も短いフレーズで実に的確です。
原発事故のツケを次世代に送ってはならないとは、馬場氏が私たちへ遺した大事な言葉です、噛み締めたいと思います。
そして何ができるのか考え、自分のできる範囲のことをしてみたい。
>田舎の過疎化のように、日本も若い人から見放されるときが来るかもしれませんし、・・・
若い人たちが、日本列島に希望をもって住み続けられるように、どんなに辛くても「当代のツケは当代が負うべき」です。
日本の伝統工芸・技術は次の世代へしっかりバトンタッチしておきたい。手仕事を重視する職人経済社会は地球環境と人類の共存を可能にします。
小欲知足の職人経済社会は失業がほとんどありえない、経済成長の必要のない安定した社会です。
by ebisu (2013-03-05 23:33)