#3580 年に一度お祭りの時に飲む特別なお茶 Aug. 14, 2017 [88.金刀比羅神社のお祭り]
8月15日夜11時55分 400年に一度の大津波に備える
金刀比羅神社のお祭りのときに、「北の勝」ではパイプを引いて蛇口をつけて酒造りに使っている湧水をふるまう。10日にそこから300ccほどいただいてきた。
その水でお茶を入れて飲む、これが実においしいのだ。年に一度しか飲めないからなおさらだ。今年も貴重なお水を沸かしてお茶を入れていただいた。
お茶の葉は毎年、東京高幡不動駅前の金子園から新茶をとっている。以前は板橋区志村坂下駅前の君野園というお茶屋さんに新茶の予約注文をしていた。新茶は味わいが違う、味の劣化が少ないように冷蔵庫に入れて保管して使っている。最近はおつきあいからコープサッポロの新茶も注文して飲むが、水道の水は使わずに2Lサイズのペットボトルの天然水を使う。水道の水を使うとおいしくないから。
お茶も珈琲も水がよいと素材の持つうまみを存分に引き出してくれる。
根室には「北の勝」のほかに昔「色媛」という銘柄の酒があった。わたしが小学生のころはまだあった。カネマンと呼んでいたような気がする。兼古酒造だったかな、あった場所はヒシサン。成央小学校のあたりから湧水を引いて仕込み水として使っていた。一坪ほどもある木桶に滾々(こんこん)と水が流れていた。水源から1km以上の距離を一般道を乗り越えて水が引けたのだから、政治力も大きかったに違いない。今では不可能である。
交差点の角地に水栓がもうけられていて、近所に鍵(金属のハンドル)が配れており、湧水を利用できた。天秤棒にバケツを二つぶら下げてバランスを取りながら家まで運んだ。天秤棒がしなるので慣れないとバケツの水が2割がたこぼれてしまうからコツがいる。お風呂や洗濯に使う水は家の裏にある井戸水だった。水道が家に引かれてからも近所のおばあさんはバケツに1/4ほどカネマンの水を汲んできて、鉄瓶で湯を沸かし、お茶を楽しんでいた。水道が整備されたのは根室町から根室市なった昭和32年ころ。カルキ臭いのと鉄管の臭いが混ざって慣れるのにしばらくかかった。大きな甕で水道水を受けてカルキ臭さを抜いて使っていた。良い水は匂いや味の感覚を鋭敏にする。
「北の勝」の水源についても書いておこう。碓井さんのところは酒蔵のある一角の敷地内に水源がある。酒蔵に隣接する常盤公園はもともと碓井さんの所有地で、仕込み水の水源地と一帯。あるとき常盤公園に市庁舎を移転しようとした。木を伐採して市庁舎を立てたら水が枯れるかもしれない。公園で利用するという約束で寄付をしたのだから、用途変更は約束違反、寄付の経緯を説明して移転をやめてもらったという。年数がたつと、経緯を知っている人間が市役所のほうにもいなくなる。こういう約束は書面にしておかないと危うい。それにしても、酒蔵の隣地の林を伐採して大きな建物を建てたら、仕込み水に影響することぐらいわかりそうなもの。
カネマンの水源だったのは成央小学校のあたりだから、井戸を掘って蛇口をつけてくれたら、大地震が来て水道が止まっても市民は水の確保ができる、そして普段から地元のおいしい水でお茶や珈琲が飲める。「北の勝」の碓井酒造の水と並んで根室産のおいしい「ふるさとの水」だ。
地層調査の結果、根室半島は20-30mの津波が5500年間に15回来ているのをご存じだろうか?前回大津波があってから約400年間沈黙が続いている。どういうわけか根室半島はこの50年間毎年1cmほど沈んでいる。ebisuが高校生の時から50年たっているから、もともと洪水が多かった緑町も汐見町も50㎝地盤が沈下しているから、海側から高潮被害がでるようになった。爆弾低気圧で1.5mほどの高潮被害がでたのは、数年前のことだが、地盤沈下の影響が大きい。いずれ根室半島は大きな地震とともに跳ね上がることになる。
大災害に備えなければならない。借金を増やしてはならぬ、借金はゼロにして、災害時にお金が使えるように蓄えねばならない。
住んでいる人たちが安心て住めて心の底からいい町だと思えれば、移住してくる人も増えるのではないか?一つ一ついいところをつくっていけばいい。
オープンマインドが大切、閉鎖性を打破しよう。
最近、地元経済界はロシアとの経済交流について会議を開いたそうだが、非公開。こういうことも一つずつ変えて行けば町の未来が明るくなる。利害が対立する北方領土運動諸団体くらいは入れるべきだ。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」
70% 20%
#3578 金刀比羅神社例大祭 ②: 和太鼓アンサンブル Aug,11, 2017 [88.金刀比羅神社のお祭り]
第三祭典区の先太鼓と打ち手の集団が通って行った。その集団の中でTもリズムに合わせて体を揺らしながら笛を吹いている。
第一祭典区の山車(だし)が坂を上り始めたので双眼鏡で見たら、知っている顔が太鼓をたたいていた。弟の話だと太鼓が大好きな姉ちゃんは夏休みに入るとすぐにサッポロから戻ってきて練習に参加していたらしい。お祭り用の化粧して元気に叩いている。山車(だし)が交差点手前でストップすると、大太鼓の台座(高さ10cmほど)が二つ置かれて、その上に太鼓が据えられた。80㎝ほどの胴長の大きな太鼓を幅広のベルトで肩から掛けて5人登場、かなり重いはずだが一人は女性。坊主頭のこってりした重量級の男と同じ太鼓をぶら下げて好対照、絵になっている。山車の上から笛の音が響き始めるとそれを合図に太鼓7台と金属の灰皿のようなものを叩き合わせる楽器の8名のアンサンブルが始まった。大太鼓は中学生か高校生の二人、まっすぐ前を見て無心に叩く姿を後ろから見ていたが、きりっとした姿は粋である。ピッタリ息を合わせてドンドンと叩くと音が地面を伝わって体を震わせ、周囲で見ている観客のこころに響く。太鼓のアンサンブルは演奏者と観客とががっぷり四つに組むことで高揚した場が生まれる。この雰囲気が祭りだ。
各祭典区は太鼓の部隊をもっている。根室にはいくつかの太鼓グループがあって定期的に練習に励んでいるからどの祭典区のアンサンブルも技術レベルが高い。西部祭典区には印刷会社に勤務するS藤さんがいるが、ずっと根室太鼓のメンバーで技術と心意気を伝えている。彼のように祭りの伝統を支える人たちが各祭典区に何名もいる。西部の太鼓部隊が太鼓の数も人数も多いようだ。
