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#2030 Marx『資本論』を超える経済学への道程 July 28, 2012 [A4. 経済学ノート]

 一昨日、恩師の市倉宏祐先生の訃報に接した。今朝ロンドンではオリムピックの開会式が盛大に開かれている。

 わたしには書くべきことがある。
 マルクス『資本論』がどのような体系構成になっているのかというのが高校時代から抱いていた疑問であった。当時は気がつかなかったが、そういう学に対する根本的な疑問を追及していくには経済学畑よりは哲学の教授のゼミが向いていたのである。
 前回書いた偶然の成り行きで、希望していた原価計算ゼミはスルーしてしまい、当時だけ専修大学に存在した一般教養ゼミを履修することになった。ゼミの掲げるテクストに興味のある学生が学部を超えて集ったのである。商学部の学生が多かった。1969年、当時学生運動は絶頂期を迎えていた。このゼミをとることで高校2年生の夏からはじめた公認会計士受験勉強を"卒業"してしまった、枠のある勉強に飽き足らなくなったのである。羽が生えて自由になった気がした。

 結局のところ、マルクスは抽象的人間労働が商品の価値を形成すると、流通過程分析を通して経済学の根本概念析出して体系の端緒に措定したのである。
 抽象的人間労働が価値を作るというのは学の根本概念であると同時に端緒(出発点)でもある。私はそこに『ユークリッド原論』との相同性をみていた。
 簡単に言うと、根本概念は公理公準なのである。だから、これを別のものに入れ替えると、まったく別の経済学体系が建ちあがることになる。公理公準を入れ替えると平面幾何学に対する球面幾何学のようなものがありうるのであるが、こんなことは当時も今も言う学者は世界中に一人もいない。

 マルクスは流通過程で交換関係を次第に単純化していく作業を通じて、価値や使用価値、そして交換価値などの経済学の基本概念の関係を何度も洗いなおし、何が最も根本的な概念なのかを比定した。わたしはマルクスの流通過程分析の検討の跡を追うことで彼の経済学体系構成の核心部分を確認していった。
 学の体系構成にはプルードンの系列の弁証法が利用されているが、マルクスは慎重に言及を避けている。ここいらあたりはすこしずるさを感じると同時に、系列の弁証法に言及したら誤解を与える可能性が大きかったのだからしかたがないという気もした。問題意識は共通のものがあったが、イコールではなかった。方法ありきという手法をマルクスは嫌ったのである。
 マルクスには『数学手稿』があるが、ギリシア自然哲学には興味をもっていたが、『ユークリッド原論』には関心がわかなかったようだ。数学のセンスに欠けるところがあったためだろう。『資本論』を読んでも『経済学批判要綱』を読んでもそれは了解できる。

 経済学体系として『資本論』がどういう構成をもつのかは理解できたが、公理公準である抽象的人間労働=価値を他の概念に取り替えたときに、どういう経済学体系ができあがるのか、当時の私には想像すらできなかった。
 だから、興味はマルクスが遣り残した世界市場論へと向いた。それが大学院の時期であった。木原先生の国際経済論の授業が要望に応じてリカード『経済学と課税の原理』をテクストにとりあげてくれたので、国際経済に関する論文を一つ書いた。木原先生はたいへんうれしそうに見えた。
 修士論文はそれまでの諸学説をなぞるだけで充分なのだが、そんなことにはまったく関心がなかったが、意に反して平田清明氏の説にとらわれすぎた。彼の論をとりあげる必要はなかったのである。省みると、漢字の解釈に偉大な足跡を残された白川静のようなことを経済学でやってみたかったのだ。それ以外のことには興味がなかった。

 大学に残っても、世界市場論で小さな業績が残せるぐらいしか先の見込みがなかった。つまらないと思い、企業経営にタッチしてみようと博士後期課程への進学を断念した。
 正体がわからなかったが、当時マルクス経済学に根本的な違和感を感じ出していた。30代前半はしばらくの間、東洋思想へ回帰した。原始仏教経典群に興味がわいたのである。呼吸やヨーガやチャクラに興味がわきしばらく自己流でトレーニングをしていたことがある。そんなときに道元の『正法眼蔵』に出遭った。難解な書物でいまだにその全貌が見えぬ。いくつも理由があって、私の手には負えそうもない。生まれ変わることがあったら、道元の弟子にしたもらいたい。しかし、生まれ変わることがないのはスキルス胃癌で一度死に掛かってよくわかっている。