西部祭典区の山車が来た。見るとお祭り娘のMが楽しそうに太鼓をたたいていた。昨日から2日間叩いているのに疲れた表情がない、どこにあんな元気があるのだろう。女子バレー部のきついトレーニングほどの体力はいらぬということか。
町1丁目交差点で開かれる各祭典区の太鼓の競演がすばらしい。「四祭典区先太鼓と金棒の競演」の後で行われる。昨日あったのだが、バテて見に行けなかった。ちょうど競演の時間にジリ(霧の粒の大きいものを根室ではジリという、小さいのはガスと呼ぶ)が出てきて天候に恵まれなかった。しかし、今日は第一祭典区の太鼓のアンサンブルを聴けたので大いに満足。演奏が終わると交差点に集った見物客は大きな拍手をしていた。太鼓の振動は日本人のこころを底のほうから揺り動かす。
交差点に山車が差し掛かると、先導が扇や両手を振って山車を誘導する。どの祭典区か忘れたが、先導の女性がまっすぐに手を挙げて、さっと横に振る、すると山車は思いっきり左に舵を切って戻した。椅子を並べていた5名ほどがびっくりして椅子から飛びのいた。しっかり誘導しているから危険はないのだが、山車が目の前まで速度を上げて迫ってきたら驚く。これも先導とドライバーの息次第、腕の見せ所だ。
殿(しんがり)は東部祭典区だった。2時の気温は14.8度、3時には14.3度、山車に乗って太鼓をたたいている人は体を動かすから寒くないが、山車の上で笛を吹く人は寒そうだった。上に一枚余計に着る人もいた。
そろそろ山車が緑町に戻ってきて山車の競演やら、太鼓部隊の演奏がはじまる。露店はすでに半分以上片付いている。
祭りの最後を楽しむ人が集まってくる。
都合がつかず帰省できなかった人たちが、弊ブログを読んでふるさと根室のお祭りを思い出してくれたら幸いである。
70% 20%
#3577 金刀比羅神社例大祭 ①: Aug. 11, 2017 [88.金刀比羅神社のお祭り]
根高三年生のニックネーム「銀狼」君が奉納剣道大会を手伝っていたそうだ。高校生になってから剣道を始めたのだが、メキメキ腕を上げたようだ。上背があるから上段に構えて振り下ろしたら迫力がある。
夜の山車競演は山車が向き合ってセットされて、両方が思いっきり太鼓を叩いて見せる。毎年出かけるのだが、ことしは億劫で見に行かなかった。7時半ころから光洋町は霧が出て道路が濡れていたが、緑町は大丈夫だっただろうか?
10日は神社境内へ出かけて、神輿の出発するのを見送り、自転車で追っかけをやるが、午前中体調がすぐれず、回復を待って2時過ぎに出かけた。午前中はお腹の調子が悪いので食事の後は横になって1時間ほど休憩している。全国各地が30度を超えているのに、日本一涼しい夏の根室、合同庁舎前の気温表示装置は15.4度、肌寒い。警察の坂を下ると行列の最後尾である東部祭典区の山車が交差点を曲がっていったので、すぐに坂を上って国道沿いに少し走り、「北の勝」碓井商店のほうへ下りた。碓井さんでは毎年酒蔵の前に酒造りに使う湧水をパイプで引いて水をふるまっている。持参したペットボトルでその水を受けて飲んだ、柔らかく甘い感じのする名水である。小さな女の子が「水飲みたい、水飲みたい!」と叫びながら走ってきた。水をもらってのむと「おいしい!」とほほ笑んだから、「としいくつ?」と訊いたら「四歳」と答えてくれた。浴衣を着せてもらって得意げな表情がめんこい。
日本最東端の造り酒屋である「碓井(商店)さん」の前を左折して坂を上り下り、この道は脇道だから車はほとんど通らないが、両側にびっしり駐車していた。この先は出雲神社の前の通りに出る。坂を上がっていくと「例大祭大役」を仰せつかって衣装を着ている高校の先輩に出遭った。剣道の達人である。「おお、ebisu、お祭りはかならずどこかで遭うな、この前はニホロだったな」、年に一・二回どこかでお遭いすることがある。「銀狼」が奉納剣道大会を手伝っていたよと教えてくれた。すぐ前の道路を行列の先頭部分が動き出していたので、駅前の交差点まで戻って行列を待つ。この辺りは道路脇の見物客が切れない。
先頭の第三祭典区が通り過ぎたときに先太鼓の笛を担当していた「T」がわたしに気が付き笑顔を送ってきた。サイクルパンツにヘルメット、そして赤いミラーレンズのサングラスをかけているとほとんどの人が気がつかない。第一祭典区の行列に主治医がいたので頭を下げて挨拶したら、一瞬怪訝な顔をしたが、「ああ」という表情で気がついた様子。お世話になっている患者は先生が通ると、挨拶をするだろうから、たぶん気が抜けない。先生は身の丈190㎝に近い大男だから目立つ。診察時は椅子に座っているからそれほど大きく見えない。柔和で威圧感がないのである。運動不足を解消するためか2階の内視鏡検査室へはいつも階段を駆け上がり駆け下りてくる。寸暇を惜しむかのようなあのトレーニングで足腰が鍛えられゴルフのスコアアップに役に立ってる?(笑)
神輿は駅前交差点を右折して駆け足で一回りするので、ここが神輿を見物する場所としては最適な場所の一つ。ニコンの小型8倍双眼鏡で行列の来るのを待っていると北斗小学校前のあたりに行列の先頭の毛槍が数本見えてきた。「えっさ~いやさ~」と奴行列の掛け声が聞こえる。その後ろから金色に輝く神輿が現れた。重量1.5トンだそうだが、四本の木で台座を組むから総重量1.7トンくらいになる。担ぎ手は2交代だが、一組60人とすると、一人あたり30kg弱である。結構重い。とくに下りが危ない、勢いがつくと止まらない。一回りして国道へ出るときに一回停止するのだが、どうなるだろうと注視していた。
神輿は時々速足になり、交差点手前でなんどか揺らしながら差し上げられ、目の前で交代が行われた。疲れが来たのと手際が良くなかったようで、後部の片側が下がった。すると指揮をしている人からすぐに声が飛んだ。後部が手薄で危ない。すぐに残りの十数人がそちらに回る。ヒヤッとした。ebisuは高校三年生の時に神輿を担いだが、緑町2丁目交差点の下りで、勢いが止まらず露店脇に駐車していた赤い乗用車に神輿の太いほうの台木が当たった。かすっただけでも乗用車は大破した。担ぎ手が挟まれたら命にかかわる。出雲神社でも大きな灯篭に台木が当たると吹っ飛んだ。おもったより重量がある。振る舞い酒にも飲みかたがある。神輿がふらつくほどいただいてはいけない。そういう飲み方をする担ぎ手はいないようだ。昔に比べて品が良くなったというのが実感。高校三年生時に友達数人を誘って担ぎ手に参加したが、まさかあれが最初で最後だとは思ってもみなかった。高校を卒業してから35年間東京暮らしだった。あの夏には想像すらしていない。
「金刀比羅神社例大祭のご案内」が新聞折り込みで配布されているが、その中に次のような文句がある。
②渡御当日神輿の通貨時刻には、巡路上に車両の駐停車を絶対にしないようにご協力をお願いします。
過去の事故を踏まえてのことだろう。ドローンを使っての空撮禁止が③に書かれていた。
昨日10日は6時半から、「四祭典区の先太鼓と金棒の競演」があった。7時ころから光洋町はジリがひどかったが、会場である緑町は大丈夫だっただろうか。
今日11日が最終日である。神輿は12時半に緑町1丁目交差点にあるお旅所を出発し、3時半に神社へ戻る。行列が通り過ぎると、緑町の露店が片づけを始める。祭りの終わりはなぜか寂しい。
そのさみしさを補うように、山車が戻ってきて緑町で競演をするがこれは正式行事ではない。祭りを名残惜しむ人たちが自然にそうしているのだろう。地元の第三祭典区の山車が緑町2丁目交差点に戻ってきて、先太鼓がうなり、餅を巻いてお開きとなるころには露店は2/3ほど片付き日が暮れようとしている。
70% 20%
#3390 金刀比羅神社例大祭8/11: 金棒と獅子頭 Aug. 11, 2016 [88.金刀比羅神社のお祭り]
集団の金棒(かなぼう)は珍しい部類に属する。
お祭り見物をしていたら、2年上のY先輩に声をかけられた。金棒は東京三社祭でも先導係りとしてあることはあるそうだ。集団の金棒は根室独特のものではないだろうか。
koderaさんから「金棒って何?」と質問をいただいたので、写真を見ながら説明したい。
(1時の気温は17.0度、根室の夏は涼しい!夜9時には12.7度です、床暖房をつけました)
<これが金棒>
上部にステンレス製のワッカがついています。上下に振ると音がなります。勢いよく引き上げると、横長のトラック状の輪に真ん丸い小さな輪が4個ついているので、一緒についてきます。そこでがちっと力任せにとめます。急停止ですから小さな輪が横長のトラック状の輪に激しくぶつかり音がでます。55年前のお祭りでは、腕力のある水産加工場の男工さんたちの金棒隊がありました。みんなが掛け声をかけながら息を合わせて、力いっぱい振ったり止めたりするんです。息が合うと音もシャンシャンとひとつになる瞬間があります、見事な力技でした。根室高校の男子生徒の皆さん、10人でいいから、「金棒隊」を編成して練習してくれませんか。太鼓もいいけど、金棒の技の迫力もすごい。根室高校に金棒同好会や金棒クラブがあってもよい。伝統技を復活して、金刀比羅神社のお祭りのメインイベントにしましょう。ところで、元気のよい金棒をやれる若い人はいないのでしょうかね?そんなことないと思いますが...各経済団体で5人ずつ選抜隊をだして編成することだってできるはずです。根高剣道部がやればど迫力の金棒隊になりそうです。竹刀を振り下ろして剣先を止めるのと同じ呼吸でしょうから。剣道部の銀狼君、金棒振ってみないか?(笑)
この55年間の大きな変化は、20歳代の大人のパワーがお祭りから消えてしまったことにあるようです。それはそのまま根室の衰退とイコールです。何とかしませんか?
<中学生女子の金棒隊>
<交差点での先太鼓を囲んだ金棒隊-小学生>
<同じく先太鼓を囲んだ金棒隊-中学生>
<緑町1丁目交差点を出発した金棒隊-中学生>
<同じく、小学生>
<金棒休憩中>
三脚状に立てかけられています。アスファルトを突いても、へこみません。直径1cmほどの白い円形の跡が残るだけでした。
<獅子に犬が吼えています>
この獅子舞は女性ですが、頭の動きが生きているようでとっても上手でした。犬は本物だと思って吼えてるようです。身体は小さいが、一歩も退きませんでした。その姿に周りの人たちは大笑い。
<獅子頭、地面に寝そべってただいま休憩中>
逆光だったので、露出は「マイナス1」にセット。場所は緑町2丁目と3丁目の境の交差点です。2時半ころですから、太陽が斜めになって影がくっきり。陰の中にある丸い小さな白点は金棒でアスファルトを突いた跡です。かなり古い、風格のある頭です。
<弩迫力!>
獅子頭はひとつずつ表情が違います、手造りだからでしょう。
神社行列ように2個、各祭典区に2個ずつ計8個、第三祭典区にもうひとつ、合計11個の獅子頭があるのかな。いや、各祭典区に4個、合計19個かな?獅子頭を一つ一つアップしたら面白いでしょうね。来年、やってみましょうかね。
<神輿と教会建物の競演(昔、トンガリ幼稚園バプディスト教会)>
ここは登り坂です。50年前にこの交差点で、大人の担いだ神輿がよろけて、路上駐車していた車を一台へこませました。途中でお酒が入ったので、から元気でよろけました。コースがいまとは逆で、下りだったから、コントロールが利かずにちょっとだけふらつきました。屋台が並んでいましたが、交差点の手前で切れていて、赤い車が駐車していました。車の鋼板は薄いから1.5トンの神輿の枠木がかすっただけで、大げさにへこむんです。出雲神社の大きな石灯篭も縦木の端がこつんと当たったら吹っ飛びました。神輿は重いので、危ないのです。高校生の担ぎ隊は酒を飲みませんから、しっかり仕事をしました。いまの大人は神輿を担いでも、振る舞い酒をほどほどにしかいただかないようで、品がよくなりました。(笑)
赤ん坊を連れて祭り見物をしている若いお母さんをたくさん見かけましたから、町の将来に希望を見たような気がしました。伝統文化を復活・維持するために智慧を絞ってやればいいだけ。未来はここに住んでいるわたしたちが創っています。
久しぶりに、サリーさんに遭いました。極東のワイン・バーを閉めてから2度目です。サリーさんのブログを見て、全国からお客さんが来てました、じつにいいお店でした。