 二十数年間、業種の異なる数社の企業で経営やシステム開発にたずさわり、ようやく学の端緒に措定できる概念を見つけることができた。それは日本の伝統的な「職人仕事」だった。
 マルクスが工場労働者の労働で想定しているのは疎外された労働でありつきつめると奴隷労働にいきつく。それは単純労働に還元できる性質のものだ。ところが職人仕事は単純労働に還元できない性質のもの、名人の仕事は出来損ないの職人が千人集まってもできるはずがない。アトムへの還元を拒否する概念である。デカルトの還元論の通用しない世界があった。ドイツにはマイスター制度もあるのだが、マルクスは資本主義的生産過程分析に焦点を絞ったために工場労働しか彼の視野に入ってこなかったのだろう。焦点を絞ると視野が狭くなり視写界深度が浅くなり、周りが見えなくなるものだ。焦点を絞るよりも、漠然と状況全体を捉えるほうがはるかに難しいもの。

 日本には日本の伝統的な職人仕事観をベースにした経済学体系が可能だと理解できたのは、いくつかの企業を渡り歩いて実際に働いてみたからだ。三つの業種のことなる企業で働いたがマルクスの言う疎外された労働は日本の現実とはまったく違うものであることがわかった。日本企業では仕事は自己実現の手段であり、神聖なものであり、歓びである。全力で打ち込めば仕事とは本来そういうものであった。
 職人仕事とはなにか?刀鍛冶の仕事をその原初的なイメージとして思い浮かべてみてほしい。大学に残っていたら、西洋経済学の概念に毒されたまま、おそらく一生理解できないままだっただろう。刀鍛冶の仕事と経済学が結びついたのは、赤字の会社やスレスレの会社を何度か高利潤の会社に変えたからだ。どこを探してみてもマルクスの言う労働疎外はなかった。日本人にとって仕事は生きがいそのものなのである。無心に最高の仕事をしていくとスキルの上がるのがはっきりと自覚できる、それはなにものにも替えがたい神聖な時間だった。
 例えば、いい仕事をするには道具である刃物が最高の切れ味をもたなくてはならぬ。見習い大工が一日の仕事を終わり、食事をすませてから、砥石に鉋の刃を当て静かに研ぐ。次第に刃が砥石に吸い付いてくる感覚が指先を通して伝わってくる、・・・、事務仕事のプロにもそういう手応えや至福のときがある。休日に十数時間、専門分野で時代の先端を行く著作を読み、休み明けに仕事に使って試してみて、使えるものと使えないものに仕分けしていく。とりあえず真似てみて、そして考え、工夫を加えていく。気がつくと、時代の先端レベルを超えた領域へと踏み出している。臨床診断支援システムのように二十数年たってから時代が追いついてくることもあった。

 職人仕事を経済学体系の公理公準としたときに、まったく別の経済学が成立する。それはスミス・リカード・マルクスの伝統的な西洋経済学を超えるものである。19世紀の古典派経済学とそれを継承したマルクス経済学に対置できる21世紀の新たな経済学体系といってよいだろう

 弊ブログには「経済学ノート」のカテゴリーがある。そこにいくつかの論点整理を試みた。今後も書き溜めていくつもりだ。私の手に余るテーマだから、若い学究の参考になることがあれば幸いである。

 あのとき、あの場所に先生がいて市倉ゼミという坩堝がなければいまのebisuはありえなかった。
 市倉先生の訃報に接して、やり残している仕事を再確認して、叱られたような気もするし、にっこり微笑んでそれでいいとおっしゃっているような気もする。


*#2029 市倉宏祐先生の思い出 July 28, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-28


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Hirosuke

私も書くべき事があります。

私しか知らない事があるから。

私にしか書けない事があるから。

哲学入門書の世界的ベストセラー『ソフィーの世界』を入手しました。

by Hirosuke (2012-07-28 18:41) 

ebisu

私ももっています。
分厚いハードカバーのものと、3冊本の普及版と両方。
普及版のほうは生徒への貸し出し用です。
10年間でまだ、3人しか読んでいませんが・・・

構えていないところがいい、堅苦しくなくていい本ですね。
by ebisu (2012-07-28 22:03) 

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