姪御さんが金棒に出ているので追っかけながら写真撮影してました。「あ~ら、ebisuさん、お久しぶり」、ほんとうにお久しぶりでした。マスクをしていたので声をかけていただくまでわかりませんでした。術後半年経ちましたが、元気な姿を見て一安心、2~3年は免疫が落ちるので体がきついときがありますが、がんばりましょう。
もう5年くらい経つでしょうが、道新記者のお一人が神輿を担いだことがあります、そのときにサリーさん走りまわって写真を撮っていました。いまはナホトカ支局(?)にいるのかな。医療や教育問題は苦手でしたが、歯舞の昆布物語シリーズの記事は秀逸でした。双沖で昆布漁師になりたての拓也と一貴の意気込みがよく伝わってきました。いつもニコニコ、お人柄のよい記者さんでした。道新根室支局の記者さんたちはみなさん「極東のワインバー・サリー」の常連さんでしたね。(笑)
サリーさんと一緒に勝代さんの事務所にお邪魔してちょっとおしゃべり、アイスコーヒーをご馳走になりました。風邪を引いているときのような鼻声で元気がないような気がしたので気になりました。微熱はないのですぐに治るでしょう、何しろ市議では若手です。勝代さんの事務所は緑町2丁目ですから千客万来で、忙しそうでした。若い女性市議さんのますますのご活躍を期待しています。
数日前に歯舞で薬局を開業した方がいると北海道新聞根室地域版に載っていましたが、薬剤師のご当人がお子さんを連れて現れました。日本最東端の薬局です、皆さんどうぞご贔屓に。
本田市議がカメラをもって行列を追いかけて写真撮影していましたので、ご挨拶。こちらは日焼けして、とてもお元気そうでした。
市議では古株の遠藤さんが鈴木貴子衆議院議員を伴って、お祭りの行列について歩いていました。親離れして一人で歩く姿を見てもらいたかったのかな?顔見知りの遠藤さんともご挨拶、愛想のよい人だからいつも笑顔で応じてくれます。コミュニケーションは気持ちのよい挨拶から生まれます。挨拶の相手は思想信条、党派を問いません、無節操でよい。(笑)
*#3389 金刀比羅神社例大祭8/10 Aug. 10, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-08-10
#3389 金刀比羅神社例大祭8/10: 神輿が神社を出発 Aug. 10, 2016 [88.金刀比羅神社のお祭り]
今年も金刀比羅神社へ神輿の出発を見物に行った。写真を7枚アップするのでふるさとへ帰省できない人たちに懐かしんでもらいたい。
10年前は、スキルス胃癌と巨大胃癌の摘出手術を受けて、3週間後にこのお祭りを見ていました。お祭りの1週間前、術後2週間で退院、その日にある方の葬儀に参列していました。数人の友人が「大丈夫か?」と心配してくれる中、同級生のK(仲間内では'ヒロシ'です)が、「ebisu、顔色悪い、長いことないな」、心底心配してそう言ってくれました、40日の入院で12kg体重が減り、歩く姿もふらふらしていましたから。(笑)
執刀外科医はMRI検査結果を診て、肝臓に転移している可能性が高いので、手術の際に肝臓を触診してみると予告していました。癌なら指で触れて診ればわかります。開腹してみたら、すでに大腸に浸潤しており、リンパ節への転移があり、肝臓触診の結果、肝転移の確信があったのだろうと思います。「1ヵ月後に肝臓の一部摘出手術の可能性があります」と執刀医がわたしに告げました。そう聞いても不思議なことにわたしには不安がわいてこなかったのです。
結果として肝転移はありませんでした。オヤジが大腸癌の手術の2年後に再発、肝転移があり、全身へ癌が転移してしまいました。2度目の手術は「アケトジ」でした。術後4ヶ月で逝きました。お腹に触れると、皮膚を通して肝臓が板のように硬くなっているのが医者ではないわたしにすらはっきりわかりました。
肝臓触診で外科医の判断が正しくないはずがありませんから、肝転移は消えてしまったとも考えられます。人間の身体は不思議に満ちています。外科医と消火器内科医のドクター(主治医)、そして親切な看護師さんたちのお陰でしぶとく生きています。(笑)
昨日は2泊3日の道内旅行も術後初めてできました。こうして術後10回目の金刀比羅神社のお祭りを見れることに感謝です。
50年前に、高校生だったわたしもこのお神輿を担ぎました。いま高校生は担げないのですね、担ぎたい人がたくさんいるでしょうに、気の毒です。班をもうひとつ増やしても、「高校生のカツギタイ」は編成できませんかね。毎年50人の高校生が神輿を担ぎ、それからふるさとを離れていってほしいのです。とっても大事なことだと思っています。
金棒をみていると、50年前とは型が崩れてきています。腕力の違いがあるのでしょうがないのですが、本物の金棒演技を見たことがないからでしょう。
腕力のある若い男工さんたちの金棒は、音が完全にひとつになる瞬間がありました。10人でもよいから、高校生男子グループが昔の金棒演技を復活してほしいと思います。「復活!ザ・カナボウ隊」、10人集めていずれかの祭典区へ登録する高校生が出ることを期待します。根室高校の同好会登録してください。1年間活動すれば、翌年からクラブに昇格できます。伝統はつないだり、復活することが大事です。
<出発直前の神社の境内で-1>
まぶしい!団塊世代のわたしが担いだ神輿はこんなにまぶしくなかった、ご利益が増したのでしょう。四本の組み木の内、長いほうが重いんです。二人でようやく持ち上がります。
綱の結び方が違うって、数年前に見ていた人が言ってました。神輿の綱の結び方に詳しい人でした。話を聞いてみましたが、他の地方の方でした。結び方はたくさん種類があります。
<出発直前の神社の境内で-2>
中央の二本、右と左で結び方が違って見えませんか?来年は左右同じ結び方で美しく飾ってほしいと思います、見る人は見ていますからご油断めさるな。
<この鳥居を神輿が通ります>
<神輿が鳥居を出るところです>
肩当がついているでしょう、こういう装束での神輿担ぎは全国的には珍しいのです。町神輿はハッピ姿で担ぎます。衣装は担ぎ手グループが揃えます。
<ピンクの飾りがきれいですね>
神輿が大きく写っているピンクの飾りに隠れてしまいました
<神輿が車道に出ました>
<西部祭典区の山車です>
うれしそうな顔して元気いっぱい太鼓を叩いていました。たぶん、毎年太鼓を叩いている子たちです。お祭り最高!
誰も言いませんが、祭りに参加して「日当」がでるなんてお祭りは珍しいのです。どういう経緯でそうなったのかは知りませんが、子どもたちは「アルバイト」として割り切っている者あり、祭りが大好きで参加する者ありと、二つに分かれるようです。
小中学生の数がピーク時の1/5に減少していますが、24年後にはさらに現在の半分になりますから、そろそろお祭りのやり方について再考すべきときに来ている気がします。
金棒ひとつをとってみても、昭和30年代には男工さんのグループと女工さんのグループがありました。金棒は大人のほうが多かったのです。根室の水産業の衰退とともに、若い男工さんや女工さんたちが根室の町からいなくなり、お祭りも変わってしまったのです。どう変わったかというと、若い大人が減り、子どもたちの比率が増えました。今度はその子どもたちがいま激減しています。祭典区によっては根室外の子どもの参加を募るところもあるようです。若いころお祭りに参加していたが、地方へお嫁に行って、自分の子どもに根室のお祭りに参加させたい、そういう希望者が増えつつあります。
伝統の維持は一筋縄ではいかないのです、時代に合わせて変わらなければいけないこともあります。
でも、根室市政がそうであるように、祭りの在り様を一部の者たちだけで決めてはいけませんよ、金刀比羅神社のお祭りは根室っ子みんなのものです。
<余談:団塊世代の高校同期会>
神輿の先導役を毎年やっているK浦と神社境内で立ち話した。9月3日の高校同期会は参加55名、東京から16名ほど来るという。懐かしい顔に会えそうだ。同期は7クラス350名だったから、1/7が集まる。地元に残っている者は半数の参加だそうだから2割強の80名くらいがいるのだろう。高校を卒業してから、8割がふるさとを離れたということ。そういうことが今も続いているのですから、根室の人口が減るわけです。
*#3390 金刀比羅神社例大祭8/11: 金棒 Aug. 11, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-08-11
70% 20%
#3102 金刀比羅神社のお祭り:神輿の Aug. 11, 2015 [88.金刀比羅神社のお祭り]
4時少し前に、神輿を担いだ航空自衛隊根室分頓地のメンバーが輸送用のトラックとマイクロバスに乗って戻ってきた。衣装は基地に戻ってから着替えて返すのだろう。
団塊世代が高校生のときは、「担ぎ隊」は高校生が1グループの半分くらいを占めていました。高校生グループの「神輿担ぎ隊」(「神輿かつぎたい!」)はできないものだろうか。
ひまわり弁護士会の初代の駐在弁護士柴田さんがうれしそうな顔をして神輿を担いでいた、あれから11年か。北海道新聞根室支局の栗田さんもニコニコ顔で担いでいたっけ、かれはいまサハリン駐在だ。ウォッカを飲みながら、ロシアの夏祭りを楽しんでいるだろう。
学校の先生にもお祭りに参加する人が増えてきました、数人いるようです。地域社会に開かれた学校づくりには、先生自身がこうした地域の行事に参加することも含まれているのでしょう。好きな人は転勤した先々でお祭りに参加してみたらいい。
それほど暑くないので、神社の獅子担当グループはあまりばてていないようす。神輿の前のほうの獅子担当グループの休憩中の姿を撮りました。
下の写真は画面の左側が露出オーバで右側が陰になっていてアンダーだ。あと3m近づけば、ちょうど良いくらいの露出が得られるのだろう。どうやら携帯で撮るときは、撮りたい被写体にぐんと近づいたほうが塩梅がよさそうです。逆光ですから一眼レフならフラッシュをたきたいところです。この一枚のテーマは「怖い顔の獅子頭とメンコイ顔の女の子のコントラスト」ですから、3m近づくべきでした。マニュアルの一眼レフなら狙いのはっきりした写真になりますが、携帯のカメラでは狙いのわからないあいまいな写真になりがちです。
周りの景色の説明もしておきます。この子は緑町2丁目交差点の真ん中に立っています。後ろに写っているのは小酒井酒店さんと旧札幌銀行建物。札幌銀行建物は市議の工藤さんのパソコン教室になっています。向かい側は日専連と皆さんおなじみの「甘太郎」さんです、もう60年近く営業している緑町の老舗。表通りでは阿部薬局と並んで根室人にはなじみのあるお店。
昔あったお店を緑町3丁目から順に挙げていくと、阿部精肉店、関川書店、紫屋染物店、おもちゃ屋さん(名前を忘れました)、スズキ時計店、川原商店、小林商店、伊沢書店、ヤチダ靴店、反対側に移って、やすやすや、五十嵐金物店、覚えているのはこんなところです。毎日数千人の人が緑町商店街で買い物をしていたのではないでしょうか。角にあった川原商店は歩道上に山のように商品を積んでいましたが、暗くなるころには全部売れてしまうほどにぎわっていました。山一の向かい側に山田豆腐店がありました。人を数人使っていて、大きな豆腐屋さんでした。豆腐もがんもどきも油揚げも美味しかった。焼き豆腐やできたてのがんもどきは絶品でした。
獅子舞が近づいて、パクッと頭を動かすと子どもたちが泣き叫んでいました。小さい子達はみんな獅子舞が苦手なようです。上手になると肉食獣のような動きができるようになりますが、なかなか迫力あるんです。体が柔らかいほうが動きがしなやかです。この獅子は散々ちびっ子を脅かしたあと、メンコイ顔を見せていました。獅子頭を上げた途端に子どもが泣き出すなんて怖い顔の人はいませんね。獅子舞はけっこう体力がいるんです。獅子舞のみなさんブルーのアイスを食べていました。
第三祭典区の先太鼓の笛のグループに、芸術的なヘアーカットの少年がいました。妙に気合が入っていましたね、とんがっているところがいい。
<8/11 ポイント配分割合変更>
70% 20% 10%
#3101 雷と豪雨の1時間 :金刀比羅神社例大祭本宮の夜 Aug.10, 2015 [88.金刀比羅神社のお祭り]
18時から先太鼓の競演の予定、光洋町方面はジリがひどかった。太鼓はぬれるとやっかいだから、どうしただろう。光洋町はジリでも、緑町は案外大丈夫だ。⇒緑町は夜晴れていた、先太鼓競演は予定通り行われた。
根室に戻ってきてから13年目だが、神社を出発する神輿を拝まなかったのは初めてだ。先太鼓の競演を見なかったのも初めて。
19時ころから瞬間停電が3度ほどあった。遠くで雷が鳴っているが音が聞こえない。21時20分から「雷と豪雨の派手な祭典」が始まった。家の前の道路は70mほど深いところは30cmの冠水、道路の縁石が完全に水没していた。
東側の窓から通る車を見ていたら、センターラインをまたいで通るコースがいい。両方向から来るとそれぞれセンターラインを少し離れて通るのでタイヤは半分水没してしまう。
光洋中学校前の道路が冠水しているときは、光洋郵便局の角を曲がって、一本下の道路を通ればいい。春先も雪解け水が25cmほどたまることがある。
東根室駅への分岐道路の入り口のところが高くなっているのでこういうことが起きる。3mほど25cm削れば水はスムーズに流れて道路にはたまらない。
道路の勾配の設計計算をきちんとしてあればこんなことにはならないのだろう。工事をやるときにだって気がついて当然のように思えるが、そのあたりが昔はいい加減だったのかもしれない。
お祭りの屋台が緑町の道路の両側に並んでいるが、あそこは豪雨が1時間も続くと暗渠になっている川が満杯になり冠水する。せっかく来ていただいて祭りを盛り上げてくれているのだから、被害が小さければいいが、心配だ。
でも峠は越えたようだ、家の前の道路はすっかり水が引いて、センターラインが見えている。
雷は止まったが、22時55分になってもまだ雨は降り続いている。
(やみそうになったのに、23時5分にまた雷がなり始めた)
*#2915 高潮被害(根室・緑町) Dec. 19, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-12-19
<8/10 0時20分追記>
雨はまだ降っているし、雷も頻繁になっています。ときどき瞬間停電もありです。先ほどのニュースによれば、根室は130年の観測史上最高の1時間雨量53.5mmを記録したそうです。ずいぶんと古くから気象観測記録がとられています。国境の重要拠点だったのでしょう、130年前というと観測記録をつけ始めたのは1885年ということになります。わが母校花咲小学校(1876年開校)ができた9年あとです。
気象庁「根室の気温」のページでは
http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/today-18273.html?groupCode=15&areaCode=000
21時 0.0mm
22時 49.0mm
23時 20.0mm
24時 18.0mm
降り始めたのは21時20分でした。ニュース映像では緑町1丁目交差点付近が深いところで30cmくらいの洪水でした。雨はまだやみません、雷も相変わらず鳴っています。11日はお祭り最終日、露店が心配です。
降水量データ
1時 31.5mm
2時 24.5mm
3時 4.0mm
累計 147.0mm/6時間
雨は午前2時過ぎにやんだ。ラジオニュースでは、道路の冠水は深いところで膝上くらい。昨年12月の冬の爆弾低気圧のときの洪水は緑町1丁目交差点付近で1.5mだったから、それに比べると1/3程度、周りの商店も浸水後の店内清掃に追われているのだろう。130年の気象観測史上最大の雷雨と水害で記憶に残るお祭りとなったが、それを吹き飛ばす元気で祭りを締めくくってもらいたい。
(朝8時追記)
*緑町水害のTBSニュース映像がみられます
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2560643.html
<余談>
メドベージェフ首相の北方領土視察が公表され、外務省は大慌て、岸田外務大臣の訪ロ予定はキャンセルせざるを得なくなった模様。ロシアは北方領土を返すつもりはない。クリミア半島、ウクライナ、グルジアをみればロシアの領土拡大は本能のようなもの。
日本は別の策を採るしかない、それは弊ブログで公表しているMIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショーを全世界に見せてやることだ。国連安全保障常任理事会がロシア説得に動かざるを得なくなる。日本外務省は強い交渉材料をもつことになるだろう。
----------------------------------------------
*#195「すこし過激な北方領土返還論」:MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
⇒ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07
#465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30
#1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1
#1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08
#1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実 June 11, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11
#1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ June 14, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14
#1976 北方領土問題コメント(欄)対話(3) : ビザなし交流の変遷とその実情 June 16, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-16
#2003 "ロシアの動きは逆効果" :メドベージェフの国後島訪問 July 8, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08
#2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する? Aug. 10, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2
#2053 マーガレット・サッチャーと領土問題: 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14
<8/5 ポイント配分割合変更>
80% 20% 0%
#2771 金刀比羅神社例大祭 part 4 Aug. 11, 2014 [88.金刀比羅神社のお祭り]
剣道の達人の先輩と御旅所の所で雑談しながらお神輿が出発するのを見送った。向かい側には市長候補鴨志田リエ氏がオレンジ色のヨットパーカを着て見物していた。
行列は三吉神社を回り、1時間ほどで緑町に戻ってきた。緑町二丁目交差点でお神輿を出迎えた。神社の獅子舞にはY香、Kリ、それからもう一人Yトが出ていた。ひとりは地元に残り、二人は根室から巣立っていく。各祭典区の行列を全部見送ってから3時近くに家に戻った。
それにしても、うまい具合に雨空が曇り空にかわった、金刀比羅神社の神様のご利益だろうか。
<余談>
HTBで根室空襲を取り上げていた。1945年7月14日と15日。市街地の8割、2300戸が焼失、211人が死んだ。
他に根室港を出たばかりの輸送船が飛行機からの魚雷攻撃で沈んだ、択捉島へ行く船だった。100人余が亡くなっている。ジャパンタイムズがとりあげたことがある。船に乗っていた択捉島蕊取村の山本さんの証言だ。この人のおじいさんの兄弟は黒田清隆の副官だった。
根室空襲の時には21歳だったお袋は着の身着のままで逃げた。環状に焼夷弾を落として逃げ場を塞ぎ、真ん中に大量の焼夷弾を落とした。外側に逃げなかったものが焼死した。お袋はホロムシリの方へ逃げて助かった。食べるものはもちろん、何も持ち出せなかったからパンツの替えもなくて困ったと言っていた。死体の処理ができずに、リアカーに載せて海へ運んで流すのを手伝ったという。ebisuが小学校の頃は花咲小学校下の砂浜にも、弥生町の砂浜にも、砂に人間の骨らしきものが混じっていた。
この空襲の後で北の勝の碓氷商店は酒造用米を炊き出しに供出した。ひもじい思いをしのいだ人がたくさんあったのではないだろうか。
市役所の辺りから芭蕉湾を眺めたら、海との間は焼け野原が広がっていた。空襲の後、何にもないところからスタートした人が多かった。空襲の修羅場を潜り抜けてきたおふくろ、旭川の部隊から満州へ行って落下傘部隊に転じたオヤジの世代は精神的に強かった。戦後の困難も命がなくなるわけではないから、どうってことはなかった。
豊かになりすぎると精神のほうは弱くなるものらしい。かくいう私もお袋世代に比べたらまぎれもない軟弱者だ。修羅場をくぐっていない若い人たちが、これから修羅場を生きぬかなくてはならない。貿易収支は赤字、経常収支も今年から赤字になりそうだ。それは構造的な変化のはじまりだ。経常収支赤字、人口減と少子高齢化がトリプルパンチとなって日本経済を襲う、たいへんだな。しかし、そうした修羅場を経験することで屍を乗り越えて生き残る者たちはまた強くなっているだろう。20代、30代が根室の未来を切り開く。まっすぐな心根と基礎学力が未来を切り開く武器となる。学べ、ひたすら学べ、自分とふるさとのために。
にほんブログ村
#2769 金刀比羅神社お祭り part 3 Aug. 10, 1014 [88.金刀比羅神社のお祭り]
<お神輿追っかけ:沿道に同級生アリ、53年ぶりの再会>
12時少し前にMTBで金刀比羅神社前に駆けつけた。神社の前には東部祭典区の山車のお太鼓でにぎわっていた。先太鼓も金棒もいた。
12時20分くらいに、お神輿が下りてきた。お神輿の先導役なのか露払いなのか、毎年お神輿の前を歩いている同級生のK浦も白装束に袴をつけた格好で下りて来た。少し話しをして暇をつぶすうちに出発の12時半になった。宮司の奥方が後ろの方を走っていったのがみえた、高校で1学年下の購買部だったから同期で知らないものはいないだろう。東京目黒から市長選挙に来ているかのご婦人は薄紫の着物にオレンジ色のソックスをはいて行列の後を追いかけていた、根室は寒いからな、一人で追いかけていたのはえらい。
神社の獅子舞はYがやっていた、姿勢を低くしてなかなか獅子頭の扱いが上手だ、身体が柔軟だから低い姿勢に無理がないし動きもよい。何をやらしても器用なやつなのだが、勉強を含めてぐ~んと抜きん出るところまでやらないのが玉に瑕、お祭り終わったらそろそろ勉強本気でやったら?1448ページもあるGone with the windがまっているぞ。はやく新訳でないかな、新訳は『アトランタの風に吹かれて』というタイトルになりそうだ、全編のストーリーから考えるとそういう訳が的を得ている。
'K'も神社の獅子舞担当だ、気がつかずに横を通り過ぎていったが、面構えが男らしくなった。1年半前はまるで子どもだったのだが、高校生になると女も男も成長いちじるしい。みんな磨けば光る玉だ。だれかが磨いてくれるのを期待せずにそろそろ自分でしっかり磨け。
道路沿いに一番後ろの祭典区についていったら、道路わきにTがミニスカート姿でいた。いつも笑顔で照れくさそうな表情を浮かべる。脚が長いのでミニが似合っている、そのまま銀座を歩いても違和感がないどころかスタイルがいいからかなり目立ちそうだ。都会的な雰囲気の小顔の高校生と評しておく。3月に卒業したA乃は都会的で清楚な雰囲気にがらりと変わった、戻ってきたのだろうか。保育士になるんだったが、あんなふうに変身するとは予想外だった。
MTBで行列の先回りをして、商工会館前で神輿を見ていたら、K浦と精肉店に嫁にいった同級生が交差点で話していたので混ざった。小学校のときの同級生だ。一目でA木(旧姓)さんだとわかった。
「わかる?」
「A木、顔の輪郭が小学校のままだよ、変わんないな」
話しをしているうちに、妹の次女と彼女の三男が同級生だとわかった。
「よく遊んでもらったから・・・あはは」
田舎はいいな、誰かがどこかでつながっている。それがあるから根室人はまっとうなことが言いずらくなる、アハハ・・・
K浦が
「男の平均寿命は80歳、あと15年しかない」
「いいや、健康寿命は-9して71歳だ、それ以降は誰かに介護してもらわないと生きていけない、あと6年だぞ」
と応ずる。
「ebisuは16日の同窓会、仕事でこれないんだよな」
「悪い、仕事最優先だから、また欠席だ」
三人で話していたら、そのうちに気のあった同士で集まろうという、日曜日なら私は参加できる。同期会は今回が最後でもうない。小学校、中学校、高校とそれぞれ同級生や同期がいるが、同期会をやていたのは中学校と高校のみ。あちこちでいろんな人と同級生になったから、中学校とか高校という枠組みを外して旧交を温めたいという思いをもつ者は少なくないだろう。5~10人くらいで気軽に声を掛け合って旧交を温めたらいい。そういう輪がたくさんできたら愉快だ。
北海道銀行の交差点付近で神輿を待っていた。交差点をすぎて銀行前で神輿が休憩に入った。昔、梅ヶ枝町三丁目に家があったところだ。家の前で神輿を眺めたことを思い出した。お袋が「二回から神輿を見下ろしてはいけませんよ、下に降りてきなさい」、そう言ってた。角のお菓子屋の父さん、家のオヤジやお袋、向かいのトコヤの「兄さん」と奥さん、乳癌で亡くなった幼馴染のヤッコもみんな出てきそうだった。ミドリのお菓子店も根室で一番古い奥田時計店も今は跡形もない。過去は夢でもあり幻でもある、在るのはいまだけ。
開法寺の前の交差点で神輿と山車を見送った。MTBで警察の坂を上がって、合同庁舎前の温度表示板を見たら17.1度だった、時刻は2時40分ころ。根室の夏は日本一涼しい。
<金棒と先太鼓の競演>
夜7時に車で町へ下りていった。緑町に駐車場があるから便利だ。緑町1丁目交差点の会場まで歩く途中で浴衣姿のA音とすれちがった。白地に赤い小さな模様がはいっている、清楚に見えた。普段と来ているものが違うと気がつかないことが多いのだが、それ違う前に「あっ!」という表情を浮かべてくれたから、わかった。細くて子どもっぽかったが雰囲気が大人に変わった。大きい方ではない、細っこいのに水泳では全道大会でずいぶんといい成績を残した。後半年で卒業、根室に何人戻ってきてくれるのだろう。
会場に着くと金棒の演技をやっていた。一生懸命にやっているのだろうが、55年前の缶詰工場の男工さんたちの金棒が脳裏にはっきりあるので物足りない。若い男工さん50人くらいで金棒をやると、音が一つになる瞬間がある。腕力と気力がなければああはいかぬ。根室のお祭りで一番ユニークなものは金棒ではないだろうか。中学生が主体では腕力も気力も昔の男工さんには遠くおよばぬ。そういう若者が根室の町にいなくなって50年以上たったということ。
指導する者たちは若いから、そういう一つになる瞬間の音の記憶がないのだろう、あれはすごい、名人芸だった。金棒のパフォーマンスは飛び上がったり「乱れ打ち」はするが、肝心の基本技がまるでなっていない。なにごとも基本が大切、そのうえで型破りはいいが、基本がデタラメではさまにはならぬ。金棒の伝統はすっかり絶えてしまったようだ。
だが、太鼓の技術は昔の比べると段違いだ。7時半ころから、各祭典区の太鼓演奏が始まった。東部祭典区は太鼓が7つだったかな、第三祭典区と西部祭典区が11個と12個だった。アスファルトの地面からも振動が伝わってくる。直径50cmくらいの太鼓を太いベルトで肩から提げてやる曲打ちはやっている方も見ている方も楽しい。最後は第一祭典区だった。太鼓の数は7個で少なかったが、獅子舞が2組じゃれあっている演技や5人ほどの着物姿の女性が笠をクルクル回して太鼓に合わせて踊っていたのは変化があってとってもよかった。
<緑町二丁目交差点での恒例行事>
8時頃にお開きになってから、緑町2丁目交差点で第一祭典区と第三祭典区の山車が向かい合わせて太鼓を叩き始めた。例年のことなので交差点は人だかりができていた。第一祭典区が引き上げた後、第三祭典区の太鼓演奏が始まった。高3のSヤがはりきって叩いていた、いい顔してやがる。演奏の途中から雨が降り始めた。
<感慨>
根室はいいな、お祭りが来るたびにそう思う。高校3年の夏に神輿を担いだ。あの当時は神社の鳥居をくぐって下ろしてから、枠木に固定していた。いまは手順が違う。神社の境内で枠木に固定してから下ろしている。神輿の重さは1.5トン、それに枠木の重さが加わるから1.7トンくらいあるのではないだろうか。担ぎ手1組50人で、二組。昔は高校生が20~30人混ざっていた。
高校を卒業したら、都会へ進学し、そのまま就職して根室に戻らないものが多いが、最後の夏ぐらい神輿を担いだらどうだ?いい思い出になるぞ。
K浦に聞いてみたら、自衛隊など担ぎ手が決まっていて高校生が入る余地はないそうだ。なんだか札幌の雪祭りのようで、寂しい気がする。北海道三大祭なんていつの時代の話か知らないが、肝心の立派な神輿の担ぎ手すら、とっくの昔に「外部委託」せざるを得なくなっている。地元でお祭りを支えきれなくなっている、それがいま手古舞にも広がりつつあるのかもしれない。
<根室のお祭りの未来>
各祭典区は金棒、旗持ち、獅子舞、太鼓、笛、手古舞など、子どもを集めるのに苦労をしている。大人の神輿はすでに「外人部隊」が主力だ。手古舞も地方に散った根室人の子どもを試験的にお祭りにだしてみるという努力をし始めているそうだ。人口減、特に子どもの人口減がはげしいから、ここを何とかしないと、伝統を受け継ぐ区とがむずかしくなる。
12年前には中学生は1学年400人いたが、いまは250人前後、約6割だ。同じ比率で減少すると12年後の2026年には150人だ。根室市の総人口の減少率よりも、子どもたちの減少率がはるかに大きい。理由は簡単だ、若い人に地元に働く場所がないからだ。
<大人たちはいま何をなすべきか?>
頭が固くなったオヤジが威張っているような中小企業には先がない。決算情報を従業員へ公開し、退職金規程や経理規程を作ってきちんとそれを守る、オープン経営に舵を切るべきだ。40代半ばをすぎたら感覚がもうだめだと思ったほうがいい。若い従業員の柔軟な発想を経営に生かせなければジリ貧になる。2040年には根室の人口はいまより1万人減少して1.8万人を割る、地元企業の半数は経営破綻しているだろう。
地元に優良な企業が増えなければ根室の町のお祭りは担い手を失い、いまの形を続けられなくなる、伝統を次の世代へ引き渡せなくなる。
中小企業同友会の全国協議会は「中小企業労使による経営民主化」を推進し始めている。根室にも中小企業家同友会支部があるだろう。全国に先駆けて決算情報を公開して経営民主化をやってみたらいい。陽は一番東の根室から昇る、中小企業改革の陽も烽火も根室から上がっていい。
にほんブログ村
#2768 金刀比羅神社のお祭り part 2 :宵宮 Aug. 9, 2014 [88.金刀比羅神社のお祭り]
5半頃出かけた。途中でアウディに乗っている塾生を見かけた。もちろん、車は車でも、自転車である。
夜店を歩き始めたら、胸をトンと突いてきた中学生がいた、C中学校の生徒だった。
「先生、おれだよ!」
トモダチと連れ立って楽しそうだ。
それからすぐに浴衣姿の高校生に呼び止められた。
「せんせい!」
笑顔がめんこい。祭りに穂はみんな笑顔だ。
山吹色の浴衣と群青色の浴衣だった。いつもはこの二人背が高くて目立つので100m先にいてもすぐにわかるのだが、今日は分からなかった、突然目の前にいた。一人は100m先から見てもはっきりそれとわかるくらい足が長いのである。しかし、浴衣では脚が見えぬ。
夜店をぶらぶらしているうちに東部の山車が夜店の並んだ通りに入ってくると、他の祭典区の山車も集まり始めた。
北西の空は夕焼けで薄いピンク色にそまり、南の空には大きな満月が上り始めた。月は霞がかかったようににじんでいた。山車と手古舞の競演は6時半から行われた。
東部の手古舞は珍しいことに全員男だった。最後の方で飛び上がるのだが、一番端の男の子がすいぶん高く飛んだ。いままでにない趣向の踊りだった。指導は花柳流の人。小さい女の子が4人混じっている手古舞と小さい子ばかりの手古舞もあった。周りの人たちが「かわいい!」と叫んでいた。ちっちゃな女の子が手古舞を踊る姿はそれはめんこい。
第一祭典区の山車は360度くるくる回せるように、計算しつくされた形に仕上がっていた。つくりもかなり頑丈そうで、すっきりしていた。第三祭典区は雨対策が施され、透明のビニールシートで覆われていた。人形が3体載っていたのは東部祭典区だったかな。馬に乗った武者姿は西部祭典区だ。
8時少し前に山車と手古舞の競演が終わった。少しぶらついてから帰ろうとしたら、5時半頃自転車に乗っていた小学生にでくわした。元気がいい。挨拶して通り過ぎて歩いていったと思ったら、Uターンして人ごみの中を小走りで駆け抜けていった。いや、速かったな、かなりジグザグに人を避けながら走っているのにぶつからない、あんなにすばしっこいとは思わなかった。
満月の夜の気温は17.3度だった。根室としては暖かい夜だった。平年だと13度くらい、今日は浴衣姿の人も寒くはなかっただろう。日本一涼しい夏の根室。
明日は午後から雨の予報だ。なんとか空が3時頃までもってくれたらいい。数年前に、神輿が御旅所に着いた途端に土砂降りになったことがあった。神輿は濡れなかったが、後ろの行列はずぶぬれだった。
天気のことは天に任せて、せっかく張り切って太鼓を叩いたり、笛を吹いたり、獅子舞をやったり、金棒突きをしたり、それぞれの役をやってみさてくれるのだから、出かけてみてあげよう。たったの三日間しかない、たくさんいた方が祭りは楽しい。祭りはやる人と見る人の両方でつくるものだ。
<余談>
「名前」と「衆議院議員」という文字を染め抜いたハッピを着ている人がいた。プロだな、ハッピまで用意している。祭りに顔を出して知人や応援者に挨拶して回るのは大事な活動だろう。元釧路市長だから釧路が地盤なのだが、根室にけっこう来ている。選挙に強いわけだ。
にほんブログ村
<山車競演 華やかに>10日北海道新聞根室地域版より
---------------------------------------
・・・
山車はそれぞれ趣向を凝らした人形などで装飾。第1祭典区は大河ドラマの主人公黒田官兵衛、東部祭典区がアニメ「ワンピース」のキャラクター、第3祭典区が歌舞伎の演目の一つ義経千本桜から「狐忠信」、西部祭典区は戦国時代の武将前田慶次を本物差ながらに表現した。
各山車は午後6時半ごろ、露店が並ぶ御旅所(市内緑町)前の交差点に終結し、四方から向かい合い、それぞれ威勢のよい掛け声を掛け合いながら、太鼓や笛の音を響かせた。・・・
---------------------------------------